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楽屋口      原 詩夏至


女達偶像(アイドル)名前に
気楽に「様」などつけ
(たむろ)
小雨の楽屋口に――

  
あたかも昔 
校舎裏の小流れの畔に
かがみ込み凝然と見つめた

蝌蚪(おたまじゃくし)
無数の尾の戦ぎの
菫色の
優雅な不気味さで。

  
そこにあるのは〈連帯〉ではない
――勿論、〈孤立〉でも。
蓋し 
生きるとは 
死ぬとは 
こうして戦ぐことだ
小雨の降るこの〈宇宙〉の楽屋口で
「様」など勝手につけた何かを
あてどなく
優雅に待ちながら。

  
そこにあるのは〈信仰〉ではない
――勿論、〈自由〉でも。
あたかも今
彼女らが
尾を振り
戦ぎながら
茫然と待ち続ける何かが
「様」などあってもなくても
畢竟
〈神〉でも〈恋人〉でもないように。


海      出雲 筑三 


雨が降っている
毎日まいにちの豪雨
とうとうと三千万年ふり続く

 
その少し前までは
一面のマグマオーシャン
山や海には火龍が吼えていた

  
惑星や隕石も先を競って
雷鳴と閃光をともない
寄せ集めの地球星になった

  
雨はなおも降りつづき
星たちの持参した水やミネラルのお陰で
いこいの海からささやかな命を得る

  
水分子には垣根がない
何でも溶かし融合をくり返す
全てを呑みこみ できた海

  
いまどき雨が降っている
そしていきなり豪雨になる
マグマは地中に潜り回遊を辞めない

  
風が不機嫌に波を呼ぶ
恩恵の黒潮は海の動脈
逆流する時は迫っている


卒業式         高 裕香


2019年3月15日 
今日は、ぼくの初等部の卒業式
綺麗にアイロンされた制服に手を通す

  
桜が花を咲かせたがっている
そんな桜の心をポケットに入れ
暖かな朝日を浴びた校門を父母とくぐった。

  
校長が変わると、なぜか卒業式も変わる
伝統の形式がないのだろうか?
あったのかもしれないがシンプル化。

  
『卒業証書授与』
担任から名前を呼ばれるが
皆、「ハイ!」と返事ができない。

  
代表だけが壇上に上り授与。
ぼくも、校長先生からもらいたかった。
父には、シャッターチャンスさえもない。

  
最後の校歌を歌い
涙することなく
桜の心だけ持ち帰った。


三浦逸雄の世界(四十)

三浦 逸雄 「ダンボウのえんとつ」 8号 (アクリル・紙)2019


老人の冷水(続き4)     北岡 善寿

 

