目次
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まえがき
新まえがき 2019.12.20
地球の王チュクウ~神統記の巨人ギガース、巨人アグリオス、巨人クリュテイオス、巨人グラティオーン、巨人エウリュトス、巨人ブリアレオース、半人半獣の怪物テュポン、鍛冶の祖トバルカイン
全能神ゼウスの一族~英雄ペルセウス、素戔鳴尊、全能神ゼウス、周、サイス朝、孫子、ソクラテス、臨済宗、リトアニア大公国、明、李氏朝鮮、マイソール王国、ロスチャイルド家、太平天国、サムスン・グループ
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族①~出羽、十和田、イスラエル王国、ダヴィデ朝、テーベ神官都市、太陽神ラー、太陽神アメン、ユダ王国、晋、趙、朴氏、ペグー王朝、能、伊賀忍者、ソ連国家保安委員会
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族②~拓跋部、北魏、吐蕃、回鶻汗国、ヴァイキング、ノルマンディー公、キエフ公国、甲賀忍者、ヴィジャヤナガル王国、スフォルツァ家ミラノ公、ソビエト社会主義共和国連邦
宇宙人トバルカイン(ルハンガ)の一族③~サハラ砂漠、ソドムとゴモラ、プント王国、インダス文明、パーンダヴァ族、英雄アルジュナ、燕、ローマ帝国、諸葛孔明、サファヴィー朝、シク教国、バアス党
宇宙人トバルカイン(オロクン)の一族④~桃源郷、仙人、ラテン王国、ヒッタイト帝国、シュメール都市国家ウルク、アーリア人、魯、孔子、東胡、天狗、匈奴、アラン人、西ゴート王国、ブルガリア帝国、大元帝国
宇宙人トバルカイン(クウォス)の一族⑤~海の民、エジプト第25王朝、プトレマイオス朝、ハザール帝国、イエス・キリスト、グルジア王国、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、ノルディック、ケムトレイル
宇宙人エラドの一族~女神エリウ、ラテン王国、シュメール都市国家ウル、アーリア人、衛、老子、道教、セレウコス朝、カッパドキア王国、橘諸兄、小野妹子、ブルガリア帝国、ブニョロ帝国、ウィルタ族
宇宙人マハラエルの一族~戦闘の女神マッハ、フルリ人、ウラルトゥ王国、イリュリア王国、楼蘭、モラヴィア王国、平将門、平清盛、ムラービト朝、ムワッハド朝、フス派、雑賀衆、ヘーチマン国家、スタジオ・ジブリ
宇宙人スバルの一族~天孫氏、ゼブルン族、シュメール都市国家シッパール、プール族、シバ王国、破壊神シヴァ、楚、鮮卑、ヴァンダル王国、シュリーヴィジャヤ王国、シビル汗国、円谷プロダクション
デウカリオンの一族(マウンド派)~ニューグレンジ、モホス文明、フェニキア人、カルタゴ、天孫族、多氏、秦、呉、前漢、新羅、日本武尊、インカ帝国、ジョージ・モンク、フリーメイソン、オナシス財閥
デウカリオンの一族(ピラミッド派)~ギザのピラミッド、ラムセス3世、曹、テオティワカン宗教都市、越、熊襲武尊、後漢皇帝、魔法使いの神殿、クメール王朝、ムハンマド・アリー朝、チャーリー・チャップリン
ブルガリア皇帝イヴァン・アセン3世の一族~ソロモン1世、エチオピア帝国、クリミア・ハン国、ハルハ部、ケニア共和国、チャック・ベリー、アース・ウィンド&ファイア、ボブ・マーリー、エディ・マーフィー
ブルガリア皇帝イヴァイロの一族~ヴィスコンティ家、メディチ家、クリストファー・コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、イエズス会、フランシスコ・ザビエル、トスカーナ大候国、ローマ教皇フランシスコ
ブルガリア皇帝ゲオルギ2世の一族~オスマントルコ帝国、北元、スペイン無敵艦隊、ロシア帝国、サルディーニャ王国、リンカーン大統領、宰相ビスマルク、怪僧ラスプーチン、エルドアン大統領
オスマントルコ皇帝ムラト2世の一族~イヴァン大帝、チューダー朝イングランド王国、宗教革命、エリザベス女王、清教徒革命、第一次サウード王国、第二次サウード王国、サウジアラビア王国
オスマントルコ皇帝メフメト2世の一族~マクシミリアン1世、バイエルン王国、交響曲の父ハイドン、サド侯爵、文豪ゲーテ、楽聖モーツァルト、ヘミングウェイ、三島由紀夫、シド・バレット、トランプ大統領
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族①~宇佐美定満、蘆名盛氏、柴田勝家、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光、伊達政宗、水戸光圀、乾隆帝
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族②~蘆名盛氏、高山右近、千利休、黒田官兵衛、有馬晴信、宮本武蔵、天草四郎、鄭成功、ヌルハチ、愛新覚羅家
オスマントルコ皇帝オスマン2世の一族~オリバー・クロムウェル、大英帝国、アメリカ合衆国、エドガー・アラン・ポー、オーソン・ウェルズ、ザ・ビートルズ、モンティ・パイソン、レッド・ツェッペリン
オスマントルコ皇帝アフメト3世の一族~ピヨートル大帝、ナポレオン皇帝、モルモン教、ルーズベルト大統領、ケネディ大統領、ザ・ドアーズ、プーチン大統領、ウィキリークス、Qアノン
オスマントルコ皇帝ムスタファ3世の一族~乾隆帝、マイソール王国、宝暦事件、トンブリー朝タイ王国、詩聖タゴール、マハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー
オスマントルコ皇帝セリム3世の一族~道光帝、曽国藩、胡林翼、李鴻章、西郷隆盛、吉田松陰、西太后、大本教、中江兆民、ジャン・コクトー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジェームズ・ディーン、つげ義春
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族①~曽国藩、東郷平八郎、乃木希典、児玉源太郎、袁世凱、黄金栄、蒋介石、小津安二郎、手塚治虫、ジャン・クロード=カリエル、ヴェルナー・ヘルツォーク
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族②~胡林翼、山口春吉、北一輝、大杉栄、鄧小平、ルイス・ブニュエル、サルトル、池田大作、キューブリック、宮崎駿、セックス・ピストルズ、マイケル・ジャクソン
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族③~李鴻章、勝海舟、福沢諭吉、坂本龍馬、張嘯林、杜月笙、黒澤明、田中角栄、習近平国家主席、マーティン・ルーサー・キングJr、ドゥテルテ大統領、橋本龍太郎
オスマントルコ皇帝アブデュルメジト1世の一族~犬養毅、頭山満、義和団の乱、幸徳秋水、文鮮明、大山倍達、田岡一雄、高畑勲、安孫子素雄、梶原一騎、アントニオ猪木、鳥山明、高田延彦、秋元康
オスマントルコ皇帝メフメト5世の一族~孫文、夏目漱石、張作霖、橋本忍、毛沢東、徳田球一、金日成、小沢一郎、金丸信、藤本弘、赤塚不二夫、ジャッキー・チェン、金正恩委員長
特別篇 宇宙人とぼく
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宇宙人トバルカイン(クウォス)の一族⑤~海の民、エジプト第25王朝、プトレマイオス朝、ハザール帝国、イエス・キリスト、グルジア王国、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、ノルディック、ケムトレイル

 

・テワ族(1万3千年前)※画像はテワ族の少女

・ティワ族(1万3千年前)

・トワ族(1万3千年前)

 

クウォスのトバルカインは超科学を放棄し、原始的な生活を望んでコロラド流域に移住した。テワ、ティワ、トワの名はトバルカインに由来している。彼らは自分たちをマヤ人の子孫、宇宙人の子孫だと信じている。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

ルカイ族(台湾原住民)

 

※テワ族らはコロラド流域を離れて台湾に入植し、ルカイ族を生んだ。ルカイの名の由来はトバルカインである。

 

ラカイン族(ミャンマー少数民族)

 

※テワ族らはコロラド流域を離れてミャンマーに入植し、ラカイン族を生んだ。ラカインの名の由来はトバルカインである。画像のラカイン族の親子だが、子供の方が碧眼である。宇宙人トバルカインの子孫の証だろう。

 

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・ラティヌス(BC32世紀頃)

・ラテン王国(BC32世紀頃)

・都市国家ウル(BC32世紀頃)

 

※画像はヴォルガ河である。伝説のラテン王国が存在したのはイタリアではない。ラテン王国の範図は広大であり、北はヴォルガ流域・ウラル山脈、西はバルカン半島、東はアルタイ山脈・オルドス(中国)、南はメソポタミア・インドにまで広がっていた。つまり、メソポタミア文明や黄河文明をも内包していた巨大王国だった。

ラティヌスの由来はエラドとアルキュオネウスの組み合わせである。エラド+アルキュオネウス=ラドネウス=ラティヌス=ラテンとなる。オロクンのトバルカインは預言者ナタンの一族とその街を核分裂させて消滅させた当人だが、その「黙示録アルマゲドン」を機に、オロクンのトバルカインは巨大な罪悪感によって超科学を放棄し、ウラル山脈に移り住んでエラドと共にラティヌス(ラテン王国)を生んだ。

この時にオロクンのトバルカインがウラルを訪れた際、初めてヴォルガ河はヴォルガと呼ばれ、バルカン半島もバルカンと呼ばれた。ヴォルガ、バルカンの由来はトバルカインである。トバルカイン=トヴァルガイン=ヴォルガとなり、トバルカイン=バルカイン=バルカンとなる。

 

・都市国家ラガシュ(BC32世紀頃)

・グジャラート(BC32世紀頃)

 

※クウォスのトバルカインもラテン王国に参加し、ラガシュ(メソポタミア)とグジャラート(インド)をラテン王国の領域に築いた。ラガシュの由来はコルキスであり、グジャラートの由来はラガシュとエラドの組み合わせである。コルキス=ルギス=ラガシュとなり、ラガシュ+エラド=ガシュラド=グジャラートとなる。

 

海の民

 

・アカイワシャ人(BC13世紀) チュクウ+ウェシュシュ
・ウェシュシュ人(BC13世紀) クウォス+シュシャン
・シェクレシュ人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ+クウォス
・チェケル人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ
・トゥルシア人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ+シュシャン
・ルカ人(BC13世紀) アルキュオネウス

 

※画像は海の民のレリーフ。タナトスの一族に属する海の民(デニエン人、シェルデン人)以外の6種の海の民はトバルカインとゼウスの一族で構成されていた。海の民は、上の画像のルカイ族の男のような顔をしていたと考えられる。

 

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・コーサラ王国(BC12世紀)

・クリシュナ(BC12世紀)

 

※「マハーバーラタ戦争」でヴォルガ流域とメソポタミアが核分裂によって荒廃し、ラテン王国が滅ぶと、クウォスのトバルカインはメソポタミア+グジャラートを離れてナイル上流域に進出し、クシュ王国(コーサラ王国)を築いた。クシュとコーサラの由来はグジャラートである。グジャラート=グージャラ=コーサラとなる。クリシュナの名の由来はシェクレシュである。

 

コーサラ王国の王(ヌビア王国の歴代王+エジプト第25王朝の歴代ファラオ)

 

・アララ(?~BC752) ヌビア王 在位BC795~BC752

・カシュタ(?~BC752) ヌビア王 在位BC765~BC752

 

・ピイ(?~BC721) エジプト第25王朝初代ファラオ 在位BC752~BC721

・シャバカ(?~BC706) エジプト第25王朝第2代ファラオ 在位BC721~BC706

・シャバタカ(?~BC690) エジプト第25王朝第3代ファラオ 在位BC706~BC690

・タハルカ(?~BC664) エジプト第25王朝第4代ファラオ 在位BC690~BC664

・タヌトアメン(?~BC656) エジプト第25王朝第5代ファラオ 在位BC664~BC656

 

・アトラネルサ(?~BC640) ヌビア王 在位BC656~BC640

・セヌカマヌイスケン(?~BC620) ヌビア王 在位BC640~BC620

・アヌラマニ(?~BC600) ヌビア王 在位BC620~BC600

・アスペルタ(?~BC580) ヌビア王 在位BC600~BC580

・アラマトレ=クォ(?~BC555) ヌビア王 在位BC568~BC555

・マロナクエン(?~BC542) ヌビア王 在位BC555~BC542

 

※画像はクシュ人の碑。クシュ人はエジプト第25王朝を開いているが、この王朝は別名コーサラ王国だった。クシュ王国(コーサラ王国)が滅ぶと、クシュ人はコルキスに移住してコルキス王となり、同時にプトレマイオス朝のファラオを兼任した。

 

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Kuji(?~BC280) コルキス初代王 在位BC325~BC280※画像なし

プトレマイオス1世(BC367~BC282) プトレマイオス朝初代ファラオ 在位BC305~BC282

 

・Akes(生没年不詳) コルキス王 在位BC3世紀

・Saulaces(生没年不詳) コルキス王 在位BC2世紀

 

Mithridates(生没年不詳) コルキス王 在位BC80

プトレマイオス11世(BC115~BC80) プトレマイオス朝第12代ファラオ 在位BC80

 

プトレマイオス12世(BC117~BC51) プトレマイオス朝第13代ファラオ 在位BC80~58、BC55~51

Machares(生没年不詳) コルキス王 在位BC65

 

プトレマイオス14世(BC60~BC44) プトレマイオス朝第17代ファラオ 在位BC47~BC44

Aristarchus(?~BC47) コルキス王 在位BC63~47

 

※コルキスの名の由来はクリュテイオスとクウォスの組み合わせだと考えられる。クリュテイオス+クウォス=クリュクウォス=コルキスとなる。コルキス王は、同時にプトレマイオス朝のファラオを代々務めた。だが、プトレマイオス朝はガリアのドルイド司祭の一族の干渉を受け続けた。

特に、ガリアのドルイド司祭の一族は女王ベレニケ3世、女王ベレニケ4世、プトレマイオス13世などの偽者を擁立した。プトレマイオス11世などは、偽者の女王ベレニケ3世を殺害すると、怒った群衆により虐殺されたが、これはタナトスが得意とする、数で優れた人物を圧倒するという一向一揆と同じ手口である。

 

クレオパトラ7世(BC69~BC30)

 

現在、世間一般に美女「クレオパトラ」として浸透しているのは、クレオパトラ7世のことである。クレオパトラの父はプトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世であり、兄弟姉妹はクレオパトラ6世(姉)、ベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世(共に弟)が知られる。「クレオパトラ」の名はギリシア語で「父親の栄光」を意味する。 wikiより

 

プトレマイオス15世カエサリオン(BC47~BC30) クレオパトラ7世の子

ユバ2世(BC50~AD23) ヌミディア王※画像なし

 

共和政ローマの将軍ユリウス・カエサルとクレオパトラ7世の子(異説あり)。カエサリオンは「小カエサル」を意味する。異父弟妹にアレクサンドロス・ヘリオス、クレオパトラ・セレネ、プトレマイオス・フィラデルフォスがいる。 母クレオパトラ7世とエジプトを共同統治していたプトレマイオス14世が紀元前44年に死去すると、プトレマイオス15世となった。 wikiより

 

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クレオパトラ・セレネ(BC39~AD6) マルクス・アントニウスの娘

 

※ガリアのドルイド司祭の一族が偉大なカエサルやクレオパトラの血筋の根絶を実行していたため、男子はみな早いうちに殺されていた。それを避けるため、カエサリオンは自分を17歳で死んだことにし、ユバ2世としてヌミディア王国に潜伏した。ユバ2世は異父妹であるクレオパトラ・セレネと結婚し、洗礼者ヨハネ(プトレマイオス・トロメウス)とイエス・キリスト(ドルシラ)を生んだ。

 

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ユバ2世とクレオパトラ・セレネの子

 

プトレマイオス・トロメウス(BC9~AD40)※画像なし

洗礼者ヨハネ(BC6~AD36)

クノベリヌス(?~AD41) ブリトン王 在位AD9~AD41※画像なし

 

※イエスが磔の刑で死去したあとも、洗礼者ヨセフはしばらくの間イエスを演じた。これがイエスの復活の真実である。しかし、ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため捕らえられ、ヘロデの娘サロメ(ガリアのドルイド司祭の一族)が、祝宴での舞踏の褒美として彼の首を求めたため、処刑された。

しかし、実際にはヨハネは処刑を逃れてブリテン島に落ち延び、ブリトン王に即位したと考えられる。このときに、ジョーンズの名が生まれた。ジョーンズの名の由来はヨハネスである。

 

ドルッシラ(?~?)※画像なし

イエス・キリスト(BC6~AD30)

 

※ドルイド司祭がカエサルの血筋(男系)の根絶を実行していたため、男子はみな早く死んでいた。当然、クレオパトラ・セレネも目を付けられていたが、彼女は男子として生まれたイエスを女子ドルッシラとして育てた。そのおかげでイエスは無事に成長することが出来た。洗礼者ヨハネの正体はプトレマイオス・トロメウスであり、イエスの兄であった。

イエスには2人のイエスがいた。ひとりはクレオパトラ7世の孫ドルッシラであり、もうひとりはイエスを騙ったドルイド司祭である。神殿で商売をする資本主義者を罵倒し、暴れるのがホンモノのイエスであり、不治の病に苦しむ病人を治すのは偽イエス(ドルイド司祭)である。

 

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ブリトン王クノベリヌスの子

 

アルウィラグス(?~1世紀半ば) ブリトン王※画像なし

シモン・ペトロ(AD1~AD64) 初代ローマ教皇 在位33~67

 

※ペトロはユバ2世の庶子と考えられる。そのため、ペトロはドルイド教にロックオンされずにノーマークで育つことができた。ペトロは十二使徒として異母兄弟であるイエスに従い、偽イエスを演じていたドルイド司祭がパウロとしてイスラエルに戻った時には、キリスト教を守るためにパウロと対決した。

 

※画像は十二使徒とイエス・キリストである。十二使徒たちは、初代ブリトン王クノベリヌスの子(wikiに記述は無いが)ではないかと考えられる。一方、ユダはイエスを裏切ったとされているが、彼は影武者のイエスに接吻した、つまり、ホンモノのイエスを助けるための芝居だった。

 

・ゼベタイのヤコブ(1世紀頃)

・使徒ヨハネ(1世紀頃)

・アンデレ(1世紀頃)

・フィリポ(1世紀頃)

・トマス(1世紀頃)

・バルトロマイ(1世紀頃)

・マタイ(1世紀頃)

・アルファイのヤコブ(1世紀頃)

・タダイ(1世紀頃)

・熱心者のシモン(1世紀頃)

・イスカリオテのユダ(1世紀頃)

 

古代マヤ+ティカルの王(歴代ブリトン王)

 

・Marius ブリトン王 在位不明

・Colius ブリトン王 在位不明

・Lucius ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Allectus ブリトン王 在位不明

・Coel ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Octavius ブリトン王 在位不明

・Trahern ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Gracianus Municeps ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Vortigern ブリトン王 在位不明

・Vortimer ブリトン王 在位不明

・Aurelius Ambrosius ブリトン王 在位不明

・Uther Pendragon ブリトン王 在位不明

・Arthur ブリトン王 在位不明

・Constantine III ブリトン王 在位520~523

・Aurelius Conanus ブリトン王 在位不明

・Vortiporius ブリトン王 在位6世紀頃

・Malgo ブリトン王 在位?~547

・Keredic ブリトン王 在位不明

・Cadvan ブリトン王 在位616~625

(アングロサクソン人移住)

・Cadwallo ブリトン王 在位625~634

・Cadwallader ブリトン王 在位655~689

 

※カエサルの子孫であるブリトン王は古代メキシコ~マヤに進出し、羽毛ある蛇と呼ばれる神、ケツァルコアトルを生んだ。ケツァルコアトルの名の由来はカエサル4世(クアトロ)である。 カエサルクアトロ=カエツァルクアトル=ケツァルコアトルとなる。ケツァルコアトルは白い顔の男とされているが、さもありなん。

 

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・Za Haqala(生没年不詳) アクスム王国初代王 在位100頃

・Gadarat(生没年不詳) アクスム王国第2代王 在位200頃

・Nzaba(?~240) アクスム王国第3代王 在位230~240

・Sembrouthes(生没年不詳) アクスム王国第4代王 在位250頃

・Batsana(生没年不詳) アクスム王国第5代王 在位260頃

 

※十二使徒はアクスム王国を建てたと考えられる。それを証明するように、アクスム王国はキリスト教国家だった。アクスムの由来はカシミールだと考えられる。

 

Ebana(生没年不詳) アクスム王国第14代王 在位5世紀頃※画像なし

シクストゥス3世(390~440) 第44代ローマ教皇 在位432~440

Kozar(生没年不詳) ハザール初代王 在位不明※画像なし

 

Nezool(生没年不詳) アクスム王国第15代王 在位5世紀頃

ヘンゲスト(455~488) 初代ケント王※オクタ父

Karadach(生没年不詳) ハザール第2代王 在位450頃

 

※イエスの一族はローマ教皇とブリトン王を兼務していたが、シクストゥス3世以降、タナトスの一族であるレオ1世がローマ教皇となったため、オリジナル教皇の一族はブリテン島に拠点を移した。

 

Alla Amidas(生没年不詳) アクスム王国第18代王 在位6世紀頃

オクタ(500~543) 第4代ケント王

ヨハネス2世(470頃~535) ローマ教皇 在位533~535

 

・Israel(生没年不詳) アクスム王国第24代王 在位590頃

・Gersem(生没年不詳) アクスム王国第25代王 在位600頃

 

Armah(生没年不詳) アクスム王国第26王 在位614頃※画像なし

エゼルベルト(560~616) 第6代ケント王※画像なし

グレゴリー1世(549~604) 第64代ローマ教皇 在位590~604

アウグスティヌス(?~604) 初代カンタベリー大主教

 

※ケント王オクタがベネディクト会とカンタベリー大主教座を設けて以降、イエスの一族はローマ教皇、ベネディクト会修道院長、ケント王、ブリトン王、カンタベリー大主教を兼任した。一方、ベネディクト会が、アイルランド・カトリック教会を指導しているため、アイルランド・カトリックはしばしばクリュニー会やシトー会、ドミニコ会に攻撃されている。

 

Cadwallo(生没年不詳) ブリトン王 在位625~634

Sahama(生没年不詳) アクスム王国第27代王 在位630頃

Ziebel(生没年不詳) ハザール帝国初代王 在位618~630

 

※アクスム王国が滅ぶと、アクスムの王族は伝説のラテン王国の首都が存在したヴォルガ流域に移り、ハザール帝国を築いた。ハザールの由来はカエサルである。カエサル=カエザール=カザール(ハザール)となる(中央アジアにはカ行がハ行を兼ねることがある)。

一方、ハザール帝国を治めながら、ハザール王は家族が築いた修験道で精神を鍛えるべく日本に赴いた。また、ハザール王は修験道に励む一方で唐の皇帝の計らいで朝鮮で安東都護を任され、同時に古代メキシコに進出してトルテカ帝国を築いた。

 

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トルテカ帝国の王(歴代ハザール皇帝)

 

・Bori Shad ハザール帝国第2代王 在位630~650

・Irbis ハザール帝国第3代王 在位650

・Khalga ハザール帝国第4代王 在位660?

