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第2章

第2章 岩石論

第1節 古生紀界の水成岩 

(一)珪岩 枝幸砂金地に発達する珪岩は角岩、珪岩、赤色珪岩の三種で、この区別は明瞭である。角岩は牛角色で緻密、断面は貝殻状で裂面は不明瞭である。珪岩は白色、黒色、灰色で緻密な結晶組織を持つが、断面は平坦でなく裂面は平行六面体的である。赤色珪岩は、組織、断面、裂面は珪岩と同じだが、赤色又は血色なのは酸化鉄の含有によると思われる。 

(二)石灰岩 白色、時に黒色で緻密な結晶質組織を持ち化石を含まない。 

(三)砂岩 灰褐色で非常に硬く、層面は不明瞭で種々の方向に裂面がある。長石、石英粒で構成され、斜長石や風信子、黒雲母を含むことがある。 

(四)粘板岩 黒色で薄く剥げやすく炭質の微粒を存することがある。化石を含まない。

(五)輝緑凝灰岩 外見によって三種に大別できる。 

・緑色で剥げやすい輝緑凝灰岩 緑色又は緑灰色で組織は緻密。無色鉱物と緑泥石質の繊維を含み、磁鉄鉱や輝石粒を含むことがある。 

・緑色で塊状の輝緑凝灰岩 緑色又は青緑色の岩石で、硬い塊状組織を持ち裂面は不明。現地では輝緑凝灰岩質の火山噴出物の堆積による凝灰岩が存するが、その大部分は輝緑岩の岩片から成る。 

・赤色輝緑凝灰岩 赤色又は血色で時に赤紫色である。組織は緻密で剥げやすく、輝緑凝灰岩で見た微粒の不明鉱物と酸化鉄、磁鉄鉱を含む。 

第2節 古火成岩 

 古火成岩は古生層中に岩脈で存し組織は深成岩的である。これは火成岩が噴出した当時、そこが深海の海底であったためであろう。この火成岩は塩基性で、輝緑岩、斑糲岩の類に属するが、それぞれの岩石については次のとおりである。 

(一)輝緑岩 緑色で塊状の硬い岩石で、斜長石は多殻構造がなく新鮮で、高陵土に分解すると言われている。輝石は無色や淡褐色で大抵新鮮である。分解すれば緑色の角閃石に変わるが、輝石は蛇紋岩に変ずると言われている。斜長石輝石の他に不透明な黒色鉱物の粗粒が存在する。これはチタン鉄鉱か、時として方解石も存在する。 

(二)角閃輝緑岩 外見は輝緑岩と同じ、この石は斜長石と角閃岩からなり、斜長石は角閃岩よりも早く凝固した様で、雲母類に分解する。角閃石は新鮮で淡黄褐色、褐緑色、緑青色で副産物としてチタン鉱が存する。 

(三)輝緑小紋岩 外見は輝緑岩と同じ。斜長石は拍子木形で多殻構造はなく、双晶個体の数は少ない。輝石は無色粒状で磁鉄鉱が存する。輝緑小紋岩が分解すると斜長石は高陵土に変化し、輝石は緑泥石に変化する。 

(四)橄欖岩 緑灰色の粗粒の岩石で各粒は輝いている。全晶質粒状組織で異剥石と橄欖石から成る。磁鉄鉱と無色鉱物の微粒を含む。異剥石は新鮮だが、橄欖石は分解して緑黄色の蛇紋石と磁鉄鉱粒になる。 

(五)蛇紋岩 蛇紋岩は暗緑色又は緑黒色で脆い。蛇紋石中にはクロム鉄鉱の塊を発見することがある。 

第3節 新火山岩 

(一)流紋岩 白色又は淡灰色の荒れた岩石で班状組織を示す。石英は大粒のため、周囲が損触している。正長石は結晶形が正しく、包含物は乏しいが気泡を有する。有色鉱物の班晶は欠如しており磁鉄鉱が存する。 

(二)富士岩(安山岩) 角閃富士岩 青色を帯びた黒色で岩肌は粗い。顕微鏡下では班状組織を示し、双晶個体は10に及ぶ。ビトウナイトと思われる淡褐色の鉱物を包含する。角閃岩は分解し緑色の蛇紋岩となり、磁鉄鉱が存在する。 

斜方輝石富士岩 黒色の緻密な岩石で、鏡下では班状組織を示す。斜長石は多殻構造不明瞭で双晶個体はビトウナイト、アノルサイトと思われる。針晶、磁鉄鉱、輝石、波瑠を包含する。輝石は斜長輝石に属し、淡褐色より淡緑色に移行する。 

