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主な登場人物


 

昔から、北前船の寄港地である越後新潟町は、他国から来た商人や船乗り相手の妓楼兼旅篭屋が軒を連ねる「花街」の恩恵を受けて繁栄している。その反面、湊があることにより、お尋ね者や他国から出奔した無宿の他所者が、入り込む隙を与えるリスクを伴っている。春から初秋にかけての時期は、湊に出入りする船の数が増えるため、治安が最も悪化する。新潟町では、3名からなる検断職の町役人たちが、民事から刑事にいたるまで一切を取り仕切っていた。

 

検断の中でも、松浦(まつうら)(きゅう)兵衛(べえ)は、人一倍正義感が強く、誰よりも行動力があることから、町役人だけでなく町民からも頼りにされている。毎年、春・夏・秋の祭礼時、神社の参道にたつ縁日には、新潟町だけでなく、近隣の村里や遠方からも大勢の客が集まるため、スリ、置き引き、食い逃げなど軽犯罪や喧嘩が多発する。そのため、検断や小役人たちは、祭礼の開催期間中は、勤務中でも巡見という名目さえあれば縁日に立ち寄ることを許されている。

 

久兵衛が、江戸から来た風変りな飴商人とはじめて会ったのは、毎年、旧暦の6月中旬に、新潟町にある白山神社で開かれる白山祭の縁日のことであった。白山祭の間、白山神社の一の鳥居と、二の鳥居の間にかけられる小屋には、各町内から出品された燈籠と人形が飾られる。また、境内には芝居小屋がかかり、その周りには、茶屋、屋台、見世物小屋が立ち、広場では、旅芸人による駒回しをはじめとする大道芸が披露される。白山祭最終日の18日には、町役人総出で参拝することになっている。白山祭の間、久兵衛は、仕事の合間に暇をみつけては白山神社を巡見することにしている。市中のごろつきや各地の縁日を廻る的屋たちからも一目置かれている松浦の親分が、にらみを利かせていることもあって、ここ、数年、白山祭の縁日では、大きな事件は起きておらず平穏であった。

 

「検断様。おはようごぜぇます」

 

「検断様。ご苦労様でごぜぇます」

 

 検断が、ひとたび、小役人たちを引き連れて市中に出ると、四方八方から、声がかかる。検断は、町民の中から選出された者が務める名誉職で、検断と道で会った時、自分の方からあいさつをしない者は、新潟にはじめて来た他所者だと一目でわかるぐらい、検断は、新潟町では名の知れた存在だ。その日、久兵衛が、いつものように小役人たちを引き連れて参道を闊歩していると、ガラの悪い男衆がその横を走り過ぎた。

 

「松浦の親分」

 

 その時、久兵衛の後ろを歩いていた神明町の町代、又左衛門が立ち止まって、前を歩いていた久兵衛を呼び止めた。

 

「何だ? 」

 

 久兵衛は、足を止めるとふり向きざまに大声で訊ねた。

 

「今しがた、通り過ぎたごろつきだが、この間、大野村の祭礼で、喧嘩沙汰を起こした連中に似てねぇか? 」

 

 又左衛門が訊ねた。

 

「おめえもそう思うか? 」

 

 久兵衛が言った。

 

「あいつらのことだから、また、何か、やらかすかもしんねぇぜ」

 

 又左衛門が言った。

 

「松浦の親分。あすこに、黒山の人だかりができています」

 

同心の善吉が、境内の脇の方を指差して言った。久兵衛たちは、出店が建ち並ぶ参道ではなく、普段は人気のない境内の脇に、黒山の人だかりができていることを不審に思った。

 

「見に行きますか? 」

 

又左衛門が久兵衛に訊ねた。

 

「よし、行こう!」

 

久兵衛が返事した。

 

 久兵衛たちが駆けつけた時、今、まさに、ごろつきたちが、派手な着物を着た飴商人に喧嘩を売ろうとしているところだった。

 

「松浦の親分。良いところにいなさった。ちと、来てくだされ」

 

町人の太蔵が、血相を変えて久兵衛に助けを求めてきた。

 

「松浦の親分のお通りだ。皆の者、道を開けえ」

 

 黒山の人だかりの前に着くと、又左衛門が、大声でさけんで注意を集めた。すると、集まっていた人たちが、左右にわかれて道を作った。

 

「おめえら。いってえ、何をおっぱじめようてんだい? 」

 

 久兵衛が、ごろつきたちを前に言い放った。

 

「人聞きの悪いことを言わねぇでくんな。こやつが見かけねぇ顔だった故、何者なのかたしかめていただけですよ」

 

 ごろつきの1人が決まり悪そうに答えた。久兵衛は、その顔に見覚えがあった。その名は熊蔵。13の春、沼垂町の飴売に弟子入りして修行していたが、3年も立たぬ間に、店を飛び出し、今では、越後各地の祭礼を廻る流しの飴商人をしているというもっぱらの噂だ。新潟町には、菓子屋が数軒あるが、越後の飴商売は、ある家が、越後国飴渡世人の支配頭の鑑札を賜って以来、飴製造と飴商人の差配を行い、その一族と弟子が、越後広域にわたる商売を展開していた。しかし、各地の祭礼を廻り商売を行う流しの飴商人の間では、営業圏をめぐる争いが後を絶たない。時には、訴訟沙汰になることもあった。先日も、ある飴商人の営業圏において、別の飴商人が商売を行っていたところ、妨害を受けただけでなく、商い物、飴、諸道具を奪われるという事件が起こったばかりだ。

 

「姉さん。見かけねぇ顔だが他所者か? 他ではどうか知らねぇが、この辺で、派手な着物を着ているおなごといえば遊女ぐらいだぜ」

 

 久兵衛が飴商人に耳打ちした。

 

「ひょっとして、おまいさま。お万が飴を知らないのかい? 」

 

 飴商人が苦笑いして言った。

 

「なんだ、その奇妙な名は? 」

 

 久兵衛がぶっきらぼうに訊ねた。

 

「新潟は、諸国の船が集まる湊町だと聞いていましたけど、江戸の流行は届いてないようだねえ」

 

 飴商人が低い声で言った。 

 

「おめえら。この男色をたたきのめせ」

 

熊蔵のかけ声で、熊蔵の子分たちがいっせいに、飴商人に襲いかかった。飴商人は、熊蔵の子分たちの手で袋たたきにされると思いきや、素早くその攻撃をかわすと、次々と子分たちをバッサバッサと地面へ投げ飛ばした。その華麗な投げ技に、周囲は一瞬凍りついた。投げ飛ばされた熊蔵の子分たちは、何が起こったのかわからない様子で、地面に転がったまま宙を仰いでいる。

 

「何だい、強いのは見かけ倒しのようだね。越後のごろつきは、たいしたことないねえ」

 

 飴商人が、苦み走った顔で言った。

 

「新潟町随一の廻船問屋、津軽屋の主、高橋次郎左衛門様が、そこにある飴、あるだけ全部買うてやろうではないか」

 

 黒山の人だかりの中から、張りのある声が聞こえた。次の瞬間、新潟町の廻船問屋「津軽屋」の主、高橋次郎左衛門が、手代たちを引き連れてさっそうと姿を現した。

 

「おい、津軽屋。廻船問屋が、飴を買い占めてどうすんだ? 」

 

「てめえの出る幕ではねえ。ひっこみやがれ!」

 

 どこからともなくヤジが飛んだ。

 

「皆の者、静まれ。お手並み拝見といこうではないか」

 

 久兵衛は、「津軽屋」の若旦那が、どのように騒ぎをおさめるのか見届けようと見物人たちをけしかけた。すると、一斉に静まり返った。

 

「さあさあ、おたちあい。ここにおる飴売りが、お集まりの皆々様に、飴唄をご披露するよ」

 

 高橋次郎左衛門が声高々に宣言した。

 

「かわいけりゃこそ、神田から通う。お万が飴じゃ。一丁が四文」

 

 飴商人が深呼吸した後、甲高い声で唄い出した。いつしか、その唄声にあわせて、見物人たちが手拍子を取りはじめ、大いに盛り上がった。

 

「本日に限りタダで差し上げます。今後とも、津軽屋をよしなにお頼申します」

 

 飴商人が唄っている間、「津軽屋」の手代たちが、その場に集まっていた人たちに飴商人から大量購入した飴をふるまった。騒ぎに気づいた人たちが続々と集まって来て、飴はあっという間になくなった。事情を知らない人たちは、「津軽屋」の余興と勘違いしたに違いなかった。

 

「松浦の親分。このまま、何も見なかったことにして立ち去りますか? 」

 

 又左衛門が久兵衛に訊ねた。

 

「検断としては、掟破りの他所者を放っておくわけにはいかねえ」

 

 久兵衛が神妙な面持ちで答えた。久兵衛の指図で、善吉が、その飴商人を早縄で捕らえて町会所へしょっぴいた。

 

「名は何と申す? こたびは、何用で新潟へ参ったのだ? 」

 

 久兵衛が自ら、飴商人の調書を取った。

 

江戸屋(えどや)万蔵(まんぞう)と申します。新潟町で店を開くため参りました」

 

 万蔵が答えた。

 

「おめえ。新潟町の商いの掟を知らねぇのかい? 新潟町では、他所者は商いができねぇんだぜ」

 

 久兵衛が呆れ顔で言った。

 

「神社の境内で、ちっとばかし、飴を売ったぐれぇでお縄をかけるとは、やりすぎではないのかい? 」

 

 万蔵が低い声で言い返した。

 

「不審な他所者に事情を訊ねるのは、オレたち、検断の職務だ。江戸に問い合わせている間は、新潟町に留まることを許すが、定住許可が下りるのかについては今後次第だ」

 

 久兵衛は、形だけの調書を取ると万蔵を釈放した。

 

 それから数日後。御用聞きに行った際、久兵衛はお奉行に呼ばれた。

 

「久兵衛。江戸屋万蔵が、新潟町で商いがやれるよう面倒みてやれ」

 

 お奉行はなぜか、万蔵の世話を久兵衛に命じてきた。

 

「お奉行様。何故、オレが、万蔵の世話をせねばならねぇのですか? 」

 

 久兵衛は、面倒なことに関わりたくない一心で拒んだ。

 

「奉行の命にそむくのであれば、謀反とみなすがそれでも良いか? 」

 

「わかったわや」

 

 お奉行に、万蔵の世話をしなければ謀反とみなすとおどされて、久兵衛は、従う他得なかった。

 

 翌日。久兵衛は、飴売仲間を集めて、お奉行のご下命を申しつけた。飴売仲間も、最初の内は反発したが、久兵衛の説得に応じて最後には承諾した。かくして、「江戸屋」は、飴売仲間より営業許可をもらい、新潟町で商いができるようになった。久兵衛は、なりゆきで、万蔵の後見人を引き受けることになったが、万蔵に対する警戒を弱めることはなかった。密かに、髪結の組小頭を務める駒吉に万蔵の身辺捜査を命じた。新潟町の髪結仲間は、冥加金を免除される代わりに、防火組と防犯組の2組に別れ、本業の髪結以外に、火消、牢番、捕物、夜間の見廻りと言った公役に服している。素性の分からない他所者や不審者に関する報告は逐一、駒吉の元に寄せられるため、万蔵の素性に、1つでもうさん臭いところがあれば、すぐ、駒吉を介して久兵衛の耳に入ることになっている。しかし、万蔵を悪く言う者はおらず、なかなか尻尾を出さなかった。

 

それから数日後の夕方。久兵衛は仕事が早く片付いたため、寄り道せずまっすぐ帰宅した。玄関に入ると、茶の間の方から何やらにぎやかな話し声が聞こえた。

 

「おーい。一家の主が帰宅したというのに、誰も出迎えに出ないとは何事だ? 」

 

 久兵衛がうちの中に向かってさけぶと、女房の松が、あわてて玄関先へ駆けつけた。

 

「茶の間が、やけににぎやかだが、誰か来ているのか? 」

 

 久兵衛が小声で松に訊ねた。

 

「ええ。万蔵さんがさっきから、おまえさんの帰りをお待ちですよ」

 

 松が答えた。茶の間に入ると、藍色の着物を着た小柄な男が、倅の金次郎と談笑していた。その後ろ姿は男らしく凛としており、お万が飴の時とはまるで別人に見えた。

 

「よう来たね。調子はどうだ? 」

 

 久兵衛は、万蔵の目の前にどっかり腰を降ろすと気さくにあいさつした。

 

「おかげさまで、商いの許しを無事得ることが相成りました。本日は、松浦の親分に、折り入って頼みたいことがあり馳せ参じた次第」

 

 万蔵がかしこまって告げた。

 

「頼みたいこととは何だ? 」

 

 久兵衛は思わず身構えた。お奉行から、万蔵の世話をするよう命じられたが、忙しさにかまけて、小役人に任せきりにしていた。

 

「町家を借りたいのですが、先日、地主から、新潟町では、他所者に町家を貸すことはできねぇとことわられまして、親分のお力で何とかなりませんか? 」

 

 万蔵が願い出た。

 

「悪いが力になれそうもねえ。長岡藩が採用した借家札には、いくら検断でも手出しはできねぇわけさ」

 

 久兵衛が決り悪そうに言った。

 

「借家札とは、いったい、何のことですか? 」

 

 万蔵が冷静に訊ねた。

 

「お尋ね者や他国の出奔者の中には、流れ着いた遠国にそのまま住み着く者も多い。新潟町は、湊町ともあって昔から他所者の出入りが多い。それで、借家札を持たねぇ者は、新潟町に住むことを禁ずる掟があるわけさ」

 

 久兵衛が答えた。

 

「この新潟町で、松浦の親分の手にかかればできねぇことはないとお聞きしました。何とかお願いします」

 

 万蔵が頭を下げて言った。

 

「おめぇのことは、お奉行に頼まれているし無下にできねえ。従弟が、町代をやっているから口を聞いてやるさ。その代わり、今夜はとことん呑む故、つきあえよ」

 

