閉じる


<<最初から読む

2 / 14ページ

第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-2)

 

【3】

 〈①②資本が新たに投下される(蓄積の場合もそうである)ときにだけ,またそのかぎりでだけ,③資本の貨幣形態あるいは貨幣形態にある資本が,④運動の出発点および終点として現われる。だが,ひとたび過程のなかにはいっている資本にとっては,出発点終点も,ただ通過点として現われるだけである。生産的資本は[388]生産部面を離れてからふたたびそこにはいるまでにW'-G-Wをなし遂げなければならないのであって,そのかぎりでは,⑦以前に(商品それ自体の流通のところで)示したように,Gが変態の一段階の結果であるのは,じっさいただ,この段階を補う反対段階の出発点となるためでしかない。(商業資本の場合にも,それにとってはW-GがつねにG-W-Gとして現われるのではあるが,ひとたび過程が始まれば,現実の過程はつねにW-G-Wである。)しかし,資本はW-GとG-Wの両行為を同時になし遂げる。すなわち,一方の資本がW-Gの段階にあるとき他方の資本がG-Wの段階にあるというだけではなくて,同じ資本が,生産過程を連続させるために,絶えず買うと同時に絶えず売るのである。資本は絶えず同時にこの両方の段階にある。その一部分が,のちに商品に再転化するために貨幣に転化するあいだに,同時に他の部分が,貨幣に再転化するために商品に転化するのである。

 

①〔異文〕「同一の」という書きかけが消されている。
②〔異文〕「資本」← 「貨幣資本」
③〔異文〕「資本が」という書きかけが消されている。
④〔異文〕「……あいだで」という書きかけが消されている。
⑤〔注解〕ここから次パラグラフの最後から2番目の文(「……価値を創造する労働ではない。」)までは,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』,MEGAII/3.5の1698ページ11-34行から,変更を加えて取られている。
⑥〔異文〕「ふたたびはいる〔Wiedereintritt〕」← 「戻[る]〔Rück[kehr]〕」
⑦〔注解〕「以前に(商品それ自体の流通のところで)」--カール・マルクス『経済学批判。第1分冊』,ベルリン,1859年,65-77ページ(MEGAII/2,S.158-166)。〉
(315-316頁)

 〈私たちが第2部(巻)で最初に論じたような貨幣資本を出発点にする循環、G-W…P…W'-G'が、実際に現われるのは、まったく新たな資本が投下される場合か、同じことですが、蓄積が行なわれる場合だけです。その場合だけ資本の貨幣形態あるいは貨幣形態にある資本が,運動の出発点および終点として現われます。しかし私たちが第2部で考察した貨幣資本の循環というのは、資本の循環が始まっでその循環を繰り返している過程の一部分を切り取って考察したものに過ぎません。だからひとたび過程にある資本にとっては、こうした出発点も終点も、ただ通貨点として現われるだけなのです。
 すでに紹介しましたように、生産的資本の運動(P…W'-G-W…P)を見ると、生産的資本は生産部面を離れてからふたたびそこにはいるまでには、W'-G-Wという流通過程における転換をなし遂げなければなりません。そのかぎりでは,以前、『資本論』の冒頭篇で考察しましたように,Gが変態の一段階(W_G)の結果であるのは,それはただ,この段階を補う反対段階(G-W)の出発点となるためでしかありません。
 ついでに言うと、商業資本の場合にも,W_Gはつねに商業資本の運動G_W_G'の一部分として現われるのですが,しかしひとたび過程が始まれば,現実の過程はつねにW-G-Wなのです。つまりそれも社会的物質代謝を媒介する一運動に過ぎないのです。
 しかし,常に資本はW-GとG-Wの両行為を同時になし遂げます。すなわち,一方の資本がW-Gの段階にあるとき他方の資本がG-Wの段階にあるというだけではなくて,同じ資本が,生産過程を連続させるために,絶えず買うと同時に絶えず売るのです。資本は絶えず同時にこの両方の段階にあるといえます。その一部分が,のちに商品に再転化するために貨幣に転化するあいだに,同時に他の部分が,貨幣に再転化するために商品に転化するのです。〉

 【ここからは貨幣取扱資本が生産的資本と商品取扱資本から、貨幣資本の運動が特殊的な資本として自立化してくることを見ようとしている。そのために、まず貨幣資本が出発点あるいは終点として現われるのは、ある特別の場合(新たな資本が投下された時とか蓄積が開始される場合)であって、一度資本の循環が開始しされれば、それらはすべて通過点に過ぎないことがまず確認されている。
 そしてマルクスは、ここで『資本論』の冒頭の商品流通で確認したことを再度確認している。資本の流通過程における商品資本の運動や貨幣資本の運動というのも、それがただ流通過程にあるものとみると、それらは単なる商品として、あるいは単なる貨幣として振る舞うのであり、その限りではわれわれが第1巻の冒頭篇で考察した商品の変態の考察が妥当するわけである。だから商品の販売(W-G)は、別の商品の購買(G-W)ためにほかならない。つまりそれらは社会的物質代謝(W-W)を媒介する運動なのである。貨幣資本にしろ商品資本にしろ、それらが流通過程でとる運動は、こうした抽象的な商品流通の考察において明らかにされた抽象的な諸機能や諸規定性が妥当し、それらによって規制される過程でもあるのである。これはだから生産的資本の流通過程における運動においても然りであるし、その運動の一部を代行する商業資本の運動においても然りなのである。つまりGの運動はWの運動の結果に過ぎないということである。だからGが変態の一段階であるのは、それが最終的にはG-Wで過程を終えるためであること、だから商品取扱資本の循環もひとたび過程がはじまればW-G-Wとして現われるのだということを確認しているのである。
 しかし資本の運動という形態規定性においてみると、それは常にW-GとG-Wの両方を同時に行なっているものとして現われてくる。それはさまざまな資本が一方がその過程を辿るときに他方の資本が反対の過程を辿るというだけではなくて、同じ一つの資本の別々の部分についても同じことがいえるのだということである。資本は絶えず一方で売ると同時に買うという操作を繰り返しているわけである。ここではまずこれらのことが確認されている。
 ところでMEGAの注解をみると、この部分は61-63草稿から変更を加えてとられているとの指摘がある。だからその草稿を見てみることにしよう。ただし、以下に紹介するものは、今回のパラグラフだけではなく、それ以降のパラグラフの内容も含んだものになっている。しかし最初でもあり、全体をとりあえずは抜粋しておくことにしたい(但し、異文や訳者注、その他は、特に必要でないかぎりは省略する)。ただ特に注意が必要なのは、マルクスは61-63草稿の段階では、まだ貨幣取扱資本と利子生み資本とを厳密に区別して論じておらず、両者をまぜこぜに論じているということである。その点について、大谷氏は次のように論じているので、それをまず紹介しておこう。

