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六 指名Ⅱ

 

「ありがとうございました」

 

美里はオオカミ星人と一緒にいたホテルの部屋から自分一人だけ先に出た。服装はあかずきんちゃんのままだ。頭が重い。体中は汗びっしょりだ。このまま家に帰って、すぐにシャワーを浴び、ベッドに転がりたい。服装も着替えたい。

 

だが、それはできない。先に、この頭の中に、心の奥底に溜まっている檻を取り除かなくてはならない。このままでは、お客さんではなく、自分の方が精神に変調を来たしそうだ。つまり、自分がお客さんにならないといけなくなりそうだ。

 

 早く、早く。重たい頭に手を添える。もちろん、物理的に頭が重たいわけではない。精神的に苦痛なのだ。

 

美里はエレベーターを降り、ホテルのロビーではなく、通用口の方に進む。赤ずきんちゃんのコスチュームのままロビーを通れば、目立ってしまう。もちろん、ホテルの従業員たちは、美里たちの仕事を知っているから何も言わないが、何も知らないホテルのお客さんたちを驚かせてしまうし、その結果、ホテルにも迷惑をかけることになる、

 

いくら、体調が不調であったとしてもそれは避けたい。また、支配人からもホテルに迷惑をかけたり、お客さんに不審がられないようにと厳命されている。入ってくる時は正面玄関なのに、出ていく時は通用口とは、何か、悪いことをしているような気になる。でも、それは仕方がない。

 

通用口にいるロボットのガードマンが、ありがとうございました、と頭を下げてくれる。お返しの言葉がでない。今はとにかく、早くこの頭痛を取り除きたい一心だ。美里は頭を抱えながら、ふらつく体をなんとか支えながらホテルの外に出た。

 

冷たい。美里の体に風が当たる。生気が戻る。体がしゃきっとする。一瞬だが、頭の重さを忘れられる。ホテルの中は空調で温度や湿度がコントロールされているから、寒いとか、暑いとか、感じることはほとんどない。だからこそ、頭の重さを強く際立つのだ。

 

コントロールされていない、コントロールできない自然の中では、自分が自然に合わすしかない。ただし、その方が、今の苦しみから束の間でも解放されるとは皮肉なものだ。

 

どうぞ、の声とともに、車の扉が開いた。美里は崩れるように後部座席に乗り込んだ。

 

「お疲れさまでした」

 

送迎のロボット運転手が声を掛けてくれる。本当なら、いつも会う同僚なので、あいそよく答えたいのだが、今はそんな気分ではない。へたにしゃべりろうとしたら、怒ったような、突っけどんな態度を取ってしまうことはわかっている。そうなると、いくら相手がロボットでも失礼だ。こちらも、言った後で、自分の行動に後悔してしまう。だからこそ、口を閉ざしているのだ。車の後部座席に倒れながらも、助手席の後部に掛けているヘッドフォンを素早く掴むと耳に装着した。

 

ヘッドフォンからは心地よい音楽が流れている。目を閉じ、音楽に身を任す。頭の中で爆発しそうな感情は次第に高ぶりが収まり、海岸に押し寄せた大波が沖合に引いていくように、静かになっていく。

 

何も考えない。何も思い出さない。思い出したくもない。先ほどまでの激痛や鈍痛が次第に収まり、意識もそれに反比例するかのようにはっきりとしてきた。目を開く。そして、座席に倒れていた体を起こす。窓ガラスからは高層ビルが見える。知らない間に、車は出発して、空中を飛行していた。先ほど、美里がオオカミ星人と一緒にいたホテルだ。次第に車は高度を上げていく。行き先は店だ。とりあえず店に戻る。

 

着替えなくては。

 

美里は赤いずきんを脱いだ。そして、胸に白いフリルが付いた上着と赤いスカートのひだを確認する。座席には美里の私服が入った袋がある。このままの姿で店に戻ってもおかしくはない。店では、かぐや姫やセーラームーン、キューティーハニーの姿のまま、お客さんからの指名を待っている人もいる。だが、必ずしも、お客さんがそのコスチュームを要望するわけではない。

