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はじめに

 

昔の矢野顕子さんの歌に、こういうのがあります。
 
どうしてうまくいかないの
今はなんのとりえないけど
わたしの小さな陽だまりに
だれか早く気付いてちょうだい
わたしは本当は
すなおでやさしい人なの
 
僕がこの歌に出会った時期が、いわゆる、10代の多感な頃だったこともあり。
常に受け身で劣等感に苛まれているような?当時のワタクシ、そして当時の大多数の若者にとって、この曲はある種のバイブルであり、代弁だったように思います。
勘違いの恋も、よくしていましたしね(笑) 
 
 
以前やっていたドラマ「ハケン占い師アタル」のセリフに、こういうのがあります。
 
幸せなんて、周りと比べても意味がないの。人のことをうらやんでばかりいると、自分の運命を呪いたくなるだけ。
世の中、不公平なのが当たり前だから。
世界中のみんなが、平等に不公平なの。
だからテロや病気や人災で亡くなる人がいっぱいいる。
私たちはこの世界で、この不公平な世界で生きていくしかないの。
自分の運命を呪ったって意味ないの。
生まれ変わることなんて出来ないんだから。
(なんか、占いやる人のセリフじゃないんですけどね) 
 
 
僕の今の実感としては。
時代がようやく、現実というものを、まだまだうっすらとだけれど、より直視する段階に入ってきたのかなあ、ということ。
そして、現実というものは、たいてい、いつも残酷なもの。
そうですね、たいていが、うまくいかなくって終わってしまうことがほとんどだと思います。
 
それでも。
 所詮、人生は、せっかく生まれてきたのなら、あがきたいのならあがく。よりよい生き方を望むなら、それに向かって努力するしかないんでしょうね。
いつもうまくいかない、自分の小さな陽だまりを抱えながら。
 
ところで、タイトルを「結婚なんて、やめなさい」としているわけですが。
 
だいたい、婚活とか少子化とか核家族とか、あと勝ち組とか(笑)
よく「結婚」にまつわる、キーワードがありますよね、それは、時代によっても変わり、またその時々に、結婚にまつわる独特の問題が浮き彫りになったり。
とかく最近は、以前にも増して、政府が担当大臣をこさえたりして、いらぬ介入をしているのですが。
 
それに対して国民の皆々様方は、相変わらずの思考停止を決め込んで、未だ、結婚しない人のことを偏見または奇異の目で見る、または変人扱い(?)
そして、当の「おひとりさま」が、いだずらに後ろめたさを抱えて生きている、というのであれば、本末転倒、とても悲しいことではないかと。
 
えっと。ワタクシ個人に関しましては、過去に子連れ同棲の経験がチョイありで、現在独り身です。
要するに、過去の経験を踏まえて?あらためて独り身の解放感?を噛みしめながら、現在、幸せに暮らしております。
まあ、独り身の強がりかもしれません(苦笑)
 
まあ、読む方々がこちらのことをどう思ってもらうかについては、別にどうでもいいんですが。
 
 
結婚なんて、やめなさい、ということではあっても、とにかく、結婚をする・しない(または出来ない、別れられない)という以前に、そもそもの「結婚」という概念(価値観というか)を、今一度考え直したいと、もし思われているのであれば、もしかしたら此処は。
 
ご自身の中に、いままで味わったことのない?確固たる基盤を構築して、その先にある、より納得しうる(であろう)高みへと繰り出してあげられる、そんな想いで書かれた場所になっている、のかもしれませんよ、此処は。
 
すごいですね、どういう立場でモノを云おうとしているのでしょうか、ワタクシは(^_^;)
 
ということで、僕の方からもっともっと細やかに?述べたい事柄については、それぞれの項目にて、じっくり、のちほど。
 
 
 
 
 

まずは経済的な観点から

 

あの平成が、この間終わりましたね。
平成は、俗に「失われた20年」「経済停滞の30年」と云われてきました。
 
戦後から平成~現在に至るまでの国会での審議・答弁は、あのリクルート事件(よく、政治家が出てくるテレビドラマで、『それは秘書が独断でやったことだ!』という迷セリフのモトになった事件が、アレです)を象徴するような、数々の歴史的「茶番」が展開されてきておりますが。
 
