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DAY-2 ①

 

(誰か油性ペン貸して。二目と見られぬ男前にしてやろうぜ)
 寝坊したのをいいことに、悪友どもがふざけている。反撃しなくては。
「おまえら、いい加減にしろよ」
 呂律の回らぬ声で目が覚めた。跳ね起きたが、ヤツらはいなかった。当たり前だ。あれは学生時代の記憶。だが、夢にしては随分リアルに再現されていた。ここはあの夏休みとは別のホテルで、ツインルームで……。
 隣のベッドに小僧がいない。寝具の乱れが軽く整えてあるのを見ると、異常な事態によって発作的に飛び出したのではなさそうだが、子供だけに万一ということも考えられる。しかし、呼び出そうにもライティングデスクに携帯端末を放ってある。
 髪を掻き毟って顔を上げたら、昨晩閉めたはずのカーテンが半分開いていた。駆け寄ってベランダに出ると、中庭で子供たちが遊んでいた。プールを囲むコンクリートデッキでサッカーボールを器用に捌いて、リフティングの真似事をしている。小僧と、いつ親しくなったのか、三つ四つ年下くらいの男児。その妹らしき女児が仔犬のように二人の周りを駆け回っている。心配しなくても、大人が一人付き添っていた。

 小僧は爪先で柔らかくボールを蹴り上げ、男児の両手に収まったのを見て、こちらを振り仰いだ。すると、兄妹の母親か、長椅子に凭れていたご婦人も、立ち上がって帽子の鍔に触れ、上品に会釈した。反射的に一礼したが、相手の微笑の意味に気づいて慌てても時既に遅し。小僧の手振りが寝癖の派手さを物語っていた。
 洗面所で四苦八苦していると、小僧が帰還した。
「寝起きで頭髪が激しく乱れていますが父です……って紹介しておいた」
「あのなぁ」
 黙っていなくなったら心配するだろうがと小言をくれてやったが、どこ吹く風。もっとも、落ち着いて考えれば、車がなくては街へ戻れない不便な立地のホテルだから、勝手にフラフラしようと無暗に敷地の外へ出るはずもなく、腹が減れば帰ってくるに違いなかった。誘拐の懸念もあったが、ここにそんな目的で潜伏する輩がいるとは考えにくい。

 念入りに手を洗った小僧は我が内心のアップダウンを見透かした様子で、ほんの少し、目許めもとに意地の悪い笑みを滲ませていた。

「お腹空いたよ、お父さん」

「叔父のつもりだったんだけどな」

「両親が離婚して母と暮らしているんだけど、たまに父と面会するって設定。母の旧姓を名乗っているから父とは苗字が違う。どう?」

 未婚なのに×1バツイチ扱いとは。しかし、グッと堪えて、

「お好きなように」

 パティオに面したテラス席で朝食。プレーンオムレツの光沢がまばゆい。


DAY-2 ②

「休みに入ったら、ママはすぐにでも顔を見たかったんじゃないのかな」
「……だろうけど、全寮制の学校に放り込んで知らんぷりしてるって負い目があるからなぁ」
「そんな言い草はないだろう」
 だが、小僧はどこ吹く風といった調子で、
「ええと、じゃあ訂正。自主性を尊重してくれてます。窮屈な集団生活のガス抜きを存分に、と。あと、ほら、可愛い子には旅をさせろって言うでしょ」
 小僧の母、つまり旧友の奥さんが何かにつけて我が子を心配しているのは、当人から聞いていた。あの破談報告以来、気まずくなって、肝心の亭主と直接話しづらくなり、近況を訊ねる相手は専ら彼女になっていたのだ。とは言っても、こちらから接触を図ることはなく、彼女が連絡してくる一方だった。気軽に愚痴を零せる者が他にいないのだろう。

「ちょっと焦らしてやった方が、再会の喜びも一入ひとしお……ってね」

 人の気持ちを弄ぶ悪党に育つ素質は充分あるかもしれない。小僧はトーストの上にベーコンや半熟の目玉焼きを慎重に載せたと見るや、身じろぎする黄身にフォークを刺して表皮を破った。滲み出す卵液。彼の父親と、クロックムッシュとクロックマダムの違いについて話したのを思い出す。悪友ヤツはパンの上で微かに揺れるフライドエッグを見てエロティックだと言った……。
 記憶を反芻する間に、小僧は温かいオープンサンドをほとんど平らげていた。
「冷めるよ」
「ああ……」
 小僧は飲み物を取りに行き、先ほどの親子と遭遇して挨拶を交わして戻ってきた。
「無糖炭酸水。喉、渇いてるんでしょ。部屋でもたくさん水、飲んでたし」
「ありがとう」
 小僧はクロワッサンにナイフで切れ目を入れ、スクランブルエッグを詰め込んでかぶりつき、

「お母さまはどうなさったのって言うから、後から合流しますって答えておいた。お忙しいのね、だってさ。笑っちゃうよ。でも、お互い長逗留になったら何て言い訳しようか」
「そういうことを考えて他人を担ぐのが趣味なんだろ?」

