閉じる


366番のバレンタインチョコ

 俺は、アルバイトをしながらお笑い芸人を目指している。

 二年前は教師を目指して猛勉強し大学に入学したが、大学一年の冬に芸人になりたい夢が、どうしてもあきらめられず大学を中退してしまった。

 両親は二人とも教師で兄も昨年大学を卒業して教師になった。両親は子供二人が教師を目指していることを喜んでいたので、俺が大学を中退して芸人を目指したことは大きなショックだったようだ。

 頭のかたい父親は怒り、二度と敷居をまたぐなと、俺が実家に帰ってくることを許さなかった。

 おふくろと兄は、父親をなだめ、説得してくれたようだが、昔から我が家では父親が絶対だったので、許してもらうことは出来なかったようだ。俺は勘当されたわけだ。

 俺は、さほど家族に未練があったわけでもなかったので、ある意味、肩の荷が降りて、自由になってよかったと思っていた。

 

 今日は二月十四日、バレンタインデーだ。

 俺は366番と書いてあるチョコレートの包み紙を眺めて、この包みを今開けるべきか、後回しにするか悩んでいた。

 実はこのチョコレートは一年前のバレンタインデーに届いたものだ。

 俺が大学を中退して芸人を目指しはじめた時だ。

 一年前のバレンタインデーに宅配便で荷物が届いた。最初は、まさか俺にバレンタインデーのチョコレートが届くなんて思わなかった。

 いつかはお笑い芸人として有名になりファンからチョコレートが届くような芸人になることを夢見ているが、まだ、そんなものが届くはずがない。

 何だろうかと思い、平たい箱を開けてみると三センチ位の小さな箱が、一面にずらりと並んで入っていた。その小さな箱は一個づつバレンタイン用に包装されていて一つ一つに番号が書いてあった。

 この小さな箱はいくつあるんだろうか、と思って番号を目で追っていると、スマホが鳴った。メールが届いたようなので、箱を数えるのを中断してメールを見た。そのメールは、この箱の送り主からだった。

『ハッピーバレンタイン! 荷物は、無事、あなたの元に届きましたでしょうか? 届いたら箱を開けてみてください』そう書いてあった。

 もう開けたよ、と俺は呟いた。

『なかには小さな箱に入ったチョコレートが366個あります』

 俺は366個もあるのかと箱の中を覗いた。そして続きを見た。

『366個のチョコレートには一つ一つ番号がついています。今日から、このチョコレートを毎日一個づつ番号順に食べて下さい。今日は1番のチョコレートを食べて明日は2番、そして明後日は3番……、あなたが続けてくれれば、最後366番のチョコレートを食べる時は来年のバレンタインデーになります』

 俺は、一年間、毎日食べ続けるのかよ、と首を傾げた。

『一つ一つのチョコレートの包装紙の裏に、わたしからのメッセージが書いてあります。そのメッセージを読んでください。そして読んだ後、そのメッセージを写真に撮って、わたし宛にメールで送って下さい。メッセージへの返事をいただければ嬉しいですが強制はいたしません』

 ちょっと面倒くさそうだなと思った。

『もしあなたが途中でこれを止めてしまうか、芸人の夢をあきらめてしまったら、わたしはあなたの事を、その時点であきらめます。あなたの前に一生姿を見せません』

 なんだろう? この送り主の決意なんだろうか。

『それから、あなたに好きな女性が出来た時は、遠慮なく教えて下さい。その時、わたしはあなたの恋愛を応援します』

 やっぱり面倒くさい女だなと思いながら続きを見た。

『必ずチョコレートは1番から順番に毎日食べて下さい。そして366番目を食べる時が来年のバレンタインデーです。366番目のわたしからの最後のメッセージを読んで写メを送ってくれたら、最後にわたしはあなたに全てを告白します』

 メールの文章はそれで終わっていた。最後に女性の写真が付いていた。長い黒髪、二重瞼のくりっとした目、黒目の大きい瞳、長い睫毛、可愛くて綺麗な女性の写真だ。この女性が本当に送り主なのだろうか? 一年間頑張ってみようと思わせるくらいの美貌だ。しかし、よく見ると加工された画像のようにも見える。こんな綺麗な女性が俺に告白することも考えづらい。詐欺かもしれないとも思ったが……。

