目次
目次
●まえがき
●地球の王の一族~獣人ビッグフット、全能神ゼウス、宇宙人、天狗、ユダ、ダヴィデ王、善神デーヴァ
●巨石建造の一族~黒又山、ピラミッド、ニューグレンジ、オルメカ文明、テオティワカン宗教都市、始皇帝陵、熊襲武尊、日本武尊、古墳時代、魔法使いの神殿、ククルカンの神殿、イースター島のモアイ
●ギュゲスの一族~ローマ執政官、ペルシア皇帝、アレキサンダー大王、秦始皇帝、セレウコス朝、プトレマイオス朝、匈奴、ローマ皇帝
●ユリウス・カエサルの一族〜初代ローマ皇帝アウグストゥス、諸葛氏、高句麗、ブルガリア帝国、リトアニア大公国、明、李氏朝鮮、マイソール王国、太平天国、サムスン・グループ
●イエス・キリストの一族~クレオパトラ7世、洗礼者ヨハネ、イエス・キリスト、十二使徒、初代ローマ教皇ペトロ、ブリトン王国、ベネディクト会、カンタベリー大主教、ジャン・カルヴァン、ブルボン朝フランス王国
●マホメットの一族~イスラム帝国、シーア派イマーム、アッバース朝、セルジューク・トルコ帝国、ハプスブルグ家、エステ家、オーストリア=ハンガリー帝国、バアス党
●アラリックの一族~西ゴート王国、南朝宋、シャルルマーニュ大帝、イングランド王国、キエフ公国、ポーランド王国、ノルマンディー公国、モンゴル帝国、カーカティヤ朝、甲賀忍者、エチオピア帝国、チムール帝国
●シャルルマーニュ大帝の一族~ビザンツ帝国、後蜀、ロタリンギア王国、ハンガリー王国、カスティーリャ王国、セルビア王国、チェコ共和国、ハンガリー共和国
●オスマン1世の一族~北元、イヴァン雷帝、シク教国、スペイン無敵艦隊、ロシア帝国、サルディーニャ王国、ハプスブルグ朝オーストリア帝国、リンカーン大統領、宰相ビスマルク、怪僧ラスプーチン
●ソロモン1世の一族~ズールー帝国、ケニア共和国、チャック・ベリー、アース・ウィンド&ファイア、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、エディ・マーフィー
●イヴァン1世の一族~フス派、ボヘミア王国、雑賀衆、鈴木孫一、ロシア正教会モスクワ総主教、ヘーチマン国家、アフガニスタン王国、救済同盟、ナロードニキ運動、スタジオ・ジブリ、押井守
●イエズス会(ヴィスコンティ家)の一族~ヴィスコンティ家、クリストファー・コロンブス、アメリゴ・ベスブッチ、ヴァスコ・ダ・ガマ、イエズス会、フランシスコ・ザビエル、ローマ教皇フランシス
●フリードリヒ1世の一族~サファヴィー朝、グリュックスブルグ朝デンマーク王国、プロイセン帝国、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ、レーニン、チェ・ゲバラ、ホメイニ師、メドベージェフ首相
●イヴァン大帝の一族~チューダー朝イングランド王国、宗教革命、ブルボン朝フランス王国、西郷氏、東郷氏、清教徒革命、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、サウジアラビア王国
●バーブルの一族~ムガール帝国、ムハンマド・アリー朝、エジプト共和国、チャールズ・チャップリン、サルバドール・ダリ、ハロルド・ピンター、アレハンドロ・ホドロフスキー、ボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイ、プリンス
●オスマントルコ皇子ジェム・スルタンの一族~マクシミリアン1世、バイエルン王国、交響曲の父ハイドン、サド侯爵、文豪ゲーテ、楽聖モーツァルト、ヘミングウェイ、三島由紀夫、ピンク・フロイド、トランプ大統領
●オリバー・クロムウェル(イギリス共和国)の一族~大英帝国(イギリス政府、イギリス王室)、アメリカ合衆国、ワッハーブ派、エドガー・アラン・ポー、チャーチル首相、ジョルジョ・デ・キリコ、ロベール・ブレッソン、オーソン・ウェルズ、ザ・ビートルズ、モンティ・パイソン、レッド・ツェッペリン
●オスマントルコ皇帝アフメト3世の一族~ピヨートル大帝、ナポレオン皇帝、モルモン教、ルーズベルト大統領、ケネディ大統領、ザ・ドアーズ、プーチン大統領、ウィキリークス、Qアノン
●オスマントルコ皇帝スレイマン1世~宇佐美定満、蘆名盛氏、柴田勝家、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光、伊達政宗、水戸光圀、乾隆帝、阮朝ベトナム帝国
●蘆名盛氏の一族~高山右近、千利休、大友宗麟、黒田官兵衛、有馬晴信、宮本武蔵、天草四郎、大塩平八郎
●乾隆帝の一族~マイソール王国、宝暦事件、トンブリー朝タイ王国、詩聖タゴール、マハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー
●嘉慶帝の一族~道光帝、曽国藩、胡林翼、李鴻章、西郷隆盛、吉田松陰、西太后、大本教、中江兆民、ジャン・コクトー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジェームズ・ディーン、つげ義春、野中英次
●曽国藩の一族~東郷平八郎、乃木希典、児玉源太郎、袁世凱、黄金栄、蒋介石、小津安二郎、手塚治虫、ジャン・クロード=カリエル、ヴェルナー・ヘルツォーク
●胡林翼の一族~山口春吉、北一輝、大杉栄、笹川良一、鄧小平、ルイス・ブニュエル、ジャン=ポール・サルトル、マルグリット・デュラス、池田大作、スタンリー・キューブリック、セルジュ・ゲンズブール、宮崎駿、セックス・ピストルズ、マイケル・ジャクソン
●李鴻章の一族~勝海舟、福沢諭吉、坂本龍馬、張嘯林、杜月笙、黒澤明、スカルノ、ネイション・オブ・イスラム、田中角栄、習近平国家主席、マーティン・ルーサー・キングJr、ドゥテルテ大統領、青島幸男、橋本龍太郎
●同治帝の一族~西太后、犬養毅、頭山満、義和団の乱、幸徳秋水、文鮮明、大山倍達、田岡一雄、高畑勲、梶原一騎、安孫子素雄、アントニオ猪木、鳥山明、高田延彦、秋元康
●光緒帝の一族~孫文、夏目漱石、張作霖、甘粕正彦、橋本忍、毛沢東、徳田球一、金日成、小沢一郎、金丸信、藤本弘、金正日、赤塚不二夫、ジャッキー・チェン、金正恩委員長
●奥付
まえがき
ダヴィデの一族とは?
表と裏、陰と陽、光と影、善と悪、生と死、サンダとガイラ(?)。ダヴィデの一族とタナトスの一族はかように表裏一体の存在である。チュクウはルハンガと共にクリュテイオスを生んだが、両者とも、クリュテイオスと関係がある。チュクウから生まれたクリュテイオスから、更にタナトスが生まれているのだ。つまり、タナトスにもチュクウの血が流れている。ただ、両者の間には超えることができない巨大な隔たりが横たわっている。王者とできそこないという否定し難い事実である。
ダヴィデの一族は地球の王チュクウの子孫であり、帝王として民を正しく導く使命を帯びて生まれてくる。一方、できそこないであり、誰にも好かれないタナトスは、高い知能を悪に用いて強い者を数で圧倒し、ウソをついて真実を覆すことを本能としている死の種族だ。しかし、両者も元を辿れば同じ先祖に行き着くということで、ダヴィデの一族もタナトスの一族も同じような習性を持っている。
彼らは敵の目をごまかすために影武者を用いる。庶子の異母兄弟を投入し、影武者部隊を編み、影武者を駒のように徴用し、いくつもの顔を持ち、いくつもの名前を変えて生きていく。また、敵が多い場合には死んだことにして潜伏するということもする。更に、彼らは、筆者が優性遺伝子ブリーダーと呼ぶ、帝王の一族と死の種族で構成された中立を旨とする秘密結社を使い、多くの庶子を作る。このとき、帝王が女を選ぶのではなく、女が帝王を選んでいる。これにより、帝王は統治という使命に専念することができる。優性遺伝子ブリーダーは、帝王が寝ている間に女を連れ込み、帝王に催眠術をかけて子供を作る。この方法により、帝王ひとりにつき、庶子は数百人は存在することになる。
偉大な帝王は、誰でも自分の知らない間にたくさんの子供を儲けているのだが、こうして多くの庶子を作ることが、大規模な影武者部隊を編むことを可能にしている。同時に、このような状況は多くの語られない重要なドラマを生んでいる。この3つのポイントは、ダヴィデの一族とタナトスの一族の共通のポイントである。
真の帝王ともいうべき人々は、ひとつの帝王ではなく、同時に複数の帝王を演じ、帝国を統治する。例として、アヤチ。このアヤチはクビライの子と言われているが、筆者の私見では彼は実際にはチンギスの孫であり、モンケの子である。クビライは、モンケが優性遺伝子ブリーダーによってアヤチを儲けたことを知っていた。そのため、アヤチを邪険に扱った。モンゴル帝国を離れたアヤチは、その後、稀代の帝王の片鱗を見せることになる。アヤチはエチオピア帝国、オスマントルコ帝国、モスクワ公国を築き、同時に統治している。
チンギスの孫アヤチは、イムラクであり、オスマン1世であり、イヴァン1世であった。4人でひとりであり、ひとりで4人である。アヤチも上記のように庶子の異母兄弟を投入し、大規模な影武者部隊を作っていた。これにより、離れた帝国を同時に統治することが可能であった。これが真の帝王の姿である。ダヴィデの一族、及び、タナトスの一族の場合、このような例は枚挙に暇がない。読者の方にはこの点を良く頭に入れて置いていただきたい。
帝王は、自分の遺伝子を残すことではなく、自分が築いた家、帝国が繁栄することを願う。いい女が選んだ男の子供なら間違いない。優れているのであれば血筋は関係ない。後継者は誰でもよいと考えている。ただ、そのために弊害が起きることも少なくない。例として、クビライが子のアヤチと対立したり、武田信玄が父を追放するというようなことが起きる。もちろん例外もあるが、多くの場合、帝王の親子は実の親子ではないのだ。また、母が異なるということで異母兄弟同士が争うということもままある。
筆者はどうして同一人物の帝王を洗い出すことが出来たか?多くの帝王の場合、生年、生没年が合致、或いは近い場合があるのだが、同一人物と考えて良い。筆者はそのようにして多くの帝王の正体を見破ってきた。帝王の正体を見破った瞬間、多くのドラマが頭を駆け巡ることになる。だが、筆者はそれらのドラマをここで描くことはしない。それらのドラマは各自が思い描くことで、古代に想いを馳せる悦びを楽しんでいただきたい。
地球の王チュクウ~獣人ビッグフット、全能神ゼウス、宇宙人、天狗、ユダ、ダヴィデ王、善神デーヴァ

