目次

閉じる


 

 これは、妄想症状主とする精神病患者が自己全貌えるために、入院中に書き起こした手記である。 

 

     一 

 

 私には、自分というものまるで分からないのです…… 

 一体自分は、どんな話し方をし、どんな態度を取りどんな表情をする生き物なのでしょうか? 一体自分は、何を好み、何に関心を持ち、何を嫌人間なのでしょうか? 一体、自分は、何を目指し、を糧にし、何の為に生きている存在なのでしょうか? 私の性格、私のキャラクター、私の才能、私の資質私の習性私の思想つまり私という存在を規定する、あらゆる側面への自己認識が、日々、目まぐるしく、事あるごとに、激しく変化し、一体どれが、本当の自分なのか、どんな自分が、素の、飾り気のない、ありのままの姿なのか、そうして、一体、どんな自分が、思い過ごしの、演技染みた、虚飾の姿なのか、その区別、判断、認識が、いつも悉く外れていることに、になって落ち着いてから気付かされるばかりで、それは果たして、私に、自分というものがさ過ぎるからなのか、それとも、自分というものが、有り過ぎるからなのかそれすら分かっておらず、これまでの三十二年間数え上げるのが不可能な程の無数勝手な思い込みによって今すぐに消え入りたいような激しい羞恥心死にたくてどうしようもなような地獄の煩悶他人の人生を狂わせてしまう程の自分勝手な過ちを、繰り返し続ける日々だったのございま……。 

 しかし、こんな風に、自己という存在の在り方に関する自問自答に駆られているときはまだマシなのかも知れません――何もかもが上手く行かず、窮地に追い込まれ、病み、逃避的な精神状態に陥り、人生への懐疑が究極に達すると、もっと、病的な、哲学的な、宗教的な問いが、自然と浮かび上がってくるのです……それは、自己という存在の内容以前の、より前提たる問題、即ち、存在の、有無」――自分が、存在しているのか、どうか……そんなSFやファンタジーのような突拍子もな荒唐無稽な問い真剣に私を悩ませるのです果たして、自分は、生きているのか、死んでいるのか、起きているのか、眠っているのか現実なのか、妄想なのか……私という存在、私のいる世界私の意識に現れる一切が、私には何だか嘘のような気がしてならずこの現実が、地に足が付かず、一点に定まらず、ふわふわと、宙を彷徨粗雑な作り事、書き換え可能な脚本、曖昧なの中を生きているような、そんな奇妙な感覚に陥ってしまうのです……どうしてこんな人生になってしまったのか、どうしてこんな人間なってしまったのかどうしてこの世に生まれ落ちてしまったのか、どうして世界は存在しているのか――余りにも、自分の人生が思い通りに行か、頭の中で作り上げた現実と、実際に訪れる現実とに巨大な隔絶が生じ全てが悪い方向へ、失敗の方向へと向かうために、その辛すぎる事実を受け入れることが出来ず、そんなはずがない、嘘に決まってる、全て夢なのだと、現実逃避の意識思考の中心とうして、一つの答えを導き出すのです自分は、虚妄なのだと……。 

 

 私には、自分というものが、まるで分からない……自分が分からない――かし、自分が分からなくなるの最大の原因、何故自分が分からなくなるのか、それについては、一応、自分なりにはかっているつもりです……。 

 それはつまり、他人が分からない、ということ……。 

 自分が分からないのは、結局、他人が分からないからでございましょう分からない他人、不可解な他人、捉えきれない他人という生き物に対し、何とか、繋がろう、何とか、交流しよう、何とか、理解しよう、何とか、気に入られよう、何とか、愛されよう、そう考えるからこそ、自分が分からなくなるのでしょう――つまり、自分と異なる無数の人々と出会う度に、その人と同じになろう、その人に気に入られよう、その人に嫌われないようにしよう、考える余り、いつどこで誰を前にしても、その人の視線、その人の評価、その人の意識執拗に気にして、人と場に合わせて徹底的に己を繕い着飾り、誤魔化し、抑え込み殺し、変化させておりれを延々と繰り返し続けた結果、いつしか、自分が、どういう人間だったか、本当の自分、混じりけの無い純粋な自分姿、、在り方というものを見失ってしまったのです……。 