  〈マルクスは草稿第4章の「4) 貨幣取扱資本」では,信用制度のもとで信用の取り扱いおよび利子生み資本の運動と結びついて行なわれている貨幣取扱資本の諸運動を徹底して度外視し,貨幣取扱資本そのものを純粋に取り出して分析しようとしている。この方法の徹底が,『1861-1863年草稿』での貨幣取扱資本の取扱いかたと決定的に異なる点であり,そこに,第3部第1稿における貨幣取扱資本および利子生み資本の分析方法の大きな前進があったと見ることができる。すでに述べたように,マルクスは草稿第4章を書きだしたときには,まだこの章のなかで利子生み資本を論じるつもりでいたのであるが,この章の執筆中に,利子生み資本は商人資本からは完全に切り離して,次の第5章で取り扱うことにした。この変更の理由をマルクス自身はどこにも漏らしていないが,筆者は,そのかなめが,貨幣取扱資本と利子生み資本とをそれぞれ純粋な形態で分析しようと決めたところにあったと考えている。〉 (第2巻308頁)

  こうしたことに留意して貰うようにして、以下、長文ではあるが、61-63草稿からの抜粋を紹介する。後のパラグラフでもこの抜粋を参考にすることになるであろう。

 〈商業資本は--資本主義的再生産過程の内部では--一面では、一般に自分の流通〔部面〕W-G-W(しかし、これは同時に一つの独自な姿態をとる。なぜならば、ここでは商品は資本でありG-W' W"-Gだからである)にある生産資本、つまり売買という自分の機能を果たしつつある生産資本--または自分の流通部面で通過する総変態の運動中にある生産資本以外のなにものでもけっしてなく、他面では、資本のうち生産資本から分離され独立された部分、しかもそれにとっては流通部面がそれの独自な生産部面であるような部分以外のなにものでもけっしてない--こうした事情は貨幣取引業に従事する資本の場合にもまったく同じである。
  流動資本〔Das circulirede Capital〕(すべての資本は流通するのであって、固定資本もその損耗分が価値成分として商品にはいって行くかぎりでは、流通するのである)は、一循環の終わりには貨幣として沈澱するかそれとも循環の出発点として現われる。最初に資本に転化されなければならない価値額にとっては、貨幣は出発点として分離されて現われる。これはただ新たに投下される資本の場合だけである。しかし、すでに過程のなかにはいっている資本、それゆえまた再生産の連続的過程のなかにはいっている資本にとっては、終点も出発点もどちらもただ通過点として現われるだけである。資本は生産部面における滞留とこの部面への復帰とのあいだにW-G-W'を通らなければならないのであるが、そのかぎりでは、Gが変態の一段階の結果であるのは、じっさいただ、この段階を補う反対段階の出発点になるためでしかない。しかし、資本はW-GとG-Wという行為を同時に行なう。すなわち、一方の資本がW-Gの段階にあるとき他方の資本はG-Wの段階にあるだけではなく、同じ資本が、生産過程の連続のために絶えず買うと同時に絶えず売るのである。資本は絶えず同時に両方の段階にある。その一部分が商品に再転化するために貨幣に転化するあいだに、同時に他の部分は貨幣に再転化するために商品に転化するのである。この場合に貨幣が流通手段として機能するか支払手段として機能する--したがって、後者の場合には差額が支払われ、他方の場合には価値がつねに二重に、一方の極には商品として他方の極には貨幣として、存在する--かは、商品交換そのものの形態によることである。しかし、どちらの場合にも、資本家は、絶えず貨幣の支払を受けるために、絶えず貨幣を払い出さなければならない(それも多くの人々に払い出さなければならず、生産資本家は多くの商人に払い出し、商人は多くの資本家に払い出さなければならない等々)。このような、貨幣支払や貨幣収納の単に技術的な操作は、それ自身労働であり、この労働は、貨幣が支払手段として機能するかぎりでは、差額計算や決済行為を必要とする。この労働は一つの流通費である。資本の一定の部分は絶えず蓄蔵貨幣として(貨幣準備、すなわち購買手段の準備金や支払財源つまり支払のための準備金として)存在しなければならないのであって、資本の一部分は絶えずこの形態で還流する。これは、支払や収納のほかに、この蓄蔵貨幣の保管を必要とするが、これもまた一つの特殊な操作である。つまり、それは事実上蓄蔵貨幣が絶えず流通手段や支払手段に分解することであり、また、販売で受け取った貨幣や満期になった支払として蓄蔵貨幣が再形成されることである--このような--〔資本の〕機能そのものから分離した--貨幣として絶えず存在する資本部分の不断の運動、この技術的な運動が、特別な労働や費用の原因になるのである。分業が進むにつれて、資本の機能から生じるこのような技術的な操作は、資本家階級全体のために特定の機能者たちが担当するものになり、しかも、こうしたことは彼らの手に集中するようになる。それはこの場合にも、商人資本の場合のように、二重の意味での分業である。それは特殊な操作、特殊な業務となり、また、それが特殊な業務となりこの階級全体のために行なわれるので、それは集中されて大規模に営まれるようになり、また、この特殊な業務のなかには、互いに独立ないろいろな部門への分裂によって、またこれらの部門のなかでの作業場の発達によって、分業が現われてくる。この運動のなかにある生産資本の一部分は、生産資本から分離して、単にこれらの操作--まず第一に貨幣の保管、貨幣の払出し、貨幣の収納、差額の決済などは、これらの技術的操作を必要とする行為から分離する--にのみ携わるのである。これは貨幣取引業として独立した生産資本である。〉
(資本論草稿集⑧240-241頁)

   さらにMEGAの注解⑦では本文で以前に(商品それ自体の流通のところで)示したようにという部分について、その該当個所として『経済学批判』の参照箇所を挙げているが、それは「2 流通手段」の「a 商品の変態」全体を含んでおり、そのすべてを紹介するのも芸がないので、各自参照して頂くこととして、ここでは紹介は割愛したい。ここでマルクスが以前に(商品それ自体の流通のところで)示したように〉という部分が、『経済学批判』であるというのは、それはこの草稿が書かれていた段階では(1863~65年)、いまだ『資本論』は刊行されていなかったからである(初版は1867年刊行)。その限りではMEGAのこうした措置は厳密であり妥当といえる。しかし『資本論』をすでに知っていて、それを前提に読むものにとっては、こうした措置はむしろ反対にわかりにくいともいえる。
  ところでこのパラグラフの冒頭、マルクスが〈資本が新たに投下される(蓄積の場合もそうである)ときにだけ,またそのかぎりでだけ,資本の貨幣形態あるいは貨幣形態にある資本が,運動の出発点および終点として現われる〉と書いていることを金科玉条にして、だから貨幣が貨幣資本として現われるのは、最初に資本が投下されるときか、蓄積のときに限られるのだ云々、などという馬鹿げた主張を展開している御仁がいる(伊藤武氏などを紹介しながらもう少し展開してもよいかも知れない)。しかしこのパラグラフ全体の主旨を理解すれば、こうした主張の馬鹿らしさは明らかであろう。】


