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目次

<目次>

 

 (1) 消えた中国人

 

 (2) つくばづくしの美味しい秋

 

 (3) エスカルゴにカラスミそしてからし菜

 

 (4) 「田舎」自慢

 

 (5) ありきたりの言葉で


(1) 消えた中国人

 

 GOKUがまだつくばに滞在している時のことでした。

 

 我が宅と同じ道筋にあるマンションの前に、一人の体格のいい男が立っていました。

 GOKUが公園に行きたいというので、私はGOKUの手を握って、歩道を歩いていました。そして、マンションの前に立っていたその男に挨拶をしたのです。

 

 向こうも、GOKUの姿を見て微笑んで、挨拶を返してくれました。 

 何ということもない、ありふれた光景です。

 

 公園でのひと時を終えて、同じ道筋を戻ってくると、あの男はまだ立っていました。

 誰かを待っているようなそぶりです。マンションの前にはトラックが停まっています。引越し業者のトラックです。

 さっきと同じように挨拶をして、自宅に向かっていると、自宅のちょっと先にある駐車場から三人の男女、男一人、女二人が出てきたのが見えました。

 

 GOKUが、先ほど、私がしたのを真似して、この三人の男女に挨拶をしたのです。

 

 しかし、この男女は、それに反応しません。

   そればかりではなく幼な子のありようにも見向きさえしません。

 そして、あのマンションの前に立っていた男に手を振り、大きな声で叫び出しました

 

 あ、中国の方だと、その巻き舌がはっきりとわかる北京の言葉を耳にして、私は振り返ったのです。

 

 夫婦とその娘かしら、私がGOKUの暮らすゴールドコーストを尋ねるように、我が子に逢いに、北京からやってきたのかも知れないと、私は想像したのです。

 

 数日後、例のごとく、GOKUと一緒に公園に行った帰り道、あの三人の中国人に出会いました。

 歳のいった女は自転車を引いています。男はその横を、そして、若い女はスマホに夢中で、時折、前をちらっと見ながら歩いていました。

 

 私もGOKUも、そういう時は、挨拶をする習慣がありますから、それに、私たちにとっては初めての見も知らぬ通行人ではないのです。

 ということは、向こうからしても、私たちはつい先だってすれ違った近所の人であるはずなのです。

 だから、私とGOKUは、すれ違うときに、声をかけましたが、この三人の男女はうんともすんとも言いませんでした。

 

 GOKUが幾分怪訝な顔をしています。

 しょうがないよ、日本語がわからないんだからって言ったものの、ちょっと気分が滅入るような反応でした。

 

 GOKUが暮らすのは、コアラの国、ゴールドコーストのロビーナ地区、そこに私が滞在するとき、私は朝晩、ときには昼間にも散歩に出かけます。

 同じ年代の方とすれちがったり、高校生らしき青年が自転車で道を走っていれば、声をかけたり、ときには、目で挨拶をしたりするのを常としています。

 もちろん、向こうも、私に対して、反応をしてくれます。

 深い付き合いにまでは至りませんが、それでも、立ち話をしたり、名前を交換しあったりすることもあるのです。

 

 二度目に、道端で合えば、お互いに交換しあったファーストネームで声をかけて、再会を喜んだり、短い時間ですが、世間話をしたりします。

 ですから、私は、ロビーナでの散歩は殊の外楽しく思っているのです。

 

 でも、つくばの我が宅のそばに、どうやらしばらく滞在しているこの三人の男女は、そのようではないらしいのです。

 

 実は、どこに住んでいるのかわからないのですが、インド系の家族も我が宅の歩道を自転車に子供を乗せて、ときには母親が、ときには父親が通り過ぎるのです。

 たまに、ガレージで片付けをしているとき、出会うことがありますが、こちらが挨拶をしない限り、向こうからはしてきません。

 二人とも、怖い顔をして、何気に通り過ぎていくのです。

 

 救いと言っては何ですが、自転車の後部座席に座っている四、五歳の女の子が、そんな私に微笑んでくれます。

 実に、可愛げな微笑みです。

 

 近所にあるインドレストランのインド人、あるいはネパール人かも知れませんが、彼らは愛想もよく、人見知りをしないのですが、我が宅の前を通り過ぎる彼らは、例の中国人と同じように無愛想なのです。

 私がオーストラリアでやることとは反対に、彼らはあえて「接触」を拒んでいるのではないかと感じてしまうのです。

 

