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私は誰? 第九回

      

 

 たとえ私が、無意識に、失礼なこと、非常識なこと、不親切なことをしてしまっても、いつもニコニコ笑顔、いつもヘラヘラと笑っていれば、相手に悪意がないこと、敵意がないこと、ただ何も分かっていないだけ、ただ気付かなかっただけと、許してもらえる、私が不注意を、ミスを犯しても、私がおどけたリアクションを付け加えれば、怒られるどころか、親しみを持って笑ってもらえる、私が変な動きや、変な発言、変な見た目になっていても、気味悪がられることなく、「そういう人」として受け入れてくれる、そうして、きっと皆は、私のことを、失礼な奴、気持ち悪い奴、から、面白い奴、愉快な奴、という評価へと変換してくれる――そういう意識が、自然と働いたのでしょう、私はいつしか、人を前にすると、常にニコニコヘラヘラと、満面の笑みを浮かべ、何か自分の欠点が出たり、人から指摘を受けたり、馬鹿にされるような瞬間に、それを笑いに変えようと、ボケて、おどけて、ふざけて、そうして、他人から悪い印象として刻まれるのを避け、自分の数々の短所を、むしろ、気に入られるための素材として利用しておりました……とりあえず、笑っていれば良いんだ、おどけていれば良いんだ、何をされても、何を言われても、何をやってしまっても、ただひたすらニコニコヘラヘラして、ひたすら面白おかしく振る舞っていれば、みんな自分を、気に入ってくれる、愛してくれる、好意を持ってくれる、受け入れてくれる……。 

 しかし、この様に、笑い、というものが、自分にとって、処世術的な意味を持っていたのと同時に、自分は、本当に、単純に、笑う、という感情、現象、行為が、何よりも好きで、私は今でも、笑い、という快楽は、一番崇高な感情、且つ、最も偉大な芸術であると、そう思っていて、私は笑いを得る度に、固定観念の破壊、不幸の超克、他者との共鳴、束縛からの解放、精神的自由を強く感じ取ることが出来、まるで性的な快楽のように、気分が途轍もなく高揚するのです――それ故、私は、どんなときでも、何があっても、気にせず、深刻にならず、ただふざけて、おどけて、笑い合っていれば、それで幸せじゃないかと、常日頃から思っていて、逆に、暗い、重苦しい、緊張感の漂う、気まずい雰囲気、空気感が、吐き気を催しそうになるほど心から嫌いで、私の体を縛り付けるような苦しさを感じ、どうして人は、わざわざ、そんな、嫌な、面倒な、鬱陶しい、陰惨な空気、気持ちに陥ろうとするのか、どんな欠点も、トラブルも、ハプニングも、全部笑いに利用して、常に明るく、楽天的で、和やかで、いい加減でいれば良いじゃないか、その方が、単純に、人々の幸福度が増すじゃないか、なんで、厳粛な、殺伐とした、お堅い雰囲気を作ろうとするのだろう、なんで、人は普段から、もっと、ユーモアを、おふざけを、遊び心を求めようとしないのだろう……そういう不満を感じる世界だからこそ、私は、その中で上手くやっていけず、暗い気分に陥り心を閉ざし、無口になり、ユーモアを見せることが出来なくなり、明朗さや諧謔から一番遠い人間だと思われてしまうのです……。 

 

 笑いのためなら、言ってはいけないことを言い、私物を破壊し、体を痛めつけることも辞さず、何を犠牲にしたって構わない、笑いにはそれだけの価値がある、逆に、他人もそんな感じなのだろうと思って、人の欠点のようなもので笑いを取って、相手を怒らせたり、悲しい表情をさせてしまうことがあって、しかし、そのときは、どうしてそんなことで嫌がるのか、訳が分からず、面白いのだから良いじゃないか、悪意なんて何もないのになんでそんなリアクションをするんだろう、と、どうしても反省する気になれなくて、また、中学生の時のエピソードですが――自分達のクラスに来た、教育実習生に対し、色紙を書こうということになって、休み時間などに、適当に、クラスメートに回して、一人一人メッセージを書き込んでいく中、私がいつもつるんでいるグループが、変な事を書くような流れになって、最終的に、その中の一人が、場のノリで、色紙をぐいっと折り曲げて、はっきりとした折り目を付けてしまいまして、周囲笑いに包まれて終わったのですが、後で大きな問題になり、放課後に、先生が、誰がやったのか名乗り出るまで帰らせないと言い始めて、教室が非常に気まずい雰囲気に包まれて、結局、本人は黙りを決め込んだまま、釈然としない形で説教は終わり、しかし、その後、ちらほらと、方々から、あいつがやったんだろ、早く名乗り出ろよ、と、文句を口にする生徒がいて、本人は、とても気まずそうにしていたのですが、私だけは、彼を責める気になれず、というのも、彼の行為には、何の悪意も、敵意も感じられず、ただその場にいる私達を笑わそうという一心でやったことで、私はそこに、非常に純粋な動機を感じて、どうしても、非難する気になれなかった、私にとって、人を笑わせる、という行為は、それだけ上位に位置するものだったのです……。 