【4】

 この場合,貨幣が流通手段として機能するか支払手段として機能するかは,商品交換の形態によることである。どちらの場合にも資本家は,絶えず多くの人びとに貨幣を払い出し,絶えず多くの人びとから貨幣の支払いを受けなければならない。こうした,貨幣支払いや貨幣収納のたんに技術的な操作はそれ自体が労働であり,この操作は,貨幣が支払手段として機能するかぎりでは,差額の計算や決済行為を必要にする。この労働は一つの流通費であって,価値を創造する労働ではない。この労働は,それが特殊な一部類の代行者あるいは資本家によって残りの資本家階級全体のために行なわれることによって短縮されるのである。| 

①〔異文〕「残りの」--書き加えられている。〉 (316頁)

 〈このような資本が絶えず行なっている商品の販売と購買において、貨幣が流通手段として機能するか、あるいは支払手段として機能するかは、その商品交換が如何なる形態で行なわれるかによります。いずれにせよ、資本家は,絶えず多くの人びとに貨幣を払い出したり,絶えず多くの人びとから貨幣の支払いを受けたりしなければなりません。こうした,貨幣支払いや貨幣収納のたんに技術的な操作はそれ自体が一つの労働です。この操作そのものは,貨幣が支払手段として機能するかぎりでは,差額の計算や決済行為となります。こうした労働は一つの流通費であって,価値を創造する労働ではありません。だから資本家たちにとってはそれは一つの負担になります。しかしこの労働が,特殊な一部類の代行者あるいは資本家によって集中して行なわれるようになれば、残りの資本家階級全体のためになり、彼らの負担が縮小されることになるわけです。〉

 【ここでは貨幣取扱資本というのは、生産的資本が日常的に繰り返している商品の売買に必要な貨幣の支払や受け取りおよび収納、そしてそれらに必要な記帳や保管等々、一つの流通費になる剰余価値を生まない諸労働を、それらの機能を集中して代行することによって、資本家階級全体にとってそうした負担を縮小するように、特殊な機能として自立化したものだということが明らかにされている。ここではこうした貨幣資本にまつわるさまざまな機能がそれ自体が労働を必要とするが、しかしそれらは剰余価値を生まない労働であり、純粋な流通費になること、だから資本家にとって負担となること、だからまたそれらの機能を集中させて代行する資本が現われれば、資本家階級全体にとって負担軽減になることが確認されている。
  MEGAによる注解はないが、いうまでもなく、このパラグラフも先に紹介した61-63草稿から部分的に手直ししてとられていることが分かる。その当該個所だけをもう一度紹介しておこう。

  〈この場合に貨幣が流通手段として機能するか支払手段として機能する--したがって、後者の場合には差額が支払われ、他方の場合には価値がつねに二重に、一方の極には商品として他方の極には貨幣として、存在する--かは、商品交換そのものの形態によることである。しかし、どちらの場合にも、資本家は、絶えず貨幣の支払を受けるために、絶えず貨幣を払い出さなければならない(それも多くの人々に払い出さなければならず、生産資本家は多くの商人に払い出し、商人は多くの資本家に払い出さなければならない等々)。このような、貨幣支払や貨幣収納の単に技術的な操作は、それ自身労働であり、この労働は、貨幣が支払手段として機能するかぎりでは、差額計算や決済行為を必要とする。この労働は一つの流通費である。


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-3)

【5】

 〈|276|①資本のうちの一定部分は絶えず蓄蔵貨幣として存在していなければならず(購買手段の準備,支払手段の準備,遊休していて貨幣形態のままで充用を待っている資本),また資本のうちの一部分は絶えずこの形態で還流してくる。このことは,支払いや収納や簿記のほかに,蓄蔵貨幣の保管を必要にするのであり,これはまたこれで一つの特殊的操作である。つまりそれは,実際には,蓄蔵貨幣を絶えず流通手段や支払手段に分解することであり,また,販売で受け取った貨幣や満期になった支払いから蓄蔵貨幣を再形成することである。--資本のうちの,機能そのものから分離した,貨幣として存在する部分のこの絶えざる運動,この技術的な運動が,特殊的労働および費用の,すなわち流通費の原因となるのである。

 

①〔注解〕ここから次パラグラフの終わりまでは,カール・マルクス『経済学批判(1861-1863年草稿)』,MEGAII/3.5の1698ページ35行-1699ページ17行から,変更を加えて取られている。
②〔異文〕「や簿記」--書き加えられている。〉
(316317-頁)

 〈資本のうちの一定部分は絶えず蓄蔵貨幣として存在していなければなりません。例えば購買手段の準備のためとか,支払手段の準備のためとか,あるいは遊休していて貨幣形態のままで充用を待っている資本などです。だから資本のうちの一部分は還流してきて絶えず蓄蔵貨幣の形態で滞留します。このことは,貨幣取扱業務に、支払いや収納や簿記のほかに,蓄蔵貨幣の保管を必要とします。これはまたこれで一つの特殊的操作です。つまりそれは単に保管するだけではなく、実際には,蓄蔵貨幣を絶えず流通手段や支払手段に分解することであり,また,販売で受け取った貨幣や満期になった支払いから蓄蔵貨幣を再形成することです。--生産的資本のうち,貨幣資本として存在する部分にまつわるさまざまな機能,すなわち貨幣としての絶えざる運動,その技術的な操作が,特殊的労働によって担われ、資本にとっての一つの費用となり,資本のとっての流通費の原因となるのです。〉

 【ここでは貨幣取扱資本の一つの機能として、蓄蔵貨幣の保管という操作があることが導き出されている。それは蓄蔵貨幣をただ保管するというだけではなく、それを流通手段や支払手段として機能させるために支出することや、あるいは受け取った貨幣を絶えず蓄蔵貨幣として再形成することでもあり、そのためにさまざまな技術的操作が必要となり、特殊的労働によって担われることになるわけである。
  ここで大谷氏の訳者注47)によれば、本文の〈--資本のうちの……〉以下の部分は不完全文章を訳したものだとしている。そういうこともあって、この部分の文意はなかなか理解しずらいものとなっている。書き下し文ではできるだけその文意を生かして書いてみたが、エンゲルス版をみると、ここは次のようになっている。

  〈このような、資本機能そのものから分離した、貨幣として存在する資本部分の不断の運動、この純粋に技術的な操作が、特別な労働や費用--流通費--の原因になるのである。〉 (全集25a394-395頁)

  この場合、大谷氏の翻訳文より--できるだけマルクスの草稿を忠実に訳そうとする意図は分からないではないが--、エンゲルスの編集したものの方が、よりすっきりと理解できるように思える。
  なおこのパラグラフ全体もMEGAの注解①によれば、61-63草稿から変更を加えて取られているとの指摘がある。その草稿の当該部分もすでに紹介したものの一部である。しかし重複を恐れず、今回のパラグラフに相当する部分だけを抜き書きしてみよう。

 〈資本の一定の部分は絶えず蓄蔵貨幣として(貨幣準備、すなわち購買手段の準備金や支払財源つまり支払のための準備金として)存在しなければならないのであって、資本の一部分は絶えずこの形態で還流する。これは、支払や収納のほかに、この蓄蔵貨幣の保管を必要とするが、これもまた一つの特殊な操作である。つまり、それは事実上蓄蔵貨幣が絶えず流通手段や支払手段に分解することであり、また、販売で受け取った貨幣や満期になった支払として蓄蔵貨幣が再形成されることである--このような--〔資本の〕機能そのものから分離した--貨幣として絶えず存在する資本部分の不断の運動、この技術的な運動が、特別な労働や費用の原因になるのである。〉

