目次
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まえがき
新まえがき 2019.12.20
地球の王チュクウ~神統記の巨人ギガース、巨人アグリオス、巨人クリュテイオス、巨人グラティオーン、巨人エウリュトス、巨人ブリアレオース、半人半獣の怪物テュポン、鍛冶の祖トバルカイン
全能神ゼウスの一族~英雄ペルセウス、素戔鳴尊、全能神ゼウス、周、サイス朝、孫子、ソクラテス、臨済宗、リトアニア大公国、明、李氏朝鮮、マイソール王国、ロスチャイルド家、太平天国、サムスン・グループ
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族①~出羽、十和田、イスラエル王国、ダヴィデ朝、テーベ神官都市、太陽神ラー、太陽神アメン、ユダ王国、晋、趙、朴氏、ペグー王朝、能、伊賀忍者、ソ連国家保安委員会
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族②~拓跋部、北魏、吐蕃、回鶻汗国、ヴァイキング、ノルマンディー公、キエフ公国、甲賀忍者、ヴィジャヤナガル王国、スフォルツァ家ミラノ公、ソビエト社会主義共和国連邦
宇宙人トバルカイン(ルハンガ)の一族③~サハラ砂漠、ソドムとゴモラ、プント王国、インダス文明、パーンダヴァ族、英雄アルジュナ、燕、ローマ帝国、諸葛孔明、サファヴィー朝、シク教国、バアス党
宇宙人トバルカイン(オロクン)の一族④~桃源郷、仙人、ラテン王国、ヒッタイト帝国、シュメール都市国家ウルク、アーリア人、魯、孔子、東胡、天狗、匈奴、アラン人、西ゴート王国、ブルガリア帝国、大元帝国
宇宙人トバルカイン(クウォス)の一族⑤~海の民、エジプト第25王朝、プトレマイオス朝、ハザール帝国、イエス・キリスト、グルジア王国、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、ノルディック、ケムトレイル
宇宙人エラドの一族~女神エリウ、ラテン王国、シュメール都市国家ウル、アーリア人、衛、老子、道教、セレウコス朝、カッパドキア王国、橘諸兄、小野妹子、ブルガリア帝国、ブニョロ帝国、ウィルタ族
宇宙人マハラエルの一族~戦闘の女神マッハ、フルリ人、ウラルトゥ王国、イリュリア王国、楼蘭、モラヴィア王国、平将門、平清盛、ムラービト朝、ムワッハド朝、フス派、雑賀衆、ヘーチマン国家、スタジオ・ジブリ
宇宙人スバルの一族~天孫氏、ゼブルン族、シュメール都市国家シッパール、プール族、シバ王国、破壊神シヴァ、楚、鮮卑、ヴァンダル王国、シュリーヴィジャヤ王国、シビル汗国、円谷プロダクション
デウカリオンの一族(マウンド派)~ニューグレンジ、モホス文明、フェニキア人、カルタゴ、天孫族、多氏、秦、呉、前漢、新羅、日本武尊、インカ帝国、ジョージ・モンク、フリーメイソン、オナシス財閥
デウカリオンの一族(ピラミッド派)~ギザのピラミッド、ラムセス3世、曹、テオティワカン宗教都市、越、熊襲武尊、後漢皇帝、魔法使いの神殿、クメール王朝、ムハンマド・アリー朝、チャーリー・チャップリン
ブルガリア皇帝イヴァン・アセン3世の一族~ソロモン1世、エチオピア帝国、クリミア・ハン国、ハルハ部、ケニア共和国、チャック・ベリー、アース・ウィンド&ファイア、ボブ・マーリー、エディ・マーフィー
ブルガリア皇帝イヴァイロの一族~ヴィスコンティ家、メディチ家、クリストファー・コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、イエズス会、フランシスコ・ザビエル、トスカーナ大候国、ローマ教皇フランシスコ
ブルガリア皇帝ゲオルギ2世の一族~オスマントルコ帝国、北元、スペイン無敵艦隊、ロシア帝国、サルディーニャ王国、リンカーン大統領、宰相ビスマルク、怪僧ラスプーチン、エルドアン大統領
オスマントルコ皇帝ムラト2世の一族~イヴァン大帝、チューダー朝イングランド王国、宗教革命、エリザベス女王、清教徒革命、第一次サウード王国、第二次サウード王国、サウジアラビア王国
オスマントルコ皇帝メフメト2世の一族~マクシミリアン1世、バイエルン王国、交響曲の父ハイドン、サド侯爵、文豪ゲーテ、楽聖モーツァルト、ヘミングウェイ、三島由紀夫、シド・バレット、トランプ大統領
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族①~宇佐美定満、蘆名盛氏、柴田勝家、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光、伊達政宗、水戸光圀、乾隆帝
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族②~蘆名盛氏、高山右近、千利休、黒田官兵衛、有馬晴信、宮本武蔵、天草四郎、鄭成功、ヌルハチ、愛新覚羅家
オスマントルコ皇帝オスマン2世の一族~オリバー・クロムウェル、大英帝国、アメリカ合衆国、エドガー・アラン・ポー、オーソン・ウェルズ、ザ・ビートルズ、モンティ・パイソン、レッド・ツェッペリン
オスマントルコ皇帝アフメト3世の一族~ピヨートル大帝、ナポレオン皇帝、モルモン教、ルーズベルト大統領、ケネディ大統領、ザ・ドアーズ、プーチン大統領、ウィキリークス、Qアノン
オスマントルコ皇帝ムスタファ3世の一族~乾隆帝、マイソール王国、宝暦事件、トンブリー朝タイ王国、詩聖タゴール、マハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー
オスマントルコ皇帝セリム3世の一族~道光帝、曽国藩、胡林翼、李鴻章、西郷隆盛、吉田松陰、西太后、大本教、中江兆民、ジャン・コクトー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジェームズ・ディーン、つげ義春
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族①~曽国藩、東郷平八郎、乃木希典、児玉源太郎、袁世凱、黄金栄、蒋介石、小津安二郎、手塚治虫、ジャン・クロード=カリエル、ヴェルナー・ヘルツォーク
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族②~胡林翼、山口春吉、北一輝、大杉栄、鄧小平、ルイス・ブニュエル、サルトル、池田大作、キューブリック、宮崎駿、セックス・ピストルズ、マイケル・ジャクソン
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族③~李鴻章、勝海舟、福沢諭吉、坂本龍馬、張嘯林、杜月笙、黒澤明、田中角栄、習近平国家主席、マーティン・ルーサー・キングJr、ドゥテルテ大統領、橋本龍太郎
オスマントルコ皇帝アブデュルメジト1世の一族~犬養毅、頭山満、義和団の乱、幸徳秋水、文鮮明、大山倍達、田岡一雄、高畑勲、安孫子素雄、梶原一騎、アントニオ猪木、鳥山明、高田延彦、秋元康
オスマントルコ皇帝メフメト5世の一族~孫文、夏目漱石、張作霖、橋本忍、毛沢東、徳田球一、金日成、小沢一郎、金丸信、藤本弘、赤塚不二夫、ジャッキー・チェン、金正恩委員長
特別篇 宇宙人とぼく
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宇宙人マハラエルの一族~戦闘の女神マッハ、フルリ人、ウラルトゥ王国、イリュリア王国、楼蘭、モラヴィア王国、平将門、平清盛、ムラービト朝、ムワッハド朝、フス派、雑賀衆、ヘーチマン国家、スタジオ・ジブリ

 

・戦闘の女神マッハ(1万2千年前)

・魔神バロール(1万2千年前)

 

※画像は戦闘の女神マッハ。マッハ、バロールの名の由来はマハラエルである。大地殻変動が起きると、マハラエルは超科学の継承を決意し、凍りついた南極(五岳神の国)からエラドと共に古代アイルランドに移住した。

 

・ウラルトゥ王国(BC5千年)

 

※マハラエルは「トロイア戦争」「マー・トゥーレスの戦い」を機に、エラドと共に古代アイルランドからウラル地方に移住し、ウラルトゥ王国(公式には認められていないが第一次ウラルトゥ王国)を築いた。ウラルトゥの由来はマハラエルとエラドの組み合わせである。マハラエル+エラド=エルラドウラルトゥとなる。ウラルの名はウラルトゥ王国が当地に存在した証である。

ロシア人は、彼ら宇宙人の子孫である。ロシア(ルス)の由来はブリアレオース(マハラエルはマベエとブリアレオースの合体部族)だと考えられる。ブリアレオース=レオス=ルスとなる。

 

真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

・冥界神エルリク(BC35世紀)

・ミャオ族(BC35世紀)

 

※BC35世紀、古代台湾にいたマハラエルは預言者ナタンの一族の支配下にあったようだ。その時代、マハラエルは冥界神エルリクと呼ばれた。エルリクの由来はマハラエルキ(マハラエルの人)である。マハラエルキ=アラエルキ=エルリクとなる。

冥界神エルリクはスバル人が生んだ蚩尤と組み、ミャオ族を生んだ。ミャオの由来はマハラエルの名前を構成するマベエとブリアレオースの組み合わせである。マベエ+ブリアレオース=マオー=ミャオとなる。マハラエルは、預言者ナタンの一族に操られながら兵器を製作し、黄帝(ルハンガのトバルカイン)に挑戦した。これが「タク鹿の戦い」である。

 

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・スム=エプフ(?~BC1781) ヤムハド初代王 在位?~BC1781

・ヤリム=リム(?~BC1765) ヤムハド第2代王 在位BC1780~BC1765

・ハンムラビ1世(生没年不詳) ヤムハド第3代王 在位BC1765~?

・ハンムラビ2世(?~BC1595) ヤムハド第9代王 在位?~BC1595

 

※BC34世紀頃にエラドとオロクンのトバルカインが組んでラテン王国を築くが、フルリ人はウラル付近にヤムハド王国を築き、エラドとオロクンのトバルカインが生んだラテン王国の同盟国として、ラテン王国領域内に収まった。

その後、BC1595~BC858までの期間、フルリ人はアテーナイ人(ガリアのドルイド司祭の一族)と組んでエトルリア王国を古代アラビア半島に築いている。エトルリアの由来はアテーナイとフルリの組み合わせである。アテーナイ+フルリ=アテルリア=エトルリアとなる。

「マハーバーラタ戦争」でアラビア半島の国家が全て灰塵に帰すと、フルリ人はメソポタミアにウラルトゥ王国(公式には認められていないが第二次ウラルトゥ王国)を建てた。

 

・アラマ(?~BC844) ウラルトゥ王国初代王 在位BC858~BC844

・ルティプリ(?~BC834) ウラルトゥ王国第2代王 在位BC844~BC834

・サルドゥリ1世(?~BC828) ウラルトゥ王国第3代王 在位BC834~BC828

・イシュプイニ(?~BC810) ウラルトゥ王国第4代王 在位BC828~BC810

・メヌア(?~BC785) ウラルトゥ王国第5代王 在位BC820~BC785

・アルギシュティ1世(?~BC753) ウラルトゥ王国第6代王 在位BC785~BC753

・サルドゥリ2世(?~BC735) ウラルトゥ王国第7代王 在位BC753~BC735

・ルサ1世(?~BC714) ウラルトゥ王国第8代王 在位BC735~BC714

・アルギシュティ2世(?~BC680) ウラルトゥ王国第9代王 在位BC714~BC680

・ルサ2世(?~BC639) ウラルトゥ王国第10代王 在位BC680~BC639

・サルドゥリ3世(?~BC635) ウラルトゥ王国第11代王 在位BC639~BC635

・エリメナ(?~BC629) ウラルトゥ王国第12代王 在位BC635~BC629

・ルサ3世(?~BC615) ウラルトゥ王国第13代王 在位BC629~BC615

・サルドゥリ4世(?~BC598) ウラルトゥ王国第14代王 在位BC615~BC598

・ルサ4世(?~BC590) ウラルトゥ王国第15代王 在位BC598~BC590

 

・アナルマイエ(?~BC538) メロエ王国初代王 在位BC542~BC538

・アマニナタキレブテ(?~BC519) メロエ王国第2代王 在位BC538~BC519

・カルカマニ(?~BC510) メロエ王国第3代王 在位BC519~BC510

・アマニアスタバルカ(?~BC487) メロエ王国第4代王 在位BC510~BC487

・シャスピカ(?~BC468) メロエ王国第5代王 在位BC487~BC468

・ナサクマ(?~BC463) メロエ王国第6代王 在位BC468~BC463

・マルウィエバマニ(?~BC435) メロエ王国第7代王 在位BC463~BC435

・タラカマニ(?~BC431) メロエ王国第8代王 在位BC435~BC431

・アマニェテイェリケ(?~BC405) メロエ王国第9代王 在位BC431~BC405

・バスカケレン(?~BC404) メロエ王国第10代王 在位BC405~BC404

 

ハルショテフ(?~BC369) メロエ王国第11代王 在位BC404~BC369

Sirras(?~BC390) イリュリア王国初代王 在位BC437~BC390

 

※ウラルトゥ王国が滅ぶと、フルリ人はナイル上流域に進出して家族が住むヌビア(クシュ王国)に移住し、メロエ王国を建てた。メロエの由来はマベエとブリアレオースの組み合わせである。マベエ+ブリアレオース=マレオ=メロエとなる。

メロエ王は小型のピラミッドなどを建て、製鉄の種族としても知られていたが、アドリア海に進出してイリュリア王国を築きながら、一方では楼蘭の王として君臨した。

 

楼蘭の王(イリュリア王国の歴代王)

 

アクラテン(?~BC335) メロエ王国第13代王 在位BC350~BC335

Pleuratus I(?~BC335) イリュリア王国第4代王 在位BC356~BC335

 

・Pleuratus II(?~BC250) イリュリア王国第9代王 在位BC260~BC250

・Agron(?~BC230) イリュリア王国第10代王 在位BC250~BC230

・Pinnes(?~BC217) イリュリア王国第11代王 在位BC230~BC217

・Teuta(?~BC227) 摂生 在位BC227

・Demetrius of Pharos(?~BC219) イリュリア王国第12代王 在位BC222~BC219

・Scerdilaidas(?~BC206) イリュリア王国第13代王 在位BC218~BC206

・Pleuratus III(?~BC181) イリュリア王国第14代王 在位BC205~BC181

・Gentius(?~BC168) イリュリア王国第15代王 在位BC181~BC168

 

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・莫護跋(生没年不詳) 慕容部始祖

・慕容木延(生没年不詳) 莫護跋の子

・慕容渉帰(?~283) 在位?~283

・慕容耐(?~285) 在位283~285

・慕容カイ(?~333) 在位285~333

 

※イリュリア人はモンゴルで慕容部(ムーロン)を生んだ。ムーロンの名の由来はマベエとブリアレオースの組み合わせである。マベエ+ブリアレオース=マーレオー=ムーロン(慕容)となる。

 

・慕容コウ(?~348) 前燕初代皇帝 在位333~348

・慕容儁(319~360) 前燕第2代皇帝 在位348~352

 

慕容イ(350~384) 前燕第3代皇帝 在位360~370

郁久閭社崙(?~410) 柔然初代可汗 在位402~410

 

※慕容コウが前燕を築くと、孫の慕容イは柔然(ローラン)を生んだ。ローランの名の由来は楼蘭(ローラン)である。

 

アザニアー海賊の首領(突厥帝国の歴代王)

 

郁久閭菴羅辰(?~) 柔然第16代可汗 在位553~554

伊利可汗(?~552) 突厥帝国初代王 在位552~553

宇文覚(542~557) 北周初代皇帝 在位557

 

・乙息記可汗(?~553) 突厥帝国第2代王 在位553

・木汗可汗(?~572) 突厥帝国第3代王 在位553~572

 

宣帝(559~580) 北周第4代皇帝 在位578~579※画像なし

李淵(566~635) 唐初代皇帝 在位618~626

 

宇文闡(573~581) 北周第5代皇帝 在位579~581

他鉢可汗(?~581) 突厥帝国第4代王 在位572~581

 

・阿史那菴羅(?~581) 突厥帝国第5代王 在位581

・沙鉢略可汗(?~587) 突厥帝国第6代王 在位581~587

・葉護可汗(?~587) 突厥帝国第7代王 在位587

・頡伽施多那都藍可汗(?~599) 突厥帝国第8代王 在位587~599

 

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李恒(795~824) 唐第15代皇帝 在位820~824

モイミール1世(795~846) モラヴィア王国初代王 在位830~846

葛原親王(786~853) 高望父

 

懿宗(833~873) 唐第20代皇帝 在位859~873

ロスチスラフ(?~870) モラヴィア王国第2代王 在位846~870

平高望(生没年不詳) 良将父

 

スヴァトプルク1世(840~894) モラヴィア王国第3代王 在位871~894

ボジヴォイ1世(?~894) プシェミスル朝初代ボヘミア公 在位850~894

平良将(生没年不詳) 将門父

 

李敏(867~904) 唐第22代皇帝 在位888~904※画像なし

モイミール2世(872~907) モラヴィア王国第4代王 在位894~907※画像なし

平将門(?~940)

 

ブジェチスラフ1世(1002~1054) 初代モラヴィア公 在位1019~1033

 

スピチフニェフ2世(1031~1061) 第4代モラヴィア公 在位1049~1054

イブン・ヤースィン(?~1056) ムラービト朝初代アミール 在位1040~1056

ヤフヤー・イブン・イブラーヒーム(?~1056) ムラービト朝第2代アミール 在位1056

ヤフヤー・イブン・ウマル(?~1056) ムラービト朝第3代アミール 在位1056

平正度(?~1069) 平清盛の曽曽祖父

 

イブラーヒーム(1131~1146) ムラービト朝第8代アミール 在位1146

平教盛(1128~1185) 平忠盛の子

 

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平忠正(?~1156) 平清盛伯父

アブド・アルムーミン(?~1163) ムワッヒド朝初代アミール 在位1130~1163

 

平清盛(1118~1181) 平氏政権

アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世(?~1184) ムワッヒド朝第2代アミール 在位1163~1184※画像なし

 

平重衡(1157~1185) 清盛の子

オタカル1世(1155~1198) プシェミスル朝初代ボヘミア王 在位1198~1230

ヤアクーブ・マンスール(1160~1199) ムワッヒド朝第3代アミール 在位1184~1199

 

宗実(1168~?) 重盛の子、清盛の孫

ムハンマド・ナースィル(?~1213) ムワッヒド朝第4代アミール 在位1199~1213

アブド・アル=ハック1世(?~1217) マリーン朝初代スルターン 在位1196~1217

 

アブー・バクル(?~1258) マリーン朝第4代スルターン 在位1244~1258

ヴァーツラフ1世(?~1253) プシェミスル朝第2代ボヘミア王 在位1230~1253

 

アブド・アル=アズィーズ2世(1375~1396) マリーン朝第25代スルターン 在位1393~1396※画像なし

鄭和(1371~1433)※画像なし

ヴァシーリー1世(1371~1425) モスクワ大公 在位1389~1425※画像なし
ヤン・フス(1369~1415)
ヤン・ジシュカ(1374~1424)