 久兵衛が、万蔵の開いたお猪口に並々と酒を注ぐと言った。

 

「口当たりが良い故、何杯でもいけそうです」

 

 万蔵が、おいしそうに酒を呑むと言った。

 

「新潟の酒は、きれいな湧き水でつくられている故、美味くねぇわけがねぇさ」

 

 久兵衛が豪語した。

 

「聞くに、新潟では、手前のようなよそ者のことを、きたりもんと呼ぶそうじゃぁございませんか? 手前には、越後に近しい者が1人もおりません。故に、親分さんには、手前の良き友になって頂きたい」

 

 万蔵が明るい声で言った。

 

「いいとも。なってやろうではないか」

 

 久兵衛が赤ら顔で言った。

 

「この焼き魚、まことに美味しいね」

 

 万蔵が、金次郎にほほえみかけた。

 

「それは春鰯です。今時分は、鰯がたくさん獲れる故、新鮮な鰯が、安く手に入るわけです」

 

 金次郎が説明した。久兵衛は、うれしそうに説明する金次郎を見ながら、久兵衛が帰宅するまでの短い時間で、ふだんは人みしりしがちな金次郎とうちとけるとは、万蔵は人たらしに違いないと思った。

 

「ほぉ。新潟は、鮭が名産だと聞きましたが、鰯もよく獲れるのですな」

 

 万蔵が穏やかに言った。

 

「越後では、初鮭は、長岡藩主に奉る慣わしがあるのさ。江戸では、鮭は、数があんまり捕れねぇ故、初鮭は、初鰹に負けねぇ高値なのだろ? 」

 

久兵衛が万蔵に訊ねた。

 

「いかにも。江戸でも、初鰹を上様に奉る慣わしがございます」

 

 万蔵が穏やかに答えた。

 

「そおせば、内子鮭のことは知っているか? 」

 

 久兵衛が身を乗り出して訊ねた。

 

「内子鮭でございますか」

 

 万蔵がまばたきしながら言った。

 

「内子鮭っていうのは、子持ちの鮭のことだ。越後では、腹の子をハラコと言うのさ。これが、塩引にするとうめぇの何の」

 

 久兵衛が豪語した。

 

 

 

 男たちが食べ物の話で盛り上がっているところに、松が、お茶と共にこうせん菓子を出した。

 

「まことに、香りの良いお茶ですね」

 

 万蔵が、村上茶を鼻と舌で味わうと言った。

 

「そりゃそうだろ。村上産のお茶は、全国でも知られた銘茶だからな」

 

 久兵衛が上機嫌で言った。

 

「この香りと味わいは、駿河産の茶に劣らず素晴らしいですねえ」

 

 万蔵が穏やかに言った。久兵衛は、いつになく呑み、いつになく笑った。楽しい夕餉だったので、あっという間に時間が過ぎた。そのため、帰るころには木戸が閉まっており、万蔵は、久兵衛のすすめもあってその日は一晩泊まり、翌朝、朝餉を食べた後、帰った。

 

 

 

 

 

 久兵衛は、万蔵を片原通の町代を務める従弟の彦兵衛に紹介した。片原通の表通りに1軒空き家が見つかったからだ。家主は他の場所に移り住んだが、名義だけはそのままにしてあったので、他所者が借りるには都合が良かった。町会所を出た後、彦兵衛と万蔵は、万蔵を片原通の表通りへ向かった。

 

「この辺は、日雇いや川舟乗りの住む裏長屋と豆や麻苧、乾物を売る小売店が数軒あるぐれぇだ。反対の通りも、本町通の町家の裏になる故、本町通からの通し屋敷がほとんどだ」 

 

彦兵衛が、空き家へ向かう道中、町内のことについて説明した。

 

「新潟町では、菓子屋が集住していると聞きました。まことでございますか? 」

 

 万蔵がふいに訊ねた。

 

「菓子屋だけでなく、新潟町では、生業毎に住み分けがなされていて軒数も決まっているのさ」

 

 彦兵衛が答えた。

 

彦兵衛は、この際だから新潟町における住み分けについて説明することにした。住み分けというのは、生業毎に住んでいるということ。たとえば、椀店を生業とする家は、古町7番町に集まっている。本町通5の加賀屋小路から、本町通10番の風間小路までは、100軒の表店が建ち並んでいるが、あの辺は、昔は、絹や木綿、茶類や小物類の卸や小売が表店の特権を得ていた。碇屋小路から梅屋小路の往来は、昔から、多門店と呼ばれている。食塩の卸は多門店の特権だ。昔は、瀬戸物店は、多門店以外で商いができなかった。気がつけば、夜空に1番星が瞬いていた。近所へのあいさつをひととおり済ませた後、木戸を足早に通り抜けて表通りに出た。2人は空き家の前で別れた。

 

その後、万蔵がはじめた菓子屋は、江戸の菓子がめずらしがられて繁盛した。しかし、新潟町で評判の店になったにも関わらず、ある日、突然、万蔵は、誰にも何も言わず姿を消すのであった。

 


 

 7月に入ると、仕事が忙しくなり、久兵衛は、町会所に泊まる日が続いた。非番の日、久兵衛は、いつもよりおそく起きた。縁側に寝そべりぼんやりと庭を眺めていると、彦兵衛が、血相を変えて庭に駆け込んで来た。

 

「大変だ!万蔵がいなくなった」

 

 彦兵衛が大声で言った。

 

「今、何と申した? 」

 

 久兵衛は驚きのあまり訊き返した。

 

「近所の者から、近ごろ、万蔵の姿を見かけていないと訊いて、心配になって様子を見に行ったら、店は閉まっているし家の方にも誰もいない。しばらく待ってみたが、帰る気配がない故、おめぇならば、何か知っているかと思って訊きに来たというわけさ」

 

 彦兵衛が、眉を下げた困り顔で言った。

 

「店が繁盛していると訊いて安心していたが、行方をくらましたとはのう」

 

久兵衛が力なく言った。

 

「家賃はきちんと納めに来た故、安心しきっていた。よもや、夜逃げしたのではあるまい? 」

 

 彦兵衛がため息まじりに言った。

 

「夜逃げと決めつけるのはまだ早いぜ。火急の用があって、江戸に戻っただけかもしれねぇし、気楽な独身者故、ふらりと旅に出たのかもしれねえ」

 

 久兵衛が言った。何かの事件に巻き込まれていないことを祈った。

 

「戻って来るなら、家財道具や生活用品を質に出さないのではないか? 見事なまでに、人が棲んでいたという痕跡が消されているのだよ」

 

 彦兵衛が神妙な面持ちで言った。

 

「オレの方でも探してみるが、そのうち、何事もなかったように、けろっとした顔で戻って来るかもしれねえ。その時は、余計なことは詮索せず温かく迎えてやれよ」

 

 久兵衛は、余裕があるふりをしたものの、内心、ドキドキしていた。1か月以上も、駒吉を使い、身辺を見張らせていたにも関わらず、いまだに万蔵の正体がつかめない。江戸の奉行所に、万蔵の素性について問い合わせてみたが、江戸の老舗菓子屋に奉公した後の足取りはわからなかった。おそらく、新潟町に流れ着く前は、飴を売りながら全国各地を旅していたのだろう。久兵衛は、万蔵には、もうひとつ別の顔があるのではないかとにらんでいた。飴売りといっていたが、飴をこしらえている姿を見た者は誰もいないし、1日中、店が開いていたためしがないし、店番をしていたのは、近所に棲む老婆だ。万蔵は、1日中、どこをほっつき歩いていたのか、まだ暗い内から家を出て、辺りがうす暗くなるまで帰らなかった。それでも、店頭に並べられた菓子は、新潟町では見かけないめずらしいものばかりで、見かけだけでなく味も美味しく値段も手ごろということで、店頭に出した途端、瞬く間に売れた。

 

久兵衛は、万蔵が行方不明になったことをお奉行に報告した。予想に反して、お奉行の反応は、素っ気ないものだった。出奔者として届け出ると言った久兵衛に対して、お奉行は、その必要はないと告げた。あとになって、「江戸屋」で売られていた菓子が、江戸の老舗菓子店で売られている銘菓であることがわかったが、久兵衛は驚かなかった。なぜならば、その老舗菓子屋というのが、万蔵が働いていたとされる店だったからだ。

 

「久兵衛。最近、変だぞ。何かあったのか? 」

 

 町会所に戻った後、検断の田辺(たなべ)忠蔵(ちゅうぞう)に問い詰められ、久兵衛は、今までのことを洗いざらいぶちまけた。

 

「何も言わず姿を消しちまうとは、あいつは、血も涙もねぇ野郎だぜ」

 

 久兵衛がなげいた。

 

「あいつのことはよく知らねぇが、恩を仇で返すやつには見えなかった。何かわけがあって、戻ってこれねぇのだろ。新潟町を出た形跡はあるのか? 」

 

 忠蔵が訊ねた。

 

「船頭たちに訊いてまわったが、それらしき者を乗せたという証言は得られなかった。おそらく、まだ、新潟町のどこかにいるはずだ」

 

 久兵衛が答えた。

 

「ひょっこり、姿を現すかもしれねえ。まだ、望みが消えたわけではない」

 

 忠蔵が、久兵衛の肩に手を置くと言った。

 

「もうちっと、探してみるさ。ここであきらめたら悔いが残る」

 

 久兵衛は、万蔵が、新潟町を出たという形跡が出て来ない限り、探し続けることにした。

 

 

 

 旧暦の71日から7日まで、湊祭が新潟町で開催される。奉行所は、すべての町民が、湊祭に参加できるように湊祭の開催期間を連休と定めた。しかし、世間が連休だからといって、日夜、町会所を閉鎖することはできない。町会所に勤める検断以下町役人たちは、湊祭の間は、交替で休みを取ることにしている。

 

6日の朝。久兵衛は、奉行所に御用聞きに行く途中、白山神社に立ち寄った。久兵衛が参拝を済ませて参道を歩いていた時、一番組の洲崎町の男衆が、住吉様の御本体である神輿を迎えにやって来た。この後、この神輿は、一番組の洲崎町の男衆に担がれて、洲崎町の御旅所に移される。そして、御旅所で、御座船と呼ばれる神輿船に乗せられる。この日。洲崎町の男衆は一晩中、御座船の周囲で、笛を吹き太鼓をたたく。この時期、町中どこの店も、七夕や住吉祭礼にちなんだ飾りを軒下や店内に施している。そのせいか、町全体がいつになく浮足立っているように感じる。久兵衛は、祭の前後のにぎやかな雰囲気が好きだ。町を歩いているだけで楽しい気分になるからだ。

 

幼いころ、住吉祭礼やお盆の夜だけ、いつもよりおそくまで起きていることを許された。住吉祭礼は、昼と夜の2回行われる。昼は、一番組から、八番組の町廻りが行われる。笛を吹く者、太鼓をたたく者、貝を鳴らす者で編成された一番組の行列に続き、まとい扇や神輿殿が行進する。神楽殿の上では、神楽笛と神楽太鼓が奏でられ、一団が通りかかると、大変にぎやかになる。神楽殿の後を高足駄で歩く猿田彦に扮した町民、破魔弓持ちに扮した町民、長柄持に扮した町民、稚児に扮した洲崎町の子供たち、神具を手にする神官、烏帽子を被り馬に乗った神官を両脇に随えた御座船が、45人の町民たちに引かれて練り歩く。その後、二番組、三番組、四番組が巨大な纏絵を先頭に、前を舞台、後ろを楽屋とした踊り舞台をしつらえ行進する。五番組、六番組、七番組。そして、八番組は、芸鼓が、手踊りをする仮舞台をしつらえ行進する。

 

住吉祭礼行列を見物するために、毎年、新潟町近郊や近隣国から多くの人々が新潟町を訪れる。旅人たちの大半は、昼の行列目がけて新潟入りし夜祭を楽しんだ後、1泊して帰るが、中には、お盆近くまで滞在する旅人もいた。この時期は、どこの旅籠屋も満室になる。旅籠屋の手代たちの間では、祭前日から壮烈な場所取り合戦が始まる。良い見物場所を確保できるかで、来年の宿泊者数が左右されるので、どこの旅篭屋も必死だ。中には、町家の敷地を借りる旅篭屋もあり、奉行所は、町役人たちにいつもより、念入りに町内を巡見させる。夜祭が無事に終わるまで、町役人たちは息が抜けない。いつ、スリ、喧嘩や殺しといった事件が起きるかわからないため、一晩中、町内の巡見する組と、町会所の宿直の2手に別れて任務にあたる。

 

 

 

今年、久兵衛は町会所の宿直になった。柾谷小路にある町会所の表門は、本町通に面し、東堀通側には、時刻を知らせる鐘堂が建っている。また、町会所には、役人の詰所の他、白洲、囚人篭置き場と牢が置かれている。夕刻。倅の金次郎が、差し入れを持って来た。直接会うことはできなかったが、あとから差し入れを受け取った。夜祭が始まったころ、久兵衛は、ようやく弁当にありついた。風呂敷包を広げると、にぎり飯2つと共に手紙が添えられていた。妻の松からの労いの言葉の横に、金次郎作の万が飴に扮装した万蔵の絵が描いてあり思わず吹き出した。

 

「松浦の親分。さっきから、何を笑っているのですか? 」

 

 同心の善吉が、手紙を見ながらにやにやしている久兵衛を気味悪がった。

 

「おめえにも見せてやる。金次郎が描いた絵だ。実によく描けているだろ? 」

 

 久兵衛が穏やかに言った。

 

「あの日、金次郎殿は、あの場にいなかったはずなのに、まるで、じかに見たかのように生き写しだ。たいしたものだねえ」

 

 善吉が、絵を見ると感心したように言った。

 

「松浦の親分。十番組のだしに割り込み、いさけぇを起こした渡世人共を捕らえました」

 

