閉じる


<<最初から読む

8 / 17ページ

とも喰い     さとうのりお

 

山に捨てられた犬たちにご飯をやっていたおじさんが死んだ

 

犬たちも家の近くで泣いていた

 

足を鎖でつながれ鞭で打たれながら小さな目に泪をいっぱい溜めて象も泣いていた

 

頭を砕かれて毛皮を剥ぎとられたアザラシのこどもも泣いていた

 

角一本のために鼻歌まじりで狙撃されたサイも泣いていた

 

血で染まった海の中で撲殺されながらイルカたちも泣いていた

 

この美しい国の美しい人たちは目障りで邪魔だと思う人間のこどもたちを山に捨ててきたのだから

 

もう諦めなさい


フィットネスクラブの意味って   なべくらますみ

 

フィットネスクラブ

スポーツジムという人もいて

身体を鍛えたい人が一生懸命になって

息を切らせ汗を流す所

バスでこの前を通る人は見上げる窓際に

聞こえはしない喘ぎ声に気を取られる

 

1Fは受付とカフェ

いくつもの椅子とテーブルを並べて

無料休憩所にもなる所

会員証にスタンプを押してもらい

そのすぐ横 螺旋式のエスカレーターで2Fへ

 

準備万端 一しきりの運動の後 

このまま続けて3Fへ

今度もすぐ横のエスカレーターでやすやすと

自転車方式のマシーンを踏み込んだり

切りのないゴムベルトの上を歩いたり

 

苛酷な 自虐的な

これでもか これでもかと 

およそ1時間30分 今日のノルマを達成

大満足

 

だから終った後は

皆と一緒にエレベーターで下へ降り

カフェへ寄ってビールに喉を鳴らす

隣りはさっき知り合った仲間

この後居酒屋へ行くことに意気投合

カロリーの増減 

体重の心配はしない


三浦逸雄の世界(四十三)

三浦逸雄「晩 秋」8号(アクリル・紙)2019


老人妄語(二)   北岡善寿

 

「「金色夜叉」「不如帰」「魔風恋風」などが、小説界の流行作品として幅を利かせているところへ、「破戒」のような、西洋の近代小説のような、どっしりした作品がでたのは、明治文学史上劃期的事件であると言ってもいいのであろうが、藤村の本領は、こういう作品に存在しているのではないと、私は思っている。藤村も小説で身を立てようと決心したので、最初の長篇を案出するには、ありったけの知恵を絞って考慮したのであろうが、空想力の豊かでない藤村には、面白い小説の構成は為し遂げられそうでないのである。千曲川のスケッチなどを丹念にやって見たり、この作品の材料にあてる社会を訪問して探究したり、殊に「罪と罰」に縋りついたりして、どうにか一篇を纏め上げたのであった。―中略―

 

  「罪と罰」に知恵をつけられて「破戒」を書いた藤村は、「春」を描くに当って、まず、ツルゲーネフの「処女地」の巻頭の描写を真似て、二十歳をちょっと過ぎた程度の若者数人の会合から書き始めたのである」

 

 これは小説が生まれるまでの簡単な解説だが、藤村の小説の中で最も深刻なのは「新生」である。白鳥はその事件には深入りをしないで、そこから派生する外延の出来事を書く。

 

 「私は、藤村には、たびたび会っているが、最も興味ある印象の残っているのは、私がはじめて洋行の途に就いた時のことである。・・私が駅の構内をうろうろしていると、ふと、藤村が柱の陰に立って・・「新生」事件で煩悶苦悩のあまり、三十六計逃げるに如かずの決心したのも、中澤臨川の酔余の煽動言に依るのであって、臨川が煽てなかったら、洋行を思いついたか、どうだか。「破戒」製作については、何年かの生活費の援助を乞うために、神津牧場主を訪問しながら、それを言い出しかねて、帰った後、おづおづと手紙を出したのであったが、臨川には、直ちに洋行の決心を知らせ、臨川が酔ったまぎれで云った洋行費の援助を頼んだのだ。あの時の酒席で彼等と同席していた瀧田樗蔭は、「ああいう酒の席で云ったことを島崎さんのように真に受けられちゃ困ると中澤さんがこぼしていました」と、私に話したことがあった」

 

