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  天明3年の312日に岩木山が、同年の76日に浅間山が大噴火して、全国各地に火山灰を降らせた。その直後、川越藩から被害届が老中へ提出された。幕府は、これまで勘定奉行や南町奉行を歴任した他、日光東照宮、禁裏、二条城の修復、諸所の川普請に携わった熟練した役人でもある根岸鎮衛を浅間山の復興工事の巡検役に任じて川越へ派遣した。 

 

根岸は、828日に江戸を出立し翌月の2日には渋川に入り、被災した村々を見て廻り、28日に武蔵国本庄宿にて川越藩の役人と協議を行い、幕府の救済方針を伝えた。

  

火山の噴火は冷害をもたらし、農作物に破壊的な被害をもたらした。浅間山が大噴火した後、火砕流と火砕泥流。それから、吾妻川と利根川の洪水が発生し、死者1千人超の大災害が起きた。群馬県嬬恋村の鎌原地区においては、全域が、土石雪崩に飲み込まれ一瞬にして地下に消えた。村人93名は村の高台にあった観音堂への避難し生き延びたが、477名の村人が犠牲となった。浅間山周辺の被災状況が幕府に伝えられる中、等順という僧侶が、嬬恋村数名の僧侶を随え嬬恋村に赴き被災者の救済を行ったとの話が、江戸の家治の耳にも届いた。等順は、東叡山寛永寺護国院13世住職を務めた後、信州善光寺別当大勧進79世貫主となった人物。等順は、嬬恋村から善光寺へ戻った後、天明の大飢饉飢民救済のため、善光寺所蔵の米麦を全て蔵から出して民に施した。やがて、救済を受けた人々が等順の恩に感謝して集まり、大勧進表大門前にある放生池を掘ったという。

 

天明4年の2月。等順は、融通念仏血脈譜(お血脈)を新たに簡略化して作成して参拝者へ配布をはじめ、7月には、本堂において浅間山大噴火被災者の追善大法要を執行し、被災者1490人の名が書かれた御経塔婆木を送り、天明5年には、大開帳法要、念仏堂において回向を行った。翌年から、全国的に深刻な飢饉が発生し、飢餓と共に疫病が各地に広まった。全国でおよそ2万人が飢餓や疫病により命を落とした。中でも、東北地方の被害はひどく、白河藩と米沢藩以外の諸藩は、藩内に多くの死者を出した。多くの犠牲者が出た原因として、新田開発や耕地灌漑事業等の行き過ぎた開発が招いた労働不足と強引に治水した河川が耕地に接近し過ぎたことにより、洪水を頻繁に引き起こしたことがある。幕府は、日本各地から米に余裕がある藩は、東北地方に売り惜しみをしないよう御触れを出した。幕府の御触れが出る前に、いち早く、米の買い上げに乗り出した米沢藩と白河藩は、藩内から死者を出すことはなかったが、米沢藩主の上杉鷹山がかねてから、備荒貯蓄制度を進めて、麦作を奨励するなど飢饉に備えた上で、越後や酒田から11605俵の米を買い入れて領民に供出したのに対して、白河藩主の松平定信は、大阪に集まった米を買い占めた上、会津の松平家から、1万石俵を取り寄せて領民に配給した。そのため、幕府の御触れがあったにも関わらず、東北地方へ米が廻らず米価の高騰が起きた。豪農から安くたたいた米を江戸へ廻米して藩が背負った借金の穴埋めし何とか凌ごうとした仙台藩も、深刻な米不足により、藩内で米価が高騰し領民が困窮したため、多くの餓死者を出すことになっていた。引前藩もまた、農民が備蓄していた米を江戸へ廻米し藩の財政の穴埋めをした結果、藩内の米が足りなくなり、多くの餓死者を出した。定信が、藩主を務める白河藩が藩内で1人も餓死者を出さなかったとの噂は江戸に伝わり、幕臣たちの間で定信に対する評価が高まった。しかし、幕閣には、定信の兄にあたる松平定国がいた。定国は家督を相続した後、溜間詰を経て侍従となっていた。定国と定信は不仲であったことから、定国は、定信の入閣に断固として反対した。そこで、定信は、養母の宝蓮院に、自分を入閣させるよう家治に進言して欲しいと頼んだ。

 

意次が、幕閣人事に関する法の改正のため周囲に働きかけはじめたそのころ、定信は、江戸に帰る度、幕閣内に知人を増やして情報収集を怠らず入閣の準備を進めていた。天明の大飢饉の功績により入閣が決まるはずであったが、定信の前に、譜代大名は入閣できないとの古い慣習の壁が立ちはだかった。味方であるはずの譜代や親藩の大名たちでさえ、定信の入閣に反対した。天明の大飢饉の発生は、幕政に大きな打撃を与えた。一時、景気が上回ったかのように見えたが、実際は、幕府に運上金や冥加金の上納のためと見せかけ、実は、私腹を肥やすことが目的の献策を行う悪徳商人を増加させることとなった。幕閣内での昇進を目論み、悪徳商人の献策を採用していく幕府役人が現れて、町人と幕府役人との癒着が浮き彫りとなった。

 

 松本が上申してきたのは、連日連夜、意次が自宅に帰らず御用部屋で寝起きしながら施策を考えている最中のことだった。松本は、御用部屋へ出向くと意次に、仙台藩医で蘭学者の工藤平助の著書「赤蝦夷風説考」を手渡した。

 

「北方の商人と赤蝦夷が密交易をしていると書いてあります。密交易の取り締まりに役に立つのではないかとお持ちした次第」

  松本は、書物に見入る意次を見て手ごたえを感じた。

 

 

「実に興味深い内容じゃ。家中の者が、築地にある工藤の屋敷に出入りしておる故、工藤の評判は聞いていたがこれほどまでとはのう」

  意次が何度もうなずきながら言った。

 

 

「工藤殿の話によれば、しばしば、赤蝦夷が蝦夷地に上陸して、食糧や薪炭を求めているようでござる。工藤殿のように交易を認めた方が国益になると考えている蘭学者もおるようでござる」

  松本が、身を乗り出して言った。

 

 

「前置きは良い故、本題に入るが良い。何か、話したいことがあるのじゃろう? 」

  意次には、松本の思惑はお見通しだった。

 

 

「蝦夷地の開発を視野に入れてはいかがかと‥ 」

  松本が、周囲に誰もいないことを確認すると小声で告げた。

 

 

「蝦夷地とな? 」

  意次が目を丸くして言った。

 

「蝦夷地では、海産物が豊富に採れると聞いています。蝦夷地の海産物を長崎に集めて長崎を交易の中継地としてはいかがかと‥ 」

  松本が上目遣いで告げた。

 

「交易の拡大で挽回成るかもしれぬ」

  意次は乗り気だった。

 このころ、赤蝦夷が度々蝦夷地に上陸して、蝦夷地在住の日本人の商人相手に密交易を行っていた。安永7年、国後島のアイヌの長、ツキノエの案内で厚岸に上陸したラストチキンの部下のドミトリー・シャバリンとシベリア貴族のイワン・アンチーピン率いる赤蝦夷の遠征隊が、松前藩士に松前藩主宛ての贈り物を渡して交易を求めた事件があった。松前藩側は、赤蝦夷側の願い出に松前藩の一存では交易を許すことはできないとして、幕府に相談するから、来年、出直すようにと返答した。翌年、赤蝦夷の遠征隊は再来日するが、松前藩は、幕府には報告せず独断で交易を拒否した。ラストチキンは交易するのならば、長崎へ行くよう贈物をつき返されたが、長崎は、赤蝦夷から遠くて不便だと言い残して帰国した。蘭学者や蘭癖大名たちの間では、赤蝦夷の南下政策が問題となっており、その多くが、赤蝦夷の南下を防ぐためには、蝦夷へ進出しその経営を行うべきだと主張していた。一方、評定所の構成員たちは、長崎交易の拡大に向けて動き出した。意次は、意知を長崎へ赴かせて、長崎奉行の久世広民と協議させた。久世は、意次の計画に関心を示して協力を願い出た。

 

  天明4年の春。意知は、若年寄と将軍側近を兼ね意次の後継者として幕閣の重臣たちから信頼を得つつあった。意次は、意知の才覚を認めていくつかの政策を任せていた。そんなおり、意次は、忙しい合間をぬって久し振りに狩野邸を訪れた。茶と菓子を楽しみながら歓談が始まったが、いつしか、話題は幕政に移行した。

 

長崎交易を拡大する施策は、ちと早まった気が致してならぬ」

  意次は珍しく弱気だった。

 

 「何か問題でも? 」

 

 「倅に大型廻船の調達を任せたのじゃが、交渉中に、色々と問題が起きて頓挫しそうなのじゃよ」

 

 「たしか、カピタンに、船大工と技師の派遣を頼んだのでしたよね? 」

 

 「ティチングが、船大工に余裕がないと断って来たのじゃ。日本人を現地へ赴かせる対案を出したのじゃが、鎖国令を理由にまたもや断られた」

  意次は、大きなため息をつくと言った。

  

「妙ですね。ティチングは、江戸参府の折に、蘭学者や蘭癖大名らと積極的に交流して見聞を深めていると言いますし、堂々と、幕府と交渉できるまたとない好機を逃すはずがござらん」

  狩野が腕を組むと言った。

  

「おそらく、オランダと英国が戦の最中だというのが、まことの理由でござろう。とりあえず、洋式船の設計図等を日本へ送ることでかたをつけた」

  意次が浮かない表情で言った。

  

「何か心配事でもあるのですか? 」

  狩野が訊ねた。

 

 「おぬしに迷惑がかかるおそれがある故、ちと話しにくい」

  意次が言った。

  

「他言致しませぬ」

  狩野が告げた。

 

 「長崎へ赴いた折、妙な噂を耳にしたと意知が、あることを調べ出したのじゃ」

  意次が小声で言った。

 

 「あることとは何ですか? 」

  狩野が訊ねた。

  

「隠し金じゃよ」

  意次が低い声で告げた。狩野が思わぬ話に言葉を失っていると、意次が小声でささやいた。

  

「西国大名は関ケ原の戦以降は幕閣の要職にも就けず、国役や御普請がある度、駆り出されるため、借金がかさみ財政は傾くばかりだそうじゃが、中には、藩政改革に成功して、見事、藩の財政を立て直した逸材もおると聞く」

  

「隠し金を持っているのは、いったい、どこの誰ですか? 」

  狩野が訊ねた。

  

「倅が、事情を知る者を見つけたと申していた。近じか、その者と対面するようじゃ」

  意次が答えた。

 

 「折を見て、公方様にお話なさってはいかがでしょうか? その隠し金が、倒幕運動のためだとすれば、徳川にとって一大事ではござらんか? 」

  狩野が慎重に進言した。

  

「公方様には、はっきりするまで申さぬ所存じゃ」

  その後、意次は、周囲を警戒するように足早に狩野邸を出て行った。

 

  意次は、密かに、幕府へ献上された蘭書の影響を受けて、蘭学者たちと積極的に交流するようになっていた。蘭学者たちの中には、安永7年の6月に、赤蝦夷船が、蝦夷地に来航し松前藩に通商を迫る事件が起きて以来、諸外国の日本への進出に対する海防論を説く者もいた。工藤平助、林子平、本多利明、佐藤信淵などが、赤蝦夷の南下を防ぐためには、幕府が蝦夷地を開拓して、その経営に着手すべきとする積極論を説く一方で、中井竹山や中井履軒は、蝦夷地は国境外の僻地であり、そのような未開地を開発経営することは、むやみに国力を消耗するだけであるとの消極論を説いた。また、積極論者の中には、主戦論を主張する蒲生君生や攘夷論を主張する水戸派もいた。築地の工藤の屋敷には、患者となった数多くの大名やその藩士、伊達重村および伊達家中の者たち。医師で蘭学者の桂川甫周や前野良沢をはじめとする著名な蘭学者、林子平、勤王家の高山彦九郎、南学派の儒者で国学者の谷好井(万六)、賀茂真淵に師事した国学者で歌人の村田春海など多くの文人墨客が出入りしていた。工藤平助は、赤蝦夷人を「赤蝦夷」と呼び、赤蝦夷の南下を警告し、開港交易と蝦夷地経営を説いた「赤蝦夷風説考」や密貿易を防ぐ方策を説いた「報告以言」を著した。

 

井上伊織がある時「主君が、富も禄も官位も、申し分ないのに、後世に残るような大事業を望んでいるのだ」と、工藤に相談を持ちかけると、工藤は、蝦夷地を開拓し日本の領地として貢租を取ることこそ後世に残る大業だと提案した。蝦夷地を治める松前藩は、過去に国後や択捉など39の島々を描いた自藩領地図を幕府に献上し、十州島、唐太、千島列島、勘察加は松前藩領であると幕府に対して報告している。国後や択捉の首長たちが、松前藩主を訪ね献上品を贈っていることから、松前藩と国後や択捉とが友好関係であることがうかがえる。宝暦4年、松前藩家臣の知行地として国後島だけでなく、択捉島や得撫島を含む国後場所が開かれ、国後島の泊には交易の拠点と共に藩の出先機関にあたる「運上屋」が置かれていた。安永2年になると、商人の「飛騨屋」が、国後場所での交易を請け負うようになった。「赤蝦夷風説考」を献上した後、外国との抜荷の弊害とその防止策について論じた「報国以言」を提出した。意次は、評定所の政策会議の場で蝦夷地を長崎のような交易地として開発し、赤蝦夷との交易で得た利益を幕府の財政の補填にあてることや蝦夷地を天領とし北方警備を行うことを主張した。しかし、莫大な予算がかかる上、蝦夷地を治める藩主の松前道広の行状が問題となった。松前は、家督を継いだ後、遊女を妾にするなど遊興にふけり、商人から金を借りまくった挙句、多額の借金をつくり藩政を貧窮させたことについて、幕府から何度も注意を受けていた。幕府からは嫌われていたが、御三卿の一橋家当主の治済、仙台藩主の伊達重村、薩摩藩主の島津重豪などと交友関係にあった。松前は、以前にも赤蝦夷人の来航を幕府に報告せず、独断で蝦夷地での交易を拒否したことがあったことから、蝦夷地の開発や赤蝦夷人との交易を実現するためには、松前と協力関係を築く必要があった。意次は、家斉の父にあたる治済が、松前と親しいことを思い出して、治済に協力を頼むため、まずは家斉を取り込む作戦に出た。

 

  家斉は、意次の策略にはまったとは夢にも思わず、意次の熱心な勧めにより医師で蘭学者の桂川甫周と対面した。対面場所に指定されたのは、城内ではなく、日本橋室町にある版元「須佐屋」の主、市兵衛所有の店舗兼町家であった。意次は、家斉に対面場所を商家に指定した理由について、蘭学を良く思わない者たちに気づかれないようにするためだとし、「須佐屋」は、これまで、蘭方医学や異国に関する書物を多く手掛けた実績があり、市兵衛本人もぜひにと乗る気であるとの理由を挙げた。意次は、市中を検分することは、家斉の役に立つと力説した後、家斉が、羽目を外さぬよう監視する約束を取りつけて家治から許しを得た。家斉は、意次の監視はあるもののひさしぶりに、城の外に出ることができてうれしかった。

