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 治済に大崎をもらい下げ一橋家へ御中臈として引き取らせる件を断る書状を実家へ送りひと段落ついたと思った矢先、京都から新たな問題が舞い込んで来た。天明7年の6月7日。突然、京都やその近郊から大勢の人たちが御所周辺に集まり出し、天明の大飢饉により困窮する民衆の救済を訴えるべく御所の周りを廻り千度参りするという事件が起きた。翌8日。願い事や訴え事の書かれた紙で包まれた銭12文が、御所の南門や唐門に投げ込まれるという事件が起きた。当初は、数人だったが、日を追う毎に数が増え、3日目には、3万余になり、御所を中心とする京都の街は大勢の人たちで溢れ、一躍、お祭り騒ぎになったという。京都所司代は、朝廷に千度参りの差し止めを申し入れるが、朝廷は、信心から発せられたことだとして申し入れを突っぱねたという。後桜町上皇から、3万余の林檎が配られた他、上皇に賛同した公家から茶やおむすびなどの差し入れがあった。この事態を重くみた光格天皇は、京都所司代を通じ幕府に対し飢饉により困窮する民衆の救済を求めて来たのであった。天皇は、即位して以来、中世から途絶えた朝儀の再興や朝権の回復運動に熱心に取り組んでいることから、宝暦事件を引き起こした桃園天皇を彷彿させた。幕府は、天皇が、家斉の将軍就任と天明大飢饉をきっかけに徳政を求めて来るのではないかと懸念した。御千度参りがはじまった1週間後、武家伝奏の油小路隆前は、御所に参内した京都所司代の戸田忠寛と面会し、天皇の意向を受けた関白鷹司輔平の命令伝達と幕府への申し入れを書いた書付を手渡した。幕府は、京都の朝廷からの申し入れが江戸に届く前、五百石の御救い米支給を決定したが、朝廷からの申し入れを受けて更に五百石追加した。江戸では、朝廷が幕府に申し入れする直前の同年、5月22日、幕府は困窮者に対するお救いの実施を決定し、勝手係老中の水野忠友は、町奉行に対し支援を必要とする者の人数の確認を命じた。町奉行は、支援対象者を36万2千人と見積もり、1人につき、米1升の支援を要することを水の忠友へ報告した。町奉行からの報告を受けた水野忠友は、勘定奉行に対して2万両を限度として支援対象者1人当たり銀3匁2分を支給するよう命じ、その数日後には、実際にお救い金として町方に引き渡された。また、5月24日からは、米の最高騰時の約半額で米の割り当て販売を開始し、困窮した者たちは給付されたお救い金で米を購入することができるようになった。同じころ、民の間でも、町内で屋敷持ちの商人や江戸近郊の豪商などが資金を提供し困窮者に対する支援を行い、各町内では、寄合が開かれ、町奉行公認の施行が始められた。

 同年、11月には、施行に尽力した関係者や町に対して褒賞がなされ、総額547両あまりの褒賞金が支払われた。打ちこわし騒動の最中、蓮池院の身内にあたる関東郡代の伊奈忠尊が、勘定所吟味役上首格から小姓番頭格に昇格した。幕府は、代々関東郡代として実績を挙げていた伊奈氏が、米不足が続く江戸に大量の米を集める最適任者であると判断し、伊奈忠尊に江戸町方の救済を行うよう命じたと考えられる。伊奈は、敏速に江戸市中の名主を集めて伊奈氏による町方救済の支援を要請した上、町方救済のため交付された20万両で、関東地方に限らず甲斐、信濃から奥州に至るまで家来を派遣して米を買い集めて、短期間で大量の米を江戸に集めた。6月には、伊奈が買い付けた米が江戸の各町内へ分配され、江戸に活気が戻るきっかけとなった。

 その一方で、町奉行の曲淵景漸は、打ちこわし発生前の町方からの嘆願に真摯な対応を行わずに大騒動を引き起こすきっかけを作った件とと打ちこわし発生時の対応が悪かった件についておとがめを受けて、江戸城西丸御留守居役に左遷された。また南町、北町領両行所の与力の総責任者である年番与力に対しても、江戸追放、お家断絶の処分が下された。大奥では、蓮光院の縁者にあたる伊奈忠尊が、幕府の資金などを使い各地から買い集めた米を江戸市中に放出し事態を収拾させたという話題で持ち切りであった。

 

「天明の打ちこわしの騒動を収拾させたのは、伊奈様の人気と手腕の賜物だと、市中では評判になっているそうよ」

 

「私は、米の買付で御上に借金したけど返せなくて、伊奈家と幕府との間に確執が生じて、御家騒動に発展したと聞いたわ」

 

「もとより、無利子で幕府から借金をしていたというじゃない。危機感を募らせた伊奈氏譜代の家来が伊奈様に連判状を送って家督移譲を迫ったことが、伊奈様の怒りに触れて首謀者が処罰されたそうよ」

 

「蓮光院様の父御が、天領の百姓に栽培を推奨して作らせたのらぼう菜という西洋野菜が、飢餓から民を救ったという逸話も借金と御家騒動で台無しじゃない? 」

 

 上臈御年寄の高丘は、長局中に広まった噂を蓮光院の耳に届かないよう食い止めようと、配下の御中臈たちに監視させて噂する奥女中たちを厳重注意させていた。しかし、噂は、静まることなく桜田屋敷にまで広まった。家治の崩御により、心の病を患っていた蓮光院は、忘れ去られた自分のことが再び、大奥で脚光を浴びていると勘違いした。また、家斉の取り計らいにより、於富付の御中臈に昇進したお伊曰は、火之番だったころ、散々、いびられた先輩女中たちをアゴで使うことに快感を覚えていた。

 

(何故、蓮光院様が奥向におられるのかしら? )

 

 ある日の昼下がり。お伊曰は、於富の後を歩いていた時、中庭を挟んで向こう側の廊下を歩いている蓮光院の姿を見かけた。この時の蓮光院は、落飾後ずっと身に着けていた喪服姿ではなく十二単姿だったので驚いた。部屋の外に出ることを嫌い1日中、部屋に閉じ籠り読誦や写経をして過ごしていた蓮光院が、正装姿で再び目の前に姿を現したのだ。お伊曰は、蓮光院の異変を感じ取って胸騒ぎを覚えた。思わず、足を止めて後ろをふり返った時には、すでに、蓮光院の姿はどこにもなかった。幻を見たのかも知れない。お伊曰は、そう思い直して再び歩き出した。実は、蓮光院は、看病人の何気ないひとことで我に返り、大奥で過ごした日々が急に懐かしくなり、気がついたら、大奥向へ足が向いていた。かつて、住んでいた部屋はすでに別の者が使用していた。部屋をのぞいた時、誰もいなかったことからほんの出来心で中へ入った。その時、偶然、机の上に置いてあった文箱を見つけたのだ。好奇心が抑えきれず文箱を開けた。すると、中には書状の束がしまってあった。宛名を見ると、「将軍付老女大崎局様」と書いてあった。蓮光院の脳裏に、10数年前の出来事が甦った。安永2年、疫病が流行し、家治の姫君である万寿姫も、疫病にかかり13歳の若さで早逝した。家治の哀しみは深く、万寿姫の死は、江戸城に暗い陰を落とした。万寿姫付の御中臈だったおさきは、万寿姫の看病をしている間、自らも疫病にかかったとして、静養のため宿下がりを許された。同年、御三卿の一橋治済と正室の於富との間に嫡子となる豊千代が誕生した。大崎は、宿下がりしたまま、大奥に復帰することなく一橋家の御中臈となり、豊千代の乳母になったらしい。乳母には、生母の代わりに乳を与える役目もある。独身で出産未経験のおさきにはできない役目であることから違和感を覚えた。家基の死後、豊千代が、家斉君と名を改め家治の養子となり西丸に遷ったと同時に、将軍付老女として、おさきが再び、大奥に姿を現した。その時、御台所付御中臈のおさきと将軍付老女の大崎とが同一人物であることを、おさきとその昔親しくしていた御年寄筆頭の高丘でさえ、すぐには気づかなかったという。おさきは、背が高いことを気にして猫背で歩く癖があった。そのため、どこか自信がなさそうで地味な印象が強かったが、将軍付老女となって戻ったおさきは貫禄があった。おさきは、御部屋様として一時権勢を振るいながらも、世子の家基逝去により一気に権威を失った哀れな側室の波乱万丈な半生とは対照的で、成り上がりの半生を歩んでいた。おさきは、宿下がりをする前は、御台所付御中臈の1人にすぎなかったが、乳母を務めた豊千代が将軍世子となったため、将軍付老女として帰り咲いたからだ。於知保は、大崎を見かける度惨めな気分に陥った。大崎が、田沼意次を強く意識していることは薄々、勘づいていた。意次は、世継ぎの男子をもうけるが将軍の務めとして家治に側室を持つことを勧め、懇意にしていた御年寄筆頭の松島に局の御中臈の中から側室を出させた。その御中臈が於知保だった。御台所は、まだ、若く子供を望めないわけではなかった。意次からすれば、於知保は思い通りになる側室でしかなかった。於知保が男子を生めば、その子は世子となり松島と結んだ意次の地位は保証される。於知保は男子を産むが、家治公は、御台所の立場を守るため、於知保の産んだ男子を御台所の養子とした。御台所の威厳は保たれたが、生母の於知保の気持ちが収まらなかった。御台所が病死しなければ、於知保は、自らの手で殺めていたかも知れないと思う程、於知保は精神的に追い詰められた。御台所の死後、家基は、於知保が育てることになったが、松島が、何かと、家基の育て方に口を挟んで来た。最初は、松島は、於知保を側室にまで上げてくれた恩人ともあって、素直に従っていたが次第に疎ましくなった。於知保は、取り巻きの御中臈たちを使い、松島に嫌がらせをするようになった。しばらくして、松島は、病を口実に大奥を去った。家治が身罷り桜田屋敷に遷る時、別れのあいさつに訪れた大崎は、憔悴しきった於知保に形式的なあいさつをしただけで労わる言葉のひとつもかけることはなかった。何者かに襲われ負った傷は時と共に癒えたが、心の傷はいっこうに癒えなかった。

 於知保は何かに突き動かされるように喪服を脱ぎ棄て、長い間袖を通していなかった十二単を身に着けた。書状を発見した時、天がついに自分に味方したと直感した。差出人は、御三卿の一橋治済。日付は、田沼派の重鎮、御側御用取次の横田準松が罷免される1週間前になっていた。大崎は、田沼意次の罷免撤回を実現するため、高丘や滝川と行動を共にしていたはずだ。それは、於富の強い意向によるものだった。大崎は、尾張藩主の御屋敷にまで出向き大奥の意向を伝える姿勢を見せながら、裏では、同志を平気で裏切り、治済に寝返っていたのだ。この裏切りを知ったら、於富や高丘は、どうするだろう。於知保は千鳥之間に忍び込むと、高丘が使用している机の上にその書状を置いた。そして、何事もなかったかのように桜田屋敷へ引き返した。於知保が、桜田屋敷へ引き返した後、高丘は、机の上に見慣れぬ書状の束があるのを見つけた。宛名を確認すると、大崎宛ての書状だった。間違えて置かれたと思い大崎に返そうとしたが、中を見たい衝動にかられ、気がつくと、1番上の書状を広げていた。その内容を読んで唖然とした。大崎は、密かに治済と連絡を交わしていたのだ。高丘は、逸る気持ちを抑えながら書状を手に於富の元へ向かった。

 

「於富様にお会いしたい」

  高丘は、障子の前に控えていた御中臈のお伊曰に告げた。

 

「於富様。高丘様がお見えにございます」

  お伊曰が、障子越しに中へ向かって告げた。

 

「通すが良い」

  於富の声が聞こえたと同時に、高丘が、中へ飛び込むと於富の御前に着座した。

 

「ちょうど良いところに参った。近じか、新たな老中が就任する運びとなった。祝儀を用意せねばならぬ故、そなたに相談せねばと考えていたところじゃ」

  於富が穏やかに告げた。

 

「その件でしたら、すでに、於富様の署名付きにて祝儀を贈らせていただきました。それよりも、於富様。折り入って、お伝えせねばならぬ儀があり馳せ参じました。これをご覧下され」

  高丘が、於富に書状を差し出した。

 

「何じゃ? 」

  於富は、疑うことなく書状に目を通した。

 

「大崎局は、いつから民部卿と文のやり取りをしていたのでございましょうか? その書状の日付は、田沼派の重鎮、御用御取次の横田準松殿が、罷免される3日前になっております。偶然でしょうか? 」

  高丘が神妙な面持ちで告げた。

 

「何たることか」

  於富は、驚きのあまり書状をひざの上に落とした。

 

「中立を守って来られた公方様が、横田殿を罷免したと知り何かあるとは思っていましたが、裏で斯様なやり取りがあったとは、大崎局には失望させられました」

  高丘が、書状を拾い上げるととどめをさした。

 

「そなたは、この書状をどこで手に入れたのじゃ? よもや、盗んだのではあるまい? 」

  於富が身を乗り出すと訊ねた。

 

「机の上に置いてありました。誤って置かれたのかと思い、大崎に返そうかと考えたのですが、念のため、中をたしかめました。あの大崎が、いともたやすく寝返るなど信じられませぬ。民部卿は、いかなる手を使い大崎を味方に引き込んだのでございましょうか? 」

  高丘は、於富が顔を曇らせたのを見てまずいことを言ったと気づいた。

 

「公方様が、横田殿の罷免を決断なされたのには大崎局の進言が大きい。大崎局に対する公方様の信頼は、並大抵のものではないからのう。何せ、物心つく前から傍におるのじゃ。なれど、これがまかり通れば、向後、大崎局の権威はいっそう、高まるに違いない。さすれば、我らの地位が揺らぐことになる。何か、大崎を牽制する良い手立てはないものかのう」

  於富は考え込んだ。

 

「敵に塩を送るというのはいかがでございましょう? 」

  高丘が上目遣いで提案した。

 

「越中殿に取り入るというのはちと気が引けるのう」

  於富は尻込みした。

 

「大奥の御年寄が、表の儀に対し口を挟んでいることを越中殿の耳に入るよう噂を広めるのです。大崎局は、気位が高いところがあります。無礼な態度を取られたら黙っていることはできないはず。2人の間は、険悪になること間違いなしでございます」

  高丘がほくそ笑んだ。

 

「それは良い考えじゃ。ただちに、手の者へ風聞を広めるよう申し伝えよ」

  於富も高丘の考えに乗った。障子に耳をつけて2人の会話を盗み聞きしていたお伊曰は、思わず、声を上げそうになった。そして、於知保を大崎の部屋の近くで見かけたことをなぜか思い出した。高丘が、大崎の書状を持って現れたということは、於知保が大崎の部屋から書状を盗んで、高丘が、それを見つけるよう仕向けたということになる。於知保は、転んでもただでは起き上がらない。桜田屋敷でも暇つぶしができたと喜んでいるに違いない。大崎が、大奥の敵ともする徳川治済と密議を凝らし、田沼派の重鎮、御側御取次の横田準松の罷免を家斉に助言する策略をめぐらしたという噂は、たちまち大奥の奥女中たちの間に広まった。その噂は、広敷役人の知るところとなり、高丘の目論見通り、松平定信の耳にも入った。

 

「大奥の御年寄の分際で、幕閣の人事に口を挟むとは言語道断。これを見逃せば、大奥の改革に支障をきたすことになる」

  定信は、大崎の振る舞いに警戒を強めた。

 

  天明7年の6月19日。定信は、天明の大飢饉での功績が認められ、御三家の支持を受けて老中首座に就任した。定信の肩には、幕府に対する民衆の信頼回復と幕府の財政の立て直しがかかっていた。意次ができなかった大奥の経費削減を成功させることで名声を上げられないかと考えた定信は、切り札を使うことにした。定信は、方々から届いた御祝儀を拒み贈収賄の払拭を試みた。そのため、就任の際に掛かった費用が赤字となった。大奥では、於富を中心に今後の対策が話し合われた。大崎は、治済との関係が、すでに知られているとは夢にも思わず、何食わぬ顔で話し合いの場に出席して、他の御年寄と意見を交わした。

 定信は、翌8年には将軍補佐となり奥向兼帯となった。定信は、ついに、大奥へ足を踏み入れた。大奥女中たちは、戦々恐々としていた。定信は、御坊主の案内で御殿向と長局をくまなく見学した。その昔、田安邸が火事に遭い、大奥に、一時避難をしたことがあった。その時、受けた格別のおもてなしは今も忘れていない。大奥の御年寄をはじめとする奥女中たちは優しく親切だった。その反面、豪華絢爛な衣装や無駄とも思える独自の慣習に戸惑った。定信は、於富にはじまり大奥御年寄たちまであいさつを済ませると、将軍付老女の大崎の元へ勇み足で向かった。大崎へのあいさつを最後にしたのは、印籠を渡すためでもあった。

 

「これからは、御同役故、奥の儀は申し合わせてお勤めいたしましょう」

  一通り、形式的なあいさつを済ませた後、大崎は、満面の笑みを浮かべて告げた。定信は、大崎に、再会した時、一瞬、別人かと思った。遠慮気に近づき、上目遣いで顔色を窺いながら、ためらいがちに話をしたおさきはいなかった。

 