チュクウ(200万年前) ※写真はビッグフット
※200万年前「ビクトリア湖の大移動時代」に参加した地球の王ルハンガは、ナイジェリアに入植して「チュクウ」を生んだ。オリジナル人類ルハンガは、インドシナ半島に棲むといわれている獣人オラン・ダラムの姿をしていた。一方、ナイジェリアに住んだチュクウは、身長が4.5mにまで巨大化し、身長が4mを誇るルハンガの巨躯を凌駕した。その姿はヒマラヤに目撃されるイエティと同じだと考えられる。
その巨体と怪力により、チュクウは地球の王としてニジェール流域に君臨した。彼らは主にクロコダイルを素手で狩って食べていたが、時にライオンやゾウ、カバの天敵となった。彼らの身体能力は凄まじく、跳躍は高さ3mを超え、時速60kmで走り、岩を投げた。何よりも、彼らは素手で猛獣を殴り殺した。地球の王たる所以である。古代アメリカ大陸でサーベルタイガーと素手で戦った彼らは、サーベルタイガーを滅ぼしてしまったほどだ。
彼らの豊かな体毛は、猛獣の牙や爪を無力化する機能があり、防弾チョッキのようなものだった。その後、ルハンガ、チュクウなどの所謂獣人は他のオリジナル人類と混合することで、稀代の英雄をたくさん生んだ。そして、英雄たちは代々、タナトスを天敵として狩ってきた。
・ギューゲース(50万年前)
・アグリオス(45万年前)
・クリュテイオス(45万年前)
・グラティオーン(45万年前)
※地球の王チュクウはオリジナル人類クウォスと合体し、「神統記」に登場する巨人の神ギューゲースを生んだ。また、チュクウは同じ地球の王ルハンガと合体してアグリオス、クリュテイオス、グラティオーンを生んだ。いずれも「神統記」では巨人の神として描かれている。彼らは、実際には現在、獣人と呼ばれているイェティ(最大4.5m)、或いはビッグフット(最大3m)と同じ姿をしていただろう。
チャク族(100万年前)
「チュクウの大移動時代」に参加したチュクウは、モリモなどと同様にチッタゴンに入植し、「チャク族」を生んだ。チャクの名の由来はチュクウである。チュクウ=チャクウ=チャクとなる。当初、彼らは毛深く、3m~4mの巨体を誇っていた。だが、100万年の間にミャンマー人に吸収され、名前だけがチュクウの名残りとなった。
ギューゲース(50万年前)
その後、クウォスがインドを通過した際、獣人チュクウの部族は、アボリジニの顔をしたクウォスと接触、親交を暖めた。お互い、姿かたちが異っていたにも拘らず、クウォスは獣人を同じヒトとして認識し、獣人もクウォスを同じヒトとして認めた。彼らは、お互いを嫌悪し、攻撃することはなかった。彼らは、見かけで判断するのではなく、内面を見抜く鋭い洞察力を備えていた。つまり、非常に知性に溢れていたのだ。
交配も可能であったため、ギガースはクウォスと混合した。この時に「ギューエース(ギューゲース)」が生まれた。ギューエースの名の由来はクウォスであり、別名ギューゲースの名の由来はチュクウとクウォスの組み合わせである。クウオス=ギャオース=ギューエースとなり、チュクウ+クウォス=チュクウォス=ギューゲースとなる。彼らが親交を持った証拠は、彼らが残した名前にある。
シベリアでマンモス狩りを行う(45万年前)
「盤古の大移動時代」に参加して中国に移り、更に「獣人の大狩猟時代」に参加してシベリアに移住したチュクウは、シベリアでマンモスなどの巨大哺乳類を狩っていたと考えられる。根深誠著「イェティ(山と渓谷社刊)」には、イェティに遭遇した目撃者の報告が紹介されている。「イェティはヤクの二本の角を掴んで引き裂くようにしてへし折り、それから腹部をえぐって殺した。イェティは仔ヤクを岩に叩きつけてから、ヤクの腹部に顔を埋めて生き血を飲み始めた」。丸で漫画のようだが、イェティはヤクのような大きな哺乳類を、ハエでも殺すように容易に殺している。彼ら、地球の王である獣人が、通常の人類の想像を超えた身体能力を誇っていることがわかる。
ソーク族(40万年前)
「獣人の大狩猟時代」に参加したチュクウは、人類初のアメリカ大陸上陸を果たし、北東部森林地帯(現イリノイ~ニューヨーク近辺)に居を構え、「ソーク族」を称した。ソークの名の由来はチュクウである。チュクウ=シュクウ=ソークとなる。
ステュクス(30万年前)
「キブウカの大移動時代」に参加したカゾオバは赤髪の白人であった。彼らは東南アジアに入植し、獣人の姿をしたチュクウ、アボリジニの姿をしたクウォスと組んで「ステュクス」を生んだ。ステュクスの名の由来はカゾオバ、チュクウ、クウォスの組み合わせである。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾオチュクウォス=ステュクスとなる。ステュクスは、大洋の娘たちに名を連ね、冥府の河として知られた。
テュポン(4万年前)
※テュポンは地球の王であるルハンガとチュクウの合体部族である。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。「神統記」に於いては史上最強の怪物と呼ばれた。このテュポンからは宇宙人(科学の種族トバルカイン)が生まれている。
トバルカイン(3万年前)
※トバルカインは、テュポンがアルキュオネウスと連合することで生まれた。テュポン+アルキュオネウス=テュポルキュオネ=トバルカインとなる。
トバルカインは4つの種族の合体部族であるため、後に4つの派閥にトバルカインは分離した。チュクウのトバルカイン、ルハンガのトバルカイン、オロクンのトバルカイン、クウォスのトバルカインである。ここに、気仙沼に住んでいたケシャンボ(河童)がクウォスのトバルカインと合体し、トバルカインに仲間入りした。彼らは自身をスバル人と呼んだ。トバルカインの種族は5つであるが、卓越した科学の力を継承しているのは、チュクウのトバルカインと一部スバル人のみである。
チュクウは善神デーヴァとなって比類なき科学力を継承し、テーバイ王国(インダス文明)を築いた。一方、科学を放棄し、地上人に帰順したルハンガはプント王国(インダス文明)を築き、オロクンはエジプトに移住して神官都市テーベを築き、クウォスはプール族(アーリア人)とゼブルン族(イスラエルの失われた10支族)となり、スバル人はシバ王国(インダス文明)を築いた。オロクンのトバルカイン以外は、みなインドに根付いてインダス文明に貢献し、マハーバーラタ戦争や十王戦争に関わったことが分かる。
2万年前にUFOを発明し、火星にまで行っていた種族だ。地球の番人であるトバルカインは、核兵器を発明し、タナトスとタナトスの邪教信者を、古代都市ごと焼き払ってきた。その名残りが荒涼たるサハラ、カラコルム、ゴビなどの砂漠である。
・雷雨の神チャク(4万年前)
・創造主クグマッツ(4万年前)
※ミドガルド王国のスクルドは、古代マヤに入植し、「雷雨の神チャク」を称した。更に、ミマースと組んで「創造主クグマッツ」を生んだ。チャクの名の由来はチュクウであり、クグマッツの名の由来は、ギガースとミマースの組み合わせである。チュクウ=チャクウ=チャクとなり、ギガース+ミマース=ギガマース=クグマッツとなる。ミマースは、ペルーから来たパチャママの片割れである。
チャクは、東西南北の4つのチャクに分かれているとされる。4つのチャクとは、タルタロス(オーストラリア)のキュクロプス、ミドガルド(カリフォルニア)のスクルド、高天原(台湾)の天香語山命、そして、古代マヤの雷雨の神チャクを指している。
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●死神タナトスにとっての地獄 閻魔大王の裁きの時代