 日本は、これから、外国人で、この国で働く人々が増えるようになるようです。

 人手不足は、目を覆うばかりです。

 日本人だって働きたいのに、外国人に門戸を開くとは何事かと息巻く意見もあるようですが、欧米がそうであったように、汚い、きつい仕事を、日本人は求めなくなってしまっているのもまた厳然たる事実なのです。

 日本人の労働環境も、私たちの時代とは大きく様変わりしています。

 日本人が働く環境は、こちらがそんなんで大丈夫なのと心配するほどに、改善が進んでいます。副業可能、在宅勤務可能、パワハラにブラック撲滅と、ますます良い方向に向かっているのです。

 ですから、それと反比例するように、アジアからの労働者の流入は必然的な流れの中にあるものと思われるのです。

 

 あれから二週間ばかりした頃、私は、あの北京からきた中国人を一向に見かけないことに気がついたのです。生活していれば、買い物に出たり、散歩したり、家で仕事をしている私はどこかしらで出会うはずなのですが、そうではないのです。

 

 北京に帰ったのかしら、それにしても、あの体格のいい青年の姿も見ることがない。 

 これは不思議だ。

 

 もしかしたら、何かあったのかと、ことを拡大解釈して、楽しむ癖が出てきました。

 

 何を拡大解釈したっていうのかって。

 彼らは中国政府からの、つくばの研究施設から機密事項を盗み取るスパイで、無事仕事を終えて第三国に逃れてしまったっていうような拡大解釈です。

 

 自分で自分の拡大解釈を振り返ってみても失笑してしまいます。

 

 そう思われたあの中国人たちも困惑することでしょう。

 そうではなくて、私がそうであるように、子供の日本での生活を見に、久方ぶりの親子四人、水入らずのひと時を過ごし、親子三人は日本にもどり、体格のいいあの青年はどこかに転居しただけなんだと。

 

 待てよ、中国は一人っ子政策をついこの間までやっていた国、兄弟が二人なんて怪しい。

 

 再び、私の拡大解釈が頭をもたげてきました。

 やはり、彼らは臭い輩に違いないって。

 

 もはやキリがなくなりました。

 


(2) つくばづくしの美味しい秋

 

 秋になると、卓球仲間が色々なものを持ってきてくれます。

 

 みなさん、あちらこちらに「秋の行楽」に出かけるようで、かの地のまんじゅうにクッキーと、私など、つくばに居ながらにして、広島の味を、会津の、そして、四国は松山のそれを堪能できるのですからありがたいことです。

 

 地元で生まれ育った人は、ほぼ、例外なく有り余るほどの広い土地を持っています。

 私のように、東京から転居してきた人間と、そこが大きく違うところですが、その彼ら、自宅の畑でできた色々なものを折々に持参して、それをおすそ分けしてくれるのです。

 

 きゅうりに白菜、大量のブルーベリー、甘酢で漬けた梅、ゆずにみかんと、自宅の庭になったものを収穫して持ってきてくれるのです。

 それも、皆が持って帰りやすように、ビニール袋まで用意してくれるのですから、人の良い方達なのだとつくづく思うのです。

 ですから、こちらも、たまには団子や飴玉を買って持っていくのです。

 

 スポーツをしていると甘いものが疲れをとりますから。

 

 先だって、新しく参加した女性がちょっと大きめの封筒に入れたものを、皆に、このままレンジでチーンして、などと言いながら渡していました。

 私のところにもやってきて、そう言います。

 そのゴツゴツしたものが入っている封筒の中身を見ると、そこには銀杏が入っていました。

 

 昔、東京は竹ノ塚にいた頃でした。

 まだ元気だった両親が、私の幼い娘たちに会いにやってきて、四人で、近くの氷川神社で銀杏拾いをしてきたというのです。

 すっごく臭かったと二人の娘が鼻をつまんで、帰宅した私に言ったあの表情を、体育館の片隅で思い出したのです。

 

 スーパーでは、確かに、この銀杏売っているのを見たことがあります。

 でも、茶碗蒸しを作るわけではないし、それを炒って、ペンチであの硬い殻を潰して、食べるのも億劫だと思い、買ったことはないのです。

 

 和食の料理屋で、その手の料理に、一個二個と入っている、あの黄色い粒を食したことがあります。

 弾力があり、なんというか独特の感触です。

 味は、なんと言ったらいいのでしょうか、ほのかに竹の香りがして、そして、ちょっと苦さを感じる、そんな感じなんです。

 

