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算命学余話 #R85 (page 1)

 食糧豊富な自然環境に暮らすアマゾンのある先住民族は、男性が競争的で雄弁、勇敢、虚勢を張る(つまり嘘つき)という特徴があるそうです。この場合の嘘つきとは、「提供できるリソースをあたかも多く持っているかのように」振舞うという種類のものです。また同時に乱婚でもあり、両親は乳離れした子供の世話をせず、放置された子供は自活する方法を自ら迅速に身に付けて大人になるといいます。食糧の手に入りやすい環境がそれを可能にしているのです。

 一方、カラハリ砂漠に暮らす某民族は食糧調達の厳しい生活環境に置かれているため、人々は互いに協力するのが良いという価値観で生きています。狩りは共同で行い、その成果は平等に分配され、嘘は厳しく禁じられる。嘘による混乱は自らの生存を脅かすので忌避されるのです。また婚姻は一夫一婦制であり、配偶者は慎重に選ばれます。子育ても一族で行い、子供の親への依存度は高い。食糧が乏しいため、子供に対する投資は相対的に大きくなり、それ故に出生率も低く抑えられています。そうした環境下では、互恵利他主義が各人に徹底されます。

 

 これは以前『算命学余話R43』でちょっと取り上げて腐した中野信子著『サイコパス』からの引用です。この部分については傾聴に値すると感じたので拝借しました。これは民族研究のフィールドワークから得られた実例報告なので、これをどう分析するかはともかくとして、食糧の豊かさ・貧しさが人間の価値観を左右しているというシンプルな因果関係は大いに納得いくものがあります。

 

 時代は平成の世も最後の年となりました。日本国皇室は男系の伝統を守り続けてきましたが、当面もとりあえずこの伝統は維持できそうです。しかしほんの数年前は皇室に男児がなく、女性天皇を認めるかとか、いっそ側室制度を復活させるかとかいう議論がなされました。こうした議論が以前の皇室になかったのは、皇室の伝統が一夫多妻だったからです。要するに子供が生まれなかったら、健康そうな側室を迎えて子孫繁栄に努めれば良かったわけです。

 かといって日本全体の伝統が一夫多妻だったというわけではありません。いくら子供が欲しいからといっても、大勢の妻たち子供たちを養う経済力がなければ一夫多妻はそもそも成り立ちません。つまり冒頭のような「食糧豊富な環境」になければ、多くの女性を娶って無制限に子供を儲けるという行為は自殺行為になるのです。従って一般庶民にとっては一夫一婦が相応しく、それはとどのつまり、庶民は総じて食糧豊富な環境にはなかったということになります。食糧はじめ物資が比較的豊富で、そのため複数の妻を養うことができたのは、支配層である殿様クラスか羽振りのいい商人等に限られていました。

 

 現代の日本人は近代の法律によって一夫一婦の制約を受けていますが、実際のところ法律上の妻が一人であっても同時に愛人を囲っているという例は無数にあります。経済力のある男になら可能です。だから日本は表向きは一夫一婦の国ですが、実情は一夫多妻が許されている国だということです。え、法律? そんな人間が作ったあやふやなもの、ナマの現実を生きる人間の営みの前では紙切れですよ。守る義理がありますか。人間が是非とも守った方がいいのは、自然の法則だけです。これに反すると寿命が早まるからです。

 

 というわけで今回の余話のテーマは、一夫多妻と一夫一婦についてです。近代の価値観では一夫多妻など狂気の沙汰だ、恥を知れ、といった扱いですが、それは表向きであって実際はこの通り、カネ次第です。勿論カネに靡かない堅実な女性もいますし、複数の男性との性交が子供の気を濁らせることは、既に過去の余話で述べた通りです。それを本能的に嫌う男女なら、一夫一婦で生涯浮気なしという夫婦関係を望むでしょう。これもまた真実です。

 実際のところ、人類の歴史は一夫多妻と一夫一婦のせめぎ合いで、どちらに軍配が上がったとも言えません。時代によってこちらが勝ったり、あちらが勝ったりしている。結局は、どっちが正しいのでしょうか。算命学はどのように考えているのでしょうか。その辺りを考察してみます。


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最終更新日 : 2019-01-08 23:25:16

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