 

「表からでは人目につきます故、裏手から入りましょう」

  意次は、「須佐屋」の辺りまで来ると家斉を裏口へ案内した。表のにぎわいぶりに比べて裏通りは、人通りも少なく空き地が目立った。

 

「お待ちしておりました。ささ、どうぞ、中へお入り下され」

  店主である須佐屋市兵衛が自ら、家斉と意次を出迎えた。案内された客間に入ると、医者で蘭学者の桂川甫周が待っていた。

  

「御意を得ます。町医の桂川甫周と申します。本日は、大納言様より、拝謁賜り恐悦至極に奉ります」

  桂川が平伏した。

 

 「苦しゅうない。面を上げよ」

  家斉が咳払いして言った。

  

「大納言様は、おぬしが翻訳に参加し、おぬしの父が、公方様に献じた解体新書をご覧になり、謁見をお許し下さったのじゃぞ」

  意次は、桂川にことの経緯を説明した。

  

「いたみいります」

  桂川が深々と頭を下げた。

  

「おぬしは、中川と共に、カピタンの江戸参府随行した医学者から、外科術を学んそうじゃが、その医学者について大納言様に話すが良い」

  意次が咳払いして言った。

 桂川は、息つく間もなく語り出した。安永5年、我々は、江戸参府に随伴して来たオランダ商館医のツンベルクから外科手術を学びました。ツンベルクは、安永4年に長崎出島に赴任して以来、商館医としてだけでなく、日本における植物学や蘭学。西洋における東洋学の発展に貢献した。我々は、先生が江戸在住の折に宿を訪ねて、先生から、蘭方医学だけでなく、蘭学や西洋文化などを学びました。先生は、梅毒に対して「昇汞」を処方する水銀療法を行い、多くの患者の命を救った名医とたいそう評判となりました。この療治は驚くべき効果があるとして、通詞の吉雄耕牛たちに伝授されました。

 

 

「商館医から蘭方医学の知識を得ても、役立てる場がなければ、宝の持ち腐れになるのではないか? 」

  家斉は率直に訊ねた。

  

「しかりその通りでござる。医学を志す者は各々で、師匠の元に寄宿して医術を学ぶのが通例ですが、漢方医学に限ります。鎖国下において、蘭方医学を進んで学ぼうとする者はいないに等しいでしょう」

  意次が厳しい面持ちで言った。

 

 「多紀元徳が、医学館の創立を幕府へ申し入れたとお聞きしました。幕府の医学館が創立した暁には、ぜひとも、我々、蘭方医学を学んだ医者も教官として登用して頂きたく存じます」

  桂川が深々と頭を下げた。

 

 「多紀元徳とは何者じゃ? 」

  家斉が興味津々で意次に訊ねた。

  

「多紀というのは奥医師のことでして、安永6年に、広恵済急方と申す救急医療手引書を公方様に献上しました。子息の元簡も医者となり、安永6年に公方様に謁見した次第」

  意次が穏やかに説明した。

 

 「さよか」

  家斉が、あくびをかみ殺してつぶやいた。

  

「何卒、公方様にこちらをお渡し願います」

  桂川が、風呂敷包を差し出した。

 

「これは書物じゃな? 」

  家斉が、風呂敷の形と重さで中身を言い当てた。

 

 「もしや、これは、おぬしが著した書であるか? 」

  意次は、「万国図説」と表紙に書いてある書物を手に取ると訊ねた。

 

 「さようで」

  桂川が照れくさそうに答えた。

 

 「面白そうじゃのう」

  家斉が横からのぞくと言った。

 

 

「大納言様。よろしければ、当店がこれまで刊行した書物を何冊かお持ちになりますか? 必ずや、お気に召していただけると存じます」

  須佐屋市兵衛が愛想良く告げた。

 

 「小難しい学問書ではなく、異国について書かれているものが良い」

  家斉は、うれしそうに言った。須佐屋市兵衛が手をたたくと、ひとりでに襖が開いて隣の部屋に置かれた書物の山が目の前に現れた。

  

「これはお勧めでございます」

  須佐屋市兵衛が、何にしようか迷ってなかなか決められない家斉を見兼ねて、煙草商の平秩東作が松前や江差に滞在した時、アイヌの風俗や蝦夷地の風土について見聞したことを記した「東遊記」など数冊を手渡した。

  

「また、何か、良いものが出たら届けるが良い」

  家斉が上機嫌で告げた。

  

「かしこまりました」

  須佐屋市兵衛が、満面の笑みを浮かべながら返事をした。

 

 「大納言様は、異国に関心をお持ちのようでござるな」

  意次がさり気なく話を切り出した。

  

「父上が、松前藩主と親しくしておられる故、蝦夷地を訪れるアイヌやシベリア、赤蝦夷の人たちの話を聞く内、興味を持ったというわけじゃ」

  意次の予想通り、家斉は、治済を通じて蝦夷地の情報を得ていた。

  

「実は、蝦夷地の開発計画が持ち上り蝦夷地を調査するため、幕府の探検隊が結成される運びと相成ったのですが、松前藩主の松前道広が、以前、赤蝦夷人の来航を報告せず、独断で蝦夷地での交易を拒否した一件が問題となり、計画が難航しておりまして‥ 」

  意次が困り顔で言った。

  

「父上に、松前藩との交渉をお願いすれば、何とかしてくださるはずじゃ」

  家斉は、意次に誘導されているとはつゆ知らず安請け合いして言った。

  

「いたみいります。民部卿にご賛同いただければ、蝦夷地の開発計画は、成功したのも同然でござる」

  意次がすかさずごまをすった。

  

「わしを信じて計画を進めるが良い」

  家斉が自信を持って告げた。

 

 「成功した暁には、民部卿の名を後世に残すとお伝え下され」

  意次もまた、調子の良いことを言った。

  

城に戻る途中、浅草に立ち寄った。浅草寺周辺は、年中人通りが多いため、仲見世を歩くことはできなかったが、遠巻きに、にぎやかな市中の様子を見ることができた。浅草本願寺の横を通りかかった時だ。家斉は、若い男女が楽しそうに集まる様子が気になり足を止めた。

 

「あれはいったい、何の集まりなのじゃ? 」

  家斉が意次に訊ねた。 

 

「あれは、御講小袖という寺の行事でござる。若い門徒が、新調した着物を着て報思講に参詣するのが門徒方のならわしで、男子は、肩衣を着用することになっております。また、男女の出会いの場でもあり、報思講で出会って夫婦となる者も多いと聞きます」

  意次が丁寧に説明した。

  

「庶民は自ら許嫁を選べるのか」

  家斉がうらやましそうに言った。

  

「大納言様。おそれながら、蝦夷地開発の件ですが、折を見て、それがしから、公方様へ報告致します故、民部卿に仲立ちを頼んだ件は、ご内密に願い奉ります」

  意次は、口止めすることを忘れなかった。計画の途中で、家治に知られることあれば頓挫になることは間違えなかった。

 

  松島に代わり、御年寄筆頭の座に就いた高丘は、大奥に来た当初は、御台所の五十宮倫子様が降嫁した時の京師から御伴して来た御中臈の1人に過ぎなかったが、容姿が美しく才媛だったことから、御中臈の中で頭角を現して、明和8年の8月。御台所が34歳の若さで急遽した後も、御年寄筆頭の次席として権威を振るっていた。高丘が御年寄筆頭の座に就けた勝因は、早くから、将軍の側近や諸大名と積極的に交流を持ち信頼を得たことだ。御部屋様として権勢を誇った於知保さえも、高丘の権威の高さには太刀打ちできない。高岳は、家基が急逝した後、新たに世子となった家斉と共に西丸に遷った将軍生母の於富や家斉の婚約者の茂姫に対して、敬意を払うようになり、於知保をないがしろにしはじめた。

 

その一方、意次は、大奥の権力を頼りとしていた。意次と於富の父親、岩本正利が同期だった縁で、於富は、意次の推薦で本丸の奥勤めをしていた時、大奥を訪れた御三卿の一橋治済の目に止まり、治済が家治に於富を所望したため、於富は、一橋家の御中臈となりのちに治済の側室となった。意次が西丸に遷った於富や茂姫の元に、まっさきにあいさつに向かいご祝儀の品を送ったことは言うまでもない。将軍生母や世子の婚約者と結んでおけば、田沼の立場は安泰となる。

 

治済が、松前藩主の松前にねばり強い交渉を行った結果、蝦夷地へ幕府の探検隊を派遣することが決定した。事務方には、勘定奉行の松本秀持。勘定組頭には、土山宗次郎など数名が任ぜられた。普請方には、越後蒲原出身で幕府役人の山口鉄五郎が任ぜられ、幕府の探検隊には、幕府普請役兼探検家の最上徳内をはじめ、青島俊蔵、大石逸平、庵原弥六などが参加する運びとなった。蝦夷地の開発と共に長崎交易拡大のための造船計画が水面下で進められていた。

 


 天明2年の11月。幕府は、長崎の出島に滞在中のオランダ商館長のイサーク・ティチングに対して、バタビアから船大工と技師の派遣を要請した。しかし、ティチングは、派遣できる船大工がいないとして要請を拒んだ。そこで、ティチングとの交渉を担当した意次は、日本人をバタビアに派遣する対案を提示するが、またもや鎖国令を根拠に拒否された。翌年の9月、幕府は、再度西洋船の技術指導等を要請すると共に大坂から長崎へ銅を輸送する廻船の難破が多いことを理由に、オランダ船の模型と船大工の派遣を再度要請した。ティチングは、最後にはおれて1度帰国した後の天明4年の7月に模型を引き渡した。

 

  天明4年の322日の夜。意知は、隠し金の情報を提供すると申し出た者と会うため「龍口亭」へ行った。その後、意知が帰宅しなかったことから、意知の家族は意次に意知が行方不明になっていることを報せた。意次は、家中の者たちに意知を捜させたが、意知を見つけ出すことはできなかった。意知が行方不明となったのは、天明の大飢饉をきっかけに社会不安が高まり、江戸の治安が悪化していた時期と重なった。天災が相次ぎ、世情不安が生じたのはすべて、田沼意次の失政によるものとの落書きが江戸に広まった。本来、政策の審議や立案を担当しているのは、評定所の構成員たちであって、意次1人が独断で決めているわけではないが、世間では意次の独断と見なされた。

 

「これで田沼の天下も終わりじゃ」

  「世情不安が生じたのはすべて田沼の失政によるもの」と書かれたビラが、あちこちで出回る中、江戸市中にある廃屋の中でほくそ笑む者がいた。

 

 

「九八郎殿がまた、幕閣に幕政に対する意見書を提出したそうな」

 

 

「植崎殿もようやるのう」

 

 

「主殿頭を失脚させるまで頑張るつもりでしょう」

  浅葱裏たちが、たき火を囲みながら話しているところに、市中を巡検しに出掛けていた仲間が戻って来た。

 

 

「市中の様子はどうじゃった? 」

  佐野が、戻って来た仲間の1人に訊ねた。

 

 

「どこかの屋敷から念仏が聞こえた。丑3つ時に聞く念仏の声は、うす気味悪くてかなわん」

  仲間の1人がぼやいた。

 

 

「天災や不況で苦しんでいる人が、それだけ、たくさんいるというあらわれだ」

  佐野が編み笠をかぶると言った。

 

 

「おでかけですか? 」

  

「ああ。ちと野暮用でな」

  佐野が、江戸城へ向かって歩いていると前方に白い影が見えた。白い影は、目に見ぬ速さで、佐野の目の前に移動した。佐野は、ただならぬ殺気を感じて脇差しに手をかけた。

  

「貴様が新番士の佐野政事か? 」

  黒雲に隠れていた月が顔を出すと、月光に照らされて白い影が浮かび上がった。よく見ると、天狗のお面をかぶった白装束の男がいた。

 

 「いかにも」

  佐野が答えた。

  

「七曜紋を背負った者は天罰をくらうであろう」

  どこからともなく低い声が響いた。

 

 「七曜紋とな? 」

  佐野は目を見開いた。七曜紋は田沼の家紋だ。

  

「そして、貴様は、世直し将軍と称賛を浴びることになる」

 

 「はあ? たわけたことを申すでない」

  佐野は笑い飛ばしたが、白天狗の預言が現実のものとなる。

 

  天明4年の324日の朝。泊り番だった佐野は厠から出ると、詰所に向かって中庭に面した廊下を歩いていた。33晩、降り続いた雨で、中庭の真ん中には、大きな水たまりができていた。佐野はふと、昨夜のことを思い出して立ち止まった。その時だ。庭の方から悲鳴が聞こえた。急いで庭に飛び出すと、掃除之者の植崎九八郎が、水たまりの傍で腰を抜かしていた。

 

「九八郎殿。いかがした? 」

  佐野は、庭に飛び降りると九八郎の元に駆けつけた。

 

 「ひ、人が、死んでいる」

  植崎が、水たまりを指差してさけんだ。

 

 「誰か。誰かおらぬか」

  佐野は、城内の方へ向かって助けを呼んだ。佐野の声を聞きつけて、近くにいた人たちが集まって来た。

  

「桔梗之間へ運ぼう」

  数名の有志により屍が城内へ担ぎ込まれた。桔梗之間には、番医の峯岸春庵と天野良順がいた。騒ぎを聞きつけ駆けつけた大目付の松平忠郷と目付の柳生久通は、事情を聞く名目で、通報者の佐野をその場で取り押さえた。一方、植崎はすきを見て逃げ出した後で、佐野は、野次馬の好奇な視線にさらされながら連行された。

  

「山城守ではないか」

  柳生が、屍の顔にかぶせられていた天狗のお面を外して現れた顔を見るなりさけんだ。

  

「主殿頭をお呼びせねばなりますまい」

  忠郷が柳生に告げた。

  

「いや待て。山城守の亡骸を田沼邸へ運び出すが先じゃ」

  柳生は、意知の亡骸を田沼邸へ運ばせた。

 

