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DAY-1 ①

 

 夜の空港は花や果実の香りと人いきれに満ちていた。無性に喉が渇く。到着口から吐き出される人の中に目当ての顔を探す。脇見しながら、それでもまごつく様子もなく、鮮やかなオレンジ色のトロリーケースを引いて歩いてくる、あの小僧だ。赤ん坊だった姿しか知らない相手とどうやって待ち合わせをするのかと、遅蒔きながら昨晩フェリーの客室でハタと気づいたら、絶妙なタイミングで画像が送られてきた。が、下船し、愛車を置いて一服しながら、それがもし偽者の写真だったら……と、一抹の不安を覚えた。
「こんばんは」
「お疲れさん。遠かったろ」
「おじさんこそ」

 身体からだつきは華奢でも堂々としている。年齢より大人びた雰囲気。語調は上品だが、自身の親と同じ中年男を前に委縮せず敬意も払わずといったところ。予想はしていたが、手強いかもしれない。

「車を停めてあるから」

「レンタカー?」

「いや……」

 荷物のハンドルを取って引いてやろうとしたが、やんわり拒否された。ケースの下部に赤く丸い、植物の意匠らしきステッカー。玉葱に見えなくもない。

「わざわざ自分の車で来たの?」

「だからフェリーで。一人旅の途中だったんだよ」

「放浪癖があるんだっけ。邪魔して悪かったかな。それにしても暑い」

  駐車場に着くと、我が相棒を一瞥して、

「カッコイイけど……古い?」

「まあね」

「失礼、こういうときは年季が入ってるって言うんだよね」

「いいよ、気を遣わなくて」

 リアハッチを開けて小僧の旅具りょぐを横たえた。シートベルトを締め、

「腹減っただろ。晩飯は何にする?」

「別に……。食欲なし」

「食べ盛りが頼りないこと言うなよ」

 観光グルメガイドブックを渡し、目を通させる間に宿泊先に電話。今からそちらへ向かうと伝える。過去、リゾート気分に浮かれて連絡を怠り、ホテルに着いたら部屋はないと言われた経験を踏まえてのこと。

「予約がキャンセルされちゃうの?」
「繁忙期にはわざとオーバーブッキング気味にしておくのがちょうどいいんだって。バックレる客もいるから。それでいて、予想に反してみんなちゃんと来ちゃう日もあるだろ、変な言い方だけど。そういうときは無言で到着が遅いヤツの負け。提携してる近くの宿を紹介してくれるけど」


DAY-1 ②

「そっちも面白そう」
「うん、客室をアップグレードしてくれたり、お食事代ですってレストランのチケットをくれたり。愉快なハプニングだった。昔の話だけどね」
 小僧はページを捲って、

「ハンバーガーなら食べられそうかな」
「張り合いがない」
「ジャンクフードに飢えてるから。またとないチャンスだし」
「規律正しい寮生活、か」
「みんなあの手この手で適当にやってるけどね」
 小僧の希望に沿ってファストフード店へ。ノンアルコールビールを喉に流し込み、
「誰かの仕込みで替え玉がやって来たら……なんて、さっき、ふと思った」
「おじさんの旧友の息子です、少し面倒見てください――って?」
「写真が送られてくるまで顔もわからなかったんだぞ」
「前に会ったのって、いつだったっけ」
「十年以上前。キミがまだ涎掛けをしてバブバブ言ってた頃さ」
「成り済ましにどんなメリットがあるのかな。おじさんにちょっぴり奢ってもらえる以上に。それとも、殺し屋を差し向けられる覚えでもある?」
「要人じゃないんだから」

「怨恨とかね。袖にされた女が小遣いでも握らせてガキを手懐てなずけて……。だとしたら、本人は今どこだろう」

「まさか」

 彼が空港を経由してきたのを思い出した。同じ背格好の子供が猿轡を噛まされ、手足を縛られてトイレの個室に監禁された姿が閃いて、我ながら逞しい想像力だと呆れつつ、言い負かされたままなのも癪だから、つい勢い込んで、
「じゃあ、お手並み拝見と行くか。隙があったらかかって来なさい」
 小僧は食べかけの分厚いバーガーから顔を上げて、
「からかい甲斐のあるおじさんだ」
 そうだ、写真を送信してきたのは昨夜、飛行機の乗り換えの半日以上手前。小僧はまだ寄宿舎にいた。景色からして疑う余地もない。
「本物は乗り継ぎの空港のトイレなんかにはいない。学校の裏山の古木に吊るされてるかもよ」

 悪乗りに付き合うなんて大人気おとなげない……と思いながら、

「悪党め。生徒証は?」

 食事を終えた小僧は優雅に指を拭い、ショルダーポーチを開けて手帳を広げた。
「身分証だって画像の背景だって、加工ぐらい簡単だけど。知能犯じゃなくヒットマンに見えますかね。何なら所持品検査してもらっても……」


