目次
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-1)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-2)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-3)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-4)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-5)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-6)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-7)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-8)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-8)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-9)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-10)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-11)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-12)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-13)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-14)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-15)
第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-16)

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第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-5)

【15】

 現代産業がそのなかで運動する回転循環--沈静状態,活気増大,繁栄,過剰生産,恐慌,停滞,沈静,等々〔state of quiescence,growing animation,prosperity,overproduction,crisis,stagnation,quiescence etc〕--(この循環の詳しい分析はわれわれの考察の圏外にある)を考察してみれば,そこで見いだされることは,利子の低い状態はたいていは繁栄または特別利潤の時期に対応し,①利子の上昇は②繁栄とその転換との分かれ目に対応するが,極度の高[434]利にもなる利子の最高限は恐慌に対応するということであろう。b)③「1843年の夏からは明瞭な繁栄が始まった。1842年の春には4[1/4]%だった利子率が,1843年の||297上|春と夏には2%に下がり」a),9月には1[1/2]%にさえ下がった。b)やがて④1847年の恐慌中には8%,そしてそれ以上に上がった。/

  ①〔異文〕「他方で〔während〕」という書きかけが消されている。
  ②〔異文〕「〔……の〕瀬戸際で〔auf der Kippe〕」という書きかけが消されている。
  ③〔注解〕この引用は,トゥクでは次のようになっている。--「同様に,1842年の春には4[1/2]%だった利子率が1843年の春と夏にはほぼ2%にまで急速に下がり……」
  ④〔注解〕「1847年の恐慌」--40年代半ばに不作が生じたのち,イギリスの食糧輸入は増大し,イングランド銀行からの金流出が始まった。1847年4月には貨幣市場でのパニックが生じた。同時に,穀物市場の充溢が貨幣と信用とへの大きな需要を引き起こした。1847年〔MEGAは「1846年」と誤記〕10月には恐慌は頂点に達した。1844年のピール銀行法の停止によって,イングランド銀行は行動のための新たな余地を得たので,恐慌の本来の原因である過剰生産は残されたままだったが,貨幣恐慌は急速に克服されることができた。〉 (226-227頁)

 〈現代の産業がそのなかで運動する回転循環--沈静状態、活気増大、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞、沈静、等々(この循環の詳しい分析は、すでに述べましたが、私たちの考察の圏外にあります)--を考えてみますと、そこで見いだされることは、利子の低い状態はたいてい繁栄または特別利潤の時期に対応し、利子の上昇は繁栄とその転換との分かれ目に対応しますが、極度の高利になる利子の最高限は恐慌に対応するということです。「1843年の夏からは明瞭な繁栄が始まった。1842年の春には4[1/4]%だった利子率が,1843年の春と夏には2%に下がり」、9月には1[1/2]にさえ下がりましたし、やがて1847年の恐慌中には8%、そしてそれ以上に上がりました。〉

 【ここでは突然、産業循環の詳しい考察は圏外にあるとしながらも、産業循環と利子率の対応が考察されている。利子の低い状態は繁栄または特別利潤の時期としている。繁栄はよいとしても「特別利潤の時期」とは何であろうか。これはあたらしい生産力を導入した資本が、その新技術が一般化するまでの間に手にする特別な利潤のことであろう。つまり新しい生産方法がどんどん導入されて社会的な生産が発展していくような状況を意味している。そうした時代には資本の循環も順調で、貸付資本への需要も低いということである。利子が上昇してくるのは、繁栄とその転換との分かれ目に対応するとされている。こうした生産力の発展と拡大は他方で利潤率を傾向的に低下させ、やがて過剰生産へと導く、しかし資本は利潤率の低下を利潤量の絶対的拡大によって補うために、一層の蓄積と拡大を推し進める、それは一方では貨幣資本への需要を増大させ、利子率の上昇を招く、他方で労働力を生産過程に吸収して、その枯渇を招くまでに死に物狂いの拡大を行うように競争の笞が打たれる、そしてその行き着く先が奈落の底であり、恐慌なのである。恐慌時には信用も動揺あるいは崩壊し支払手段への需要が極度に高まり、利子も最高限まで高騰する、等々である。マルクスは1847年の恐慌への過程がそれを示しているとして、トゥクから引用している。こうした恐慌時の支払手段への激しい需要については、1847年恐慌ではないが1825年恐慌時の状況について第28章の解読のなかで詳しい紹介をしたことがある。】


【16】

 /296下/〔原注〕b)「不況〔Pressure〕直後の第1の時期には,投機がなくて貨幣は豊富である。第2の時期には貨幣は豊富で投機も盛んである。第3の時期には投機は衰え始めて貨幣が求められる。第4の時期には貨幣が払底して不況が始まる。」(W.ギルバト〔『銀行実務論』,第5版,ロンドン,1849年〕,第1巻,149ページ。)〔原注b)終わり〕|

  ① 〔注解〕この引用は,「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートIII(MEGAIV/7,S.137.6-10)から取られている。
  ② 〔訂正〕「ギルバト」--草稿では「ギルバト,同前」と書かれている。〉 (227頁)

 【これは先のパラグラフにおいて、産業循環と利子の関連を見たあとに付けられた原注である。ギルバトからの抜粋だけなので平易な書き直しは省略した。ギルバトは産業循環を四つの時期に区分している。それをマルクスの産業循環と対応させてみると、第1の時期--活気増大、第2の時期--繁栄、過剰生産、第3の時期--恐慌、第4の時期--沈静状態、であろうか。】


【17】

 |297下|〔原注〕a)トゥクはこの低落を「その前の数年間は有利な投資部面がなかったということの必然的な随伴現象としての過剰資本の蓄積によって,蓄蔵貨幣の放出によって,また商業上の見通しにおける信頼の回復によって」説明している。(①『物価史,1839年から1847年まで』,ロンドン,1848年,54ページ〔藤塚知義訳『物価史』,第4巻,東洋経済新報社,1981年,64ページ〕。)〔原注a)終わり〕/

  ①〔注解〕トマス・トゥクの『物価史』は,1838年から1857年にかけて刊行された六つの巻からなっている。第1巻と第2巻は,『1793年から1837年にいたる物価および通貨流通状態の歴史… …』,全2巻,ロンドン,1838年,である。第3巻のタイトルは『1838年および1839年における物価および通貨流通状態の歴史,あわせて,穀物法についての,およびわが国の銀行制度にかんして提起されている改革案の若干についての,評言を付す。1793年から1837年に至る物価の歴史の続編をなす』,ロンドン,1840年,である。第4巻は『1839年から1847年に至る(両年を含む)物価および通貨流通状態の歴史,通貨問題の一般的論評およびヴィクトリア治世第7・8年法律第32号の作用についての評言を付す。1793年から1839年にいたる物価の歴史の続編をなす』,ロンドン,1848年,となっている。最後に,1857年に第5巻および第6巻が,『1848年から1856年に至る9年間における物価および通貨流通状態の歴史… … 』,全2巻,というタイトルのもとで刊行されたが,この2巻の著者は,トマス・トゥクとウィリアム・ニューマーチである。〉 (227頁)

