閉じる


新潟奉行に任命される

 天保14年、611日。幕府は、越後長岡藩に対し新潟上知を命じた。新潟上知の成立は、修就の出した調査書が決め手となった。修就の調査書には、長岡藩が新潟上知を承知せずにはいられなくなる程の長岡藩にとって、不利益をこうむる内容が事細かく記されていたからだ。幕府は、新潟上知を行う目的として、幕府の改易転封権の再確認。幕府の財政補強。海防の強化。流通統制が挙げた。上知の理由は、唐物抜荷事件が新潟において2度にわたり摘発されたにも関わらず、唐物抜荷が今もなお、行われている現状に対する長岡藩のその場凌ぎの対応と北国方面の海岸防備に関して長岡藩は不十分であるというものだった。

 

 第1回目の唐物抜荷事件の直後、老中の水野忠邦は、勘定奉行の明楽騨守をはじめとする御庭番家筋の旗本たちに各地の抜荷探索を命じた。新潟町での唐物抜荷事件の探索の結果、第1回目の唐物抜荷事件が落着した後もなお、水銀、丁字、大黄などを積み込んだ船が新潟湊へ入港していたことが発覚した。新潟町の店先に並んでいる薬種類や光明朱などの唐物がどれも江戸で売られているよりはるかに安いと評判を呼んでいることから、新潟町の店で売られている唐物の大半は薩摩船と交易した抜荷の唐物であるという風評が江戸にも広まった。また、新潟町の豪商として有名な廻船問屋「津軽屋」の主、高橋健蔵や廻船問屋「当銀座屋」の主、善蔵が、専ら唐物取引を行い大儲けしているという風聞が唐物抜荷摘発以前の新潟町と近隣国に広まったことがあった。さらに、会津若松において、漆塗り製品が黒塗り製品より安く売られているのは、新潟の商人が抜荷を行って安く仕入れた光明朱が多く出回っているからだという風聞もあった。

 

 

 

 修就は、長岡藩が唐物抜荷の取締まりを徹底的に行わなかったのは、新潟湊で徴収する仲金の内、諸経費を差し引いた残金3500両が藩の財政の収入源となっており、改革政策が実施されて運上金と冥加金になると、この収入は消滅し「川除川浚」などの町普請、沖ノ口番所及び水戸教船などの経費を出すことができなくなるという見解をした。

 

 

 

 朝、四ツ。太鼓が打ち鳴らされた江戸城大手門前は、御用付の侍たちが続々と登城し混雑する。

 

天保14年、617日。修就は、諸糸麻の裃と黒紋付を身に着けて颯爽と大手門をくぐった。修就は、この日を晴れやかな気持ちで迎えた。天保11年に越後新潟町の内々御用を仰せつかって手柄を立てたことにより、上知後に新設される越後新潟町の初代奉行に登用される内示があったからだ。家では、妻の滝が赤飯を炊きお頭つきの鯛を準備して帰りを待っているはずだ。

 

 6時ころ、修就は登城すると、目付の案内で中奥の御座の間に伺候した。月番老中の土井大炊頭利位が、下段と二の間との境にある柱のもとに両手をついて着座していた。修就は、土井の左手、下段の入側の方の柱のもと敷居との間の辺に着座して平伏した。少しして、家慶公が、肩衣に袴を着けた姿で、御休の間から現れて、御座の間の上段に着座した。御用取次が、土井に目配せをすると土井が肯いた。それから、御用取次は修就へ眼で会釈した。修就は、両手を膝前へ合わせ入側に入り然るべき座へ出て擦膝で進むと両手をついて平伏した。

 

「勘定吟味役、川村清兵衛修就」

 

 土井が修就を披露した。

 

「それへ」

 

 家慶公が、修就に前へ出る様に促した。この時、修就はただ、身を起こし進もうとするが出来ないと身体を左右に少し動かしてみせた。

 

「初代新潟奉行申し付くる」

 

 家慶公が告げた。修就は平伏したまま沈黙する。

 

「結構、仰付けられ有難く存じ奉ります」

 

 土井が告げた。

 

「言い談じてよう勤めい」

 

家慶公が告げた後、土井はかしこまりましたと代弁した。その後、家慶公は、ただ、二言、三言だけ発し御座の間を後にした。新潟奉行の足高は、千石、役料千俵、席順は、佐渡奉行の次席と決定された。修就が、中之間に出勤すると見慣れた後ろ姿があった。

 

 修就は、水野を奥の間に案内した。ここ数年の間、水野とは何度も対面して来たが、水野の方から訪ねて来るのは初めてのことだ。水野の修就に対する期待がひしひしと伝わった。

 

「おぬしの倅。名は庄五郎といったか? なかなか利発そうな倅じゃ。庄五郎殿は未婚だと聞いたが、拙者が良い相手を捜してやろう」

 

 水野はいつになく饒舌だった。

 

「実は、奥御右筆組頭の荒井甚之丞殿の娘との縁談話がございまして」

 

 修就は、身内の件について自分を引き上げてくれた水野に話すことに関して少し気が引けた。もしも、失態をしでかした場合、私生活の件で職務をおろそかにしているのではないかと、余計な詮索をされることが何より嫌だったからだ。

 

「さようか。ならば、なるべく早い方が良いな。しばらく、留守を任せるのじゃ。妻帯である方が安心じゃ」

 

 水野が微笑んだ。初めて見る笑顔だ。

 

「内々のことまでお気遣い頂きかたじけない。ところで、お話というのは? 」

 

 修就は話を切り出した。

 

「新潟奉行着任にあたり、おぬしに大きな課題を与えることと致す。1つは北海防御の件じゃ。おぬしには、北海防御のための台場構築を調査してもらいたい。2つ目は上知後の新潟の改革じゃ。まずは、新潟奉行所役人の人数と待遇は、下田や浦賀奉行所を手本として計画を立て、調査書と計画書の提出致せ」

 

 水野は、いつもの厳しい老中の顔に戻った。

 

「承知仕った」

 