 その時、峯岸も、柳生の命により田沼邸へ赴いた。意次が、変わり果てた姿となった意知と再会したのはその日の夜だった。その日の内に、佐野は、吟味を受けることなく投獄された。そして、翌日には切腹を申し渡された。幕府には、乱心による犯行との報告が行った。調書によると、午の刻。政務を終えた老中たちが次々と、退出をしはじめた。老中に続いて、若年寄たちも、政務を終えた者から1人、2人と帰りはじめた。若年寄の田沼意知が、中之間から桔梗之間の間に差し掛かった時だった。新番士の佐野政言が、直所から走り出て来て意知に斬りかかったのだ。佐野は、騒ぎを聞きつけて駆けつけた大目付の松平忠郷と目付の柳生主膳政道により、その場で捕えられた。斬られた田沼意知の方は、血まみれでその場に倒れていた。番医師の峯岸春庵と天野良順が、意知の手当に任じられたが、意知は、手当の甲斐なく、その日の内に死去したと記されていた。江戸市中では、佐野政事による田沼意知殺傷事件の顛末が書かれた瓦版が飛ぶように売れ、田沼家の七曜紋を縁起の悪い紋と中傷する落書きがあふれて、佐野は、一夜にして失政を行う田沼意次の嫡子を亡き者として、田沼派の権勢を地の底に落とした「世直し将軍」と称賛を浴びた。佐野が葬られた浅草本願寺が、佐野の墓参りをする庶民でにぎわう一方、田沼邸は、中傷する文が記された紙で包んだ石が投げ込まれる被害に遭った。

 

 事件から3日後の夜。編み笠をかぶった数名の武士が続々と、愛宕にある青松寺の中へと消えた。本堂では青松寺の僧侶たちが待機していて、訪れた武士たちを隠し部屋へと先導した。

 

 

「貴様は大罪を犯した。命が欲しければ、京兆の首を持ち帰れ」

  隠し部屋の中では、浅葱裏が、紫頭巾をかぶった武士にどなられていた。

 

 

「お許し下され。あの夜は、しきりに雨が降っていまして、傘に隠れて姿形がよく見えず、家紋が似ていた故に見誤ってしまいました」

  浅葱裏が血相を変えて平謝りした。

 

 

「佐野のやつを身代わりにしてかたをつけました故、我らの所業とは、誰も思わぬはず」

  着物の下に襦袢を着た武士が言った。

 

 

「それにしても、世直し将軍とはまた、上手い手を思いつきましたな」

  部屋の後ろに立つ武士がふっと笑った。

  

「今の今までどこをほっつき歩いておった? 」

  着物の下に襦袢を着た武士が、部屋の中に入って来た武士に向かって言った。

 

 

「仕方がなかろう。追ってを巻くうちに道に迷ったのじゃ」

  その武士が、肩で息をしながら言った。

  

「追ってとな? よもや、正体がばれたのではあるまいな? 」

  紫頭巾をかぶった武士が詰め寄った。

  

「実際に、追っての姿を見たわけではない。そんな気がしただけだ。用心に越したことはないだろう」

  その武士が冷静に答えた。

 

 「油断は禁物じゃぞ。京兆が、命欲しさに幕府に寝返るかもしれぬ」

  紫頭巾をかぶった武士が低い声で告げた。

  

「別の刺客を送りました故、ご安心下され。次こそは息の根を止めてみせましょう」 

  部屋の後ろに立つ武士が告げた。

  

「同心が、表にうろついているのを見張り役が見かけたそうです。やつらが来る前に、早く、この場からお発ち下され」

  合羽を着た武士が部屋に駆け込んで来た。隠し部屋に集まっていた者たちは、足早に、寺の裏門から外へ抜け出すと散り散りになって闇夜へ消え去った。

 


  家治が床に臥せる日が多くなると、念仏を唱える奥女中たちの声が絶えず聞こえて来た。家斉は、1日中、どこからともなく聞こえて来る念仏にうんざりした。

 

「城内に公方様の重病説が飛び交っておりますが、大納言様は、何か聞いておられますか? 」

  定之助が、家斉の肩をもみながら訊ねた。

 

「鳥居の爺が、御休息之間の前に座り込み公方様をお守りすると息巻いておる。先日、爺が一時席を外した隙に、中へ入ろうとした周防守が戻って来た爺に見つかり、こっぴどく叱りを受けたそうじゃ」

  家斉が面白おかしく言った。

 老中首座の松平康福を追っ払ったとあって、もめごとになると思いきや、鳥居が、高齢で家重の代から仕えていることもあり、さすがに、康福も何も言えなかったらしい。噂では、家治が、家重の逝去を機に幕閣から遠ざかっていた鳥居を呼び戻し老中職に据えたのは、田沼派を牽制する目的があったという。

 

「鳥居殿は、いったい、何から、公方様を守ろうとなさっておられるのですか? 」

  定之助が、家斉の顔をのぞき込むと訊ねた。

 

「さあな。公方様には、1日も早く元気になって頂かなければ困る。こう、朝から晩まで、念仏を聞かされては気が散って学問に身が入らぬ」

  家斉がぼやいた。

 

「鳥居大明神が、公方様をお守りしているのですから念仏など無用ですよね」

  定之助が言った。

 

「暇つぶしに双六でもやるか? 」

  家斉が、近習たちを集めると双六を持ち出した。

 

「そこにおるのは何者でござるか? 」

  木村が、障子に映る人影に向かって訊ねた。

 

「鶴千代じゃ。開けてやるが良い」

  家斉が、木村に障子を開けるよう命じた。

 

「久方ぶりじゃのう」

  家斉が、「宇治之間」に入って来た若侍を手招きした。

 

「こちらは? 」

  木村は、初めて見る品の良い若侍を警戒した。

 

「水戸候の嫡子、鶴千代じゃ」

  家斉は、鶴千代を傍に坐らせると自慢気に紹介した。

 

「この者は、何者ですか? 」

  鶴千代が、定之助に気づき家斉に訊ねた。

 

「この者は、わしの話し相手を務めさせておる中野定之助じゃ」

  家斉が咳払いして言った。

 

「その方。前にどこかで会ったことはないか? 」

  鶴千代が、定之助の顔をのぞき込むと訊ねた。

 

「いえ。それがしは、鶴千代様とは、お初にお目にかかりますが‥ 」

  定之助が目を反らして言った。

 

「双六をしておったところじゃ。おぬしも仲間に入るが良い」

  家斉が、鶴千代に将棋の駒を手渡した。

 

「これは何でござるか? 」

  鶴千代が、将棋の駒を家斉に見せると訊ねた。

 

「将棋の駒じゃ。コマ代わりに使っておる」

  家斉が、サイコロをふるいながら答えた。

 

「数ある駒の中から竜をお選びになるとは、さすがは水戸候の嫡子様。水戸徳川家の嫡子は代々、中納言に任じられます。中納言は唐名で黄門。黄門の異名は竜作の官でござる」

  木村がお世辞を言った。

 

「双六なんぞ童子の遊びじゃ。それよりも、下屋敷へおいでになりませんか? 」

  鶴千代が、将棋の駒を放り出すと家斉を熱心に誘って来た。

 

「水戸の下屋敷へ参るのは久方ぶりじゃのう」

  家斉がうれしそうに言った。

 

「大納言様。水戸徳川家の下屋敷へおいでになるのはいかがなものかと存じます」

  木村があわてて、家斉を廊下の隅に連れ出すと苦言を呈した。

 

「何故、斯様なことを申す? 」

  家斉が木村に詰め寄った。

 

「水戸藩では、光圀公がはじめた大日本史の修事事業を復興させたと聞きます。吉宗公の時代、大日本史は、北朝政党論を唱える現世の皇室に反する南朝を正統化するものとして朝廷献上は実現しなかった。鶴千代君と近しい大納言様にお頼みすれば、公方様に口添え下さると考えておられるやもしれませぬ」

  木村が家斉に耳打ちした。

 

「水戸藩は、財政難で苦しんでいると聞く。財政の立て直しで、それどころではあるまい」

  家斉は、木村の話を鼻であしらった。

 

「大納言様。鶴千代君が、大日本史の話を持ち出して来られたら、それとなく、話を他に反らすのですぞ。長居することなく早めにお帰り下され」

  木村は、西丸御書院番徒士頭の長谷川平蔵を護衛に就かせることで家斉を送り出すことに納得した。

 家斉は、意気揚々と水戸徳川家下屋敷へ向かった。水戸徳川家下屋敷は、大川沿いにある。大川に架かる大川橋を渡れば、参拝客でにぎわう浅草寺の門前町に到る。同じ年生まれの鶴千代とは、物心ついたころから互いの屋敷を行き来する仲だ。春になると、大川沿いの並木道に植えられた桜が満開になる。水戸徳川家下屋敷は、大川に面していることもあり、毎春、庭で花見の宴が開かれる。一橋家に居たころは、家斉も、父と共にお呼ばれに預かった。夏は、川から吹く風が屋敷の中に入り涼しい。家斉は、屋敷が近づくにつれて、昔のことを思い出して胸がいっぱいになった。

 

「大納言様。遠慮は入りません。我が家と思うてごゆるりお過ごしあれ」

  鶴千代が、家斉を庭が見渡せる広間へ案内した。

 

「この者は何者じゃ? 」

  家斉は、茶道具を抱え持って現れた若者に見覚えがないことから不審がり、鶴千代にその若者の素性を訊ねた。

 

「父上が、それがしの近習として召し抱えた熊蔵でござる。茶の湯の心得があると聞いて召し出した次第」

  鶴千代が、茶碗をまわしながら答えた。

 

「背は低いし痩せ過ぎじゃ。斯様にひ弱い体でいざという時、鶴千代を守れるのか? 」

  家斉は、熊蔵を品定めすると言った。

 

「剣術や柔術に優れた近習は他におります故、ご心配にはおよびません。それより、先日、鷹司輔平殿から父上宛てに届いた書状に、帝が公方様の病を知りお心を痛めておられると書いてありましたぞ」

  鶴千代が、お茶をたてる熊蔵を見ながら言った。

 

「帝は、まことに慈悲深いお方じゃのう」

  家斉がお茶を一口飲むと言った。

 

「天明の大飢饉で、江戸だけでなく京や大阪も、大変なことになっているそうです。帝は、江戸では困窮する民に対しいかなる対処をするのか知りたがっているそうでござる」

  鶴千代が、いつになく真面目な顔で言った。

 

「大納言様。御所御用達の菓子はお口に合いますか? 」

  熊蔵がふいに家斉に訊ねた。

 

「美味じゃ」

  家斉は、菓子をひとくちでたいらげると答えた。

 

「大納言様の所存はいかに? 」

  鶴千代が、身を乗り出すと家斉に訊ねた。

 

「わしの考えを聞いても無駄というものじゃ」

  家斉が、手についた粉をはらいながら言った。

 

「帝は聡明なお方でござる。何もご存じないはずがない。江戸の様子をお訊ねになった真意は、幕府に対して、天明の大飢饉により困窮した民への救済をうながしておられるのでしょうよ」

  鶴千代が興奮気味に言った。

 

「流派は? 」

  家斉が、鶴千代の話を無視して熊蔵に話しかけた。

 

「松尾流でございます」

  熊蔵が遠慮気に答えた。

 

「聞き慣れぬ名じゃ」

  家斉がぼそっとつぶやいた。

 

「大納言様。松尾流は、松尾流2代目家元のころから尾張藩の御用を務め、京師においては、公家の鷹司家と近衛家より殊遇を受けております。当家には、葵の御紋入りの茶道具が代々、当主に受け継がれています。お目にかけましょうか? 」

  鶴千代がえへん面で説明した。

 

「いや、けっこう」

  家斉は、これ以上、自慢話を聞きたくないと鶴千代の申し出をつっぱねた。

 

「大納言様。ぜひとも、私を御物茶師に召し抱えて頂きたい」

  突然、熊蔵がその場に平伏して願い出た。

 

「これ、いきなり何を申す? 立場をわきまえよ」

  鶴千代が熊蔵をきつくとがめた。

 

「何故、そこまでして御物茶師になりたい? 」

  家斉が穏やかに訊ねた。

 

「私は、物心つく前に尾張の松尾流家元の養子となり尾張で育ちはしましたが、元々、出白は江戸でございます。御三家の家臣になれたことは家門の誉れではございます。なれど、やはり、私には茶師の方が性に合っている。茶師として幕府にお仕えしたい。何卒、お聞き届け下され」

  熊蔵が深々と頭を下げた。

 

「その業前ならば申し分なかろう。空きがあれば推挙してやる」

  家斉が安請け合いして言った。

 

「よしなにお頼申します」

  熊蔵が明るい声で言った。

 

「そろっと帰城すると致す」

  家斉は、颯爽と部屋を出ると玄関へ歩き出した。

 

「大納言様、お待ちを。お見送り致します」

  鶴千代があわてて、家斉の後を追いかけた。

 

「鶴千代。熊蔵は生まれ持っての茶師じゃ。あやつの茶を飲めばわかる。故に、こたびの一件は穏便に済ませるが良い」

  家斉が、鶴千代の肩に手を置くと言った。

 

「心得ましてござる」

  鶴千代が一礼した。家斉は、鶴千代に見送られて帰路についた。

 

「御物御茶師とは何なのじゃ? 」

  西丸御殿に入る前、家斉はふと、思い出したように長谷川に訊ねた。

 

「朝廷や幕府御用達の茶を調達する茶師のことを御物御茶師といいます。それがしは、熊蔵の素性がいささか気になります。御庭番に探らせましょうか? 」

  長谷川が、神妙な面持ちで告げた。

 

「その必要はない。そもそも、御三家が素性のはっきりせぬ者を仕えさせるわけがなかろう」

  家斉が肩をすくめた。

  

 年が明けた天明5年。意知が死ぬ間際まで取り組んでいた造船計画がついに、日の目を見た。1500石級の俵物廻船「三国丸」が完成したのだ。「三国丸」の三国とは、日本、支那、オランダの3国を示す。造船には、船大工6千名が携わり、費用は、銀159貫かかった。失政と批判が集まる中、大金をかけた一大事業とあって失敗は許されなかった。意次は、蝦夷地へ7万人の移民を送る壮大な計画を胸に秘めていた。多額の予算を幕府の財政から支出することから、これまた失敗の許されない大博打的な一大事業となった。当然、意次は、事業が失敗した場合には、潔く老中を辞職する覚悟で挑んだ。

 

一方、蝦夷地の開発に最後まで反対していた家治の病状は、日増しに悪くなっていた。家斉は、家治の苦しむ姿を見たくない一心で見舞いを先延ばしにしていた。

 

「あれは何者じゃ? 」

  家斉は、側衆にうながされて家治を見舞うため、家治の居る中奥の御休息之間の前まで行った時、見覚えのない奥医師が御休息之間から出て来るところを見かけ、御休息之間の前に坐り出入りする者を鷹のような目で監視している老中の鳥居忠意に訊ねた。

 

「あの者は、主殿頭が、奥医師として新たに登用した町医でござる」

  鳥居が仏頂面で答えた。

 

「一介の町医に、公方様の療治を任せて良いのか? 」

  家斉が訊ねた。

 

「療治を任されていた大八木伝庵が、病を理由に登城せぬ故、やむを得ず療治にあたらせておると聞いております」

  鳥居が困り顔で答えた。

 

「伝庵も、匙を投げたというわけじゃな」

  家斉が御休息之間に入ろうとすると、鳥居が戸の前に立ちはだかった。

 

「大納言様。しばし、お外でお待ち下され」

 

