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みどりの島は今

 

「美羽(みう)、友ヶ島へ行かへんか?」

おじいちゃんがそう言ってきたのは、六月の初めだった。家では、「うん」か「いや」「そうやなあ」くらいしか話さない人だったから、美羽はきょとんとした。

「うん、いいけど、なんで?」

小さい頃はともかく、中学生になって急に誘われた美羽は、びっくり仰天してついそう言ってしまった。

「いや、まあ、なんか、有名なアニメの舞台とそっくりで、若者に人気やと聞いたんや」

いたずらが見つかった子供みたいに、しどろもどろになっているおじいちゃんを

(なんかいつもと雰囲気が全然違う。かわいいかも)

なんて、美羽は思ってしまった。それで、夏休み前の休日に出かけよう、ということになったのだ。

 その晩、お姉ちゃんを誘った。

「えっ、マジ?和歌山の?リアルラピュタって評判やで。そんでも、あのおじいちゃんが?何があったんやろ」

「いや、訳わからへん。そやけど、あの無口なおじいちゃんと一日一緒って、どうよ」

「まあなあ。姉ちゃんも行きたいけど、バスケの試合や。高校の部活は厳しいねん。兄貴たちは鼻もひっかけんやろしな。まあ、行ってき。小さい頃は、動物園とかよく連れて行ってもろたなあ。特に美羽は、あっちこっち。久しぶりにおじいちゃんとデートやな」

お姉ちゃんは、クスっと笑った。

 

大のアニメファンの美羽は、ジブリ作品は全部何度も見ている。初期の『天空の城ラピュタ』も大好きで、DVDも買ってもらった。

 神戸の下町で、ネジなどを製造する小さな工場を経営している美羽の家は、二世帯の大家族だ。大人はみんな工場の仕事を分担している。四人兄弟の末っ子の美羽は、随分甘やかされてるなあと自覚している。

 

七月半ばの土曜日、美羽たちはちょっと緊張して玄関を出た。おじいちゃんの分までよくしゃべるおばあちゃんが、大きな声で、

「曇っとおけど、カンカン照りよりええわ」

と、手を振って見送ってくれた。

 電車を四つ乗り継いで小さな駅に着いた。細い道を歩くにつれて磯の香りが強くなる。港に着いて、乗ったのは百人乗りくらいの船だ。甲板のベンチに座った美羽は、帽子を脱いで肩にかかる髪をさわさわ揺らした。おじいちゃんは、船べりに立ったままじっと海を見ていた。同じように帽子を脱ぎ、薄くなった髪を風に遊ばせている。

(二人で出かけるなんてほんま久しぶりやなあ)

そんなことを思いながら、おじいちゃんの後姿を眺めていた。その背中はシャキッとしていて、とても七十六歳には見えない。今まで声を荒立てたこともないし、ただ黙々とネジを作り続けてきたおじいちゃん。今は、経営はお父さんに譲ったのだし、のんびり趣味を楽しんでと、誰もが言うのに、

「機械の前にいるのが一番落ち着くし、健康にええんや」

などと取り合わないのだ。

(あんな油くさい工場なんて入るのもいややのに、何が楽しいんやろ)

美羽はぼーっとそんなことを考えていた。

 

二十分程の短い船旅を終えて、着いたところには、明るい芝生の広場が広がっていた。

(えっ、ここが無人島?人がいっぱい、いるやん)

拍子抜けした美羽は、改めてパンフレットを眺めた。その時、ちょうど団体のお客さんに、『語り部』と書かれたジャケットを着た女性が、携帯用のマイクで説明を始めた。

(いや、ラッキー。難しそうなパンフ読まんでもええわ)

その団体の後ろで、耳を澄ました。

友ヶ島というのは四島の総称で、美羽たちが歩くのは沖ノ島というらしい。無人島だが、休憩所もあるし、ただ、住民登録している人がいないだけという。元々は修験場だったようで、山伏だけが行き来する神聖な島だったということだ。明治時代に、大阪・神戸を守るためにたくさんの要塞が建設され、戦争中は、一般の人たちは近づくことを厳しく禁止された。地図にすら明記されていなかったという。そして、第二次大戦後、廃墟になった要塞施設が、今も数多く残っているとのことだ。

(ああ、おじいちゃんが来たかったのはこれやな。ちゃんと言うてくれたらええのに)

ちょっと納得した美羽だった。

 

 団体と離れて、山道を歩き始める。自然のままのうっそうとした樹々が覆う道に、可憐な小花が足元を彩っている。島中、空気まで緑だ。石がごろごろするかなり急な山道をゆっくり登る。

(おじいちゃん大丈夫かなあ)

後ろを歩きながら美羽が心配していると、振り向いたおじいちゃんが、声をかけてきた。

「美羽、大丈夫か?」

「大丈夫に決まってるやん。私、陸上やってるんやで。おじいちゃんこそ気いつけてや」

日に焼けた顔をほころばせた美羽は、真っ白い歯を見せて言った。

 