「大奥の年寄の分際で、老中と同役とは何たることか。頭が高かろう」

  定信は、厳しい表情で一喝した。大崎は、思いもしなかった展開に目を丸くした。

 

「慣例を申したに過ぎませぬ。お気に召さずご立腹とあれば罰して下され」

  大崎は、怒りを抑えながらも低姿勢に出た。

 

「大崎局。そなたに申し渡す儀がござる」

  定信は慎重に話を切り出した。

 

「何でございましょうか? 」

  大崎が上目遣いで訊ねた。

 

「そなたが、大奥年寄の分際で幕閣の人事に口を挟んだというのは、まことでござるか? 」

  定信は、大崎を見据えると訊ねた。

 

「私は将軍付老女でございます。公方様から意見を求められれば、お答えしなければなりませぬ。それを幕閣の人事に口を挟んだなど申されますのは心外です」

  大崎は、他の大奥御年寄と一緒にされては困ると権威を主張した。

 

「何を勘違いしているかしらぬが、公方様が大奥の女中へ申し伝えるのは、単なるお話に過ぎぬ。このようなことがまかり通れば他の者に示しがつかぬ。向後、表向の儀に付き、大奥年寄であれ、御台様や側室。はては御側衆であっても、口を挟まぬよう厳重に取り締まることと致す故、心しておくように」

  定信がきっぱりと告げた。

 

「貴殿は、何をもって、ひどい仕打ちをなさるのじゃ? 」

  大崎が定信を非難した。

 

「公方様に心得をお渡しする。その上で、奥女中らには、改めて申し伝える。そなたに先に申し伝えたのは、そなたの行いが、心得に反していたからじゃ。そなたには、相当の処罰を受けてもらうことになる。追って報せる故、しばし、待たれよ」

  定信は、要件だけ告げると足早に立ち去った。大崎は、何が起こったのか理解できなかった。いったい、何をとがめられているのかわからなかった。大奥の御年寄が、幕閣の人事に口を挟むことは今にはじまったことではない。幕政の人事に口出しができるのは、大奥御年寄の特権とも言える。大奥は、政治に参画することができるから正面切っては取り下げられる案件は、大奥の権力が頼りとされる。もし、定信が、長年、誇った大奥の権力を封じ込めてしまったら、大奥を今まで支えてきた多額の賄賂が入らなくなる。大奥の上級女中たちは、年間2千万を超える高給取りだが、地位や権力を保つためには、それなりにお金がかかる。給料だけでは足りないという者も少なくない。足りない分を賄賂で補てんしているのだ。それを断たれたら、大奥の上級女中たちはどう感じるだろう。見せしめにするつもりだろうが、効果は長く続かないだろう。於富が、大崎を処罰することに同意するはずがない。長年、仕えた者を見捨てる薄情な人ではないことはわかっている。大崎は、於富を信じることにした。一方、家斉は、定信から、あいさつもそこそこ心得を突き出されて面食らった。その上、心得に違反した大崎を罰すると言い出したのだ。

 

「就任早々、将軍付老女を罰するとは何たることか」

  家斉は不機嫌を露にした。 

 

「横田準松の罷免は致し方ないことで、いずれは、公方様もそうなさったことと存じますが、大崎局が公方様に横田を罷免するよう言上したとの噂が広まった以上、見過すことはできかねます。それに、大崎局への処罰は格好の見せしめとなり大奥を牽制することとになりましょう」

  定信は堂々と意見を述べた。

 

「なれど、大崎局を処罰するとなれば、於富様や高丘局の2人が黙ってはおるまい。大崎は於富様に長年仕えてきた。高丘局も大崎に信頼を置いている」

  家斉が反論した。

 

「おふたりからはすでに同意を得ております」

  定信が自信を持って答えた。

 

「それはまことでござるか? 」

  家斉は耳を疑った。もしかしたら、於富の耳に、大崎が、治済とただならぬ仲となった話が入ったのではないか。夫と不義密通したとなれば情けをかけようがない。

 

「不義密通の疑いもある故、厳罰に処す所存でござる」

  定信が冷ややかに告げた。

 

「何じゃと? 黙っていれば言いたい放題言いよって。民部卿と大崎局が、不義密通を犯すはずがなかろう」

  家斉は、松平定信に詰め寄った。

 

「公方様」

  部屋の隅に控えていた定之助があわてて止めに入った。

 

「定之助。刀を持って来い」

  家斉が、血走った眼で定之助に命じた。

 

「刀を持ち出すとは、正気の沙汰でござらん。乱心と思われても余儀なし」

  定信が神妙な面持ちで身構えた。

 

「ただちに、今の言葉を撤回せよ。さもなければ、貴様をこの場で成敗してくれるわぃ」

  家斉は、定之助から刀を受け取ると構えた。

 

「罷免を覚悟で奉ります。大崎局は、民部卿と結び公方様に横田準松を罷免するよう進言したことは明らかでござる。大崎局は、民部卿から召し出しがあった日、民部卿に強姦されたという証言もござる。大崎局は、事実が公になることをおそれるあまり、民部卿の沙汰に従ったと思われます」

  定信は、持参した調査書を突き出した。家斉は、逸る気持ちを抑えながら調査書に目を通した。大崎が一橋家に出向いた日、2人は密議を凝らした。その時、徳川治済は、大崎を強姦したという証言がたしかに記されている。さらに、主従の関係を超えて深い仲になった2人は、文を交わして、田沼派の一掃を策略したと調査書に書かれていた。

 

「己を白河へ追いやった張本人を陥れて満足か? 」

  家斉は、調査書を畳の上にたたきつけると嫌みたっぷりに言った。

 

「我が、白河藩主と養子縁組したころは、まだ、家基君は息災であった。民部卿が、主殿頭と共に、我を白河へ追いやったというのは事実無根にござる」

  定信がきっぱりと否定した。

 

「父上と大崎局はどうなるのじゃ? 」

  家斉は声を荒げた。

 

「大崎局が同意の上で事に及んだならば、尚のこと罪は重くなります。その昔、側室が、御褥の折、公方様におねだりをしたことが問題となり、御坊主と御中臈が、監視することになった。残念ながら、城の外までは目が行き届きません。その隙をついて、2人は、密通した上、政敵を廃すことを示し合わせた。本来ならば、死罪あるいは座敷牢に値する大罪でありますが、民部卿は御三卿の当主であり将軍の父にあたる故に、重罪に処すことは難しい。大崎の方も、於富様の申し入れを考慮して、座敷牢よりも軽い刑を考えております」

  定信が冷静に告げた。

 

「貴様はただ、恨みを晴らしたいだけじゃろ? 」

  家斉は、定信の胸座をつかむとドスの利いた声で言った。

 

「何を申されますか? 幕閣の儀に私情を挟むなんぞ致しません。老中首座の座をかけてお誓い申す」

  定信はきっぱりと否定した。

 

「これで、そちは、大奥を敵にまわしたことになる。奥女中らをたやすくあやつれるとは思うなよ? 奥女中は、役人と同じようにはゆかぬ」

  家斉が低い声で言った。

 

「我は主殿頭とは違います。あのお方は、大奥の権力を後ろ盾に成り上がった。幕府の財政を逼迫させた大奥に倹約させなかったのは、大奥に見限られたら終わりだと知っていたからでござる」

  定信が冷ややかに告げた。

 

「政策が失敗した時は全ての責任を取ってもらう故、心してかかるが良い」

  家斉はくるりと背を向けた。

 

「勿論、失敗した時は、老中首座を降りる覚悟で取り組む所存でござる」

  定信は、堂々と胸を張って宣言した。

 

 それから数日後、治済は登城禁止と蟄居に処され、大崎は御次に降格となった。将軍付老女から一介の奥女中となった大崎についていた部屋子たちは、新たな職場へ異動となった。噂が広まっていたため、誰も、大崎の降格に驚く様子はなかったが、今後、大崎に、どのように接したらよいか新たな悩みが増えたことは間違いなかった。

 

「いつから遷って来るのかしら」

 

「同役とはいえ、元将軍付老女を何と、お呼びしたらよろしいのでしょうか? 」

 

 大崎の上役になる者や相部屋になる者たちは気が気でなかった。高丘は、開け放たれた座敷を眺めながら、於知保が、桜田屋敷へ遷る日の前夜のことを思い起こした。家基が身罷った後、自分は於知保を見限った。しかし、於知保は、恨み言を言うことはなかった。ただ、心なしか寂し気だった。御台所や側室の栄華は移り気でもろいが、大奥御年寄は違う。よっぽどのことが起こらぬ限り、1度、その座に就けばあとは安泰だ。大崎のように、将軍付老女まで登り詰めたのに、一時の油断ですべてを失ってしまうとは、哀れというより滑稽としか思えない。年を取り高い地位を得たおかげで、鼻っぱしらが強くなり面が厚くなっただけで、大崎は、おさきだった時代から何ら変わっていなかったのだ。

 

 大崎は、御次に降格する前に、1週間だけ宿下がりを許された。宿下がりの間、若いころ、世話になった元奥女中のおまつが、養女一家と同居する御屋敷に厄介になることにした。一橋家に居るころもほとんど外出することがなかったため、御伴して来た奥女中の監視の目はあるが、市中を自由に歩けることは何よりうれしかった。宿下がりを願い出たのは、ある者の墓参りする目的もあった。1日目はどこにも出掛けずお屋敷で過ごし、その後、最終日まで江戸の名所を見て廻り買い物を楽しんだ。

 最終日、大崎は、意次の眠る墓地へ足を運んだ。あんなに、憎んでいたというのに死んでこの世にいないと考えると、憎しみはいつの間にか消えていた。残ったのは哀しい過去だけだった。意次の墓の近くまで行くと、何者かが先にお参りをしていた。

 

「生前、お世話になった者です。お参りさせて下され」

  大崎は遠慮気にその者に話しかけた。

 

「もしや、 貴女様は、奥女中でございますか? 」

  

 

「おさきと申します。主殿頭には、生前、お世話になった故、墓参りに参った次第」

  

 その凛々しい顔立ちの若侍は、大崎に興味を持った。大崎も、その若侍に好感を抱いた。大崎は、墓前に花を添え心ゆくまで手を合わせた後、帰路に着いた。

 

「お待ち下され」

  大崎が、墓地を出ようとした時だった。境内の方から、先程の若侍が駆け寄って来た。大崎はお辞儀した。

 

「この後、本堂で祖父のためにお経を上げて頂くのですが、よろしければ、どうぞ」

  その若侍が穏やかに告げた。大崎は、せっかくの誘いを断るのも失礼だと思い、その若侍について本堂へ行った。読経は30分程で終わった。

 

「これにて失礼します」

  大崎は、住職が読誦を終え退席したのを見計らい、前席にすわっていたその若侍に声をかけて去ろうとした。

 

「大崎局」

  大崎は、名を呼ばれた気がして後ろをふり返った。大崎を呼び止めたのは、美しい武家の娘だった。

 

「あの。どちら様でございますか? 」

  大崎は、けげんな表情でその美しい娘を見た。

 

「お忘れでございますか? 田沼意次の娘のお宇多です。その節は、お世話になりました。本日は、父上のため、お墓参りをして頂きましてありがとう存じます」

  お宇多がお辞儀した。

 

「叔母上が、大奥御年寄と知り合いとは驚きました」

  若侍がうれしそうに言った。

 

「もう、御年寄ではございませぬ」

  大崎が決り悪そうに言った。

 

「龍助、そなたは先に帰りなさい」

  お宇多は、若侍を先に帰るよううながした。田沼龍助は、名残惜しそうに、何度も後ろをふり返りながら歩き去った。大崎は、「龍助」という名を聞いて、ハッとした。

 

「生前、父上から口止めされていたのですが、貴女様にここでお会いできたのも、何かの縁かと存じます。お伝えせねばならぬことがあります故、しばし、お付き合い願います」

  お宇多は、門前町にある水茶屋の前に置かれた長椅子に大崎を導くと、話を切り出した。

 

「龍助とそなたが呼んでいたのは、主殿頭のお孫さんですか? 」

  大崎が穏やかに訊ねた。

 

「あの子は可哀そうな子なのです。父である意知の死後、家督を継いだものの、新たに、老中首座に就かれた越中殿のお沙汰により、領地へ下向することも、公方様に御目通りすることも叶いませぬ。その上、従五位以下の官位すら与えてもらえません。いくら何でもひどい仕打ちでございます。父上が失政を犯したと陰口をたたかれたせいで、あの子まで白い目で見られているのです」

  お宇多がくやしそうに唇をかんだ。

 

「聞いてはおらぬようだが、私は、田沼派の重鎮であった横田準松の罷免を公方様に進言した張本人じゃ。横田殿は、最後まで主殿頭を支援続け御意思を受け継ごうと頑張っておられたのに、私は、元主への忠誠心で皆を裏切ったのじゃ」

  大崎は、お茶を一口飲むと言った。

 

「いずれは罷免されただろうと、生前、父上も申しておりました。大崎局が、悪いわけではございませぬ。それより、お話ししたいことがございます」

  お宇多は、大崎のひざに手を置くと告げた。大崎は、視線を感じて路地の方を何気なく見た。すると、龍助が大崎の方を見ていた。

 

「大崎局が、我が家に初めてお見えになったのは、あの子が産まれる少し前のことでした。あの後、一橋家にご奉公なされたとお聞きしましたが、赤子はどうなさったのですか? 」

  お宇多は、大崎の顔をのぞき込むと訊ねた。

 

「我が子は、もとより里子に出すことになっておりました故、行方は存じませぬ。この手で、1度も抱いてやることができなかったことが今でも悔いてなりませぬ」

  大崎が悲痛な面持ちで答えた。

 

「実は、龍助は、兄の実子ではございませぬ。それを知ったのは兄が亡くなった後で、ひょっとして、大崎局が産んだ子が龍助かもしれないと考え、父に訊いてみたのですが、父は答えてくださらなかった」

  お宇多が神妙な面持ちで告げた。

 

「それがまことの話であれば、主殿頭に感謝せねばならぬ。私の産んだ子は、産まれてはならぬ子だった故、あの子の実父の名も明かすことはできませぬ」

  大崎がうつむき加減で言った。

 

「明かせぬおかたとは、いったい、どなたなのですか? 」

  お宇多が訊ねた。大崎は首を横に振った。

 

「お宇多殿。世の中には知らぬ方が良いこともありますよ」

 

 

「お言いの通りにございます。私としたことが失礼しました。そろそろ、戻ります。お会いできてうれしゅうございました。お達者で」

 お宇多は、そそくさと帰って行った。

 

 大崎は、お宇多は、突拍子もないことを言うものだ。見当違いも良いところだと思った。生き別れた我が子が、意次の孫であるはずがない。田沼意次は、我が子と一緒にいては情が移り決心が揺らぐとして、大崎が寝ている間に、我が子をどこかへ連れて去った薄情な男だ。せめて、乳をあげたかった。乳房がうずく度、我が子が乳を求めて泣いているのではないかと心配になった。大崎は、何度も、誰にもらわれたかだけでも知りたいと頼んだが、意次は、とうとう、死ぬまで教えてくれなかった。

  

 天明7年の11月15日に、茂姫は、近衛家の養女として家斉に嫁ぎ御台所となり、近衛是子と名を改めた。これを機に、大奥は武家風に一新され、御年寄たちは、奥女中たちに質素倹約を命じた。

 一方、宿下がりを終え大奥へ戻った大崎は、新人ばかりいる相部屋へ移った。おさきと名を変えたこともあって、大崎がかつて、将軍付老女だったことを同室の者たちは知らなかった。また、箝口令が敷かれ、おさきの過去を知る者も、大崎におさきとして接するよう努めた。高丘は、大奥に平和がようやく戻ったと安堵した。お伊曰は、おさきの姿を見かける度、自責の念にかられていた。このまま黙っておくこともできたが、罪悪感で一杯になり、とうとう、おさきを捉まえて使用していない部屋へ引き込むと、知っていることを洗いざらい話した。

 

「やはりそうでしたか。文箱にしまっておいた書状が無くなっていた故、妙だと思ったのだ。謎が解けて胸につかえていたものが取れた気がする。教えてくれて礼を申す」

  おさきは、怒るどころか安堵した様子であった。

 

「蓮光院様に復讐したいとは思わないのですか? 」

  お伊曰は、おさきの顔をのぞき込むと訊ねた。

 

「復讐からは何も生まれぬ。過ぎたことだと忘れる方が賢明です」

  おさきは、穏やかに告げると持ち場へ戻った。

 将軍付老女まで上り詰めた人は、やはり、人間が出来ている。お伊曰は、おさきに尊敬の念を抱いた。於富の部屋に戻ると、高丘が来ていた。お伊曰は、いつものようにお茶を出すと下がった。

 

「待ちやぁ」

  高丘が、障子を閉めようとしたお伊曰を呼び止めた。

 

「何か? 」

  お伊曰は、高丘の向かい側に坐り直した。

 

「おまえは、たしか、蓮光院様の看病役を務めておったな? 」

  高丘は、お伊曰を見据えると訊ねた。

 

「さようです」

  お伊曰は嫌な予感がした。

 

「二丸御殿におられる安祥院様にお仕えせよ。今いる看病人が使えぬ故、暇を出した」

  高丘が涼しい顔で告げた。

 

「私は、御上意を受け於富様付となりました。故に、公方様のお許しなくして他へ移ることはできかねます」

  お伊曰はダメもとで拒んだ。

 