 

チェコ出身の宗教思想家、宗教改革者。ジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手し、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖宥状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となった。カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された。 ヤン・フスwikiより

 

1420年、迫害を逃れてきたフス派の民衆をボヘミア南部の山中に集めて城塞都市ターボルを建設し、フス派の中でも急進派といわれたターボル派を結成した。ジシュカが作り出したターボル派の軍は、信仰に基づく厳格な軍紀とマスケット銃や戦車などの新兵器によって無類の強さを発揮し、ジギスムントの神聖ローマ帝国軍やフス派撲滅のための十字軍も、ジシュカの前に何度も大敗を喫した。ヤン・ジシュカ wikiより

 

※ヴァーシーリー1世は邪教カトリックから民衆を解放するためヤン・フスとなり、フス派を築いた。フスの由来はヴァーシーリーである。ヴァーシーリー1世は庶子を投入した影武者部隊を指揮し、ロシアは影武者に一任して、自分は邪教が率いる十字軍と戦った。やがて影武者が処刑されると、フスはヤン・ジシュカを名乗り、フス戦争を指揮する。

 

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フス派の首領(ヴァシーリー1世の子)

 

ヴァシーリー2世(1415~1462) モスクワ大公 在位1425~1462

イジー・ス・ポジェブラト(1420~1471) フス派のボヘミア王

 

イジーはボヘミアの貴族ヴィクトリン・ス・クンシュタート・ア・ポジェブラトの息子として生まれた。父はフス戦争を起こしたフス派のうち、穏健派であるウトラキストの指導者の1人だった。14歳の時、イジーはフス派内の急進派であるターボル派の没落を招いたリパニーの戦いに参加した。成人したイジーはフス派の指導者の1人として、神聖ローマ皇帝ジギスムントからボヘミア、ハンガリー、ローマ王位を引き継いだ婿のアルブレヒト2世の率いるオーストリアの軍勢に勝利した。イジーはすぐにフス派内で頭角をあらわし、プタテク・ス・ピルクシュテインの死後はその頭領となった。 wikiより

 

フレデリック(1453~1458) イジー・ス・ポジェブラト子※画像なし

ウラースロー2世(1456~1516) ボヘミア王 在位1471~1516

 

イヴァン4世(1467~1500) ヴァシーリー2世孫※画像なし
ヤン1世(1459~1501) ポーランド王 在位1492~1501

アレクサンデル(1461~1506) ポーランド王 在位1501~1506

 


ジグムント1世(1467~1548) ポーランド王 在位1506~1548

 

※ヤン・フスの子孫が、ボヘミア王、ポーランド王としてボヘミア王国、ポーランド王国を統治し、一方でフス派の首領も兼任していた。

 

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ボヘミア王ウラースロー2世の子

 

ラヨシュ2世(1506~1526) ハンガリー王 在位1516~1526
鈴木孫一(1534~1589) 雑賀衆

イオフ(?~1607) 初代モスクワ総主教 在位1589~1605

 

1516年、父の後を受けてハンガリーとボヘミアの王として即位する。しかし若年のために国内の統率が困難となり、それが災いして1526年、オスマン帝国のスレイマン1世(大帝)が率いるオスマン軍との戦い(モハーチの戦い)で、20歳の若さで敗死した。これによりハンガリーの大部分は、オスマン帝国に奪われた(オスマン帝国領ハンガリー)。野心家であったといわれるが、多くは成し遂げられることはなかった。ラヨシュ2世wikiより

 

石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。その後、豊臣秀吉に鉄砲大将として仕え、関ヶ原の戦い(伏見城の戦い)では西軍本隊に属して、鳥居元忠を討ち取る活躍を見せる。戦後、浪人を経て水戸藩に仕官した。鈴木孫一wikiより

 

※ラヨシュ2世は、ヤノシュを連れて日本にまで逃亡し、1534年に到着した。彼は、日本到着の年を鈴木孫一生誕年と定めた。孫一らは雑賀衆を結成して銃器を得意とした戦法で本願寺に味方した。鈴木の由来はジシュカである。鈴木孫一らが邪教本願寺に味方したのは、孫一の正体であるラヨシュ2世がスレイマン1世に敗北したことが原因だろう。孫一は、織田信長がスレイマン1世(宇佐美定満)の子だということを知っていたのだ。そのため、織田信長の敵である本願寺に味方した。

その後、孫一は1589年に55歳で死んだことにし、ロシア帝国に向かった(ラヨシュ2世から数えると83歳となる)。同年、孫一はイオフに変身し、ロシア帝国で初代モスクワ総主教に就任した。ラヨシュ2世から数えると、彼は101歳まで生きたことになる。

 

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ラヨシュ2世の子

 

ヤノシュ・ワス(1521~1580) 
土橋守重(?~1582) 雑賀衆

 

本能寺の変が発生すると、織田氏の支援を受けられなくなった鈴木氏は長宗我部氏・根来衆らの支援を受けた土橋勢に反撃されて紀伊を追われ、小牧・長久手の戦いを経て、天正13年(1585年)の秀吉による紀州征伐まで土橋氏が雑賀衆の主導権を握ることとなる。wikiより

 

※土橋の名の由来は、ジシュカとフスの組み合わせである。ジシュカ+フス=ジシュ+フシ=ツチ+ハシ=土橋となる。

 

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鈴木重次(1598~1664) 鈴木孫一次男※画像なし

ボフダン・フメリニツキー(1595~1657) ウクライナ・コサック最高指導者初代ヘーチマン

 

※ヘーチマンの由来は平氏である。ヘーチマンの首領はアタマンと呼ばれるがこれも日本語「頭」に由来している。

 

クィルィーロ・ロズモーウシクィイ(1728~1803) ウクライナ・コサック最高指導者第21代ヘーチマン

アフマド・シャー・ドゥッラーニー(1722~1772) ドゥッラーニー朝初代君主 在位1747~1772

 

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ドゥッラーニー朝第3代君主ティムール・シャーの子

 

マフムード・シャー(1769~1829) ドゥッラーニー朝第4代君主 在位1801~1803※画像なし

イヴァン・ペステル(1765~1843)※画像なし

イヴァン・コトリャレーウシキー(1769~1838) ウクライナ作家

 

シュジャー・シャー(1785~1842) ドゥッラーニー朝第5代君主 在位1803~1809

ミヒャエル・ルーニン(1787~1845) 救済同盟デカブリスト

セルゲイ・ペトロヴィッチ・トルベツコイ(1790~1860) 救済同盟デカブリスト

パーヴェル・ペステリ(1793~1826) 救済同盟デカブリスト

ドースト・モハマド・ハーン(1793~1863) バーラクザイ朝初代アミール

コンドラチイ・ルイレーエフ(1795~1826) 救済同盟デカブリスト※画像なし

セルゲイ・ムラヴィヨフ=アポストル(1796~1826) 救済同盟デカブリスト

ニキータ・ムラヴィヨフ(1796~1843) 救済同盟デカブリスト

ピョートル・カホフスキー(1797~1826) 救済同盟デカブリスト※画像なし

イヴァン・プーシキン(1798~1859) 救済同盟デカブリスト

ミハイル・パヴロヴィチ・ベストゥージェフ=リューミン(1801~1826) 救済同盟デカブリスト※画像なし

 

※デカブリストは、西本願寺門主寂如の一族に汚染されたロシア帝国を奪還するために結成された。

 

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バーラクザイ朝初代アミールドースト・モハマド・ハーンの子(名前不詳の息子27人)

 

ムハンマド・アフザル・ハーン(1811~1867) バーラクザイ朝第4代アミール

ピエール・ジョゼフ・プルードン(1809~1865) 無政府主義思想

ミハイル・バクーニン(1814~1876) アナーキスト

カール・マルクス(1818~1883) 共産主義思想

イヴァン・ツルゲーネフ(1818~1883) 作家

 

シール・アリー・ハーン(1825~1879) バーラクザイ朝第3代アミール

ニコライ・チェルヌイシェフスキー(1828~1889) ナロードニキ指導者

レフ・トルストイ(1828~1910) 作家

フリードリヒ・エンゲルス(1820~1895) 労働運動指導者

ピョートル・ラヴロフ(1823~1900) ナロードニキ理論家

フョードル・ドストエフスキー(1821~1881) 作家

 

名前不詳の息子27人のうちのひとり

モデスト・ムソルグスキー(1839~1881) 作曲家

ピョートル・チャイコフスキー(1840~1893) 作曲家

ニコライ・ミハイロフスキー(1842~1904) ナロードニキ理論家

鈴木岩治郎(1837~1894) 鈴木商店創業者

 

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シール・アリー・ハーンの子

 

ムハンマド・ヤアクーブ・ハーン(1849~1923) バーラクザイ朝第6代アミール

セルゲイ・ネチャーエフ(1847~1882) 人民の裁き指導者

パーヴェル・アクセリロード(1850~1928) 社会主義者

ニコライ・チャイコフスキー(1851~1926) チャイコフスキー団指導者

マルク・ナタンソン(1851~1919) 土地と自由指導者

 

※ナロードニキ運動は、西本願寺門主寂如の一族に汚染されたロシア帝国を奪還するために結成された。ナロードニキ運動がロシア革命成功の下地を準備した。

 

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ティーホン(1865~1925) モスクワ総主教

アントン・チェーホフ(1860~1904) 作家

久原房之助(1869~1965) 久原財閥創業者

 

※西本願寺門主寂如の一族が運営するロシア帝国によってモスクワ総主教の座は一時廃止されたが、ティーホン総主教の時代に再開された。久原はティーホンの影武者として生まれたが、日本に移住して久原財閥を起こした。久原(くばら)の由来はカブールである。

 

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ムハンマド・ダーウード(1909~1978) アフガニスタン共和国初代大統領

ファビアン・ドロン(1904~1977) アラン・ドロン父

 

※東本願寺門主巧如の一族に属するザーヒル・シャーによって家族が惨殺された。悲劇の英雄。彼は影武者用に多くの庶子を儲けていた。また、ファビアン・ドロンとしてフランスに行き、俳優アラン・ドロンを儲けている。

 

アラン・ドロン(1935) 俳優

吉田竜夫(1932~1977) タツノコ・プロダクション社長

 

※ドロンの由来はドゥッラーニーである。つまり、ドロンはアフガニスタン出身と考えられる。ダウードは、ファビアン・ドロンとして日本人女性にも遺伝子を所望されたようだ。優性遺伝子ブリーダーによって吉田竜夫兄弟が生まれている。

 

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ムハンマド・ダーウードの子

 

Khalid Daoud Khan(1947~1978)

鈴木敏夫(1948) スタジオ・ジブリ社長

 

Muhammad Umar Daoud Khan(?~1978)※画像なし
押井守(1951) 映画監督

 

※世界で最初に銃器を戦争に使用したフス派の子孫だけあり、長編アニメ映画「功殻機動隊」などの押井作品にも武器、戦略、戦法、謀略の知識が活かされている。押井はポーランドで実写映画「アヴァロン」を撮ったが、ポーランドと関係が深いのはフス派の血が彼を故郷に誘うのだろう。押井はマジを嫌う人で、「イノセンス」など、マジな映画を作ったあとは、「立喰師列伝」など、シラケ気分全開の映画を製作する。

 

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アフガニスタン共和国初代大統領ムハンマド・ダーウードの孫

 

Ariane Heila Khanum Ghazi(1961)※画像なし

ハーミド・カルザイ(1957) 初代アフガニスタン・イスラム共和国大統領

ムハンマド・オマル(1959~2013) タリバーン初代最高指導者

 

Hila Khanum(1961~1978)※画像なし

土橋安騎夫(1960) レベッカ

石川光久(1958) プロダクション・アイジー代表取締役社長

 

※ダウードの孫の影武者として生まれたと考えられる。レベッカは、あからさまに80年代最先端の洋楽(イギリスのニューウェイブ、プリンスやマドンナ、クール&ザ・ギャングなどの80年代ファンク)の影響下にあったが、洋楽と邦楽の垣根を易々と壊した。その先駆だった。

 

Hawa Khanum Ghazi(1963)※画像なし

今敏(1963~2010) 映画監督

アフタル・ムハンマド・マンスール(1965~2016) タリバーン第2代最高指導者

ハイバトゥラー・アクンザダ(1966) タリバーン第3代最高指導者※画像なし

 

※ダウードの孫の影武者として生まれたと考えられる。頭の良い人だが、癌は存在しないことを知らず、本願寺勢力に殺された。TVアニメ作品「妄想代理人」では、集団ストーカーを再現していた。

 

Waygal Daoud Khan(1975~1978)※画像なし

石井朋彦(1977) プロダクション・アイジー所属

 

 

 


宇宙人スバルの一族~天孫氏、ゼブルン族、シュメール都市国家シッパール、プール族、シバ王国、破壊神シヴァ、楚、鮮卑、ヴァンダル王国、シュリーヴィジャヤ王国、シビル汗国、円谷プロダクション

 

テーバイ王国(1万3千年前)※画像はサハラ砂漠

 

ルハンガのトバルカインは超科学を継承し、現サハラ砂漠にテーバイ王国を築いた。気仙沼の河童(ケシャンボ)はルハンガのトバルカインと合体し、スバル人(サハラの語源)となった。カゾオバ+トバルカイン=ゾオバル=ソバル=スバルとなる。

 

天孫氏(1万3千年前)※画像は小型人類ホモ・フローレシエンシス発掘現場

 

スバル人の祖は、上記のようにオリジナル人類カゾオバであり、もともとは気仙沼に住んでいたケシャンボ(河童)である。しかし、ルハンガのトバルカインとの混血が進むと、身長1mのスバル人と普通身長(170~180cm)のスバル人の身長差が顕著になった。

普通身長のスバル人はそのままテーバイ王国に残ったが、身長1mのままのスバル人は新天地を求めてテーバイ王国を離れ、フローレス島に本拠地を据え、沖縄諸島をはじめ、バヌアツ諸島、ツバル諸島などの太平洋の島々を勢力圏に収めた。ホモ・フローレシエンシスの化石は、じつは埋葬されたスバル人の遺骨だと考えられる。

スバル人と妖怪キジムナーは祖を同じくする家族である。両者はオリジナル人類カゾオバの子孫であるため、沖縄では交流があったようだ。ところで、沖縄の歴史書には伝説の天孫氏が登場する。彼ら自身の正体や王国の歴史、王の系譜は不明であり、国の様子さえ詳らかでないが、謎に包まれた天孫氏の王朝とは、妖怪キジムナーと小型宇宙人の王国だったのではないかと考えられる。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

・ルーベン族(BC35世紀頃)

・レビ族(BC35世紀頃)

・ゼブルン族(BC35世紀頃)

 

※宇宙人の連合がイスラエル王国を統治していた時代、ルハンガのトバルカインのテーバイ王国(現サハラ砂漠)も同盟国となった。そのため、ルハンガのトバルカインは夏王朝の中国(カナン)ではルーベン族・レビ族と呼ばれ、スバル人はゼブルン族と呼ばれた。ルーベン・レビの名の由来はルハンガであり、ゼブルンの由来はスバルである。

 

・蚩尤(BC35世紀頃)

 

※イスラエル王国(縄文人)の集団が伝説の夏王朝治世下の中国大陸(カナン)に移住すると、スバル人も古代雲南に拠点を移した。彼らは、蚩尤(シヨウ)と呼ばれた。伝説によると、蚩尤は、夏王朝(古代中国から古代スイスまでに至る領域を支配していた)が斜陽の道を辿っていた際、黄帝(ルハンガのトバルカイン)と対立した。

これは一方で、イスラエルの10支族ルーベン族とゼブルン族の対立ということもできる。ルハンガのトバルカインは永年スバル人とは同盟関係にあったが、どちらか(多分蚩尤)が、狡猾な預言者ナタンの一族(ダン族)の支配下に堕ちていた可能性がある。

蚩尤はルハンガのトバルカインの代わりにミャオ族と同盟を組むが、このミャオ族の正体はマハラエルだと考えられる。平和を愛する宇宙人は一度も兵器を製造したことがない。核兵器と呼ばれるものも、じつは宇宙人が直接、物質の原子を分裂させて巨大な爆発を発生させているに過ぎない。黄帝と対立した時、蚩尤は人類で最初に兵器を作ったとされている。預言者ナタンの一族(ダン族)にそそのかされたのだと考えられる。これが「タク鹿の戦い」である。

 

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インダス文明の礎

 

・シバ王国(BC32世紀頃)

・プント王国(BC32世紀頃)

 

※BC32世紀頃、超科学の種族ルハンガのトバルカインとスバル人が築いたテーバイ王国(現サハラ砂漠)、アルパクシャデの名に因んだソドム国(チャド・スーダン地域)、クマルビの名に因んだゴモラ国(カッパドキア)にタナトスの一族が蔓延った。ルハンガのトバルカインとスバル人は、タナトスの一族をみな殺しにするためにタナトスやタナトスの街を核分裂させた。これが「ソドムとゴモラ」である。

これにより、北アフリカは完全な砂漠と化し、カッパドキア地域も砂漠化した。しかしかつては緑深く、豊かな河川に彩られた北アフリカのソドムとゴモラ後の惨状を目にし、心が痛んだルハンガのトバルカインは超科学を放棄する決意をし、現サハラを離れてパンジャブに根を下ろした。

一方、スバル人は超科学を継承しつつシバ王国を築き、ルハンガのトバルカインはプント王国を築いた。この2つの王国は連合体だったため、パンジャブの由来となった。プント+シバ=プンシヴァ=パンジャブとなる。

 

・雷神インドラ(BC32世紀頃)

 

・破壊神シヴァ(BC32世紀頃)

 

※超科学を継承していたスバル人は雷神インドラ、破壊神シヴァとも呼ばれた。インドラの名の由来はパンドラである。パンドラはヒンドゥーの由来でもある。

テーベ神官都市のダヴィデの一族はこの時にパンジャブに赴いて、シバ王国、プント王国を築いた兄弟ルハンガのトバルカインとスバル人を援助した。この時にいわゆる「インダス文明」が始まり、同時に、テーベ神官都市のダヴィデの一族は善神デーヴァと呼ばれた。以下がインダス文明を築き、善神デーヴァと呼ばれたエジプト第11王朝、第13王朝、第18王朝のファラオたちである。

 

インダス文明の王(エジプト第11王朝、第13王朝、第18王朝の歴代ファラオ)

 

・メンチュヘテプ1世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位?~BC2134

・アンテフ1世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・アンテフ2世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・アンテフ3世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ2世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ3世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ4世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

 

・セベクヘテプ1世(?~BC1800) エジプト第13王朝初代王 在位BC1803~BC1800

・セネブエフ(?~BC1796) エジプト第13王朝第2代王 在位BC1800~BC1796

・アメンエムハト5世(?~BC1793) エジプト第13王朝第3代王 在位BC1796~BC1793

・アメンエムハト6世(?~BC1785) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1788~BC1785

