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五 指名Ⅰ

 

目の前にお客さんが立っていた。背広姿なのに、背中には高い山に登るときに使う、何日も宿泊できるような大きなザックを背負っている。そして、そのザックがはちきれんばかりに膨れている。また、右手には、お土産が詰まっているのか、大きな紙袋を持っている。その開いた口からは、菓子箱の包装紙が覗いている。

 

一体、どんな人なのだろう。いや、相手には関心を持たない。これは、美里たちハートケア士の仕事の鉄則だ。変に、邪推しても仕方がない。どうせ、そのうちに、相手の心のうちはわかるはずだ。へたな、間違った推測が、返って、自分を変な方向に導いてしまう。

 

美里がこの仕事に就く前に、支配人から注意されたことは、お客様がどんな姿形をしていようが、どんな服装を身につけていようが、どんな言葉をしゃべろうが、どこの惑星の出身だろうが、また、年齢にも関係なく、決して嫌な顔はするなということだった。微笑みを持って迎える。何しろ、相手は、お金を払ったお客様だからだ。

 

早い話、お客様を見るのではなく、相手のお金を見ろ、と美里は解釈した。ハートケア士としての資格を活かせることは嬉しいが、目的はお金を稼ぐことだ。そう割り切った。

 

お客様がどんな人であろうと、支払われるお金は、同じ形をして、同じ色合いで、同じ数字だ。極端な話をすれば、お客様がお金の数字に見えてくる。その数字が目の前に立っているのだ。美里は数字だけを思い浮かべた。今から、その数字から一方的な感情が送られてくるのだ。

 

「どうぞ。こちらへ」

 

高速エレベーターを降りた後、ホテルの廊下をまっすぐ歩く。部屋はもうすぐだ。6008号室。ホテルの六十階の八号室だ。美里の後ろをお客さんが着いてくる。お客様とは先ほど会ったばかりで、もちろん初対面だ。出会いの風景が思い出される。

 

この店では、お客様の指定のホテルや自宅などに伺うこともあれば、店側が指定したホテルに行くこともある。しかし、ほとんどのお客さんは個人情報を知られたくないこともあるのか、店側が指定したホテルを使用する。

 

美里も今日は、いつも使用するホテルのロビーに行く。店とホテル側では、美里たちとお客様との行為を承認しているのか、ホテルの従業員から咎められることはない。もちろん、美里たちも他のホテルのお客様たちと違和感がないように、気づかれないように、ホテルの客のように振舞う。

 

 あそこだ。

 

 指定されたロビーのソファーの片隅に人が座っている。その人は、髪を七・三に分け、眼鏡を掛け、ストライプの紺の背広姿の、白人のビジネスマン。支配人から伝えられた通りの姿をしている。確かに、一見、地球人のようだが、最近は、他の惑星の星人が増えている。まるで、地球観光の一環として、心のマッサージを求めているのだった。そして、他の惑星の人々は、この地球にいる間は、見た目だけは地球人と同じ姿形をしている。

 

地球に到着する際には、地球に訪れる前に予約していた好みの地球人のコスチュームを受け取り、それを身に着ける。そのコスチュームを着ることで、パスポートの代わりになり、地球の各地を自由に旅行できるものの、そのコスチュームから発信される電波のせいで、地球での行動は全て把握されることになる。

 

他の惑星人に対する人権問題だ、個人情報が侵害されている、という声もあるが、そのコスチュームを着ているおかげで、地球を訪れる他の惑星の人にとっても、その人たちを受け入れる地球の人にとっても、お互いの安全と安心が保障されていることは事実だ。

 

「はじめまして」

 

 美里の方から声を掛ける。男は顔を上げた。ハンサムだ。だが、それは地球人の文化での視点だ。他の惑星人から見れば、頭があり、体に両手両足が付着している、二本足の姿は、効率的ではないと考えている人々もいる。

 

それは、あくまでも、この地球に住んでいるからこそ、こうした姿が適しているだけの事なのだ。酸素や二酸化炭素の配分率や濃度、重力、気温、海や陸との割合など、自然条件や環境等が異なれば、当然、そこで住む人々の姿形も異なってくる。その惑星に一番的適した姿形になるのだ。

 

 だが、ここは地球。郷に入れば、郷に従う、ではないけれど、こうした異星人たちも、表面上は、地球人の二足歩行の姿形をしている。その方が、動きやすいということもある。

 

「こんにちは」 

 

地球語で返事をしてくれた。ただし、それは、他言語を地球語に変換しているだけで、他の惑星の人が地球語を会話できるということではない。ただし、変換できるということは、この地球と交流のある惑星の人種であることの証明にもなっている。

 

今、地球人と交流している他の惑星人は百種類以上あると言われている。そんなに多いのかと思われるが、この地球にだって、二百近くの国々があり、それ以上に独自の言語があることから、特段、不思議なことではない。

 

