閉じる


私は誰? 第七回

     七 

 

 詰まるところ、私は、大人としての、社会人としての、礼儀、マナー、作法、言葉遣い、態度、というものが、悉く、分からない、身に付かない、入ってこない、子供のうちは、皆そういうものなのでしょうが、私の場合は特に酷かったし、年齢を重ねるにつれて、自然と身に付くと言われましても、私はどれだけ年を取ったところで、全く身に付く気配がない、そういうのを覚える脳が、初めから欠落している、たとえ人から、こうすれば良い、ああしなさいとその都度教えられても、それをスムーズに、自然に、違和感なく、実行に移すことが出来ない、常に覚束な、ぎこちなまるで小さい子供が、大人の身振りを無理にやらされているよう、仕事の場で、冠婚葬祭の場で、目上の人やお客さんのいる場で、ふさわしい言葉遣いや態度、求められる行動、慣例に乗っ取った作法を、あれこれ考える必要なく瞬時に取ることが出来ない、お疲れ様でした、ご苦労様です、いらっしゃいませ、またのご来店を、お悔やみ申し上げます、おめでとうございます、申し訳ございません、失礼いたします……他人行儀な、形式的な、社交上の言動が、私の中の習慣に、端から存在しないのです……。 

 

 丁寧な言葉や態度、というものが、子供の頃から上手く出来ず、意味も理解できず、何故、年上の人に対して、敬称を付けて、敬語なるものを使わなければいけないのか、不可思議に思い、また、私の通っていた小学校では、クラスメートの名を呼ぶ際に、「くん」「ちゃん」付けが義務づけられていて、これに関しても、何でそんな余所余所しい、丁重な呼び方をしなければいけないのかと、それはむしろ、仲が良くなるのではなく、距離が開くだけのような感じがして、不可解で仕方なく――こう考えると、私はどうも、初対面の人を、初対面の人として接するようなコミュニケーション文化、つまり、相手との関係や、自分の置かれている場面によって、態度や言葉遣いを変える、という対人上の習慣が、根本から欠落しているらしく、誰に対しても、まるで、昔からの親友であるかのように、初めから呼び捨て、砕けた言葉遣い、大雑把な態度を取り、また、どんなフォーマルな状況であっても、普段通り、自然体、気楽な感じで振る舞うが普通、という意識元々根付いており、だからこそ、謝罪や感謝、挨拶など、儀礼的、形式的な言葉が、とても恥ずかしく、気まずく、不自然に感じてしまい、私にとっては、むしろ、礼こそが無礼であり、無礼こそが礼だったのです……。 

 私は元々、全く人見知りをしない、とてもオープンな子供で、低学年の時に、転校を二度繰り返していますが、どの学校でも、人見知りをした記憶は全く無く、初めから普通に、何の躊躇もなく、自然と話しかけていました、また、言葉遣いも汚く、おい、だの、お前、だの、時には、一種の突っ込みとして、死ね、だの、そんな不謹慎で物騒な言葉を、何の悪意もなく、当たり前に使用していて、それは、相手を嫌っているからではなく、むしろ、親しみのある態度であると、自分ではそういうつもりであって、乱暴な言葉を使ってはいけないと怒られる意味さえ分かっていませんでした――しかし、人の世界で、人に関わりながら、人の文化を学んでいくことで、コミュニケーションには、色々なルールが、礼儀というものがあることを知り、敬語だの、敬称だの、相手の呼び方だの、言って良いこと、言ってはいけないことだの、面倒な決まり事が、たくさんあることを知って、全てが鬱陶しく、煩わしくなり、人と関わりを持つこと、集団の中に飛び込んでいくことを、悉く断ってしまったのです……。 

 本来、私の中で、初対面の相手には距離を取る、徐々に壁を無くす、コミュニケーションには踏むべき段階がある、そういう礼儀や常識が、全く存在しないために、人と知り合う際に、相手が、どう思って、どう感じて、どう考えているのかが、分からない、だから、逆に、極度に気にしてしまう――今となっては、知らない人に、ただ声を掛けることさえ、ガタガタ震えながら、何度も何度も行ったり来たりして、タイミングを延々と見計らって、念仏を唱えるような思いで、精一杯の勇気を出して、「あの……」と、弱々しい頼りない声を振り絞る、という有様で、また、誰かと仲良くなろうと思っても、一体、どんな感じで、どんな言葉遣いで、どんな態度で、接すれば良いのか、相手は、年上なんだろうか、年下なんだろうか、そういうのを、気にする方だろうか、気にしない方だろうか、「さん」を付けた方が良いのか、「くん」を付けた方が良いのか、はたまた、呼び捨てでも構わないのか、いや、そもそも、自分がアプローチしてくることを、迷惑に思うだろうか、そっとしておいた方が良いのだろうか、と、そんなことをうじうじと考えてばかりで、結局、誰とも仲良くなることが出来ず、いつしか私は、人の名前を呼ぶことが出来ない、というある種の病気になってしまいまして、とにかく、人の名前を呼ぶのが、恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない、まるで、社会的に言ってはならない淫猥な言葉を、人に向かって吐き出しているかのよう、名前の呼び方によって、その人と自分との距離や関係、認識が、一気に露呈し、相手に突き付けるような感じがして、嫌で嫌でたまらず、何度相手の名を呼ぼうと思っても、喉の当たりで突っ掛かって、どうしても声となって発することが出来ず、同じクラスで、何度も会話したことがあるのに、その名前を一度も呼んだことがない相手というのも、何人かいましたし、たとえ、クラスメートの名前を初めから呼ぶことが出来ても、仲が深まった際に訪れる、くん呼びから、呼び捨てに変わろうとする、あの瞬間、あれが私は恐ろしくて仕方なく、何日も何日も、自然に呼び捨てが出来るタイミングを探し続けて、出来るだけ違和感なく呼び捨てに移行したい、しかし、いざその時が来ると、変に意識しすぎて、何だか、ぎこちない、妙に強調されてしまったり、逆に声に力が無くて違和感を与えてしまったりそうして私は、バレてしまっただろうか、イラッとさせてしまっただろうか、変な印象を与えてしまっただろうか、と、深く思い悩み、そうしてまた対人が億劫になって、他者に対してさらに臆病になる、という、そんな悪循環を繰り返してきたのでございます……。 


この本の内容は以上です。


読者登録

akagi-tsukasaさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について