 先だっての日曜日、筑波大学の構内をロードバイクで三周しました。

 だいたい、一周が5キロです。

 日曜日の構内は、バスも、学生たちの車も極めて少なく、ロードバイクを思い切り乗り回すのは格好のコースになるのです。

 構内には、多種多様の樹木が植えられていますから、この季節、紅葉は見事なものとなります。特に、北の一角には銀杏の並木があります。

 そこを走っていると、ここはGOKUのいるゴールドコーストのロビーナかしらって錯覚をするほど日本の風景からはほど遠い雰囲気なのです。

 車のいないことをいいことに、カーブなどスピードを落とさず、体をひねり、左足を開いて、バランスをとりながら曲がるのですが、その時、ちょっとタイヤが何かをこすって、滑ってしまった感触を受けたのです。

 それが、銀杏の木から落ちて、道に枯れ葉と一緒に転がっていた熟した銀杏であったのです。

 

 私、ちょっと鼻にくる匂いを感じて、娘たちが鼻をつまむあの姿を、ここでも思い出したのです。

 

 この匂い、酪酸というもので、人間の臭い足の匂いと同じ成分だと言います。 

 食べ物というのは、それを最初に食した人は勇気があるといつも思いますが、この銀杏もそうであるに違いないと思うのです。

 鼻を突く異臭を我慢して、採取し、その中からこの硬い殻の実を取り出すのです。

 

 私、卓球の練習の合間の休み時間に、銀杏をくれた方に、これご自宅になっていたものですかって問うたのです。

 そうだと、そして、臭いはいっとき、ずっと嗅いでいると鼻が麻痺して、なんとも思わなくなるのって、そういうのです。

 

 それにしても、二十人のメンバー全員に、封筒の中にそれを入れて持ってきてくれるその心に感謝をするのです。

 

 これはゆめゆめおろそかにはできまい。

 そうだ、難しい料理を作るより、新米だともらったあの北条米の中に入れて、一緒に炊いて、少し、塩を振って、銀杏ご飯にでもしようと思ったのです。

 先週、同じ卓球仲間からいただいたつくばの柿に、名だたる北条米、それに、つくば銀杏です。

 

 すべて貰い物ですが、そんな「つくばづくし」もいいと。


(3) エスカルゴにカラスミそしてからし菜

 

 グルメを自認する気など毛頭ありませんが、それでも美味しいものを食べたいという気持ちがいまだに強くあるのです。

 

 しかし、最近、その嗜好に幾分変化が出てきたのではないかと思うようになってきたのです。

 

 つくばに来たての頃、今はもうなくなったのですが、瀟洒なホテルが近くにあり、そこで出されるフランス料理をよく食べに行っていました。

 さほどの高級レストランではありませんから、目の玉の飛び出るような値段ではもちろんありません。そこで出されるエスカルゴ料理が美味しくて、それを食べに出かけたのです。

 フランス料理というとコースで注文するのが一番いいのですが、私はエスカルゴを食べたくて、ちょっと面倒なのですが、いつもアラカルトで料理をオーダーしていました。

 

 先だって、我が宅の近くにある大学の中をロードバイクで走っていたら、あのレストランと同じ名前のレストランがその大学の一角に店を出しているのを発見したのです。

 同じ店かしらと思いながら、道筋に出されたメニュー表に目を通しますと、懐かしい料理の数々がそこに書かれて、ホテルがなくなって、今は、大学生たちでも食べることのできるフランス料理を提供しているんだと、私、思ったのでした。

 

 そして、あのエスカルゴ、ありました。

 

 ついこのあいだのことです。

 エビが食べたくなって、買ってきたのです。昔から、エビはソテーして、丸ごと頭から食べるのが好きでしたので、今回は軽く粉をつけて、からからにあげて食べてやろうと思ったのです。

 しかし、エビの鮮度が悪かったのか、調理がまずかったのか、気持ちよくあがらなかったのです。

 夕食の膳に、頭から黒い汁を出して横たわっているエビを見て、こりゃ、いかんわいと食欲まで減退をしてしまったのです。

 

 でも、一昔前だったら、もったいないとからの付いたまま、身だけでもむしゃぶりついたはずですが、どうもにもこうにも、食指が動かないのです。

 大した額ではなし、食物を食べることもできなくている地域の人々には申し訳ないと思いつつ、私はそれを捨てたのでした。

 

