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新潟を去った後の話

 嘉永5年、713日。77日付の「御用召状」が届いた。その後間もなく、修就は江戸に召し出されて、取り急ぎ、出府準備に取りかかり18日には新潟を出立した。会津路を経て宇都宮に出た後、29日に江戸へ着いた。修就は、江戸に着いたその足で江戸城に登城した。それから、参着を報告し老中の問い合わせに「新潟表、市郷井近国迄」替りないことを答えて、勘定奉行など各所へ帰府のあいさつを済ませた。

 

 その夜。修就は、老母のコノと庄五郎家族に再会した。コノは、相変わらず腰痛に悩まされているようだが曾孫を可愛がっていた。庄五郎の妻のたまは、育児と家事に追われていたが幸せそうにみえた。

 江戸を離れる折しも、水野様が罷免されるなど政変が起きた。江戸へ召出される折に何事もないよう願ったが、幸い、江戸はいたって平和じゃ。日常茶飯事、色々な事件が起きる度、家来たちを集めては評議を重ねた新潟での日々が懐かしい」

 修就が遠い目をして言った。修就は、庄五郎と親子水いらず久しぶりに酒を酌み交わした。庄五郎は、待望の嫡男が産まれて父親としての貫禄がついたようにみえた。庄五郎は、修就が新潟赴任中は跡継ぎとして本家を守り、御庭番として真面目に勤仕している。

 

「倅には、庄五郎と名付けました故、それがしは、清兵衛を名乗らせて頂きます」

  庄五郎は深々と頭を下げた。修就は、自分の若いころに似た精悍な顔立ちの旗本を誇らし気に見つめた。滝は、瘧を煩い、一時は家事も出来ない程に体調を崩したが、江戸に帰宅後、徐々に、元気を取り戻した。今では、娘のテイの花嫁修業といい家事をつきっきりで教えている。テイは、金田栄之助との婚儀が決まり落ち着かない様子だ。台所に、並んで立つ母子の後ろ姿をしばらく見られないと思うと、修就は何だか寂しかった。

 

 江戸城登城の折、明日改めて登城するようにとの御用召状が届き、翌日、堺奉行を拝命した。修就は、81日から堺奉行の見習に入った。同じころ、新潟に置いていた家財道具などの荷物を堺の役宅へ運ぶ荷物と江戸の居屋敷に運ぶ荷物とで2手に分けるが、どちらも西廻り航路で運ばせた。堺送りの荷物は、食器類、膳類、火鉢、鳥籠など16個になった。江戸送りの荷物は、硝石、火薬類、合図玉、馬上筒など新潟でも活用した武具類など15個になった。

 

1027日。江戸を出立。江戸から堺までの道程を進む5、6万石の大名格式の行列は堂々たるものだった。江戸を出た後、東海道を上り、箱根の山を越えて1112日。大津に到着した。翌日、京都司代へ行きその次の日、堺へ着任した。

 その後、大坂町奉行、長崎奉行、小晋請奉行、西丸御留守番役、大坂町奉行再任、西丸御留守居役再任。堺赴任時は、自白せず満5年余り女犯の罪で投獄されていた法華宗の僧侶を名口説きにより、見事、自白させたり、荒れ放題だった仁徳天皇陵を修復させたり堺町民から高評価された。大坂赴任時は、大坂奉行を介して、幕府に通商を求めるロシアのプチャーチン提督率いる軍艦「ディアナ号」を、万全の海防を期して粘り強い交渉を重ねた末に追い払うことに成功した。長崎赴任時は、日蘭和親条約の調印に立ち会った。

 

 元治元年、70歳にして御役御免となり、慶応3年、家督を惣領息子の清兵衛(庄五郎)に譲り、自らは隠居した。修就が現役を引退した慶応3年、1014日。慶喜公が自ら大政奉還を行った。

 

 そのころ、江戸から遠く離れた越後新潟町では、新潟奉行所に外国奉行並の糟屋義明が現れた。慶応元年より、白石千別が新潟奉行を務めていたが、糟屋は現職に就いたまま新潟奉行を兼務する形で、白石と共同で新潟を治めて行くことになった。この時、糟屋は、外国奉行の調役1名、定役1名、定役並1名そして新潟と佐渡併せて8名の英語通訳を幕府に願い出た。