 

鹿島神宮神職+トルテカ帝国の王(歴代ハザール皇帝+安東都護)

 

Kaban(生没年不詳) ハザール帝国第5代王 在位660?

魏哲(?~669) 初代安東都護 任期668~669

 

Tang Xiujing(?~705) 第7代安東都護 任期704~705※画像なし

役小角(634~701) 修験道開祖

 

Busir(生没年不詳) ハザール帝国第6代王 在位690~715

許欽澹(生没年不詳) 第10代安東都護 任期714?

 

Barjik(生没年不詳) ハザール帝国第7代王 在位720~731

Xue Tai(?~725) 第11代安東都護 任期720~725

Li Jiao(生没年不詳) 第12代安東都護 任期727?

 

Pei Min(生没年不詳) 第14代安東都護 任期733~741

Bihar(生没年不詳) ハザール帝国第8代王 在位732

Prisbit(生没年不詳) ハザール帝国第9代王 在位730後期

 

・高震(?~773) 第20代安東都護 任期?~773

 

※ハザール王は唐の計らいで朝鮮での安東都護を任された。同時に、ハザール王は日本の山中で修験道に励んだ。修験道はスバル人とオロクンのトバルカインが築いたもので、スバル人は妖怪山姥として、オロクンのトバルカインは天狗として日本の山中に暮らしていた。宇宙人の超科学の力は地球を破壊しかねないほど強力だ。これを正しく使うため、煩悩に負けない強い精神力を養う必要である。そのために修験道が生まれた。

スバル人とオロクンのトバルカインは超科学を継承していたが、クウォスのトバルカインは1万3千年前に超科学を放棄し、もともとコロラド流域に住んでいた人々である。だが、スバル人や天狗に出会ったことで、彼らは再び超科学の継承を決めた。

安東都護が山伏の格好をして修験道の修行に励んでいる際、ハザール皇帝たちは鹿島神宮を建てたようだ。鹿島の由来はアクスムである。鹿島神宮だが、サトゥルヌスの一族が建てた人身御供の儀式を催していた神社とは全く違うことが分かるだろう。サトゥルヌスの一族の神社の場合、鳥居は社の前には建てない。

 

■修験者(ハザール王の一族)と人身御供の神官(サトゥルヌスの一族)の戦い

 

※画像は桃太郎の図。修験者を模した歴代ハザール皇帝は、日本の山々で修験道に励んでいた。だが、鬼が日本各地で好き放題しているのを小耳に挟んだ彼らは鬼を皆殺しにすべく、鬼退治を決定した。時代は7世紀後半と考えられる。

鬼の正体は契丹の王であるが、ハザール皇帝がこの時に成敗したのは契丹王李失活(在位697~718)とその郎党のことだと考えられる。第10代安東都護許欽澹(ハザール皇帝Busir)は百地を名乗っていたため、彼らの契丹討伐の話は桃太郎の伝説として語り継がれることになった。犬と猿とは天狗と忍びの者のことであり、キジは食糧だったと考えられる。鬼ヶ島とは契丹の本拠地モンゴルだったかもしれない。因みに737年、第14代都護Pei Minの時にハザール帝国がユダヤ人1731の一族に簒奪され、ユダヤ教に改宗している。

また、最後の安東都護、第20代安東都護高震は修験者万巻として芦ノ湖に出現し、若い娘を生贄として所望していた九頭龍の神官たち(坂上苅田麻呂の子)を皆殺しにした。話としては戦いは一瞬で終わったように感じるが、実際には高震が九頭龍崇拝の神官らを皆殺しにするために安東都護をやめ、773年から完全に足場を日本に移し、芦ノ湖付近で戦闘の準備に入ったと考えられる。

修験者と人身御供の神官の戦闘は坂上苅田麻呂が死去した786年まで続いたと考えられる。の後、安東都護(ハザール皇帝)は日本を離れたが、ハザール帝国がユダヤ教神官(ユダヤ人1731の一族)に簒奪されていたこともあり、故地コルキスに戻って代わりにイベリア王国を築いている。

 

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・Adarnase IV(?~923) イベリア王国初代王 在位888~923

・David II(?~937) イベリア王国第2代王 在位923~937

・Sumbat I(?~958) イベリア王国第3代王 在位937~958

・Bagrat II(?~994) イベリア王国第4代王 在位958~994

・Adarnase V(?~966) イベリア王国第5代王 在位961~966

・David III(?~975) イベリア王国第6代王 在位966~975

・Gurgen II(?~1008) イベリア王国第7代王 在位994~1008

 

Bagrat III(960~1014) グルジア王国初代王 在位1008~1014

 

※イベリア王国第8代王Bagrat IIIがグルジア王国の初代王に即位した。グルジアの名の由来はシェクレシュである。シェクレシュ=シェクレシア=クレシア=グルジアとなる。

 

David VI(1225~1293) グルジア王国第14代王 在位1245~1259

 

※ダヴィデ6世の時代、ビザンツ王族(ユダヤ人1731の一族)の攻撃を受けた際、タイガは森林ごと根こそぎ吹っ飛び、砕けた大地が何百平方キロにも渡って飛び散った。ただ、科学の種族は余裕だった。彼らは、スバールバル諸島から発射されたビザンツ帝国の核兵器に攻撃されても安全な小型かつ堅牢な要塞を地下深くに建設していた。更に、タナトスが開発できた核兵器は少量だった。そのため、科学の種族はタナトスの混血を相手にしていなかったようだ。
科学の種族が築いた小型要塞は、ロシアで「大釜」と呼ばれている。現在でも、タイガの奥地に迷い込んだ現地人に偶然発見されることがある。鋼鉄のノミで削っても、ハンマーで叩いても、欠けることもなく、傷ひとつ付けることができないという。

 

George VIII(?~1465) グルジア王国第39代王 在位1446~1465

John Whethamstede(?~1465) ベネディクト会修道院長

ジャン8世(1425~1477) ヴァンドーム伯

 

※ゲオルグ8世の後、グルジア王国はカートリ朝、カケーティ朝、イメルティ朝の3つに分離した。

 

Alexander II(?~1510) イメレティ朝初代グルジア王 在位1478~1510※画像なし

Constantine II(1447~1505) カートリ朝初代グルジア王 在位1478~1505

Alexander I(1445~1511) カーケティ朝初代グルジア王 在位1476~1511※画像なし

フランソワ(1470~1495) ヴァンドーム伯

 

George IX(?~1539) カートリ朝第3代グルジア王 在位1525~1527※画像なし

ジョン・ベック(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

リチャード・ホワイティング(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

ヒュー・クック・ファリンドン(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

ジョン・カイト(?~1537) アイルランド・カトリック教会アーマー大主教※画像なし

シャルル・ド・ブルボン(1489~1537) ヴァンドーム公

 

Bagrat III(1495~1565) イメレティ朝第2代グルジア王 在位1510~1565

メノ・シモンズ(1496~1561) メノナイト教祖

 

Levan(1504~1578) カーケティ朝第3代グルジア王 在位1520~1574※画像なし

ジャン・カルヴァン(1509~1564) 改革派教祖
ジョン・ゲイツ(1504~1553)※画像なし

 

※グルジア王レヴァンは、ジャン・カルヴァンとしてツヴィングリが築いた改革派を継承した。更に、カルヴァンはジョン・ゲイツとしてイングランドで暗躍したが、処刑されたことにして潜伏を決め込み、並行して演じていたカルヴァンとしてその後の11年を生きた。

 

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ニュルンベルクに未知の飛行物体が出現」(1561)

 

ニュルンベルクの明け方。垂直に滞空する2つの円筒形の物体が出現し、そこから赤、青、黒といった様々な色の円盤が飛び出した。未知の飛行物体は空中を飛び交い、激しく衝突したり、一時間の間、空中戦を演じていたという。「世界のUFO現象」より

 

※これは、宇宙人(グルジア王)と錬金術師・神秘思想家(バイエルン公)の現代科学を超えた超科学による戦いだった。


バーゼルに未知の飛行物体が出現」(1566)

 

スイスのバーゼル上空、空を覆う、黒い球体が発光したり分裂しながら空中戦を戦っていたという。「世界のUFO現象」より

 

※これは、宇宙人(グルジア王)と錬金術師・神秘思想家(バイエルン公)の現代科学を超えた超科学による戦いだった。

 

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Alexander II(1527~1605) カーケティ朝第4代グルジア王 在位1574~1601※画像なし

ルイ1世(1530~1569) コンデ公、ユグノー派首領・将軍

 

George X(1561~1606) カートリ朝第8代グルジア王 在位1599~1606※画像なし

アンリ4世(1553~1610) ブルボン朝初代フランス王 在位

 

ユグノー戦争で叔父コンデ公ルイが戦死したため、年少にしてユグノーの盟主となる。1572年、自身の婚礼に際して企てられたサン・バルテルミの虐殺に遭遇したが、カトリックに改宗して難を避け、1576年に脱走して再びプロテスタントに復帰し、1589年のアンリ3世の暗殺により王位を継承する。その後再度カトリックに改宗して国内を平定し、1598年にナントの勅令を発布してカトリックとユグノーとの国内融和に努め、40年近くにわたる戦争を終結させた。戦後は戦争によって疲弊した国家の再建を行ったが、1610年に狂信的なカトリック信者によって暗殺された。アンリ4世wikiより

 

※ブルボン朝の初代王アンリ4世はグルジア王の一族であるため、ユグノーを支持した。ユグノー戦争は、邪教の手先であるカトリック信者の根絶を目指していた。 しかし、残念ながら、ブルボン朝のフランス王位は、第4代ブルボン朝フランス王ルイ15世の時に東本願寺宣如の一族に簒奪されてしまう。

 

・George III(?~1639) イメレティ朝第8代グルジア王 在位1605~1639

・Simon II(?~1630) カートリ朝第11代グルジア王 在位1619~1630

・Teimuraz I(?~1648) カーケティ朝第8代グルジア王 在位1605~1648

 

※見付神社の人身御供の神官一月長得(今川氏真)とその郎党を皆殺しにしたのは犬の早太郎だが、早太郎の正体は上記の3人のグルジア王だと考えられる。丁度、3人は修験道に励むために来日していたのかもしれない。そこに見付神社で人身御供が催されているのを小耳に挟み、3人のグルジア王が乗り込んで今川氏真の一味を皆殺しにした。

グルジア王たちは修行中で山伏の姿をしていたものの、堀りが深く、鼻が高いため、天狗と認識された。それで犬(天狗)と呼ばれたわけだ。見付神社で人身御供が中止になったのは一月長得(今川氏真)が死んだ1625年と考えられる。

 

Alexander III(?~1660) イメルティ朝第9代グルジア王 在位1639~1660※画像なし

ルイ13世(1601~1643) ブルボン朝第2代フランス王 在位1610~1643

 

Heraclius I(1642~1709) カーケティ朝第10代グルジア王 在位1675~1676

ルイ14世(1638~1715) ブルボン朝第3第フランス王 在位1643~1715

 

Archil(1647~1699) イメルティ朝第11代グルジア王 在位1661~63、1698~99

ヤコブ・アマン(1644~1712) アーミッシュ教祖

 

※画像はアーミッシュの人々。グルジア王Archilは1699年に52歳で死んだことにしてグルジアを発ち、スイスに潜伏した。その後、ヤコブ・アマンとしてアーミッシュの始祖となった。カラシュのようにアーミッシュもUFOを持っているかどうかは不明だが、反自然的なものを嫌悪する発想は宇宙人と共通している。

 

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シュトラールズントに未知の飛行物体が出現」(1665)

 

ドイツ、バルト海沿岸に飛行艇とドーム構造を備えた道の飛行物体が出現した。空の船団は、空中戦を演じ、それが数時間続いた後、すべてが消えてしまったという。「世界のUFO現象」より

 

※これは、宇宙人(グルジア王)と錬金術師・神秘思想家(バイエルン公)の現代科学を超えた超科学による戦いだった。

 

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David II(1679~1722) カーケティ朝第11代グルジア王 在位1703~1720

ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン(1678~1737) トゥルーズ伯

 

1696年1月に陸軍元帥、及びフランス軍司令官となった。1704年、ルイ・アレクサンドルはスペイン継承戦争において、敵方の英蘭連合軍をマラガの海戦で損害を与えたことで有名になった(戦略上は連合軍の勝利)。1713年、"トゥールーズ伯邸(現在はパリ1区・フランス銀行本店が入居)"を購入し居住。1714年夏には兄のメーヌ公らと共にルイ14世の正式なフランス王位継承者とされた。ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボンwikiより

 

・Alexander V(1703~1752) イメルティ朝第22代グルジア王 在位1720~1741

・Jesse(?~1727) カートリ朝第22代グルジア王 在位1724~1727

・Constantine II(?~1732) カーケティ朝第22代グルジア王 在位1722~1732

 


「人体自然発火事件」(1731)※写真はメアリー・リーサー(1951年)の事件現場

 

※Alexander V、Jesse、Constantine IIの治世にユダヤ人1731の一族が人体自然発火装置を完成させた。ユダヤ人1731の一族がこの兵器を使用して人間を焼いたことを知ると、グルジア王(超科学の種族)は激怒した。ついに本気になり、ユダヤ人1731の一族が築いたスバールバル諸島の基地を一瞬で破壊した。

この戦いでJesse、Constantine IIは死亡したようだが、グルジア王は更にユダヤ人1731の一族から科学技術を取り上げた上で、シベリアからユダヤ人1731の一族を永久追放した。この時に、シベリアに住んでいたタナトスの混血の残党はロシア、イギリス、スウェーデン、シチリア、日本に四散した。

 

George IX(1718~1778) イメルティ朝第23代グルジア王 在位1741~1742※画像なし

ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778) 著述家・哲学者

 

私生活においては、マゾヒズムや露出癖、晩年においては重度の被害妄想があった。こうした精神の変調の萌芽は若い頃からあり、少年時代に街の娘たちに対する公然わいせつ罪(陰部を露出)で逮捕されかかった。更に、自身の5人の子供を経済的事情と相手側の家族との折り合いの悪さから孤児院に送った。自身の著書『告白』などでそれらの行状について具体的に記されている。ジャン=ジャック・ルソーwikiより

 

※ルソーはアルメニア服を良く着ていたが、そこから彼がグルジア王だったと考えて良い。奇遇なことにグルジア王ゲオルグ9世とルソーの没年が符合している。

上記のwikiの解説を見ると、死して尚、ルソーが東本願寺門主宣如の一族に侮辱され続けていることに驚愕する。東本願寺門主宣如の一族(オラトワール協会)はルソーがグルジア王であることを知り、終生付き纏った。東本願寺門主宣如の一族(オラトワール協会)はカトリック教徒をラジコンのように操り、常にルソーの人生を人工的に下方修正し続けた。大量の信者がいるから可能なことである。

ルソーは、時のフランス政府(東本願寺門主宣如の一族)に著書「エミール」を批判・弾圧された。更に、ルソーはフランスを追放され、ヨーロッパ中をさすらい、流浪の生活を余儀なくされた。その間、本願寺門主の一族が操るヨーロッパ中のカトリック信者によって、ルソーはどこに逃げても顔を知られ、石を投げられ、程度の低い民衆に追われた。そして、仲間であるはずの貴族たちにはイヤミな陰謀を仕掛けられた。現代で言うところの集団ストーカーである

ルソー曰く「あのようなおびただしい突発事件の堆積、残忍極まりないすべての仇敵の、いってみれば ふとしたはずみの興奮、国家を統治している全ての人々、地位あるすべての者たち共通の陰謀に協力するため、ぼくに何か人知れぬ怨恨を抱いている者達の中から特に選抜された折り紙つきのすべての人間、これらがこのように全面一致したことは、それを純粋に偶然だとするにはあまりにも異常すぎる
この陰謀に加担するのを阻む者が一人でもあればそれとは反対の事件がひとつでも起こればそれを阻害する事情がひとつでも突発すれば、ただそれだけでこの陰謀を挫折させるに十分であったはずだ。それだのに、あらゆる意志、あらゆる避けがたい事情、運命、そしてあらゆる革命が彼ら人間の仕業を強固にして しまったのだ。それにしても驚異ともいうべき、このように見事な協力一致はその完全な成功が天の法令に明記してあるのではないかと怪しまずにはいられないくらいだ

このときにルソーが経験したものは、村八分ならぬ、ヨーロッパ八分(カトリック八分)であった。ヨーロッパ随一の知性でありながら、本願寺によってあらぬ罪を着せられ、弾劾され、その、人としての高いレベルに見合わない待遇、生活、運命を演じることを強要された。

 

Heraclius II(1720~1798) カートリ+カケーティ朝初代グルジア王 在位1762~1798

 

ソロモン1世(1735~1784) イメルティ朝初代グルジア王 在位1752~66、68~84

 

George XII(1746~1800) カートリ+カケーティ朝初代グルジア王 在位1798~1800

ジャン=ポール・マラー(1743~1793) 

 

1789年のフランス革命勃発後は、新聞『人民の友』を発行し過激な政府攻撃をして下層民から支持された。そのことがもとで1790年1月にイギリスに亡命。4月に戻ってからコルドリエ・クラブ(Club des Cordeliers)に入り、8月10日のテュイルリー王宮襲撃事件や反革命派への九月虐殺を引き起こしたといわれている。1792年、国民公会の議員に選出されて山岳派(ジャコバン派)に所属した。議会を主導するジロンド派を攻撃し、一時、逮捕されたがすぐに釈放されパリ民衆を蜂起させて最終的に国民公会から追放した。マラーwikiより

  

David II(1756~1795) イメルティ朝第3代グルジア王 在位1784~89、90~92※画像なし
ジョルジョ・オーギュスト・クートン(1755~1794) ジャコバン派

マクシミリアン・ロベスピエール(1758~1794) ジャコバン派

 

※ブルボン朝フランスの王族が悪(東本願寺門主宣如の一族)で汚染されていることを知ったグルジア王は直接潜入し、フランス革命を起こした。だが、エベール派は東本願寺門主乗如の一族である。エベール派は王室だけを目の仇にしていたが、ジャコバン派は諸悪の根源カトリックをしっかり弾圧し、邪教クリュニー会をフランスから追放した。そして、邪教カトリックに代わるものとして「最高存在の祭典」を催した。

ただ、敵が誰かわからない疑念に恐怖を成したロベスピエールは、ダントンら異母兄弟でさえ信用できずに暴走し、挙句に粛清してしまった。彼は、自ら仲間を減らしたため、「敵を減らしてくれてありがとう」と笑う本願寺によって、最後は自分までもが処刑された。 

 

ソロモン2世(1772~1810) イメルティ朝第4代グルジア王 在位1789~90、1792~1810
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト(1767~1794) ジャコバン派

 

ロベスピエールの同僚として辣腕をふるい、同派の政策に深く関与した。公安委員会の委員となって治安局を創設し、公会では左派と共に憲法草案作成や行政改革などを行ったが、フランス革命戦争が始まってからは前線視察に多くの時間を費やしてパリを離れていた。ヴァントーズ法は特にサン=ジュストが実現を望んだ法令であったが、これがプレーヌ派との決裂を招き、失脚の要因になった。

1794年7月27日にテルミドールのクーデターで逮捕され、翌日の最後の演説を反対派に妨害されて果たせぬまま、ロベスピエールらと共に処刑された。 遺体は同志とともにエランシ墓地に埋葬されたが、後の道路拡張で墓地が閉鎖されたことに伴って、遺骨はカタコンブ・ド・パリに移送されている。サン=ジュストwikiより

 