「大奥の人事権は御年寄筆頭が持つ。こればかりは、将軍とて口出しはできぬ。これを安祥院様の御膳に混ぜるのじゃ」

  高丘は、懐から懐紙に包んだ粉薬を取り出すとお伊曰の手に握らせた。

 

「もしや、安祥院様に毒を盛れとお命じですか? 」

  お伊曰は、驚きのあまり飛び上がった。

 

「安祥院様が二丸御殿にお住まいだと知る者は、今では私と大崎局だけじゃ。大崎は、御次に降格した故、奥向から出ることはまずない。安祥院様は、このごろ、風邪が長引き床に臥せりがちだそうじゃ。ぽっくり逝ったとしてもあやしまれることはない」

  高丘が小声で言った。

 

「何故、安祥院様を亡き者となさるのでございますか? 奥医師が、安祥院様のおからだを調べれば、毒を盛られたと気づくはずです。安祥院様の死に疑問を持たれたら、御膳を出した私が真っ先に疑われて死罪に処されます。いくら、高丘局のご命令でも命を懸けることだけはできかねます」

  お伊曰は青い顔で訴えた。

 

「野良犬同然だったおまえを奥女中にしてやった恩を忘れたか? 私が、手を差し伸べなければ、今ごろ、おまえは、吉原に身売りされていたのだぞ」

  高丘が、お伊曰の肩をはげしくゆさぶった。

 

「他のことでご恩をお返しします。故に、人殺しだけはご勘弁くだされ。死んだ兄に、あの世で会わす顔がなくなります」

  お伊曰は涙ながらに訴えた。

 

「おまえの亡くなった兄は人殺しではないか? 人殺しの妹の分際で、いまさら、何を申す? おまえが、罪人の妹だと公方様が知ったらどうお思いになるかのう」

  高丘が不敵な笑みを浮かべた。

 

「それだけはおやめ下され。兄の無念を晴らせなくなります。わかりました。安祥院様の御膳に混ぜるだけでよろしゅうございますか? まことに、私は、死なずに済みますよね? 」

  お伊曰は、粉薬を見つめると覚悟を決めた。

 

「しばしの間、身を隠せるように手配する故、案ずるには及ばぬ」

  高丘は、お伊曰の涙を指で拭うと言った。

 

 その後、お伊曰は、安祥院暗殺が決まった理由を知らされないまま、命じられた通り看病役に就いた。安祥院が寝起きしている部屋の障子は所々に破れがあり、畳は黄ばみすえた匂いがした。御付の御女中2人も、安祥院と同じ年頃に見えた。

 

「篤子。そなたが戻ってくれてうれしい」

  安祥院は半ボケしているらしく、お伊曰が、何度違うと訂正しても、篤子という御女中と間違えるため、その内、訂正するのが面倒になり篤子を演じるようになった。奇しくも、安祥院暗殺決行日は、家斉が、ひさしぶりにお渡りする日だった。公方様を迎えるにあたり、奥女中たちが御褥のことにかかりきりになるこの日を選んだのは、御褥の準備で二丸御殿に、いっそう、目が行き届かなくなり、不審な動きがあっても目立たないと言うのが理由らしい。

 

「いかがなされた? 」

  安祥院付の御女中のお園が、お伊曰が、御膳を安祥院に出すのを躊躇していることに気づき訊ねた。

 

「先に中へ入っていてくだされ。お出しする物が1品足らぬ故、急ぎ、御膳所へ伝えに参ります」

  お伊曰は、御膳所に向かうふりしてお園を先に部屋の中へ入るよううながした。お園は、首をかしげながらも先に部屋の中へ入った。お伊曰は、周囲に誰もいないことを確認すると、懐に隠し持っていた毒を取り出した。お伊曰が、毒を汁物の中に入れようとしたその瞬間だった。

 

「火事でございます。早くお逃げ下され」

  奥向の方から、きな臭い匂いが漂って来たと同時に、金切り声が聞こえた。お伊曰は、その声に驚き毒を懐にしまった。

 

「何事じゃ? 」

  先に部屋の中へ入っていたお園が、襖を半分開けて顔だけ出した。

 

「奥向が火事のようです」

  お伊曰が青い顔で答えた。

 

「御膳は私がお出しする故、そなたは、奥向の様子を見て参るが良い」

  お園がしっかりとした口調で告げた。お伊曰は、助かったと思い奥向へ走った。火事が起きなければ、今ごろ、人を殺していたところだ。奥向に着くと、長局の奥女中たちの相部屋がある方から黒い煙が出ているのが見えた。

 

「火元はどちらですか? 」

  お伊曰は、ちょうど逃げて来た奥女中を捉まえると訊ねた。

 

「御次部屋のようですが、火之番が消し止めまして、ボヤで済んだそうです」

  その奥女中が、息を弾ませながら答えた。

 

「教えてくれてありがとう」

  お伊曰は、その奥女中に礼を言うと火元の御次部屋を念のため見に行った。御次部屋の前には、黒山の人だかりができていた。お伊曰は、黒山の人だかりから抜け出して来た奥女中と危うくぶつかりそうになった。とっさに、その奥女中の顔を見た。ぶつかりそうになったのは、奥女中ではなく蓮光院付の御中臈だった。

 

「お伊曰殿ではありませぬか。ここで何をしておられる? 」

  蓮光院付御中臈のお伝は、お伊曰に気づくと一瞬、驚いた表情をしたが、すぐに能面のようなすました顔に戻りお伊曰を問いただした。

 

「お伝殿こそ、いかがなされましたか? 」

  お伊曰は、ムカッときて言い返した。

 

「奥向が火事だと聞き、様子を見に参ったの次第」

  お伝は、明らかに何かを隠しているように見えた。

 

「桜田屋敷からわざわざ参ったですか? 」

  お伊曰は、お伝の顔をのぞき込むと訊ねた。

 

「これにて失礼致します」

  お伝は、足早にその場を立ち去った。二丸御殿に戻ろうと、廊下を歩いている時だった。襷掛けをした奥女中たちが向かい側から走って来た。

 

「蓮光院付御中臈のお伝を見かけなかったか? 」

  その内の1人が、すれ違い様にお伊曰に訊ねた。

 

「お伝殿でしたら桜田屋敷へ戻りました。お伝殿がいかがなされましたか? 」

  お伊曰は聞き返した。

 

「御次部屋から火が出る直前、お伝が出て来るのを見た者がおる。事情を問うため捕えに参ったのだが、桜田屋敷に戻ったのか。教えて頂いて礼を申す」

  その奥女中は、お辞儀すると仲間と共に桜田屋敷へ向かった。

 お伊曰はふいに、大崎のことを思い出した。たしか、大崎は御次に降格したはずだ。急に、大崎の安否が気になり、二丸御殿に戻るのを止めて大崎を捜すことにした。そのころ、大崎は、就寝中に火事に気づき着の身着のままで外へ飛び出したところに偶然、部屋の前を通りがかった御坊主の松心尼に助けられて難を逃れていた。

 

「軽い火傷で済んで良かったではないか」

  松心尼は、大崎を御仏間に引き入れると傷の手当をした。

 

「もしや、そなたは、松島局ですか? 」

  大崎は、聞き覚えのある声に気づき訊ねた。

 

「その名を呼ばれたのは久方ぶりじゃ」

  松心尼が照れくさそうに言った。

 

「大奥を去ったと聞いていましたが、御坊主になられていたとは、今まで、気づきませんで失礼致しました」

  大崎は深々と頭を下げた。

 

「誰にも気づかれぬ方がかえって都合が良い。未練がましいと思われるかも知れぬが、権力を失っても、長い月日を過ごした大奥を去ることは忍び難く、いかなる身分でも良い故、残る道はないかと先代に願い出たところ、御坊主にしてくださったのじゃ」

  松心尼が穏やかに事情を語った。

 

「何か、気がかりなことでもあったのですか? 」

  大崎は自分に重ねて訊ねた。大崎は、御次に降格されても大奥に残ろうと決意したのは、家斉の行く末を見届けたかったからだ。

 

「家斉公が将軍となられた後、幕閣を主導していた寵臣の主殿頭と田沼派の重臣らが罷免された。老中首座に就いた越中殿は、祖父の功績を受け継ぎ、大奥の改革に乗り出す気じゃ。長い間、大奥は、御台様に随伴した御年寄筆頭の高丘局やその配下の者らによって牛耳られてきた。なれども、今まで通りのようにはいかなくなるかもしれぬ。越中殿が、高丘局らをいかなる手段でやり込めるか見物じゃ」

  松心尼が不敵な笑みを浮かべると言った。

 

「大奥の行く末を見たいというだけで大奥に残ったのですか? 」

  大崎は、もっと大きな志があると期待したのでガッカリした。

 

「大奥ほど面白き場はない。家斉公は、父御から子を多く持てと尻をたたかれているそうじゃ。御坊主は、中奥への出入りを許され御褥の監視をするのが役儀だ。御年寄だったころより、多くを深く知ることができる」

  松心尼は、懐から帳面を取り出すと大崎に差し出した。

 

「これは何でございますか? 」

  大崎は、帳面を手に取るとページをめくった。

 

「隠居後の楽しみに、見たり聞いたりしたことを書き留めておる。中には、門外不出の事もある故、肌身離さず持ち歩かねばならぬ。そなたのことも書いてあるぞ」

  松心尼は大崎について記されたページをめくって見せた。大崎は、誰も知らないはずの事実が記されていたため驚愕した。

 

「勿論、名は別人にしたし、誰かわからないよう工夫して書いておる。故に、そなたのことを書いたとしても気づく者はおらぬ」

  松心尼は、あっけらかんとして言った。

 

「高丘局に知られたらただでは済まされませぬ。ただちに、お止め下され」

  大崎は、帳面を松心尼に突き返した。

 

「越中殿が、その内、あの者を大奥から追い払う故、問題なかろう」

  松心尼は口をとがらせた。

 

「もしや、越中殿とお知り合いでしたか? 」

  大崎が身を乗り出して訊ねた。

 

「ああ、そうじゃ。見逃してくれるなら、そなたが返り咲きするための後ろ盾を頼んでやっても良いぞ」

  松心尼が上目遣いで言った。

 

「いまさら、高丘局に、そなたのことを告げ口して取り入る気はございませぬ。むしろ、大きな後ろ盾を得たいと考えていました。まことに、越中殿に頼んで頂けるのでございますか? 」

  大崎は、ワラにもすがる思いで訊ねた。

 

「越中殿は、奥向の間者となる者を捜しておる。そなたを推挙しよう」

  松心尼が、満面の笑みを浮かべて言った。

 

「よしなにお頼申します」

  大崎は、自分を陥れた相手だろうと身の安全が図れるなら、間者でも何でもやる気でいた。

 

「これからは、我らは同志じゃ」

  松心尼は、大崎の肩を優しくたたいた。

 

 一方、お伊曰は、一晩中、大崎を捜したが見つけ出すことができないまま朝を迎えた。二丸御殿の安祥院の部屋に戻ると、安祥院と御女中たちの姿はどこにもなく掃除された殺風景の部屋に、お伊曰の手荷物が置かれていた。

 

「まだおったのか」

  お伊曰が呆然と佇んでいるところにお園がやって来た。

 

「安祥院様と他の方はいかがなされましたか? 」

  お伊曰は、逸る気持ちを押さえて訊ねた。安祥院を殺してはいない。粉薬を入れる寸前に、ボヤ騒ぎがあり、結局、朝まで部屋には戻らなかった。

 

「安祥院様は、昨夜、急に大奥を去ることが決まり、二丸御殿をお出になったのだ。他の者は安祥院様に随伴した」

  お園が無表情で告げた。

 

「何故、急に、大奥を去ることが決まったのですか? 」

  お伊曰は興奮気味に訊ねた。

 

「幕命じゃ」

  お園は、こめかみを押さえながら答えた。一晩中、起きていたらしく、眼は充血しており顔色も悪い。

 

「それでは、私は、奥向へ戻ってもよろしゅうございますか? 」

  お伊曰は、手荷物を胸に抱えると訊ねた。

 

「戻るが良い」

  お園は、お伊曰を送り出すと掃除を始めた。お伊曰は、奥向に戻ることができてうれしかったが高丘の反応がこわかった。

 

「高丘局がそなたを呼んでいたぞ」

  於富は、お伊曰を見つけるなり言った。お伊曰は、重い足取りで、高丘の元へ向かった。高丘は、お伊曰が遠慮気に戸口に立つと手招きした。

 

「申し訳ございませぬ。とうとう、殺めることができませんでした」

  お伊曰は、言われる前に謝ろうと頭を下げた。

 

「大義であった。使わなかったのなら返すが良い」

  高丘は、怒っている様子はなくいつもと変わらなかった。

 

「急に大奥を去られるとは驚きました」

  お伊曰は粉薬を返すと言った。

 

「公方様のお耳に入り、穏便に済ますようにとの御上意があったそうじゃ」

  高丘が冷静に告げた。

 

「何故、安祥院様を暗殺なさろうとしたのか教えて頂けますか? 」

  お伊曰は思い切って訊ねた。

 

「家治公が身罷られた日の夜、二丸御殿から念仏が聞こえたそうじゃ。それまでも、家治公が床に就かれて以来、幾度となく念仏が聞こえたという。故に、側衆の中には、家治公は、呪詛されたのではないかと疑う者もいて密かに調べさせたところ、安祥院付の御女中たちが、城下の寺へ祈祷に通っていたことがわかった。おそらく、念仏を唱えていたのは、あの者らということになったわけじゃ」

  高丘が神妙な面持ちで語った。

 

「お付きの者の所業を何故、主である安祥院様が、命をもって償う必要があるのですか? 御女中らを追い出せば良い話ではないですか? 」

  お伊曰が険しい表情で訊ねた。

 

「こたびの一件は、主の不始末と相成ったわけじゃ。女の業や女の執念というものが、この大奥に渦巻いていることを忘れるでない。気を抜けば足元をすくわれる。信じられるのは己のみじゃ」

  高丘が低い声で告げた。

 

「高丘様。これで恩は十分返せましたよね? 」

  お伊曰がおびえた目で訊ねた。

 

「まだじゃ。おまえには、向後も引き続き働いてもらわねばならぬ。時が来たら、連絡する。あやしまれぬ前に戻られよ」

  高丘は、冷たく言い放つとお伊曰を部屋の外に追い出して障子を閉めた。お伊曰は思わず身震いした。死ぬまで買い殺されるのだ。高丘は、おそろしい人だと改めて思った。

 


 家斉の正室、御台所の茂姫は、天明7年、11月15日に、公家の近衛経熙の養女となるため、寧姫と改め近衛家の娘として家斉に嫁ぐ際、近衛ただ子と改めた。岳父の重豪は、家督を長男に譲り隠居しながらもなお実権を握り続けていた。

 

 翌年の1月30日。京都において大火事が発生した。鴨川東側の宮川町団栗辻子の町家から出火した炎が強風に煽られて、瞬く間に南は五条通にまで達し、さらには、火の粉が、鴨川対岸の寺町通に燃え移って洛中に延焼した。その日の夕方には相次いで、二条城本丸、洛中北部の御所が炎上した。発生から2日後の2月2日早朝。ようやく鎮火するが、この火災で、東は河原町、木屋町、大和大路まで。北は、上御霊神社、鞍馬口通、今宮御旅所、今宮御旅所まで。西は、智恵光院通から大宮通や千本通まで。南は、東本願寺から西本願寺や六条通まで達し、御所や二条城の他、仙洞御所から京都所司代屋敷、東西両の奉行所、摂関家の邸宅に至るまでもが焼失した。幕府の調査によると、京都市中の1967町の内焼失した町は1424。焼失家屋は3万6797。焼失世帯6万5340。焼失寺院201。焼失神社37。死者150。死者は1800人に上った。

 家斉は、この事態を重く見てただちに幕府の代表として定信を京都に派遣して朝廷と善後策を協議させた。光格天皇は、家斉の計らいに感謝する一方、極秘に火事発生直後に完成した「大内裏図考に基づいた古式に則った御所が再建の申し入れを行った。   

 鶴千代から、水戸徳川家に届いた鷹司輔平の書状を見せられ、火事の被害状況をつぶさに報告を受けた上で御所の再建について説得されたことを受けて、ついに、家斉も重い腰を上げた。定信を御座之間に呼び出すと、御所の再建に着手する旨を命じた。しかし、定信は、財政難と天明の大飢饉における民の苦しみを理由にあげて、かつてのような壮麗な御所は建てられないと真っ向から反対した。実は、定信に話をつけた時にはすでに、家斉が伝奏を介して天皇の申し入れを認めており、定信には事後報告をしたことが発覚した。これは、家斉のささやかな抵抗だったが、これに憤慨した定信は、京都所司代や京都町奉行に対して、朝廷の新規の要求には応じてはならないとの沙汰を出した。この一件で、朝廷や光格天皇の動向が注目されることとなった。

 

定信は、御休息之間で目にした床の間の掛け軸が妙に気になり、家斉の留守中、御用絵師の狩野惟信を呼びその掛け軸を見せた。

 

「清水寺能の様子を描いた絵にございます。これが何か? 」

  狩野は、作者不明の掛け軸を自分に見せた定信の本意を押しはだかった。

 