 ここに出て来る中澤臨川は東大の工学部を出て松本電鉄を創業した人だが、実家は養命酒本舗であった。中澤は電車事業ばかりに熱心であったばかりでなく、文明批評にも力を注いだので、文学者とも交流があったのである。講談社版現代文学全集の中に中澤の論考は入っているが、今読んでも少しも古くはない。先を見通す目を持っているのである。又、瀧田樗蔭の名もあるが、優れた編集者として名の通っていた人である。そういう兼ね合せの上で、白鳥はこんな砕けた文章を書いたのだが、かつて啄木からブッキラ棒と見られた白鳥も、藤村の「新生」には世間と同じように正直な所感を述べざるを得なかった。それほどこの小説は衝撃的であった。

 

 「私は、新聞掲載中の小説は読まないのを例としていて、「新生」のような異常な作品でも、本になるのを待って読んだのであったが、朝日新聞掲載中の「新生」の第十三回は、文壇人を驚かしたらしかった。自然主義の私小説は、作家自身の所行をアケスケに書くので、よく話題になっていたが、慎重謹直らしく見られていた藤村の破格的行動の世人を驚かし、呆れさせたことは、花袋の「蒲団」どころではなかった」

 

 この後、興味を引くのは藤村と岩野泡鳴の関係である。白鳥は先ず、「泡鳴は藤村の作風を嫌っていた」と始める。泡鳴は漱石に向かって、お前は二流作家だと扱き下ろすほどの乱暴な文人である。そういい泡鳴が嫌っていたのは、作風ばかりではなく、藤村の「処世態度」にも好意を寄せていなかったという。次を読むと、作風と処世態度のことがよく解る。

 

 「藤村も「何でもアケスケと、自分を出すのはいい事ではない」と云い、当時の流行語であった現実暴露を快しとしないような口吻を洩らしたことがあったが、これは、暗に泡鳴の態度を非難したのであった。ところが無造作な、あたりかまわずの泡鳴の自己描写よりも、上べは沈重な態度を持して、つつましやかな筆使いをしている藤村の方が、却って泡鳴以上に自己の真相を露出し、周囲の人々をも、無慙に取扱っているのだ。自己の文学を豊かにするために、身辺の自己に関係のある男女を餌食にしているのだ。それに関わらず、泡鳴は軽視され、藤村の作品には、読者たる我々が魅力を感じるのは不思議である。「文学とは何であるか」私などはまだその真意が分らないのである。藤村は生れながらに、文学魂を身に具えているために、その作品におのずから魅力があるのか」

  

 自然主義の態度は現実暴露である。つまり自分の裸の姿を見せることである。白鳥より後の作家だが、宇野浩二が訪ねて来た林芙美子に、小説はどう書いたらよいかと訊かれて、見たままを書けばよいと答えた話がある。宇野も自然主義作家だが、この自然主義の時代は長く続いた。そういう時代の中で、白鳥の文章にこんなことを言っているところがある。青春に関わる話で、現代と比較すると、世の中の変りように唸りたくなるほどある。アメリカの祭のハローウインを持ち込んで大騒ぎすることは、白鳥の時代は勿論、私の青春にもなかったことである。少し長いが、白鳥にその断片を語らせよう。

 

 「私は、自分の青春時代は、いかにも見窄らしかったように回顧しているが、それは、青春というものを私が過重視しているためかも知れない。去年の夏、或雑誌の企てた青年学生の会合の席へ引出されて、何かの話をしたのであったが、その時、私は、今の学生の多くは、苦難の生活経験をしているのではないかと、それを気の毒に思うような口調で話した。昔は入学試験の悩みはなかったし、授業料は安かったし、下宿屋に不自由はなかったことを思い出したのであった。ところが、その会にいた或学生は、「自分達は気の毒に思われたくない」と、けな気な言葉を放った。前時代の学生こそ憐れむべきもので、我々は彼等よりも生甲斐を感じていると、ハッキリ云った。成程そういうものかと、私は反省しただけで、押返して云うべき何の考えもなかった。

 過去の彼等よりも現在の自分達の方が意義ある生活をしているのだという誇りを持つことが青春の姿ではあるまいか。かの学生の心には、私などの味わい得ないような青春が、活躍しているのであろうか。「春」作中の、文学を志す青年達には、そういう青春のほこりが冴えていなくなって、躊躇逡巡しているようである。「岸本が落ちて行く考えでは、東西の大家が自分等青年に残して置いてくれた文学上の産物も、多くは人間の徒労を写したものに過ぎない。悲壮な戯曲も徒らに流した涙である。微妙な詩歌も溜息である。何を苦しんで自分等は同じことを繰返す必要があろう」という懐疑の思いである。「新」を志しながら、何を苦しんで同じ事を繰返す必要があろうという懐疑の念である。何のために其日まで骨を折って来たのかという懐疑の念である」