「わしまで通さぬ気か? 」

  家斉が鳥居をにらみつけた。

 

「そうではござらん。半刻前、於知保様が、中にお入りになられたばかりでござる。お出になるまでお待ち下され」

  鳥居が深々と頭を下げた。

 

「於知保様なら、わしの同席をお許しくださるはずじゃ。さっさと聞いて参らぬか」

  家斉が鳥居をうながした。

 

「どうぞ、中へお入り下され」

  少しして、中から初老の女の声が聞こえた。家斉は、慎重に障子を開けた。家治は御休息之間上段に寝ており、於知保は、背筋をピンと伸ばして下段に座っていた。家斉は、於知保の向かい側に着座した。

 

「お見舞いに参ったのじゃが、お目覚めか? 」

  家斉は、首を伸ばして於知保の背後にいる家治の様子を見た。

 

「本日の療治を終えてお休みになっています」

  於知保が静かに答えた。

 

「町医に療治を任せておるというのはまことですか? 」

  家斉が訊ねた。

 

「はい。公方様は、あの者らが療治にあたるようになってから、ますます、お加減が悪くなっている気がしてなりませぬ。先日、あの者らが用意した薬材の中に公方様の療法には用いない種の薬があるのを見た者がおるのです」

  於知保がひそひそ声で言った。

 

「それはさぞかしご心配でしょう。家来に、何の薬なのか調べさせましょう」

  家斉は、於知保から問題となっている薬を預かった。

 

「お頼み申し上げます」

  於知保が頭を下げた時、上段の方からせき込む音が聞こえた。家斉は、於知保が家治の枕元に近づいたのを見届けると、そっと、御休息之間を出た。

 

「大納言様。ずいぶん長々と中におられましたが、於知保様と何の話をなさっていたのでござるか? 」

  鳥居が、御休息之間から出て来た家斉に駆け寄ると訊ねた。

 

「公方様の様子を聞いていた。他に何があると申すか? 」

  家斉がぶっきらぼうに答えた。

 

「大納言様。折り入ってお話がござる」

  鳥居は、家斉を御仏間へ誘導すると辺りを慎重にうかがいながら障子をきっちりと閉めた。

 

「なんか寒くないか? 」

  家斉は、御仏間に入るなり身震いした。

 

「まんがいちの場合に備えて、公方様から、大納言様にお渡しするようにとこれをお預かりしました」

  鳥居が、神妙な面持ちで「御内書」の存在を明らかにした。

 

「おぬしに御内書を預けるとは、もしや、ご覚悟なされているのではあるまい」

  家斉は複雑な気分になった。

 

「ところで、鶴千代君とは、何のお話をなさったのですか? 」

 

「おぬしがそれを知ってどうする? 」

 

「大納言様にかぎって、公方様の信頼を裏切るような行いはなさらぬと信じてはおりますが、大納言様のお立場を考えると、やはり、勤王家といわれる水戸徳川藩家の嫡子とはかかわりを持たぬ方が賢明かと存じます」

 

「おぬしは、わしと鶴千代との仲をさくつもりだろうがそうはさせぬ」

 

「鶴千代君と2人だけでお会いになるのはおやめになるべきかと存じます」

 

「近習の中に裏切り者がおったとはのう」

 

「公方様は、朝廷と幕府との間が上手く行っている時は良いが、悪くなった時、将軍世子が朝廷に近い水戸徳川家の嫡子と結んでいると保守派の幕臣らに知られれば、将軍家への忠誠心がゆらぐのではないかと案じておられるのでしょう」

  鳥居が上目遣いで言った。

 

「ちと考え過ぎではないのかのう」

  家斉は口をとがらせた。

 

「公方様は、ご心労がたまって病になられたのですよ」

  鳥居が告げた。

 

「話が済んだのなら部屋に戻る」

  家斉は、逃げるようにして御仏間を後にした。その瞬間、仏壇に置いてあった歴代将軍の位牌が畳の上に落下した。

 

「位牌がひとりでに落ちるとは不吉じゃ。悪い前兆でなければ良いがのう」

  背後で鳥居の独り言が聞こえたが、家斉はふり返ることなく御仏間を出た。

 

  早速、家斉は、御庭番に命じて薬を調べさせた。その後、お会いして説明したいとの奥医師見習で本草学者の栗本丹州の願い出を許した。

 

「大納言様。この薬の原料は、マンジュサゲの鱗茎でございます」

  栗本が神妙な面持ちで告げた。

 

「マンジュサゲというのは、秋に山里に行くと野に咲いている赤くて、花火のような形をしている花じゃろう? 」

  家斉は書物で得た知識を披露した。

 

「さようです。マンジュサゲは元々唐の花ですが、近年は、我が国の野山でも見ることができます。別名死人花とも呼ばれており、一説では、その名の云われは彼岸に咲くためだとされていますが、扱いを誤ると死を招くためともいわれています」

  栗本が快活に答えた。

 

「それがまことの話であれば、あの奥医師は、公方様のお命を軽んじておるということになるではないか? 」

  家斉が言った。

 

「そうとは限りません。この薬は、マンジュサゲの鱗茎をすり潰した石蒜という薬なのですが、この薬を臓の病による水気やむくみの療治に用いると、神がかった減気が見られます。扱いを間違わなければ、死には至ることはまずありえません」

  栗本が冷静に告げた。

 

「水気やむくみは公方様の証にみられる。療法に間違いはないように思えるが、あやしげな薬を将軍家の療治に用いることはまかりならぬ」

  家斉は考え込んだ。

 

「公方様の病は脚気と聞きましたが、何故、マンジュサゲを用いたのでしょうか? 」

  栗本も考え込んだ。

 

「あれは、脚気の薬ではないのか? 」

  家斉が訊ねた。

 

「あれは肺水腫や悪性腫瘍による水気やむくみを改善する時に用いる薬で、脚気の療治に用いることはありません。おそらく、その医官は、大八木先生とは異なる診立てをしたのではござらんか」

  栗本が冷静に答えた。

 

  翌日。家斉は一晩考えた末、家治の治療にあたっていた奥医師の若林敬順と日向陶庵と御座之間にて対面した。

 

「御意を得ます。奥医師の若林敬順と申します。大納言様の御尊顔を拝し恐悦至極にございます」

 

「御意を得ます。奥医師の日向陶庵と申します。大納言様より、直々に御召し頂き恐悦至極にございます」

 

 両名、その場に平伏し恭しくあいさつした。

 

「その方らの診立てを申すが良い」

  家斉が咳払いして言った。

 

「重い病と存じます」

  若林が答えた。

 

「なれど、まだ望みはございます」

  日向が、神妙な面持ちで答えた。2人が療治のために御休息之間に入ったのを見計らい、家斉も、2人の後をついて行った。

 

「その方らが、公方様の療治を行うところがみたい」

  家斉が2人に告げた。

 

「公方様。大納言様が療治をご覧になりたいと申されていますが、同席頂いてもよろしゅうございますか? 」

  若林が、枕元に座ると家治に声をかけた。家治は、眠っているのか反応がなかった。

 

「公方様。同席をお許し頂きたい」

  家斉は家治の手を握ると言った。

 

「こやつにありのままを見せてやるが良い」

  家治が、目を閉じたままかすれ声で告げた。

 

「かしこまりました」

  若林が緊張した面持ちで返事した。

 

「しかと見るが良い」

  家治が薄目を開けると言った。日向がゆっくりと掛布団をめくった。家斉は思わず、身を乗り出した。家治の手足は、象足のごとく肥大化していた。日向は、家治の着物の裾をめくると、家治の手足にできた水気を見せた。

 

「何としたことか。これほどまでとは思いもせんかった」

  家斉は思わず顔を背けた。家治が目を大きく見開くと、家斉の方に顔を向けた。家斉は、家治の無言の圧力に圧倒させられた。

 

「公方様。こうなったら、唐薬を投薬するしか手立てはございますまい。石蒜という唐薬を用います。扱いは難しいですが、上手く行けば、神がかった減気がみられます」

  若林が神妙な面持ちで告げた。

 

「切腹する覚悟であろうな? 」

  家斉が若林に低い声で訊ねた。

 

「私の診立て通りであれば、公方様の病は投薬すれば治ります」

  若林が、ひるむことなく言い返した。

 

「石蒜の原料のマンジュサゲは毒を持った花じゃ。神がかった減気がみられることもあるが、扱いを誤れば死に至るといわれている。斯様に危うい薬を公方様の療治に使うとは、おぬし、正気で申しておるのか? 」

  家斉は思わず声を荒げた。

 

「公方様と同じ病状の患者に、石蒜を投薬して完治した先例はございます。どこの誰から聞いたのか存じませぬが、死に至るというのは、誤って口にした時の話で、こたびの療治は、石蒜を布に包み患部に貼る療法ですので斯様なことはあり得ませぬ」

  日向が冷静に説明した。

 

「まんがいち、体内に入った場合はどうする? 」

  家斉が追及すると、日向は言葉をつまらせた。

 

「素人が四の五の申したところで、療治の邪魔になるだけじゃ。下がるが良い」

  家治が、声をふりしぼるようにして言った。

 

「これにて御免」

  家斉は、今は何を言っても無駄と悟り身を引いた。御休息之間を出ようとした時だった。廊下で言い争う声が耳に飛び込んで来た。障子を開けると、鳥居忠意と意次が、激しく口論をしているのが見えた。

 

「いったい、何があったのじゃ? 」

  家斉は、2人の間に入ると口論になった理由を鳥居に訊ねた。

 

「主殿頭は、公方様の療治に、庶民の療治に用いる薬を投薬させると申しておりますが、まことの話でござるか? 御匙が、公方様に庶民の療治に用いる薬を投薬することは先例のないことでござる」

  鳥居が興奮気味に訴えた。

 

「公方様の病を治す薬がたまたま、庶民の療治に用いる薬であったのじゃ。やむを得ないことではないか? 鳥居殿。おぬしは、公方様をお救いしたくはないのか? 」

  意次が強く反論した。

 

「今しがた、わしも、療治について委細を聞いたところじゃ。まことに大事ないのか? 公方様は信用しきっておられるが、わしは不安で仕方がない」

  家斉が心配そうに言った。

 

「あの者らは、かならずや、公方様を救ってくれるはずじゃ」

  意次は、頭を下げると足早にその場から立ち去った。

  

しかし、心配していたことが現実となった。布に包んで患部に貼ったにも関わらず、傷口に、石蒜が染みるという医療事故が起きたのだ。傷口から体内に侵入した石蒜は、家治の身体を危険な状態に陥らせた。一時、危篤状態になった時、家治が、もうろうとする意識の中で、天上に浮かび上がった意次の幻想を亡者と見間違えて外にも聞こえるような大声で罵った声を偶然、耳にした者が、意次が、家治に手にかけたのだとあらぬ噂を言いふらした。実際は、その時、すでに、意次は、帰宅しており城内にはいなかったのだが、家基が急遽した際に暗殺説が流れたこともあって、真に受ける者が多かった。石蒜を用いた療治が失敗に終わっただけでなく、家治の命を危うくしたとして怒り狂った於知保が、家治に、奥医師2人を罷免し、意次を遠ざけるよう迫ったのは言うまでもない。

 

「石蒜が傷口から体内に入るなんぞ、めったにないことでござる。あの者らは、石蒜を用いた療治に慣れております。こたびの一件は、過ちではなく不慮の事故でござる」

  意次は必死に言い訳した。

 

「そなたのせいで、公方様は生死の境を彷徨われた。公方様のお命を軽んじ、己の力を過信しておる者共に、療治を任せてはおけぬ。あの者らを登用したそなたの罪は重い。罷免されなかっただけでも有難く思うが良い」

  於知保が鬼の形相で言い放ったという。その時の2人の様子は、誰からともなく、城内に広まり、1度はたち消えた暗殺説がまたもや、ささやかれることとなった。登城を禁じられた2人の代わりに、大八木伝庵を復帰させて家治の療治にあたらせることとなり、意次の立場はますます悪くなった。

 

  7月の半ば。江戸は連日のように大雨が降り続き、江戸の深川、亀戸、下谷、浅草は、浸水し、千住の民家の水位は鴨居まで達した。大雨で水かさが増した河川が氾濫し、大洪水となり、両国橋、新大橋、永代橋が流失した。28日にようやく水が引くと、歌舞伎の芝居小屋の「中村座」と「桐座」に町奉行から避難民への炊き出しの命が下ったため、芝居の出演者をはじめとする芝居小屋の関係者及び芝居町で商いする茶屋などが総出で3日間の炊き出しを行った。この水害は、農作物に深刻な被害をもたらした。凶作による米価の高騰で、市中が騒然となる中、家治暗殺の噂があっという間に城内を飛び出して、市中まで広まった。大奥だけでなく城内まで箝口令を強いているにも関わらず、遠国にいる大名にまで広まっていた。根強い暗殺説が噂される意次を罷免しない家治の心中を誰もが押しはだかった。一説には、律儀な性格が災いして、先代の遺言を頑なに守るあまり、意次を罷免することができないともいわれたが、意次は家治の秘密を握っており、家治が自分を罷免した時は、その秘密を公にするとおどしているのではないかというのが、家斉の見解であった。

 

「大納言様。どちらにおいででしたか? 」

  家斉が厠から戻ると、治済が、仏頂面で家斉を待ちかまえていた。

 

「こたびは何用で、お見えになられたのですか? 」

  家斉が慎重に訊ねた。

 

「今しがた、清水宮内卿と公方様を見舞って来ました」

  治済が咳払いして言った。

 清水宮内卿とは、徳川重好の名称だ。重好は、御三卿の清水徳川家の当主で家治の弟君にあたる。兄弟仲は良く、御台所の五十宮倫子様の御存命中は、夫婦で清水邸を頻繁に訪ねていたという。家基の死後、家治の弟にあたる重好を差し置き、家基の後継者であった家斉が、将軍世子となったこともあり不仲になったとも言われている。最近では、家来の長尾幸兵衛が、主君の重好を将軍職に就けようと意次に、多額の賄賂を贈っていたという疑惑が浮上して問題となっていた。

 

「主殿頭は、越中殿が、公方様を見舞うために登城したと聞きどこかへ走り去ったそうですよ」

  家斉が、父親の大好物である噂話を報告した。家斉は、あの話が真実だから顔を合わすのが気まずくて逃げたのだと考えた。

 

「白河藩へ追いやった負い目から、越中殿と再会するのが気まずかったのでしょう」

  案の定、治済が面白がって言った。

 

「ところで、薩摩守について何かお聞きではござらんか? 」

  家斉は、治済に顔を近づけると小声で訊ねた。

 

「薩摩守が、幕府からカピタンと内通しているとの疑いを持たれておるそうな」

  治済が小声で告げた。

 安永8年から、天明4年の間に3度、カピタンとして長崎出島に赴任したイサーク・ティチングは、島津重豪を通して日本の機密情報を収集しているという噂があったが、確たる証拠がなく蘭癖の大名にありがちな噂に留まった。

