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卒業式         高 裕香


2019年3月15日 
今日は、ぼくの初等部の卒業式
綺麗にアイロンされた制服に手を通す

  
桜が花を咲かせたがっている
そんな桜の心をポケットに入れ
暖かな朝日を浴びた校門を父母とくぐった。

  
校長が変わると、なぜか卒業式も変わる
伝統の形式がないのだろうか?
あったのかもしれないがシンプル化。

  
『卒業証書授与』
担任から名前を呼ばれるが
皆、「ハイ!」と返事ができない。

  
代表だけが壇上に上り授与。
ぼくも、校長先生からもらいたかった。
父には、シャッターチャンスさえもない。

  
最後の校歌を歌い
涙することなく
桜の心だけ持ち帰った。


三浦逸雄の世界(四十)

三浦 逸雄 「ダンボウのえんとつ」 8号 (アクリル・紙)2019


老人の冷水(続き4)     北岡 善寿

 

 この新聞記事の中にはないが、昭和二十五年の講和条約後のことを触れておく必要がある。この条約はアメリカとの単独講和であり、中国もソ連も加わっていない。中国とは後に田中角栄が日中国交回復を打ち立てたが、ソ連からロシアに変った国とはまだ平和条約を締結していない。戦争末期に連合国の首脳が集まってヤルタ会議をやりポツダム宣言をしたが、太平洋戦争が終る数日前に参戦したソ連は樺太と千島列島を、勝利の結果として獲得したのである。日本は千島列島は日本固有の領土だと主張する。聞こえのよい主張だが、千島は明治初期に榎本武揚が全権大使としてモスクワに趣き、買い取った二十二に及ぶ島で、海産物が豊富であったから大儲けしたとロシア人は悔やんだと、作家のチェーホフは「サハリン島」の中で書いている。千島はそれほど重要ではなかったのである。それが今では変った。ソ連は日本の戦時中、日ソ不可侵条約を結んでいたのだが、それを破棄して参戦し、その功績として樺太千島を獲得したので、不法に占領したという自覚はない。一旦獲得した領土を易々と手放す国はない。それに現在は沖縄に米軍基地があるので、その対応を常に考えているのである。国益を考えない国家はないのである。
 話は横道に逸れたが、アメリカとの単独講和条約後の日本の政界の動きに戻ることにしよう。昭和天皇の戦争責任問題は結局有耶無耶になったが、戦犯として巣鴨プリズンにいた軍人ではない政府要員も講和条約締結によって出所をゆるされた。その中に、現在の総理安倍晋三の祖父岸信介がいたのである。岸は商工大臣を務めた閣僚であった。岸は間もなく政界に復帰し、六十年安保の時の総理大臣であった。安保条約は講和条約のときに日本がくくり付けられた柵であった。この柵を取り外さなければ真の独立はあり得ないという空気が燃え上がるように見えた。政府はその空気を抑えなくてはならない。しかし政府の手に負える勢いではなかった。最後はアメリカの力が働いて安保騒動に終止符が打たれた。岸は暴漢に太股を刃物で刺されて退陣した。
 ここで一服しよう。岸の配下から矢張り戦犯の指定を受けて巣鴨プリズンに収容され、講和条約締結一年前にそこで病死した者があった。赤木桁平である。赤木はもとは漱石の所に出入りしていた文芸評論家で、読売新聞に「遊蕩文学撲滅論」を書いたことがある。槍玉に挙がったのは、吉井勇、久保田万太郎、長田幹彦、近松秋江、後藤末雄の五名であった。遊蕩文学は世の中に害毒を流すから撲滅せよという主張である。名指しを受けた文人の作品は特別有毒とも言えないが、赤木は撲滅論を口にするほどの人間だから、やがて漱石の許を離れ政界に近づくのである。