※グルジア王国が滅んだ後、グルジアの王族はヌーリスタン州に移住し、カラシュ人となる。

 

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※画像はカラシュと呼ばれる謎が多い少数民族である。彼らは、浅黒い肌のインド人、アフガン人が住むパンジャブに住んでいるが金髪・碧眼の白人であるため、なぜ彼らがここに住んでいるのか、謎を呼んでいる。彼らはこの地に1890年以降に訪れたという。こうして見ると彼らは不思議なまなざしを持っていることがわかる。迫力がある眼力を持つお婆さんなどはホンモノの魔女のようだ。彼らのことはだいぶ前から知っていたが、近頃は彼らが宇宙人の正体なのではないかと考えている。

宇宙人が日本人、インド人、北欧人の顔をしていることは歴史(十和田時代、パンジャブ時代、ロシア時代)から見ても明白だが、カラシュの村にも金髪・碧眼の白人だけでなく、アジア系、インド系の人々の顔がある。

カラシュの村はUFOに乗る人たちの国、いわゆる「宇宙人」の国なのかもしれない。宇宙人はタナトスの一族など、反自然的な事象を嫌悪する人々である。つまり、筆者は以前から宇宙人の人口はアマゾンの少数部族のように全員併せても数百人程度だろうと考えていた。カラシュの村にピッタリである。この考えが正しいかどうかは分からないが、例え、もしそうであっても、タナトスの一族は彼らに近づけない。

タナトスの一族は、古代から宇宙人の超科学を奪おうと苦心し、侵入を試みるたびに失敗し、成敗されてきた。だが、今現在、宇宙人には思考を読む装置があるため、昔と違って、タナトスの一族が接近すればタナトスは一瞬で塵と化すだろう。

或いは、ハザール帝国(ユダヤ人1731)、ヒヴァ・ハン国(ユダヤ人1908)、ボハラ・ハン国(チュクウのトバルカイン)などの国が隣り合わせるというカラシュの村の立地条件上、ユダヤ人1731+1908の一族などはカラシュが宇宙人だということを知っていたかもしれない。

カラシュの名の由来はシェクレシュ(チュクウ+ルハンガ+クウォス)である。シェクレシュ=クレシュ=カラシュとなる。

 

●ツングース大爆発(カラシュ人とヒヴァ・ハン国の知られざる戦い)

 

※画像はツングース大爆発である。ヒヴァ・ハン国第10代君主ムハンマドの統治時代、そしてグルジア王族がカラシュ人になって数年後の1908年に「ツングース大爆発」が発生した。ユダヤ人1908の一族は、宇宙人がシベリアに基地、実験施設を持っていることを知っていた。そのため、彼らはシベリアに出撃した。

自分たちを追放した宇宙人に復讐し、その後に世界を征服するべく、ユダヤ人1908の一族は空中要塞でシベリアに向かったものの、あえなく撃破されたわけである。それが「ツングース大爆発」である。

宇宙人は武器を作らない。核兵器さえ作らなかった。彼らは物質を分子の次元で操作する技術を持つが、その要領で、彼らはあらゆる物質の原子を分裂させることが出来るようだ。つまり、ムハンマドたちが作った空中要塞は巨大な核爆弾でしかなかった。ただ、ウランを核分裂させたわけではないため、放射能は発生しなかった。

このツングース大爆発を機に、ムハンマドの一族はドイツへと逃亡し、一部は更にアメリカ合衆国に渡った。ドイツに渡った人々はロケット技術、ミサイルを開発し、アメリカに渡った人々からは、マンハッタン計画に従事する科学者たちが生まれた。オッペンハイマーやエドワード・テラーである。

 

Mawlawi Afzal(1925~2012) アフガニスタン・イスラム革命国首長※画像なし

セルゲイ・パラジャーノフ(1924~1990) 映画作家

 

ノルディック宇宙人の目撃例(彼らの正体はカラシュ人か?)

 

※画像はノルディックと呼ばれる宇宙人の想像画である。同じ白人でも、普通にいる俗っぽいアメリカ・ヨーロッパの一般人(失礼)よりは、カラシュと同じで崇高な印象を漂わせている。以下はノルディックとのコンタクトの歴史である。宇宙人の装いはUFOに乗るときの為のものだろうか?

 

1946年 場所はニュージャージー。ハワード・メンジャーは金髪の宇宙人3人と接触した。

1952年 オーソンと名乗る金星人がジョージ・アダムスキーに接触してきた。オーソンはブロンドだった。

1954年 場所は南アフリカ。エリザベス・クララはUFOを目撃。搭乗員のブロンドの髪をした絶世の美青年に出会った。

1973年 アルゼンチンの国道を走行中のトラック運転手が3人の男女ノルディックに呼び止められた。3人とも長いブロンドだった。

1976年 場所はイギリス・ウィンチェスター。農道を塞ぐ形で小型UFOが着陸し、1人のノルディックがUFOから降りてきた。男は身長180cmほどで長いブロンドだった。

1975年 場所はスイス・チューリヒ。ビリー・マイヤーは女性宇宙人セムジャーゼに出会う。この宇宙人はエラ人、プリヤール人を称した。

 

超科学を究めた宇宙人の日常生活(遊牧と農作業と修験道)

 

※画像はコンタクティーのビリー・マイヤーと宇宙人セムジャーゼ。かっこいい絵なのでいただいた。金星からきたと称したこのセムジャーゼはじつはカラシュ族であり、今でもアフガニスタンの僻地に住んでいるのかもしれない。

宇宙人は、じつは最先端都市などは築かず、カラシュ族、ウィルタ族(オロッコ族)などのように遊牧民として静かに暮らしている。それが超科学を極め、古代にポールシフトを起こし、大地殻変動で沿岸部を9日間沈め、核分裂で世界各地を砂漠化した人々が、何周もまわって得た答えなのだ。

科学の過信と乱用は人間を精神的に貶める。そう考えているのだ。そのため、自分たちの先祖が残した超科学を悪用することがないよう、宇宙人の一族は数千年前から日本に来て修験道で心体共に鍛えている。ただ、現在の修験道の聖地は資本主義で汚染されているので、彼らは日本人が立ち入ることができない人跡未踏の山奥に踏み入り、修験道の聖地を新規に開拓している。

修験道に励む際、カラシュ族はUFOで日本に来ている。そして、古(いにしえ)から伝えられている通りの山伏のかっこうをして修行をしているようだ。アーミッシュを生んだ人々でもあることからわかるとおり、彼らは禁欲的な生活を送ってる。ただ、動物的な本能を抑圧することはない。この場合の禁欲というのは知能が生んだ文明の利器、それに伴う利便性に惑わされないという強い意志のことである。

彼らは宇宙に住むこともできるが、あえて住もうとはしない。なぜなら彼らは、宇宙は非常に殺風景な場所だということを知っているからだ。彼らが時折宇宙飛行士に姿を見せるのは重力の重要性を説いている。人工的に重力も作れないのに宇宙で生活するのは危険なことだ。生理的な機能は重力があるから正常に機能する。無重力空間で長期間生活することは目に見える生理現象だけでなく、目に見えない細胞分裂などの生理現象にも影響を与えるのだ。

UFOに乗って銀河系の果てまで行き、テレポートし、あらゆる生物の思考を読み、あらゆる物質(生物、無生物、水、火、大気)を思い通りに操作し、あらゆる物質の原子核を分裂させて核爆発を起こす人々は、今日も山奥で家畜を追い、農作業に汗をかいているのだろう。

 

2013年チェリャビンスク州の隕石落下(宇宙人の威嚇)

 

※画像はチェリャビンスク州の隕石落下である。宇宙人は隕石を操り、それを破壊することが出来ることをデモンストレーションしてみせた。タナトスに対する威嚇である。

 

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ケムトレイル(農薬毒の害を軽減させる地球に対する宇宙人の心遣い)

 

※画像は2016年に筆者が近所で撮影したケムトレイルだ。自慢ではないが、これほどはっきりしたケムトレイルの画像を他で見かけたことが無い。しかし、ネットもメディアも取り上げてくれない(それは筆者が本願寺の敵だからだ)。これは空に描かれた巨大なアスタリスクである。

アスタリスクは星を意味する記号だ。つまり、筆者はこれを隕石と解釈した。超科学の種族が隕石を落とそうとしていることを表している。彼らは、地上に蔓延り、環境を破壊し、正しい人々を虐げるタナトスに怒り心頭なのだ。他の画像も見たい方は拙著「神の啓示~ケムトレイル写真集」をご覧ください。

 

空飛ぶステッキ(農薬の害を教えてくれる無人型UFO)

 

※画像は空飛ぶステッキである。右上に小さく写っている。「世界のUFO現象」の記事によると、この写真は2003年のカナダで偶然撮影されたという。写っている人物がミステリーサークルを見学していた時の写真ということだが、この空飛ぶステッキは農薬の危険を教えようとしている。なぜなら筆者もこの空飛ぶステッキを見ているのだ。

筆者は●笠山に向かって散歩中だったが、某大学の裏山を通行中、その上空にこれを見つけた。全く同じもので、黒いステッキ状なのだが、二ヶ所でいやな印象の赤い光がヌメッと点滅していた。更に、その日は強風だったにもかかわらず、その物体は空に突き刺さったようにビクとも動かない。揺れもしない。

あとで考えたことだが、●笠山には競技場があり、農薬もふんだんに撒かれている。「宇宙人はそのことを注意するためにこれを飛ばした」という考えに行き着いた。宇宙人が放つ赤い光は常に注意・警告を意味する。筆者の体験と、上記の麦畑でのことをつき合わせて鑑みれば、空飛ぶステッキが農薬の害を警告しているのは間違いない。

  

意思を持つ業火(悪い人間だけに狙いを定める捕食者の如き火炎。宇宙人曰く「愚かなこと、弱いことは悪である」)

 

※画像は2018年のカリフォルニア山火事のひとこまであるが、これは最早山火事とは呼べない。偽者の神を崇める愚かな人類(邪教信者)に対する真の神による鉄槌である。 愚か者が、王のように自由を満喫するのは間違いであることを教えてくれている。

 

意思を持つ水(ヨーロッパを襲う竜巻、日本東北部を襲った台風も遺伝子組み換え畑の壊滅が目的である)

 

※上画像は2019年アメリカ中西部洪水のひとこま、下画像は2019年台風19号の被災地のひとこまである。宇宙人は超科学により水を分子の次元で操り、遺伝子組み換え農作物を栽培しているアメリカ農業地帯や関東東北地域を水の底に沈めている。

遺伝子組み換え農業をやめれば洪水は二度と起こらないだろう。逆に、遺伝子組み換え農業を続ける限り洪水が発生し続けること、それをここに断言する。宇宙人が起こす洪水は、どこまでも標的を追う「ジェイソンみたいな水」といってよかろう。

 

意思を持つ低温(温暖化という大規模なウソをつく愚か者を凍りつかせる神の鉄槌)

 

※画像は2018年~2019年冬のシカゴである。宇宙人がアメリカ中西部を南極に変えたひとこまだ。温暖化十字軍は、この極端な冷凍現象も温暖化の一環だと述べているが、「ウソをついたらつき通せ」という嘘つきの戯れに過ぎない。そんな風に言うことが出来るなら、逆に「温暖化は地球の氷河期化の一環だ」と述べることも可能だろう。反論してみろ。ただ言えることは、もし本当に温暖化を止めたいなら温暖化を口にする権威を皆殺しにすれば済むことだ。

2019年冬(執筆時点)、宇宙人は既にアメリカやヨーロッパを冷凍しているが、まだまだ序の口だ。これからもっと冷凍は過激さを増すだろう。日本は全然寒くない。2019年12月11日にテレビでトランプ大統領を批判するハリソン・フォード(東西本願寺に操られている)のひとことの方が寒かったくらいだ。あれを聞いて背筋が冷えた。

 

 

 


宇宙人エラドの一族~女神エリウ、ラテン王国、シュメール都市国家ウル、アーリア人、衛、老子、道教、セレウコス朝、カッパドキア王国、橘諸兄、小野妹子、ブルガリア帝国、ブニョロ帝国、ウィルタ族

 

女神エリウ(1万2千年前)※画像はエリウ

 

エラドは大地殻変動が起きると、超科学の継承を決意し、凍りついた南極(五岳神の国)からマハラエルと共に古代アイルランドに移住した。エリウの名の由来はエラドである。

 

・ウラルトゥ王国(BC5千年)

 

※画像はウラル山脈である。マハラエルは「トロイア戦争」「マー・トゥーレスの戦い」を機に、エラドと共に古代アイルランドからウラル地方に移住し、ウラルトゥ王国(公式には認められていないが第一次ウラルトゥ王国)を築いた。ウラルトゥの由来はマハラエルとエラドの組み合わせである。マハラエル+エラド=エルラドウラルトゥとなる。ウラルの名はウラルトゥ王国が当地に存在した証である。

ロシア人は、彼ら宇宙人の子孫である。ロシア(ルス)の由来はブリアレオース(マハラエルはマベエとブリアレオースの合体部族)だと考えられる。ブリアレオース=レオス=ルスとなる。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

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・ラティヌス(BC32世紀頃)

・ラテン王国(BC32世紀頃)

・都市国家ウル(BC32世紀頃)

 

※画像はヴォルガ河である。伝説のラテン王国が存在したのはイタリアではない。ラテン王国の範図は広大であり、北はヴォルガ流域・ウラル山脈、西はバルカン半島、東はアルタイ山脈・オルドス(中国)、南はメソポタミア・インドにまで広がっていた。つまり、メソポタミア文明や黄河文明をも内包していた巨大王国だった。

ラティヌスの由来はエラドとアルキュオネウスの組み合わせである。エラド+アルキュオネウス=ラドネウス=ラティヌス=ラテンとなる。オロクンのトバルカインは預言者ナタンの一族とその街を核分裂させて消滅させた当人だが、その「黙示録アルマゲドン」を機に、オロクンのトバルカインは巨大な罪悪感によって超科学を放棄し、ウラル山脈に移り住んでエラドと共にラティヌス(ラテン王国)を生んだ。

この時にオロクンのトバルカインがウラルを訪れた際、初めてヴォルガ河はヴォルガと呼ばれ、バルカン半島もバルカンと呼ばれた。ヴォルガ、バルカンの由来はトバルカインである。トバルカイン=トヴァルガイン=ヴォルガとなり、トバルカイン=バルカイン=バルカンとなる。

 

●アーリア人(ティールタンカラの一族)

 

・バーラタ族(BC32世紀)

・トリツ族(BC32世紀)

・マツヤ族(BC32世紀)

・パルシュ族(BC32世紀)

 

・クル族(BC32世紀)

 

●アーリア人(デウスの一族)

 

・ダーサ族(BC32世紀)

 

●アーリア人(オロクンのトバルカインの一族)

 

・アヌ族(BC32世紀)

・ドルヒユ族(BC32世紀)

・パニ族(BC32世紀)

・バラーナ族(BC32世紀)

・ブリグ族(BC32世紀)

・プール族(BC32世紀)

・アリナ族(BC32世紀)

 

※アーリア人とはラテン王国の住人のことである。アーリアの由来はエリウである。エリウ=エーリウ=アーリアとなる。ブリグの由来はトバルカインであるが、他の部族は地名を冠している。アヌ、パニの由来はヴァナラシであり、ドルヒユの由来はトロイアであり、バラーナの由来はヴァラナシである。

ラテン王国は、タナトスの一族の国々に隣接していた。古代ヨーロッパにはカピラバストゥ・バルト(ティールタンカラの一族)、アイギュプトス・ハルシュタット(預言者ナタンの一族)、ダナイス(タナトスの一族)の王国があり、中央アジアには預言者ナタンの一族の国ミディアン(ミタンニ王国+大宛)、黒海にはカンボージャ・ガンダーラ(デウスの一族)、インドにはデカン(ティールタンカラの一族)、中国には殷(サトゥルヌスの一族)などの王国があった。

 

・Sláine mac Dela(?~BC1513) ハイ・キング 在位BC1514~BC1513

・Rudraige mac Dela(?~BC1511) ハイ・キング 在位BC1513~BC1511

・Sengann mac Dela(?~BC1502) ハイ・キング 在位BC1507~BC1502

・Fiacha Cennfinnán mac Starn(?~BC1497) ハイ・キング 在位BC1502~1497

・Rinnal mac Genann(?~BC1491) ハイ・キング 在位BC1497~1491

・Fodbgen mac Sengann(?~BC1487) ハイ・キング 在位BC1491~1487

・Eochaid mac Eirc(?~BC1477) ハイ・キング 在位BC1487~1477

 

※アイルランドのハイ・キングはBC16世紀頃から始まったが、この歴代ハイ・キングは同時に都市国家ウルの王、アーリア人の王と考えることも出来る。

 

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・衛(BC11世紀頃)

・老子(BC11世紀頃)

・道教(BC11世紀頃)

 

※画像は老子。BC11世紀の「十王戦争」を機に、アーリア人は春秋戦国時代の中国に移住した。アーリア人の「十王戦争」とはラテン王国とタナトスの王国(ティールタンカラの一族とデウスの一族)との戦争だったと考えることが出来る。

この時に衛を築き、老子(道教)を生んだ。衛(ウェイ)、老子(ラオ)、道教(タオ)の由来はエラドである。エラド=ウェイラオタオ=衛(ウェイ)+老子(ラオ)+道教(タオ)となる。衛の王が代々の道教の神官を務めた。

 

道教の指導者(衛の歴代王)

 

・康叔(生没年不詳) 衛初代王 在位11世紀頃

・康伯(生没年不詳) 衛第2代王

・孝伯(生没年不詳) 衛第3代王

・嗣伯(生没年不詳) 衛第4代王

・嗣伯の子(生没年不詳) 衛第5代王

・靖伯(生没年不詳) 衛第6代王 在位?~BC867

・貞伯(?~BC867) 衛第7代王 在位BC866~BC855

・頃候(?~BC855) 衛第8代王

 

・出公(?~BC480) 衛第30代王 在位BC492~BC480

・荘公(?~BC478) 衛第31代王 在位BC479~BC478

・衛君起(?~BC477) 衛第32代王 在位477

・出公(?~BC470) 衛第33代王 在位BC476~BC470

・悼公(?~BC465) 衛第34代王 在位BC469~BC465

・敬公(?~BC432) 衛第35代王 在位BC464~BC432

・昭公(?~BC426) 衛第36代王 在位BC431~BC426

・懐公(?~BC415) 衛第37代王 在位BC425~BC415

・慎公(?~BC383) 衛第38代王 在位BC414~BC383

・声公(?~BC372) 衛第39代王 在位BC382~BC372

・成侯(?~BC343) 衛第40代王 在位BC371~BC343

 

平侯(?~BC335) 衛第41代王 在位BC342~BC335

アンティオコス(生没年不詳) セレウコス1世父

アリアラテス1世(?~BC322) カッパドキア王国初代王 在位BC350~BC322

 

・嗣君(?~BC293) 衛第42代王 在位BC334~BC293

・懐君(?~BC254) 衛第43代王 在位BC292~BC254

 

元君(?~BC230) 衛第44代王 在位BC254~BC230

アリアラムネス(?~BC230) カッパドキア王国第4代王 在位BC280~BC230

 

・衛君角(?~BC209) 衛第45代王 在位BC229~BC209

 

※衛が秦によって滅亡する寸前、衛の王平候はオリエント地方に進出し、セレウコス朝初代王セレウコス1世を儲け、カッパドキア王国を築き、初代王に即位している。平候の一族はシリアとカッパドキアを支配しながら月氏としてモンゴルの一部も支配下に置いていた。月(ユエ)の由来は衛(ウェイ)である。

 

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月氏の王(カッパドキア王国の歴代王)

 

アリアラテス3世(?~BC220) カッパドキア王国第5代王 在位BC230~BC220

セレウコス3世ケラウノス(?~BC223) セレウコス朝第5代王 在位BC226~BC223

 

アリアラテス4世(?~BC163) カッパドキア王国第6代王 在位BC220~BC163

アンティオコス4世エピファネス(?~BC164) セレウコス朝第8代王 在位BC175~BC164

アンティオコス5世エウパトル(?~BC162) セレウコス朝第9代王 在位BC164~BC162

 

アリアラテス5世(?~BC130) カッパドキア王国第7代王 在位BC163~BC130

アンティオコス7世シデテス(?~BC129) セレウコス朝第13代王 在位BC138~BC129

 

・アリアラテス6世(?~BC112) カッパドキア王国第8代王 在位BC130~BC112

・アリアラテス7世(?~BC100) カッパドキア王国第9代王 在位BC112~BC100

 

アリアラテス8世(?~BC98) カッパドキア王国第10代王 在位BC100~BC98

アンティオコス8世グリュポス(?~BC96) セレウコス朝第17代王 在位BC125~BC96 

 

アリオバルザネス1世(?~BC63) カッパドキア王国第11代王 在位BC95~BC63

アンティオコス13世アジアティクス(?~BC63) セレウコス朝第20代王 在位BC69~BC63

 

※アンティオコス13世はセレウコス朝最後の王である。

 

・アリオバルザネス2世(?~BC53) カッパドキア王国第12代王 在位BC63~BC53

・アリオバルザネス3世(?~BC42) カッパドキア王国第13代王 在位BC53~BC42

・アリアラテス10世(?~BC36) カッパドキア王国第14代王 在位BC42~BC36

・アルケラオス1世(?~17) カッパドキア王国第15代王 在位BC36~17

 