 

「主殿頭に、蝦夷地開発に着手するよう仕向けたという噂は、ウソではなさそうでござる」

  家斉は、自分が、蝦夷地開発に協力したことをうやむやにするため、蘭癖として有名な重豪が、カピタンと内通しているという情報を流したのは、治済本人ではないかと疑った。沈黙が一瞬あった後、治済が懐から桃を取り出した。

 

「その桃はいかがなされたのですか? 」

  家斉は、治済が手にしている桃に気づいて訊ねた。瑞々しくて美味しそうだ。

 

「これか? 越中の置き土産じゃよ」

  治済が、美味そうに桃をかじりながら言った。そのころ、お膳所では、於知保が、桃を胸に抱えて膳所に入って来て、自ら桃をむき出したため、お膳所の役人たちが、於知保の周りで右往左往していた。

 

「公方様は、何も召し上がらぬ故、体力がつかぬ。桃ならば、口にして下さるかも知れぬ」

  於知保は、危なっかしい手つきで桃をむいていたが、手元がすべり指を切ってしまった。

 

「あとはそれがしにお任せあれ」

  於知保に付き添って来た意次が見かねて於知保と交替した。

 

「主殿頭。桃はちと、まずいのではござらんか? 」

  周囲を取り囲んでいたお膳所の役人たちは、桃は眺めるだけで将軍の御膳に出す物ではないとされていたことから心配した。

 

「桃は有毒ではないが、本来ならば、将軍の御膳には上がらぬ品じゃ。故に、他言無用じゃ。良いな? 」

 意次が念を押すと、お膳所の役人たちはうなずいてみせた。その後、意次は、器用に桃を食べやすい大きさに切り分けると皿に盛り、御休息之間の前に居た小納戸の林忠英に手渡した。

 

「公方様。越中殿が、献上した白河産の桃でございます。お召し上がりになりませぬか? 」

  於知保が、忠英から桃を載せた皿を受け取ると枕元に置いた。

 

「食わせてくれるか? 」

  家治が頭を横に向けると、目を閉じたまま口を開けた。

 

「早く、元気になって下され」

  於知保が、家治の口の中に桃のかけらを入れた。家治は、桃を半分食べ終えると口を閉じた。

 

「半分もお召し上がりなさったか」

  意次は、下げられた皿を見るなり思わず目頭を押さえた。於知保は、家治が、安らかに眠る姿を確認すると席を外した。意次は、拝謁を許されず御休息之間の外へ追いやられていた。

 

「まだ、そこにおったのか? 公方様は、そなたが、政務をおろそかにすることは望んでおらぬ。戻るが良い」

  厠から戻った於知保は、御休息之間の前に居座る意次をいさめた。

 

「いつまた、病状が変わるかもしれぬ時に、お傍を離れるわけにはまいりませぬ。せめて、お近くで見守ることだけでもお許しを」

  意次が、床に這いつくばるようにして平伏した。

 

「我が傍についておる。それに何かあれば、ただちに処置ができるよう御匙を御座之間に待たせてある。公方様は、そなたとはお会いにならぬと仰せじゃ」

  於知保が意次を追い払った。意次は、肩を落として去って行った。

 

 その日の夜、宿直を務めていた家治付近習の酒井忠香は、上御鈴廊下の杉戸が開いていることに気づいた。

 

「公方様のお渡りはないはずなのに、何故、杉戸が開いておる? 」

  酒井は、定之助を呼ぶと問いただした。

 

「半時前に見廻った折には閉じておりました。御殿向側が、閉め忘れたのではござらんか? 」

  2人は、互いに一歩も譲らぬ勢いで対峙した。その内、二丸御展の方から、女のすすり泣く声と共に、遠く近くから念仏が聞こえて来た。

 

「公方様が病に臥せっておられるというのに、念仏を唱えるとは不謹慎極まりない。注意せねばならぬ」

  酒井は、鼻息を荒くして二丸御殿に向かおうとした。

 

「二丸御殿は、宝蓮院様が、今年の正月に身罷られたのを最後に、どなたもお住まいではないはずです」

  定之助があわてて、酒井を引き留めた。

 

「二丸御殿には、家重公側室の安祥院様もお住まいではなかったか? 久しく、消息を聞いていないが身罷ってはいないはずじゃ」

  酒井が神妙な面持ちで告げた。

 

「だとすると、念仏を唱えておられるのは、安祥院様ということになりますな」

  定之助が言った。将軍側室に注意するなどできない。2人は、互いの顔を見合わせると互いの意思を確認した。その瞬間、後ろの方で閃光が走った。

 

「火事だ」

  2人は、我先に赤い光が漏れている御休息之間へ駆け込んだ。すると、於知保が下段で坐ったまま眠りこけていた。上段からは、獣が威嚇しているような低いうなり声が聞こえて来た。

 

「しっかりして下され」

  定之助が、於知保の肩を強くゆさぶった。

 

「そなたらは何じゃ? 何故、そなたらがここにおる? 」

  於知保は、目を覚ますと目の前にいる2人に驚いた。

 

「ご無事で良うござった。それがしは、てっきり、於知保様まで具合を悪くされたと思いましたよ」

  定之助が安堵のため息をついた。

 

「公方様。ご無事でござるか? 」

  一方、酒井は、慎重に家治の枕元に近づくと家治の顔をのぞき込んだ。家治は、かすかに寝息を立てていた。

 

「安らかに眠っておられるではないか」

  於知保は、酒井の肩越しに家治の寝顔をのぞくと酒井の耳元でささやいた。

 

「今しがた、こちらから、炎が上がっているのが見えました故、公方様の御身に何か起きたのではないかと思い駆けつけましたが、ご無事のようで安堵致しました」

  酒井が、神妙な面持ちで告げた。

 

「夢でも見たのではないか? 何も起こっておらぬ」

  於知保が、きつい口調で言い放った。

 

「何事もないようですし、身共は下がらせて頂きます」

  酒井は、定之助を外へうながすと静かに障子を閉めた。

 

「おふたりはご無事でしたし、これ以上、さわぎ立てぬ方がよろしいのではございませんか? 杉戸の件は不問と致しましょう」

  定之助が上目遣いで酒井に訊ねた。

 

「馬鹿を申すな。曲者が忍び込んでいたらどうする? 何かあったら、我らの首が飛ぶ」

  酒井が、定之助の頭をこづいた。

 

「殿方が、斯様な夜更けに、御殿向で何をなさっておられますか? 」

  2人が詰所の前まで来た時、若い娘の鋭い声が聞こえた。定之助が、声が聞こえた方に燭台を向けると奥女中が仁王立ちしていた。

 

「わしは、小納戸奥之番の中野定之助と申す。杉戸の件で、御錠口番に会う為罷り出た次第」

  定之助が緊張した面持ちで答えた。

 

「私は伊曰と申します。そうとは知らず失礼しました。どうぞ、中にお入り下され」

  お伊曰が、2人を詰所に招き入れた。中では、数名の奥女中が寝ずの番をしていた。

 

「おふたり揃って、おみえになるとは何事でございますか? 」

  御錠口番頭のお登勢が、2人に気づいて歩み寄った。

 

「実は、上御鈴廊下の杉戸が開いていたのを酒井殿が見つけまして、わしは、開けた放した覚えがない故、そなたらに聞きに参った次第」

  定之助が事情を説明した。

 

「何か変わったことがあれば、火之番が気づいて報せが入るはずです。そうであろう? 」

  お登勢が、戸口に立つお伊曰に同意を求めた。

 

「さようでございます」

  お伊曰が、神妙な面持ちで答えた。

 

「我らが御殿向へ入った折、御殿向側から杉戸を閉めたのじゃ。そなたは、我らの後に参ったのではないか? 」

  酒井が、お伊曰に訊ねた。

 

「お疑いでしたら、もう1人おります故、連れて参ります」

  お伊曰が言った。

 

「我らも共に参る」

  酒井と定之助は、お伊日についてもう1人の火之番を捜した。

 

「どこにもおりません。もしや、何かあったのでしょうか? 」

  しばらくして、お伊曰が言った。

 

「行き違いになったのではござらんか? 」

  定之助が言いかけたその時だった。中奥の方から、女の悲鳴が聞こえた。

 

「公方様。ご無事でございますか? 」

  3人は、急いで中奥へ駆けつけた。すると、御休息之間の障子が開いており、於知保が障子の前に倒れているのが見えた。

 

「於知保様の腕から血が出ております」

  お伊曰が、於知保に駆け寄ると於知保を抱き起こした。その時、於知保の左腕の刺し傷に気づいた。

 

「公方様はご無事でござるか? 」

  酒井は急いで、家治の枕元に坐ると家治の顔を手燭で照らした。すると、青白い顔が浮かび上がった。酒井は、家治の変わり果てた姿に息を飲んだ。ほんの数日前は、人相が変わる程腫れ上がっていた頬はけずられたみたいにやせこけ、目の周りは窪んだせいで、眼球が引っ込んで見えた。それはまるで、荒行を終えた高僧のようでもあった。

 

「酒井様。公方様のご様子にお変わりござらんか? 」

  背後から、定之助が酒井に話しかけた。

 

「播磨守。おぬしは御匙を呼んで参れ。お伊曰殿。そなたは、於知保様を頼む」

  酒井は、テキパキと2人に指示を出した。しばらくして、定之助と共に、奥医師の大八木伝庵が御休息之間に現れた。

 

「於知保様。いったい、何が起きたのですか? 」

  伝庵が、御休息之間に入るとすぐ、お伊曰に抱き起された於知保に駆け寄った。

 

「我らが駆けつけた時には、於知保様は、お倒れになっていました」

  お伊曰が青い顔で答えた。

 

「ひとまず、流血はおさまった。御次を呼び、許へお運びせよ」

  伝庵は、於知保に止血を施すとお伊曰に指示を与えた。

 

「承知しました」

  お伊曰は一礼すると外へ出た。

 

「御臨終にございます」

  伝庵は、報せを聞いて集まった者たちの前で、家治の死を宣言した。

 

「於知保様が倒れたというのはまことでござるか? 」

  家斉が、伝庵に訊ねた。

 

「はい。しかるべき処置をした後、傍にいた奥女中に、寝所へ運ぶよう申し伝えました」

  伝庵が冷静に答えた。

 

「何故、於知保様はお倒れになったのじゃ? 」

  家斉が、伝庵に慎重に訊ねた。

 

「於知保様の左腕には、刀傷がございました。おそらく、血を見て気を失われたのではないかと存じます」

  伝庵が答えた。

 

「刀傷とな? 何者の所業でござるか? 」

  意次が驚きの声を上げた。

 

「火之番が1人行方不明になっております。おそらく、その者が何か知っているものと思われます」

  障子の前に控えていた定之助が告げた。

 

「幸い傷は浅く大事に至りませんでしたが、お心が弱っておられます。しばしの間、お傍に人をつけて見守らせた方がよろしいかと存じます」

  伝庵が渋い表情で告げた。

 

「しからば、於知保の方が倒れているのを見つけたというあの奥女中に、引き続き世話をさせてはどうじゃ? 」

  家斉が意次に提案した。

 

「仰せの通りに致します」

  意次は一礼した後、慌ただしい様子で退席した。その後、家斉は、喪服に着替えるため、一旦、宇治之間へ戻った。身支度を整え一息ついているところに鳥居がやって来た。

 

「大納言様。公方様からお預かりした御内書をお届けに罷り出ましてござる」

  鳥居は、神妙な面持ちで家斉に「御内書」と達筆な文字で書かれた懐紙にくるまれた品を手渡した。

 

「これが、公方様が、わしに遺して下さったという御内書なのだな」

  家斉は、懐紙を外して現れた古めかしい書物を注意深く見つめた。

 

「公方様は、上様に御内書の件についてご内密にせよとの遺言を残されました」

  鳥居が神妙な面持ちで告げた。

 

「大義であった。下がるが良い」

  家斉が目頭を押さえながら告げた。鳥居が退席した後、家斉は、書物の表紙を改めて眺めた。その書物の題名は「愚官抄」。鎌倉時代の初期、天台宗僧侶の慈円和尚が書いた第7巻あるという史論書の1冊だ。聞いたことはあったが、実物を見たのははじめてだった。家斉は、所々、シミや小さな破損が見られるその書物のページを慎重にめくった。書物を閉じようとした時だった。書物の間にはさまっていた絵が畳の上に舞い落ちた。

 

「何やら落ちましたぞ」

  その時、ちょうど、家斉の様子を見にやって来た本丸小納戸の中野定之助が、畳の上に落ちた絵を拾い上げた。家斉はとっさに書物を後ろに隠した。

 

「坂上田村麿による清水寺能の光景が描かれていますね」

  定之助が、家斉に絵を返すと告げた。

 

「何故、この絵が、清水寺能を描いた絵だと一目でわかった? 観たことがあるのか? 」

  家斉が、身を乗り出すと訊ねた。

 

「幼少のころ、あるお方のお供で京師へ参った折、清水寺にて行われた能を観ました。その時、演じられていたのが清水寺能でござった」

  定之助が遠い目で覚え語った。

 

「これが、かの有名な清水の舞台か。ここから飛び降りて願掛けする者もいると聞く」

  家斉が、絵を眺めながらつぶやいた。

 

清水寺能は、勝ち戦の武将を主人公とする修羅能にござる。大和国の僧の賢心が、京師の清水寺を訪れた折に出会ったほうきを持った少年に素性を訊ねると、地主権現に仕える者であると答えた。僧が、清水の来歴を尋ねると少年は田村麿が建立した謂れを語る。僧は少年と清水の桜を楽しむ。その後、少年は、ひとりで田村堂へ入る。残された僧の前に清水寺門前が現れ清水寺縁起を語り、少年は、田村麿の化身だと告げる。僧が法華経を読経すると、武者姿の田村麿が現れるという筋書きでござると定之助が能弁に語った。

 

「この絵に、斯様な謂れがあったとはのう」

  家斉が言った。

 

「観音の霊力により敵を蹴散らす田村麿の舞はたいそう素晴らしく、いたく感服致しました」

  定之助は、家斉の言葉が耳に入っていない様子で熱く語った。

 

「良い話を聞いた。この絵はしまっておくにはちと惜しい」

  家斉は、腕を組んで思案した。いつでも眺められるようにするにはどうすれば良いか考えた結果、思いついたのが掛け軸に仕立て直すことだ。

 

「その書物は何ですか? 」

  定之助は、家斉の背後に隠された書物を目ざとく見つけると指摘した。

 

「実は、この絵はこの書物の合間に挟まっていたのじゃ」

  家斉は、後ろに隠した「愚官抄」を出して見せた。

 

「愚官抄はまだ、上様にはちと難しいのではないかと存じます」

  定之助が告げた。

 

「もとより読むつもりで持っていたのではない。遺品を頂いたのじゃ」

  家斉は、ムカッと来て思わず口をすべらせた。

 

