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よんジュウよん、『ス』ニジュウ

 

 

 

 

 

ジカンイコールゼッタイジカンかけるジカンシツリョウのはなしをした(●ニジュウサン、『オ』ハチ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

カンタンにいうと、ジカンシツリョウ(いろいろなほしのインリョク[ウズマキリョク])のエイキョウをのぞけば、ゼッタイジカンがかぞえられるというはなしだ。

 

そして、ジカンイコールエネルギーわるシツリョウ(ジカンをロコモーティブ[コウゾクキョリ]とよみかえれば、わかりやすい。●ニジュウサン、『オ』ハチ、ジュウゴ、『よ』サンジュウニ)だから、

 

 

 

 

 

 

 

いくつかのコウセイにかこまれて、インリョクがつりあって、そのチュウシンにあるなにかが、まったくうごかないとなると、エネルギー イコール レイ ゆえに ジカン イコール レイになる(●ニジュウサン、『オ』ハチ)。スウシキジョウは、ジカンがながれないことになる。これをデッドロックといおう。ジッサイのウチュウにこういうデッドロックがあるかはわからないが、このデッドロックはウチュウのケンキュウにつかえそうなのである。

 

 

 

このデッドロックのチュウシンにコタイがあるとする。コタイはインリョクがつりあいうごかないが、やがて、インリョクにひかれてボウチョウするかもしれない。ベツのいいかたをすると、オンドがあがるわけだ。それがつづくと、コンドはキタイになる。そのキタイはデッドロックのまわりのコウセイにひきつけられ、どうかしてしまうだろう。このデッドロックのチュウシンにあるのをウチュウゼンタイとカテイすれば、ウチュウはやがてウチュウのそとにいってしまうということになる。これが、「ウチュウがボウチョウする」リユウなのでないか。そのゴ、キタイがひやされて、さらにコタイになってもとのイチにもどれれば、ウチュウのサイセイサンはカノウだろうが、どうもサイセイサンができることは、わたしはまだカクニンしていない。

 

 

よんジュウゴ、『ス』サンジュウ

 

 

 

どこかイッテンにネツがあると、まわりのすずしいなにかが、ネツのホウにちかづき、ネツのあるなにかも、すずしいテンのホウにむかい、やがてネツのあるテンとすずしいテンのオンドのヘイキンのオンドにおちつくであろう。だから、その「なにか」に、イドウにあわせて、すずしいホウへのシンコウリョクが、ネツのホウへのインリョクがショウじるといえるだろう。

 

インリョクをもつブッシツより、シンコウリョクをもつブッシツがかるければ、シンコウリョクがひくい(インリョクがつよい)といえるだろうし、インリョクをもつブッシツのホウがかるければ、インリョクがひくい(シンコウリョクがつよい)といえるだろう。

 

タイヨウとそのケイのワクセイは、インリョクとシンコウリョクがわりとつりあっているようである。チキュウをなにかのホウホウでひやせば、タイヨウのホウへひっぱられるだろうし、あっためれば、タイヨウからはなれるであろう。だからチキュウがオンダンカすると、イチネンがながくなるのではないか。イチネンがサンビャクななジュウニチになるかもしれない。しかし、あまりそのことはギロンされない。きになるのは、ヘイジツがふえるか、キュウジツがふえるかであろう。

 

 

 

ヨンジュウロク、『ス』サンジュウイチ

 

 

 

インリョクをもつということはネツがなければならないとなる(●よんジュウゴ、『ス』サンジュウ)。「ビッグバン」のはなしでいえば、ウチュウのチュウシンからネツがそとがわにイドウする。「バクハツ」ならブッシツもそとがわにいくだろう。だから、ウチュウがひろがるとかんがえられている。でも、ネツはそとがわにいくにつれ、ウチュウのチュウシンのオンドとくらべひくくなる。つまりウチュウのそとがわがあたたまるわけだ。ウチュウのそとのオンドがひくければ、ウチュウはそのオンドとのヘイキンまであたたかさがおさえられる。とドウジにウチュウのそとから(あれば)ブッシツがはいってくる(なければオンドはさがらない。)。

 

ウチュウのそとのオンドがたかければ、ウチュウは「ビッグバン」でハッセイしたのではないとおもわれる。ウチュウのそとからのものがはいってくるからだ。ウチュウのつめたさとブッシツが、あたたかいウチュウのそとがわにあるだけだろう。ウチュウのそとがわにあるブッシツがすくなければ、ウチュウからあたたかさとブッシツがでていくのだろう。それだと、ウチュウはシダイにつめたくなる。ウチュウのおおきさテイドにウチュウはつめたくなるし、ブッシツもへっていく。それを「ウチュウはひろがる」というのだろう。そのうち、ニンゲンもすめなくなるテイドにつめたくなるかもしれない。コウセイのちかくにイドウしても、ジカンのモンダイである。そういうイッカイきりのウチュウなのであろうか。だからウチュウのリサイクルをかんがえている。

 

 

 

よんジュウシチ、『ス』サンジュウニ

 

 

ジカンイコールエネルギーわるシツリョウのはなしをした(●よんジュウよん、『ス』ニジュウ、ニジュウサン、『オ』ハチ、ジュウゴ、『よ』サンジュウニ)。

 