 

  大政奉還と同時期、英国公使のハリー・パークスが、新潟湊を佐渡の夷湊を補助湊とすることを条件に開港場とすることに同意した。英国が、新潟湊の開港に同意したことを機に、新たに、新潟奉行に着任した両名は、開港後に訪れるだろう異国人への対応を見据えて施策を実行に移した。しかし、戊辰戦争が勃発したため実現しなかった。

 戊辰戦争の間も、新潟開港に向けて準備は進行していたが、終に、翌年の61日。新潟沖に、薩摩の乾行丸と長州の丁卯丸が入津して、新潟を防備していた米沢と会津の東北同盟軍とが激突した。戦火の中、会津藩は、幕府から蒲原郡の幕府領を預けられたということを根拠に、新潟奉行所に対して新潟町の支配権を引き渡すことを要求した。新潟奉行所や新潟町民は、会津の進駐軍が乱暴な振る舞いをしていたことから、会津藩が新潟町と新潟湊を治めることを拒否した。そのため、新潟において、砲兵差図役頭取と、新潟奉行所の組頭を務めていた田中廉太郎は、米沢藩に新潟町と新潟湊の支配を委任した。米沢藩支配となった新潟では、新潟奉行所が消滅し、米沢藩に会津藩、仙台藩、庄内藩が加わり新潟湊を管理することになった。

 

 戊辰戦争勃発により、正式には開港していなかった新潟だが、開港期日を過ぎたことを理由に、プロシア人やイタリア人など外国人の姿が新潟町でも見られるようになった。

 

修就が、新潟奉行着任当時、唐物抜荷が摘発されたが、最近になって、越後の海岸にて、異国人が密貿易を行っているとの風聞が江戸にも伝わった。新政府は、戦争中のため異国人の安全は保障できないので、開港延期を諸国へ通達した。

 

 江戸の屋敷で隠居生活を営んでいた修就の元に新潟から手紙が届いた。修就に手紙を書いたのは、新潟奉行所を辞職して同じく隠居の身にあった松浦久兵衛だった。2人は、身分の垣根を越えて、修就が新潟を離れた後も、時候見舞を贈り合う仲だった。

 

「滝。戦で新潟湊の開港が延期になっただけでなく、新潟町も米沢藩領となり、奉行所は閉鎖されたそうじゃ」

  修就は、縁側で滝と2人お茶をすすっていた。

 

「奉行所の閉鎖を目の当たりにして、松浦殿もさぞかし、気を落としていることでしょうよ」

  滝が静かに告げた。

 

「いんにゃ、それが違うのじゃ。松浦は、気を落としているどころか、開港準備に担ぎ込まれて、毎日、忙しくしているそうじゃ」

  修就は、隠居して居屋敷にくすぶっている自身に嫌気がさしていたので、松浦の活躍を知り、自分も何かまた、新しいことに挑戦したいきもちがわき起こった。

 

「開港準備ですか? 復興でそれどころではないと存じます」

  滝がけげんな表情で言った。

 

「この手紙が書かれたのは8月ごろじゃ。今は9月下旬。敗戦後、新潟を占領していた新政府軍も引き上げ、新政府軍が設けた越後府が廃止されて、新たに新潟府が設けられたらしい」

  修就は、表舞台から去った後もなお、日本の行く末に関心を持ち続けていた。隠居を目前に造らせた書斎には、新潟赴任時に、新潟神明の神主で画家の才もあった行田和泉(魁庵)に描かせた肖像画を飾った。机に向かう度、肖像画を描かせた当時の自分に見守られている気がした。

 

 「義父上。縫を見かけませんでしたか? 」

  その日の昼下がり。修就が書斎に籠もっていると、順次郎の妻のみきが、血相を変えて駆け込んで来た。

 

「縫なら、帰ったと思ったら、また、出掛けたぞ」

  修就は、読みかけの書物を閉じると答えた。

 

「それはまことの話ですか? 」

  みきが肩を落とし訊ねた。

 

「みき。買物に出掛ける故、留守を頼みますよ」

  そこへ、滝がやって来た。

 

「義母上。縫がまた、お稽古をさぼったようなのです」

  みきが滝に言った。

 

