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第9章 残された絵の秘密

 家斉の正室、御台所の茂姫は、天明7年、11月15日に、公家の近衛経熙の養女となるため、寧姫と改め近衛家の娘として家斉に嫁ぐ際、近衛ただ子と改めた。岳父の重豪は、家督を長男に譲り隠居しながらもなお実権を握り続けていた。

 

 翌年の1月30日。京都において大火事が発生した。鴨川東側の宮川町団栗辻子の町家から出火した炎が強風に煽られて、瞬く間に南は五条通にまで達し、さらには、火の粉が、鴨川対岸の寺町通に燃え移って洛中に延焼した。その日の夕方には相次いで、二条城本丸、洛中北部の御所が炎上した。発生から2日後の2月2日早朝。ようやく鎮火するが、この火災で、東は河原町、木屋町、大和大路まで。北は、上御霊神社、鞍馬口通、今宮御旅所、今宮御旅所まで。西は、智恵光院通から大宮通や千本通まで。南は、東本願寺から西本願寺や六条通まで達し、御所や二条城の他、仙洞御所から京都所司代屋敷、東西両の奉行所、摂関家の邸宅に至るまでもが焼失した。幕府の調査によると、京都市中の1967町の内焼失した町は1424。焼失家屋は3万6797。焼失世帯6万5340。焼失寺院201。焼失神社37。死者150。死者は1800人に上った。

 家斉は、この事態を重く見てただちに幕府の代表として定信を京都に派遣して朝廷と善後策を協議させた。光格天皇は、家斉の計らいに感謝する一方、極秘に火事発生直後に完成した「大内裏図考に基づいた古式に則った御所が再建の申し入れを行った。   

 鶴千代から、水戸徳川家に届いた鷹司輔平の書状を見せられ、火事の被害状況をつぶさに報告を受けた上で御所の再建について説得されたことを受けて、ついに、家斉も重い腰を上げた。定信を御座之間に呼び出すと、御所の再建に着手する旨を命じた。しかし、定信は、財政難と天明の大飢饉における民の苦しみを理由にあげて、かつてのような壮麗な御所は建てられないと真っ向から反対した。実は、定信に話をつけた時にはすでに、家斉が伝奏を介して天皇の申し入れを認めており、定信には事後報告をしたことが発覚した。これは、家斉のささやかな抵抗だったが、これに憤慨した定信は、京都所司代や京都町奉行に対して、朝廷の新規の要求には応じてはならないとの沙汰を出した。この一件で、朝廷や光格天皇の動向が注目されることとなった。

 

定信は、御休息之間で目にした床の間の掛け軸が妙に気になり、家斉の留守中、御用絵師の狩野惟信を呼びその掛け軸を見せた。

 

「清水寺能の様子を描いた絵にございます。これが何か? 」

  狩野は、作者不明の掛け軸を自分に見せた定信の本意を押しはだかった。

 

「確か、おぬしは御所関係の絵事を多く手掛けておったな? 絵に描かれている人物の中に、見覚えのある者はおらぬか? 」

  定信は、演者を指差すと訊ねた。

 狩野は、それに対して法華経を読誦する東国方の僧として思いつくのは天台宗の僧侶。東国方の僧の姿をしている演者は俊宮に似ている。俊宮は、天台座主。坂上田村麿の姿をしている演者の着物の家紋と清水寺門前の姿をしている演者の着物の家紋にも見覚えがある。坂上田村麿の方は、閑院宮家の家紋の閑院菊。この演者は、おそらく、帝の父御にあたる閑院宮典仁親王ではないかと思う。清水寺門前の方は、鷹司家の家紋の牡丹。この演者は、先に述べた演者達の素性から帝の叔父にあたる関白の鷹司卿ではないかと思うと語った。

 

「他に何か気づいたことはないのか? 」

  定信は、狩野に詰め寄ると訊ねた。

 

「能の舞台として描かれている清水寺は、花見や紅葉の名所と世に聞こえた寺でございます。しかれども、本堂の周りには、桜の木ではなく竹林が描かれております。この寺は、清水寺ではなく別の寺ということも考えられます」

  狩野が引き気味に答えた。

 