※写真は宇宙人(科学の種族トバルカイン)が搭乗する白銀色に光るフェイクプレーン(輪郭はなぜかぼやけており、双眼鏡で見てもはっきりしない)。南極大陸はムー帝国(モホス文明)の植民地だったが、そこに科学の種族(トバルカイン、エラド、マハラエル)が住みつき、核兵器、UFOなどを開発した。南極は、「五岳神(ウーユエ)」の国と呼ばれた。
五岳とは、中国の道教に登場する、南北中東西に位置する聖山のことである。それらは、じつは南極の山々を指していた。東岳泰山は3680mのペンサコラ山、南岳衡山は4528mのカークパトリック山、4350mのマークハム山、中岳嵩山は5140mのマッシフ山、西岳崋山は4187mのシドリー山、北岳恒山は4191mのプラトー山のことである。東岳大帝とは、冥府の王のことだが、ヴィディエは、南極の王として東岳大帝と呼ばれた。


※写真は火星の火山オリンポス(標高2万7千m)と職務中の閻魔大王。科学の種族は、知能を悪に用いる者をできそこないと認定し、UFOで火星送りにしていた。 冥界の巨山と呼ばれた「羅ホウ山」とは、火星の火山であり、太陽系でもっとも巨大な火山、2万7千mのオリンポス山のことを指している。中国神話で冥界の神々と呼ばれた人々は、できそこないを裁いていた種族のことであり、「十王」 と呼ばれた。
地球上の、タナトス(できそこない)を嫌う、世界中の優れた王族が団結し、「十王」を結成していた。秦広王、楚江王、宋帝王、五官王、閻羅王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪王である。閻魔大王(ヤマ)は太陽神シャマシュのことであり、ホウ都大帝はルハンガとヴィディエ、太乙救苦天尊はヴィディエとチュクウのことである。
安倍総理と仲間たちのように平気でウソをつき、テッド・バンディ事件の真犯人ブッシュ元大統領、狂気の怪物モンサント社のように子どもを笑いながら殺すような反自然的な人々は、みな火星で裁かれ、死ぬまで強制労働を課せられた。 ただ、優れた人々は罪悪感が強い。そのため、精神的な健康を理由に、火星の強制労働施設は長らく閉鎖されているようだ。
テペウ(2万年前)
※火星に住んでいたトバルカインは、雷雨の神チャク、創造主クグマッツが支配する古代マヤに基地を築いた。この時に「テペウ」が生まれた。テペウの名の由来はトバルカインである。トバルカイン=テペウカイン=テペウとなる。テペウは、創造主として崇められ、王として古代マヤを統治したと考えられる。彼らは、基本的に科学文明を放棄していた。マヤ人が、宇宙人の子孫を自称するのは、これがゆえである。
出羽国(1万3千年前)
※最終戦争ラグナロクにより、ミドガルド王国はネバダ砂漠と化した。この時、「ユグドラシルの大航海時代」に参加したチャクは、テペウと共に古代マヤを離れ、東北地方に入植して「出羽国」を建てた。出羽の名の由来はテペウである。テペウ=テヘ=出羽となる。
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●旧約聖書ルツ記の一族
※「ルツ記」に記された物語は、時期的には「モーゼスの大移動時代」の直後、BC35世紀頃から始まったと考えられる。舞台は、現イスラエル周辺ではなく、十和田、古代チベットである。