 夜祭が佳境に迫ったころ、町会所に4人の渡世人が連行されて来た。渡世人と見られた4人組は、吟味により、薩摩の船に密航して新潟湊へ流れ着いた無宿の他所者であることが判明した。夜を待って、停泊していた薩摩の船を降りた一行は、隠れるようにして新潟町へ出た。その時、ちょうど、目の前を十番組の行列が通りかかり、通りが塞がったという。喧騒の中、何とか、向こう側へ渡ろうとしたところ、4人組の内の1人が、纏燈籠を引いていた町人にぶつかったことがきっかけで乱闘が起きたというのが事件の顛末だ。纏燈籠の高さは、5メートルある。その上に、幾つか提灯が付いている。提灯までの高さは、民家の屋根を遥かに超え、見る人をあっといわせる迫力がある。その後を、笛の音色と太鼓をたたく音に合わせて、小燈籠、額燈籠、数10個の町内提灯そして、高張提灯が押し出される。普段は、外灯1つない真っ暗な町中が、真昼のように明るく辺りが照らされて、幻想的な雰囲気に包まれる。光を帯びた行列は、湊口まで続き最終的に洲崎番所に至る。洲崎番所を1周した後、ガッボで作られた船を海に流して町内へ戻る。

 

4人は口々に命乞いしたが、一晩、牢に入れて、翌朝、身柄を薩摩に送ることになった。新潟湊では、無宿者を含めた他所者による犯罪が多いことから、長岡藩は、商用以外の目的で入港する船を厳しく取り締まり、他所者を、なるべく入れないようにしている。しかし、無宿者の数は減ることはなかった。中には牢抜けする無宿者も多い。4人は、牢にぶち込まれると急に静かになった。時々、風に乗って、笛や太鼓の音色が聞こえて来る。結局、久兵衛は、椅子にもたれかかったままの姿勢で一晩明かした。

 

 

 

翌朝、4人の他所者は牢から出された後、艀船で湊口まで送られて、密航した薩摩の船に乗り、奉行所の同心が付き添い薩摩へ送られた。久兵衛は、罪状に口付して奉行所へ提出した。

 

 

 

連休が終わり、市中でよく見かけた住吉祭礼や七夕の飾りは、すべて取りはらわれた。旧暦の711日から13日の3日間の昼と夜。本町通に盆市がたつ。盆市では、お盆を迎えるために必要な物がすべて揃う。お盆の間、町家は、5月節句以降の貸し売りの掛取りで忙しくなる。巡見の途中、久兵衛は、「江戸屋」の前を通りかかった。万蔵が、行方不明になった後、空き家となっていた。夕暮れ時、町中に吊るされた提灯が、一斉に灯される。提灯の明かりにより、外が夜おそくまで明るいせいか、縁側や店先で、夕涼みをする光景が、町のあちこちで見られる。ここ数日、久兵衛は、湯屋から帰ると、縁側で胡坐をかいて、するめの足や油揚げを七輪で焼きながら晩酌することが何よりの楽しみとなっている。時々、検断仲間の田辺忠蔵や宮本(みやもと)幸三郎(こうざぶろう)が訪ねて来て、一緒に呑むこともある。

 

 

 

そうこうしている間にお盆がはじまった。いつのころからか、お盆市で、お盆を迎えるために必要な品々を買い求めるのは、久兵衛の役目となっていた。新潟町では、旧暦の713日の夕刻、墓参りに出掛ける家が多いが、久兵衛の家は、13日の朝に出掛けることにしている。それは、久兵衛が、仕事を休むことができず1日、町会所に詰めていなければならないからだ。家族揃って墓参りに出掛けることが恒例行事となっている。

 

 盆踊りでは、男衆が中心となり仮装で踊る。毎年、女装、僧侶、神官、七福神、浪人など、各自が趣向を凝らした仮装をする。遊女たちも、美しく着飾って参加する。盆踊りのある日は、普段、夜の外出を禁止されている若い娘たちも、夜おそくまで出歩くことを許されるので、若い男女の出会いの場にもなる。若い娘たちは、この日のために、浴衣を新調し、念入りにお洒落をして出掛ける。しかし、深夜まで出歩いているのは、下層階級の娘たちばかりで、良家の娘たちは、おそくならない内に帰宅する。

 

盆踊りは、旧暦の714日から17日まで、神社や寺院の境内、町内の広場などで行われる。子供たちは、17日の午後4時過ぎから奉行所の門内で踊ることになっている。検断以下小役人たちは、町民に交って町中の盆踊り会場を見廻る。巡見中に、輪に加わり踊ったとしても、とがめる者は誰もいない。

 

若いころ、久兵衛は、音頭取りを務めたことがある。今でも頼まれれば、舞台上に立つ自信はある。松は、今年の盆踊りのため、2年ぶりに浴衣を新調して心待ちにしている様子だった。母のおよしは、足が痛いということで参加することを断念し、今年は、留守番をすることになった。

 

 

 

 15日の夕刻。久兵衛が仕事を終えて町会所から出ると、町会所前で、松と金次郎が、待っていた。松は、紺地に大輪の赤い花が描かれた浴衣を着ていた。金次郎は、木刀を脇に差して浪人になりきっていた。久兵衛は、およしの部屋のタンスから失敬したつぎはぎだらけの古い着物を着て、歯にはお歯黒を塗り、髪に白い粉をふりかけて白くし、わざと腰を曲げて盆踊りの会場となっている寺の境内に向かった。そのつぎはぎだらけの古い着物は、老母のおよしが死んだ夫から初めて買ってもらった思い出の着物で、すり切れてもなお、つぎはぎをしては着続けていた宝物だ。最近になって、松に諭されて着なくなった。それでも、処分することなくタンスの中に大切にしまっていた。

 

「うわっはっは。父上。いってえ、その恰好はなんですか? 」

 

 金次郎が、久兵衛を見るなり大笑いした。

 

「見ての通り、老婆の変装だ。それもただの老婆ではねえ。およし婆さんだ」

 

 久兵衛が胸を張って答えた。およしが、盆踊りに行くことができなくて、しょんぼりとしている姿が気になり、ふと思いついたのが、およしの古い着物を着ることだった。

 

久兵衛の説明に、金次郎と松も、それ以上、何も言わなかった。

 

 

 

久兵衛たちが寺に着くと、辺りはすっかり日が暮れて、提灯の明かりが、幻想的な雰囲気を醸し出していた。僧侶の仮装をした若者が、舞台に上がり音頭を取ると踊りがはじまった。久兵衛たちも、踊りの輪に加わった。久兵衛は、踊りに夢中になるあまり老婆の仮装をしていることをすっかり忘れていた。粗末な着物を着た老婆が、達者な手踊りで軽快に踊る姿は、滑稽というよりむしろ不気味だった。久兵衛の周囲には、誰も寄りつこうとせず、いつの間にか、久兵衛の周囲は大きく間が取られていた。

 

「松浦の親分。ひさしぶりに、上がって来ないか? 」

 

 本町通の町代、籐吉が見兼ねて、久兵衛に舞台へ上がり音頭を取るように勧めて来た。久兵衛は、厄介払いされていることに全く気づく様子はなく、久々の舞台に、意気揚々としていた。舞台に上がると、周囲がよく見渡せた。久兵衛は、松が心配そうに見ているのがわかり大きく手をふった。舞台上で、笛を吹いていた本町通に店を構える瀬戸物屋の主人、五郎が目配せすると、久兵衛は、大きくうなずいてみせた。久兵衛は、大きく深呼吸をした後、思い切り声を張り上げた。

 

「押せや、押せ、押せ。船頭も水主も、押せば、新潟が近くなる」

 

10数年ぶりとはいえ、その歌唱力は衰えていなかった。踊りを止めて聞き入っている者もいた。2周目に入ると、久兵衛はさらに調子を上げて「新潟陣句」の歌詞に出て来る地名や人名を言い換える荒業までやってのけた。

 

佳境に差し掛かった時、久兵衛はふと下を見渡した。踊りの輪の中に、どこか見覚えのある男が、おぼつかない手振りで踊っているのが見えた。明らかに初心者だと分かった。両隣とテンポが微妙にずれている。仮装も、他とは一風異なり目立った。その男の向かい側で踊っていた忠蔵も、その男を目で追っているのが見て取れた。久兵衛は、舞台のすぐ下に立っていた鳶の若者を手招きした。鳶の若者は驚いたものの、検断に指図されたこともあり素直に上がって来た。

 

「あとはおめえに任せた」

 

「はあ」

 

 間奏の合間に、久兵衛は鳶の若者に交代すると、舞台から飛び降りた。輪の外側に廻り必死に目を凝らしてあの男の行方を捜したが、もう輪の中にはいなかった。

 

「久兵衛。万蔵が輪の中にいた。そうだよな? 」

 

 忠蔵が駆け寄って来ると訊ねた。

 

「んだ。おめぇの言った通り、忘れたころに、ひょっこり、姿を見せやがったぜ」

 

 久兵衛がうれしそうに言った。あれだけ探して、何の手がかりも得られなかったのに、向こうの方から出て来てくれた。これを逃したら2度と会えないかもしれない。

 

「早く追いかけねぇと、取り逃がしちまうぜ」

 

 忠蔵にせかされて、久兵衛は、無我夢中で万蔵らしき者を追跡したが、廻船問屋が軒を連ねる多門通付近で見失った。

 

その日は一晩中、万蔵の行方を捜したが、とうとう、見つけ出すことはできなかった。翌朝。久兵衛は、その足で町会所へ行くと、同心たちを集めて万蔵探しを命じた。

 

 

 


 

天保7年に、新潟では初となる唐物抜荷が摘発された。当時、禁制品を運んで来る船には、領主が他の船よりも多くの仲を徴収していたことから、領主は、抜荷が行われていることを知りながら、(すあい)(税)欲しさに黙認したのではないかとの黒い噂があった。しかし、越後の諸藩が、噂の真相を調査する様子は見られなかった。

 

 久兵衛と唐物抜荷との間には因縁があった。今からさかのぼること、5年前の秋。久兵衛は、新潟町では初の摘発となった唐物抜荷事件と遭遇した。事件が起こったのは、唐物抜荷摘発の前の年、天保611月。舞台は、越後の村松浜。新潟町の廻船問屋「北國屋」の使用人、松蔵が、新潟町の廻船問屋「若狭屋」の使用人、仙蔵、山田屋六右衛門、越中富山の商人、室屋巳之助たちと村松浜へ難破船の後始末に駆けつけた。難破船は薩摩の船で、その船に乗っていた仲買人の久太郎と船頭の八太郎が新潟町へ逃亡し、付船宿の嘉左衛門の家に身を隠した上で、自称沖船頭の源太郎が、村松浜の組頭の繁右衛門に積み荷の陸揚げた後、積み荷を村松浜在住の善右衛門の網小屋へ納めるよう依頼した。

 

 一方、松蔵は、網小屋へ置きっぱなしにしておくと積み荷が痛むとして、村松浜在住の源右衛門の蔵へ移すよう繁右衛門に依頼した。

 

 船が難破した場合、その土地の役人から「浦手形」を交付してもらう必要がある。村松浜の代官、青山九八郎は、手代に難破船の積み荷検査を命じた。検査結果は不正なしであった。翌年、船荷検査の前に、松蔵が、蔵の中から船荷の一部を運び出したことが発覚した。あろうことか、松蔵たちが運び出した船荷の一部が、手板のない禁制品(不正品)だったことから大騒動となった。

 

 捜査網は、不正品を積み込んだ薩摩の船に乗っていた松蔵たちだけでなく、松蔵たちから禁制品を買い取った新潟町の商人たちまで張り巡らされた。幕府はしばしば、唐物抜荷の禁令を出していたが、幕領である村松浜において、唐物抜荷が行われた原因として、領主が、禁制品を運んで来る薩摩の船を黙認することとひきかえに、薩摩の船からは、他国の船よりも高率の仲(税)を微収していることがあった。

 

 そんな中、久兵衛は、新潟町の廻船問屋「西山屋」が、禁制品を運んで来る薩摩の船の入港日の情報を、新潟町と近郷の問屋へ流していることをつき止めた。「西山屋」の主、次郎兵衛と番頭の三吉を町会所に呼び出して吟味した。しかし、吟味は難行した。久兵衛は、抜荷探索に協力すれば処罰を軽くすると、2人に駆け引きを持ちかけるが、2人そろって、身に覚えのないことだと白をつき通した。次郎兵衛は、家宅捜査が入る前に、手代たちに命じて、御客帳など証拠となる帳面をすべて処分させていた。

 

「西山屋」の取引先の大半は、先代から長い付き合いのある店ばかりだったが、次郎兵衛の代で、新しく取引先に加わった十日町の薬種店「島田屋」との取引内容に疑わしき点が見つかった。久兵衛は、新規の取引先ならば、しがらみがないだろうから簡単に口を割るかもしれないと思い立ち、独断で十日町に赴き、同業者を装って「島田屋」の主に近づいた。久兵衛は、「島田屋」の主に薩摩の船との取引に興味があると思わせて、「西山屋」を紹介させて「西山屋」との接触にも成功した。しかし、久兵衛は、「島田屋」の主と親しくなり過ぎてしまった。「島田屋」の主が、重い心臓病を患っていることを知った久兵衛は、捜査の手がおよぶ前に証拠隠滅するよう助言した。

 

逃げるように新潟町へ戻った久兵衛を待っていたのは、新潟町の商人13人が唐物抜荷を行った罪で江戸送りとなり取り調べられるという前代未聞の大捕物だった。久兵衛は、十日町へ赴く前に休暇届けを提出していたことから、十日町での出来事について詮索する者はおらず、大事な時に、新潟町の町政を取り仕切る検断が不在だったことを責められただけだったが、久兵衛は、唐物抜荷を行った首謀者を知っていながら黙認した罪悪感にひとり苦しんだ。のちに、「島田屋」の主は、唐物抜荷摘発直前に病死したため、罪に問われることはなかったが、所持していた不正品は没収されたことがわかり、久兵衛は、「島田屋」から逮捕者が出ず、おとりつぶしも免れたことで、心なしか救われた気がした。

 