 小僧は含み笑いを漏らすと、ゴクゴク喉を鳴らしてトマトジュースを飲み乾した。
「母が遅れて到着するのを待っているが、一向に現れないのは、彼女が寝坊して予定の飛行機に乗り遅れ、その後の都合がつかないからだ……っていうのはどう?」
「まあまあ、だな」

「『お部屋はツインじゃございませんの』ってツッコまれたら『エキストラベッドが入ります』で、いいか」
「任せる」
 待てど暮らせど、追いつくはずの妻はやって来ない……という小説を小僧の父親に借りて読んだ覚えがあるけれど、何だったか思い出せない。

「おじさんはウチのパパのことばかり考えてるよね」
「えっ?」


DAY-2 ③

 ヴィシソワーズを掬いかけたスプーンを器に戻した。読心術を備えた妖怪の一種は、澄ました顔でフルーツをつついている。
「それは多分もう……」
 少ししか時間がないから名残を惜しんでいるせいだ、と言いたかったが、途中でやめた。小僧には関係ない。
「アクティヴィティは、どうする?」
「アクティヴなのは苦手」
「上手にリフティングしてたじゃないか」
「あんなの運動のうちに入らないよ。普段、山奥に押し込められてるからさ、海が臨めればおん
 部屋に戻って身支度を整え、車に乗り込んだ。小僧はチラッと後ろを見て、
「本格的に眠くなったら、そっちで昼寝しようかな」
「キミのパパを運んだこともあった。骨折して唸ってるのを、病院へ」
 すると、小僧は眉根に微かな皺を寄せ、
「そんな話は聞いてないな」
「転んで腕を打ちつけたんだよ」
「ふぅん」
 実子の自分が知らない父のエピソードを他人が把握しているのが不満とでも言いたげだった。仕方ないだろう、関わり合ってきた年月が違うのだから。
 また時間の話題だ。追いかけてこない女は小僧のいわゆる「迂回路のエアポケット」に嵌まり込んで立ち往生しているのか。あるいは最初から存在しないのかもしれないが。

 信号待ちの間、迂闊にもぼんやりしていた。隣でポチャンと音がした。小僧が水を飲んでいた。確かに喉が渇く。いつにも増して。

 

 既知の場を再訪しているのに、懐かしさがない。あまりに久しぶりだからか、同伴者が新鮮過ぎるせいか。
 小僧は海の青さと緑の濃密さに驚嘆の声を漏らしたが、よくある子供のはしゃぎ方とは異なり、すぐ静かになって、眼前に広がる光景にのめり込んでは視線を逸らし、また食い入るように次の眺めに集中することを繰り返した。脳内に書き込んだデータを即時、母船のコンピュータに送信する宇宙人がいたら、こんな按配なのだろうか。

 イルカのショーなどを堪能し、さて、次は……と思ったら眩暈を催した。日差しの強さと暑さと人いきれが身体に堪える。もたついているうちに、小僧は小走りで人混みに紛れてしまった。足が縺れて追いかけられない。何を考えているのか理解もできない。異星の仲間を目聡めざとく見つけて、情報交換のために駆け寄ったのか。そんなことより、あの夫婦に何と言って知らせるかだ。あなた方の息子さんをお預かりしていましたが二日目にして早くも見失いました……とでも報告するのか。バカか。

 我が間抜けさに呆れていると、目の前が真っ白になった。いよいよ頭がおかしくなったか。


DAY-2 ④

「はい。融けちゃうから、速く」
 小僧が早歩きで戻ってきて、ソフトクリームを突き出していた。
「悪いね」
「何を想像してたか大体見当はつく」
 小僧は日陰を指差した。おとなしく誘導に従うしかなかった。

「船旅の疲れが抜けてないな。トシだからしょうがないけど」

「そもそも自家用車で全国縦断なんて正気の沙汰じゃないね」

「結構いるぞ、車好きの旅マニア」
「フリーランスの特権だ。羨ましい」
「会社員だった頃が懐かしくなるときもあるよ」
「戻りたい?」
「いや、それはない」
 小僧はフフフフと笑ってコーンのスリーヴを握り締め、ゴミ箱まで走って行って戻ってきた。
「もうちょっと休ませてあげようか」
「恐縮です」

 子供ガキに気を遣わせてどうする。しっかりしろ。

「おじさんは寝てていいよ」

 連れて来られたのはプラネタリウムのホール。海獣の後に天像儀とは、これ如何いかに。

「だって、海と宇宙は繋がってるんだから。深海の映像、見たことある?」
「うん」
「我々の日常とは別世界でしょ。地続きじゃない感じ。深く深く潜った先に宇宙空間が開けてる気がしない?」
「確かに、深海魚は見慣れた魚より謎の宇宙生物の風情、かな」
 と、宇宙と深海のイメージの親和性について一頻り語らった。
「いつも友達とそんな話をしてるの?」
「そう。宇宙人がコンタクトして来たら、どう対応しようか検討中」

 薄笑いは冗談のしるし。だが、

「考えているのは応戦でも懐柔でもないよ。地球防衛軍じゃあるまいし。侵略者の斥候うかみになって生き延びようって計画」

 

 

《『thirsty』書籍版につづく》


奥付

 

thirsty


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閲覧ありがとうございました。

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著者 : 深川夏眠
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