安倍政権になってから、いわゆる「アベノミクス」というやつで、現在、日本は好景気に返り咲いたというような雰囲気を醸し出そうとして失敗しております(笑)
 
ここで、少し、僕の方から、あの平成期の30年、経済的に日本がどのような状況になってしまったのかをザックリ説明してみたいと思います。
 
まず、平成元年は、いわゆるバブルに沸いた時代ですね。
厳密にいうと、平成に入る直前、戦後復興から高度経済成長によって好景気を築いた日本をアメリカが警戒しだし、貿易赤字の解消、固定為替の撤廃等、それらによっていままで300円台だったドルが今ではなんと100円台(プラザ合意)にまで下がるという。
 
こんな感じで説明しても、今の状況にピンとこない方は、こう云えばわかるかな。
 
要は300円の「価値」が100円になったということ。
現在、月に20万の給料をもらっている人は、本来なら同じ仕事で40~50万もらっていなければおかしい、と云っても過言ではない、ということです。
昭和期は、自動車の組立工が家を建て、親子三代で暮らせたのが、今は同じ仕事で、到底それは叶わなく。
 
これは、超絶な結論として語るならば、今の日本の政治が悪いという以前に、アメリカのせいなんです。
 
プラザ合意で、最初は国内にカネがダブつき、とんでもなく浮かれたバブル状態に置かれたのち、とんでもない金融の引き締めによって国内に大混乱が巻き起こり、未だその余波は続いているという。
 
例せば、アメリカが日本にヤクを打った、みたいな感じです。いやホント。
 
さて。
本来なら40~50万もらっていなければおかしい自分の給料、こんなに薄給にされ、結婚なんてするモチベーションなんて上がりませんよねえ。
 
だから、今の政府がやっている政策は、婚活・少子化にまつわる事柄だけでもめちゃくちゃピントがずれているということ、これでよく解るのではないでしょうか。
(まあ、お役人が世の中をよくするというのは、いつの時代も幻想なんですが)
 
あと、まったくの余談なんですがね。
近年、日本で花粉症になる人が多くなったのは、せっかく植林した杉などの針葉樹林が外圧で売れなくなってしまったため、そのまま間引かず、ほったらかしたことで、毎年、その花粉が放出されるようになってしまったことが原因です。
 
バブル崩壊の余波ここにも、といった感じです。
 
 
 
 

 


女性の意識の変化について

 

身内のことで恐縮ですが。
ウチのおふくろは、いわゆる「焼け跡世代」で、割と古い女性の考え方をする典型の人です。
「ヨイトマケの唄」ほど極端?ではないけれど、そこそこオヤジに従い、あまり口答えせず。
男の三歩後ろに下がって歩く、という様な。
まあ、それが良いかどうかは置いておいて、要は、そういうことをやってのける女性というものは、ある意味「大人」でなければ出来ない、ということです。
 
それが、またあのバブル期を引き合いに出しますが、それまでの「大人」の女性の意識が、どうやらその頃から変化していった様に思います。
個人的に、当時はまだ子供だったけれど、それでもあの頃の空気は、けっこうそれなりに実感しましたね。
とにかく、あの当時の女性、気が強い強い(笑)
とかく男性にチヤホヤされる女性がわんさか増えて。
子供でもよく聞いたキーワードが、アッシー・メッシー。(死語)
バカな金持ちの男が、多額のカネを女性に貢ぎ、女性が労するどころか、女性の欲望にもカネが付く、ということを女性自身が知ってしまったという。
誤解を恐れずに云えば、それがバブル期の典型的な女性、といった感じです。
 
それ以降、女性の精神年齢はかなり幼児化したと思いますね。
 
ああ、男性ですか?
男性は元々幼稚な子供ですから。
だから女性まで子供になってしまった社会が、あの平成、「失われた20年」だったのではないか、と思います。
 
ちょっとでも日本の歴史を紐解けば。
ついぞ100年ほど前で、東北の農村の娘は、身売りされてしまうのが日常茶判事だったのに。
貧困ということで云うならば、その100年前と今との経済的価値観が、また接近しているかもしれません。
さすがに身売りはないでしょう?けれど、違った形での女性の貧困問題が、また、今の日本に顕在化し始めている様です。
ある意味、身売りよりおぞましい状況が現出しているのかもしれません。
 