「清水寺本堂と同じ舞台造りの寺は、他に見たことも聞いたこともない。この絵を描いた絵師が、何か伝えようとしてあるはずのない竹林を描いたとは考えられないか? 」

  定信は、何か、問題解決の糸口を見つけようと必死だった。

 狩野は、掛け軸を眺めながら、演者各々が、宮家と公家の家紋のついた着物を着ていることから、背景にもは、何か特別な意味が隠されているに違いない。竹林の上を飛ぶ雀も気になる。雀は新年の季語だが、竹は夏の季語だ。これが俳句だとすれば、あり得ない組み合わせとなりますと解説した。定信は熱心に耳を傾けた。

 

「越中殿は、竹の園生という言葉をご存じですか? 」

  狩野が訊ねた。

 

「何じゃそれは? 」

  定信は首をかしげた。

 中国の漢代、文帝の皇子の梁の孝王が、庭園に竹を多く植えて修竹苑と名付けた故事から竹の園生を親王や皇族の連語としたそうだ。竹に雀は、中御門家の家紋。竹の園生の言葉と重ねて考えると、中御門家の皇族を示すと考えられる。本堂の屋根に隠れる日というのも気になる。日は天照大神の皇子すなわち天子を示し、日が隠れるというのは帝がお隠れになるという意味もある。狩野は興奮気味に語った後、定信にズバリ訊ねた。

 

「中御門家の皇族を出白とする帝が崩御されたことを示すのではないでしょうか?  」

 

 

「そうかわかったぞ。この絵は、閑院宮家を出白とするおふたりを後見役として、光格帝が即位成されたことにより、中御門家の皇統が途絶えたことを示しているのじゃ。それにしても、何故、公方様は、斯様な意味を持つ掛け軸をお持ちなのじゃ? 公方様は、将軍世子の時代、皇族と近しい間柄の水戸徳川家の鶴千代君と仲がよろしかった。もしや、鶴千代君にそそのかされて勤王家に肩入れしておられるのではあるまい」

  定信が言った。

 定信は、京都の大火事により炎上した御所の再建について家斉が老中たちの意見を聞かずに、独断で光格天皇の申し入れを受けたことを思い出し、家斉に疑惑の目を向けた。

 家斉は、自分が勤王家の味方だと疑われていることはつゆ知らず、定信が老中首座に就いてから政務から遠ざかっていた。気が楽と思うこともあったが、同時に、このまま政務を委ねて傍観していたら能なしの将軍だと世間から思われやしないかと不安に思っていた。治済は、定信が幕政を取り仕切るようになっても相変わらず幕政に干渉していたが、御所の再建問題以後は登城を控えていた。毎日、日課のように登城し家斉が忙しかろうがかまわず拝謁を願い出ていた治済が、ここに来て姿を見せないことに、さすがに変だと思い、一橋家の家老宛てに書状を送り、それとなく、治済の近状を探ったが、家老から返事は、いっこうに来る気配がなく家斉はイラ立ちを募らせた。

 

「ええぃ。待ってなんぞいられぬか。この眼で父上の安否をたしかめねば気が済まぬ」

  家斉は、ついにしびれを切らした。

 

「公方様。いかがなされましたか? 」

 

「こたびはどちらへ行かれますか? 」

 

 あわてたのは近習たちだ。家斉が、朝から険しい表情で考え込んでいたかと思えば、昼寝の最中に飛び起きて、突然、身支度をはじめたからだ。

 

「定之助。ついて参るが良い」

  家斉は、厠から戻った定之助を捉まえると命じた。定之助は、理由を知らぬまま、家斉に御供して城を後にした。

 

「生家へお帰りになるのは、何年ぶりでございますか? 」

  定之助は、一橋家の屋敷の門まで来ると能天気な質問をした。

 

「西丸御殿に遷って以来、門はくぐっておらぬ」

  家斉は、考え深げに屋敷を見つめた。

 

「妙ですな。門は固く閉じられ、何度門戸を叩いて声を上げても、どなたもお出にならぬと言うのに、庭の方から、何やら物音が聞こえますぞ」

  定之助が首を伸ばして言った。

 

「庭を見て参れ」

  家斉は、定之助に庭を見に行かせた。定之助が、垣根越しに庭の様子をうかがうと、治済が1人で、庭の鯉に餌をあげながらブツブツと独り言を言っているのが見えた。屋敷の方からは、人の気配は感じられないことから、屋敷に居るのは治済だけのようだった。

