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アラン『大戦の思い出』(二十五) 高村昌憲 訳

 

第二十一章

  

 私に関する通達が総司令部から到着しました。私が軍の気象任務へ配属されるのは、行わざるを得なかった要求として求められていたとのことでした。でも、この要求は無駄でした。他のことをやるしかなかったのです。しかし、その点について私は決して譲歩しませんでした。私は大尉に言いました、「私の任務は簡単です。足の怪我は少しずつ治っています。私はここでは必要であり、私だけはもっと必要になるだろうとあなたは私に言っていますよね。私は望んだことだけで満足していますし、私たちは一緒に残るでしょう」。しかし大尉は管理する術を知っていました。彼は言います、「あなたはこの要求のことに関しては最新の休暇までを話さなければなりません。司令部が口を出すのですから、確かに向こう側でのあなたには興味があるのです。それなのにあなたは司令部が何であるか知らないのです」。私たちは自分の仕事とその話に戻りました。雪は積もった儘でした。戦いは、うとうとして進展せずにまどろんでいました。私は准尉と同じ様にこの生活に適応していました。人間関係の秩序、軍隊の流儀、暗号、そして最後には軍隊の事務仕事の部分を全て知りました。私は絵葉書の上等なコレクションを持っていましたし、私の肖像写真は殆ど眼鏡を掛けて写っていました。従って大尉が良く用意した任務の通達が届きました。「C上等兵(1)は直ちにデュニー(セーヌ県)へ向かうこと。この命令の実行に関しては報告すること」。大尉は言いました、「命令は以上です。あなたが出発したならば、私が報告します。今から三日間で、あなたは後任者を養成する様にお願いします。その後で一頭立て二輪馬車でニクゼウィルまで行って下さい。到着は急がなくて良いです。一週間で行って下さい」。この三日間は大変に快適でした。それから私は名残惜しい思いをしなければなりませんでした。しかし、例え何かが考えられるとしても、嬉しい思いで戦場から離れます。それは馬たちが補給のために戻って来た時に見られるものと同じです。でも、動物たちは別ですし、歩き方も聞く音も別ものです。結局のところ私は、雪の中を朝早く出発しました。そしてジャンナンは、あの何時もの言い方で私の荷物を持ちながら言いました、「あなたの居場所はここではなかったのだ」。何故五十歳の男は参戦しないのか、私は良く知りたいと思います。トゥールの国士防衛兵たちの中には、彼らの世代とは別の六十歳以上の人も多くいる様ですし、あらゆる種類の疲労に耐えていました。任務を少し和らげることは容易ですし、激しい死の危険が生じるのも別であると私はつけ加えて言います。多分、高齢者たちは嫌われているのです。取分け教養ある人はどんな人でも将校にならなければならないという一種の原則は嫌われます。ところが、教養ある人が将校になることを拒絶するとなると、その反対であると私は思います。それを強制出来る法は何もありません。何故なら特別試験を何時でも拒絶することが出来るからです。公正で人間的な上官でいたい気持ちは、学識ある人には自然なものです。しかし権力は、権力を行使する人を非常に変えることを知らなければなりません。それは少なくとも社会的な伝播に繋がりません。その理由は命令の必然性にあり不屈のものであるからです。一代議士が大臣になることには用心しなければならないことであり、一労働者が使用者会議への代表者とか労働組合の代表者になることにも用心しなければならないことであるのは、同じ理由のためです。拒絶のための制度を導く処が要求されます。それは恐るべき制度を第一に否定することです。そして聖人たちは司教や小修道院の院長や神父になることを拒否することによって、昔の不平等に大いに反対したのだと私は思います。神であってもそうでなくとも、救いであってもそうでなくとも、聖人たちは権力者たちの罠を見分けました。彼らは勲章を持っている高位聖職者たちに無言の非難を浴びせていました。宗教は社会の中の人間たちを、永遠の場所に生き生きとしたイマージュとして翻訳するだけでしたし、全ては哀れな人々が直ぐに自分たちの友人や忠告者たちを失う様に決められているのです。今日では給費生たちが出身地の人々を速やかに捨てます。この裏切りは偉大な言葉に染まります。国を愛することとは、常に統治する世論に従って栄光と富裕と権力を愛することになっているのです。この美徳は少しばかり容易すぎます。長としての仕事を選択することは満足感のための一つの選択なのです。そして全ての危険は等しく、将校は一兵卒よりも幸いです。更に将校には権力があり、酔わせる物もあります。その上、危険は天候だけです。私は、野心を忠誠心に変装させている者たち全てを敢えて笑います。「しかしもう一度、私たちは何処へ行くのでしょうか。あなたが行う理性的な働きは、高潔な精神に基づいて行動するのが本来のものです。何ですって。私たちは最早冷淡な野心家たちしか大臣と見做さないでしょうが、私たちの将校たちは無知で粗野でしょうか」と理性的な人は尋ねます。そのことにあなたはあなた自身で知る以上には政治の未来を最早知らないのであると私は答えます。私が良く知っていることはあなたが私に話す、頭を下にした状態は可能でなく、権力の制度はその時に激しく変わるということです。私が、表された世論と言っている世論は阿ることに抵抗します。これらの効果はゆっくりとしていて眼に見えず巨大なものです。そして、これはローマ教皇や司教たちの古い権力になるのでしょうが、非常に早く腐敗し、その度に実際に一種の絶対に過たないものに基盤が置かれます。もしもあらゆるギリシア語学者たちがブラック(2)の様に考えたなら、そしてあらゆる物理学者たちがアインシュタインとかランジュヴァンの様であったなら、考えた以上に偉大な革命家になるでしょう。そして多くの人々に沿った自分自身の正しい誓いに変わりありません。しかし優れた精神がありふれた考えの政治家たちに賛成するなら、どんな革命も意味が無くなるでしょう。(完)