「確か、おぬしは御所関係の絵事を多く手掛けておったな? 絵に描かれている人物の中に、見覚えのある者はおらぬか? 」

  定信は、演者を指差すと訊ねた。

 狩野は、それに対して法華経を読誦する東国方の僧として思いつくのは天台宗の僧侶。東国方の僧の姿をしている演者は俊宮に似ている。俊宮は、天台座主。坂上田村麿の姿をしている演者の着物の家紋と清水寺門前の姿をしている演者の着物の家紋にも見覚えがある。坂上田村麿の方は、閑院宮家の家紋の閑院菊。この演者は、おそらく、帝の父御にあたる閑院宮典仁親王ではないかと思う。清水寺門前の方は、鷹司家の家紋の牡丹。この演者は、先に述べた演者達の素性から帝の叔父にあたる関白の鷹司卿ではないかと思うと語った。

 

「他に何か気づいたことはないのか? 」

  定信は、狩野に詰め寄ると訊ねた。

 

「能の舞台として描かれている清水寺は、花見や紅葉の名所と世に聞こえた寺でございます。しかれども、本堂の周りには、桜の木ではなく竹林が描かれております。この寺は、清水寺ではなく別の寺ということも考えられます」

  狩野が引き気味に答えた。

 

「清水寺本堂と同じ舞台造りの寺は、他に見たことも聞いたこともない。この絵を描いた絵師が、何か伝えようとしてあるはずのない竹林を描いたとは考えられないか? 」

  定信は、何か、問題解決の糸口を見つけようと必死だった。

 狩野は、掛け軸を眺めながら、演者各々が、宮家と公家の家紋のついた着物を着ていることから、背景にもは、何か特別な意味が隠されているに違いない。竹林の上を飛ぶ雀も気になる。雀は新年の季語だが、竹は夏の季語だ。これが俳句だとすれば、あり得ない組み合わせとなりますと解説した。定信は熱心に耳を傾けた。

 

「越中殿は、竹の園生という言葉をご存じですか? 」

  狩野が訊ねた。

 

「何じゃそれは? 」

  定信は首をかしげた。

 中国の漢代、文帝の皇子の梁の孝王が、庭園に竹を多く植えて修竹苑と名付けた故事から竹の園生を親王や皇族の連語としたそうだ。竹に雀は、中御門家の家紋。竹の園生の言葉と重ねて考えると、中御門家の皇族を示すと考えられる。本堂の屋根に隠れる日というのも気になる。日は天照大神の皇子すなわち天子を示し、日が隠れるというのは帝がお隠れになるという意味もある。狩野は興奮気味に語った後、定信にズバリ訊ねた。

 

「中御門家の皇族を出白とする帝が崩御されたことを示すのではないでしょうか?  」

 

 

「そうかわかったぞ。この絵は、閑院宮家を出白とするおふたりを後見役として、光格帝が即位成されたことにより、中御門家の皇統が途絶えたことを示しているのじゃ。それにしても、何故、公方様は、斯様な意味を持つ掛け軸をお持ちなのじゃ? 公方様は、将軍世子の時代、皇族と近しい間柄の水戸徳川家の鶴千代君と仲がよろしかった。もしや、鶴千代君にそそのかされて勤王家に肩入れしておられるのではあるまい」

  定信が言った。

 定信は、京都の大火事により炎上した御所の再建について家斉が老中たちの意見を聞かずに、独断で光格天皇の申し入れを受けたことを思い出し、家斉に疑惑の目を向けた。

 家斉は、自分が勤王家の味方だと疑われていることはつゆ知らず、定信が老中首座に就いてから政務から遠ざかっていた。気が楽と思うこともあったが、同時に、このまま政務を委ねて傍観していたら能なしの将軍だと世間から思われやしないかと不安に思っていた。治済は、定信が幕政を取り仕切るようになっても相変わらず幕政に干渉していたが、御所の再建問題以後は登城を控えていた。毎日、日課のように登城し家斉が忙しかろうがかまわず拝謁を願い出ていた治済が、ここに来て姿を見せないことに、さすがに変だと思い、一橋家の家老宛てに書状を送り、それとなく、治済の近状を探ったが、家老から返事は、いっこうに来る気配がなく家斉はイラ立ちを募らせた。

 

「ええぃ。待ってなんぞいられぬか。この眼で父上の安否をたしかめねば気が済まぬ」

  家斉は、ついにしびれを切らした。

 

「公方様。いかがなされましたか? 」

 

「こたびはどちらへ行かれますか? 」

 

 あわてたのは近習たちだ。家斉が、朝から険しい表情で考え込んでいたかと思えば、昼寝の最中に飛び起きて、突然、身支度をはじめたからだ。

 

「定之助。ついて参るが良い」

  家斉は、厠から戻った定之助を捉まえると命じた。定之助は、理由を知らぬまま、家斉に御供して城を後にした。

 

「生家へお帰りになるのは、何年ぶりでございますか? 」

  定之助は、一橋家の屋敷の門まで来ると能天気な質問をした。

 

「西丸御殿に遷って以来、門はくぐっておらぬ」

  家斉は、考え深げに屋敷を見つめた。

 

「妙ですな。門は固く閉じられ、何度門戸を叩いて声を上げても、どなたもお出にならぬと言うのに、庭の方から、何やら物音が聞こえますぞ」

  定之助が首を伸ばして言った。

 

「庭を見て参れ」

  家斉は、定之助に庭を見に行かせた。定之助が、垣根越しに庭の様子をうかがうと、治済が1人で、庭の鯉に餌をあげながらブツブツと独り言を言っているのが見えた。屋敷の方からは、人の気配は感じられないことから、屋敷に居るのは治済だけのようだった。

 

「何かわかったのか? 」

  家斉は、定之助が、なかなか戻って来ないので我慢しきれず様子を見に来た。

 

「ひいぃい」

  定之助は、突然、後ろから肩をつかまれたので、驚きのあまり声を上げた。

 

「そこで何をしておる? 」

  定之助の叫び声に気づいた治済が、2人の方へ向かって来るのが見え、家斉は、思わず、腰を低くしたがおそかった。実は、治済は、人の気配に気づいていたが、わざと知らないフリをしていたのだ。とっさに、隠れた2人を見つけると訊ねた。

 

「父上。息災でございましたか? 」

  家斉が、決り悪そうに立ち上がるとあいさつをした。

 

「門を開けます故、正門に廻りお待ちくだされ」

  治済が仏頂面で告げた。家斉は、定之助と連れだって正門の前まで引き返した。2人は、開け放たれた門をくぐると屋敷の中に入った。

 

「せっかく、参られたのじゃ。茶でも飲んでいきなされ」

  治済は、2人を書院に通すと自ら薄茶を淹れて出した。

 

「家老や女中らがおりませんが‥ 」

  家斉は、周囲を見回しながら落ち着かない様子で言った。

 

「たまには良いではありませんか。貴方様は、城暮らしが長くなり、常に、身辺に、誰かいることに慣れているようですが、わしは、この通り、今は隠居の身にござる。表から遠ざかった者は、見向きもされなくなるというのは、まことの話のようですのう」

  治済が遠い目で語った。家斉は、治済は隠居した途端、急に白髪が増えたと思った。

 

「何かの形で、余の父上に対する尊敬の念を示すことができれば、父上の尊さを世に知らしめることができるでしょうに」

  家斉は、すっかり、隠居姿が板についた父を目の当たりにして不憫に思った。

 

「わしのことをそこまで考えていてくれたとは感服致します。ところで、あの話をお聞きになりましたか? 」

  治済がようやく笑みを見せた。

 

「あの話とは、いったい、何の話でござるか? 」

  家斉は瞬きしながら訊ねた。

 

「老中らは、相変わらず、将軍を蚊帳の外に置いておるようですのう。帝が父御にあたる閑院宮典仁親王に尊号を贈ることを御上へ申し入れたそうですぞ。水戸徳川家は、昔から水戸学を奉じる勤皇家として知られていますが、こたびばかりは、越中殿に賛成したようでござる」

  治済が神妙な面持ちで語った。

 

「閑院宮家は、新井白石が、徳川将軍家に御三卿があるように朝廷にも、それを補完する新たな宮家が要るとの建言を家宣公に出したことを機に創立されましたが、帝は、御三卿の一橋家を出白とする余が将軍職に就いて以後、強気な申し入れが多くなったと、老中らが嘆いております」

  家斉が神妙な面持ちで告げた。

 

「越中殿は、京都所司代や京都町奉行に対して、朝廷の新規の要求には応じてはならぬとくぎをさしたと聞きます。さすがに、帝の叔父にあたる関白の鷹司卿も、朝幕関係が悪化することになれば、兄御の典仁親王様の御身も危うくなると考えたのか、越中殿に歩み寄りの姿勢を見せている。こたびは越中殿側が1枚上手のようでござる」

  治済が苦笑いしながら言った。

 

「こうも度々、朝幕関係を危うくさせる問題が起きるのは、余が、若輩者の上に無知だとして、帝に甘く見られているからであろうか? 」

  家斉は真剣に悩んでいた。

 

「帝は、貴方様が若く聡明なお方だからこそ期待しておられるのでしょう。いっそのこと、将軍親政に切り替えられたらどうですか? 」

  治済は家斉を励ました。

 

「余が、将軍親政を致すなどおそれ多い話にござる。父上のお導きがあったからこそ今がある。向後も余をお支え下され」

  家斉は、将軍が独断で幕政を行う自信はまだなかった。

 

「越中殿は、幕藩体制の再建を念願としておる。一方、帝は朝権の回復を念願としておる。おふたりの利害が不一致であるが故、互いの考えを受け入れ譲歩する望みはないとみえます。こたびばかりは、帝に降りて頂く以外、他に問題を解決する方法がなさそうです」

  治済が穏やかに言った。

 

「父御の典仁親王へ尊号を贈りたいとの帝のご意向は、余にも痛い程、わかります。できることならば、余も、父上に大御所の尊号を差し上げ城にお迎えしたい」

  家斉が言った。

 

「御高倉院や御崇光院といった皇位に就いていない方に皇号が贈られた先例はござる。越中殿が、それを知らぬはずがない。知っていて、わざと知らぬフリをしておるのじゃ」

  治済は、いつもの調子に戻っていた。

 

「父上は、まことに物知りでございまするな。帝も、先例をお調べになったようでござる」

 家斉は、治済の博学ぶりに感心せずにはいられなかった。

 

 通常ならば、天皇の父は上皇待遇を受ける。しかし、光格天皇の父の閑院宮典仁親王は、皇位に就いていないため上皇にはなれない。せめて、尊号を贈り今よりも良い待遇にして差し上げたいという天皇の気持ちが理解できる理由は、家斉の父である治済もまた将軍の父でありながら、御三卿の待遇しか受けられないからだ。家斉は、光格天皇の親孝行をしたいという気持ちに刺激を受け、この機会に、治済に、「大御所」の尊号を贈ることを主張しようと考えた。家斉は、急ぎ、城に戻ると足早に御用部屋へ向かった。家斉が、御用部屋の前まで辿り着いた時、ちょうど、定信が、御用部屋へ戻って来た。

 

「公方様。御用部屋に何用でござるか? 」

  定信が、御用部屋へ入ろうとした家斉を呼び止めた。

 

「何故、尊号の件を余に報告しなかった? 」

  家斉が訊き返した。

 

「それをいつどこでどなたからお聞きになりましたか? 」

  定信がけげんな表情で言った。

 

「民部卿から話を聞いた」

  家斉が答えた。

 

「さようでござったか」

  定信が言った。

 

「余に話しても無駄じゃと思うたか? 」

  家斉は定信をにらみつけた。

 

「ここでは論じていては、人目につきます。ひとまず、場を変えませんか? 我も、公方様にうかがいたき儀がござる」

  定信は、家斉を御座之間へ誘導した。2人が御座之間の前まで来ると、土圭之間の前にいた円成坊が驚いた表情で2人を出迎えた。

 

「御人払いせよ」

 

 定信は、家斉の後から御座之間へ入る際、円成坊に命じた。円成坊は、険しい表情で、上座に着座した家斉を心配そうに見ながら杉戸を閉めた。

 

「帝が父御に尊号を贈られるおつもりならば、余も、民部卿に尊号を与えようかと思う」

  家斉は強気の態度を示した。

 

「皇位に就いておらぬ者に尊号を贈ることは先例がありません。将軍に就いておらぬ者も同様でござる」

  定信が言った。

 

「御高倉院や御崇光院のように、皇位に就かれていないお方に皇号が贈られた先例がある。知らぬとは言わせぬぞ」

  家斉が強く主張した。

 

「それは、承久の乱や正平の一統という非常事態が生んだ産物であって、太平の世に挙げる先例ではござらん」

  定信がひるむことなく反論した。

 

「何故、いつもそうなのじゃ? 歩み寄ることはできぬのか? 」

  家斉は、戦場に向かう武将のような松平定信に対し、穏やかに説教を試みた。

 

「公方様こそ、帝に味方なさるのは、尊王攘夷の思想をお持ちだからでござるか? 」

  定信が思い余って言った。

 

「余が勤王家なわけがなかろう」

  家斉は即座に否定した。

 

「公方様が、勤王家にお味方なさっているとする証は、勤皇家とされる水戸徳川家嫡子の鶴千代君と近しい間柄だということとあの掛け軸を大切になされていることでござる」

  定信は、床の間にかけられていた掛け軸を指差して言い放った。家斉は、思わず掛け軸をふり返り見た。定信が、何を見て勤王家だと言うのか理解できない。

 

「これが何だと申す? たかが、掛け軸ではないか? 」

  家斉は、掛け軸をはぎ取ると定信の鼻先につき出した。

 

 定信は、この掛け軸の絵は閑院宮家を出白とする光格天皇が即位成されたことにより、中御門家の皇統が途絶えたことを示す。一見、清水寺の本堂において清水寺能を演じている者たちを描いている絵であるが、清水寺の周りには、桜の木ではなく竹林が描かれている。空には雀の群れが飛んでいる。竹林に雀は、中御門家の家紋でござる。日は天照大神の皇子。すなわち、帝を示し、日が隠れることは、帝の死を示します。演者たちの衣にはそれぞれ、閑院宮家や鷹司家の家紋が入っている。それに、東国方の僧の姿をしている演者は俊宮に似ている。法華経を読誦する東国方の僧として思いつくのは、天台宗の僧侶。俊宮は天台座主である。皇族や公家を示すものが多く描かれている掛け軸を大事にされていることこそ勤王家の証だと主張した。家斉は、定信の主張に驚き言葉を失った。生前、意次が、この掛け軸を見た時、威圧感を覚えると発言したことを思い出した。この絵は、光格天皇の3度にわたる申し入れと同じような効力を持つのかも知れない。家治が、この絵を自分に残した理由を改めて考えた。

 

「この絵に、斯様な意味が込められているとは知らなかった」

  家斉は、掛け軸を見つめると言った。

 

「将軍は勤王家だとする噂が広まったりしたら、大変なことになります。お捨てになった方がよろしいかと存じます」

  定信が、厳しい口調で苦言を呈した。

 

「これは、やんごとなきお方の遺品なのじゃ。罰当たりなことをしてみろ、たちまち、呪われるに違いない」

  家斉は思わず身震いした。

 

「公方様。そのやんごとなきお方とは、どなたでござるか? 」

  定信は、最初から家斉を勤王家と疑っていたわけではなかった。若くて無知な将軍は、勤王家に洗脳されつつあると危機を募らせていたのだ。

 

「他言無用との遺言がある故、その名を明かすことはできぬ」

  家斉は、家治の遺言を頑なに守ろうとした。

 

「とにかく、ここでは人目につきます故、他へお移し下され」

  定信は、掛け軸を家斉に手渡すと御休息之間を出て行った。

 

「公方様。その掛け軸の絵は、もしや、家治公の遺品ではござらんか? 」

  小姓の石谷清豊が、家斉に歩み寄ると訊ねた。石谷は、田沼意誠の5男で田沼意次の甥だが、石谷清定の娘を妻として、石谷清定の跡を継いでいた。養父の清定は、天明6年まで本丸に仕えていたが、種姫の用人となり嫁ぎ先に随伴した。

 

「それはまことの話か? 」

  家斉が驚いた表情で聞き返した。

 

「公方様が生前、家基君がお描きになった絵を形見として大切になさっておられたことは、近習の間ではよく知られた話でござる。家基君は、育ての母の御台様が、里帰りをなさった折に御伴なされました。京師の清水寺で初めてご覧になった清水寺能をお気に召したとのことで、帰国後、清水寺能の絵をお描きになったと聞きおよんでおります」

  石谷が懐かしそうに語った。

 

「初めて聞く話だ。何故、家基君の形見を余に残されたのだろう? 」

 家斉は首をかしげた。

 

「越中殿が申された通り、やはり、これは、誰の目にも触れないところにしまっておくべき物かと存じます」

  石谷がやんわりと告げた。

 

「もう要らぬ。処分はそちに任せる」

  家斉は、掛け軸を石谷に押しつけた。

 

「いらぬなら、それがしが頂戴致します」

  どこからともなく、定之助が現れて両手を差し出した。

 

「いや、これは、それがしが責任を持ってお預かりします」

  石谷が、掛け軸を持って行こうとした。

 

