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目次

a man with NO mission ④

 

31 階段落ち(1044字)
32 箱(231字)
33 ペットボトルの蓋(1504字)
34 陳列棚(2149字)
35 心に残る作品(556字)
36 行方不明(540字)
37 失敗三(633字)
38 拉致(アブダクション)(1091字)
39 更地(584字)
40 遊園地(1111字)

 

イラスト・いぬ36号


31 階段落ち

31 階段落ち

男は下り階段の最初の段で足を踏み外し、前のめりになって転げ落ちはじめた。三階から一階へとぶち抜きで続く、デパート正面の豪奢な長い階段だった。

 

一度転がり出したが最後、途中でとまることはできなかった。男は階段の角に体中を打ちつけながら速度を上げて転がり落ちていった。

 

無傷で済むはずがなかった。まず最初に頬骨が折れた。すぐあとに左肘の関節が砕け、続けて右足の脛が折れた。

 

踏ん張ろうとしたせいで余計に弾みがつき、少し浮き上がったあと腰骨を強く打ちつけた。体の中でそれがひび割れる音が響いた。

 

指の骨も何本か駄目になった。実際に何本折れたか、転がりながら数えることはできなかった。そうこうしているうちにも、頭蓋骨が陥没し、膝のお皿が真っ二つに割れた。

 

階段はまだ半分残っていた。不幸中の幸いは、痛みを感じる暇もなかったということだった。無事なところは全身のどこにもなかった。

 

男はちょっと足を滑らせたくらいで情けないと心のどこかで己を笑う余裕があったが、首がありえない方向にねじれて自分の背中が見えるようになるといよいよそうも言ってられなくなった。

 

それに、こんなにやかましい音を立てて落ちていたらみんなの注目の的にもなってしまう。男は晒し者にはなりたくなかった。

 

その心配には及ばなかった。

 

男は下から五段目で大きく跳ねると、弧を描くようにして宙を舞い、頭のてっぺんから一階フロアに着地した。

 

着地の衝撃が頭から胴体を伝って、最後に足先がぷるぷると震えた。男の意識はその衝撃波のうちにかき消えたのだった。

 

頭で倒立した男の体は、体操選手のようにその状態で一瞬静止し、客や販売員などその場に居合わせた人々がはっと息を飲んだあとゆっくり傾いていった。

 

誰も一歩も動けなかった。男の体は根元から折れた塔のように横ざまに倒れ、フロア中に大きな音を響かせた。

 

一拍おいて、人々が一斉に男を取り囲んだが、誰もその傷だらけの体に触れようとするものはいなかった。

 

どこからともなくデパートの支配人が現れ、輪の中心に割って入った。

 

「お買い物中のみなさま、大変お騒がせしております。はっはっは、ときどきあるんですよ。ドジなお客様がいらっしゃいましてね。あとはこちらで対処いたしますので、みなさま、引き続きお買い物をお楽しみください」

 

支配人がぱちんと指を鳴らすと、脇からディスプレイ用の大きな布を持った販売員が二人現れた。販売員たちは、その大きな布をすっぽりと男に被せた。

 

人々は散り散りになって買い物に戻っていった。デパートに平和が戻った。

 

 

 


32 箱

32 箱

男は前に進もうとした。何か見えない壁に阻まれて一歩も前に行けなかった。

 

右に行こうとしても左に行こうとしても、見えない壁が立ちはだかっていた。

 

来た道を戻ろうと後ろに下がった。いつの間にか後ろも行き止まりになっていた。

 

考えあぐねた末、男はその場で軽くジャンプしてみた。見えない天井があって頭をぶつけた。

 

いつの間にか狭い箱のような空間に閉じ込められていたのだった。足元を探ってみたが、どんな抜け道もなかった。

 

あとは死を待つだけだった。もう死んでいるのかもしれなかった。

 

 

 


33 ペットボトルの蓋

33 ペットボトルの蓋

男はペットボトルの蓋が落ちているのを見つけると後先考えずに拾う癖があった。拾った蓋は家に持ち帰って集めていた。

 

なぜと訊かれても答えようがなかった。しいて言えば何かに使えそうな気がするからだったが、その「何か」とは何なのか、分かっているわけではなかった。

 

男は蓋を拾うと決まって上着のポケットにしまい込んだ。一つ増えるたびに、布地の上からぽんと叩いては感触を確かめた。一日に五つ以上拾うと何かいいことが起きるような予感がするのだった。

 

「蓋です。ペットボトルの蓋。キャップと言ったりもしますね。今日はもう四つも拾いました」

 