そういった世の中を生きていくに当たり、今の女性は、いつまでも「子供」であってはいけない、と思うのですが。
 
 

 

 

 


人口減少・過疎化について

 

1990年代に、当時の経済企画庁が公表した『国民生活白書』で、はじめて少子化という言葉が使われたんだそうな。
 
それから30年以上、日本の少子化の波は止まらない、とされていて。
それにともない、次は高齢化社会の現出、果ては人口減少に突入している現在があるワケですね、日本は。
 
念のため、ちょっと調べてみようと思い、いくつかの参考本をかい摘まんでみたのですが・・・途中でアホらしくなってやめました(笑)
 
小難しく?どこかしらの怪しい統計を基に、結局出している結論は、要は経済的に厳しいからだ!というようなことを、長々と一冊の本にしてしまっている『少子化はとめられるか?編著・安部正浩』なんてのがあります。
 
日本のように、経済的に厳しいから、結婚しないし子供を作らない、結果、少子化・人口減少になる、というのであれば、実は問題でもなんでもない、ごく自然な流れではないでしょうか。
 
なのに日本以外の、世界の人口は、これからもどんどん増加の一途という現状があるワケで。
それを考えれば、日本一国の人口が世界のベクトルに反し、減少に向かうということは、とても建設的で貴重である、と思われるのです。
 
それを、なんで政府は、ヤレ問題だと囃し立てるのですかね?
 
一昔前の日本の言葉で、「貧乏人の子沢山」なるフレーズがあります。
当時の、日本のいい大人が、自分達の現実の経済状況も把握せずに子供をせっせと作るワケですが。
 
よく考えれば、その行為は、そこら辺の犬猫と変わらない所業なんですね。
もっとハッキリ云えば。
そんな、自制を利かすことの出来ない行為は人間の所業ではない、要は人間じゃないんです(-_-)
 
そういう意味では、現在、現時点で少子化に舵をきった日本の庶民は、非常に慎ましく、現実を弁えた?非常に人間らしい感覚を持っている、と云えるのではないでしょうか。
それなのに全世界の主流は、未だに貧乏人の子沢山という「野蛮」を、地でいっているのです。
 
それなのに、なんで政府は、ヤレ問題だと、少子化対策に乗り出すんですかね?
 
実は、理由は、二つほど。
1、GDP(国の通信簿)が、アメリカ・中国にますます突き放されることに勝手に焦り、その原因とされる(実は関係ない)少子化を食い止めればなんとかなるのではないかと思い込んだ。(ようするにバカ)
2、なんだかんだで血税を無駄に注ぎ込む場所をもっと増やしたかっただけ。(ようするにクズ)
 
しかし、少子化をあれだけ問題視しているのに、それ以上に輪をかけて保育所の対応が追い付かないというのは。
やっぱり、貧乏人の子沢山という国民性からは、未だ全日本人は脱皮しきれていないんでしょうか。
 
別にその辺の御たいそうな文献に依らずとも、保育所にしろ老人ホームにしろ、今、一番この日本で必要不可欠とされている施設で働く人たちに対する雇用形態および賃金は、他のどんな仕事よりも非常に劣悪、雀の涙にも及ばない。
 
そういう状況をいまだに放置してきたのは、この国のお家芸であります。
一国の首相が問題ない、とすれば、福島の原発もしっかりコントロールされていることになるし、年金も、支払ってさえいれば、未来永劫、崩壊はしないことになるんです。
 
 
ついでに過疎化についても調べましたよ。
『縮小ニッポンの衝撃・NHKスペシャル取材班』では、北海道夕張市の現実を、個人的に初めて知りました。
ひとたび人口減少に陥ってしまったことによる、財源不足、それに伴うインフラの整備不備の発生、なのにそこに留まっている市民の深刻な税負担、なのにそこで働いている市職員の、超過労働にまったく見合わない、年収ベースで約四割削減なる給与。
そんなことでは、市の人口減少に拍車がかかる最中で、あらゆる地獄を凝視せざるおえないでしょう。
 
人口減少なら、市の職員を減らし財源もカットする、というような、余りにも短絡的な策を、国は呈しているのですが。
実際は、この夕張市のケースを見るだけで、いままでのような策は、まったく的を得ていないということが明らかです。
 