 

「何かわかったのか? 」

  家斉は、定之助が、なかなか戻って来ないので我慢しきれず様子を見に来た。

 

「ひいぃい」

  定之助は、突然、後ろから肩をつかまれたので、驚きのあまり声を上げた。

 

「そこで何をしておる? 」

  定之助の叫び声に気づいた治済が、2人の方へ向かって来るのが見え、家斉は、思わず、腰を低くしたがおそかった。実は、治済は、人の気配に気づいていたが、わざと知らないフリをしていたのだ。とっさに、隠れた2人を見つけると訊ねた。

 

「父上。息災でございましたか? 」

  家斉が、決り悪そうに立ち上がるとあいさつをした。

 

「門を開けます故、正門に廻りお待ちくだされ」

  治済が仏頂面で告げた。家斉は、定之助と連れだって正門の前まで引き返した。2人は、開け放たれた門をくぐると屋敷の中に入った。

 

「せっかく、参られたのじゃ。茶でも飲んでいきなされ」

  治済は、2人を書院に通すと自ら薄茶を淹れて出した。

 

「家老や女中らがおりませんが‥ 」

  家斉は、周囲を見回しながら落ち着かない様子で言った。

 

「たまには良いではありませんか。貴方様は、城暮らしが長くなり、常に、身辺に、誰かいることに慣れているようですが、わしは、この通り、今は隠居の身にござる。表から遠ざかった者は、見向きもされなくなるというのは、まことの話のようですのう」

  治済が遠い目で語った。家斉は、治済は隠居した途端、急に白髪が増えたと思った。

 

「何かの形で、余の父上に対する尊敬の念を示すことができれば、父上の尊さを世に知らしめることができるでしょうに」

  家斉は、すっかり、隠居姿が板についた父を目の当たりにして不憫に思った。

 

「わしのことをそこまで考えていてくれたとは感服致します。ところで、あの話をお聞きになりましたか? 」

  治済がようやく笑みを見せた。

 

「あの話とは、いったい、何の話でござるか? 」

  家斉は瞬きしながら訊ねた。

 

「老中らは、相変わらず、将軍を蚊帳の外に置いておるようですのう。帝が父御にあたる閑院宮典仁親王に尊号を贈ることを御上へ申し入れたそうですぞ。水戸徳川家は、昔から水戸学を奉じる勤皇家として知られていますが、こたびばかりは、越中殿に賛成したようでござる」

  治済が神妙な面持ちで語った。

 

「閑院宮家は、新井白石が、徳川将軍家に御三卿があるように朝廷にも、それを補完する新たな宮家が要るとの建言を家宣公に出したことを機に創立されましたが、帝は、御三卿の一橋家を出白とする余が将軍職に就いて以後、強気な申し入れが多くなったと、老中らが嘆いております」

  家斉が神妙な面持ちで告げた。

 

「越中殿は、京都所司代や京都町奉行に対して、朝廷の新規の要求には応じてはならぬとくぎをさしたと聞きます。さすがに、帝の叔父にあたる関白の鷹司卿も、朝幕関係が悪化することになれば、兄御の典仁親王様の御身も危うくなると考えたのか、越中殿に歩み寄りの姿勢を見せている。こたびは越中殿側が1枚上手のようでござる」

  治済が苦笑いしながら言った。

 

「こうも度々、朝幕関係を危うくさせる問題が起きるのは、余が、若輩者の上に無知だとして、帝に甘く見られているからであろうか? 」

  家斉は真剣に悩んでいた。

 

「帝は、貴方様が若く聡明なお方だからこそ期待しておられるのでしょう。いっそのこと、将軍親政に切り替えられたらどうですか? 」

  治済は家斉を励ました。

 

「余が、将軍親政を致すなどおそれ多い話にござる。父上のお導きがあったからこそ今がある。向後も余をお支え下され」

  家斉は、将軍が独断で幕政を行う自信はまだなかった。

 

「越中殿は、幕藩体制の再建を念願としておる。一方、帝は朝権の回復を念願としておる。おふたりの利害が不一致であるが故、互いの考えを受け入れ譲歩する望みはないとみえます。こたびばかりは、帝に降りて頂く以外、他に問題を解決する方法がなさそうです」