かつては、地球の人々も、言語通訳士を通じて、間接的な意思疎通をしていた。しかし、今は、通訳機が発達し、地球人同士はもちろんのこと、他の惑星の人たちとも直接、コミュニケーションが取れるようになった。そのため、かつてのような言語通訳士は必要ではなくなった。

 

しかし、いくら通訳機が発達して、言葉がわかるとしても、文化的な意味までも通じるコミュニケーションをとることは難しいため、今は、言語通訳士に代わり、文化交流士が他惑星人の文化の細かいニュアンスを伝えるために、重要な取引の場や政治的な交渉の場などにおいて活躍をしている。美里のようなハートケア士の仕事も、ある意味では、文化交流士なのかもしれない。ただし、交流ではなく、一方的な流入ばかりだが。

 

「それではまいりましょうか」

 

美里が案内する。仕事を始めた最初の頃は、恥ずかしさなどから、相手が言い出すのを待っていたが、今は、率先して誘導するようになった。予約データによると、相手は今回が初めての申し込みとのことだ。少しでも、相手の緊張を解くために、美里の方から積極的に誘っているのだ。

 

「どうぞこちらへ」

 

 美里はエレベーターに向かう。お客さんも美里の後ろに続く。エレベーターの中は二人だけになった。この数分間は、この仕事に慣れたとは言え、美里にとっては何を話題にしてはいいか迷う、気まずい時間である。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。今日は、いい天気ですねえ」

 

 美里の気持ちを感じてなのか、それとも、サービスの一環なのか、AIの機能が付いたエレベーターが話を振ってくれた。

 

「ほんと、暖かいですね」

 

 美里が話を盛り上げようとするものの、「ああ。そうですねえ」と、お客さんは感情のこもっていない、そっけない返事しかしない。あまりしゃべりたくはないようだ。美里は相手に話し掛けることをやめ、自分の思いに耽った。

 

エレベーターに乗ると、いつもこの機械を発明した人をすごいと思う。それは、単に、上の階へ息を切らしながら階段を登らずに楽に行けるということだけではない。

 

エレベーターが発明されたことから、何十階もある超高層ビルを建てようという発想に至ったのだと思う。登山じゃあるまいし、毎日、自分が勤めるオフィスに何十階も、いや、十階までだって、いくら健康のためだからといって、階段の上り下りをしようとする人はいないだろう。

 

そして、高層ビルを建てたことで、人類は、地面以外にも、空に地面を広げることができた。また、空だけじゃない。地下にも地面を生み出した。鳥とモグラの領域にまで、自分の生活の基盤を広げたのだ。

 

確かに、人類は地球上の地面を自分たちが住みやすいように変え続けてきた。山を削り、平地を作り、また、削った山の土を有効活用して海や川、池を埋め立て、生活できる場所を広げてきた。そして、究極の平野が高層ビル、地下街なのだ。

 

地球上の高層ビルや地下街の面積を足していけば、一体、どれくらいの広さになるのだろうか。まだ、誰も計算していないだろうが、建物の二階部分以上の床面積や地下街の床面積も足せば、日本の国土以上の面積を、空に、地下に作ったのではないだろうか。

 

バベルの塔ではないけれど、いつかは、人類もこの塔を壊される日が、地下空間が埋められる日がくるかもしれない。だが、それでも、再び、人類は平地を求めて、空に、地下に、空間を生み出していくのだろう。そして、今は、宇宙にまでその考えを広げている。

 

だからこそ、こうして、他の惑星の人々とも交流を拡大しているのである。空間を拡大していく考え方が生まれたのは、エレベーターのおかげである。ただし、宇宙がビッグバンで生まれ、広がっていくように、拡大の精神や欲望は一時的に留まることはあっても、原則、拡大していっている。それは、いいことなのだろうか。そう思っていると、

 

「六十階です。目的地に着きました」と、エレベーターの声が頭の上から聞こえる。一階からこの六十階まで瞬時だ。このスピードにも驚く。気圧の関係で、耳鳴りがすることもなく、また、唾を飲み込む必要もない。ドアが自動で開いた。

 

「どうぞ」

 

エレベーターを出た後は、廊下をまっすぐ進む。目的地の部屋の前に着いた。ドアの前に立つ。監視カメラが二人を凝視している。部屋のドアが自動で開いた。美里とお客さんがこの部屋に入ることはホテル側にはわかっているのだ。

 

「お部屋です」

 

 お客さんを先に促す。部屋の中に入る。お客さんの肩越しから、地上二百メートル近くの高さからの街の風景が広がっている。

 

 すごい。何度来ても、この風景は素晴らしい。この風景を見るために、この仕事をしているようなものだ。

 

「どうそ、あのソファーにお座りください」

 

 美里が声を掛ける前に、お客さんは、ああ、疲れた、と一言呟くと、ソファーに体全体の体重をかけるようにして座り込んだ。

 

「私も着替えるから、あなたも着替えて欲しい」

 

 ようやく、お客さんの生の感情が聞けた。

 

「わかりました」

 