修就は平伏した。思えば、これまで、水野には何かと世話になった。緊張せずに、話をできるようになったのはごく最近の話だ。自分のどこを気に入ったのか知らない。偉いお方であるのに、下役の自分にも気さくに接してくれる。修就を勘定吟味役に抜擢したのは水野だった。水野に命ぜられて、江戸湾の御備場御用係として江戸近海を調査したことは記憶に新しい。居屋敷に砲術の練習場を設ける許しを得ることができたのも、水野が、幕閣に口添えしてくれたおかげだ。

 

 

 

 退勤後、考え事をしながら歩いている内に、気がつくと、屋敷の近所まで来ていた。江戸城を出た時は、まだ明るかったのに、いつのまにか、どっぷり日が暮れて、辺りがうす暗くなっていた。屋敷の傍まで来た時、一瞬、頭上がかげった。ふと、見上げると、1羽のヒバリが、屋敷の方へ急降下したのが見えた。修就が門をくぐった時、裏手の戸が開く音が聞こえた。長い間、雨に濡れて所々、朽ちた戸は開ける度に悲鳴に似た音を出す。この時間、裏手から出入りする者はごく限られている。修就は、長男の順次郎であると直感した。

 

 順次郎は、天保8年、1118日。若年性リウマチを患っていることが分かり廃嫡になったばかりか、病弱を理由に御番入りならず、旗本の倅にも関わらず御家人の様な暮らしをしている。また、幼いころから身体の弱かった順次郎は、外で他の子供たちと一緒に遊ぶことが出来ず、いつも屋敷の中で寂しそうにしていた。

 

 亡くなった修就の父、順次郎にとっては祖父にあたる修富が、そんな孫を不憫に思ってかある日突然、鳥屋から、ヒバリを買って来て順次郎に飼育を任せた。順次郎は、今でも手先の器用な修富が生前にこしらえた竹で編んだ丸い鳥籠を大切に使っている。今、飼っているのは、愛鳥家の知人から譲り受けたヒメコウテンシと云う種のヒバリだ。

 

「また、放し飼いにしておったのか? 」

 

 修就は、庭に佇んでいた順次郎に声を掛けた。

 

「賢い奴なのですよ。あちこち飛び回って、気が済んだら、ちゃんと、籠に戻って来ます」

 

 順次郎が、曖昧な笑みを浮かべた。ヒバリの中には、鳥籠から飛び立った後、自ら鳥籠に戻ることや名を呼ぶとさえずり返すなど芸のできるヒバリもいる。そうかと言って、芸を教え込むにはそれなりに根気がいるし、飼い主とヒバリの間に強い絆がなければ、ヒバリは芸を身に着けることはない。

 

「おぬしも、外へ出掛けておったのか? 」

 

 修就は、順次郎の顔をのぞき込んだ。恐らく、戻って来るのか心配で鳥籠から飛び立ったヒバリを追跡していたに違いない。

 

「近所を散歩してきました。父上は今、お帰りでございますか? 」

 

 順次郎は言い訳をしてごまかした。

 

「とにかく、中へ入ろう。母上が、御馳走を準備して待っておるぞ」

 

 修就は、表戸を開けると順次郎の背中を軽く前へ押し出した。順次郎は、前のめりの状態で玄関へ足を踏み入れた。

 

「お帰りなさい。あら、ご一緒でしたか? 」

 

妻の滝が、前掛けで手を拭きながら玄関先まで歩いて来た。

 

「ただいま帰りました」

 

 順次郎が、うつむき加減であいさつした。

 

「おそくなってすまぬ」

 

 修就は上目遣いで滝を見た。朝、出掛ける時は早く帰宅すると伝えてあったが、夕餉の時刻をとっくに過ぎてしまった。

 

「子供たちが、殿のお帰りを今か今かと待っておりましたよ」

 

 滝がにこやかに告げた。

 

「皆が揃うのは久方ぶりじゃ。菖之助はもう来ておるのか? 」

 

 修就は、履物を急いで脱ぐと足早に居間へ向かった。子供たちの楽しそうな話し声が居間の外から漏れ聞こえた。

 

「ただいま、帰ったぞ」

 

 修就がいきおい良く障子を開けると、御膳を前におあずけをくらっていた子供たちが、一斉に歓声を上げた。

 

 修就の後から居間へ入った長男の順次郎を筆頭に、修就には、次男、3男、4男、5男。そして娘が2人いる。修就は、文化14年に御台様御用達の宮重伝三郎の娘の滝と結婚後、52女の子宝に恵まれた。長女のお琴は、御書院番の松井斧太郎に嫁ぎ実家を離れている。現在、川村家にいるのは、老母のコノ。妻の滝。長男の順次郎とその妻のみき。次男で惣領息子の庄五郎。4男の金四郎。5男の茂之丞。そして次女のテイ。3男の菖之助は、御膳奉行の中野金四郎の養子に迎えられ別居していたが、実父の昇進祝いの席とあって、中野家から遊びに来ていた。子供たちが勢揃いすると、いつもより一段と賑やかになる。修就は、久しぶりに楽しい家族団欒を過ごした。

 

「父上。ご一緒させて頂いても、よろしゅうございますか? 」

 

 庄五郎が、夕餉の後に縁側に出て晩酌を始めた修就の横に来て坐った。父子二人、縁側に並び坐り、月を眺めながらスルメを肴に冷酒を呑む。長男の順次郎は薬を常用しているため、断酒をしており、成人した息子と酒を酌み交わす夢は果たせなかったため、庄五郎が酒を呑める年齢が待ち遠しかった。

 

 同じ屋根の下に住んでいながら、お互い忙しく、まともに話すのは5日ぶりだ。5日会っていないだけなのに、少し見ない間に、我が子が、成長した気がしてならないのは親ばかなのかと修就はふと考えた。

 

「父上と酒を呑むのは、当分、おあずけですね」

 

 庄五郎の横顔がどこか寂し気に思えた。修就はあえて、庄五郎の寂しさに気づかないフリをした。

 