 ここで、大谷氏が不完全文章としている部分に該当すると思える部分を上記抜粋文から取り出すと、次のようになっている。

 〈--このような--〔資本の〕機能そのものから分離した--貨幣として絶えず存在する資本部分の不断の運動、この技術的な運動が、特別な労働や費用の原因になるのである。〉

 これを見てもエンゲルスの編集は適切なものだということが分かるであろう。】


【6】

 資本の諸機能によって必要とされるこれらの技術的操作の一部は,分業が進むにつれて必然的に,資本家階級全体のために一部類の代行者あるいは資本家によって専有の機能として行なわれるようになり,また彼らの手に集中するようになる。それはこの場合にも,商人資本の場合と同様,[389]二重の意味での分業である。それは特殊的営業となる。また,それが特殊的営業としてこの階級全体の貨幣機構のために行なわれるので,それは集中されて大規模に営まれるようになる。そして,この営業の内部でも,互いに独立したさまざまな部門への分裂によって,またこれらの部門の内部で作業場の発展によって,分業が生じるのである(分業をともなった大きな事務所)。貨幣の払い出し,貨幣の収納,差額の決済,貨幣の保管,等々は,これらの技術的操作を必要とさせる諸行為から分離して,これらの機能に携わる資本を貨幣取扱資本にするのである。
 

①〔異文〕「階級全体のための特殊的営業」という書きかけが消されている。〉 (317-318頁)

 〈生産的資本の流通にかかわる諸運動は、分業の発展が進むにつれて必然的に、それらをもっばら担う特殊的資本の運動へと分化します。商品資本の運動が商品取扱資本になったように、貨幣資本の運動は貨幣取扱資本となります。つまり貨幣資本の運動の技術的操作の一部は,分業が進むにつれて必然的に,資本家階級全体のために一部類の代行者あるいは資本家によって専有の機能として行なわれるようになり,また彼らの手に集中するようになるのです。それが貨幣取扱資本なのです。
 この場合にも,分業は、商人資本の場合と同様に,二重の意味を持っています。それはまず生産的資本や商品取扱資本と区別され、一つの社会的分業を担う特殊的資本となり、営業となります。また,それは特殊的営業としてこの階級全体の貨幣機構のために行なわれるので,集中されて大規模に営まれるようになります。そうすると,この営業の内部でも,互いに独立したさまざまな部門への分裂によって,またこれらの部門内部で作業場の発展によって,分業が生じるのです。分業をともなった大きな事務所などがそれです。貨幣の払い出しや貨幣の収納,差額の決済,貨幣の保管,等々は,本来は生産的資本によって担われていたものです。これらの技術的操作を、生産的資本の諸行為から分離させ,これらの機能にもっぱら携わる資本として自立化したものがすなわち貨幣取扱資本なのです。〉

 【ここでは貨幣取扱資本が商品取扱資本と同様に、本来は生産的資本がその流通過程で担っていた運動が分業の発展ととともに自立化したものであることを指摘し、そしてこの場合も分業は二重の意味を持っていることを指摘している。つまり貨幣取扱資本や商品取扱資本は、本来は生産的資本の運動の一部分を形成していたものが分離し、独立の特殊な資本となることによって、社会的な分業を形成することになったものであること、さらにこれらの資本のなかにおいても、さまざまな諸機能が分離してさまざまな作業に分割されて事務所内分業を形成するということである。こうした意味での二重の意味をもつと述べていると考えられる。
 ところでこの部分についても、先に紹介した61-63草稿から、それに該当すると思える部分を抜粋してみよう。

 〈分業が進むにつれて、資本の機能から生じるこのような技術的な操作は、資本家階級全体のために特定の機能者たちが担当するものになり、しかも、こうしたことは彼らの手に集中するようになる。それはこの場合にも、商人資本の場合のように、二重の意味での分業である。それは特殊な操作、特殊な業務となり、また、それが特殊な業務となりこの階級全体のために行なわれるので、それは集中されて大規模に営まれるようになり、また、この特殊な業務のなかには、互いに独立ないろいろな部門への分裂によって、またこれらの部門のなかでの作業場の発達によって、分業が現われてくる。この運動のなかにある生産資本の一部分は、生産資本から分離して、単にこれらの操作--まず第一に貨幣の保管、貨幣の払出し、貨幣の収納、差額の決済などは、これらの技術的操作を必要とする行為から分離する--にのみ携わるのである。これは貨幣取引業として独立した生産資本である。〉

 今回のパラグラフとこの抜粋文とを比べると、MEGAによる注解はないが、ほぼマルクスは61-63草稿からとっていることが分かる。61-63草稿の方が二重の意味での分業とマルクスが述べている内容が分かりやすいような気がする。また注目すべきことは、貨幣取扱資本を〈これは貨幣取引業として独立した生産資本である〉と述べていることであろうか。もっともこうした文言は『資本論』では消えているのではあるが。

 ところで大谷氏の訳者注59)も参考のために紹介しておこう。

 〈59)〔E〕「分業をともなった大きな事務所〔großer Bureaus mit Theilung d.Arbeit〕」→ 「大きな事務所,多数の簿記係や出納係,細分化した分業〔große Büros,zahlreiche Buchhalter und Kassierer,weitgetriebne Arbeitsteilung〕」
 草稿の,パーレンによってくくられたこの一句は,草稿での原文中のgroßer Bureausをそのままとすると,これは複数2格であるから,原文ですぐ前にあるEntwicklung d.Ateliers innerhalb dieser Branchenの部分のうちのBranchenないしAteliersと同格とみなければならない。つまり,「これらの部門の内部での作業場の」の部分のうちの「部門」ないし「作業場」と同格と見ることになる。しかしここでは,エンゲルス版でのようにgroße Bürosと1格にして,文の末尾につけ加えられたものとして読む方が自然のように感じられるので,その位置に置いておく。〉
(318頁)

 この場合もエンゲルスの編集の方が分かりやすいような気がするが、どうであろうか。】


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-4)

 

【7】

 〈さまざまな操作がもろもろの特殊的営業として自立することから貨幣取扱業が生じるのであるが,これらの操作は,貨幣そのもののさまざまな規定性と貨幣そのものの諸機能から,つまり資本もまた貨幣資本の形態にあればなし遂げなければならない諸機能から,生じるのである。〉 (頁318-319)

 〈生産的資本の流通過程におけるさまざまな操作がもろもろの特殊的営業として自立することから貨幣取扱業が生じるのですが,これらの諸操作は,貨幣そのもののさまざまな規定性と貨幣そのものの諸機能から,つまり資本もまた貨幣資本の形態にあればなし遂げなければならない諸機能から,生じるのです。〉

