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DAY-1 ③

「わかった、もういいよ」

「パパが言ったとおり。おじさんは二枚目だし頭も切れるけど、素直過ぎるのが玉にきずだってさ」

 あの野郎。

「ちょいちょい父子おやこでヒトを笑いものにしてるんだな」

「フフフフ」

 小僧がトイレから戻るまでに、父親か母親にメッセージを送信して確認すればいいのだ。あなた方のお子さんをお預かりしていますが……と。しかし、夏休みの序盤を気儘に過ごしたくて他の都合を後に回し、保護者にも許可を得て、暇そうなパパの悪友に白羽の矢を立てた、もちろん家にも知らせてあるという彼自身の弁を、信用してやるべきではないかと思った。曰く、「ママが『後できちんとお礼をしたいから、ご都合のよろしいときにお電話ください』って」――。
 第一、この成り行きに悪意が仕込まれていたとしても、不都合があるだろうか。生意気な小僧に寝首を掻かれるのも、急激に病が悪化して息絶えるのも、大した違いはなさそうだ。
「お待たせ」
 ジョッキに残った炭酸飲料を飲み乾したが、ぬるくなっていて不味かった。別の何かが欲しかった。

 

 宿を目指して、ひた走る。
「お互い派手な遅延もなくて、スムーズに落ち合えてよかった。一人で心細くなかったかい?」
「いつも団体行動だから、新鮮な気分だった。これ繋いでいい?」
 小僧はこちらの返事も待たず、USBポートにケーブルを差し込んだ。流れ始めたのは古い音楽で、こんな子供にしては意外だったが、父親の好みを受け継いだ風でもあった。
「場所や距離以上に時間が問題だよね」

「うん?」

「別々の方向から違う手段でやって来るとき、ふとした拍子にひずみができて進路がズレたら、さ」

 小僧は胸の前で左右の手を近づけ、軽く反らした指先を打ち合わせながら、噛み合わないケースもあるだろうと言った。例えば、アクシデントによって遠回りを余儀なくされ、本来通過するべき地点に足跡を残さなかったら、無事ゴールに着いたつもりでも、そこには想定していたものとは異なる光景が広がっているのでは……と。

「こっちは三時間遅刻したと思っていても、相手にとって三十時間経っていたなら、それはもう次の日で、二度と会ってもらえないかもしれない」
「事故が起きて本来の目的地とは違う港で下船して、大急ぎで空港へ駆けつけたが、待てど暮らせどキミを乗せた飛行機は到着しない……か」

「迂回路にエアポケットがあってさ、そこに嵌まってるうちに交通機関がダイヤ改正しちゃうとかね」
「確かに、未来はわからないな」


DAY-1 ④

 懐かしい情景が脳裏をよぎる。悪友とのファースト・コンタクト。あの式典の折、一方が僅かでも遅れて、座席が隣り合わせにならなければ、一生関わりを持たずに終わったのか。それなら、今、ヤツの息子を乗せてこんな夜道をドライヴしているはずもなく……助手席は空っぽかもしれない、などと考えたら、背筋に悪寒が走った。だが、視線を向けると、小僧は行儀よく座って音楽に耳を傾けていた。

 

 無事、宿泊先にチェックイン。小僧は何が気になるのか、足を止めてトロリーケースのハンドルを弄っていたので、ドアを開けて支えてやった。
「どうぞ」
「すいません。わぁ、二人連れには贅沢な広さ」
 寝るには早いが、身動きの取れる時刻でもない。連れが成人ならバーで軽く引っかけたに違いないけれど……。

 小僧は汗を流したいと言って風呂に入り、サッと出てきた。集団生活で培われた素早さ、要領のよさ、か。入れ替わりにバスルームを占拠したが、寛ぐというより、あまり愉快でない何かが意識の片隅にわだかまったせいで動作がノロノロしていたからか、無駄に時間がかかった気がする。 小僧はベランダ寄りのソファで悠々と姿勢を崩し、ペットボトルを口に運んでいた。