 

 苦節十年にしてようやく花開くと言われた時代に、文学青年の頭を過ぎる疑念が、藤村によって小説からも戯曲からも詩歌からも、痛ましい声のように表出されているのである。当時どのくらいの文学青年がいたのかは分からない。調べた訳ではないが、二、三人ということではあるまい。この時代は文学の登竜門である芥川賞も直木賞もない。小説の評価をするのは文壇であり、詩は詩壇であった。勿論、十年苦労したからといって、皆が皆一人前の作家として認められるわけではなかった。無名作家、無名詩人で終る者の方が多かったことは間違いない。そういう事情は令和の現代でも変るまいが、今は苦節十年の時代でないことだけは、はっきりしている。

 さて、くだくだと世迷い言を続けているうちに、この稿を閉じる段階に来たようである。そこで白鳥について、初めから胸の奥にあったものを出しておきたい。啄木がブッキラ棒と言った白鳥らしい言葉が、「論語とバイブル」というエッセイにあるのである。論語はともかく、バイブルは白鳥にキリスト教徒であった時代があるので興味を引かれるのである。

 

「山上の垂訓は耶蘇の道徳観を述べ尽くしたのであるが、不条理の点が多い。第一「貧しき者は幸いなり」とは会得できぬ言だ。自殺するのも、人殺しをするのも、泥棒するのも貧乏の結果たることが多い。耶蘇教信者とても会堂を建てたり伝道をするにも先立つものは金ではないか、或は貧乏しなければ天に頼る気にならぬとコジつける人もあれど、金がないから止むを得ず、神様に縋って慰めようというのならば、其の反面には、金があれば神や仏はどうでもよいという意を含んで来る。金の方が神よりも尊く見えて来る。悲しむ者はよいとか、病気するはよいとか、七ツの祝福は何れも常識ある人間の首肯難い者のみである。「我れ世に来たる平和も齎さんとに非ず、子を親に背かせ・・」は恕すべからざる不埒な言である。正義のためには夫婦離反してよいというかも知れぬが、世に親子夫婦睦まじく笑って暮すよりも重んずべき主義があろうか。正中宗教がある為に宗旨争いで家庭の不和が生じることは随分ある。「一里行けと命ぜらるれば二里行け」とか「上着を取らるれば下着を与えよ」とか、行うべからざる教である。いかに耶蘇崇拝家でも癇の虫があるからこれには全然従われぬと見え、様々にこれを曲解しているが、無心に見れば、個人を蔑視した暴論である。姦淫の訓戒も人間固有の性に背いている。全章只一つ吾人の気に入る文句ば、「明日は明日の事を思い煩へ、一日の労苦は一日にて足れり」と今日主義、酔生夢死主義を鼓吹した事である。

 しかし耶蘇の説教は実行すべらかざる空論として読めば、常軌を離れている丈に面白い。其の生涯も詩人風で芝居的である。新旧全書共に眠気醒ましにならんでもないが、論語に至っては世にも稀らしき平々凡々、砂を噛むが如き書物である。真理は平凡なるに違いないので、吾人も孔子の言に反対は称えぬが、敬服もし兼ねる。雨が降る日は天気が悪い、水は冷たい火は熱いといえば、何人も御尤もと首肯すれど、大発明だと恐れ入る訳には行かぬ。論語全篇凡てこんな言で満ちているのである。「学而時習之不亦悦乎」という開巻第一の言も仮名でいえば「皆さんは学校で教わったことを家へ帰ってもお温習えなさいよ」と同じ事で、論語知らずの小学校の先生でも常にいっている。「有明自遠方来不亦楽乎」の言も平凡。元田永孚先生の如きはこの一節を説明するのにも幾万言を費やし、古今の大真理としたそうだが、「酔うて唄う亦楽しからずや」という剣菱即製の論語も真理は孔夫子のと同じく、これを実例を挙げて説明すれば、一日や二日の講義を要するのである。畢竟論語もバイブルも吾人が恐れ入るにも当たらない凡書である」

 