 【ここでは貨幣取扱資本の諸機能は、貨幣そのものの諸機能から生じることが指摘されている。貨幣そのものの諸機能というのは、『資本論』第1部の冒頭で考察された抽象的な貨幣の諸機能である。つまり貨幣資本もそれが流通過程では単なる貨幣として振る舞うのであり、だから流通過程にある貨幣資本の運動を純粋に技術的な機能として担う貨幣取扱資本は単なる貨幣の機能に規定されてその営業を行なうということである。】


【8】

 〈私が以前に指摘したように,そもそも貨幣制度が最初に発展してくるのは,さまざまな共同体のあいだでの商品交換(生産物交換)のなかでである。a)〉 (319頁)

 〈こうした単純な貨幣は、あるいは、そもそも貨幣制度が最初に発展してくるのは,私が以前に指摘したように、さまざまな共同体のあいだでの商品交換(生産物交換)のなかでです。)〉

 【ここでもマルクスは原注として『経済学批判』の当該箇所を指している。というのは、すでに指摘したように、マルクスがこの第3部の草稿を書いていた時には、まだ『資本論』第1巻は刊行されていなかったからである。そしていうまでもなく、ここでマルクスが述べているようなことは『資本論』でも書かれているのである。ここでは両方の当該部分を抜粋しておこう。

  ・『経済学批判』--〈実際には、諸商品の交換過程は、もともと自然生的な共同体の胎内に現われるものではなく、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで物物交換が始まり、そしてそれがそこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。〉 (草稿集③240頁)

  ・『資本論』--〈商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる。〉 (全集23a118頁)

 なおついでだが、すでに『経済学批判要綱』にも次のような一文がある。

 〈スラヴ人の共同体のばあいも、貨幣、そしてその発生条件である交換は、個々の共同体の内部では現われることがないか、現われたとしてもわずかでしかないのであって、その境界において、他の共同体との交易で現われたのであるが、それでみても、交換を共同体のただなかに本源的な構成要素として措定することは、およそまちがいなのである。むしろ交換は、最初は、一個同一の共同体の内部の成員にたいしてよりは、異なった共同体の相互の関連のなかで現われてくるのである。〉 (草稿集①54頁)】

【9】

 〔原注〕a)①『経済学批判』,云々。〔原注a)終わり〕

 

①〔注解〕カール・マルクス『経済学批判。第1分冊』,ベルリン,1859年,26-28ページ(MEGAII/2,S.128-129)。〉 (319頁)

 【これについてはすでに上記で紹介しておいた。
 しかし問題は、なぜ、マルクスはここでこうした貨幣制度の発展について、共同体と共同体とが接触するところから商品交換が生まれ、よって貨幣制度も生まれてくるというような、『批判』や『資本論』でも最初のあたりで問題になったようなことを論じているのかということである。しかしこれについては次のパラグラフ以下を解明していくなかで明らかになっていくであろう。】

 


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-5)

 

【10】

 それだから,貨幣取扱業はなによりもまず国際的交易から発展してくるのである。外国で買い入れをする商人は,さまざまな国内鋳貨〔を必要とし〕,現地の国内鋳貨を外国の鋳貨と,またその逆に,替えなければならないし,またこの両者を世界貨幣としての未鋳造の純銀(または純金)とも替えなければならない。そこから両替業Wechselgeschaft〕が生まれるのであって,これは現代の貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つとみなすべきものである。b)そこから発展してくるのがもろもろの振替銀行Wechselbank〕であって,ここでは銀(または金)が,[390]世界貨幣として--いまでは,流通鋳貨〔Courantmünze〕とは区別される銀行貨幣あるいは商業貨幣Handelsgeld〕として〔--〕機能する。為替業Wechselgeschaft〕は--それが一国の両替業者〔Wechsler〕から他国の両替業者にあてた,旅行者のためのたんなる支払指図であるかぎりでは--すでにローマやギリシャでも,本来の両替業〔Wechslergeschäft〕から発展してきたのである。

①〔異文〕「銀(または金)」← 「金または銀」
②〔異文〕「旅行者のための」--書き加えられている。
③〔注解〕「すでにローマやギリシャでも,本来の両替業〔Wechslergeschaft〕から発展してきた」--カール・ディートリヒ・ヒュルマン『中世の都市制度』,ボン,1826-1829年,442-450ページ,を見よ。マルクスは「ロンドン・ノート1850-1853年」のノートXVII,38ページ(MEGAIV/10〔未刊〕を見よ)でこの書から抜粋している。〉 (319-320頁)

 〈貨幣取扱業の諸業務が単純な貨幣の諸機能によって規定され、単純な貨幣は共同体と共同体との接触するところから発生してくるからこそ、貨幣取扱業そのものも歴史的にはなによりもまず国際的交易から発展してくるのです。外国で買い入れをする商人は,まず彼が営業を行なっているさまざまな国内鋳貨を必要とします。そしてその国内鋳貨を商品を買い入れる当該の外国の鋳貨に替えなければなりません。そしてまた逆に,外国から支払を受けた場合には、それを国内の鋳貨に替えなければなりません。あるいはこの両者を世界貨幣としての未鋳造の純銀かまたは純金に替えなければならない場合もあります。そうした事情から両替業がまず生まれてくるのです。これは現代の貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つとみなすことがてきます。そしてそこから歴史的に発展してくるのがさまざまな振替銀行なのです。そこでは銀(または金)が,世界貨幣として機能しています。そしてこうした流通鋳貨とは区別される、銀行貨幣(?)あるいは商業貨幣(為替)が生まれてくるのです。こうした為替を取り扱う為替業は、それが一国の両替業者から他国の両替業者にあてた,旅行者のためのたんなる支払指図であるかぎりでは、すでにローマやギリシャでも,本来の両替業から発展して存在していました。〉

 【どうやら【7】パラグラフからは貨幣取扱資本の歴史的な起源を論じるもののように思える。【7】や【8】はその前提として貨幣取扱業のさまざまな業務は、単純な貨幣の諸機能に規定されたものだとの指摘がまず行なわれ(【7】)、次に貨幣資本が流通過程で振る舞う単純な貨幣(単なる貨幣)、あるいは貨幣制度というのは、これもすでに『批判』や『資本論』でも明らかにされたように(しかしマルクスがこの草稿を書いていた時には『批判』しかなかったのだが)、歴史的には共同体と共同体とが接触するところから発生するとの指摘があり(【8】)、その上で、だから貨幣取扱業というのは、歴史的には国際交易から発展してくるのだということが、このパラグラフから論じられている。それはそこからまずは両替業が生まれ、さらにそこからもろもろの振替銀行が発展してくるのだと指摘されている。
 