両輝石富士岩 外見は前者に酷似、異なる所は班晶として緑色の輝石を有する事と、石基中に粒状微晶と斜長石の短冊形を有する事である。 

普通輝石富士岩 外見は前者に酷似、鏡下では班状組織を示す。斜長石は前者に同じ輝石は緑色で時に褐色を帯びる。磁鉄鉱、斜長石、波瑠を包含する。磁鉄鉱も班晶として存する。石基は波瑠状で棒状の微晶を含有し、毛状微晶も含有する。 

第4節 貫入岩 

 ペイチャン支流ニセイケショマプ、ケマモナイ本流ソートルオマナイ合点の安山岩中に貫入岩の露出があり、これは小紋岩である。岩石学上の成分から安山岩類と同一の岩脈と思われる。 

輝石小紋岩 黒色緻密で、鏡下では班状組織を示す。斜長石は多殻構造がなく、双晶は2~4位、ビトウナイトかアノルサイトだろう。輝石、磁鉄鉱、波瑠を包含する。斜方輝石は少量存するが色は淡く包含物は普通輝石と同じ、磁鉄鉱も班晶として存する。石基はピロタキシチック組織をなす。


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最終更新日 : 2019-06-26 20:28:08

第3章

第3章 地盤構造論及び地相論 

第1節 地盤の構造による岩石分類 

地盤の構造によって岩石を分類すると次のとおり。 

(一)古生紀界に属する水成岩及び古火山岩

(二)中生紀界に属する水成岩 

(三)新生紀界に属する水成岩及び古火山岩 

しかし(二)は私の調査区域の西南に僅かに発達するもので、これだけではその地盤構造をあきらかにすることはできない。中生紀界の水成岩は本文中の主眼である砂金に関し直接の関係は無いため、地盤構造論では中生紀界を除き古生紀界のものと新生紀界のものの二類のみを論ずる。地盤構造の大要は古生紀界に属するものはいわゆる褶曲山脈を作り新生記界は大抵水平である。これは両者の間の地盤構造を異にするところである。 

第2節 古生紀界の地盤構造 

第1項 古生紀の歴史 

 地質成層論において、古生紀界をペイチャン層、パンケナイ層、オネンカラマプ層とした。この区別は成層上の区別のみに止まらずその当時の地質学的状況の別を暗示している。すなわちペイチャン層の岩石に輝緑凝灰岩が多いのは、ペイチャン層の時代に輝緑岩の火山の噴出が盛んであったことを示し、パンケナイ層の時代には輝緑岩の噴出は全く衰え平和な時代となった。しかし、オネンカラマプ層時代に再び輝緑岩の火山の噴出が盛んになったということである。古生紀はこの様な歴史を進み、その間に種々の物質は海底に沈積して今日見る種々の岩石を構成した。古生紀には火山の噴火が盛んな時代や衰えて平和な時代もあり、その間に地盤変動が無かったが、これは古生紀界層の不整合が無いことにより知るべきである。 

第2項 地盤の大変動 

 古生紀を過ぎ地盤に大変動が起きた。この時の変動は枝幸のみに止まらず、日本全体を通じてその変動を受けたものである。日本外帯の山骨を構成する古生層の褶曲山脈は、皆この時の変動によって生じたものであり、枝幸もこの褶曲山脈の一端である。枝幸ではこの時に西又は西北からの圧力を受け南北又は東北に走向する褶曲山脈を作った。この横断は地殻を破壊して褶曲山脈を作ると同時に多くの断層を生じさせ、自然断層の方向と破裂した地層の層向は褶曲山脈と同じなのである。この変動のため水平だった古生紀の岩石は複雑な構造となり、中央に一大背斜層を生じ単一の褶曲山脈を作った。このため今日その大背斜層に沿って山脈の中央にペイチャン層が露出し、その両側に上位の層を現出するに至った。この背斜層の軸は枝幸砂金地の最高峰ポロヌプリ山を通過するので、私はこれをポロヌプリ背斜層と名付けた。 

第3項 含金石英脈の生成 

 地殻の横断は褶曲山脈を構造するが、褶曲の結果その最も屈曲した部分には多くの亀裂を生じる。この亀裂は屈曲が極に達して生じたものなので、その亀裂の向きは常に地層と同じで亀裂の面は常に地層面と直角である。この亀裂は多数が平行に生じ、そのおのおののは長く続かず大抵10尺~5、60尺である。この亀裂中に石英が温泉作用により沈殿し石英脈を生じる。この石英と共に自然金の沈殿がある。これは金銀脈の生成である。含金脈はこの様にして生じるが、亀裂の多く生じるところは、地層が多く屈曲し引き延ばされるところであり、地層が曲がり引き延ばされるところはすなわち背斜層中で、含金脈はこのポロヌプリ背斜軸に沿う所に最も多く発見されるのである。 