「返せ。やはり、このまま、ここに掛けておく。誰に何と思われようとかまうものか」

  家斉は、石谷の手から掛け軸を奪うと床の間に飾った。目の前で、大の男たちが、掛け軸を取り合う姿を見る内、掛け軸を手放すのが惜しくなったのだ。

  一方、光格天皇が、父の閑院宮典仁親王に尊号を贈る一件は、朝幕関係を揺るがす大事件に発展した。京都では、鷹司輔平や後桜町上皇が、光格天皇を説得する一方、天皇の近侍の中山愛親は、天皇が父の典仁親王に、「上天皇号」を宣下できるように入念な策を練っていた。

 


 寛政5年。 ついに、中山愛親が松平定信と全面対決する時が来た。中山は、最初から定信を説得する気はなかった。何としても、家斉に拝謁して御所の再建の時のように申し入れを受け入れてもらう強硬手段に出る心づもりだった。定信をはじめとする老中たちは、予想通り、話を聞くどころか理屈を並べて反対して来た。

 

「中山殿。そちらは中奥ですぞ」

  厠に行くフリをして席を立ったまま戻らない中山を心配して捜しに出た武家伝奏の正親町公明が、中奥へ向かって歩いていた中山愛親を見つけてあわてて呼び止めたが、中山愛親は、ふり返ることなく行ってしまった。中奥と表向との境には、上ノ錠口と中奥の2か所あるが、中奥は、土圭之間にあり奥坊主が常勤し表向の役人が無断で中奥に入らないように見張っている。

 

「失礼致す。公方様に御取次願いたい」

  突然、乱入して来た中山に、奥坊主の円成坊があたてふためいた。

 

「円成坊。公方様にお茶を出してくれるか」

  その時、ちょうど、定之助が、土圭之間にやって来て中山と出くわした。

 

「おぬしは‥ 」

  中山は、京都で数回会った顔見知りと再会し思わず、その名を呼ぼうとしたが、中野定之助が、中山の口を手で押さえてため、円成坊には、その先、何を言っているのか聞こえなかった。

 

「只今、お持ちします」

  円成坊は、とりあえずお茶をたて始めた。

 

「何故、公方様のお傍におる? 」

  中山が、定之助に御小納戸部屋へ連れて行かれた後、小声で訊ねた。

 

「成り行きでこうなった。今は、本丸小納戸の中野定之助で通っている」

  定之助が中山に耳打ちした。

 

「また会えてうれしく思う。おぬしが、公方様のお傍におるなら安心だ。頼む。取次いでもらえぬか? 」

  中山は頭が混乱していたが、ここまで来たら引き下がるわけにも行かず、僅かな望みにかけることにした。

 

「良かろう。ここで待っておれ」

  定之助は、中山を御座之間の前に待たせると御休息之間に入った。しばらくして、黒書院の奥の杉戸が開いて、家斉が御座之間に姿を現した。

 

「それへ」

  家斉は上座に着座すると、御座之間の前に着座し平伏す中山愛親に声をかけた。

 

「公方様より、謁見賜り恐悦至極にございます」

  中山は、家斉の御前に着座するとその場に平伏した。

 

「折り入って、余に話とは何じゃ? そちは、たしか例の件で、老中と対談釈明するために登城したのじゃろう? 」

  家斉が穏やかに訊ねた。

 

「老中と話をしたところで、帝のご決心は何も伝わりませぬ。公方様であらば、御尊名頂けるのではないかと、腹をめす覚悟で御目通りを願い出た次第」

  中山が上目遣いで告げた

 

「相当切羽詰まった様子だが、何故、帝のためにそこまでするのじゃ? 」

  家斉は、中山の光格天皇に対する忠誠心に感心した。

 

「公方様も、父御の民部卿に大御所の尊号を差し上げたいとお望みだとお聞き致しました。父御を敬うお気持ちは、帝も将軍も同じかと存じ奉ります」

  中山は情に訴え出た。

 

「越中が申すには、こたびの一件は、忠と孝の衝突だそうじゃ」

  家斉が身を乗り出して言った。

 

「忠と孝でございますか? 」

  中山は首をかしげた。

 中山の問いに対して、家斉は、帝が長い間、途絶えていた朝儀の再興や朝権の回復に熱心なのと同様、老中をはじめ幕閣の首脳たちが失政により、下回った幕府の指導力を回復するため学制改革を行い、朱子学を再興させようとしておる。朱子学は、本来、儒教が徳目とする孝よりも、大義名分、主君への忠。そして、君臣の別に、重きを置いている。故に、父上に尊号を贈る孝を求めても無駄だと冷静に語った。

 

「左様でございましたか、ようやく、謎が解けた気が致します」

  中山は大きくうなずいた。

 

「こたびの一件で、帝も越中の本懐が見えたはず。これ以上、傷を広げぬ方が賢明じゃ。上皇や関白までもが、こたびの一件を深刻に受け止めておる。そちが出たところで、コテンパンにやられるだけじゃ」

  家斉がため息交じりに言った。

 

「処分は覚悟の上でございます。たとえ、死んでも悔いはござらぬ」

  中山がその場に平伏した。

 

「帝にこれを差し上げよ」

  家斉は、御座之間を出ようとした中山を呼び止めると、家治の遺品の書物「愚管抄」を手渡した。

 

「あのこれは? 」

  中山は、「愚管抄」を渡した家斉の意図が読めず戸惑った。

 

「余からの贈り物だとお伝えせよ。聡明な帝ならば、余の伝えたい儀が、何なのかお分かりになるはずじゃ」

  家斉が神妙な面持ちで答えた。

 迎え撃つ朝廷側は、光格天皇が、父の典仁親王に『太上天皇号』を宣下することを大反対する定信に対抗し、朝幕間の学問的論争に引き起こした。

 後に、寛政3年の12月。光格天皇は、「群議」を開き、参議以上40名の公卿の内、35名の賛意を得て、尊号宣下の強行を決定することとなる。しかし、大政委任を根拠に、天皇に代わって幕府が、公家を処分できるとの定信側の主張が通り、幕府は、天皇に賛同し協力した公家を処罰したため、中山愛親は、帰洛後、蟄居の上議奏を罷免された。また、幕府は九州で活動していた勤皇家の高山彦九郎を処罰し尊王論者を牽制した。家斉は、幕府に対して父の徳川治済に「大御所」の尊号を与える宣言をしていたため、事件の結末に納得が行かなかった。 

 

「公方様。大御所の尊号の件をめぐり、大きく意見が割れておるようでござる」

  木村は、頭を抱えている家斉の元に良くない報せを持って来た。

 

「さもあろう」

  家斉は平静を装ったが、父親に尊号を与えることすらできないのかとくやしくてたまらなかった。

 

「太上天皇号を拒んだ手前、将軍の父御に大御所の尊号を贈るわけにはゆきませぬと越中殿が、強く主張しております」

  木村が、家斉の心中も知らず冷静に告げた。

 

「白々しい言い訳じゃ」

  家斉は舌打ちした。

 

「公方様。越中殿が、火急の件にて御目通りを願い出ております」

  杉戸越しに定之助の声が聞こえた。

 

「公方様? 」

  木村は、家斉が、勢い良く立ち上がると杉戸の前まで大股で歩いて行くという思わぬ行動に出たのであわてた。木村が止める間もなく、家斉は杉戸を開けた。その瞬間、杉戸の目の前に着座していた定之助が、バランスを崩して後ろに倒れた。

 

「火急の件とは何じゃ? 」

  家斉は、定信を見下ろすと訊ねた。

 

「評議の結果、民部卿に大御所の尊号を贈る件が却下されましたことをお伝えするため、馳せ参じた次第」

  定信が冷静に告げた。

 

「何故、余を除いて評議に踏み切った? 」

  家斉は低い声で訊ねた。

 

「おそれながら、尊号を贈るか否かを決めるのは幕閣でござる。たとえ、貴方様が、将軍であられようとも、幕閣の決定には従って頂かなければなりませぬ」

  定信が告げた。

 

「己を白河藩へ追いやった憎き相手に尊号を贈ることは面白くなかろう。尊号を贈ることは、父上に権威を与えるようなものじゃからな。そちの言動やふるまいは、余と同等であるかのようじゃ。そちは何者として余の前におるのじゃ? 」

  家斉がぶっきらぼうに言った。

 

「今は老中首座として公方様の御前におります」

  定信がきっぱりと告げた。

 

「典仁親王に、尊号を贈ることを反対しておるのは、民部卿に尊号を贈らせないためではないのか? 」

  家斉は、思わず、カッとなり声を荒げた。

 

「帝は、公方様が2度にわたり帝の申し入れをお認めになったことで、公方様に申し入れさえすれば、難題であっても何とかなると勘違いなさったのでござろう。朝廷が、公方様の承認を後ろ盾に、古式にそった大内裏再建に踏み切ったため、幕府は莫大な出費を強いられました。公方様が、これだけ帝に肩入れなさるのは勤王家であるからだと多くの幕臣らが考えたはずです。あれだけ、警告したにも関わらず、あれは、いったい、何のおつもりですか? 」

 定信は冷静に告げた後、すかさず、例の掛け軸を指差した。

 

「気に入っているのじゃ。何が悪い? 」

  家斉が答えた。

 

「公方様がおできにならぬならば、代わりに処分して差し上げます」

  定信は、何を思ったか、掛け軸を床の間から取り去ると畳の上に投げ捨てた。

 

「何をする気じゃ? 」

  家斉は、あわてて掛け軸に駆け寄った。

 

「手燭を持て」

  定信は、その場に居合わせた木村に火を持って来るよう命じた。木村は状況がつかめぬまま、命令に従い手燭を定信に手渡した。定信は、定之助に桶一杯の水を運ばせると手燭を掛け軸に近づけた。

 

「おおい、やめぬか。やめろと申すのが聞こえぬか? 」

  家斉が、ただならぬ気配を察して声を上げた。その声もむなしく、定信が掛け軸に火をつけた。勢い良く燃え上がった掛け軸を前に家斉は腰を抜かした。

 

「正気でござるか? 火つけは大罪ですぞ」

  定之助が、火を消そうと桶に近づいたその時だった。お茶を運んで来た円成坊が、血相を変えて駆けつけると、桶の水を燃えている掛け軸にかけた。掛け軸の火は、消し止められたが、絵の部分を残して黒焦げになった。

 

「危うく火事になるところでしたぞ」

  木村が定信を非難した。

 

「火は消し止められたが、掛け軸が黒焦げになった。どうしてくれる」

  家斉は半泣き状態だった。

 

「いっそのこと燃えてしまった方が清々致しましょう」

  定信は、家斉に捨てる決心をつけさせるために火をつける暴挙に出たのだ。定信は、黒焦げになった掛け軸を手に御休息之間を出ようとした。

 

「お待ち下され」

  円成坊が、定信の目の前に立ちはだかった。

 

「何の真似じゃ? 」

  定信は、円成坊を見据えると訊ねた。

 

「お茶を召し上がってからお帰り下され」

  円成坊は、定信の腕をつかむとその場に坐らせた。

 

「斯様な時に茶など飲めるか」

  家斉も、木村に促されて着座した。

 

「心を落ち着かせて、私の話をお聞き下され」

  円成坊は、その場に居る人数分のお茶を出すと告げた。

 

「ちと苦いが、これは何じゃ? 」

  家斉が、お茶を一口飲むなり顔をしかめた。

 

「煎茶にございます」

  円成坊が、すかさず言った。

 

「話には聞いたことはあるが口にするのは初めてじゃ」

  木村が、茶碗の底を見つめながらつぶやいた。

 

「たしかに心が落ち着く」

  定信が小さく息をついた。

 

「実は、この掛け軸の絵の下にはもう1枚別の絵がございます」

  円成坊は、絵を掛け軸から慎重にはがしながら言った。円成坊が言った通り、絵の下から別の絵がまた現れた。

 

「絵が、2枚重なっていたとはちっとも気づかなかった」

  家斉は、下になっていた絵を食い入るように見つめた。

 

「おそらく、何者かが、後からこの絵の上に紙を重ね貼り別の絵を描いたのでしょう」

  円成坊が神妙な面持ちで告げた。

 

「誰が何為に斯様な小細工をしたと申すか? 」

  定信が言った。

 

「円成坊。2枚の絵が重なっていることを見抜いたぐらいじゃ。そちは、この絵について、何か知っておるのであろう? 」

  家斉が円成坊に訊ねた。

 

「上の絵は、演者の姿や着物の家紋を変えただけで、あとは全く同じでございます」

  円成坊は、上の絵を家斉に手渡した。

 

「そちの申す通りじゃ。演者の姿と着物の家紋以外、同じに見える」

  家斉は、2枚の絵を見比べると言った。

 

「何故、演者の面と着物の家紋は変えられたのじゃ? 」

  定信が円成坊に訊ねた。

 

「おそらく、もとよりあった絵を見た者が何かを伝えるために手を加えたのだと存じます。もともと、この絵は、美濃の日龍峰寺で行われたお能の様子が描かれています」

  円成坊が説明した。

 

「その美濃の寺の周りには竹林があるのか? 」

  家斉が身を乗り出して訊ねた。

 

「ございます」

  円成坊は、定信を横目で見ながら答えた。

 

「そんなはずはない。どう見ても清水寺ではないか? 」

  定信が声を荒げた。

 

「そう言えば、美濃に、本堂が清水寺本堂の舞台造りと同じ高野山真言宗の寺があると聞いた覚えがござる」

  定之助が、思い出したように言った。

 それに対して、定信は、御用絵師の狩野惟信の講釈をうのみにして、法華経を読誦する東国方の僧は天台宗の僧侶を示すと考えて、この演者は、おそらく、天台座主である閑院宮直仁親王第二王子、公啓入道親王。坂上田村麿が着ている着物の家紋は、閑院宮家の家紋の閑院菊である故、この演者は、おそらく、光格天皇の父にあたる閑院宮典仁親王。そして、清水寺門前の方は、鷹司家の家紋の牡丹である故、この演者は、光格天皇の叔父にあたる関白の鷹司輔だと主張した。

 

「越中は、この絵を掛け軸に仕立て直して床の間に飾った余を勤王家の味方だと決めつけ、帝が、何度も、幕府に対して申し入れを行うのは、余のせいじゃと言いよった」

  家斉がため息交じりに言った。

 

「下絵は、勤王家を示す絵でないことは明らかです」

  円成坊がきっぱりと断言した。

 

「言われてみれば、下絵は、坂上田村麿ではなく、その化身とされている童子になっていますね」

  定之助が冷静に告げた。

 

 円成坊が、下絵について解説しはじめた。これは、承久の乱の前日、後鳥羽上皇率いる倒幕軍が、出陣を控え志気を高めるため修羅能を行ったとの筋書きで描かれているのは、まさしく、坂上田村麿の化身だとする童子が田村堂に入り、1人取り残された東国方の僧の前に清水寺門前が現れ、清水寺縁起を語る場でございます。後鳥羽上皇は、菊紋の家紋から考えると清水寺門前を演じておられる。田村堂に入った坂上田村麿の化身とする童子が着ている着物の柄は都忘れ。都忘れといえば、佐渡に配流となった順徳帝。法華経を読誦する東国方の僧は、土御門帝の皇胤と言われている日蓮宗の開祖の日蓮でございます。屋根に隠れる日は、上の絵と同じく帝の死を示します。

 円成坊は、説明を終えると木村に訊ねた。

 

絵の舞台となった日龍峰寺でございますが、龍と聞いて思いつくことはございますか? 」  

 

「承久の乱時の執権は北条義時だとすると、北条氏の家紋ではないか? 」

  木村が目を見開いた。

 

「北条氏の家紋は鱗紋。鱗は、魚や蛇、龍の鱗を示すとされています」

  円成坊が、定信の方を見ると言った。

 

「下の絵を描いたのは何者じゃ? 」

  家斉が、円成坊に訊ねた。

 

「絵の端に、裏梅鉢の家紋が描いてある」

  定信は、絵師の正体を示すだろう証をめざとく見つけた。

 

「おそらく、それは金森家の家紋です」

  木村が定信に言った。

 

「勤王家を思わせる絵の下に、改易となった金森家の家紋が描かれた絵が隠されているとは、ますます、わからなくなって来た」

  家斉は頭を抱えた。

 

「円成坊。そちは、いったい何者なのじゃ? 何故、この絵が下にあるとわかった? 」

  定之助は円成坊に訊ねた。

 

「実は、この絵は、父の形見でございます。江戸屋敷に飾ってあったのですが、御家がお取り潰しになった直後に紛失しました。水戸様の御屋敷にあると風の噂で聞きやんごとなきお方のツテを頼り、鶴千代君にお仕え致しましたが、見つけることができませんでした。よもや、公方様の手元にあったとは思いもしませんでした」

  円成坊は、感極まったのか涙をこぼした。

 

「もしや、そちは美濃郡上藩主だった金森頼錦の子であったか? 」

  定信は、円成坊の顔をのぞき込むと訊ねた。

 

「はい」

  円成坊は鼻をすすると答えた。

 

「公方様。何卒、この絵を私にお返し頂きたく存じ奉ります」

  円成坊が、声をふるわせながら願い出た。

 

「よかろう。持って行くが良い」

  家斉は快く絵を円成坊に返した。

 

「その絵は、やはり、処分なされた方がよろしいかと存じます」

  定信が上の絵について言った。

 

