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家族愛

 男の足取りは重たかった。駅の階段を一段ずつ、ゆっくりと上がっていた。それだけで息が切れた。

 エスカレーターを使いたかったが、妻とエスカレーターを使わないと約束していた。男の健康の為にだ。確かに最近は運動不足でお腹まわりの肉が気になっていた。

 若い奴が階段を一段飛ばしながら駆け上がり、男の隣をすり抜けて行った。駅のアナウンスが流れた。ホームに電車が入ってきたようだ。

 電車一本くらい乗り遅れてもいい。この時間ならすぐに来るだろう、男はそう思った。

 ホームに上がったと同時に電車のドアが閉まった。男は舌打ちをした。さっき、階段で抜いて行った若い奴がドアの向こうに立ち、スマホをいじっている姿が見えた。電車が動き出し、すぐに視界から消えていった。

 男は次の電車を待った。次の電車が遅れていると駅のアナウンスが流れた。風が冷たくて、首をすくめた。寒さに耐える為、電車を待っている間はずっと足踏みをしていた。やっと電車がホームに入ってきた。前の電車より乗客が多かった。男は電車に乗り込むと同時にグイグイと奥へと押しこまれ倒れそうになった。つり革に掴まって、何とか体を立て直した。右手でつり革を握り左手で鞄を抱えた。女性に触れないように気を付けた。

 電車内は男と同じような連中であふれていたが、中には若い奴もいる。若い奴等はスマホでゲームをしているようだ。つり革に掴まらなくても立っていられる足腰が羨ましい。

 

 男は、フーッと息を吐いた後、俯いて目を閉じた。

 出世は、同期の中では、少し遅れているなと思った。出世欲がある方ではないが、少し焦っている。

 妻と子供を養う為には、もう少し収入がほしいから頑張らないといけないと思った。

 家のローンもまだまだ気が遠くなるくらい残っている。

 実家の両親も年老いてきているので、体が心配だ。

 車内アナウンスが自宅の最寄り駅を告げた。男は目を開け、首を左右に折った。

 

 駅に到着した。男は他の乗客に道を開けてもらい、すり抜けていったが、出っぱったお腹と鞄が邪魔をした。スイマセンと言いながら、何とか電車から降りた。真冬なのに汗だくになった。

 どこかで煙草でも吸いたかったが、息子と禁煙の約束をしたばかりだったので我慢をした。酒を飲みに行くのも経済的な理由から、外で飲むのは我慢している。まっすぐ自宅へと向かった。汗が引いて寒くなった。少し雪がちらついていた。ダウンジャケットのファスナーを上げ首をすくめた。

 

 駅から自宅へと向かっていると、前から老人が歩いてくるのが見えた。少しフラフラしているようで、酔っぱらっているのだろうかと思った。男とすれ違う時に老人が声をかけてきた。

「あんた、疲れてるね」老人が笑いながら言った。

 男は老人の顔を見た。酔ってはいないようだった。目元や口元に深い皺があるが、自分より若々しい表情をしていると思った。瞳が輝いて綺麗だ。笑顔にぬくもりを感じた。

「……」

「元気出しなさいよ」老人は優しい声で言った。

「あっ、はい、ありがとうございます」

「あんたの肩には、沢山、何かが乗っかってるよ」老人は眉を上げおでこに皺を寄せて、ゆっくりとした口調で、そう言った。

「えっ、か、肩に」男は左右の肩を交互に見て、手で払う仕草をした。肩に乗っていた雪が落ちた。

「乗っかってるだろう」老人は眉を上げたまま、優しい眼差しを向けた。

「雪ですか」

「違うよ。わからんかな」

「は、はい、わかりません。雪以外は何も乗っかってません」

「いいや、乗っかってるよ。あんたには見えないのかい」

「見えません。霊とかですか」

「いやいや、霊ではない」老人はゆっくり首を横に振った。

「じゃあ、何が乗っかってるんでしょう?」男は又、左右の肩を交互に見た。

「ハハハ、やっぱりわからんのか」

「……」男は首を傾げた。

「あんたの肩には愛が乗っかってる」

「あ、愛、ですか?」

「そう、愛じゃ。沢山の愛じゃ。大切にしろよ」

 老人はそう言って駅の方へ歩いていった。

 

 


この本の内容は以上です。


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