第3節 新生紀界の地盤構造 

第1項 第三紀の頁岩類の堆積 

 第三紀の海底に堆積するのは礫層であり、その礫の材料はその当時も山地の古生岩の岩片である。この礫層は礫岩となり、パンケナイの中流や下流に見られる。この礫岩は古生紀の岩石山地の東南に発展する。土と砂とは古生岩の山地の東方の海や西方の海に堆積し、今日見る頁岩砂岩を作った。貝化石について、東方に少なく西方に多いのは第三紀当時も東方はオホーツク海の波で洗われ、西方は枝幸の古生層の山地とトーウンベツやサルブツ地方の中生層の山地との間が湾だったからと思われる。貝類は東方の荒い海よりも西方の静かな湾に多く住んでいたからである。 

第2項 火山噴出 

 第三紀の末期に新火山岩の噴出が起こった。これらの灰は東方の海底に堆積し、頁岩の上に整合して凝灰岩を作った。そしてその上に火山岩は溶岩として流出したのである。火山の噴出に際し新火山岩の一つである富士岩の岩漿は周囲の地盤の割れ目に侵入して岩脈を作ったがニセイケショマプやケマモナイの岩脈はこれに属する。 

第3項 洪積世における地盤上昇 

 洪積世の初めに地盤の上昇があった。第三紀層及び新火山岩によって構造された地盤は水平な層形で静かに上昇し、大きな面積の陸地が生じた。その当時もトーウンベツ川の川口付近であったトーウツベツ原野及びポロベツ川口付近の地は湾の形をして海として存在していた。ポロベツ原野の西部イタオマナイ川口の近くにあるポロペツ川のニセイクより西部に入り江の形をして海として存在する。 

第4項 現世における地盤上昇 

 現世に至り土地は上昇し、トーウンベツ原野、ポロベツ原野の西部は陸となり、第四紀層の地盤を作った。 

第4節 現今の地層 

 世に削剥作用が無ければ、地相は常に作られたままで変わる事がないのだが、削剥作用は一瞬も絶えることなく地相は日々新たな形を我々に示す事になる。 

古生岩よりなる地の地相 古生岩の山地は山と谷の関係によって三つの区域に分けることができる。東部、中部、西部である。中部では谷の方向は地層の向きに一致している。この様な地相を仮に中帯式と呼ぶ。東部と西部は谷の方向は地層の走向に直角で、この様な状態を仮に側帯式と言う。枝幸の古生岩の山地は一つの背斜軸を有する単一の褶曲山脈であり、初めてできた当時は単純な山であった。この様な山が段々と削剥され、谷がどの様に変化したのかを考えると、山によって谷の方向が異なるのである。元々枝幸の古生岩は塊状の輝緑岩質凝灰岩、輝緑岩や珪岩に富むが、これらの岩石は水蝕に対する抵抗力が強い。このためこの山地の地貌はこれらの岩石のため峻険な姿を現すのである。山は一般に急な山側を持ち、尖る山頂を持っているが、谷は深く刻まれるのである。しかし、谷が粘板岩地帯を流れるときはやや開けることが多く、輝緑岩や珪岩中を流れるときは両岸絶壁を作ることが多い。 

第三紀層より成る地の地相 第三紀層は地盤構造上から考えると、古生岩の山地の両側に平らで広く存在する。そして岩石は柔らかいので速く水蝕を受け当時の地相を止めていない。古生岩の山地の裾にあり、古生岩とは地盤構造を異にするが、古生岩の山地と第三紀の裾地との堺を認めるのは難しい。 

新火山岩から成る地の地相 噴出当時は火山の形をしていたと思われるが、今日では数多の山塊を作り黒々とした高地を作るのみである。

第四紀層より成る地の地相 トーウンペツ原野、ポロベツ原野で見る様に第四紀層は平坦であり、他の地質の地とはその地貌を異にする。


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最終更新日 : 2019-06-26 20:31:29

第4章

第4章 金鉱及砂金論 

 枝幸砂金地の鉱物は多種あるが、実用に値するのは金のみである。金鉱床には古生層の鉱脈と漂砂鉱床(砂金)の二種がある。 

第1類 金鉱脈 

第1節 金鉱脈の成因 

(一)破罅の原因 鉱脈の亀裂は古生層を褶曲した圧力で生じたものである。このため常に地層と同向きで多数平行して存在する。 

(二)鉱脈の生成 亀裂を充填するのは主に石英である。石英は乳白色だが結晶は見えない。これらの鉱脈は対称で空隙が生じることがある。石英脈は、銀を含む自然金や黄鉄鉱等の硫化鉱物を含むが、この様な含金石英脈がどの様にしてできたかについて、温泉作用によるもの、岩漿の一部が併発したものの二つの仮説を述べる。 