ユダ(BC35世紀頃) ペレツ父
※以前、ユダの名の由来はエウドーラーと考えていたが、「ルツ記」の場合は十和田が由来だと考えられる。十和田=とあだ=あだ=ユダとなる。つまり、ユダとは縄文人の顔をした十和田の首長だった。
ペレツ(BC35世紀頃) ヘツロン父
ヘツロン(BC35世紀頃) ラム父
ラム(BC35世紀頃) アミナダブ父

アミナダブ(BC35世紀頃) ナフション父

ナフション(BC35世紀頃) サルマ父

サルマ(BC35世紀頃) ボアズ父
ボアズ(BC35世紀頃) オベデ父

オベデ(BC35世紀頃) エッサイ父

エッサイ(BC35世紀頃) ダヴィデ父

ダヴィデ(BC35世紀頃) イスラエル王国第2代王 在位BC35世紀頃
※古代日本は、同時期にイスラエル王国、エジプト王国と呼ばれていた。ロア族(ブリアレオース)が統治していた高天原(台湾)は、最初の人類エスが統治していた葦原中津国と連合した。これにより、台湾~九州地域はイスラエルと呼ばれ、葦原中津国と十和田が連合することで九州~本州はエジプトと呼ばれた。エス(葦原)+ブリアレオース(ロア族)=エスリアレ=イスラエルとなり、エス(葦原)+トバルカイン+ティカル(十和田)=エスバテ=エジプトとなる。
当時の出羽国は、トバルカイン(出羽)とデウカリオン(津軽)が共存し、両者は共同で偉大な先祖を祀る記念碑として巨大なピラミッドの試作品を十和田湖、青森(黒又山)に建造していた。彼らは偉大な先祖のために巨大な記念碑を築くことを人生の全てだと定めていた。トバルカインはティカル人と合体して「十和田」を築いた。トバルカイン+ティカル=トバティ=トハテ=十和田となる。
その後、「モーゼス(武蔵)の大移動時代」を機にモンゴルに渡った十和田の縄文人たちは、更に、モンゴルからチベットに移り、「ダヴィデ朝」を築いた。ダヴィデやトボット(チベット)の由来は十和田である。ダヴィデ王とは、十和田からチベットに入植した縄文人の首領のことである。モンゴル人やチベット人が、隣人である中国人よりも、遠く離れた日本人に似ているのはこのためである。
・テーベ(BC35世紀)
・太陽神ラー(BC35世紀)
・太陽神アメン(BC35世紀)
※タナトスに怒り心頭の宇宙人は核兵器でソロモン朝、ダヴィデ朝を攻撃し、焼き尽くした。これが黙示録アルマゲドンである。これにより、放射能で汚染されたモンゴル、チベットが居住に適さなくなると、「ヨシュアの大移動時代」に参加して南下したトバルカイン一族はナイル流域に根を下ろし、ルクソール地方にテーベを築いた。
テーベの由来はダヴィデであり、ラーの由来はガラクサウラー(ソロモン)であり、アメンの由来はガラクサウラーとメネストーの組み合わせである。ダヴィデ=ダーヴィ=テーベとなり、ガラクサウラー+メネストー=-メネ=アメンとなる。
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●インダス文明の礎
・シバ王国(BC32世紀頃)
・プント王国(BC32世紀頃)
※「ソドムとゴモラ」が発生すると、ルハンガのトバルカインはサハラを離れてパンジャブに根を下ろし、カゾオバと組んでシバ王国、プント王国を築いた。

・テーバイ王国(BC32世紀頃)
・善神デーヴァ(BC32世紀頃)
※一方、チュクウのトバルカインは、ナイル流域を南下し、テーベを設けた。チュクウのトバルカインはテーベを拠点に古代ギリシアやパンジャブにも拠点を得た。パンジャブではインダス文明の礎を築き、善神デーヴァと呼ばれた。
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BC2134年 「テーベ誕生」
「ソドムとゴモラ」の事件が起きた際、タバルの人々はカッパドキア遺跡に身を潜めていた。その後、彼らは「太陽神アメン」の王統のエジプト行きに同行した。両者は、ナイル上流域に移住し、神官都市「テーベ」を建設した。テーベの名の由来はタバルである。タバル=ターバル=テーベとなる。
BC2134年 「エジプト第11王朝樹立」
太陽神アメンは、トバルカインと共に「エジプト第11王朝」を開き、人喰い人種スキタイ人の「エジプト第10王朝」と対立した。彼らは、この対決に勝利し、エジプトを再統一した。その時のファラオは、第11王朝のメンチュヘテプ4世であった。その後、太陽神アメンの王統を継ぐアメンエムハト1世が「エジプト第12王朝」を開いている。アメンの王統は、ヒクソスが登場するBC1663年まで続いた。
BC1650年 「エジプト第17王朝成立」
「ヒクソス」がエジプトに出現すると、エジプト第14王朝は滅亡してしまった。その後、イマナのアメン神官団は、エジプトを離れてクレタ島に落ち延び、避難した。だが、ニャメのアメン神官団は、テーベを拠点に新規に「エジプト第17王朝」を開き、ヒクソス王朝に対抗した。
BC829年 「テーバイ誕生」
「アメン神官団の大航海時代」に参加しなかったトバルカインは、ギリシアに入植し「テーバイ」を築いた。テーバイの名の由来はテーバイ王国である。
BC282年 「ペルガモン王国誕生」
ミネア人がアラビアを離れてアナトリアに移住すると、ギリシアのテーバイ人と連合した。彼らは、アナトリア半島に移住した。この時に「ペルガモン」が生まれた。ペルガモンの名の由来はトバルカインとアメンの組み合わせである。トバルカイン+アメン=バルカメン=ペルガモンとなる。BC282年、ピルタウエルスが初代王に即してペルガモン王国が誕生した。
BC129年 「朴氏誕生」
その後、BC129年にペルガモン王国が滅ぶと、ペルガモン人は東方へ東方へと船を進め、朝鮮半島に上陸する。この時に、タバルンが「朴(PARK)」を称し、アメンが「文(MOON)」を称した。
BC57年 「朴氏王朝誕生」
BC57年に、朴氏が「朴氏王朝(新羅)」を開いた。この王朝はAD184年まで続いた。
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天狗の一族(絵は鞍馬山僧正坊)
※チュクウの一族には「神統記」に登場する地下の河ステュクスがいる。このステュクスは実在していた。オリジナル人類のカゾオバ、チュクウ、クウォスの合体部族である。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾチュクォス=ソチュクォス=ステュクスとなる。ステュクスは、30万年前に高天原(台湾)にセデック族を残している。そして7万年前、セデック族は、ミャンマーから来たトゥングル族と共にツングースに移住している。このときにセデック族からチュクチ族が、トゥングル族から犬戒(キロン)、天空神テングリ、丁零(ディングリング)などが生まれた。
チュクチ族は黒龍江流域に暮らしていたため、当時の黒龍江は冥府の川ステュクスと呼ばれた。そして、犬戒(キロン)はカロンと呼ばれた。冥府の川ステュクスと、渡し守カロン の神話は黒龍江、ツングース付近で生まれたものなのだ。
宇宙人はシベリアに移住するまでの間、BC1027年からAD8世紀頃までトバルカインはロシアに住んでいた。宇宙人はチュクチ族に接触し、度々交流を行っていた。チュクチ族は科学の種族トバルカイン(宇宙人)とは祖を同じくする一族であるため、生活圏を共有するうちに、トバルカインの卓越した科学に触れ、共有する機会があった。
トバルカインの科学力を得たチュクチ族は日本に移住し、修験道を体系化した。修験道の由来はチュクチとテングリの組み合わせである。チュクチ+テングリ+道=チュクン道=修験道となる。チュクチ族は、奥深い日本の山岳部で厳しい修行に明け暮れた。彼らは一般的に山伏と呼ばれたが、修行中の彼らを目撃した農民は、彼らを天狗と呼んだ。天狗の由来はテングリである。
彼らが厳しい修行に励むのは、自分たちが科学力の悪用をしないためである。宇宙人は生物の思考を読み、宇宙の果てまで飛び出し、瞬間移動を行い、生物だろうと無生物だろうと、地球上のすべての物質を操ることが出来る。ともすれば、たまにドラえもんの道具を悪用するのび太のように、宇宙人も、好きな女を操ったり、イヤなやつを操ったりしたいと思う。しかし、そのような発想は相手だけでなく、自身にも破滅を招くことを、彼らはよく知っている。その弱い心を正し、精神を律するために彼らは日本の山岳地帯で日夜厳しい修行に取り組んでいるのだ。
まず、彼らは山を女人禁制にした。復讐心の強い下界の人間が自分たちの血を継いだとき、冴えた頭で何をやらかすか分からない。復讐心と優れた頭脳の組み合わせは、確実に破滅を招くからだ。天狗は、ともすれば地球を破壊してしまいかねない凄まじい科学の力と、その科学の悪用を防止する、科学の番人である。
全能神ゼウスの一族~周、スサノオ
ゼウス(4万年前)
※チュクウから分かれ、古代アメリカ時代に生まれた「ソーク族」は、その後、台湾に移住して「ツオウ族」を生んだ。ツオウ族はパッラース、ミマースと合体して神統記最初の英雄「ペルセウス」を生んだ。ペルセウスは「アルゴス号の大航海時代」に、ゴルゴン、メドゥーサなど、多くのタナトスを皆殺しにしている。更に、ツオウ族はムシシ、ヴィディエと合体して、台湾に「サイシャット族」を生んだ。ツオウ+ムシシ+ヴィディエ=ツオウシシディエ=シオウシッシデ=サイシャットとなる。
サイシャット族は単なる台湾の先住民族ではなく、塩椎神、素戔鳴尊、全能神ゼウス、冥界神セト、女神イシス、アダムの子セツなどの神々を生んだ部族である。サイシャット=サイシャツ=塩椎神(しおつち)。サイシャット+ウラニアー=サイシャニアー=素戔鳴尊(すさのおう)。サイシャット=サイシ=ゼウス。サイシャット=シャット=セト。サイシャット=イシャツ=イシス。サイシャット=シャツ=セツとなる。特に、全能神ゼウスは、テセウス、オデュッセウスと名前を変えながらことあるごとにタナトスを狩り、皆殺しにした。
デウカリオンの一族(マウンド派)~ニューグレンジ、モホス文明、フェニキア人、オルメカ文明、始皇帝陵、日本武尊、古墳時代、マムルーク朝、インカ帝国、ジョージ・モンク、フリーメイソン