元々、夕張市の盛衰は、もう主流ではない炭鉱の採掘とその閉山にあるわけで、結果、人口減少(正確には人口流出)になってしまうこと、これは、日本全体でいうところの人口減少と同列に語るには極めて怪しい、と思います。
さらにいえば、人口減少に伴って発生した問題も、よくよく考えれば人災です。
 
その地域の経済が発展する・しないは、ハッキリいって予測できないこと、でも、そこで生きていく人たちのためのインフラが、そこの経済の動向に左右されてしまうということでは、なんのために政府(政治家)があるのか、と思われてもしかたがありません。
というか、戦後、この国は、インフラだけをとってみても、それを維持発展させる仕組み・プランがまるでなかった、ということが、この夕張市のケースでもハッキリ露呈している、とワタクシ、思いました。
(まあ、皆さんも、うすうすわかっているとは思いますが)
 
個人単位では、経済状況が厳しいから結婚しない、という選択をしても、その人口減少に伴う負担?を個人に背負わせる、というのでは本末転倒です。
 
あらためて述べましょう。
もし、人口減少に伴ってなにか問題が起こるとすれば、それは私たちのせいではなく、先をまるで考えていない政府にあります。
だから最近、水道の民営化構想なるものが浮上したりするんです。
こういうときに、決まって麻生太郎が恥知らずなパフォーマンスを繰り出し、それだけで少なくとも私は死にたくなってきます(-_-)
 
私も一応、日本国民なんですがね。
麻生さんはそんなに、ことあるごとに、国民を絶望のどん底に突き落としたいのでしょうか。
 
政府は、あらゆる政策を執り行う以前に、なによりもまず、自分のことしか考えないという野蛮な心根を、心底入れ換えることが急務です。
開き直ること無く、それをちゃんと考えていれば、そもそも政府がムダに問題視している少子化・高齢化・人口減少なるものも、実際、起きなかったかもしれないんですがねえ。
 
 
 
 

 


結婚イコール幸せ、なのか

 

そもそも論のそもそも。
 
結婚イコール幸せ、と、案外、日本人の大半は思っていることでしょう。
この私だって、子供の時は、大人になったら結婚はするものと思っていましたし、恥ずかしながら?結婚願望は、けっこう最近まで持っていたと思います。
個人的に、一度結婚、そして離婚をした時に、結婚というものはゴール(もしくはスタート)ではなく、選択~別に結婚なんてしなくてもいいという選択があるんだ、ということを悟ることが出来たので、今、こうしてこんなことを書き連ねているのですが。
 
自身に置かれた現在の状況を鑑みて、結婚したいのか、したくないのか、を、じっくりと考えることは、無論、とても大切だと思います。
これをじっくり考えないと、大抵は無理をしようがしまいが、世間の偏見・風潮に流されて、もしくは勢いなどといい、ほとんどの人が、結婚という選択に、実は踏み切ると思います。
 
その時、なにが怖いって。
失敗だと思った時に、別れる羽目になります。
いや、簡単に別れることがちゃんと出来るのなら、それはそれで、まだ傷は浅く?経験値も得た上で、ある意味プラスです。
 
でも、別れたいと思った時に、もし既に子供がいたら。
その時の自身の経済状況はどうなのか。その他、細かい諸々のこと。
 
要は、結婚後の生活によって醸成された条件によっては、それが為に別れるという選択において、手遅れになるやもしれず。
ヘタすると、別れたいのに別れられない、という状態で、別れたいと思った伴侶と、一生を不本意に共にするという状況になるとしたら。
 
でも、そんな結婚でも、周りから見るなら、それもその人の幸せの選択、なんです。
 
なんといっても、世間的には、その人は家族を持ち、もし病気もなく仕事も順調ならば、少なくともその家族の一構成員として、きっと、その選択をした長い人生を終えることでしょう。
いわゆる世間体、というものを意識して生きていく、というヤツです。
 
・・・少なくとも僕は、そんな人生は嫌です。
 
なぜかというと、そんな不本意な人生を選ぶという芸当をやってのければ、きっと、とても大切なものを犠牲にするだろうからです。
それは、なんといっても、自分自身の成長、です。
 