「冷蔵庫からだったから、自販機で適当に買ってきた」

「ああ」
「ここに泊まるってママに知らせたよ。贅沢、子供のクセに生意気、おじさんに感謝しなさい……だってさ」
「後日盛大に御馳走してもらえるかな。そのときはパパのポケットマネーでお願いしたい」
「いいね、それ」
 小僧は例のフフフフと聞こえる笑いを小さく漏らしてベッドに倒れ込み、
「おやすみなさい。明日もよろしく」

 短く挨拶したと思ったら、すぐ眠りに落ちたようだ。照明を絞って、簡易キッチンのカウンターで新聞を広げながら、ミネラルウォーターを頂戴した。

 気分がスッキリしない原因は「袖にされた女」という小僧の一言だった。見合いから逃げ回る中で知り合った女性と意気投合し、結婚に向かって話を進めるも破談になった。愛想を尽かされたのだ。友人夫妻、つまり小僧の両親に顚末を報告したのは、いつだったろう。彼らの部屋ではなかった。子供は親戚の家に泊りがけで遊びに行ったので三人でディナーを、と誘われた。奥さんは夜景を一瞥し、あなたを振るなんて見る目のないひとだったのねと呟いた。亭主は……アイツは何と言ったっけ。いつもなら軽口を叩いたはずだが、珍しく暗い表情で黙っていた。それで理解した。こちらの本心は、とうに見透かされていたのだ。その晩を境に、疎遠になった。

 去って行った女性は勘が鋭かった。曰く、二股をかけているとは思わないが、いつも他の誰かの気配を近くに感じるから、結婚に踏み切る決心がつかない――。浮気を疑っているのではないと彼女は重ねて言った。別の次元の話だと。


DAY-1 ⑤

 もっと鈍感か、さもなくば逆に、度が過ぎるほど聡明で、実体のない二心ふたごころを察しても目を瞑ってくれる賢女けんじょだったら上手くやって行けただろうに。返す返すも残念……いや、よく言うよ。もう顔も覚えていないくせに。


DAY-2 ①

 

(誰か油性ペン貸して。二目と見られぬ男前にしてやろうぜ)
 寝坊したのをいいことに、悪友どもがふざけている。反撃しなくては。
「おまえら、いい加減にしろよ」
 呂律の回らぬ声で目が覚めた。跳ね起きたが、ヤツらはいなかった。当たり前だ。あれは学生時代の記憶。だが、夢にしては随分リアルに再現されていた。ここはあの夏休みとは別のホテルで、ツインルームで……。
 隣のベッドに小僧がいない。寝具の乱れが軽く整えてあるのを見ると、異常な事態によって発作的に飛び出したのではなさそうだが、子供だけに万一ということも考えられる。しかし、呼び出そうにもライティングデスクに携帯端末を放ってある。
 髪を掻き毟って顔を上げたら、昨晩閉めたはずのカーテンが半分開いていた。駆け寄ってベランダに出ると、中庭で子供たちが遊んでいた。プールを囲むコンクリートデッキでサッカーボールを器用に捌いて、リフティングの真似事をしている。小僧と、いつ親しくなったのか、三つ四つ年下くらいの男児。その妹らしき女児が仔犬のように二人の周りを駆け回っている。心配しなくても、大人が一人付き添っていた。

 小僧は爪先で柔らかくボールを蹴り上げ、男児の両手に収まったのを見て、こちらを振り仰いだ。すると、兄妹の母親か、長椅子に凭れていたご婦人も、立ち上がって帽子の鍔に触れ、上品に会釈した。反射的に一礼したが、相手の微笑の意味に気づいて慌てても時既に遅し。小僧の手振りが寝癖の派手さを物語っていた。
 洗面所で四苦八苦していると、小僧が帰還した。
「寝起きで頭髪が激しく乱れていますが父です……って紹介しておいた」
「あのなぁ」
 黙っていなくなったら心配するだろうがと小言をくれてやったが、どこ吹く風。もっとも、落ち着いて考えれば、車がなくては街へ戻れない不便な立地のホテルだから、勝手にフラフラしようと無暗に敷地の外へ出るはずもなく、腹が減れば帰ってくるに違いなかった。誘拐の懸念もあったが、ここにそんな目的で潜伏する輩がいるとは考えにくい。

