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第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-14)

 §§  もう一度、全体の構成を纏めてみよう。

 

 

・【1】~【2】貨幣取扱資本の基本的な位置づけと規定


・【3】~【5】
貨幣の具体的な運動(抽象的な諸機能=流通手段、支払手段、蓄蔵貨幣)から貨幣取扱資本がそれらの機能を集中して担う特殊的資本であることが指摘されている。

 

・【6】~【7】ここでは貨幣取扱資本を分業の発展という視点から位置づけされている。それは二重の意味での分業を発展させる。

 

・【8】~【19】貨幣取扱資本の歴史的な考察が行なわれている。これによって貨幣取扱資本が両替業(国内鋳貨)や地金取扱業(世界貨幣)と出納代理業(蓄蔵貨幣)から出てくることが指摘されている。

 

・【20】~【23】ここでは貨幣の流通が商品の流通の結果であり、それに規定されているように、貨幣取扱資本も生産的資本や商品取扱資本の結果に技術的に関連するだけであることが指摘されている。貨幣取扱資本の従属性というか被規定性という特質を位置づける意義があるように思える。

 

・【24】ここでは貨幣取扱資本は、そうしたただ貨幣流通の技術的操作に関わるという限定性や商品流通の結果だけに関わるという被規定性から、生産的資本や商業資本のような資本の循環のような特殊的循環を描くことはできないことが指摘されている。

 

・【25】貨幣取扱資本も資本であるかぎり資本の一般的形態G-G'をとるが、ここでのG-G'は変態の概念の諸契機に関連するのではなく、ただその技術的な諸契機に関連するだけであることが指摘されている。


・【26】貨幣取扱資本が取り扱う貨幣資本総量は流通のなかにある商人や産業資本家たちの貨幣資本だということ、貨幣取扱資本はそれをただ媒介するだけに過ぎないことが指摘されている。


・【27】貨幣取扱資本においても、商品取扱資本でそうであったように、二重化が生じることが指摘されている。要するに貨幣取扱資本は生産的資本や商業資本の貨幣流通にかかわる諸操作を代行するが、それはそうした操作の必要をそれらの資本から無くすのではなく、部分的にはそうした操作をそれらの資本においても行なわれ、その意味で二重化が生じるということである。これで全体が終わっている。

 

  こうして全体を見てみると、次のような構成が見えてくる。

 

  つまり最初は貨幣取扱資本というのは、商品取扱資本がそうであったように生産的資本の流通過程における一つの契機である貨幣資本が特殊的資本として分離し自立化したものとの基本的位置づけが与えられる。
  だからそれは貨幣資本の運動が自立化したものだが、貨幣資本も流通過程では、単なる貨幣として振る舞うのであり、だから貨幣取扱資本は貨幣の単純な流通における諸機能をただ技術的に担うに過ぎないことが導き出される。
  だからこうした生産的資本の流通過程における一契機である貨幣資本の自立化というのは、全体としては分業の発展のなかに位置づけられるわけである。そして分業には社会的分業と同時に作業所内の分業があることが指摘される。
  貨幣取扱資本の作業所内のさまざまな分業は、しかし貨幣の諸機能に規定されたものであるが、それらは歴史的にはさまざまな業者によって担われてきたものが、最終的には貨幣取扱業として、集約されて一つの作業所内の分業を形成するようになったということである。これを示すために、マルクスはそれぞれの業務の歴史的起源を明らかにしているといえる。これが歴史的な叙述が入ってくる理由であろう。
 貨幣の単純な諸機能からそれがさまざまな業務として担われることは分かったが、それが実際にはどういう業務になるのかは、歴史的な実践のなかで明らかになるものだからである。だからそれは歴史的を遡ってどういう業者によってそれが担われてきたのかを、まず明らかにする必要から、マルクスは歴史的叙述を行っていると思える。
 すなわち、貨幣取扱資本の作業所内のさまざまな分業のぞれぞれの分枝は、やはりそれぞれに歴史的起源をもっていること、それを歴史的叙述によって明らかにすることが歴史的叙述の本来の目的なのである。貨幣の諸機能が、どういう作業や操作によって、歴史的には行われてきたのかは歴史を探る以外には分からないことだからである。
 貨幣には大きく分けて国内鋳貨と世界貨幣があり、さらには両貨幣に共通する蓄蔵貨幣があるが、こうした貨幣の規定性と機能から歴史的には両替業(国内鋳貨)と地金取扱業(世界貨幣)、そして出納代理業(蓄蔵貨幣)が生まれ発展して、それらが貨幣取扱資本の作業所内の分業を構成することになったというわけである。
  その次にマルクスは貨幣取扱資本が商品流通の結果に関連するだけ、しかもただ技術的な操作に関わるだけという限定性を述べている。
  だから貨幣取扱資本は生産的資本や商品取扱資本のような資本の循環を描くことは出来ないこと。
  もっとも貨幣取扱資本も資本であるかぎり資本の一般的な形態G-G'の形態をとるが、しかし変態の概念的な諸契機には関わらず、ただ技術的な諸契機に関わるだけであること。  貨幣取扱資本の取り扱う貨幣資本総量も、ただ生産的資本や商品取扱資本の貨幣資本であって、与えられたものでしかないこと。
  あるいは貨幣取扱資本の利潤は生産的資本が生み出す剰余価値からの控除にすぎないこと。
  そして最後に、貨幣取扱資本においても、商品取扱資本でそうであったように、二重化が生じることが指摘されて終わっている。