男は頼まれもしないのにその日の成果を報告することがあった。

 

一日がかりで出かけたのに一つも見つけられないときには、がっくりと落ち込んだ。そんなときは、せめて一つ見つけるまでと夜遅くまで近所を蟻のように歩き回るのだった。

 

当然のごとく、男の部屋はペットボトルの蓋で溢れることとなった。あるとき、男はうず高く積み上げられた蓋を見てひらめいた。

 

この蓋で家を作ろう。

 

男はさっそく仕事に取りかかった。ペットボトルの蓋は今やただの蓋ではなかった。それは大きな仕事を成し遂げるために必要な部品だった。

 

男は今まで以上に真剣に蓋集めに精を出した。集めた蓋はきちんと水洗いし、色ごとに分けてかごに納めた。

 

休日になると、近くの広場で時間を忘れて家作りに取り組んだ。設計図は書かなかったが、頭の中には完成したときのイメージがはっきりとあった。

 

男はあくまで蓋だけで作ることにこだわった。タイル貼りのように、モルタルの下地にペットボトルの蓋を押しつけていくというやり方は邪道に思えた。

 

男のやり方は、蓋に錐で穴を開け、ワイヤーを通して繋ぎ合わせていくというものだった。どうしても必要な箇所でのみ接着剤を使った。

 

蓋に穴を開けていくのは途方もなく手間のかかる作業だったが、男は幼い頃に熱中したパズルのように蓋を使った家作りに熱中した。

 

三ヶ月後、ようやく家が完成した。

 

一般の住宅よりは一回り小さいが、人が中で過ごすのに十分な大きさのある二階建ての家ができあがった。

 

家具やベッドも家と一体化するようにして作ってあった。制作途中から自ら住むことを考えるようになり、臨機応変に形を変えていったのだ。

 

男は一階と二階を行ったり来たりし、表に出て外観をとっくり眺めたりしながら、この家に移り住む決心を固めた。

 

その夜、関東地方にその年はじめてとなる超大型の台風が上陸した。

 

男は完成した家を木にくくりつけるために慌てて広場に向かった。一足遅かった。家は男の目の前で強烈な風に吹き飛ばされた。

 

ペットボトルの蓋でできた家は軽く、家の形のまま空高くに巻きあげられた。追い打ちとなる強風が吹きつけると、家は近隣の高層マンションの壁にぶつかって空中で分解した。

 

ワイヤーがちぎれ、ばらばらになったペットボトルの蓋は、むなしく風にさらわれていった。

 

あっという間の出来事だった。嵐はますます強まり、男は広場にある子供用の遊具の中に避難した。

 

一夜明け、男は重い体を引きずるようにして遊具から出た。風はすっかり収まっていた。家を作る夢はまだあきらめてなかったが、一からやり直しかと思うと気が遠くなる思いだった。

 

ふと見ると、広場のあちこちにペットボトルの蓋が落ちていた。家を作るのに使ったのとは別物だった。強風でどこからともなく飛ばされてきたのだ。

男は気落ちしながらも一つ、また一つと拾ってはポケットにしまっていった。上着のポケットはすぐに右も左もいっぱいになった。

 

近くの通りに出てみると、蓋はまだいくらでも落ちていた。男はポケットをぽんと叩き、思わず顔をほころばせた。

 

 

 


34 陳列棚

34 陳列棚

道を歩いていると、通りの反対側にドラッグストアがあった。男はその店の軒先に出ている商品の陳列が一箇所、棚ごと大きくずれていることに気がついた。

 

その陳列棚は高いところに洗剤や何かがこんもり山積みになっていて、子供の上に倒れでもしたら大変なことになりそうだった。

 

男は車が途切れたのを見計らって通りを渡り、小走りで店に向かった。

 

網かごが三段重ねになったキャスター付きのラックだった。

 

一番上のかごに入っていたのは袋タイプの詰め替え用液体洗剤で、容量が1キロ近くあった。中段はスナック菓子、下段には徳用の使い捨てカイロが入っていた。

 

どう見てもバランスが悪く、中身を入れ換えた方がよさそうだった。

 

幸い、ラックはかごごと引き出せるタイプだった。男は辺りに誰もいないことを見てとると、ささっとやってしまうことにした。

 

まず一番上の液体洗剤のかごを取り出し、いったん地面によけた。次に、一番軽いスナック菓子のかごを中段から取り出して上段に移動した。

 