 念入りに手を洗った小僧は我が内心のアップダウンを見透かした様子で、ほんの少し、目許めもとに意地の悪い笑みを滲ませていた。

「お腹空いたよ、お父さん」

「叔父のつもりだったんだけどな」

「両親が離婚して母と暮らしているんだけど、たまに父と面会するって設定。母の旧姓を名乗っているから父とは苗字が違う。どう?」

 未婚なのに×1バツイチ扱いとは。しかし、グッと堪えて、

「お好きなように」

 パティオに面したテラス席で朝食。プレーンオムレツの光沢がまばゆい。


DAY-2 ②

「休みに入ったら、ママはすぐにでも顔を見たかったんじゃないのかな」
「……だろうけど、全寮制の学校に放り込んで知らんぷりしてるって負い目があるからなぁ」
「そんな言い草はないだろう」
 だが、小僧はどこ吹く風といった調子で、
「ええと、じゃあ訂正。自主性を尊重してくれてます。窮屈な集団生活のガス抜きを存分に、と。あと、ほら、可愛い子には旅をさせろって言うでしょ」
 小僧の母、つまり旧友の奥さんが何かにつけて我が子を心配しているのは、当人から聞いていた。あの破談報告以来、気まずくなって、肝心の亭主と直接話しづらくなり、近況を訊ねる相手は専ら彼女になっていたのだ。とは言っても、こちらから接触を図ることはなく、彼女が連絡してくる一方だった。気軽に愚痴を零せる者が他にいないのだろう。

「ちょっと焦らしてやった方が、再会の喜びも一入ひとしお……ってね」

 人の気持ちを弄ぶ悪党に育つ素質は充分あるかもしれない。小僧はトーストの上にベーコンや半熟の目玉焼きを慎重に載せたと見るや、身じろぎする黄身にフォークを刺して表皮を破った。滲み出す卵液。彼の父親と、クロックムッシュとクロックマダムの違いについて話したのを思い出す。悪友ヤツはパンの上で微かに揺れるフライドエッグを見てエロティックだと言った……。
 記憶を反芻する間に、小僧は温かいオープンサンドをほとんど平らげていた。
「冷めるよ」
「ああ……」
 小僧は飲み物を取りに行き、先ほどの親子と遭遇して挨拶を交わして戻ってきた。
「無糖炭酸水。喉、渇いてるんでしょ。部屋でもたくさん水、飲んでたし」
「ありがとう」
 小僧はクロワッサンにナイフで切れ目を入れ、スクランブルエッグを詰め込んでかぶりつき、

「お母さまはどうなさったのって言うから、後から合流しますって答えておいた。お忙しいのね、だってさ。笑っちゃうよ。でも、お互い長逗留になったら何て言い訳しようか」
「そういうことを考えて他人を担ぐのが趣味なんだろ?」

 小僧は含み笑いを漏らすと、ゴクゴク喉を鳴らしてトマトジュースを飲み乾した。
「母が遅れて到着するのを待っているが、一向に現れないのは、彼女が寝坊して予定の飛行機に乗り遅れ、その後の都合がつかないからだ……っていうのはどう?」
「まあまあ、だな」

「『お部屋はツインじゃございませんの』ってツッコまれたら『エキストラベッドが入ります』で、いいか」
「任せる」
 待てど暮らせど、追いつくはずの妻はやって来ない……という小説を小僧の父親に借りて読んだ覚えがあるけれど、何だったか思い出せない。

「おじさんはウチのパパのことばかり考えてるよね」
「えっ?」



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