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 納骨の日は、澄み渡るような秋空だった。お寺で法要を済ませ、お焼香の残り香を漂わせた私は空ばかり見ていた。

見事な青空だった。雲ひとつなくて、ただただ青色だけが冴え渡っていて、宇宙が透けているような空。不純物が何もなくて、山の麓から湧き出る水みたいで、冷たくて気持ちがいい。新たに建立された父の墓石がそんな空に映えて静かだった。

 住職が念仏を唱えながら、塩や酒を墓石にまいた。ただの塩や酒が、魔法の粉や聖水みたいに舞い散って、綺麗だと思った。

透明に近いブルーの空に、念仏が吸い込まれていく。時折風が吹いて、卒塔婆がカタカタ鳴った。喪服に太陽の日差しが吸収されて、肩がしっとり温かい。

墓地がこんなに穏やかな場所なんて、知らなかった。私は眠ってしまうのではないかというほど、ふわふわとした心地で瑞々しい空の下、立っていた。

 

 七月に父が亡くなった。喉頭がんだった。

去年の冬にがんが父の喉を侵していると発覚した時、既にステージ四で、五年後の生存率は三十%だと言われた。

それから一年も経たぬ間に父はぽっかりと逝ってしまった。サスペンスドラマとかで、刑事が犯人を問い詰めるような、切り立ったがけっぷちから崩れ落ちるように、がらがらと父は死んだ。五十七歳だった。

 母は、がんの宣告を父が受けたときも、亡くなる一週間前に緊急搬送されたときも

「あの人は運がいいから、奇跡を起こすよ。なんだかんだ言って五年くらい生きるんじゃない」と笑った。

私は、たぶん、もうすぐ死んじゃうだろうな、長くても二週間だろうな、とぼんやりと、でも確実に思っていたので、それほど父の死に驚きはしなかった。

父が危篤になったと母から朝の四時に電話 を受けた時も冷静で、歯を磨いたり、顔を洗ったりして小奇麗に身を整えてから病院へ向かった。

 父と母は特別仲がよいわけでもなくて、むしろ私が思春期の頃は毎晩のように喧嘩をしていた。

父は無類の酒好きで、でも決してカクテルとかブランデーを傾けているようなタイプではなく、いかに多くのアルコールを搾取できるかどうかで、酒を楽しんでいた。だから毎晩のように酩酊していたし、財布もカードも数知れないほど失ったし、ボーナスも酒代に消えた。

私の記憶の中の父はいつも頬を赤らめていて、素面でいた時の思い出なんて片手で数えられるほどだった。母も私もなかなか苦労してきたのだ。

 だから、法要の度に父の遺影を眺めてわんわん泣く母に些か困惑した。お通夜も葬儀も、四十九日も百か日も、母はびっくりするくらい涙を流した。

母のハンカチは涙でぐっしょりと濡れていたので、私がパリッとしたハンカチを差し出すと、それもすぐにふやかした。

ハンカチって涙を含むとこんなに重たくなるんだと感心してしまうくらい見事に泣いた。

一体どこからそんなに水が溢れるのだろうとぼんやり考えた。そういえば人間のほとんどは水で出来ていたっけ、なんて思った。

父は入院していても持ち前の我侭をこじらせていた。

病院食は味が薄いからと醤油をどばどばかけてむさぼる姿や、病室に酒を持ち込んで、主治医と婦長に怒られる背中、泊り込みで看病する母に夜中にアイスを買ってこいと首元だけ動かして命令するあご。身体の全てから、汚い父らしさが蔓延していて、私は見舞いに行くたび、げんなりした。

私が母だったら、そんな男が死んだら万々歳だな、と思ってしまうほどの素行の悪い父。あんな仕打ちを受けてなお、あなたは涙を流せるのね、と母の寛大さに尊敬を通り越してあきれるほどだった。

私はまだ、一度も涙を流していない。父が目の前でこと切れたその時も、主治医に死亡宣告を言いわたされた時も、火葬場で焼けて、骨だけになった時も私の両目はくっきりと父の死という現実を切り取って、情報的に脳みそに焼き付けた。