美里はバッグを持って、浴室に行く。お客さんによっては、その場で着替えて欲しいとの要望があることもあるが、このコスチュームはあくまでも雰囲気づくりであって、メインの仕事ではない。だから、基本的には、お客さんの前では着替えない。お客さんの夢を壊したくないこともある。

 

バッグから取り出したのは、赤ずきんちゃんの服装だ。この年齢で、赤ずきんちゃんなんて恥ずかしい。美里は地球人年齢で言えば三十歳を過ぎ、四十前だ。赤ずきんちゃんの服装なんて、子どもの頃に、幼稚園の発表会か何かで着て以来だ。

 

いや、違う。記憶が蘇ってきた。発表会では、赤ずきんちゃんは別の子が演じた。美里は、同じ年齢の子に比べて体が大きかったので、オオカミの役をしたのだった。残念なことに、今のところ、オオカミのコスチュームを着てこの仕事をしたことはない。オオカミなら三十年前に既に経験があるのだが。

 

どちらにしても、コスチュームを着て喜ぶ年齢ではない。だけど、他の惑星の人たちにとって、地球人の年齢なんて関係がないのだろう。また、美里たちにとっても、他の惑星の人たちの年齢なんて関係はない。

 

年齢などが仕事をする上で関係するとすれば、現役で働いている人たちは悩みが深く、心も強く病みがちだ。だから、美里たちハートケア士がお客さんの悩みなどをストレートに受け入れるのは厳しい時もある。だが、現役世代だからこそ、美里たちのハートケア士が必要であり、わざわざ、他の惑星から地球にやってきてまで、ケアを受けたがるのだろう。

 

美里は携帯を取り出し、事務所に連絡する。もう既に、美里とお客さんがホテルの一室に入室したことは、美里が耳に付けている自動翻訳機から発信される電波を通じて、事務所にも連絡が入っているはずだ。しかし、生の声で、直接連絡をすることが大事なのだ。

 

「今、ホテルの指定の部屋に入りました。今から、着替えます」

 

「了解しました。それじゃあ、よろしくお願いします」

 

支配人の事務的な声。感情はいらない。中途半端な感情はこの仕事に邪魔になる。支障になる。美里たちは与えられた仕事をこなすだけなのだ。

 

美里は赤ずきんちゃんの服装に着替えるとお客さんのいる部屋に戻った。子どもの頃に憧れた赤ずきんちゃんの服だ。だけど、あえて鏡は見ない。見たくもない。相手の心のケアをすることだけに集中する。

 

「ああ、いらっしゃい」

 

会った時とは違うフレンドリーな物の言い方に変わっていた。ソファーには、頭から、地球人の着ぐるみを脱いだ、オオカミの姿をした星人の姿があった。もちろん、地球人である美里から見たオオカミであって、オオカミの姿をした星人は自分たちをオオカミとは思っていない。

 

「ふう。これで楽になったよ。嬉しいよ。これが、地球人の言う赤ずきんちゃんなんだね」

 

オオカミ星人(本当は違うが、ややこしいので、そう呼ばせてもらう)は大きな耳と大きな鼻と大きな口を開けて、大きく笑った。

 

「どうして赤ずきんちゃんの姿を望んだんですか」

 

 美里は目の前のオオカミ星人を見る。そして、自分の赤ずきんのコスチュームを再び見る。まさか幼稚園の時の希望がこの年齢で適うとは思わなかったのが本音だ。

 

「地球の文化を調べたら、私たちは地球で言うオオカミという動物に似ているらしい。そこで、オオカミを調べると「赤ずきんちゃん」という物語があり、赤ずきんちゃんとオオカミが交流している話ということがわかった。地球の人たちと少しでも文化の交流をしたいから、赤ずきんちゃんの姿をお願いしたんだ」

 

 オオカミ星人は屈託なく話をしてくれた。

 

 美里は大きく頷くものの、文化とは、いくら自動翻訳機や文化通訳士がいても、必ずしも正しくは伝わらないことを知った。この童話では、赤ずきんちゃんとオオカミはよき仲間ではなく、敵対関係にあるのだ。文化の交流と偽って、交流を断つことなのだ。

 

だが、そのことはあえて言わない。世界中の童話や物語を調べれば、人間とオオカミが共存するストーリーもあるからだ。文化とは、他者との関係は、一義性なものではなく、両義性を持っているものなのだ。

 

 美里を例にすれば、夫と、この人となら、この人でなくてはと、結婚し、子どもを設け、一緒に家庭を築いたはずなのに、結果的には、分かれて別々の生活をしている。今となっては、夫に対して、憎しみもなければ、愛しさもない。なんの感情もない。過去に共に生活したことが、不思議で、事実ではないような気がしてしまう。

 

たまに、ふと夫と一緒に暮らしたときの記憶が頭に蘇るとしても、昔見た映画のストーリーの一部のように思える。美里と夫の関係は、両義性を超越したのだろうか。いや、関係があったことさえも消えてしまったのだ。

 


この本の内容は以上です。


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