 

 確かに、「面白い子」というキャラクター、ポジションになることによって、私は、少なくとも、クラスメートから嫌われること、集団からはぶられることは避けることが出来ましたが、では、自分のことを、人がからかわなくなったか、というと、それはまた別の話であり、私のことを、恐らくクラスの皆が好きであったでしょうが、好きであることと、いじめないことは、同じではなく、人は飽くまで、私を、ピエロとして、オモチャとして好いていたのであって、一向に、ちょっとしたことで馬鹿にしてきたり、意地悪な遊びをしてきたり、目に見えぬ序列、暗黙の主従関係があることに変わりはなく、ただそこに「面白い」という評価が付け加えられただけの話であって、それは、前に述べたように、私が変わり者、天然、強烈なキャラクターをしていて、馬鹿にして優越感に浸れるポイントを、幾つも提供してしまっていたこともあったでしょうが、何より大きいのは、私という人間が、幾ら攻撃したところで、全く害をもたらない相手だったからだと思います――こんなことを言うと、自惚れだと思われるかも知れませんが、私は、世界で一番優しい子供だったのではないかと、本気でそう思っているのです…… 

 他人が傷つくのが嫌なのか、それとも、自分が嫌われたくないだけなのか、或いは、その二つは結局同じ事なのか、動機ははっきりとはしませんが、私は、決して、悪意を持って、人の嫌なとこを突いたりするようなこと、馬鹿にしたり、意地悪をしたりすることはなく、そもそも、人を卑しめて楽しむこと自体に関心が無くて、たとえ、相手が恥ずかしいところを見せてしまっても、当然それを一々突いたり、言い触らしたりすることもなく、初めから気付かない振りをして、何とか相手に気を遣わせまいと、人知れず努力していましたし、仮に、何気ない一言で、過って相手を傷つかせてしまっても、いち早くその表情に気付き、あ、やってしまった、と反省に駆られ、すぐに話題を切り替えて、少しでも早く忘れさせようとします、また、他人から何か、理不尽な非難を受けても、私はただただ、相手の言い分を、一方的にわせておくばかりで、決してこちらから、正面切っての反論を行うことはなく、クラスメートと対立すること、決して出来ないでいて、喧嘩してから、仲直りするまでの、あの気まずい、殺伐とした、重苦しい雰囲気を味わうくらいなら、自分が悪者になった方がマシだ、お互いに損をするだけだと、そのように感じ、本格的な対立の構図になるような、そんな空気を察すると、自分が一方的に身を引いて、相手の理不尽な言い分を受け入れ、その悔しさ、やるせなさに、涙が出そうになり、後で一人になってかその悲劇を嘆いており、たとえ、明らかにこちらに分があり、相手に致命傷を与えられる一言が頭に浮かんでいたとしても、相手の悲しそうな、傷ついた表情を想像すると、言ってはいけない、とブレーキが掛かり、どうしても、それを口にすることが出来ず、自分が背負えば良い、自分が傷つけば良い、考え、余り劣位に追い込まれない程度に、対立的にもならない程度に、上手い具合にリアクションを見せ、出来るだけ穏便に切り抜けようとするのです……。 

 

 当然私は、他人の頼み事を断ることなんて出来やしませんでしたし、中でも特に、「誘い」や「付き合い」に関する要求には、決して「嫌」ということが出来ず、下校時の、一緒に帰ろう、だとか、朝、家に来て、「○○くん」と大声で呼ばれて、それが私にはもう、脅迫、誘拐のような響きを持っていて、本当は嫌で嫌で仕方ないものの、それを顔に出すことは出来ず、全然問題ないかのような反応で返し、しかし内心は、どうして、自分は、この人たちの時間、この人たちの歩幅に合わせて、一緒に歩かなきゃ行けないんだろう、その上、始終、気を遣った、相手に合わせた、謙った、退屈で窮屈、薄氷を踏むような会話をしなければなくなる、自分は一人で、空想に耽りながら歩いたり、予定に合わせて自分のペースで帰ったりした方が、本当は良いのに……登下校時だけでなく、休日や学校終わりの、遊びの誘い、これにおいては、絶対に引き受けなきゃ行けない、という強迫観念のようなものまであって、怖いヤンキーの先輩にツラ貸せと連れ出されるような恐ろしさを覚え、私にとって、遊びの誘いを断るというのは、相手に対する宣戦布告、「お前が嫌いだから遊ばない」、と喧嘩を売っているのと同じような感じがしてしまって、そうしていざ、家に友達がやってくると、相手を失望させてはならない、退屈させてはならない、楽しんで帰ってもらわなければいけない、と、おもてなしに躍起になって、楽しい遊びを考えて、必死で立ち振る舞って、そうして、帰りの時間にな、友達を家から送り出した後、部屋に戻って、散らかったもてなしの残骸を眺めながら、一人立ち尽くして悲嘆に暮れ、つまらないと思われただろうか、今頃悪口を言われているんじゃないだろうかと、不安に駆られるのです…… 


この本の内容は以上です。


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