アルケラオス2世(?~37) カッパドキア王国第16代王 在位17~37

Feradach Finnfechtnach(?~36) ハイ・キング 在位14~36

Fíatach Finn(?~39) ハイ・キング 在位36~39

 

※カッパドキア王アルケラオス2世の頃から再びアイルランドのハイ・キングを兼ねるようになった。

 

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Art mac Cuinn(?~195) ハイ・キング 在位165~195※画像なし

張角(?~184) 太平道首領

 

※ハイ・キングは中国に帰還し、張角に変身して太平道を指揮し、「黄巾の乱」を指揮した。

 

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伽耶の王(グプタ朝の歴代王)

 

Colla Uais(?~326) ハイ・キング 在位322~326

チャンドラグプタ1世(?~330) グプタ朝初代王 在位320~330

 

※ハイ・キングはインドにグプタ朝を築いた。グプタの名の由来はカッパドキアである。グプタの王は伽耶の王も兼ねた。

 

吉備下道前津屋(?~463)

スカンダグプタ(?~467) グプタ朝第6代王 在位455~467

Lóegaire mac Néill(?~458) ハイ・キング 在位428~458

 

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伝説のブニョロ帝国の帝王(ブルガリア帝国の歴代皇帝)

 

小野妹子(6世紀後半)

ゴストゥン(?~605) エルミ朝初代ブルガリア王 在位603~605※画像なし

氏名不明(生没年不詳) ブニョロ帝国初代王 在位不明※画像なし

 

※小野妹子が初代王ゴスティンに変身し、ブルガリア帝国を築いたと考えられる。ブルガリアの名の由来はトバルカインとアーリアの組み合わせである。トバルカイン+アーリア=バルカリア=ブルガリアとなる。

小野妹子はブルガリアを統治しながら同時に東アフリカに進出し、伝説のブニョロ帝国を築いた。ブニョロ帝国の王の系譜は不明だが、ブルガリア帝国の王がブニョロ帝国の王を兼任していたので、ブルガリア皇帝の系譜を見れば明らかである。ブニョロの由来はヴァナラシである。

 

クブラト(?~665) ドゥロ朝初代ブルガリア王 在位605~665

エゼルウェルホ(?~665) サセックス王国最後の王 在位660~665

 

バトバヤン(?~668) ドゥロ朝第2代ブルガリア王 在位665~668

レケスウィント(610~672) 西ゴート王国第29代王 在位649~672

 

アスパルフ(?~700) ドゥロ朝第3代ブルガリア王 在位668~700

エギカ(?~702) 西ゴート王国第32代王 在位687~702

 

テルヴェル(?~721) ドゥロ朝第4代ブルガリア王 在位700~721

アギラ2世(695~714) 西ゴート王国第35代王 在位711~714

アルド(?~718) 西ゴート王国第36代王 在位714~718

 

コルメシイ(?~738) ドゥロ朝第5代ブルガリア王 在位721~738※画像なし

カール・マルテル(686~741) フランク王国宰相※ピピン3世父

 

橘諸兄(684~757) 初代橘氏長者

セヴァル(?~753) ドゥロ朝第6代ブルガリア王 在位738~753

Áed Allán(?~743) ハイ・キング 在位730~738

 

吉備真備(695~775)

Domnall Midi(700~763) ハイ・キング 在位739~758

 

橘奈良麻呂(721~757) 橘諸兄の子

コルミソシュ(?~756) ヴォキル朝初代ブルガリア王 在位753~756

Niall Frossach(718~778) ハイ・キング 在位759~765

 

※橘氏、小野氏は月氏の王族であり、吉備氏、上道氏、下道氏、香夜氏はカッパドキアの王族である。橘の名の由来はタタール(モンゴル)のパニ(アーリア人)、小野の名の由来はアヌ(アーリア人)、吉備、道、香夜の名の由来はカッパドキアである。タタール+パニ=タタパニ=橘となり、アヌ=小野となり、カッパドキア=吉備+道+香夜となる。「奈良」の名は橘氏、小野氏が初めて日本に伝えた。奈良の由来はヴァナラシである。

 

・ヴィネフ(?~760) ヴォキル朝第2代ブルガリア王 在位756~760

・テレツ(?~763) ヴォキル朝第3代ブルガリア王 在位760~763

・サビン(?~766) ヴォキル朝第4代ブルガリア王 在位763~766

・ウモル(?~766) ヴォキル朝第5代ブルガリア王 在位766

・トクトゥ(?~767) ヴォキル朝第6代ブルガリア王 在位766~767

 

パガン(?~768) ヴォキル朝第7代ブルガリア王 在位767~768※画像なし

ピピン3世(714~768) カロリング朝初代フランク王 在位751~768

 

・テレリグ(?~777) ヴォキル朝第8代ブルガリア王 在位768~777

 

ドクム(?~815) ドゥロ朝第3代ブルガリア王 在位814~815※画像なし

シャルルマーニュ大帝(742~814) 神聖ローマ帝国初代皇帝 在位768~814

 

アデライド(生没年不詳) ピピン3世の子

シゲレッド(?~825) エセックス王国最後の王 在位798~825

 

オムルタグ(?~831) ドゥロ朝第5代ブルガリア王 在位814~831

エクバード(769~839) イングランド王国初代王 在位802~839

 

マラミル(?~852) ドゥロ朝第6代ブルガリア王 在位831~852※画像なし

ピャスト(740~861) ポーランド王国初代王 在位不明

 

プレシアン(?~852) ドゥロ朝第7代ブルガリア王 在位836~852※画像なし

エゼルウルフ(?~858) イングランド王国第2代王 在位839~858

 

ヴラディーミル(?~893) ドゥロ朝第9代ブルガリア王 在位889~893※画像なし

アルフレッド大王(849~899) イングランド王国第6代王 在位871~899
ボンドチャル・ムンカグ(850~900) ボルジギン家の祖

 

※ヴラディミールはアルフレッド大王に変身し、デーン人を蹴散らしてデーンローを壊滅させた。また、アルフレッド大王はボンドチャル・ムンカグに変身して覇王チンギス・ハーンを生むボルジギン家の始祖となった。アルフレッドとボンドチャルの生没年が1年しか違わない点も興味深い。明らかに同一人物だろう。

 

シメオン1世(?~927) ドゥロ朝第10代ブルガリア王 在位893~927※画像なし

エドワード長兄王(877~924) イングランド王国第7代王 在位899~924

 

ロマン(?~997) ドゥロ朝第13代ブルガリア王 在位972~997

ゲーザ(940~997) イシュトヴァーン1世父

 

チンチャ王国の王(サムイル朝ブルガリアの歴代王)

 

エセルレッド2世(968~1016) イングランド王国第14代王 在位978~1013

サムイル(?~1014) サムイル朝初代ブルガリア王 在位976~1014※画像なし

ガヴリル・ラドミール(?~1015) サムイル朝第2代ブルガリア王 在位1014~1015※画像なし

イヴァン・ヴラディスラフ(?~1018) サムイル朝第3代ブルガリア王 在位1015~1018※画像なし

 

ペタル・デリャン(?~1041) サムイル朝第4代ブルガリア王 在位1040~1041

イシュトヴァーン1世(969~1038) アールパード朝初代ハンガリー王 在位1000~1038

 

コンスタンティン・ボディン(?~1072) 在位1072

シャラモン(?~1074) アールパード朝第6代ハンガリー王 在位1063~1074

 

※サムイル朝ブルガリア王は現ペルーに進出し、チンチャ王国を築いた。チンチャの由来は朝鮮語「本当に?」である。1018年~1040年までの間はブルガリア人のペルーへの大移住も起きたようだ。約100年ほどのブルガリア王位途絶は原因不明であるが、実際には拠点がハンガリーに移ったため、キングメーカーはブルガリア王からハンガリー王にスイッチしていた。

 

ボルジギン家当主(アールパード朝歴代ハンガリー王)

 

ゲーザ1世(1040~1077) アールパード朝第7代ハンガリー王 在位1074~1077

ラースロー1世(1040~1095) アールパード朝第8代ハンガリー王 在位1077~1095

カイドゥ(1040~1100) ボンドチャルの子※画像なし

ヴワディスワフ1世(1043~1102) ピャスト朝第8代ポーランド公 在位1079~1102


・バイ・シンコル・ドクシン(?~?) カイドゥの子

 

カールマーン1世(1070~1116) アールパード朝第9代ハンガリー王 在位1095~1116※画像なし
トンビナイ・セチェン(1080~1130) ドクシンの子※画像なし

ボレスワフ3世(1085~1138) ピャスト朝第10代ポーランド公 在位1102~1138

 

イシュトヴァーン2世(1101~1131) アールパード朝第10代ハンガリー王 在位1105~1131
カブル・カーン(1100~1147) セチェンの子

ヴワディスワフ2世(1105~1159) ピャスト朝第11代ポーランド公 在位1138~1146


・バルタン・バートル(?~?) カブルの子

 

ペーラ2世(1108~1141) アールパード朝第9代ハンガリー王 在位1131~1141※画像なし
ステファン・ネマニャ(1113~1200) セルビア王国初代王 1113~1200

 

ゲーザ2世(1130~1162) アールパード朝第12代ハンガリー王 在位1141~1162
イェスゲイ(1134~1171) バートルの子

ウラジーミル3世(1132~1173) リューリク朝第24代キエフ大公 在位1171※画像なし

 

※アールパード朝ハンガリー王が新規にブルガリア王位を設け、第二次ブルガリア帝国を築いた。

 

カロヤン(?~1207) アセン朝第4代ブルガリア王 在位1197~1207※画像なし

イムレ1世(1174~1204) アールパード朝第15代ハンガリー王 在位1196~1204※画像なし

サワ(1174~1236) セルビア大主教※画像なし
テオドロス1世(1175~1222) ラスカリス朝ビザンツ帝国初代皇帝 在位1205~1222

 

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第12代ハンガリー王ゲーザ2世(イェスゲイ)の子

 

マルギト(1162~1208)※画像なし

チンギス・ハーン(1162~1227) モンゴル帝国初代皇帝 在位1206~1227

ムスチスラフ3世(?~1223) リューリク朝第39代キエフ大公 在位1214~1223※画像なし

 

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スミレツ(?~1298) テルテル朝第2代ブルガリア王 在位1292~1298

心地覚心(1207~1298) 臨済宗建仁寺派妙光寺開創

 

チャカ(?~1300) テルテル朝第4代ブルガリア王 在位1299~1300※画像なし

クビライ(1215~1294) 大元帝国初代皇帝 在位1260~1294

 

※ここまで見てくると、ブルガリア帝国は稀代のキングメーカーだったことがわかる。

 

テオドル・スヴェトスラフ(?~1322) テルテル朝第5代ブルガリア王 在位1300~1322

テムル(?~1307) 大元帝国第2代皇帝 在位1294~1307

カイシャン(?~1311) 大元帝国第3代皇帝 在位1307~1311

アユルバルワダ(?~1320) 大元帝国第4代皇帝 在位1311~1320

 

ゲオルギ2世テルテル(?~1323) テルテル朝第6代ブルガリア王 在位1322~1323※画像なし

フリードリヒ1世(1257~1323) マイセン辺境伯 在位1292~1323

シデバラ(?~1323) 大元帝国第5代皇帝 在位1320~1323※画像なし
オスマン1世(1258~1326) オスマントルコ帝国初代皇帝 在位1299~1326

 

※以前、フビライの子アヤチとオスマン1世を同じにしていたが、訂正している。ブルガリアのゲオルギ2世は大元帝国の皇帝シデバラとオスマントルコ帝国初代皇帝オスマン1世に変身した。

 

ミハイル3世シシュマン(1280~1330) シシュマン=アセン朝初代ブルガリア王 在位1323~30※画像なし

イェスン・テムル(?~1328) 大元帝国第6代皇帝 在位1323~1328※画像なし

コシラ(?~1329) 大元帝国第9代皇帝 在位1329※画像なし
イヴァン1世(1288~1340) モスクワ大公 在位1325~1340

 

イヴァン・ステファン(?~1331) シシュマン=アセン朝第2代ブルガリア王 在位1330~1331

トク・テムル(?~1332) 大元帝国第8、10代皇帝 在位1328~29、1329~32

 

イヴァン・アレクサンダル(?~1371) シシュマン=アセン朝第3代ブルガリア王 在位1331~71※画像なし

トゴン・テムル(1320~1370) 大元帝国第12代+北元初代皇帝 在位1333~68、1368~70

 

イヴァン・シシュマン(?~1393) シシュマン=アセン朝第4代ブルガリア王 在位1371~1393

イェスデル(?~1391) 北元第4代皇帝 在位1388~1391

 

イヴァン・スラツィミル(?~1396) シシュマン=アセン朝第5代ブルガリア王 在位1356~1396

エンケ・ハーン(?~1394) 北元第5代皇帝 在位1391~1394

 

・フリードリヒ2世(1310~1349) マイセン辺境伯 在位1323~1349

・フリードリヒ3世(1332~1381) マイセン辺境伯 在位1349~1381

 

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●宇宙人エラ人+ウィルタ族・オロッコ族の首長(歴代ザクセン=コーブルク=ゴータ公)

 

・ウィルタ族(15世紀頃)

・オロッコ族(15世紀頃)

 

※画像はウィルタ族(オロッコ)の人々である。宇宙人(オロクンのトバルカインとエラド)が共同で築いたブルガリア帝国が滅ぶと、両者はシベリアに移り、ウィルタ族、オロッコ族となり、シベリアで超科学の研究に勤しんだ。

ウィルタとオロッコの代々の首長は、ザクセン=ゴータ=コーブルク公も兼ねた。ウィルタの由来はエラドであり、オロッコの由来はオロクンである。画像の人々を見ていると、時折報告されるモンゴロイド型宇宙人の正体とはウィルタ族(オロッコ)なのではないかと思える。

 

コンスタンティン2世(?~1422) シシュマン=アセン朝第6代ブルガリア王在位1396~1422※画像なし

フリードリヒ1世(1370~1428) ザクセン選帝侯 在位1407~1428

 

・フリードリヒ2世(1412~1464) ザクセン選帝侯 在位1428~1464

・エルンスト(1411~1486) ザクセン選帝侯 在位1464~1486

・ヨハン(1468~1532) ザクセン選帝侯 在位1525~1532

・ヨハン・フリードリヒ(1503~1554) ザクセン選帝侯 在位1532~1547

・ヨハン・ヴィルヘルム(1530~1573) ザクセン=ヴァイマル公

・Johann II(1570~1605) Duke of Saxe-Weimar

・エルンスト1世(1601~1675) ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公

・John Ernest IV(1658~1729) Duke of Saxe-Coburg-Saalfeld

・フランツ・ヨシアス(1697~1764) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・エルンスト・フリードリヒ(1724~1800) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・フランツ(1750~1806) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・フェルディナント(1785~1851)

・アウグスト・ルートヴィヒ・ヴクトル(1818~1881)

 

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アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータの子

 

フェルディナンド1世(1861~1948) ブルガリア王国初代王 在位1887~1908

ダグラス・ハイド(1860~1949) アイルランド初代大統領 任期1938~1945

 

※宇宙人エラドの一族は、女神エリウの頃の故地であるアイルランドに帰ってきた。

 

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アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータの孫

 

レオポルト・クレメンス(1878~1916) フィリップの子

ショーン・オケリー(1882~1966) アイルランド第2代大統領 任期1945~1959

エイモン・デ・ヴァレラ(1882~1975) アイルランド第3代大統領 任期1959~1973

ウィリアム・コスグレイヴ(1880~1965) アイルランド初代首相 任期1922~1932

 

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初代ブルガリア王フェルディナンド1世の孫

 

フェルディナント・オイゲン(1925) ナデジダ・ブルガルスカの子※画像なし

チャールズ・ホーヒー(1925~2006)アイルランド第6代首相 任期1979~81、1982、1987~1992

 

オイゲン・エーバーハル(1930) ナデジダ・ブルガルスカの子※画像なし

ボリス・エリツィン(1931~2007) ロシア連邦初代大統領 任期1991~1999

イオン・イリエスク(1930) ルーマニア第2、4代大統領 任期1990~96、2000~04

アルバート・レイノルズ(1932~2014) アイルランド第15代首相 任期1992~1994

 

シメオン2世(1943) 第3代ブルガリア王 在位1943~1946

シュミット・パール(1942) ハンガリー共和国第4第大統領 任期2010~2012

ミロシュ・ゼマン(1944) チェコ第3代大統領 任期2013~現在

マイケル・D・ヒギンス(1941) アイルランド第9代大統領 任期2011~現在

 

カルダム・サクスコブルクゴツキ(1962~2015) ブルガリア王シメオン2世の子

ケヴェール・ラースロー(1959) ハンガリー共和国大統領代行 任期2012

アーデル・ヤーノシュ(1959) ハンガリー共和国第5第大統領 任期2012~現在

ブライアン・カウエン(1960) アイルランド第18代首相 任期2008~2011

 

※ハンガリー政府はハンガリー国内の遺伝子組み換えとうもろこしの畑を焼き尽くし、まともなとうもろこしを栽培し、冷凍食品として輸出していた。日本では業務スーパーで売られていた(現在では撤去されている)。しかし、これを不服としたイギリス政府(西本願寺門主文如と法如の一族)が「有毒な細菌に汚染されたハンガリーの冷凍食品を食べたせいでイギリス国民が死んだ」とウソをつき、世界的にハンガリー冷凍食品を輸出禁止にした。本願寺は、どうしても安全なものを人類に食べさせたくないのだ。

 

 

 


宇宙人マハラエルの一族~戦闘の女神マッハ、フルリ人、ウラルトゥ王国、イリュリア王国、楼蘭、モラヴィア王国、平将門、平清盛、ムラービト朝、ムワッハド朝、フス派、雑賀衆、ヘーチマン国家、スタジオ・ジブリ

 

・戦闘の女神マッハ(1万2千年前)

・魔神バロール(1万2千年前)

 

※画像は戦闘の女神マッハ。マッハ、バロールの名の由来はマハラエルである。大地殻変動が起きると、マハラエルは超科学の継承を決意し、凍りついた南極(五岳神の国)からエラドと共に古代アイルランドに移住した。

 

・ウラルトゥ王国(BC5千年)

 

※マハラエルは「トロイア戦争」「マー・トゥーレスの戦い」を機に、エラドと共に古代アイルランドからウラル地方に移住し、ウラルトゥ王国(公式には認められていないが第一次ウラルトゥ王国)を築いた。ウラルトゥの由来はマハラエルとエラドの組み合わせである。マハラエル+エラド=エルラドウラルトゥとなる。ウラルの名はウラルトゥ王国が当地に存在した証である。

ロシア人は、彼ら宇宙人の子孫である。ロシア(ルス)の由来はブリアレオース(マハラエルはマベエとブリアレオースの合体部族)だと考えられる。ブリアレオース=レオス=ルスとなる。

 

真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

・冥界神エルリク(BC35世紀)

・ミャオ族(BC35世紀)

 

※BC35世紀、古代台湾にいたマハラエルは預言者ナタンの一族の支配下にあったようだ。その時代、マハラエルは冥界神エルリクと呼ばれた。エルリクの由来はマハラエルキ(マハラエルの人)である。マハラエルキ=アラエルキ=エルリクとなる。

冥界神エルリクはスバル人が生んだ蚩尤と組み、ミャオ族を生んだ。ミャオの由来はマハラエルの名前を構成するマベエとブリアレオースの組み合わせである。マベエ+ブリアレオース=マオー=ミャオとなる。マハラエルは、預言者ナタンの一族に操られながら兵器を製作し、黄帝(ルハンガのトバルカイン)に挑戦した。これが「タク鹿の戦い」である。

 

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・スム=エプフ(?~BC1781) ヤムハド初代王 在位?~BC1781

・ヤリム=リム(?~BC1765) ヤムハド第2代王 在位BC1780~BC1765

・ハンムラビ1世(生没年不詳) ヤムハド第3代王 在位BC1765~?

