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☆大きな声で自信に溢れている人

 

 自信とは何か? 「あの人は自信に溢れている」と人を評する根拠は一体どこにあるのだろう? ただ大きな声で滑舌よく発言しているから、自信があると見えるのだろうか?

 

 ビジネスの世界では、そういう人は仕事の実績をあげやすいから、自信がある人だと断定されることが多い。

 

 しかしそのような人と実際に接してみると、単に押し付けがましく怖い人であることも多い。自分の政治的、宗教的勢力にこちらを巻き込もうとしている人か、何か高価な品物を売りつけようとしている人か。

 

 大きな声で滑舌よくしゃべるのは、単なる勧誘のテクニックで、その人自身に深く分け入ってみると、そういう人は単に無考えに生きているという場合もある。

 

 わたしは断言する。本当は自信がないからこそ、自信を持つことが出来る。

 

 自信のない人は色々な局面でクヨクヨ悩む。いちいちどうすればよいかを考える。考えて何かを発言するが、小さな声で滑舌も悪いから、誰の耳にも届かない。届いたとしても大抵は相手にしてくれない。

 

 そういう人はさらに考える。そしてみんなが納得してくれるような名案はないかと、頭の中で考え続ける。考え続けるということがその人の自信の基礎を作る。

 

 全く無考えに自己を主張し、人を引っ張っていくのは、短期的な勝負には適するかも知れないが、人生は決して短期決戦ではない。ある時期の営業成績がトップになったからといって、その栄光がいつまでも続くとは限らない。それに、営業ではトップだった人が、全く畑違いの部署に異動することもよくある話だ。

 

 ただ単にグラフの高さを上げればそれでいいわけではない。人生は長期戦なのだ。二十代の頃全くパッとしなかった人が、三十代、四十代と年齢を重ねるに従って、重厚な物腰を身に着けた大物になる可能性もある。

 

 それに人生は勝負だけでは成立していない。営業成績はパッとしないが、その人がいると社内が明るくなるような人もいる。会社の上層部の人は、そうした人こそ上の立場に押し上げようとするものだ。

 

 そのように人間には様々な特色がある。ただ単に声が大きくて人を引っ張る力が強い人も必要ではあるが、そういう人ばかりが必要なわけではない。じっとおとなしく社内を見渡して、適当な時に適当な処置を取れる人こそ重宝されるのはもちろんのことだ。

 

 だから自分は自信がなくて情けないと、落ち込む必要はない。自信がない人の方が、慎重に物事を進展させるし、周りの人も手を差し延べやすい。

 

 先に述べたように、自信のない人はよくものを考える。馬鹿な考え休むに似たりということわざもあるが、長い人生、休んでいるような馬鹿な考えに耽ることも、将来の飛躍のために必要なことなのだ。

 

 自信を持ちたいと願って武道などの習い事に通う人もいる。それもいいことだ。真摯に武道に打ち込んで精神を鍛える、それは素晴らしい。

 

 しかし、単に武道で強くなったら、そのまま自信に溢れた人間になるというわけではない。武道の鍛錬は一つの手段であって、世の中には他にも無数の手段がある。

 

 自信というものを手に入れるために最も大事なことは、自分の力で考えて物事を処置していくことだ。

 

 だからこそ人間には自信のない時期というものが必要なのだ。自信がなく、自分には何の取り柄もないと落ち込むことは、それ自体はマイナスではあろうが、そこから脱出するために様々に考えを巡らせるという点で、とても役に立つ。

 

 武道などのスポーツが、そのように物事を考える手助けになるとしたならば、それは役に立つ。ただどこかの大会で優勝したり、家の中にトロフィーが溢れかえっていればそれでいいというものではない。

 


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