「親の希望を子に押しつけても無駄ですよ。いいかげん、あきらめなさい」

  滝がみきをとがめた。

 

「縫を捜しに行って来ます。義父上。もし、縫が帰ったら、お師匠さんの元へ行くよう伝えてください」

  みきは、滝が止めるのをふり切り外へ飛び出して行った。

 

「殿。私も買い物へ出掛けて来ますよ」

  滝が修就に言った。

 

「留守番なら慣れておる」

  修就は、ずれた眼鏡を直すと言った。みきの後に、滝が出掛けてしばらくして、玄関の戸が開く音が聞こえた。

 

「ごめんなせ―」

  修就は、大声に驚き飛び起きた。あわてて、玄関先まで駆けつけると、白髪の老人が、背を向けて草履を脱いでいるところだった。

 

「どなたですか? 」

  修就は、おそるおそる老人の背中をつついた。

 

「あっきゃあ、お奉行様」

  その老人がふり返った。だいぶ老けたが、その顔に見覚えがあった。

 

「松浦久兵衛!何故、おぬしがここにおる? 」

  修就は思わず、大声を上げた。

 

「突然、うかがってすいません。急に東京行きが決まった故、連絡する間もなかったもので」

  松浦久兵衛が決り悪そうに言った。

 

「元気そうで何より。まことにおぬしなのだな? 」

  修就は、松浦を招き入れると訊ねた。

 

「はあ。お奉行様もお元気そうで良かった」

  松浦がにこにこしながら言った。

 

 2人は、客間に向かい合った。お互い年を取ったという話からはじまり修就が新潟に赴任していた当時のことや家族のことなど昔話に花咲かせた。

 

「そーいえば、ばっか、静かですね。お奉行様、おひとりで住んでいなさるのですか? 」

  しばらくして、松浦は、家族が誰もあいさつに顔を出さないことに気づきソワソワし出した。もしかしたら居ても出て来ない。自分は招かざる客なのかと心配になったらしい。修就は客間に案内した後、松浦が話しかけて来たのでお茶を出す機会を逃して、2人は茶も飲まずに、2時間近く話し込んでいたのだ。

 

「出掛けているだけでじき戻る。そろっと、妻が買い物から帰っても良いころなのじゃが。見て参るとするか」

  修就がさり気なく立ち上がった。様子を見に行くのを口実にお茶を用意しようというわけだ。

 

「いぎしなに寄っただけ故、そろっと、けえります。どうぞおかまいなく」

  松浦がそそくさと帰り支度をはじめた。

 

 修就が帰ろうとする松浦を玄関先で引き止めているところへ、滝が、縫と共に帰宅した。縫は、松浦に会釈すると屋敷の中に入った。

 

「いったい、どこまで、買い物に出掛けていたのじゃ? 」

  修就は思わず、声を荒げた。普段なら、1時間程で帰って来るはずなのに、今日に限って、3時間も留守にしていたからだ。

 

「あらまあ。誰かと思ったら、新潟の松浦殿ではございませんか? 」

  滝が明るい声で言った。

 

「そうじゃ。せっかく、遠い所から来てくれたというのに、そなたがおらなかった故、何のおもてなしもできなかった」

  修就は、滝が無視したので口をとがらせた。

 年を取るにつれだんだん、気難しくなって来た修就は隠居して以来、口細かくなったこともあり、滝も、聞き流すことが多くなっていた。茶葉や菓子がどこにあるのかわからないし、お茶の淹れ方も分からない。妻なしでは客をもてなすことすらできないのだ。

 

「オレなんかのために、いさかいはおやめ下され」

  松浦があわてて2人の間に入った。

 

「松浦。見苦しいところをみせてしまったのう。仕切り直しに一杯やらないか? 」

  修就は、盃で酒を呑む仕草をしてみせた。

 

「それならば酒のご用意致します」

  滝が告げた。

 

「このあと、約束がある故、けえります」

  松浦は颯爽と屋敷を後にした。修就と滝は、松浦の姿が見えなくなるまで見送った。

 

「忙しないお方ですね。久方ぶりに参られたと思えば、風のようにお帰りになってしまった」

  玄関に入ろうとした時、滝が言った。

 