「おぬしも年頃の男じゃ。好いたおなごの1人や2人おっても決しておかしくはない。どうなのじゃ? 好いたおなごはいないのか?」

 

 修就が穏やかに訊ねた。大筒下役の北山惣右衛門の仲介で、奥御右筆組頭の荒井甚之丞の娘のおたまとの縁談話が持ち上がり、妻の滝から庄五郎に、相思相愛の相手がいるのかどうかをたしかめるようお願いされていた。滝はこのところ、せっかく、縁談話を進めても、庄五郎に相思相愛の相手がいたら、相手に失礼になるのではないかと気を揉んでいる。

 

「さては、母上の差し金でございますね? 」

 

 庄五郎が、顔を赤らめると盃を置いた。

 

「ばれては仕方がない」

 

 修就が決り悪そうに言った。

 

「好いたおなごなんぞおりません」

 

 庄五郎がきっぱりと告げた。

 

「さようか」

 

 修就は内心ホッとした。庄五郎に女の影なしとわかれば、滝も安心することだろう。長男の順次郎の時は許嫁がいたにも関わらず、なかなか、身を固めようとせず気を揉まされた。

 

「できるならば、もっと、実のある話がしたかった」

 

 庄五郎がぼそっとつぶやいた。

 

「何か、心配なことはないか? 」

 

 修就が優しい声で訊ねた。

 

「一言、よろしゅうございますか? 」

 

 庄五郎が緊張した面持ちで告げた。

 

「何なりと申すが良い」

 

 修就は何を言われるのかと身構えた。

 

「おそれながら、右も左も分からぬ新しい地で暮らすよりも生まれ育った地で暮らす方が、兄上も、何かと安心なのではないでしょうか? 」

 

 庄五郎が告げた。

 

「新潟町は自然がたくさんあって、そこで暮らす人たちも、人情味あふれていて住みやすい。自然に囲まれたのどかな田舎で暮らせば、順次郎の体調も安定するはずじゃ。」

 

 修就は、病のために色々なことを諦めなければならなかった順次郎が、年を重ねる毎にだんだん、卑屈になって来ている気がしてならなかった。新天地で他人の目を気にすることなく伸び伸びと暮らせば、少しは明るさを取り戻し生きやすくなるのではないかと期待している。

 

「父上のお考えを知って安堵いたしました。家のことはお任せ下され」

 

 庄五郎はそう言うと立ち去った。

 

 

 

 川村家の祖先は、丹波国の鬼ケ獄城主。曾祖父の修常が紀州徳川吉宗に仕えていた時、主君である吉宗が、第八代将軍に就任することになった。修常が、吉宗に伴い江戸に出て諏訪部又衛門支配下の御口之者を経た後、天守台御庭番となって以後、川村家は代々小十人格天守台下御庭番の家柄として幕府に仕えている。

 

 祖父の英政は西丸大奥向御修復御用掛となり、伯父の條理は、漆奉行、御膳所、御台所頭を勤めた。享和4年、328日。條理が死去したため、実父の修富が條理の跡を継ぐ。

 

 修富は生前、和多田八三郎と云う者に紀州時代の家系の調査を依頼したことがあった。川村家の遠縁にあたる若山在住の黒田左兵衛なる人物から手紙が届いた。それ以来、修富は黒田と文通を続けた。修富は、修就に、己も亡き祖父も生まれ育ったのは、江戸だが本籍は紀州であり、江戸は生国に過ぎないということを覚えていて欲しいと念を押した。

 

 修富は、本国紀州にこだわった。江戸に生まれ育ち本籍である紀州には、全く馴染みのない修就は、修富が、本国紀州にこだわった意味が最後までわからなかった。それでも血は争えない。修富が、本国紀州に思いを馳せ家系を調べて、ついには、それまで全く面識のなかった遠縁の者とまで文通を始めたその探究心と根性は嫡子の修就にも受け継がれた。初めて赴任する土地に関して、徹底的に調査し分析するのが修就の流儀だ。

 


庄五郎の見合い、老母、コノ、ケガをする

 新潟奉行を仰せ付けられた翌日から、早速、新潟赴任の準備に取り掛かった。家用人の江川保右衛門に命じて、長岡藩江戸藩邸留守居と接触を図り『新潟表絵図之事』、『同所番所向ケ所之事』、『同所地役人住居向地図之事』、『同所蔵屋敷内建物絵図之事』などを問い合わせることにした。

 

「江川。地役人住居向地図を至急、提出するように長岡藩に働きかけてくれるか? 」

 

「お任せ下され」

 

 老中の水野忠邦が出した課題の1つ、新設する新潟奉行所の構想を練るためにも、地役人の住居が新潟奉行所役人の住居に相応しいのかどうか知る必要があった。

 

 修就が、新潟奉行を仰せ付けられた数日後、庄五郎は丸2日間、朝早くから夜おそくまで、徳丸原において行われた大筒の稽古に参加した。帰宅した後も興奮冷め止まなかったらしく、夜更けに、修就が新潟に関する史料の整理に一区切りつけ厠に立った際、庄五郎の寝所にまだ灯りがついていた。

 

「庄五郎。そろそろ、床に入りなさい」

  修就が、障子越しに小声で一声かけるとようやく灯りが消えた。その夜は、修就も厠から戻ると寝所へ入り床についた。

 

  翌朝。銃声の音で目が覚めた。修就は、手早く身支度を整えると敷地内に設けた角場(鉄砲の練習場)へ行った。戸を開けると、庄五郎が、的に向かって鉄砲を構えていた。

 

「おはよう。根を詰めると仕事に差し支えるぞ」

  修就は、庄五郎の横に立つと言った。

 

「父上。おはようございます。11回、鉄砲に触れていないと勘が鈍る気がしてならないのです。銃を構えていると、今が鎖国であることを忘れます。新潟奉行所の役人たちは砲術の心得がございましょうか? 」

  庄五郎は、首にかけた手拭で首筋にしたたる汗をふいた。

 