・セベクヘテプ2世(?~BC1750頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1750頃

・ホル(?~BC1760頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1760頃

・アメンエムハト7世(?~BC1770頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1770頃

・ウハエフ(?~BC1757) エジプト第13王朝ファラオ 在位?~BC1757

・ケンジェル(生没年不詳) エジプト第13王朝ファラオ 在位不明

・アンテフ4世(?~BC1750頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1750頃

・セベクヘテプ3世(?~BC1741) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1745~BC1741

・ネフェルヘテプ1世(?~BC1730) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1741~BC1730

・セベクヘテプ4世(?~BC1720) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1730~BC1720

・アイ(?~BC1677) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1700~BC1677

 

・イアフメス1世(?~BC1546) エジプト第18王朝初代王 在位BC1570~BC1546

・アメンヘテプ1世(?~BC1524) エジプト第18王朝第2代王 在位BC1551~BC1524

・トトメス1世(?~BC1518) エジプト第18王朝第3代王 在位BC1524~BC1518

・トトメス2世(?~BC1504) エジプト第18王朝第4代王 在位BC1518~1504

・ハトシェプスト(?~BC1483) エジプト第18王朝第5代王 在位BC1498~BC1483

・トトメス3世(?~BC1450) エジプト第18王朝第6代王 在位BC1504年~BC1450

・アメンヘテプ2世(?~BC1419) エジプト第18王朝第7代王 在位BC1453~BC1419

・トトメス4世(?~BC1386) エジプト第18王朝第8代王 在位BC1419~1386

・アメンヘテプ3世(?~BC1349) エジプト第18王朝第9代王 在位BC1386~BC1349

・ホルエムヘブ(?~BC1293) エジプト第18王朝第14代王 在位BC1321~BC1293

 

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●プレ・インカ文化は小人が生んだ文化

 

※画像はナスカの地上絵である。およそ1万年前から古代沖縄に天孫氏王統を築いていた小型スバル人は、BC11世紀頃の古代アンデスに移住し、チャビン文化、ナスカ文化、ティワナク文化、モチェ文化、ワリ文化などを残した。この当時、スバル人はペルーでピラミッドの種族と共存していた。上記のプレ・インカ文化は謎が多いとされるが、小型スバル人と妖怪キジムナーが築いた文化だった。

小型スバル人と妖怪キジムナーはペルーの民族ケチュア族の前身となる。ケチュアの由来はカゾオバである。カゾオバ=ケチュアオバ=ケチュアとなる。ペルー時代はピラミッドの種族と共存していたが、彼らは巨石建造の技術を身につける。彼らは11世紀頃、故郷の沖縄にグスクなどを残すことになる。

ナスカの地上絵は、測量の技術向上が目的だった。正確な測量技術は精度の高い建築と建造を可能にするというわけだ。彼らはハトドリ、コンドル、タランチュラなどをモチーフに測量の練習をし、その練習の痕跡がナスカの地上絵として知られることになった。

 

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・パーンダヴァ王国(BC11世紀)

・アルジュナ王子(BC11世紀)

・太陽神ヴィシュヌ(BC11世紀)

 

※画像は「マハーバーラタ戦争」の図。公式には、伝説のシバ王国とプント王国は古代アフリカに存在したとされている。しかし、実際にはシバ王国とプント王国はパンジャブ地方に存在していたと考えられる。その証がパンジャブの名前である。

両者は同盟していたのか、パーンダヴァと呼ばれた。パーンダヴァの由来はパンジャブと同じで、プントとシバの組み合わせである。プント+シバ=プンシバ=パンジャブとなり、プント+シバ=プントバ=パーンダヴァとなる。

タナトスの一族(アッシュール・ダン1世の一族、ティールタンカラの一族、デウスの一族)がパーンダヴァ王国簒奪の機会を狙っていたが、テーベ神官都市に住む善神デーヴァ(エジプト第18王朝ファラオ)の一族がパーンダヴァ族の王子アルジュナに超科学で出来た武器を授け、いわゆる「マハーバーラタ戦争」が勃発した。

この時にヴィシュヌが生まれた。ヴィシュヌの由来はシヴァとアルジュナの組み合わせである。シヴァ+アルジュナ=ヴァジュナ=ヴィシュヌとなる。「マハーバーラタ戦争」では、善神デーヴァがタナトスとその街を核分裂させたため、巨大な核爆発が起きた。これにより、パンジャブ地方・アフガン(パーンダヴァ王国)、メソポタミア(ラテン王国)は砂漠地帯と化した。

この後、ルハンガのトバルカインはスバル人と共に中国に移住して燕と楚を築いた。燕(エン)の由来はインドラであり、楚(シュ)の由来はスバルである。

 

インダス文明の王(楚の歴代王)

 

・Yuxiong(生没年不詳) 楚初代王 在位不明

・熊麗(生没年不詳) 楚第2代王 在位不明

・熊狂(生没年不詳) 楚第3代王 在位不明

・Xiong Yi(生没年不詳) 楚第4代王 在位不明

・熊只(生没年不詳) 楚第5代王 在位不明

・Xiong Dan(生没年不詳) 楚第6代王 在位不明

・Xiong Sheng(生没年不詳) 楚第7代王 在位不明

・Xiong Yang(生没年不詳) 楚第8代王 在位不明

・Xiong Qu(生没年不詳) 楚第9代王 在位不明

・熊母康(生没年不詳) 楚第10代王 在位不明

・熊摯紅(生没年不詳) 楚第11代王 在位不明

・熊執疵(?~BC848) 楚第12代王 在位?~BC848

・熊勇(?~BC838) 楚第13代王 在位BC847~BC838

・熊厳(?~BC848) 楚第14代王 在位BC837~BC828

・熊相(?~BC848) 楚第15代王 在位BC821~BC822

・Xiong Xun(?~BC848) 楚第16代王 在位BC821~BC800

・Xiong E(?~BC848) 楚第17代王 在位BC799~BC791

・熊儀(?~BC848) 楚第18代王 在位BC790~BC764

 

・熊囲(?~BC529) 楚第30代王 在位BC540~BC529

・熊比(?~BC529) 楚第31代王 在位BC529

・熊?(?~BC516) 楚第32代王 在位BC528~BC516

・熊珍(?~BC489) 楚第33代王 在位BC515~BC489

・熊章(?~BC432) 楚第34代王 在位BC488~BC432

・熊中(?~BC408) 楚第35代王 在位BC431~BC408

・熊当(?~BC402) 楚第36代王 在位BC407~BC402

・熊疑(?~BC381) 楚第37代王 在位BC401~BC381

・熊臧(?~BC370) 楚第38代王 在位BC380~BC370

・熊良夫(?~BC340) 楚第39代王 在位BC369~BC340

・熊商(?~BC329) 楚第40代王 在位BC339~BC329

・熊槐(?~BC299) 楚第41代王 在位BC328~BC299

・熊横(?~BC263) 楚第42代王 在位BC298~BC263

・熊完(?~BC238) 楚第43代王 在位BC262~BC238

・熊悍(?~BC229) 楚第44代王 在位BC237~BC229

・熊猶(?~BC228) 楚第45代王 在位BC228

・熊負芻(?~BC223) 楚第46代王 在位BC227~BC223

・熊啓(?~BC223) 楚第47代王 在位BC223

・熊心(?~BC206) 楚第48代王 在位BC208~BC206

 

※秦によって楚が滅ぶと、スバル人は、燕の王族ルハンガのトバルカインと共にインドに拠点を移し、シュンガ朝マウリヤ朝マガダ王国を開いた。シュンガの由来はスバルとルハンガの組み合わせと考えられる。スバル+ルハンガ=スンガ=シュンガとなる。

 

・プシャミトラ(?~BC149) シュンガ朝初代マウリヤ王 在位BC185~BC149

・アグニミトラ(?~BC141) シュンガ朝第2代マウリヤ王 在位BC149~BC141

・ヴァースジェーシタ(?~BC131) シュンガ朝第3代マウリヤ王 在位BC141~BC131

・ヴァースミトラ(?~BC124) シュンガ朝第4代マウリヤ王 在位BC131~BC124

・アンドラカ (?~BC122) シュンガ朝第5代マウリヤ王 在位BC124~BC122

・プリンダカ(?~BC119) シュンガ朝第6代マウリヤ王 在位BC122~BC119

・ゴシャ(?~BC108) シュンガ朝第7代マウリヤ王 在位BC119~BC108

・ヴァジュラミトラ(?~BC94) シュンガ朝第8代マウリヤ王 在位BC108~BC94

 

※シュンガ朝が滅ぶと、ルハンガのトバルカインは大将軍ユリウス・カエサルを生み、ローマ帝国の礎を築くが、スバル人はそのままインドに留まり、続いてカーンヴァ朝を開いた。カーンヴァ朝の王はゲルマニアに進出してスエビ族と呼ばれた。スエビの名の由来は鮮卑である。

 

ゲルマン人スエビ族の首長(カーンヴァ朝歴代王、禿髪部歴代大人)

 

・ヴァースデーヴァ(?~BC66) カーンヴァ朝初代マウリヤ王 在位BC75~BC66

・ブーミミトラ(?~BC52) カーンヴァ朝第2代マウリヤ王 在位BC66~BC52

・ナーラーヤナ(?~BC40) カーンヴァ朝第3代マウリヤ王 在位BC52~BC40

・スシャルマン(?~BC30) カーンヴァ朝第4代マウリヤ王 在位BC40~30

 

※カーンヴァ朝が滅ぶと、スバル人はモンゴルに拠点を移し、鮮卑(シェンベイ)を結成した。シェンベイの名の由来はカゾオバ(スバル)である。カゾオバ=カゾオンバ=ゾオンバ=シェンベイとなる。鮮卑には多くの部族が参加したが、中でもスバル人が主体の部族は禿髪部(ツファ)だけである。ツファの由来はカゾオバ(スバル)である。カゾオバ=ゾオファ=ツファとなる。禿髪部の大人は代々のスエビ族首長も兼ねた。

 

・禿髪寿?(生没年不詳) 禿髪部初代大人 在位不明

・禿髪樹機能(?~279) 禿髪部第2代大人 在位?~279

・禿髪務丸(生没年不詳) 禿髪部第3代大人 在位不明

 

禿髪推斤(生没年不詳) 禿髪部第4代大人 在位不明

クトゥンガ(?~375) クタイ王国初代王 在位350~375

 

※第4大人の時代、禿髪部はジャワ島に進出し、クタイ王国を築いた。この王国を皮切りに、マジャパヒト王国に至るまでスバル人のジャワ、スマトラでのインドネシア王国時代が始まる。ジャワの由来はカゾオバ(スバル)である。禿髪部がジャワを訪れるまでは、ジャワはカリンガと呼ばれていた。

 

・禿髪思復?(生没年不詳) 禿髪部第5代大人 在位不明

 

・アシュヴァヴァルマン(?~400) クタイ王国第2代王 在位375~400

・ムーラヴァルマン(?~466) クタイ王国第3代王 在位400~466

 

禿髪烏孤(?~399) 南涼初代王 在位397~399

Dharmayawarman(?~395) タルマヌガラ王国第2代王 在位382~395

 

禿髪利鹿孤(?~402) 南涼第2代王 在位399~402

Purnawarman(?~434) タルマヌガラ王国第3代王 在位395~434

 

禿髪ジョク檀(?~414) 南涼第3代王 在位402~414

Hermeric(?~438) スエビ王国初代王 在位409~438

 

※南涼第3代王は、スエビ王国をイベリア半島に築いた。

 

ガイセリック(?~477) ヴァンダル王国初代王 在位439~477

Rechila(?~448) スエビ王国第2代王 在位438~448

Rechiar(?~456) スエビ王国第3代王 在位448~456

Frumar(?~464) スエビ王国第9代王 在位460~464

Remismund(?~469) スエビ王国第10代王 在位464~469

 

フネリック(?~484) ヴァンダル王国第2代王 在位477~484

Hermeneric(生没年不詳) スエビ王国第11代王 在位485頃

 

Veremund(生没年不詳) スエビ王国第12代王 在位535頃

Candrawarman(?~535) タルマヌガラ王国第6代王 在位515~535

ヒルデリック(?~530) ヴァンダル王国第5代王 在位523~530

ゲリメル(?~534) ヴァンダル王国第6代王 在位530~534

 

・Chararicafter(?~558) スエビ王国第14代王 在位550~558

 

Ariamir(?~566) スエビ王国第15代王 在位558~566

Suryawarman(?~561) タルマヌガラ王国第7代王 在位535~561

 

Theodemar(?~570) スエビ王国第16代王 在位561~570

Kertawarman() タルマヌガラ王国第8代王 在位561~628

 

・Miro(?~583) スエビ王国第17代王 在位570~583

・Eboric(?~584) スエビ王国第18代王 在位583~584

・Andeca(?~585) スエビ王国第19代王 在位584~585

 

Malaric(?~585) スエビ王国第20代王 在位585※画像なし

李淵(566~635) 唐初代皇帝 在位618~626

 

※スエビ王国がオロクンノトバルカインが築いた西ゴート王国によって滅ぶと、スエビ族は中国に移り、唐を築いた。唐(タン)の由来は太平洋の最高神タネである。タネはもともとタナトスの神だが、スバル人がその名前を戴いた形である。スエビ王国最後の王Malaricは李淵に変身して中国を統一した。

スバル人は、同じ宇宙人の出自であるマハラエルと過去にも組んでいたが(蚩尤とミャオ族)、この時にも両者は連合した(唐と突厥帝国)。これにより、領土は拡大した。

 

・李世民(598~649) 唐第2代皇帝 在位626~649

・李治(628~683) 唐第3代皇帝 在位650~683

・李顕(656~710) 唐第4代、第6代代皇帝 在位684、705~710

 

李旦(662~690) 唐第5代、第8代皇帝 在位684~690、710~712

Tarusbawa(?~690) タルマヌガラ王国第11代王 在位670~690※画像なし

Dapunta Hyang Sri Jayanasa(?~702) シュリーヴィジャヤ初代王 在位671~702※画像なし

サンタヌ(?~700) シャイレーンドラ朝初代王 在位670~700※画像なし

 

李亨(711~762) 唐第10代皇帝 在位756~762

サンジャヤ(?~760) シャイレーンドラ朝第6代王 在位717~760※画像なし

サンジャヤ(?~746) 古マタラム王国初代王 在位717~746※画像なし

 

※サンジャヤの時代から古マタラム王は、シャイレーンドラ朝の王を兼ねるようになる。

 

李豫(726~779) 唐第11代皇帝 在位762~779

ラカイ・パナンカラン(?~775) 古マタラム王国第2代王 在位760~775※画像なし

 

李クオ(742~805) 唐第12代皇帝 在位779~805

ラカイ・パヌンガラン(?~800) 古マタラム王国第3代王 在位775~800※画像なし

 

李純(778~820) 唐第13代皇帝 在位805~820

ラカイ・ワラック(?~819) 古マタラム王国第4代王 在位800~819※画像なし

 

・ラカイ・ガルン 古マタラム王国第5代王

・ラカイ・ピカタン 古マタラム王国第6代王

・ラカイ・カユワンギ 古マタラム王国第7代王

 

李忱(810~859) 唐第19代皇帝 在位846~859

バーラプトラ・デワ(?~855) シャイレーンドラ朝第12代王 在位830~855※画像なし

ラカイ・ワトゥフマラン(生没年不詳) 古マタラム王国第8代王 在位不明※画像なし

 

李ツオ(892~908) 唐第23代皇帝 在位904~907

バリトゥン(?~910) 古マタラム王国第9代王 在位898~910

 

・ダクサ(?~919) 古マタラム王国第10代王 在位910~919

・トゥロドン(?~924) 古マタラム王国第11代王 在位919~924

・ラカイ・ワワ(?~929) 古マタラム王国第12代王 在位924~929

 

※唐が滅ぶとスバル人はマタラム王国に拠点を移した。唐の皇帝はインドネシアを治めた王でもあった。

 

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妖怪キジムナーの王(舜天王統、英祖王統、察度王統、怕尼芝王統の歴代琉球王)

 

・舜天(?~1237) 舜天王統初代琉球王 在位1187~1237

・舜馬順煕(?~1248) 舜天王統第2代琉球王 在位1238~1248

・義本(?~1259) 舜天王統第3代琉球王 在位1249~1259

 

・英祖(?~1299) 英祖王統初代王 在位1259~1299

・大成(?~1308) 英祖王統第2代王 在位1299~1308

・英慈(?~1313) 英祖王統第3代王 在位1308~1313

・玉城(?~1336) 英祖王統第4代王 在位1313~1336

・西威(?~1349) 英祖王統第5代王 在位1336~1349

 

・察度(?~1395) 察度王統初代王 在位1305~1395

・武寧(?~1405) 察度王統第2代王 在位1396~1405

 

※画像はスバル人が築いたグスク。沖縄には超古代から最初の人類エスの子孫が暮らしていたが、天孫氏王統や舜天王統、英祖王統、察度王統、怕尼芝王統は沖縄人が知らない王国だと考えられる。つまり、キジムナーの王国である。沖縄人のすぐ隣で誰も知らない身長1mの小人族の王朝が育まれていたのだ。

舜天はペルー帰りの人物だと考えられる。古代アンデスでピラミッド派に巨石建造の技術を享受されたスバル人は、沖縄でグスクを築くようになった。グスクの由来はクスコである(クスコの由来はカシュガル)。

 

・怕尼芝(?~1395) 怕尼芝王統初代王 在位1322~1395

・ミン(?~1400) 怕尼芝王統第2代王 在位1396~1400

・攀安知(?~1416) 怕尼芝王統第3代王 在位1401~1416

 

※画像はタナトスが作らせたグスク座喜味城。怕尼芝王統だけはバヌアツに住んでいたスバル人が王統を担っていたと考えられる。つまり、怕尼芝王統は琉球の王朝ではなく、バヌアツ王の系譜である。怕尼芝の由来はバヌアツである。

1429年、沖縄で最初の普通人の王朝が築かれる。それが第一尚氏王統である。しかもこれはタナトス(本願寺門主覚如の一族)の王統だった。自由に暮らしてきた沖縄人が味わう、初の支配の苦しみである。タナトスの上陸を機に、スバル人はグスク建設に狩りだされてしまう。

 

※画像はマチュピチュ。1440年頃、尚思紹王の時代で既にタナトスの支配に嫌気が差したスバル人は、沖縄を脱出してペルーに帰還した。マウンド派がペルーにインカ帝国を築いていた時代である。インカ帝国初代皇帝パチャクテクに快く迎えられた彼らはマチュピチュに城砦を築く。沖縄のグスクとマチュピチュの石積みが似ているのはそういうわけである。

 

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Taibuga(生没年不詳) シビル汗初代ハーン 在位1220~?