 〈トゥクは1847年の春と夏の利子の2%への低下を「その前の数年間は有利な投資部面がなかったということの必然的な随伴現象としての過剰資本の蓄積によって,蓄蔵貨幣の放出によって,また商業上の見通しにおける信頼の回復によって」と説明しています。〉

 【これも原注であるが、トゥクが1847年の春と夏の利子の低下を何によって説明しているかをただ紹介しているだけである。それに対するマルクスの評価は何もない。ここでトゥクが〈有利な投資部面がなかったということの必然的な随伴現象としての過剰資本の蓄積〉と言っているのは、恐らくいわゆるプレトラを指しているのであろう。だからこの春から夏の時期というのは産業循環でいえば繁栄と過剰生産の時期である。利潤率の傾向的低下が一定程度進むことによってもはや小資本や新芽の資本がその低下した利潤率では生産を維持できず、破綻するか、投資先を失う。だからそれらはただの貨幣資本として遊休し、その一部は投機に走り、あるいは大資本への融通という形で吸収されるのだが、しかし過剰な貨幣資本(いわゆるプレトラ)の存在は、利子率を押し下げることになる。だからこの時点では、まだ過剰生産そのものは潜在化しており、崩落は一部の小資本や新芽の資本に留まっていて、信用はむしろしっかりしているように見えるし、利潤率の低下を利潤量の増大によって補おうとする大資本による強蓄積が激しい競争によって行われる時期でもある。だから〈商業上の見通しにおける信頼の回復〉も依然としてしっかりしているように見える時期でもあるのである。】


【18】

 /297下/〔原注〕b)①ギルバト,同前,第1巻,166ページ。〔原注b)終わり〕/

  ①〔注解〕ジェイムズ・ウィリアム・ギルバト『銀行実務論』,第5版,全2巻,第1巻,ロンドン,1849年。〉  (227-228頁)

【この原注はマルクスが〈9月には1[1/2]%にさえ下がった〉と書いた部分に付けられたものである。つまりその数字の根拠としてギルバトの著書の叙述をあげているだけである。】

 


第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-6)

【19】

 〈/297上/(もちろん,他面では,低い利子が停滞といっしょになり,利子の上昇(適度ではあるが)が活気の増大〔growing animation〕といっしょになるということもありうる。〉 (228頁)

 〈もちろん、他面では、低い利子が停滞といっしょになり、利子の適度の上昇が活気の増大といっしょになるということもありえます。〉

 【このパラグラフと次のパラグラフは全体が丸カッコに括られている。どちらも【15】パラグラフに関連して述べられているものであろう。つまり【15】パラグラフでは〈利子の低い状態はたいていは繁栄または特別利潤の時期に対応〉すると指摘されていたが、しかし低い利子ということだけなら、それは停滞時においてもそうであることを補足しているわけである。また〈利子の上昇は繁栄とその転換との分かれ目に対応する〉と書いているが、しかし利子の適度の上昇の兆しはすでに活気増大の時期からはじまると述べているわけである。】


【20】

 (利子の平均率を見いだすためには,1)①回転循環のなかでの利子率の諸変動をつうじてその平均を②計算しなければならない。2)資本がかなり長い期間にわたって前貸される投資での利子率を計算しなければならない。)

  ①〔異文〕「この時期〔Periode〕全体のなかでの」という書きかけが消されている。
  ②〔異文〕「計算し〔berechnen〕」← 「考察し〔betrachten〕」〉 (228頁)

 〈利子の平均率を見いだすためには、1)回転循環(産業循環)のなかでの利子率の諸変動をつうじてその平均を計算しなければなりません。また2)資本がかなり長い期間にわたって前貸しされる投資での利子率を計算しなければなりません。〉

 【ここでは利子率の平均率を計算するという場合は、産業循環に応じて変動する利子率の変動をつうじてその平均を計算すべきということ、またもう一つはかなり長い期間にわたって前貸しされる投資(例えば鉄道投資)での利子率を計算すべきとしている。産業循環の一回転期間(それはほぼ10年とされているが)の平均利子率というのは、ある意味では資本主義的生産の発展程度による利子率の変化とでもいうべきものかもしれない。産業循環はただ同じサイクルを繰り返すのではなく、一循環ごとに資本の生産力を高度化し発展させる。次の循環はその発展したものをベースに開始されるわけである。だから一つの産業循環の平均の利子率と次の産業循環の平均の利子率は資本主義的発展による利子率の変化を示すと考えられるわけである。もう一つの平均利子率はある意味では現実的なものである。長い期間を要する前貸資本の場合の利子率は平均利子率を示しているとマルクスは考えているわけである。これも全体が丸カッコに括られていることは、いわばついでに関連して論じたという程度の問題なのであろう。】


【21】

 〈利子率が極度の高さに達するのは恐慌中のことであって,そのときには支払いをするためにはどんなに高くついても〔coúte que coúte〕借りなければならない。(この形態についてはもっとあとで。)c)/〉 (228頁)

 〈利子率が極度の高さに達するのは恐慌中のことです。そのときには支払をするためにはどんなに高くついても借りなければならなくなるからです。しかしこの形態についてはもっとあとで詳しく見ます(第28章該当個所で論じられています)。〉

 【このパラグラフも【15】パラグラフの叙述の延長のようなものである。つまり利子率が高騰するのは恐慌時だということである。そしてその理由は支払手段の枯渇によるということである。諸支払の時期(満期)が迫ってきているのに、前貸し資本は還流せず(商品は売れず、商品資本の実現は停滞するから、それは貨幣資本としても還流してこない)、よって支払手段に窮する諸資本は、ただ清水を求めて鳴く鹿のごとく、銀行に貸付を求めるわけである。それがために利子は極端まで高くなるわけである。当時のイングランド銀行はそうした貸付に応じるには銀行法による足枷を取っ払う必要があり、銀行法は一時的に停止されて、ようやく貨幣恐慌は乗り切られたわけである。こうした事態は第28章該当個所でフラートン批判のなかで展開されている。】


【22】

 /297下/〔原注〕c)これは同時に,というのは利子の上昇は有価証券価格の下落に対応するからであるが,①そのような利子生み証券を捨て値で手に入れる絶好の機会なのであって,このような証券は,通例の経過では,利子率がふたたび下がればすぐにまたその平均の高さ(およびそれ以上)に達するに違いないのである。これらの恐慌は,銀行業者たちが,「自分たちの私的証券を減価させて利子率を最小限にまで縮小する崩落を先取りして,自分たちの資本を減価した株式に再投下する」ことを可能にする(②『為替の理論1844年の銀行特許法,云々』,ロンドン,1864年,100ページ)。1847年の恐慌のあいだに,「ある銀行家の古くからの顧客が,20万ポンド・スターリングの価値ある証券を担保にした貸付を拒絶された。彼が自分の支払停止を通告するために立ち去ろうとしたとき,銀行家は彼に,そんな処置をとる必要はない,このさいのことだからその証券を15万ポンド・スターリングで買ってもよい,と言った。」(同前,80ページ。)〔原注c)終わり〕/