「この書物を書いたという慈円和尚は後鳥羽上皇の身辺に挙兵の動きがあると知り、西園寺公経と共に反対に出た。これは、挙兵を留まらせるために書いたものだと言われています。結局、後鳥羽上皇は、挙兵した末に敗れ配流となった。慈円和尚の兄にあたる九条兼実の曾孫にあたる仲恭帝が、後鳥羽上皇に連座して廃位されたことに憤慨した慈円和尚は、仲恭帝復位を願う願文を収めたと言われています」

  定之助が、神妙な面持ちで語った。

 

「後鳥羽上皇のことまで知っているとは正直驚いた。史書を読み解くよりも、そちから聞いた方が早いのではないか? 」

  家斉が、感心したように言った。

 

「愚官抄の合間に挟まっていたということは、その絵は後鳥羽上皇を示す絵なのかもしれませぬ。坂上田村麿の化身だとする少年は後鳥羽上皇を示しているに違いない」

  定之助が考え深げに言った。

 

「上様。田沼意次でござる。御目通り願います」

 ふいに、障子の外から意次の声が聞こえた。家斉は、部屋の隅に鎮座していた木村重勇に障子を開けるよう命じた。意次が、障子が開くなり中へ飛び込んで来て家斉の前に着座した。

 

「何用じゃ? 」

  家斉がぶっきらぼうに訊ねた。

 

「一同、御座之間にて上様の御出ましを待っております」

  意次が恭しく告げた。

 

「それがどうした? 評議するのはそちらの役儀じゃ。わしには関係なかろう」

  家斉はそっぽを向いた。

 

「家治公の葬儀や幕閣の新たな人事など評議せねばならぬ儀が山のようにござる。休んでいる暇などございますまい」

  意次が厳しい表情で訴えた。

 

「下がるが良い。わしには評決を伝えるだけでかまわぬ」

  家斉が、追い払う仕草をしてみせた。

 

「何を申されますか? 上様がおられなくては何事もはじまりません。ただちに、政務におつきいただきませんと幕政が滞ってしまいます」

  意次が、やりきれないと言った風に言った。

 

「相分かった」

  家斉は、重い腰を上げると意次を随い御座之間へ向かった。御座之間には、大老、老中、若年寄といった重職に就く者たちが勢揃いしていた。

 

「上様。お待ちしておりました。こたびの議題でござる」

  大老の井伊直幸が、家斉に書状を差し出した。

 

「その方。名を何と申す? 」

  家斉は、書状を受け取ると訊ねた。

 

「大老の井伊直幸と申します」

  直幸は、一礼すると速やかに席に戻り声高々に告げた。

 

「上様が、御出ましになられたことですし評議をはじめます」

  家斉は、周囲を見渡しながら知らぬ顔が多いことに改めて気づかされた。

 

「上様。お渡しした書状をご覧くだされ。まずは誤りがないか確認頂きたい」

  若年寄の井伊直朗が小声で告げた。家斉は、直幸から手渡された評議文書に目を通した。いつ、用意したのか文句のない完璧な内容であった。

 

「通例通り、発葬は9月8日とし墓所は上野の寛永寺となります。その間、新たな幕閣人事が決定となります故、それまでは、今まで通り、各自役務に励むように」

  直幸が告げると、一同が、声を揃えて承知つかまつりましたと大声で返答した。評議の後、家斉は、最後まで居残りぼんやりとその場に坐っていた。

 

「上様。いかがなされましたか? 」

  意次が、まるで尻が畳に張りついたかのようにその場に佇んでいる家斉を見兼ねて声をかけた。

 

「集まった者らの半分も知らぬというに、向後、あの者らと上手くやっていけるのであろうか」

  家斉が重い腰を上げると言った。

 

「上様は、これまで幕政に関わっておられなかった故、全ての者を存じ上げないのは、無理もないことと存じます。追々、近しくなればよろしいのでは」

  意次が穏やかに告げた。

 

「しかりその通りじゃ」

  家斉が相槌を打った。

 そのころ、松平定信は、葬儀の後も江戸に残り表向きには田安家の用事を済ませていると装いながら、在府の譜代や大小の大名たちと会い意次率いる田沼派の一掃と、自らの老中首座就任のための協力を申し入れ今後の作戦を練っていた。また、田沼派一掃に向けて、蝦夷地開発の中止を訴え始めた。世論もそれに応えるかのように、幕政批判をくり返した。幕府は、ひとまず蝦夷地に赴任していた探検隊を帰還させることにした。意次は、探検隊を帰還させることを最後まで反対したが、もはや、それに賛同する者はいなかった。この時から、意次は、真剣に辞職を考えはじめた。蝦夷地開発が頓挫した場合、責任を取り辞職する宣言は実現に近かった。

 

 

 


 家治の死が公表されてから1か月後。家斉は本丸御殿へ遷った。家斉は、御庭番の川村修富を本丸へのお伴に命じ、家治の時代に小納戸を務めた林忠英と中野定之助を引き続き、本丸小納戸に就かせた。また、西丸御殿時代から家斉の近習を務める水野忠成と木村重勇も、家斉と共に西丸御殿から本丸御殿へ遷った。定之助は、家斉から寵愛を受けていることを良いことに家斉の傍を独占し始めた。本丸御殿に遷った2日後の正午過ぎ。家斉は、政務を早々に切り上げると井呂裏之間にて、木村を相手に将棋を打っていた。

 

「上様、いかがなされましたか? 」

  木村は、家斉が打つ手を休めて考え込んだことから心配して訊ねた。

 

「そちは、辞職願を出した主殿頭の真意をいかに考える? 」

  家斉は、意次が辞職を願い出たことに対する意見を木村に求めた。

 

「それがしには何とも‥ 」

  木村は考え込んでしまった。

 

「主殿頭が、自ら御役御免を願い出るとは思いもしませんでしたが、辞めさせる手間が省けて、かえって良かったのではござらんか? 」

  2人の対局を見ていた定之助が、木村を尻目に横から口を挟んだ。

 

「今になって、自ら身を退くとはどうも解せぬ」

  家斉は腕を組んで思案した。周りに流されぬことなく信念を貫いて来た男の引き際にしては、あっさりし過ぎやしないかと思った。

 

「幕政に対する民の批判が強まる中、主殿頭も思うところがあったのでござろう」

  木村が苦み走った顔で告げた。

 

「意次は、わしと交わした約束をまだ果たしておらぬ」

  家斉が口を曲げた。意次から、大奥の改革に着手したという報告は未だ届かない。辞職願を提出したということはその気がないということになる。

 

「主殿頭の辞職を機に、幕閣から、田沼派を一掃なされば良いのではないかと存じます」

  定之助が興奮気味に告げた。

 

「たわけ者。何を申すか? 」

  家斉は、思わずムカッときて定之助の頭をこづいた。家治の死を悼む間もなく、意次を早く罷免しろと催促する父に対し家斉は反発を強めた。

 

「皆がそう申しております」

  定之助が頭をさすりながら言った。

 

「今は喪に服さねばならぬ時じゃ」

  家斉は、意次の辞職を素直に受け入れることができずにいた。

 

「播磨守。ちとよろしいか? 」

  忠英が、遠慮気に井呂裏之間へ入って来た。

 

「こやつめ、推参致しおいて。それがしは、上様と大事なお話をしているのじゃ。うぬには、それがわからぬか? 」

  定之助が厳しい口調でとがめた。

 

「御用達の呉服商が、上様が将軍就任式にお召しになる裃の納入に参ったら、伝えるように申したのは貴殿ではござらんか? 」

  忠英がムキになって言い返した。

 

「それを早く言わぬか? おぬしはいつも一言足りぬ」

  定之助が、忠英の頭を軽くこづいた。

 

「言おうとしたら、貴殿が止めたのでござらんか」

  忠英がしかめ面で反論した。

 

「上様。中座をお許し下され」

  定之助は一礼した後、忠英の尻をたたきながら退席した。

 

「上様。民部卿がお見えでござる」

  しばらくして、忠英が障子越しに告げた。

 

「何? 父上がお見えになっただと? 」

  家斉は急にあせり出した。治済が動き出すと必ず、何かが起きる。

 

「登城されて間もなく、談事部屋にお入りになりましたが、今しがた、退出されて、こちらへ向かわれている次第」

  忠英が冷静に報告した。

 

「今、談事部屋と申したか? 」

  家斉は身を乗り出して訊ねた。

 

「さようです」

  忠英が返答した。

 

「父上の元にも、公方様の遺言を伝える書状が届き、委細をたしかめるために登城なされたのじゃ」

  家斉は、意気揚々と登城する治済の姿を想像して身震いした。

 

「上様。どちらへおでかけですか? 」

  水野忠成は、家斉が部屋から飛び出して来たかと思うと縁側から庭へ飛び降りたので驚いて引き留めた。

 

「父上には、わしは不在だと伝えよ」

  家斉はそう言うと、周囲を慎重にうかがいながら庭を駆け抜けて行った。水野は、あわてて家斉の後を追いかけた。

 

「上様。おケガはござらんか? 」

  水野は、御三丸入口御門の潜り戸の前で家斉に追いついた。家斉は、潜り戸の淵にからだがすっぽりはまってしまい、外へ抜け出すことができず立ち往生していた。水野忠成は、家斉のからだを内へ引き戻した。家斉は、潜り戸の淵からぬけ出た拍子に地面に尻餅をついた。

 

「ちと菓子をひかえねばならぬのう」

  家斉が、水野の肩を借りて上体を起こすと言った。

 

「民部卿と何かあったのですか? 」

  水野が訊ねた。

 

「父上は、田沼派が牛耳る幕閣に強い不満を抱く御三家と結託して政敵の意次を追い出すため、着々と準備をなさって来られた。ついにその時が来たようじゃ」

  家斉は、尻についた砂をはらうと言った。

 

「お会いになれない事情はわかりました。なれど、御忍で城外を散策なさるは、しばし、お控え下され」

  水野が頭を下げて言った。

 

「相分かった。外へは参らぬ故、安心して戻るが良い」

  家斉は、水野を追い返すと奥向の方へ向かった。家斉が、奥向に足を踏み入れた途端、その場に居合わせた奥女中たちが色めきたった。好奇の視線を浴びながら廊下を闊歩していると、庭の方から、何やら威勢の良いかけ声が聞こえた。縁側から庭を眺めると、見知らぬ武家の娘が、数人の奥女中たちと共に額に汗を光らせて薙刀を振っていた。

 

「あの勇ましい女人は何者である? 」

  家斉は、通りかかった奥女中を捉まえると訊ねた。

 

「あの女子は、別式という武芸指南役でございます。種姫様付御中臈らに薙刀や馬術の稽古をつけております」

  奥女中は、お辞儀すると立ち去った。家斉は、一目でその別式の美しさに心奪われた。家斉が見とれていると、その別式が、家斉に気づいてお辞儀をした。

 

「その方。名を何と申す? 」

  家斉は、縁側からその別式に声をかけた。

 

「押田耀と申します」

  耀は、はつらつとした表情で名を名乗った。耀は、先祖代々本丸小姓を務める押田氏の娘で、家治に仕える小姓の押田勝長の妹にあたる。またの名をお楽という。

 

「そなたのような器量良しの女人を別式にとどめておくのは実に惜しいのう。いっそのこと、奥向に仕えたらどうじゃ? 」

  家斉が鼻の下を伸ばした。

 

「いたみいります」

  耀は頭を下げた。

 

「大崎局にそなたを部屋方にするように申し伝える」

  家斉は満面の笑みを浮かべた。

 

「おそれながら、私は、すでに種姫付の御中臈となることが決まっております」

  耀は、お辞儀すると稽古を再開した。

 

 家斉は、その足で大崎の元へ向かった。大崎の部屋を訪ねた時、ちょうど火之番のお伊曰が来ていた。

 

「その方はたしか、火之番のお伊曰ではないか? 」

  家斉が思い出したように言った。

 

「さようでございます」

  お伊曰があわてて、その場に平伏した。

 

「この者をご存じでしたか? 奥女中の分際で御役御免を直訴するとは、身の程をわきまえるよう叱りつけておった次第」

  大崎が、眉間に皺を寄せて言った。

 

「お伊曰はうら若い娘じゃ。成り行きとはいえ、桜田屋敷へ追いやったことは、考えが足りなかったかもしれぬ」

  家斉がお伊曰をかばった。

 

「あろうことか、この娘は、蓮光院様の病は治った故、して差し上げることは何もない、前の職に戻して欲しいと直談したのでございます」

  大崎は、横目でお伊曰をにらむと訴えた。

 

「まことの話でございます。傷の方も治りましたし身の回りのお世話は、御付の御女中らがしております。これ以上、看病は不要かと存じます」

  お伊日はきっぱりと告げた。

 

「そういうわけじゃ」

  家斉が大崎に言った。

 

「蓮光院様を襲った刺客も未だ、見つかっておりませんし、蓮光院様の侍医は、蓮光院様は心の病を患った故、お傍で見守る者がいると申しております。お伊曰は、上様の申し伝えにより、蓮光院様の看病人となりました。故に、私が独断でその任を解くわけにはまいりませぬ」

  大崎が神妙な面持ちで告げた。

 

「お伊曰。蓮光院の看病人の任を罷免し、新たに於富様付御中臈を申し伝える。大崎。そなたには、蓮池院の新たな看病人捜しを申し伝える」

  家斉はそれぞれに命令した。

 

「ありがとう存じます」

 

「承知しましてございます」

 

 2人は、それぞれ別の感情を抱きつつ命令を受けた。

 

「もう、下がるが良い」

  大崎は、お伊日を下がらせると御人払いした。

 

「大崎、そなたに申し伝えることがござる」

  家斉が改まって告げた。

 

「私も上様にお話がございます」

  大崎が咳払いして言った。

 

「奥女中に、武芸の稽古をつけておる別式が奥向に出入りしておろう? あの者をそなたの部屋子に抱え申せ」

  家斉が興奮気味に言った。

 

「もしや、耀をお気に召したのですか? おそれながら、あの者はすでに、種姫付の御中臈と決まっております」

  大崎が決り悪そうに告げた。

 

「そなたの力で何とかならぬか? あのまっすぐで大きな瞳が良い。器量が良いだけでなく知性を感じる。何より、勇ましい女人と言うのが気に入った」

  家斉がうっとりした表情で言った。

 

「耀を側室としてお考えですか? 」

  大崎が眉をひそめた。

 

「さもあろう」

  家斉が顔を赤らめた。

 

「側室をお選びになる前に、御内証を決めなければなりませぬ」

  大崎は、家斉の御内証に相応しい御中臈候補に目星をつけたという。

 

「手ほどきを受けずとも何とかなる」

  家斉が逃げ腰で言った。

 