  治済が穏やかに言った。

 

「父御の典仁親王へ尊号を贈りたいとの帝のご意向は、余にも痛い程、わかります。できることならば、余も、父上に大御所の尊号を差し上げ城にお迎えしたい」

  家斉が言った。

 

「御高倉院や御崇光院といった皇位に就いていない方に皇号が贈られた先例はござる。越中殿が、それを知らぬはずがない。知っていて、わざと知らぬフリをしておるのじゃ」

  治済は、いつもの調子に戻っていた。

 

「父上は、まことに物知りでございまするな。帝も、先例をお調べになったようでござる」

 家斉は、治済の博学ぶりに感心せずにはいられなかった。

 

 通常ならば、天皇の父は上皇待遇を受ける。しかし、光格天皇の父の閑院宮典仁親王は、皇位に就いていないため上皇にはなれない。せめて、尊号を贈り今よりも良い待遇にして差し上げたいという天皇の気持ちが理解できる理由は、家斉の父である治済もまた将軍の父でありながら、御三卿の待遇しか受けられないからだ。家斉は、光格天皇の親孝行をしたいという気持ちに刺激を受け、この機会に、治済に、「大御所」の尊号を贈ることを主張しようと考えた。家斉は、急ぎ、城に戻ると足早に御用部屋へ向かった。家斉が、御用部屋の前まで辿り着いた時、ちょうど、定信が、御用部屋へ戻って来た。

 

「公方様。御用部屋に何用でござるか? 」

  定信が、御用部屋へ入ろうとした家斉を呼び止めた。

 

「何故、尊号の件を余に報告しなかった? 」

  家斉が訊き返した。

 

「それをいつどこでどなたからお聞きになりましたか? 」

  定信がけげんな表情で言った。

 

「民部卿から話を聞いた」

  家斉が答えた。

 

「さようでござったか」

  定信が言った。

 

「余に話しても無駄じゃと思うたか? 」

  家斉は定信をにらみつけた。

 

「ここでは論じていては、人目につきます。ひとまず、場を変えませんか? 我も、公方様にうかがいたき儀がござる」

  定信は、家斉を御座之間へ誘導した。2人が御座之間の前まで来ると、土圭之間の前にいた円成坊が驚いた表情で2人を出迎えた。

 

「御人払いせよ」

 

 定信は、家斉の後から御座之間へ入る際、円成坊に命じた。円成坊は、険しい表情で、上座に着座した家斉を心配そうに見ながら杉戸を閉めた。

 

「帝が父御に尊号を贈られるおつもりならば、余も、民部卿に尊号を与えようかと思う」

  家斉は強気の態度を示した。

 

「皇位に就いておらぬ者に尊号を贈ることは先例がありません。将軍に就いておらぬ者も同様でござる」

  定信が言った。

 

「御高倉院や御崇光院のように、皇位に就かれていないお方に皇号が贈られた先例がある。知らぬとは言わせぬぞ」

  家斉が強く主張した。

 

「それは、承久の乱や正平の一統という非常事態が生んだ産物であって、太平の世に挙げる先例ではござらん」

  定信がひるむことなく反論した。

 

「何故、いつもそうなのじゃ? 歩み寄ることはできぬのか? 」

  家斉は、戦場に向かう武将のような松平定信に対し、穏やかに説教を試みた。

 

「公方様こそ、帝に味方なさるのは、尊王攘夷の思想をお持ちだからでござるか? 」

  定信が思い余って言った。

 

「余が勤王家なわけがなかろう」

  家斉は即座に否定した。

 

「公方様が、勤王家にお味方なさっているとする証は、勤皇家とされる水戸徳川家嫡子の鶴千代君と近しい間柄だということとあの掛け軸を大切になされていることでござる」

  定信は、床の間にかけられていた掛け軸を指差して言い放った。家斉は、思わず掛け軸をふり返り見た。定信が、何を見て勤王家だと言うのか理解できない。

 

「これが何だと申す? たかが、掛け軸ではないか? 」

  家斉は、掛け軸をはぎ取ると定信の鼻先につき出した。

 