父が死んだ。さっきまで生きていたものが、死んだ。ただそれだけ。一がゼロになった。それだけ。そんな風に感じていた。

父が死んでも世界は何事もなく周っていた。人々は買い物をしたり、電車に乗ったり、ご飯を食べて、お風呂に入って、眠っていた。当たり前のように、仕事に行って、当たり前のように家に帰る。人々の日常を父の死が脅かすことなどなかった。

人の死なんてそんなもの。数多の生物の中で、たった一人なんてそんなもの。でもきっと母はそうではないのだな。世のお父さんを亡くした娘たちもそうではないのだろうな。きっとおかしいのは私なんだろうな。ぼうっとそんなことを考えてずっと形ばかり喪に服していた。


百か日と納骨を終えて、私は自分のアパートへ帰った。

四十九日までは、親族をそれなりに呼んで法要を執り行ったが、父方も母方も年寄りばかりで、足が悪い者が多かったので、百か日は内内で行うことになっていた。母と私と父方の祖母。たった三人だけの納骨式は本当に、あっさり終わった。

式が終わり、近くのチェーンの飲食店で、一応法事用の食事を取った。

予めコースを予約していたが、それが思いの他、豪勢で品数が多く、びっくりするほど美味しくて、夢中で食べた。

刺身は鮮度がいいし、てんぷらの衣はさく さくだし、茶碗蒸しには銀杏がちゃんと入っていて、デザートにケーキとオレンジピールのシャーベットまで付いた。

お通夜と葬儀の時の食事が箸を置いてしまいたくなるほど不味かったから法事のご飯というものに期待などしていなかったので、心地のよい満腹感でいっぱいで、いい気分だった。

お墓を建てるというのは縁起のいいことだと言われているので、今回の美味しい料理たちはそれにとても見合っていた。

私は鼻歌でも歌うような軽い足取りで帰路に着いた。鞄から鍵を取り出して、スムーズに鍵穴に差し込もうとしたが、妙に手が強張ってもたついた。地面から、じっとりとした陰湿な黒い塊がじわじわと登ってくる気配がした。

私は急いで鍵を回し、部屋の中へ入った。そんなに高くないヒールの黒い靴を脱ぎ捨てると、どこかに引っ掛けたのだろうか、右足先のストッキングには穴が開いていた。その穴がどんどん広がって、引き裂かれてしまうような勢いで疲れが押し寄せてきた。

法事のたびに私を襲う死の疲れだ。身体が鉛のように重くなって、まぶたを開いていられない。私は化粧も落とさずに、何とかパジャマに着替えて布団に倒れこんだ。

重い。圧迫されるような、鈍い痛みのような疲れ。身近の人の死を知るものだけに訪れる黒い圧力。抗おうにも、もがくほど深みにはまるぬかるみのような底なし沼に、私はずぶずぶとはまって、次第に意識を失った。

   


目覚めると、部屋の中は漆黒の闇夜に染まっていた。電気をつけて、時計を見ると夜の十一時を少し過ぎたところだった。

玄関先で襲ってきた不穏な塊は、些か姿を消して、こざっぱりとした感じだった。

でも、壁に掛けてある喪服や、脱ぎっぱなしのストッキングなどが目に入ると、やはり どこかずっしりとしていて、気だるかった。

お昼をあんなに食べたというのに、私のお腹は妙にしんしんと冷えていて、空っぽで、空腹だった。

何か食べるものはあったかと冷蔵庫を開けると、まるで私のお腹の中を具現化したみたいに何も入ってなかった。

冷蔵庫のモーターの音が耳の中に響き渡って、いけない、早くこの空虚な空間に物を詰めなくちゃ、という気分になった。

私はパジャマにジャケット姿という出で立ちで近くのコンビニへ走った。

軽快な音と共に、自動ドアが開いた。自分の部屋とは打って変わって、煌々と光り輝く店内は目まぐるしいほどの商品で埋め尽くされている。こんなに沢山の商品一つ一つが、誰かに必要とされて、需要があるからそこに鎮座しているのだと思うと、君たちは立派だな、と言いたくなる。