  ①〔異文〕「安値で」という書きかけが消されている。
  ②〔注解〕この書の著者はヘンリー・ロイである。〉 (228-229頁)

 〈こうした恐慌時の利子率の上昇は、有価証券の価格の下落をもたらすから、そのような利子生み証券を捨て値で手に入れる絶好の機会なのであって、このような証券は、通例の経過では、利子率が再び下がればまたその平均の高さに、あるいはそれ以上に達するに違いないのです。だからこれらの恐慌は、銀行業者たちが「自分たちの私的証券を減価させて利子率を最小限にまで縮小する崩落を先取りして,自分たちの資本を減価した株式に再投下する」ことを可能にします。1847年の恐慌のあいだに、「ある銀行家の古くからの顧客が,20万ポンド・スターリングの価値ある証券を担保にした貸付を拒絶された。彼が自分の支払停止を通告するために立ち去ろうとしたとき,銀行家は彼に,そんな処置をとる必要はない,このさいのことだからその証券を15万ポンド・スターリングで買ってもよい,と言った」のだそうです。〉

 【このパラグラフは【21】パラグラフの恐慌中に利子率が高騰するのは、支払手段への需要が高まるからだという一文につけられた原注である。ここではそうした利子率の高騰は、他方で有価証券の価格の下落を招くので、それらを捨て値で買い取る絶好の機会になるということ、そのことによって銀行業者は大儲けをすることが指摘されている。ただマルクスが引用している『為替の理論。1844年の銀行特許法、云々』からの抜粋はよくわからない。まず〈自分たちの私的証券を減価させて利子率を最小限にまで縮小する崩落を先取りして〉という一文が不可解である。何をいいたいのかよくわからないし、果たして正しいことを言っているのかもわからない。そもそも崩落時には利子率が高騰するのであって、利子率を最小限にまで縮小するなどというのはおかしいし、私的証券を減価させてそれを行うなどということも一体何をいいたいのかもわからない。マルクスの引用が正確でないのか、あるいはその著書の記述そのものが間違っているのか、よく分からない。MEGAも、大谷氏も何も注記していない。だがエンゲルスはこの一文を編集段階で削除したことが訳者注では書かれている。恐らくエンゲルスも意味不明ということで、編集ではこの原注の前半部分を本文にしたのだが、この引用部分そのものは削除したのであろう。その後半部分の引用はよく分かるのであるが。】


第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-7)

【23】

 〈/297上/利子率が利潤率の変動〔Variations〕にはかかわりなしに低落するという傾向。--〉 (229頁)

 〈利子率が利潤率の変動にはかかわりなしに低落するという傾向について見ていこう。〉

 【ここからまた話は変わっている。【15】パラグラフで産業循環の回転に応じて利子はどのように変化するかが論じられていたが、ここからは利子率は利潤率の変動とはかかわりなしに低落する傾向があるという指摘から始まっている。そして次のパラグラフからは「1)」と番号を打ってラムジからの抜粋を行っている。】


【24】

 1)「生産的投下のためよりほかには資本が借り入れられることはけっしてないとさえ想定しても,なお,総利潤の率にはなんの変動もないのに利子が変動するということもありうる。②というのは,一国民がますます富を発展させるのにつれて,自分たちの父祖の労働によってファンドを与えられてただその利子だけで生活ができるような人びとの一階級が発生し,しかもますますそれが大きくなるならである。また,青年期や壮年期には積極的に事業に参加しても,隠退してからは,蓄積した金額の利子で静かに晩年を送ろうとする人びとも多い。これら二つの部類の人々は,国富の増大につれてふえていく傾向がある。なぜならば,はじめから相当な資本で始める人びとは,わずかな資本で始める人びとよりもいっそうたやすく独立の財産をつくりあげることができるからである。それゆえ,古くて[435]豊かな国ぐにでは,新しくできた貧しい国ぐにでよりも,国民資本のうち自分で充用しようとしない人びとに属する部分が,社会の総生産的資本にたいしてより大きい割合をなしているのである。イギリスでは金利生活者〔rentiers〕の階級の人数がなんと多いではないか! 金利生活者rentiers〕の階級が大きくなるのにつれて,資本の貸し手の階級も大きくなる。というのは,この二つの階級は同じものだからである。この原因からだけでも,利子は古い国ぐにでは下落する傾向をもたなければならないであろう。」d)/

  ①〔注解〕この引用は,ラムジでは次のようになっている。--「しかし,資本は生産的充用以外の目的ではけっして借りられたことがない,と想定すべきだとした場合でさえも,総利潤の率にはなんの変動もないのに利子が変動しうるということは大いにありうることだ,と私は思う。なぜなら,一国の富の発展が進むにつれて,自分たちの先祖の労働によってただその利子だけで相当な暮らしを余裕をもってやっていけるようなファンドをあり余るほど十分に所有する人びとの一階級が発生して,ますます増大していくからである。また,若年および壮年期には事業で活発に働いて,引退してからは,自分自身が蓄積した金額の利子によって晩年を静かに送るという人びとも,たくさんいる。この階級も前のほうの階級も,その国の富が増大するにつれて増大する傾向がある。なぜなら,かなりの資材で仕事を始める人びとは,わずかばかりのもので始める人びとよりも早く,独立しやすいからである。それゆえ,古くて富んでいる国ぐにでは,新たに植民されたより貧しい諸地域に比べて,全国の資本のうちそれを自分で充用する労を取ろうとしない人びとに属する額が,社会の全生産資材にたいしてより大きい割合を占めるのである。イギリスでは,ほとんどだれもがなにかの仕事に携わっているアメリカでよりも,フランス人の言う金利生活者rentiers〕の階級は人口中に占めるその人数の割合がなんと大きいことか! 金利生活者rentiers〕の階級が大きくなるにつれて,資本の貸し手の階級も大きくなる。なぜなら,それらは一つで同じものだからである。したがって,このような原因から,利子は,古い国ぐにでは低落するという傾向をもたざるをえないのである。……」--この引用は,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』(MEGAII/3.6,S.1797.24-41)から取られている。
  ②〔異文〕「ある国では,また……のあ[いだ]では〔zw[ischen]〕」という書きかけが消されている。〉 (230-231頁)

 【このパラグラフは本文であるが、「1)」という項目以外すべて抜粋なので、平易な書き下しは省略する。この「1)」は、【26】パラグラフの「2)」、および【33】パラグラフの「3)」に対応している。そしてそれらを踏まえて【35】パラグラフ以下の展開があるように思えるが、しかしそれは実際に検討してみてまた判断することにしよう。
  ここでは利潤率がそれほど変わらなくても利子率は低下する傾向があることの理由として、ラムジは次のような理由を挙げている。
  (1)自分たちの祖先の築いた財産をもとにその利子だけで生活できるような一階級が発生し、ますます増大するから。
  (2)若いときは事業で一財産を築き、年取ってからはその財産の利子だけで生活する人々が多くなるから。
  (3)この二つの部類の人々は、国富の増大につれて増えていく傾向がある。
  (4)よって古くて豊かな国では、新しくできた貧しい国でよりも、金利生活者の階級が多くなる。
  (5)こうした金利生活者が多いということは、資本の貸し手の階級も多いということである。
  (6)こうしたことから古い国々では利子は下落する傾向がある。
  まあざっとこうしたことが述べられているのであるが、これをマルクスは肯定的に引用していることは明らかである。少なくとも利子が利潤率にかかわりなしに低落する傾向がある理由の一つと考えているわけである。】