 両替業=貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つ
 両替業がもろもろの振替銀行へ発展

という関係の指摘がある。

 振替銀行が発展してくるということは、銀や金など現金の代わりに、為替手形が流通していることが前提されている。為替手形は貨幣の支払い手段としての機能から生まれて、債権・債務関係を形成する。単なる手形とは貨幣の支払い約束のことである。商品を買った場合、現金の代わりに一定期日後に支払いを約束する証文を手渡す、それが手形である。購買者は債務者となり、販売者は債権者となる。為替の場合は、遠方に現金を送りたい場合、現金を送る危険や費用を避けるために、第三者(この場合は両替業から発展した為替業者)に支払いを委託する証文を発行することである、それが為替である。それを遠方にいる受取人に送り、受取人は現地の為替業者(あるいは前者の支店)にその為替を提示して現金を受け取るのである。だから後者の場合には、両替業者かあるいは為替業者に、何らかの現金を預けておくことが前提される。
  これらから振替銀行が発展してくるというのは、手形の場合、その手形を引き受けた両替業者が他の両替業者と手形を交換あって、それぞれの帳簿上の操作によって相殺し合うということであろう。そうすることによって手形の振り出し人からの取り立てを互いに委託し合うことになる。また為替も場合も、遠方の両替業者との間で、それぞれの帳簿上の振替によって相殺し合うことによって、決済し合うことである。だから両替業者間の取引(コルレス関係)が前提されている。
  少し為替と振替の一般的な仕組みを図示しながら説明しておこう。

 

  今、大阪の商人Aが、江戸の商人Bに委託して、物産を販売するとすると、AはBに商品を輸送し、その販売代金を受け取る必要がある。この場合、Bから現金を受け取るためには、現金を江戸から大阪まで輸送しなければならず、途中の危険やその郵送費用を考えると大変である。そこでAは為替手形を振り出すのであるが、これができるためには、A、B以外に、C、Dの二人の別の人物が必要である。大阪にいるCは同じ額だけの現金を江戸のDに送らねばならない場合、CはAの降り出した為替手形を買い(この時点でAは売り上げ代金を入手したことになる)、その為替手形を江戸のDに送ればよい。するとDはその手形をBに提示して、Bから手形に記載されている現金を受け取ることができるわけである。
  ただしここではまだ為替とはどんな役割を持っているかを示しているだけである。この場合もAが手形を降り出した時点で、AとBとの間には債権者と債務者の関係が成立している。同じように、CとDとの間にも債務者と債権者の関係があることが前提されている。そしてその債権・債務関係が一つの手形の降り出しによって相殺されて、諸支払いが決済されているのである。しかしここに問題がある。Aが降り出した為替を、丁度同じ額だけの現金をCが江戸に送る必要があったからいいものの、こうしたことはまったく偶然であり、必ずしも生じるとは限らない。またAはどうしてCを知り得たのかもわからない。そのためには大阪における為替市場が存在することが前提される。また互いの信用についても、いささが不安があるだろう。だからこうした債権・債務の連鎖が成立し、それが相殺によってすべて一気に決済されるというようなことはなかなか難しいことは確かである。こうした難儀をそれぞれの取引業者たちにとって信用のおける両替業者が介在することによって、解決するわけである。ここに「振替」が登場する。だから振替というのは、為替取り引きに両替業(振替業)が介在することによって生じるのである。その場合も、やはり図示して考えてみよう。

 

  今、大阪の両替業者をX、江戸の両替業者をYと、この場合二つの両替業者にしたが、XがYの支店かその逆の場合でもいいわけである。ここではAもCもXと取り引きがあり、Xの台帳にその名前が記載されていて、何らかの現金の残高があること、あるいはYに対しても、BやDに同様の取り引きがあることが前提されている。またXとYの間にも取引関係(コルレス関係)があることが前提されている。
  今、江戸のBから委託した商品が売れたこと、その売上金が100両だと連絡が来たので、その売上金を回収する必要がAに生じたとしょう。同じように、江戸の商人Dは大阪の商人Cに商品を送りその販売を委託し、大阪の商人Cはそれを販売して売上金100両を江戸のDに送る必要があったとしよう。商人Bは売上金をYに預金し、Cも売上金をXに預金しているとする。
  この場合、AはD宛の為替手形を降り出し、その取り立てをXに依頼する。同じように、DもC宛てに為替手形を降り出して、Yにその取り立てを依頼したとしよう。そうするとXとYは互いの手形を交換して、相殺する。そしてXは台帳のCの欄の100両を消して、Aの欄に書き込む。これを「振替」というわけである。同じように、Yは台帳のBの欄にある100両を消して、Dの欄に書き加える。これだけで、すべての支払いは決済されたことになるのである。AもDも必要ならXやYから現金を受け取ることができる。しかし現金そのものは、一切、大阪と江戸との間を動く必要はないのである。これが振替の仕組みである。

  原注bを見ればわかるように、マルクスは、ここではアムステルダムの振替銀行を想定しているように思える。アムステルダムの振替銀行の場合は先きの例とは若干違っている。17・18世紀のアムステルダムは、当時のヨーロッパの物産の集積地として栄え、中継貿易を行っていた。アムステルダムには、そうした貿易を担うマーチャント・バンカーがあったのだという。マーチャント・バンカーというのは、文字通り、商品取扱業と貿易金融業を兼ねたものである。貿易金融というのは、例えば下図のイタリアの輸出商aがマーチャント・バンカーAに絹織物(今、面倒を避けるために、すべての価格を100グルデンとしよう)の販売を委託して商品を輸送し、そのA宛の100グルデンの為替手形を振り出す場合、Aはその手形の引受人になるのである。つまり支払いを保証する。するとAは委託した商品が販売される前に、その為替の現金化が可能になる。図ではaはbに手形を売って現金100グルデンを入手する。Aは送られてきた絹織物をドイツの輸入商cに販売する。cはその代金としてdから買ったB宛の100グルデンの手形をAに郵送する。同じようにドイツの輸出商dもBに毛織物の販売を委託し、B宛の手形100グルデンを振り出し、それをcに販売して現金100グルデンを入手する。Bは委託された毛織物をイタリアの輸入商bに販売する。bはその代金としてaから購入したA宛の手形100グルデンを郵送する。そしてAとBはそれぞれ相手宛の手形をアムステルダム振替銀行にもちこむ。そうすると銀行はAの帳簿に100グルデンを加え、それと同時にBの帳簿から100グルデンを消す。同じように、Bの帳簿にも100グルデンを加え、Aの帳簿から100グルデンを消す。これらは台帳にすべて記載されて残される。これがアムステルダム振替銀行の「振替」業務なのである。こうしてすべての決済は完了する。現金はイタリアにあるものは、イタリア内で、ドイツにあるものはドイツ内で移動するだけで、アムステルダムにも郵送されず、またイタリアとドイツの間でも移動は生じない。

 

 

 

 

 

 

 

  さてここで、マルクスは〈銀行貨幣〉という用語を使っているのであるが、これは如何に理解したらよいであろうか。これは少し先回りになるが、【12】パラグラフの原注b)の後半部分であるフィセリングの『実用経済学提要』を見ると、〈こうしてそこでは,銀行がそのすべての勘定を決済するための鋳貨単位である銀行貨幣と,日常の通流状態にある鋳貨種類である現金貨幣との区別が生じた〉とある。これだけではなかなかよく分からないが、『経済学批判要綱』には次のようなマルクスの説明がある。