 

これだと、エネルギーがレイでも、シツリョウがレイでもジカンはながれないとなる。ジカンでなかったら、イドウがセイリツしないだ。さて、それでは、エネルギーがさきにあるのか、シツリョウがさきにあるのであろうか。ニンゲンがつくったラジコンカーは、この「シツリョウ」にデンチ「エネルギー」をのせたのだろう。レキシをみると、ニンゲン(エネルギー)ができて、シャリン(シツリョウ)ができた。ジンリキシャというわけである。だからドウブツのケンキュウをすれば、こたえがでるかもしれない。

 

テキスト ボックス:  ニンゲンにとってのエネルギーは、タンスイカブツなどである。それがあれば、かなりいきていられるようだ。タンスイカブツとはなにかというと、ショクブツであろう。ショクブツがさきにあったか、ニンゲンがさきにあったかというと、ショクブツがさきにあったといわれる。ニンゲンよりも、ねずみなんかのホウがながいのであろうか。ショクブツができるのにも、ニサンカタンソがヒツヨウであったろうから、ニサンカタンソがどこにあったかをしらべるといいかもしれない。ニサンカタンソがチキュウにあったのだろう。チキュウがもえているから、ニサンカタンソはあったのかもしれない。サンソとタンソがあったのだろう。

 

セイブツのキゲンはサンソとタンソであったようだ。それをチキュウがもっていた。ショクブツとドウブツがなぜえだわかれしたのかというのもキョウミぶかいが、そのはなしはまたにする。なぜチキュウがもえているか。サンソとネツがあるからだろう。どこかのコウセイからとびひしたのかもしれない。そのコウセイもなにかをもやしているのだろう。サンソがさきなのか、もえるがさきなのか。なにもなければもえないようにおもう。「ビッグバン」といったって、ものがなければおこらないだろう。だから「もの(シツリョウ)」がさきにあったとおもわれる。

 

ものがあって、もえるゆえに、ジカンがショウじたと。なぜサンソがもえだしたか。タブンひきのばされたのだとおもう。タンジュンにいうと、タイセキがおおきくなってコウオンになりハッカしたとおもわれる。わたしがガクセイのときにみたえだと、ウチュウ(サンソ)のジョウゲからアツリョクがくわわって、タイセキがおおきくなったとかんがえられる(そのえをかいたひとは、そうかんがえたのだろう。)。だから、「ビッグバン」にせよ、もえるちからがそのまえにあったとかんがえるのがただしいだろう。ウチュウ(サンソ)がひろがったからハッカしたともかんがえられるわけだ。そのひろげるちからとはなにか。またかんがえてみたい。ウチュウ(サンソ)をひきのばすちからがあるなら、ウチュウをちぢめるちからもあるかもしれない。それなら、ウチュウもサイリヨウできるのだろう。

 

 

 

よんジュウハチ、『ス』サンジュウゴ

 

 

 

よくわたしのコップのなかにむしがはいる。おおいときはサンびきぐらいはいってスイシしている。きもちいいからプールにはいるカンカクではいっているのでは(●ジュウキュウ、『よ』ヒャクロクジュウニ)とかいたが、サイキンになって、そのリユウがわかった。それは、ケイコウトウのひかりが、コップのスイメンにあたり、ハンシャするからである。むしはそのハンシャしたスイメンをひかりだとおもい、みずにつかってしまうのだろう。そういうむしとりきがつくれそうである。

 

 

 

よんジュウキュウ、『ス』サンジュウロク

 

イシキはコジンとシゼン、シャカイのおりあいをつけるためにあるとかいた。ところで、そのイシキとはなにでできているか。タンジュンにいうと、デンキシンゴウだろう。カガクブッシツといえるかもしれない。だから、あるはなしのトチュウに、なにかベツのデンキシンゴウをノウにおくりこめば、そのはなしにすりかわっていくかもしれない。しかし、そういったセンノウまがいのやりかたはカンベンしてほしいとおもう。

 

ところで、ことばは、デンキシンゴウをあらわすキゴウともいえるだろう。そのキゴウは、くにやチイキによってちがう。そういうのをセイリして、キョウツウゴをつくればベンリかとおもうが、アンガイつかわれないようだ。いいジョウホウがあるくにのことばがつよくなるのだろう。むかしはワコンカンサイ、いまはワコンヨウサイか。ニホンジンもがんばらねばとおもう。

 

 

 

ゴジュウ、『ス』よんジュウ

 

 

 

いきるとは「キョウリョクすること」である。なぜそういえるか。ニンゲンのカクサイボウがキョウリョクしなかったら、セイゾンがコンナンだからだ。サイボウはそれぞれやくめをもちながらキョウリョクしている。ただ、キョウリョクするだけではだめだ。それぞれのやくめをはたさなければならない。そこをかんちがいしてしまうと、シュウダンにマイボツしたり、ツゴウのいいひとになったりしてしまう。おおきなタンイのセイゾンになにかキョウリョクできればいいのではなかろうか。

 

 

 

つづく。

 

続きは、

https://note.mu/ryusaku/n/ne4fb7e3180b3

または、

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=171106533

で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この本の内容は以上です。


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