目次
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まえがき
新まえがき 2019.12.20
地球の王チュクウ~神統記の巨人ギガース、巨人アグリオス、巨人クリュテイオス、巨人グラティオーン、巨人エウリュトス、巨人ブリアレオース、半人半獣の怪物テュポン、鍛冶の祖トバルカイン
全能神ゼウスの一族~英雄ペルセウス、素戔鳴尊、全能神ゼウス、周、サイス朝、孫子、ソクラテス、臨済宗、リトアニア大公国、明、李氏朝鮮、マイソール王国、ロスチャイルド家、太平天国、サムスン・グループ
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族①~出羽、十和田、イスラエル王国、ダヴィデ朝、テーベ神官都市、太陽神ラー、太陽神アメン、ユダ王国、晋、趙、朴氏、ペグー王朝、能、伊賀忍者、ソ連国家保安委員会
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族②~拓跋部、北魏、吐蕃、回鶻汗国、ヴァイキング、ノルマンディー公、キエフ公国、甲賀忍者、ヴィジャヤナガル王国、スフォルツァ家ミラノ公、ソビエト社会主義共和国連邦
宇宙人トバルカイン(ルハンガ)の一族③~サハラ砂漠、ソドムとゴモラ、プント王国、インダス文明、パーンダヴァ族、英雄アルジュナ、燕、ローマ帝国、諸葛孔明、サファヴィー朝、シク教国、バアス党
宇宙人トバルカイン(オロクン)の一族④~桃源郷、仙人、ラテン王国、ヒッタイト帝国、シュメール都市国家ウルク、アーリア人、魯、孔子、東胡、天狗、匈奴、アラン人、西ゴート王国、ブルガリア帝国、大元帝国
宇宙人トバルカイン(クウォス)の一族⑤~海の民、エジプト第25王朝、プトレマイオス朝、ハザール帝国、イエス・キリスト、グルジア王国、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、ノルディック、ケムトレイル
宇宙人エラドの一族~女神エリウ、ラテン王国、シュメール都市国家ウル、アーリア人、衛、老子、道教、セレウコス朝、カッパドキア王国、橘諸兄、小野妹子、ブルガリア帝国、ブニョロ帝国、ウィルタ族
宇宙人マハラエルの一族~戦闘の女神マッハ、フルリ人、ウラルトゥ王国、イリュリア王国、楼蘭、モラヴィア王国、平将門、平清盛、ムラービト朝、ムワッハド朝、フス派、雑賀衆、ヘーチマン国家、スタジオ・ジブリ
宇宙人スバルの一族~天孫氏、ゼブルン族、シュメール都市国家シッパール、プール族、シバ王国、破壊神シヴァ、楚、鮮卑、ヴァンダル王国、シュリーヴィジャヤ王国、シビル汗国、円谷プロダクション
デウカリオンの一族(マウンド派)~ニューグレンジ、モホス文明、フェニキア人、カルタゴ、天孫族、多氏、秦、呉、前漢、新羅、日本武尊、インカ帝国、ジョージ・モンク、フリーメイソン、オナシス財閥
デウカリオンの一族(ピラミッド派)~ギザのピラミッド、ラムセス3世、曹、テオティワカン宗教都市、越、熊襲武尊、後漢皇帝、魔法使いの神殿、クメール王朝、ムハンマド・アリー朝、チャーリー・チャップリン
ブルガリア皇帝イヴァン・アセン3世の一族~ソロモン1世、エチオピア帝国、クリミア・ハン国、ハルハ部、ケニア共和国、チャック・ベリー、アース・ウィンド&ファイア、ボブ・マーリー、エディ・マーフィー
ブルガリア皇帝イヴァイロの一族~ヴィスコンティ家、メディチ家、クリストファー・コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、イエズス会、フランシスコ・ザビエル、トスカーナ大候国、ローマ教皇フランシスコ
ブルガリア皇帝ゲオルギ2世の一族~オスマントルコ帝国、北元、スペイン無敵艦隊、ロシア帝国、サルディーニャ王国、リンカーン大統領、宰相ビスマルク、怪僧ラスプーチン、エルドアン大統領
オスマントルコ皇帝ムラト2世の一族~イヴァン大帝、チューダー朝イングランド王国、宗教革命、エリザベス女王、清教徒革命、第一次サウード王国、第二次サウード王国、サウジアラビア王国
オスマントルコ皇帝メフメト2世の一族~マクシミリアン1世、バイエルン王国、交響曲の父ハイドン、サド侯爵、文豪ゲーテ、楽聖モーツァルト、ヘミングウェイ、三島由紀夫、シド・バレット、トランプ大統領
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族①~宇佐美定満、蘆名盛氏、柴田勝家、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光、伊達政宗、水戸光圀、乾隆帝
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族②~蘆名盛氏、高山右近、千利休、黒田官兵衛、有馬晴信、宮本武蔵、天草四郎、鄭成功、ヌルハチ、愛新覚羅家
オスマントルコ皇帝オスマン2世の一族~オリバー・クロムウェル、大英帝国、アメリカ合衆国、エドガー・アラン・ポー、オーソン・ウェルズ、ザ・ビートルズ、モンティ・パイソン、レッド・ツェッペリン
オスマントルコ皇帝アフメト3世の一族~ピヨートル大帝、ナポレオン皇帝、モルモン教、ルーズベルト大統領、ケネディ大統領、ザ・ドアーズ、プーチン大統領、ウィキリークス、Qアノン
オスマントルコ皇帝ムスタファ3世の一族~乾隆帝、マイソール王国、宝暦事件、トンブリー朝タイ王国、詩聖タゴール、マハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー
オスマントルコ皇帝セリム3世の一族~道光帝、曽国藩、胡林翼、李鴻章、西郷隆盛、吉田松陰、西太后、大本教、中江兆民、ジャン・コクトー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジェームズ・ディーン、つげ義春
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族①~曽国藩、東郷平八郎、乃木希典、児玉源太郎、袁世凱、黄金栄、蒋介石、小津安二郎、手塚治虫、ジャン・クロード=カリエル、ヴェルナー・ヘルツォーク
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族②~胡林翼、山口春吉、北一輝、大杉栄、鄧小平、ルイス・ブニュエル、サルトル、池田大作、キューブリック、宮崎駿、セックス・ピストルズ、マイケル・ジャクソン
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族③~李鴻章、勝海舟、福沢諭吉、坂本龍馬、張嘯林、杜月笙、黒澤明、田中角栄、習近平国家主席、マーティン・ルーサー・キングJr、ドゥテルテ大統領、橋本龍太郎
オスマントルコ皇帝アブデュルメジト1世の一族~犬養毅、頭山満、義和団の乱、幸徳秋水、文鮮明、大山倍達、田岡一雄、高畑勲、安孫子素雄、梶原一騎、アントニオ猪木、鳥山明、高田延彦、秋元康
オスマントルコ皇帝メフメト5世の一族~孫文、夏目漱石、張作霖、橋本忍、毛沢東、徳田球一、金日成、小沢一郎、金丸信、藤本弘、赤塚不二夫、ジャッキー・チェン、金正恩委員長
特別篇 宇宙人とぼく
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宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族②~拓跋部、北魏、吐蕃、回鶻汗国、ヴァイキング、ノルマンディー公、キエフ公国、甲賀忍者、ヴィジャヤナガル王国、スフォルツァ家ミラノ公、ソビエト社会主義共和国連邦