(イ)温泉作用によって沈殿した鉱脈は、地下深くの熱水や地表から浸透した水が、種々の鉱物を溶解して亀裂に流入し逐次沈殿して鉱脈を作る。 

(ロ)岩漿の一部が分解作用により酸性となってペグマタイトが生じる。この様な岩漿が岩脈を作るときその岩脈は石英脈となるのである。 

いずれの説によってもその鉱脈は対称構造を作るので、対称だからと言って温泉作用によると決めつけてはいけない。枝幸がいずれの鉱脈であるかについて次の様に述べる。 

岩漿説によれば、石英脈のどこかに正長石があってペグマタイトを作るはずである。また、古生層中にペグマタイトの脈があり、石英脈と岩漿との関係を示すものがあるはずだが発見できず、逆に石英方解石脈を発見した。石英方解石脈は岩漿分解によって加酸性になったとするのは難しいので、枝幸の石英脈は温泉作用によってできたと思うのである。 

(三)金の沈殿 金がどの様にして石英と共に含金石英脈を作ったのかについて、金は溶けづらいものであるが、高温のときはアルカリ性の水に僅かに溶けるのである。地下から来た温泉は多くの塩類を含んでいるため金を溶解することができる。石英とともに金を溶解した水は古生層の亀裂に流入し、石英と金とを沈殿して含金石英脈を作るのである。金は粒や結晶をなして石英の間に分散する。その様子を見ると、金は化合物として沈殿したものが変質したものではなく、初めから金として沈殿したものである。 

 一般に沈殿には、沈殿媒介物の作用、温度の変化、圧力の変化の三つがある。金の沈殿媒介物として黄鉄鉱があるが、ウソタンナイの上流の石英方解石脈には黄鉄鉱がある。また、他の場所の石英脈には僅かの黄鉄鉱や黄鉄鉱が変化した褐鉄鉱がある。この様に枝幸では鉱脈中に黄鉄鉱があるが、私は黄鉄鉱の存在と含金量との間に関係を発見することができなかった。このため、枝幸においては金の沈殿に媒介物の作用は働いていない。そうすれば、枝幸の金は単に温泉が亀裂に流入し、温度と圧力が変化したために沈殿したものであろう。 

第2節 金鉱脈の存在の模様 

分布 金鉱脈には石英脈と石英方解石脈の二種がある。石英脈は広く分布し、石英方解石脈はウソタンナイの上流に存するのみである。石英脈は古生層中の岩石を貫いて存在するが、前に述べたとおり、鉱脈は背斜層の付近に多い。背斜層の最も大きなものはポロヌプリ背斜層であり、枝幸において最も多く鉱脈を発見するのは、ポロヌプリ背斜層付近のペイチャン上流、パンケナイ上流、ウソタンナイ上流である。 

鉱脈の走向及び傾斜 鉱脈を作る亀裂は古生層の地層と同一で、東又は西に傾斜する。このためこの鉱脈も南北に向き、西又は東に傾斜する。 

鉱脈の延長及び厚さ 鉱脈は非常に薄く三寸から一尺程度である。時に一寸程のものもあり、希に二尺に達する。延長も十尺程から、二十尺~三十尺である。鉱脈の両端は次第に細く再びその方向に膨張することはない。傾斜も延長と同様長くは続かないが、数は多く平行して群れをなす。 

鉱脈の構造及び含金量 鉱脈は対象構造で、脈石で充填され、中央に空隙を生じる場合もある。脈石は石英や方解石で金や黄鉄鉱はその間に分布している。石英は乳白色で結晶が見えないことが多い。方解石は結晶形を示さず、黄鉄鉱は極めて微粒である。金は粒状か結晶で通常10%~20%の銀を含有する。鉱脈の含金量は一定しないが、参考のため、各鉱脈の分析表を掲げる。この分析は東京工科大学採鉱治金学科の末廣助教授にお願いした。ここに末廣助教授に感謝を表する。 

