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第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-3)

【5】

 〈|276|①資本のうちの一定部分は絶えず蓄蔵貨幣として存在していなければならず(購買手段の準備,支払手段の準備,遊休していて貨幣形態のままで充用を待っている資本),また資本のうちの一部分は絶えずこの形態で還流してくる。このことは,支払いや収納や簿記のほかに,蓄蔵貨幣の保管を必要にするのであり,これはまたこれで一つの特殊的操作である。つまりそれは,実際には,蓄蔵貨幣を絶えず流通手段や支払手段に分解することであり,また,販売で受け取った貨幣や満期になった支払いから蓄蔵貨幣を再形成することである。--資本のうちの,機能そのものから分離した,貨幣として存在する部分のこの絶えざる運動,この技術的な運動が,特殊的労働および費用の,すなわち流通費の原因となるのである。

 

①〔注解〕ここから次パラグラフの終わりまでは,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』,MEGAII/3.5の1698ページ35行-1699ページ17行から,変更を加えて取られている。
②〔異文〕「や簿記」--書き加えられている。〉
(316317-頁)

 〈資本のうちの一定部分は絶えず蓄蔵貨幣として存在していなければなりません。例えば購買手段の準備のためとか,支払手段の準備のためとか,あるいは遊休していて貨幣形態のままで充用を待っている資本などです。だから資本のうちの一部分は還流してきて絶えず蓄蔵貨幣の形態で滞留します。このことは,貨幣取扱業務に、支払いや収納や簿記のほかに,蓄蔵貨幣の保管を必要とします。これはまたこれで一つの特殊的操作です。つまりそれは単に保管するだけではなく、実際には,蓄蔵貨幣を絶えず流通手段や支払手段に分解することであり,また,販売で受け取った貨幣や満期になった支払いから蓄蔵貨幣を再形成することです。--生産的資本のうち,貨幣資本として存在する部分にまつわるさまざまな機能,すなわち貨幣としての絶えざる運動,その技術的な操作が,特殊的労働によって担われ、資本にとっての一つの費用となり,資本のとっての流通費の原因となるのです。〉

 【ここでは貨幣取扱資本の一つの機能として、蓄蔵貨幣の保管という操作があることが導き出されている。それは蓄蔵貨幣をただ保管するというだけではなく、それを流通手段や支払手段として機能させるために支出することや、あるいは受け取った貨幣を絶えず蓄蔵貨幣として再形成することでもあり、そのためにさまざまな技術的操作が必要となり、特殊的労働によって担われることになるわけである。
  ここで大谷氏の訳者注47)によれば、本文の〈--資本のうちの……〉以下の部分は不完全文章を訳したものだとしている。そういうこともあって、この部分の文意はなかなか理解しずらいものとなっている。書き下し文ではできるだけその文意を生かして書いてみたが、エンゲルス版をみると、ここは次のようになっている。

  〈このような、資本機能そのものから分離した、貨幣として存在する資本部分の不断の運動、この純粋に技術的な操作が、特別な労働や費用--流通費--の原因になるのである。〉 (全集25a394-395頁)

  この場合、大谷氏の翻訳文より--できるだけマルクスの草稿を忠実に訳そうとする意図は分からないではないが--、エンゲルスの編集したものの方が、よりすっきりと理解できるように思える。
  なおこのパラグラフ全体もMEGAの注解①によれば、61-63草稿から変更を加えて取られているとの指摘がある。その草稿の当該部分もすでに紹介したものの一部である。しかし重複を恐れず、今回のパラグラフに相当する部分だけを抜き書きしてみよう。

 〈資本の一定の部分は絶えず蓄蔵貨幣として(貨幣準備、すなわち購買手段の準備金や支払財源つまり支払のための準備金として)存在しなければならないのであって、資本の一部分は絶えずこの形態で還流する。これは、支払や収納のほかに、この蓄蔵貨幣の保管を必要とするが、これもまた一つの特殊な操作である。つまり、それは事実上蓄蔵貨幣が絶えず流通手段や支払手段に分解することであり、また、販売で受け取った貨幣や満期になった支払として蓄蔵貨幣が再形成されることである--このような--〔資本の〕機能そのものから分離した--貨幣として絶えず存在する資本部分の不断の運動、この技術的な運動が、特別な労働や費用の原因になるのである。〉

 ここで、大谷氏が不完全文章としている部分に該当すると思える部分を上記抜粋文から取り出すと、次のようになっている。

 〈--このような--〔資本の〕機能そのものから分離した--貨幣として絶えず存在する資本部分の不断の運動、この技術的な運動が、特別な労働や費用の原因になるのである。〉

 これを見てもエンゲルスの編集は適切なものだということが分かるであろう。】


【6】

 資本の諸機能によって必要とされるこれらの技術的操作の一部は,分業が進むにつれて必然的に,資本家階級全体のために一部類の代行者あるいは資本家によって専有の機能として行なわれるようになり,また彼らの手に集中するようになる。それはこの場合にも,商人資本の場合と同様,[389]二重の意味での分業である。それは特殊的営業となる。また,それが特殊的営業としてこの階級全体の貨幣機構のために行なわれるので,それは集中されて大規模に営まれるようになる。そして,この営業の内部でも,互いに独立したさまざまな部門への分裂によって,またこれらの部門の内部で作業場の発展によって,分業が生じるのである(分業をともなった大きな事務所)。貨幣の払い出し,貨幣の収納,差額の決済,貨幣の保管,等々は,これらの技術的操作を必要とさせる諸行為から分離して,これらの機能に携わる資本を貨幣取扱資本にするのである。
 

①〔異文〕「階級全体のための特殊的営業」という書きかけが消されている。〉 (317-318頁)

 〈生産的資本の流通にかかわる諸運動は、分業の発展が進むにつれて必然的に、それらをもっばら担う特殊的資本の運動へと分化します。商品資本の運動が商品取扱資本になったように、貨幣資本の運動は貨幣取扱資本となります。つまり貨幣資本の運動の技術的操作の一部は,分業が進むにつれて必然的に,資本家階級全体のために一部類の代行者あるいは資本家によって専有の機能として行なわれるようになり,また彼らの手に集中するようになるのです。それが貨幣取扱資本なのです。
 この場合にも,分業は、商人資本の場合と同様に,二重の意味を持っています。それはまず生産的資本や商品取扱資本と区別され、一つの社会的分業を担う特殊的資本となり、営業となります。また,それは特殊的営業としてこの階級全体の貨幣機構のために行なわれるので,集中されて大規模に営まれるようになります。そうすると,この営業の内部でも,互いに独立したさまざまな部門への分裂によって,またこれらの部門内部で作業場の発展によって,分業が生じるのです。分業をともなった大きな事務所などがそれです。貨幣の払い出しや貨幣の収納,差額の決済,貨幣の保管,等々は,本来は生産的資本によって担われていたものです。これらの技術的操作を、生産的資本の諸行為から分離させ,これらの機能にもっぱら携わる資本として自立化したものがすなわち貨幣取扱資本なのです。〉