【25】

 〈/297下/〔原注〕d)ラムジ,同前〔『富の分配に関する一論』,エディンバラ,1836年〕,201ページ以下。〔原注d)終わり〕/〉 (231頁)

 【これは先の本文として抜粋したものの典拠を示すだけなので、平易な書き下しは不要であろう。MEGAの注解ではこのラムジからの抜粋は61-63草稿から取ってきているということなので、その原文を見ておくことにしよう。かなり長くなるが、前後も含めて抜粋しておこう。マルクスがラムジをどの程度評価しているかが分かる(但しMEGAによる注解ではラムジの著書ではこうなっていると原文が示されているが、それは省略する)。

  一般利潤率の低下に関しては、ラムジは、リカードウと同様に、A・スミスに反論している。
  彼はA・スミスに反対して次のように言っている。「資本家的企業者たちの競争は、確かに、特に水準よりも高くなっている利潤を平準化することができるであろう。{この平準化は、一般的利潤率の形成を説明するには、けっして十分ではない。}しかし、この通常の水準そのものが引き下げられるということは、まちがいである。」(179/180ページ。)「原料であろうと製品であろうと、どの商品でも、その価格が生産者間の競争のために下がるということはありうるとしても、このことが利潤に影響することはけっしてありえないであろう。どの資本家的企業者も自分の生産物をより少ない貨幣と引き換えに売るであろうが、他方、それに応じて、彼が費用を支出するどの物品も、それが固定資本に属しようと流動資本に属しようと、彼にとってはより少ない額の費用で足りるであろう。」(180/181ページ) 同様にマルサスに反対して。「利潤が消費者によって支払われるという考えは、確かに非常にばかげている。消費者とはだれなのか? それは地主か、資本家か、雇い主か、労働者か、そのほか給料などを受け取る人々かでなければならない。」(183ページ)「総利潤の一般的な率に影響することができる唯一の競争は、資本家的企業者と労働者とのあいだの競争である。」(206ページ) このすぐ前の文章のなかではリカードウの命題が正しいものに還元されている。利潤率は資本と労働との競争によることなく低下することもありうるが、しかし、利潤率がそのために下がるというととがありうる唯一の競争は、この競争である。だが、ラムジ自身も、なぜ一般的利潤率は低下への傾向をもつのかという理由は、なにも示してはくれない。彼が言っている唯一のこと--そして正しいこと--は、利子率は一国における総利潤の率にはまったくかかわりなしに、しかも次のようにして、下がることがありうる、ということである。「われわれ自身が、資本は生産的充用以外の目的では借り入れられたことがない、と想定しても、それでもなお、総利潤の率にはなんの変動もないのに利子が変動するということは可能である。なぜならば、一国の富の発展が進むにつれて、自分たちの先祖の労働{搾取、盗奪}によってただその利子だけで暮らしてゆけるような財産を所有する人々の一階級が発生して、ますます増大してゆくからである。また、若年および壮年期には積極的に事業で働いて、引退してからは、自分自身が蓄積した金額の利子によって晩年を静かに送るという人々も、たくさんある。この二つの階級は、その国の富が増大するにつれて増大する傾向がある。なぜならば、かなりの資財で仕事を始める人々は、わずかばかりのもので始める人々よりも早く、独立しやすいからである。それゆえ、古くて富んでいる国々では、新たに植民された貧しい国々に比べて、全国の資本のうちそれを自分で充用しようとしない人々に属する額が、社会の全生産資財にたいしてより大きい割合を占めるのである。イギリスでは金利生活者の階級がなんと大人数であることか! 金利生活者の階級が大きくなるにつれて、資本を貸す人々の階級も大きくなる。なぜならば、それらは一つで同じものだからである。このような原因だけからも、利子は、古い国々では低落するという傾向をもたざるをえないであろう。」(201ページ以下。)〉 (草稿集⑧427-428頁)

  このようにマルクスはラムジからの抜粋について〈彼が言っている唯一のこと--そして正しいこと--は、利子率は一国における総利潤の率にはまったくかかわりなしに、しかも次のようにして、下がることがありうる、ということである〉と述べていることから明らかなように、ラムジのこうした理由の説明は正しいと判断しているわけである。】


【26】

 〈/297上/2)信用システムの発展,また,それだから社会のあらゆる階級のあらゆる貨幣貯蓄〔money savings〕を産業家や商業家が(銀行業者〔bankers〕の媒介によって)ますます多く利用できるようになるということ,また,この貯蓄〔savings〕の集積が進んで,それが貨幣資本として働くことができるような量になるということによって。(あとを見よ。) 〉 (231頁)

 〈利子率が利潤率の変動とは関わりなしに低下する傾向がある理由として考えられる第二のものとしては、2)信用システムの発展です。また、それにもとづいて社会のあらゆる階級のあらゆる貨幣貯蓄を産業家や商業家が銀行業者の媒介によってますます多く利用できるようになるということです。またそうした貯蓄の集積が進んで、それが貨幣資本として働くことができるような量になるということによってです。(この問題についてはあとで見ます。)〉

 【ここではもう一つの理由として、信用システムの発展があげられている。そうなると社会のあらゆる階級のあらゆの貨幣貯蓄が銀行を介して、産業家や商業家によってますます利用できるようになるというわけである。またそうした個別的にはわずかな貨幣貯蓄でも銀行によって集積されることによって、貨幣資本として前貸しできる量に達することができるようになる、こうしたことから余すことなく社会の貨幣貯蓄は貨幣資本として動員されるようになるというわけである。だから利子率はそうした理由からも低下する傾向があるわけである。】

 


第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-8)

【27】

 ラムジは利子率純利潤の率と呼んでいるのであるが,この利子率の規定について,彼は次のように言っている。利子率は,「一部は総利潤の率によって定まり,また一部は総利潤が利子と企業利潤〔profit of enterprise〕とに分割される割合によって定まる。この割合は資本の貸し手と借り手とのあいだの競争によって定まる。この競争は,実現されると期待される総利潤の率によって影響されるが,ただそれだけによって規制されるわけではない。e)競争はただこの原因だけによって規制されるのではないというのは,一方では,生産的な投資をする意図はなにもないのに借りる人も多いからであり,他方では,貸付可能な国民的資本の全体の大きさは,総利潤のなんらかの変動にかかわりなく,その国の富の変動につれて変動するからである。」f)/