1 ウソタンナイ(ジョス家の直下)  金 痕  銀 0.0017 

2 ウバソマナイ           金 痕  銀 0.0017 

3 エトルシュオマプ         金 痕  銀 0.0012 

4 パンケナイ(下の事務所の上)   金 痕  銀 0.00026 

5 パンケナイ(上の事務所の下)   金 痕  銀 0.00036 

6 ウソタンナイ(ジョス家の下)   金 痕  銀 0.00016 

8 ペイチャン小川(金鉱前の樋)   金 0.0023 銀 0.00156 

9 ペイチャン小川(金鉱奥の樋)   金 0.000294 銀 0.00146 

10パンケナイ中流          金 痕  銀 0.00056 

第2類 砂金 

第1節 砂金の成因 

砂金の根源 枝幸砂金地の川には皆多少の砂金がある。この砂金はどこから来たのだろうか。枝幸を見ると(一)砂金が砂礫を纐結することはない。(二)砂金が砂礫の表面に張り付くことはない。(三)砂金の表面は摩滅している。(四)砂金の存する川は急流で、金溶液から金が沈殿するのに適当ではない。これらの事実により、砂金は金溶液から沈殿したものではなく、他所にあった金の鉱床が崩壊し、ここに来たものと信ずる。砂金を含む砂礫は枝幸の山地を構成する岩石の破片である。それならば砂礫中の砂金も枝幸山地の岩石の中にその根源を有するのであろう。枝幸砂金地中央のペイチャン小川付近で、肉眼で金粒を認める含金石英脈の破片を得た。そしてその下流においては砂金が豊富で、摩滅していない金粒を含む石英脈の破片が多い。このことは砂金の根源が金鉱脈にあることを証するに余りあるのである。 

砂金の集合 古生層中の石英脈は少なくそこに存在する金の量もまた少ない。このため、古生層が崩壊して金鉱脈中の金が分離して砂金となるとしても、その量は古生層の砂礫の量に対して非常に少ないのである。しかし、枝幸で砂金が砂礫中に存在する割合は少なくなく、神保博士が明治33年10月枝幸ウソタンナイで行った試験に基づけば、砂礫一立方尺中にある砂金は以下のとおりである。 

一号試掘(廣谷事務所人夫小屋前) 一立方尺につき砂金0匁0394 

二号試験(警察の派出所の近傍)  一立方尺につき砂金0匁0004 

九号試験(ウソタンナイ中ノ川対岸)一立方尺につき砂金0匁0036 

番外(馬道川落合下流)      一立方尺につき砂金0匁0101 

上記は、川底において自然淘汰が行われ、砂金のみ残って集合したものである。川底の淘汰は全く機械的で、煽り分け及び流し分けの二種の動作を合わせたものである。以上、川底堆積中の砂金について述べたが、枝幸には堆積層だけではなく海浜の砂中にも第三紀の地層にも砂金が存する。しかしこれらの成因は河床の砂金と同じなので説明を省く。 

第2節 砂金存在の模様 

 枝幸の砂金はその存在から(一)第三紀層中の礫岩中に存する砂金(二)河床堆積層中に存する砂金(三)海浜の砂中に存する砂金に分類される。 

(一)第三紀層中の砂金 オチキリ川の下流に発達する凝灰岩と頁岩の境界に凝灰質の礫岩があり、僅かの砂金が含まれる。この砂金は河床堆積層の砂金と同じなので、これは第三紀における漂砂鉱床にほかならない。 

(二)河床堆積層に存する砂金 砂金は枝幸のどの河床にも同様に存するのではなく、同一の河床でも一様ではない。分布が一様でないのは三つの原因がある。(A)砂金の根源である金鉱脈の分布が一様でない(B)河床における自然の煽り分けの働き(C)河床における自然の流し分けの働きである。 

砂金の分布と金鉱脈の分布との関係 砂金の根源が金鉱脈中の金粒であるとすれば、その金鉱脈の分布は直接砂金の分布に関係するはずである。金鉱が豊富な所は砂金も豊富であり、金鉱に乏しい所は砂金も少ない。枝幸砂金地で最も金鉱脈が豊富なのはポロヌプリ背斜層付近である。そしてその付近の河床は砂金も豊富で、枝幸砂金地で第一位を占める。ウソタンナイ上流の砂金地、ペイチャン上流の砂金地、パンケナイ上流の砂金地は共にポロヌプリ背斜層付近に当たる。これは、砂金の分布=金鉱脈の分布=ポロヌプリ背斜層=地盤の構造と互いに連鎖の関係を示すものである。 

自然の煽り分け、流し分けの働き及び砂金の分布 山地を構成する岩石が崩壊し、金鉱脈中の金粒が他の岩石の破片と共に河床に堆積するときは、流れの動揺は絶えず堆積した渓間砂礫に働いて揺り分けの動作をし、多量の砂金が集合することになる。次に流れの運搬が働いて、川底に沈んだ金粒はそのまま残り、軽い砂礫のみが流される。流れの運搬力は非常に強いので砂金も流下するが、川の合流、屈曲等により勢いが弱まると、砂金は一番に沈下し、同一の河床でも一様でない砂金の分布となるのである。 