 定信は、この掛け軸の絵は閑院宮家を出白とする光格天皇が即位成されたことにより、中御門家の皇統が途絶えたことを示す。一見、清水寺の本堂において清水寺能を演じている者たちを描いている絵であるが、清水寺の周りには、桜の木ではなく竹林が描かれている。空には雀の群れが飛んでいる。竹林に雀は、中御門家の家紋でござる。日は天照大神の皇子。すなわち、帝を示し、日が隠れることは、帝の死を示します。演者たちの衣にはそれぞれ、閑院宮家や鷹司家の家紋が入っている。それに、東国方の僧の姿をしている演者は俊宮に似ている。法華経を読誦する東国方の僧として思いつくのは、天台宗の僧侶。俊宮は天台座主である。皇族や公家を示すものが多く描かれている掛け軸を大事にされていることこそ勤王家の証だと主張した。家斉は、定信の主張に驚き言葉を失った。生前、意次が、この掛け軸を見た時、威圧感を覚えると発言したことを思い出した。この絵は、光格天皇の3度にわたる申し入れと同じような効力を持つのかも知れない。家治が、この絵を自分に残した理由を改めて考えた。

 

「この絵に、斯様な意味が込められているとは知らなかった」

  家斉は、掛け軸を見つめると言った。

 

「将軍は勤王家だとする噂が広まったりしたら、大変なことになります。お捨てになった方がよろしいかと存じます」

  定信が、厳しい口調で苦言を呈した。

 

「これは、やんごとなきお方の遺品なのじゃ。罰当たりなことをしてみろ、たちまち、呪われるに違いない」

  家斉は思わず身震いした。

 

「公方様。そのやんごとなきお方とは、どなたでござるか? 」

  定信は、最初から家斉を勤王家と疑っていたわけではなかった。若くて無知な将軍は、勤王家に洗脳されつつあると危機を募らせていたのだ。

 

「他言無用との遺言がある故、その名を明かすことはできぬ」

  家斉は、家治の遺言を頑なに守ろうとした。

 

「とにかく、ここでは人目につきます故、他へお移し下され」

  定信は、掛け軸を家斉に手渡すと御休息之間を出て行った。

 

「公方様。その掛け軸の絵は、もしや、家治公の遺品ではござらんか? 」

  小姓の石谷清豊が、家斉に歩み寄ると訊ねた。石谷は、田沼意誠の5男で田沼意次の甥だが、石谷清定の娘を妻として、石谷清定の跡を継いでいた。養父の清定は、天明6年まで本丸に仕えていたが、種姫の用人となり嫁ぎ先に随伴した。

 

「それはまことの話か? 」

  家斉が驚いた表情で聞き返した。

 

「公方様が生前、家基君がお描きになった絵を形見として大切になさっておられたことは、近習の間ではよく知られた話でござる。家基君は、育ての母の御台様が、里帰りをなさった折に御伴なされました。京師の清水寺で初めてご覧になった清水寺能をお気に召したとのことで、帰国後、清水寺能の絵をお描きになったと聞きおよんでおります」

  石谷が懐かしそうに語った。

 

「初めて聞く話だ。何故、家基君の形見を余に残されたのだろう? 」

 家斉は首をかしげた。

 

「越中殿が申された通り、やはり、これは、誰の目にも触れないところにしまっておくべき物かと存じます」

  石谷がやんわりと告げた。

 

「もう要らぬ。処分はそちに任せる」

  家斉は、掛け軸を石谷に押しつけた。

 

「いらぬなら、それがしが頂戴致します」

  どこからともなく、定之助が現れて両手を差し出した。

 

「いや、これは、それがしが責任を持ってお預かりします」

  石谷が、掛け軸を持って行こうとした。

 

「返せ。やはり、このまま、ここに掛けておく。誰に何と思われようとかまうものか」

  家斉は、石谷の手から掛け軸を奪うと床の間に飾った。目の前で、大の男たちが、掛け軸を取り合う姿を見る内、掛け軸を手放すのが惜しくなったのだ。

  一方、光格天皇が、父の閑院宮典仁親王に尊号を贈る一件は、朝幕関係を揺るがす大事件に発展した。京都では、鷹司輔平や後桜町上皇が、光格天皇を説得する一方、天皇の近侍の中山愛親は、天皇が父の典仁親王に、「上天皇号」を宣下できるように入念な策を練っていた。