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第6章 田沼意次進退問題

 年が明けて、江戸城で催された年賀の席において、謹慎の身の意次が、老中に準ずる席次に参列したことに参加した者たちは驚きを隠せなかった。意次は、普段と変わりない様子で堂々と振舞った。年賀の席の後、家斉は、意次を御座之間に呼んだ。

 

「そちを呼んだのは言うまでもない。老中復帰に相応しい役儀を申し渡すためじゃ。奥向の費が、幕府の財政を圧迫しておることはそちも知っておろう? 奥向に、無用な費を控えるように申し伝えよ」

  家斉は、意次の出世の後押しをしてきた大奥に対して出費を抑えるように苦言を呈することが、はたしてできるかと意次を試した。

 

「奥向には、綱吉公の御台所付の常盤井が上臈御年寄として権勢を振るった時代から、京風の華美な風習が根強く残っていまして、今までも、華美な風習や無駄遣いを改めさせようと、倹約断行に乗り出した者共が、ことごとく、左遷や罷免に追いやられている始末でござる。奥向に無用な費を控えるように申し伝えることは、はなはだ難しいことと存じます」

  意次は予想通り断って来た。

 

「大奥の支援を得て出世したそちにとって、大奥を敵に回すことはたやすいことではなかろう。なれど、そちが幕閣で生き残る道は、大奥に質素倹約を強いる道しか他にないのじゃ」

  家斉は、印籠を意次に渡すつもりで言い放った。

 

「上様。おそれながら、お願いしたい儀がござる」

  意次が頭を下げた。

 

「何じゃ? 」

  家斉が咳払いして言った。

 

「蝦夷地の探検隊に参加した最上徳内が、蝦夷地に戻ることを願い出ております。調査は中止となりましたが、あの者が、蝦夷地の開発に懸ける思いは並大抵のものではござらん。松前藩の動向も気になりますし、蝦夷地の調査は、やはり、続けるべきかと存じます。探検隊を再び蝦夷地へ赴かせることをお許し頂きたい」

  意次が必死に訴えた。

 

「最上は、幾度となく蝦夷へ侵入しようとして松前藩に目をつけられているそうではないか? 斯様な不届き者を蝦夷へ赴かせる訳には行かぬ」

  家斉がため息交じりに言った。

 

「おそれながら、何かが起きてからではおそいと存じます。先日、赤蝦夷人が蝦夷地に迫っているとの報告が幕閣にござった。赤蝦夷は、我が国との通商を要望しておるようでござる。また、赤蝦夷は長崎などに開港して蝦夷地の金銀を発掘し交易を開くことを提案する絶世論家もおります。是非ともこれを一読いただきたい」

  意次は、家斉に工藤平助著の「赤蝦夷風説孝」を差し出した。

 

「相分かった。老中らに、蝦夷地開発を再開するべきか否かを評議させる」

  家斉は、神妙な面持ちで書物を受け取ると告げた。

 

幕政を重臣に委ねるのではなく、向後は、将軍親政をお考えになるべきかと存じます」

  意次は、幕政の一線から退いてはいたが今も尚行く末を案じていた。

 

「先代はどうあれ、わしは委ねたつもりはない」

  家斉が咳払いして言った。

 

「ところで、御休息之間の床の間にかかっていた掛け軸ですが、外された方がよろしいかと存じます」

  意次は、なぜか、床の間に飾られていた掛け軸の話を持ち出した。

 

「何故じゃ? 」

  家斉が訊ねた。

 

「他の掛け軸になされた方が賢明かと存じます」

  意次が意味深な台詞を残した。

 

 天明7年の春。意次の罷免撤回嘆願書が幕府に提出された直後、治済は、大崎宛てに、次期老中首座に松平定信を推挙する旨の書状を送った。定信がいかに、老中首座に相応しい人物なのかを褒め称える内容であった。大崎から書状を見せられた家斉は、御三家から申し出があったこともあり、どちらにつくべきか迷っていた。幕閣内では、老中の水野忠友が中心となり、家重の時代に将軍の縁者を幕政に関与させてはならないという御上意があったと主張し、定信の老中首座就任を反対していたが、治済は、将軍の縁者とは、母方の親類の外戚をさし、定信は、それにあたらないと主張した。そこで、家斉は、田沼意次の罷免撤回を望んでいると思われる上臈御年寄の高丘と御年寄の滝川を呼び出して、詳しい話を聞くことにした。大奥では、徳川治済の味方となった他の御年寄たちの目があるため、場所は、普段は外に出ることの叶わない奥女中も表向き代参と称して、外出することができる増上寺を選んだ。大崎と共に増上寺に参拝した2人は、寺僧に2人に会いたいという要人が待っていると聞いて緊張した面持ちで母屋へ向かった。2人が案内されたのは、増上寺にある将軍の間であった。この時、初めて、2人は、自分たちを待つ貴人が、将軍様であることを知ったのであった。