「おそらくはなかろう。日本海有数の湊だというが、異国船が攻めて来た時の防備が不十分じゃ。台場を設けていないと知って開いた口が塞がらなかった。日本近海にしばしば、異国船が出没している情報を長岡藩が見逃すはずはないのじゃが、砲術に詳しい者がおらんのじゃ。わしが赴任したあかつきには、まず、台場を設けて役人共に砲術を指南致す。そのために、わしは、水野様に願い出て江戸湾の海防を視察したのじゃ」

  修就は、新潟奉行として成すべきことを模索していた。まだまだ史料が足りない。史料を1つ読んでいる途中、また、新たな疑問が生じて来る。朝の出勤前と夕餉の後から就寝前までの限られた時間の中で準備を進めなければならないため寝不足が続いた。

  

  老中の水野忠邦は、今年の4月に行った日光社参の成功と天保12年から始まった諸改革の功績によって、堀大和守と共に賞を賜った。そして、水野は、今年の6月から印幡沼開発工事に着手した。そんな中、修就は、鳥居甲斐守忠耀と内談した。

 

「印幡沼開発工事の責任者におなりになったと聞きましたが、いかがですか? 」

  修就は、自身も江戸湾の御備場御用係として江戸近海を調査した経験があることから、印幡沼開発工事に関して興味はあった。

 

「沼津、庄内、秋月、上総貝淵の五藩に、御手伝普請を命じたのじゃが、どの藩も、印幡沼開発工事には多大な財政負担がかかるという。思うようには進まず苦戦しておる」

  鳥居が冷静な表情で答えた。工事の背景には、水害対策、新田開発それに水運航路の開発など経済的な事情が絡んでいたが、異国の軍艦に江戸湾口を封鎖された場合、江戸へ物資を供給するための新たな水路の建設が、最大の目的であった。

 

「そういえば、金田小三郎はおぬしと近しいと聞いた。金田が印幡沼場所掛に任命されたことはおぬしの耳に入っておるか? 」

  突然、鳥居が知人の名を出した。

 

「いえ。初耳でございます。金田殿とは、互いに忙しく久しくご無沙汰しておりました」

  修就が答えた。

 

「さようか。金田は近日中に出立致すぞ」

  その後、鳥居は印幡沼工事の視察の模様を事細かく修就に説明した。新潟赴任の準備が難航している修就にとって、印幡沼開発工事の難航は、他人事には思えず考えさせられた。

  

 天保14年、73日。晴天に恵まれたこの日。修就の妻の滝は、朝からそわそわしていた。

 

「何も、そなたが緊張せんでも良かろう」

  落ち着かない様子の滝と違って、修就は、いたっていつもと変わらない。

 

「よくもまあ、落ち着いていられますこと。荒井家の人々が、はじめてお見えになるのですよ。気にならないのですか? 」

 

 朝早く、滝は、庄五郎を伴い清厳寺へ参拝し熱心に拝んで来た様子で、川村家の面々は半日、滝の言動にふり回されていた。奥御右筆組頭の荒井甚之丞一家が、大筒下役の北山惣右衛門に連れられて川村家へあいさつにやって来たのは正午過ぎだった。

 

 滝は、緊張した面持ちで、修就の横に坐ると庄五郎とおたまの様子をそれとなく観察していたが、惣右衛門が、後は若いお2人だけでと告げて、庄五郎とおたまを庭へと促したので、滝は、庭へ出た若い2人の背中を黙って見送った。

 

「おたまを何卒、よしなにお頼み申し上げます」

  客間から庭を散策する庄五郎とおたまの様子を眺めていたところ、荒井の妻が突然、その場に両手をついた。

 

「頭をお上げ下さい。こちらこそ、庄五郎をよしなにお願い致します」

  修就は思わぬことに恐縮した。川村夫婦と荒井夫婦は、顔合わせの席で互いの距離を少し縮めることができたようで和やかな雰囲気になった。庄五郎は、最初こそは惣領息子の務めだとか親孝行なのだと恰好つけていたが、実際、おたまに会ってみて、まんざらでもない様子だ。おたまの方は、庄五郎と目が合うと顔を赤らめた。

 

「庄五郎殿は次男であるのに、惣領息子なのは何故ですか? 」

  惣右衛門は、川村家の事情を詳しく説明していなかったらしく、荒井甚之丞はこの時とばかりに疑問を投げかけて来た。滝は、痛い所を突かれたと一瞬、表情を雲らせたが、修就の方は、いたって冷静に答えた。

 

「これから、親戚になるのですから包み隠さずお話致します。長男の順次郎は、幼少の時分より身体が弱く、若年性リウマチを患いまして廃嫡させました。それで、次男の庄五郎を惣領息子にしたというわけでござる」

 

「さようで。今後とも、娘共々よしなにお願い申し上げます」

  荒井甚之丞が深々と頭を下げた。

 

「こちらこそ、末永くお願い申し上げます」

  修就と滝も深々と頭を下げた。

 

「めでたい。実にめでたい」

  荒井一家が帰宅した後、惣右衛門だけは、そのまま川村家に留まり、前祝いと称して宴会が始まった。惣右衛門は持参した酒を振る舞った。

 

「惣右衛門。おぬし、ちと、呑み過ぎじゃ」

  宴もたけなわ、修就は、惣右衛門から盃を取り上げた。惣右衛門の庄五郎の縁談にこじつけて、呑み明かそうという魂胆は見え見えだったが、今回ばかりは、いつもは、酒呑みには手厳しい滝も、この日ばかりは口出しして来なかった。

 

「北山のおじさん。ありがとうございました」

  庄五郎が頭を下げると、惣右衛門が赤ら顔で肩をすぼめた。

 

「泣かせることを申すなよ。長い付き合いなのだから、おまえさんはわしの倅同然じゃ。倅同然のおまえさんの縁談を世話出来るなんて、斯様に嬉しいことはないねぇ」

  惣右衛門の眼に涙が光った。

 

「大げさじゃ。まことに、おぬしは酔うと質が悪いのう。泣き上戸もいい加減にいたせ」

  修就が笑った。

 