彼は岸信介の配下になって、確か関西で国会議員選挙に立候補して代議士になった。戦争に協力したことは勿論である。それが戦犯の指定を受ける要因であった。赤木は巣鴨で戦犯のまま病死したが、岸は病気もせず、講和条約締結とともに娑婆に出て、エリートの道を歩いたのである。おそらく巣鴨にいた者で、岸ほどに陽の目を見た者はあるまい。既に誰も戦争責任を取ろうとしない国になったのだから、民主主義と声高らかに言ってみたところで、空念仏たらざるを得ないのである。この政治的状況は現在も変らないのであって、公文書改ざんが発覚しても、担当大臣は頬被りをして責任を取らない。この大臣は天皇制護持に凝り固まっていた吉田茂首相の縁戚の者だ。矢張りあの問題は何時までも付いて回るのか。この国は将来に向けての舵取りの決断を誤ったのであろうか。小説家の伊藤整は、「近代日本人の発想の諸形式」という論考を書いているが、その中で伊藤は、日本の近代化の機会は二度あったという。「明治維新と第二次大戦後」がそれだと伊藤は指摘している。ところが、この二つの機会とも「外から刺激され、支配者に都合のよいように上から与えられて、実質的に旧い生活の内容を受けついだものであり、民衆の側から起ったものでないことと関係がある」というのが論旨だが、伊藤が意識している近代化はヨーロッパの歴史のように思われる。矢張り敗戦は独立を失うことである。日本を統治するためにアメリカが行なったのは学制改革であった。私が子供の頃は、小学校だけが義務制であった。その後は中学五年、高校三年、大学三年が普通科のコースであった。このコースは昭和二十七年頃に変ったように思う。中学は三年まで義務制になり、その上に高校が置かれた、学校に入り易くなったように見えた。教育の大衆化であり、精神文化のレベルアップと評価する向きもあろうが、識者の中にはこの改革を憂慮する人もあった。私の知る仏文学者で大学で比較文学を講じていた荒木亨氏は自分の主宰する学内の研究誌「シグノ」の中でこんな事を書いているところがあった。
 「六三制、新仮名遣いで始まった戦後が、今その効果を現して来た。教育という目に見え難い領域は戦後生まれが大部分を占める二十一世紀になって、取り返しのつかぬ過ちを日々露呈している。日本語が崩れ、死のうとしている時に、小学校から英語教育とは何という太平楽だろう。日本の大人の愚かしさをまともに受ける犠牲者が、何も罪のない子供である。しかし日本の教育は、既に戦前から「教育勅語」と「皇国史観」、「御真影奉安殿」の神話によって、軍部と文部官僚に独占され、根本の正しさを失っていた。戦後の新教育に人々が救いを感じたのはあながち間違いではない。しかし自民党に戦前教育の復活を願う「開国建て前、本音は攘夷」の古陋な守旧派が存在し続け、日教組の左翼偏向に刺激されて、教育を政治の争いの場として来た。この不幸が敗戦国の実体である。一時的に経済が復興しても、新幹線が走っても、魂を失った国の倫理的頽廃は止むべくもない」
 折角だから荒木さんの文明批評を聞くことにしよう。
 「……まだ数の観念のない孫の認識は、全てアナログである。それを契機にデジタルとアナログの区別を考える。後進国日本は、手っ取り早く追いつくために、ディジタル(理系)を偏重しアナログ(文系)を潰して来た。偏差値、五段階相対評価、全てディジタルの世界で処理される。しかし本当の創造は先ずアナログから始まる。自然科学の場合も然り。このことに気付かなければ、失われた十年はこの先まだ続くだろう。戦後日本社会への絶望は深い。

