閉じる


<<最初から読む

5 / 6ページ

五の夜 夢の記憶

夢の記憶

 

 こんな夢を見た。
 ある男が同僚を訪ねて一緒に酒を飲む。最初こそ楽しくやっているが、男が共通の知り合いである女性の話を持ち出すと雰囲気はいきなり険悪になる。
 その女性とは男の元恋人であり、今ではその同僚と付き合っているのだ。
 男は挑発的な言葉を投げつけ、ねちねちと同僚をなじる。最初は耳を貸さない同僚だが、男が恋人の品性を貶めるようなことを言うと思わず手が出てしまう。
 男はそれをきっかけにしてポケットに忍ばせていたナイフを取り出す。相手が先に手を出すのを待っていたかのようである。
 男は自分でも何をするつもりなのか分かっていない。気がつくと血だらけのナイフを握って立っている。傍らには大量の血を流して倒れる同僚の死体がある。


 それが近頃よく見る夢だった。
 夢に登場する人々が誰なのかは分からなかった。
 わたしは連日警察に話を聞かれていた。職場の同僚が殺されるという痛ましい事件が起き、不本意ながら容疑者になっていたのだ。
 殺された同僚は、単なる仕事仲間ではなく友人だった。間違ってもそんなことをするはずがなかった。
 彼が殺された日にどこで何をしていたのか、警察は何度もしつこく問い質した。
 わたしには答えられなかった。その日のことが記憶からすっぽり抜け落ちてしまっていたのだ。どれだけがんばってみても思い出せなかった。
 散々尋問され、疲れ果てて眠るとまた同じ夢を見た。
 登場する二人の人物は顔がはっきり分からなかった。二人が話題にする女性についても同じだった。むしろ夢に見るたびに輪郭がぼやけていくようだった。
 いずれにしても、訊かれていることとは何の関係もないと思った。
 だから警察には夢の話はしなかった。

 

 


六の夜 綱渡り

綱渡り

 

 こんな夢を見た。
 渓谷に渡したロープの上を歩いていた。
 向かう先は霞んで見えず、もと来た方も遥か地平線の彼方に消えていた。ときどき谷底から強い風が吹きつけてきた。命綱もつけてなかった。
 とにかく前に進むしかなかった。
 足は震え、一メートル進むのにも体力を消耗した。時間もかかった。いくら行っても向こうの先は見えそうになかった。
 遠くに鳥が見えた。鳥は真っすぐこちらに飛んできた。
 鳥ではなく、ドローンだった。
「郵便です」
 搭載されている音声アプリが喋った。
 機体にぶら下がった袋から葉書を一枚取り出した。「あと少し。がんばれ」と書いてあった。
 顔をあげて前を見た。全然あと少しではなかった。

 

 


この本の内容は以上です。


読者登録

十佐間つくおさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について