  ①〔注解〕この引用は,ラムジでは次のようになっている。「これらのものの率は,一部には総利潤の率により(というのは,全体が増大するか減少するときには,全体の各部分も同じく増大するか減少するのだからである),一部には総利潤が資本の利潤と企業の利潤とに〔into profits of capital and those of enterprise〕分かれる割合によって定まる。この割合は,これはまたこれで,資本の貸し手と提供すべき優良な担保をもつすべての借り手とのあいだの競争によって定まる。この競争は,実現が期待される総利潤の率によって,完全に調整されるのではないにしても,影響を受ける。そして,競争がこの原因だけによって調整されるのではないというわけは,一方では,どんな生産的に充用する目的もなしに借りる人びとがたくさんいるからであり,他方では,国内の貸付可能な全資本〔the whole national capital to be lent〕の割合は,総利潤のどんな変動にもかかわりなく,その国の富とともに変動するからである。」--この引用は,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』(MEGAII/3.5,S.1798.1-10)から取られている。〉 (231-232頁)

 〈ラムジは利子率を純利潤の率と呼んでいますが、この利子率の規定について、次のように言っています。利子率は、「一部は総利潤の率によって定まり,また一部は総利潤が利子と企業利潤〔profit of enterprise〕とに分割される割合によって定まる。この割合は資本の貸し手と借り手とのあいだの競争によって定まる。この競争は,実現されると期待される総利潤の率によって影響されるが,ただそれだけによって規制されるわけではない。競争はただこの原因だけによって規制されるのではないというのは,一方では,生産的な投資をする意図はなにもないのに借りる人も多いからであり,他方では,貸付可能な国民的資本の全体の大きさは,総利潤のなんらかの変動にかかわりなく,その国の富の変動につれて変動するからである。」〉

 【このパラグラフはほぼラムジからの引用であるが、最初はマルクス自身の文章なので、一応、平易な書き下しをしておいた。
  このパラグラフは、ラムジが利子率について正確な理解を持っていたことを紹介しているように思える。彼はまず利子率は総利潤率によって規制されることをはっきりととらえている。〈というのは,全体が増大するか減少するときには,全体の各部分も同じく増大するか減少するのだからである〉とその規制の内容も明確に理解していることを示している。そしてさらに利子率は〈総利潤が利子と企業利潤〔profit of enterprise〕とに分割される割合によって定まる〉こと、そしてこの割合は〈資本の貸し手と借り手とのあいだの競争によって定まる〉とも明確にのべている。さらにこうした貸し手と借り手とのあいだの競争は総利潤の率によって影響はされるが、それだけによって規制されるわけではないとして、生産的に投資する意図はなにもないのに借りる人も多いからであり、貸付可能な国民的資本全体の大きさも、総利潤の変動とはかかわりなく変動するからだとしている。
  このパラグラフそのものは必ずしもその前の【26】パラグラフに関連して述べられているとはいえないように思える。】


【28】

 /297下/〔原注〕e)利子率は全体としては平均利潤率によって規定されているのではあるが,異常なブームが低い利子率と結びついていることも非常にしばしばありうる。たとえば鉄道ブーム。利子率(バンク・レート)は,1844年10月16日に,やっと3%に引き上げられた。〔原注e)終わり〕/

  ①〔異文〕「利子率」← 「利子」〉 (232-233頁)

 〈利子率は全体としては平均利潤率によって規定されていますが、異常なブームが低い利子率と結びついていることも非常にしばしばありえます。たとえば鉄道ブーム。この場合は、利子率(バンク・レート)は、1844年10月16日に、やっと3%に引き上げられたのでした。〉

 【この原注は、ラムジの引用文のなかの〈資本の貸し手と借り手とのあいだの競争〉は〈実現されると期待される総利潤の率によって影響されるが,ただそれだけによって規制されるわけではない〉という部分につけられた原注である。つまり総利潤の率に影響されるが、それだけによって規制されるわけではない一つの実例として、マルクスは鉄道ブームを挙げているわけである。鉄道ブームは低い利子率と結びついて生じたとマルクスは指摘している。低い利子率は鉄道株の高騰を招き、その高騰を目当てに投機が盛んに行われてブームとなったわけである。
  ここで鉄道ブームについて詳述する必要は必ずしもないが、『恐慌史研究』(鈴木鴻一郎編、日本評論社1973.7.25)に詳しい説明があるので、少しだけ引用しておこう。

  〈すでに(18)45年の1月初から、既存路線の株式ばかりでなく新たに設立された暫定登録会社の仮株券が圧倒的な人気を博し始めていたが、2月頃までの状況は、前年以来の鉄道熱の継続とみうる性格のものだったことが知られている。鉄道株市場が急速に投機的な色彩を強めたのは三月以降のことであって「小金を貯めた年配の男女、あらゆる種類のトレード・メン、年金生活者、専門的職業人、貿易商、地方の田紳達」あるいは「召使、下僕、執事から有爵の老嬢や教会の高僧までのすべての階層とすべての職業」にわたる多数の投資家達が、たんなる高配当の期待だけでなく、株式の転売による利得の可能性をめざして、市場に殺到し始めたのである。『エコノミスト』がいち早く注目しているように、じゅうらい証券投資の慣行をまったく持たなかったこれら中小の投資家が大量に登場し始めた点は、その資金調達源としての規模を別とすれば、イギリス資本市場にとって画期的な新事態をなすものだったといわなければならない。以前には1〜2日ですんでいた定期取引の決済に1週間を要するほどの、取引所内部における大膨張が見られたばかりでなく、取引所外部のコーヒー店その他で多数の非加盟ブローカーを交えた売買契約がとり行なわれることとなったのであって、シティにおける熱狂の異常な様相にかんする記述については、枚挙にいとまがない。しかも雑多な投資家が全国各地に登場したことから容易に推測されるように、ロンドン以外の地方証券取引所がこのブームを契機にして急激な勃興を見て、「1万ないし2万以上の人口を有するほとんどすべての町に株式ブローカーの常設機関が出現した」といわれるほどとなったのである。なかでもリヴァプール・マンチェスター・リーズ・ブリストル、さらにはグラスゴー・エディンバラ・ダブリン等の取引所における鉄道株式投資は、ロンドンにまさるともおとらぬ規模をもっていたことが確認されている。〉(185頁)
  (ここで「仮株券」というのは、鉄道建設の計画段階のもので、将来株式の払い込みを約定する手続きをしただけで発行されるもので、後に計画が法的認可を受けたあと、本株券への転換を約束したものである。しかしにも関わらず、計画がまだ政府の認可を受けられるかどうかも分からない段階で、これにプレミアがついて売買されたのである。--引用者)

  ただマルクスは〈利子率(バンク・レート)は,1844年10月16日に,やっと3%に引き上げられた〉と述べているが、上記の著書に掲載されている統計表(290頁)によるとバンクレートは1841年5月から1842年2月までは5%、同5月から1844年8月までは4%、同11月から1845年11月まで2.5%となっている。】


【29】

 /297下/〔原注〕f)ラムジ,同前(206,207ページ。)〔原注f)終わり〕/

  ①〔注解〕ジョージ・ラムジ『富の分配に関する一論』,エディンバラ,ロンドン,1836年。〉 (233頁)