 【ここでは貨幣取扱資本が商品取扱資本と同様に、本来は生産的資本がその流通過程で担っていた運動が分業の発展ととともに自立化したものであることを指摘し、そしてこの場合も分業は二重の意味を持っていることを指摘している。つまり貨幣取扱資本や商品取扱資本は、本来は生産的資本の運動の一部分を形成していたものが分離し、独立の特殊な資本となることによって、社会的な分業を形成することになったものであること、さらにこれらの資本のなかにおいても、さまざまな諸機能が分離してさまざまな作業に分割されて事務所内分業を形成するということである。こうした意味での二重の意味をもつと述べていると考えられる。
 ところでこの部分についても、先に紹介した61-63草稿から、それに該当すると思える部分を抜粋してみよう。

 〈分業が進むにつれて、資本の機能から生じるこのような技術的な操作は、資本家階級全体のために特定の機能者たちが担当するものになり、しかも、こうしたことは彼らの手に集中するようになる。それはこの場合にも、商人資本の場合のように、二重の意味での分業である。それは特殊な操作、特殊な業務となり、また、それが特殊な業務となりこの階級全体のために行なわれるので、それは集中されて大規模に営まれるようになり、また、この特殊な業務のなかには、互いに独立ないろいろな部門への分裂によって、またこれらの部門のなかでの作業場の発達によって、分業が現われてくる。この運動のなかにある生産資本の一部分は、生産資本から分離して、単にこれらの操作--まず第一に貨幣の保管、貨幣の払出し、貨幣の収納、差額の決済などは、これらの技術的操作を必要とする行為から分離する--にのみ携わるのである。これは貨幣取引業として独立した生産資本である。〉

 今回のパラグラフとこの抜粋文とを比べると、MEGAによる注解はないが、ほぼマルクスは61-63草稿からとっていることが分かる。61-63草稿の方が二重の意味での分業とマルクスが述べている内容が分かりやすいような気がする。また注目すべきことは、貨幣取扱資本を〈これは貨幣取引業として独立した生産資本である〉と述べていることであろうか。もっともこうした文言は『資本論』では消えているのではあるが。

 ところで大谷氏の訳者注59)も参考のために紹介しておこう。

 〈59)〔E〕「分業をともなった大きな事務所〔großer Bureaus mit Theilung d.Arbeit〕」→ 「大きな事務所,多数の簿記係や出納係,細分化した分業〔große Büros,zahlreiche Buchhalter und Kassierer,weitgetriebne Arbeitsteilung〕」
 草稿の,パーレンによってくくられたこの一句は,草稿での原文中のgroßer Bureausをそのままとすると,これは複数2格であるから,原文ですぐ前にあるEntwicklung d.Ateliers innerhalb dieser Branchenの部分のうちのBranchenないしAteliersと同格とみなければならない。つまり,「これらの部門の内部での作業場の」の部分のうちの「部門」ないし「作業場」と同格と見ることになる。しかしここでは,エンゲルス版でのようにgroße Bürosと1格にして,文の末尾につけ加えられたものとして読む方が自然のように感じられるので,その位置に置いておく。〉
(318頁)

 この場合もエンゲルスの編集の方が分かりやすいような気がするが、どうであろうか。】


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-4)

 

【7】

 〈さまざまな操作がもろもろの特殊的営業として自立することから貨幣取扱業が生じるのであるが,これらの操作は,貨幣そのもののさまざまな規定性と貨幣そのものの諸機能から,つまり資本もまた貨幣資本の形態にあればなし遂げなければならない諸機能から,生じるのである。〉 (頁318-319)

 〈生産的資本の流通過程におけるさまざまな操作がもろもろの特殊的営業として自立することから貨幣取扱業が生じるのですが,これらの諸操作は,貨幣そのもののさまざまな規定性と貨幣そのものの諸機能から,つまり資本もまた貨幣資本の形態にあればなし遂げなければならない諸機能から,生じるのです。〉

 【ここでは貨幣取扱資本の諸機能は、貨幣そのものの諸機能から生じることが指摘されている。貨幣そのものの諸機能というのは、『資本論』第1部の冒頭で考察された抽象的な貨幣の諸機能である。つまり貨幣資本もそれが流通過程では単なる貨幣として振る舞うのであり、だから流通過程にある貨幣資本の運動を純粋に技術的な機能として担う貨幣取扱資本は単なる貨幣の機能に規定されてその営業を行なうということである。】


【8】

 〈私が以前に指摘したように,そもそも貨幣制度が最初に発展してくるのは,さまざまな共同体のあいだでの商品交換(生産物交換)のなかでである。a)〉 (319頁)

 〈こうした単純な貨幣は、あるいは、そもそも貨幣制度が最初に発展してくるのは,私が以前に指摘したように、さまざまな共同体のあいだでの商品交換(生産物交換)のなかでです。)〉

 【ここでもマルクスは原注として『経済学批判』の当該箇所を指している。というのは、すでに指摘したように、マルクスがこの第3部の草稿を書いていた時には、まだ『資本論』第1巻は刊行されていなかったからである。そしていうまでもなく、ここでマルクスが述べているようなことは『資本論』でも書かれているのである。ここでは両方の当該部分を抜粋しておこう。

  ・『経済学批判』--〈実際には、諸商品の交換過程は、もともと自然生的な共同体の胎内に現われるものではなく、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで物物交換が始まり、そしてそれがそこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。〉 (草稿集③240頁)

  ・『資本論』--〈商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる。〉 (全集23a118頁)

 なおついでだが、すでに『経済学批判要綱』にも次のような一文がある。

 〈スラヴ人の共同体のばあいも、貨幣、そしてその発生条件である交換は、個々の共同体の内部では現われることがないか、現われたとしてもわずかでしかないのであって、その境界において、他の共同体との交易で現われたのであるが、それでみても、交換を共同体のただなかに本源的な構成要素として措定することは、およそまちがいなのである。むしろ交換は、最初は、一個同一の共同体の内部の成員にたいしてよりは、異なった共同体の相互の関連のなかで現われてくるのである。〉 (草稿集①54頁)】