 

「その方らを召し出したのは言うまでもない。田沼意次の進退について、意見を聞くためである」

  家斉は、いつになく厳しい表情で家斉の前に両手をついて平伏す2人に告げた。

 

「身共は、主殿頭の罷免撤回を切に願っております。何卒、お聞き入れ下され」

  はじめに、高丘が緊張した面持ちで告げた。

 

「そのためには、御三家や御三卿を納得させる大義名分がなくてはならぬ」

  家斉は、父の偉大さに改めて圧倒されていた。

 

「おそれながら奉ります。御三家が、主殿頭の後任に推挙すると思われる越中様の出白は、御三卿の一家にあたる田安徳川家である上、妹御は、先代の養女にあたる種姫様にございます。家重公の御代、将軍の親類を重職につけることを禁じると内規で定められているとして、親藩にあたる越中殿を幕閣の重職にあたる老中首座につけるのは、はなはだ難しきことであると、身共は言上する所存でございます」

  続いて、滝川が恭しく述べた。

 

「わしも、それについては聞き及んでおる」

  家斉は考え込んだ。親藩は、法の定めにより幕閣の重職にはつけない。立派な反対理由になるかも知れない。

 

「将軍就任を控えておられる大事な時期に、斯様な事態になり申し訳ございませぬ。なれど、越中殿が老中主座に就くこと相成れば、奥向に対する風当たりが、今にも増して強くなるのではないかと、皆が、不安に思っていることを御尊名賜りたく存じます」

  高丘がきっぱりと告げた。

 

「わしとて、何も考えていないわけではない。ただ、国の本幹を揺るがす大義故に、慎重に取り計らわねばならぬ」

  家斉は顔を曇らせた。正直、何も思い浮かばなかった。将軍となることが出来たのも父の力こそあれなのだ。偉大な父に敵うはずがない。

 

「上様。おそれながら、お願いしたい儀がございます」

  大崎は、その場に平伏すと話を切り出した。

 

「遠慮はいらぬ。何なりと申すが良い」

  家斉は、大崎の顔をのぞき込んだ。

 

「私に、将軍付老女として幕府の意向を御三家へ伝える役儀を果たさせて頂きとうございます」

  大崎が顔を上げると告げた。

 

「相分かった。そなたに任せよう。明日にでも、尾張藩邸に赴きこれを渡すのじゃ」

  家斉は、書状を大崎に手渡した。

 

「かしこまりました」

  大崎は、書状を頭上に掲げた状態で深々と頭を下げた。

 

 家斉は、2度にわたり大崎を尾張藩邸に遣わせ拒否の回答をしたが、治済が、先手を打ち尾張藩主の徳川宗睦や水戸藩主の徳川治保と密議を凝らして説得にあたっていた。しかし、治済は、定信が意中の人物だと発言することを控えた。治済は、御三家の方から、定信が意中の人物だと言い出すように仕向けたのであった。意次の失脚はもはや避けては通れない状況に遭った。大崎が尾張藩邸から戻ったと知った家斉は、早速、大崎を御座之間へ召し出した。

 

「して、向こうの出方はどうじゃった? 」

  家斉が身を乗り出すと訊ねた。

 

「こたびで2度目ということもあって、先方も慣れたものでございます。世間話をした後、体よくあしらわれましたが、こちらとしても引き下がるわけにはまいりませぬ。どうにか、ねばって、家用人に書簡を届けることができました」

  大崎が穏やかに答えた。

 

「将軍の書状を無下にはできるわけなかろう」

  家斉が大きくうなずいた。

 

「そういえば、偶然、あるお方にお会いしました」

  大崎が上目遣いで告げた。

 

「ほお。どなたと会ったのじゃ? 」

  家斉が訊ねた。

 

「松尾流の家元でございます。家元に、それとなく、元水戸徳川家家臣の熊蔵についてうかがったのですが、そのような者は預かっておらぬそうです。いったい、どういうことなのでしょうか? あの者は、まことに、松尾流の御茶師なのでございましょうか? 」