 【これも【27】パラグラフにおけるラムジからの引用の典拠を示すだけなので、平易な書き下しは省略した。【27】パラグラフの注解によれば、この部分も61-63草稿から採られているということである。実は、これは先に紹介したものの続きの部分である。だから、それも見ておくことにしよう(但し、今回も、ラムジの原文などMEGAや訳者によって付けられている注の類は煩雑になり、あまりにも引用が長くなりすぎるので、省略する)。

  純利潤(利子)の率については、R 〔ラムジ〕は次のように言っている、この率は、「一部には総利潤の率により、また一部には総利潤が利子と産業利潤とに分かれる割合によって定まる。この割合は、資本の貸し手と借り手との競争によって定まる。この競争は、実現が期待される総利潤の率によって影響されはするが、これによって完全に調整されるわけではない。そして、競争がただこの原因だけによって調整されるのではないというわけは、一方では、なんら生産的に充用する目的なしに借りる人々がたくさんいるからであり、他方では、国内の貸付可能な全資本の割合は総利潤のなんらかの変動にかかわりなくその国の富とともに変動するからである。」(206、207ページ)企業の利潤は資本の純利潤によって定まるのであって、後者が前者によって定まるのではない。」(204ページ〉 (草稿集⑧429頁)

  この最後の部分で、ラムジが言っていることも注目に値する。つまり企業の利潤は利子によって定まるのであって、後者が前者によって定まるのではないというのである。企業にとっては利子は所与であって、総利潤から利子が控除されたものが、企業の利潤をなすという関係もラムジによって正確にとらえられていることが分かる。】


第3部第5篇第22章「 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率」の草稿の段落ごとの解読(22-8)

【30】

 /297上/絶えず変動する市場率とは区別される,一国で支配的な利子の--利子率の--中位的な率または平均率は,どんな法則によっても全然規定することのできないものである。利子の自然的な率a natural rate of interest〕というものは,たとえば利潤の自然的な率〔a natural rate of profit〕または賃金の自然的な率〔a natural rate of wages〕が存在するというようなこういう仕方では,存在しない。g) 需要と供給との一致--平均利潤率を与えられたものとして前提して--はここでは全然なにも意味してはいない。ほかの場合にこの定式を頼りとするときには(そしてそのような場合,そうするのは実際にも正しいのであるが),それは,競争には左右されないでむしろ競争を規定する原則(規制する限界,または限界を画する大きさ〔the regulating limits,or the limiting magnitudes〕)を見いだすための定式なのである。ことに,競争の実際や競争の諸現象やそれらの運動から[436]発展する諸観念やにとらわれている人びとにとって,競争のなかで表われる経済的諸関係の内的な関連の一つの観念--たとえこれ自身また皮相な観念であるとはいえ--に到達するための定式なのである。それは,競争に伴う諸変動からこの諸限界に到達するための方法である。平均利子率の場合はそうではない。||298上|貸し手〔lenders〕と借り手〔borrowers〕とのあいだの中位の競争関係が,なぜ貨幣の貸し手に彼の資本にたいする3%とか4%とか5%とかの利子を与えることになるのか,あるいは,なぜそれ〔中位の競争関係〕が彼に,総利潤gross profitにたいするこの一定の百分比的分けまえを,総利潤〔gross profit〕のうちの20%とか50%とか,等々を与えることになるのか,その理由は全然ないのである。競争そのものが決定する場合には,規定はそれ自体として偶然的であり,純粋に経験的であって,ただ衒学または妄想だけがこの偶然性をなにか必然的なものとして説明しようとすることができるのである。a) 通貨と銀行業とに関する1857年と1858年の議会報告(タイトルは調べること)のなかでなによりもおもしろいのは,イングランド銀行の銀行理事やロンドンの銀行業者や地方の銀行業者〔Country Bankers〕や職業的理論家たちが,月並みな文句,たとえば,⑨⑩貸付可能な資本の使用にたいして支払われる価格は,そのような資本の供給につれて変動するはずだ」とか,「高い利子率と低い利潤率とは長きにわたってpermanently〕両立することはできない」とかいった文句や,その他このたぐいのきまり文句〔platitudes〕から一歩も出ることなしに,「生みだされた現実の〔利子〕率」についてあれこれとしゃべりまくっているのを聞くことである。b) 慣習,法律的伝統,等々が中位の利子率の規定に関係がある{この中位の利子率がただ平均数として存在するだけではなく実際の大きさとして存在するかぎりはそうである}のは,競争そのものがそれに関係があるのと同様である。それゆえこの件の考察は,競争の項目Abschnitt v.d.Conkurrenz〕で行なわれるべきことなのである。{中位[437]の利子率は,利子の計算を必要とするすでに多くの法律上の係争事件でも,適法に認められなければならない。}ところで,さらに,なぜ平均的なまたは中位の利子率の限界〔limits〕を一般的な諸法則から展開することはできないのか,と問う人があるならば,その答えは単純に利子の性質のうちにある。利子はただ平均利潤の一部分でしかない。同じ資本が二重の規定で現われるのである。すなわち,貸し手〔lenders〕の手のなかで貸付可能な資本〔1oanable Captial〕として現われ,機能資本家の手のなかでは産業資本または商業資本として現われるのである。しかし,それが機能するのはただ一度だけであり,それ自身で利潤を生みだすのはただ一度だけである。それの生産過程そのものでは,資本は貸付可能な資本としてはなんの役割も演じない。この利潤にたいする要求権をもつこの二人の人物がこれをどのように分けるかは,それ自体としては,一つの会社事業をもつさまざまの出資者が共同利潤の百分比的分けまえについて折り合いをつける場合と同じく,純粋に経験的な事実である。本質的に利潤率の規定の基礎となっている,剰余価値と労賃とのあいだの分割では,二つのまったく違った要素である労働能力と資本という函数が互いに限界づけ合っている。そして,それらの質的な区別から,生産された価値の量的な分割が出てくるのである。剰余価値が地代と利潤とに分割される場合にも同じことが生じるということは,あとでわかるであろう。利子の場合にはこのようなことはなにも生じない。いますぐに見るように,逆に,質的な分割が,剰余価値の同一の部分の純粋に量的な分割から出てくるのである。/