あとは下段の使い捨てカイロを中段に移動し、洗剤を下段に入れるだけだった。そうすれば下に行くにしたがって順に重くなり、ずっと安定する。

 

「ちょっと」顔を覗かせた店員が男の行為を見咎めて声をかけてきた。「あんた、何してんの」

 

「あの、これ、ちょっと入れ換えようと思って……」男はちょうど引き出したスナック菓子のかごを抱え持ったままどぎまぎして言った。

 

「は? なんで?」店員は不審そうに言いながら外に出てきた。

 

「ずれてたので」

 

「ずれてた」店員はおうむ返しに言った。

 

「それで道路渡って」男は自分が来た方向を手振りで示した。

 

店員はそちらをちらりと振り返り、改めて男に問い詰めるような眼差しを向けた。

 

「ずれてたから、危ないと思って」男は詳しく説明する必要を感じて言った。

 

「ずれてたって何が」

 

「こいつです」

 

男はちょうど手がふさがっていたので、つま先で陳列棚をちょんとつついた。それからすぐにその言い方は失礼だと気がつき、抱え持っていたかごごと棚を示して言い直した。

 

「これです」

 

幸いと言うべきか、その陳列棚はまだはみ出したままの状態になっていた。

店員は、それが元からずれていたのか、男が故意にずらしたのか、見極めるようにして棚と男を交互に見た。

 

「ぼくじゃないですよ」

 

男は疑われていると感じ、あわてて否定した。

 

店員はぼんやりうなずいたものの、あまり信じている様子はなかった。

 

「倒れたりしたら、子供とか」

 

「子供なんかいませんよ」店員は冷ややかに言った。

 

「いや、もしいたら……」言いかけて、男は自分が抱え持っているものにふと目を落とした。

 

それは店の商品だった。よく見れば、男の好きなポテトチップスのコンソメ味だ。液体洗剤の入ったかごもまだ地面に置きっぱなしになっていた。これでは物盗りのように思われても仕方なかった。

 

「違いますよ。違います」男は釈明した。

 

「何が」

 

「これは、上が重いと思って。倒れたら子供とか危ないし……」

 

「いないんで、子供」店員は強い口調になってさえぎった。

 

「そうなんですけど……」男はごにょごにょと言った。

 

「勝手に入れ替えられたら困るんですけどね」店員は男にまともな理由がないのを見て取ると、わざとらしく口調を変えて詰め寄ってきた。「警察呼びますか」

 

「あの、いえ、すいません」

 

男はおとなしく非を認めた。棚がずれていたことはともかく、中身を勝手に入れ換えようとしたのは間違いだった。自分は店のスタッフでも何でもないのだ。

 

「元に戻しますか?」男は下手に出て言った。

 

店員は、言われなきゃ分からないのかよとでも言うように、これ見よがしなため息をついた。

 

それでもなお、男は己の気がかりを振り払えなかった。

 

「でも、子供とか……」

 

「いねぇんだよ」

 

「やります」

 

男はすごすごと引き下がり、かごを元通りに戻した。

 

上段が液体洗剤、中段がポテトチップス、下段が徳用の使い捨てカイロ。どう考えてもバランスが悪かったが、もうどうしようもなかった。

 

店員に見張られながら、男はまるで使えないバイトになったような気分で棚を壁沿いに納めた。

 

少なくとも棚がずれているのを直したことだけは自分の手柄だった。男はほんの少しだけ自尊心を回復して店員を見た。心のどこかで一言礼を言ってもらえるものと期待していた。

 

「ストッパー」店員は不機嫌そうに言った。

 

「え?」男は何のことか分からなかった。

 

店員はむすっとしたまま棚の足元を指さした。

 

それでようやくキャスターの部分にストッパーがついていることに気がついた。それを効かせれば棚は動かなくなるのだ。

 

男は言われるままにストッパーを踏み込んだ。キャスターがしっかりとロックされる手応えがあった。

 

もともと棚がずれたのは店の人がこれをやり忘れたからだと気がつき、男は同意を得ようとして今一度店員を見た。

 

だが、店員は男が規律を乱す不届き者と決めてかかるような目で男を見ていた。

 

男は自分の発見を共有したかったが、何を言っても無駄だろうと出かかった言葉を飲み込んだ。そろそろ立ち去る頃合いだった。

 

男はぎこちなく頭を下げると、もと来た道を戻っていった。

 

通りを横断するときにちらりと振り返ると、店員はまだじっとこちらを見ていた。ドラッグストアが完全に視界の外に消えるまで、男は店員の視線を感じ続けた。

 

 

 



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