 

OLの制服姿、ジャージの姿、私服を希望する人もいるからだ。それに、この店は、原則、個人名での指名は受けない。美里たちがこの店に来た順番に、お客さんの元に派遣される。指名をできないこともないが、価格は倍以上になる。どちらにせよ、お客さんたちはコスチュームありきで予約してくるので、個人を特定してくることは少ない。

 

また、店側としても、特定のハートケア士にお客さんの指名が集中すると、他のハートケア士との不和や仲たがいが起こる恐れがあることから、原則、認めていない。また、お客さんと美里たちのハートケア士が個人的な関係に発展することも危惧しているのだろう。いわゆる、店を通さずに、個人間でのハートケアの契約だ。

 

だけど、美里たちハートケア士たちは、お客さんと心が交流できる指サックの機械は所有していない。また、仕事が終わった後、心を浄化させるヘッドフォンの機械も持っていない。これがないと、美里たちの心が病んでしまう。

 

それに、お客さんは、原則、身分を明らかにする必要があるが、地球人にしろ、他の惑星の人にしろ、どんな人がお客さんになるかはわからない。自分を守る意味でも、お店に属していた方が安心できる。

 

まだ、指名はあるのかしら。

 

美里は摩天楼のビルを見つめながら、後部座席で私服に着替え始めた。

 

 

 

「どうして、わざわざ、相手のいるホテルなどに行かないといけないのですか」

 

美里は感じていた疑問を率直にぶつけた。

 

この率直さが、女友だちからは「美里は、はっきりしていていいね」と褒められるものの、男性からは、特に、元夫からは「なんでも、はっきりしすぎだ」と疎んじられた。「それくらい、空気を読めよ」と言われたこともある。「空気なんて、吸ったり、吐いたりするもので、読み物じゃないわ」と答えると、「それが、その場の雰囲気を、他人の心をわかっていない証拠だ」と、逆切れされた。

 

そういう経験があって、夫との仲が疎遠になってからは、人の心を読みたい、人の心がわかりたい、と思い、ハートケア士の勉強をし始めたのだった。そして、運よく、ハートケア士の資格を活かせるこの仕事にも就くことができた。だが、いくら勉強しても、素の自分が出る。技術としてのハートケアはできるものの、性格としてのハートケアは、いくら勉強をしても変わらないのだ。美里はひとりっ子だけれど、死ぬまで、この性格は変わらないだろう。

 

そんな美里の性格を読んでか、支配人は

 

「お客さんが自分の心をさらけ出すためには、自分の城でないとだめだろう。この店でハートケアを受けるとしたら、この店に来た時点で、お客さんは緊張してしまう。いくらリラックスをしようとしても、見知らぬ場所ならば、どうしても心と体は緊張してしまうんだ。

 

その点、自分の家やホテルなどは、アウエーじゃなくホームグランドだ。だから、安心して心を開くことができる、心を委ねることができるんだ。そのことで、君たち、ハートケア士にとって非常に仕事がしやすい環境になるんだ。そして、君たち、ハートケア士も、環境が変わることで、今から、お客さんの心を癒す仕事に取り組むんだという気持ちに切り替えすることができる。例え、自分の性格がハートケア士に向いていなくても、技術が君たちをハートケア士に変えることができるんだ」

 

と、いつものように感情を極限までに抑制した言葉で説明する。

 

それじゃあ、支配人の性格は一体どうなんだろう。いつも何事にも動じない、冷静沈着な支配人だ。それは、支配人という仕事、役割を技術で演じているからなのか。そのことを問う。

 

「さあ。自分の性格がどうなのかは、本当のところはわからないんじゃないか。人は、その環境に応じて、様々な感情を持ち、それを発露している。感情を出しながら、次の一手、次の取るべき手段を考えているんじゃないか。そういう意味では、技術も感情の一部かもしれないな」

 

そう言った時、支配人の顔がニヒルに笑ったような気がした。それは、支配人の素の性格なのか、それとも、支配人としての、技術で覆われた感情なのか。美里にはわからなかった。

 


この本の内容は以上です。


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