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元号の定義

 元号の辞書的定義は案外薄弱なものである。『広辞苑』では単純に元号イコール年号としており、年号の項には「年につける称号。例、「昭和」。」という単純な解説しかない。他の国語辞書も似たり寄ったりである。ここでは他の紀年法との比較で今少し元号というものの性格を明らかにしてみよう。

 時間の記述において、通常我々は直線的と循環的の二種類を混用している。例えば、二〇一八年一〇月六日という表記のうち二〇一八年は一度過ぎてしまえば二度と来ないもので、これは直線的記述である。一〇月六日は一年経てばまたやってくるもので、こちらは循環的記述である。多くの場合、年より大きい単位には直線的記述が用いられるようである(マヤ長期暦や干支など、例外はある)。

 直線的記述はさらに二種類に分かれる。まずひとつは時間上のある一点から起算し、その計算による記述を全ての時間に対して及ぼしうるもの。西暦やイスラム紀元(ヒジュラ暦)、ヘレニズム時代のセレウコス紀元、日本の皇紀、朝鮮民主主義人民共和国の檀君紀元などがこれにあたる。これらの紀元による計算法ではその起算点以前にも記述を及ぼしうることにも注意されたい。つまり紀元何年という数え方の数値はいくらでも大きくなりうる一方、マイナスの方向についても「紀元前」という言い方が存在しうる。

 もうひとつは、時間上のある一点から起算するが、その計算による記述を全ての時間に対しては及ぼしえないもの。例えば「某王の即位より何年」というような言い方は、王の即位を起点とし、通常次の王の即位まで用いられるだろう。次の王が即位すればそれが新たな起算点となり、再びそこから年数がカウントされる。こちらは紀元類と異なり、その起算点以前に言及することが困難である。また、新たな起算点ができたあとに以前の起算点からの計算を及ぼさないのが原則である。

 元号もこのような記述の一種で、新しい王の即位や祥瑞や天変地異などで元号が代わるたびに新しい起算点から数え出す。そしてその使用はやはり他の起算点により制限される。例えば昭和元年は一九二六年であるが、一九二五年を「昭和前一年」とは言わない。また昭和は六四年までしか用いられず、一九八九年以降は平成という元号で計算せねばならない。二〇一八年はあくまで平成三〇年であり、昭和九三年とは言わない。昭和九三年と言って言えないことはないが、その場合は何らかの特殊な意図に発する主張か、言い間違いとみなされることになる。かくて、ある特定の地域に元号の制度が続いている限り、その歴史は個々の元号というブロックを無数に並べたものとして把えられやすいわけである。

 元号の最も著しい特色は、それが東アジアの儒教文化圏に存在し、多くの場合漢字二字による称号を伴っていること(漢字三字・四字・六字の元号も少数あり、中世中国北東の遼国では契丹文字、金国では女真文字、同北西の西夏国では西夏文字による元号があった。やや時代を下れば、清国の元号は漢字表記漢語と満洲文字表記満洲語が併用されていた)である。元号が全ての時間を記述しうるものではないということを考え併せると、元号は時間の流れの中のある特定の期間に対する固有名詞のようなものであると言える。

 このように考えたとき、元号の使用や法制化に反対する声が少数でも決して絶えない理由が察せられる。紀元の使用を主張する人々は、全ての時間を同一の基準で計算すべきだと考えているのに対し、元号はその性質上、君主の行動との関係のもとでしか時間は計算しえないとするものだからだ。また、時間に対して固有名詞をつける権限そのものも問題となるだろう。

 


私年号の定義

 以上のような元号は、その時々の政府の制定と公布によって流通するのが一般的である。東アジアの儒教文化圏では、君主が国家の時間と空間を支配することで秩序をもたらす、という権威の思想が背景にある。これに対し、一地域などの、国家ではない限定された共同体内で流通した元号を私年号という。異年号、偽年号などとも称される。

 私年号の発生は多く次の三つに分類できる。

  1.  地方豪族など時の中央政権に対抗する勢力が、対抗意識や自己顕示から私年号を建てる場合。
  2.  天変地異や疫病流行、戦禍などが早く過ぎるようにとの願いから私年号を建てる場合。この場合、私年号を考案する主体は地方在住の僧侶などの、庶民に近しい知識階級である。近代の一世一元制以前には、公の元号でも天災人災を理由として改元を行なっていたことに注意を要する。
  3.  重大な社会的事件から何年、などという数え方が固定化・固有化して元号の形式となる場合。戦後何年とか震災から何年とかいう言い方も私年号のある種の前段階でありうるということになろう。

 本稿では明治以降の私年号または私年号類似の現象を中心に扱い、対比や背景の理解に必要な場合には公の元号や明治以前の時期にも言及する。

 