・ハンムラビ2世(?~BC1595) ヤムハド第9代王 在位?~BC1595

 

※BC34世紀頃にエラドとオロクンのトバルカインが組んでラテン王国を築くが、フルリ人はウラル付近にヤムハド王国を築き、エラドとオロクンのトバルカインが生んだラテン王国の同盟国として、ラテン王国領域内に収まった。

その後、BC1595~BC858までの期間、フルリ人はアテーナイ人(ガリアのドルイド司祭の一族)と組んでエトルリア王国を古代アラビア半島に築いている。エトルリアの由来はアテーナイとフルリの組み合わせである。アテーナイ+フルリ=アテルリア=エトルリアとなる。

「マハーバーラタ戦争」でアラビア半島の国家が全て灰塵に帰すと、フルリ人はメソポタミアにウラルトゥ王国(公式には認められていないが第二次ウラルトゥ王国)を建てた。

 

・アラマ(?~BC844) ウラルトゥ王国初代王 在位BC858~BC844

・ルティプリ(?~BC834) ウラルトゥ王国第2代王 在位BC844~BC834

・サルドゥリ1世(?~BC828) ウラルトゥ王国第3代王 在位BC834~BC828

・イシュプイニ(?~BC810) ウラルトゥ王国第4代王 在位BC828~BC810

・メヌア(?~BC785) ウラルトゥ王国第5代王 在位BC820~BC785

・アルギシュティ1世(?~BC753) ウラルトゥ王国第6代王 在位BC785~BC753

・サルドゥリ2世(?~BC735) ウラルトゥ王国第7代王 在位BC753~BC735

・ルサ1世(?~BC714) ウラルトゥ王国第8代王 在位BC735~BC714

・アルギシュティ2世(?~BC680) ウラルトゥ王国第9代王 在位BC714~BC680

・ルサ2世(?~BC639) ウラルトゥ王国第10代王 在位BC680~BC639

・サルドゥリ3世(?~BC635) ウラルトゥ王国第11代王 在位BC639~BC635

・エリメナ(?~BC629) ウラルトゥ王国第12代王 在位BC635~BC629

・ルサ3世(?~BC615) ウラルトゥ王国第13代王 在位BC629~BC615

・サルドゥリ4世(?~BC598) ウラルトゥ王国第14代王 在位BC615~BC598

・ルサ4世(?~BC590) ウラルトゥ王国第15代王 在位BC598~BC590

 

・アナルマイエ(?~BC538) メロエ王国初代王 在位BC542~BC538

・アマニナタキレブテ(?~BC519) メロエ王国第2代王 在位BC538~BC519

・カルカマニ(?~BC510) メロエ王国第3代王 在位BC519~BC510

・アマニアスタバルカ(?~BC487) メロエ王国第4代王 在位BC510~BC487

・シャスピカ(?~BC468) メロエ王国第5代王 在位BC487~BC468

・ナサクマ(?~BC463) メロエ王国第6代王 在位BC468~BC463

・マルウィエバマニ(?~BC435) メロエ王国第7代王 在位BC463~BC435

・タラカマニ(?~BC431) メロエ王国第8代王 在位BC435~BC431

・アマニェテイェリケ(?~BC405) メロエ王国第9代王 在位BC431~BC405

・バスカケレン(?~BC404) メロエ王国第10代王 在位BC405~BC404

 

ハルショテフ(?~BC369) メロエ王国第11代王 在位BC404~BC369

Sirras(?~BC390) イリュリア王国初代王 在位BC437~BC390

 

※ウラルトゥ王国が滅ぶと、フルリ人はナイル上流域に進出して家族が住むヌビア(クシュ王国)に移住し、メロエ王国を建てた。メロエの由来はマベエとブリアレオースの組み合わせである。マベエ+ブリアレオース=マレオ=メロエとなる。

メロエ王は小型のピラミッドなどを建て、製鉄の種族としても知られていたが、アドリア海に進出してイリュリア王国を築きながら、一方では楼蘭の王として君臨した。

 

楼蘭の王(イリュリア王国の歴代王)

 

アクラテン(?~BC335) メロエ王国第13代王 在位BC350~BC335

Pleuratus I(?~BC335) イリュリア王国第4代王 在位BC356~BC335

 

・Pleuratus II(?~BC250) イリュリア王国第9代王 在位BC260~BC250

・Agron(?~BC230) イリュリア王国第10代王 在位BC250~BC230

・Pinnes(?~BC217) イリュリア王国第11代王 在位BC230~BC217

・Teuta(?~BC227) 摂生 在位BC227

・Demetrius of Pharos(?~BC219) イリュリア王国第12代王 在位BC222~BC219

・Scerdilaidas(?~BC206) イリュリア王国第13代王 在位BC218~BC206

・Pleuratus III(?~BC181) イリュリア王国第14代王 在位BC205~BC181

・Gentius(?~BC168) イリュリア王国第15代王 在位BC181~BC168

 

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・莫護跋(生没年不詳) 慕容部始祖

・慕容木延(生没年不詳) 莫護跋の子

・慕容渉帰(?~283) 在位?~283

・慕容耐(?~285) 在位283~285

・慕容カイ(?~333) 在位285~333

 

※イリュリア人はモンゴルで慕容部(ムーロン)を生んだ。ムーロンの名の由来はマベエとブリアレオースの組み合わせである。マベエ+ブリアレオース=マーレオー=ムーロン(慕容)となる。

 

・慕容コウ(?~348) 前燕初代皇帝 在位333~348

・慕容儁(319~360) 前燕第2代皇帝 在位348~352

 

慕容イ(350~384) 前燕第3代皇帝 在位360~370

郁久閭社崙(?~410) 柔然初代可汗 在位402~410

 

※慕容コウが前燕を築くと、孫の慕容イは柔然(ローラン)を生んだ。ローランの名の由来は楼蘭(ローラン)である。

 

アザニアー海賊の首領(突厥帝国の歴代王)

 

郁久閭菴羅辰(?~) 柔然第16代可汗 在位553~554

伊利可汗(?~552) 突厥帝国初代王 在位552~553

宇文覚(542~557) 北周初代皇帝 在位557

 

・乙息記可汗(?~553) 突厥帝国第2代王 在位553

・木汗可汗(?~572) 突厥帝国第3代王 在位553~572

 

宣帝(559~580) 北周第4代皇帝 在位578~579※画像なし

李淵(566~635) 唐初代皇帝 在位618~626

 

宇文闡(573~581) 北周第5代皇帝 在位579~581

他鉢可汗(?~581) 突厥帝国第4代王 在位572~581

 

・阿史那菴羅(?~581) 突厥帝国第5代王 在位581

・沙鉢略可汗(?~587) 突厥帝国第6代王 在位581~587

・葉護可汗(?~587) 突厥帝国第7代王 在位587

・頡伽施多那都藍可汗(?~599) 突厥帝国第8代王 在位587~599

 

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李恒(795~824) 唐第15代皇帝 在位820~824

モイミール1世(795~846) モラヴィア王国初代王 在位830~846

葛原親王(786~853) 高望父

 

懿宗(833~873) 唐第20代皇帝 在位859~873

ロスチスラフ(?~870) モラヴィア王国第2代王 在位846~870

平高望(生没年不詳) 良将父

 

スヴァトプルク1世(840~894) モラヴィア王国第3代王 在位871~894

ボジヴォイ1世(?~894) プシェミスル朝初代ボヘミア公 在位850~894

平良将(生没年不詳) 将門父

 

李敏(867~904) 唐第22代皇帝 在位888~904※画像なし

モイミール2世(872~907) モラヴィア王国第4代王 在位894~907※画像なし

平将門(?~940)

 

ブジェチスラフ1世(1002~1054) 初代モラヴィア公 在位1019~1033

 

スピチフニェフ2世(1031~1061) 第4代モラヴィア公 在位1049~1054

イブン・ヤースィン(?~1056) ムラービト朝初代アミール 在位1040~1056

ヤフヤー・イブン・イブラーヒーム(?~1056) ムラービト朝第2代アミール 在位1056

ヤフヤー・イブン・ウマル(?~1056) ムラービト朝第3代アミール 在位1056

平正度(?~1069) 平清盛の曽曽祖父

 

イブラーヒーム(1131~1146) ムラービト朝第8代アミール 在位1146

平教盛(1128~1185) 平忠盛の子

 

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平忠正(?~1156) 平清盛伯父

アブド・アルムーミン(?~1163) ムワッヒド朝初代アミール 在位1130~1163

 

平清盛(1118~1181) 平氏政権

アブー=ヤアクーブ・ユースフ1世(?~1184) ムワッヒド朝第2代アミール 在位1163~1184※画像なし

 

平重衡(1157~1185) 清盛の子

オタカル1世(1155~1198) プシェミスル朝初代ボヘミア王 在位1198~1230

ヤアクーブ・マンスール(1160~1199) ムワッヒド朝第3代アミール 在位1184~1199

 

宗実(1168~?) 重盛の子、清盛の孫

ムハンマド・ナースィル(?~1213) ムワッヒド朝第4代アミール 在位1199~1213

アブド・アル=ハック1世(?~1217) マリーン朝初代スルターン 在位1196~1217

 

アブー・バクル(?~1258) マリーン朝第4代スルターン 在位1244~1258

ヴァーツラフ1世(?~1253) プシェミスル朝第2代ボヘミア王 在位1230~1253

 

アブド・アル=アズィーズ2世(1375~1396) マリーン朝第25代スルターン 在位1393~1396※画像なし

鄭和(1371~1433)※画像なし

ヴァシーリー1世(1371~1425) モスクワ大公 在位1389~1425※画像なし
ヤン・フス(1369~1415)
ヤン・ジシュカ(1374~1424)

 

チェコ出身の宗教思想家、宗教改革者。ジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手し、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖宥状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となった。カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された。 ヤン・フスwikiより

 

1420年、迫害を逃れてきたフス派の民衆をボヘミア南部の山中に集めて城塞都市ターボルを建設し、フス派の中でも急進派といわれたターボル派を結成した。ジシュカが作り出したターボル派の軍は、信仰に基づく厳格な軍紀とマスケット銃や戦車などの新兵器によって無類の強さを発揮し、ジギスムントの神聖ローマ帝国軍やフス派撲滅のための十字軍も、ジシュカの前に何度も大敗を喫した。ヤン・ジシュカ wikiより

 

※ヴァーシーリー1世は邪教カトリックから民衆を解放するためヤン・フスとなり、フス派を築いた。フスの由来はヴァーシーリーである。ヴァーシーリー1世は庶子を投入した影武者部隊を指揮し、ロシアは影武者に一任して、自分は邪教が率いる十字軍と戦った。やがて影武者が処刑されると、フスはヤン・ジシュカを名乗り、フス戦争を指揮する。

 

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フス派の首領(ヴァシーリー1世の子)

 

ヴァシーリー2世(1415~1462) モスクワ大公 在位1425~1462

イジー・ス・ポジェブラト(1420~1471) フス派のボヘミア王

 

イジーはボヘミアの貴族ヴィクトリン・ス・クンシュタート・ア・ポジェブラトの息子として生まれた。父はフス戦争を起こしたフス派のうち、穏健派であるウトラキストの指導者の1人だった。14歳の時、イジーはフス派内の急進派であるターボル派の没落を招いたリパニーの戦いに参加した。成人したイジーはフス派の指導者の1人として、神聖ローマ皇帝ジギスムントからボヘミア、ハンガリー、ローマ王位を引き継いだ婿のアルブレヒト2世の率いるオーストリアの軍勢に勝利した。イジーはすぐにフス派内で頭角をあらわし、プタテク・ス・ピルクシュテインの死後はその頭領となった。 wikiより

 

フレデリック(1453~1458) イジー・ス・ポジェブラト子※画像なし

ウラースロー2世(1456~1516) ボヘミア王 在位1471~1516

 

イヴァン4世(1467~1500) ヴァシーリー2世孫※画像なし
ヤン1世(1459~1501) ポーランド王 在位1492~1501

アレクサンデル(1461~1506) ポーランド王 在位1501~1506

 


ジグムント1世(1467~1548) ポーランド王 在位1506~1548

 

※ヤン・フスの子孫が、ボヘミア王、ポーランド王としてボヘミア王国、ポーランド王国を統治し、一方でフス派の首領も兼任していた。

 

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ボヘミア王ウラースロー2世の子

 

ラヨシュ2世(1506~1526) ハンガリー王 在位1516~1526
鈴木孫一(1534~1589) 雑賀衆

イオフ(?~1607) 初代モスクワ総主教 在位1589~1605

 

1516年、父の後を受けてハンガリーとボヘミアの王として即位する。しかし若年のために国内の統率が困難となり、それが災いして1526年、オスマン帝国のスレイマン1世(大帝)が率いるオスマン軍との戦い(モハーチの戦い)で、20歳の若さで敗死した。これによりハンガリーの大部分は、オスマン帝国に奪われた(オスマン帝国領ハンガリー)。野心家であったといわれるが、多くは成し遂げられることはなかった。ラヨシュ2世wikiより

 

石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。その後、豊臣秀吉に鉄砲大将として仕え、関ヶ原の戦い(伏見城の戦い)では西軍本隊に属して、鳥居元忠を討ち取る活躍を見せる。戦後、浪人を経て水戸藩に仕官した。鈴木孫一wikiより

 

※ラヨシュ2世は、ヤノシュを連れて日本にまで逃亡し、1534年に到着した。彼は、日本到着の年を鈴木孫一生誕年と定めた。孫一らは雑賀衆を結成して銃器を得意とした戦法で本願寺に味方した。鈴木の由来はジシュカである。鈴木孫一らが邪教本願寺に味方したのは、孫一の正体であるラヨシュ2世がスレイマン1世に敗北したことが原因だろう。孫一は、織田信長がスレイマン1世(宇佐美定満)の子だということを知っていたのだ。そのため、織田信長の敵である本願寺に味方した。

その後、孫一は1589年に55歳で死んだことにし、ロシア帝国に向かった(ラヨシュ2世から数えると83歳となる)。同年、孫一はイオフに変身し、ロシア帝国で初代モスクワ総主教に就任した。ラヨシュ2世から数えると、彼は101歳まで生きたことになる。

 

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ラヨシュ2世の子

 

ヤノシュ・ワス(1521~1580) 
土橋守重(?~1582) 雑賀衆

 

本能寺の変が発生すると、織田氏の支援を受けられなくなった鈴木氏は長宗我部氏・根来衆らの支援を受けた土橋勢に反撃されて紀伊を追われ、小牧・長久手の戦いを経て、天正13年(1585年)の秀吉による紀州征伐まで土橋氏が雑賀衆の主導権を握ることとなる。wikiより

 

※土橋の名の由来は、ジシュカとフスの組み合わせである。ジシュカ+フス=ジシュ+フシ=ツチ+ハシ=土橋となる。

 

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鈴木重次(1598~1664) 鈴木孫一次男※画像なし

ボフダン・フメリニツキー(1595~1657) ウクライナ・コサック最高指導者初代ヘーチマン

 

※ヘーチマンの由来は平氏である。ヘーチマンの首領はアタマンと呼ばれるがこれも日本語「頭」に由来している。

 

クィルィーロ・ロズモーウシクィイ(1728~1803) ウクライナ・コサック最高指導者第21代ヘーチマン

アフマド・シャー・ドゥッラーニー(1722~1772) ドゥッラーニー朝初代君主 在位1747~1772

 

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ドゥッラーニー朝第3代君主ティムール・シャーの子

 

マフムード・シャー(1769~1829) ドゥッラーニー朝第4代君主 在位1801~1803※画像なし

イヴァン・ペステル(1765~1843)※画像なし

イヴァン・コトリャレーウシキー(1769~1838) ウクライナ作家

 

シュジャー・シャー(1785~1842) ドゥッラーニー朝第5代君主 在位1803~1809

ミヒャエル・ルーニン(1787~1845) 救済同盟デカブリスト

セルゲイ・ペトロヴィッチ・トルベツコイ(1790~1860) 救済同盟デカブリスト

パーヴェル・ペステリ(1793~1826) 救済同盟デカブリスト

ドースト・モハマド・ハーン(1793~1863) バーラクザイ朝初代アミール

コンドラチイ・ルイレーエフ(1795~1826) 救済同盟デカブリスト※画像なし

セルゲイ・ムラヴィヨフ=アポストル(1796~1826) 救済同盟デカブリスト

ニキータ・ムラヴィヨフ(1796~1843) 救済同盟デカブリスト

ピョートル・カホフスキー(1797~1826) 救済同盟デカブリスト※画像なし

イヴァン・プーシキン(1798~1859) 救済同盟デカブリスト

ミハイル・パヴロヴィチ・ベストゥージェフ=リューミン(1801~1826) 救済同盟デカブリスト※画像なし

 

※デカブリストは、西本願寺門主寂如の一族に汚染されたロシア帝国を奪還するために結成された。

 

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バーラクザイ朝初代アミールドースト・モハマド・ハーンの子(名前不詳の息子27人)

 

ムハンマド・アフザル・ハーン(1811~1867) バーラクザイ朝第4代アミール

ピエール・ジョゼフ・プルードン(1809~1865) 無政府主義思想

ミハイル・バクーニン(1814~1876) アナーキスト

カール・マルクス(1818~1883) 共産主義思想

イヴァン・ツルゲーネフ(1818~1883) 作家

 

シール・アリー・ハーン(1825~1879) バーラクザイ朝第3代アミール

ニコライ・チェルヌイシェフスキー(1828~1889) ナロードニキ指導者

レフ・トルストイ(1828~1910) 作家

フリードリヒ・エンゲルス(1820~1895) 労働運動指導者

ピョートル・ラヴロフ(1823~1900) ナロードニキ理論家

フョードル・ドストエフスキー(1821~1881) 作家

 

名前不詳の息子27人のうちのひとり

モデスト・ムソルグスキー(1839~1881) 作曲家

ピョートル・チャイコフスキー(1840~1893) 作曲家

ニコライ・ミハイロフスキー(1842~1904) ナロードニキ理論家

鈴木岩治郎(1837~1894) 鈴木商店創業者

 

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シール・アリー・ハーンの子

 

ムハンマド・ヤアクーブ・ハーン(1849~1923) バーラクザイ朝第6代アミール

セルゲイ・ネチャーエフ(1847~1882) 人民の裁き指導者

パーヴェル・アクセリロード(1850~1928) 社会主義者

ニコライ・チャイコフスキー(1851~1926) チャイコフスキー団指導者

マルク・ナタンソン(1851~1919) 土地と自由指導者

 

※ナロードニキ運動は、西本願寺門主寂如の一族に汚染されたロシア帝国を奪還するために結成された。ナロードニキ運動がロシア革命成功の下地を準備した。

 

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ティーホン(1865~1925) モスクワ総主教

アントン・チェーホフ(1860~1904) 作家

久原房之助(1869~1965) 久原財閥創業者

 

※西本願寺門主寂如の一族が運営するロシア帝国によってモスクワ総主教の座は一時廃止されたが、ティーホン総主教の時代に再開された。久原はティーホンの影武者として生まれたが、日本に移住して久原財閥を起こした。久原(くばら)の由来はカブールである。

 

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ムハンマド・ダーウード(1909~1978) アフガニスタン共和国初代大統領

ファビアン・ドロン(1904~1977) アラン・ドロン父

 

※東本願寺門主巧如の一族に属するザーヒル・シャーによって家族が惨殺された。悲劇の英雄。彼は影武者用に多くの庶子を儲けていた。また、ファビアン・ドロンとしてフランスに行き、俳優アラン・ドロンを儲けている。

 

アラン・ドロン(1935) 俳優

吉田竜夫(1932~1977) タツノコ・プロダクション社長

 

※ドロンの由来はドゥッラーニーである。つまり、ドロンはアフガニスタン出身と考えられる。ダウードは、ファビアン・ドロンとして日本人女性にも遺伝子を所望されたようだ。優性遺伝子ブリーダーによって吉田竜夫兄弟が生まれている。

 

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ムハンマド・ダーウードの子

 

Khalid Daoud Khan(1947~1978)

鈴木敏夫(1948) スタジオ・ジブリ社長

 

Muhammad Umar Daoud Khan(?~1978)※画像なし
押井守(1951) 映画監督

 

※世界で最初に銃器を戦争に使用したフス派の子孫だけあり、長編アニメ映画「功殻機動隊」などの押井作品にも武器、戦略、戦法、謀略の知識が活かされている。押井はポーランドで実写映画「アヴァロン」を撮ったが、ポーランドと関係が深いのはフス派の血が彼を故郷に誘うのだろう。押井はマジを嫌う人で、「イノセンス」など、マジな映画を作ったあとは、「立喰師列伝」など、シラケ気分全開の映画を製作する。

 

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アフガニスタン共和国初代大統領ムハンマド・ダーウードの孫

 

Ariane Heila Khanum Ghazi(1961)※画像なし

ハーミド・カルザイ(1957) 初代アフガニスタン・イスラム共和国大統領

ムハンマド・オマル(1959~2013) タリバーン初代最高指導者

 

Hila Khanum(1961~1978)※画像なし

土橋安騎夫(1960) レベッカ

石川光久(1958) プロダクション・アイジー代表取締役社長

 

※ダウードの孫の影武者として生まれたと考えられる。レベッカは、あからさまに80年代最先端の洋楽(イギリスのニューウェイブ、プリンスやマドンナ、クール&ザ・ギャングなどの80年代ファンク)の影響下にあったが、洋楽と邦楽の垣根を易々と壊した。その先駆だった。

 

Hawa Khanum Ghazi(1963)※画像なし

今敏(1963~2010) 映画監督

アフタル・ムハンマド・マンスール(1965~2016) タリバーン第2代最高指導者

ハイバトゥラー・アクンザダ(1966) タリバーン第3代最高指導者※画像なし

 

※ダウードの孫の影武者として生まれたと考えられる。頭の良い人だが、癌は存在しないことを知らず、本願寺勢力に殺された。TVアニメ作品「妄想代理人」では、集団ストーカーを再現していた。

 

Waygal Daoud Khan(1975~1978)※画像なし

石井朋彦(1977) プロダクション・アイジー所属

 

 

 


宇宙人スバルの一族~天孫氏、ゼブルン族、シュメール都市国家シッパール、プール族、シバ王国、破壊神シヴァ、楚、鮮卑、ヴァンダル王国、シュリーヴィジャヤ王国、シビル汗国、円谷プロダクション

 

テーバイ王国(1万3千年前)※画像はサハラ砂漠

 

ルハンガのトバルカインは超科学を継承し、現サハラ砂漠にテーバイ王国を築いた。気仙沼の河童(ケシャンボ)はルハンガのトバルカインと合体し、スバル人(サハラの語源)となった。カゾオバ+トバルカイン=ゾオバル=ソバル=スバルとなる。