 

静公(?~BC349) 晋第40代王 在位BC357~BC349

フィレタイロス(?~BC263) ペルガモン王国初代王 在位BC343~BC263


※ユダ王の系譜はペルシア帝国の系譜を築き、晋の系譜はペルガモン王国の系譜を築いた。ペルガモンの名の由来はトバルカインとアメンの組み合わせである。トバルカイン+アメン=バルカメン=ペルガモンとなる。

 

アッタロス1世(?~BC197) ペルガモン王国第3代王 在位BC241~BC197

準王(?~BC195) 馬韓初代王 在位BC220~BC195※画像なし

 

※ペルガモン第3代王の時代に、アッタロス1世はアナトリア半島から朝鮮半島に移った。この時に朴氏、文氏が生まれた。※朴(PARK)、文(MOON)の由来はペルガモンである。ペルガモン=PARKMOON=PARK(朴)+MOON(文)となる。

 

エウメネス2世(?~BC159) ペルガモン王国第4代王 在位BC197~BC159

衛満(?~BC161) 衛氏朝鮮初代王 在位BC194~BC161

 

エウメネス3世(?~BC129) ペルガモン王国第7代王 在位BC133~BC129

氏名不詳(?~BC129) 衛氏朝鮮第2代王 在位BC161~BC129

ニャティ・ツェンポ(?~BC127頃) 吐蕃王朝初代王 在位BC127頃

 

※ペルガモン王エウメネス3世はアナトリア半島を支配しながら衛氏朝鮮の王を兼任し、ダヴィデ朝の土地現チベットに移住して吐蕃王朝初代王に即位した。この時に現在使用されているチベット(トゥボ)の名が生まれた。トゥボの由来はダヴィデである。

 

襄王(?~BC58) 馬韓第7代王 在位BC73~BC58

元王(?~BC33) 馬韓第8代王 在位BC58~BC33

稽王(?~BC17) 馬韓第9代王 在位BC33~BC17

赫居世居西干(?~AD4) 新羅初代王 在位BC69~AD4

 

儒理尼師今(?~57) 新羅第3代王 在位24~57

拓跋毛(生没年不詳) 拓跋初代大人 在位不明

 

※朴氏政権の新羅王族は鮮卑が支配するモンゴルに移住して拓跋部を生んだ。拓跋(ツォボ)の由来は十和田である。十和田=ツォヴァダ=ツォボとなる。

 

・拓跋猗盧(?~316) 代国初代皇帝 在位308~316

・拓跋什翼ケン(?~376) 代国第10代皇帝 在位338~376※北魏皇帝祖父

 

・拓跋珪(?~409) 北魏初代皇帝 在位398~409

・元脩(?~534) 北魏第14代皇帝・東魏初代皇帝 在位532~550

 