「新政府の役人と英国領事が新潟に来ることが決まり、新潟府の使者の1人として打合せを行うため東京に出張したと申していたが、出張の合間を縫って、わざわざ、あいさつに参ったのじゃろ。義理堅い男じゃ」

  修就は、松浦の生き生きとした姿を見せつけられた気がした。同じ隠居の身であったはずなのに、松浦は、新潟府に求められて重要な役目を仰せつかった。比べて、自分は、あれだけの輝かしい実績がありながら、隠居後はどこからもお呼びがかからない。あまりに暇を持て余していたので、家督を継いだ清兵衛から、滝と夫婦水入らずで旅にでも出たらいかがですかと気遣われる始末だ。

 

 それから数日後。修就は、朝早く出掛けて夕方に帰宅するようになった。修就が、どこに行き何をしているのかは誰も聞かなかった。それぞれの生活で忙しく、御隠居の行動をいちいち詮索する余裕がなかったからだ。それでも、妻の滝だけは、修就の変化に薄々気づいていた。

 

「殿。何を考えておられますか? 」

  ある日。滝は、思い余って、いつものように出掛けようとする修就を引き留めた。

 

「大事ない。ただ、夢を形にするだけじゃ」

  修就は、穏やかに告げると出掛けて行った。

 

  慶応4年、97日。新政府は、年号を明治と改めると同時に、江戸を東京と改める。特命全権公使のハリー・パークスは、英国臣民へ、これまで治安悪化のため、新潟開港が暫時延期されている旨を報知していたが、来たる11日をもって、新潟が英国との交易に対して開放される旨を通知した。新潟初代領事には、大坂や兵庫の領事代理を務めているフレデリック・ラウダーが任命された。

  その後、ラウダー一行は、東京都別手組に厳重警護されながら陸路にて新潟へ向かった。一方、新潟開港事務を行うため、外国官権判事の三沢揆一郎と水野千波も江戸を出立した。しかし、ラウダー一行が新潟に到着した時、廃止された越後府が未だ、新潟を統轄している状態にして越後府の知事を称する四条隆平は長岡におり、新潟府の知事に任命された西園寺公望も就任を固辞したまま新発田に滞在していた。

 

 ラウダー一行を出迎える新潟府の役人たちの中に、松浦久兵衛の姿はなかった。この時、松浦は、倅の金次郎と共に英国領事館の候補地を廻り大家と交渉を重ねていた。新潟は他の開港場と異なり、異国人は、新潟市内どこでも家や店を借りて住むことができることにはなっていたが、ほとんどの大家は、前例がないことを理由に異国人に貸し渋った。とりあえず、勝楽寺を間借りすることになり、ラウダー一行は勝楽寺へ移った。

 

同じころ、東京の法眼坂の居屋敷の縁側にて、薬の調合を試みる老人の姿があった。修就は、松浦の頑張りに刺激を受けて、長年の夢だった薬屋開店に向けて準備を進めていた。店舗も見つかり後は、来年の開店を待ちわびていた。新しい店は「知春園」と命名した。代々、川村家に受け継がれた「五神錠」を大々的に売り出す予定だ。

 

「そろそろ、新潟に着いたころですかね」

  修就が、縁側に坐りぼんやりと空を眺めていた時、順次郎がふいに、空の鳥籠を手に現れた。順次郎は、江戸に戻った後すぐ、鳩を飼い始めた。

 

順次郎が、あらかじめ足に手紙を結び付けたその鳩は、順次郎の合図で開け放たれた鳥籠から空へ飛び立つとしばらく帰らず、数日後、いつの間にか鳥籠に帰って来ていることがある。

 

新潟では、勝楽寺を出て歩き出した松浦久兵衛の目の前を1羽の鳩が急降下した。松浦は、慣れた手つきで鳩を抱き上げると足に結び付けてあった手紙に気づき、笑みを浮かべて空を見上げた。今日もまた東京と新潟。遠く離れた場所で、新しい歴史が刻まれようとしている。遠く離れた場所で、同じ空の下、修就と松浦は、互いのことを思い出して懐かしんだ。松浦が手紙を外すと、順次郎の鳩は、遠い空へと飛び立った。

 

 

 


奥付



【2019-01-31】新潟湊の夜明け~新潟上知編


http://p.booklog.jp/book/125570


著者 : きの しゆう
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