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十三 過去Ⅱ

 

ちひろさんは美里たちの前で、あいつと遭遇した時のことを話す。あいつは客ではなかったとのこと。ちひろさんは客の指名を受け、ホテルのロビーのソファーでいつものように約束の時間が来るのを待っていた。

 

そうしていると、あいつがやってきて、ちひろさんの斜め向かいに座った。もちろん、その時は、あいつだとはわからなかった。ちひろさんはこれまでの経験で、斜め前に座ったあいつも自分たちハートケア士のお客さんではないか、とふと頭がよぎったらしい。あいつは、外見的には、紺の上下の背広を着て、ビジネスマンのように見えた。ただし、日中の午後3時過ぎ。ビジネスの打ち合わせにしては中途半端な時間だと思った。

 

ちひろさんも指名されたお客さんはビジネスマンと聞いている。この時間帯は、ビジネスマンたちのお昼寝の時間ではない。夕方の客との協議に向けて、資料を整理するなどの大事な時間だ。当初は、あいつもビジネス相手との待ち合わせだと思っていたが、素振りが違う。ゆったりとソファーに座り、時間を気にする様子はない。周りを全く気にしていない。つまり、フリーなのだ。そういう意味では、ちひろさんを指名したお客さんもフリーなのだろう。

 

ちひろさんは、ふと気になって相手を見ると、あいつと目が合った。あいつは口の端を上げる。こちらに関心を持ったようだ。ちひろさんは眼をずらす。こちらは関心のない素振りを示す。それなのに、あいつは今まで座っていたソファーから腰を上げるとわざわざちひろさんのややはす向かいに座った。

 

席を移動しようか。一瞬、迷う。しかし、ここは高級ホテルの待合室。受付カウンターには従業員がいるし、フロアーはホテルのボーイが荷物を持って行き来している。また、すぐ側には喫茶があり、お客さんの出入りも多い。そのため、ここ、待合ロビーの休憩場所は、待つ人にとってはゆっくりできる場所であると同時に、待つ人は意識していないものの、意外に人目にさらされている、他人から監視を受けている場所なのだ。

 

だから、ちひろさんは上げかけた腰を、すぐに、元に戻した。そして、相手を拒絶するように見つめ返す。何か仕掛けてきたら、すぐに声を上げると目で強固な意志を示した。それにも関わらず、あいつはにやにやと笑っている。

 

怪しい。怪しすぎる。これまでの長い経験から普通の人ではないと感じた。ひょっとしたらあいつかも。時計を見る。予約されたお客さんとの時間の5分前だ。そろそろ行かないと。部屋は10階だ。エレベーターならものの二分もかからない。ソファーから立ち上がる。あいつの顔はあえて見ない。背中を見せる。

 

あいつかも知れないことを黒服に知らせるために携帯電話をバッグから取り出す。画面を触ろうとした。その時、知らない手が伸びてきた。画面をタッチしようとした手が握られた。はっとして、振り返ろうとするが、すぐ側にはあいつの顔。あいつの人さし指がちひろさんの人さし指に触れる。人差し指には指サックはない。それなのに、ちひろさんの頭に衝撃が走った。

 

 

 

ここはどこだ。真っ暗な闇。何かが光る。顔の横を通り過ぎる。後方で、うえっという声。そして、どてっという何かが倒れる音。人か。すると、ここは戦場か。あたしは地面に伏せる。何かが顔に触れる。人間の頭だ。そして、赤ちゃけた血の匂い。暗闇の中でも、うっすらと形は見える。どうやら仲間らしい。

 

眉間をレーザー光線で貫かれ、その驚きのためか、目玉と舌が飛び出している。死ぬ直前に驚いても仕方がないのに。鼻からは体液がよだれのように垂れている。死体は驚いているが、あたしは驚く暇はない。頭の上を、伏せている顔の前の地面を、光線銃が突き刺さっていく。身動きはできない。

 

だけど、このままで同じ場所にいたのでは、いつか、仲間と同様にレーザー銃の餌食になるだろう。動かないと。前に進め。前に進め。俺の命令が聞こえないのか。司令官からは号令だけがイヤホン越しに鳴り響く。だが、命令通りに動けば、すぐに、命令が聞こえない状態になるのはわかっている。だから、仲間も誰も前に進もうとはしない。

 

でも、このままやられるのではないかと恐怖心で体が委縮していくよりも、いっそ命令通り飛び出して、レーザー銃に撃ち抜かれた方が精神的にはより楽になれるのではないか、という思いも頭の中によぎる。

 

先に、攻撃ロボットが相手を全滅させたのじゃないのか。話が違うぞ。

 

敵はやられたふりをして、隠れていたんだ。

 

それなのに、前進か。ここは一旦、撤退すべきだ。

 

司令官はすぐにでもあそこの前線基地を落としたいらしい。

 

基地を落とす前に俺たちは全滅だ。

 

その通り。基地を落としたいのならば、司令官一人でやればいいんだろう。

 

所詮、俺たちはロボットみたいなものだからな。

 

いいや。ロボット以下だよ。戦闘ロボットは価格が高いが、俺たちは取り換え可能だからな。

 