  
ITの恐ろしいのは機械を無謬と信じ、それを故障と思わずに相手を疑うところにある。チャット殺人事件の女の子も、友達の真意より、チャットの文面を盲信する倒錯に陥ったのだ。コンピューターは理由なく誤り、その責任を必ず人間(ユーザー)に押しつける。これが知らず知らず人間(ユーザー)に伝染し、自分は正しく、悪いのは相手だという人間が蔓延する。子供の時からそういう条件付けられて育った人には、余程の智慧と意志がないとこの袋小路から抜け出せない」
 こういう見通しを立てた荒木さんは残念なことに脳出血で仆れ、帰らぬ人となった。敬虔なカソリック教徒であった。(続く)


出版界への微風       神宮 清志

 

 出版界ご難の時代である。本屋さんが最盛期の半分近くに減り、人々の本離れが止まらない。物書きたちに生活難が押し寄せてきている。有名作家も売れなくて困っている。取次店最大手の「日販」も、昨年はついに史上初の赤字転落となった。出版社の倒産も相次いでいる。そんなときに…微風ながら追い風が吹いてきた。
 健康長寿を願わない者があろうか。いくら長生きしても、寝たきりであったり、家族に多大な迷惑をかけつつ生きていたくない。「長生きは不幸の始まり」とは近藤啓太郎の名言だが、この現実をいかんともしがたい。俗にいう《ピンピンコロリ》で終わりたい。そのためになんだかんだとウルサイほどの情報が飛び交っている。
 日本人の平均寿命は、男が八一歳、女が八七歳であるのに対し、健康寿命は男が七二歳、女が七四歳である。健康寿命とは、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間、と定義されている。となると不自由な日常生活を送りながら、やがて要介護状態となり周囲に迷惑をかけつつ生きなければならないのが、男は九年、女は一三年あることになる。こんな長期にわたって、不自由な生活を強いられて生きなければならないとは、まさに「長生きは不幸の始まり」に違いない。
 と、そんななかに…こんなキャッチフレーズが目に留まった。「食べ物よりも、運動よりも、決め手はこれだ!」さてこの決め手とは?それは「読書」だという。本を読む者がもっとも健康長寿だという意外性と驚異に満ちた報告である。それもNHKのAI(人工知能)の分析から導き出された結論だというから、妙に説得力があるではないか。四一万人の生活習慣や行動のデータを分析した結果見えてきたものが、意外にも読書する人がもっとも健康長寿だったとある。
 長寿の一番といえば長野県が有名だけれど、それは平均寿命であって、健康寿命はほぼ全国平均である。健康寿命では山梨県が一番で、平均寿命は全国平均より少し上というデータが出ている。その山梨県は、人口に対する図書館の数がダントツの日本一だそうだ。しかも運動やスポーツの実施率は、なんと全国最下位。山梨県人はあまり運動せずに読書に耽って、健康寿命が日本一になったということだ。運動することをとかく嫌いがちなインテリの方々には、とんだ朗報であろう。「ライオンはラジオ体操などしない」などと粋なことをおっしゃって、運動しないことを正当化しておられる紳士淑女には、大変な応援歌となろう。しかし、しかし、そうは言っていられないのではないだろうか。健康指南書の世界的ベストセラーであるワイル博士の『ナチュラル・メディスン』によれば「ほとんどすべての病気は運動不足からくる」としている。これは紛れもない真実であろう。適度な有酸素運動と筋トレ・ストレッチは健康維持には不可欠なのだ。
 AIの分析によれば、読書は健康要素一一九と結びつき、不健康要素ゼロという完璧な健康要素である。この点では食事より運動より、最高の要素となる。ということはどんな食事でも健康にマイナスになる要素はある。運動も同じである。プロのスポーツ選手が意外と早死にであるという事実もある。健康という見地からするなら、運動というのは「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の典型であって、「適度」こそ重要である。その点読書はそうした不健康要素が何もないという。このことは海外でも気付いていて、研究が進められつつある。
 読書する人が健康長寿と聞くと、そう言われればそうだなあ、と思い当たるところがある。ゆっくり見渡してみると、思い当たる人が多いのではないだろうか。本や雑誌を読む人は「ヨガや散歩のグループに参加」「外出はほぼ毎日」「友人とよく笑う」といった指摘がある。いっぽう本を読まない人は「人生に嫌気がさすことがある」「社会に関心がなくなってきた」など数多くの不健康要素とつながっている。「心が動くと体が動く」という言葉があり、何かやりたいきっかけを作るという意味でも、読書は健康要素となる。