 

  だからこの第19章は真ん中に歴史的叙述が入るというやや特異な構成になっているのであるが、しかしそれは貨幣取扱資本の作業所内の分業がそれぞれ歴史的には異なる業者から発していることを明らかにするためであることが分かる。だからそれはその限りでは貨幣取扱資本の歴史と言えないこともないが、しかし単純に貨幣取扱資本の歴史を叙述することが目的ではなく(それ自体はエンゲルスが第20章としたところで考察の対象なっている)、貨幣の諸機能から如何なる作業が生じてくるのかは、現実の歴史のなかでしか明らかにならないからでもあり、それを明らかにするために歴史を遡っているのである。だからその意義は、例えば第1巻の第1篇の第2章「交換過程」のなかで、途中に歴史的叙述が入ってくるのと同じような意味があるのではないかと思われる。

 

  われわれはもう一度、この第19章の展開を振り返ってみよう。貨幣取扱資本は商品取扱資本と同じように、生産的資本の流通過程における資本形態(商品資本、貨幣資本)が特殊な資本として独立化したものであった。これは資本主義的生産の内的編制を論理的に辿る過程では論理的な順序であり、展開なのである。
  しかし歴史的には、商人資本も利子生み資本(高利資本)も、それぞれ資本主義的生産に先行して独立した存在を持っていた。それが資本主義的生産に従属させられて、その一契機に貶められたのである。だから歴史的にはむしろ商人資本や利子生み資本が資本に従属されたのであるのに、論理的な展開では、まず生産的資本の運動が先にあり、その運動の一契機である商品資本や貨幣資本の運動が特殊的資本の運動として分離独立したものとして展開されるのである。だから論理的な過程は、まさにここでは歴史的な過程とはまったく反対になっているわけである。


  マルクスは『経済学批判要綱』の序文の「3 経済学の方法」のなかで、次のように書いている。

 

  〈すべての社会形態にはある一定の生産があって、それがその他のすべての生産に順位と影響力とを指定し、したがってその生産の諸関係がまた他のすべての諸関係に順位と影響力とを指定するのである。それは一般的照明であって、その他のすべての色彩はそれにひたされて、それぞれの特殊性のままにに変色させられる。それは特殊的なエーテルであって、そのなかに浮き出てくるすべての定在の比重を決定する。〉 (資本論草稿集①59頁)


  〈したがって経済学的諸範疇を、それらが歴史的に規定的な範疇であったその順序のとおりに並べるということは、実行できないことであろうし、また誤りであろう。むしろ、それらの序列は、それらが近代ブルジョア社会で相互にたいしてもっている関連によって規定されているのであって、この関連は、諸範疇の自然的序列として現われるものや、歴史的発展の順位に照応するものとは、ちょうど反対である。問題になるのは、経済的諸関係がさまざまの社会形態の継起するなかで歴史的に占める関係ではない。ましてや、(歴史の運動のぼやけた表象である)「理念における」(プルドン)それらの序列ではなおさらない。そうでなく、近代ブルジョア社会の内部でのそれら諸関係の編制こそが問題なのである。
 古代世界で商業諸民族--フェニキア人、カルタゴ人--が純粋性をもって現われたというばあいのその純粋性(抽象的規定性)は、農業諸民族が優勢であったということ自体によってまさに、あたえられている。商業資本または貨幣資本としての資本は、資本がまだ諸社会の支配的要素になっていないところで、まさにこのような抽象性において現われる。〉 (同61頁)

 

  つまり商業資本(商人資本)や貨幣資本(利子生み資本)、あるいは土地所有というのは(これらは『資本論』第3部の第4章(篇)、第5章(篇)、第6章(篇)をなす)、歴史的には資本主義以前にもそれらは独立して実在していたものである。しかしそれらは資本主義的生産が社会的生産の中心的な位置を占めるように発展する過程で、資本主義的生産の従属的契機に貶められ、資本主義的生産によって染め上げられて、資本主義的生産のなかにその一部分として編制されることになる。そうなるとそれらは歴史的には先行しながら、資本主義的生産の編制の順序としてはもっとも後に展開され、論理的展開においても、転倒して現われてくるわけである。商人資本(そしてそのなかの貨幣取扱資本)は、そうしたものの最初のものなのである。

 

 (以上で、第5篇草稿研究のシリーズの前段として位置づけられた、第4篇第19章該当部分の草稿の段落ごとの解読は終わりである。次回からは、本題である第5篇第21章該当部分の草稿の段落ごとの解読を開始したい。)

 


この本の内容は以上です。


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