「たかが絵ではないか? これを見て勤王家だと申す者は愚か者じゃ」

  家斉は絵を手放す気はなかった。

 

「人目にふれる場に飾られるのだけはおやめ下され。我は、公方様の御為を思い、あえて、苦言を呈しておるのでござる」

  定信は、引き下がるどころか強気な態度で迫った。

 

「そちが、掛け軸を燃やそうとした過ちは水に流す。故に、この絵を所有することを認めろ」

  家斉は交換条件を出した。

 

「これ以上、議論する余地はござらぬ。我は、これにて御免仕る」

  定信は、疲れた顔で御座之間を出て行こうとした。

 

「あと、もう1つ条件がある。蝦夷地の開発を再開させよ」

  家斉は、定信の背中に向かってさけんだ。松平定信は、ふり返ることなく、歩いて行った。

 

 

 


 家治は、西洋の天文学に造詣が深かったため、オランダ通詞の志筑忠雄や本木良永と交流した。本木良衛は、「和蘭地球図説」と「天地二球用法」を刊行して、日本初、コペルニクスの地動説を紹介した。

 志筑忠雄は、「暦象新書」を刊行しケプラーの法則やニュートン力学を紹介した。また、画家の司馬江漢が、「和蘭天説」を刊行し地動説等の西洋天文学を紹介し「和蘭天球図」という星図を作り、宝暦13年に、世界初のケプラーの楕円軌道の地動説を用いての日食の日時の予測をした医者の麻田剛立の功績を高く評価した幕府は、麻田の弟子の高橋至時や間重富たちに西洋天文学に基づいた暦法に改暦するように命じた。

 しかし、老中首座の定信は、天文学の進歩には一切目をくれることなく、享保の改革を手本とする幕府の財政立て直しや農村の再建に重点を置く改革に着手した。幕府は、助郷役軽減や治水植林工事を約束し資金を与えて江戸に出稼ぎに来たまま居着いてしまった百姓たちを故郷へ帰した。

 天明の大飢饉を教訓に、諸藩の大名に対して各地に社倉や義倉を築き穀物を備蓄することを通達した。それと同時に、町奉行所に江戸に町会所を設置し七分積金の制を実施するよう命じた。七分積金とは、各町内が積み立てた救荒基金で町入用の経費を節約した4万両の7割に幕府の献金1万両を加えた基金のことで、町入用の経費は、地主が負担し木戸番銭や修繕等に使用され、復興支援の一環でもあった。さらに、旗本や御家人の救済を図るため、札差しに対して、6年以上前の債権破棄並びに5年以内になされた借金の利子の引き下げを命じた。

 江戸の人口が旧里帰農令により減少したが、天明の大飢饉により、江戸へ流れ出た無宿人や軽罪人たちは牢に収容しきれず溜に集められていた。通常は病にかかった囚人を収容する溜に、無宿人や軽罪人達が溢れ返り市中の治安は悪化していた。定信は、町奉行所や牢屋敷などの報告書を読む内、天明の大飢饉により、住む家や職を失い生活するためにやむを得ず窃盗やスリを犯し罪を償い釈放されても、社会復帰の目途がつかず再び罪を犯してしまい牢逆戻りする者が多くいることに気づいた。

 そこで、過去の政策や文献を見直して参考となるものを模索した。過去には、無宿人を一か所に集めて隔離し、佐渡金山への 水替人足に就かせて更生する制度があった。しかし、水替人足は、非常に厳しい労役を強いられるものであって、更生とは程遠いものだった。また、安永9年に深川茂森町に生活に困窮や逼迫した無宿人たちを収容し、更生や職の斡旋の手助けをする救民施設儲けたが、運営に支障をきたして僅か6年程で閉鎖となっていた。

 犯罪人を更生させるためには、犯罪人の心理を理解し親身になって手助けすることができる人間に任せた方が良いとして、定信は、天明7年に火附盗賊改頭となって以来、数々の難事件を解決させている長谷川平蔵に意見を求めた。長谷川の提案により「人足寄場」が設けられた。軽罪人を収容し職業訓練や職の斡旋を行い更生させることは安永九年と同じだったが、新たに収容期間満了後、江戸での商売を希望する者には土地や店舗を農民には田畑、大工になる者にはその道具を支給する案が採用された。

 

 天明8年に、定信が、御所再建のために上洛した際、安永3年に始まった江戸幕府の公称「一向宗」を「浄土宗」に変更する是非をめぐる浄土宗と浄土真宗の宗名論争に関与する騒動が起きていた。定信が、帰路の途中、箱根峠に差し掛かった際、浅草本願寺の僧3名が待ち伏せしており直訴に踏み切った。

 対処に悩んだ定信は天台宗の輪王寺に相談した。寛政元年の3月。寺社奉行の牧野(備前守)惟成は、公務繁忙を理由に東本願寺に対し「追面御沙汰有之迄、先御願中御心得たるべく候」を申し渡し、増上寺に対し請願の可否を棚上げした。天台宗の輪王寺が仲裁に入り、「1万日のお預かり」をすることになったことで論争の終結に目途がついた。

 

 日本は、長きにわたり鎖国政策を行い、他国の船舶の来航を拒んで来たが、近年、赤蝦夷船が蝦夷地に来航し対応に出た松前藩に対し通商を求める事件や赤蝦夷人が、千島に来日する事件が起きたこともあり、幕府は改めて、異国船渡来の際の処置を令した。

 定信が主導する商業政策は、株仲間や専売制の廃止、特権商人の抑制という風に重商主義政策に対し、真っ向から対立する内容であったが、米価の高騰を防ぐ策として米を大量に使う造酒業に制約を加え生産量の3分の1に削減する酒株統制は引き継がれた。失政により幕府の指導力は低下の意図を辿った。

 幕府では、定信が中心となり古学派や折衷派の勢力に推されて不振気味だった朱子学を幕府公認の学問と定めて再興させるべく学制改革を行うことにした。そこで、半官半民の性格を持っていた聖堂学問所を官立の昌平坂学問所と改めた。

 寛政2年、5月24日には、大学頭の林信敬に対して、林家の門人が古文辞学や古学を学ぶことを禁じる旨を通達し、幕府の儒官の柴野栗山や岡田寒泉にも同様の通達が成された。それだけでは終わらず、湯島聖堂の学問所で行われる講義や役人登用試験の課題も朱子学に限られた。

 また、林信敬の補佐役に、柴野、岡田に加えて、新たに尾藤二洲と古賀精里を招聘して、幕府儒官に任じ湯島聖堂の改築を実施した。寛政4年、9月13日には旗本や御家人の子弟を対象として、朱子学を中心とした「学問吟味」を実施するなど文武を推奨した。あくまでも、朱子学以外の学問の禁止は、江戸の昌平坂学問所にのみにおいてのことだったが、各地の藩校もそれに倣い、朱子学を正学とし他の学問は異学という思想が広まった。

 

 幕閣人事については、定信主導の幕府を支える新たな人材が登用された。天明8年2月に、松平伊豆守系大河内松平家7代の松平信明と若年寄の本多忠籌がそれぞれ側用人に任じられた。

 本多は、定信や信明と異なり蝦夷地の開発に関心を持っていた。一方、田沼派の老中の阿部正倫は在任わずか、11か月にして病を理由に老中を辞職し、老中首座を務めた田沼派の重鎮の松平康福は阿部と共に、天明8年まで持ち堪えるも結局免職となり家督を譲ると間もなく死亡した。また、老中の牧野貞長も寛政2年に辞職し、老中の鳥居忠意もまた、その翌年の寛政3年に眼病を患い辞職した。

 

 蝦夷地で、酒造や廻船業を営む商家の島谷屋の婿となった最上徳内は、江戸にいる青島俊蔵に、時をみて蝦夷地の様子を報せる文を送っていた。寛政元年、国後場所請負人の商人「飛騨屋」との商取引や労働環境に不満を持った国後場所(国後郡)在住のアイヌが、首長のツキノエの留守中に蜂起し、商人や商船を襲い和人を殺害するという事件が起きた直後、国後場所在住のアイヌの蜂起の呼びかけに応じた根室場所ナメシのアイヌが、和人商人を襲う第2の事件が起きた。

 松前藩から派遣された新井田正寿や松井広次たちとツキノエが、アイヌの説得に当たった結果、蜂起したアイヌたちは投降した。その後、蜂起の中心となったアイヌは処刑された。一部の和人は、蜂起に消極的なアイヌにかくまわれて助かったが、この騒動で、和人71人が犠牲となった。

 松前藩は、「飛騨屋」の責任を問い、場所請負人の権利を剥奪し、後の交易を新たな場所請負人の「阿部屋」主人、村山伝兵衛に請け負わせた。

 

 家斉は、騒動の報告を受けた時、田沼が蝦夷地開発を再開して欲しいと願い出たことを思い出した。意次が、この事態を予測していたとしたら、蝦夷地の開発を中止した定信は、判断を見誤ったことになる。

 幕府は、元蝦夷地探検隊員の青島俊蔵を蝦夷地へ赴かせた。青島は最上を伴い蝦夷地へ赴いたが、2人が蝦夷地に着いたころには騒動は収まっていた。青島から騒動についての報告を受け取った家斉は考え込んだ。

 

「公方様。帰国を延ばし、東西蝦夷の調査を2人にご命じ下され」

  定之助が家斉に進言した。

 

「何故じゃ? 」

  家斉は驚いた表情で訊ねた。まるで自分の心を見透かされたようで気味が悪かった。

 定之助は真摯に訴えた。これを機に、蝦夷地の開発を再開させるべきだ。蝦夷地の開発に着手するきっかけは、もとより北方から赤蝦夷が北千島まで南下してきたからだ。主殿頭主導の幕府は、天明4年から蝦夷地の調査を行い天明6年に得撫島までの千島列島を最上徳内に探検させた。赤蝦夷人は、北千島において抵抗するアイヌを武力制圧して、毛皮税などの重税を課したため、アイヌは、経済的に苦しめられたとの報告があり、一部のアイヌは、赤蝦夷から逃れるために南下したと聞いている。

 

「青島には、江戸には戻らず蝦夷地に留まり、最上と共に東西蝦夷地を調査するように伝えよ」

  家斉は、幕府を通している余裕はないと考え独断で調査を命じた。しかし、幕府を通さなかったことで、青島俊蔵と最上徳内は、幕府から事実無根の疑いをかけられる。

 青島俊蔵の帰国がおくれていることに気づいた定信は、松前藩へ青島の消息を訊ねる書状を送った。その後、松前藩から青島が最上と共に調査を装い東西蝦夷地を廻り、アイヌと交流しているとの報告が届いた。

 

 定信は、以前、家斉が蝦夷地の開発を再開させたがっていたことを思い出し、家斉が、独断で調査を行わせているに違いないと考えたが、他の者たちは、御上意だったとは夢にも思わず、青島たちは騒動の真相調査を終えたにもかかわらず、幕府の帰国命令を無視して独断で東西蝦夷地の調査を行いアイヌとの交流をはかったと疑った。青木と最上は、弁解も許されず捕えられた後入牢した。家斉は、青島と最上が入牢した報告を受けるとすぐ、定信を呼んだ。

 

「何故、青島と最上を捕えたのじゃ? 」

  家斉は、定信を見るなり烈火のごとく怒鳴りつけた。

 

「背任の疑いがあり捕えました」

  定信は平然と答えた。

 

「何をもって背任を疑う? 」

  家斉が鼻息荒くして訊ねた。

 

「帰国命令に従わず、独断で蝦夷地に留まり西蝦夷地の調査やアイヌとの交流をはかった。これはまぎれもない背任行為ではござらんか? 」

  定信が神妙な面持ちで答えた。

 

「余が、蝦夷地に留まり、東西蝦夷地を調査するよう命じた。何も問題なかろう。早く釈放せぃ」

  家斉は定信の耳元で怒鳴った。

 

「その話は初耳でござる。何故、ご下命を出す前に相談してくださらなかったのですか? 」

  定信が、耳をさすりながら言った。

 

「蝦夷地開発は、交易のためだけに計画されたのではない。赤蝦夷の南下に備えるために蝦夷地を天領とし、海防を強化するための調査を行う目的もあったのじゃ。そちは、アイヌが、蜂起した理由を考えたことがあるか? 青島が送って来た調査書を読んだが、アイヌがいかに不当な扱いを受けていたのかよくわかった。そちも読んでみるが良い」

  家斉は、調査書を定信に向かって投げつけると言った。定信は、調査書を拾うと読みはじめた。

 

「たしかに、青島の調査書には、松前藩から届いた報告書とは異なる箇所が幾つかござる」 

  定信は目を見開いた。

 

「これでわかったか? ただちに、2人を釈放し調査を続けさせよ」

  家斉が言った。

 

「おそれながら、すでに、手おくれかと存じます」

  定信が神妙な面持ちで言った。

 

「手おくれとな? 何をもって斯様なことを申す? 」

  家斉は定信につかみかかった。

 

「公方様。落ち着いてくだされ」

  2人の様子を見守っていた定之助があわてて、家斉のふり上げた腕を寸前で押さえた。

 

「もう、堪忍袋の緒が切れた。こやつは、一度、痛い目に遭わせないとわからぬのじゃ」

  家斉がわめいた。

 

「おそれながら、老中首座として、2人を釈放し調査を続けさせることは致しかねます。なれど、公方様が、恩赦を与えたことにして無罪放免とするのであれば問題はないかと存じます」

  定信が提案した。

 

「あくまでも、己の意志を曲げないつもりじゃな? 余が恩赦を与えずとも、そちが、余の命に黙って従えば済む話ではないのか? 」

  家斉は、鬼の形相で定信をにらみつけると足早に御座之間を後にした。

 


 それから数日後。家斉が、日課の行水を終えて御休息之間の中に入ろうとした時、定之助があわてた様子で駆け寄って来た。

 

「公方様。一大事でござる」

 

「何事じゃ。騒々しい」

  家斉は着座すると、手ぬぐいで顔や手をふいた。

 

「本多利明が、青島俊蔵と最上徳内の釈放を求める書状を幕閣に提出しました」

  定之助が神妙な面持ちで告げた。

 

「弟子の窮地を見過ごすわけはないとは思っていたが、ついに、動いたか」

  家斉が言った。

 

「なれど、時すでにおそしです。今朝早く、青島俊蔵が牢死したとの報告がござった」

  定之助が浮かない表情で告げた。

 

「牢死とな? 越中の奴め。青島を牢死させるとはまかりならぬ」

  家斉は、拳で畳を数回たたくと言った。

 

「側用人の本多忠籌を横目として越中殿につけては? 本多殿は早くから海防積極論を説き、蝦夷地を天領として開拓を進め赤蝦夷の南下に対抗するべきだと主張しています。もはや、越中殿に太刀打ちできるのはあの者しかおりませぬ」

  定之助が思わぬ提案をした。

 

「越中は、今まで通り蝦夷地は松前藩が統治するべきだと押し切っておる。幕閣の中に、本多以外、蝦夷地開発の再開に賛同する者がおれば話は別だが、あの石頭に1人で立ち向かうのは無理じゃ」

  家斉がアゴをさすりながら言った。

 

「美濃国大垣藩主の戸田氏教を覚えていますか? あの者を老中に登用してはいかがでござるか? 父の松平武元殿に似て聡明で実直な男だと聞いております」

  定之助は、対抗馬として新たな人材の登用を進言した。

 

「本多に戸田か。あの2人ならば申し分ないが、越中と互角に意見を交わせる立場にならねば太刀打ちできぬ」

  家斉が、まんざらでもない風に言った。

 かつて、田沼意次が権勢を誇ったのも、意次を支持する派閥があったからこそだ。今の家斉には、老中首座として活躍する定信に太刀打ちできるような味方が幕閣にはいない。定信が老中首座でいる限り、どんなに正論を説いたところで、家斉の意見はまず通らないだろう。戸田氏教は、治済が御三家に老中首座の適任者として挙げた定信以外の3名の内の1人だ。

 

「聞くに、越中殿は、石門心学を学ばれたとか。わしが、本多殿に、石門心学を通じて、越中殿と近しくなるよう進言致しましょう」

  定之助が言った。

 

「石門心学とは、いかなる学問なのじゃ? 」

 

 家斉は、初めて聞く学問に関心を示した。

 

「石門心学とは、中期の思想家、石田梅岩を開祖とする倫理学の一派で、平民の為の平易で実践的な道徳教でござる」

  定之助がえへん面で答えた。

 

「幕閣には、越中の右腕と言われている老中の松平信明や側衆の加納久周がおる。何といっても強敵はあやつじゃの」

  家斉はそう言い終えるなり、せんべいを思い切り音を立ててかじった。

 

「あやつとは、いったい、どなたのことでござるか? 」

  定之助は、家斉に顔を近づけると小声で訊ねた。

 

「水野為長じゃよ。田安家から近習として白河藩に入り越中が、老中首座に就いた後も、側近として仕えておるようじゃが、世情に精通しておって話が面白い。越中に仕えておらねば、余が召し抱えておったわぃ」

  家斉が、近くに会った黄表紙の山を手元に引き寄せると答えた。

 

「公方様。それは、もしや、鸚鵡返文武二道ではござらんか? 」

  定之助は、黄表紙の山のてっぺんを食い入るように見つめると訊ねた。

 