 以上二種の機械的動作が働いた結果、砂金の分布に不均等を生じる場合、どの様な場所で砂金が豊富かは引き続きの問題であるが、答えは簡単である。 

(イ)川の水源又は上流の渓間砂礫堆積層中には砂金が多い。 

(ロ)二つの川が合流する場所は砂金が多い。例えばウソタンナイ本流と中の川との合流、ウソタンナイ本流とナイ川との合流、ペイチャン本流と小川との合流等。 

(ハ)川の屈曲する時、川裏に当たる場所。すなわち凸側は砂金が多い。例えばウソタンナイ川のババコロシ。 

注意:川の合流、川の屈曲については、必ず目を大にして河谷について考え、けして水流のみで考えてはいけない。 

砂金の存在の模様 砂金が河床堆積層中にどの様な様子で存在するかというと、砂金は煽り分け、流し分けられた結果として集まるものなので、砂金が集まるところは淘汰作用によって残った堆積層である。このため砂金は 

(い)表土、砂礫等流れによって運搬されるものの堆積中には少ししか存しない。すなわち河江砂礫堆積層、表土堆積層。 

(ろ)余り運搬されない砂礫が堆積層を作るものの中に多い。すなわち渓間砂礫堆積層。 

(は)砂金と共にクローム鉄鉱及び磁鉄鉱の砂粒が堆積する。 

(に)砂金と共に少しのイリドスミン及び白金の粒を産する。 

以上、砂金は漂土を含まない砂礫中に多量の砂鉄や少しのイリドスミン等と漂砂鉱床を作る。そして河床の底盤に近づく程砂金が多く、底盤に亀裂があれば砂金はそこに沈入して存する。大きい亀裂では一尺余り沈入することがある。底盤に凹がある時はそこに多く集まる。 

主な採金地の説明 以上現今の河床に存する砂金について述べたが、枝幸にある主な採金地について簡単に説明を加える。 

(1)ウソタンナイの上流 縦谷が多くいわゆる中帯式の地相である。川はウソタンナイ本流、中の川、ナイ川、馬道の川がある。ここはポロヌプリ背斜層上なのでいずれも砂金が多く、富金地は廣谷採金組合事務所付近で、主な四つの川が合流するので砂金が多く集まるのである。有名なババコロシの富金地はこの中にある。 

(2)パンケナイの採金地 パンケナイの上流は本流、パンケナイ中の川等がある。これらはポロヌプリ背斜層付近に当たる。下流に進むと砂金は乏しく最下流の河江砂礫堆積層ではほとんど存しない。 

(3)ペイチャンの採金地 ペイチャン川は上流が縦谷でポロヌプリ背斜層の付近を走り、中流から横谷となり西に走る。ペイチャンの富金地は上流にある。ポロヌプリ背斜層の付近だからである。枝幸でその名轟くペイチャン小川もこの上流にある。 

(4)赤イ川付近の採金地 ウソタンナイ支流赤イ川すなわちフーレピラウンナイの採金地、オネンカラマプの採金地は量が少ないが品位は枝幸最高である。 

(5)イチャンナイ、ピラカナイ付近の採金地 オネンカラマプ、イチャンナイ、ピラカナイ等の上流は砂金が多いが、下流は河江砂礫堆積層のため砂金はほとんどみられない。 

(6)ペイチャン下流付近の採金地 ペイチャン下流に合流する中の川、間の川の上流は砂金が多いが下流は少ない。ペイチャン本流の下流には僅かの砂金がある。ペイチャン上流がその名轟く富金地だけに、下流の河江砂礫にも多少の砂金があるのだと思われる。 

(7)ケマモナイ採金地 上流にはあるが下流はほとんど取れない。 

(8)トイマキ、オチキリの採金地 上流や本流の下流には砂金がある。下流に注ぐ支流ではほとんど取れない。 

(三)海浜の砂中に存在する砂金 

 海岸の砂中に僅かに存する。これは川砂と共に運搬された砂金である。このため河床にある砂金と成因は同じである。 

注意 枝幸砂金地にはこの砂金が少ないが、枝幸より東南にあるオチシュベツ付近では海浜に多くの砂金があり稼業している。海浜の砂金は微細で形は薄く片状又は鱗状である。 

第三節 砂金の形及び分析等 

砂金の形及び大きさ 砂金は表面が摩滅して不規則な粒状をし多少扁平である。川の上流のより下流のものの方が多く摩滅している。また、海浜にあるものは大抵小粒で扁平である。砂金の中には金の結晶が見えるものがある。これはペイチャンの上流、ペイチャン小川の上流で発見され、他の川の上流でも発見されるが、中流以下で発見できないのは、摩滅作用が働くためだろう。金の結晶は大きいもので1㎜以上、垂直軸の方向に多く連なる。一列~三列のこけ状が平行して複雑な形をしている。(俗に松葉金と呼ぶ、樹枝状のものもある) 