【9】

 〔原注〕a)①『経済学批判』,云々。〔原注a)終わり〕

 

①〔注解〕カール・マルクス『経済学批判。第1分冊』,ベルリン,1859年,26-28ページ(MEGAII/2,S.128-129)。〉 (319頁)

 【これについてはすでに上記で紹介しておいた。
 しかし問題は、なぜ、マルクスはここでこうした貨幣制度の発展について、共同体と共同体とが接触するところから商品交換が生まれ、よって貨幣制度も生まれてくるというような、『批判』や『資本論』でも最初のあたりで問題になったようなことを論じているのかということである。しかしこれについては次のパラグラフ以下を解明していくなかで明らかになっていくであろう。】

 


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-5)

 

【10】

 それだから,貨幣取扱業はなによりもまず国際的交易から発展してくるのである。外国で買い入れをする商人は,さまざまな国内鋳貨〔を必要とし〕,現地の国内鋳貨を外国の鋳貨と,またその逆に,替えなければならないし,またこの両者を世界貨幣としての未鋳造の純銀(または純金)とも替えなければならない。そこから両替業Wechselgeschaft〕が生まれるのであって,これは現代の貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つとみなすべきものである。b)そこから発展してくるのがもろもろの振替銀行Wechselbank〕であって,ここでは銀(または金)が,[390]世界貨幣として--いまでは,流通鋳貨〔Courantmünze〕とは区別される銀行貨幣あるいは商業貨幣Handelsgeld〕として〔--〕機能する。為替業Wechselgeschaft〕は--それが一国の両替業者〔Wechsler〕から他国の両替業者にあてた,旅行者のためのたんなる支払指図であるかぎりでは--すでにローマやギリシャでも,本来の両替業〔Wechslergeschäft〕から発展してきたのである。

①〔異文〕「銀(または金)」← 「金または銀」
②〔異文〕「旅行者のための」--書き加えられている。
③〔注解〕「すでにローマやギリシャでも,本来の両替業〔Wechslergeschaft〕から発展してきた」--カール・ディートリヒ・ヒュルマン『中世の都市制度』,ボン,1826-1829年,442-450ページ,を見よ。マルクスは「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートXVII,38ページ(MEGAIV/10〔未刊〕を見よ)でこの書から抜粋している。〉 (319-320頁)

 〈貨幣取扱業の諸業務が単純な貨幣の諸機能によって規定され、単純な貨幣は共同体と共同体との接触するところから発生してくるからこそ、貨幣取扱業そのものも歴史的にはなによりもまず国際的交易から発展してくるのです。外国で買い入れをする商人は,まず彼が営業を行なっているさまざまな国内鋳貨を必要とします。そしてその国内鋳貨を商品を買い入れる当該の外国の鋳貨に替えなければなりません。そしてまた逆に,外国から支払を受けた場合には、それを国内の鋳貨に替えなければなりません。あるいはこの両者を世界貨幣としての未鋳造の純銀かまたは純金に替えなければならない場合もあります。そうした事情から両替業がまず生まれてくるのです。これは現代の貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つとみなすことがてきます。そしてそこから歴史的に発展してくるのがさまざまな振替銀行なのです。そこでは銀(または金)が,世界貨幣として機能しています。そしてこうした流通鋳貨とは区別される、銀行貨幣(?)あるいは商業貨幣(為替)が生まれてくるのです。こうした為替を取り扱う為替業は、それが一国の両替業者から他国の両替業者にあてた,旅行者のためのたんなる支払指図であるかぎりでは、すでにローマやギリシャでも,本来の両替業から発展して存在していました。〉

 【どうやら【7】パラグラフからは貨幣取扱資本の歴史的な起源を論じるもののように思える。【7】や【8】はその前提として貨幣取扱業のさまざまな業務は、単純な貨幣の諸機能に規定されたものだとの指摘がまず行なわれ(【7】)、次に貨幣資本が流通過程で振る舞う単純な貨幣(単なる貨幣)、あるいは貨幣制度というのは、これもすでに『批判』や『資本論』でも明らかにされたように(しかしマルクスがこの草稿を書いていた時には『批判』しかなかったのだが)、歴史的には共同体と共同体とが接触するところから発生するとの指摘があり(【8】)、その上で、だから貨幣取扱業というのは、歴史的には国際交易から発展してくるのだということが、このパラグラフから論じられている。それはそこからまずは両替業が生まれ、さらにそこからもろもろの振替銀行が発展してくるのだと指摘されている。
 
 両替業=貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つ
 両替業がもろもろの振替銀行へ発展

という関係の指摘がある。

 振替銀行が発展してくるということは、銀や金など現金の代わりに、為替手形が流通していることが前提されている。為替手形は貨幣の支払い手段としての機能から生まれて、債権・債務関係を形成する。単なる手形とは貨幣の支払い約束のことである。商品を買った場合、現金の代わりに一定期日後に支払いを約束する証文を手渡す、それが手形である。購買者は債務者となり、販売者は債権者となる。為替の場合は、遠方に現金を送りたい場合、現金を送る危険や費用を避けるために、第三者(この場合は両替業から発展した為替業者)に支払いを委託する証文を発行することである、それが為替である。それを遠方にいる受取人に送り、受取人は現地の為替業者(あるいは前者の支店)にその為替を提示して現金を受け取るのである。だから後者の場合には、両替業者かあるいは為替業者に、何らかの現金を預けておくことが前提される。
  これらから振替銀行が発展してくるというのは、手形の場合、その手形を引き受けた両替業者が他の両替業者と手形を交換あって、それぞれの帳簿上の操作によって相殺し合うということであろう。そうすることによって手形の振り出し人からの取り立てを互いに委託し合うことになる。また為替も場合も、遠方の両替業者との間で、それぞれの帳簿上の振替によって相殺し合うことによって、決済し合うことである。だから両替業者間の取引(コルレス関係)が前提されている。
  少し為替と振替の一般的な仕組みを図示しながら説明しておこう。

 