「媒酌人は、どなたにお願いするつもりじゃ? 」

  惣右衛門が手で涙をぬぐうと訊ねた。

 

「もう決めてある。水谷殿に頼むつもりじゃ」

  修就は即答した。水谷又輔。実父の修富の代から川村家と親交のある鳥見役人だ。

 

「さようか。水谷殿なら適役だ」

  惣右衛門も、水谷の人柄を知っていたので大きく頷いた。後日。修就は、水谷の居屋敷を訪ねて媒酌人を依頼した。水谷はそれを快諾した。

 

  奥御右筆組頭の荒井甚之丞が、何度か川村家に出向き庄五郎とおたまの婚儀の打合せを行う間、庄五郎は、いつもと変わりなく、仕事の合間をぬって砲術の稽古にいそしんでいた。川村家と荒井家の両家揃って食事を行うという日の当日も、庄五郎は、朝早くから午後5時まで徳丸原で行われた砲術稽古に参加した。

 

「川村殿。新潟奉行御就任、まことにおめでとうございます」

  具足師の岩井与左衛門が、3男の菖之助の具足を引き取りに川村家を訪れた。黒船来航を受けて、馬具や武具を新調する武士が増えたらしいが、修就は、質素倹約を守りまだ使えるものは修理して大切に使うようにと子供たちに命じていた。菖之助が、以前使用していた具足が捨てられずに蔵に保管してあったのを見つけたので、他の子供たちにでも使わせようと修理に出すことにしたのだ。

 

「まあ、その話は後ほどゆっくり致そう。とりあえず、中へ入りなされ」

  修就は、滝が留守だったので、岩井を先に客間に通すと、自らお茶を淹れて運んで来た。

 

「かたじけない」

  岩井が恐縮気味に茶をすすった。

 

「これなのじゃが、修理できますか? 」

  修就が、菖之助の具足を差し出した。

 

「これはちっと修理すれば、まだまだ、使えそうですね。菖之助殿は、大事に使っておったようですね」

  岩井は、真剣な表情で具足を眺めながら言った。

 

「ところで、最近、景気はどうじゃ? 」

  修就は、岩井の身なりが見る度に良くなっていることに気づいていたが、あえて聞くつもりはなかった。しかし、数日前、店の前を通りかかった際、店構えが見違えるほど立派になっており、ずいぶんと羽振りが良さそうだったので聞かずにいられなかった。

 

「お蔭様で。黒船効果で商売繁盛ですよ」

  岩井が豪快に笑った。徳川家康が、天下統一して以来、泰平の世が続き、武士は戦地に出陣することも減り、馬具や武具を扱う生業は儲からず廃業を予余儀なくされた者が数多くいたが、岩井は、代々具足師をやっている実績があり人脈も広いことから細々と続けていた。

 

「それは良かった」

  修就は、心から旧友の成功を祝福した。岩井と入れ違いに滝が帰宅した。

 

「今しがた、法眼坂ですれ違ったお方にあいさつされたのですが、どなただったのかしら」

  滝が、縁側で洗濯物をたたみながらふとつぶやいた。滝が、出入りの具足師の顔を覚えていないということはありえないことだったので、修就は驚いた。

 

「岩井殿が具足を受け取りに来ておったが、そなたが会ったのは岩井殿ではないのか? 」

 

「まことに岩井殿でしょうか? 」

  滝が訊き返してきた。

 

「見知らぬ者ならば、会釈するだけであいさつまでしてこないはず」

  修就が言った。

 

「言われてみると、立ちふるまいは、岩井殿そのものでした。なれど、身なりはまるで別人でしたよ」

  滝が神妙な面持ちで言った。修就は思わず眉毛を上げた。それはつまり、滝が道で会っても、すぐに分からぬぐらい、岩井は変貌を遂げたことになる。

 

「それはまさしく岩井殿じゃ。近頃、商売が繁盛して羽振りが良くなったようじゃ」

  修就は、羽振りが良くなったという箇所を強調した。以前の岩井は、落ち武者のようにボサボサの髪を肩まで伸ばし、古着屋にも売っていないような年代物の着物をすり切れても継接ぎをして着ていた。見た目に無頓着な男だったのが、今は、さっぱりと剃髪して流行柄の着物を粋に着流しているのだ。

 

「さようでございましたか? 人は見かけが変わると、別人に見えるものなのですね。驚きました。ところで、岩井殿は、具足を御覧になって修理するのではなく、新しい物を買い替えることを勧めなかったのですか? 」

  滝から訊ねられて、修就はハッとした。たしかに、修理するより、新しい物を買い替えた方が儲かるはずだ。

 

(義理高い男じゃ)

  修就はしみじみと思った。

  

 修就の老母のコノは、老齢ながら川村家の家事や行事を取り仕切る大奥でいえば総取締のような存在だ。しっかり者の滝も、コノが決めたことには、一切口出ししない。

 

「義母上。私がやりますから奥で休んでいて下さい」

  滝がコノに言った。コノは、朝餉の準備で忙しい中、台所の隅にしゃがみこんで糠味噌の漬かり具合を見ていた。コノがいることで、滝は、下女に指示を与えづらくなり立ち往生していた。

 

「いいや。糠味噌だけは譲れないよ。私でなければこの味を保つことはできないからね」

  コノは、断固として糠味噌の前から離れようとしない。

 

「分かりました。そこまで申されるのならば仕方がございません」

  滝は、コノを台所から追い出すのを諦めてみきの姿を目で捜した。つい、さっき、順次郎の元に様子を見に行ったきり戻って来ない。

 

「奥方様」

  次の瞬間、下女が悲鳴を上げた。滝が驚いてふり返ると、コノが台所と座敷の境目の所で倒れていた。

 

「義母上」

  滝があわててコノに駆け寄った。

 

「あいたた」

  コノは、腰に手を当てながらゆっくりと上体を起こそうとしたが、今まで経験したことのない激痛が、腰を襲い思わず声を上げた。

 

「早く、田村先生を呼んで来て」

 