 

 人に愛されたい、或いは、人に嫌われたくない……今までの私の人生は、畢竟、それに全てが費やされたと言っても決して過言ではありません、私はただ、人から尊敬を受けること、認められること、愛されること、逆に言えば、人に蔑まされないこと、怒られないこと、見下されないこと、つまりは、他人から、人間として、良い評価を与えてもらうこと、そればかりに取り憑かれ、必死になり命を削り、その為に苦しみ、呻吟、煩悶、絶望、発狂そうして、身を滅ぼし、孤独と困窮に陥り、人生を破滅させていったのです…。 

 人から良く思われたい、そのおこがましい独り善がりの欲求は必然的に、他人から見た自分、という自意識の巨大化を生み出すこととなその自意識は常に、ある二つの背反的且つ表裏一体の過激性質を伴って襲ってくるそれは即ち、誇大妄想と、被害妄想、言い換えれば、病的な自己肯定と、病的な自己否定でした……。 

 私は、ある時は、自分が、宇宙で最も才能豊かな芸術家、歴史上最も偉大な存在とても頭の切れる賢者、何でも上手にこなせてしまう秀才全ての女性に注目され、愛されている美男子、などと極度の誇大妄想、自己肯定、自惚れに陥ってしまうような瞬間あり、しかしそれと同時に、自分が宇宙一のクズで、この世で最も罪深く、全ておいて劣っていて、何の存在価値もなくて、あらゆる人々が自分を凝視し、怪しみ、嘲り、見下し、怒り、嫌悪しているような、極度の被害妄想、自己否定、罪悪感駆られてしまうのです……。 

 しかし、この二つの両極端な自己認識年を重ねていく中で、数々の過ちや誤算社会への不適応、世の中からの無関心、理想と現実のズレ幾度となく味わわさ続けことによって、自分の無能、無力、凡愚存在価値のなさ否応なく意識させられることとなり結果、前向きな自意識より圧倒的に、被害妄想、自己否定の側が強くなっていき、それはいつしか誰もが自分を悪く思っている、自分は絶対に否定される、という重度の対人恐怖を招き、人を恐れ、人を避け、人との繋がりを断つようになりそうして、気がつけば私はおよそ十五年もの間殆ど絶えることなくずっと引きこもりとして生きることを余儀なくされてきたのでございます…… 

 

 他人が分からない他人と違う、しかし、他人に愛されたい、他人と一緒になりたい……この二つの意識の苛烈なせめぎ合いによって、私は地獄の中を悶絶しながら這い続けることとなったのです――どうすれば、笑われずに済むのだろう、どうすれば、怒らせずに済むのだろう、どうすれば、人と上手くやっていけるのだろう、人はどんながり、どんなを嬉しがるのだろう、何を良いと思い、何を悪いと思うのだろう何に優しさを感じ、何に冷たさを感じるのだろう……分からない、何もかも、分からない……人を理解する上で、何が正解か分からず、私は常時、凄まじい不安、恐怖、緊張、羞恥を引きずりながら、こまで生きてたのです……余りにも、他人分かり合うことが出来ないため、自分一人、或いは、自分以外の全ての人間が、虚構の存在のように感じ、他人に認められない自分には、何の存在価値もないのだと、生きている意味は無いのだと、激しい希志念慮に襲われ、ひたすら自殺を考えるばかりの人生だったのです…… 

 

 こういった、私の特殊な性質は、大人になってから急激に肥大化し、生活に重大な支障を来す程に膨れ上がってしまいましたが、その萌芽、兆候、という意味では、物心ついたときから既にあり、生まれつきの資質と言っても良くその異常な資質」が、一番初めに発現したのは、ある存在が切っ掛けになった言えるでしょう……それは、生まれてから、誰もが一番最初に出会うであろう、絶対的な存在つまり、親なのでした……。 

 


この本の内容は以上です。


読者登録

akagi-tsukasaさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について