  今、大阪の商人Aが、江戸の商人Bに委託して、物産を販売するとすると、AはBに商品を輸送し、その販売代金を受け取る必要がある。この場合、Bから現金を受け取るためには、現金を江戸から大阪まで輸送しなければならず、途中の危険やその郵送費用を考えると大変である。そこでAは為替手形を振り出すのであるが、これができるためには、A、B以外に、C、Dの二人の別の人物が必要である。大阪にいるCは同じ額だけの現金を江戸のDに送らねばならない場合、CはAの降り出した為替手形を買い(この時点でAは売り上げ代金を入手したことになる)、その為替手形を江戸のDに送ればよい。するとDはその手形をBに提示して、Bから手形に記載されている現金を受け取ることができるわけである。
  ただしここではまだ為替とはどんな役割を持っているかを示しているだけである。この場合もAが手形を降り出した時点で、AとBとの間には債権者と債務者の関係が成立している。同じように、CとDとの間にも債務者と債権者の関係があることが前提されている。そしてその債権・債務関係が一つの手形の降り出しによって相殺されて、諸支払いが決済されているのである。しかしここに問題がある。Aが降り出した為替を、丁度同じ額だけの現金をCが江戸に送る必要があったからいいものの、こうしたことはまったく偶然であり、必ずしも生じるとは限らない。またAはどうしてCを知り得たのかもわからない。そのためには大阪における為替市場が存在することが前提される。また互いの信用についても、いささが不安があるだろう。だからこうした債権・債務の連鎖が成立し、それが相殺によってすべて一気に決済されるというようなことはなかなか難しいことは確かである。こうした難儀をそれぞれの取引業者たちにとって信用のおける両替業者が介在することによって、解決するわけである。ここに「振替」が登場する。だから振替というのは、為替取り引きに両替業(振替業)が介在することによって生じるのである。その場合も、やはり図示して考えてみよう。

 

  今、大阪の両替業者をX、江戸の両替業者をYと、この場合二つの両替業者にしたが、XがYの支店かその逆の場合でもいいわけである。ここではAもCもXと取り引きがあり、Xの台帳にその名前が記載されていて、何らかの現金の残高があること、あるいはYに対しても、BやDに同様の取り引きがあることが前提されている。またXとYの間にも取引関係(コルレス関係)があることが前提されている。
  今、江戸のBから委託した商品が売れたこと、その売上金が100両だと連絡が来たので、その売上金を回収する必要がAに生じたとしょう。同じように、江戸の商人Dは大阪の商人Cに商品を送りその販売を委託し、大阪の商人Cはそれを販売して売上金100両を江戸のDに送る必要があったとしよう。商人Bは売上金をYに預金し、Cも売上金をXに預金しているとする。
  この場合、AはD宛の為替手形を降り出し、その取り立てをXに依頼する。同じように、DもC宛てに為替手形を降り出して、Yにその取り立てを依頼したとしよう。そうするとXとYは互いの手形を交換して、相殺する。そしてXは台帳のCの欄の100両を消して、Aの欄に書き込む。これを「振替」というわけである。同じように、Yは台帳のBの欄にある100両を消して、Dの欄に書き加える。これだけで、すべての支払いは決済されたことになるのである。AもDも必要ならXやYから現金を受け取ることができる。しかし現金そのものは、一切、大阪と江戸との間を動く必要はないのである。これが振替の仕組みである。

  原注bを見ればわかるように、マルクスは、ここではアムステルダムの振替銀行を想定しているように思える。アムステルダムの振替銀行の場合は先きの例とは若干違っている。17・18世紀のアムステルダムは、当時のヨーロッパの物産の集積地として栄え、中継貿易を行っていた。アムステルダムには、そうした貿易を担うマーチャント・バンカーがあったのだという。マーチャント・バンカーというのは、文字通り、商品取扱業と貿易金融業を兼ねたものである。貿易金融というのは、例えば下図のイタリアの輸出商aがマーチャント・バンカーAに絹織物(今、面倒を避けるために、すべての価格を100グルデンとしよう)の販売を委託して商品を輸送し、そのA宛の100グルデンの為替手形を振り出す場合、Aはその手形の引受人になるのである。つまり支払いを保証する。するとAは委託した商品が販売される前に、その為替の現金化が可能になる。図ではaはbに手形を売って現金100グルデンを入手する。Aは送られてきた絹織物をドイツの輸入商cに販売する。cはその代金としてdから買ったB宛の100グルデンの手形をAに郵送する。同じようにドイツの輸出商dもBに毛織物の販売を委託し、B宛の手形100グルデンを振り出し、それをcに販売して現金100グルデンを入手する。Bは委託された毛織物をイタリアの輸入商bに販売する。bはその代金としてaから購入したA宛の手形100グルデンを郵送する。そしてAとBはそれぞれ相手宛の手形をアムステルダム振替銀行にもちこむ。そうすると銀行はAの帳簿に100グルデンを加え、それと同時にBの帳簿から100グルデンを消す。同じように、Bの帳簿にも100グルデンを加え、Aの帳簿から100グルデンを消す。これらは台帳にすべて記載されて残される。これがアムステルダム振替銀行の「振替」業務なのである。こうしてすべての決済は完了する。現金はイタリアにあるものは、イタリア内で、ドイツにあるものはドイツ内で移動するだけで、アムステルダムにも郵送されず、またイタリアとドイツの間でも移動は生じない。

 

 

 

 

 

 

 

  さてここで、マルクスは〈銀行貨幣〉という用語を使っているのであるが、これは如何に理解したらよいであろうか。これは少し先回りになるが、【12】パラグラフの原注b)の後半部分であるフィセリングの『実用経済学提要』を見ると、〈こうしてそこでは,銀行がそのすべての勘定を決済するための鋳貨単位である銀行貨幣と,日常の通流状態にある鋳貨種類である現金貨幣との区別が生じた〉とある。これだけではなかなかよく分からないが、『経済学批判要綱』には次のようなマルクスの説明がある。

 〈ステューアトの場合、観念的尺度基準についてのたわごとは、二つの例によって歴史的に説明されている。その第一はアムステルダムの銀行貨幣であるが、これは流通鋳貨をその地金内容(金属純分)に還元することにすぎないのだから、まさに反対のことを示している。〉 (草稿集②637-638頁)
 
 また『経済学批判』の中にも次のような一文がある。

 〈アムステルダムの銀行貨幣は、実際には、スペインのドブロン貨の計算名にすぎなかった。このドブロン貨は、銀行の地下室で惰眠をむさぼっていたためにその完全量目の脂肪太りの体を保っていたのに反して、勤勉な流通鋳貨は、外界との激しい摩擦のために痩せおとろえていたのである。〉 (草稿集③289頁)

