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四 チエちゃん

 

「じゃあ。一足先に、新地球に行くから。バイバイ」

 

ちえちゃんは、そう言って教室を後にした。

 

 

 

「皆さん。ちょっと席についてください」

 

先生が教壇の前に立った。それまで、自由に席を立って、友だちと話をしていた僕たちは急いで自分の席に戻った。

 

「今日は、皆さんに悲しいような、嬉しいような報告があります」

 

先生の横には何とも言えないような顔でちえちゃんが立っていた。

 

「実は、ちえちゃんの家にピンクの手紙が届いたそうです」

 

その話が終わらないうちに、えーという驚きとうらやむ気持ちがないまぜになった歓声が上がった。ピンクの手紙とは、新地球行きの切符だ。銀河列車の定員数の関係で、人類が一度に、新地球へ移住できないため、世界政府が無作為抽出で、銀河列車の客数に合わせて、一年前から切符を配布しているのだった。

 

僕のクラスも当初は四十人いたが、今は、二十人にまで減っていた。今回、ちえちゃんも新地球に移住することになれば、僕を含めて十九人になる。学校全体でも、ほぼ五割近くの子どもたちとその家族が新地球へと旅立った。毎日のように、人々が加速度的に地球を離れ、新地球へと移住していく。

 

新地球の側での受け入れ体制が整いつつあるとともに、地球の自転速度が日増しに遅くなり、地域によっては、昼と夜の時間差がどんどん広がるとともに、寒暖の差も激しくなってきているそうだ。今朝のテレビのニュースでそう放送していた。

 

テレビのニュース番組のアナウンサーも毎日のように変わっている。以前、テレビに出ていた熟練のアナウンサーが減って、若い人が増えてきたように思う。でも、世界政府は、ピンクの手紙のあて先はAIがアトランダムに選んでいるのであり、決して、意図的な選択はしていないと、説明している。

 

だが、その説明をしている政府の首脳たちは、新地球から映像を送っているのだ。

 

「地球にまだ残っている皆さん、安心してください。新地球は安全・安心です。当初、訪れた際には、まだ、道路や水道、電気など社会資本が十分整備されておらず、生活に不自由することはありましたが、今は、ほぼ、地球並みとまでは言いませんが、何とか生活に困らないような状況になっています。いつでも、皆さんを受け入れることができます」と、説明していた。その説明に従って、日一日と、人々は地球を離れていく。

 

「さあ、ちえちゃん。皆さんに、お別れの言葉を」

 

先生に促されて、ちえちゃんが口を開いた。その顔は新地球に行く喜びよりも残されたみんなと別れる哀しみの方がまさっているように思えた。

 

「みなさん。あたしは先に新地球へ行くことになりました。でも、新地球に行っても、皆さんのことは忘れません。新地球で待っています」

 

それだけ言うとちえちゃんは俯いた。泣いているのか。でも、両眼辺りに手を二度、三度前後するようにこすりつけると、顔を上げた。その顔は笑っていた。笑顔がひまわりだった。

 

翌日、僕たちは駅の構内にいた。ちえちゃんとお別れするためだ。担任の先生と同級生の十九人の全員が集まった。

 

「新地球ではドッジボールをしようよ」

 

「でも、新地球は地球と同じ重力かな」

 

「軽いんじゃないの」

 

「じゃあ、ボールを投げたらボールが浮いて、空中に上がってしまうよ」

 

「ボールが空中に上がるんだったら、私たちも上がるんじゃない」

 

「それじゃあ、ドッチボールはできないんじゃないの」

 

「それは困ったなあ」

 

「大丈夫。空に白線を引いて、空中でドッジボールをしたらいいんだよ」

 

「あったまいい」どっと笑い声。

 

僕たちの和やかな声を遮るように、列車の出発のベルがプラットホームに鳴り響いた。それまで、僕たちと一緒に笑い声を上げていたちえちゃんは、その声をポケットに押し込むかのようにして、銀河列車に乗り込んだ。みんなの声もどこかのごみ箱に片づけられたかのように静かになった。

 

ちえちゃんが座席に座った。僕たちが見える窓側に座っている。手を振った。僕らも手を振る。僕らの中からすすり泣く声が聞こえてくる。その声からは、多分、あの子が泣いているとは思うけれど、僕らの誰一人としてあえてその子の顔を見ないようにした。ただ、列車の窓ガラスに向って、一生懸命に手を振るだけだ。

 

突然、ちえちゃんがガラス窓に顔をくっつけた。目は前が見えないほど横に細くなり、鼻は呼吸ができなくなるほど平たくなり、唇はみかんの缶詰のみかんのように膨れ上がり、ほっぺたはお好み焼きのように広がった。それまでひまわりのように咲いていた笑顔が崩れた。花が爆発して、花びらが全て散ってしまうかのように崩れた。僕らは何がおこっているのか、すぐにはわからなかった。

 

でも、それに呼応するかのように、僕の隣の男の子が、両指に口を引っ掛けて、大口を開け、舌を大きく出した。その様子を見て、僕も負けずに、手のひらで両頬を押さえ、前後にずらした。女の子たちは、鼻の先に人差し指を押し当てて、鼻の穴を最大限に広げて、ブヒブヒと叫び出した。

 

ちえちゃんはガラス窓から離れて、お腹を抱えて笑い出した。僕らもその様子を見て笑い出した。すすり泣きの声はごみ箱に放られて、代わりに、笑い声が元に戻された。その声と対照的に列車はホームから静かに離れていく。僕たちは手を振り続けた。

 

「走ろう」誰かが叫んだ。

 

僕たちは列車の進行方向に走り出した。手は降り続けたままだ。ただ、列車は加速度的にスピードをあげて行く。ちえちゃんのガラス窓の方が僕たちよりも前に進んだ。どんどんとその距離が離れていく。ちえちゃんは窓ガラスに向って対峙していた顔を僕たちの顔が見えるように動かしていく。それでも、ちえちゃんの顔は正面から斜め、横に変わっていく。でも、ひまわりの花びらのように開いた手は振り続けてくれた。

 

「危ない。ストップ」先生の大声がプラットホームに響いた。

 

ホームはそこまでだった。僕の右足は黄色い線を越えて、ホームのギリギリを踏んでいた。そして、ちえちゃんを乗せた銀河列車は駅を後にすると、後部車両まで見えなくなった。どこか遠いところで、遮断機が下りる音が聞こえる。もう、僕たちは手を振ることを止めた。

 

それから、数日後、訃報が届いた。ちえちゃんの乗った銀河列車は、隕石が衝突して、大破したそうだ。乗客全員が宇宙に消えたと報道していた。だけど、僕は、ちえちゃんがドッジボールをするために、宇宙空間に線を引いて、あのひまわりみたいな笑顔で、僕たちが来るのを一人で待っているんだと思う。

 


この本の内容は以上です。


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