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ジーン編17

 療養所の、白い壁の西側の空き地でジーンと喋っていて、オレは気づいた。

 オレは、ジーンの事を何も知らないのだ。ジーンは、オレの命の恩人。オレは、それ以上に、考えてみた事が無かった。

 

 ジーンは、涙を袖でぬぐった後、――口を開いた。 

「ごめんなさい、わたしの事を何も言っていませんでしたね。わたしは、脱走に成功した、奴隷。……意味がわからなかったら、家畜と思えばいい」

 

 

「奴隷?」

  オレは目を見開いた。

 書物にそういう制度のある国がある、という事が書いてあって、それしか、知らなかった。

 

「わたしはシールズ帝国の、奴隷だったんだ」
 ジーンは、オレをまっすぐ見て、言った。

 「東の方の国が、戦争に負けたんです。だからわたしは、小さい頃からシールズ帝国の奴隷として、主人に使われてきたの。もう謝るのがクセになっていて、そこはごめんなさいね。こうやってしつけられたんだ。今更変えられないです。ごめんなさい。そしてわたしは」
 ジーンはひと呼吸置いて、続けた。

 

「その主人が、病気のうちに脱走しました。旅人風の男装をしてね。シールズ側の門の兵士を、よくごまかして通れたものよね。バレないように、必死だった。偽の身分証明書も造ったんだ。他にも脱走した奴隷はいたけれど――どうなったんでしょうね。どうでもいいよね」
 

 ジーンは、悲しく笑った。暗くてもわかった。

「この村を見つけて、自分はもう奴隷でなくなった、一般人になった、と思ったんです。でも現実はそうじゃなかった。この村でも、外人はやっぱり外人よね。……望まない仕事について、今でも奴隷みたいに昼夜働くのよ」
 ジーンは、横を向いて、もう一度涙をぬぐった。

 

 オレは、冷静を装って、言った。

「城塞都市の方がマシって聞いたけど、なぜここで働いてるんだ?」


「マシなだけよ。そんなに変わらないの。それに、差別はマシだけど、国境から離れてるからそれだけ外人が少ないし、背の高いわたしは目立つ。目立ったら、どうなるかわかるでしょう? ここは、ワケありの外人の潜伏場所にちょうどいい。ワケありがいっぱいいるからね」

 

 それは突然だった。
「おーい、ジーンの姉ちゃん、聞こえてまっせ」
 なんと、木の上からするするとガイが下りてきた。あいつは何をいつもやっているんだろう。ヒマなんだろうか。オレたちの話は、聞かれていた?

 

「なに、二人でランデブー? ははは!」
 ガイの影が近寄ってくる。なんだかガイがとても小さく見えて、切ない。

 

「すみませんけど、そうやって軽く考えないでくれないかしら。ただキャメルさんと、お話をしていただけです」

 ジーンは、そう主張した。

 

 ガイの影が狭い空き地に立つ。月の光を受けて黒い肌が光る。

 

 ガイは、口を開いたように見えた。

「そんな夜に話って何? デートにしか見えねえけど。キャメル、お前って変わった奴だなあ。本当、女に興味ねえんだな。俺だったら即自分のベッドに招待するぜ。お前以外の、女に興味無いって言ってる奴には近寄らない方がいい。そいつは嘘つきだから。女に興味ねえって言う奴は詐欺師みたいなもんだ、ははは! なんで人殺しのキャメルさんがそんな平常心そうな顔でいられるかわかんねえや!」
 

 ガイは、腰に手をあてて笑ったが、オレは、確かにそうだな、と思った。言われるまで気づかなかった。ジーンとこんなに近くで話しているのに、ベッドに招待だの、そんな感情がオレには無い。ただ、恩人だとは思っているけれど。

 恩人? 恩人って、何だろう。

 

「ガイこそ、わかんねえよ」
 オレは本心を言おうと思ったが、その本心がよくわからなくて、迷ったような言い方になった。
「ジーンが……オレの家まで訪ねてきたんだ。食うパンが無かったから、……療養所にならあると思って、ここへ来ただけだ」
 とりあえず、オレは腕を組んだ。オレは腕を組むのが好きだ。何だか、安心できる。格好もつく。

 

「へえ、訪ねてきたの。ジーンの姉ちゃん、やるなあ! ははは」

 ガイは影を大きく動かして、笑った。
 

 ジーンはガイの方を向いて、ひとつに結った髪を手で後ろへやった。

 「そうやってあなたの好きな方向へとらないでくれない? わたしは心配だっただけですよ。ベッドに招待だって? 軽い男よね」
「え、何言ってんの? 要するにだ、キャメルが心配だったから会いに行ったんだろ。面白すぎ」

 夜でもわかるくらいに、ガイは手を叩いて面白がった。

 

「じゃ、あなたはどうなのよ? すみません、ガイさん」
 ジーンは口に手をあてて、吹き出すように笑った。
 ガイが大げさに動く影を止めた。

 

 ジーンが、ガイを嘲笑って言った。

「あなただって、キャメルさんが心配だから療養所へ来ていたのじゃないの? かごに採ったばかりの食べ物をこぼれんばかりに入れて。毎日毎日盗品持ってきて話しかけて。今も、なぜ突然現れたのですか? キャメルさんを守りたいからでしょう。やってる事、同じじゃないの? 違っていたら、ごめんなさい」

 

 ガイは、目をますます丸くした。腕を組んで、ジーンを見上げた。
「はあ、何言ってんだ? 俺は家ねえから、ここらへんの木の上で寝てるだけだけど。再建する金もねえな! こっちはこっちで、大変なんだよ。ジーンの姉ちゃんなんかにわかるかい。去年の火事で、家無くしてさ。酒を買う金もねえわ。キャメル、お前のところによく来てんの何でかわかる? 浮浪者だから。もう家の無い浮浪者だからさ! ははは!」

 

「ガイ……もう、お前の家、ねえの?」

 オレは、あっけにとられて言った。今でも、オレはしっかり覚えている。村の南端、あの木造の、石段のある家。そこで、ガイと出逢った事。放火犯の父と戦った事。――その家が、もう無いというのだ。

 

ガイが、耳のあたりをかきながら言った。

「キャメルよお、当たり前だろ? 木の板でできた家に、火がつきました。ボーボー燃えました。さて、どうなりましたか。普通は、無いだろよ!ひひひ!」

 

 オレは、ガイの家が本格的に燃える前に、油の中に落ち、そこから後の記憶がもう無い。それからは療養所暮らしだった。

 知らなかったのだ。あの家がもう、まったく無いなんて。

 

 ガイは、何でもなかったように続けたから、オレは切なかった。

「さて、家もねえし、金もねえや、ははは!――どっかに落ちてねえかな。でも俺はもともと自給自足の生活が好きだ。小さい頃から不思議な宝石みてえな色の虫集めたり、森の中で寝るなんてもう普通だ。川で泳いだり……家なんか無くても、俺はやっていける。ここの空き地のそばの、木の上に住んでるのさ。それをランデブーで邪魔しやがって! 何が言いたいか、わかる?」

 

「いや、わからないけど」

 オレは、正直に答えた。

 

「なんだよー、キャメル、わかれよ。ははは! ……俺ね」

 ガイは、喋りながら動かしていた手を、急に止めた。


この本の内容は以上です。


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