デウカリオンの一族(絵は炎に囲まれる日本武尊と熊襲武尊を襲う日本武尊)
※デウカリオンの一族は「神統記」で最大最強の怪物と呼ばれたテュポンと巨人アグリオスが合体することで生まれた。テュポン+アグリオス=テユグリオ=デウカリオンとなる。1万3千年前の大地殻変動の後、古代オーストラリアからメソポタミアに移ったデウカリオンは、巨石建造の一族ティカル人として活動する。デウカリオン=デウカリ=ティカルとなる。ティカルとはマヤの都市の名のひとつである。
その後BC35世紀頃、津軽時代にティカル人は2種類に分離した。テュポンのティカル人はピラミッド派としてピラミッドを建造し、アグリオスのティカル人はマウンド派としてマウンドを建造した。古墳時代には、ティカル人はモンゴルを拠点にし、マウンド派は丁零(ディングリング)、ピラミッド派は高車(ガオチェ)を名乗っていた。
また、日本ではマウンド派は日本武尊(ヤマトのティカル)を名乗り、ピラミッド派は熊襲武尊(クマソのティカル)を名乗っていた。ピラミッド派はマウンド派と対立していたが、日本武尊が勝利したことにより、前方後円墳と呼ばれた巨大なマウンドの建造を開始した。古墳時代の始まりである。
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ギョベクリ・テペ(BC76世紀頃)
※神々の集団アヌンナキの時代、デウカリオンの一族は初めて偉大な先祖を祀る巨石文化の端緒を切った。

イングランドのドルメン(BC40世紀頃)
※BC50世紀頃、「第一次北極海ルートの大航海時代」を機に、デウカリオンの一族はヨーロッパを訪れ、ドルメンを築くようになった。ドルメンはマウンドを築く際の基礎部分であり、その発展形として後に、土を被せていくようになったと考えられる。ドルメンはBC40世紀~BC30世紀にかけてヨーロッパ中に築かれた。巨石の一族による、偉大な先祖を祀る記念碑の試作品である。

ロシアの巨石(年代不明)
※巨石建造の一族ティカル人は北極海ルートを介してヨーロッパと津軽を往来していた。一方でヨーロッパにドルメンを築き、一方でロシア各地に巨石建造物の試作品を残した。ロシアの場合、ひとつの石が3000t~4000tとあまりに巨大すぎるため、偉大な先祖を祀る記念碑の建造に賛同した科学の種族トバルカインがティカル人に手を貸していたと考えられる。

黒又山(BC40世紀頃)
※すべてのピラミッド、マウンドの始まりは黒又山である。津軽に住んでいたティカル人は出羽国のトバルカインと共に先祖を祀る記念碑の建造を試みていた。その成果が、黒又山や十和田湖に沈んでいると伝えられる伝説の巨大ピラミッドである。黒又山は、マウンドとピラミッドの中間系ピラミッドである。この後、BC35世紀頃に「モーゼスの大移動時代」が起こり、ティカル人はピラミッド派とマウンド派に分離した。


モホス文明(年代不明)
※上の画像はアマゾン上流の広大なサバンナ地帯に点在する人工の丘のひとつである。この丘は同時に居住空間でもある。ある一定期間、アマゾン上流域が水没すると、この人工の丘は小島の役割を果たす。アマゾン上流域にはこのような丘がいくつも築かれ、それぞれの丘と丘は人工の道で結ばれ、一帯は蜘蛛の巣のような様相を呈している。また、下の画像のように人工池が作られ、生簀として用いられていた。
このモホスの地で、農業、養殖、灌漑設備などの発想が生まれた。モホス文明は科学の種族トバルカインが卓越した科学の発想を得た土地だと考えられるから、およそ2万年~3万年前の産物と考えられる。BC35世紀以降、巨石の種族ティカル人は、このモホス文明を継承し、ここから遥かヨーロッパ、地中海にまでやってきた。もともと巨石建造の種族であるため、ティカル人マウンド派は土木技術に優れていたが、同時に世界の海・河川を自在に往来する航海の達人でもある彼らはフェニキア人と呼ばれた。