その、自分自身の成長を止める、唯一の感情は、「あきらめ」です。
 
今、日本を含め、全世界の夫婦で、実はけっこうな割合で「あきらめ」た関係の夫婦が多いのではないかと思います。
別に何かの統計に寄ったワケではないので、その辺は、僕個人の実感で勝手な決めつけをしている、と思われて構わないのですが。
 
でもね、少なくともこの日本の場合、「あきらめ」た人が多いからこそ、戦後、多少の高度経済成長は出来ても、いつまでもアメリカの庇護という名の従属に甘んじ、民主主義とは名ばかりの不公平な格差社会がどんどん肥大し、マスコミはいつも大事な現実から目をそらし、国民は付和雷同でそれに乗っかる、そんなろくでもない社会が、結果、出来上がってしまっているんではないかと思います。
 
家庭環境が芳しくないと、「あきらめ」と共に、周りに対しての思いやりを持つというような余裕もなく。
それで「あきらめ」た人は、自分のことしか考えられない、ということになります。
 
え?あきらめたから結婚しないんだって?
 
そうですね。
結婚したいのに、自身の容姿(ハッキリ云うことにしましょう)、経済状況、または相手に求めるハードルが高すぎる等で結婚できない、という人も「あきらめ」て、その選択を受け入れているのかもしれません。
いわゆる、おひとりさま、に甘んじる人生は不幸、と思っていらっしゃる。
はい、そういう人は不幸です。
そして、誤解を恐れずに云えば、そんな人が、もし、奇跡的に?結婚したとしても不幸です。
 
 
「あきらめ」という言葉は、ここでは、よく峻別(しゅんべつ)をしないといけません。
 
自分の容姿とか、持って生まれた性格とか、才能のあるなしとか、いわゆる、どうすることもできないものは諦めるしかないじゃないですか(笑)
そんなことよりも、自分の努力次第では変えられるものが沢山あるにもかかわらず、それを「あきらめ」る方が、自分自身の人生にとって、数倍の罪です。
 
それは結婚をしている、していないに拘わらず、です。
そして、そんな、元から「あきらめ」た人が、成り行き?でする結婚によって、自分の成長しうる僅かな可能性をも塞き止めてしまうのだとしたら。
そのことに無頓着であるなら。
 
自分にとって、何を積極的に?あきらめて、何をあきらめてはダメか。
つまり、自分にとっての幸せ、とは何か?
つまるところ、それは自分にしか解り得ないことでしょう。
だから自分でよく考えるしかないのです。
 
あらためて、結婚する同士というのは、最初に互いをどう見るのか。
論じるまでもなく、ほとんどは、相手に魅力を感じるところから始まるのではないでしょうか。
つまり、元々独り身の時点で、人は、とても幸せでなければいけない。
そうでないのであれば、その人は、厳しい表現かもですが・・・結婚する資格すらないとも云えるでしょう。
 
婚活に躍起になっていても、手段ばかり目の色を変えたところで、肝心のご自身の「資格」を整えていなければ、出会った相手が、下手をすれば、あなたのその心根を見抜き、あなた自身が、その相手に都合よく振り回されるような伴侶となってしまうかもしれません。
残念ながら、結婚を考える人間の中には、そんなクズも、案外、沢山いるのです。
 
でも、そういう状況になっても、周りは、世間は、「それ」を、あなたが選んだ幸せと思うことでしょう。
そうです、周りは、世間は、あなたが現在、本当に幸せかどうかなど、全く判断出来ないのです。
自分が幸せかどうかを正しく判断出来るのは、実は自分だけ。
 
これが解っていないうちは、たとえ自分の人生に何らかの出会いがあっても、結婚を考えること、ましてや簡単に結婚に踏み切る行動をとることはとても危険です。
 
繰り返しますが、一人でいる時点で、とても幸せであること。
特に女性は、周りの同年代が結婚に踏み切ったりすると、とても焦って目移りしやすくなるのではないでしょうか。
(私、ガチガチの偏見で述べていますか?)
分からないでもない?のですが、でも、本当にそんな状態に陥ってしまうなら、それはとても不幸なことだと認識してもらいたい。
 
もう一度、繰り返します。
一人でいる時点で、とても幸せであること。
 
ここからでないと、結婚するかしないかの選択をする土俵にも立てないことでしょう。
 
 
 
 
 


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