  つまりマルクスによればアムステルダムの銀行貨幣というのは、ただ〈流通鋳貨をその地金内容(金属純分)に還元することにすぎない〉ということのようである。
  当時のアムステルダムにはさまざまな鋳貨が流通していたという。アダム・スミスはそのあたりの事情を次のように述べている。

 〈1609年以前には、アムステルダムの広範な貿易が、ヨーロッパのすべての地方から大量の盗削・摩損した外国鋳貨をもたらしたので、そこでの通貨の価値は、造幣局からでてきたての良質の貨幣のそれを約9分下回るほどにひきさげられていた。このような貨幣は、このような事情のもとではつねにそうなのであるが、出現するや否や熔解されたり運び去られたりしてしまった。商人たちは、通貨を十分にもっていても、必ずしもつねに白分たちの為替手形を支払うほど十分な量の良質の貨幣をみいだせなかったのであって、これらの手形の価値は、それを防止するためのいくつかの法規がつくられたにもかかわらず、ひじょうに不確定なものになったのである。
  これらの不便を救済するため、1609年に、この市の保証のもとに一つの銀行が設立された。この銀行は、外国鋳貨とこの国の軽量で摩損した鋳貨との双方を、この国の良質の標準貨幣におけるその内在的価値(intrinsie value)でうけいれたのであって、鋳造費その他の必要経営費をまかなうのに必要な分だけはさしひかれた。この銀行は、こういう少額の控除をしたあとに残存する価値に対して、その帳簿上で信用をあたえた。この信用は銀行貨幣とよばれたのであって、それは、造幣局の標準に正確にしたがう貨幣を代表するものであったから、つねに同一の実質的な価値をもち、内在的にも通貨以上に値いした。これと同時に、アムステルダムあてに振出されたり、またはそこで発行されたりした六百ギルダー以上の価値をもついっさい手形は、銀行貨幣で支払われるべし、ということが法令化されたので、これらの手形の価値についてのいっさいの不確実性はたちどころにとり除かれた。こういう規制の結果として、あらゆる商人は、自分の外国為替手形を支払うために、この銀行に勘定をもたなければならぬことになり、そしでこのことは銀行貨幣に対する一定の需要を必然的に喚起したのである。〉(岩波文庫『諸国民の富』第3分冊103-104頁)

  つまりアムステルダム振替銀行の銀行貨幣というのは、銀行の預金として記載されている貨幣額のことを意味しているのであり、それはマルクスに言わせれば、〈銀行の地下室で惰眠をむさぼっていた〉〈スペインのドブロン貨の計算名にすぎなかった〉のである。アムステルダム振替銀行は銀行に持ち込まれるさまざまな鋳貨をその計算貨幣に換算して受け入れ、記帳し、それを振替に利用するようにしたのである。だから文献によってはこれを「預金」と説明したり、「預金通貨」と説明しているものもある。しかし厳密には価格の度量基準である一定量の銀の貨幣名というのが正しいであろう。

  次に〈それが一国の両替業者〔Wechsler〕から他国の両替業者にあてた,旅行者のためのたんなる支払指図であるかぎりでは--すでにローマやギリシャでも,本来の両替業〔Wechslergeschäft〕から発展してきた〉と述べられているが、日本においては、次のような指摘がある。

  「中世には為替の語そのものはみられないが,為替類似の信用取引行為は鎌倉時代中期からみられるようになる。銭を対象とするものを替銭(かえぜに、かえせん、かわしぜに、かわし)と呼び,米を対象とするものを替米(かえまい、かわしまい)といった。また利用された手形・証書を割符(さいふ、わりふ、かわし),切符(きつぷ),切紙(きりがみ)などと呼んだ。替銭・替米は,(1)年貢の輸送などの遠隔地への米銭送付に際して,荘園あるいはその近傍の都市で手形に替え,これを荘園領主に送付し,京都,山崎,奈良,堺などで米銭で受け取る場合と,(2)米銭の借用に際して,荘園年貢を引当てとし,荘園現地での支払を約束する手形を振り出す場合との両義を意味した。このため中世の辞典《易林本節用集》は手形である割符を〈両処に銭を通はす義なり〉と説明している。」(『世界大百科辞典』「為替」の項目から)

 「文献にみえるところでは、両替よりも、為替(カワシ)のほうが、はやかった。決済をするとき銭をもちいるのを替銭(カイセン)、米でするのを替米(カイマイ)というが、割符(ワリフ)、為替(カワシ)などの言葉も使われている。弘安二年(1279年)、紀伊国から関東へ訴訟費用が、替銭で送られた文書がある。京都鎌倉間に訴訟費用が為替で送金された例も多いが、鎌倉中期以後、年貢米を、現物で輸送せずして、替銭を利用することが、しばしばおこなわれた。盗賊の心配もあり、為替によるほうが便宜であったのであろう。室町時代になると、この傾向は、ますます進展した。また、社寺参詣の流行につれて、為替送金が使われたし、ことに、商品の流通がさかんになると、商取引にもしきりに利用されている。」(竹中靖一・川上雅共著『日本商業史』47頁)。】

 


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-6)

 

【11】

 

 〈[389]〔原注〕b)「鋳貨は,量目や品位から見ても,鋳造権者だった多くの君主や都市の極印から見ても,非常に多種多様だったから,すでにこのことからも,鋳貨による決済の必要な商業ではどこでも現地の鋳貨を使用する必要が〔生じた〕。商人は,外国の市場に旅するときには現金支払いのために未鋳造の純銀を用意し,おそらくまた金をも用意していた。同様に,帰途につくときには,受け取った現地鋳貨を未鋳造の銀や金と取り替えた。したがって,両替業,つまり未鋳造の貴金属と現地通貨との転換,またその逆の転換は,非常に普及した有利な営業になった。」(K.D.ヒュルマン『中世の都市制度』ボン,1826-29年。第1部。437ページ以下。)〉 (320頁)

 

 【これは〈……そこから両替業〔Wechselgeschaft〕が生まれるのであって,これは現代の貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つとみなすべきものである〉という部分につけらた原注である。この原注は次のパラグラフに続いている。
  この原注は本文でマルクスが述べていることを歴史的事実として述べているものを参考に挙げたという程度のものであろう。あるいはマルクスはこうした文献にもとづいて上記の本文を書いたもといえるかも知れない。その場合は典拠を示したものといえる。
  なお中世の両替業については、次のような指摘がある。