『第三砲台』という大きな案内板のある所に着いた。その前に、数人が集まっている。石畳のスロープを下ると、煉瓦を積み上げた砲台の弾薬庫が続く。

美羽は、あんぐりと口を開けてしまった。色褪せたアーチ形の赤煉瓦に緑の草が垂れ下がり、正に『ラピュタ』の世界が、目の前にあった。真っ暗い穴倉へ、おじいちゃんの後ろから、懐中電灯を頼りにこわごわ階段を降りていく。湿った匂いが地下に漂っている。広い五つの部屋が、回廊状のスペースでつながっていて、ざらざらとした煉瓦の手触りが不気味だ。

(えっ、ムスカ!)

一瞬、がらんとした空間に、ピストルを構えて立っているムスカ大尉が見えた気がして、ギョッと立ち止まってしまった。煉瓦の隙間から何かが抜け出てきそうで、背中がゾワゾワする。

(うわーすごう)

美羽は、高い天井に思いっきり大きな声を響かせたい気分だ。でも、それを押しとどめる凛とした空気に、たじろいでしまう。

細い通路を抜けて階段を上がると、煉瓦の壁に囲まれたすり鉢状の底に、濁った大きな丸い池があった。やっと空が見えて、大きな息を吐きだした。ヒロインの少女シータと少年パズーがのぞき込んで見た、『水没した都市群』が見えるのではないかと、美羽はこわごわ覗き込んだ。しかし、そこは、砲台を備え付けた台座の後で、藻の緑が広がっているだけだった。

弾薬を置いたところの煉瓦には『い』『ろ』『は』と白い文字がかすれて見える。この場所は、外からは見えないようにたくさんの樹で隠されている。その向こうには、朽ち果てた自家発電所や兵舎跡も、蔦に絡められながらなんとか建っていた。

 

外に出て、新しくできた階段を上ると、広い展望台だ。元の世界に戻ってきたようで、両手を広げて、柔らかい空気をおもいっきり吸い込んだ。目の前には静かな海が広がっている。二人はその海を眺めながら、並んで座ると、お母さんの作ってくれたお弁当を広げた。

「美羽これ好きやろ。お食べ」

「うん、お母さんの肉ボールは絶品や。代わりに塩鮭あげるわ」

「おおきに、けど美羽は成長期や。たんと食べな」

「なんぼ成長期やいうても、このお弁当多すぎるし。お母さん張り切りすぎや」

「あー、おいしかった。ごちそうさん」

 両手を合わせるおじいちゃんに、ペットボトルのお茶を飲みながら、美羽は尋ねた。

「あー大満足!すごかったなあ。おじいちゃんは、砲台跡を見たかったんやな。それで、もう帰るん?」

おじいちゃんは、海を見たまま、

「どうしても行きたいところがあるんや。つきおおてくれへんか」

そう、ぼそっと言った。

「せっかく来たんやもん、ええよ。どこ?」

「聴音所いうとこなんや」

美羽は改めてパンフレットを見た。文字の多いものはなるべく遠ざけているが仕方がない。

この島の他の施設はすべて陸軍のものだが、ここだけ海軍のものとある。太平洋から紀伊水道を北上する敵の潜水艦を爆破させることが、任務だったようだ。海中の水中聴音機からのごく小さな音を、隊員が耳にレシーバーをつけ、耳を澄ませ聴く。二十四時間、三十人ほどの兵士が三交代で、一瞬も緊張が解けない、過酷な任務だったという。ごく最近まで、何の施設かも分からず、荒れるに任せていたらしい。

 

何とかもちこたえていた雨雲から細い雨が降り始めた。慌てて透明のレインコートを着て、濡れ始めた山道を下る。かなり険しい山道の両側には、いろんな樹木が、好き勝手に枝を伸ばしている。だんだん海の匂いが強くなってきた。ここは、周遊のコースからは外れているようで、誰も通らない。下ばかり見て歩いていた時、突然、屋根が樹木、壁が自然石で覆われた建物が現れた。目の前の案内板を見ると『旧海軍聴音所跡』とある。おじいちゃんが、立ち止まったまま、大きな息を吐き出した。

(元気といっても、やっぱり七十六歳、疲れたんやな)

美羽がそう思って覗き込んだおじいちゃんの顔が、さっきまでの穏やかな顔ではなくなっていた。

(いや、どないしょ。よっぽどしんどいんや。どないしょ)

心配する美羽をおいて、おじいちゃんは荒れ果てた建物に入っていく。天井は、木炭化していて、床には、瓦礫が散乱している。煉瓦が四角く空いたところは窓だろう。すぐ前に、海が見える。おじいちゃんは、その壁に手を当てたまま、動かない。そして、ずるずるっと、しゃがみこんだ。そして、床の何かを、そっと握った。

(だれかに連絡せな!)