白鳥はバイブルを恐れ入るにも当たらない凡書と言っているが、世間にはバイブルを世界最高の文学であると信じている人もいる。西洋人のオスカー・ワイルドは、キリストはその存在自体が詩であると言った。しかしバイブルは凡書であろうとも消えることはなさそうである。凡書であるが故にバイブルは民衆の宗教書なのである。白鳥は朔太郎の言う大嘘をついていると言わざるをえない。「全ての文学者は嘘つきである。特に小説家は大嘘つきである」これは朔太郎のアフォリズムであって、真理は大嘘の陰に隠れているのである。(了)

 


バセドウ病がもたらす奇想奇行   神宮清志

 

わたしが何か書くと、多くの人から指摘されるのが「記憶力のよさ」である。わたしの記憶力については以前から不思議がられてきた。「コンピューター」という渾名を貰ったことさえある。ところがその一方で「記憶力がいいというのは嘘だ」と言い切る者も居る。それは我が息子で、最も身近に居る家族が言うのだから、これもまた真実に違いない。詮索好き、几帳面、自分勝手、凝り性、といった性格があるので、物書きの時などその特性が発揮される一方、自分に興味のないことはまったくの無関心で、家族との約束などすぐにどこかへ吹っ飛んでしまうということだろうと思う。それともう一つ無視出来ない事項を付け加えておかなければならない。それはわたしの持病である「バセドウ病」である。

  この病気は正式には「甲状腺機能亢進症」と言い、この病名のほうがその実相をより伝えている。先天的にもっていたこの持病によって、どのくらい苦しんだか分からなかったが、この存在に気付いたのは中年過ぎてからだった。四四歳になったとき、発熱がしつこく続き、痩せていって、苦しくてならず、調べてみた。その結果この病気が判明した。入院すること約二ヶ月、退院後の闘病約半年で健康を取り戻した。甲状腺というのは喉のところにある胡桃に似た形状の器官である。ここから甲状腺ホルモンを出している。このホルモンの働きは交感神経と副交感神経をバランスよく統御することにある。「働け」という命令と「休め」という命令がバランスよく統御されているのは、このホルモンの働きによる。甲状腺の働きに狂いが生じて、機能が亢進するとどうなるか。「働け」という命令が「休め」という命令を抑え込んでしまう。体の機能として休まずに働き続けることになる。 

具体的には新陳代謝が異常に活発になる。体温が上昇して、いつも微熱が出ている。発汗がひどい。顔色はよく、動きが活発になる。いっぽう不眠となって、一晩ぐっすり眠ることはなくなる。疲労感が著しい。消化器官が働き過ぎて慢性下痢となる。その結果体重が落ち込む。このとき頭の回転もすこぶるよくなって、記憶力も抜群に向上する。入院する前などは、自分でも気味悪いくらいなんでも覚えられた。三〇分の落語を聴くと、そのすぐ後に全く一語も違えずに再現して喋ることが出来た。二、三日後でも可能だったので、それを録音したことがある。それをその後聴いてみると、言葉が違っていないばかりか、会話のタイミングとか言葉の強弱なども再現できている。麻雀で牌をガラガラかき回して山を作るとき、どの牌がどこに入ったか覚えることが出来た。これではほとんど負けない。 

わたしの叔父は麻雀八段で、その稼ぎだけで旅行ができたという。彼は知らない町に行って、歩いて来た道筋にあった店の順序から屋号まですべて覚えていた。彼もまたこの病気をもっていたのだろう。この病気が進んで末期的になると、脈拍が極端に速くなり、心臓が割れ鐘のように打ち続ける。そしてばたりと心臓が止まって万事休すとなる。わたしの父も同じ病をもっていて、四七歳にして心不全で亡くなった。ヨーロッパ語のほとんどすべてをマスターしていた、あの記憶力からしても間違いないと思う。同時にとんでもない変奇人だった。 

この病気の特徴は目が飛び出す、喉が腫れるという症状が現われるところにある。ところがわたしのようにこの症状が表面に全く現われない場合も稀にあるのだ。わが一族では誰もその症状が表面に出た人が居ないので、この病気を発見できずに中年過ぎに命を落とした。わたしの場合でも、かかりつけの医者は「風邪だろう」といった。わたしはそんなはずはないといろいろ調べて、甲状腺機能亢進症に間違いないと確信した。そこで病院に行ってそのことを告げると、「たぶんそうではない」といいながら検査だけはしてくれた。検査結果が出たとき即入院となった。まさに危機一髪の瀬戸際だった。

