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算命学余話 #106 (page 1)

 子供の頃は教養として字がきれいになるよう書道を習わされていたのですが、楷書がある程度モノになってしまうとそれ以上やっても意味がないような気がして、小六で早くもやめてしまいました。ただお手本を真似て書けという指導の仕方にも問題があったと思います。というのは、最近一流の書道家が思想としての書道を語るのを聞き、そうした思想や書道ならではの世界観を子供の頃に知っていたなら、もっと面白みを感じて続けていたのではないかと思ったからです。その思想とは以下のようなものでした。

 

「書道は、余白が作る風景を楽しみながら書くものであり、ただ墨で黒い筋を書いているのではない。だからゆっくり書かないと風景が見えてこない。書きながら随時、余白は幅も形も変えていく。従って、書というのはどういう風景を描きたいのかを予め考えて、予測しながら書くものである。
 また、例えば「口」という漢字を書く時は、一画目と二画目に空間を作るが、こうしないと中央の余白が真っ白になって浮き上がってしまう。空間を空けることで気が通り、周囲の余白との間に交流が生まれる。しかし今日一般化している活字にはこうした空間がなく、隙間なくぴったりくっついているので、閉塞感・逼塞感があり、そこに書の趣はない。
 ちなみに、日本人は毛筆を「紙や短冊」に書くようにサラサラ書くし、それに適した筆の持ち方をするが、中国では「石」に彫るような持ち方・書き方をする。昔の画像で宣統帝溥儀が筆で文字を書いている様子を見ることができるが、ああした持ち方は日本人はしない。日中の文化の違いであり、書に対する感覚の差も、筆の持ち方一つで見て取れる。」

 

 趣深い話です。余白について考えて書けなどと指導された覚えはありませんし、気を通すためにわざと離して書くという思想も初耳でした。
 算命学余話でわざわざこの話を取り上げたのは、勘のいい方はもうピンときたかと思いますが、隙間なく空間を閉じるのではなく少し間隙を空けて気を通す、という部分が算命学の気流思想と合致していたからです。書道も算命学も共に出所を同じくする東洋の文化ですから、思想的に通底しているのは当然といえば当然ではあります。
 算命学は宇宙の気を人間に透過して占う占術ですから、東洋の「気」の思想が根本にありますし、典型的なところでは、天中殺の成立理論がそもそも時間と空間との間に生じたズレ(間隙)をどう処理するかというものです。
 というわけで、今回の余話のテーマは天中殺についてです。天中殺にまつわる話は多岐にわたるため、既に何回か記事にしましたし、『基礎編』でも詳しく説明するつもりですが、今回は書道が間隙を故意に作っているという話にちなんで、天中殺がなぜこの世界に存在するのか、その存在意義について考えてみます。天中殺と聞くと恐ろしくて忌避したい印象を受ける方も多いかと思いますが、実際は恐れることはなく、この世界にとって必要且つ有意義なものだというお話です。


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最終更新日 : 2019-09-07 17:03:53

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