 〈ジェノヴァやヴェネツィア等の海港都市をはじめ、交易の中心地には膨大な種類の鋳貨が持ち込まれ、しかも頻繁な改鋳、摩耗や盗削や偽造・模造などそれらの品位も多様であった。こうした状況下では、鋳貨間や未鋳造の地金との交換が早くから求められたのみならず、そうした業務に携わりうる両替商の諸鋳貨や地金に対する知識は、さらなる活用を求められることになる。
  すなわち、市中で流通する鋳貨類もまた雑多であり、高額な取引ともなれば現金支払の際に絶えず鑑別や計量などが必要であるとすると、他国通貨や地金などを両替商に持ち込んだ商人は、その際に両替商に鑑定された価値額を特定の貨幣に具現化してしまうと、その購買力を現金取引で発揮する時点では一定の費用を要することになる。とすれば、両替時にはその鑑定された価値額に対する請求権を留保しておいて、支払や決済が必要になった時点で、その相手とともに市場・取引所に隣接する両替商の取引台(banco)に行き、その場で両替商から受け取った貨幣をそのまま手渡すことで、鑑別や計量の時間・費用を節約することが可能となろう。その際、受け取った相手もまた同様に現金取引に要する費用の考慮から、両替商の保証する価値額を、そのまま請求権として留保することも考えられる。その場合には、とともに、その支払の記録が残されることになるのである。〉(「セントラル・バンキング論の再考のために--中世後期以降の決済・信用機構とアムステルダム振替銀行」田中英明〔彦根論叢2012winter№394〕191-192頁)

  なお著者のヒュルマンについて全集の人名索引の説明も紹介しておこう。

  〈ヒュルマン,カール・ディートリヒ、Hiillmann,Karl Dietrich(1765-1846)ドイツの歴史家,中世史に関する多くの著作を書いた。〉 (全集第25b巻人名索引44頁)】


【12】

 

 〈「振替銀行wisselbank〕という名称が生まれたのは,……為替wissel〕や為替手形wisselbrief)からではなく,もろもろの貨幣種類の両替wisselnからである。1609年のアムステルダム振替銀行の設立よりずっと前から,ネーデルランドの商業都市 にはすでに両替人wisselaar〕や両替店wisselhuis〕があり,振替銀行さえもあった(W.C.メース氏著ネーデルランド銀行業史試論,云々』,1838年,ロッテルダム,を見よ)。これらの両替人の業務は,外国商人が国内に持ち込んでくる多数の違った種類の鋳貨を法定通用力のある鋳貨と両替することだった。彼らの活動範囲はしだいに拡大された。……彼らは当時の出納代理業者および銀行業者となった。しかし,アムステルダム政府は,出納代理業と両替業との結合は危険だと考え(メース),その危険を防ぐために,両替と出納代理とを公的権限にもとついて行なう一大施設の創立が決定された。この施設が有名な1609年のアムステルダム振替銀行だったのである。同様に,ヴェネツィアやジェノヴァやストックホルムやハンブルクの振替銀行が生まれたのも,もろもろの貨幣種類の両替が絶えず必要[390]だったことによるものである。これらすべての銀行のうちでハンブルク銀行だけがいまなお残っている唯一の銀行であるが,それは,それ自身の鋳貨制度をもたないこの商業都市では,このような施設にたいする要求がいまもなお感じられるからである。… … こうしてそこでは,銀行がそのすべての勘定を決済するための鋳貨単位である銀行貨幣と,日常の通流状態にある鋳貨種類である現金貨幣との区別が生じた。」(247,248ページ。S,フィセリング実用経済学提要』,アムステルダム,1860年,第1部。)〔原注b)終わり〕|〉 (320-321頁)

 

 【これも原注b)の後半部分である。これを見ても両替がもっとも最初のものであることが分かる。そしてここでは両替業が生まれてくる必然性についてもマルクスが指摘していたとおりのことが書かれている。また両替業とは別に出納代理業が生まれ、当初はそれは別々に政府によって切り離されていたこと、そしてその代わりにアムステルダム振替銀行が生まれたことも指摘されている。
  ここで〈しかし,アムステルダム政府は,出納代理業と両替業との結合は危険だと考え(メース),その危険を防ぐために,両替と出納代理とを公的権限にもとついて行なう一大施設の創立が決定された〉とあるが、当時の状況について、次のような指摘がある。

 

  〈アムステルダムに振替銀行設立が必要とされた背景には,16世紀末葉から17世紀初頭にかけて商業都市へと発展したアムステルダムを悩ませた貨幣問題があった。問題の1つは,預金業務や為替業務をおこなう出納業者(kassier,cashier)の為替手形支払に関する問題である。……手形を呈示する債権者の求める金属貨幣に対してその法定重量を満たさない軽量金属貨幣で支払をおこなっていた。出納業者は退蔵した法定重量を満たす金属貨幣を造幣所に持ち込んで軽量版を製造し,再びそれを支払に充てることで利益をあげていた。 〉(「アムステルダム銀行の決済システム―17・18世紀における「バンク・マネー」の意義―」橋本理博・名古屋大学院2013年度博士学位請求論文8-9頁)

 

  こうした出納業者の不正な取り引きを排除するためにも公立のアムステルダム銀行が必要だったということであろう。
  またここではハンブルク銀行が今日まで残っているが、それはこの商業都市ではそれ自身の貨幣制度がないので、その必要が感じられないからであろうという指摘もある。
  そしてこうして〈銀行がそのすべての勘定を決済するための鋳貨単位である銀行貨幣と,日常の通流状態にある鋳貨種類である現金貨幣との区別が生じた〉とある。ここで〈銀行貨幣〉というのはすでに述べたように、為替手形を振替決済する時の預金額を表すものである。それと実際に流通しているなかで磨滅したり、意図的な盗削を受けるさまざまな鋳貨とは、その表す価値額に乖離が生じ、区別が生じたとういうことである。

 

  なお著者のフイセリングについては、全集版の人名索引には、次のような説明がある。

 

 〈ヴィッセリング,シモン.Vissering,Simnon(1818-1888)オランダの俗流経済学者,統計学者〉 (25b32頁)

 

