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第2章 自己形成の過程

アルベド・シリーズの構成

 

 アルベド・シリーズは、今のところの予定では『自己形成の過程』『アルベド侵入』『狭き門』『存在の原理』『女性の本質(仮)』の全五巻によって構成するつもりでいる()。その内容を大雑把に紹介するならば次のようになるだろう。

 

※ 実際に書かれたのは『自己形成の過程』『アルベド侵入』のみである。ただし『狭き門』は、第二福音書の「座標8,9 恩寵の原理」に対応しており、また『存在の原理』は第三福音書の「座標9 アルベド」の内容に対応している。残念なことに『女性の本質』だけは、構想のまま、未だ私の頭の中にある。したがって、読者にあっては、これ以降の内容を、話半分で聴いてほしい。

 

 

(1)『自己形成の過程』

 

 本書。アルベド(浄化)に辿り着く寸前までの過程。教育、自我の確立、アルベド侵入の順で進展していく。

 

 

(2)『アルベド侵入』

 

  自己形成過程の後半、アルベド侵入の内容を詳しく展開する。

 

 

(3) 『挟き門』

 

 アルベドと主体を合一させる、自己放棄と恩寵のメカニズム。あるいは、挟き門を通れるほどの、小さな自分となるためのメカニズム。

 

 

(4) 『存在の原理』

 

 神秘体験としてのアルベドの内容を紹介する。

 

 

(5) 『女性の本質』

 

 男性原理と女性原理の関わり合い。女性原理の頂点としてのアルベド。

 

 

 こうした諸書によって構成されるアルベド・シリーズであるが、その第一巻となる本書『自己形成の過程』では、私たちがアルベドに達するまでの過程を、そのゴール寸前まで迫っていくことになる。そして、その過程の内容となるものが、題名どおりの"自己形成"なのである。これについて少しだけ詳しく見ていくことにしよう。

 

 


根底にある自己信頼

 

 私たちは自己形成によって、ある限界点までアルベドに近づき、その限界点に達すると、今度は"恩寵"によって、アルベドに到達する。この恩寵の場面こそが第三巻における主題なのであるが、これについての詳しい叙述は、当然のこと第三巻に譲ることになる。


 ともかく私たちは「自己形成」と「恩寵」の両輪によってアルベドに到達するのであり、本書の内容となる[自己形成」は、その第一歩からゴール寸前までを貫く重要な過程なのである。


 ところで、この自己形成という概念の最も根底にあるのは"目己信頼"である。もしくは、自己形成というものが成立するための、その最も本源的な根拠となるものが、かかる"目己信頼"であると言うべきだろうか。


 そして自己信頼とは、すなわち、


「自分という存在が、一定の価値を持っているという信頼感」


「ゆえに、努力を払えば、その努力の分だけ報われるという信頼感」


 のことであり、これがあるからこそ人間は、自己を形成するための努力に対し、その活力を湧き出させることができるのである。


 したがって自己形成とは、結局「自己信頼を根拠にして実現し得る努力と成長」ということになるだろう。成長とは努力に対する報酬のことである。

 

 


過程の内容

 

 そして、かかる自己形成は、その内容として「混在 → 分化 → 総合(の寸前)」という過程を見せることになる。つまり-―

 

(1)混在から分化へ

 

 さまざまな要素が入り混じった混在的一体性から、やがて各々の要素が分離し始め、その分離によって、その各々の要素が自分独自の特徴を露にする。

 

(2)分化から総合へ

 

 分化によって露になった特徴によって、各々の要素にとっての適材適所が決定づけられることになる。そして、この決定づけを実際に布置(配置)することによって、ここに混在とは異なった、整理された一体性が現出する、ということである。


 そういう訳で、自己形成の過程の内容を最も簡略に示すのが、「混在から分化へ、分化から総合へ」という言葉なのだが、その過程の到達点である総合こそが"アルベド"に他ならない。そして、それは存在し得る最も包括的な総合であるとも言えるだろう。アルベドとは、無限の要素を一一つに総合することだからである。古来よりアルベドの内容を、全にして一(古代ギリシア)とか、全即一切(華厳経)などと言い表してきたのが何よりの証拠ではないだろうか。