 

天孫氏(1万3千年前)※画像は小型人類ホモ・フローレシエンシス発掘現場

 

スバル人の祖は、上記のようにオリジナル人類カゾオバであり、もともとは気仙沼に住んでいたケシャンボ(河童)である。しかし、ルハンガのトバルカインとの混血が進むと、身長1mのスバル人と普通身長(170~180cm)のスバル人の身長差が顕著になった。

普通身長のスバル人はそのままテーバイ王国に残ったが、身長1mのままのスバル人は新天地を求めてテーバイ王国を離れ、フローレス島に本拠地を据え、沖縄諸島をはじめ、バヌアツ諸島、ツバル諸島などの太平洋の島々を勢力圏に収めた。ホモ・フローレシエンシスの化石は、じつは埋葬されたスバル人の遺骨だと考えられる。

スバル人と妖怪キジムナーは祖を同じくする家族である。両者はオリジナル人類カゾオバの子孫であるため、沖縄では交流があったようだ。ところで、沖縄の歴史書には伝説の天孫氏が登場する。彼ら自身の正体や王国の歴史、王の系譜は不明であり、国の様子さえ詳らかでないが、謎に包まれた天孫氏の王朝とは、妖怪キジムナーと小型宇宙人の王国だったのではないかと考えられる。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

・ルーベン族(BC35世紀頃)

・レビ族(BC35世紀頃)

・ゼブルン族(BC35世紀頃)

 

※宇宙人の連合がイスラエル王国を統治していた時代、ルハンガのトバルカインのテーバイ王国(現サハラ砂漠)も同盟国となった。そのため、ルハンガのトバルカインは夏王朝の中国(カナン)ではルーベン族・レビ族と呼ばれ、スバル人はゼブルン族と呼ばれた。ルーベン・レビの名の由来はルハンガであり、ゼブルンの由来はスバルである。

 

・蚩尤(BC35世紀頃)

 

※イスラエル王国(縄文人)の集団が伝説の夏王朝治世下の中国大陸(カナン)に移住すると、スバル人も古代雲南に拠点を移した。彼らは、蚩尤(シヨウ)と呼ばれた。伝説によると、蚩尤は、夏王朝(古代中国から古代スイスまでに至る領域を支配していた)が斜陽の道を辿っていた際、黄帝(ルハンガのトバルカイン)と対立した。

これは一方で、イスラエルの10支族ルーベン族とゼブルン族の対立ということもできる。ルハンガのトバルカインは永年スバル人とは同盟関係にあったが、どちらか(多分蚩尤)が、狡猾な預言者ナタンの一族(ダン族)の支配下に堕ちていた可能性がある。

蚩尤はルハンガのトバルカインの代わりにミャオ族と同盟を組むが、このミャオ族の正体はマハラエルだと考えられる。平和を愛する宇宙人は一度も兵器を製造したことがない。核兵器と呼ばれるものも、じつは宇宙人が直接、物質の原子を分裂させて巨大な爆発を発生させているに過ぎない。黄帝と対立した時、蚩尤は人類で最初に兵器を作ったとされている。預言者ナタンの一族(ダン族)にそそのかされたのだと考えられる。これが「タク鹿の戦い」である。

 

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インダス文明の礎

 

・シバ王国(BC32世紀頃)

・プント王国(BC32世紀頃)

 

※BC32世紀頃、超科学の種族ルハンガのトバルカインとスバル人が築いたテーバイ王国(現サハラ砂漠)、アルパクシャデの名に因んだソドム国(チャド・スーダン地域)、クマルビの名に因んだゴモラ国(カッパドキア)にタナトスの一族が蔓延った。ルハンガのトバルカインとスバル人は、タナトスの一族をみな殺しにするためにタナトスやタナトスの街を核分裂させた。これが「ソドムとゴモラ」である。

これにより、北アフリカは完全な砂漠と化し、カッパドキア地域も砂漠化した。しかしかつては緑深く、豊かな河川に彩られた北アフリカのソドムとゴモラ後の惨状を目にし、心が痛んだルハンガのトバルカインは超科学を放棄する決意をし、現サハラを離れてパンジャブに根を下ろした。

一方、スバル人は超科学を継承しつつシバ王国を築き、ルハンガのトバルカインはプント王国を築いた。この2つの王国は連合体だったため、パンジャブの由来となった。プント+シバ=プンシヴァ=パンジャブとなる。

 

・雷神インドラ(BC32世紀頃)

 

・破壊神シヴァ(BC32世紀頃)

 

※超科学を継承していたスバル人は雷神インドラ、破壊神シヴァとも呼ばれた。インドラの名の由来はパンドラである。パンドラはヒンドゥーの由来でもある。

テーベ神官都市のダヴィデの一族はこの時にパンジャブに赴いて、シバ王国、プント王国を築いた兄弟ルハンガのトバルカインとスバル人を援助した。この時にいわゆる「インダス文明」が始まり、同時に、テーベ神官都市のダヴィデの一族は善神デーヴァと呼ばれた。以下がインダス文明を築き、善神デーヴァと呼ばれたエジプト第11王朝、第13王朝、第18王朝のファラオたちである。

 

インダス文明の王(エジプト第11王朝、第13王朝、第18王朝の歴代ファラオ)

 

・メンチュヘテプ1世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位?~BC2134

・アンテフ1世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・アンテフ2世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・アンテフ3世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ2世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ3世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ4世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

 

・セベクヘテプ1世(?~BC1800) エジプト第13王朝初代王 在位BC1803~BC1800

・セネブエフ(?~BC1796) エジプト第13王朝第2代王 在位BC1800~BC1796

・アメンエムハト5世(?~BC1793) エジプト第13王朝第3代王 在位BC1796~BC1793

・アメンエムハト6世(?~BC1785) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1788~BC1785

・セベクヘテプ2世(?~BC1750頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1750頃

・ホル(?~BC1760頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1760頃

・アメンエムハト7世(?~BC1770頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1770頃

・ウハエフ(?~BC1757) エジプト第13王朝ファラオ 在位?~BC1757

・ケンジェル(生没年不詳) エジプト第13王朝ファラオ 在位不明

・アンテフ4世(?~BC1750頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1750頃

・セベクヘテプ3世(?~BC1741) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1745~BC1741

・ネフェルヘテプ1世(?~BC1730) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1741~BC1730

・セベクヘテプ4世(?~BC1720) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1730~BC1720

・アイ(?~BC1677) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1700~BC1677

 

・イアフメス1世(?~BC1546) エジプト第18王朝初代王 在位BC1570~BC1546

・アメンヘテプ1世(?~BC1524) エジプト第18王朝第2代王 在位BC1551~BC1524

・トトメス1世(?~BC1518) エジプト第18王朝第3代王 在位BC1524~BC1518

・トトメス2世(?~BC1504) エジプト第18王朝第4代王 在位BC1518~1504

・ハトシェプスト(?~BC1483) エジプト第18王朝第5代王 在位BC1498~BC1483

・トトメス3世(?~BC1450) エジプト第18王朝第6代王 在位BC1504年~BC1450

・アメンヘテプ2世(?~BC1419) エジプト第18王朝第7代王 在位BC1453~BC1419

・トトメス4世(?~BC1386) エジプト第18王朝第8代王 在位BC1419~1386

・アメンヘテプ3世(?~BC1349) エジプト第18王朝第9代王 在位BC1386~BC1349

・ホルエムヘブ(?~BC1293) エジプト第18王朝第14代王 在位BC1321~BC1293

 

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●プレ・インカ文化は小人が生んだ文化

 

※画像はナスカの地上絵である。およそ1万年前から古代沖縄に天孫氏王統を築いていた小型スバル人は、BC11世紀頃の古代アンデスに移住し、チャビン文化、ナスカ文化、ティワナク文化、モチェ文化、ワリ文化などを残した。この当時、スバル人はペルーでピラミッドの種族と共存していた。上記のプレ・インカ文化は謎が多いとされるが、小型スバル人と妖怪キジムナーが築いた文化だった。

小型スバル人と妖怪キジムナーはペルーの民族ケチュア族の前身となる。ケチュアの由来はカゾオバである。カゾオバ=ケチュアオバ=ケチュアとなる。ペルー時代はピラミッドの種族と共存していたが、彼らは巨石建造の技術を身につける。彼らは11世紀頃、故郷の沖縄にグスクなどを残すことになる。

ナスカの地上絵は、測量の技術向上が目的だった。正確な測量技術は精度の高い建築と建造を可能にするというわけだ。彼らはハトドリ、コンドル、タランチュラなどをモチーフに測量の練習をし、その練習の痕跡がナスカの地上絵として知られることになった。

 

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・パーンダヴァ王国(BC11世紀)

・アルジュナ王子(BC11世紀)

・太陽神ヴィシュヌ(BC11世紀)

 

※画像は「マハーバーラタ戦争」の図。公式には、伝説のシバ王国とプント王国は古代アフリカに存在したとされている。しかし、実際にはシバ王国とプント王国はパンジャブ地方に存在していたと考えられる。その証がパンジャブの名前である。

両者は同盟していたのか、パーンダヴァと呼ばれた。パーンダヴァの由来はパンジャブと同じで、プントとシバの組み合わせである。プント+シバ=プンシバ=パンジャブとなり、プント+シバ=プントバ=パーンダヴァとなる。

タナトスの一族(アッシュール・ダン1世の一族、ティールタンカラの一族、デウスの一族)がパーンダヴァ王国簒奪の機会を狙っていたが、テーベ神官都市に住む善神デーヴァ(エジプト第18王朝ファラオ)の一族がパーンダヴァ族の王子アルジュナに超科学で出来た武器を授け、いわゆる「マハーバーラタ戦争」が勃発した。

この時にヴィシュヌが生まれた。ヴィシュヌの由来はシヴァとアルジュナの組み合わせである。シヴァ+アルジュナ=ヴァジュナ=ヴィシュヌとなる。「マハーバーラタ戦争」では、善神デーヴァがタナトスとその街を核分裂させたため、巨大な核爆発が起きた。これにより、パンジャブ地方・アフガン(パーンダヴァ王国)、メソポタミア(ラテン王国)は砂漠地帯と化した。

この後、ルハンガのトバルカインはスバル人と共に中国に移住して燕と楚を築いた。燕(エン)の由来はインドラであり、楚(シュ)の由来はスバルである。

 

インダス文明の王(楚の歴代王)

 

・Yuxiong(生没年不詳) 楚初代王 在位不明

・熊麗(生没年不詳) 楚第2代王 在位不明

・熊狂(生没年不詳) 楚第3代王 在位不明

・Xiong Yi(生没年不詳) 楚第4代王 在位不明

・熊只(生没年不詳) 楚第5代王 在位不明

・Xiong Dan(生没年不詳) 楚第6代王 在位不明

・Xiong Sheng(生没年不詳) 楚第7代王 在位不明

・Xiong Yang(生没年不詳) 楚第8代王 在位不明

・Xiong Qu(生没年不詳) 楚第9代王 在位不明

・熊母康(生没年不詳) 楚第10代王 在位不明

・熊摯紅(生没年不詳) 楚第11代王 在位不明

・熊執疵(?~BC848) 楚第12代王 在位?~BC848

・熊勇(?~BC838) 楚第13代王 在位BC847~BC838

・熊厳(?~BC848) 楚第14代王 在位BC837~BC828

・熊相(?~BC848) 楚第15代王 在位BC821~BC822

・Xiong Xun(?~BC848) 楚第16代王 在位BC821~BC800

・Xiong E(?~BC848) 楚第17代王 在位BC799~BC791

・熊儀(?~BC848) 楚第18代王 在位BC790~BC764

 

・熊囲(?~BC529) 楚第30代王 在位BC540~BC529

・熊比(?~BC529) 楚第31代王 在位BC529

・熊?(?~BC516) 楚第32代王 在位BC528~BC516

・熊珍(?~BC489) 楚第33代王 在位BC515~BC489

・熊章(?~BC432) 楚第34代王 在位BC488~BC432

・熊中(?~BC408) 楚第35代王 在位BC431~BC408

・熊当(?~BC402) 楚第36代王 在位BC407~BC402

・熊疑(?~BC381) 楚第37代王 在位BC401~BC381

・熊臧(?~BC370) 楚第38代王 在位BC380~BC370

・熊良夫(?~BC340) 楚第39代王 在位BC369~BC340

・熊商(?~BC329) 楚第40代王 在位BC339~BC329

・熊槐(?~BC299) 楚第41代王 在位BC328~BC299

・熊横(?~BC263) 楚第42代王 在位BC298~BC263

・熊完(?~BC238) 楚第43代王 在位BC262~BC238

・熊悍(?~BC229) 楚第44代王 在位BC237~BC229

・熊猶(?~BC228) 楚第45代王 在位BC228

・熊負芻(?~BC223) 楚第46代王 在位BC227~BC223

・熊啓(?~BC223) 楚第47代王 在位BC223

・熊心(?~BC206) 楚第48代王 在位BC208~BC206

 

※秦によって楚が滅ぶと、スバル人は、燕の王族ルハンガのトバルカインと共にインドに拠点を移し、シュンガ朝マウリヤ朝マガダ王国を開いた。シュンガの由来はスバルとルハンガの組み合わせと考えられる。スバル+ルハンガ=スンガ=シュンガとなる。

 

・プシャミトラ(?~BC149) シュンガ朝初代マウリヤ王 在位BC185~BC149

・アグニミトラ(?~BC141) シュンガ朝第2代マウリヤ王 在位BC149~BC141

・ヴァースジェーシタ(?~BC131) シュンガ朝第3代マウリヤ王 在位BC141~BC131

・ヴァースミトラ(?~BC124) シュンガ朝第4代マウリヤ王 在位BC131~BC124

・アンドラカ (?~BC122) シュンガ朝第5代マウリヤ王 在位BC124~BC122

・プリンダカ(?~BC119) シュンガ朝第6代マウリヤ王 在位BC122~BC119

・ゴシャ(?~BC108) シュンガ朝第7代マウリヤ王 在位BC119~BC108

・ヴァジュラミトラ(?~BC94) シュンガ朝第8代マウリヤ王 在位BC108~BC94

 

※シュンガ朝が滅ぶと、ルハンガのトバルカインは大将軍ユリウス・カエサルを生み、ローマ帝国の礎を築くが、スバル人はそのままインドに留まり、続いてカーンヴァ朝を開いた。カーンヴァ朝の王はゲルマニアに進出してスエビ族と呼ばれた。スエビの名の由来は鮮卑である。

 

ゲルマン人スエビ族の首長(カーンヴァ朝歴代王、禿髪部歴代大人)

 

・ヴァースデーヴァ(?~BC66) カーンヴァ朝初代マウリヤ王 在位BC75~BC66

・ブーミミトラ(?~BC52) カーンヴァ朝第2代マウリヤ王 在位BC66~BC52

・ナーラーヤナ(?~BC40) カーンヴァ朝第3代マウリヤ王 在位BC52~BC40

・スシャルマン(?~BC30) カーンヴァ朝第4代マウリヤ王 在位BC40~30

 

※カーンヴァ朝が滅ぶと、スバル人はモンゴルに拠点を移し、鮮卑(シェンベイ)を結成した。シェンベイの名の由来はカゾオバ(スバル)である。カゾオバ=カゾオンバ=ゾオンバ=シェンベイとなる。鮮卑には多くの部族が参加したが、中でもスバル人が主体の部族は禿髪部(ツファ)だけである。ツファの由来はカゾオバ(スバル)である。カゾオバ=ゾオファ=ツファとなる。禿髪部の大人は代々のスエビ族首長も兼ねた。

 

・禿髪寿?(生没年不詳) 禿髪部初代大人 在位不明

・禿髪樹機能(?~279) 禿髪部第2代大人 在位?~279

・禿髪務丸(生没年不詳) 禿髪部第3代大人 在位不明

 

禿髪推斤(生没年不詳) 禿髪部第4代大人 在位不明

クトゥンガ(?~375) クタイ王国初代王 在位350~375

 

※第4大人の時代、禿髪部はジャワ島に進出し、クタイ王国を築いた。この王国を皮切りに、マジャパヒト王国に至るまでスバル人のジャワ、スマトラでのインドネシア王国時代が始まる。ジャワの由来はカゾオバ(スバル)である。禿髪部がジャワを訪れるまでは、ジャワはカリンガと呼ばれていた。

 

・禿髪思復?(生没年不詳) 禿髪部第5代大人 在位不明

 

・アシュヴァヴァルマン(?~400) クタイ王国第2代王 在位375~400

・ムーラヴァルマン(?~466) クタイ王国第3代王 在位400~466

 

禿髪烏孤(?~399) 南涼初代王 在位397~399

Dharmayawarman(?~395) タルマヌガラ王国第2代王 在位382~395

 

禿髪利鹿孤(?~402) 南涼第2代王 在位399~402

Purnawarman(?~434) タルマヌガラ王国第3代王 在位395~434

 

禿髪ジョク檀(?~414) 南涼第3代王 在位402~414

Hermeric(?~438) スエビ王国初代王 在位409~438

 

※南涼第3代王は、スエビ王国をイベリア半島に築いた。

 

ガイセリック(?~477) ヴァンダル王国初代王 在位439~477

Rechila(?~448) スエビ王国第2代王 在位438~448

Rechiar(?~456) スエビ王国第3代王 在位448~456

Frumar(?~464) スエビ王国第9代王 在位460~464

Remismund(?~469) スエビ王国第10代王 在位464~469

 

フネリック(?~484) ヴァンダル王国第2代王 在位477~484

Hermeneric(生没年不詳) スエビ王国第11代王 在位485頃

 

Veremund(生没年不詳) スエビ王国第12代王 在位535頃

Candrawarman(?~535) タルマヌガラ王国第6代王 在位515~535

ヒルデリック(?~530) ヴァンダル王国第5代王 在位523~530

ゲリメル(?~534) ヴァンダル王国第6代王 在位530~534

 

・Chararicafter(?~558) スエビ王国第14代王 在位550~558

 

Ariamir(?~566) スエビ王国第15代王 在位558~566

Suryawarman(?~561) タルマヌガラ王国第7代王 在位535~561

 

Theodemar(?~570) スエビ王国第16代王 在位561~570

Kertawarman() タルマヌガラ王国第8代王 在位561~628

 

・Miro(?~583) スエビ王国第17代王 在位570~583

・Eboric(?~584) スエビ王国第18代王 在位583~584

・Andeca(?~585) スエビ王国第19代王 在位584~585

 

Malaric(?~585) スエビ王国第20代王 在位585※画像なし

李淵(566~635) 唐初代皇帝 在位618~626

 

※スエビ王国がオロクンノトバルカインが築いた西ゴート王国によって滅ぶと、スエビ族は中国に移り、唐を築いた。唐(タン)の由来は太平洋の最高神タネである。タネはもともとタナトスの神だが、スバル人がその名前を戴いた形である。スエビ王国最後の王Malaricは李淵に変身して中国を統一した。

スバル人は、同じ宇宙人の出自であるマハラエルと過去にも組んでいたが(蚩尤とミャオ族)、この時にも両者は連合した(唐と突厥帝国)。これにより、領土は拡大した。

 

・李世民(598~649) 唐第2代皇帝 在位626~649

・李治(628~683) 唐第3代皇帝 在位650~683

・李顕(656~710) 唐第4代、第6代代皇帝 在位684、705~710

 

李旦(662~690) 唐第5代、第8代皇帝 在位684~690、710~712

Tarusbawa(?~690) タルマヌガラ王国第11代王 在位670~690※画像なし

Dapunta Hyang Sri Jayanasa(?~702) シュリーヴィジャヤ初代王 在位671~702※画像なし

サンタヌ(?~700) シャイレーンドラ朝初代王 在位670~700※画像なし

 

李亨(711~762) 唐第10代皇帝 在位756~762

サンジャヤ(?~760) シャイレーンドラ朝第6代王 在位717~760※画像なし

サンジャヤ(?~746) 古マタラム王国初代王 在位717~746※画像なし

 

※サンジャヤの時代から古マタラム王は、シャイレーンドラ朝の王を兼ねるようになる。

 

李豫(726~779) 唐第11代皇帝 在位762~779

ラカイ・パナンカラン(?~775) 古マタラム王国第2代王 在位760~775※画像なし

 

李クオ(742~805) 唐第12代皇帝 在位779~805

ラカイ・パヌンガラン(?~800) 古マタラム王国第3代王 在位775~800※画像なし

 

李純(778~820) 唐第13代皇帝 在位805~820

ラカイ・ワラック(?~819) 古マタラム王国第4代王 在位800~819※画像なし

 

・ラカイ・ガルン 古マタラム王国第5代王

・ラカイ・ピカタン 古マタラム王国第6代王

・ラカイ・カユワンギ 古マタラム王国第7代王

 

李忱(810~859) 唐第19代皇帝 在位846~859

バーラプトラ・デワ(?~855) シャイレーンドラ朝第12代王 在位830~855※画像なし

ラカイ・ワトゥフマラン(生没年不詳) 古マタラム王国第8代王 在位不明※画像なし

 

李ツオ(892~908) 唐第23代皇帝 在位904~907

バリトゥン(?~910) 古マタラム王国第9代王 在位898~910

 

・ダクサ(?~919) 古マタラム王国第10代王 在位910~919

・トゥロドン(?~924) 古マタラム王国第11代王 在位919~924

・ラカイ・ワワ(?~929) 古マタラム王国第12代王 在位924~929

 

※唐が滅ぶとスバル人はマタラム王国に拠点を移した。唐の皇帝はインドネシアを治めた王でもあった。

 

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妖怪キジムナーの王(舜天王統、英祖王統、察度王統、怕尼芝王統の歴代琉球王)

 

・舜天(?~1237) 舜天王統初代琉球王 在位1187~1237

・舜馬順煕(?~1248) 舜天王統第2代琉球王 在位1238~1248

・義本(?~1259) 舜天王統第3代琉球王 在位1249~1259

 

・英祖(?~1299) 英祖王統初代王 在位1259~1299

・大成(?~1308) 英祖王統第2代王 在位1299~1308

・英慈(?~1313) 英祖王統第3代王 在位1308~1313

・玉城(?~1336) 英祖王統第4代王 在位1313~1336

・西威(?~1349) 英祖王統第5代王 在位1336~1349

 

・察度(?~1395) 察度王統初代王 在位1305~1395

・武寧(?~1405) 察度王統第2代王 在位1396~1405

 

※画像はスバル人が築いたグスク。沖縄には超古代から最初の人類エスの子孫が暮らしていたが、天孫氏王統や舜天王統、英祖王統、察度王統、怕尼芝王統は沖縄人が知らない王国だと考えられる。つまり、キジムナーの王国である。沖縄人のすぐ隣で誰も知らない身長1mの小人族の王朝が育まれていたのだ。

舜天はペルー帰りの人物だと考えられる。古代アンデスでピラミッド派に巨石建造の技術を享受されたスバル人は、沖縄でグスクを築くようになった。グスクの由来はクスコである(クスコの由来はカシュガル)。

 

・怕尼芝(?~1395) 怕尼芝王統初代王 在位1322~1395

・ミン(?~1400) 怕尼芝王統第2代王 在位1396~1400

・攀安知(?~1416) 怕尼芝王統第3代王 在位1401~1416

 

※画像はタナトスが作らせたグスク座喜味城。怕尼芝王統だけはバヌアツに住んでいたスバル人が王統を担っていたと考えられる。つまり、怕尼芝王統は琉球の王朝ではなく、バヌアツ王の系譜である。怕尼芝の由来はバヌアツである。

1429年、沖縄で最初の普通人の王朝が築かれる。それが第一尚氏王統である。しかもこれはタナトス(本願寺門主覚如の一族)の王統だった。自由に暮らしてきた沖縄人が味わう、初の支配の苦しみである。タナトスの上陸を機に、スバル人はグスク建設に狩りだされてしまう。

 

※画像はマチュピチュ。1440年頃、尚思紹王の時代で既にタナトスの支配に嫌気が差したスバル人は、沖縄を脱出してペルーに帰還した。マウンド派がペルーにインカ帝国を築いていた時代である。インカ帝国初代皇帝パチャクテクに快く迎えられた彼らはマチュピチュに城砦を築く。沖縄のグスクとマチュピチュの石積みが似ているのはそういうわけである。

 

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Taibuga(生没年不詳) シビル汗初代ハーン 在位1220~?