私は何となく、店内をぐるっと周って、缶ビールとおにぎりを二つ、朝食用にと菓子パンをひとつ手に取った。

レジに立つ青年は、浅黒い肌をしている外国人だった。目玉がぎょろりと飛び出していて、拙い日本語で会計をしてくれた。

缶ビールをスキャンすると『年齢確認商品です』とアナウンスが流れて、浅黒い彼はそれを手早く承認した。

こういった時、ああ、自分は大人なんだなとしみじみ思う。

高校生の時に友達と、ハラハラしながら一本のチューハイを買った時の緊張感だとか、背徳感とか、そういったもの、もう感じられないし、感じたいとも思わない。流れるままに、気が付いたら、平凡にお酒を買っても文句を言われない年齢になっていた。

ベルトコンベアに乗せられた商品みたいに歳をとっていく。

こうやって人はどんどん死に向かっていくのだ。絶対にその流れからは脱することは出来なくて、必ず、終点がある。父にとってそれが五十七年目に訪れただけで、それを短いだとか、早いだとか思うのはちょっと違う気がする。生まれたときからその道の長さは決まっているのだ。運命とか宿命とか、そういった類のものと同じだ。不慮の事故に遭って突然亡くなる人も、災害に巻き込まれて命を落とす人も、その人の寿命を使い切っただけだ。

だから、どうしてこんなに若いうちに、どうしてうちの子が、とか悩む必要はない。なるべくしてそうなったのだと、私は最近思うのだ。

コンビニを出る頃には日付が変わっていた。日曜日の夕方に感じるノスタルジックな雰囲気が私は苦手だ。休みが終わってしまうことに粘着している人々の嘆きがあちこちに充満していて、べとべとする。いっそ早く月曜日になってしまえと思うので、日曜日というボーダーラインを越えられて、清清しかった。

街灯に照らされた夜道をするする抜けて自宅へ向かった。ポケットから鍵を取り出そうとすると、玄関先に大きな人影があった。私は小さくため息をついて、その人物に声をかけた。

「おい健一。人ん家の前で寝るなよ」

 酔っ払って、夢と現実の境をさまよっている健一を足先で小突いた。健一はのっそりと顔を上げると

 「水。いっぱいだけ」と言ってまた夢の世界へ飛んでいこうとした。私は彼の頬をぺしりと叩いた。

 「ドア開けたいからどけよ。水飲んだらさっさと帰るんだよ」

 健一は素直に頷いて、亀のようにゆっくり立ち上がった。

高身長の彼が側に立つと自分がひどくちっぽけな存在のように思えてしまう。

私は開錠して、部屋に彼を招きいれる。ちょっと頭を低くして、玄関をくぐる健一をじ っと見つめた。

   


 健一と出会ったのは四十九日法要の帰りだった。

私の住んでいる家と、母が暮らす実家はそれほど離れていなくて、法要を済ませた私は一度実家へ帰った。その時はまだ、お墓が建っていなかったので、遺骨を家まで運んだ。 

まだ五十代だったからなのか、もともと骨がしっかりしていたからなのか分からないが、とにかく父の遺骨はみっしりと詰まっていて、重かった。

亡くなる直前目にした父の姿はひょろひょろに痩せていて、ぽっきり折れてしまうような危うさを纏っていた。でもその皮の下に、こんなにも重密な骨たちが存在していたのだと思うと、人間というのは案外がっしり作られているものなんだな、と思った。