 〈ステューアトの場合、観念的尺度基準についてのたわごとは、二つの例によって歴史的に説明されている。その第一はアムステルダムの銀行貨幣であるが、これは流通鋳貨をその地金内容(金属純分)に還元することにすぎないのだから、まさに反対のことを示している。〉 (草稿集②637-638頁)
 
 また『経済学批判』の中にも次のような一文がある。

 〈アムステルダムの銀行貨幣は、実際には、スペインのドブロン貨の計算名にすぎなかった。このドブロン貨は、銀行の地下室で惰眠をむさぼっていたためにその完全量目の脂肪太りの体を保っていたのに反して、勤勉な流通鋳貨は、外界との激しい摩擦のために痩せおとろえていたのである。〉 (草稿集③289頁)

  つまりマルクスによればアムステルダムの銀行貨幣というのは、ただ〈流通鋳貨をその地金内容(金属純分)に還元することにすぎない〉ということのようである。
  当時のアムステルダムにはさまざまな鋳貨が流通していたという。アダム・スミスはそのあたりの事情を次のように述べている。

 〈1609年以前には、アムステルダムの広範な貿易が、ヨーロッパのすべての地方から大量の盗削・摩損した外国鋳貨をもたらしたので、そこでの通貨の価値は、造幣局からでてきたての良質の貨幣のそれを約9分下回るほどにひきさげられていた。このような貨幣は、このような事情のもとではつねにそうなのであるが、出現するや否や熔解されたり運び去られたりしてしまった。商人たちは、通貨を十分にもっていても、必ずしもつねに白分たちの為替手形を支払うほど十分な量の良質の貨幣をみいだせなかったのであって、これらの手形の価値は、それを防止するためのいくつかの法規がつくられたにもかかわらず、ひじょうに不確定なものになったのである。
  これらの不便を救済するため、1609年に、この市の保証のもとに一つの銀行が設立された。この銀行は、外国鋳貨とこの国の軽量で摩損した鋳貨との双方を、この国の良質の標準貨幣におけるその内在的価値(intrinsie value)でうけいれたのであって、鋳造費その他の必要経営費をまかなうのに必要な分だけはさしひかれた。この銀行は、こういう少額の控除をしたあとに残存する価値に対して、その帳簿上で信用をあたえた。この信用は銀行貨幣とよばれたのであって、それは、造幣局の標準に正確にしたがう貨幣を代表するものであったから、つねに同一の実質的な価値をもち、内在的にも通貨以上に値いした。これと同時に、アムステルダムあてに振出されたり、またはそこで発行されたりした六百ギルダー以上の価値をもついっさい手形は、銀行貨幣で支払われるべし、ということが法令化されたので、これらの手形の価値についてのいっさいの不確実性はたちどころにとり除かれた。こういう規制の結果として、あらゆる商人は、自分の外国為替手形を支払うために、この銀行に勘定をもたなければならぬことになり、そしでこのことは銀行貨幣に対する一定の需要を必然的に喚起したのである。〉(岩波文庫『諸国民の富』第3分冊103-104頁)

  つまりアムステルダム振替銀行の銀行貨幣というのは、銀行の預金として記載されている貨幣額のことを意味しているのであり、それはマルクスに言わせれば、〈銀行の地下室で惰眠をむさぼっていた〉〈スペインのドブロン貨の計算名にすぎなかった〉のである。アムステルダム振替銀行は銀行に持ち込まれるさまざまな鋳貨をその計算貨幣に換算して受け入れ、記帳し、それを振替に利用するようにしたのである。だから文献によってはこれを「預金」と説明したり、「預金通貨」と説明しているものもある。しかし厳密には価格の度量基準である一定量の銀の貨幣名というのが正しいであろう。

  次に〈それが一国の両替業者〔Wechsler〕から他国の両替業者にあてた,旅行者のためのたんなる支払指図であるかぎりでは--すでにローマやギリシャでも,本来の両替業〔Wechslergeschäft〕から発展してきた〉と述べられているが、日本においては、次のような指摘がある。

  「中世には為替の語そのものはみられないが,為替類似の信用取引行為は鎌倉時代中期からみられるようになる。銭を対象とするものを替銭(かえぜに、かえせん、かわしぜに、かわし)と呼び,米を対象とするものを替米(かえまい、かわしまい)といった。また利用された手形・証書を割符(さいふ、わりふ、かわし),切符(きつぷ),切紙(きりがみ)などと呼んだ。替銭・替米は,(1)年貢の輸送などの遠隔地への米銭送付に際して,荘園あるいはその近傍の都市で手形に替え,これを荘園領主に送付し,京都,山崎,奈良,堺などで米銭で受け取る場合と,(2)米銭の借用に際して,荘園年貢を引当てとし,荘園現地での支払を約束する手形を振り出す場合との両義を意味した。このため中世の辞典《易林本節用集》は手形である割符を〈両処に銭を通はす義なり〉と説明している。」(『世界大百科辞典』「為替」の項目から)

 「文献にみえるところでは、両替よりも、為替(カワシ)のほうが、はやかった。決済をするとき銭をもちいるのを替銭(カイセン)、米でするのを替米(カイマイ)というが、割符(ワリフ)、為替(カワシ)などの言葉も使われている。弘安二年(1279年)、紀伊国から関東へ訴訟費用が、替銭で送られた文書がある。京都鎌倉間に訴訟費用が為替で送金された例も多いが、鎌倉中期以後、年貢米を、現物で輸送せずして、替銭を利用することが、しばしばおこなわれた。盗賊の心配もあり、為替によるほうが便宜であったのであろう。室町時代になると、この傾向は、ますます進展した。また、社寺参詣の流行につれて、為替送金が使われたし、ことに、商品の流通がさかんになると、商取引にもしきりに利用されている。」(竹中靖一・川上雅共著『日本商業史』47頁)。】

 


第3部第4篇第19章「貨幣取扱資本」の草稿の段落ごとの解読(19-6)

 

【11】

 

 〈[389]〔原注〕b)「鋳貨は,量目や品位から見ても,鋳造権者だった多くの君主や都市の極印から見ても,非常に多種多様だったから,すでにこのことからも,鋳貨による決済の必要な商業ではどこでも現地の鋳貨を使用する必要が〔生じた〕。商人は,外国の市場に旅するときには現金支払いのために未鋳造の純銀を用意し,おそらくまた金をも用意していた。同様に,帰途につくときには,受け取った現地鋳貨を未鋳造の銀や金と取り替えた。したがって,両替業,つまり未鋳造の貴金属と現地通貨との転換,またその逆の転換は,非常に普及した有利な営業になった。」(K.D.ヒュルマン『中世の都市制度』ボン,1826-29年。第1部。437ページ以下。)〉 (320頁)

 

 【これは〈……そこから両替業〔Wechselgeschaft〕が生まれるのであって,これは現代の貨幣取扱業の自然発生的な基礎の一つとみなすべきものである〉という部分につけらた原注である。この原注は次のパラグラフに続いている。
  この原注は本文でマルクスが述べていることを歴史的事実として述べているものを参考に挙げたという程度のものであろう。あるいはマルクスはこうした文献にもとづいて上記の本文を書いたもといえるかも知れない。その場合は典拠を示したものといえる。
  なお中世の両替業については、次のような指摘がある。