落ち込んでばかりもいられなかった。吟味が続く中、抜荷の関係者やその付添人など総勢60人が次々と白洲へ呼び出され、寺社奉行を務めていた長岡藩主が、唐物抜荷を行った薬種問屋の「加賀屋」の禁制品を売った山田六右衛門との関係について調べられた。久兵衛たちは、日夜、江戸と新潟町を行き来する関東取締出役の対応に追われることになり、本来の職務である町政の取り仕切りがままならない状態に陥った。気がつくと、事件発覚から3年の月日が流れていた。その間、牢死した首謀者もいた。

 

判決は、天保1037日に出た。越中富山の商人、室屋巳之助は、三宅島へ、山田屋六右衛門は、八条島へ遠島に処された。「北国屋」、「若狭屋」など取引に関わった新潟町の大問屋の「田中屋」、村松浜の者たち5人が江戸払いや江戸十里四方追放などの追放刑を受けて、新潟町への立ち入りを禁じられた。また、不正品を所持していた者たちは、不正品や販売代金を没収された上で過料が課せられた。あろうことか、処罰を受けた47人の内、25人が新潟町の者だった。この時、久兵衛たちは、唐物抜荷の摘発のきっかけとなった有力情報をもたらしたのが、老中水野忠邦より各地の抜荷探索を命じられて、越後に潜伏していた江戸城の御庭番だったことを知る由もなかった。

 

  

 

 ある日の午後。唐物改役吟味役帯の伊藤道右衛門が、その日非番で自宅にいた久兵衛の元に、任命書を手に訪ねて来た。

 

「ご連絡頂きましたら、オレの方から出向きましたのに」

 

 久兵衛は、突然の藩の重役の来訪に対して恐縮気味に出迎えた。

 

「御番所へ参ったついでに寄っただけ故、気を遣わねぇでくだせえ」

 

 伊藤が、久兵衛と共にあいさつに出て来た松に言った。

 

「町会所ではなく、自宅の方に来なさったということは、他の者の耳に入れたくないことをお話しに来られたのですか? 」 

 

 久兵衛が緊張した面持ちで訊ねた。

 

「いかにも。おぬしに、仲番所の潜入捜査を申しつけるため参った次第」

 

 伊藤が任命書を差し出すと告げた。

 

「仲番所の隠密御用とはまた何で? 唐物抜荷探索と何か関係があるのですか? 」

 

 久兵衛が小声で訊ねた。

 

「いかにも。こたびは、長岡藩にも内密に進める故、表向きには、仲番所の機能を調べる目的でおぬしを潜入させることにしている。くれぐれも、他の者には、唐物抜荷探索だと気づかれぬよう注意せよ」

 

 伊藤が神妙な面持ちで告げた。

 

「よろしければ、秘密裏に進めるわけを教えて頂けませんか? 」

 

 久兵衛が慎重に訊ねた。

 

「仲方役人を統括しているのは、藩の勘定方より派遣された仲目付だということを、おぬしも知っておろう。唐物抜荷探索と知れば、保身のために不正を隠蔽するおそれがある」

 

 伊藤が低い声で告げた。

 

「謹んでお引き受けいたします」

 

 久兵衛はその場に平伏すと告げた。

 

 

 

それから3日後。伊藤が再び、久兵衛を訪ねて来た。

 

「仲役所に勤めている知人に頼んで、おめぇを雇うよう仲番所に口を利いてもらった」

 

 伊藤が告げた。

 

「さすがは、伊藤殿ですね」

 

久兵衛は、伊藤の手回しの良さに感心した。前回は、長岡藩が唐物抜荷の取締りを行わなかったため、久兵衛が独断で唐物探索を行い、その結果、しくじったということになったが、今回は、仲番所の機能を調査するための潜入捜査となっていることから、それなりの成果を出さねばならない。

 

その夜。久兵衛は、松や金次郎に仲番所の機能を調査するため、隔週で下川口番所と新堀番所の2か所に出向することになったと伝えた。

 

「畑違いの仕事に就いて、苦労なさることは目に見えております。なれど、藩命ならば仕方がありませんね」 

 

松が静かに告げた。

 

「藩に、オレの実力を見せつけるまたとない機会だ。やるしかないだろ」

 

 久兵衛が言った。

 

「父上。がんばってくだされ」

 

 金次郎が言った。

 

「出向の間は、以前にも増して多忙となる。おめぇたちにも、苦労かけるが調査が済むまで辛抱してもらいたい」

 

 久兵衛がそう言うと、2人は大きくうなずいた。

 

 

 

 正徳3年、長岡藩は、敦賀の町人と新潟町の商人の願い出を受けて、船荷に課税することを決めた。その後の元和2年、越後領主の堀直寄は、沖ノ口役を免除して課税をはじめた。白山堀から片原堀への入口付近に建つ仲役所が、仲の賊課と徴収を担当している。廻船から水揚げした船荷は、下川口番所および新堀番所へ、近在へ運ぶ川舟に乗せた荷は広小路番所へ、川を下って来た材木やはいは、多門前番所へ運ばれる。各番所では、売買額の過少申告と通り荷を装った不正を防ぐため、仲方役人による荷の検査が行われている。仲方役人は元方と手代で編成されており、藩の勘定方から派遣された仲目付が、仲方役人の総括している。仲役所で徴収している仲金の内、諸経費を差し引いた残金が、長岡藩の収入となっていることから、たとえ、奉行所の町役人であろうとも、仲役所の業務に介入することはできない。同じ新潟町にありながら、大きな隔たりがあった。

 

「勘定方の前島様の紹介で入ったという手代というのは、おめぇのことか? 」

 

 初日。久兵衛が、緊張した面持ちで新堀番所へ出勤すると、仲元方の梅次がやって来た。

 

「久平と申します。よしなにお頼申します」

 

 久兵衛は深々と頭を下げた。

 

「オレは、元方の梅次だ。縁故だろうと何だろうと、オレは、特別扱いはしねぇからな」

 

 梅次が、ドスの利いた声で言った。

 

「心得ましてございます」

 

 久兵衛は、いつもより高い声で元気良く返事した。

 

 梅次は、仕事についてひととおり説明した後、今後、しばらく働くことになる現場へ久兵衛を引率した。現場では、手代たちが黙々と、運ばれて来た船荷を検査していた。多くの船が湊に着いたこともあって、現場は、朝から、にぎやかで活気がある。梅次は、まず、勤続5年の手代、一太郎を久兵衛の教育係に任命した。一太郎は、久兵衛より10歳も年下だが、仕事のできる礼儀正しい青年だ。

 

「元方から説明があったと思うが、ここでは、廻船問屋が取引した商品の種類、数量、金額を確認する。船荷を改めるのは、通り荷を装った不正や売買額の過少申告を防ぐためだ。以前、起きた唐物抜荷騒動以来、薩摩や石見の船は、よりきびしく改めることになっている故、そのつもりで」

 

「相分かった」

 

 久兵衛が大声で答えた。一太郎は、久兵衛に検査を手伝わせながら効率的な検査方法を教えた。一太郎の教えた方が、久兵衛に合っていたらしく通常は1日かかるところを数時間で覚えた。仕事に慣れてくると、だんだん、周りを見る余裕が出て来た。勤務年数が長くなると、適当に仕事をサボることを覚えるらしい。数が多くて時間がかかりそうな船荷の検査の時は、久兵衛のような新入りが担当にまわされる。休憩時間は、皆が同時に取ることはなく、手の空いた者から、順番に持ち場を離れる。また、船荷の検査は、手際の良さだけでなくある程度の知識がいることが、だんだん、わかって来た。久兵衛は、自宅に帰った後も、夜おそくまで借りてきた書物を読みあさり諸国の品々を頭にたたき込んだ。

 

 

 

 久兵衛が、手代として仲番所の潜入捜査をはじめてから、早2週間が経とうとしていたある日のことだ。朝早くから、新堀番所では、船荷の検査を待つ船が長蛇の列をつくっていた。正午過ぎ、石見国の船が運んで来た船荷を積んだ艀船が着いた。その艀船には、新潟町小宿「山本屋」の使用人、伊織と孝之助が乗っていた。勤続20年の手代、歳三の仕事ぶりを横目で見ながら、搭載されている船荷の品名と数を記録していた久兵衛は、歳三が、上積みされた荷を改めただけで検査を終えようとしていることに気がついた。

 

「歳三さん。積んであるのは全部、白砂糖ということで間違いありませんか? 」

 

 念の為、久兵衛は船荷を確認した。

 

「いかにも」

 

 歳三がぶっきらぼうに返事した。

 

「いつになく、時間がかかっているが、どうかしたのか? 」

 

 伊織が、イライラした様子で訊ねた。久兵衛は改めていない箱の底が気になり、再検査させて欲しいと歳三に願い出た。しかし、歳三は、まったく聞く耳持たず次の船に移ろうとした。

 

「何していやがる。じゃまだ!どけ、このやろう!」

 

 歳三が、「山本屋」の船荷に手をかけようとした久兵衛をつきとばした。

 

「薩摩や石見の船が運んで来た船荷は、よりきびしく改めるよう教わりました。それなのに、あんたは、上積みされた荷だけ改めて、箱の底を改めなかった」

 

 久兵衛が猛烈に抗議した。

 

「うるせえ。痛い目に遭いたくなければ、黙りやがれ」

 

 歳三が、久兵衛を見下ろすと低い声で告げた。

 

「いってえ、何の騒ぎだ? 」

 

 騒ぎを聞きつけて、梅次がやって来た。「山本屋」の艀船の後方で待機していた他の船から、「早くしろ、何をぐずぐずしているのだ」と言ったヤジが飛んで来た。

 

「元方。この新参者が、オレのやり方にいちゃもんつけてきやがった。じゃまだから現場から追い出してくだされ」

 

 歳三が梅次に告げ口した。

 

「久平。話がある故、ちっと、来い」

 

 梅次は久兵衛の腕を強くつかむと、詰所まで引きずって行った。

 

「新参者のくせに、上役に楯突くとは何様だ? 」

 

 梅次が、久兵衛に詰め寄るとドスの利いた声で言った。

 

「楯突いてなんぞいません。確認しただけです」

 

 久兵衛が、右腕をさすりながら言った。

 

「上役が黒と言ったら、下の者は、たとえ、それが白でも黒と言うものだ」  

 

 梅次が、厳しい口調で説教をはじめた。

 

「仲番所は、通り荷を装った不正や売買額の過少申告がねぇよう、きびしい船荷改めを行う要所とお聞きしましたが、歳三さんは、特定の問屋の船荷の改めを甘くしています」

 

 久兵衛が訴えた。

 

「歳三は、今まで1度も問題を起こしたことのないまじめな男だ。あいつが、特定の問屋に便宜を図り、船荷改めを甘くするはずがねえ」

 

 梅次が前のめりの姿勢で反論した。

 

「お言葉を返すようですが、歳三さんが担当した山本屋の船荷を改め直したところ、砂糖の下に薬種や光明朱が多数見つかりました。なれど、台帳には、白砂糖としか記されていません。これは、いってぇ、どういうことですか? 」

 

 久兵衛は、台帳をつきつけて言い迫った。

 

「薬種や光明朱は禁制品だ。それを見落としたとなれば大変なことになる。熟練した手代の歳三にわからぬはずがねえ。おめぇの勘違いではないか? 」

 

 梅次は忌々し気に言うと、台帳を久兵衛に向かって投げつけた。

 

「今一度、山本屋の船荷を改める許しを頂きたい。さすれば、真実が明らかとなりましょう」

 

 久兵衛が頭を下げて再検査を求めた。

 

「良いか? この件について他言無用だ。オレから、歳三に確認する故、おめぇは、この件から手を引くのだ。オレが良いと言うまで、詰所でおとなしく書類の整理でもしておれ」

 

 梅次が小声で告げた。久兵衛は頭に不安がよぎった。もしかしたら、梅次は、歳三の罪を隠蔽するかもしれない。禁制品を見逃したとすれば、歳三だけでなく、手代を統括している元方の梅次にも責任がおよぶ。前回の唐物抜荷探索で、領主が、禁制品を運んで来る薩摩船から、他国の船よりも高率の仲を微収していたことが判明した。番所でもその悪習が温存していたとしたら、知っていて黙認している可能性もある。

 

「この間、辞めた手代は、噂では、他の手代の不正を密告した報復を受けたらしい」

 

 久兵衛の様子を見に来た一太郎が、気になることを言った。

 

「歳三さんは、オレに何か仕掛けて来ると言うことか? 受けて立とうじゃないか」

 

 久兵衛が鼻息荒くして言った。

 

「正義はあってないようなものだ。オレは、とっくの昔にあきらめている。あんたも、早いうちに、仕事と割り切った方が身のためだぜ」

 

 一太郎が冷静に言った。

 

「このままでは終わらせない。今にみておれ」

 

 久兵衛は闘志を燃やした。

 

「悪いことは言わねえ。元方の指図通りにした方が良い」

 

 一太郎が諭すように言った。

 

「山本屋の船荷は、まことに、山本屋が、石見国の船と取引した品なのかい? 」

 

 久兵衛は、大問屋でもない小宿にしては、大きな取引なためあやしんだ。

 

「山本屋は、大問屋相手に仲介や旅籠業の他、艀船を所有していて、水揚げ、水卸し、蔵の出し入れまで一挙に請け負っている」

 

 一太郎が「山本屋」の手広い商いについて説明した。

 

「ようするに、今しがた、改めた船荷は、大問屋が石見国の船と取引した品というわけだな? 」

 

 久兵衛が訊ねた。

 

「いかにも。あれは小川屋の船荷だ」

 

 一太郎が返事した。

 

 

 

その夜。久兵衛は、「山本屋」が所有している蔵の近くにいた。

 

「松浦の親分。今まで、どこにいなさったのですか? 」

 

 同心の善吉が、久兵衛の耳元でささやいた。

 

「仲番所だ」

 

 久兵衛が小声で答えた。

 

「何故、仲番所にいなさった? もしや、隠密御用ですか? 」

 