 

 


説述範囲の限定

 

 ただし、かかるアルベドそのものに参入するためには、どうしても、その最後の最後に「恩寵」の恵みに浴さなければならない。先にも言ったとおり「自己形成(※)と「恩寵」が組み合わされることによって、初めて私たちはアルベド自体に到達することができるからである。


 ということは、本書においては「混在から分化へ」の過程は問題なく描かれるし、また「分化から総合へ」の方向性も示されるが、その記述はどうあっても途中――ほとんどゴール寸前の"途中"であるが――までのところで終わってしまわざるを得ない、ということである。よって総合そのもの(アルベド自体)についても、まったくの範囲外として、その考察を切り捨てざるを得ない。


 こうした範囲の限界性があることを前提にして聞いていただきたいのだが、本書の構成は、第一部において「混在から分化へ」の過程を、第二部において「分化から総合へ」の過程を描くことになる(※※)。このような指摘をすることによって、読者が本書に踏み迷わないための一助となるならば何より幸いである。

 

※やや専門的なことであるが、本書で"自己形成"と語られている際の"自己"には、ユング心理学における中心概念である[自己(=セルフ、のニュアンスは含まれていない。錬金術においてセルフにあたるのは「ルベド」であり、それゆえ、この「アルベド・シリーズ」では、これについて語られることは一切ないのである。

 

※※第二巻『アルベド侵入』は、この第二部の内容を拡大したものである。

 


第3章 図版の解説

 

把握と行動

 

 人間は、その実生活を成り立たせるために、


「私とは何者か、また私が属しているのはいかなる世界か」


 という根源的な問題に対して、知らず知らずのうちに解答を与えている。


 それは言語的に表現できるような解答でないことのほうが多いし、また哲学的真理としての解答ではまったくないが、それでも各々の人間にとって一つの真実ではある。


 たとえば、生まれて間もない赤ん坊でさえ「何も分からない世界、何もできない自分」を前提にして、自分が「誰かが自分を庇護してくれるべき世界」に属していることを解答づけている。

 

 もちろんそれは無意識的な解答であるが、もう少し成長して小学生にでもなれば、もっと自覚的に、複雑な自分のありようを捉えられるようになるだろう。すなわち、周りの意見に逆らえない自分、とか、やたら強制的な世界(=周囲の人々)とか。あるいは、素直な表現をすることができる自分、とか、協調性に満ちた世界、とか。


 そして、その自己規定、世界規定が、彼の行動のパターンを実生活に導き出す。


 つまり彼は「そのような自分であり、そのような世界に存しているのならば、かかる私は何をすべきか」という問題に彼なりの解答を与えるのだ。赤ん坊だったら「泣くことで自分の気持ちを伝える」といったことをするだろうし、また、先の小学生ぐらいならば、「嫌々ながらも周りに従う」とか「包み隠さず自分の気持ちを表情に表す」といった解答があり得るだろう。


 こうしてみると、そこには「自己像、世界像の把握」から「その把握された自己・世界像から導かれる行動パターン」という流れを設定することができるように思われる。

 

 


軸の図版について

 

 ところで、世界やそこに属する自己について、私たちはそれらを空間的、時間的にしか感覚することができない。つまり時空としてしか、それらを把握することができないのである。


 日常的な世界についてはもちろんのこと、アルベド(自体)のような日常を超越した世界ですら、広義に言えば空間的であるし時間的である。アルベドは無限にして永遠の世界であるが、無限は空問の極限的理念であるし、永遠は時間の極限的理念なのである。


 もっとも、これを逆にして言えば、私たちは、世界やその世界に帰属する自己に対して、一貫して「空間的に知る」ことと「時間的に知る」ことができるということになる。


 そこで私は「自己・世界像の把握」の内容を描くために二つの視角ポイントを提起したい。つまり「空間軸」と「時間軸」の二つである。これらを軸点にして私は対象(自己・世界像)を眺めてみたいと思うのである。


 そして、この二つの視角ポイントに加え「自己・世界像から導かれる行動パターン」を眺めるため、三番目に「倫理軸」を加えることにしよう。倫理とは「私は何をすべきか」という問題意識に解答を与えることである。