 と、この辺まで書いてきて「あっ」と思い当たるところがあった。人が老いるのは体が老いるとのみ思い込んできた。とくに筋力の衰えが老化を促進すると確信してきた。しかし老化は心も一緒に衰えるということだ。心の老化を忘れていた。気付いてみると心と体が同時に衰えているのだ。人間は心と体で成り立っている存在であり、その心と体のバランスが健康には不可欠であろう。心と一口に言っても具体的にはどういうことだろうか。にわか勉強して分かったことは、人間の頭脳には「右脳」と「左脳」があるということだ。右脳は理論、常識、言語を司り、読み書き、会話、計算、論理的思考をする機能をもっている。それに対して左脳は独創性、感性、記憶を司り、図形、映像などのイメージの認識、記憶、直観やひらめきの機能をもっているとする。しかも多くの人は左脳の機能を十分の一くらいしか使っていないという。このアンバランスが問題だろう。よって歳を取ったら、時間があるのだから、詠む、描く、聴く、奏でる、唄う、踊る、創る、といったことに時間を費やして、大いに左脳の開発に努めるべきであろう。
 自分の心をコントロールすることくらい難しいことはない。古来人はみな自分の心との戦いに悩み、奮闘してきた。そのことの記録が無数に書かれてきている。その到達点の一つが宗教であったり、芸術であったりする。それらの遺産から心の栄養を取り込むことが大切であろう。それらが健康長寿に最も貢献すると言われれば当然のように思えてきた。老いるという現象は筋肉を中心とした体が老いるだけではない。心も老いるのだ。体が老い、心が老いる、これは不即不離の関係にある。そこで心の栄養を補うには、読書が最適の行為の一つなのだと思う。
 まことに注目すべき健康論が出てきたものだ。この説が広まると、読書する人が増えて、その結果本が売れて、物書き、出版社、取次店から町の本屋さんまで幸せになれることになる。つまり出版界全体の追い風になるは必至。追い風になるように、しだいに微風から強風が吹きだすことを願うばかりだ。この健康長寿説に基づく読書のすすめを、大いに喧伝すべきであろう。
 とはいえども、町の本屋さんには強敵がはばかっている。ネット通販がそれである。とくにアマゾンジャパンが厳しい。古書は神田まで行って一日足を棒にして探し回らなくても、検索するだけですべてが入手できる。格安で玄関まで運んでくれる。これに嵌ると、すべてがそればかりになり、本屋さんには出かけなくなる。アマゾンは日本で商売しながら、一切の税金を払わない。税務署に対して「アメリカの本社に聞いてくれ」と逃げている。その辺はグーグルも同じで、最近数十億円の脱税が報道された。アマゾンは本ばかりでなく、電化製品にも販売を広げ、ビックカメラのような量販店にとっても強敵となっている。町の電気屋さんの多くが廃業に追い込まれ、衣料品店も同じであり、その他各種の商品に手を広げ、近頃では食品まで扱うようになってきている。これでは商店街が消滅せざるを得ない。アメリカではスーパーマーケットの最大手も潰されてしまった。日本もそうなりかねない状況である。こうなると日本文化そのものも破壊されかねない。
 グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾンを総称して“ガファ”と呼ばれ、個人情報の流出その他世界中で問題になっている。ヨーロッパでは規制に乗り出しているというけれど当然だろう。日本も諸々の自衛手段を講じないと乗っ取られかねない。
 いま電車に乗ると、本を開いている人は稀だ。みなスマホを開けて、指先を器用に動かしている。ゲームとか、ラインとか、漫画などの世界に没入されておられる。いずれも「ガファ」の悪しき影響である。
 その昔は本を開いている人が多数居た。通勤電車内というのは読書に最適で、そのおかげでずいぶんと読書したものだ。定年とともに読書量が減ったのは、毎日決まって電車に乗ることがなくなったからだ。以前の電車内では、週刊誌、新聞も盛んに読まれていた。「東スポ」といった新聞が網棚に乗っていて、あとから来た人がそれを読んで、また棚に上げて降りてゆくといったのが普通の風景だった。こうした週刊誌・月刊誌・新聞が売れない。このことが出版界全体を追い詰めている。
 今やスマホ一辺倒になってしまった。この人たちが本を読みだすことがあるのだろうか、と考えると絶望的になりがちである。しかしあるのではないか、という希望もなくはない。人の心など解るものではないし、まして流行などどう転ぶか分かったものではない。希望を捨てるべきではない。読書の意味をことあるごとに勧め、本を読む歓びを分かってもらうようにして行きたいものだ。それが日本文化を守り育てることにつながると認識したい。「本を読む人は健康で長生きです」会う人ごとにこう伝えたいと思っている。(了)