 

(1)アランの本名は、Émile-Auguste CHARTIER(エミール=オーギュスト・シャルティエ)である。

2)ウィルヘルム・ブラック(一八四二~八〇)は、ドイツの政治家で社会民主主義労働者党の創立者の一人である。

 


執筆者のプロフィール(五十音順)

 

出雲筑三(いずもつくぞう)

一九四四年六月、東京都世田谷区下北沢生まれ。千葉工業大学工業化学科卒。混迷と淘汰のたえない電子部品の金めっき加工を手掛けた四十五年を無遅刻無欠勤で通過した。芝中時代は実用自転車1000mタイムトライアルで東京都中学新記録で優勝、インターハイでは自転車ロードレースでチーム準優勝、立川競輪場での個人2000m速度競争において総理大臣杯で三位となった。趣味として歴史と城物語をこよなく信奉し、日本百名城に挑戦中である。仕事面では日本で最初の水質第種公害防止管理者免許を取得、そのご東京都一級公害防止管理者、職業訓練指導員免許など金属表面処理技術者として現役で勤務している。三行詩集『走れ満月』(二〇一一年三月)・『波涛を越えて』(二〇一二年九月)・『五島海流』(二〇一七年五月)を出版。埼玉県所沢市在住四〇年になる。日本詩人クラブ・時調の会・世界詩人会議各会員。

 

北岡善寿(きたおかぜんじゅ)

一九二六年三月十日生まれ、鳥取県出身。文化果つる所と言われたばかりか、県下の馬鹿の三大産地の一つという評判のあった農村に生まれ育ち、一九四三年に出来の悪い生徒が集まる地元の中学を出て上京したが、一九四五年三月現役兵として鳥取連隊に入隊。半年後敗戦で復員し再上京。酒ばかり飲んでいる無能なジレッタントにすぎなかった。大学のころは今は故人の北一平や東大生の本郷喬らと同人誌「彷徨」で一緒。一九七四年文芸同人誌「時間と空間」創立同人。二五号から六四号(終刊)まで編集担当。一九九四年「風狂の会」会員となり現在に至る。詩集『土俗詩集』(一九七八年)、『高麗』(一九八六年)、『』(一九九一年)、『痴人の寓話』(一九九四年)を出し、詩集以外のものとして随筆集『つれづれの記』(二〇〇三年)、『続・つれづれの記』(二〇〇九年)、『一読者の戯言』(二〇一四年)を出版。日本詩人クラブ永年会員。日本ペンクラブ会員。風狂の会主宰者。