  ①〔異文〕「絶えず変動する市場率とは区別される」--書き加えられている。
  ②〔異文〕「さえ〔selbst〕」と書き加えたが,これを消している。
  ③〔異文〕「発展する」← 「形成される」
  ④〔異文〕「とらわれている人びとに」--書き加えられている。
  ⑤〔異文〕「総利潤のうちの」--書き加えられている。
  ⑥〔異文〕「ア・プリオリに」という書きかけが消されている。
  ⑦〔注解〕「通貨と銀行業とに関する1857年と1858年の議会報告」--『銀行法特別委員会報告…… 。1857年7月30日』,--『銀行法特別委員会報告…… 。1858年7月1日』。
  ⑧〔異文〕「月並みな文句,たとえば,」← 「……のような月並みな文句〔solche Gemeinplätze〕」
  ⑨〔注解〕マルクスがここで関説しているのは,『銀行法特別委員会報告……。1857年7月30日』でのサミュエル・ジョーンズ・ロイドの証言(359-360ページ)である。
  ⑩〔注解〕「貸付可能な資本の使用にたいして支払われる価格は,そのような資本の供給につれて変動するはずだ」--『銀行法特別委員会報告……』では次のようになっている。--「[第3855号]……資本の使用にたいする価格は,他のどんな商品の価格もそれの供給と需要との変動によって定まるのと同じようにして,決められるべきものです。」
  ⑪〔注解〕「高い利子率と低い利潤率とは長きにわたって両立することはできない」--『銀行法特別委員会報告……』では次のようになっている。--「[第3866号]私は,高い利子率と低い利潤率とは長きにわたって両立することはできないと思います。」
  ⑫〔注解〕「競争の項目」--〔MEGA II/4.2の〕178ページ18-25行への注解を見よ。〔この注解では次のように書かれている。--『経済学批判要綱』は「資本」という部のためのマルクスのプランを含んでおり,それは次の四つの篇に編制されるべきものだった:資本一般,競争,信用,株式資本(MEGA II/1.1の187ページおよび199ページを見よ)。--エンゲルスあてのマルクスの手紙,1858年4月2日。--カール・マルクス『経済学批判。第1分冊』をも見よ。所収:MEGA II/2,S.99,長年にわたる自己了解過程の中心にあったのは,一方では第1篇であり,純粋な姿態における価値および剰余価値についてのこの篇の論述は最終的には『資本論』に結実した。他方では平均利潤および生産価格の理論であって,『1861-1863年草稿』でのこの理論の仕上げは,なにをおいても,「資本一般」と資本の「現実の〔real〕」運動--競争と信用--とのあいだの徹底した分離をマルクスに放棄させることになった。この運動のうちの基本的な事柄は主著〔『資本論』〕に取り入れられ,それより具体的な事柄は,主著とは別のもろもろの特殊研究に留保されるべきものとなった。これらの特殊研究は書かれなかった。〕
  ⑬〔異文〕「〔……の〕一〔部分〕としての〔als eines〕」という書きかけが消されている。
  ⑭〔異文〕「資本は二重に現われる」という書きかけが消されている。
  ⑮〔異文〕「それの生産過程そのものでは,資本は貸付可能な資本としてはなんの役割も演じない。」--書き加えられている。
  ⑯〔異文〕「百分比的分けまえについて折り合いをつける」← 「百分比的分けまえへと分割する」
  ⑰〔異文〕「本質的に」--書き加えられている。
  ⑱〔異文〕「二つのまったく違った要素が……っている〔kommen zwei ganz verschiedne Elemente〕」という書きかけが消されている。〉 (233-238頁)

 〈(1)絶えず変動する市場率とは区別される、一国で支配的な利子(率)の中位的な率または平均率は、どんな法則によっても全然規定することのできないものです。利子の自然的な率というものは、例えば利潤の自然的な率または賃金の自然的な率が存在するというようなこういう仕方では、存在しないのです。平均利潤率が与えられたものと前提すれば、貨幣の貸し手と借り手とのあいだにおける需要と供給との一致というものは、ここでは全然なにも意味しないのです。
  (2)他の場合、こうした需給の一致という定式を頼りにするのは、それはそれで正しいのですが、それは、競争には左右されないでむしろ競争を規定する原則(規制する限界、または限界を画する大きさ)を見いだすための定式なのです。ことに、競争の実際や競争の諸現象やそれらの運動から発展する諸観念やにとらわれている人々にとって、競争のなかで表れる経済的諸関係の内的な関連の一つの観念に到達するための定式なのです。もっともその結果が、たとえこれ自身また皮相な観念であるとはいえです。それは、競争に伴う諸変動からこの諸限界に到達するための方法なのです。
  (3)しかし平均利子率の場合はそうではないのです。貸し手と借り手とのあいだの中位の競争関係が、なぜ貨幣の貸し手に彼の資本にたいする3%とか4%とか5%とかの利子を与えることになるのか、その理由は全然ないのです。同じことですが、なぜその中位の競争関係が彼に、総利潤にたいするこの一定の百分比的分け前を、総利潤のうちの20%とか50%とか、等々を与えることになるのかについても、その理由は全然ないのです。
  (4)競争そのものが決定する場合には、規定はそれ自体として偶然的であり、純粋に経験的であって、ただ衒学または妄想だけがこの偶然性をなにか必然的なものとして説明しようとすることができるのです。
  (5)通貨と銀行業とに関する1857年と1858年の議会報告のなかでなによりもおもしろいのは、イングランド銀行の銀行理事やロンドンの銀行業者や地方の銀行業者や職業的理論家たちが、次のような月並みな文句をしゃべりまくっていることを聞くことです。例えば「貸付可能な資本の使用にたいして支払われる価格は,そのような資本の供給につれて変動するはずだ」とか「高い利子率と低い利潤率とは長きにわたって両立することはできない」とかいった文句や,その他このたぐいのきまり文句から一歩も出ることなしに,「生みだされた現実の〔利子〕率」についてあれこれとしゃべりまくっていることです。
  (6)習慣や法律的伝統、等々が中位の利子率の規定に関係があるのは、競争そのものがそれに関係あるのと同様です。この中位の利子率がただ平均数として存在するだけではなく実際の大きさとして存在するかぎりではそうなのです。しかしだからこそ、この問題の考察は、競争の項目で行われるべきことです。{そして実際問題として、中位の利子率は、利子の計算を必要とするすでに多くの法律上の係争事件でも、適法に認められなければならないのです。}
  (7)ところで、もしさらに、なぜ平均的なまたは中位の利子率の限界を一般的な諸法則から展開することはできないのか、と問う人があるならば、単純にそれは利子の性質のうちにあると答えなければなりません。利子はただ平均利潤の一部でしかありません。ここでは同じ資本が二重の規定で現れるのです。すなわち、貸し手のなかで貸付可能な資本として現れ、機能資本家の手のなかでは産業資本または商業資本として現れます。しかし、それが機能するのはただ一度だけです。それ自身が利潤を生み出すのもただ一度だけです。そして生産過程そのものでは、資本は貸付可能な資本としては何の役割も演じないのです。利潤にたいする要求権を持つこの二人の人物がこれをどのように分けるかは、それ自体としては、一つの会社事業をもつさまざまな出資者が共同的利潤の百分比的分け前について折り合いをつける場合と同じく、純粋に経験的な事実なのです。
  (8)本質的に利潤率の規定の基礎となっている、剰余価値と労賃とのあいだの分割では、二つのまったく違った要素である労働能力と資本という函数が互いに限界付けあっています。そして、それらの質的な区別から、生産された価値の量的な分割が出てくるのです。剰余価値が地代と利潤とに分割される場合にも同じことが生じるということはあとでわかるでしょう。しかし利子の場合にはこのようなことはなにも生じないのです。いますぐ見ますように、逆に、質的な分割が、剰余価値の同一の部分の純粋に量的な分割から出てくるのです。 〉