 

※シビル、シベリアの由来はスバルである。シビル汗国の歴代ハーンは代々、超科学の研究に勤しんだと考えられる。ユダヤ人1731の一族もシベリアを攻撃したり、ユダヤ人1908の一族も巨大空中要塞でシベリアに出撃していた。宇宙人にとってシベリアは重要な場所のようだ。

 

Tribhuwanaraja(生没年不詳) シュリーヴィジャヤ最後の王 在位1286

マリクル・サレー(?~1297) サムドラ・パサイ王国初代王 在位1267~1297

 

Khoja bin Taibugha(生没年不詳) シビル汗第2代ハーン 在位不明

ウィジャヤ(?~1309) マジャパヒト王国初代王 在位1293~1309

 

カラ・ユルク・オスマン(?~1435) 白羊朝初代君主 在位1378~1435

Tokhtamysh(?~1406) シビル汗第3代ハーン 在位1396~1406

Chekre Khan(?~1413) シビル汗第4代ハーン 在位1407~1413

Hadji Muhammad(?~1428) シビル汗第5代ハーン 在位1420~1428

 

Abu'l-Khayr Khan(?~1468) シビル汗第6代ハーン 在位1428~1468

ハムザ(?~1444) 白羊朝第2代君主 在位1435~1444

ジャハーンギール(?~1453) 白羊朝第3代君主 在位1444~1453

ウズン・ハサン(?~1478) 白羊朝第4代君主 在位1453~1478

 

Mar(?~1480) シビル汗第7代ハーン 在位1469~1480

ブラウィジャヤ5世(?~1478) マジャパヒト王国第5代王 在位1466~1478

ハリール(?~1478) 白羊朝第5代君主 在位1478

 

Ibak Khan(?~1495) シビル汗国第8代ハーン 在位1468~1495

ケレイ・ハン(?~1473) カザフ・ハン国初代ハーン 在位1469~1473

ヤアクーブ(?~1490) 白羊朝第6代君主 在位1478~1490

バイソンクル(?~1493) 白羊朝第7代君主 在位1490~1493

ルスタム(?~1497) 白羊朝第8代君主 在位1493~1497

 

※カザフの由来はカゾオバである。カゾオバ=カゾオハ=カザフとなる。

 

Mamuq of Kazan(?~1496) シビル汗国ハーン 在位1495~1496

アフメト・ゴウデ(?~1497) 白羊朝第9代君主 在位1497

 

アルワンド(?~1504) 白羊朝第10代君主 在位1498~1504

Muhammad Taibuga(?~1502) シビル汗国ハーン 在位1495~1502

Abalak of Sibir(?~1501) シビル汗国ハーン 在位1496~1501

 

Aguish(?~1503) シビル汗国ハーン 在位1502~1503

メフメト・ミルザ(?~1500) 白羊朝第11代君主 在位1498~1500

ムラト1世(?~1508) 白羊朝第12代君主 在位1497~1498、再位1502~1508

 

ターヒル(?~1531?) カザフ・ハン国第5代ハーン 在位?~1531?

Kuluk Sultan(?~1530) シビル汗国ハーン 在位1502~1530

Qasim(?~1530) シビル汗国ハーン 在位1504~1530

 

ハックナザル(?~1580) カザフ・ハン国第7代ハーン 在位1537~1580

Yadgar bin Qasim(?~1563) シビル汗国ハーン 在位1530~1563

Bey Pulad ibn Qasim(?~1563) シビル汗国ハーン 在位1530~1563

 

Kuchum Khan(?~1598) シビル汗国ハーン 在位1563~1598

Panembahan Senopati(?~1601) 新マタラム王国初代王 在位1587~1601

 

アブルマンベト(?~1771?) カザフ・ハン中ジュズ第2代ハーン 在位1739~1771?

Pakubuwono II(?~1749) 新マタラム王国第9代王 在位1726~1749

 

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允顕徳・具志堅親雲上用易(16??~?)

 

※1532年、スバル人は80年間暮らしていたマチュピチュを離れ、沖縄に帰還した。彼らは允氏具志堅家を称した。允の由来はインカであり、具志堅の由来はグスク、或いはクスコである。

 

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カザフ・ハン国ハーン アルトゥンサル(在位1826~1859)の孫?

 

円谷英二(1901~1970) 特撮技術監督・円谷プロダクション初代社長

 

※円谷の名の由来はツバルと太平洋の最高神タネの組み合わせである。ツバル(円)+タネ(谷)=円谷となる。つまり、円谷英二はスバル人の子孫である。そのため、「ウルトラマン」などの発想ができたのかもしれない。

 

円谷皐(1935~1995) 円谷プロダクション第2代社長※画像なし

ヌルスルタン・ナザルバエフ(1940) カザフスタン共和国初代大統領 任期1990~2019

 

円谷昌弘(1958~2019) 円谷プロダクション第5代社長※画像なし

カシムジョマルト・トカエフ(1953) カザフスタン共和国第2代大統領 任期2019~現在

 

※円谷昌弘は女性社員にセクハラ容疑で民事訴訟をおこされたという。つまり本願寺にロックオンされていたようだ。

 

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具志堅用高(1955) 元WBA世界ライトフライ級王者

 

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宇宙人エロヒム(1973)

 

※画像はクロード・ボリロンとエロヒムのコンタクト。著名なコンタクティーであり、フランスに宇宙人を崇拝する新宗教まで立ち上げたクロード・ボリロンは、1973年にフランス、クレルモン・フェラン山中で「エロヒム」を自称する宇宙人に遭遇した。

ボリロンは、この身長が1mしかない小さい宇宙人に出会ったことで人生が一変した。マイトレーヤ・ラエルを名乗った彼は新宗教「ラエリアン・ムーヴメント」を創設し、世界中に支部を持つに至る。小さい宇宙人の正体はスバル人である。

 

 

 


デウカリオンの一族(マウンド派)~ニューグレンジ、モホス文明、フェニキア人、カルタゴ、天孫族、多氏、秦、呉、前漢、新羅、日本武尊、インカ帝国、ジョージ・モンク、フリーメイソン、オナシス財閥

 

デウカリオンの一族(絵は炎に囲まれる日本武尊と熊襲武尊を襲う日本武尊)


※デウカリオンの一族は「神統記」で最大最強の怪物と呼ばれたテュポンと巨人アグリオスが合体することで生まれた。テュポン+アグリオス=テユグリオ=デウカリオンとなる。1万3千年前の大地殻変動の後、古代オーストラリアからメソポタミアに移ったデウカリオンは、巨石建造の一族ティカル人として活動する。デウカリオン=デウカリ=ティカルとなる。ティカルとはマヤの都市の名のひとつである。
その後BC35世紀頃、津軽時代にティカル人は2種類に分離した。テュポンのティカル人はピラミッド派としてピラミッドを建造し、アグリオスのティカル人はマウンド派としてマウンドを建造した。古墳時代には、ティカル人はモンゴルを拠点にし、マウンド派は丁零(ディングリング)、ピラミッド派は高車(ガオチェ)を名乗っていた。

また、日本ではマウンド派は日本武尊(ヤマトのティカル)を名乗り、ピラミッド派は熊襲武尊(クマソのティカル)を名乗っていた。ピラミッド派はマウンド派と対立していたが、日本武尊が勝利したことにより、前方後円墳と呼ばれた巨大なマウンドの建造を開始した。古墳時代の始まりである。

 

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ギョベクリ・テペ(BC76世紀頃)

 

※神々の集団アヌンナキの時代、デウカリオンの一族は初めて偉大な先祖を祀る巨石文化の端緒を切った。

 

イングランドのドルメン(BC40世紀頃)

 

※BC50世紀頃、「第一次北極海ルートの大航海時代」を機に、デウカリオンの一族はヨーロッパを訪れ、ドルメンを築くようになった。ドルメンはマウンドを築く際の基礎部分であり、その発展形として後に、土を被せていくようになったと考えられる。ドルメンはBC40世紀~BC30世紀にかけてヨーロッパ中に築かれた。巨石の一族による、偉大な先祖を祀る記念碑の試作品である。

 

ロシアの巨石(年代不明)

 

※巨石建造の一族ティカル人は北極海ルートを介してヨーロッパと津軽を往来していた。一方でヨーロッパにドルメンを築き、一方でロシア各地に巨石建造物の試作品を残した。ロシアの場合、ひとつの石が3000t~4000tとあまりに巨大すぎるため、偉大な先祖を祀る記念碑の建造に賛同した科学の種族トバルカインがティカル人に手を貸していたと考えられる。

 

黒又山(BC40世紀頃)

 

※すべてのピラミッド、マウンドの始まりは黒又山である。津軽に住んでいたティカル人は出羽国のトバルカインと共に先祖を祀る記念碑の建造を試みていた。その成果が、黒又山や十和田湖に沈んでいると伝えられる伝説の巨大ピラミッドである。黒又山は、マウンドとピラミッドの中間系ピラミッドである。この後、BC35世紀頃に「モーゼスの大移動時代」が起こり、ティカル人はピラミッド派とマウンド派に分離した。

 

モホス文明(年代不明)

 

※上の画像はアマゾン上流の広大なサバンナ地帯に点在する人工の丘のひとつである。この丘は同時に居住空間でもある。ある一定期間、アマゾン上流域が水没すると、この人工の丘は小島の役割を果たす。アマゾン上流域にはこのような丘がいくつも築かれ、それぞれの丘と丘は人工の道で結ばれ、一帯は蜘蛛の巣のような様相を呈している。また、下の画像のように人工池が作られ、生簀として用いられていた。

このモホスの地で、農業、養殖、灌漑設備などの発想が生まれた。モホス文明は科学の種族トバルカインが卓越した科学の発想を得た土地だと考えられるから、およそ2万年~3万年前の産物と考えられる。BC35世紀以降、巨石の種族ティカル人は、このモホス文明を継承し、ここから遥かヨーロッパ、地中海にまでやってきた。もともと巨石建造の種族であるため、ティカル人マウンド派は土木技術に優れていたが、同時に世界の海・河川を自在に往来する航海の達人でもある彼らはフェニキア人と呼ばれた。

 

ニューグレンジ(BC33世紀)

 

※地中海(ビュブロス)、ヨーロッパ(バヴァリア)、アマゾン流域(モホス文明)と世界の海を往来していたマウンド派は、古代アイルランド(ヒベルニア)に偉大な先祖を祀る記念碑としてニューグレンジを建造した。この時にオリエント地方に農業が伝えられた。

 

シルベリーヒル遺跡(BC26世紀)

 

※マウンド派はイングランド・ソールズベリーにシルベリーヒル遺跡を残した。

 

ワカ・プリエタ文化(BC26世紀)

 

※ティカル人マウンド派はアイルランドからペルーに進出し、マウンドの建造を含むワカ・プリエタ文化を残した。

 

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ヒベルニアの王(バビロニア帝国の歴代帝王)

 

・イシュビ・エッラ(生没年不詳) イシン第1王朝初代バビロニア王 在位BC2017~BC1985

・ダミク・イリシュ(生没年不詳) イシン第1王朝第15代バビロニア王 在位BC1816~BC1794

 

・ナプラヌム(生没年不詳) ラルサ朝初代バビロニア王 在位BC2025~BC2005

・リム・シン1世(生没年不詳) ラルサ朝第14代バビロニア王 在位BC1822~BC1763

 

・スム・アブム(生没年不詳) バビロン第1王朝初代王 在位BC1894~BC1881

・ハンムラビ(生没年不詳) バビロン第1王朝第6代王 在位BC1792~BC1750

・サムス・ディタナ(生没年不詳) バビロン第1王朝第11代王 在位BC1625~BC1595

 

・イルマ・イルム(生没年不詳) バビロン第2王朝初代王 在位不明

・エア・ガムイル(生没年不詳) バビロン第12王朝初代王 在位不明

 

※ティカル人マウンド派はバビロニア帝国を築いた。当初のバビロニア帝国はメソポタミアではなく、彼らがニューグレンジを築いたアイルランドに存在していたと考えられる。バビロニアの名の由来はアイルランドの古名ヒベルニアである。ヒベルニア=ビベルニア=バビロニアとなる。

古代アイルランドを拠点にしたバビロニア帝国の勢力図は、地中海(ビュブロス)、ヨーロッパ(バヴァリア)、アイルランド(ヒベルニア)、モホスにまで及んでいた。BC732年以降、バビロニア王位はアッシリア帝国に簒奪されてしまう。

 

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オルメカ文明+カルタゴの王(バビロニア帝国の歴代王)

 

オルメカ文明(BC13世紀)

 

※バビロン第3王朝(カッシート朝)時代のバビロニア王が、オルメカに巨大なマウンドを築いた。これらはオルメカ文明に含まれている。以下がオルメカの王を務めていたバビロニアの王である。

 

・カダシュマン・エンリル2世(生没年不詳) カッシート朝第24代バビロニア王 在位BC1263~BC1255

・クドゥル・エンリル(生没年不詳) カッシート朝第25代バビロニア王 在位BC1254~BC1246

・シャガラクティ・シュリアシュ(生没年不詳) カッシート朝第26代バビロニア王 在位BC1246~BC1233

・カシュ・ティリアシュ4世(生没年不詳) カッシート朝第27代バビロニア王 在位BC1233~BC1225

・エンリル・ナディン・シュミ(生没年不詳) カッシート朝第28代バビロニア王 在位BC1225~BC1224

・カダシュマン・ハルベ2世(生没年不詳) カッシート朝第29代バビロニア王 在位BC1224~BC1233

・アダド・シュマ・イディナ(生没年不詳) カッシート朝第30代バビロニア王 在位BC1233~BC1217

 

ナブー・アプラ・イディナ(?~BC855) バビロン第8王朝第6代王在位 BC888~BC855

非子(?~BC858) 秦初代伯 在位BC900~BC858

 

マルドゥク・バラッス・イクビ(?~BC819) バビロン第8王朝第8代王在位 在位BC855~BC819

秦仲(?~BC822) 秦第4代伯 在位BC844~BC822

 

マルドゥク・ベル・ゼリ(?~BC780) バビロン第8王朝第11代王在位 BC790~BC780

荘公(?~BC778) 秦第5代伯 BC821~BC778

 

襄公(?~BC766) 秦初代公 在位BC777~BC766

エリバ・マルドゥク(?~BC761) バビロン第8王朝第13代王 在位BC769~BC761※画像なし

ディードー(BC839~BC759) カルタゴ初代女王

 

※アッシリアに圧されていたバビロニア第8王朝は徐々に拠点を秦に移していたが、アッシリアがバビロニアの王位を簒奪すると、バビロニアの王族は秦と並行して古代チュニジアに移り、カルタゴを築いた。謎の多いカルタゴだが、卓越した航海術と貿易によってローマと肩を並べる強国として隆盛を極めた。が、ポエニ戦争の頃はタナトス(ガリアのドルイド司祭の一族)に蝕まれ、没落していた。

 

景公(?~BC537) 秦第13代公 在位BC576~BC537

寿夢(?~BC561) 呉初代王 在位BC585~BC561

ハンノ1世(?~BC556) ディードー朝カルタゴ王 在位BC580~BC556

 

※その名前からハンノ1世の一族がウェネト族の正体だと考えられる。ガリアのドルイド司祭の一族が人身御供によってカルタゴ中の有能な青少年を皆殺しにしたため、彼らを嫌悪したハンノ1世は一族郎党を引き連れてカルタゴを後にし、ガリアに移り住んだ。

 

諸樊(?~BC548) 呉第2代王 在位BC560~BC548

畢万(生没年不詳) 魏初代王 在位不明

 

余祭(?~BC544) 呉第3代王 在位BC547~BC544

芒季(生没年不詳) 魏第2代王 在位不明

 

余昧(?~BC527) 呉第4代王 在位BC543~BC527

武子(生没年不詳) 魏第3代王 在位不明

マゴ1世(?~BC530) マゴ朝初代カルタゴ王 在位BC550~BC530

 

※2013年に「フェニキア人の大航海時代」の仮説を立て、フェニキア人、イスラエルの失われた10支族などが参加して西方と東方に向かう大航海時代があったということを電子書籍に認(したた)めた。今まで、歴史を考える時にはその仮説を基本に考えてきたが、ここにきてそれを訂正したいと思う。
歴史を精査してわかったことだが、海洋民族として知られるフェニキア人が指揮する大規模な大移住計画などなくとも、古代の民族は各々が自主的に船団を操り、世界の海を往来していたのだ。
フェニキア人の正体はデウカリオンの一族(マウンド派)だが、彼らはバビロニア帝国末期の時代に中国と地中海に新天地を求め、同時にカルタゴと秦を生んだ。更にその後、カルタゴでマゴ朝が開かれたと同じ頃、中国では呉、魏、韓が生まれた。古事記、日本書紀に登場する天孫族とは、このマゴ朝の歴代王のことであり、多氏とは呉の歴代王のことである。
秦(キン)の由来はメソポタミアの月の神シンだと考えられるが、マゴ朝のマゴ、天孫族の孫(まご)、呉(ウー)と多(おお)の由来はフェニキア文字オメガ(読みは「オー」)であり、魏(ウェイ)の由来はフェニキア文字ペーである。そして韓(ハン)の由来はフェニキアである。フェニキア人は中国と地中海を自在に往来してマゴ朝、呉、魏、韓の王を同時に兼任したが、魏の王位がサトゥルヌスの一族に簒奪されてしまう。この時にサトゥルヌスの一族は、カルタゴ全域に鳥居と神社の原型である人身御供の社「ダリの神殿」を建てた。

 

フェニキア人の王、天孫族の王、多氏の王(秦、マゴ朝、呉、魏、韓の歴代王)

 

(?~BC516) 呉第5代王 在位BC526~BC516

荘子(生没年不詳) 魏第4代王 在位不明

ハスドルバル1世(?~BC510) マゴ朝第2代カルタゴ王 在位BC530~BC510

 

闔閭(?~BC496) 呉第6代王 在位BC515~BC496

献子(生没年不詳) 魏第5代王 在位不明

 

夫差(?~BC473) 呉第7代王 在位BC495~BC473

簡子(生没年不詳) 魏第6代王 在位不明

襄子(生没年不詳) 魏第7代王 在位不明

ハミルカル1世(?~BC480) マゴ朝第3代カルタゴ王 在位BC510~BC480

 

魏駒(?~BC446) 魏第8代王 在位?~BC446

ハンノ2世(?~BC440) マゴ朝第4代カルタゴ王 在位BC480~BC440

 

・韓虎(?~BC425) 韓第10代王 在位?~BC425

 

ヒミルコ1世(?~BC410) マゴ朝第5代カルタゴ王 在位BC460~BC410

韓啓章(?~BC409) 韓第11代王 在位BC424~BC409

 

ハンニバル1世(?~BC406) マゴ朝第6代カルタゴ王 在位BC440~BC406

韓虔(?~BC400) 韓第12代王 在位BC408~BC400

 

ヒミルコ2世(?~BC396) マゴ朝第7代カルタゴ王 在位406~BC396

韓取(?~BC387) 韓第13代王 在位BC399~BC387

 

マゴ2世(?~BC375) マゴ朝第8代カルタゴ王 在位BC396~BC375

韓猷(?~BC377) 韓第14代王 在位BC386~BC377

 