 〈ジェノヴァやヴェネツィア等の海港都市をはじめ、交易の中心地には膨大な種類の鋳貨が持ち込まれ、しかも頻繁な改鋳、摩耗や盗削や偽造・模造などそれらの品位も多様であった。こうした状況下では、鋳貨間や未鋳造の地金との交換が早くから求められたのみならず、そうした業務に携わりうる両替商の諸鋳貨や地金に対する知識は、さらなる活用を求められることになる。
  すなわち、市中で流通する鋳貨類もまた雑多であり、高額な取引ともなれば現金支払の際に絶えず鑑別や計量などが必要であるとすると、他国通貨や地金などを両替商に持ち込んだ商人は、その際に両替商に鑑定された価値額を特定の貨幣に具現化してしまうと、その購買力を現金取引で発揮する時点では一定の費用を要することになる。とすれば、両替時にはその鑑定された価値額に対する請求権を留保しておいて、支払や決済が必要になった時点で、その相手とともに市場・取引所に隣接する両替商の取引台(banco)に行き、その場で両替商から受け取った貨幣をそのまま手渡すことで、鑑別や計量の時間・費用を節約することが可能となろう。その際、受け取った相手もまた同様に現金取引に要する費用の考慮から、両替商の保証する価値額を、そのまま請求権として留保することも考えられる。その場合には、とともに、その支払の記録が残されることになるのである。〉(「セントラル・バンキング論の再考のために--中世後期以降の決済・信用機構とアムステルダム振替銀行」田中英明〔彦根論叢2012winter№394〕191-192頁)

  なお著者のヒュルマンについて全集の人名索引の説明も紹介しておこう。

  〈ヒュルマン,カール・ディートリヒ、Hiillmann,Karl Dietrich(1765-1846)ドイツの歴史家,中世史に関する多くの著作を書いた。〉 (全集第25b巻人名索引44頁)】


【12】

 

 〈「振替銀行wisselbank〕という名称が生まれたのは,……為替wissel〕や為替手形wisselbrief)からではなく,もろもろの貨幣種類の両替wisselnからである。1609年のアムステルダム振替銀行の設立よりずっと前から,ネーデルランドの商業都市 にはすでに両替人wisselaar〕や両替店wisselhuis〕があり,振替銀行さえもあった(W.C.メース氏著ネーデルランド銀行業史試論,云々』,1838年,ロッテルダム,を見よ)。これらの両替人の業務は,外国商人が国内に持ち込んでくる多数の違った種類の鋳貨を法定通用力のある鋳貨と両替することだった。彼らの活動範囲はしだいに拡大された。……彼らは当時の出納代理業者および銀行業者となった。しかし,アムステルダム政府は,出納代理業と両替業との結合は危険だと考え(メース),その危険を防ぐために,両替と出納代理とを公的権限にもとついて行なう一大施設の創立が決定された。この施設が有名な1609年のアムステルダム振替銀行だったのである。同様に,ヴェネツィアやジェノヴァやストックホルムやハンブルクの振替銀行が生まれたのも,もろもろの貨幣種類の両替が絶えず必要[390]だったことによるものである。これらすべての銀行のうちでハンブルク銀行だけがいまなお残っている唯一の銀行であるが,それは,それ自身の鋳貨制度をもたないこの商業都市では,このような施設にたいする要求がいまもなお感じられるからである。… … こうしてそこでは,銀行がそのすべての勘定を決済するための鋳貨単位である銀行貨幣と,日常の通流状態にある鋳貨種類である現金貨幣との区別が生じた。」(247,248ページ。S,フィセリング実用経済学提要』,アムステルダム,1860年,第1部。)〔原注b)終わり〕|〉 (320-321頁)

 

 【これも原注b)の後半部分である。これを見ても両替がもっとも最初のものであることが分かる。そしてここでは両替業が生まれてくる必然性についてもマルクスが指摘していたとおりのことが書かれている。また両替業とは別に出納代理業が生まれ、当初はそれは別々に政府によって切り離されていたこと、そしてその代わりにアムステルダム振替銀行が生まれたことも指摘されている。
  ここで〈しかし,アムステルダム政府は,出納代理業と両替業との結合は危険だと考え(メース),その危険を防ぐために,両替と出納代理とを公的権限にもとついて行なう一大施設の創立が決定された〉とあるが、当時の状況について、次のような指摘がある。

 

  〈アムステルダムに振替銀行設立が必要とされた背景には,16世紀末葉から17世紀初頭にかけて商業都市へと発展したアムステルダムを悩ませた貨幣問題があった。問題の1つは,預金業務や為替業務をおこなう出納業者(kassier,cashier)の為替手形支払に関する問題である。……手形を呈示する債権者の求める金属貨幣に対してその法定重量を満たさない軽量金属貨幣で支払をおこなっていた。出納業者は退蔵した法定重量を満たす金属貨幣を造幣所に持ち込んで軽量版を製造し,再びそれを支払に充てることで利益をあげていた。 〉(「アムステルダム銀行の決済システム―17・18世紀における「バンク・マネー」の意義―」橋本理博・名古屋大学院2013年度博士学位請求論文8-9頁)

 

  こうした出納業者の不正な取り引きを排除するためにも公立のアムステルダム銀行が必要だったということであろう。
  またここではハンブルク銀行が今日まで残っているが、それはこの商業都市ではそれ自身の貨幣制度がないので、その必要が感じられないからであろうという指摘もある。
  そしてこうして〈銀行がそのすべての勘定を決済するための鋳貨単位である銀行貨幣と,日常の通流状態にある鋳貨種類である現金貨幣との区別が生じた〉とある。ここで〈銀行貨幣〉というのはすでに述べたように、為替手形を振替決済する時の預金額を表すものである。それと実際に流通しているなかで磨滅したり、意図的な盗削を受けるさまざまな鋳貨とは、その表す価値額に乖離が生じ、区別が生じたとういうことである。

 

  なお著者のフイセリングについては、全集版の人名索引には、次のような説明がある。

 

 〈ヴィッセリング,シモン.Vissering,Simnon(1818-1888)オランダの俗流経済学者,統計学者〉 (25b32頁)

 

  ついでにウェブ辞書には次のような説明もあった。
 
 〈世界大百科事典 第2版の解説
フィセリング【Simon Vissering】1818‐88
オランダの経済学者。1863年オランダのライデンで西周と津田真道に,治国学の基本として自然法,国際法,国法,経済学および統計学を教授したことで知られている。その講義は後に翻訳され,西周《万国公法》(1868),神田孝平《性法略》(1871),津田真道《泰西国法論》(1868)および,同《表記提綱》(1874)として公刊され,揺籃期の日本の法学・政治学に影響を及ぼした。フィセリングはアムステルダムに生まれ,同地およびライデンの大学に学ぶ。〉】



読者登録

亀仙人さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について