奥羽越列藩同盟

 幕末の動乱が最後の山場を迎えつつあった一八六八(慶應四)年。前年の年末に奥羽から江戸に戻った徳川慶喜は朝廷に助命を嘆願すべく日光輪王寺門跡・天台座主であった輪王寺宮能久親王に仲介を頼んだ。能久親王は京都へ向かったが途中で参内を拒否され東叡山寛永寺に戻った。同年、東北諸藩は新政府の会津討伐命令を拒否し、旧幕勢力として奥羽越列藩同盟が成立。江戸でも旧幕勢力と新政府の間で五月一五日に上野戦争が始まり、能久親王は間一髪寛永寺を脱出、軍艦長鯨丸で奥羽へ向かう。

 能久親王は仙台の白石城に迎え入れられ、六月一五日に「東武皇帝」として即位、慶應四年を「大政元年」と改元した。一時はニューヨークタイムス誌が日本に二帝並立と報じるまでになったものの、薩長の東北進軍により列藩同盟は解体の一途をたどり、肝心かなめの会津藩も九月には降伏した。その後の東北諸藩の運命は近代日本の暗い一面としてよく知られるところである。

 能久親王は謹慎のあと一八六九年に伏見宮として復帰、ドイツ留学・陸軍第六師団長を経て近衛師団長として日清戦争に出征、一八九五年台南で肺炎により死去する。

 この「大政」元号を使用した資料としては「東武皇帝閣僚名簿」が知られているが、奥羽諸藩の元号については他の話も伝わっている。久保常晴『日本私年号の研究』によれば、慶應四年五月一七日付『中外新聞』が以下のように報じているという。

元号を延寿に改めらるるとの噂

遠近新聞十五号に仙台蔵屋敷に住居の藩士、米穀を悉く商人に渡し、皆々引き払ひたる旨を記せり、右は去月廿五日廿六日両日のことにて、国元より急飛脚来り早速帰国の事を申越したる故なりと云、その事柄は仙台を始め、奥州十五藩必ず一致して会津を援け、防戦の用意なし、既に官軍の参謀三名を擒にして之を殺し、九条殿並に醍醐殿を本城に入れ奉りて警固し、尚棚倉に逗留せらるる沢殿をも仙台へ引戻さんとの事で、国元の騒動大かたならず、最早昨今に至りては総軍勢追追下野を押して押寄せなるべし、年号延寿と改元ありしとの風聞盛なりと雖も、未確証を得ず

(後略)

この記事を信じるならば、皇族担ぎ出しも改元も噂のほうが先にあったということになり、徳川将軍に代わる何らかの正統性を確保せねばとの列藩同盟の焦りが組織の末端にまでにじみ出ていたことを示唆していよう。

 用字の面からは以下のことが指摘できる。まず「東武皇帝」とは「東北の武家の奉ずる皇帝」であり、武家の支配を承認してくれるミカドを看板とすることを表示しているが、このことは列藩同盟が旧幕勢力でありながらすでに徳川家をあてにできなくなっていたという権威の空洞化に発するものである。元号を「大政」とすることで、大政すなわち政権担当の正統は東北諸藩にあると主張する意図があると思われるが、これはすでに慶應三年になされていた大政奉還を否定することにつながる。もちろん諸情勢はそのような主張を容れ得なかった。

 「延寿」は「大政」と異なり、裏付けのない噂として流布した元号であるが、それだけに旧幕勢力の「寿」命が「延」びるようにという願望が直接的に表現されている。称号・元号ともその字面は列藩同盟の劣勢を反映し、せつなさを通り越して悲壮でさえある。なお、新政府の明治改元は一八六八年九月であり、この点では列藩同盟は先を行っていた。

 さらに余談。江戸期の長期安定政権下では私年号はほとんど発生しなかったが、江戸時代最末期に至って各地で私年号が用いられたことが近年の研究で判明している。例として「亀光元年」(=文久二年、福岡藩内)、「天晴元年」(=慶應三年、土佐藩内。「天星」「天政」の用字もあり)、「神徳元年」(=慶応三年、房総地域の船主組織で使用)、「神治元年」(=慶応三年、人吉藩内)などがある。ほぼ同時多発的に用いられたこれらの私年号の背景には、幕藩体制末期の機能不全と、各地域の自治組織の一定の隆盛を想定することが可能ではないだろうか。

 


秩父困民党

 日本の自由民権運動は一八七四年の国会開設要求運動に始まり、一八九〇年の大日本帝国憲法制定前後まで続いた。この運動は国内では参政権獲得と地租軽減、対外的には不平等条約の改正を重要な目標としていたが、一八九二年、日清戦争以降には保守的な国家主義に飲み込まれていく。

 自由民権運動の重要な推進力となったのが一八八〇年に設立された自由党である。絶えず政府の弾圧を被り、かつ党中央(薩長藩閥に反発する都市知識人が中心)と地方党員(明治期の諸政策下で困窮する農民が多数)の解離から運営に困難を生じつつも様々な歴史的役割を果たしたが、一八八四年に突如解党を宣言した。その理由の詳細は現在でも必ずしも明らかにされていないが、確かなのは自由民権運動がその勢力基盤を失い、少数の自由党員の急進化と地方の農民党員の孤立を招いたということである。