マゴ3世(?~BC344) マゴ朝第9代カルタゴ王 在位BC375~BC344

韓屯蒙(?~BC374) 韓第15代王 在位BC376~BC374

韓若山(?~BC363) 韓第16代王 在位BC374~BC363

 

韓武(?~BC333) 韓第17代王 在位BC362~BC333

ハンノ3世(?~BC340) マゴ朝第10代カルタゴ王 在位BC344~BC340

大ハンノ(?~BC337) ハンノ朝初代カルタゴ王 在位BC340~BC337

ギスコ(?~BC330) ハンノ朝第2代カルタゴ王 在位BC337~BC330

 

韓康(?~BC312) 韓第18代王 在位BC332~BC312

ハミルカル2世(?~BC309) ハンノ朝第3代カルタゴ王 在位BC330~BC309

ボミルカル(?~BC308) ハンノ朝第4代カルタゴ王 在位BC309~BC308

 

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カリンガ国、丁零(ディングリング)、高車(ガオチェ)の王秦、漢皇の歴代皇帝)

 

昭襄王(?~BC251) 秦第3代王 在位BC306~BC251

韓倉(?~BC296) 韓第19代王 在位BC311~BC296

韓咎(?~BC273) 韓第20代王 在位BC295~BC273

 

・孝文王(?~BC250) 秦第4代王 在位BC250

 

荘襄王(?~BC247) 秦第5代王 在位BC249~BC247

韓然(?~BC239) 韓第21代王 在位BC272~BC239

韓安(?~BC230) 韓第22代王 在位BC238~BC230

 

始皇帝(BC259~BC210) 秦初代皇帝 在位BC246~BC210

劉邦(BC256~BC195) 漢初代皇帝 在位BC202~BC195

 

※生年が3年違いだが、始皇帝と劉邦は同一人物だったようだ。漢(ハン)の名の由来はフェニキアである。

 

・恵帝(BC210~BC188) 漢第2代皇帝 在位BC195~BC188

・前少帝(?~BC184) 漢第3代皇帝 在位BC188~BC184

・後少帝(?~BC180) 漢第4代皇帝 在位BC184~BC180

・文帝(BC203~BC157) 漢第5代皇帝 在位BC180~BC157

・景帝(BC188~BC141) 漢第6代皇帝 在位BC157~BC141

・武帝(BC156~BC87) 漢第7代皇帝 在位BC141~BC87

・昭帝(BC94~BC74) 漢第8代皇帝 在位BC87~BC74

・劉賀(BC92~BC59) 漢第9代皇帝 在位BC74~BC59

・宣帝(BC91~BC48) 漢第10代皇帝 在位BC59~BC48

 

秦始皇帝陵(BC221年頃)

 

※ディングリング(丁零)の名はモンゴルの天空神テングリの本名である。高車(ガオチェ)の由来は原初の神カオスで、河内の由来はガオチェである。超古代、オリジナル人類のディンカとムルングが合体してトゥングル族となり、古代にインドネシアに住んでいたが、彼らがシベリアに移住してテングリを生んだ。丁零はこの時代、首長である秦の始皇帝の要請を受けて始皇帝凌を築き、万里の長城の建設にも着手した。

 

元帝(BC74~BC33) 漢第10代皇帝 在位BC48~BC33

赫居世居西干(BC69~4) 新羅初代王 在位BC57~4

 

南解次次雄(?~24) 新羅第2代王 在位4~24

更始帝(?~25) 新初代皇帝 在位23~25

 

※丁零、高車の首長を兼任している元帝はチュルク族を率いて朝鮮半島に新羅(しらぎ)を築いた。シラギの由来はチュルクである。韓国では新羅はシンラと読むが、日本でシラギと読むのは、日本武尊か、或いは河内氏の影響だと考えられる。

おもしろいことに、新羅第2代王が前漢と後漢の間に「新」を開いている。新の由来は新羅だろう。諸葛孔明の一族が中国を訪れたため、抵抗を示す意味で新を築いたが、同じダヴィデの一族であるため、前漢皇帝の一族は後漢を諸葛氏に譲り、新羅の支配に特化したようだ。

 

・奈解尼師今(?~230) 新羅第10代王 在位196~230

・助賁尼師今(?~247) 新羅第11代王 在位230~247

・沾解尼師今(?~261) 新羅第12代王 在位247~261

・味鄒尼師今(?~284) 新羅第13代王 在位261~284

・儒礼尼師今(?~298) 新羅第14代王 在位284~298

・基臨尼師今(?~310) 新羅第15代王 在位298~310

・訖解尼師今(?~356) 新羅第16代王 在位310~356

・奈勿尼師今(?~402) 新羅第17代王 在位356~402

・実聖尼師今(?~417) 新羅第18代王 在位402~417

・訥祇麻立干(?~458) 新羅第19代王 在位417~458

・慈悲麻立干(?~479) 新羅第20代王 在位458~479

・ショウ知麻立干(?~500) 新羅第21代王 在位479~500

・智証麻立干(?~514) 新羅第22代王 在位500~514

 

法興王(?~540) 新羅第23代王 在位514~540※画像なし

ヌルシアのベネディクトゥス(480~547) ベネディクト会教祖

 

※ベネディクトの由来はウェネトである。ウェネト=ヴェネティ=ベネディクトとなる。

 

・真興王(?~576) 新羅第24代王 在位540~576

・真智王(?~579) 新羅第25代王 在位576~579

・真平王(?~632) 新羅第26代王 在位579~632

・善徳女王(?~647) 新羅第27代王 在位632~647

・真徳女王(?~654) 新羅第28代王 在位647~654

・武烈王(?~661) 新羅第29代王 在位654~661

・文武王(?~681) 新羅第30代王 在位661~681

・神文王(?~230) 新羅第31代王 在位681~692

・孝昭王(687~702) 新羅第32代王 在位692~702

 

※奈解尼師今から孝昭王に至る新羅王は日本で日本武尊、或いは河内氏を称した。河内氏は石舞台古墳を築き、一方で現ペルー・ナスカに渡って「軍事国家カワチ」を築き、ピラミッドなどの記念碑も築いた。奈解尼師今から孝昭王に至る23人の新羅王が古墳時代の日本各地で数々の前方後円墳を製作・指揮し、一方でマヤにイサパ文化を残し、また一方でナスカの軍事国家カワチの首長を務めたと考えられる。

 

前方後円墳(AD1世紀~4世紀頃)

 

※日本武尊(新羅王)は熊襲武尊に勝利した後に日本中にマウンド(前方後円墳)を建造した。古墳時代の始まりである。新羅王(日本武尊)は、ついでに九頭龍崇拝の人身御供の神官を務めていた高句麗王・百済王(サトゥルヌスの一族)を皆殺しにしていた。

 

石舞台古墳(年代不明)

 

※新羅王(日本武尊)は、明日香村に石舞台古墳を築いた。河内のだんじり祭りは、巨石の運搬が昇華されたものと考えられる。

 

イサパ文化(AD4世紀頃)

 

※新羅王は極東を離れて太平洋を横断し、マヤに渡った。新羅王(日本武尊)はイサパにマウンドを築いた。しかし、ここでイサパのマウンド派は、再度、ピラミッド派と対立した(この時代のピラミッド派はサトゥルヌスの一族に支配されていた)。だがピラミッド派に敗北した彼らは、マヤを去った。

 

カワチ遺跡(年代不明)

 

※カワチ遺跡は河内氏(新羅王)が築いたが、8世紀頃にナスカを離れて日本・諏訪国に入植してナスカを由来に「根津氏」を名乗るようになる。

 

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聖徳王(?~737) 新羅第33代王 在位702~737

パオロ・ルーチョ・アナフェスト(?~717) ヴェネツィア初代元首 任期697~717

マルチェッロ・テガッリアーノ(?~726) ヴェネツィア第2代元首 任期717~726

オルソ・イパート(?~737) ヴェネツィア第3代元首 任期726~737

 

※第33代新羅王は、初代から第3代までの元首を務め、ヴェネツィア共和国の礎を築いた。ヴェネツィアの由来はフェニキアである。フェニキア=ブェニチア=ヴェネツィアとなる。モホス時代、フェニキア人時代を通して一流の土木技術の集団だったマウンド派は、文字通りヴェネツィアを「建てた」。人が住むことができない湿地帯に無数の杭を打ち込み、その上に街を建てたのだ。

 

プエブロ族の首長(新羅王)

 

・孝成王(?~742) 新羅第34代王 在位737~742

・景徳王(?~765) 新羅第35代王 在位742~765

・恵恭王(?~780) 新羅第36代王 在位765~780

・宣徳王(?~785) 新羅第37代王 在位780~785

・元聖王(?~798) 新羅第38代王 在位785~798

 

※画像はプエブロ族の住居。見ての通り、巨石建造の種族らしく、プエブロ族も土木建築技術に長けている。プエブロの名の由来はビュブロスであり、ホピの名の由来はヘブライ、或いはバビロニア、ヒベルニアである。

 

カホキア遺跡(AD8世紀頃)

 

※孝成王から元聖王までの5人の新羅王はミシシッピ流域に進出し、カホキア遺跡を残した。マウンド派の子孫である新羅王は、これを最後にマウンドの建造を中止した。

 

敬順王(?~935) 新羅第56代王 在位927~935

オルソ・パルテチパツィオ2世(?~932) ヴェネツィア第18代元首 任期912~932※画像なし

 

※敬順王を最後に新羅の拠点はヴェネツィア共和国に移った。ヴェネツィア共和国はヨーロッパ列強の中で唯一魔女狩りを拒否し、タナトスの一族が支配するピサ共和国やジェノヴァ共和国と対立し、覇権を競った。

 

トリブーノ・メンモ(?~991) ヴェネツィア共和国第25代元首 在位979~991

エリク6世(945~995) ユングリング朝初代スウェーデン王 在位975~995

 

※オスマントルコ皇帝の一族のように、ヴェネツィア共和国元首の一族は世界を救う使命を負っていたようだ。元首メンモはスウェーデンに進出し、ユングリング朝を開いている。ユングリングの由来はディングリング(丁零)である。

 

オットーネ・オルセオロ(?~1026) ヴェネツィア共和国第27代元首 在位1009~1026

オーロフ(?~1022) ユングリング朝第2代スウェーデン王 在位995~1022

 

ドメニコ・フラバニコ(?~1043) ヴェネツィア共和国第29代元首 在位1032~1043

アーヌンド・ヤーコブ(?~1050) ユングリング朝第3代スウェーデン王 在位1022~1050

 

ドメニコ・コンタリーニ(?~1071) ヴェネツィア共和国第30代元首 在位1043~1071

エームンド(?~1060) ユングリング朝第4代スウェーデン王 在位1050~1060

ステンキル(?~1066) ステンキル朝初代スウェーデン王 在位1060~1066

エリク7世(?~1067) ステンキル朝第2代スウェーデン王 在位1066~1067

エリク8世(?~1067) ステンキル朝第3代スウェーデン王 在位1066~1067

ハルステン(?~1070) ステンキル朝第4代スウェーデン王 在位1067~1070

 

ドメニコ・セルヴォ(?~1084) ヴェネツィア共和国第31代元首 在位1071~1084

ホーコン(?~1079) ステンキル朝第5代スウェーデン王 在位1070~1079

インゲ1世(?~1084) ステンキル朝第6代スウェーデン王 在位1079~1084

 

※コンタリーニとセメヴォの両元首はステンキル朝を開き、スウェーデン人を正しく導くためにスウェーデン王として君臨し続けた。

 

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ピエトロ・ツィアニ(?~1229) ヴェネツィア第42代元首 任期1205~1229※画像なし

フナク・セエル(生没年不詳) マヤ人将軍※画像なし

マンコ・カパック(?~1230) クスコ王国初代王 在位1200前後

 

※ヴェネツィア共和国元首ピエトロ・ツィアニは、ヴェネツィアを離れて最初にマヤに進出し、フナク・セエルに変身して1221年にチチェン・イツァーの支配者に対する蜂起を指揮し、これを倒した後にマヤパンを築いた。フナクの由来はフェニキアだと考えられる。その後、フナクはマヤを後にインカに移住し、クスコ王国を建設する。

クスコ王国初代王マンコの名の由来は、彼らの先祖丁零が住んでいたモンゴルである。更に、クスコの由来はカシュガルであり、インカの由来はジュンガルである。インカ帝国の重要な名前がモンゴルに因んでいるのがよく分かるだろう。

 

シンチ・ロカ(?~1260) クスコ王国第2代王 在位1230頃

イッズッディーン・アイバク(?~1257) マムルーク朝第2代スルターン 在位1250~1257※画像なし

 

※クスコ王国第2代王の時代、クスコ人はエジプトに進出してマムルーク朝を開いた。クスコ王は代々のマムルーク朝スルターンを兼任した。マムルーク朝第5代スルターンのバイバルスの名はビュブロスに因んでいる。

 

リョケ・ユパンキ(?~1290) クスコ王国第3代王 在位1260~1290

カラーウーン(1220~1290) マムルーク朝第8代スルターン 在位1279~1290

 

カパック・ユパンキ(?~1350) クスコ王国第5代王 在位1320~1350

ムザッファル・ハーッジー(?~1347) マムルーク朝第21代スルターン 在位1346~1347

 

インカ・ロカ(?~1380) クスコ王国第6代王 在位1350~1380

マンスール・アリー(?~1381) マムルーク朝第27代スルターン 在位1377~1381※画像なし

 

パチャクテク(?~1471) インカ帝国初代皇帝 在位1438~1471

ザーヒル・ティムルブガー(?~1468) ブルジー朝第18代スルターン 在位1468

 

トゥパック・インカ・ユパンキ(?~1493) インカ帝国第2代皇帝 在位1471~1493

アシュラフ・カーイトバーイ(?~1495) ブルジー朝第19代スルターン 在位1468~1495

 

ワイナ・カパック(?~1527) インカ帝国第3代皇帝 在位1493~1527

ナースィル・ムハンマド(?~1498) ブルジー朝第20代スルターン 在位1495~1498

ザーヒル・カーンスーフ(?~1499) ブルジー朝第21代スルターン 在位1498~1499

アシュラフ・ジャーンバラート(?~1501) ブルジー朝第22スルターン 在位1499~1501

アーディル・トゥーマーンバーイ(?~1501) ブルジー朝第23代スルターン 在位1501

アシュラフ・カーンスーフ・ガウリー(?~1516) ブルジー朝第24代スルターン 在位1501~1516

アシュラフ・トゥーマーンバーイ(?~1517) ブルジー朝第25代スルターン 在位1516~1517

 

ワスカル(1491~1532) インカ帝国第5代皇帝 在位1527~1532

アンソニー・モンク(1490~1545) フリーメイソン創設※画像なし

 

※インカ皇帝ワスカルはインカ帝国を後にし、極秘にイングランドに移住した。彼はマンコを由来にモンクを称した。アンソニー・モンクに変身したインカ皇帝ワスカルはフリーメイソン(スコットランド、メイソンロッジ)を創設したと考えられる

フリーメイソンの創設者・代表者の名前などは一切不明だが、ティカル人マウンド派の子孫であるアンソニー・モンクが創設したと推測できる。フリーメイソンの名の由来はヘブライの石工(メイソン)である。ヘブライ+メイソン=ブライメイソン=フライメイソン=フリーメイソンとなる。

 

・アタワルパ(1502~1533) インカ帝国第6代皇帝 在位1532~1533

・マンコ・インカ・ユパンキ(1516~1536) インカ帝国第8代皇帝 在位1533~1536

・トゥパック・アマル(?~1572) インカ帝国第11代皇帝 在位1571~1572

 

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トーマス・モンクの子(アンソニーモンクの曾孫)

 

ジョージ・モンク(1608~1670) 初代アルベマール公

シドニー・モンタギュー(?~1644)※画像なし

 

議会派のニューモデル軍に属して少将となり、1647年にアイルランドに出兵して転戦、1649年にアイルランド・カトリック同盟の指導者オーウェン・ロー・オニールと和睦を結んで帰国した。続いて翌1650年に議会派の司令官オリバー・クロムウェルに従いスコットランドへ遠征、第三次イングランド内戦におけるダンバーの戦いでジョン・ランバート・チャールズ・フリートウッドらと連携してスコットランド軍を撃破した後はスコットランド駐留軍の指揮を任され、翌1651年のウスターの戦いの際、スコットランド軍が南下しがら空きになった隙にスコットランド各地を転戦して1652年までにスターリング・ダンディー・アバディーン・オークニー諸島などを占領してスコットランドを平定した。翌1653年にクロムウェルが護国卿に就任すると、スコットランド代表として政権に加わりイングランド共和国の有力者となった。ジョージ・モンクwikiより

 

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シドニー・モンタギュー(ジョージ・モンク)の子

 

エドワード・モンタギュー(1625~1672) 初代サンドウィッチ伯爵

ポペ(1630~1692) プエブロ知事※画像なし

 

魔術の使用による逮捕とその後の釈放に続いて、ポペはプエブロの反乱を計画し、これを指揮した。いくつかの殺人の共犯によってスペイン当局から逃げていた間、ポペはタオス・プエブロの集落で難を避けた。ポペは、スペイン人に対して一斉に蜂起することを命令するその日までの残り日数を意味する結び目を付けた、プエブロ独特の結び目の暗号を持たせた使者を、各プエブロ集落に派遣した。

攻撃の決行日は1680年8月18日と決定された。しかしスペイン人はこれを事前に知ることができた。なぜなら、プエブロにメッセージを伝えるために預けられた、テスケ・プエブロ(現在のテスケの2名の若者を捕らえて聞き出したためである。ポペは、蜂起が計画された日の前の、8月10日、陰謀の実行を命令した。攻撃はタオス、ピクリス、テワによって、それぞれの集落で一斉に開始された。18人のフランシスコ修道士の聖職者、3人の平修士、男女子供合わせて380人のスペイン人が殺された。スペイン人開拓者は唯一のスペイン人の街であるサンタフェと、反逆に参加しなかった数少ない集落のひとつ、イスレタに逃げ込んだ。9月15日、イスレタへの避難民は、自分たちが唯一の生存者であると信じて、エルパソに向けて出発した。その間、ポペの賊はサンタフェの町を囲い込み、水の供給を断ち切った。総督邸を厳重に囲んだアントニオ・デ・オテルミン総督は、これで後退を余儀なくされ、9月21日にスペイン人の移住者たちは首都から一掃されて、エルパソ・デル・ノルテ(現在のシウダー・フアレス)へと向かった。 プエブロの反乱wikiより

 

※エドワードは家族であるプエブロ族を救うためにイングランドからスペイン領コロラドに馳せ参じ、スペイン軍に蜂起してこれを追放した。その後、「ポペの王国」を築いたが、彼の死後、プエブロ族の土地はすぐにスペイン人に占領された。

 

エドワード・モンタギュー(1670~1729) 第3代サンドウィッチ伯爵

 

※エドワードが、イングランドグランドロッジを1717年に設けたと考えられる。その後、サンドウィッチ伯爵が代々のフリーメイソンの頭領を務めたと考えることができる

 