「先だって、御忍で祥雲寺へ行った折、謁見した蔦屋が参考になればと何冊か献じたのじゃ。斯様に面白き書物の出版を禁じるなど勿体ない」

  家斉が言った。家斉は、最近は暇さえあれば黄表紙を読みふけっている。

 

「公方様。これだけはお読みくださいますな」

  定之助は、恋川春町の著書「鸚鵡返文武二道」を素早く手に取ると後ろ手に隠した。

 

「これ。何を隠した? そちも読みたければいくらでも貸してやる。ただし、余が読み終わった後じゃぞ」

  家斉は、定之助の後ろに廻ると、「鸚鵡返文武二道」を奪い返した。

 

「公方様がこれを読んでおられることが越中殿の耳に入ったら、大騒ぎになりますぞ」

  定之助が神妙な面持ちで告げた。

 

「何故、読んではならぬ? 理由を申せ」

  家斉は、「鸚鵡返文武二道」を定之助の鼻先につきつけると問い詰めた。

 

 定之助が淡々と語り始めた。「鸚鵡返文武二道」は、恋川春町が、朋誠堂喜三二が著した「文部二道万石通」の続編を意図して書いたものと知り、定信は密かに、水野を市中へ買いに走らせ手に入れたようだが、「文部二道万石通」と同じく、幕政を批判する内容が書かれていた上、題名や表現が定信が著した「鸚鵡言」を風刺していたため、定信は事情を聞こうと恋川を呼んだ。しかし、恋川はいっこうに登城しないどころか、奉行所の役人が恋川の自宅を訪ねたところ、屋敷はもぬけの殻だったことから、長谷川平蔵をはじめとする先手組が、恋川の行方捜しに駆り出されという。

 

「何とかならぬのか? 恋川春町までもが、青島の二の舞になってはいたたまれぬ」

  家斉は、たかが、書物に目くじらを立てる定信を理解できなかった。

 

「もう、江戸の外へ逃げたのではござらんか? 」

  定之助が他人事のように言った。

 

「長谷川が、江戸の外へ取り逃がすはずがない。まだ、江戸の何処かに隠れているに違いない。あやつらより先に見つけ出してかくまうのじゃ。これ以上、犠牲者を出したくない」

  家斉が定之助に耳打ちした。

 

「越中殿にかくまったことを知れたら処罰されます故、それだけはできかねます」

  定之助は命令を拒んだ。

 

「恋川春町は自害したと市中に広めれば良かろう」

  家斉は密かに、御庭番に恋川春町の探索を命じて捜し出させると、とある場所にかくまった。それから、恋川春町自害の噂を市中に流して、恋川春町は死んだと世間を欺き江戸の外へ逃がしたのだった。定信が中心となって進めている政策のひとつとされる処士横断の禁は、洒落本、狂歌本、黄表紙、浮世絵の刊行や販売等の出版統制に留まらず、洒落本作者の山東京伝や版元の主人、蔦屋重三郎の処罰まで及んだ。蔦屋は、朋誠堂喜三二の黄表紙を出版し、ヒットさせたのを境に日本橋へ進出を決め、今では、狂歌師や絵師たちの人気作家を数多く抱える版元に成長した。

 娯楽を含む風紀取り締まりが厳しくなる中、蔦屋が刊行した山東京伝の作品が摘発されたのだった。その一方で、定信と対談したことが話題を呼び、その名声が全国に広まったことにより、来阪する諸大名や旗本たちの招きや、学主を務める学問所に訪問する諸藩士や学者の数が増えたという儒学者もいた。その名を中井竹山と言い、大阪の学問所「懐徳堂」の4代目学主を務める他、海防の消極論者として、蝦夷地は国境外の僻地であり、そのような未開地を開発経営することは、いたずらに国力を消耗するだけであると説き、定信の信頼を勝ち取っていた。定信が来阪したのは、老中になって間もなくのことで、定信は、3日という短い滞在期間に、中井を引見し、政治から、経済、学問に至るまで中井竹山に諮問した。会見は4時間にも及んだという。この会見に刺激を受けた中井は、後日、「草茅危言」を書き、定信に献上した。

 定信は、元々、隠密の下にまた隠密をつけるなど神経質で疑り深い性格だったが、幕政に対する政治批判を禁じ、蘭学を公の機関から徹底的に廃止し蘭学者を公職から追放しても尚、不安が消える事はなかった。林子平が著した「海国兵談」を読んだ時、ついに、抑えていた感情が爆発したらしい。定信は、幕閣以外の者が幕政に容喙することは御法度であるとの大義名分により、林が、「須佐屋」から自主出版した海防の必要性を説いた「海国兵談」と藩政について説いた「富国策」の2作品の発禁処分と版木没収の処分を下した。

 この処分について、異議を唱える者もいた。中でも、「海国兵談」の序を書いた工藤は不満を募らせていた。その点に関して、蝦夷地開発の再開を拒む定信に対して不満を募らせていた家斉と利害が一致した。意次が死去した後も、田沼家に仕えていた田沼家用人の井上伊織を通じて、工藤は家斉と謁見することとなった。謁見の場となった祥雲寺に何故か治済の姿もあった。祥雲寺は、歴代徳川将軍に単独で謁見することができる独礼の格式があり鷹狩の休養地にもなっていた。また、御三卿の一橋歴代当主が度々、来訪する寺でもあった。

 

「何故、父上がこの場におられるのですか? 」

  家斉は、治済が同席すると聞いていなかったので警戒した。

 

「円成坊から、公方様が謁見をお許しになったと聞き同席させて頂くことに致しました」

  治済が、円成坊が淹れた茶を味わいながら答えた。

 

「円成坊。父上が申されたことはまことの話でござるか? 」

  家斉は、極秘の内に謁見を進めたいと考えていただけに治済の登場に戸惑いを隠せなかった。

 

「はい。民部卿には並々ならぬ恩がござります故、公方様が当寺に来訪なさることを隠すことはできませんでした。なれど、私は、どなたと会われるかまでは申しておりません」

  円成坊が決り悪そうに答えた。

 

「左様か。こたびは父上に免じて許すが、2度目はないと心しておくのじゃ」

  家斉は、円成坊を横目でにらんだ。

 

「ははあ」

  円成坊はその場に平伏した。

 

「して、父上に並々ならぬ恩があると言うのはどういうわけか聞かせてもらおうか」

  家斉が腕を組むと言った。

 

「当寺が金森家の菩提寺だった御縁で、私は江戸に下って間もないころ、当寺でしばらく厄介になっておりました。そのころ、来訪なされた民部卿と近しくなり、身の上話を致しましたところ、水戸様のお屋敷で私が捜している絵と同じ絵をご覧になったと申された故、何とか、水戸様にお仕えすることはできないかと頼んだ次第」

  円成坊が、神妙な面持ちで事情を話した。

 

「わしは、こやつを不憫に思い鶴千代君の近習が急死したことを思い出して、一橋家の遠縁だとしてこやつを近習に推挙してやりました。てっきり、水戸家にあるものと思っていましたが、公方様の元に渡っていたとは縁があったのですな」

  治済が咳払いして言った。

 

「父上が、こたびの謁見についてお知りになった経緯はわかりましたが、円成坊は、余が誰と対面するのか話さなかったはずじゃ。何故、父上は、謁見のことをお知りに? 」

  家斉が、治済に慎重に訊ねた。

 

「工藤本人から聞き知りました」

  治済が答えた。

 

「こうなったら、同席を許す他ありませんな」

  家斉は、治済もまた同じ意見を持っていると確信した。工藤は、2人の会話が終わると同時に姿を現した。

 

「こたびは、公方様より謁見賜りまして恐悦至極にございます。御目通りを願いましたのは、林子平の処罰の件で、ぜひとも公方様にお伝えしたき儀があった故のことにございます」

  工藤が神妙な面持ちで話を切り出した。

 

「余もそちと同意見じゃ。林が説いた海防論は理に適っておる。まさしく、余が考えていた通りのことが書かれてあった。聞くに、そちには多くの支援者がいるそうではないか? 林が処罰を受けたことによりそちも連座するのではないかと案じている者もおるようじゃ。幕閣に、そちを擁護する上奏が届いておる故、連座することはまずない。それが聞きたくて、謁見を願ったのでござろう? 」

  家斉が穏やかに告げた。

 

「私が拝謁を願い出たは保身ではなく、公方様が下々の意見に耳をお貸しくださると聞いたからでございます。おそれながら、海防を強化すべき時に鎖国を理由に何もしないというのはいかがなものかと存じます」

  工藤が真摯に訴えた。

 

「敵に攻められてから、何とかしようとしてもおそい。どうも、越中は、国や民のためというよりも、己の信念を曲げたくないだけに思えてならぬ」

  家斉が言った。

 

「幕臣の間でも海防の強化を主張する者もいる。本多忠籌は、赤蝦夷の南下に備えて、海防を強化するためには、松前藩領となっている蝦夷地を天領とし開拓を進めるべきだと申していました。なれど、越中殿は、旧来通り松前藩が統治するべきとの考えを譲るつもりはないようじゃ」

  治済が、わざと大きなため息をこぼした。

 

「余は、幕閣に、海防積極論者を据えるよう働きかけるつもりじゃ」

  家斉が言った。

 

「そうして頂けると、海防積極論がより通りやすくなります。海防の重要性を説いた書物が幕臣の間にも出回り、密かに廻し読みされているようです。世論が味方につくのは必至と存じます」

  工藤が確信を込めて告げた。

 

寛政2年、4月16日。本多忠籌は、老中格となり侍従に任官した。入牢していた最上徳内は一時、病にかかるものの、本多利明たちによる釈放運動もあったが、何よりも、将軍の恩赦は効果てきめんで、最上徳内は即座に放免となった。家斉は、最上徳内を普請役に命じると共に、蝦夷地の開発再開の重要性を幕閣に説いた。釈放後、最上は、幕府が、松前藩に命じていたアイヌの待遇改善が行われているか実情を探るため蝦夷地へ赴くこととなった。最上は蝦夷地上陸後、精力的に国後や択捉からウルップ北端まで、各地を巡り調査を行った。最上は、蝦夷地に滞在した経験を活かし交易状況を視察しつつ、藩士に量秤の統一等を指示。アイヌには作物の栽培法等を伝授し、厚岸に神明社を奉納して教化も試みた。更に、赤蝦夷南下に伴い漂流民への対応問題が浮上した。日本と国交を結んでいない赤蝦夷やアメリカ等の諸国に漂流後、現地人に救助された日本人は、帰国の術はない為、長期滞在はやむを得なかった。その一方、正式に日本と国交を結んでいる朝鮮に漂着した日本人は、保護下に置かれ帰国の目途もついた。たとえ、帰国出来たとしても、帰国後は、他国への渡航を禁じられた上、死亡時は、幕府に届け出なければならない。

 

 天明2年の12月。駿河沖で遭難した大黒屋光太夫をはじめとする伊勢国の船「神昌丸」の乗組員17名が、約8ヶ月の漂流の末船内で死亡した1名を除く16名が、赤蝦夷帝国の属領となっているアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。極寒の地で仲間を次々と失いながらも、四年後。現地の赤蝦夷人たちの協力を得て作った船でカムチャツカ(カムシヤツカ)に渡った。翌年に、カムチャツカを出発し、オホーツク(ヲホツカ)、ヤクーツク(ヤコツカ)を経由。寛政元年。イルクーツク(イルコツカ)に到着した。

 大黒屋光太夫たちには、日本へ帰国する術がなく赤蝦夷に永住する覚悟でいたが、望郷の思いを捨て切ることができなかった。光太夫は、日本へ帰国する手段を模索していた時、スゥエーデン系のフィンランド出身の博物学者のキリル・ラスクマンと出会った。キリルは、自然研究の傍ら、イルクーツク郊外のガラス工場設立計画に携わっていた。キリルは、師と仰ぐカール・ツンベルクがかつて、出島(現長崎市)に留学した際に著した「日本植物誌」を読んで以来、日本に興味を抱くようになったという。

 親日家のキリルは最初、光太夫たちから日本の情報が聞きたくて対面したが、光太夫たちが帰国を切望していることを知ると、全面的に協力すると申し出た。それ以来、光太夫たちは、ラクスマン一家と家族のように親しくなった。キリル・ラスクマンの協力により、帰国を願う嘆願書を女帝エカチェリーナ2世へ送るが、光太夫たちを赤蝦夷に帰化させる方針でいたイルクーツク総督府によって破棄された。

 寛政3年、キリルは、光太夫を伴い、直接、女帝エカチェリーナ2世に、大国屋光太夫たちの帰国を直訴しようと、同年、1月15日。帝都サンクトペテルブルクに向け出発した。キリルと光太夫は 2月19日にペテルブルクに到着した。しかし、着くまでの間、キリルは、腸チフスにかかり病に倒れた。光太夫は、キリルの回復を祈りながら必死に介護した。大国屋光太夫の願いが天に届いたのか、それから3ヶ月後、キリル・ラクスマンは回復した。2人は、ツァールスコエ・セローに行幸していたエカチェリーナ2世を追って、同年、5月8日、ツァールスコエ・セローに赴いた。

 5月28日。光太夫はついに、エカチェリーナ2世の謁見を賜り、帰国の許可を嘆願した。エカチェリーナ2世は、積極的対外政策を行っていたため、日本人漂流者を帰国させれば、鎖国の日本も通商に応じるかも知れないと期待して帰国を許可した。エカチェリーナ2世は、外務参事院議長(外務大臣)アレクサンドル・ベズボロドコ公爵に、漂流民送還の命を下し、9月29日。光太夫たちの漂流民送還の勅令が出された。

 光太夫は、エカチェリーナ2世が進める文化事業に参加して世界言語の比較辞典の改定に携わった。光太夫と共に生き残った漂流民の中には、キリスト教徒になる者もいて、庄蔵と新蔵は、日本語教師として赤蝦夷に残ることを望んだ。

 

 寛政4年、9月3日、光太夫をはじめとする日本人漂流者3名は、赤蝦夷帝国使節のアダム・ラスクマンに伴い、根室に来航し念願の帰国を果たした。それから間もなくして、松前藩から、日本人漂流民が、根室に来航した赤蝦夷船に乗っているとの報告が幕府に届いた。

 同じころ、家斉は、江戸幕府第11代将軍就任を祝う慶賀使節の正使として江戸を上がった宜野湾朝祥から、松前藩が赤蝦夷や満州と密交易を行っているとの情報を得ていた。家斉の話を聞いて、定信も思うところがあったらしく、家斉の命令に素直に従い、最上徳内に樺太調査を命じて蝦夷地へ赴かせた。

 最上徳内は、宜野湾朝祥の情報を裏づける確かな手がかりを持ち帰った。松前藩から、赤蝦夷のラスクマンが通商を求めて根室に来航したとの報告が幕府に届いたのは、最上徳内が、松前藩の赤蝦夷や満州との密貿易や、アイヌへの弾圧を調査する密命を受けて、松前に戻った直後のことだった。今回は、通商を求めるだけでなく伊勢の船頭の大黒屋光太夫をはじめとする日本人漂流民一行の返還のためだという。

 寛政4年、4月20日に起きたフランス革命戦争により、仏蘭西の隣に位置するオーストラリア領ネーデルランドも戦場と化した。赤蝦夷側は、極東の千島を領土宣言したオランダの海軍力が手薄になったのを見計らい、日本に来航したのであった。

 今まで、頑なに蝦夷地の開発や赤蝦夷などの外交を拒んで来た定信が急に方針を変えた裏に、水戸藩士の警告があったことに誰も気づく様子はなかった。しかし、家斉だけは、水戸藩の鶴千代君から一連のやり取りを聞いて知っていた。かねてから、水戸藩の藩政に参与していた水戸藩士の立花翠軒が、天下の三大患について定信に上書して蝦夷地侵略などを警告したという。勤王家で知られる水戸藩の藩士の警告に耳を貸すとは信じがたかったが、家斉が、最上徳内に松前藩の赤蝦夷や満州との密貿易やアイヌへの弾圧を調査する密命を下したことを黙認しただけでなく、赤蝦夷との外交問題を評議の場で口にしたという。

 水戸徳川藩主の徳川光圀がはじめた「大日本史」は、もとより、幕府のために、朱子学の思想に基づいて日本のこれまでの歴史を見直す目的があったと言われていたため、定信は、「大日本史」の編纂には反対しなかった。朱子学を突き詰めていくと、尊王攘夷の思想に傾くとは考えなかったらしい。長い間、鎖国を行って来た日本では、幕府がオランダ商館との窓口となり世界情勢の収拾を行っていたが、幕閣の中でも、欧州で起きた産業革命により、英国やフランスなどが近代社会に転換し、やがて、南下政策をはじめて、強大化する脅威を感じる者はほとんどいなかった。

 

 島津重豪は、若いころから蘭学を学びヨーロッパ文明に興味を持ち、時々洋学者を招いては、西洋科学技術の習得に励んでいた。西洋文化の研究に公金を費やし、5百万石の負債を抱えることになった。

 このころ、幕府だけでなく、諸藩も、財政難に苦しみ巨額の借金を抱えている藩も少なくなかった。厳しい規制や効率の悪い藩制度の下では、画期的な改革は難しく、家来の家禄の減額あるいは借り上げを行うしかなかった。そんな状況の中で、重豪に抜擢された調所広郷は、借金を無利子で250年の分割払いといった強硬手段に出た。