  大崎が、顔を近づけると小声で言った。

 

「水戸徳川家が、素性に疑わしき者を召し抱えるはずがなかろう。偽言だとしたら、鶴千代もぐるになって、わしを騙していたことになるではないか? 」

  家斉がムキになって反論した。

 

「もうひとつ、お伝えせねばならぬことがございます。私が、尾張藩邸を訪ねる前日、薩摩守が奥向へ訪ねて来られて、上様は、主殿頭を罷免するおつもりなのかとお訊ねになりました。何故、斯様なことをお訊ねになるのかとお聞きしましたところ、中野定之助が、居屋敷にて催した茶席にて、招いた者らの前で、上様は、近じか、主殿頭を罷免し田沼派の幕臣らを一掃なさる所存だと申したそうなのでございます。それを聞いた直後は信じがたかったのでございますが、とくと考えますれば、私が、上様より尾張藩邸へ赴くことを申し伝えられたあの日、あの者から、民部卿のご様子を訊ねられました。あの者は、上様に何か申しておりませんでしたか? また、勝手な真似をしているのではないかと不安で仕方がございませぬ」

  大崎は心配そうに言った。

 

「余計なまねをしおって。これではすべてが台無しではないか」

  家斉は肩を怒らせた。

 

「少なくとも、薩摩守は、主殿頭が、老中を罷免になることを望んではおらぬようです。薩摩守が、お味方になってくだされば心強い」

  大崎が声をはずませた。

 

意次の取り計らいにより、岳父は、御三家に準ずる待遇を受け、江戸城の殿席も、大廊下の間に移されたと聞く。岳父は、そのことで意次に恩を感じておるのかもしれぬ」

  家斉は腕を組んで思案した。

 

「何故、民部卿は、主殿頭を罷免なさりたいのでございましょうか? 以前はそうではなかったはずです。おふたりの間には、いったい、何があったのでしょうか? 」

  大崎が不安そうに言った。家斉も大崎と同じ思いだった。

 

 天明7年、4月15日。家斉は、征夷大将軍に就任した。正式に将軍に就任したことにより役儀が増えて、家斉は多忙を極めた。一方、幕閣の人事論争は、意次が、老中依願御役御免し鴈之間詰となったことにより、一時休戦を迎えた。

 

ある日の昼下がり、家斉は、政務の合間をぬって御忍で外出した。浅草寺に参拝後、伝法院で休んでいると、お伴して来た小納戸の定之助がすり寄って来た。

 

「公方様。民部卿は、田沼派が牛耳っている幕閣においては、役人の登用は、器量ではなく、幕閣や大奥の重役の間ではびこる賂により左右されていると危惧しておられます。吉宗公が行った享保の改革にならい、民の信頼を得る政を行うためには、堅実で政に明るい者を老中とし、優れた人材を登用するべきだとお考えにてござる。大崎局を公方様の名代として、尾張藩へ出向かせて説得を試みたところで民部卿との間に確執が残るだけでござる」

  定之助が意気揚々と進言した。

 

「父上は、越中がまだ賢丸と呼ばれていた時代、余を家基君の有力な後継者とするため、意次を田安家に遣わせ上意と欺き、田安家に、賢丸と白河藩主との養子縁組を迫ったのじゃ。田沼一族は代々、一橋家の家老を務めるいわば一橋の舎人家じゃ。父上は、御三家と御三卿を丸め込んで、意次を幕閣から追い出し政敵であったはずの越中を意次の後任に据えようとお考えなのじゃろ」

  家斉は、治済に脅威を感じていた。

 

「大崎局は、一橋家の御中臈時代、主の民部卿を慕っていたと聞き覚えがござる。好いている主に頼まれたら嫌とは言えぬでござろう」

  定之助がカステラを出すと言った。

 

「大崎が父上を慕っていただと? そんなはずはない」

  家斉は、強い口調で否定した後、カステラをひとくちで食べた。

 

「大崎局は、その昔、おさきという名で奥勤めをなさっていたことがあり、大崎と名を変えて、将軍付老女として再び大奥に現れた時には誰もが驚いたそうでございます。おそらく、そのころ、大奥を訪れた一橋民部卿に見初められて、一橋家の御中臈としてもらい下げられたのではないでしょうか? そうなると、大崎局は、於富様より先に一橋様に見初められたことになりますが、何故、側室になさらなかったのでしょうか? 」

 定之助が身を乗り出して言った。