砂金には石英を挟むものがある。これは砂金の根源である石英脈が破壊されるときに、金粒と離れなかったものである。西尾工学士は砂金が抱くものについて石英の他に輝緑凝灰岩を発見された。これは金鉱脈の母岩である輝緑凝灰岩が鉱脈と共に崩壊し、母岩と金が離れず砂礫となったものである。 

砂金の大きさは色々で普通は粟粒大で指頭大のものもある。今日までに枝幸から発見された最大のものは、明治33年10月5日ウソタンナイ支流エトルシュオマプ(ナイ川)で発見され、長径107㎜、短径63㎜、厚さ20㎜の手の平大で、重さ205匁である。 

塊金 砂金の大きなものはナゲット、塊金と呼ばれる。塊金は大きいためか。特にその成因について人の注意を引くが、小形の砂金と成因、存在の模様、その他について一つも異なることはない。 

「砂金は漂砂鉱床ではなく科学的沈殿によって生じたものである」と言う者がいる。そして、その理由は(1)砂金には大きなものが多く鉱山金は小さい。(2)砂金の品位は高く鉱山金は低い。の2点で、これにより砂金は金鉱脈の崩壊によって生じたものではないと言うが私はこの説を不当と思う。枝幸の砂金と塊金は同一で、共に金鉱脈の崩壊によってできた漂砂鉱床とする。枝葉に多少難はあるが、ここに論者の不当を説き我田引水を図る。 

(一)塊金が大きいのはそのとおりだが、鉱山の金塊が少ないとしても3~10貫のものはカリフォルニアや豪州で発見されている。私が探見した範囲は僅かだが数個の金塊を見た。地球が天然に削剥された容積は大きく、私が見た金塊の数をもって古くから今日までの地質を推理すると、地質中にある金塊は決して乏しくはないのである。その金塊はどこに行ったか、これは漂砂鉱床中の塊金である。であれば、鉱山から金塊の出ることが少なく、砂金に塊金が多いのは決して怪しむ事ではない。 

(二)論者は塊金と鉱山金の品位を述べて両者が同一ではないと説く。私はこの比較法の正否を疑う。鉱山の品位は鉱脈に含まれる金と銀の割合なのではないか。また、鉱山で製錬したプリオンの品位だとすれば、鉱脈中にある金と含金する銀以外でプリオンを作るのは難しく満足できない。よって私は砂金の品位に比較するためには、まず鉱脈を砕いて金粒のみを抽出し、これの品位を鉱山金の品位としなければ満足できないのである。 

論者曰く「何故枝幸にて大金塊を含む金鉱を発見できないのか」と、私は言う、枝幸で金鉱脈を多く発見した。その鉱脈には肉眼で金粒を認めるものがある。大金塊は発見できないが、天然営力が砂金を作るために削剥した容積は実に大きく、今日見える地表に対して幾百千倍である。故に砂金中に大塊があり、鉱脈中に金塊がないとしても、ただちにこれを怪しむべきではない。論者は「砂金が輝緑凝灰岩の破片を包有することをどう説明すると」と聞く。私は言う、含金石英脈の母岩である輝緑凝灰岩と金とが離れずに漂砂となることは怪しむに足りないと。 

反対に化学的沈殿論者に問う。 

(イ)金溶液から化学的に沈殿したとすればその溶液はどこから来たか。 

(ロ)地表水が金鉱脈の金を溶解して溶液ができたのであれば、金鉱脈がある以上は地表水の循環で続々と湧出すべきではないか。 

(ハ)かつて存在した地表水が金を溶解したとすれば、この地表水をどう説明するか。 

(ニ)金溶液を地中深くから湧出した温泉だとすれば、川床堆積層生成当時又はその後、温泉湧出の地質学上の証左があるか。 

(ホ)今一歩譲り、金溶液が何処からか来たとして、この溶液が沈殿する際に何故他の被覆状にならず、粒状あるいは大塊となったのか。 

(ヘ)沈殿する場所が全く静止しているのであれば、点々と沈殿するかもしれないが、静止していない所で沈殿するのであれば、粒の中心には核があるのではないか。又はその粒は仮像ではないのか。金粒に核があるか。その核は何者か。また、金粒は仮像か。 