DAY-1 ③

「わかった、もういいよ」

「パパが言ったとおり。おじさんは二枚目だし頭も切れるけど、素直過ぎるのが玉にきずだってさ」

 あの野郎。

「ちょいちょい父子おやこでヒトを笑いものにしてるんだな」

「フフフフ」

 小僧がトイレから戻るまでに、父親か母親にメッセージを送信して確認すればいいのだ。あなた方のお子さんをお預かりしていますが……と。しかし、夏休みの序盤を気儘に過ごしたくて他の都合を後に回し、保護者にも許可を得て、暇そうなパパの悪友に白羽の矢を立てた、もちろん家にも知らせてあるという彼自身の弁を、信用してやるべきではないかと思った。曰く、「ママが『後できちんとお礼をしたいから、ご都合のよろしいときにお電話ください』って」――。
 第一、この成り行きに悪意が仕込まれていたとしても、不都合があるだろうか。生意気な小僧に寝首を掻かれるのも、急激に病が悪化して息絶えるのも、大した違いはなさそうだ。
「お待たせ」
 ジョッキに残った炭酸飲料を飲み乾したが、ぬるくなっていて不味かった。別の何かが欲しかった。

 

 宿を目指して、ひた走る。
「お互い派手な遅延もなくて、スムーズに落ち合えてよかった。一人で心細くなかったかい?」
「いつも団体行動だから、新鮮な気分だった。これ繋いでいい?」
 小僧はこちらの返事も待たず、USBポートにケーブルを差し込んだ。流れ始めたのは古い音楽で、こんな子供にしては意外だったが、父親の好みを受け継いだ風でもあった。
「場所や距離以上に時間が問題だよね」

「うん?」

「別々の方向から違う手段でやって来るとき、ふとした拍子にひずみができて進路がズレたら、さ」

 小僧は胸の前で左右の手を近づけ、軽く反らした指先を打ち合わせながら、噛み合わないケースもあるだろうと言った。例えば、アクシデントによって遠回りを余儀なくされ、本来通過するべき地点に足跡を残さなかったら、無事ゴールに着いたつもりでも、そこには想定していたものとは異なる光景が広がっているのでは……と。

「こっちは三時間遅刻したと思っていても、相手にとって三十時間経っていたなら、それはもう次の日で、二度と会ってもらえないかもしれない」
「事故が起きて本来の目的地とは違う港で下船して、大急ぎで空港へ駆けつけたが、待てど暮らせどキミを乗せた飛行機は到着しない……か」

「迂回路にエアポケットがあってさ、そこに嵌まってるうちに交通機関がダイヤ改正しちゃうとかね」
「確かに、未来はわからないな」


DAY-1 ④

 懐かしい情景が脳裏をよぎる。悪友とのファースト・コンタクト。あの式典の折、一方が僅かでも遅れて、座席が隣り合わせにならなければ、一生関わりを持たずに終わったのか。それなら、今、ヤツの息子を乗せてこんな夜道をドライヴしているはずもなく……助手席は空っぽかもしれない、などと考えたら、背筋に悪寒が走った。だが、視線を向けると、小僧は行儀よく座って音楽に耳を傾けていた。

 

 無事、宿泊先にチェックイン。小僧は何が気になるのか、足を止めてトロリーケースのハンドルを弄っていたので、ドアを開けて支えてやった。
「どうぞ」
「すいません。わぁ、二人連れには贅沢な広さ」
 寝るには早いが、身動きの取れる時刻でもない。連れが成人ならバーで軽く引っかけたに違いないけれど……。

 小僧は汗を流したいと言って風呂に入り、サッと出てきた。集団生活で培われた素早さ、要領のよさ、か。入れ替わりにバスルームを占拠したが、寛ぐというより、あまり愉快でない何かが意識の片隅にわだかまったせいで動作がノロノロしていたからか、無駄に時間がかかった気がする。 小僧はベランダ寄りのソファで悠々と姿勢を崩し、ペットボトルを口に運んでいた。

「冷蔵庫からだったから、自販機で適当に買ってきた」

「ああ」
「ここに泊まるってママに知らせたよ。贅沢、子供のクセに生意気、おじさんに感謝しなさい……だってさ」
「後日盛大に御馳走してもらえるかな。そのときはパパのポケットマネーでお願いしたい」
「いいね、それ」
 小僧は例のフフフフと聞こえる笑いを小さく漏らしてベッドに倒れ込み、
「おやすみなさい。明日もよろしく」

 短く挨拶したと思ったら、すぐ眠りに落ちたようだ。照明を絞って、簡易キッチンのカウンターで新聞を広げながら、ミネラルウォーターを頂戴した。

 気分がスッキリしない原因は「袖にされた女」という小僧の一言だった。見合いから逃げ回る中で知り合った女性と意気投合し、結婚に向かって話を進めるも破談になった。愛想を尽かされたのだ。友人夫妻、つまり小僧の両親に顚末を報告したのは、いつだったろう。彼らの部屋ではなかった。子供は親戚の家に泊りがけで遊びに行ったので三人でディナーを、と誘われた。奥さんは夜景を一瞥し、あなたを振るなんて見る目のないひとだったのねと呟いた。亭主は……アイツは何と言ったっけ。いつもなら軽口を叩いたはずだが、珍しく暗い表情で黙っていた。それで理解した。こちらの本心は、とうに見透かされていたのだ。その晩を境に、疎遠になった。

 去って行った女性は勘が鋭かった。曰く、二股をかけているとは思わないが、いつも他の誰かの気配を近くに感じるから、結婚に踏み切る決心がつかない――。浮気を疑っているのではないと彼女は重ねて言った。別の次元の話だと。


DAY-1 ⑤

 もっと鈍感か、さもなくば逆に、度が過ぎるほど聡明で、実体のない二心ふたごころを察しても目を瞑ってくれる賢女けんじょだったら上手くやって行けただろうに。返す返すも残念……いや、よく言うよ。もう顔も覚えていないくせに。



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