 自由党解党以後の自由民権運動で最も大規模なのが、一八八四年の秩父困民党の蜂起である。

 東日本の生糸生産地域は、当時の国家財政政策の影響と不況による糸価の暴落で困窮していた。一八八三年、すでに起きていた数十件の小規模な騒乱を背景に、秩父の自由党員落合虎市らは負債農民の代表として秩父郡役所に請願行動を起こし、村民の支持を獲得。その過程で自由党の規約が伝統的な世直し世均しの観念の影響下で読み替えられていった。具体的には、参政権獲得と地租軽減ではなく、「高利貸しや銀行を潰し世を平らにし人民を助ける事」が当地の自由党の存在意義となったのである。

 彼らは地域の民権家などに連帯を呼びかけ、一八八四年までに規約を定めた困民党を結成。同年一〇月には武装蜂起し、その数は一万人に達した。整然とした組織と厳しい規律の下で一一月一日秩父郡役所を占拠、秩父郡全域が困民党のコミューンとなった。しかし一一月四日には鎮圧軍と困民党の対決を前に、困民党軍総理田代栄助らの本陣が突如逃走し、困民党軍は総崩れとなってしまった。この後も困民党軍の一部は信州・甲州に転戦するが八ヶ岳山麓で壊滅する。

 この秩父での蜂起の間、困民党内で「自由自治元年」という元号が使用されたと言われている。実際にはこの元号は太田次郎らの八王子での「盟約」という文書に残っているのみで、色川大吉によれば偽文書の疑いが強いものという。しかし、ライターの浅羽通明氏は、

しかし、自由民権と世直し一揆の諸要素が混在し、禊教などの幕末啓示宗教の影響等の土俗的千年王国めいた要素さえ窺えるこの事件の周辺で、私年号が生まれていることはやはり興味深い。

と、この「自由自治元年」への関心を表明している(「うわさが宿した千年王国― 平成改元とハルマゲドン幻想」)。非常時に成立するコミューンが持つ千年王国的性格と、その内部での特別な時間観念は私年号の創案・使用に近しい性質があり、「自由自治元年」は実際に困民党内で使用された私年号ではなかったにせよそうした時間観念の表現のひとつではある、という評価なのだろう。

 関東甲信地方は、室町時代末期の戦乱・飢饉・疫病などに際して私年号がたびたび用いられた(徳応元年=一五〇一年、弥勒元年=一五〇四年、宝寿元年=一五三五年、命禄元年=一五四〇年、など)土地柄でもある。

 


台湾民主国

 日清戦争における清国敗戦の結果、一八九五年四月一七日に日新講和条約(下関条約)が結ばれ、台湾島は日本に割譲されることとなった。台湾巡撫の唐景崧や台湾の有力者丘逢甲らはこれに強く反発、清国政府中央に割譲を中止するよう何度も要請した(遼東半島の例に倣い、列強の干渉を呼び込んで日本の翻意を促す提案を含む)が成果はなく、情勢を覆すには至らなかった。丘逢甲ら台湾住民は五月二三日に「台湾民主国」の独立を宣言。同二五日には唐景崧が推戴により民主国総統(伯理璽天徳=英語president の音訳語)に就任、年号を「永清」、国旗を「藍地黄虎旗」に定めることを発表した。

 これに対し日本は台湾へ出兵、基隆への攻撃を開始した。唐景崧は六月六日に台湾を脱出し厦門へ逃亡、日本軍は台湾全土を平定し台湾総督府が設立された。唐総統指揮下の台湾民主国はわずか二週間、その後を継いで日本への抵抗を指揮した劉永福も一〇月一九日には台湾を脱出しており、台湾民主国の組織による抵抗運動は一八九五年中には壊滅したものと思われる。二〇〇一年に国立台湾博物館で開催された台湾民主国に関する展示の図録『黄虎旗的故事』(二〇〇二年刊)には、永清年号の具体的な使用例は一切見当たらない。

 現在に至るまで、台湾は大陸中国と一線を画す存在であり続けており、台湾民主国はその先駆であった。その国旗や国名、元号には、清国への依存と反発を同時にうかがうことができる。

 台湾民主国の「民主」は、台湾の独立が住民の総意によるものであることを強調しているが、同時に「君主」国である清国をあてにしない態度の表明でもあるだろう。台湾民主国の国旗「藍地黄虎旗」は、清国の国旗である「黄地青龍旗」と全く対照的なものである。虎と龍の相対は中華世界の美術作品に無数に見られる古典的な構図であるし、青地に黄色の図を置く旗と黄色地に青の図を置く旗、色彩も全く対照的である。こうした国旗の図柄の選択は、清―台湾間の対立と相補、いずれの表現とも解釈できよう。

 加えて、元号「永清」の用字は明らかに台湾が「永」遠に「清」国の勢力下にあるようにとの願望を表現しているが、一方で改元という行為自体が清国にも日本にも属しない第三勢力としての台湾の主張となっている(『黄虎旗的故事』一二二ページには「永戴盛清」という表現があるが、その典拠は不明)。このような中華体制に対する矛盾含みの態度は、次項の大韓帝国にも見られるものである。

 



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