ニューグレンジ(BC33世紀)
※地中海(ビュブロス)、ヨーロッパ(バヴァリア)、アマゾン流域(モホス文明)と世界の海を往来していたマウンド派は、古代アイルランド(ヒベルニア)に偉大な先祖を祀る記念碑としてニューグレンジを建造した。この時にオリエント地方に農業が伝えられた。

シルベリーヒル遺跡(BC26世紀)
※マウンド派はイングランド・ソールズベリーにシルベリーヒル遺跡を残した。

ワカ・プリエタ文化(BC26世紀)
※ティカル人マウンド派はアイルランドからペルーに進出し、マウンドの建造を含むワカ・プリエタ文化を残した。
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●バビロニア帝国(ヒベルニア)
・イシュビ・エッラ(生没年不詳) イシン第1王朝初代バビロニア王 在位BC2017~BC1985
・ダミク・イリシュ(生没年不詳) イシン第1王朝第15代バビロニア王 在位BC1816~BC1794
・ナプラヌム(生没年不詳) ラルサ朝初代バビロニア王 在位BC2025~BC2005
・リム・シン1世(生没年不詳) ラルサ朝第14代バビロニア王 在位BC1822~BC1763
・スム・アブム(生没年不詳) バビロン第1王朝初代王 在位BC1894~BC1881
・ハンムラビ(生没年不詳) バビロン第1王朝第6代王 在位BC1792~BC1750
・サムス・ディタナ(生没年不詳) バビロン第1王朝第11代王 在位BC1625~BC1595
・イルマ・イルム(生没年不詳) バビロン第2王朝初代王 在位不明
・エア・ガムイル(生没年不詳) バビロン第12王朝初代王 在位不明
※ティカル人マウンド派はバビロニア帝国を築いた。当初のバビロニア帝国はメソポタミアではなく、彼らがニューグレンジを築いたアイルランドに存在していたと考えられる。バビロニアの名の由来はアイルランドの古名ヒベルニアである。ヒベルニア=ビベルニア=バビロニアとなる。
古代アイルランドを拠点にしたバビロニア帝国の勢力図は、地中海(ビュブロス)、ヨーロッパ(バヴァリア)、アイルランド(ヒベルニア)、モホスにまで及んでいた。BC732年以降、バビロニア王位はアッシリア帝国に簒奪されてしまう。
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オルメカ文明(BC13世紀)
※バビロン第3王朝(カッシート朝)時代のバビロニア王が、オルメカに巨大なマウンドを築いた。これらはオルメカ文明に含まれている。以下がオルメカの王を務めていたバビロニアの王である。
・カダシュマン・エンリル2世(生没年不詳) カッシート朝第24代バビロニア王 在位BC1263~BC1255
・クドゥル・エンリル(生没年不詳) カッシート朝第25代バビロニア王 在位BC1254~BC1246
・シャガラクティ・シュリアシュ(生没年不詳) カッシート朝第26代バビロニア王 在位BC1246~BC1233
・カシュ・ティリアシュ4世(生没年不詳) カッシート朝第27代バビロニア王 在位BC1233~BC1225
・エンリル・ナディン・シュミ(生没年不詳) カッシート朝第28代バビロニア王 在位BC1225~BC1224
・カダシュマン・ハルベ2世(生没年不詳) カッシート朝第29代バビロニア王 在位BC1224~BC1233
・アダド・シュマ・イディナ(生没年不詳) カッシート朝第30代バビロニア王 在位BC1233~BC1217
ナブー・アプラ・イディナ(?~BC855) バビロン第8王朝第6代王在位 BC888~BC855
非子(?~BC858) 秦初代伯 在位BC900~BC858
マルドゥク・バラッス・イクビ(?~BC819) バビロン第8王朝第8代王在位 在位BC855~BC819
秦仲(?~BC822) 秦第4代伯 在位BC844~BC822
マルドゥク・ベル・ゼリ(?~BC780) バビロン第8王朝第11代王在位 BC790~BC780
荘公(?~BC778) 秦第5代伯 BC821~BC778

襄公(?~BC766) 秦初代公 在位BC777~BC766
エリバ・マルドゥク(?~BC761) バビロン第8王朝第13代王 在位BC769~BC761※画像なし
ディードー(BC839~BC759) カルタゴ初代女王
※アッシリアに圧されていたバビロニア第8王朝は徐々に拠点を秦に移していたが、アッシリアがバビロニアの王位を簒奪すると、バビロニアの王族は秦と並行して古代チュニジアに移り、カルタゴを築いた。謎の多いカルタゴだが、卓越した航海術と貿易によってローマと肩を並べる強国として隆盛を極めた。が、ポエニ戦争の頃はタナトス(ガリアのドルイド司祭の一族)に蝕まれ、没落していた。
景公(?~BC537) 秦第13代公 在位BC576~BC537
ハンノ1世(?~BC556) カルタゴ王 在位BC580~BC556
※その名前からハンノ1世の一族がウェネト族の正体だと考えられる。ガリアのドルイド司祭の一族が人身御供によってカルタゴ中の有能な青少年を皆殺しにしたため、彼らを嫌悪したハンノ1世は一族郎党を引き連れてカルタゴを後にし、ガリアに移り住んだ。
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●丁零(ディングリング)、高車(ガオチェ)の首長(※以下のように丁零、高車などの騎馬民族の首領は秦公、秦皇帝、漢皇帝が代々務めていた。)
・昭襄王(?~BC251) 秦第3代王 在位BC306~BC251
・孝文王(?~BC250) 秦第4代王 在位BC250
・荘襄王(?~BC247) 秦第5代王 在位BC249~BC247


始皇帝(BC259~BC210) 秦初代皇帝 在位BC246~BC210
劉邦(BC256~BC195) 漢初代皇帝 在位BC202~BC195
※生年が3年違いだが、始皇帝と劉邦は同一人物だったようだ。漢(ハン)の名の由来はフェニキアである。
・恵帝(BC210~BC188) 漢第2代皇帝 在位BC195~BC188
・前少帝(?~BC184) 漢第3代皇帝 在位BC188~BC184
・後少帝(?~BC180) 漢第4代皇帝 在位BC184~BC180
・文帝(BC203~BC157) 漢第5代皇帝 在位BC180~BC157
・景帝(BC188~BC141) 漢第6代皇帝 在位BC157~BC141
・武帝(BC156~BC87) 漢第7代皇帝 在位BC141~BC87
・昭帝(BC94~BC74) 漢第8代皇帝 在位BC87~BC74
・劉賀(BC92~BC59) 漢第9代皇帝 在位BC74~BC59
・宣帝(BC91~BC48) 漢第10代皇帝 在位BC59~BC48