 四十九日でも、四六時中涙していた母と、紅茶を飲みながら他愛ない話をした。

「沢山泣いたのだから、水分を補給しなくちゃ」

そう言って母は熱々の紅茶をごくごく飲んだ。

白い湯気が、母の頬に触れて、まだ泣いているかのように見えた。

 母は喪服を脱いで部屋着に姿を変え、夕飯を食べていったらどうかと聞いた。

 「ひとりだとなかなか作らないものね。せっかくみっちゃんがいるんだから、今晩はお母さんがんばって作ります」

 そう意気込んでいる母に、いえ、帰ります、なんてこと言えず、私は喪服姿のままで、母の作った夕飯を食べた。母の手料理を食べるのはいつぶりかな、なんて思いながら、全体的に薄味の手料理を口にした。

 父は母の料理が嫌いだった。酒飲みだから、とにかく味の濃いものが好きなのだ。母の料理はどこか管理栄養士が作ったような感じがして、分量もきちんと測って、見た目も料理 本に載っているような彩を意識したものだった。

私が実家にいた頃は、まだ、三人で食卓を囲んでいたが、私が家を出ると、父は自分の食事は外で済ませたり、コンビニ弁当を買ってきたりして、ひとりで食べるようになった。

それでも母は、父が食べるかもしれないと、二人前必ず作って、結局口にしてもらえず、二人分自分で食べていた。

私が家を出てから、母がどんどん太って、ジムに通おうと思っているのと耳打ちされた時、思わず「食べる量減らせば? 」と露骨に変な顔をしてしまった。

父を亡くした後の母の手料理はどこかほろ苦い。寂しさとか、懐かしさがいっぱい詰まっていて、食べているのにちっとも満たされなかった。

食事を終えて、実家を出る頃、夜はとっぷり更けていた。私は何だか夜風に吹かれたくて、歩いて自宅へ向かった。

アスファルトに、街頭の光が伸びて、そこをカツカツと黒一式の姿で通るのが小気味良かった。

車が吐き出す排気ガスも、人々の織り成す雑踏も、全てすぱっと両断してしまうほどの鋭さがその時の私にはあった。刃の切っ先のような冷たい切れ味が私に触れた人を切り裂くだろうと思った。

だから、自宅前のゴミ捨て場で、漫画みたいに潰れて眠っている健一を見つけた時、この小汚いものを何とかして、綺麗さっぱりさせなくてはいけないという一種の義務感が生まれた。

私は酔いつぶれてどろどろになっている青年に声をかけて、自室に運んだ。

ソファへ横にして、水を持っていくと、彼は砂漠をさまよっていた旅人のように一気にそれを飲み干した。

切れ長の瞳が、私を捉えて、青白い顔で小さく頭を垂れた。黒く癖のある髪の毛が揺れる。

身体の大きさのわりに幼い横顔を見つめて、もしかしたらこの子、未成年かも、と思っていると、何を思ったのか彼はふらつく頭で、でもはっきりとした口調で

「別に襲ったりしませんよ。俺ゲイだから」

 と言った。

 告白したわけでもないのに、振られてしまったような気分だった。

私が面食らっていると、健一は蕩けそうな瞳でソファに崩れ落ち、そのまま眠ってしまった。

翌朝、私は自分のベッドで目覚めると、ソファに他人が眠っていることに少し驚いた。そして、ああ、そういえば拾ったんだっけ、と子猫でも連れ帰ったような心地になった。

少しして目を覚ました健一にコーヒーを差し出すと、素直にマグカップを受け取って、大きな両手で包み込むみたいに口をつけた。

恐る恐る年齢を聞いて見たら「来月十六になる」と言い、ということはまだ十五歳かよ、と冷や汗をかいた。

骨格が良くて、背も高いので、大学生くらいかと思っていた。大変なことをしてしまったかも、と嫌な汗が止まらなかった。

それからというもの、健一は野良猫のように、たまにふらっと私の家にやってくる。

泥酔している時もあるし、意識がはっきりとしている時もある。平日の夜に現れたり、休日の昼に寄ったり、実に気ままだ。

健一が来ると、私は彼を部屋へ上げ入れる。そして、特に何をするわけでもなく、同じ空間で同じ時間を過ごすのだった。

   