 この新聞記事の中にはないが、昭和二十五年の講和条約後のことを触れておく必要がある。この条約はアメリカとの単独講和であり、中国もソ連も加わっていない。中国とは後に田中角栄が日中国交回復を打ち立てたが、ソ連からロシアに変った国とはまだ平和条約を締結していない。戦争末期に連合国の首脳が集まってヤルタ会議をやりポツダム宣言をしたが、太平洋戦争が終る数日前に参戦したソ連は樺太と千島列島を、勝利の結果として獲得したのである。日本は千島列島は日本固有の領土だと主張する。聞こえのよい主張だが、千島は明治初期に榎本武揚が全権大使としてモスクワに趣き、買い取った二十二に及ぶ島で、海産物が豊富であったから大儲けしたとロシア人は悔やんだと、作家のチェーホフは「サハリン島」の中で書いている。千島はそれほど重要ではなかったのである。それが今では変った。ソ連は日本の戦時中、日ソ不可侵条約を結んでいたのだが、それを破棄して参戦し、その功績として樺太千島を獲得したので、不法に占領したという自覚はない。一旦獲得した領土を易々と手放す国はない。それに現在は沖縄に米軍基地があるので、その対応を常に考えているのである。国益を考えない国家はないのである。
 話は横道に逸れたが、アメリカとの単独講和条約後の日本の政界の動きに戻ることにしよう。昭和天皇の戦争責任問題は結局有耶無耶になったが、戦犯として巣鴨プリズンにいた軍人ではない政府要員も講和条約締結によって出所をゆるされた。その中に、現在の総理安倍晋三の祖父岸信介がいたのである。岸は商工大臣を務めた閣僚であった。岸は間もなく政界に復帰し、六十年安保の時の総理大臣であった。安保条約は講和条約のときに日本がくくり付けられた柵であった。この柵を取り外さなければ真の独立はあり得ないという空気が燃え上がるように見えた。政府はその空気を抑えなくてはならない。しかし政府の手に負える勢いではなかった。最後はアメリカの力が働いて安保騒動に終止符が打たれた。岸は暴漢に太股を刃物で刺されて退陣した。
 ここで一服しよう。岸の配下から矢張り戦犯の指定を受けて巣鴨プリズンに収容され、講和条約締結一年前にそこで病死した者があった。赤木桁平である。赤木はもとは漱石の所に出入りしていた文芸評論家で、読売新聞に「遊蕩文学撲滅論」を書いたことがある。槍玉に挙がったのは、吉井勇、久保田万太郎、長田幹彦、近松秋江、後藤末雄の五名であった。遊蕩文学は世の中に害毒を流すから撲滅せよという主張である。名指しを受けた文人の作品は特別有毒とも言えないが、赤木は撲滅論を口にするほどの人間だから、やがて漱石の許を離れ政界に近づくのである。彼は岸信介の配下になって、確か関西で国会議員選挙に立候補して代議士になった。戦争に協力したことは勿論である。それが戦犯の指定を受ける要因であった。赤木は巣鴨で戦犯のまま病死したが、岸は病気もせず、講和条約締結とともに娑婆に出て、エリートの道を歩いたのである。おそらく巣鴨にいた者で、岸ほどに陽の目を見た者はあるまい。既に誰も戦争責任を取ろうとしない国になったのだから、民主主義と声高らかに言ってみたところで、空念仏たらざるを得ないのである。この政治的状況は現在も変らないのであって、公文書改ざんが発覚しても、担当大臣は頬被りをして責任を取らない。この大臣は天皇制護持に凝り固まっていた吉田茂首相の縁戚の者だ。矢張りあの問題は何時までも付いて回るのか。この国は将来に向けての舵取りの決断を誤ったのであろうか。小説家の伊藤整は、「近代日本人の発想の諸形式」という論考を書いているが、その中で伊藤は、日本の近代化の機会は二度あったという。「明治維新と第二次大戦後」がそれだと伊藤は指摘している。ところが、この二つの機会とも「外から刺激され、支配者に都合のよいように上から与えられて、実質的に旧い生活の内容を受けついだものであり、民衆の側から起ったものでないことと関係がある」というのが論旨だが、伊藤が意識している近代化はヨーロッパの歴史のように思われる。矢張り敗戦は独立を失うことである。日本を統治するためにアメリカが行なったのは学制改革であった。私が子供の頃は、小学校だけが義務制であった。その後は中学五年、高校三年、大学三年が普通科のコースであった。このコースは昭和二十七年頃に変ったように思う。中学は三年まで義務制になり、その上に高校が置かれた、学校に入り易くなったように見えた。教育の大衆化であり、精神文化のレベルアップと評価する向きもあろうが、識者の中にはこの改革を憂慮する人もあった。私の知る仏文学者で大学で比較文学を講じていた荒木亨氏は自分の主宰する学内の研究誌「シグノ」の中でこんな事を書いているところがあった。
 「六三制、新仮名遣いで始まった戦後が、今その効果を現して来た。教育という目に見え難い領域は戦後生まれが大部分を占める二十一世紀になって、取り返しのつかぬ過ちを日々露呈している。日本語が崩れ、死のうとしている時に、小学校から英語教育とは何という太平楽だろう。日本の大人の愚かしさをまともに受ける犠牲者が、何も罪のない子供である。しかし日本の教育は、既に戦前から「教育勅語」と「皇国史観」、「御真影奉安殿」の神話によって、軍部と文部官僚に独占され、根本の正しさを失っていた。戦後の新教育に人々が救いを感じたのはあながち間違いではない。しかし自民党に戦前教育の復活を願う「開国建て前、本音は攘夷」の古陋な守旧派が存在し続け、日教組の左翼偏向に刺激されて、教育を政治の争いの場として来た。この不幸が敗戦国の実体である。一時的に経済が復興しても、新幹線が走っても、魂を失った国の倫理的頽廃は止むべくもない」
 折角だから荒木さんの文明批評を聞くことにしよう。
 「……まだ数の観念のない孫の認識は、全てアナログである。それを契機にデジタルとアナログの区別を考える。後進国日本は、手っ取り早く追いつくために、ディジタル(理系)を偏重しアナログ(文系)を潰して来た。偏差値、五段階相対評価、全てディジタルの世界で処理される。しかし本当の創造は先ずアナログから始まる。自然科学の場合も然り。このことに気付かなければ、失われた十年はこの先まだ続くだろう。戦後日本社会への絶望は深い。

  
ITの恐ろしいのは機械を無謬と信じ、それを故障と思わずに相手を疑うところにある。チャット殺人事件の女の子も、友達の真意より、チャットの文面を盲信する倒錯に陥ったのだ。コンピューターは理由なく誤り、その責任を必ず人間(ユーザー)に押しつける。これが知らず知らず人間(ユーザー)に伝染し、自分は正しく、悪いのは相手だという人間が蔓延する。子供の時からそういう条件付けられて育った人には、余程の智慧と意志がないとこの袋小路から抜け出せない」
 こういう見通しを立てた荒木さんは残念なことに脳出血で仆れ、帰らぬ人となった。敬虔なカソリック教徒であった。(続く)



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