秦始皇帝陵(BC221年頃)
※ディングリング(丁零)の名はモンゴルの天空神テングリの本名である。高車(ガオチェ)の由来は原初の神カオスで、河内の由来はガオチェである。超古代、オリジナル人類のディンカとムルングが合体してトゥングル族となり、古代にインドネシアに住んでいたが、彼らがシベリアに移住してテングリを生んだ。丁零はこの時代、首長である秦の始皇帝の要請を受けて始皇帝凌を築き、万里の長城の建設にも着手した。
元帝(BC74~BC33) 漢第10代皇帝 在位BC48~BC33
赫居世居西干(BC69~4) 新羅初代王 在位BC57~4
南解次次雄(?~24) 新羅第2代王 在位4~24
更始帝(?~25) 新初代皇帝 在位23~25
※丁零、高車の首長を兼任している元帝はチュルク族を率いて朝鮮半島に新羅(しらぎ)を築いた。シラギの由来はチュルクである。韓国では新羅はシンラと読むが、日本でシラギと読むのは、日本武尊か、或いは河内氏の影響だと考えられる。
おもしろいことに、新羅第2代王が前漢と後漢の間に「新」を開いている。新の由来は新羅だろう。諸葛孔明の一族が中国を訪れたため、抵抗を示す意味で新を築いたが、同じダヴィデの一族であるため、前漢皇帝の一族は後漢を諸葛氏に譲り、新羅の支配に特化したようだ。
・奈解尼師今(?~230) 新羅第10代王 在位196~230
・助賁尼師今(?~247) 新羅第11代王 在位230~247
・沾解尼師今(?~261) 新羅第12代王 在位247~261
・味鄒尼師今(?~284) 新羅第13代王 在位261~284
・儒礼尼師今(?~298) 新羅第14代王 在位284~298
・基臨尼師今(?~310) 新羅第15代王 在位298~310
・訖解尼師今(?~356) 新羅第16代王 在位310~356
・奈勿尼師今(?~402) 新羅第17代王 在位356~402
・実聖尼師今(?~417) 新羅第18代王 在位402~417
・訥祇麻立干(?~458) 新羅第19代王 在位417~458
・慈悲麻立干(?~479) 新羅第20代王 在位458~479
・ショウ知麻立干(?~500) 新羅第21代王 在位479~500
・智証麻立干(?~514) 新羅第22代王 在位500~514

法興王(?~540) 新羅第23代王 在位514~540※画像なし
ヌルシアのベネディクトゥス(480~547) ベネディクト会教祖
※ベネディクトの由来はウェネトである。ウェネト=ヴェネティ=ベネディクトとなる。
・真興王(?~576) 新羅第24代王 在位540~576
・真智王(?~579) 新羅第25代王 在位576~579
・真平王(?~632) 新羅第26代王 在位579~632
・善徳女王(?~647) 新羅第27代王 在位632~647
・真徳女王(?~654) 新羅第28代王 在位647~654
・武烈王(?~661) 新羅第29代王 在位654~661
・文武王(?~681) 新羅第30代王 在位661~681
・神文王(?~230) 新羅第31代王 在位681~692
・孝昭王(687~702) 新羅第32代王 在位692~702
※奈解尼師今から孝昭王に至る新羅王は日本で日本武尊、或いは河内氏を称した。河内氏は石舞台古墳を築き、一方で現ペルー・ナスカに渡って「軍事国家カワチ」を築き、ピラミッドなどの記念碑も築いた。奈解尼師今から孝昭王に至る23人の新羅王が古墳時代の日本各地で数々の前方後円墳を製作・指揮し、一方でマヤにイサパ文化を残し、また一方でナスカの軍事国家カワチの首長を務めたと考えられる。

前方後円墳(AD1世紀~4世紀頃)
※日本武尊(新羅王)は熊襲武尊に勝利した後に日本中にマウンド(前方後円墳)を建造した。古墳時代の始まりである。新羅王(日本武尊)は、ついでに九頭龍崇拝の人身御供の神官を務めていた高句麗王・百済王(サトゥルヌスの一族)を皆殺しにしていた。

石舞台古墳(年代不明)
※新羅王(日本武尊)は、明日香村に石舞台古墳を築いた。河内のだんじり祭りは、巨石の運搬が昇華されたものと考えられる。

イサパ文化(AD4世紀頃)
※新羅王は極東を離れて太平洋を横断し、マヤに渡った。新羅王(日本武尊)はイサパにマウンドを築いた。しかし、ここでイサパのマウンド派は、再度、ピラミッド派と対立した(この時代のピラミッド派はサトゥルヌスの一族に支配されていた)。だがピラミッド派に敗北した彼らは、マヤを去った。

カワチ遺跡(年代不明)
※カワチ遺跡は河内氏(新羅王)が築いたが、8世紀頃にナスカを離れて日本・諏訪国に入植してナスカを由来に「根津氏」を名乗るようになる。
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聖徳王(?~737) 新羅第33代王 在位702~737
パオロ・ルーチョ・アナフェスト(?~717) ヴェネツィア初代元首 任期697~717
マルチェッロ・テガッリアーノ(?~726) ヴェネツィア第2代元首 任期717~726
オルソ・イパート(?~737) ヴェネツィア第3代元首 任期726~737
※第33代新羅王は、初代から第3代までの元首を務め、ヴェネツィア共和国の礎を築いた。ヴェネツィアの由来はフェニキアである。フェニキア=ブェニチア=ヴェネツィアとなる。モホス時代、フェニキア人時代を通して一流の土木技術の集団だったマウンド派は、文字通りヴェネツィアを「建てた」。人が住むことができない湿地帯に無数の杭を打ち込み、その上に街を建てたのだ。
●プエブロ族の首長(新羅王)
・孝成王(?~742) 新羅第34代王 在位737~742
・景徳王(?~765) 新羅第35代王 在位742~765
・恵恭王(?~780) 新羅第36代王 在位765~780
・宣徳王(?~785) 新羅第37代王 在位780~785
・元聖王(?~798) 新羅第38代王 在位785~798

※画像はプエブロ族の住居。見ての通り、巨石建造の種族らしく、プエブロ族も土木建築技術に長けている。プエブロの名の由来はビュブロスであり、ホピの名の由来はヘブライ、或いはバビロニア、ヒベルニアである。

カホキア遺跡(AD8世紀頃)
※孝成王から元聖王までの5人の新羅王はミシシッピ流域に進出し、カホキア遺跡を残した。マウンド派の子孫である新羅王は、これを最後にマウンドの建造を中止した。

敬順王(?~935) 新羅第56代王 在位927~935
オルソ・パルテチパツィオ2世(?~932) ヴェネツィア第18代元首 任期912~932※画像なし
※敬順王を最後に新羅の拠点はヴェネツィア共和国に移った。ヴェネツィア共和国はヨーロッパ列強の中で唯一魔女狩りを拒否し、タナトスの一族が支配するピサ共和国やジェノヴァ共和国と対立し、覇権を競った。
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ピエトロ・ツィアニ(?~1229) ヴェネツィア第42代元首 任期1205~1229※画像なし
フナク・セエル(生没年不詳) マヤ人将軍※画像なし
マンコ・カパック(?~1230) クスコ王国初代王 在位1200前後
※ヴェネツィア共和国元首ピエトロ・ツィアニは、ヴェネツィアを離れて最初にマヤに進出し、フナク・セエルに変身して1221年にチチェン・イツァーの支配者に対する蜂起を指揮し、これを倒した後にマヤパンを築いた。フナクの由来はフェニキアだと考えられる。その後、フナクはマヤを後にインカに移住し、クスコ王国を建設する。
クスコ王国初代王マンコの名の由来は、彼らの先祖丁零が住んでいたモンゴルである。更に、クスコの由来はカシュガルであり、インカの由来はジュンガルである。インカ帝国の重要な名前がモンゴルに因んでいるのがよく分かるだろう。