「健一、嫌なことあった時、酒に走るの止めな。うちのお父さんみたいになっちゃうよ」

ソファでぐったりしている健一に水を差し出すと健一はショットを飲むみたいに一気にあおった。

「いいんだよ。俺、三十で死ぬから。子孫 とか残せる身分じゃないし、さっさと終わらせるよ」、

健一は自棄になってこんなことを言っている訳ではないということを私はちゃんと分かっていた。

私は父を亡くしてから、死の香りに敏感になっていた。

私たちの日常のそこかしこに、死の気配はあって、その片鱗を最近私はよく感じる。でも、普通に生きている人たちはそれに気が付かない。気が付かないふりをしている人もいる。それが正解だとか、賢いだとか、そういうのは人それぞれだと思うけど、見えるものを見ないように避けるのはやっぱり駄目だと思うのだ。

明るい未来しか信じて止まない者たちがはびこる世の中で、健一はしっかり死と向き合っていた。

「終戦記念とか、3.11から今日で何年です、とか、あれってずるいよね。その時だけ、死を思い出そうとしてる。違うんだよ。本当は死っていうものは常に近くにいるんだ。それがたまたま何かがポンって破裂して、多くの人が死んだりするとすごく嘆く。そんな破裂がなくても、この世界では人はどんどん死んでるのに。そのことに多くの人は触れないし、気付かない。でもたまに思いださないといけないって胸がもやもやするから、あれから何年とかって取り上げるんだ。ずるいよ。美味しいとこ取りっていうか。そういうのは悲しむくせに隣に住んでる八十代のばあちゃんが死んだりしても世界は何も変わらないってのが虚しい」

幼さが残る横顔から発せられる、真っ直ぐな言葉が私の芯を貫いた。

私は父の死というきっかけがあったから、それが痛いほどわかるけど、どうして健一はそんなに死と向き合えているのだろう。私は彼のどこか悟っているような、諦めているような雰囲気がたまらなく愛おしかった。

「三十一の時に、運命のようなメロドラマが始まるかもしれないよ。情熱的で、永遠をも思わせるような相手が現れるかも」

私は、缶ビールを傾けながら、呟いた。

 「みっちゃんは本気で人を好きになったことないからなあ」

健一は、空のグラスを机に置くと、両腕を組んで眉根を下げた。それは私に対する哀れみや、情けを含んでいた。でも、健一のそれはちっとも私を惨めにさせなかった。

彼は絶賛失恋中だった。ずっと昔から好きだった幼馴染に彼女ができた。健一は自分の気持ちを胸に秘めて、彼を祝福したそうだ。でも、好きな人の幸せを素直に願うことが出来ない自分に腹を立てていた。

「好きな人が自分を好きになってくれるってすごいことだよな。それが同性ならもう奇跡に近いよ。俺みたいなやつは、妥協するか、なりふり構わず行動するしか愛し合うことなんて出来ないんだ」

ため息を漏らす健一の吐息が部屋に広がる。

「私は異性愛者だけど、そんな気持ちで誰かと付き合ったこと、一度もないね。周りで結婚している子もいるけど、本気で愛し合っているなって思う人たちって本当に少ない。子供が出来ちゃったとか、そろそろいい歳だから、って投げやりで婚約結ぶ人ばかり。だから健一ってすごいなって思う。そういうのないじゃん。本当に、本気で、性別の垣根越えてその人のこと好きなんだもの。かっこいいよ。私には同性愛のことは分からないけど、でも健一は立派だ。正々堂々として自分に忠実でかっこいい」

健一は瞳を三日月のように細めて、ふんわり笑った。薄顔の彼が笑うと、恵比寿様みたいに目じりが下がって、本当に、心の底から笑っているように見える。

私は健一の笑顔が好きだ。心の底からじわっと幸せの蜜があふれ出る。

「フレディーマーキュリーみたいにエイズですぐ死なないでね」

私の発言に健一は首をかしげ

「フレディーって誰? 」

と言うものだから、ああ、健一ってまだまだ無知で若いと思い知らされるのだった。

   



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