爆音が鳴り響く中、仲間たちの囁き声が幽かに聞こえる。いや、幽かだからこそ、よけいに耳をそばだたせて、はっきりと聞こうとする。

 

下がるぞ。

 

誰かがあたしの肩を突いた。

 

あたしは、這いつくばりながら、進んできたのと反対方向に下がっていく。まるで、カエルが右手、右足、左手、左足と下がるような、奇妙なかっこうで。

 

下がりながらも、仲間のうめき声が一つ、また一つを聞こえてくる。次は、誰の番だ。あたしなのか。ロシアンルーレットのように額にピストルを突き付けられて、毎回、撃鉄の音を聞いているようだ。仲間の断末魔の声を聞くたびに、あたしの心臓はちじみあがり、自分の番ではなかったことにほっと安心すると、どっと全身に血が巡った。

 

いつまで、死と隣り合わせの時間を過ごさないといけないのか。もう終わりにしたい、楽になりたいと思いながらも体は勝手に動く。頭はあきらめていても、体は生を求めている。それなら、動くしかない。苦い。口の中に土が入ってきた。だが、この苦さが生きている証拠なのだ。苦さが、脳に刺激を与え、生きる力を呼び戻した。

 

ずる。どて。誰かがあたしの体を引っ張った。あたしの体が後ろ向きに滑り落ち、その反動で、後頭部が地面に当たった。痛い。頭が揺れる。防弾ヘルメットを被っているものの、衝撃は走った。ようやく、前線基地の塹壕の中に戻ることができたのだ。

 

大丈夫か。

 

声を掛けてきたのは同じ部隊の仲間だった。暗くて顔はわからない。ただし、聞いたことがある声だ。それだけでも、ほっと安心する。

 

大丈夫。あなたは。

 

俺も大丈夫。だが、他の仲間はまだ戻って来ていない。

 

と言うと?

 

やられたかも知れない。

 

これからはどうするの?

 

わからない。とにかく、ここいるしかない。

 

イヤホンからは、相変わらず、司令官の「前に進め。前に進め。敵を倒せ」の号令が鳴り響いている。

 

仲間はそのイヤホンを耳から外すと、「生き残ったのは二人だけだ。すぐに、応援を頼む」と小さなイヤホンに向って大声で叫ぶ。

 

それでも、イヤホンからは司令官の「前に進め。前に進め。敵を倒せ」との怒声しか聞こえてこない。

 

くそ。俺たちを見殺しにする気か。

 

まぶしい。

 

あたしの目がつぶれるくらいの光が放射された。

 

敵だ。

 

隣の仲間が叫んだ。そこには、三メートル近くもある巨大な敵のロボットがいた。銃を構えている。仲間があたしをかばうように体の前に出た。銃を構える。しかし、敵の銃の発射が一瞬早かった。

 

うぎゃあ。

 

あたしを助けようとした仲間の頭が吹っ飛んだ。あたしの目の前に巨大な敵が忽然と現れた。だが、それも一瞬のことだ。あたしの顔に仲間の脳みそと血液がシャワーのように浴びせられる。最後まで、あたしをかばってくれた仲間。だから、あたしはひるまない。仲間の敵であり、あたしの敵だ。

 

目に血糊が入り、前が見えないまま、あたしは銃を乱射した。引けるだけ引き金を引いた。前につんのめりながら、引いて、引いて、引きまくった。

 

すると、何かが倒れる大きな音がした。あたしは顔をぬぐう。手のひらには赤い太陽が浮き出ている。生きている証拠か。敵のロボットは塹壕の外に崩れ落ちていた。あたしの撃った銃がロボットの頭や体に命中したのか。

 

安心するもなく、次のロボットが目の前に現れた。もうだめだ。あたしは身動きしない仲間の体を押しのけて、体をずらす。銃が仲間の胸を射抜いた。血が噴水のように噴き出している。その血が再びあたしの顔にかかる。しょっぱい。血はしょっぱいんだ。地球の8割は海。そして、人間の7割は水分。その水分には塩分が含まれている。地球と人間は同じ生き物なんだ。その、生き物同士が領土を取り合うためにこうして争っている。馬鹿げた話だ。

 

あたしの体の前にはもう壁はない。面前の戦闘ロボットが銃を構えた。咄嗟に体をひねる。

 

うっ。体が跳ねた。右肩を撃たれたらしい。指から力が抜けていく。と、同時に、銃があたしの指から離れた。

 

うっ。再び、体が跳ねた。今度は左足を撃たれた。体はひねってはいない。それなにの、頭や胸ではなく足が撃たれた。敵は一人になったあたしをなぶり殺しにする気なのだ。ロボットの癖に、なぶり殺しという言葉を知っているのか。お前に恨みはない。と、同時に、お前に恨まれる覚えもないはずだ。

 

あたしは敵の戦闘ロボットをじっと見つめる。銃がとうとうあたしの顔を、額を狙っている。もういいだろう。あたしの体はどうすることもできずに、大の字になったまま塹壕の壁にもたれかかっていた。安楽椅子か。最後の瞬間まで、あたしの脳はこの状況を楽しんでいる。そして、ロボットの銃の引き金が引かれた。それは、すぐに離されるだろう。あたしは眼をつぶり、そのまま気を失った。

 


この本の内容は以上です。


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