 とりあえず、俺は1番のチョコレートの包みを開けた。そして包み紙の裏に書いてあるメッセージを見た。

『ハッピーバレンタイン、今日から一年間よろしくお願いします。この一年があなたにとって素晴らしい一年になりますよう応援します。そして、あなたを愛しています』

 孤独な俺にとって、嬉しいメッセージだった。すぐに写メを撮り返事を送った。

『ありがとう。一年間頑張ってみます。応援してください』

 

 それから一年間、俺はチョコレートを食べて写メを送り続けることになった。一年間毎日だ。風邪をひいても、食欲がない日でも毎日だ。これまで何をやっても長続きしなかった俺が続けられたのは、包装紙の裏のメッセージのおかげだろう。

 

 三月十四日 今日はホワイトデー。バレンタインデーのチョコレートのお返しはいらないけど、そのかわりにあなたの笑顔の写真を送ってくれませんか。毎日あなたの笑顔が見たいです。

 四月十三日 春になり暖かくなりましたか? あなたのアパートは暖房もなく寒そうなので、春になると少し安心です。

 五月三日 世間はゴールデンウィークですが、どうお過ごしですか? 芸人に向かって頑張ってるんでしょうか? 遊ぶ間もないんでしょうね。大変でしょうが、きっと花が咲きます。

 六月二十日 今日はあなたの二十歳の誕生日ですね。おめでとうございます。あなたの二十歳の年が幸せでありますように!

 七月十日 お笑い芸人の道は厳しいですか? でも、負けないで頑張って下さい。あなたならきっとうまくいきます。あなたが舞台で活躍する姿を信じています。

 八月十四日 暑い季節ですが、体調の方は大丈夫ですか。チョコレートは溶けていませんか?

 九月二十日 読書の秋、食欲の秋ですね。読書はしていますか? 読書をした方が芸人の幅も広がるのではないですか。食欲の秋ですが、食べる物は不自由していませんか? 

 十月十日 あなたの好きな阪神タイガースは今シーズンどんな成績でしたか? 優勝出来ましたか? それとも残念な結果でしたか? どちらにしても頑張った選手を称えてあげてください。

 十一月二十日 紅葉がきれいな季節です。もし気分が滅入ってたら、紅葉でも見てください。きっと勇気がわいてきます。

 十二月五日 あなたの好きなM-1グランプリの季節ですよね。今年は誰がチャンピオンになりましたか? あなたがいつかあの舞台に立てるのを見たいです。

 一月一日 明けましておめでとうございます。昨年は良い一年でしたか? 今年はもっと良い一年になりますように。大晦日にはガキ使を見ましたか? あなたの好きな番組ですよね。

二月十三日 あと一日ですね。わたしはあなたが続けてくれていると信じています。それでは明日のバレンタインデーを楽しみにしています。

 

 これらの365個のメッセージが孤独で落ち込んでいる俺に勇気をくれた。どこかで誰かが応援してくれている気がして頑張れた。

 

 そして、残りは一つ。366番を残すだけだ。

 

 俺が、今、何を悩んでいるのかというと、昨日の夜、バイト先の女子から、明日会いたいと電話があったのだ。バレンタインデーの前日に明日会いたいということは、バレンタインデーに俺に告白するつもりではないかと期待してしまっている。

 バイト先の女子は、美人タイプではないが、小柄で働き者。いつもニコニコと笑って可愛い子だ。話していても楽しくて、俺は好意を持っていた。その女子からバレンタインデーに呼び出されたのだ。 366番目のチョコレートも気になるが、やはり顔も名前もわかっている女子が、告白してくれるかもしれないと思うと、やはり、そっちを優先するべきでないか、と悩んでいるのだ。

 

 結局、366番のチョコレートは、バイト先の女子と会ってからでもいいだろうと思い、後回しにすることにした。俺は366番のチョコレートをテーブルに置いたまま、彼女との約束の場所へと出掛けることにした。

 