  ついでにウェブ辞書には次のような説明もあった。
 
 〈世界大百科事典 第2版の解説
フィセリング【Simon Vissering】1818‐88
オランダの経済学者。1863年オランダのライデンで西周と津田真道に,治国学の基本として自然法,国際法,国法,経済学および統計学を教授したことで知られている。その講義は後に翻訳され,西周《万国公法》(1868),神田孝平《性法略》(1871),津田真道《泰西国法論》(1868)および,同《表記提綱》(1874)として公刊され,揺籃期の日本の法学・政治学に影響を及ぼした。フィセリングはアムステルダムに生まれ,同地およびライデンの大学に学ぶ。〉】


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-7)

 

【13】

 

 [390]奢侈品製造のための商品(原料)としての金銀の取引は,地金取取扱業すなわち世界貨幣としての貨幣の諸機能を媒介する商業の自然発生的な基礎をなしている。そしてこれらの機能は以前に説明したように二重のものである。すなわち,国際的支払いの決済のためにさまざまな国民的流通部面のあいだで行なわれる往来(利子を求める資本の移動),および,その産源地から出て世界市場に行きわたる運動と国民的流通諸部面のあいだへの供給の分配,である。たとえばイギリスでは,17世紀の大部分をつうじて,まだ金匠〔Goldschmiede〕が銀行業者として機能していた。国際的支払いの決済が為替取引Wechselhandel〕等々としていっそう発展する次第も,また有価証券業務に関するいっさいのことも,つまりここではわれわれに関係のない信用制度の特殊的諸形態は,ここではまったく考慮しないことにする。

 

 ①〔注解〕「以前に説明したように」--カール・マルクス『経済学批判。第1分冊』,ベルリン,1859年,129-134ページ(MEGAII/2,S.210-213)。
 ②〔異文〕「(またのちには資本の投下」という書きかけが消されている。
 ③〔異文〕「イギリスでは……あった」という書きかけが消されている。
 ④〔注解〕「イギリスでは,17世紀の大部分をつうじて,まだ金匠が銀行業者として機能していた」--ジョン・フラーンシス『イングランド銀行史……』第1巻,ロンドン,1848年,からのマルクスの抜粋を見よ。所収:MEGAIV/7,S.541.
 ⑤〔異文〕マルクスはここに「++(下に〔unten〕)」と書きつけ,先頭に++という符号をもつ,原注a)のあとに書かれた次のパラグラフを指示した。〉 (321-323頁)

 

 〈奢侈品製造の原料である金銀は商品として取引されますが,こうした商品としての金銀の取引は、世界貨幣としての貨幣の諸機能を媒介する商業である地金取取扱業の自然発生的な基礎をなしています。そしてこうした世界貨幣としての貨幣の機能も、『経済学批判』で以前説明したように二重のものです。つまり,国際的支払いの決済のためにさまざまな国民的流通部面のあいだで行なわれる往来(これらは利子を求める資本の移動でもあります)と,その産源地から出て世界市場に行きわたる運動と国民的流通諸部面のあいだへのその供給と分配です。たとえばイギリスでは,17世紀の大部分をつうじて,まだ金匠が銀行業者として機能していました。しかしここでは、国際的支払いの決済が為替取引などとしていっそう発展することや、また有価証券業務に関するいっさいのことも,つまりここではわれわれに関係のない信用制度の特殊的諸形態は,ここではまったく考慮しないことにします。〉

 

 【ここではまず地金取扱業なるものが、世界貨幣としての貨幣の機能を果すものであることが示され、それは奢侈品製造に使われる金銀の売買を行なう業者から自然発生的に生まれてくることが指摘されている。
 そして世界貨幣としての貨幣の運動は二重のものであるとも指摘している。これは『経済学批判』が参照箇所に挙げられているので、それをまず見ておこう。しかしMEGAの注解は『批判』の「世界貨幣」全体を参考箇所に指示しているが、それらをすべて紹介するのは無理なので、今回の問題に関連する部分だけを紹介しておこう。そして同趣旨のものを一層分かりやすく説明していると思える『資本論』からも紹介しておこう。

 

『経済学批判』--〈世界貨幣はそれがもろもろの国民的流通領域のあいだをあちらこちら駆けまわる特殊な運動のほかに、その出発点が金銀の産源地にあって、そこから金銀の流れが世界市場のさまざまな方向へ転々と広がっていく、一つの一般的運動をもつ。〉 (草稿集③377頁)

『資本論』--〈金銀の流れの運動は二重のものである。一方では、金銀の流れはその源から世界市場の全面に行き渡り、そこでこの流れはそれぞれの国の流通部面によっていろいろな大きさでとらえられて、その国内流通水路にはいって行ったり、摩滅した金銀鋳貨を補填したり、奢侈品の材料を供給したり、蓄蔵貨幣に凝固したりする。この第一の運動は、諸商品に実現されている各国の労働と金銀生産国の貴金属に実現されている労働との直接的交換によって媒介されている。他方では、金銀は各国の流通部面のあいだを絶えず行ったり来たりしている。それは、為替相場の絶え間ない振動に伴う運動である。〉 (全集23a189頁)

 

  ここでは奢侈品製造の原料としての金銀の取引が、地金取扱業へと発展することが述べられ、その一例としてイギリスの金匠(ゴールドスミス)が挙げられている。
  「金匠」については次のような説明がある。

 

  〈もともと金匠は、少しも金融業と関係あるものではなかったのであり、その名のごとく金や銀ならびに宝石の細工匠であり、兼ねてその製品の販売商人であったにすぎない。それがエドワード三世(1307-27年)のころより急速に発展した貨幣経済のなかで、その富の貯蔵手段として貴金属品の採用が高まり、その過程においてそれを取扱う商人として、またこれらの細工職人として活動し、自らの富と勢力をしだいに強くもつようになったのである。……
  こうした経路によって金匠は、貴金属取扱商人・金銀細工業者から貨幣取扱商人に転化し、16世紀末より17世紀初頭にかけて、まず両替業と為替取引の部門に目ざましい進出を遂げるようになるのである。すなわち、かれらは奢侈品製作の原料である金や銀を商品として取引する地金取扱業から、銀や金が世界貨幣であることによって貨幣の国際的支払を媒介とする貨幣取扱業へ分出してきたのである。……金匠の諸機能の一つは、外国貨幣を取引しその供給を掌握することであった。また他の一つの機能は、かれらの手を経由するイギリスの貨幣について選り分けをして目方を量ることであり、かれらは目方の多い貨幣を潰して延金とし、あるいは地金として輸出することであった。こうしてかれらは貨幣融通の業務をしだいに習熟するようになり、両替取引を中心としてその勢力地盤を拡大していったのである。〉(「イングランド銀行成立前史」浅田毅衛・商学論叢120-121頁)