鹿の変容──石原武詩の「鹿」について    高島 りみこ

 

   詩人・石原武にとって鹿は、単なる動物という枠を超えた特別な存在だ。『石原武全詩集』(土曜美術社出版販売)を中心に、鹿を題材にした作品から石原の「鹿」について考察してみたい。

  
全詩集によると石原の残した詩集は10冊に及ぶが、初めて鹿が主人公となって登場するのは4冊目となる詩画集『森の秘儀』(1979年)においてである。「舌」と題された詩を見てみよう。

  
豪雨の中で鹿は向かい合っていた/やがて崩れるように/美しい鹿が落葉の上に寝た/すると牝鹿は/その口もとにかがみ/白い息の中から/熱く舌をさしだした/森を圧する鋭い角に/雨が光り/触れ合うものに落ちた/神はなぜ/こんなにも美しい素裸ないのちの色と形象を/この肉片に与えたか/鹿はいくどとなく/情愛に身を震わし/闇にかえった//森の奥に/いま/朝焼けの海がうねる

  
  激しい雨に打たれる2頭の鹿。その鹿の白い息と赤い舌が暗い森の中で鮮烈に浮かびあがる。それらの色の対比、そして冷たい雨と熱い舌の対比が静かなるエロティシズムを呼び起こす。いのちの躍動は内的な森の奥で、鹿の姿となって密かに始まる。

  
  2004年に刊行された詩集『飛蝗記』では「鹿の村」という章を設け、7篇の作品を載せている。この詩集の鹿たちは変幻自在に時空を越えていく。
  その中の最初の作品「バビロンの虜囚」では紀元前6世紀から現在に至るまで、バビロンという地で虐殺されてきた数多の人々を描きだす。積みあげられてきた悲しみの数々……。だが本当の悲しみは名前も奪われ、ひとかたまりとなって葬られた全体性の中にあるのではなく、いつのときも一人ひとりの内にこそある、4万5千人には4万5千個の悲しみがあるのだと詩人は静かに訴える。「もうその話はよしにして/仔と生き別れた雌じかの話をしよう。//電光が走り/にわか雨は闇を叩く/姿が見えない仔じかを追って/涸れ川の流れを雌じかは渡る/赤く燃える空の方角へ//バビロンは遠いの/蠟燭はもう消える//朝から灼熱/蟻の行列がわき目も振らず/罪徳の街へ/炎に囚われた声の/さんざめく方角へ/立ちつくす雌じか/のしゃがれた声//蠟燭が消える/どこなの 仔じかよ(「バビロンの虜囚」部分)」と。
  続く作品「『荒地』の鹿」では、母鹿は生き別れの仔鹿を追ってウラル山脈を越える。そして「白い息を吐いて/朝靄の川に消えて行った無垢な背の斑点/別れしなに寄せた鼻先の/ほのかな腐臭/あれから記憶は眠りをさまよい/何処ともしれぬ荒無地の茨を縫い/若芽をむしりいくつも国境を越えた(「『荒地』の鹿」部分)」のち、ロンドンから北へ100キロのグランチェスターへと向かう。その草地の闇に仔鹿は第一次大戦に参戦し、病死したイギリスの詩人ルパート・ブルック(1887〜1915)に姿を変えて見つかるだろうという。「ひょっとしたらあそこなら見つかるかもしれない/ルパート・ブルックという青年が/古い牧師館の戸口から出てきて/川辺の草に寝て流れの遠くを見ているはずだと(「『荒地』の鹿」部分)」。しかし青年は「四月の陽にかすかな腐臭を残して」姿を隠してしまい、「復活の鹿を追う」旅は続く。
  作品「灯台へ」では、鹿はヴァージニア・ウルフの小説『灯台へ』(1927年)の中の、ラムジー夫人の借りたスコットランドの別荘でひと夏を過ごす少女に姿を変える。そして、その少女は次には奈良春日山の孕みの鹿へと変身し、その眼は悲しげだ。それは紛れもなく慈愛に満ちた母の眼なのだ。「今日 孕み鹿に出会った/奈良春日山の裏道/(略)/ひとの気配に立ち上がってこちらを見た/釣り上がった大きな眼は悲しげな光りを湛え/近づくものに息を凝らしていた//二十世紀の殺しの暗黒を越えて/色白の少女の釣りあがった眼が/灯台へ/絶たれても絶たれても/どんなに憧れをはぐくんできたことだろう/少女が生きのびて/漁夫シモンの子を産んだというのは/おそらく事実だ(「灯台へ」部分)」と石原はその普遍的な母の像を描いている。
  作品「子守りの鹿」の鹿は、終戦をむかえた日本に姿を現す。「ドクダミの葉を踏みしだき/獣の匂いを残して/鹿は姿を消していた/崖のとっつきまで続く足跡も/絶え間ないガレの崩落に途絶えていた/長い戦争があって/若い男が死に絶えた村の/八月の暗い土間のほのかな腐臭に/ふいに消えた鹿が柔らな鼻先を出した(「子守りの鹿」部分)」ここでの鹿は平和の使者といえるだろう。
  作品「鹿の目」では石原の開腹手術前夜の不吉な夢の後に、鹿は幻覚のように現れる。「深い羊歯の草地で目覚めた/柔らかな口が私の唇に近づき/ふくんだ水を咽喉に零した/鹿のほのかな腐臭が/ゆっくりと臓腑に流れていった/鹿は夜明けまで私の唇を濡らしていた//開腹後/私は回復し/濡れた罪深い唇をゆがめて/獣の肝を咥えたりしている/訝しげにこちらを見つめる鹿の/大きな目をぼんのくぼに感じながら(「鹿の目」部分)」この鹿は石原を守る守護神でもあるのだ。
  続く「雨降ってのちまた雲が広がる前に」では日常にひそむ狂気が次第に肥大化していき、その暴力に斃れる者の姿を生け贄にされた鹿として描きだす。「ふいに姿を消したまま神さまは/日暮れても帰ってこない/待ちくたびれて/誰かが石を投げる/次々に石が空の薄氷を割り/町の窓々を砕き/血に怯える小鹿の胸元にも飛んでいく//闇の入口に/捨てられた牝鹿の首/その周りにいつか鹿たちが集まり/愛する仲間の首を闇の深くに曳いていく/そして黙って踊り始める/おお神のお帰り(「雨降ってのちまた雲が広がる前に」部分)」神の不在に人間はすぐに待ちくたびれて、いとも簡単に暴徒と化してしまう生き物だ。
  章のタイトルにもなり、この章最後の作品「鹿の村」では戦争の近づく時代の無口な村の話が描かれている。無関心で凡庸な人々は鹿となって、やがて大政翼賛の波に呑みこまれていく。「近づいてくる戦争の話を、列車から降り立った男が煙草屋で声高に話した。戸口から顔を出して、村は春風に色めき立った。//春祭りの夜、集まってきた村人たちは鹿であった。/鹿は広場のぼんぼりの周りを輪になって踊った。/しつこく絡む男の手から立ち上がって、鹿の女は大きな目で男を見つめ、広場に出て行った。肩で息をして女は踊り始めた。身籠もっていた。/鉄橋を渡り列車が近づいてきた。/鹿の村の話はその後聞かない。/今、通過したばかりなのに。」鹿の村は70余年を経て、再びこの国に出現しようとしてはいないだろうか?