「は、はい」

 背後で、アタフタしていた下女に滝が叫んだ。下女と入れ替わりに、コノの声を聞いて修就と庄五郎が揃って駆けつけた。少しして、下女が、医師の田村玄谷を連れて舞い戻って来た。

  

 医師の田村玄谷が、コノの寝所に駆けつけた時には、コノは神妙な顔つきで布団の上に寝かされていた。コノは、座敷に上がろうとして足を滑らせ、床に倒れた際に腰を強く打ったらしい。安静にしていれば、23週間程で完治すると医師の田村玄谷は診断を下して帰った。

 

「義母上。私が気をつけていれば、こんなことにはなりませんでしたのに申し訳ありません」

  滝はコノ以上に気を落としていた。

 

「なあに、しばらく、安静にしておれば治ると先生が申しておったではないか? 」

  修就は、コノの寝所に入りびたり世話を焼く滝をなぐさめた。

 

   コノが、病で寝込んでいると早合点したお琴が、見舞いの品を持参して実家である川村家へ久しぶりに顔を見せたのは、コノが怪我をした9日後のことだ。コノは、しばらく寝たきり生活だったこともあり、急に足腰の筋力が衰え、立ち上がる時には何かに掴まらないとよろけるようになり、外出の際には、亡くなった夫の修富が愛用していた杖を持ち歩くようになった。

 

「おばあちゃま。大丈夫ですか? 」

  お琴が実家を訪ねた時、コノは、縁側に坐りお茶を飲んでいた。孫の声に気づき立ち上がろうとした時、足が動かず尻もちをついてしまった。

 

「さすがに、年には勝てないのかねぇ」

  コノは、お琴に抱きかかえられながら照れ臭そうに笑った。その様子を少し離れた場所から偶然、見かけた修就は、母の老いを痛感してさみしい気持ちになった。

 

 

 


松浦久兵衛、川村家を訪問

 部屋に戻り、木机の周りに散乱した新潟に関する史料を片付けながら、つい大きなため息がこぼれた。これまで、修就は、積極的に長岡藩と接触して、長岡藩の倉沢忠左衛門に『新潟町奉行住所之図』、『寛永年中の入津船』、『宗門改の奏書の写』、『新潟之事書抜一帳』、『新潟役宅向絵図』、『新潟に関する絵図書面』を持参させたり、新潟寄居村の入会のことなどについて質問したりと、新潟に関する史料集めに奮闘していた。史料集めには、新潟に赴任する前に長岡藩の面々と交流し親交を深めようとする狙いもあった。しかし、期待は呆気なく裏切られた。一応、長岡藩側は、修就の要望には従うが本意ではないことは明らかだ。

 

 

 

それを決定づけたのは、長岡藩が、6月中にという期限を守らず、『新潟役宅向絵図』を729日に、やっと提出して来たことだ。それでも、修就は、横田源七に『新潟の図』を持参させたり井上備前守から『新潟諸運上書付』を請け取ったり新潟表の津出米の件について伺いをしたり、老中の土井大炊頭へ新潟諸運上差引や土地の模様などを報告したりして新潟赴任に向けて精力的に活動することで、何とか前向きな心を保つことができた。

 

 

 

 長岡藩以外に江戸において、新潟赴任の準備をしている修就と接触を図ったのは、沢海に陣屋を構える旗本寄合の小浜健次郎だった。同年、84日。小浜は、川村家へ使者を派遣し口上書を提出した。

 

「小浜様は、長岡藩領時代より沢海陣屋の払米を新潟湊で売ることを任されております。その際、家臣を新潟湊に旅宿させ、払米を新潟湊で売り払うことを新潟詰の長岡藩の役人へ通知してこられました。こたび、川村様が、初代新潟奉行に着任するにあたり、新潟湊も御奉行様の支配所になるとお聞きしこれまで通り、沢海陣屋の払米を新潟湊で売ることを許可願いたいとのご伝言をお預かり参上致しました」

 

 使者は、口上書を修就に差し出すと平伏した。

 

「遠いところから、ご苦労であった」

 

 修就は、口上書をたたむと懐にしまった。

 

「こちらは、新潟湊へ払米、津出米の件で今後、お世話になるということで、小浜様からお預かりした川村様への時候見舞の御品でございます。どうぞ、お納め下さい」

 

 使者は、持参した千鯛一折と、樽代金200疋を修就へ差し出した。

 

「相分かった。小浜殿には、引き続き、沢海陣屋の払米を新潟湊で売る事が出来る様に、幕府に取り計らうので、払米を売る際は、新潟奉行所にその都度、届出るよう伝えよ」

 

 使者は、修就の返事を聞いた後、再び平伏した。修就は、贈物を送り便宜を図る慣習を快く思っていなかったが、新潟に関する史料を出し渋る長岡藩に苛々させられていたこともあり、せっかく、あちらから歩み寄って来たのを無下に断れば、近隣領主との関係が悪くなるかも知れないと考え受け取った。

 

 

 

 史料集めを行う中で、必ずしも肩を落とすことばかりではなかった。希望を持てる出来事が起きたのは、新潟赴任の準備が佳境に入ったころだった。8月の暑い盛りの午後。長岡藩の要請で出府していた新潟奉行所検断、松浦久兵衛と年寄の大井小右衛門が、修就に面会したいとやって来た。

 

「殿。事前に連絡もせず、長岡藩の役人が、押しかけて来ましたが追い返しますか? 」

 

 川村家の面々は、庄五郎とおたまの婚儀と、2人の新居の準備で猫の手も借りたい程忙しくしていた。庄五郎とおたまは、川村家に同居することにはなっていたが、庄五郎が独身時代に使っていた部屋は、夫婦2人で住むには手狭だった。そこで、大工に頼んで増築してもらう計画が持ち上がっていた。新潟奉行所検断松浦
)
久兵衛

と年寄の大井(
)
小右衛門(

)
、川村家を訪ねて来た日は、ちょうど、大工が来る日にあたり、修就は休みを取り屋敷にいた

 

「しばらく、客間で待つよう伝えよ」

 

