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2008年6月。

「亜希子は夏休み、何をするの?」

大学のキャンパス内を歩きながら、シルビアが尋ねた。シルビアは22歳のアイルランド人留学生で、日本に来て一年になる。日本語は流暢だった。

亜希子とシルビアは、大学で同じ学部だった。講義を受けるたび顔を会わせるうちに親しくなり、今では仲のいい友人である。

 

「今のところ予定はないけど・・・・・・」

「それだったらバイトしない? 」

「バイト!?」

「今、私が働いているカフェの仕事だけど。夏休みでバイトスタッフが休むから、人手が欲しいとマスターから頼まれたの」

「カフェね・・・・・・」

亜希子は迷うように言った。

 

「亜希子なら、大丈夫。私も一緒だから、やってみない? 」

「そうね・・・・・・わかった。でも、無理だと思ったら断ってもいいかしらん?」

「ええ、もちろん。それじゃ、明日私も付き添うから、マスターと面接いいかな?」

 

「うん、わかった」と、亜希子が返事をすると、肩に掛けてあるトートバッグから携帯電話が鳴った。

「メールだわ」

亜希子がバッグから、折りたたみ携帯を取り出して見る。

「えっ!」

亜希子は目を皿のようにする。

「どうしたの? 」

シルビアが気に掛ける。

「いや、別に」

亜希子は、すぐに携帯電話をバッグにしまいこんで、「じゃ、明日」

亜希子は慌てて、その場を去った。

 

亜希子が自宅マンションに着くと、真っ先に郵便受けの中を覗いた。すると、一枚の封筒があった。『富山亜希子様』と書いてあって、差出し人は書いていない。

亜希子は、封筒を手にして急ぐように自宅へ向かう。

 

「おかえりなさい」

亜希子が玄関に入ると、キッチンで叔母の政子が声を掛けた。

「ただいま」

亜希子は、そっけなく言って自分の部屋に入ると、机の椅子に腰かけて封筒を開ける。

写真が三枚入っていた。それを見た瞬間、亜希子は青ざめた表情になった。

少女だった頃に、ミッキーマウスと一緒の記念写真。水着姿でビーチにいる姿。つい最近のようで、パーティー会場の中のドレス姿。どれも自分が写っている。だが、亜希子自身には、身に覚えのない写真だった。どの写真も撮影された記憶がないものだった 

 

亜希子は、もう一人自分に似た人物がいる。そのことを確かめるため、携帯電話で返信メールを送った。

 


ジェニーは、エディの所に来て、5年の月日が過ぎていた。

年齢は20歳、大学に通いながら、密かにスパイになるための訓練を受けていた。

 ジェニーは、ロンドン郊外にある施設にいた。

射撃室の中。ジェニーは、両耳をヘットフォンで塞いでサングラスをして、両手で拳銃を持って的を狙う。連続して銃声が響く。打ち終わると、教官が双眼鏡で的を見る。ほとんどが真ん中に命中していた。

 

「今日はここまでだ」

教官が、ジェニーから拳銃を受け取る。

「ありがとうございました」

ジェニーは教官に敬礼する。

 

「腕をあげたな」

ジェニーが射撃室を出ると、エディが声を掛けた。

「彼女は覚えがいい」

教官も感心したように言う。

「サラが待っている。すぐに帰ろう」

この後、ジェニーは、日本語のレッスンを受けることになっている。

エディが急ぐように言った。

「着替えてきます」

ジェニーは、訓練用の戦闘服から私服に着替えようと、更衣室に向かおうとする。

 

「お疲れ様」

年配の女性が現れた。

「部長」

がっちりした大男の教官が、直立不動で敬礼する。その姿を見たジェニーも、まねるように敬礼する。

 

「ご苦労様。あなたがミス・キャットね」

ジェニーは訓練を受ける時、そのコードネームで呼ばれていた。

「はい

部長とジェニーは初対面だった。

「体調は、いいかしらん? 」

部長は、唐突に尋ねる。

「はい、大丈夫です」

「部長、どうかされましたか?」

エディは、急に現れた部長が、何か用件があることは察しがついていた。

「エディ、話があるの。私のオフイスに来てちょうだい」

「わかりました。ジェニー、先に車の中で待っていてくれ」

「はい」

ジェニーの返事を聞いて、部長とエディは廊下に出た。

 

「彼女、ずいぶん成長したようね」

部長は、エディと廊下を歩きながら、ジェニーを見ての感想を言う。

「訓練を始めて5年です。有能なエージェントになると思います」

エディは自信満々に言った。

二人はエレベーターの前に立つ。エディが番号のボタンを押す。

「そろそろ取り掛かってもらいたいの。但し、彼女はテスト生として参加させて欲しいけど」

部長は意味ありげな言い方をする。

「日本ですか?」

エディもわかっているように尋ねた。

「ええ」

部長が頷くと、エレベーターの扉が開いた。

二人はエレベーターの中に入る。

「くわしい資料を渡すわ」

「わかりました」

エレベーターは上に行く。

 


「少し急いでくれ」

エディが、ロールスロイスの後部座席から運転手に言った。

「かしこまりました」

運転手がアクセルを踏み込む。

ジェニーは、エディの横に座っていた。車窓から農園が拡がっていた。

 

「大学のほうは、どうだ? 」

エディが気になるように尋ねた。

「今は民法の勉強中です。夏休みから夏期講習に出ようと思っています」

ジェニーは弁護士を目指して、大学は法学部に通っていた。

「ジェニー・・・・・・悪いが夏期講習は行けない」

「えっ!?」

ジェニーはエディの顔を見る。

エディは大きな封筒から、1枚の写真を取り出した。

 

「夏休みになったら、彼女に会いに行ってほしい」

「これは?