ジョージ・モンタギュー(1773~1818) 第6代サンドウィッチ伯爵

 

※上画像はガウチョである。ガウチョとは、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部のパンパ(草原地帯)やアンデス山脈東部に暮らす謎の人々である。彼らの正体はインカ帝国の王族であり、ガウチョの由来はガオチェ(高車)から来ている。ガウチョは勇猛なことで知られ、1806年、1807年に大英帝国軍がブエノスアイレスに侵攻してきた際、イギリス軍を撃退している。ガウチョたちを指揮していたのは第6代サンドウィッチ伯爵ジョージ・モンタギューだと考えられる。

 

ジョン・モンタギュー(1811~1884) 第7代サンドウィッチ伯爵※画像なし

アンリ・ファーブル(1823~1915) 昆虫学者

 

※ファーブルの名の由来はプエブロだと考えられる。プエブロ=プエーブロ=ファーブルとなる。ファーブルの顔も良く見るとヨーロッパ人というよりはアメリカインディアンに似ている。

 

ヴィクター・モンタギュー(1907~1995) 第10代サンドウィッチ伯爵※画像なし

アリストテレス・オナシス(1906~1975) オナシス財閥始祖

 

※オナシスの名の由来はアナサジ(コロラドの部族)だと考えられる。

 

ジョン・モンタギュー(1943) 第11代サンドウィッチ伯爵

アレクサンダー・オナシス(1948~1973)※画像なし

 

※ジョン・モンタギューは、ディズニーランドでサンドウィッチ店を経営しているようだが、その正体はフリーメイソンの頭領かもしれない。

 

 

 


デウカリオンの一族(ピラミッド派)~ギザのピラミッド、ラムセス3世、曹、テオティワカン宗教都市、越、熊襲武尊、後漢皇帝、魔法使いの神殿、クメール王朝、ムハンマド・アリー朝、チャーリー・チャップリン

デウカリオンの一族(絵は炎に囲まれる日本武尊と熊襲武尊を襲う日本武尊)


※デウカリオンの一族は「神統記」で最大最強の怪物と呼ばれたテュポンと巨人アグリオスが合体することで生まれた。テュポン+アグリオス=テユグリオ=デウカリオンとなる。1万3千年前の大地殻変動の後、古代オーストラリアからメソポタミアに移ったデウカリオンは、巨石建造の一族ティカル人として活動する。デウカリオン=デウカリ=ティカルとなる。ティカルとはマヤの都市の名のひとつである。
その後BC35世紀頃、津軽時代にティカル人は2種類に分離した。テュポンのティカル人はピラミッド派としてピラミッドを建造し、アグリオスのティカル人はマウンド派としてマウンドを建造した。古墳時代には、ティカル人はモンゴルを拠点にし、マウンド派は丁零(ディングリング)、ピラミッド派は高車(ガオチェ)を名乗っていた。

また、日本ではマウンド派は日本武尊(ヤマトのティカル)を名乗り、ピラミッド派は熊襲武尊(クマソのティカル)を名乗っていた。ピラミッド派はマウンド派と対立していたが、日本武尊が勝利したことにより、前方後円墳と呼ばれた巨大なマウンドの建造を開始した。古墳時代の始まりである。

 

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ギョベクリ・テペ(BC76世紀頃)

 

※神々の集団アヌンナキの時代、デウカリオンの一族は初めて偉大な先祖を祀る巨石文化の端緒を切った。

 

イングランドのドルメン(BC40世紀頃)

 

※BC50世紀頃、「第一次北極海ルートの大航海時代」を機に、デウカリオンの一族はヨーロッパを訪れ、ドルメンを築くようになった。ドルメンはマウンドを築く際の基礎部分であり、その発展形として後に、土を被せていくようになったと考えられる。ドルメンはBC40世紀~BC30世紀にかけてヨーロッパ中に築かれた。巨石の一族による、偉大な先祖を祀る記念碑の試作品である。

 

ロシアの巨石(年代不明)

 

※巨石建造の一族ティカル人は北極海ルートを介してヨーロッパと津軽を往来していた。一方でヨーロッパにドルメンを築き、一方でロシア各地に巨石建造物の試作品を残した。ロシアの場合、ひとつの石が3000t~4000tとあまりに巨大すぎるため、偉大な先祖を祀る記念碑の建造に賛同した科学の種族トバルカインがティカル人に手を貸していたと考えられる。

 

黒又山(BC40世紀頃)

 

※すべてのピラミッド、マウンドの始まりは黒又山である。津軽に住んでいたティカル人は出羽国のトバルカインと共に先祖を祀る記念碑の建造を試みていた。その成果が、黒又山や十和田湖に沈んでいると伝えられる伝説の巨大ピラミッドである。黒又山は、マウンドとピラミッドの中間系ピラミッドである。この後、BC35世紀頃に「モーゼスの大移動時代」が起こり、ティカル人はピラミッド派とマウンド派に分離した。

 

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カラル遺跡(BC29世紀)

 

※マウンド派と分離したピラミッド派は、ペルーに移り住んでカラル遺跡にピラミッドの試作品を残した。

 

ギザのピラミッド(BC27世紀)

 

※ピラミッド派は古代エジプトに到来し、タナトス(預言者ナタンの一族)を追放し、エジプト第3王朝を築いた。代々の王が建築者、及び指揮官として階段ピラミッドの建造を皮切りに次々とピラミッドを築いていく。ピラミッドは王墓ではなく、偉大な先祖を祀る記念碑だった。ティカル人は「人類は偉大な先祖を祀ることで人生を全うするべきだ」とストイックな考え方をしていたようだ。もちろん、タナトスの一族と違って強制ではない。

 

・ネブカー(生没年不明) エジプト第3王朝初代王

・ジェセル(生没年不明) エジプト第3王朝第2代王 在位BC2668~BC2649

・ジェセル・テティ(生没年不明) エジプト第3王朝第3代王

・テティ(生没年不明) エジプト第3王朝第4代王

・フニ(生没年不明) エジプト第3王朝第5代王 在位BC2637~BC2613

 

・スネフェル(生没年不明) エジプト第4王朝初代王 在位BC2613~BC2589

・クフ(生没年不明) エジプト第4王朝第2代王 在位BC2589~BC2566

・ジェドエフラー(生没年不明) エジプト第4王朝第3代王 在位BC2566~BC2558

・カフラー(生没年不明) エジプト第4王朝第4代王 在位BC2558~BC2532

・バカ(生没年不明) エジプト第4王朝第5代王 在位BC2532

・メンカウラー(生没年不明) エジプト第4王朝第6代王 在位BC2532~BC2504

・シェプスセスカフ(生没年不明) エジプト第4王朝第7代王 在位BC2504~BC2500

・ジェドエフプタハ(生没年不明) エジプト第4王朝第8代王 在位BC2500~BC2498

 

・ウセルカフ(生没年不明) エジプト第5王朝初代王 在位BC2498~BC2491

・サフラー(生没年不明) エジプト第5王朝第2代王 在位BC2491~BC2477

・ネフェルイルカラー(生没年不明) エジプト第5王朝第3代王 在位BC2477~BC2467

・シェプセスカラー(生没年不明) エジプト第5王朝第4代王 在位BC2467~BC2460

・ネフェルエフラー(生没年不明) エジプト第5王朝第5代王 在位BC2460~BC2453

・ネウセルラー(生没年不明) エジプト第5王朝第6代王 在位BC2453~BC2422

・メンカウホル(生没年不明) エジプト第5王朝第7代王 在位BC2422~BC2414

・ジェドカラー(生没年不明) エジプト第5王朝第8代王 在位BC2414~BC2375

・ウナス(生没年不明) エジプト第5王朝第9代王 在位BC2375~BC2345

 

・アメンエムハト1世(生没年不明) エジプト第12王朝初代王 在位BC1991~BC1962

・センウセレト1世(生没年不明) エジプト第12王朝第2代王 在位BC1971~BC1926

・アメンエムハト2世(生没年不明) エジプト第12王朝第3代王 在位BC1929~BC1895

・センウセレト2世(生没年不明) エジプト第12王朝第4代王 在位BC1897~BC1878

・センウセレト3世(生没年不明) エジプト第12王朝第5代王 在位BC1878~BC1841

・アメンエムハト3世(生没年不明) エジプト第12王朝第6代王 在位BC1842~BC1797

・アメンエムハト4世(生没年不明) エジプト第12王朝第7代王 在位BC1798~1786

・セベクネフェル(生没年不明) エジプト第12王朝第8代王 在位BC1785~BC1782

 

※ティカル人マウンド派(バビロニア人)が第6王朝、第8王朝を開き、ダヴィデの一族が第11王朝を開くようになり、一時期、古代エジプト王朝でピラミッドが建造されなくなるが、第12王朝の時代にティカル人ピラミッド派の覇権が復活し、新たにピラミッドが建造されている。

 

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ラス・アルダスの王(エジプト第19王朝+第20王朝の歴代ファラオ)

 

・ラムセス1世(生没年不明) エジプト第19王朝初代王 在位BC1293~BC1291

・セティ1世(生没年不明) エジプト第19王朝第2代王 在位BC1291~BC1278

・ラムセス2世(生没年不明) エジプト第19王朝第3代王 在位BC1279~BC1212

・メルエンプタハ(生没年不明) エジプト第19王朝第4代王 在位BC1212~BC1202

・アメンメセス(生没年不明) エジプト第19王朝第5代王 在位BC1202~BC1199

・セティ2世(生没年不明) エジプト第19王朝第6代王 在位BC1199~BC1193

・サプタハ(生没年不明) エジプト第19王朝第7代王 在位BC1193~BC1187

・タウセルト(生没年不明) エジプト第19王朝第8代王 在位BC1187~BC1185

 

・セトナクト(生没年不明) エジプト第20王朝初代王 在位BC1185~BC1182

・ラムセス3世(生没年不明) エジプト第20王朝第2代王 在位BC1182~BC1151

・ラムセス4世(生没年不明) エジプト第20王朝第3代王 在位BC1151~BC1145

・ラムセス5世(生没年不明) エジプト第20王朝第4代王 在位BC1145~BC1141

・ラムセス6世(生没年不明) エジプト第20王朝第5代王 在位BC1141~BC1133

・ラムセス7世(生没年不明) エジプト第20王朝第6代王 在位BC1133~BC1126

・ラムセス8世(生没年不明) エジプト第20王朝第7代王 在位BC1133~BC1126

・ラムセス9世(生没年不明) エジプト第20王朝第8代王 在位BC1126~BC1108

・ラムセス10世(生没年不明) エジプト第20王朝第9代王 在位BC1108~BC1098

・ラムセス11世(生没年不明) エジプト第20王朝第10代王 在位BC1098~BC1070

 

※第13王朝から第17王朝までがタナトスの一族(預言者ナタンの一族)に支配されているが、第19王朝、第20王朝はティカル人ピラミッド派が覇権を取り戻した。彼らはエジプトではピラミッドを建造しなくなるが、ダヴィデの一族が預言者ナタンの一族を追放して第18王朝を開くと、ピラミッドの代わりにルクソール神殿を建立した。

彼らは、ファラオに即位しながら、ピラミッドだけは遠く離れた古代ペルーで作るようになった。エジプト第19王朝、第20王朝のファラオたちがラス・アルダス遺跡などの王を兼任し、遺跡建造の指揮者となった。ただ、ラムセス王の時代、代々のファラオたちの影武者の中に預言者ナタンの一族(タナトス)が混じっていた。タナトスの影武者たちは内部からエジプトを蝕み、外部からは海の民デニエン人(ダーナ神族の一族)が攻撃してきた。

 

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・曹叔振鐸(生没年不明) 曹初代君主 在位BC11世紀

・太伯(生没年不明) 曹第2代君主 在位BC11世紀

・仲君(生没年不明) 曹第3代君主 在位BC10世紀

・宮伯(生没年不明) 曹第4代君主 在位BC10世紀

・孝伯(生没年不明) 曹第5代君主 在位BC10世紀

 

※第20王朝のファラオたちは古代エジプトから中国に移り、曹(カオ)を築いた。曹(カオ)の由来は盤古(パングア)だと考えられる。曹の歴代君主は宗教都市チャビン・デ・ワンタルを建設し、王を兼任した。

 

チャビン・デ・ワンタルの王(曹の歴代王)

 

※曹の歴代君主たちはマウンド派と連合を試み、BC10世紀に巨大な土製のピラミッドをエル・サルバドル、ホンジュラスに建造した。
同年代に、曹の歴代君主たちがチャビン・デ・ワンタルに宗教都市を建設すると、それを境にピラミッド派の活動が活発化する。ピラミッド派は、マラニョン川、カハマルカ地域にピラミッドを建設し、ネペニャ川に神殿を建設した。その後も、カスマ川、アヤクーチョ地方、ピルー川、チャンカイ川、チンチャ川と次々にピラミッドを製作した。

 

戴伯(生没年不詳) 曹第8代君主 在位BC826~BC796

 

※戴伯は中国からイオニアに進出し、「イオニア同盟」を結成した。エーゲ海には古くからガリアのドルイド司祭の一族が君臨していたため、民を救おうとしたのだろう。イオニアの由来はウェネである。津軽時代にオリジナル人類ウェネ(アイヌ族)と交流があったため因んだのだろう。この当時は、曹(中国)、イオニア(エーゲ海)、チャビン・デ・ワンタル(ペルー)を勢力圏にしていた。

 

宗教都市テオティワカンの王(曹の歴代王)

 

テオティワカン宗教都市(BC6世紀)

 

※曹第18代君主から最後の第26代君主に至るまでの曹の歴代君主は古代メキシコにテオティワカン宗教都市を築き、テオティワカンの王として君臨したと考えられる。タナトスの一族(人身御供の種族サトゥルヌス)は既にユカタン半島(マヤ)に巣食っていたが、この当時のピラミッド頂上部にはまだ神殿が築かれていないため、サトゥルヌスの一族はまだメキシコ北部に進出していなかったようだ。

 

・宣公(生没年不明) 曹第18代君主 在位BC595~BC578

・成公(生没年不明) 曹第19代君主 在位BC578~BC555

 

武公(?~BC528) 曹第20代君主 在位BC555~BC528

夫譚(?~BC538) 越初代君主

 

※曹第20代君主は越(ユエ)を築いた。ユエの由来はイオニアと考えられる。曹第8代君主の時代に曹の王族はイオニアに進出してイオニア人と呼ばれていた。

 

・平公(生没年不明) 曹第21代君主 在位BC528~BC524

・悼公(生没年不明) 曹第22代君主 在位BC524~BC515

・声公(生没年不明) 曹第23代君主 在位BC515~BC510

・隠公(生没年不明) 曹第24代君主 在位BC510~BC506

 

靖公(?~BC502) 曹第25代君主 在位BC506~BC502

允常(?~BC496) 越第2代君主

 

曹伯陽(?~BC487) 曹第26代君主 在位BC502~BC487

勾践(?~BC494) 越第2代王 在位BC496~BC494

恵公(?~BC491) 第15代秦公 在位BC500~BC491

 

※曹最後の君主、曹伯陽の時に曹の王族は秦の王族(ティカル人マウンド派)と合体したと考えられる。その後、ピラミッド派とマウンド派は始皇帝凌を共同で製作する。その後も、お互いが漢の皇帝を代々務めていたが、いち早く離脱したティカル人マウンド派が朝鮮に新羅を築いたため、ティカル人ピラミッド派が漢を継承した。

新羅を築いたものの、新羅第2代王南解次次雄(マウンド派)が一度、中国に「新」を築いた。この混乱がいわゆる、熊襲武尊(ピラミッド派)と日本武尊(マウンド派)の対立のモデルかもしれない。ある意味、熊襲武尊と日本武尊の対立は、後漢の皇帝(ピラミッド派)と新羅の王(マウンド派)の戦いでもあった。

 

モンテ・アルバンの王(越の歴代王+秦、後漢歴代皇帝)

 

無彊(?~BC306) 越第12代君主 在位BC342~BC306※最後の王

武王(?~BC307) 秦第2代王 在位BC310~BC307

 

・光武帝(BC5~57) 後漢初代皇帝 在位25~57

・明帝(?~75) 後漢第2代皇帝 在位57~75

・章帝(?~88) 後漢第3代皇帝 在位75~88

・和帝(?~105) 後漢第4代皇帝 在位88~105

・殤帝(?~106) 後漢第5代皇帝 在位105~106

・安帝(?~125) 後漢第6代皇帝 在位106~125

・少帝(?~125) 後漢第7代皇帝 在位125

・順帝(?~144) 後漢第8代皇帝 在位125~144

・沖帝(?~145) 後漢第9代皇帝 在位144~145

・質帝(?~146) 後漢第10代皇帝 在位145~146

・桓帝(?~167) 後漢第11代皇帝 在位146~167

・霊帝(?~189) 後漢第12代皇帝 在位167~189

・少帝弁(?~189) 後漢第13皇帝 在位189

 

熊山遺跡(AD1世紀頃)

 

※歴代の後漢皇帝(熊襲武尊+ピラミッド派)は、新羅王(日本武尊+マウンド派)に敗北したため、岡山県赤磐に熊山遺跡と呼ばれている小型ピラミッドだけを日本に残した。

 

マラエ(AD1世紀~2世紀頃)

 

※歴代の後漢皇帝(熊襲武尊)は中国からタヒチに渡り、マラエと呼ばれる小型ピラミッドを築いた。

 

・曹騰(生没年不詳) 初代魏王 在位不明

・曹嵩(生没年不詳) 第2代魏王 在位不明

・曹操(155~220) 第3代魏王 在位不明

 

献帝(181~220) 後漢第14代皇帝 在位189~220

曹丕(187~226) 魏初代皇帝 在位220~226

 

曹叡(206~239) 魏第2代皇帝 在位226~239

応神天皇(200~310) 第15代天皇

葛烏菟(生没年不詳) 宇文部初代大人

 

※魏第2代皇帝は鮮卑の部族として宇文部(ユーウェン)を築いた。ユーウェンの由来はイオニア、或いは越(ユエ)である。「応神天皇」とは魏第5皇帝までに至る「魏皇帝の系譜」を指していると考えられる。

 

・曹芳(232~274) 魏第3代皇帝 在位239~254

・曹髪(241~260) 魏第4代皇帝 在位254~260

・曹奐(246~302) 魏第5代皇帝 在位260~265

 

グイマーのピラミッド群(AD3世紀頃)

 

※歴代の魏皇帝(熊襲武尊)は中国からマヤを経て大西洋を横断し、カナリア諸島にグイマーのピラミッド群を築いた。

 

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ワシャクトゥンの王(宇文部の歴代大人+ストラスクライド王国の歴代王+歴代天皇)

 

・宇文莫槐(?~293) 宇文部大人 在位?~293

・宇文普撥(生没年不詳) 宇文部大人 在位293~?

