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十四 捜索Ⅱ

 

ちひろさんの目は大きく見開いている。気は失ってはいない。

 

「それが、あいつの記憶、感情なのですか」

 

 美里はちひろさんの強張った顔を凝視したまま尋ねる。

 

「そう言うことか」

 

黒服が妙に納得したように頷いた。支配人は何も言わない。

 

「どういうことです。あいつは戦闘員で、どこかの紛争地で戦っていて、殺されそうになったんですよね」

 

美里は、ちひろさん、黒服、支配人の顔を見回しながら、自分の推測を確認しようとする。

 

「違うのよ」

 

ちひろさんがゆっくりと否定した。

 

「戦闘で殺されそうになったのは、あたしなのよ」

 

「ええ?」

 

美里はちひろの言葉ができない。どういうことなの。美里はそれこそ戦場に突然放り出されたようにパニックとなった。それなのに、ちひろさん、黒服、支配人の三人は全てを理解したような態度だ。美里だけが鬼ごっこで、いつまでも鬼が代われないまま鬼の子どものように疎外されていると感じた。

 

「あいつは、自分の恐ろしい過去を、体験を、あたしたちに仮体験させて、ハートケア士の心を病ませてきたんじゃ、壊してきたんじゃ、ないんですか」

 

 美里はパニックに任せて叫んだ。

 

「あたしも、最初はそう思っていた。だけど、あいつと触れ合ってわかったの。あいつはこれまで隠してきた人の心の奥の闇を、恐怖を、もう一度、暴いて、その人に見させるのよ。だから、あたしたちハートケア士は耐えきれなかったのよ。他人の体験は、どんなに忌まわしい、おぞましい体験でも、所詮、他人の体験なのよ。でも、自分の体験は違う。ようやく傷が癒えて、立ち直った、立ち直ろうとした心に、再度、忌まわしい思い出を見せつけて、壊してしまうのよ。自分で自分の首を絞めるようなものね。だから、仲間のハートケア士は耐えきれなかったのよ。あいつは鏡よ。それも黒い鏡なのよ」

 

いつも冷静なはずのちひろさんが激しく感情を剥き出しにして言い放った。だけど、美里はまだ事態が飲み込めていない。額に、眉に皺を寄せて、頭をひねるが、言葉が出てこない。それでも、大きく息を吸い込み、やっと言葉が出た。それは、あいつについてではなく、ちひろさんについてだった。

 

「つまり、ちひろさんは、かつて、戦闘員だって、戦場で危うく殺されそうになった過去があるということですか?」

 

美里はちひろさんの顔をまじまじと見つめる。確かに、いつも冷静沈着で、思わず顔の前で手を合わしたくなるような菩薩の笑みを浮かべるちひろさんがまさか戦闘員?敵を、人間を殺していた?そんな馬鹿な。信じられない。美里の頭の中は地球創生時に形をなしていなかった海や陸のように混沌としたままだった。考えも言葉もまとまらない。あいつのことよりも、ちひろさんの過去のことが美里の頭の中を占めていた。

 

「そう。あたしは戦闘員だったの。何人もの敵を殺し、何体もの戦闘ロボットを倒してきたの」

 

 ちひろさんが喉から血を絞り出すような声を出した。

 

「だけど、最後の戦いで負傷して、九死に一生を得たから、戦闘員は退役したの。その経験を生かして、今はハートケア士よ」

 

 戦士からハートケア士に転向か。戦闘していた方から戦闘していた人をケアする方に回ったのか。言われてみればよくわかる。だから、いつも、冷静沈着で、感情を自分の思うままに抑制できるのだ。だけど、何故、ハートケア士になったんだろう。他にも仕事があるはずだろう。

 

こうした仕事をしていれば、同じような経験を積んだ戦士に会い、自分の封鎖したはずの過去を嫌でも思い出すのではないか。その危険性が高いのではないか。美里ならば、ちひろさんと同じ境遇ならば、いくらお金を積まれても、こんな仕事は引き受けないだろう。

 

「そのことには礼を言う」

 