美羽は、おろおろとスマホを取り出しながら、おじいちゃんのそばへ走った。なんと、おじいちゃんは涙を流しているのだ。

「美羽、ごめんな、びっくりさして。おじいちゃんのお父さんがここにおったんや。ちょっとの間やったけど。それから、ラバウルというところの聴音所で任務についてたんやけど、そこで死んだ」

そこまでいうとおじいちゃんは、一息ついて、苦しそうに笑った。

「ここへいっぺん来たかったんやけど、なんか勇気が出んでな。美羽に付いて来てもろたんや。これ以上歳とるともう無理や思てな」

あまりのことに、美羽は声も出なかった。曽おじいちゃんが若くに戦死したとは聞いていたけれど、よく考えたこともなかった。

「おじいちゃんのお父さんは、十八で横須賀の機雷学校に入ったんや。海軍の訓練所やな。卒業して神戸の家に帰ってきたとき、『海軍に入ったらいつ死ぬかもわからん、跡取りもおらんこの家どうするんや』ということで、結婚がばたばたと決まった。それで、おじいちゃんが生まれたんや」

美羽は、黙っておじいちゃんを見つめた。窓から見える海に目を向けたまま、おじいちゃんは独り言みたいに話し続けた。

「それからな、ここに配属された。ここや」

げんこつで、コンクリートの床を叩いた。

「たった二か月ほどしか、家にはおれへんかった。おじいちゃんは、お父さんの顔も見たことないし、お父さんも、おじいちゃんの生まれたときの写真しか知らん。戦場のことや。それさえ届いてるかどうかも分からへん。まあ、えげつない世の中やった」

美羽はおじいちゃんの手を両手で包んだ。ごつごつした大きな手だ。おじいちゃんは、恥ずかしそうに、それでもそのまま、話し続けた。

「工業高校出てから、おふくろを楽にせんとあかん、そればっか考えて働いてきた。おかげで工場も順調やし、お父さんもあと継いでくれて、今は四人の孫までいて、にぎやかに暮らさせてもろてる。ほんま、幸せなこっちゃ。親父はこんなとこにいて、遠い遠い南の島で、死んでしもうた。骨の一かけすら残さんと。無念やったやろ思うわ」

美羽は、おじいちゃんの背中をなでた。そっとそっとなでた。おじいちゃんは、ふっと体中の力を抜くと、手を広げた。そこには、どす黒いような赤茶けた小さなネジが、一本あった。美羽は、ハンカチを出すと、そのネジを包んで、おじいちゃんの手に戻した。

 

二人は、そっとその部屋を出た。兵員宿舎、便所、発電所、バッテリー室、貯水槽などが、朽ちるに任せて散在していた。静かな雨が緑を余計深くしている。いくつもある砲台跡や宿舎跡、防空壕など、すべてが戦争の記憶を、黙って伝えていた。

(戦争のことはよう分からへんけど、おじいちゃんは、心の袋のひもをぎゅっと固く結んでたんやなあ。今そのひもがちょっとゆるんだんや)

美羽はそう思った。その相手が自分で、大人扱いされて、背が伸びた気がした。

「おじいちゃんずっと働いてきたんやから、おばあちゃんとのんびり旅行したらいいのにって、お父さんもお母さんもゆうとおよ」

「おおきに。そやけど、婆さんは友達とあちこち行って楽しんでる。わしはもう、あの世への大旅行だけで十分や」

そう言って、いつもの顔で笑った。

「それにな、今、医療器械に使う軽い極小のネジ開発してるねん。もうけ考えんと、好きにやらしてもろてる。贅沢な趣味や」

 そう言うおじいちゃんの笑顔は、とびっきり優しかった。

いつも黙っているおじいちゃんが、ちょっと煙たくなっていた最近の美羽だったけれど、ずっと、おじいちゃんのことが好きだったなあと気が付いた。

(今日は、おじいちゃんが美羽に甘えたんや。今日のことは秘密や。大好きなお姉ちゃんにも言わへん)

そんなことを考えながら歩く道は、足がすいすい進み、すぐに桟橋に着いた。

  

帰りの船は、おじいちゃんと二人、並んで座った。雨もやみ、雲の切れ間から、ため息が出そうな美しい光が差してきた。あの光をたどって行けば、ラピュタの島にたどり着けそうな気さえした。ふわーっと見とれていると、

「美羽、そのアニメは最後平和になるんか?」

「そうや。いろいろ戦いはあったけど、みどりだけの美しい島にもどって、天空へ、高く高く、上っていったんや」

「そうかあ、それはよかった、ええなあ」

 

二人は、雲間の光を飽きずに、いつまでも眺めていた。

 


この本の内容は以上です。


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