 修就は、家用人の江川保右衛門に命じて両名を客間に待たせた。

 

「増築するとなると、この壁をぶち破る必要があります」

 

 大工は、修就に客が来ているとはつゆ知らず、遠慮なくトンカチを持ち出すと壁をたたいて強度をたしかめるなど増築のための作業に取り掛かった。そのため、川村家はさわがしくなった。

 

「殿。客人が、何事かと廊下に出て来ております」

 

 修就が、庭先で大工と立ち話をしていると、江川が駆け寄って来た。背丈が頭一つ程違う侍が2人、縁側に出て庭の方を眺めているのが見えた。修就が、2人を見ていると、背の低い方が大きく手を振った。修就は縁側へ歩み寄った。

 

「ごめんなせ―。身共は、長岡藩の者です。あなたさまは、川村様で? 」

 

 背の低い方が、なれなれしくあいさつをして来た。

 

「お待たせしてかたじけない」

 

 修就は、客間に2人を促すと下女に茶を持って来させた。大きな眼を見開いて、興味深そうに、部屋の中を見回している背の低い侍とは対照的に、背の高い侍は、身を小さくして居心地悪そうに坐っている。

 

「おぬしらは、長岡藩の者と聞いたが、名を名乗るが良い」

 

 修就は、懐から反古紙を取り出した。修就は、反古紙を常に持ち歩き気になった物事を書き留める習慣がある。初対面の相手と会った時は、忘れぬように、名前と特徴を書き留めておくようにしている。

 

「それがしの名前は、松浦久兵衛と申します。新潟町奉行所検断でごぜぇます」

 

 背の低い方の侍が自己紹介した。

 

「それがしは、長岡藩年寄、大井小右衛門と申します」

 

 背の高い方の侍が、緊張した面持ちで自己紹介した。

 

「同じ藩士でも、ずいぶん雰囲気が違うのだな」

 

 修就は思わずつぶやいた。松浦は、明らかに他の長岡藩の面々とは異なった。お奉行となる修就を前にして、物怖じするどころか取り繕うこともしない。大物なのかそれとも単にうつけ者なのか謎だ。

 

「検断とはいかなる役職なのじゃ? 」

 

 修就が松浦に訊ねた。

 

「検断は、新潟町の町政を取り仕切るいわば大黒柱でごぜぇます」

 

 松浦が答えた。

 

「ここにいる松浦は、3名いる検断を代表して藩の要請で出府しております」

 

 大井が言った。

 

「そういえば、おぬしら検断にも、帳面と絵図の提出を求めたが、長岡藩の誰よりも反応が素早かったのう」

 

 修就が言った。

 

「対応がおせぇのは、長岡藩の悪しき慣習故、仕方がねぇことでして」

 

 松浦が小声で告げた。

 

「松浦といったか? おぬしは、なかなか、骨のある男じゃ」

 

 修就が笑った。

 

「川村様」

 

 次の瞬間、松浦はその場に両手をついた。

 

「何だ、突然? 」

 

 修就の困惑をよそに、松浦は言葉を並べた。

 

「本日、罷り越しましたのは、町中惣代として口上之覚を献上するためにごぜぇます。なにとぞ、新潟の景気回復の為の施策に一同、協力させて頂くお願いに参りました」

 

「さようか」

 

 修就は、松浦から『口上之覚』を受け取った。

 

「町役人の方から、市中見廻りの際、町人らから奉行所の普請の際の人足を提供したいとの申し出があったと伝言を預かって来ました」

 

 大井もその場に平伏した。

 

「さようか」

 

 修就は明るい声で言った。この2人の訪問により、新潟の町民の間でも新設される新潟奉行所に景気回復のための施策を期待し協力する雰囲気が垣間見えた。

 

  その夜、716日に、新潟支配組頭に選任された関源之進と平戸新太郎が揃って、川村家へ出向いた。新潟支配組頭の他の新潟奉行所の構成員の選任も順調に進められていた。新潟支配組頭の席順は、佐渡奉行支配組頭次席で両人は、役料は200俵、役金は80両となった。

 


江戸を発つ前に‥

 天保14年、819日は、川村家と荒井家にとってめでたい日となった。川村家次男、庄五郎と奥御右筆組頭の荒井甚之丞の娘、おたまの婚儀が、川村家と縁のある宮重家、村垣兄弟、久三郎、新六、金七などが集まり盛大に行われた。白無垢の花嫁衣裳で現れたおたまは、清楚で美しさかった。おたまが、川村家へ引っ越して来る前日にようやく、増築が完了した。

 

「長生き出来て良かったよ。斯様に、可愛らしい娘がまた、1人増えたのだからねぇ」

  緊張するおたまに対し、修就の老母のコノは、無邪気に微笑んで緊張をほぐした。

 

 若年性リウマチにより、関節の動きが鈍くなった順次郎は、いろいろな薬を試す内に、免疫力が弱まり風邪を引きやすくなった。医師の田村玄谷は、体力のある若者は特に、病の進行が速いが訓練を欠かさず行えば、最低限の生活は送れると診断した。修就は、以前から、みきひとりに、順次郎の世話をさせるのは不憫だと考えていた。そこで、新潟へ赴任するのを機に、順次郎の世話役を川村家に奉公する者たちの中から選ぶことにした。

 

「うちでは、最低限の人数しか奉公人を置いていません。本来の仕事の他に世話が加わるとなると負担となりましょう。それだけはおやめくだされ」

  順次郎、修就の提案を1度はことわった。しかし、その日の夜。順次郎は、家の者たちが寝静まったころ、静かに床を抜け出して新潟赴任の準備のため、徹夜していた修就の元を訪れた。

 

「父上。さきほどのお話でございますが、やはり、お願いしたいと存じます」

  順次郎は、いつになく真剣な顔で告げると深々と頭を下げた。

 

「相分かった。早速、選ぶとしよう」

  修就が言った。

 

「父上。わしに、1人心当たりがございます。どうしても、家に奉公している者でなければなりませんか? 」

 