「何事もはじめが肝心だと申します。初の御褥が、向後を左右すると申しても過言ではありませぬ。御年寄衆の評議にて、上様の御内証に相応しい者を何人か選び、絵師を呼んで、候補者の人相書を作らせました故、ご覧に入れましょう」

  大崎は、文箱から絵を数枚取り出すと家斉の前に並べた。

 

「わしには茂姫という許嫁がおる。他の女人を相手にするなどできぬ」

  家斉がめいわくそうに言った。

 

「御内証選びは、一橋家の血筋を将軍家に遺すための大切な儀でございます」

  大崎は、候補者の人相書の1枚を家斉の前に並べた。家斉は、おそるおそるその中の1枚を手に取った。その絵に描かれた娘は、色白のおたふく顔だった。

 

「こやつはちと肥え過ぎじゃ。わしを愚弄しておるのか? 」

  家斉がその1枚をはねつけた。

 

「おまるは、上様より8つ年上ですが、美形で気立ての良い健やかな女人でございます。それに、1度、旗本に嫁いだことがあり、男女の営みを知り得ております。御内証に相応しいと存じます」

  大崎が自信満々に主張した。

 

「何を言われても、気に入らぬものは気に入らぬのじゃ」

  家斉は、大きく首を横に振った。

 

「しからば、他の候補者はいかがでございますか? 」

  大崎が身を乗り出して訊ねた。

 

「この者に決めた。器量良しじゃ」

  家斉は、はねつけた人相書の隣に並べられた人相書を手に取ると、大崎の顔の前につき出した。

 

「上様が、お宇多をお選びになるとは高丘局のよみは、見事にあたりましたな」

  大崎が感心したように言った。

 

「この者は高丘局の縁者か? 」

  家斉が訊ねた。

 

「実を申しますと、お宇多は主殿頭の縁者だということで高丘様が、ぜひにと推挙されたのでございます」

  大崎が小声で答えた。

 

「田沼家の女人を勧めるとは、いかにも田沼贔屓の高丘らしいのう」

  家斉が腕を組むと言った。姿形は好みだがその背後が問題だ。

 

「お宇多は、おやめになられた方がよろしいかと存じます」

  大崎が神妙な面持ちで告げた。

 

「何故じゃ? 」

  家斉が、大崎の顔をのぞき込むと訊ねた。

 

「上臈御年寄の高丘様の推挙である故、除くことはできず候補者に挙げはしましたが、私は気が進ません」

  大崎は反対の意思を示した。

 

「相分かった。内証の件はそなたに委ねるとしよう」

  家斉は、大崎の勘を信じることにした。

 

「おまかせ下され」

  大崎が深々と頭を下げた。

 

 家斉が、本丸に戻ったのは夕餉の支度が整った後のことだった。家斉の姿が見えると、定之助が駆け寄って来た。

 

「上様。お忘れとは言わせませんぞ。奥向へ参られる時は、お伴しますと申し上げたではござらんか」

  定之助が障子を開けるなり言った。

 

「内々の話をしに参ったのじゃ」

  家斉がぶっきらぼうに言った。

 

「もしや、御内証の方が決まりましたか? 」

  定之助が目を輝かせて訊ねた。

 

「お宇多と申す娘が良かったが、大崎が反対しておる故、別の者に決まるかも知れぬ」

  家斉が答えた。

 

「お宇多? どこかで聞いた名でござるな」

  定之助が考え込んだ。

 

「ここだけの話だが、お宇多は、田沼家の縁者だそうじゃ」

  家斉は、定之助に耳打ちした。

 

「思い出しました。たしか、主殿頭の次女の名がお宇多でござる。若年寄の井伊直朗に嫁いだと聞いていましたが、何故、御内証の候補者になっているのですか? 」

  定之助は興奮気味に訊ねた。

 

「さあな。それより、今、井伊直朗に嫁いでいたと申したか? 」

  家斉は口をとがらせた。

 

「さようでござる。御内証の候補になったということは、離縁したということになりますな。井伊直朗と大老の井伊直幸は共に田沼派でござる。田沼派と縁を切ってまで、娘を上様の御内証にしたかったのでしょうか? 」

  定之助が、家斉に顔を近づけると言った。

 

「政略結婚には色々あると母上から聞いたことがある。やはり、離縁した理由が気になる」

  家斉が腕を組んで言った。

 

「しからば、弟子に、田沼派の動きを探らせましょう」

  定之助がはりきって言った。

 

「おぬしに弟子などおったか? 」

  家斉が上目遣いで訊ねた。

 

「上様が御物茶師に召し抱えた熊蔵のことでござる。熊蔵の方から、我の弟子にして欲しいと願い出ました故、弟子にしてやりました。実は、奥坊主に空きがあり、上様のご寵愛を受けていると幕閣に働きかけたところ、あの者を奥坊主に召し抱えるお許しを頂きましてございます。これもすべて上様のおかげ。熊蔵には、上様のために身を粉にして働くようにと誓わせました。何なりとお申しつけ下され」

  定之助が得意気に言った。

 

「さよか」

  家斉は、上様のおかげと聞いて気を良くした。

 

「おそれながら、熊蔵が、円成坊と名を改めたいと申し出ました。上様のお許しがあれば、ただちに改めさせたいと存じます」

  定之助が上目遣いで告げた。

 

「しからば、こたびの一件を上手く務め上げたら改名を許すことに致す」

  家斉は条件を出した。

 

「仰せの通りに致します」

  定之助は、にっと笑うと返答した。

 

 家斉が予想した通り、ついに、治済が行動に出た。御三家当主は、それぞれが、田沼意次主導の政策を厳しく批判した上で、幕閣人事の刷新と意次を厳罰に処する旨を幕閣に申し入れたのであった。意次の失脚後もなお、田沼派の幕臣の松平康福が、老中首座に就くなど、幕閣の中枢には、相変わらず、田沼派の幕臣が君臨していた。幕政を強化するとの目的で、鳥居忠意と牧野貞長が、老中職に任ぜられた他、治済は、御三家当主に働きかけると同時に、田沼派の御側御用取次の横田準松を牽制するため、同じく御側御用取次の小笠原信喜を取り込んで、いっせい攻撃を仕掛けてきた。一方、大奥では意次を支持する勢力が残存しており、幕府の財政が悪化する中、大奥を優遇した意次に対する奥女中の信頼は厚く相変わらず人気があった。大奥では、意次と近しい仲であった御年寄筆頭の高丘が中心となり、意次の罷免撤回懇願書が幕閣に提出された。

 

ある日の昼下がり。於富が、御目通りを願い出ていると聞き、家斉は緊張した面持ちで於富と対面した。

 

「お召し上がれ」

  於富が家斉に饅頭を勧めた。

 

「ありがたく頂戴致す」

  家斉は、饅頭を1つ手に取った。

 

「先日、大奥の奥女中らが、主殿頭の罷免撤回懇願書を幕閣に提出しましたが、民部卿が、田沼派を一掃するよう幕閣に働きかけているフシがあり、このままでは、主殿頭の罷免は免れないと危惧し、大奥においても、策を練っておる次第でございます」

  於富が神妙な面持ちで告げた。

 

「何故、奥女中らは、意次の罷免撤回を望んでおるのでござるか? 」

  家斉が素朴な疑問を投げかけた。

 

「これまで、主殿頭は奥向の儀を優遇して下さった。主殿頭には返し切れぬ恩があると、御年寄をはじめ、多くの者らが申しております。その恩を忘れて、身の保全を図ろうとする者は大奥にはおりませぬ。私も、主殿頭の罷免撤回を切に願っております」

  於富の意思は強かった。

 

「わしは、中立を守らねばならぬ」

  家斉がきっぱりと告げた。

 

「それでも、こうして身共の意見に耳をお貸し下さった。感謝致します」

  於富が頭を下げた。

 

「政務が残っています故、これにて御免仕る」

  家斉は、逃げるように御休息之間へ舞い戻った。

 

「上様。ちとお話がござる」

  家斉が御休息之間下段にて政務を行っていると、木村が家斉に耳打ちした。

 

「何じゃ? 」

  家斉が小声で訊ねた。

 

「今朝、御坊主が参りまして今宵はどうかと訊ねられました故、お渡りになるとお答えしましたが問題ござらぬか? 」

  木村が上目遣いで訊ねた。

 

「相分かった」

  家斉は、心ここにあらずの返事をした。その日の午後。家斉が奥泊まりすると聞きつけた定之助が、にこにこしながら近づいて来た。

 

「上様。今宵、奥泊まりなさると聞きましたぞ」

  定之助は、家斉に耳打ちした。

 

「将軍の務めとはいえ、許嫁の茂姫以外の知らぬ女人を抱くのは、どうも気が進まぬ」

  家斉が決り悪そうに言った。

 

「お宇多の件ですが、井伊直朗とお宇多の離縁には、どうやら、御三卿が関与しておるようでござる」

  定之助が小声で言った。

 

「御三卿といえば、田安、一橋、清水の三家じゃ。田安家は当主不在。清水家当主は病に伏しておる。残るは一橋しかおらぬではないか」

  家斉は、まわりくどい言い回しにイラ立った。

 

 家斉が、西丸御殿に遷ると共に、一橋家家老から、小姓組番頭格の西丸御側取次見習いとなった田沼意致の出世は、意次と治済との関係が良好であった時に実現したことであり、治済が、意次を罷免に追い込んだ今となっては、意致の出世は止まるどころか降格も避けられない。家斉は、治済が、井伊家に、将軍の父で御三卿の自分が幕閣に働きかければ、人事はどうとでも変えられると迫り、田沼家との縁を断ち切るよう迫ったのではないかと考えた。

 

「井伊家に限らず、主殿頭のご子息や甥と養子縁組した田沼派の幕臣らが、養子縁組を解消し田沼家と縁を切ることは必至でござろう」

  定之助が神妙な面持ちで告げた。

 

「皆、冷たいのう」

  家斉が皮肉った。

 

「主殿頭が、身の保身を図るため上様に娘を献じたとすれば、お宇多の名が候補に挙がったことも納得が行きます」

  定之助が、家斉の顔をのぞき込むと言った。

 

「大崎が反対しておる故、主殿頭の望み通りには事は運ばぬ。よくぞ、調べてくれた。約束通り熊蔵の改名を認める」

  家斉が憮然とした表情で告げた。

 

 その夜、家斉は、脇差のみの着流しで、定之助を従え上の御錠口まで行くと、奥向へ通ずる上御鈴廊下へ緊張した面持ちで足を踏み入れた。次の瞬間、家斉は、鳴り響いた御出ましを報せる鈴の音に驚き、思わず、足がすくんだ。

 

「お迎えにあがりました」

  上臈御年寄の高丘と表使のお八重が、家斉を出迎えて御小座敷へ先導した。

 

「上様。緊張なさっておられますか? 」

  高丘が、茶碗にお茶を注ぐと訊ねた。

 

「大事ない」

  家斉は強がってみせたが、茶にむせたことで緊張していることがばれた。

 

「何もおそれることはございますまい」

  お八重が、家斉の背中をさすりながら言った。その後、家斉は、高丘に促されて、御内証が待つ寝所に入った。寝所には、布団が4枚並べて敷いてあった。

 

「何故、布団が4枚並んでおるのじゃ? 」

  家斉は高丘に訊ねた。

 

「御内証の他に、添い寝の御中臈と御坊主が控える慣習となっております」

  高丘は言い終えると、家斉をその場に1人残して立ち去った。御内証は、家斉が近づくと両手をついて頭を下げた。

 

「面を上げぃ」

  家斉は、御内証となった御中臈の傍に坐ると命じた。御内証となった御中臈は、おそるおそる顔を上げた。家斉は、御内証となった御中臈の顔を上げた途端、思わず、つばを飲み込んだ。御内証となった御中臈は、はじめて見る顔だった。直前まで、お宇多に決まっていたが、急遽、取り消しとなり、茂姫付の御中臈の中から、幕臣の平塚為喜の娘のお万が選ばれたのだった。

 

「その方、名は何と申す? 」

  家斉が咳払いして言った。

 

「お万と申します」

  お万がうつむき加減で答えた。

 

  翌朝、目を覚ますとすでに隣にお万の姿はなく、家斉は昨夜のことを思い出して余韻にひたっていた。そこへ、高丘がやって来て枕元に坐った。

 

「上様。お目覚めよろしゅうございます」

 

「お万の姿が見えないがどこへ消えた? 」

  家斉は、着物に袖を通すと周囲を見渡した。

 

「上様がお目覚めになる前に退出する掟通り、夜明け前に下がらせました」

  高丘が答えた。

 

「こたびは、上様に、御褥の作法をきちんと指南できる女人を選びましたが、上様のお好みをお教え頂ければ、向後は、できるだけ上様のお好みに添うような女人を選ぶように致します」

  高丘が穏やかに告げた

 

「ところで、お宇多はいかがしたのじゃ? 」

  家斉はそれとなく訊ねた。

 

「お宇多のことをご存じなのですか? 」

  高丘が目を丸くして訊き返した

 

「大崎から御内証の人相書を見せられた故、あの娘を選んだのじゃ。そなたが推挙したと聞いたぞ」

  家斉がぶっきらぼうに答えた。

 

「身元に不都合あり、御召し出しを取り止めたのでございます」

  高丘が気まずそうに答えた。

 

「不採用になったならば仕方がないのう」

  家斉は複雑な気持ちになった。意次の娘が御内証というのもおかしなものだが、お宇多は家斉の好みの女だったので、会って話しがしてみたいと期待もしていた。

 

 治済は、いつ訪ねても家斉が不在なことを不審がるが、ほぼ、意次の引退が決まったこともあり安心しきっていた。田沼派の幕臣たちの間でも、保身のために意次と縁を切る者と大奥と結託する者とに分裂した。老中の水野忠友は、水野家の養子とした田沼意次の4男、意正との養子縁組を解消して実家に戻らせた。水野忠徳と名乗っていた意正は、母方の姓を称して、「田代玄蕃」に改名を余儀なくされた。その一方で、大老の井伊直幸は、同族で若年寄の井伊直朗と共に大奥の御年寄と結ぶと同時に、代替りの後も留任できるようにと老中や御側御用取次たちに賄賂を贈った。

 

「上様。民部卿から書状が届いております」

  定之助が、手つかずの書状の山を横目に今朝、届けられた書状を手渡した。

 

「後で目を通す故、それへ」

  家斉は、未開封の書状の山に加えるように顎で指図した。

 

「上様。何故、民部卿からの書状を後回しになさるのでござるか? 」

  定之助が、難しい表情をしながら書状を書く家斉に訊ねた。

 

「読まぬとは申しておらぬ」

  家斉が、書き終えた書状を折りたたむと答えた。

 

「なれど‥ 」 

  定之助は、どういうわけか引き下がらなかった。

 

「これを田沼意次へ手渡すのじゃ」

  家斉が、定之助に書状を手渡した。

 

「上様。意次殿に書状とは、いったい、どういう風の吹き回しでござるか? 」

  定之助は書状を受け取ると訊ねた。

 