 いつだったか、私が週末になると釣りに行っていた時のことですから、ふた昔前のことになりますか。

 

 銚子のヨットハーバーあたりで釣りをしていたのですが、一向に釣れず、場所替えをして、釣り場を探していた時のことです。犬吠に抜ける海岸べりの道筋で、釣りをしている方を見かけたんです。

 

 例のごとく、釣れますかと声をかけます。

 ちょっと変な日本語が返ってきました。

 どうやら、中国の方のようでした。まだ、中国が偉大な強国になる前のことです。

 

 きっと、安い給料で日本で働き、少しでも家計を楽にしようと釣りをして、魚を取っているに違いなと私はこれまた勝手に思い、幾分の同情を心にもちながら、釣り人のマナーとして、彼が釣っているボラを一緒に釣っていいかと問うたでした。

 

 彼は、もちろん、同意してくれて、私はちょっと離れて投げ竿を海に向かって投げたのでした。

 

 三十分余りの釣りで、私は五本の大きなボラを釣り上げました。

 竿を置いて、釣りをしている例の中国人のところに行きました。

 あなたはこれを食べるのかと問うたのです。

 もちろんだと、美味しいというのです。

 

 5匹釣ったうちの3匹を彼に渡し、2匹をクラーボックスに入れて、まだ元気だった一人暮らしの母の元に持って行ったんです。

 ボラなんて嫌がるかと思いきや、母が子供の頃、近くの川にボラが上がってくると、それを捕まえて、刺身にしたり、焼いたりして食べたというんです。

 

 ボラの卵から作られたカラスミも母の大好物でした。

 九州に出張で行った時、それを土産に持っていた時など、随分と喜ばれました。

 実は、私もこのカラスミが大好物なのです。

 でも、今の私にはカラスミを買って、それを薄く切って、熱々のご飯の上に乗せて食べる気がしないのです。

 それより、高菜のつけたものを細かく切って、ご飯にまぶして、さっと食べる方が合っていると思っているのです。

 

 ロードバイクで見かけた大学の側のあのレストラン、たまには出かけて行ってエスカルゴを食べてもいいと思った矢先のことでした。

 新聞にこんな記事が載っていたのです。

 シドニーの若者が、仲間たちと食事中にテーブルの上でてきたナメクジを、若い連中のふざけで、お前食べてみろって言うことになり、そのうちの一人が勇気を見せようとそれを口にしたそうです。

 その夜、足に痺れがきて、以来、8年に渡る闘病生活の末亡くなったという記事でした。

 

 なんでも、ナメクジに寄生する「広東住血線虫」が脳に入り込み、それが脳に障害を起こさせて、そのような結果になったというのです。

 

 もちろん、エスカルゴは餌も管理され、食用として育てられていますから、虫がいるわけはないのですが、私は、エスカルゴもナメクジも同じ仲間、それを食べる勇気はもはやないと、その店に行くくことをやめたのでした。

 

 そうだ、LALAのところにラインを入れなくてはと思い立ちました。

 なんでも口に入れるLALAです。

 

 玄関の網戸にくっついたヤモリが干からびて落ちていたのを、つまんで口に入れてしまうのですから困ったものです。

 床に落ちたGOKUのこぼしたお菓子のカスもあの小さな指でつまんで口に入れてしまうのです。

 

 これから暑くなるオーストラリア、ナメクジだって、カタツムリだって、家の中に出ないとも限りません。

 娘は笑って聞いていましたが、ことはシドニーで起こったのだぞと念を押したのです。 

 

 その晩、私は、マーケットで買ってきたからしなのつけたものを細く、不器用に切って、惣菜の一つとしたのでした。

 


(4) 「田舎」自慢

 

 このところ、GOKUから、ラインがひっきりなしにかかってきます。

 

 ゴールドコーストは連日の暑さで30度を超えて、外で遊ぶ子どもがいないというのです。

 皆、プールで遊んでいて、だから、GOKUは退屈で仕方がないというのです。

 

 だったら、GOKUもプールに行けばいいではないかと言うと、娘が、日本と違って、ここでは自宅にあるプールのことなのと言います。

 そうか、自宅にプールがあるんだった。

 

 でも、娘のロビーナの家にはプールがない。だから、GOKUは一人で汗をかきながら、部屋で遊んで退屈をしているんだと納得したのです。

 