「屋敷に住まわせる以上、身元のしっかりとした者でなくてはならぬ。心当たりのある者というのは、もしや、おなごではあるまいな? 」

 

「父上。誤解しないで下さい。わしは、父上に食わせてもらっている身ですよ。外に、妾を囲むなんぞできるはずがございませんでしょう? 心当たりと申しますのは、玄谷先生の医院を手伝っている娘のことですよ」

  順次郎が苦笑いしながら言った。

 

「玄谷医院の娘とな? 」

  修就がけげんな表情で訊き返した。

 

「聞いた話によると、両親は、コロリで亡くなったそうです。新潟に姉が嫁いでいるそうで、新潟へ引っ越すと話したところ、たいそううらやましがっておりました」

  順次郎が熱心に言った。

 

「医院を手伝っている娘なら、医術の心得を多少なりとも身に着けておるだろうし、娘のことは、先生に訊けば調べがつく。相分かった。早速、先生から娘のことを詳しく聞き出して、もし、問題がなければ、おぬしの世話役として来てもらおう」

  修就が言った。

 

「先生なら明日の午後、診察に参られます。診察後に、父上が帰宅するまで残ってもらえるか聞いてみます。何卒、よろしくお願い致します」

  順次郎が深々と頭を下げた。

 

 翌日。医師の田村玄谷は、順次郎の頼みを快諾し修就の帰宅を待っていた。修就は、事前に用意していた質問事項にそって聞き取りを行った。娘の名はツヤといい、年は庄五郎と同じ位だという。順次郎が言っていた通り、ツヤが物心ついたころには、ツヤの両親は相次いで、コロリにかかり亡くなっていた。その後、親戚の家をたらいまわしにされたが、姉が遠方へ嫁ぐことが決まった際、田村玄谷の医院に住み込みで働くことになったという。

 

 ツヤは、明るく穏やかな上、両親を早くに亡くして苦労したこともあり、辛抱強い性格だという。

 

「ツヤのことなら前から知っています。気立ての良い娘ですし、良いのではないですか」

  修就は滝に相談した。滝があっさり賛成したことから、修就は、ツヤを雇うと決めて田村にも話した。田村は、長年、親交のある川村家なら安心だと快諾した。ツヤには、田村の方から事情を話してもらい世話役として来てもらえるか打診した。

 

「ありがたいお話です。よしなにお願い致します」

  ツヤも快諾した。問題が1つある。ツヤを迎えるにあたり、長年、順次郎を献身的に支えて来た妻のみきに誤解を与えるおそれがあると、順次郎が言い出した。修就は、みきの説得を川村家の中で、みきが最も心を開いている修就の老母のコノに任せることにした。

 

「たとえ、順次郎の世話をする者を雇ったとしても、誰も、おまえさんを嫁失格だとは考えません。おまえさんがいるだけで、どんなに、順次郎の心の支えになっているか、皆が知っていますからね」

  コノは、みきの手を取ると優しくたたみかけた。みきは、眼を潤ませて何度もうなずいた。

 

「私からもお願いします」

  みきは、コノに付き添われて修就の待つ居間に行くと告げた。

 

「ツヤが来るのは、新潟を立つ日の前日じゃ。もし、準備が大変なら、ツヤに休みの日に来てもらい手伝わせると良い」

  修就が穏やかに告げた。

 

「分かりました」

  みきは、うつむき加減で返事をした。しかし、修就の助言に従い、ツヤを呼んで準備を手伝わせる様子はなく、ツヤの方も、順次郎の診察に来た田村玄谷のお供で川村家に来ることはあっても、診察が終わると帰って行った。

 

「順次郎。おぬしもたまには参らぬか? 」

  修就は、新薬がようやく効いて、身体の調子が良い順次郎を砲術の稽古に誘った。

 

「遠慮します」

  順次郎がすかさずことわりをいれた。

 

「兄上。あんなに、砲術を真剣に学ばれておられたではないですか? 」

  突然、庄五郎が順次郎を責めた。

 

「来たくないのなら無理強いはせぬ。さあ、参るぞ」

  修就は庄五郎を促した。

 

「まことに良いのですか? 兄上は、本心でことわってはいないことを父上もご存じのはず」

  庄五郎は、順次郎の方をふり返った。順次郎が、門の前に立ちつくしているのが見えた。

 

「分かった。もう一度、聞いて参るが良い」

  修就は庄五郎に判断を任せることにした。庄五郎は、順次郎の元に引き返すと強引に引っ張って来た。

 

「たまには、義姉上を休ませてやりましょう。兄上がおっては、義姉上も、ゆっくり出来ませんよ。今までずっと、忙しそうでしたから、疲れも、だいぶたまっているようですし」

  庄五郎が、順次郎の弱点を上手い具合についた。

 

「みきのためだ。それに、身体の調子が良い時は、適度に動いた方が良かろう」

  順次郎は、独り言のようにつぶやいた。修就は、兄弟が仲睦まじく一緒に歩く姿を微笑ましく見守った。

 

 川村家には連日、新潟奉行所構成員の誰かしらが訪れて、新潟奉行所新設の準備を進めていた。93日、並役13名、同出役1名が任命され、ほぼ新潟奉行所構成員の選任が終わった。さらに、閏915日、老中の土井大炊頭から、御暇拝領物として新潟支配組頭の関源之進は金壱枚を成瀬又太郎は時服二着を授かった。組頭両名は、引越料を93日の時点で、各80十両ずつ渡されていた。続いて、定役、並役、足軽たちも、閏917日に各自1000両受領した。修就は、新潟御備金として300両を受領した。925日には、新潟赴任の先発隊として組頭の関源之進が江戸を出立した。

 


奥付



【2019-01-24】新潟湊の夜明け~新潟上知編


http://p.booklog.jp/book/125454


著者 : きの しゆう
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/dy6m9cnik/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/125454



電子書籍プラットフォーム : パブー(http://p.booklog.jp/)
運営会社:株式会社トゥ・ディファクト




この本の内容は以上です。


読者登録

きのしゆうさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について