 【このパラグラフは非常に長いのであるが、内容的には幾つかにわけることができそうである。平易な書き下し文ではそうした意図のもとに改行を入れておいた。それぞれの部分に番号を打って、その内容を吟味しておこう。
  (1)まずここでは一国の支配的な利子の中位的な平均率というようなものは、どんな法則によっても全然規定することのできないものだと指摘されている。そしてこの点で、利潤の自然率とか賃金の自然率というようなものと同じような意味で利子の自然率というようなものは存在しないのだと主張されている。つまりここでは需要と供給の一致というようものは全然なにも意味していないというのである。
  (2)そしてこの需給の一致というものは、他の場合は、われわれが競争に作用されないで、むしろ競争を規定する原則を見いだすために必要な定式なのであり、そうした競争のなかでさまざまな諸観念に捕らわれている人たちに、その内的な関連を示すための、あるいはそうしたものに到達するための方法でもあるという説明がある。
  (3)しかし平均利子率の場合には、まったくそうした定式は意味がないと指摘する。つまり貸し手と借り手とのあいだの中位の競争関係というものが、利子が何%になるとか、あるいは利潤のうちの何%を利子として支払う必要があるということを規制するわけではないと述べている
  (4)次ぎにこれは一般的な形で、競争そのものが決定する場合には、規定はそれ自体として偶然的であり、純粋に経験的なものだ、との指摘がある。だからそれを何か必然的なものとして説明するのは、ただ衒学的な馬鹿話か妄想だけだ、と。
  (5)次はやや話は変わって、そうした実際に衒学的な馬鹿話の例として、議会報告の紹介がされている。
  (6)ここでは習慣や法律的な伝統などが、中位の利子率の規定に関係することがあるという場合について述べている。これは例えば法律上の係争事件で、損害賠償金の計算の時に、一定の利子率にもとづいて計算する必要があるが、そうした利子率のことであろう。しかしこうした問題は競争の項目で考察されるべきだと指摘されている。
  (7)ここからはどうして平均的なまたは中位の利子率の限界を一般的な法則から展開することはできないのか、その理由が説明されている。それはまず利子の性質のうちにその理由があるとされている。利子は平均利潤の一部でしかないこと、しかし同じ資本が二重の規定として現れること、一つは貸付資本、もう一つは産業資本あるいは商業資本である。
しかしそれは実際に利潤を生むのはただ一度だけであり、それが生産過程にあるときである。しかし生産過程にあるときには、貸付可能な資本としては何の役割も演じないこと、だからこの生産される利潤にたいする要求権をもつ二人の人物がこれをどのように分けるかは、純粋に経験的な事実なのだと説明されている。
  (8)次ぎに、ここでは利潤率の規定は、剰余価値と労賃とに、生産された価値が分割されることから決まるが、この分割はまったく違った要素として互いに限界付けあっていること。つまり質的な区別から、その量的な分割が出てくるのだが(そしてそれは地代と利潤との分割にもいいうるが)、利子の場合にはこのようなことはなにも生じない。むしろ質的な分割が、量的な分割から出てくるとの指摘がある。

  ところで注解⑫は「競争の項目」についての長い説明がある。この注解そのものは別の注解を見よという指示だけだが、大谷氏によるその参照指示された注解の長い紹介がある。
  この注解の主旨は、要するにここでマルクスが〈それゆえこの件の考察は,競争の項目Abschnitt v.d.Conkurrenz〕で行なわれるべきことなのである〉と述べている「競争の項目」とは、最終的には『資本論』が対象としたものとは別に考えられていた、〈もろもろの特殊研究に留保されるべきものとなった〉ものを指しているのだ、ということである。
  それを説明するために『経済学批判要綱』当時のプランからその変遷を説明して、最終的には当初のプランの「資本一般」が「資本の一般的分析」(『資本論』)へと変遷する過程で、「資本一般」と区別されていた「競争」「信用」「株式資本」などの一部は、「資本の一般的分析」(『資本論』)の中に取り入れられ、それ以外ものはそれぞれの特殊研究として保留されたということである。こうしたプランの変遷過程については大谷氏によって何度も考察されているが、それは佐藤金三郎氏が最初に主張されたことだと大谷氏も指摘している。そこで参考のために大谷氏の生前最後の著書となった『資本論草稿にマルクスの苦闘を読む』に所収された「第13章 書評・佐藤金三郎著『『資本論』研究序説』」から関連する部分を紹介しておこう。

  〈第1部冒頭の「「経済学批判」体系と『資本論』」(1954年)は,『経済学批判要綱』の考証的検討を通じて「プラン問題」に独自の見解を示して論議のその後の流れにきわめて大きな影響を与え,また『資本論』形成史研究と呼ばれる領域を新たに切り開いたものであった。それまでほぼ通説であった久留間鮫造氏に代表される『資本論』=「資本一般」説にたいして,著者の新見解は,『資本論』は依然として「資本一般」ではあるが,「資本一般」の内容は著しく拡充され,「競争」・「信用」・「土地所有」・「賃労働」の諸考察は,「資本一般」としての『資本論』に取り入れられたそれらの基本規定と,『資本論』の外に残されているそれらの「特殊研究」とに「両極分解」した,というものであった。
  著者はその後も研究を重ね,最後のシンポジウム報告(1987年)でその到達点を公開した。そこでは著者は,「両極分解」説を維持したうえで,『資本論』を「資本一般」だとしていた点については,『要綱』ののち「資本一般」の意味がしだいに変わっていった結果,この概念そのものが使われなくなったとし,『資本論』は「資本の一般的分析」と特徴づけられるべきだ,と述べている。当初プランで「資本の一般的分析」に当たるのは,第1篇「資本一般」だけではない。第1部「資本」全体,さらに3大階級の経済的基礎の分析が完了するはずの前半3部もそう見ることができる。だから著者はここで,「『資本論』は「資本一般」ではないと言ったほうがいい」と言い切ったのである。こうしてプラン問題について著者が最後に到達したのは,事実上,当初の「経済学批判」体系は,「競争」~ 「賃労働」の諸項目の「両極分解」を経て,「資本の一般的分析」としての『資本論』に終わった,というプラン「変更説」であった。
  評者(大谷--引用者)はこの結論に同意する。そのうえで,著者のこの結論の含意は,さらに次のように明示されるべきだと考える。すなわち,当初の「資本一般」とは,「多数の諸資本」を捨象した「一つの資本」,「国民的資本」,「社会的資本」という,分析対象の一般性の規定であって,その分析ののちに「多数の諸資本」を前提した諸分析がなされてはじめて「資本の一般的分析」として完了しうるはずのものであったが,それにたいして,「資本の一般的分析」とは,資本の「特殊的分析」・「特殊研究」にたいするもの,すなわち分析・研究の一般性の規定であって,『資本論』は「資本の一般的分析」として完結すべき性格のものであった,ということである。(以下、略)〉(567-568頁)】



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