 午後二時に駅前の広場で待ち合わせだった。俺は五分前に駅前広場に着いたが、彼女の姿はすでにあった。広場の隅のベンチの横に立ち、両手で紙袋を抱えていた。あの紙袋は俺へのバレンタインデーのチョコレートが入っているのではないか、俺は胸がときめいて彼女に向かって全速力で走った。彼女は下を向いていたが、俺の足音に気づいて、こちらに顔を向けた。俺は走るスピードを緩め右手を上げた。彼女が胸の前で小さく手をふってくれた。

 

「ごめん、待った」息が切れた。自分の白い息で眼鏡がくもった。

「わたしも今着いたとこ。お互いに早く着いたね」彼女はいつも通りの笑顔をふりまいた。抱えていた紙袋を後ろに回していた。

「じゃあ、寒いから喫茶店でも入る?」俺は喫茶店を指差した。

「う、うん、でも、その前に……、こ、これ」彼女は後ろに隠してあった紙袋を、俺の前に差し出した。間違いない、バレンタインのチョコレートだ。俺は心臓が飛び出しそうな感覚をはじめて味わった。彼女もいつもの笑顔とは違い、少しひきつっていた。

「あ、ありがとう」俺は満面の笑みを浮かべながら紙袋を受け取った。

「う、うん」彼女は、胸に手を当てて、フゥと息を吐いた後、いつもの笑顔に戻った。

 

 その後、喫茶店に入り、二人で話をした。彼女は俺とバイトしていると楽しくて、頼りになると言ってくれた。そのうち恋愛感情が芽生え、今日、告白しようと決めたと言った。俺も彼女に好意を持っていることを伝えた。しかし、芸人を目指しているが、まだ何の実績もない状態で恋愛することの不安を告げた。

 彼女は夢を追いかける姿も素敵だから応援すると、絶対に邪魔はしないと言ってくれた。

 俺は彼女と付き合うことにした。その後、二人で映画を観て、食事をした。生まれてはじめて女子とデートをした。ずっといっしょにいたくて帰りが遅くなってしまった。彼女を家まで送って帰った。彼女の自宅前まで夜道を歩いた。顔にあたる冷たい風も気持ちよかった。隣を歩く彼女に触れたくて、体を近づけた。手を握りたかった。キスもしたかった。しかし、早すぎるだろうと思った。それに、そんな勇気もなかった。

 明日は二人共バイトだが、バイト先では、しばらく秘密にしておくことにした。次のデートの約束もした。

 別れ際に、彼女から、ありがとうと言われて嬉しくて舞い上がった。366番のチョコレートのことは頭から消えていた。

 

 帰宅した時間は午後十一時。バレンタインデーも残り一時間だった。

 テーブルに置いてある366番のチョコレートが目に入った。このまま放っておけば、送り主は、その時点であきらめると言っていた。今日、俺に彼女が出来たから、そのままにしておけばよいのかもしれないが、一年間続けてきたことが無駄に終わるのも、もったいないなと思った。

 しかし、366番のチョコレートを食べるのは、今日出来たばかりの彼女を裏切るような気もした。

 もう、時間がない。どうするべきだろう。俺はテーブルの上の366番を見て、腕を組んだ。そして一年前のメールの内容を思い出した。

 そうだ、一年前のメールのなかで、『好きな女性ができたら教えて下さい。応援します』とあったはずだ。

 とりあえず、366番目のチョコレートを食べて、その後、メールで好きな女性が出来たことを伝えれば、今日出来た彼女を裏切ることにはならない。

 俺は、366番目のチョコレートの包装紙をあけて、最後のチョコレートを口に放り込んだ。

 この一年間、お世話になった。落ち込んでいる時に元気をくれた。お金がなく食べるものがない時、口に入れた物が、このチョコレートだけの日もあった。

 いつもより味わって食べようと思った。口の中でチョコレートが溶け風味が鼻にぬけていく。チョコレートが口の中で、どんどんと小さくなり、ついに口の中の苦味と甘味が消えた。366番目のチョコレートを食べ終わった。

 そして俺は包装紙を見た。いつものようにメッセージがあった。

 二月十四日、バレンタインデーです。これを見てくれているということは、一年間続けてくれたということですよね。芸人の夢も捨てないで頑張ってくれてるということですよね。よかったです。それでは、最後の写メを送って下さい。それを受け取ったら、わたしはあなたに告白します。