 

※シビル、シベリアの由来はスバルである。シビル汗国の歴代ハーンは代々、超科学の研究に勤しんだと考えられる。ユダヤ人1731の一族もシベリアを攻撃したり、ユダヤ人1908の一族も巨大空中要塞でシベリアに出撃していた。宇宙人にとってシベリアは重要な場所のようだ。

 

Tribhuwanaraja(生没年不詳) シュリーヴィジャヤ最後の王 在位1286

マリクル・サレー(?~1297) サムドラ・パサイ王国初代王 在位1267~1297

 

Khoja bin Taibugha(生没年不詳) シビル汗第2代ハーン 在位不明

ウィジャヤ(?~1309) マジャパヒト王国初代王 在位1293~1309

 

カラ・ユルク・オスマン(?~1435) 白羊朝初代君主 在位1378~1435

Tokhtamysh(?~1406) シビル汗第3代ハーン 在位1396~1406

Chekre Khan(?~1413) シビル汗第4代ハーン 在位1407~1413

Hadji Muhammad(?~1428) シビル汗第5代ハーン 在位1420~1428

 

Abu'l-Khayr Khan(?~1468) シビル汗第6代ハーン 在位1428~1468

ハムザ(?~1444) 白羊朝第2代君主 在位1435~1444

ジャハーンギール(?~1453) 白羊朝第3代君主 在位1444~1453

ウズン・ハサン(?~1478) 白羊朝第4代君主 在位1453~1478

 

Mar(?~1480) シビル汗第7代ハーン 在位1469~1480

ブラウィジャヤ5世(?~1478) マジャパヒト王国第5代王 在位1466~1478

ハリール(?~1478) 白羊朝第5代君主 在位1478

 

Ibak Khan(?~1495) シビル汗国第8代ハーン 在位1468~1495

ケレイ・ハン(?~1473) カザフ・ハン国初代ハーン 在位1469~1473

ヤアクーブ(?~1490) 白羊朝第6代君主 在位1478~1490

バイソンクル(?~1493) 白羊朝第7代君主 在位1490~1493

ルスタム(?~1497) 白羊朝第8代君主 在位1493~1497

 

※カザフの由来はカゾオバである。カゾオバ=カゾオハ=カザフとなる。

 

Mamuq of Kazan(?~1496) シビル汗国ハーン 在位1495~1496

アフメト・ゴウデ(?~1497) 白羊朝第9代君主 在位1497

 

アルワンド(?~1504) 白羊朝第10代君主 在位1498~1504

Muhammad Taibuga(?~1502) シビル汗国ハーン 在位1495~1502

Abalak of Sibir(?~1501) シビル汗国ハーン 在位1496~1501

 

Aguish(?~1503) シビル汗国ハーン 在位1502~1503

メフメト・ミルザ(?~1500) 白羊朝第11代君主 在位1498~1500

ムラト1世(?~1508) 白羊朝第12代君主 在位1497~1498、再位1502~1508

 

ターヒル(?~1531?) カザフ・ハン国第5代ハーン 在位?~1531?

Kuluk Sultan(?~1530) シビル汗国ハーン 在位1502~1530

Qasim(?~1530) シビル汗国ハーン 在位1504~1530

 

ハックナザル(?~1580) カザフ・ハン国第7代ハーン 在位1537~1580

Yadgar bin Qasim(?~1563) シビル汗国ハーン 在位1530~1563

Bey Pulad ibn Qasim(?~1563) シビル汗国ハーン 在位1530~1563

 

Kuchum Khan(?~1598) シビル汗国ハーン 在位1563~1598

Panembahan Senopati(?~1601) 新マタラム王国初代王 在位1587~1601

 

アブルマンベト(?~1771?) カザフ・ハン中ジュズ第2代ハーン 在位1739~1771?

Pakubuwono II(?~1749) 新マタラム王国第9代王 在位1726~1749

 

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允顕徳・具志堅親雲上用易(16??~?)

 

※1532年、スバル人は80年間暮らしていたマチュピチュを離れ、沖縄に帰還した。彼らは允氏具志堅家を称した。允の由来はインカであり、具志堅の由来はグスク、或いはクスコである。

 

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カザフ・ハン国ハーン アルトゥンサル(在位1826~1859)の孫?

 

円谷英二(1901~1970) 特撮技術監督・円谷プロダクション初代社長

 

※円谷の名の由来はツバルと太平洋の最高神タネの組み合わせである。ツバル(円)+タネ(谷)=円谷となる。つまり、円谷英二はスバル人の子孫である。そのため、「ウルトラマン」などの発想ができたのかもしれない。

 

円谷皐(1935~1995) 円谷プロダクション第2代社長※画像なし

ヌルスルタン・ナザルバエフ(1940) カザフスタン共和国初代大統領 任期1990~2019

 

円谷昌弘(1958~2019) 円谷プロダクション第5代社長※画像なし

カシムジョマルト・トカエフ(1953) カザフスタン共和国第2代大統領 任期2019~現在

 

※円谷昌弘は女性社員にセクハラ容疑で民事訴訟をおこされたという。つまり本願寺にロックオンされていたようだ。

 

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具志堅用高(1955) 元WBA世界ライトフライ級王者

 

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宇宙人エロヒム(1973)

 

※画像はクロード・ボリロンとエロヒムのコンタクト。著名なコンタクティーであり、フランスに宇宙人を崇拝する新宗教まで立ち上げたクロード・ボリロンは、1973年にフランス、クレルモン・フェラン山中で「エロヒム」を自称する宇宙人に遭遇した。

ボリロンは、この身長が1mしかない小さい宇宙人に出会ったことで人生が一変した。マイトレーヤ・ラエルを名乗った彼は新宗教「ラエリアン・ムーヴメント」を創設し、世界中に支部を持つに至る。小さい宇宙人の正体はスバル人である。

 

 

 


デウカリオンの一族(マウンド派)~ニューグレンジ、モホス文明、フェニキア人、カルタゴ、天孫族、多氏、秦、呉、前漢、新羅、日本武尊、インカ帝国、ジョージ・モンク、フリーメイソン、オナシス財閥

 

デウカリオンの一族(絵は炎に囲まれる日本武尊と熊襲武尊を襲う日本武尊)


※デウカリオンの一族は「神統記」で最大最強の怪物と呼ばれたテュポンと巨人アグリオスが合体することで生まれた。テュポン+アグリオス=テユグリオ=デウカリオンとなる。1万3千年前の大地殻変動の後、古代オーストラリアからメソポタミアに移ったデウカリオンは、巨石建造の一族ティカル人として活動する。デウカリオン=デウカリ=ティカルとなる。ティカルとはマヤの都市の名のひとつである。
その後BC35世紀頃、津軽時代にティカル人は2種類に分離した。テュポンのティカル人はピラミッド派としてピラミッドを建造し、アグリオスのティカル人はマウンド派としてマウンドを建造した。古墳時代には、ティカル人はモンゴルを拠点にし、マウンド派は丁零(ディングリング)、ピラミッド派は高車(ガオチェ)を名乗っていた。

また、日本ではマウンド派は日本武尊(ヤマトのティカル)を名乗り、ピラミッド派は熊襲武尊(クマソのティカル)を名乗っていた。ピラミッド派はマウンド派と対立していたが、日本武尊が勝利したことにより、前方後円墳と呼ばれた巨大なマウンドの建造を開始した。古墳時代の始まりである。

 

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ギョベクリ・テペ(BC76世紀頃)

 

※神々の集団アヌンナキの時代、デウカリオンの一族は初めて偉大な先祖を祀る巨石文化の端緒を切った。

 

イングランドのドルメン(BC40世紀頃)

 

※BC50世紀頃、「第一次北極海ルートの大航海時代」を機に、デウカリオンの一族はヨーロッパを訪れ、ドルメンを築くようになった。ドルメンはマウンドを築く際の基礎部分であり、その発展形として後に、土を被せていくようになったと考えられる。ドルメンはBC40世紀~BC30世紀にかけてヨーロッパ中に築かれた。巨石の一族による、偉大な先祖を祀る記念碑の試作品である。

 

ロシアの巨石(年代不明)

 

※巨石建造の一族ティカル人は北極海ルートを介してヨーロッパと津軽を往来していた。一方でヨーロッパにドルメンを築き、一方でロシア各地に巨石建造物の試作品を残した。ロシアの場合、ひとつの石が3000t~4000tとあまりに巨大すぎるため、偉大な先祖を祀る記念碑の建造に賛同した科学の種族トバルカインがティカル人に手を貸していたと考えられる。

 

黒又山(BC40世紀頃)

 

※すべてのピラミッド、マウンドの始まりは黒又山である。津軽に住んでいたティカル人は出羽国のトバルカインと共に先祖を祀る記念碑の建造を試みていた。その成果が、黒又山や十和田湖に沈んでいると伝えられる伝説の巨大ピラミッドである。黒又山は、マウンドとピラミッドの中間系ピラミッドである。この後、BC35世紀頃に「モーゼスの大移動時代」が起こり、ティカル人はピラミッド派とマウンド派に分離した。

 

モホス文明(年代不明)

 

※上の画像はアマゾン上流の広大なサバンナ地帯に点在する人工の丘のひとつである。この丘は同時に居住空間でもある。ある一定期間、アマゾン上流域が水没すると、この人工の丘は小島の役割を果たす。アマゾン上流域にはこのような丘がいくつも築かれ、それぞれの丘と丘は人工の道で結ばれ、一帯は蜘蛛の巣のような様相を呈している。また、下の画像のように人工池が作られ、生簀として用いられていた。

このモホスの地で、農業、養殖、灌漑設備などの発想が生まれた。モホス文明は科学の種族トバルカインが卓越した科学の発想を得た土地だと考えられるから、およそ2万年~3万年前の産物と考えられる。BC35世紀以降、巨石の種族ティカル人は、このモホス文明を継承し、ここから遥かヨーロッパ、地中海にまでやってきた。もともと巨石建造の種族であるため、ティカル人マウンド派は土木技術に優れていたが、同時に世界の海・河川を自在に往来する航海の達人でもある彼らはフェニキア人と呼ばれた。

 

ニューグレンジ(BC33世紀)

 

※地中海(ビュブロス)、ヨーロッパ(バヴァリア)、アマゾン流域(モホス文明)と世界の海を往来していたマウンド派は、古代アイルランド(ヒベルニア)に偉大な先祖を祀る記念碑としてニューグレンジを建造した。この時にオリエント地方に農業が伝えられた。

 

シルベリーヒル遺跡(BC26世紀)

 

※マウンド派はイングランド・ソールズベリーにシルベリーヒル遺跡を残した。

 

ワカ・プリエタ文化(BC26世紀)

 

※ティカル人マウンド派はアイルランドからペルーに進出し、マウンドの建造を含むワカ・プリエタ文化を残した。

 

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ヒベルニアの王(バビロニア帝国の歴代帝王)

 

・イシュビ・エッラ(生没年不詳) イシン第1王朝初代バビロニア王 在位BC2017~BC1985

・ダミク・イリシュ(生没年不詳) イシン第1王朝第15代バビロニア王 在位BC1816~BC1794

 

・ナプラヌム(生没年不詳) ラルサ朝初代バビロニア王 在位BC2025~BC2005

・リム・シン1世(生没年不詳) ラルサ朝第14代バビロニア王 在位BC1822~BC1763

 

・スム・アブム(生没年不詳) バビロン第1王朝初代王 在位BC1894~BC1881

・ハンムラビ(生没年不詳) バビロン第1王朝第6代王 在位BC1792~BC1750

・サムス・ディタナ(生没年不詳) バビロン第1王朝第11代王 在位BC1625~BC1595

 

・イルマ・イルム(生没年不詳) バビロン第2王朝初代王 在位不明

・エア・ガムイル(生没年不詳) バビロン第12王朝初代王 在位不明

 

※ティカル人マウンド派はバビロニア帝国を築いた。当初のバビロニア帝国はメソポタミアではなく、彼らがニューグレンジを築いたアイルランドに存在していたと考えられる。バビロニアの名の由来はアイルランドの古名ヒベルニアである。ヒベルニア=ビベルニア=バビロニアとなる。

古代アイルランドを拠点にしたバビロニア帝国の勢力図は、地中海(ビュブロス)、ヨーロッパ(バヴァリア)、アイルランド(ヒベルニア)、モホスにまで及んでいた。BC732年以降、バビロニア王位はアッシリア帝国に簒奪されてしまう。

 

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オルメカ文明+カルタゴの王(バビロニア帝国の歴代王)

 

オルメカ文明(BC13世紀)

 

※バビロン第3王朝(カッシート朝)時代のバビロニア王が、オルメカに巨大なマウンドを築いた。これらはオルメカ文明に含まれている。以下がオルメカの王を務めていたバビロニアの王である。

 

・カダシュマン・エンリル2世(生没年不詳) カッシート朝第24代バビロニア王 在位BC1263~BC1255

・クドゥル・エンリル(生没年不詳) カッシート朝第25代バビロニア王 在位BC1254~BC1246

・シャガラクティ・シュリアシュ(生没年不詳) カッシート朝第26代バビロニア王 在位BC1246~BC1233

・カシュ・ティリアシュ4世(生没年不詳) カッシート朝第27代バビロニア王 在位BC1233~BC1225

・エンリル・ナディン・シュミ(生没年不詳) カッシート朝第28代バビロニア王 在位BC1225~BC1224

・カダシュマン・ハルベ2世(生没年不詳) カッシート朝第29代バビロニア王 在位BC1224~BC1233

・アダド・シュマ・イディナ(生没年不詳) カッシート朝第30代バビロニア王 在位BC1233~BC1217

 

ナブー・アプラ・イディナ(?~BC855) バビロン第8王朝第6代王在位 BC888~BC855

非子(?~BC858) 秦初代伯 在位BC900~BC858

 

マルドゥク・バラッス・イクビ(?~BC819) バビロン第8王朝第8代王在位 在位BC855~BC819

秦仲(?~BC822) 秦第4代伯 在位BC844~BC822

 

マルドゥク・ベル・ゼリ(?~BC780) バビロン第8王朝第11代王在位 BC790~BC780

荘公(?~BC778) 秦第5代伯 BC821~BC778

 

襄公(?~BC766) 秦初代公 在位BC777~BC766

エリバ・マルドゥク(?~BC761) バビロン第8王朝第13代王 在位BC769~BC761※画像なし

ディードー(BC839~BC759) カルタゴ初代女王

 

※アッシリアに圧されていたバビロニア第8王朝は徐々に拠点を秦に移していたが、アッシリアがバビロニアの王位を簒奪すると、バビロニアの王族は秦と並行して古代チュニジアに移り、カルタゴを築いた。謎の多いカルタゴだが、卓越した航海術と貿易によってローマと肩を並べる強国として隆盛を極めた。が、ポエニ戦争の頃はタナトス(ガリアのドルイド司祭の一族)に蝕まれ、没落していた。

 

景公(?~BC537) 秦第13代公 在位BC576~BC537

寿夢(?~BC561) 呉初代王 在位BC585~BC561

ハンノ1世(?~BC556) ディードー朝カルタゴ王 在位BC580~BC556

 

※その名前からハンノ1世の一族がウェネト族の正体だと考えられる。ガリアのドルイド司祭の一族が人身御供によってカルタゴ中の有能な青少年を皆殺しにしたため、彼らを嫌悪したハンノ1世は一族郎党を引き連れてカルタゴを後にし、ガリアに移り住んだ。

 

諸樊(?~BC548) 呉第2代王 在位BC560~BC548

畢万(生没年不詳) 魏初代王 在位不明

 

余祭(?~BC544) 呉第3代王 在位BC547~BC544

芒季(生没年不詳) 魏第2代王 在位不明

 

余昧(?~BC527) 呉第4代王 在位BC543~BC527

武子(生没年不詳) 魏第3代王 在位不明

マゴ1世(?~BC530) マゴ朝初代カルタゴ王 在位BC550~BC530

 

※2013年に「フェニキア人の大航海時代」の仮説を立て、フェニキア人、イスラエルの失われた10支族などが参加して西方と東方に向かう大航海時代があったということを電子書籍に認(したた)めた。今まで、歴史を考える時にはその仮説を基本に考えてきたが、ここにきてそれを訂正したいと思う。
歴史を精査してわかったことだが、海洋民族として知られるフェニキア人が指揮する大規模な大移住計画などなくとも、古代の民族は各々が自主的に船団を操り、世界の海を往来していたのだ。
フェニキア人の正体はデウカリオンの一族(マウンド派)だが、彼らはバビロニア帝国末期の時代に中国と地中海に新天地を求め、同時にカルタゴと秦を生んだ。更にその後、カルタゴでマゴ朝が開かれたと同じ頃、中国では呉、魏、韓が生まれた。古事記、日本書紀に登場する天孫族とは、このマゴ朝の歴代王のことであり、多氏とは呉の歴代王のことである。
秦(キン)の由来はメソポタミアの月の神シンだと考えられるが、マゴ朝のマゴ、天孫族の孫(まご)、呉(ウー)と多(おお)の由来はフェニキア文字オメガ(読みは「オー」)であり、魏(ウェイ)の由来はフェニキア文字ペーである。そして韓(ハン)の由来はフェニキアである。フェニキア人は中国と地中海を自在に往来してマゴ朝、呉、魏、韓の王を同時に兼任したが、魏の王位がサトゥルヌスの一族に簒奪されてしまう。この時にサトゥルヌスの一族は、カルタゴ全域に鳥居と神社の原型である人身御供の社「ダリの神殿」を建てた。

 

フェニキア人の王、天孫族の王、多氏の王(秦、マゴ朝、呉、魏、韓の歴代王)

 

(?~BC516) 呉第5代王 在位BC526~BC516

荘子(生没年不詳) 魏第4代王 在位不明

ハスドルバル1世(?~BC510) マゴ朝第2代カルタゴ王 在位BC530~BC510

 

闔閭(?~BC496) 呉第6代王 在位BC515~BC496

献子(生没年不詳) 魏第5代王 在位不明

 

夫差(?~BC473) 呉第7代王 在位BC495~BC473

簡子(生没年不詳) 魏第6代王 在位不明

襄子(生没年不詳) 魏第7代王 在位不明

ハミルカル1世(?~BC480) マゴ朝第3代カルタゴ王 在位BC510~BC480

 

魏駒(?~BC446) 魏第8代王 在位?~BC446

ハンノ2世(?~BC440) マゴ朝第4代カルタゴ王 在位BC480~BC440

 