 

高 裕香(こうゆうか)

一九五八年二月二一日生まれ、大阪市出身。幼い頃から、日曜日になると父親に大阪城公園に連れていってもらい公園中を駆けめぐる。菜の花畑やレンゲ畑で ちょうちょうやトンボを追いかけたり、おたまじゃくし、ザリガニを取って遊んでいた自然児。なんとなく父からルソー教育を受けていた。五歳からピアノを習う。大阪基督教学院の児童教育学科を卒業後小学校教員になる。現在、東京韓国学校で日本語の講師を務めている。日本語教育学会会員。ヤマハピアノPSTA指導者。「心のアルバム」・「虹の架け橋」・「赤い月」・「日韓文化交流合同詩集」などのアンソロジー詩集に参加。二〇〇七年度「民団文化賞」優秀賞受賞。二〇〇九年、二〇一一年度「民団文化賞」佳作賞受賞。日本詩人クラブ・時調の会・世界詩人会議各会員。

 

さとうのりお

1950年、新潟県生まれ。

1974年、セツモードセミナー卒。

日本詩人クラブ会員

「山脈」同人

 

宿谷志郎(しゅくやしろう)

一九四七年東京都青梅市に生まれる。一九七〇年群馬県高崎市に転居。名曲喫茶「あすなろ」(催華国氏経営)を経てデザイン事務所に勤務。群馬交響楽団のPRを担当し演奏会のポスターなどをデザインする。一九七七年広告代理店を設立し医薬品、検査機器の広告をはじめ編集、イベントなどを手がける。トヨタ財団助成の「シビックトラストフォーラム」に参加。まちづくりのための資金づくりについて学ぶ。自治体学会創設に市民の立場で参加。一九八七年東京・青山に編集プロダクションを設立し主に書籍の制作。高村昌憲氏の「パープル」に関わり、一九九九年「風狂の会」に参加。大分県経済誌「アド経」に一年間エッセイを連載。明星大学教授・清宮義博氏の『花々の花粉の形態』などを出版。二〇一二年廃業。一年半の休養後、革工芸(革絵)を始める。二〇一七年より北海道に半年の移住を繰り返し専念。趣味はフルート。よく聴く音楽はバッハ、モーツアルトの作品。

  

神宮清志(じんぐうきよし)

 一九三七年一月九日、盧溝橋事件のあった年、徳富蘆花の住処の近く(東京府千歳村)で生まれ、幼年時代をそこで過ごした。二歳で父に死に別れ、敗戦前後の混乱の中、引っ越すこと十回あまり、小学校時代から働き、冬でも素足で過ごすという貧困の中で育った。大学卒業後サラリーマンとなって暮らしは安定し、三十歳代半ばに能面師に弟子入り、以後三人の師匠についた。個展四回、団体展出品多数、最近では創作面も作り、イエス、ジャンヌ・ダルク等も作成した。能面制作はほぼ毎日ながら、最近は視力・体力の衰えもあり午前中のみ、午後は筋肉トレーニングとボールルームダンスに打ち込んでいる。いっぽう随筆同人誌「蕗」に四十年ほど在籍して、二百二十編の随筆を発表してきた。手作業をしていると、思いと考えが限りなく浮かんできて、書かずにいられない。いわば物狂おしいため息のようなものか。

 

高島りみこ(たかしまりみこ)

一九六〇年高知県生まれ、東京都中野区在住。

日本詩人クラブ、日本現代詩人会会員

詩誌「山脈」「花」同人

詩集『海を飼う』(二〇一八年 待望社 第32回福田正夫賞)

装幀家(高島鯉水子)

究極の趣味はキックボクシング(アマチュア)!最近は試合に出ていないが…

 