 幕府は、アダム・ラクスマンが、江戸に出向き漂流民の引き渡しなど通商交渉を進める意思が強いことを思い知らされたが、定信は、宣諭使として目付の石川忠房や村上大学を派遣し漂流民を受け入れるが、総督ピールの信書の受理は受け入れない姿勢を見せ、それでもなお、通商を要求して来た場合、長崎に廻航させる指示と使節を丁寧に処遇するよう命令を2人に出した。

 

 翌、寛政5年の3月。2人は松前に到着した。幕府側としては、ラクスマン一行を陸路により松前に赴かせ、そこで交渉する方針を示したが、陸路により松前へ向かうことを赤蝦夷側が拒否したため、日本側の船が同行して 砂原まで船で行くこととなった。

 しかし、ラスクマン一行が乗っていた「エカテリーナ」号は、濃霧に遭い、同行した「貞祥丸」とはぐれて単独で6月8日。箱館(現函館)に入港した。ラクスマン一行は、箱館から陸路により松前へ向かい、6月20日。松前に到着し、翌日。松前藩浜屋敷において、石川をはじめとする幕府の役人との交渉に臨んだ。交渉は2度に渡ったが、石川は、定信から命令された通り長崎以外で国書を受理する出来ないため、退去するよう伝えると共に、ラスクマンを通じ、「請取証」を赤蝦夷側に届け、日本人の漂流民の大黒屋光太夫と磯吉を引き取った。

 また、石川は、帰国のあいさつに訪れたアダム・ラスクマンに宣諭使両名の署名入りの「お赤蝦夷国の船壱艘長崎に至るためのしるしのこと」と書かれた長崎への入港許可証を交付した。ラクスマンと決別する時、光太夫は、ラクスマンの足下にひざまずくと、これまでの恩義に深い謝意を示した。ラスクマン一行は、6月30日に松前を発ち、7月16日に箱館を出港した。その後、長崎へは向かわずオホーツクに帰港した。

 

 家斉は、光太夫と磯吉が、家斉と謁見するため登城する話をまとめようとした。しかし、世界情勢は緊迫した状況にあり、もし、オランダがフランスに占領された場合、赤蝦夷が、江戸に乗り込んで来る可能性があり、もしくは、千島領やオランダ商館の権利がフランスに移る可能性や英国が乗り込んで来て、三つ巴の戦場となる可能性があると海防消極論者たちが主張してきた。

 これより前、定信は、江戸湾などの海防強化と共に朝鮮通信使の接待の縮小を主張していた。本来ならば、将軍が就任した時期に朝鮮通信使来日となるが、定信は一旦は、いつも通りの要請を行いながらも、後になって3ヶ月後の6月に、派遣延期要請するため使者を朝鮮へ使者を遣わせた。しかし、朝鮮側は、派遣延期は前例がない上、理由も納得が行かないとして、一時、使者が偽使扱いされる騒ぎとなった。朝鮮側は、日本側に質問状を送るが幕府は返答しなかったため、交渉は一旦、お流れとなった。その事実を知った家斉は、派遣延期の理由を定信たちに問いただした。さすがに、定信もこれではいけないと考えたらしく、寛政3年。幕府は、江戸ではなく対馬での易地聘礼を打診した。

 

「年来の凶作により通信使を迎えるのは負担となるのはわかるが、交渉を止めた手前、江戸ではなく対馬でというのは誠意が伝わらぬ」

  家斉は、定信を御座之間に呼びつけると不満を訴えた。

 

「中止ではなく延期でござる。朝鮮は、何かにかっこつけて幕府を批判したがっているだけに過ぎませぬ。放っておけば、じきに大人しくなります」

  定信は、朝鮮側の苦情など、どこ吹く風の様子だった。家斉は、定信が朝鮮通信使を冷遇するのは、負担になるからだけではないのではと勘ぐった。朝鮮側が対馬における聘礼には従えないが、一旦、通信使派遣を延期するという回答をしたため、ひとまず問題は解決をみた。朝鮮通信使派遣の件は、定信の意見を通したが、今回ばかりは、何としても実現させたいと家斉は考えた。

 

「越中殿に伝えずとも、まことに、よろしいのでござるか? 」

  定之助は、定信が、伊豆や相模の海岸を巡視するため江戸を発つときをめがけて、光太夫と磯吉を江戸城に招くという家斉の計画を不安に感じた。

 

「越中に話せば、真っ向から反対するに決まっとる」

  家斉が言った。

 

「越中殿は、赤蝦夷使節を幕府が受け入れたことが他国に知れれば、向後、日本近海を脅かす異国の船が増えるとお考えになり、海防を強化するため、自ら巡視に赴かれると申された。ご立派ではござらんか」

  定之助が言った。

 

「そちは、いつから越中の味方についた? 裏切ることはまかりならぬぞ」

  家斉が定之助をギロリとにらんだ。

 

「公方様。誤解でござる」

  定之助があわてて言った。

 

「越中の肩を持ったではないか? それが証じゃ」

  家斉が低い声で言った。

 

「信じて下され」

  定之助が平謝りした。

 

「くれぐれも、越中には知られぬように用心して準備を進めよ」

  家斉は、本多忠籌や戸田氏教に謁見の準備を任じた。しかし、宣諭使を務めた石川忠房に光太夫と磯吉との連絡役を任じたことが思わぬ誤算を招いた。石川は、定信から保護した漂流民の護送について聞かれて、うっかり、口をすべらしてしまったのだ。定信に、計画が漏れたと知った途端、本多と戸田は急に、及び腰となり中止を願い出た。

 

「いまさら、何を申す? 御上意だと着き通せば何てことなかろう」

  家斉は、2人を説得にかかった。

 案の定、定信は、光太夫と磯吉が謁見することを反対した。定信は、光太夫と磯吉を学のない水夫と見下し、水夫の分際で将軍謁見とは、おそれ多いことだと鼻であしらった。家斉は、それを聞いた時、かつて、光格天皇が父の典仁親王に尊号を贈ろうとした時、家斉も、治済に尊号を贈ることを望んだが、定信が即刻、却下したことを思い出し、沸々と怒りが込み上げて来た。

 世間では、定信が首座となって以降の政策は、武士を主体としたもので農民をないがしろにしているとの悪評が広まりはじめていた。民心を得たいと願う家斉にとって、光太夫と磯吉を城に招き赤蝦夷について話を聞くことは、民に親しみやすい将軍と印象づける絶好の機会となる。

 

 家斉は、定信を説得するため、御座之間ではなく城の外に呼び出した。定信は、迎えに来た定之助に連れ出された先が、隅田川沿いの渡し場だったことに驚きを隠せなかった。渡し場には1艘の屋形船が停めてあった。

 

「我は、急ぎ片付けねばならぬ政務を抱えておる。悠長に、川遊びをする暇はござらん」

  定信は、その屋形船に乗ることを拒んだ。

 

「そうおっしゃらず、さぁさぁ、お乗り下され」

  定之助は、定信を強引に船上へ誘った。船内からは、楽し気な舟唄が聞こえて来た。

 

「越中。待っておったぞ」

  家斉が定信を手招きした。

 

「公方様。これはいったい? 」

  定信は、落ち着かない様子で家斉の向かい側に着座した。

 

「話は船が出てからじゃ」

  家斉の合図で、船頭が屋形船を漕ぎ出した。家斉は、御膳には一切、手をつけず、直立不動で着座する定信を見ながら御膳に箸をつけた。屋形船が、隅田川を遡り、4月には、満開を迎える隅田川沿いの桜並木が一望できる付近に差し掛かった時、家斉は、ようやく、話を切り出した。

 

「あすこを見るが良い。吉宗公が植えさせた吉野の桜が蕾をつけておるではないか」

 

 

「おそれながら、我には、花見をする余裕などありませぬ」

  定信が呆れた顔で言った。

 

「吉宗公は、庶民にも娯楽が必要だと両国の川開きと共に吉野から取り寄せた桜を江戸の各所に植えさせて、庶民に憩いの場をお与えになった。そちは、御上の財政再建のためだと、質素倹約を強いるばかりで民心を無視しておる」

  家斉は、そう言い終えるなり大きなくしゃみをした。

 

「金をかけない娯楽はいくらでもござる」

  定信は、家斉にちり紙を差し出すと言った。

 

「赤蝦夷の漂流民の件だが、密航を企てた者が、帰国を望むはずがないと思うが、そちは、何故、あやつらを罪人とみなすのじゃ? 」

  家斉は本題に入った。

 

「あの者らを帰国させることは、赤蝦夷に我国へ攻め込む機会を与えるようなもの。厳しく罰せねばならぬと存じます」

  定信がきっぱりと告げた。

 

「その石頭につける薬はなさそうじゃの」

  家斉は、わざとらしくため息をついた。

 

「我の留守中は、全ての者に登城を禁じる所存にござる」

  定信が、上目遣いで家斉を見ると告げた。

 

「何だと? 」

  家斉は思わず、カッときて定信につかみかかった。

 

「公方様。杯が空いておりますぞ」

  傍らで、2人を見守っていた定之助が2人の間に割って入ると、すかさず、家斉公が手に持っていた杯に甘酒を注いだ。

 

「この先で下船させて頂きたく存じ奉ります」

  定信が浮腰で言った。

 

「四の五の言わずお酌せぃ」

  家斉は、甘酒を一気に飲み干すと空いた杯を定信につき出した。定信は渋々、定之助から銚子を受け取ると家斉の杯に甘酒を注いだ。

 

「そちも謁見に同席致すが良い。江戸湾の巡視は延期せよ」

  家斉は、定信に杯を持たせるとその杯に酒を注いだ。

 

「公方様。海防は、一刻を争う重要事項故、延期するわけにはまいりませぬ。罪人に謁見賜るなどあってはならぬことと存じます」

  定信は心痛な面持ちで告げた。

 

「将軍補佐の役儀を見誤ってはおらぬか? 」

  家斉が定信をにらみつけた。

 

「失格だと仰せになるならば、いっそのこと罷免して下され」

  定信は、家斉が、自分を罷免することはないとわかっていて脅しをかけた。いつもなら、ここで話が終わるところだが、今回ばかりはいつもと違った。

 

「百歩譲って、その傲慢な態度は老婆心と受け取ろう。なれど、何かある度に、罷免にしろとなど脅しをかけて来るのはいかがなものかのう」

  家斉が言った。

 

「脅しではなく覚悟だと思って下され」

  定信がきっぱりと告げた。

 

「そちの覚悟、しかと受け止めた」

  家斉が、定信を見据えると告げた。

 

「公方様が、罪人の謁見をお許しになるというのならば、我は、身を退かせて頂きます」

  定信は、辞職願を家斉の御前に置いた。家斉は、定信は罷免覚悟で反対しているのだと理解した。しかし、意次の場合は失政の責任を取る意味での辞職願だったが、定信の場合は駆け引きとも取れた。家斉は辞職願を受理した。定信は、一瞬、驚いた表情で家斉を見たが、家斉は、何食わぬ顔で席を立った。

 

「まことに、越中殿を罷免なさるおつもりですか? 」

  江戸城に戻った後、定之助が訊ねた。

 

「越中は、言葉だけでなく態度で示してきた。こたびばかりは、まことに辞する覚悟なのではないかのう」

  家斉は、事ある毎に定信に妨害されるのが我慢ならなかった。定信が辞表を提出したことで、家斉も罷免する気が起こったのだ。

 

「越中殿も、早まったことをなされましたな」

  定之助が言った。

 

「越中の奴めは、余には何もできぬと高をくくっておるのじゃろ。あやつが、辞したいのであれば引き留めるつもりはない」

  家斉は口を曲げた。

 

「主殿頭でしたら、公方様に同調なさったでしょうな」

  定之助が遠い目で言った。

 

「しかりその通りじゃ。主殿頭であれば、余の考えを受け入れた」

  家斉は考え深げにうなずいた。

 

 それから、数日後。定信一行は江戸を発ち、予定通り、三島から天城を超えて片瀬に至った。伊豆相模の海岸を巡視し海防のため浜に松を植樹するよう指示した。

 家斉は、定信の留守中、江戸を発つ前、定信より届け出のあった辞職届けを改めて受理した。これは、1月に判決が出た尊号一件の影響があったといわれた。幕臣たちの間では、光格天皇が、実父にあたる典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとした時、家斉が、治済に大御所の尊号を贈り西丸御殿に招こうとして、定信から猛反対されたことを根に持ち罷免したのだという噂が広まった。

 中山愛親と伝奏の正親町公明の2名は幕府の召喚を受けた。中山は、一件紛糾の責任を問われ、閉門100日に処されると共に議奏を解任された。正親町公明は、50日の逼塞に処された。定信は、出張中に辞職願が受理され江戸に帰国した直後罷免を申し渡された。罷免直後に行われた謁見の場に現れた定信の様子はいつも通りに見受けた。一方、江戸に送検送還された大黒屋光太夫と磯吉は、奉行所において形式的な吟味と審問を受けた後、家斉より、謁見を賜るため江戸城の吹上御殿へ移動した。2人と共に江戸に送還された後、家斉より謁見を賜るはずであった小市は、壊血病にかかり若死にしていた。小市の妻には、幕府より、銀10枚と遺品が下げ渡された。

 

 謁見の場に姿を見せた光太夫と磯吉に、家斉と列席した定信をはじめとする諸臣たちは驚かされた。光太夫にいたっては、赤蝦夷に滞在する間、伸ばしたと思われる長髪を3つに編んで後ろに垂らした髪型で、胸にはエカテリーナ2世から賜った金メダルをぶら下げ、筒袖の外套に黒皮の長靴を履いた洋装姿であった。磯吉もまた、光太夫とほぼ同じ洋装姿であった。光太夫の態度は、実に堂々としたもので諮問を担当した桂川甫周の質問に対しても、ケチのつけようのないしっかりとした受け答えをした。

 光太夫は、息つく間もなく、赤蝦夷へ漂流した後、赤蝦夷帝国内を渡り歩いた苦労話にはじまり、厳冬の中、仲間を相次いで失った悲劇、赤蝦夷で知り合った人たちについて、皇帝への謁見、日本帰国までの経緯。赤蝦夷の風俗から衣服、文字、什器類、民族、赤蝦夷で訪問した諸施設や諸貴族の館の様子に至るまで余すことなく語った。家斉は、すっかり、光太夫の話に聞き惚れてしまった。話が終わるころには、光太夫を側近にしたいとまで思ったが、褒奨金を与えるのが精一杯であった。光太夫は、故郷の会津へ帰国を望んだが、幕府は帰国することは許可せず、手当金を貰いながら薬草園で暮らすことになった。

 

 謁見の後、定信は、吹上御殿の庭を散策する家斉一行を見送ると退出のため席を立った。

 

「越中殿」

  定之助はとっさに、目の前を通り過ぎようとした定信を呼び止めた。

 

「何用じゃ? 」

  定信が、足を止めると穏やかに訊ねた。

 

「おそれながら、今ならまだ、間に合うのではござらんか? 貴殿のようなお方が辞されるとは、まことに残念極まりない。公方様は、越中殿が早まったことをしたと詫びられればお許しになります。お2人の間には、主君と臣下以上の絆があると存じます」

  定之助は真摯に訴えた。家斉は、経験を積まれ以前に比べると、しっかりして来たが、まだ、まだ、苦言を呈してくれる年長者が必要だと感じていた。

 

「我がお傍におると、公方様は、まことの君主にはなれぬと気づいたのじゃ。我は、公方様が、転ばぬように申す先から手を出してしまう。利発な公方様は、それをうるさいとお感じになる。公方様のお傍にいる人間は、そちのように、同じ志を抱き共に歩く者が相応しい。我は、大人しく身を引くまでじゃ」

  定信の横顔には哀愁が漂っていた。

 

「それがしのような半端者が、公方様と共に歩くなど滅相もござらぬ。今は苦言をうるさいとお感じになられたとしても、この先、苦難に直面なさる時があれば、越中殿を頼りになさるはず。まだ、公方様には杖が必要かと存じます。何卒、お考え直しを」

  定之助が深々と頭を下げた。

 

「杖とは、面白きことを申すではないか? 公方様は、杖なしの方が歩きやすいのではないのかのう。これからは、おぬしが手綱を締めて、危うい方へ行こうとなさった時は、正しい方へお進みになるようお支えせよ。杖で暴れ馬の頭や腹をたたいたところで何にもならぬ。わっはっは」

  定信が豪快に笑った。定之助は、定信の思わぬ態度に唖然とした。

 

「行かずとも良いのか? 公方様が険しい顔でこちらをご覧になられておるぞ」

  定信が、定之助の背中を軽く前へ押した。

 

「お引き留めして失礼申した。これにて御免仕る」

  定之助は、あわてふためいた様子で家斉の元へ駆けて行った。

 

 定信の失脚後、家斉は、しばらく、将軍親政を行うことはなかった。新たに、老中首座に就いた松平信明が、定信の改革方針だけでなく、反骨精神まで受け継いだことを後に知ることとなる。蝦夷地開発については、積極的であったが、幕府の財政は、相変わらず、火の車で困難な道程であった。意次の娘のお宇多が大奥に奉公に上がったり、種姫に従い紀州藩の奥向に仕えていた押田耀が大奥に復帰したりと大奥に喜ばしい変化があったため、家斉の関心は自然と奥向に向くのであった。

 

 



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