『告白します』という言葉が引っかかった。告白される前に好きな女性が出来たことを伝えなければならない。これまで女性から告白されたことがない俺が、一日に二人の女性から告白されることの戸惑いは半端無かった。人生最初で最後のモテ期だろう。

 もう時間がない。バレンタインデーが終わってしまう。急いで俺はメッセージの写メを撮りメールをうった。

『一年間、ありがとうございました。さっき366番目のチョコレートを食べ終わり、包装紙のメッセージを見ました。一年間のメッセージは俺に元気や勇気をくれました。落ち込んでる時、俺は一人じゃないと思うことが出来ました。本当にありがとうございました。それから、今日好きな女子が出来ました。彼女はバイト先で知り合った女子です。あなたのような美人ではありませんが、いつも笑顔で明るく元気な女子です。ずっと気になっていた女子だったんですが、今日バレンタインデーにチョコレートをもらい告白されました。俺は彼女と付き合うことにしました。ごめんなさい』

 最後に『ごめんなさい』をいれるべきか悩んでいたが入れたまま送った。

 

 しばらく返信を待った。どんな返信が来るのだろう。本当に俺の恋愛を応援してくれるのだろうか。裏切られたと怒りだすことはないのだろうか。

 待ってる間に、最初にもらったメールの顔写真を見た。やっぱり綺麗だなと思った。その後もずっとスマホの画面を見ていた。

 

 やっと、メールが届いた。

 

 俺は恐る恐るメールを開いた。

 

『こちらこそ、ありがとうございました。そして、一年間、お疲れ様でした』

 怒ってはいないようで、少し安心した。

『これを始める時、あなたが、本当に一年間続けてくれるのかが不安でした。すぐに止めてしまうんじゃないか。芸人の夢もあきらめてしまうんじゃないか。でも、わたしはあなたに賭けてみました。あなたを信じて良かったです』

 何で俺にそこまで、と思った。

『好きな女性が出来たようですね。それもギリギリでしたね(笑)』

 嫉妬して、怒ってるようではない。

『約束通り、あなたの恋愛を応援しますよ。女心がわからなかったら、いつでも相談して下さい。あなたは女性と付き合うのが初めてでしょうから心配です』

 大きなお世話だとも思うが、嫉妬して怒っていないだけ、ましだと思った。

『それから、もう一つの約束。わたしはあなたに告白しますね』

 それは、もういいだろうと思った。俺には彼女が出来たんだから、告白されても困る。

『今からわたしが、あなたに366個のチョコレートを贈った理由をお話します』

 理由? 俺のことが好きだからじゃないのか。

『それは、あなたを陰ながら応援したかったからです。大学を中退してまで、親の反対を無視してまで芸人になりたいという、あなたの夢を応援したかったからです。でも、それはあなたにとって迷惑なのかもしれないと悩みました。そこで、わたしはあなたが一年間、わたしからのメッセージを読みメールを送り返してくれるかに賭けてみることにしました。一年間続けてくれたら応援しよう。続かなかったらあきらめようと決めました。そして、あなたは一年間続けてくれました。芸人の夢も持ち続けてくれました。なので、これからは陰ながらではなく、あなたの夢も恋愛も応援します』

 何故、こんなに応援してくれるんだろうか? 怒っていないことに安心したが、まだ謎は解けていない。

『最後に、わたしの正体です。多分、あなたは、それが気になっていることでしょう。下にスクロールして下さい』

 俺はスマホの画面を下へスクロールした。最初のメールで届いたのと同じ顔写真が出てきた。可愛く綺麗な女性だ。

 そして、もう一度スクロールするとその下に同じ写真が出てきた。同じ写真というか、最初の写真はやはり加工された物で加工する前の写真だ。二重瞼は一重だった。長い睫毛もなかった。黒目も加工して大きくしていたようだ。綺麗な肌も皺が多かった、黒髪は白髪混じりだ。最初の写真は加工して完全な別人になっていた。

 加工前の写真の顔を見た。老けたおばさんの顔だが、見覚えはあった。その顔をじっと見ていたが、ぼやけてきた。スマホの画面に俺の目から涙が落ちてスマホの画面もぼやけた。

 おふくろは、ずっと俺のことを心配して、一年間応援してくれていたんだ。

 

 

 

 


この本の内容は以上です。


読者登録

スー爺さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について