・宇文丘不勤(生没年不詳) 宇文部大人 在位不明

・宇文莫珪(生没年不詳) 宇文部大人 在位不明

・宇文遜昵延(生没年不詳) 宇文部大人 在位不明

・宇文乞得亀(?~333) 宇文部大人 在位?~333

・宇文逸豆帰(?~344) 宇文部大人 在位333~344

 

※宇文莫槐から宇文逸豆帰までに至る宇文部大人の系譜を仁徳天皇(257~399)と呼んでいると考えられる。

 

允恭天皇(376~453) 第19代天皇

Ceretic Guletic(?~450) ストラスクライド初代王 在位410~450

 

※宇文部大人の一族と考えられる允恭天皇はブリテン島に進出し、ストラスクライド王国、ゴッドオディン王国(由来は応神天皇)、ヘイスティングス王国などを築いた。

 

物部伊コ弗(生没年不詳) 物部五十琴父

彦主人王(生没年不詳) 継体天皇父

 

宇文肱(?~526) 宇文泰父

物部麻佐良(生没年不詳) 物部麁鹿火父

物部五十琴(生没年不詳) 物部目父

清寧天皇(444~484) 第22代天皇

顕宗天皇(450~487) 第23代天皇

仁賢天皇(449~498) 第24代天皇

継体天皇(450~531) 第26代天皇

Tutagual(?~495) ストラスクライド第6代王 在位490~495

 

※画像はポナペ島の海中遺跡である。允恭天皇(ストラスクライド初代王)から清寧天皇、顕宗天皇、仁賢天皇、継体天皇(ストラスクライド第6代王)までの天皇は、ポナペ島のナンマトルで海中遺跡の建造を指揮していたと考えられる。どこに行ってもタナトスがいるのでタナトスがいない自分たちだけの楽園の創造を試みたのかもしれない。

 

物部麁鹿火(?~536)

物部目(生没年不詳) 物部荒山父

安閑天皇(466~536) 第27代天皇

宣化天皇(467~539) 第28代天皇

Clinoch(?~540) ストラスクライド第9代王 在位508~540

 

物部荒山(生没年不詳) 物部尾輿父

 

宇文泰(505~556) 北魏・西魏政治家

物部尾輿(生没年不詳) 物部守屋父

Cinbelin(?~558) ストラスクライド第10代王 在位540~558

 

宇文純(?~581) 宇文泰の子

物部守屋(?~587)

 

※物部氏(宇文部)が天皇の皇位を日本に伝えた。物部氏の「物」の由来はモンゴルの「モン」だと考えられる。ただ、物部氏の一族の生没年はほぼ不詳なので、本体と影武者の関係上、誰が誰と繋がっているのか確かなことは言えない。物部氏はサタンの宗教(仏教)を嫌悪し、仏教を推す蘇我氏(アブラハムの一族)と対立し、仏像や仏閣を破壊していた。

 

パレンケに伯爵の神殿(AD4世紀頃)

 

※宇文莫槐から宇文逸豆帰までに至る宇文部大人がマヤでピラミッドを設計し、建造を指揮した。ただ、この当時からピラミッドの頂上に神殿が築かれるようになった。

マヤではサトゥルヌスの一族(百済王、東漢氏、坂上田村麻呂・藤原内麻呂の一族)に指示され、生贄を切り裂く専用の神殿付きのピラミッドを建造していた。この神殿では生贄が切り裂かれた。日本中に点在する小高い丘に建てられた全ての神社の元型である。

 

イースター島のモアイ(7世紀頃?)

 

※ストラスクライド王Beli IIはイースター島を発見すると、巨石建造の技術を伝える場として整備した。彼らはイースター島に、謎のモアイ像を多く築いた。その目的は、先祖代々培ってきた巨石建造技術の継承である。石の切り出しから彫刻、巨石の運搬、巨石を直立させるまで、モアイを作るプロセスには大ピラミッド建造時にも用いた巨石建造のノウハウが凝縮されている。彼らは、先祖代々培ってきた巨石建造技術とそのプロセスを継承し続けるためにモアイを作り続けたのだ

また、筆者は美大(油絵専攻)を出たのでわかるが、油絵の場合、いろんな形の集合体である人物を描破出来るのであれば何でも描ける。そういうわけで、人物デッサンを多くこなすことを求められる。彫刻も同様である。人物を彫るということは、極めればどんな形にも対応できるのだ。そのため、ピラミッド派はモアイ像を作り続けた。

 

エル・タヒンの王(ストラスクライド王国+シャイレーンドラ朝の歴代王)

 

Dumnagual II(?~694) ストラスクライド第20代王 在位 在位693~694

Santanu(?~700) シャイレーンドラ朝初代王 在位670~700

 

※第20代ストラスクライド王は、ジャワ島にシャイレーンドラ朝を開いた。この時にジャワは初めてジャワと呼ばれた可能性がある。ジャワの由来は、ユエ(越)やユーウェン(宇文)の元型ヤワンである。

 

ティカルのピラミッド群(AD8世紀)

 

・Beli II(?~722) ストラスクライド第21代王 在位694~722

・Teudebur(?~755) ストラスクライド第22代王 在位722~750

・Rotri(?~754) ストラスクライド第23代王 在位750~754

・Dumnagual III(?~760) ストラスクライド第24代王 在位754~760

 

Eugein II(?~780) ストラスクライド第25代王 在位760~780

Dharmatunga(?~782) シャイレーンドラ朝第8代王 在位775~782

 

※画像はボロブドゥール遺跡である。シャイレーンドラ王Dharmatungaに変身したストラスクライド王Eugein IIがボロブドゥール遺跡を設計し、建設を指揮した。

 

・Riderch II(?~798) ストラスクライド第26代王 在位780~798

・Cynan(?~816) ストラスクライド第27代王 在位798~816

 

魔法使いの神殿(AD8世紀)

 

※マウンド派に勝利したピラミッド派はマヤでピラミッド時代を謳歌し、ティカルにピラミッド群を築く。Beli IIからCynanに至る7人のストラスクライド王がピラミッド建設をマヤで指揮した。頂上に築かれた神殿は、藤原内麻呂の一族(サトゥルヌスの一族)の指示によって設けられている。ピラミッド派の技術にのっかり、できそこないの自分たちにハクをつけるために藤原内麻呂の一族はピラミッド派を支配した。

 

ククルカンの神殿(AD10世紀)

 

※最後のストラスクライド王が南漢、後漢(五代)を築いた。ストラスクライド王に引き続き、南漢、後漢皇帝(五代)がチチェン・イツァーにククルカンの神殿を築いた。ピラミッド派は、これを最後にピラミッドの建造をしていない。

 

Dumnagual IV(生没年不詳) ストラスクライド第28代王 在位816~?

ジャヤーヴァルマン2世(?~835) クメール王朝初代王 在位802~835

 

Arthgal(?~872) ストラスクライド第31代王 在位?~872

劉隠(874~911) 南漢初代皇帝 在位909~911

 

・劉ゲン(889~942) 南漢第2代皇帝 在位911~942

・劉ヒン(920~943) 南漢第3代皇帝 在位942~943

・劉晟(920~958) 南漢第4代皇帝 在位943~958

・劉チョウ(943~980) 南漢第5代皇帝 在位958~971

 

・劉知遠(895~948) 後漢(五代)初代皇帝 在位947~948

・劉承祐(931~951) 後漢(五代)第2代皇帝 在位948~950

 

※9世紀、ストラスクライド第28代王はスコットランドを離れて現カンボジアにクメール王朝を開いた。また、10世紀、魔法使いの神殿が完成すると、長いこと残虐な人身御供の神官(百済王、藤原内麻呂の一族、今川国氏の一族)の「ピラミッドの頂上に生贄を殺すための神殿を築くこと」という要請に応えてきたが、とうとう嫌気が差し、南漢皇帝、後漢(五代)皇帝はこれを拒否した。

 

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スーリヤヴァルマン2世(?~1150) クメール王朝第18代王 在位1113~1150

 

※画像はアンコールワット。クメール王スーリヤヴァルマン2世は、ピラミッド派の末裔としての力を振るい、アンコールワット寺院を建設した。

 

ニヤリヤイ・リヤミヤトゥバティー(?~1467) カンボジア王国第2代王 在位?~1467

アブー・サイード(1424~1469) ティムール朝第7代王 在位1451~1469

 

トゥモー(?~1498) カンボジア王国第3代王 在位1471~1498

ウマル・シャイフ2世(1456~1494) アブー・サイードの子

 

バーブル(1483~1530) ムガール帝国初代皇帝 在位1526~1530

 

※ウマル・シャイフ2世の子として生まれたバーブルはムガール帝国を築いた。

 

シャー・ジャハーン(1592~1666) ムガール帝国第5代皇帝 在位1628~1658

 

※画像はタージマハールである。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟である。 古代からピラミッドを建造してきた一族が久しぶりに巨石建造の一族としての力を発揮した。

 

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ムガール皇帝シャー・アーラム2世の子(ムガール皇帝ジャハーンダール・シャーの孫)

 

ミールザー・カリームッディーン・ムハンマド(176?~?)※画像なし
ムハンマド・アリー(1769~1849) ムハンマド・アリー朝初代君主 在位1805~1848

嘉隆帝(1762~1819) 阮朝初代ベトナム皇帝 在位1802~1819※画像なし

 

※生没年不詳のムガール皇帝の子ムハンマドは、アルバニアに潜入してムハンマド・アリーとなり、エジプトにムハンマド・アリー朝を開き、ベトナムにも阮朝を開いた。1774年にクック船長がイースター島を訪れたのを機に、イースター島の人々は嘉隆帝治世下のベトナム帝国に移り住んだ。

 

イブラヒーム・パシャ(1789~1848) ムハンマド・アリー朝第2代君主 在位1848

エル・ハジ・ウマル・タール(1794~1864) トゥクロール帝国初代皇帝※画像なし

 

※ムハンマド・アリー朝第2代君主はティカルの名に因んで「トゥクロール帝国」を築いた。

 

サイード・パシャ(1822~1863) ムハンマド・アリー朝第2代君主 在位1854~1863

嗣徳帝(1829~1883) 阮朝第4代皇帝 在位1847~1883※画像なし

 

※阮朝ベトナム皇帝の王位は残念ながら、第4代で終わり、代わりに本願寺門主覚如の一族に簒奪されてしまう。

 

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ムハンマド・アリー朝イスマーイール・パシャの子

 

フアード1世(1868~1956) ムハンマド・アリー朝第9代君主

チャールズ・チャップリンSr (1863~1901)

 

※フアード1世は、父の亡命により幼少期はイタリアで暮らした。故国エジプトに帰国するまでの間、彼はイギリスで舞台俳優チャールズ・チャップリンとして生きたと考えられる。舞台俳優としてではなく、ちょう報員としてイギリスに潜入していた可能性もある。その後、チャールズは1889年にチャールズを儲けているが、その後、1901年に38歳で自身を死んだことにし、エジプトに帰還した。

彼は、1908年にはエジプト国民大学を設立し、1917年には君主に即位し、1922年にはイギリスから独立すると共にエジプト王に即位している。現在残されているチャールズSrの写真は、影武者(庶子の異母兄弟)の可能性が高い。

 

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ムハンマド・アリー朝タウフィーク・パシャの子(イスマーイール・パシャの孫)

 

Princess Nimetallah Muhammed(1881~1966)※画像なし

シドニー・チャップリン(1885~1965)

エドワード・ホッパー(1882~1967) 画家

 

※画像上下は異才エドワード・ホッパーの絵画作品である。ホッパーは、後に出現する黒澤・橋本、アントニオーニらに先駆けて映画言語とでもいうべき手法を駆使している。上画像(1939)では、ホッパーは犬に奥さんの内面を重ね合わせている。語られない隠されたドラマが見えてくるようだ。

下画像(1960)では右の窓に若い女性の内面、左の窓には老女の内面が重ねあわされている。老女は過去に思いを馳せているが、一方の若い女性は将来に目を向けていない。現在の自分が過去の自分と隣りあわせる。まさにシュルレアリスムの醍醐味である。

シドニーは、エドワード・ホッパーと同様にフアード1世の影武者であったチャールズSrの子だと考えられる。2人は、Nimetallah姫の影武者として生まれた。

 

Muhammed Hanım(188?~?)※画像なし

チャールズ・チャップリン (1889~1977) 喜劇俳優・映画監督・作曲家

 

※画像は映画「モダンタイムス」の一コマ。チャーリーは祖父フアード1世に良く似ている。チャップリンはムハンマド・アリー朝にとってだけでなく、世界の希望の星だったため、多くの女性が彼の遺伝子を所望した。たったひとりでも大きな勢力であったため、チャップリンを恐れた本願寺はアメリカの家族に連絡し、赤狩りの標的とした。代表作に「犬の生活」「キッド」「黄金狂時代」「街の灯」「モダンタイムス」「独裁者」などがある。

 

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ムハンマド・アリー朝タウフィーク・パシャの孫

 

Nabila Nimetullah Halim(1908~?)※画像なし

サルバドール・ダリ(1904~1988) シュルレアリスト・画家

バルチュス/バルタザール・クロソウスキー(1908~2001) 画家

 

※画像上はダリの絵画作品、下画像はバルチュスの絵画作品。ダリのヒゲが、祖父ファード1世のヒゲと同じなところが興味深い。ダリとバルチュスは、Nabilaの影武者として生まれた。ダリはシュールレアリズムの画家として著名だが、彼の言動・行動なども作品に負けないくらいにシュールだった。ルイス・ブニュエルと共に映画「アンダルシアの犬」「黄金時代」の脚本を担当した。

バルチュスは親日家として知られ、妻は日本人であり、勝新太郎と交流があった。彼は二枚目だったため、彼の遺伝子を所望する女性たちが優性遺伝子ブリーダーに要請し、非常に多くの有名俳優・ミュージシャンを生んだと考えられる。

バルチュスは少女を主題にした絵を多く描き、誤解を受けたが、彼のような男だからこそ、少女にも性欲があることを知っていた。その美(いい男を知った少女の顔)も熟知していた。例え少女でも、成人女性と同じで、いい男がいればすぐにでも抱かれて子供を生みたいと考えるものだ。これは本能であり、普通の人間には理解できないことだが、彼のような男だけが聖域に踏み入ることを許されていたわけだ。彼に対する世間の誤解の多くは意図的なものであり、ほぼほぼ妬みに起因するやっかみだった。

 

Nabila Zeyneb Halim(1915~?)※画像なし

ガマール・アブドゥル=ナーセル(1918~1990) 第2代エジプト大統領 任期1954~1959

イングマル・ベルイマン(1918~2007) 映画監督

 

エジプトの軍人、政治家。第2代エジプト共和国大統領。汎アラブ主義と汎アフリカ主義を掲げ、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国してその初代大統領に就任し、アフリカ統一機構の第2代議長も務めた。 ガマール・アブドゥル=ナーセルwikiより

 

※ベルイマンの代表作には「ペルソナ」「狼の時刻」「鏡の中にある如く」「冬の光」「沈黙」などがある。

 

Nabil Muhammed Tewfik Toussoun(1925~?)※画像なし

ホスニー・ムバラク(1928) 第4代エジプト大統領 在位1981~2011

ハロルド・ピンター(1930~2008) 劇作家、脚本家、映画監督

 

エジプトの軍人、政治家。共和政エジプト第4代大統領(第2代エジプト・アラブ共和国大統領)として約30年にもわたる長期政権を維持したが、2011年の革命によって失脚した。日本ではムバラクと表記されることが多い。 ホスニー・ムバラクwikiより

 

※ピンターは、劇作家であり脚本家として映画界に登場した。代表作には「召使」「できごと」「ベースメント」などがある。監督作には「BUTLY」などがある。

 

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ムハンマド・アリー朝フアード1世(チャールズ・チャップリン)の子

 

ファールーク1世(1920~1965) ムハンマド・アリー朝第10代エジプト王 在位1936~1952

ノーマン・スペンサー・チャップリン(1919早世)※画像なし

ニコラエ・チャウシェスク(1918~1989) ルーマニア大統領

 

※チャウシェスクの正体は、3日で早世したと言われているチャップリンの長男ノーマン・スペンサーである。チャウシェスクは永らくフェイクメディアから独裁者として扱われた。東西本願寺は善人や優れた人物ほど、悪の汚名を着せる。敵(善人)が悪であれば、自分たち(真の悪)は正義の味方なのだ。チェウシェスク大統領は裁判も受けずに処刑されたが、あのような野蛮な所業は本願寺がやることだ。

 

Faika(1926~1983)※画像なし

シドニー・チャップリン(1926~2009)

 

Fathia(1930~1976)※画像なし

アレハンドロ・ホドロフスキー(1929) 映画監督

ジョン・カサヴェテス(1929~1989) 俳優・映画監督

仲代達矢(1932) 俳優

 

※画像は映画「エルトポ」の一コマ。ホドロフスキーとカサヴェテスはFathia姫の影武者として生まれた。ホドロフスキーは映画「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」「サンタ・サングレ」などで知られている。カサヴェテスは、映画「こわれた女」「フェイシズ」「オープニング・ナイト」で知られている。

仲代は優性遺伝子ブリーダーによるサルバドール・ダリの子と考えられる。目や表情が良く似ている。安倍公房脚本、勅使河原宏監督の映画「他人の顔」では、素顔をほぼ見せない役にも拘らず大きな存在感を発揮した。

 

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ムハンマド・アリー朝ファールーク1世(チャールズ・チャップリン)の子

 

Farial(1938~2009)※画像なし

ボブ・ディラン(1940) ミュージシャン

 

※ディランは優性遺伝子ブリーダーによって生まれたチャップリンの子と考えられる。ディランはプリンスと同じで、昔から顔がチャップリンに似ているなと思っていた。

 

Fawzia(1940~2005)※画像なし

ピーター・ウィアー(1944) 映画監督

デヴィッド・クローネンバーグ(1943) 映画監督・俳優

 

※画像は映画「トルーマンショー」の一コマ。クローネンバーグは、「ラビッド」「ビデオドローム」「クラッシュ」「イグジステンス」などで知られている。ウィアーは、「ピクニックatハンギングロック」ではアントニオーニの理論を拡大解釈して新機軸を展開して見せた。また「トゥルーマンショー」では、探偵業の闇の部分を取り上げ、問題提起した。他にも「グリーンカード」「モスキート・コースト」などで知られている。

 

Fadia(1943~2002)※画像なし

マイケル・チャップリン(1946)※画像なし

デヴィッド・ボウイ(1947~2016) ミュージシャン・俳優

アリス・クーパー(1948) ミュージシャン・俳優

 

※デビッド・ボウイとアリス・クーパーは優性遺伝子ブリーダーによって儲けられたチャップリンの子と考えられる。つまり、ボブ・ディランとは異母兄弟である。2人とも、グラムロックの雄としてわざとらしく、安っぽいシアトリカルな要素をロックのステージに取り入れることを好んだ。

 

フアード2世(1952) ムハンマド・アリー朝第11代王 在位1952~1953※画像なし

アブドルファッターフ・アッ=シーシー(1954) 第6代エジプト大統領 任期2014~現在

ピーター・ガブリエル(1951) ミュージシャン、元ジェネシス

 