 

  さらに次のような説明も紹介しておこう。

 

  〈金匠の多くは従前の商取引をすぐにはやめず、従来の商売のほかに、第一に彼等が鋳貨の知識を有していたお蔭で非常に儲かる両替の商売を極くたやすく開始した。……また金匠がその貴金属についての知識から得た利益はこれだけではなかった。彼等は鋳貨を粗悪なものにしていると、到るところで公然と非難された。……しかしながら両替商としての取引で、金匠が儲けた利益がどれほどであったとしても、彼等は他の業務を営むことによっていっそう大きな益を収め、それによってイギリスに銀行業というものを導入したのである。
  戦争の不安と出納係の若干の者の不正直とのために、かなり多額の資本が金匠の手中に集った……彼等が非常に安い金利で、あるいは無利子で手に入れたこの資本を、彼等は高い金利で手形の割引や貸付のために使用した。これらの取引が有利なものであったということが、金匠を促して、好い利子を提供したり、あるいは予告なしに金を引出すことを預金者に許したりすることによって、人々の剰余金を預金させるように仕向けたのである。この政策はあらゆる予想を超えて成功し、数年の間に市民は彼等の貯金を金匠に預金するという習慣を一般にもつようになってしまった。
  これらの預金に対して受領書が発行された。これが金匠手形〔Goldsmith's notes〕として知られるもので、間もなく実際の鋳貨よりもいっそうよく流通して、しばしば銀貨の不足を補った。〉(アンドレアデス『イングランド銀行成史』24-27頁)】

 

【14】

 

 〈①世界貨幣としては,国内貨幣はその局地的な性格を脱ぎ捨てて,その金銀純分に還元される{同時に,ある国内貨幣が他の国内貨幣で表現される}が,他方,同時にこの金および銀の純分は,どちらも世界貨幣として流通する二つの商品として,絶えず変動するそれらの価値比率に還元されなければならない。この媒介を貨幣取扱業者は自分の特殊的営業にする。

 

 ①〔注解〕このパラグラフは,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』,MEGAII/3.5の1578ページ15-21行から,変更を加えて取られている。〉 (323頁)

 

 〈世界貨幣としては,国内貨幣はその局地的な性格を脱ぎ捨てて,その金銀純分に還元されます。(あるいは,ある国内貨幣が他の国内貨幣と交換されます。)しかし,この金および銀の純分は,どちらも世界貨幣として流通する二つの商品として,絶えず変動しますので、それらの価値比率に互いに還元されなければなりません。この媒介を貨幣取扱業者は自分の特殊的営業にするのです。〉

 

 【世界貨幣としては歴史的には金と銀とが両方、ある場合は地域を異にして、流通していた。(日本でも江戸時代には「三貨制度」といって、金、銀、銅がそれぞれ独立した貨幣として流通域をやや異にしながら、貨幣として流通していたという。だから銀貨や銅貨は金貨の補助貨幣という位置づけではなかったという。)だから当然、金と銀との価値の変動に応じた、両方の両替が必要となり、その媒介を貨幣取扱業が自分の特殊営業とするようになったということである。(江戸時代の金貨である小判は、その鋳造貨幣のままに流通したが、銀は秤量貨幣としてその都度秤量されたという。銅銭の場合はその質は問われず、ただ一文銭は一文として流通したという。だから実際上は銅銭は金貨幣か銀貨幣の補助貨幣化していたといえるのかも知れない。)
  この部分はMEGAの注解によれば、61-63草稿から変更を加えてとられているというので、その草稿を見ておくことにしよう。ただ草稿のこの部分はその前後も含めてこれまでの本文を考える上で参考になりそうなので、注解の指示する部分を【 】で囲み、注解の指示する部分以外も含めて抜粋しておこう。(但し注意が必要なのは、61-63草稿ではいまだ貨幣取扱資本をそれ自体として利子生み資本と区別されたものとしては論じてはおらず、両者が渾然一体となっているということである。)

 

  〈対外市場での支払または購買が特殊な操作を必要にし、差額または購買手段としての貨幣を急送する特殊な形態を必要なものとして創造する(為替相場などを)かぎりでは、これは、再ぴ、貨幣取引業の特別な機能を形成する。
  同じく貨幣が諸商品と交換に生産源から復帰することも、別の操作や機能として独立化されうる。(地金取引業など。)これは、またしても貨幣取引業の特別な機能である。
  最後に、遊休している貨幣--すなわち市場に貨幣資本として投ぜられている貨幣は、貸し付けられ、また他人から借りられるのであって、このことが、またしても--いろいろな形態(貸付け、手形割引など)で貨幣取引業の特別の機能として現われるのであるが、この貨幣取引業は、商人が諸商品に相対するのと同じで、そんなふうに同時に貸付可能な資本に相対し、需要と供給とを貨幣資本によって調整し集中する媒介者である。
  最終的になお次のようなことをつけ加えておくことができる。すなわち、【世界貨幣としては貨幣は国内貨幣としてのその国民的性格を脱ぎ捨てて、その金銀純分に還元されるのであるが、同時にまたこの金銀は、世界貨幣として流通する二つの商品として、絶えず変動するそれらの価値比率に還元されなければならない。このことを、貨幣取引業者は、またしても媒介するのであって、国内貨幣の世界貨幣へのこのような調整を自分の独自な業務とするのである。】(為替相場。後者の場合には、さらに国際収支のそのときどきの状況が加わるが、その詳細はここには属さない。)他方、この操作はまた、別々の国々の貨幣種類を、いろいろに違う特殊な流通部面に属する同じ国の貨幣種類と同じように、相互に単純に両替することに帰着する。(単純な貨幣両替業者。)これらの機能のすべてをいっしょにしたものが貨幣取引業の業務であるが、これは、ちょうど商品取引業と同じように、いろいろな部門に分かれている。〉 (草稿集⑧59-60頁)

 

  この草稿によれば、本文のやや意味がとりにくい角括弧に入った一文〈{同時に,ある国内貨幣が他の国内貨幣で表現される}〉は、61-63草稿の〈他方、この操作はまた、別々の国々の貨幣種類を、いろいろに違う特殊な流通部面に属する同じ国の貨幣種類と同じように、相互に単純に両替することに帰着する。(単純な貨幣両替業者。)〉とあるものを簡潔に書き直したものと考えることが出来る。】



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