 プールなどど言うと、贅沢な代物のように思えますが、穴掘って、コンクリートで固めて、たったそれだけのことです。

 難しい設計も、繊細な工事も一切必要ありません。

 問題は、人がそれなりに泳げる土地があるかどうかです。

 残念ながら、まだ、ひよっこの娘の家では、その土地の広さもありません。

 

 私の友人、ウエブスター家の長女の婿殿ジェフが、自ら建てている家を、私に見せてくれたことがあります。

 もう、随分と前のことです。

 アデレイドという南オーストラリアの州都で、彼は400坪の土地を購入し、家を自分で建てていたのです。

 地震がない国ですから、基礎工事をして、そこに柱を打ち立て、壁をはめ込めば、家は建つのです。あれこれうるさくなく、随分と便利がいいと、あの当時思ったものです。

 母屋を建てて、プールを作り、ヨットとキャンピングカーを置くガレージも自分で作るんだと息巻いていました。

 その後、彼の目標は達成され、今、一人息子のベンジャミンがその家を継いで、さらに家を大きくするとしているというのです。

 

 GOKUの暮らすロビーナは広大な住宅街です。

 でも、そこでも、家主が納屋を作ったり、ガレージを作ったり、それを自分で行なっている姿を見ます。

 仕事をリタイヤした人たちも、週末の休みを利用して長期計画でそれをしている人たちもいます。そんなのを見ると、なんとも羨ましいと私など思ってしまうのです。

 

 いつだったか、取手の学校にいる時、ジェフの影響を受けて、一冊のウッドデッキ製作のコツなるアメリカの雑誌をオーストラリアで買って、それを見ながら、自宅にウッドデッキを作り上げたことがあります。

 車で20分ほどのところにあるジョイフル本田というホームセンターで材木を買うのです。

 それをわがフォルスワーゲンビートルに突っ込んで、何度となく往復しては、お盆休みを使って作業をしました。

 自分でもできるではないかと、随分と満足をしたものです。

 

 今ある、ウッドデッキは、その時作ったウッドデッキが防腐が不十分で随分と朽ち果てて、如何ともし難くなって、日頃、お世話になっているリフォーム会社の方に相談して、今度は、防腐の必要もない特殊材を使って作ってもらったものですが、設計は私が最初にしたそのもので、これも結構満足しているのです。

 木材で作ったものは五年も持たなかったのですが、今のデッキは、おそらく半永久的に持つのではないかと思っているのです。

 

 さて、東京からつくばに転居して、好き勝手に「田舎生活」を楽しんでいるのですが、最近、若い人たちがその「田舎生活」を志しているという話を小耳に挟みました。

 

 東京で、「移住セミナー」などを開催すると、若い、それも家庭を持った人たちがそれを志して集まってくるというのです。

 田舎のある地方の自治体も、若い、子どものいる家庭であれば、優遇策を用いて、移住を応援しているのです。老齢人口が増えて、にっちもさっちも行かなくなった街を、若い世代の流入でしのごうというのです。

 

 一昔前のように、地元と新住民の軋轢などと悠長なことは言っていられないくらい、田舎の人口問題は逼迫しているのです。

 

 つくばに転居したその日の夕刻、私は取手の学校から自宅に戻る際、どこもかしこも同じような光景で、道に迷ってしまったことを思い出しました。

 

 ポツンと小さな一軒の家があるだけで、朝日も夕日も、筑波の山からの強い風も一身に受け止めなくてはならないそんな「原野」であったからです。

 しかし、今、車の往来は激しくなり、近くに大型店舗がいくつもある、そんな街になったのですから、私、先見の明があったと、実は一人自慢をしているのです。

 

 だから、若い人たちが「田舎」に行って生活したいという話を耳に挟むと、大いに結構と手を打って賛同するのです。

 都会は、便利で、賑やかで、退屈しないいいところですが、たまに行くのが一番いいところでもあるのです。

 朝は、鳥の鳴き声、昼は木々のさざめく音を聞いて、夕方は真っ赤に染まる空を眺め、夜は自分の吐息しか聞こえない、そんな生活がいいと思ったりするのです。

 

 世の中は、画期的な勢いで変化をしています。

 だから、若い人たちが「田舎」に転じて、新しい生活を志すことは、きっと、私がそうであったように、偉大な変化を彼らに与えるのではないかと思っているのです。

 

 だって、私の娘の一人は、オーストラリアの「田舎」にまで行って、そこで生活をしているのですから。

 



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