エジプト軍軍事情報庁長官、エジプト軍最高評議会議長、国防大臣、エジプト国軍総司令官、第一副首相などを歴任し共和政エジプト第6代大統領(エジプト・アラブ共和国第4代大統領)に就任した。日本語メディアではシシ、シーシあるいはアッシーシと表記されている。アブドルファッターフ・アッ=シーシー wikiより

 

※シーシー大統領は西本願寺門主本如の一族に属するムスリム同胞団の陰謀を退け、犯罪者ムルシーを投獄した。

 

クリストファー・チャップリン(1962)

ピーター・マーフィー(1957) バウハウス

ダニエル・アッシュ(1957) バウハウス

プリンス(1958~2017) ミュージシャン・俳優・映画監督

松本人志(1963) ダウンタウン

 

※プリンス・ロジャー・ネルソンは、クリストファー・チャップリンの影武者として生まれた。両者はなかなか良く似ている。筆者は昔からプリンスがチャップリンに似ていると思っていた。通常ならそんなことはありえないが、しかしながら、優性遺伝子ブリーダーという組織が存在することを知っている今、それも可能だ。プリンスの母はチャップリンの遺伝子を所望したため、優性遺伝子ブリーダーを介してプリンスは生まれたのだ。その揺るぎない自信と広範にわたる才能はまさにチャップリン譲りだ。

イギリスのニューウェイブバンド「バウハウス」のメンバーもクリストファー・チャップリンの異母兄弟として生まれた。ピーター・マーフィーは特にクリストファーに似ている。そういえば、プリンスは自身が監督した映画「アンダー・ザ・チェリームーン」で、クリストファー・トレイシーなる人物を演じていた。

まっちゃんは優性遺伝子ブリーダーによる仲代達矢の子であり、サルバドール・ダリの孫となる。どうりでまっちゃんはシュールな感性が際立っていた。残念なことだが、現在のまっちゃんは猫柳のようになってしまった。

 

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優性遺伝子ブリーダーによるバルチュスの子(ムハンマド・アリー朝タウフィーク・パシャの曾孫)

 

ロバート・デ・ニーロ(1943) 俳優

 

※デ・ニーロはバルチュスに良く似ている。彼は自覚していないが、本願寺系列のメディアに利用されている。

 

パティ・スミス(1946) 詩人・ミュージシャン

ジェーン・バーキン(1946) 女優

 

※パティ・スミスはルー・リード(ヴェルヴェットアンダーグラウンド)、アラン・レイニアー(ブルーオイスターカルト)、ロバート・メイプルソープ(写真家)、フレッド・スミス(MC5)、ジェーン・バーキンはセルジュ・ゲンズブールと言う稀代の芸術家に愛された。

 

ジョー・ペリー(1950) エアロスミス

 

※スティーヴン・タイラーと共にエアロスミスの要であり、現在でも現役である。現在、同じ家族であるアリス・クーパー、ジョニー・デップと組んでハリウッド・ヴァンパイアなるバンドとしても活動中だ。

10代の頃、ペリーは泥棒をして警察に捕まったが、許してもらおうとして「ヤードバーズのレコードをあげるから許して」と嘆願した。しかし警官が「そんなものはいらん」というとジョーはショックを受け「ヤードバーズだぜ?俺の宝物のヤードバーズのLPをやると言ってるんだぜ?信じられねえ」と嘆いたという。

 

スティング(1951) ポリス

 

ウェイン・ハッセイ(1958) シスターズ・オブ・マーシー、ミッション

ボノ(1960) U2

ジ・エッジ(1961) U2

 

※ボノは自覚していないが、本願寺系列のメディアに利用されている。

 

ジョニー・デップ(1963) 俳優

 

リヴァー・フェニックス(1970~1993) 俳優

 

※フェニックスは、新興宗教ファミリーに批判的だったため、ファミリーの教祖デヴィッド・バーグ(西本願寺門主大谷光演の一族)に殺されたとされている。或いは、デビッド・ロックフェラーの子レオナルド・ディ・カプリオを売るために邪魔者としてロックフェラー家に消された。

 

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第2代エジプト大統領ナーセルの子

 

ハリード・アブデル・ナーセル(1949~2011)

フィル・ライノット(1949~1986) シン・リジィ

 

その功績に敬意をこめて"ザ・ロッカー" (The Rocker) と呼ばれる。フィル・ライノットwikiより

 

※画像はシンリジィのライブの一コマである。フィルは、ハリード・アブデル・ナーセルの影武者として生まれた。異母兄弟である。フィルがムハンマド・アリーの王族の血筋であることを知り、イギリスを支配する西本願寺門主良如、法如、文如の一族はフィルを暗殺した(公式には敗血症)。旧友のゲイリー・ムーアも2011年に西本願寺門主良如、法如、文如の一族によって殺されている(公式には心臓発作で死亡している)。

ピラミッドを建造していた種族は、ピラミッドの建造は中止したが、今ではアーティストとして様々な分野で活躍しているのがわかる。

 

  

 


ブルガリア皇帝イヴァン・アセン3世の一族~ソロモン1世、エチオピア帝国、クリミア・ハン国、ハルハ部、ケニア共和国、チャック・ベリー、アース・ウィンド&ファイア、ボブ・マーリー、エディ・マーフィー

 

イヴァン・アセン3世(1259~1303) アセン朝第12代ブルガリア王 在位1279~1280※画像なし

イクノ・アムラク(?~1285) ソロモン朝初代エチオピア皇帝 在位1270~1285

テグデル(?~1284) イルハン朝第3代ペルシア王 在位1282~1284※画像なし

 

※ブルガリア皇帝イヴァン・アセン3世がイクノ・アムラクとしてエチオピア初代皇帝に即位した。

 

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ソロモン1世(?~1294) ソロモン朝第2代エチオピア皇帝 在位1285~1294

アルグン(?~1291) イルハン朝第4代ペルシア王 在位1284~1291

ゲイハトゥ(?~1295) イルハン朝第5代ペルシア王 在位1291~1295

 

アムダ・セヨン1世(?~1344) ソロモン朝第3代エチオピア皇帝 在位1314~1344

ムバーリズッディーン・ムハンマド(?~1358) ムザッファル朝初代王 在位1314~1358

アルパ・ケウン(?~1336) イルハン朝第10代ペルシア王 在位1335~1336

 

ダウィト(?~1411) ソロモン朝第4代エチオピア皇帝 在位1382~1411

ザイヌル・アービディーン(?~1387) ムザッファル朝第2代王 在位1384~1387

シャー・マンスール(?~1393) ムザッファル朝第3代王 在位1387~1393

 

テオドロス1世(?~1414) ソロモン朝第5代エチオピア皇帝 在位1413~1414

カラ・ユースフ(?~1420) 黒羊朝第3代王 在位1389~1420

 

アンドレイヤス(?~1430) ソロモン朝第6代エチオピア皇帝 在位1429~1430

カラ・イスカンダル(?~1435) 黒羊朝第4代王 在位1420~1435

 

ザラ・ヤコブ(?~1468) ソロモン朝第7代エチオピア皇帝在位1434~1468

ジャハーン・シャー(?~1467) 黒羊朝第5代王 在位1435~1467

ハサン・アリー(?~1469) 黒羊朝第6代王 在位1468~1469

ハージー1世ギレイ(?~1456) クリミア・ハン国初代ハーン 在位1430~1456

 

ガローデオス(?~1559) ソロモン朝第9代エチオピア皇帝 在位1540~1559

サーヒブ1世ギレイ(?~1551) クリミア・ハン国第15代ハーン 在位1532~1551

 

メナス(?~1563) ソロモン朝第10代エチオピア皇帝 在位1559~1563

デヴレト1世ギレイ(?~1577) クリミア・ハン国第15代ハーン 在位1551~1577

 

スセニョス1世(?~1632) ソロモン朝第11代エチオピア皇帝 在位1606~1632

メフメト3世ギレイ(?~1628) クリミア・ハン国第15代ハーン 在位1623~1628

 

ファシラダス(?~1667) ソロモン朝第12代エチオピア皇帝 在位1632~1667

ベンタル(?~1669) ハルハ右翼部初代部族長 在位1653~1669

 

イヤス1世(?~1706) ソロモン朝第13代エチオピア皇帝 在位1682~1706

ノネイ(?~1707) ハルハ右翼部第3代部族長 在位1669~1707

 

ベカファ(?~1730) ソロモン朝第15代エチオピア皇帝 在位1721~1730

ジャンダグミ(?~1728) ハルハ右翼部第3代部族長 在位1708~1728

 

テクレ・ハイマノット2世(?~1777) ソロモン朝第19代エチオピア皇帝 在位1769~1777

デヴレト4世ギレイ(?~1777) クリミア・ハン国第15代ハーン 在位1775~1777

 

スセニョス2世(?~1770) ソロモン朝第24代エチオピア皇帝 在位1770

サーヒブ2世ギレイ(?~1775) クリミア・ハン国第15代ハーン 在位1771~1775

 

ソロモン2世(?~1779) ソロモン朝第25代エチオピア皇帝 在位1777~1779

シャヒン・ギレイ(?~1782) クリミア・ハン国第15代ハーン 在位1777~1782

ラワンドルジ(?~1782) ハルハ右翼部第4代部族長 在位1729~1781

 

ギヨルギス1世(?~1800) ソロモン朝第26代エチオピア皇帝 在位1779~1800

バハディル2世ギレイ(?~1790) クリミア・ハン国第15代ハーン 在位1783~1790

アユル(?~1796) ハルハ左翼部第5代部族長 在位1759~1796

 

イヤス3世(?~1788) ソロモン朝第27代エチオピア皇帝 在位1784~1788

ツェブテンジャブ(?~1788) チェチェン・ハーン部第10代部族長 在位1767~1788

 

ソロモン3世(?~1799) ソロモン朝第35代エチオピア皇帝 在位1796~1799

ジワンドルジ(?~1795) チェチェン・ハーン部第11代部族長 在位1788~1795

 

ヨナス(?~1798) ソロモン朝第36代エチオピア皇帝 在位1797~1798

サンジドルジ(?~1800) チェチェン・ハーン部第13代部族長 在位1796~1800

 

イヨアス2世(?~1821) ソロモン朝第37代エチオピア皇帝 在位1818~1821

エンケトロ(?~1817) チェチェン・ハーン部第15代部族長 在位1807~1817

ナムルライジャブ(?~1815) ハルハ左翼部第6代部族長 在位1796~1815

 

イヤス4世(?~1832) ソロモン朝第38代エチオピア皇帝 在位1830~1832

シャクドルジャブ(?~1830) ハルハ左翼部第8代部族長 在位1815~1830

 

ヨハンネス3世(?~1851) ソロモン朝第39代エチオピア皇帝 在位1840~1851

アディヤ(?~1850) グサイ・ベイセ第9代部族長 在位1804~1850

ハイレ・マラコト(?~1855) メネリク2世父

 

ツェリンドルジ(?~1893) チェチェン・ハーン部第17代部族長 在位1875~1893

ツェリンドルジ(?~1890) ハルハ右翼部第11代部族長 在位1880~1890

ドゥイグルスロン(?~1890) ハルハ左翼部第10代部族長 在位1870~1890

テオドロス2世(?~1868) テオドロス朝初代エチオピア皇帝 在位1855~1868

 

ギヨルギス2世(?~1871) ザグウェ朝初代エチオピア皇帝 在位1868~1871

ヨハンネス4世(?~1889) ティグレ朝初代エチオピア皇帝 在位1871~1889

 

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メネリク2世(1844~1913) ソロモン朝初代エチオピア皇帝 在位1889~1913

 

ショアの王(ネグ)のハイレ・マラコトの子として生まれ、王位を継承。エチオピア中興の祖である皇帝テオドロス2世がショアを攻撃した際に捕虜とされたが、かえってテオドロスに可愛がられ、このことが自身に大きな影響を与えた。後にヨハンネス4世の跡を継いで皇帝に即位した。

第一次エチオピア戦争においてイタリア王国を破り、列強にエチオピアの独立を承認させた。これは、当時のアフリカ大陸の諸王国の中で唯一独立を保つことが出来た事例として有名となった。 wikiより

 

イヤス5世(1895~1935) ソロモン朝第2代エチオピア皇帝 在位1913~1916
ジョモ・ケニヤッタ(1893~1978) ケニア共和国初代大統領

ノーマン・マンリー(1893~1969) ジャマイカ第2代首相※画像なし

 

1952年にマウマウ団の乱に関係したとされ、またその一味であったとされ逮捕された。裁判官や通訳者などが不当にケニヤッタを扱ったとされる裁判は5ヶ月に及び、結果として7年間の重度労役処分とされたが、ケニア北西の辺境地ロドワーに移送され保護監察下での執行猶予処置とされた。

現在の研究でも、彼とマウマウとの関係はあったとされているが、他の説を唱える研究もある。結果的に1959年まで刑務所で過ごすこととなった。1963年にケニアが独立すると初代首相となり、1年後に大統領制に移行するとそのまま大統領となった。ジョモ・ケニヤッタwikiより

 

※エチオピア皇帝イヤス5世は、ジョモ・ケニヤッタとしてケニアを独立に導いた。その後、イヤス5世は40歳で死んだことにし、最後の43年間をジョモ・ケニヤッタとして生きた。初老のケニヤッタは、メネリク2世の初老時とそっくりである。上記の通り、才能のある人間、良い人間は、本願寺が掌握する国家機関やインフラ面で不遇を強いられている。

 

ザウディトゥ(1876~1930) ソロモン朝第3代エチオピア皇帝 在位 在位1916~1930

 

ハイレ・セラシェ1世(1892~1975) ソロモン朝第4代エチオピア皇帝 在位1930~1936

マコネン・エンデルカチュー(1890~1963) エチオピア第4代首相※画像なし

 

1934年の「ワルワル事件」を経て1935年10月3日にファシスト党のベニート・ムッソリーニ率いるイタリア王国が「アドワの報復」を掲げてエチオピアに進攻、第二次エチオピア戦争が勃発した。翌1936年3月のマイチァウの戦いでイタリア軍は毒ガスを用いて帝国親衛隊を含むエチオピア軍を壊滅させる。その後、皇帝ハイレ・セラシエ1世は5月2日に鉄道でジブチに向かい、ジブチを経由してイギリスのロンドンに亡命した。その間首都アディスアベバは5月5日に陥落した。

1936年から1941年までのエチオピアはイタリア領東アフリカ帝国としてファシスト・イタリアに統治された。1939年の第二次世界大戦勃発後、東アフリカ戦線 (第二次世界大戦)にて枢軸国のイタリア軍と連合国のイギリス軍の激戦を経て、1941年にエチオピアはイギリス軍に解放され、5月5日に皇帝ハイレ・セラシエ1世は凱旋帰国した。 ハイレ・セラシェ1世wikiより

 

※さすがにオスマントルコ皇帝の一族だけあり、西本願寺門主大谷光尊の血を継ぐムッソリーニを退けている。

 

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エチオピア皇帝メネリク2世の子

 

Wossen Seged(生没年不詳)

アレクサンダー・バスタマンテ(1884~1977) ジャマイカ初代首相

 

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エチオピア皇帝ハイレ・セラシェ1世の子

 

Mekonnen Haile Selassie(1924~1957)

チャック・ベリー(1926~2017)

 

Sahle Selassie(1932~1962)※画像なし

ジェームズ・ブラウン(1933~2006) ミュージシャン

サム・クック(1931~1964) ミュージシャン

リトル・リチャード(1932) ミュージシャン

 

※リトル・リチャードは兄チャック・ベリーと共にロックンロールミュージックを発明し、ロックの黎明期を牽引した。同じ影武者仲間のサム・クックはソウルミュージック界で活躍したが、彼の最後はあっけなく、哀れだった。

 

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エチオピア皇帝ハイレ・セラシェ1世の孫

 

Paul Wossen Seged(生没年不詳)※画像なし

ウィルソン・ピケット(1941~2006) ミュージシャン

モーリス・ホワイト(1941~2016) アース・ウィンド&ファイア

リチャード・プライアー(1940~2005) コメディアン

 

※リチャード・プライアーは弟分のエディ・マーフィとは兄弟ということになる。プライアーの弟にはボブマーリーもいるが、兄弟だけに良く似ている。プライアーの影武者仲間のピケットやモーリスはソウルミュージック界で活躍した。

 

Mikael(生没年不詳)※画像なし

ピーター・トッシュ(1944~1987) レゲエミュージシャン

 

ジャマイカのレゲエミュージシャン。同国のバンド、ウェイラーズの一員として活躍した後、ソロ・ミュージシャンとしても成功を収めた。また、ラスタファリ運動の先駆者としても知られる。 wikiより

 

Dawit(生没年不詳)※画像なし

ボブ・マーリー(1945~1981) レゲエミュージシャン

 

ジャマイカのレゲエミュージシャン。その音楽はラスタファリ運動の思想を背景としており、彼の音楽と思想は数多くの人々に多大な影響を与えた。 ボブ・マーリーwikiより

 

Beede Mariam(生没年不詳)※画像なし

バニー・ウェイラー(1947) レゲエミュージシャン

 

レゲエ音楽家、ラスタマン。ボブ・マーリー、ピーター・トッシュらと活躍したザ・ウェイラーズのオリジナルメンバーである。 バニー・ウェイラーwikiより

 

※ハイレ・セラシェ1世は、チャーチル率いるイギリス軍がムッソリーニを退けたおかげで、イギリスに親近感を持ったと考えられる。彼はイギリス領のジャマイカに子を儲けた。その子供たちがレゲエを始めた。レゲエは世界中のミュージシャンに影響を与えた。本願寺はマーリーがエチオピア皇帝の血を継いでいることを優性遺伝子ブリーダーに聞いて知ったため、これ以上勢力伸張することを阻止するためにマーリーやトッシュを暗殺した。

 

Ermias Sahle Selassie(1960)※画像なし

ウフル・ケニヤッタ(1961) ケニア第4代大統領

エディー・マーフィー(1961) コメディアン・俳優・映画監督

 

※初期のエディは挑戦的な芸風で一世を風靡した。サタデーナイトライブのコントや自身が脚本・主演した「星から来た王子」、主演・監督した「ハーレムナイト」では歯に衣着せぬ表現で偽善的な風潮を斬った。

しかし、ディープステートにマークされると毒を省いた芸風に転換し、ハリウッドに生き残った。主演作には「大逆転」「48時間」「ビバリーヒルズ・コップ」「ゴールデン・チャイルド」がある。脚本家としては「星の王子様ニューヨークへ行く」、監督作としては「ハーレムナイト」がある。

 

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ボブ・マーリーの子

 

ジギー・マーリー(1968) ジギー・マーリー&ザ・メロディメイカーズ

ガーネット・シルク(1966~1994) レゲエミュージシャン

 

※ガーネット・シルクはどちらかといえばピーター・トッシュに似ている。ガーネットはマーリーの影武者として生まれた可能性がある。なぜか殺害されてしまった。

 

 

 



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