 善吉が訊ねると、久兵衛はうなずいてみせた。

 

2人は、蔵と蔵の間の路地に身を潜めて辺りが暗くなるのを待った。前回の抜荷摘発で、「小川屋」も用心しているに違いなく、もし、抜荷を行ったとしたら、抜荷の唐物を自分の所有する蔵に収めることはないだろうと、久兵衛はよんだ。蔵の前に、強面の番人が、仁王立ちしているのが見えた。番人は、「山本屋」から金で雇われている市中のごろつきだ。久兵衛はいざとなったら、得意の柔術で番人を投げ倒す心づもりでいた。

 

「番人が、交替するために持ち場を離れた隙に蔵に忍び込むぞ」

 

 久兵衛はやる気十分だった。

 

「松浦の親分。2人だけで、まことにうまく行くのですか? 」

 

 一方、善吉は不安気に訊ねた。

 

「これしきのこと、2人だけで十分だ」

 

 久兵衛は、仲番所を徹底的に調査できなかったことを悔やんでいた。深夜になり、番人の交替時刻に差し掛かった。番人が、交替するためその場を離れたその隙に、2人は、路地から飛び出すと全速力で蔵まで走った。しかし、蔵の錠が思いの外、複雑にできており開けるのに手間取ってしまい、番人が、途中で戻って来てしまった。

 

「松浦の親分。番人が、こちらに向かって歩いて来ます」

 

 善吉が、何度も後ろをふり返りながら言った。

 

「いいから、早く開けろ」

 

 久兵衛は、善吉に錠開けを続けさせた。

 

「貴様ら。そこで何をしていやがる? 」

 

 番人が、久兵衛たちの姿を見つけて駆け寄って来た。

 

「この蔵の中からおなごの悲鳴が聞こえたと、近所の者から通報があった故、中を調べに参った次第」

 

 久兵衛はとっさに、口から出まかせを言った。

 

「お役人様。番人がずっと蔵を見張っている故、誰かが忍び込むのはありえねぇ」

 

 番人がけげんな表情で言った。

 

「こちらとしても、町民から通報があった以上、蔵の中を確認せねばならねえ」

 

 久兵衛は、一歩も譲らぬいきおいで言い返した。

 

「この蔵の持ち主から、誰も中へ入れてはならねぇと、申しつけられている。いくら、お役人様でも、持ち主の許しなしに中へ入れることはできねえ」

 

 番人がきっぱりと告げた。

 

「さようか。さすれば、貴様を捕らえるしかあるまい」

 

 久兵衛は、番人を羽交い絞めにするとドスの利いた声で言った。

 

「わかったから、その手を離せ」

 

 番人が苦しまぎれに言った。

 

「最初から、大人しく従えば良いものを。てこずらせやがって」

 

 久兵衛は、番人に聞こえるように舌打ちした。

 

「おなごなんぞ、いるわけがないのだが」

 

 番人が、ブツブツ言いながら重厚な扉を開けた後、扉の横にかかっていた提灯を手に取ると明かりを灯した。

 

「ここにある船荷はいつ納められたのだ? 」

 

 久兵衛は、それとなく、今日、新堀番所で改められた石見国の船が運んで来た船荷かどうか確認した。

 

「今日の午後だ」

 

 番人が答えた。蔵の中へ足を踏み入れようとしたちょうどその時だった。蔵の外で、「火事だ!」というさけび声と共に、きな臭い匂いが蔵の中にまで漂って来た。

 

「ちと、外を見て参る故、オラが戻るまで、勝手な真似をしねぇでくんな」

 

 番人は久兵衛に提灯を押しつけると、物音がした方へ走って行った。久兵衛は、番人の姿が見えなくなったことを確認すると、善吉と手分けして船荷を改めはじめた。

 

「善吉。箱の底もよぉく見ろ。薬種や光明朱があるはずだ」

 

 久兵衛は、少し離れた場所で、船荷を改めている善吉に指図した。

 

「御意」

 

 善吉が小声で返事した。薬種や光明朱は、白砂糖の下にどっさり隠されていた。久兵衛は、まるで、宝物を見つけたかのように善吉と手を取り合い小躍りした。あのあと、警戒して、禁制品だけどこかへ移されると心配したが、手代たちは、そこまで頭が働かなかったようだ。

 

それから数分後、番人が蔵の中に戻って来た。

 

「おい、いつまでかかっている? おなごはいたのか? 」

 

 番人が、善吉とひそひそ話をしていた久兵衛に訊ねた。

 

「蔵番殿。礼を申す。おかげで、抜荷の証を見つけることができたぜ」

 

 久兵衛は、有無も言わせずその番人をその場で捕えると早縄をかけた。

 

「このやろう!だましやがって」

 

 番人が、大声でわめき散らした。久兵衛と善吉が番人を捕らえて蔵の外へ出た時、蔵の外のボヤ騒ぎを知り駆けつけた他の同心たちが、2人を唖然とした表情で見ていた。

 

「蔵の中にある抜荷の禁制品を押収しろ。平蔵、こやつは証人だ。町会所へしょっぴいて牢に入れておけ」

 

 久兵衛は、同心たちの中心に立っていた平蔵に番人を引き渡した。

 

「あとのことはオラたちに任せて、親分たちは、山本屋の屋敷へお急ぎくだされ」

 

 平蔵が2人を後押しした。暗闇の中、龕燈提灯を頼りに2人は、「山本屋」へ急いだ。蔵の番人は、平蔵たちの手で町会所へ連行された。その後すぐ、蔵の中にあった手板のない禁制品はすべて押収された。

 

「誰かいないか? 」

 

 久兵衛は、表戸をけり倒すと「山本屋」の屋敷に押し入った。玄関から、屋敷の中を眺めたが、屋敷内には人の気配はなく、まるで死んだように静まり返っていた。それでも、久兵衛は、龕燈提灯を手に持ち屋敷内に残る証拠を探すことにした。久兵衛は慎重に、前方を龕燈提灯で照らしながら、店間、中の間、茶の間、台所を見て廻った。床の間を龕燈提灯で照らすと、柿右衛門様式の絵皿が置かれていた。久兵衛は、書物で見た高級磁器の絵を思い出して手に取りじっくり眺めた。柿右衛門様式の磁器は、輸出品の先駆けと呼ばれ、異国の商人の間では評判の高い磁器だ。国内では所有する者が少ない高級磁器が、長崎から遠く離れた北陸の湊町の町家の床の間に、堂々と飾られていることに、久兵衛は違和感を覚えた。まだ、何か隠し持っているかも知れないと考えた久兵衛は、屋敷中をくまなく探った。その結果、戸棚の奥やタンスの引き出しから、硝子製の簪や指輪、阿蘭陀製のクレーパイプといった新潟町では、滅多にお目にかかることのない珍しい品々が続々と出て来た。流しには、赤紫色の液体が半分入ったままのベネチア様式のフルートグラスが無造作に置かれていた。久兵衛は、フルートグラスを鼻に近づけて匂いを嗅いでみたが、鼻をつく匂いに顔をそむけた。久兵衛は、書物で読んだ「蘭癖」という言葉を頭に思い浮かべた。長崎では、舶来品を好み収集する日本人をそう呼ぶのだと記されていた。山本屋宗一郎は、蘭癖に間違いないと久兵衛は確信した。長崎から遠く離れた新潟町で、どのようにして舶来品を手に入れたのかが、非常に気になった。外の方から呼子笛を吹く音が聞こえたので、久兵衛は、出した物を元の場所に戻して足早に廊下に出た。茶の間や中間には、先程まで誰かがいたような形跡はなかったが、寝間にはまだ、行燈を消した後の油の匂いが、かすかに残っていた。久兵衛は、「山本屋」の主は、たとえ、何の気なしに騒ぎを知り逃げたとしても、まだ、そう、遠くへは行っていないはずだとにらんだ。

 

「松浦の親分。庭へおいでくだされ」

 

 廊下に出た時、庭の方から善吉の叫び声が聞こえた。久兵衛が急いで、縁側から庭に降りると、善吉が、庭の隅ではいつくばっているのが見えた。

 

「何か見つかったのか? 」

 

 久兵衛は、善吉の背後から穴の中をのぞき見た。穴の上に被せられていたらしき蓋が、善吉の横に投げ置かれており、蓋の周囲には、蓋の上に敷いたと思われる藁と小石が散乱していた。

 

「松浦の親分。抜け穴があります」

 

 善吉がふり向きざまに告げた。 

 

「入ってみろ」

 

 久兵衛は、自分より小柄な善吉を抜け穴の中へ入らせた。

 

「何か見えたか? 」

 

「前方から光りがさしてます。どこかへ、つながっているのかもしれません」

 

 その後すぐ、久兵衛は、善吉に応援を呼びに行かせた。

 

(それにしても、静かすぎる)

 

 応援を待つ間、久兵衛は、屋敷の中に戻り探していない所を中心に探し直した。床の間、床下、天井、階段下などに隠し戸がないか、たたいたりふんだりしてみたが、何もなさそうだった。店の脇にある細い土間を歩いていた時、背後で床が軋む音がした。ふり返ると、黒い影が走り去るのが見えた。久兵衛は黒い影の後を追った。

 

「このやろう。待ちやがれ」

 

 久兵衛は全速力で走った。しかし、路地を曲がった所で見失ってしまった。周辺を見回していたところに応援が駆けつけた。

 

「松浦の親分」

 

 善吉が、後ろから久兵衛の肩を軽くたたいた。

 

「オレたちの他にも誰かが町家の中にいたようだ。逃げ去る黒い影を追いかけたが取り逃してしまった」

 

久兵衛が、肩で息をしながら言った。応援に駆けつけた同心の呼子笛の音が再び聞こえたので、久兵衛と善吉は、音のした方角へ走った。向かい側の店の脇の路地にある自身番の小部屋で、「山本屋」の主、山本屋宗一郎およびに使用人の伊織と孝之助が、同心たちに取り囲まれていた。

 

「こやつが、山本屋の主か? 」

 

 久兵衛が、山本屋宗一郎を指差すと訊ねた。

 

「さようで」

 

 同心の平蔵が答えた。

 

「検断様。手前共は何もしておりません」

 

 伊織がふてくされた様子で訴えた。

 

  

 

押収した禁制品は、唐物改役吟味役帯の伊藤道右衛門の元に届けられて唐物改めが行われることになった。それから、数日後の朝。久兵衛は、伊藤から呼び出しを受けて、伊藤の居宅をはじめて訪れた。

 

「おはようごぜぇます。検断の松浦久兵衛でごぜぇます」

 

 早朝だったこともあり、久兵衛は、遠慮気に玄関先から中に向かって呼びかけた。すると、戸が開いて、小袖型の長着姿の伊藤の妻、お()()現れた。お洲万は、朝早く押しかけたにもかかわらず、嫌な顔ひとつ見せず久兵衛を歓迎した。

 

「ようきたね。あがんなせ―」

 

 お洲万は久兵衛を茶の間へ案内した後、台所へ歩いて行った。久兵衛は、障子に映る人影を確認して床にひざをついた。「失礼いたします」と告げて、静かに障子を開けると、伊藤の横顔が見えた。

 

「ご苦労であった」

 

 伊藤が開口一番言った。久兵衛が、伊藤の向かい側に腰を降ろすと、お洲万と下女が、朝餉の御膳を運んで来た。朝餉の御膳が置かれて障子が閉まったのを確認すると、伊藤が御膳に箸をつけた。

 

「押収した禁制品に何か問題でもございましたか? 」

 

 久兵衛が単刀直入に訊ねた。

 

「押収した禁制品だが、どれにも手板がついていなかった」

 

 伊藤が答えた。

 

「手板がついていないと、どうなるのですか? 」

 

 久兵衛は思わず、身を乗り出して訊ねた。

 

「手板というのは、唐物を卸した国の奉行が発行する送り状のことだ。手板のない禁制品は、不正品とみなされて、他国への持ち込みや売買は固く禁じられている。

 

 伊藤が低い声で答えた。

 

「その禁制品なのですが、調べたところ、小川屋金右衛門が、石見国の船から買い取った品だとわかりました。2つ気になる点があります。1つは、小川屋が自分の蔵ではなく、山本屋の蔵に船荷を納めたこと。2つ目は、新堀番所の船荷改めの際、手代が、船荷改めを甘くして禁制品を見逃したことです」

 

 久兵衛が神妙な面持ちで告げた。

 

「小川屋金右衛門は、石見国の船から不正品を買い取った事実を隠すため、いったん、山本屋の蔵に納めて、時間を置いて、自分の蔵に移そうとしていたのかもしれねえ」

 

 伊藤が言った。

 

「その可能性はありますね。他にも唐物抜荷を行っている者がいるかもしれません」

 

 久兵衛が低い声で言った。

 

「まずは、山本屋宗一郎の証言がいる。小川屋金右衛門から預かった船荷だと証言が取れれば、小川屋金右衛門をひっぱることができるだろ」

 

 伊藤が神妙な面持ちで言った。

 

「伊藤様。おそれながら、小川屋金右衛門は、氷山の一角にすぎません。あの者1人を捕らえたところで、唐物抜荷をこの世からなくすことは不可能です。どうせやるなら、一掃しなければなりません」

 

 久兵衛が興奮気味に訴えた。

 

「長崎にも、唐物抜荷に手を貸している者がいる可能性も考えられる。近いうち、長崎へ唐物抜荷探索をしに参る所存だ」

 

 伊藤が告げた。

 

「お待ちを。そのお役目、ぜひとも、オレたちに任せていただけませんか? 」

 

 久兵衛が、胸に秘めていた思いを実現するため、大胆な提案を申し出た。

 

「おぬしが、長崎へ参ると申すか? 検断の職務はいかが致すのじゃ? 町政を預かっている身で、遠国へ探索するなど許されぬ」

 

 伊藤がきびしい口調で言った。

 

「オレではなく、信用のおける者を長崎へ赴かせるつもりです」

 

