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志あるを要す

志あるを要す 

 

 正月二日の夜は日テレの『体育会系大新年会スペシャル』を、昨年のうちの録画であることを承知しながら、十分楽しんでいた。頻繁なCMを避けてはNHKの『白神』を見ていた(テレ朝の『スピード』は録画し、フジの『ショムニ』は断念した)が、いつの間にか十時を回っていたのだろう、NHKには散歩する老人の姿が映っていた。

 

    白川某という老人は漢字の研究者であるらしかった。心当たりがあった。恐らく『孔子伝』の白川静であった。日テレの『体育会系大新年会スペシャル』は心残りだったが、白川静が語る漢字の字源の話しに心奪われた。文字が秘めているおどろおどろしい起源は恐ろしくも誘惑的であった。その履歴、白川は小学校を出て働き、学への志抑えがたく、大学の夜間部で学び、小学校の教師を経、立命館の教授になり、退職し、今に至っている。

 

    白川静が書物を読む際の心構えを語った。

  

    志あるを要す
    つねあるを要す
    しきあるを要す

 

     もとよりこの心構えは趣味の読書に当てはまるものではない。とすれば、もはや私にも無要のものであるかという思いがよぎる。

 

    白川はまた孔子の説く人の道を語った。聖人の道、中庸は求めて求め難い。聖人に次いで尊いのは狂狷である、と。

 

    白川は著作集の膨大なゲラ刷りの校正に悠々と励んでいる。89歳である。

 

    無類の好学の人であった孔子は、…古典を学んだ。『書』や『詩』を学び、これを伝承する史や師についても、広く知見を求めた。そしておよそ先王の礼楽として伝えられるすべてのものを、ほとんど修め尽くすことができた。儒学のもつ知識的な面は、これですでに用意を終えているのである。これをどのように現実の社会に適用してゆくか、それが次の問題であった。
(白川静著、『孔子伝』、1991年、中公文庫)

 

    このような孔子の在り様に木霊するかと思われる声が私の記憶の底からよみがえって来る。孔子とは二千年の時を隔てた声である。

 

    私はそこ(ラ・フレーシ学院)で他の人たちが学んだすべてのことを学んだ。また、教えられる学問では飽き足らず、私はあらゆる書物を、この上なく秘教的な学問やこの上なく世に稀である学問に関わる手に入る限りの書物をも渉猟した。…私は師の庇護を脱けられる年齢に達するとすぐ、書物の研究はきっぱりと止めた。そして自分の中に、あるいはまた世の中という膨大な書物の中に見出されるような知識以外のどんな知識も求めまいと心に決めて、青春の残りを旅行に、…費やした。
(『方法序説』、私訳)

 

   『老いて遊び心・学を究めん・白川静の漢字宇宙――”白”はどくろの表象』が番組名だった。 

 

 

(了)


この本の内容は以上です。


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