 黒服とは支配人が同時にちひろさんに対して頭を下げた。

 

「いいえ。礼を言うのは、こちらの方よ。あの時、あなたたちがいなかったら、あたしはこの世に存在していなかったわ」

 

あなたたち。その言葉に美里は反応した。今度は、黒服と支配人を見つめる。

 

「それは過去の話だ。もう終わった話だ。俺たちは今に、未来に生きている。問題は、これからあいつをどう捕まえるかだ」

 

 黒服は厄介なものをしょいこんだように病室の天井を見つめる。

 

「あいつが黒鏡なら、証拠は残らないな。自分で自分の忌まわしい過去を見て、それに怯えて、自分の心を壊すだけか・・・」

 

 支配人は感情を見せずに病室の白いドアを見ている。

 

 ちひろさんと黒服と支配人の話を聞いた範囲で推測すると、ちひろさんが敵のロボットに襲われたときに、黒服と支配人が助けたということになる。そして、その縁で、その恩返しで、ちひろさんは黒服と支配人の仕事を手伝っているということだ。

 

そうなると、黒服も支配人もかつては戦闘員で、今は、黒服が政府の情報機関員で、支配人も表面上はハートケア士を雇う会社の支配人だが、実は、二人はつながっているということになるのか。このハートケア士の会社も政府の情報機関の一部ということか。それなら、美里もその手先ということになる。知らない間に、その一味されていたのだ。

 

「とにかく、回復したら、あいつを追います」

 

 ちひろさんがベッドから立ち上がろうとした。

 

「いや。だめだ。あいつはいくらお前が姿形を変えようと、記憶の端からおまえのことを既に知っている。そのお前が精神に異常をきたさないまま、あいつの前に現れたら、お前が普通のハートケア士ではないことがわかるだろう。それこそ命が危ない」

 

 支配人がちひろさんの肩を抑える。

 

「でも、誰が、あいつを捕まえるの?あなたたちが追えば、正体を隠すわ」

 

 ちひろさんが支配人の手をどける。

 

「彼女にお願いするしかない。俺たちの話を全て聞いていたんだ。事情はよく分かっているはずだ」

 

黒服が美里を見つめる。美里は思わず目をそらす。急に自分が舞台に立ち、スポットライトがあたったスターになったようだ。でも、そんな才能は美里にはない。舞台になんか立ちたくない。あたしは子ども二人を無事に育て上げればいいだけだ。そのお金を得るために、ハートケア士を仕事としてやっているだけだ。ハートケア士の仕事でなくてもいい。あいつを捕まえたいとも思っていないし、黒服や支配人に義理や恩義はない。

 

「それは危険よ。戦闘員でもなかった彼女があいつと渡り合うなんて」

 

 ちひろさんが大きく手を振る。

 

「仕方がないがそれしかない。これ以上、被害を大きくしたくない。仕事にも影響が出る」

 

 支配人が俯いたまま呟いた。

 

「よし。支配人からも了解が得られたぞ。美里さん。早速、ちひろの代わりに、あいつを捕まえる第一の囮になってもらいたい」

 

「囮ですか・・・」

 

 それ以上の言葉が出ない。囮。それは、かつて自分と前夫との夫婦関係が思い出された。いつのまにか、自分の事だけしか考えなくなった二人。そして、前夫は別の女性との関係を作りはじめ、美里は子どもたちとの関係づくりに励んでいく。そんな中でも、家族を、子どもを囮にして、二人は結びついているものだと思っていた。信じていた。

 

だが、それは所詮、囮だった。囮の存在が明らかになった時、既に、二人はどこか遠くの地に離れていた。そう。戦場に。そして、互いに銃を持って、お互いを撃ち合い始めていたのだった。まさに、同士討ち。どちらが勝っても、囮となった子どもたちだけが傷つくことはわかっていたはずなのに。悔恨。もう、よそう。その言葉は、心の奥底にしまった、埋めたはずだった。

 

「どうだ。やってくれるか。いや、やって欲しい。どんなことがあっても、やらなければならないのだ」

 