ジェニーは目を丸めて写真を見た。自分そっくりな女性が浴衣姿で写っている。

「君の母親である、トヤマ・サチコが産んだ子供だ。間接的だが、君のお姉さんになる人物だ」

エディの説明で、ジェニーは再び写真を見て、「今、彼女はどこにいるんですか? 」

横浜にいる」

「横浜・・・・・・」

「テストとしてではあるが、君はミス・キャットとして日本に行ってほしい」

「それは・・・・・・」

「本格的なミッション開始だ」

エディは、引き締まった表情で言った。

 


次の日の午後。

「発音が良くなったみたいね」

サラが流暢な日本語で誉める。

「ありがとうございます」

ジェニーも日本語で返す。

サラは、ジェニーに日本語を教えている。彼女は三十後半の女性で、父親がイギリス人、母親が日本人のハーフだった。

長いブロンズの髪と、鼻筋の通った小顔が印象的だった。

 

「聞いたわよ。日本に行くんでしょう」

サラが興味深く言った。

「ええ、夏休みになったら」

「どれくらい滞在するの?」

「それは未定ですね」

「せっかく行くんだから、大阪や京都にも行くといいわ」

サラは、以前に日本を訪ねた時に、旅行した場所を勧める。

 

「ところで、どなたが日本まで付き添うの? 」

「付き添い?」

サラの尋ねたことに、ジェニーが首を傾げる。

「まさか、あなた一人だけが、日本に行くわけじゃないでしょう? 」

「そうね・・・・・・」

ジェニーは、考えてもいないことだった。

「トニーさんは、エディさんのお世話があるから・・・・・・」

ジェニーは検討がつかない。

「わかったわ」

サラがニコリと笑った。

「ちょっと休憩しましょう」

サラは思いついたように言って、慌ててジェニーの元を離れた。

 

 

 


トニーは、エディから書斎へ呼び出された。

「トニー、君にジェニーと一緒に日本へ行って欲しい」

エディは真顔だった。

「それは、私にエージェントの仕事をしろということですか? 」

「そういうことだ・・・・・・ジェニーのことを頼みたい」

エディは机から立ち上がり、トニーにすまなそうに言った。

「わかりました。ジェニー様のお手伝いをさせていただきます」

トニーは気を引きしめて言う。

 

「それで、これを見てくれ」

エディは、机の引き出しから写真を取って差し出す。

「この日本の男性は、誰ですか? 」

トニーが写真を手にする。

「代議士の徳島忠信という男だ」

男は、白シャツにネクタイをしている。見た目は四十を過ぎたぐらいだった。

「政治家・・・・・・それで、なぜ私に? 」

「ジェニーの父親かもしれない」と、エディは素っ気なく言って机の椅子に座る。

「・・・・・・」

トニーは、顔色を変えず写真を見直す。

「なぜ、これを私に? 」

「ジェニーに教えるか迷っている・・・・・・」

エディは本音を言った。

「君だったら、どうする? せっかく日本に行くんだ。父親であるかもしれない人間に、会わせるチャンスかもしれない」

「今回は父親に会うのが目的ではありません。そのことは言わず、ミッションを優先します」

トニーは即答した。

 

「そうだな。さすが元イギリス情報員だけあるな」

エディは笑みを見せて感心する。その態度から、トニーはエディから試されたと思った。エディ自身もミッションを優先する。同じ考え方をするのかを試した。

トニーは写真を机の上に置いた。その時、写真の男の顔を、はっきりと覚えた。

 

「私からも、お尋ねしたいことがあります」

エディは、写真を机の中にしまい込んだ後、「何だ? 」

「ジェニー様には、殺しのライセンスを与える予定でしょうか? 」

「・・・・・・」

トニーの問い掛けに、「今回は与えない」

エディは、きっぱり言い切った。

「今回の日本では、危険が伴うようなことはないだろう」

「CIA捜査官も動き始めている噂があります」

 「君にはエージェントしての資格がある。もしも、ジェニーに何か危険なことがあったら、君が守ってやってほしい」

エディの言葉には、強い思いと願いがこもっていた。

「わかりました。全力でジェニー様をお守りします」

トニーは誓うように言った。

 

「それから、私が日本に行く間、どなたが旦那様のお世話をなさるんでしょうか? 」

トニーは、もうひとつ気がかりなことを尋ねた。

「心配はいらん。安心してくれ」

エディは笑みを見せて答えた。

 



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