 したがって、ここに「空間軸、時間軸、倫理軸」という三つの軸点が揃った訳だが、これを視覚的に表現したのが[軸の図版」たる、図版Iである(図版I参照)。

 

 

 


段の図版について

 

 ただし、世界は一つであるにもかかわらず、私たち一人ひとりの人間が見ている世界は、まったくもって一様のものではない。先ほど挙げた赤ん坊と小学生の例にすら、厳然たる世界観の相違が存していたのだから、まして大人と子供、男と女、あの国の人とこの国の人においてや、であろう。


 このようなことが起こるのは、各々で異なった人の心が、その心に見合った映像としての世界を見ているからである。こうした世界像の多様性は、各人の性格、性状的な違い(平面的相違)によっても作られるが、本書においては各人の心境によって変わる(垂直的相違)世界観のみを考察することにしよう。

 

 というのは、人間の性格や性状は、細かく言えば全人類において相違を見ることが可能なので、それについて語るとなると、いかなる厚みの本であっても、とうてい収拾をつけられなくなってしまうからである。


 その点、取り扱う範囲を心境に限ってやれば、問題はほぼ完全に解決が着いてしまう。心境の違い、あるいは心境段階の違いには明らかに人類的な統一性があるからだ。それをたとえるならば、どのような地域であれ、小学、中学、高校、大学、という統一された段階がある、我が国の教育システムにも似ているだろう。また、名前は違えども、世界各国に同じような教育システムがあることも周知の事実である。


 そして、私が提示する心境の段階は「混在的一者、教育、自我の確立、アルベド侵入、アルベド(自体)」の五つである。それぞれの内容については本文を見てもらうしかないが、大まかに言えば「混在的一者、自我の確立、アルベド」が、自己形成過程における「混在、分化、総合」の三点に当てはまり「教育の段階、アルベド侵入」は、その過渡的状態であると説明できるだろう。


 なお、これを視覚的に表現したのが「段の図版」または「心境段階の図版」たる、図版Ⅱである(図版Ⅱ参照)。

 


正図版について

 

 さて、こうして私たちは対象を眺めるための視角ポイント(軸)と、考察の段階(段)的な書式を得ることができた。そして、これら二つの要素(軸と段)を重ね合わせたものこそが本書の内容なのであり、これを視覚的に表現すると、正図版たる図版Ⅲの形となる(図版Ⅲ参照)。

 


 この正図版こそ、目で見る本書の全体像であり、極言すれば、本書の内容とは、結局この正図版を解説したものに過ぎないのである。事実、私は正図版を見ながら執筆を進めていたぐらいだ。


 それだけに、この正図版を順に入れておくと、本書の内容を自分のものとするに際して非常に便利なはずである。また、どうしても平板になってしまう"文章による表現"を、頭のなかで立体的に組み立てる際にも、この正図版は大いに役立つだろう。

 

 


実用図版について

 

 しかし、いかにも整然とした正図版は、実際に本文と照応させていくと、どうしてもいくつかの場面で不整合を生み出すことになる。そうした問題を解決するために作ったのが実用図版たる図版Ⅳ(図版Ⅳ参照)なのだが、当然の帰結として、やや雑然とした代物となってしまった。

 

 
 しかし、本文の内容とは、こちらのほうが確かによく一致しているし、またこの実用図版を眺めると、本文の文章的構成が視覚的に理解し得るものになる。つまり、それぞれの心境段階において、


「まず空間軸と時間軸の内容が紹介され、次にその二軸を合成した時空(=世界)の像が示される。そして、その時空像、世界像から、倫理軸における行動パターンが導出されることになる」


 ということである。特に教育の後期、自我の確立などは、このような文章構成の典型だと言えるだろう。
 ――以上、三章にわたって、本文を理解するために必要な基本概念を紹介し、それを視覚的に整理してきた。それでは、いよいよ自己形成の過程についての考察に入るが、その始まりは、すべての出発点となる「混在的一者」についての描写である。

 

 


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奥付



【2018-12-08】アルベド1 序説と混在的一者


http://p.booklog.jp/book/124929


著者 : 正道
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/seidou1717/profile


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