 久兵衛が言った。

 

「相分かった。長崎への唐物抜荷探索は、おぬしに委ねることに致そう。おぬしらは、顔が知られていない故、唐物抜荷の首謀者が警戒することもなかろう。おぬしに見せたい書がある」

 

伊藤が、座布団の下から書物を取り出すと久兵衛に差し出した。

 

「この書物は、何について書いてあるのですか? 」

 

 久兵衛は、慎重にページをめくりながら訊ねた。

 

「それを書いたのは、川村修就という江戸城の御庭番だ。天保6年~7年に新潟町で起きた唐物抜荷事件について、内部の者しかわかり得ないことまで事細かく書かれている」

 

 伊藤がきびしい表情で答えた。

 

「何故、江戸城の御庭番が、遠国で起きた事件をここまでご存じなのですか? 」

 

 久兵衛は驚きを隠せなかった。書物を読んだ後、手のふるえがしばし止まらなかった。

 

「さあな。どんな手を使ったのか知らねぇが、よく調べてある」

 

伊藤が咳払いして言った。

 

「さっそく、唐物探索の準備に取り掛かります。これにて御免」

 

 久兵衛は、いきおい良く立ち上がると茶の間を飛び出そうとした。

 

「松浦、朝餉を食って行け。腹が減っては力が入らぬ」

 

 伊藤が引き止めた。久兵衛は着座すると、おもむろに「こうこ」を口の中に放り込んだ。「こうこ」は俗にいうタクワンのことだ。冬から春にかけて食べる「当座漬け」と、夏の土用過ぎまで食べる「土用越し」の2種類ある。「土用越し」は、曲げると、大根の頭と尻尾がくっつくようになるまで干して、塩の量も多くして漬ける。塩が少ないと酸っぱくなる。漬ける大根と塩は、家によって異なることから、各家庭の味は、先祖代々受け継がれている。お洲万の漬けた「こうこ」は、松浦家の味とはまた違う美味しさだ。

 

朝餉を食べた後、久兵衛は、伊藤の居宅を後にした。

 

 

 

柾谷小路から、奉行所前に架かる橋を渡っていると、橋のたもとで手をふる者があった。人ごみをかきわけて橋のたもとに辿り着くと、髪結の駒吉が、茶屋の店先に出された長椅子に坐っていた。久兵衛は、周囲を慎重に見回した後、懐に隠し持っていた反古紙を素早く駒吉の手ににぎらせた。

 

「松浦の親分。ひょっとして、ここに書いてある品は全部、禁制品かい? 」

 

 駒吉が、反古紙を興味深そうに眺めると訊ねた。

 

「さようだ。すべて、石見国の船が運んで来た禁制品だが、手板がついていなかった。これら不正品の出所と唐物抜荷を行った郎党を探索してもらいたい」

 

 久兵衛が小声で言った。

 

「つかぬことをお訊ね致しますが、これだけの数の禁制品をどこから押収なすったのですか? 」

 

 駒吉がむずかしい顔で訊ねた。

 

「おめぇに見せたのは、山本屋に押し入った時、戸棚の奥から押収した判取帳の写しだ。判取張には、新潟町とその近郷の問屋との間で売買された品名、数量、金額が、事細かく記されておる。山本屋は、石見国の商人から聞いた不正品を運んで来る船の入港日を取引先の問屋へ流して注文を取る仲介していたに違いない」

 

 久兵衛が小声で言った。

 

「松浦の親分。こたびは、大がかりな探索になる故、とても、オラ1人だけでは手に負えねえ」

 

 駒吉がめずらしく泣き言を言った。

 

「そおせば、金次郎を連れて行くが良い。あいつは、のんびりしているように見えるが、ああ見えて勘がするどい。きっと、何かの役に立つはずだ」

 

 久兵衛は、倅の金次郎を遠国に旅をさせる良い機会と考えた。年上で気心の知れた駒吉と一緒なら、金次郎も何かと心強いだろう。探索をきっかけに、一人息子に自立心が芽生えることを期待した。

 

 

 

 久兵衛は、駒吉と別れると町会所に急いだ。久兵衛が町会所に着いた時、町会所では、「山本屋」の主、山本屋宗一郎および使用人の伊織と孝之助が牢から出されて、吟味部屋へ連れて行かれるところだった。久兵衛が吟味部屋に入ると、3人が、一斉に久兵衛の方を見た。

 

「何故、貴様らが捕らえられたのか理由は知っているな? 」

 

 久兵衛が、ドスの利いた声で言った。

 

「それより、どこかで会ったことはないか? おめさん。まことに、検断なのか? 」

 

 伊織が、久兵衛に顔を近づけると訊ねた。

 

「おい、こら起きろ!」

 

突然、久兵衛が大声を出してこぶしで机の上をたたいたので、頭をゆらして居眠りをはじめた孝之助が肩をびくつかせた。

 

「なんだ? 朝かい? 」

 

 孝之助が寝ぼけて言った。

 

「吟味の最中に、居眠りとはいい度胸しているな」

 

 久兵衛が苦笑いして言った。

 

「何卒、お許しを。昨晩、よく眠れず、つい居眠りをしちまいました」

 

 孝之助が、身を縮めるようにして言った

 

「検断様。ここの牢は、床には虫がはっているし、悲鳴みてぇな風の音が、壁に開いた穴から聞こえるし、とても寝られたものではありませんぜ」

 

 伊織が訴えた。

 

「おい、山本屋。手代たちをいいかげん黙らせろ」

 

 久兵衛が、山本屋宗一郎に向かってがなった。

 

「おめぇら。検断様を困らせるな」

 

  山本屋宗一郎が2人に言い聞かせると、やっと静かになった。

 

「屋敷にあった舶来品は、長崎の出島にいる商館員が所有していた品ではないのか? 」

 

 久兵衛が穏やかに訊ねた。

 

「何故、それを検断様が知っていなさるのですか? 」

 

 山本屋宗一郎が驚いた顔で訊き返した。

 

「それより、越後のしがない商人が、長崎の出島にいる商館員と直に取引できるはずがねえ。仲介役がいるはずだ。そうだろ? 」

 

 久兵衛が身を乗り出して訊ねた。

 

「いかにも。長崎に、ちょっとしたツテがありまして、上物が入ったら連絡が入るわけです。もちろん、屋敷にある舶来品はすべて正規品ですがね」

 

 山本屋宗一郎が自慢気に答えた。ふだんは、自信なさそうなのに、舶来品の話となると自信満々になる。山本屋宗一郎はあなどれない人物だと思った。

 

「おめぇの蔵にあった船荷は、小川屋金右衛門が、石見船から買い取った商品だろ? 」

 

 久兵衛が咳払いして訊ねた。

 

「さようですが、一時的にお預かりしただけで、いつかは、小川屋の蔵に移すつもりでした」

 

山本屋宗一郎が平然と答えた。

 

「最初から、小川屋の蔵に納めたら良いではないか? 何故、斯様に面倒な真似をするのだ? 」

 

久兵衛が訊ねた。

 

「理由は伺っておりません。幸い、蔵は空いていました故、少しの間だけなら預かっても問題ないと考えました」

 

山本屋宗一郎が答えた。

 

「手代たちに、仲番所の手代を抱き込んで、船荷の種類や数量を隠蔽するよう指図したことは認めるな? 」

 

 久兵衛がきびしい口調で言った。

 

「何かの間違いです!そんなことしていません!」

 

 突然、伊織が大声を上げた。山本屋宗一郎の顔から、見る見る血の気が引いていくのが見て取れた。

 

「伊織。いってぇ、何をやらかした? 」

 

 山本屋宗一郎が、伊織に食ってかかった。

 

「あにさま。誤解です。虚偽の証言が、検断様のお耳に入ったとすれば、歳三さんについていたあの新参者の手代が、元方に怒られた腹いせにやったことです」

 

 伊織が早口でまくしたてた。伊織が言う手代は、仲番所で潜入捜査していた自分のことだと、久兵衛はすぐに気づいた。

 

「検断様。九平という仲番所の手代を調べてもらえばわかります」

 

 久兵衛にかまわず、伊織がなおも訴えた。久兵衛はただ、伊織をにらみつけた。伊織は、久兵衛のあまりの迫力に震え上がった。

 

「貴様らが犯した罪は重い。しばしの間、牢のマズイ飯を食ってもらわねばならね」

 

 久兵衛が言い放った言葉を訊いた伊織と孝之助が同時に奇声を発した。

 

 それから数週間後、やっと、金次郎が、駒吉に同行して長崎へ探索に行く藩の許可が出た。その夜、久兵衛は、金次郎を縁側に誘い出した。

 

「藩よりご下命があった。駒吉について長崎へ赴き、唐物抜荷の探索を致せ」

 

 久兵衛が告げた。

 

「重要な探索を任せて頂けるとは、ありがたき幸せに存じます」

 

 金次郎がうれしそうに言った。

 

「探索に就いた以上、確たる証を持ち帰り手柄を立てなくてはならねえ。心して取りかかるように」

 

 久兵衛が、いつになく真剣な表情で告げた。

 

「かならずや、確たる証をつかんで戻ります」

 

 金次郎がその場に平伏した。

 

「頼んだぞ」

 

 久兵衛が言った。

 

  残暑厳しい8月下旬の昼下がり。金次郎は、駒吉と共に長崎へ旅立った。突然の出立であったので、松が、金次郎のためにと買った西瓜が1つ夜中まで水をはった桶に浮いたままになっていた。西瓜が、冷えたころには、金次郎はもう、新潟湊から出航した船の上にいた。

 

「倅を重要な探索に就かせるため、藩の重臣に心づけを贈ったと聞いたが、おめぇ、たしか、賄賂には否定的ではなかったか? 」

 

 忠蔵がけげんな表情で訊ねた。

 

「何故、それを知っている? おめえが、地獄耳だというのはまことの話のようだ」

 

 久兵衛が決り悪そうに言った。

 

「金次郎は、賢いし正義感が強い。若いころのおめぇによく似ている。おめぇがはじめて、遠国へ探索のため赴いたのも、金次郎と同い年だったよな」

 

「オレが、あいつの年のころは、江戸や大阪に赴き探索を行っていた。あいつにとって良い刺激となろう」

 

 久兵衛が言った。

 

 それから3週間後。金次郎と駒吉は、小川屋金右衛門が石見国の船から買い取った不正品の出所をつきとめて帰国した。久兵衛たちは、小川屋金右衛門をはじめ商人たちを油断させるため、表向きは、証拠不十分として、「山本屋」の3人を釈放しておよがせることにした。足軽2名に、「山本屋」の周辺を24時間監視させているのが、あやしい動きは見られず、業を煮やした久兵衛は、小川屋金右衛門をはじめ大問屋の家宅捜索にふみ切ろうとしたが、お奉行から待ったがかかった。

 


 

9月上旬のある晴れた日。松浦家の庭から、にぎやかな笑い声が、近所まで聞こえて来た。

 

「よいっしょ」

 

 庭の中央に出来た輪の中心には、頭にハチマキを巻き、この日のために仕立てた半被を身に着けた久兵衛と、久兵衛の妻、松の姿があった。久兵衛が、松と呼吸を合わせていきおい良く杵を振り上げた隙に、傍らにしゃがんでいる松が素早く、臼の中の餅をこねる。松が手を引っ込めた時、久兵衛は、杵を臼の中に振り落とす動作をくり返していた。

 

「久兵衛。そろっと、代われや」

 

 先程から、餅をつきたくて落ち着きのなかった忠蔵が杵をつかんだ。

 

「忠蔵さん。まことに、大丈夫かい? 無理しねぇでくんな」

 

久兵衛が冗談を言うと、その場にいた皆が笑った。この日、めでたく、米寿を迎えた久兵衛の母、およしは、縁側に腰掛けてお茶をすすっていた。

 

「お爺ちゃん。頑張って」

 

 忠蔵の孫、お光が、杵の持ち手を確認している忠蔵に声援を送る。お光の傍らで、江戸褄を粋に着こなした忠蔵の娘、お園が微笑んでいた。

 

「父上。近所の人たちにも、おすそわけしましょう」

 

 金次郎が、垣根越しに餅つきを見物していた近所の住人たちの方を向いて言った。

 

「そんなところで、見てねぇで、中に入って来い」

 

 久兵衛が垣根の前に立ち手招きすると、近所の住人たちがぞろぞろと、庭へ入って来た。

 

「何のお祝いなんだい? 」

 

 お茶屋の女主人、お由が訊ねた。

 

「およし婆ちゃんの米寿の祝いです」

 

 松の隣に立っていた久兵衛の甥、銀次郎が答えた。越後長岡藩領の武家や商家では、米寿の祝いに餅をつき鏡餅にして、その上に紅で寿の字を書いて、親しい人たちに贈る風習がある。一方、農村では、斗掻と云う升に盛った米を計る際に、平らに掻き均す木を、長さ八才八分に切り丸く削った後、餅に添え贈る風習がある。また、女は、裁縫道具のひとつである糸菅を自らの手で切り贈物とする。

 

「よいっしょ」

 

 忠蔵が、額に汗を流して餅をつく横で、松とお園を中心とした女衆が、餅を丸めて紅で寿をつけていく。

 

「おっかぁ。オラにもやらせて」

 

 お光のはしゃぎ声が聞こえる度、忠蔵の動きが止まる。久兵衛は、もみじみたいな小さな手で餅を丸めている幼い孫の姿を愛し気に見つめている忠蔵を、臼の中の餅をこねながら微笑ましく眺めた。

 

「忠蔵さん。そろっと、いいれ」

 

 久兵衛は、餅をまとめると忠蔵に声を掛けた。

 

「よいしょっと」

 

 忠蔵が、重そうに杵を地面に降ろした。そのころ、証拠不十分として釈放され、町家で軟禁されていた「山本屋」の主、山本屋宗一郎が、流作場にある神明宮で首から血を流して倒れているのが発見されていた。毎日、「山本屋」の前では、足軽が2人、それぞれ、表門と裏門に立ち見張っていたにもかかわらず、山本屋宗一郎はやすやすと、町家から抜け出し、何らかの目的で流作場に行ったことになる。