  
  最後に詩誌「山脈」123号(2008年発行)に掲載された作品「火事場の鹿」を見てみよう。

  
喉が火の手を上げ/這い出した煙が夜具を塞いでいる/隣に手をのばしたが咳に噎せて声が出ない/胸に火の粉が爆ぜている/添い寝の夜具から立ち上がったのは鹿であった/せわしい息で襟首をくわえ煙の雨戸を破った/霙の夜が白むまで煙は体を這い咳が続いた/首にかかる鹿の息は暖かく/燃える額を冷たいものが撫でていた//霙が雪に変わり/咳の発作が治まった焼け跡に/鹿の姿はなく/かすかに焦げた髪の匂いがあった/額を汚して少女は燻る木立の間にいた/吊り上った大きな目で雪を弾いていた//君と過ごした河辺のスラム/神のいない長い夜に/背を向けた君の沈黙は凶器だった/夜明けに君は向こう岸へ/行方知れずの鹿になって渡ってしまった/それは遠い物語/鹿の神話へ帰りきれずにいる少女よ/帰れ神話へ//日暮れまでに雪は止んだ/火事場の木立はまだ燻り/髪の焦げる匂いがする/木の間を擦って近づいてくる風よ/帰れ//ここにもうしばらく/生身のまま/燃える額に

  
  高熱と激しい咳に苦しむ石原の前に現れたのは、またしても鹿だ。鹿の看護で咳の発作が治まると、鹿は一人の少女へと変身する。それは理不尽に奪われた幼き者のいのち、未だ神の国に立ち帰ることのできない彷徨ういのちの化身でもあるのではないか。「帰れ」は詩人の痛切な祈りだ。

  
  石原詩における「鹿」はあるときはエロティシズムの象徴であり、またあるときは虐げられた人々、若くして逝った詩人や慈愛に満ちた母であり、守護神または彼岸に辿り着けない彷徨える少女であったりする。この詩人の「鹿」は自由に変容を遂げることのできる霊的な存在なのだ。そして、それはまた詩人の分身でもある。登山に熱中していた時期のある石原は、どこかの山で鹿との神秘的な出会いをしていたのかもしれない。(了) 

 



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