シンチ・ロカ(?~1260) クスコ王国第2代王 在位1230頃
イッズッディーン・アイバク(?~1257) マムルーク朝第2代スルターン 在位1250~1257※画像なし
※クスコ王国第2代王の時代、クスコ人はエジプトに進出してマムルーク朝を開いた。クスコ王は代々のマムルーク朝スルターンを兼任した。マムルーク朝第5代スルターンのバイバルスの名はビュブロスに因んでいる。
リョケ・ユパンキ(?~1290) クスコ王国第3代王 在位1260~1290
カラーウーン(1220~1290) マムルーク朝第8代スルターン 在位1279~1290
カパック・ユパンキ(?~1350) クスコ王国第5代王 在位1320~1350
ムザッファル・ハーッジー(?~1347) マムルーク朝第21代スルターン 在位1346~1347

インカ・ロカ(?~1380) クスコ王国第6代王 在位1350~1380
マンスール・アリー(?~1381) マムルーク朝第27代スルターン 在位1377~1381※画像なし
パチャクテク(?~1471) インカ帝国初代皇帝 在位1438~1471
ザーヒル・ティムルブガー(?~1468) ブルジー朝第18代スルターン 在位1468
トゥパック・インカ・ユパンキ(?~1493) インカ帝国第2代皇帝 在位1471~1493
アシュラフ・カーイトバーイ(?~1495) ブルジー朝第19代スルターン 在位1468~1495
ワイナ・カパック(?~1527) インカ帝国第3代皇帝 在位1493~1527
ナースィル・ムハンマド(?~1498) ブルジー朝第20代スルターン 在位1495~1498
ザーヒル・カーンスーフ(?~1499) ブルジー朝第21代スルターン 在位1498~1499
アシュラフ・ジャーンバラート(?~1501) ブルジー朝第22スルターン 在位1499~1501
アーディル・トゥーマーンバーイ(?~1501) ブルジー朝第23代スルターン 在位1501
アシュラフ・カーンスーフ・ガウリー(?~1516) ブルジー朝第24代スルターン 在位1501~1516
アシュラフ・トゥーマーンバーイ(?~1517) ブルジー朝第25代スルターン 在位1516~1517

ワスカル(1491~1532) インカ帝国第5代皇帝 在位1527~1532
アンソニー・モンク(1490~1545) フリーメイソン創設※画像なし
※インカ皇帝ワスカルはインカ帝国を後にし、極秘にイングランドに移住した。彼はマンコを由来にモンクを称した。アンソニー・モンクに変身したインカ皇帝ワスカルはフリーメイソン(スコットランド、メイソンロッジ)を創設したと考えられる。
フリーメイソンの創設者・代表者の名前などは一切不明だが、ティカル人マウンド派の子孫であるアンソニー・モンクが創設したと推測できる。フリーメイソンの名の由来はヘブライの石工(メイソン)である。ヘブライ+メイソン=ブライメイソン=フライメイソン=フリーメイソンとなる。
・アタワルパ(1502~1533) インカ帝国第6代皇帝 在位1532~1533
・マンコ・インカ・ユパンキ(1516~1536) インカ帝国第8代皇帝 在位1533~1536
・トゥパック・アマル(?~1572) インカ帝国第11代皇帝 在位1571~1572
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トーマス・モンクの子(アンソニーモンクの曾孫)

ジョージ・モンク(1608~1670) 初代アルベマール公
シドニー・モンタギュー(?~1644)※画像なし
議会派のニューモデル軍に属して少将となり、1647年にアイルランドに出兵して転戦、1649年にアイルランド・カトリック同盟の指導者オーウェン・ロー・オニールと和睦を結んで帰国した。続いて翌1650年に議会派の司令官オリバー・クロムウェルに従いスコットランドへ遠征、第三次イングランド内戦におけるダンバーの戦いでジョン・ランバート・チャールズ・フリートウッドらと連携してスコットランド軍を撃破した後はスコットランド駐留軍の指揮を任され、翌1651年のウスターの戦いの際、スコットランド軍が南下しがら空きになった隙にスコットランド各地を転戦して1652年までにスターリング・ダンディー・アバディーン・オークニー諸島などを占領してスコットランドを平定した。翌1653年にクロムウェルが護国卿に就任すると、スコットランド代表として政権に加わりイングランド共和国の有力者となった。ジョージ・モンクwikiより
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シドニー・モンタギュー(ジョージ・モンク)の子

エドワード・モンタギュー(1625~1672) 初代サンドウィッチ伯爵
ポペ(1630~1692) プエブロ知事※画像なし
魔術の使用による逮捕とその後の釈放に続いて、ポペはプエブロの反乱を計画し、これを指揮した。いくつかの殺人の共犯によってスペイン当局から逃げていた間、ポペはタオス・プエブロの集落で難を避けた。ポペは、スペイン人に対して一斉に蜂起することを命令するその日までの残り日数を意味する結び目を付けた、プエブロ独特の結び目の暗号を持たせた使者を、各プエブロ集落に派遣した。
攻撃の決行日は1680年8月18日と決定された。しかしスペイン人はこれを事前に知ることができた。なぜなら、プエブロにメッセージを伝えるために預けられた、テスケ・プエブロ(現在のテスケの2名の若者を捕らえて聞き出したためである。ポペは、蜂起が計画された日の前の、8月10日、陰謀の実行を命令した。攻撃はタオス、ピクリス、テワによって、それぞれの集落で一斉に開始された。18人のフランシスコ修道士の聖職者、3人の平修士、男女子供合わせて380人のスペイン人が殺された。スペイン人開拓者は唯一のスペイン人の街であるサンタフェと、反逆に参加しなかった数少ない集落のひとつ、イスレタに逃げ込んだ。9月15日、イスレタへの避難民は、自分たちが唯一の生存者であると信じて、エルパソに向けて出発した。その間、ポペの賊はサンタフェの町を囲い込み、水の供給を断ち切った。総督邸を厳重に囲んだアントニオ・デ・オテルミン総督は、これで後退を余儀なくされ、9月21日にスペイン人の移住者たちは首都から一掃されて、エルパソ・デル・ノルテ(現在のシウダー・フアレス)へと向かった。 プエブロの反乱wikiより
※エドワードは家族であるプエブロ族を救うためにイングランドからスペイン領コロラドに馳せ参じ、スペイン軍に蜂起してこれを追放した。その後、「ポペの王国」を築いたが、彼の死後、プエブロ族の土地はすぐにスペイン人に占領された。

エドワード・モンタギュー(1670~1729) 第3代サンドウィッチ伯爵
※エドワードが、イングランドグランドロッジを1717年に設けたと考えられる。その後、サンドウィッチ伯爵が代々のフリーメイソンの頭領を務めたと考えることができる。
ジョージ・モンタギュー(1773~1818) 第6代サンドウィッチ伯爵
※ガウチョとは、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部のパンパ(草原地帯)やアンデス山脈東部に暮らす謎の人々である。彼らの正体はインカ帝国の王族であり、ガウチョの由来はガオチェ(高車)から来ている。ガウチョは勇猛なことで知られ、1806年、1807年に大英帝国軍がブエノスアイレスに侵攻してきた際、イギリス軍を撃退している。ガウチョたちを指揮していたのは第6代サンドウィッチ伯爵ジョージ・モンタギューだと考えられる。

ジョン・モンタギュー(1943) 第11代サンドウィッチ伯爵
※ディズニーランドでサンドウィッチ店を経営しているようだが、その正体はフリーメイソンの頭領だろう。

大本正