 黒服の言葉が美里の心を縛った。

 

「美里さん。無理をすることはないのよ」

 

 ちひろさんが手を伸ばしてきて美里の手を握り締めた。温かい。生きている証拠だ。その温もりを感じると、先ほどの協力したくないという気持ちが消えていった。人は、強制されると反発してしまうが、自発性にうながされてしまうと素直になってしまう。これもハートケア士の特有の技術だとわかっているものの、拒絶できない。その上から、黒服が、支配人が手を置いた。もう逃れられない。

 

「俺たちも」

 

「協力する」

 

 その二人の言葉に、美里は「はい」と頷いた。

 

今日も無駄足だった。ちひろさんが出会ったというホテルにこれで1週間続けて通い続けている。怪しまれないように、服装も変え、時間帯も変え、ロビーのソファーに座るものの、あいつと思われる奴は現れない。ひょっとしたら、現れているのかもしれない。あいつは、姿形を変えることができるカメレオンのような存在だからだ。

 

多分、ちひろさんが倒れたので、このホテルは見張られていると用心しているのかもしれない。だが、必ず、あいつは現れる。何故なら、あいつは黒鏡の心を持っており、人の負の心を喰って生きているからだ。あたしたちが人の心を癒すハートケア士ならば、あいつは人の不幸を食い物にするハートイーターだ。

 

一度、不幸を味にしたものは、それをやめることはできないはずだ。そろそろ、次の獲物が欲しいはずだ。常に、ホテルのロビーは監視カメラなどが常時、映しており、その情報で情報機関の本部に送信されている。また、ホテルの受付やボーイには情報機関の人間やロボットが混じっている。どんな時でも、美里から眼を離すことはない。

 

 だが、そのことをあいつは感じているのかも知れない。だから、あいつは美里に接触しようとしないし、支配人の経営する店にもハートケア士の派遣を依頼してこないのだ。美里は時計を見る。午後6時だ。勤務時間は終了だ。家に帰らないといけない。

 

あいつを捕まえるための囮捜査の仕事を始めて、ハートケア士の仕事はやっていない。その代わりに、支配人からは囮代として給料が出ている。もちろん、そのお金が支配人から出ているのか、黒服から出ているのか、美里は知らない。とにかく、二人の子どもを育てるためのお金がもらえれば、今はそれでいい。

 

 美里はソファーから立ち上がった。その姿を何気なく、受付の従業員やボーイロボット、掃除ロボットが見る。警備は完璧だ。心配することはない。今日はもう仕事は終わりだ。安全は確保された。ホテルのドアを出ようとした。美里と入れ替わりに大きな荷物を持った宅急便の運転士が入って来ようとした。

 

普通ならば、裏口から入ってくるはずだ。だが、宿泊客から直接頼まれたのか、台車に荷物を置き、頭を下げて入って来る。今まさに、美里と運転士が交差しようとした時だ。その時、美里の手に、指に何かが触れた。妙な胸騒ぎ。

 

美里はその指先を見る。指先には指サックはない。もちろん、美里の指にもまだ指サックはない。その時、それまで俯いていた運転士が急に顔を上げた。笑っている。美里の顔を見て笑っている。それも嘲笑だ。その嘲笑はどこかで見た。いや、いつも会っていた顔だ。思い出したくもない顔だ。それは、別れた夫だった。

 

そんな馬鹿な。夫がここにいるはずはない。しかも、宅急便の運転手として。妙な胸騒ぎ。美里は足を早めようとした。しまった。そうか、あいつだ。

 

 夫の顔をしたあいつを見る。あいつは獲物を捕まえたような喜びに満ちた顔をしている。すると、美里が獲物なのか。あたしは獲物じゃない。あいつの手を、指を振り払う。あいつは指サックをしていなかった。あたしもまだ装着はしていない。それなのに、何故だ。

 

だが、既に、美里の黒い記憶を呼び起こす意思が美里の体の中、頭の中にウイルスのように、寄生虫のように巣食っていった。

 


この本の内容は以上です。


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