・韓虎(?~BC425) 韓第10代王 在位?~BC425

 

ヒミルコ1世(?~BC410) マゴ朝第5代カルタゴ王 在位BC460~BC410

韓啓章(?~BC409) 韓第11代王 在位BC424~BC409

 

ハンニバル1世(?~BC406) マゴ朝第6代カルタゴ王 在位BC440~BC406

韓虔(?~BC400) 韓第12代王 在位BC408~BC400

 

ヒミルコ2世(?~BC396) マゴ朝第7代カルタゴ王 在位406~BC396

韓取(?~BC387) 韓第13代王 在位BC399~BC387

 

マゴ2世(?~BC375) マゴ朝第8代カルタゴ王 在位BC396~BC375

韓猷(?~BC377) 韓第14代王 在位BC386~BC377

 

マゴ3世(?~BC344) マゴ朝第9代カルタゴ王 在位BC375~BC344

韓屯蒙(?~BC374) 韓第15代王 在位BC376~BC374

韓若山(?~BC363) 韓第16代王 在位BC374~BC363

 

韓武(?~BC333) 韓第17代王 在位BC362~BC333

ハンノ3世(?~BC340) マゴ朝第10代カルタゴ王 在位BC344~BC340

大ハンノ(?~BC337) ハンノ朝初代カルタゴ王 在位BC340~BC337

ギスコ(?~BC330) ハンノ朝第2代カルタゴ王 在位BC337~BC330

 

韓康(?~BC312) 韓第18代王 在位BC332~BC312

ハミルカル2世(?~BC309) ハンノ朝第3代カルタゴ王 在位BC330~BC309

ボミルカル(?~BC308) ハンノ朝第4代カルタゴ王 在位BC309~BC308

 

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カリンガ国、丁零(ディングリング)、高車(ガオチェ)の王秦、漢皇の歴代皇帝)

 

昭襄王(?~BC251) 秦第3代王 在位BC306~BC251

韓倉(?~BC296) 韓第19代王 在位BC311~BC296

韓咎(?~BC273) 韓第20代王 在位BC295~BC273

 

・孝文王(?~BC250) 秦第4代王 在位BC250

 

荘襄王(?~BC247) 秦第5代王 在位BC249~BC247

韓然(?~BC239) 韓第21代王 在位BC272~BC239

韓安(?~BC230) 韓第22代王 在位BC238~BC230

 

始皇帝(BC259~BC210) 秦初代皇帝 在位BC246~BC210

劉邦(BC256~BC195) 漢初代皇帝 在位BC202~BC195

 

※生年が3年違いだが、始皇帝と劉邦は同一人物だったようだ。漢(ハン)の名の由来はフェニキアである。

 

・恵帝(BC210~BC188) 漢第2代皇帝 在位BC195~BC188

・前少帝(?~BC184) 漢第3代皇帝 在位BC188~BC184

・後少帝(?~BC180) 漢第4代皇帝 在位BC184~BC180

・文帝(BC203~BC157) 漢第5代皇帝 在位BC180~BC157

・景帝(BC188~BC141) 漢第6代皇帝 在位BC157~BC141

・武帝(BC156~BC87) 漢第7代皇帝 在位BC141~BC87

・昭帝(BC94~BC74) 漢第8代皇帝 在位BC87~BC74

・劉賀(BC92~BC59) 漢第9代皇帝 在位BC74~BC59

・宣帝(BC91~BC48) 漢第10代皇帝 在位BC59~BC48

 

秦始皇帝陵(BC221年頃)

 

※ディングリング(丁零)の名はモンゴルの天空神テングリの本名である。高車(ガオチェ)の由来は原初の神カオスで、河内の由来はガオチェである。超古代、オリジナル人類のディンカとムルングが合体してトゥングル族となり、古代にインドネシアに住んでいたが、彼らがシベリアに移住してテングリを生んだ。丁零はこの時代、首長である秦の始皇帝の要請を受けて始皇帝凌を築き、万里の長城の建設にも着手した。

 

元帝(BC74~BC33) 漢第10代皇帝 在位BC48~BC33

赫居世居西干(BC69~4) 新羅初代王 在位BC57~4

 

南解次次雄(?~24) 新羅第2代王 在位4~24

更始帝(?~25) 新初代皇帝 在位23~25

 

※丁零、高車の首長を兼任している元帝はチュルク族を率いて朝鮮半島に新羅(しらぎ)を築いた。シラギの由来はチュルクである。韓国では新羅はシンラと読むが、日本でシラギと読むのは、日本武尊か、或いは河内氏の影響だと考えられる。

おもしろいことに、新羅第2代王が前漢と後漢の間に「新」を開いている。新の由来は新羅だろう。諸葛孔明の一族が中国を訪れたため、抵抗を示す意味で新を築いたが、同じダヴィデの一族であるため、前漢皇帝の一族は後漢を諸葛氏に譲り、新羅の支配に特化したようだ。

 

・奈解尼師今(?~230) 新羅第10代王 在位196~230

・助賁尼師今(?~247) 新羅第11代王 在位230~247

・沾解尼師今(?~261) 新羅第12代王 在位247~261

・味鄒尼師今(?~284) 新羅第13代王 在位261~284

・儒礼尼師今(?~298) 新羅第14代王 在位284~298

・基臨尼師今(?~310) 新羅第15代王 在位298~310

・訖解尼師今(?~356) 新羅第16代王 在位310~356

・奈勿尼師今(?~402) 新羅第17代王 在位356~402

・実聖尼師今(?~417) 新羅第18代王 在位402~417

・訥祇麻立干(?~458) 新羅第19代王 在位417~458

・慈悲麻立干(?~479) 新羅第20代王 在位458~479

・ショウ知麻立干(?~500) 新羅第21代王 在位479~500

・智証麻立干(?~514) 新羅第22代王 在位500~514

 

法興王(?~540) 新羅第23代王 在位514~540※画像なし

ヌルシアのベネディクトゥス(480~547) ベネディクト会教祖

 

※ベネディクトの由来はウェネトである。ウェネト=ヴェネティ=ベネディクトとなる。

 

・真興王(?~576) 新羅第24代王 在位540~576

・真智王(?~579) 新羅第25代王 在位576~579

・真平王(?~632) 新羅第26代王 在位579~632

・善徳女王(?~647) 新羅第27代王 在位632~647

・真徳女王(?~654) 新羅第28代王 在位647~654

・武烈王(?~661) 新羅第29代王 在位654~661

・文武王(?~681) 新羅第30代王 在位661~681

・神文王(?~230) 新羅第31代王 在位681~692

・孝昭王(687~702) 新羅第32代王 在位692~702

 

※奈解尼師今から孝昭王に至る新羅王は日本で日本武尊、或いは河内氏を称した。河内氏は石舞台古墳を築き、一方で現ペルー・ナスカに渡って「軍事国家カワチ」を築き、ピラミッドなどの記念碑も築いた。奈解尼師今から孝昭王に至る23人の新羅王が古墳時代の日本各地で数々の前方後円墳を製作・指揮し、一方でマヤにイサパ文化を残し、また一方でナスカの軍事国家カワチの首長を務めたと考えられる。

 

前方後円墳(AD1世紀~4世紀頃)

 

※日本武尊(新羅王)は熊襲武尊に勝利した後に日本中にマウンド(前方後円墳)を建造した。古墳時代の始まりである。新羅王(日本武尊)は、ついでに九頭龍崇拝の人身御供の神官を務めていた高句麗王・百済王(サトゥルヌスの一族)を皆殺しにしていた。

 

石舞台古墳(年代不明)

 

※新羅王(日本武尊)は、明日香村に石舞台古墳を築いた。河内のだんじり祭りは、巨石の運搬が昇華されたものと考えられる。

 

イサパ文化(AD4世紀頃)

 

※新羅王は極東を離れて太平洋を横断し、マヤに渡った。新羅王(日本武尊)はイサパにマウンドを築いた。しかし、ここでイサパのマウンド派は、再度、ピラミッド派と対立した(この時代のピラミッド派はサトゥルヌスの一族に支配されていた)。だがピラミッド派に敗北した彼らは、マヤを去った。

 

カワチ遺跡(年代不明)

 

※カワチ遺跡は河内氏(新羅王)が築いたが、8世紀頃にナスカを離れて日本・諏訪国に入植してナスカを由来に「根津氏」を名乗るようになる。

 

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聖徳王(?~737) 新羅第33代王 在位702~737

パオロ・ルーチョ・アナフェスト(?~717) ヴェネツィア初代元首 任期697~717

マルチェッロ・テガッリアーノ(?~726) ヴェネツィア第2代元首 任期717~726

オルソ・イパート(?~737) ヴェネツィア第3代元首 任期726~737

 

※第33代新羅王は、初代から第3代までの元首を務め、ヴェネツィア共和国の礎を築いた。ヴェネツィアの由来はフェニキアである。フェニキア=ブェニチア=ヴェネツィアとなる。モホス時代、フェニキア人時代を通して一流の土木技術の集団だったマウンド派は、文字通りヴェネツィアを「建てた」。人が住むことができない湿地帯に無数の杭を打ち込み、その上に街を建てたのだ。

 

プエブロ族の首長(新羅王)

 

・孝成王(?~742) 新羅第34代王 在位737~742

・景徳王(?~765) 新羅第35代王 在位742~765

・恵恭王(?~780) 新羅第36代王 在位765~780

・宣徳王(?~785) 新羅第37代王 在位780~785

・元聖王(?~798) 新羅第38代王 在位785~798

 

※画像はプエブロ族の住居。見ての通り、巨石建造の種族らしく、プエブロ族も土木建築技術に長けている。プエブロの名の由来はビュブロスであり、ホピの名の由来はヘブライ、或いはバビロニア、ヒベルニアである。

 

カホキア遺跡(AD8世紀頃)

 

※孝成王から元聖王までの5人の新羅王はミシシッピ流域に進出し、カホキア遺跡を残した。マウンド派の子孫である新羅王は、これを最後にマウンドの建造を中止した。

 

敬順王(?~935) 新羅第56代王 在位927~935

オルソ・パルテチパツィオ2世(?~932) ヴェネツィア第18代元首 任期912~932※画像なし

 

※敬順王を最後に新羅の拠点はヴェネツィア共和国に移った。ヴェネツィア共和国はヨーロッパ列強の中で唯一魔女狩りを拒否し、タナトスの一族が支配するピサ共和国やジェノヴァ共和国と対立し、覇権を競った。

 

トリブーノ・メンモ(?~991) ヴェネツィア共和国第25代元首 在位979~991

エリク6世(945~995) ユングリング朝初代スウェーデン王 在位975~995

 

※オスマントルコ皇帝の一族のように、ヴェネツィア共和国元首の一族は世界を救う使命を負っていたようだ。元首メンモはスウェーデンに進出し、ユングリング朝を開いている。ユングリングの由来はディングリング(丁零)である。

 

オットーネ・オルセオロ(?~1026) ヴェネツィア共和国第27代元首 在位1009~1026

オーロフ(?~1022) ユングリング朝第2代スウェーデン王 在位995~1022

 

ドメニコ・フラバニコ(?~1043) ヴェネツィア共和国第29代元首 在位1032~1043

アーヌンド・ヤーコブ(?~1050) ユングリング朝第3代スウェーデン王 在位1022~1050

 

ドメニコ・コンタリーニ(?~1071) ヴェネツィア共和国第30代元首 在位1043~1071

エームンド(?~1060) ユングリング朝第4代スウェーデン王 在位1050~1060

ステンキル(?~1066) ステンキル朝初代スウェーデン王 在位1060~1066

エリク7世(?~1067) ステンキル朝第2代スウェーデン王 在位1066~1067

エリク8世(?~1067) ステンキル朝第3代スウェーデン王 在位1066~1067

ハルステン(?~1070) ステンキル朝第4代スウェーデン王 在位1067~1070

 

ドメニコ・セルヴォ(?~1084) ヴェネツィア共和国第31代元首 在位1071~1084

ホーコン(?~1079) ステンキル朝第5代スウェーデン王 在位1070~1079

インゲ1世(?~1084) ステンキル朝第6代スウェーデン王 在位1079~1084

 

※コンタリーニとセメヴォの両元首はステンキル朝を開き、スウェーデン人を正しく導くためにスウェーデン王として君臨し続けた。

 

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ピエトロ・ツィアニ(?~1229) ヴェネツィア第42代元首 任期1205~1229※画像なし

フナク・セエル(生没年不詳) マヤ人将軍※画像なし

マンコ・カパック(?~1230) クスコ王国初代王 在位1200前後

 

※ヴェネツィア共和国元首ピエトロ・ツィアニは、ヴェネツィアを離れて最初にマヤに進出し、フナク・セエルに変身して1221年にチチェン・イツァーの支配者に対する蜂起を指揮し、これを倒した後にマヤパンを築いた。フナクの由来はフェニキアだと考えられる。その後、フナクはマヤを後にインカに移住し、クスコ王国を建設する。

クスコ王国初代王マンコの名の由来は、彼らの先祖丁零が住んでいたモンゴルである。更に、クスコの由来はカシュガルであり、インカの由来はジュンガルである。インカ帝国の重要な名前がモンゴルに因んでいるのがよく分かるだろう。

 

シンチ・ロカ(?~1260) クスコ王国第2代王 在位1230頃

イッズッディーン・アイバク(?~1257) マムルーク朝第2代スルターン 在位1250~1257※画像なし

 

※クスコ王国第2代王の時代、クスコ人はエジプトに進出してマムルーク朝を開いた。クスコ王は代々のマムルーク朝スルターンを兼任した。マムルーク朝第5代スルターンのバイバルスの名はビュブロスに因んでいる。

 

リョケ・ユパンキ(?~1290) クスコ王国第3代王 在位1260~1290

カラーウーン(1220~1290) マムルーク朝第8代スルターン 在位1279~1290

 

カパック・ユパンキ(?~1350) クスコ王国第5代王 在位1320~1350

ムザッファル・ハーッジー(?~1347) マムルーク朝第21代スルターン 在位1346~1347

 

インカ・ロカ(?~1380) クスコ王国第6代王 在位1350~1380

マンスール・アリー(?~1381) マムルーク朝第27代スルターン 在位1377~1381※画像なし

 

パチャクテク(?~1471) インカ帝国初代皇帝 在位1438~1471

ザーヒル・ティムルブガー(?~1468) ブルジー朝第18代スルターン 在位1468

 

トゥパック・インカ・ユパンキ(?~1493) インカ帝国第2代皇帝 在位1471~1493

アシュラフ・カーイトバーイ(?~1495) ブルジー朝第19代スルターン 在位1468~1495

 

ワイナ・カパック(?~1527) インカ帝国第3代皇帝 在位1493~1527

ナースィル・ムハンマド(?~1498) ブルジー朝第20代スルターン 在位1495~1498

ザーヒル・カーンスーフ(?~1499) ブルジー朝第21代スルターン 在位1498~1499

アシュラフ・ジャーンバラート(?~1501) ブルジー朝第22スルターン 在位1499~1501

アーディル・トゥーマーンバーイ(?~1501) ブルジー朝第23代スルターン 在位1501

アシュラフ・カーンスーフ・ガウリー(?~1516) ブルジー朝第24代スルターン 在位1501~1516

アシュラフ・トゥーマーンバーイ(?~1517) ブルジー朝第25代スルターン 在位1516~1517

 

ワスカル(1491~1532) インカ帝国第5代皇帝 在位1527~1532

アンソニー・モンク(1490~1545) フリーメイソン創設※画像なし

 

※インカ皇帝ワスカルはインカ帝国を後にし、極秘にイングランドに移住した。彼はマンコを由来にモンクを称した。アンソニー・モンクに変身したインカ皇帝ワスカルはフリーメイソン(スコットランド、メイソンロッジ)を創設したと考えられる

フリーメイソンの創設者・代表者の名前などは一切不明だが、ティカル人マウンド派の子孫であるアンソニー・モンクが創設したと推測できる。フリーメイソンの名の由来はヘブライの石工(メイソン)である。ヘブライ+メイソン=ブライメイソン=フライメイソン=フリーメイソンとなる。

 

・アタワルパ(1502~1533) インカ帝国第6代皇帝 在位1532~1533

・マンコ・インカ・ユパンキ(1516~1536) インカ帝国第8代皇帝 在位1533~1536

・トゥパック・アマル(?~1572) インカ帝国第11代皇帝 在位1571~1572

 

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トーマス・モンクの子(アンソニーモンクの曾孫)

 

ジョージ・モンク(1608~1670) 初代アルベマール公

シドニー・モンタギュー(?~1644)※画像なし

 

議会派のニューモデル軍に属して少将となり、1647年にアイルランドに出兵して転戦、1649年にアイルランド・カトリック同盟の指導者オーウェン・ロー・オニールと和睦を結んで帰国した。続いて翌1650年に議会派の司令官オリバー・クロムウェルに従いスコットランドへ遠征、第三次イングランド内戦におけるダンバーの戦いでジョン・ランバート・チャールズ・フリートウッドらと連携してスコットランド軍を撃破した後はスコットランド駐留軍の指揮を任され、翌1651年のウスターの戦いの際、スコットランド軍が南下しがら空きになった隙にスコットランド各地を転戦して1652年までにスターリング・ダンディー・アバディーン・オークニー諸島などを占領してスコットランドを平定した。翌1653年にクロムウェルが護国卿に就任すると、スコットランド代表として政権に加わりイングランド共和国の有力者となった。ジョージ・モンクwikiより

 

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シドニー・モンタギュー(ジョージ・モンク)の子

 

エドワード・モンタギュー(1625~1672) 初代サンドウィッチ伯爵

ポペ(1630~1692) プエブロ知事※画像なし

 

魔術の使用による逮捕とその後の釈放に続いて、ポペはプエブロの反乱を計画し、これを指揮した。いくつかの殺人の共犯によってスペイン当局から逃げていた間、ポペはタオス・プエブロの集落で難を避けた。ポペは、スペイン人に対して一斉に蜂起することを命令するその日までの残り日数を意味する結び目を付けた、プエブロ独特の結び目の暗号を持たせた使者を、各プエブロ集落に派遣した。

攻撃の決行日は1680年8月18日と決定された。しかしスペイン人はこれを事前に知ることができた。なぜなら、プエブロにメッセージを伝えるために預けられた、テスケ・プエブロ(現在のテスケの2名の若者を捕らえて聞き出したためである。ポペは、蜂起が計画された日の前の、8月10日、陰謀の実行を命令した。攻撃はタオス、ピクリス、テワによって、それぞれの集落で一斉に開始された。18人のフランシスコ修道士の聖職者、3人の平修士、男女子供合わせて380人のスペイン人が殺された。スペイン人開拓者は唯一のスペイン人の街であるサンタフェと、反逆に参加しなかった数少ない集落のひとつ、イスレタに逃げ込んだ。9月15日、イスレタへの避難民は、自分たちが唯一の生存者であると信じて、エルパソに向けて出発した。その間、ポペの賊はサンタフェの町を囲い込み、水の供給を断ち切った。総督邸を厳重に囲んだアントニオ・デ・オテルミン総督は、これで後退を余儀なくされ、9月21日にスペイン人の移住者たちは首都から一掃されて、エルパソ・デル・ノルテ(現在のシウダー・フアレス)へと向かった。 プエブロの反乱wikiより

 

※エドワードは家族であるプエブロ族を救うためにイングランドからスペイン領コロラドに馳せ参じ、スペイン軍に蜂起してこれを追放した。その後、「ポペの王国」を築いたが、彼の死後、プエブロ族の土地はすぐにスペイン人に占領された。

 

エドワード・モンタギュー(1670~1729) 第3代サンドウィッチ伯爵

 

※エドワードが、イングランドグランドロッジを1717年に設けたと考えられる。その後、サンドウィッチ伯爵が代々のフリーメイソンの頭領を務めたと考えることができる

 

ジョージ・モンタギュー(1773~1818) 第6代サンドウィッチ伯爵

 

※上画像はガウチョである。ガウチョとは、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル南部のパンパ(草原地帯)やアンデス山脈東部に暮らす謎の人々である。彼らの正体はインカ帝国の王族であり、ガウチョの由来はガオチェ(高車)から来ている。ガウチョは勇猛なことで知られ、1806年、1807年に大英帝国軍がブエノスアイレスに侵攻してきた際、イギリス軍を撃退している。ガウチョたちを指揮していたのは第6代サンドウィッチ伯爵ジョージ・モンタギューだと考えられる。

 

ジョン・モンタギュー(1811~1884) 第7代サンドウィッチ伯爵※画像なし

アンリ・ファーブル(1823~1915) 昆虫学者

 

※ファーブルの名の由来はプエブロだと考えられる。プエブロ=プエーブロ=ファーブルとなる。ファーブルの顔も良く見るとヨーロッパ人というよりはアメリカインディアンに似ている。

 

ヴィクター・モンタギュー(1907~1995) 第10代サンドウィッチ伯爵※画像なし

アリストテレス・オナシス(1906~1975) オナシス財閥始祖

 

※オナシスの名の由来はアナサジ(コロラドの部族)だと考えられる。

 

ジョン・モンタギュー(1943) 第11代サンドウィッチ伯爵

アレクサンダー・オナシス(1948~1973)※画像なし

 

※ジョン・モンタギューは、ディズニーランドでサンドウィッチ店を経営しているようだが、その正体はフリーメイソンの頭領かもしれない。

 

 

 



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