 

「親分。町会所へお急ぎを」

 

 同心の善吉が、縁側に坐り餅を食べていた久兵衛の元に駆け寄った。

 

「何か事件か? 」

 

 その時、厠から戻った忠蔵が歩いて来た。

 

「これは、これは。田辺の親分もおいででしたか」

 

 善吉があわててお辞儀した。

 

「松浦家の米寿の祝いでついた餅だ。おめえにもくれてやる」

 

 忠蔵はお園から出来立ての餅を受け取ると、笹の葉に包み善吉に手渡した。

 

「ごっつぉさんです」

 

 善吉が面食らう姿を見て、久兵衛が笑った。

 

「まことに、お2人は仲がいいですね」

 

 町会所へ向かう途中、善吉がぼそっとつぶやいた。

 

「オレを呼ぶということは、もしや、唐物抜荷の捜査に進展があったのか? 」

 

 久兵衛が訊ねた。久兵衛は、ハチマキに半被姿のままあわてて飛び出して来たことから、通りすがりの人にふり返り見られたが、今の久兵衛には、ちっとも気にならなかった。

 

「さようで。さきしがた、流作場付近で死体が見つかりました。その死体がどうも、山本屋宗一郎のようでして」

 

 町会所の門前で、善吉が告げた。

 

「それはまことか? 」

 

 久兵衛は、寝耳に水のことで驚きを隠せなかった。

 

「死因については、今、検使が調べています。町家を抜け出した後の足取りについても聞き込みをはじめたところです」

 

 善吉が神妙な面持ちで報告した。

 

「あいつの亡骸は今どこにあるのだ? 」

 

「町家へ運び込まれて、葬礼の準備をしています」

 

「見張り役の足軽共は、いってえ、何をしていやがった? 」

 

 久兵衛は思わず、善吉に詰め寄った。

 

「手代が差し入れたにぎり飯に、腹下しが入っていたそうです。裏を見張っていた足軽が、厠に行っている隙に、手代が、手引きして宗一郎を外へ逃したようでして」

 

 善吉が決り悪そうに答えた。

 

「なんてことだ。あまりの失態に涙が出て来るわ」

 

 久兵衛が大声を上げた。「山本屋」の手代からは何も受け取るなとあれほど何度も申しつけたにも関わらず、足軽は、あろうことか、食い気に負けて禁断のにぎり飯を口にしたのだ。あきれて物が言えなかった。

 

「表を見張っていた足軽の方は、若い娘が、すれ違いざまにぶっかって来た野郎に財布をすられたと訴えて来たそうで、その間、ずっと、話を聞いていたようです」

 

 善吉が決り悪そうに告げた。

 

「そんな偶然があるのか? 若い娘も、山本屋の仕込みではないか? 」

 

久兵衛がしかめ面をして言った。

 

「手代たちは葬儀が済んだ後、捕えるということでよろしいですね? 」

 

 善吉が上目遣いで告げた。

 

「何をほざいていやがる? いますぐ、しょっぴけ」

 

 久兵衛が大声でがなった。

 

「宗一郎には親戚がおりません。葬儀を出してやれるのは、あいつらだけです。亡骸は、腐乱がだいぶ進んでいますし、検死が済んだわけですから、遺族に返さなければなりません」

 

 善吉が冷静に告げた。

 

「葬儀が済むまで、待つというのはどうだろう。その隙に、逃走をはかるかもしれねえ。重要参考人を死なせちまった上、手代たちまで逃したら、真相が、闇に葬られることになっちまう」

 

 久兵衛がやぶれかぶれに言った。

 

「さすれば、葬儀の間、我々で、あいつらを見張るというのはいかがですか? 」

 

 善吉が思わぬ提案をした。

 

「オレたちが、なんで? 」

 

「足軽たちは信用できませんし、同心たちは、他の捜査で手一杯です。残るは、我々しかおりません」

 

「相分かった。しょっぴくのは、葬儀の後にして、葬儀が済むまで、あいつらを見張ることにしよう」

 

 久兵衛はそう言うと煙草を吸った。ズンギリは、煙草を吸う農家の男衆が、田畑へ出掛ける時に、持ち運び出来るように作られた携帯の煙草入れだ。久兵衛も、数年前から愛用している。久兵衛が、ズンギリを使う時は決まってイライラしている時だ。

 

「無理な頼みを聞いてくださり、ありがとうごぜぇます」

 

 善吉が頭を下げた。

 

「長く仕えた主人のため、葬儀を行いたいとのきもちは、オレにだってわかるさ。なれど、まんがいち、あいつらが不審な言動をした時は、その場で捕らえる故、そのつもりで」

 

 久兵衛は、煙草の吸殻を踏み消すと言った。

 

 

 

 夕映えの中、2人は、「山本屋」へ向かった。「山本屋」の表戸には、「忌中」』と書かれた紙が貼られていた。店前を往来する町民の内、何人かが、「山本屋」の表戸の前に足を止めている。屋敷内は、ひっそりと静まり返っていた。

 

「ごめんなせ―」

 

 久兵衛は静かに戸を開けると、廊下を突き進んだ。「山本屋」の主、山本屋宗一郎の亡骸は、茶の間の中央に寝かされていた。亡骸の傍に、「山本屋」の使用人、伊織と孝之助が、背を丸めて坐っているのが見えた。

 

「検断様」

 

 久兵衛たちに気づき、孝之助が立ち上がった。久兵衛と善吉は、順番に、亡骸を前に手を合わせた。

 

「血色の良いお顔を拝見していると、死んじまったとは思えません」

 

 伊織が涙ながらに告げた。

 

「おめぇらの主は、何用で流作場に行ったんだ? 」

 

 久兵衛が訊ねた。

 

「何も知りません」

 

 孝之助が声を震わせた。

 

「はぁ? 逃げる手引きをしておいて、何も知らねぇとは言わせねぇぞ」

 

 久兵衛が声を荒げた。

 

「検断様。孝之助は、まことに知りません。手引きしたのは手前です。あにさまは、人と会う約束をしていると言っていました。それが誰なのかまでは存じ上げません」

 

 伊織が告げた。

 

「おめえが手引きさえしなければ、あにさまは、死ななかったかもしれねえ」

 

 孝之助が伊織をなじった。

 

「いまさら、何を言っても言い訳にしか聞こえねぇかもしれませんが、あの時は、ああするしかなかったわけです」

 

伊織がぶっきらぼうに言った。

 

「互いを責めたところで、宗一郎が生き返るわけではないだろ」

 

 善吉が言った。

 

「山本屋の蔵にあった禁制品は不正品だとわかった。おめぇらを釈放したのは、小川屋金右衛門を油断させるためだ。なのに、宗一郎が死んじまうとは予期せぬことが起こったものだ。もし、あのまま、入牢させていたら、宗一郎の寿命が尽きることもなかったかもしれぬ」

 

 久兵衛がしんみりと告げた。

 

「どちらへお行きになるのですか? 」

 

 久兵衛が、厠に行こうとして立ち上がったため、伊織が驚いた顔で訊ねた。

 

「厠だ。逃げねぇと、約束するなら明日まで待ってやってもいいぞ」

 

 久兵衛が答えた。

 

「約束します。どこにも逃げ隠れしません」

 

 孝之助が涙を手でぬぐうと言った。

 

「お寺様(僧侶)はもう頼んだのか? 」

 

 久兵衛が優しい声で訊ねた。

 

「はい。長善寺の住職に頼みました」

 

 伊織が答えた。通夜会場は、長善寺に決まり、久兵衛、善吉、伊織、孝之助の4人で、山本屋宗一郎の亡骸を長善寺に運んだ。通夜の席を準備している間に雨が降り出した。雨の中、続々と参列者が集まり出した。多くが近所の人たちだったが、中には、大問屋の手代の姿もちらほら見えた。同業者とはほとんど付き合いがないといっていたが、小宿の主の姿も少ないが見えた。久兵衛は、伊織の後ろに坐った。通夜ふるまいの席では、山本屋宗一郎が好きだったという焼鮭が出された。山本屋宗一郎は、鮭漁の時期に、信濃川で漁師たちが、地引網を引く様子を眺めることを毎年、何より楽しみにしていたと、伊織が、参列者の前で涙ながらに述べた。久兵衛ももらい泣きした。夜になり、参列者が帰りはじめたころ、「小川屋」の番頭、芳三郎が、人目を忍ぶようにして現れた。

 

「芳三郎さんではありませんか? 」

 

 座布団をしまっていた孝之助が、黒い着物を着た初老の男に気づき声を上げた。

 

「おそくなってしまい、すまねえ。店が忙しくて、こんな時間になってしまった」

 

 芳三郎は亡骸の傍に正座して死に顔を眺めた後、頭を垂れて手を合わせた。久兵衛は、芳三郎の白髪頭を不思議そうに眺めた。

 

「てぇへんだったな」

 

 芳三郎が、伊織の方に向き直ると優しい言葉をかけた。

 

「芳三郎さん。わざわざ、ありがとうごぜぇます。あにさまもきっと、草葉の陰で、小川屋の番頭さまが、最後のごあいさつに来てくださったことを喜んでいることでしょうよ」

 

 伊織がしんみりと告げた。久兵衛は、善吉にうながされて外に出た。

 

 

 

 しばらくして、芳三郎と孝之助が入り口に姿を見せた。孝之助は、何度も頭を下げてお礼を述べた後、香典を両手で受け取った。芳三郎が寺の階段を降りはじめたところに、木の陰から、若い糸鬢奴頭の男が現れた。芳三郎は、糸鬢奴頭の若い男が、差し向けた傘に入ると帰って行った。

 

「けぇらねぇのか? 」

 

久兵衛は黒い着物から浴衣に着替えると、伊織に声を掛けた。

 

「今夜は、孝之助と2人、あにさまのお傍で寝ずの番をするつもりです」

 

 伊織が沈んだ声で告げた。

 

「そおせば、オレも、一緒に寝ずの番をするさ」

 

 久兵衛もその場に胡坐をかいた。

 

「松浦の親分。オラは、寝間で休ませてもらいます」

 

 善吉は、静かに席を立つと寝間へ入った。夜の寺というのはうす気味悪い。久兵衛は、寺子屋に通っていたころ、夏になると、近所の墓場で肝試しをしたことを思い出した。他の子どもが持っていた提灯の明かりを火の玉と勘違いして、逃げ廻る子どもや墓場に生えている草が風で揺れる度に肩を震わせる子ども。泣いたり騒いだり、怖いけれど面白い行事だった。

 

「どうかしましたか? 」

 

 久兵衛の横に坐っていた孝之助がふいに、久兵衛を見て訊ねた。

 

「子どものころのことを思い出していた」

 

 久兵衛が答えた。

 

「もしや、肝試しではないですか? 」

 

 孝之助が訊ねた。

 

「そうだけど、何故、わかったのだ? 」

 

「子どものころに、夏になると、近所の子どもたちと墓場で肝試しをしました故、夜に寺に来ると思い出します。検断様もそうかと思いまして」

 

「おめえは、新潟町で生まれ育ったのか? 」

 

「いえ、違います。生まれ育ったのは、彌彦村という門前町です」

 

「彌彦といえば、越後一宮の彌彦神社のお膝元ではないか。オレの家は、毎年、一家そろって彌彦神社に参拝しているぜ」

 

 久兵衛が言った。

 

「手前は、13の時に家を出て以来、故郷の彌彦村には、いっぺんもけぇっていません。今はもう両親は亡くなり、実家もなくなりました故、帰る場所がないのです」

 

「そりゃあ、寂しいこったね」

 

「新潟町は、手前にとって、第2の故郷ですて。あにさまは、前回の抜荷摘発があった時分、先代を亡くされて取引先からの信用を何とか取り戻そうと、それはもう、朝から夜まで必死で働いておられた。おかげで、嫁を取るのを忘れたと言っておられた」

 

 孝之助がしみじみと語った。久兵衛はふと、山本屋宗一郎の亡骸の傍で身動きひとつしない伊織の背中を見つめた。まるで、主の亡骸を護るかのように付き添う伊織が、久兵衛の目には痛々しく映った。

 

 

 

翌朝。朝餉を済ませた後、葬式の準備を行った。そのころ、新潟町と近郷に触れが出され、同心たちは、死体が発見された流作場近辺を中心に聞き込みを行っていた。久兵衛は、参列者の中に何か知っている者がいるかも知れないと考え、葬式の間、参列者の様子を注意深く見つめた。

 

「松浦の親分」

 

 葬式の合間、久兵衛が煙草を吸おうと外に出た時、同心の平蔵がやって来た。

 

「捜査はどうなっている? 」

 

久兵衛が訊ねると、平蔵が落ち着いた様子で報告した。検死の結果、至近距離から首を銃で撃たれて大量出血したことによる失血死と判明。弾丸は、首の横側を貫通したらしく死体の傍で発見された。新潟町では、銃の保持は許可されていないことから、他から来た人物による犯行の可能性がある。山本屋宗一郎は、手代を使って町家を抜け出した後、流作場の神明宮に向かった。その夜は、雨が降った後だったため、地面がぬかるんでおり、下手人の残した足跡がはっきりと残っていた。

 

「足跡は、渡し場の近くで途切れました。おそらく、下手人は、山本屋宗一郎を殺めた後、渡し舟で信濃川を渡り対岸の沼垂町まで逃げたものと考えられます」

 

 報告の後、平蔵が告げた。

 

「やっかいなことになっちまった。沼垂町は新発田藩領だぜ。逃げ込まれたりしたら、めんどうなことになるではないか? 」

 

 久兵衛は思わず舌打ちした。

 

 

 