高村昌憲(たかむらまさのり)

一九五〇年三月、静岡県浜松市生まれ。明治大学文学部(仏文専攻)卒業。詩集『螺旋』(一九七七年)、『六つの文字』(二〇〇四年)、『七〇年代の雨』(二〇一〇年)。評論集『現代詩再考』(A&E・二〇〇四年)。翻訳『アランの「エチュード」』(創新社・一九八四年)、アラン『初期プロポ集』(土曜美術社出版販売・二〇〇五年)、ジャン・ヴィアル『教育の歴史』(文庫クセジュ971・白水社・二〇〇七年)。共同編纂『齋藤怘詩全集』(土曜美術社出版販売・二〇〇七年)。一九九八年「現代詩と社会性─アラン再考─」が詩人会議新人賞(評論部門)。二〇一二年からパブーの電子書籍に、随想集『アランと共に』(全3巻)及びアラン作品の翻訳『一ノルマンディー人のプロポ』(全5巻)『神々』『わが思索のあと』『思想と年齢』『ガブリエル詩集』『精神と情熱とに関する八十一章』などを登録。日本詩人クラブ会員・日本仏学史学会理事

 

富永たか子(とみながたかこ)

一九三四年 福岡県柳川市生

日本ペンクラブ・日本現代詩人会・横浜詩人会各会員

「回游」「めびうすの輪」「相模原詩人クラブ」に所属

既刊詩集①『シルクハットをかぶった河童』(第二四回横浜詩人会賞受賞)

    ② 『月が歩く』

詩人北原白秋と同郷。幼児教育に携わり、詩に親しんできた。相模原詩人クラブ主宰。三十五年間詩誌「ひばり野」を年一回発刊し現在に到る。「風狂の会」にて多くを学び席をおく。

 

長尾雅樹(ながおまさき)

一九四五年生まれ 岩手県出身

詩と思想研究会所属

既刊詩集

『悲傷』『山河慟哭』『長尾雅之詩集』

日本詩人クラブ理事長

 

なべくらますみ

一九三九年 東京世田谷生 日本大学文理学部国文学科卒業 

日本現代詩人会・日本詩人クラブ・時調の会各会員

欅自由詩の会同人

詩集『同じ空』『城の川』『色分け』『人よ 人』『川沿いの道』『なべくらますみ詩集』『大きなつゞら』

エッセー集『コリア スケッチラリー』(共著)

訳詩集『花たちは星を仰ぎながら生きる』(韓国・呉世榮)他

 

詩夏至(はらしげし)

詩人・歌人・俳人・小説家。一九六四年生まれ。東京都中野区在住。著書に詩集『波平』『現代の風刺二五人詩集』(共著)、句集『マルガリータ』『火の蛇』(第十回日本詩歌句随筆評論大賞俳句部門努力賞)、歌集『レトロポリス』(第十回日本詩歌句随筆評論大賞短歌部門大賞)『ワルキューレ』等。小説集『永遠の時間、地上の時間』。

日本詩人クラブ・日本詩歌句協会各理事。

日本現代詩人会・日本短歌協会・現代俳句協会各会員。

 

三浦逸雄(みうらいつお) 

一九四五年四月二日 札幌郡琴似町で生まれる。

一九六七年上京し 高円寺フォルム美術研究所、新宿美術研究所に通う。

一九七〇年スペインに渡り、マドリードの美術サークルCircro de bellas artesで人体デッサンをかさねる。帰国前の一年は、ベラスケス、グレコ、ゴヤ、ムリーリョを見るために、プラド美術館へ足繁く通う。一九八三年に帰国。

一九七五年以降、現代画廊(東京・銀座)、東邦画廊(東京・京橋)他で作品を発表する。

 

(以上)

 


風 狂

 

同人誌 風 狂(ふうきょう)第59号

2019年6月21日 登録


http://p.booklog.jp/book/128122


編 集:風狂の会(担 当 : 高村昌憲)
編集担当者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/masanorit/profile


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運営会社:株式会社トゥ・ディファクト

 


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