「人づてではなく、かならず、当人に手渡すのだ。良いな? 」

  家斉は、定之助の顔を見つめると念を押した。

 

「承知仕りました」

  定之助は一礼すると引き下がった。

 

 それから数日後、家斉は、御忍で妙法寺へ行った。

 

「上様。客人が、先にお着きになり中でお待ちです」

  住職が出迎えた。

 

「待たせたな」

  家斉は、平伏す客に声を掛けると着座した。

 

「上様より、謁見を賜り恐悦至極に存じます」

  意次が、緊張した面持ちであいさつをした。

 

 「堅苦しいあいさつは抜きにして楽にせよ」

  家斉が穏やかに告げた。

 

 「いたみいります」

  意次が背を正した。

 

 「そちに対する風当たりは相当強い。嵐の目に身をおいておるようじゃ」

  家斉が神妙な面持ちで告げた。

 

 「お恥ずかしい限りでござる」

 意次が神妙な面持ちで告げた。

 

 「12月27日をもって謹慎を解く故、そのつもりで、来年の年賀の席に出席するが良い」

 家斉は、言うことだけ言い終えると立ち上がった。意次は、一瞬、驚いた表情で、家斉を仰ぎ見たが、すぐにその場に平伏した。境内で待たされていた定之助は、家斉が入ったと思ったら、すぐに出て来たので何事かと駆け寄った。

 

「上様。どなたと会っておられたのですか? 」

 定之助が訊ねた。

 

「参るぞ」

 家斉は、定之助の問いに答えることなく颯爽と馬にまたがった。

 

「上様は、誰と会っておった? 」

 定之助は、家斉を見送るため外に出て来た住職を捉まえると小声で訊ねた。

 

「さあ、存じ上げませぬ」

 住職は、口止めされているらしく白を切った。

 

「何をしておる」

 家斉は、ついて来ない定之助を急かした。

 

 「ただいま、参ります」

 定之助は、住職をにらむと馬にまたがり家斉の後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 年が明けて、江戸城で催された年賀の席において、謹慎の身の意次が、老中に準ずる席次に参列したことに参加した者たちは驚きを隠せなかった。意次は、普段と変わりない様子で堂々と振舞った。年賀の席の後、家斉は、意次を御座之間に呼んだ。

 

「そちを呼んだのは言うまでもない。老中復帰に相応しい役儀を申し渡すためじゃ。奥向の費が、幕府の財政を圧迫しておることはそちも知っておろう? 奥向に、無用な費を控えるように申し伝えよ」

  家斉は、意次の出世の後押しをしてきた大奥に対して出費を抑えるように苦言を呈することが、はたしてできるかと意次を試した。

 

「奥向には、綱吉公の御台所付の常盤井が上臈御年寄として権勢を振るった時代から、京風の華美な風習が根強く残っていまして、今までも、華美な風習や無駄遣いを改めさせようと、倹約断行に乗り出した者共が、ことごとく、左遷や罷免に追いやられている始末でござる。奥向に無用な費を控えるように申し伝えることは、はなはだ難しいことと存じます」

  意次は予想通り断って来た。

 

「大奥の支援を得て出世したそちにとって、大奥を敵に回すことはたやすいことではなかろう。なれど、そちが幕閣で生き残る道は、大奥に質素倹約を強いる道しか他にないのじゃ」

  家斉は、印籠を意次に渡すつもりで言い放った。

 

「上様。おそれながら、お願いしたい儀がござる」

  意次が頭を下げた。

 

「何じゃ? 」

  家斉が咳払いして言った。

 

「蝦夷地の探検隊に参加した最上徳内が、蝦夷地に戻ることを願い出ております。調査は中止となりましたが、あの者が、蝦夷地の開発に懸ける思いは並大抵のものではござらん。松前藩の動向も気になりますし、蝦夷地の調査は、やはり、続けるべきかと存じます。探検隊を再び蝦夷地へ赴かせることをお許し頂きたい」

  意次が必死に訴えた。

 

「最上は、幾度となく蝦夷へ侵入しようとして松前藩に目をつけられているそうではないか? 斯様な不届き者を蝦夷へ赴かせる訳には行かぬ」

  家斉がため息交じりに言った。

 

「おそれながら、何かが起きてからではおそいと存じます。先日、赤蝦夷人が蝦夷地に迫っているとの報告が幕閣にござった。赤蝦夷は、我が国との通商を要望しておるようでござる。また、赤蝦夷は長崎などに開港して蝦夷地の金銀を発掘し交易を開くことを提案する絶世論家もおります。是非ともこれを一読いただきたい」

  意次は、家斉に工藤平助著の「赤蝦夷風説孝」を差し出した。

 

「相分かった。老中らに、蝦夷地開発を再開するべきか否かを評議させる」

  家斉は、神妙な面持ちで書物を受け取ると告げた。

 

幕政を重臣に委ねるのではなく、向後は、将軍親政をお考えになるべきかと存じます」

  意次は、幕政の一線から退いてはいたが今も尚行く末を案じていた。

 

「先代はどうあれ、わしは委ねたつもりはない」

  家斉が咳払いして言った。

 

「ところで、御休息之間の床の間にかかっていた掛け軸ですが、外された方がよろしいかと存じます」

  意次は、なぜか、床の間に飾られていた掛け軸の話を持ち出した。

 

「何故じゃ? 」

  家斉が訊ねた。

 

「他の掛け軸になされた方が賢明かと存じます」

  意次が意味深な台詞を残した。

 

 天明7年の春。意次の罷免撤回嘆願書が幕府に提出された直後、治済は、大崎宛てに、次期老中首座に松平定信を推挙する旨の書状を送った。定信がいかに、老中首座に相応しい人物なのかを褒め称える内容であった。大崎から書状を見せられた家斉は、御三家から申し出があったこともあり、どちらにつくべきか迷っていた。幕閣内では、老中の水野忠友が中心となり、家重の時代に将軍の縁者を幕政に関与させてはならないという御上意があったと主張し、定信の老中首座就任を反対していたが、治済は、将軍の縁者とは、母方の親類の外戚をさし、定信は、それにあたらないと主張した。そこで、家斉は、田沼意次の罷免撤回を望んでいると思われる上臈御年寄の高丘と御年寄の滝川を呼び出して、詳しい話を聞くことにした。大奥では、徳川治済の味方となった他の御年寄たちの目があるため、場所は、普段は外に出ることの叶わない奥女中も表向き代参と称して、外出することができる増上寺を選んだ。大崎と共に増上寺に参拝した2人は、寺僧に2人に会いたいという要人が待っていると聞いて緊張した面持ちで母屋へ向かった。2人が案内されたのは、増上寺にある将軍の間であった。この時、初めて、2人は、自分たちを待つ貴人が、将軍様であることを知ったのであった。

 

「その方らを召し出したのは言うまでもない。田沼意次の進退について、意見を聞くためである」

  家斉は、いつになく厳しい表情で家斉の前に両手をついて平伏す2人に告げた。

 

「身共は、主殿頭の罷免撤回を切に願っております。何卒、お聞き入れ下され」

  はじめに、高丘が緊張した面持ちで告げた。

 

「そのためには、御三家や御三卿を納得させる大義名分がなくてはならぬ」

  家斉は、父の偉大さに改めて圧倒されていた。

 

「おそれながら奉ります。御三家が、主殿頭の後任に推挙すると思われる越中様の出白は、御三卿の一家にあたる田安徳川家である上、妹御は、先代の養女にあたる種姫様にございます。家重公の御代、将軍の親類を重職につけることを禁じると内規で定められているとして、親藩にあたる越中殿を幕閣の重職にあたる老中首座につけるのは、はなはだ難しきことであると、身共は言上する所存でございます」

  続いて、滝川が恭しく述べた。

 

「わしも、それについては聞き及んでおる」

  家斉は考え込んだ。親藩は、法の定めにより幕閣の重職にはつけない。立派な反対理由になるかも知れない。

 

「将軍就任を控えておられる大事な時期に、斯様な事態になり申し訳ございませぬ。なれど、越中殿が老中主座に就くこと相成れば、奥向に対する風当たりが、今にも増して強くなるのではないかと、皆が、不安に思っていることを御尊名賜りたく存じます」

  高丘がきっぱりと告げた。

 

「わしとて、何も考えていないわけではない。ただ、国の本幹を揺るがす大義故に、慎重に取り計らわねばならぬ」

  家斉は顔を曇らせた。正直、何も思い浮かばなかった。将軍となることが出来たのも父の力こそあれなのだ。偉大な父に敵うはずがない。

 

「上様。おそれながら、お願いしたい儀がございます」

  大崎は、その場に平伏すと話を切り出した。

 

「遠慮はいらぬ。何なりと申すが良い」

  家斉は、大崎の顔をのぞき込んだ。

 

「私に、将軍付老女として幕府の意向を御三家へ伝える役儀を果たさせて頂きとうございます」

  大崎が顔を上げると告げた。

 

「相分かった。そなたに任せよう。明日にでも、尾張藩邸に赴きこれを渡すのじゃ」

  家斉は、書状を大崎に手渡した。

 

「かしこまりました」

  大崎は、書状を頭上に掲げた状態で深々と頭を下げた。

 

 家斉は、2度にわたり大崎を尾張藩邸に遣わせ拒否の回答をしたが、治済が、先手を打ち尾張藩主の徳川宗睦や水戸藩主の徳川治保と密議を凝らして説得にあたっていた。しかし、治済は、定信が意中の人物だと発言することを控えた。治済は、御三家の方から、定信が意中の人物だと言い出すように仕向けたのであった。意次の失脚はもはや避けては通れない状況に遭った。大崎が尾張藩邸から戻ったと知った家斉は、早速、大崎を御座之間へ召し出した。

 

「して、向こうの出方はどうじゃった? 」

  家斉が身を乗り出すと訊ねた。

 

「こたびで2度目ということもあって、先方も慣れたものでございます。世間話をした後、体よくあしらわれましたが、こちらとしても引き下がるわけにはまいりませぬ。どうにか、ねばって、家用人に書簡を届けることができました」

  大崎が穏やかに答えた。

 

「将軍の書状を無下にはできるわけなかろう」

  家斉が大きくうなずいた。

 

「そういえば、偶然、あるお方にお会いしました」

  大崎が上目遣いで告げた。

 

「ほお。どなたと会ったのじゃ? 」

  家斉が訊ねた。

 

「松尾流の家元でございます。家元に、それとなく、元水戸徳川家家臣の熊蔵についてうかがったのですが、そのような者は預かっておらぬそうです。いったい、どういうことなのでしょうか? あの者は、まことに、松尾流の御茶師なのでございましょうか? 」

  大崎が、顔を近づけると小声で言った。

 

「水戸徳川家が、素性に疑わしき者を召し抱えるはずがなかろう。偽言だとしたら、鶴千代もぐるになって、わしを騙していたことになるではないか? 」

  家斉がムキになって反論した。

 

「もうひとつ、お伝えせねばならぬことがございます。私が、尾張藩邸を訪ねる前日、薩摩守が奥向へ訪ねて来られて、上様は、主殿頭を罷免するおつもりなのかとお訊ねになりました。何故、斯様なことをお訊ねになるのかとお聞きしましたところ、中野定之助が、居屋敷にて催した茶席にて、招いた者らの前で、上様は、近じか、主殿頭を罷免し田沼派の幕臣らを一掃なさる所存だと申したそうなのでございます。それを聞いた直後は信じがたかったのでございますが、とくと考えますれば、私が、上様より尾張藩邸へ赴くことを申し伝えられたあの日、あの者から、民部卿のご様子を訊ねられました。あの者は、上様に何か申しておりませんでしたか? また、勝手な真似をしているのではないかと不安で仕方がございませぬ」

  大崎は心配そうに言った。

 

「余計なまねをしおって。これではすべてが台無しではないか」

  家斉は肩を怒らせた。

 

「少なくとも、薩摩守は、主殿頭が、老中を罷免になることを望んではおらぬようです。薩摩守が、お味方になってくだされば心強い」

  大崎が声をはずませた。

 

意次の取り計らいにより、岳父は、御三家に準ずる待遇を受け、江戸城の殿席も、大廊下の間に移されたと聞く。岳父は、そのことで意次に恩を感じておるのかもしれぬ」

  家斉は腕を組んで思案した。

 

「何故、民部卿は、主殿頭を罷免なさりたいのでございましょうか? 以前はそうではなかったはずです。おふたりの間には、いったい、何があったのでしょうか? 」

  大崎が不安そうに言った。家斉も大崎と同じ思いだった。

 

 天明7年、4月15日。家斉は、征夷大将軍に就任した。正式に将軍に就任したことにより役儀が増えて、家斉は多忙を極めた。一方、幕閣の人事論争は、意次が、老中依願御役御免し鴈之間詰となったことにより、一時休戦を迎えた。

 

ある日の昼下がり、家斉は、政務の合間をぬって御忍で外出した。浅草寺に参拝後、伝法院で休んでいると、お伴して来た小納戸の定之助がすり寄って来た。

 

「公方様。民部卿は、田沼派が牛耳っている幕閣においては、役人の登用は、器量ではなく、幕閣や大奥の重役の間ではびこる賂により左右されていると危惧しておられます。吉宗公が行った享保の改革にならい、民の信頼を得る政を行うためには、堅実で政に明るい者を老中とし、優れた人材を登用するべきだとお考えにてござる。大崎局を公方様の名代として、尾張藩へ出向かせて説得を試みたところで民部卿との間に確執が残るだけでござる」

  定之助が意気揚々と進言した。

 

「父上は、越中がまだ賢丸と呼ばれていた時代、余を家基君の有力な後継者とするため、意次を田安家に遣わせ上意と欺き、田安家に、賢丸と白河藩主との養子縁組を迫ったのじゃ。田沼一族は代々、一橋家の家老を務めるいわば一橋の舎人家じゃ。父上は、御三家と御三卿を丸め込んで、意次を幕閣から追い出し政敵であったはずの越中を意次の後任に据えようとお考えなのじゃろ」

  家斉は、治済に脅威を感じていた。

 

「大崎局は、一橋家の御中臈時代、主の民部卿を慕っていたと聞き覚えがござる。好いている主に頼まれたら嫌とは言えぬでござろう」

  定之助がカステラを出すと言った。

 

「大崎が父上を慕っていただと? そんなはずはない」

  家斉は、強い口調で否定した後、カステラをひとくちで食べた。

 

「大崎局は、その昔、おさきという名で奥勤めをなさっていたことがあり、大崎と名を変えて、将軍付老女として再び大奥に現れた時には誰もが驚いたそうでございます。おそらく、そのころ、大奥を訪れた一橋民部卿に見初められて、一橋家の御中臈としてもらい下げられたのではないでしょうか? そうなると、大崎局は、於富様より先に一橋様に見初められたことになりますが、何故、側室になさらなかったのでしょうか? 」

 定之助が身を乗り出して言った。



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