 

甲状腺機能亢進症の逆で、「甲状腺機能低下症」という病気がある。別名「橋本病」がそれである。いつもドロンとして動きが鈍く、頭の働きが悪く(時に知的障害)、眠くて仕方ないといったことになる。甲状腺の専門医に言わせると、認知症患者は甲状腺機能が低下していることは客観的事実だとある。ということは認知症の患者が、この方面から治療を受ければ治る可能性があるということになる。甲状腺の専門医が少ないので、現実には難しいだろう。 

甲状腺機能亢進症は、総体的に命を縮める。脈拍が一分間に一〇〇以上もあって、それだけ体全体の器官を消耗しているからである。しかし生き長らえて六〇歳を過ぎると逆に有利だといえる。それは認知症にかかる要素が少ないからだ。それともう一つあって、癌にかかる確率が一〇〇〇人に一人というデータがある。よってわたしは癌と認知症にはかからないと確信している。そのことを信じて疑わないように意識的にしている。以上をもってわたしの記憶力のよさを示す理由のひとつは説明できたと思う。 

なんだかうらやましいと思われそうだが、ちょっと待って欲しい。うらやむには及ばないのだ。現代医学の進歩によって、特効薬が開発されており、治療は確実になった。しかしこの薬には諸々の副作用があり、その為の多種の薬を飲まなければならない。一切の刺激物を摂ってはならないので、普通のお茶でさえ飲めない。予後でもホルモンのバランスが崩れてそのほうの調整もある。甲状腺値が一定水準まで落ち着いてくれば全快となるが、甲状腺の値は何かにつけて上がりたがる。普通人より常に高い傾向にある。この傾向はすでに青春のころに現われており、いろいろと厄介な問題を引き起こしていた。発汗作用がひどく、そのため風邪を引きやすく、年に一〇回くらい風邪を引いていた。手足がいつも汗ばんでいて、冷たい。冷え性のしつこい状態である。いつも手先が湿っていて紙をめくるとき湿らせる必要はなく、後に会計担当になったときなど、指先に何もつけずに一〇〇〇万円でも数えることが出来た。 

いつも追いつめられたように動き回らずにはいられず、不眠と疲労感にさいなまれ、不安が募る。四六時中射精衝動に責められ、頭の中の想像だけで射精することが可能なほどだった。四四歳でこの病が発見され、全快して社会復帰したとき、ほんとうに人心地ついたという実感をもった。落ち着いて辺りを見回す余裕がもてた。生きているというのはこういうことだったのかと気付いた。それまでそうした感覚を味わったことが一度もなかったのである。いかに苦しい生活をしてきたことかと思ったものである。 

甲状腺機能亢進症がもたらす災いで、さらに重要なものがある。南山堂発行『医学大辞典』に、「バセドウ病」に続いて「バセドウ病精神異常」という項目があり、次のように書かれている。 

「甲状腺機能亢進症による精神症状をいう。不安、いらいら感があり、刺激に敏感で多弁、多動を示す。気分は高揚し抑制を欠き、躁状態に至る。易疲労的で注意は集中せず、思考はまとまりを欠く。妄想も生じうる。精神症状は軽いものを含めればバセドウ病のときほとんど必発である。」 

これを読んだときショックを受けた。今まであった心の病はこの病気と深い関係があったと分かったからだ。この本は一般人には眼に触れることがない。医師とか心理学者などの持つ書である。専門家しか見ることの出来ない医学辞典を見る機会に恵まれて、さっそく開いてみたのが「バセドウ病」の項目だった。十代後半から今に至るまでずっと続いた心の闇、この難問の原因がこの病気にあったと知ったのである。この驚きは大きかったが、同時に光明が見えてきたことも事実である。この辞典にあることはすべて当てはまることばかり、しかもこの病気をもった者には「必発」と記されていたことに強い衝撃を受けた。 

いつも頭の中を駆け巡っている「奇想」と、しばしば人を驚かし迷惑をかけてきた「奇行」は、「甲状腺機能亢進症」によるところが大きかった。このことが分かって、いろいろと思い当たることがあり過ぎて、急転直下長年の疑問が解決してゆくように思えた。よくぞ長生きしてこんな境地に達することが出来たと思うと、感慨無量なものがあった。幸運といってはまだ足りない、何か運命的なものさえ感じた。 (了)



読者登録

高村昌憲さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について