(ト)砂金を作った時のみ枝幸の川床が静止する水を湛えていたのか。それはどの様な地質学的事実をもって証するか。 

(チ)松葉金と称する砂金で、金が菱形の結晶をしたものがある。これは川の上流にあるが、上流の様に激しく流れる水中で金が沈殿するとき結晶して沈殿するのか。 

化学的沈殿説の疑問は尽きないが、要は枝幸の川床は金溶液から金が沈殿するのに適当でないという事にある。以上により、私は砂金の化学的沈殿説には賛成せず、鉱脈崩壊説を維持するものである。 

砂金の分析 砂金は純金ではなく金と少量の銀との合金である。その割合は産地によって異なる。 

1 ウソタンナイ川ババコロシ      金85.84  銀14.16 

2 ウソタンナイ川支流ナイ川の下流   金91.36  銀8.64 

3 トイマキ川             金91.32  銀8.67 

4 ウソタンナイ川馬道の川       金81.49  銀18.51

 6 ピラカナイ中流           金88.23  銀11.77 

7 ペイチャン小川           金81.59  銀18.41 

8 ペイチャン小川鉱脈崩れ金粒     金78.48  銀21.52 

9 ケマモナイ             金84.77  銀15.23 

10パンケナイ上流事務所上       金88.35  銀11.65

 11オチキリ              金90.24  銀9.76 

13オネンカラマプ           金96.91  銀3.07 

14ペイチャン本流の松葉金       金80.42  銀19.58 

15ウソタンナイ支流フーレピラウンナイ 金93.28  銀6.72 

16ウソタンナイ中の川上流       金85.02  銀14.98 

以上、東京工科大学採鉱治金学教室にて末廣工学士の分析。 

以上の分析中、最も興味があるのはペイチャン小川鉱脈崩れの金粒のみを分析したものであり、金の品位は78%である。そしてペイチャン小川の砂金の品位は81%であり、西尾工学士によれば79%である。小川の鉱脈中の金の品位と砂金の品位とは大差がないのを知るべきである。これは砂金の鉱脈崩壊説を証する一助となる事実である。 

付録 随伴鉱物 砂金に随伴して漂砂鉱床を作る主なものは、クローム鉄鋼、磁鉄鉱、イリドスミンである。以上のものは皆古生層中の古火成岩中に併発鉱床として存していたものが崩壊してできたものである。 


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最終更新日 : 2019-06-26 20:37:04

第5章

第5章 結論 

 枝幸砂金地を構成する地質は古生層、中生層、第三紀層、新火山岩、第四紀層であることを述べてきたが、古生層は枝幸の大部分を構成するものである。砂金に必要な地質は古生層と第四紀層の河床沈殿層であるが、古生層は南北に走る褶曲山脈を作り、その中央にはポロヌプリ背斜層がある。古生層中には褶曲に起因する亀裂を充填する石英脈があり砂金の根源である。この古生層付近を流れる川には第四紀の河床堆積層があるが、この堆積層は古生層の砂礫で構成され、古生層中にある金鉱脈が崩壊し、砂金となっているのである。砂金は川水の淘汰により集合して漂砂鉱床を作る。この漂砂鉱床は河床堆積層のみならず、第三紀層にも海浜にも存在する。さて、河床堆積層に砂金が分布する様子は一様ではなく、その主なものは 

(1)堆積層が古生層の砂礫でなければ砂金はない。 

(2)大背斜層付近は金鉱脈が多いため砂金も多い。 

(3)砂金は河江砂礫の漂土堆積層中には少なく渓間砂礫堆積層中に多い。 

(4)砂金は堆積層の下部に多くで底盤の際は最も多い。 

(5)砂金は川の合流点、屈曲部の凸側に多い。 

(1)(2)は砂金の有無を述べており貧富を論ずるものではない。 

(4)(5)は局部的分布を論じ(3)はやや広い範囲の分布を説く。即ち(3)を換言すれば、上流は多く下流で少ないということである。しかし、(3)(4)(5)共に砂金の価値を論ずるには足りず、(2)の地質構造と砂金の分布の関係こそ、砂金地の価値を占う指標である。

 枝幸では古生層の褶曲山脈の脊梁に沿って走る谷が三つある。ウソタンナイ川、パンケナイ川、ペイチャン川である。この脊梁にはポロヌプリ背斜層があり、そこを流れる川は豊富な金鉱脈により砂金が豊富なのである。そしてこれらの川が豊富なのは偶然ではなく、地質構造と金の漂砂鉱床とが深く関係しているということを知るべきである。


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最終更新日 : 2019-06-26 20:38:34

この本の内容は以上です。


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