 新潟町とその対岸にある新発田藩領の沼垂町は、信濃川付近にある向島の所有権をめぐり、長い間、争ってきた。沼垂町は、向島の所有権を主張するがあえなく却下され、長岡藩の任命を受けた安倍玄的ら5名が、4年の歳月をかけて開発したのが、旧向島の「流作場新田」と呼ばれる地域だ。「流作場新田」は、開発の中心的人物の安倍玄的の名を取り、「玄的」とも呼ばれている。「流作場新田」は、新潟町と沼垂町の境に位置しており、沼垂町に往来する渡し場がある。

 

「松浦の親分。1つ朗報がございます。小川屋金右衛門が、自首して来ました」

 

 平蔵が明るい声で告げた。

 

「何故、今になって自首してきた? 」

 

 久兵衛が訊ねた。

 

「もう逃れられないとでも考えたのかもしれませんねえ」

 

 平蔵が答えた。

 

「そう言えば、昨夜、小川屋の番頭が来たぜ。これは単なる偶然なのか? それとも、良心の呵責に耐えかねて、主が番頭を弔いに送ったのか? 当人に訊こうじゃないか」

 

久兵衛が言った。「小川屋」の番頭、芳三郎が通夜に来たことが、ずっと、気になっていた。普通なら、深い関わりがあったとばれないために、人目につきやすい通夜の席に顔を出すことは控えるはずだ。小川屋金右衛門が、白を通すことも出来たはずなのに、自ら自首してきたのには、何か魂胆があるとしか思えなかった。

 

「金右衛門は正直に話すと言っています。今は、その言葉を信じるしか他にありません」

 

 平蔵が言った。

 

「話すと言っても、肝心なことは口をつぐむおそれがある。用心に越したことはねえ」

 

 久兵衛が冷静に告げた。久兵衛が葬儀場に戻ると、善吉が手招きした。

 

「松浦の親分。あすこに坐っている町人をご存じですか? 」

 

 善吉が、久兵衛の耳元で訊ねた。その時、仏前に手を合わせていたのは、片原三ノ町に住む畳屋の主人、市五郎だった。市五郎は、伊織たちの方を向き一礼した時、まるで、幽霊でも見たかのような顔で、伊織の後ろに坐る久兵衛を見つめた。

 

「畳屋と小宿が知り合いとは何とも奇妙だ」

 

 久兵衛は、市五郎を見つめながらつぶやいた。

 

「先代までは、播磨屋という廻船問屋を営んでいた故、先代からの付き合いではねぇですか? 」

 

 善吉がささやいた。

 

「播磨屋という廻船問屋は、たしか、新津屋小路にあったよな? 」

 

 久兵衛が知ったかぶりをした。その昔、新津屋小路に池田屋佐左衛門が営む廻船問屋があったという話を老母から訊いたことがある。その廻船問屋が、「播磨屋」で、池田家と親しくしていた小山家が営む廻船問屋が、「播磨屋」より500mほど下流の大川端四之町にあったという。小山家は、信濃川河口に近い「津軽屋」に常連客を取られて衰運をたどった。池田屋佐左衛門の息子、忠七の妻と連れ子は、忠七の死後、いっとき、小山家に住んでいた。小山家が傾きかけた時、忠七の妻が、「津軽屋」に頼みに行ったが相手にされなかったということで、忠七の妻は、「津軽屋」のことをたいそううらんでいたといわれている。

 

 

 

善吉が突然、祖母から伝え聞いたという「津軽屋」にちなんだ怪談話をはじめた。今から、7代前の次郎左衛門の御代。高橋家の婚礼の翌朝。使用人が門を開けると、門前で、白装束を纏った老婆が懐剣を喉に刺したまま、血塗れで倒れ伏していた。その老婆と言うのが、婚礼に呼ばれなかったことをうらんで自害した小山家の縁者だった。老婆は、使用人に発見された時にはまだ、かすかに息があって、「高橋今夕の盛儀に、いけしょ(親戚)たる我家の者を招かぬとは何事である。我家を軽んじたものである。その怨を報いんがために、この始末である」と告げた後、鋭い眼でにらみ、7代まで祟ってやるといい息絶えた。それ以来、津軽屋では摩訶不思議な事件が相次ぎ、家督を継ぐと禾死するか、狂死する。誰1人として、満足に遂げた者がいねぇという。

 

 

 

 葬儀が終わり、山本屋宗一郎の亡骸を納めた棺は、寄居村の火葬場に運ばれた。新津屋小路と通じる寄居村に、「なわてみち」と呼ばれる新潟町から海辺に至る唯一の道がある。火葬場の裏で、久兵衛がたたずんでいると、伊織が、骨壺を胸の前に抱えて歩いて来た。

 

「ご苦労さん」

 

 久兵衛が、伊織の背中を軽くたたくと言った。

 

「何故、手前共を信じてくださったのですか? 」

 

 伊織が青い顔で訊ねた。

 

「なりゆきでそうなった」

 

 久兵衛が短く答えた。

 

「手前共が、裏切ったらどうするおつもりだったのですか? 」

 

 伊織が弱々しい声で訊ねた。

 

「その時はその時だ」

 

 久兵衛がぶっきらぼうに答えた。

 

「お情けをかけてくださり、ありがとうごぜぇます」

 

 伊織が深々と頭を下げた。

 

 

 

 2人は、浜に出る途中にある砂丘まで歩いて、砂丘の小高くなっている付近まで登るとその場に腰を降ろした。生ぬるい風が辺りに吹いていた。伊織は、胸の前で大事そうに骨壺を抱き、遠い眼で新潟町を見下ろしている。その横で、久兵衛は、ズンギリを懐から取り出して煙草に火を付けた。

 

「検断様。あにさまは、無事にあの世へ旅立てたのでしょうか? 」

 

 伊織が空を見上げると言った。

 

「あの世に行けず、この世にさまよっているのではないか? 」

 

 久兵衛が煙草をふかせると言った。

 

「あにさまが安心してあの世へ旅立てるために、手前共にできることはありますか? 」

 

 伊織がかすれ声で訊ねた。

 

「知っていること全部、正直に自白すれば、宗一郎も、安心してあの世へ旅立てるのではないか? 」

 

 久兵衛が答えた。

 

「洗いざらい白状致します故、どうか、あにさまのみ霊をお救いくだされ」

 

 伊織が涙まじりに言った。

 

「遺骨は、オレが責任持って無縁仏として弔ってもらう故、あとのことは心配するな」

 

 久兵衛は、骨壺を受け取るとすべるようにして砂丘を降りた。

 

「松浦の親分。山本屋使用人2名を捕えて町会所へ連行致します」

 

 途中で、すれ違った善吉が神妙な面持ちで告げた。

 

「オレは、長善寺に遺骨を預けに行かなきゃなんねぇ故、あとのことを頼む」

 

 久兵衛は、善吉に耳打ちすると歩いて行った。

 

「松浦の親分に感謝するのだな。本来なら、葬儀は行われず火葬のみだったんだぜ」

 

善吉は、伊織を立ち上がらせると伊織の両手を後ろに廻し本縄で縛りながら告げた。前回、「山本屋」の使用人2名は、1度、早縄をかけられたものの、証拠不十分だとして釈放された。今回、容疑が固まったということで本縄をかけられた。「山本屋」の主、山本屋宗一郎が死亡し、使用人2人も捕えられたことにより、「山本屋」は、お取りつぶしとなった。久兵衛は、山本屋宗一郎の遺骨を長善寺に預けて無縁仏として葬った。

 

 

 

久兵衛が町会所へ戻った時には、すっかり日が暮れて、外は暗くなっていた。久兵衛は、堀の側に植えられた柳の木を見る度に、柳の下に幽霊が立っていないかどうか警戒した。柳の葉が風で揺れる度、幽霊が浮遊しているかのように見えたからだ。身震いした後、町会所の門をくぐると、牢の方から女性のすすり泣く声が聞こえた。

 

「今しがた、おなごの泣き声が聞こえなかったか? 」

 

 久兵衛は、詰所で書状を書いていた検断の宮本幸三郎に訊ねた。

 

「そうか? オレには何も聞こえなかったぜ」

 

宮本が答えた。

 

「茶でも飲んでひと休みしな」

 

 検断の田辺忠蔵が、久兵衛の前に湯飲み茶わんを置いた。

 

「山本屋の手代たちは自白したかい? 」

 

 久兵衛は、お茶を一気に飲み干すと忠蔵に訊ねた。

 

「それが、人が変わったみてぇに洗いざらい自白した」

 

 忠蔵が答えた。

 

「主が死んで、かばう者がいなくなったてんで、自白する気になったのだろ」

 

 久兵衛が言った。

 

「久兵衛。うちに帰らなくて良いのか? 何日も帰っていねぇんだろ? 」

 

 宮本が久兵衛に言った。

 

「着物もにおって来たし、1度、着替えを取りに戻るとするか」

 

 久兵衛が重い腰を上げた時だった。何やら、外が騒がしくなった。反射的に、3人が詰め所を飛び出すと、同心たちが、下手人を牢屋へ連れて行くところだった。3人が牢の前に駆けつけた時、同心の善吉が、うす汚れた粗末な着物を着た長髪の男を牢へぶち込んだところだった。

 

「おい、善吉。今しがた、牢にぶちこんだ下手人は何者だ? 」

 

 久兵衛が、善吉を呼び止めると訊ねた。

 

「町人にケガを負わせた無宿の他所者です」

 

 善吉が答えた。

 

「原因は何だ? 」

 

 忠蔵が冷静に訊ねた。

 

「神明宮の近くにいた不審者に事情を聞くため声を掛けたら、いきなりなぐりかかって来たそうです」

 

善吉が神妙な面持ちで説明した。

 

 翌朝。久兵衛が、この不審な男を吟味することになった。

 

「名は何と申す? 」

 

 久兵衛が訊ねた。

 

「粂吉」

 

 その男が短く答えた。

 

「生国はどこだ? 」

 

 久兵衛は慎重に訊ねた。

 

「肥前国長崎」

 

 粂吉がぶっきらぼうに答えた。

 

「調書によれば、事件が起こった96日の夜。貴様を事件現場の流作場の辺りで見たという目撃者がいる。流作場は、他国から来た者が立ち入る所ではねえ。いってえ、貴様は、あの日、あの時、何用で流作場にいた? 」

 

 久兵衛が、粂吉をじっと見つめながら訊ねた。

 

96日の夜、わしは宿におりました。それに、流作場へは1度も行っていません」

 

 粂吉がきっぱりと否定した。

 

「新潟町を来訪した目的は何だ? 」

 

 久兵衛が身を乗り出して訊ねた。

 

「小川屋と取引をするためです」

 

 粂吉がスラスラと答えた。

 

「おめえには、しばらく、入牢してもらうことになる」

 

「お役人様。おそれながら、わしを見たという者は信用するに値する者なのですか? 」

 

 粂吉がけげんな表情で訊ねた。

 

「あたりまえだ。おめえは、新潟に来訪したのは、小川屋と取引をするためだと言ったが、泊まっていたのが、遊女屋というのはどういうわけだ? 」

 

 久兵衛が咳払いすると言った。

 

「わしが泊まっていた旅籠屋には、若い下女が2人いましたが、妓楼ではありませんよ。表に、旅籠屋の看板がさがっていました故、間違いございません」

 

 粂吉が自信満々に断言した。

 

「廻船問屋は小宿に取引の仲介を頼む。商いのため、新潟に寄港した船の船員は、取引相手の廻船問屋の配下にある小宿に泊まるのが習わしだ。小川屋は、山本屋に仲介を頼んでいる故、貴様が、小川屋の取引先の船の船員ならば、山本屋に泊まっていなくてはおかしい」

 

「そんな話、はじめて聞いたぜ」

 

 粂吉が言った。久兵衛は、粂吉が一瞬、目を泳がせたのを見逃さなかった。

 

「その傷はどうした? 」

 

 久兵衛が、粂吉の右腕にひっかき傷を見つけて指摘した。

 

「こんな傷、たいしたことはねえ。どこかでひっかけたのだろう」

 

 粂吉が目をそらすと言った。

 

 その日の午後。牢に戻された粂吉の元に、奉行所の番医師が遣わされた。久兵衛は、右腕の傷の原因を知るため、粂吉の診察に立ちあった。

 

「あれは、単なるひっかき傷ではありませんよ。争った際にできたものに間違いございません」

 

 診察が終えて詰所に戻ると番医師が告げた。久兵衛は、粂吉が、山本屋宗一郎と会った人物であり、粂吉の右腕に出来たひっかき傷は、その時、何だかの理由で争いになり、山本屋宗一郎が、粂吉の右腕をひっかいてできた傷だと疑っていた。それというのも、山本屋宗一郎の左手の人差し指のつめが欠けていたとの検死結果が出たからだ。久兵衛は、おそらく、左手の人差し指のつめは。粂吉の右腕をひっかいた時に欠けたのだろうと推理した。

 

「久兵衛。ちっといいか? おめぇに見せたいものがあるんだ」

 

 午後から出勤して来た忠蔵が、番医師と話している久兵衛の元に駆け寄ると訊ねた。

 

「オレに見せたいものとは何だ? 」

 

 久兵衛が訊ねた。

 

「御番所に廻って来た人相書を借りて来たのだが、この顔に見覚えはねぇか? 」

 

 忠蔵が人相書を手渡すと言った。久兵衛は人相書をじっくりと眺めた。人相書の男は、面長顔に切れ長の釣り上った目。筋の通った鼻。そして厚い唇。右頬にホクロ有と描かれている。どう見ても粂吉にそっくりだ。

 

「関東取締出役が、この者の居所を探しているそうだ」

 

 忠蔵が神妙な面持ちで告げた。

 

「粂吉には、山本屋宗一郎殺しの疑いがかかっている。このまま、関東取締出役に引き渡すわけにはいかない」

 

 久兵衛は頭を抱えた。

 

「そうかと言って、このまま黙っているわけにもいかないだろう」

 

 忠蔵が言った。

 

 2人は夜中まで話し合った末、粂吉らしき男を捕らえたことを江戸藩邸へ報せることにした。それから3日後、粂吉は、駆けつけた関東取締出役に捕らえられて江戸送りとなった。

 



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