拓跋廓(537~557) 西魏第3代皇帝 在位554~556

仲寧徳烏(生没年不詳) 吐蕃王朝第30代王 在位不明

 

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●ヴァイキングの首領(吐蕃王+回鶻可汗+スウェーデン王+キエフ大公

 

・達日寧色(?~618) 吐蕃王朝第31代王 在位579~618

・ナムリ・ソンツェン(?~629) 吐蕃王朝第32代王 在位618~629

・ソンツェン・ガンポ(?~650) 吐蕃王朝第33代王 在位630~650

・グンソン・グンツェン(?~650) 吐蕃王朝第34代王 在位638~650

・マンソン・マンツェン(?~676) 吐蕃王朝第35代王 在位650~676

・ティ・ドゥーソン(?~704) 吐蕃王朝第36代王 在位676~704

 

ティデ・ツグツェン(?~743) 吐蕃王朝第37代王 在位680~743

独解支(?~695) 回鶻部君主 在位680~695

Ivar Vidfamne(?~695) ヴィドファムネ朝初代スウェーデン王 在位655~695

Valdar(生没年不詳) ヴィドファムネ朝スウェーデン王 在位695~?

Randver(?~715) ヴィドファムネ朝スウェーデン王 在位?~715

懐仁可汗(?~747) 回鶻初代可汗 在位744~747

 

牟羽可汗(?~779) 回鶻第3代可汗 在位759~779

Harald Hildetand(?~770) ヴィドファムネ朝スウェーデン王 在位715~770

 

ティソン・デツェン(?~797) 吐蕃王朝第38代王 在位755~797

ムネ・ツェンポ(?~798) 吐蕃王朝第39代王 在位797~798

ムルク・ツェンポ(?~798) 吐蕃王朝第40代王 在位798

奉誠可汗(?~795) 回鶻第6代可汗 在位790~795

 

ティデ・ソンツェン(?~815) 吐蕃王朝第41代王 在位798~815

懐信可汗(?~805) 回鶻第7代可汗 在位795~805

Sigurd Hring(?~804) ムンセー朝初代スウェーデン王 在位770~804

 

※ティデ・ソンツェンの時代、吐蕃王はバルト海に進出し、デーン人撃退のためにヴァイキングとして登場した。ヴァイキングの首長の名は歴史上知られていないが、吐蕃王(回鶻可汗、スウェーデン王)が代々のヴァイキングの首領を兼ねていたと考えられる。ヴァイキングの由来は「魏(ウェイ)の王(キング)」であり、ウイグルの名の由来は「魏(ウェイ)+グル」である。

 

ティツク・デツェン(?~836) 吐蕃王朝第42代王 在位815~836

彰信可汗(?~839) 回鶻第12代可汗 在位832~839

 

ラン・ダルマ(?~842) 吐蕃王朝第43代王 在位836~842

氏名不明(?~840) 回鶻第13代可汗 在位839~840

 

Eric Anundsson(?~882) ムンセー朝第10代スウェーデン王 在位?~882※画像なし

リューリク(830~879) ルーシ初代首長

アスコルド(?~882) キエフ大公

 

※リューリクの正体はスウェーデン王エリク・アヌンドソンだったため、彼が率いた軍団はスウェード人と呼ばれた。

 

Björn Eriksson(?~932) ムンセー朝第11代スウェーデン王 在位882~932

オレグ(?~922) キエフ大公 在位882~922

ロロ(?~925) 初代ノルマンディー公 在位911~925

 

※画像はヴァイキングシップ。デーン人(ダーナ神族の一族)を掃討するため、スウェーデン王ビヨルン・エリクソンはキエフ大公+ノルマンディー公として自身の海軍を指揮した。彼の船団はヴァイキングと呼ばれた。デーン人はヴァイキングの一派とされているが、ヴァイキング(ノルマン人、スウェード人、ワリアギ)はダヴィデの一族であり、デーン人はタナトス(ダーナ神族の一族)であるため、区別するべきだ。ワリアギの名の由来は「チュクウのトバルカイン」である。トバルカイン+チュクウ=バルユク=ワリアギとなる。

 

Ring of Sweden(?~940) ムンセー朝第12代スウェーデン王 在位932~940

イーゴリ1世(?~945) リューリク朝初代キエフ大公 在位913~945

 

リシャール2世(?~1026) 第4代ノルマンディー公 在位996~1026

ウラジーミル1世(?~1015) 第4代キエフ大公 在位978~1015

スヴャトポルク1世(?~1019) 第5代キエフ大公 在位1015~16、1018~19

ベータ1世(?~) カーカティヤ朝初代王 在位1000~1030

 

ヤロスラフ1世(?~) 第6代キエフ大公 在位1017、1019~1054

リシャール3世(?~1027) 第5代ノルマンディー公 在位1026~1027

ロベール1世(?~) 第6代ノルマンディー公 在位1027~1035

 

ロベール1世(1000~1035) 第6代ノルマンディー公 在位1027~1035※画像なし

クヌート1世(995~1035) クヌート帝国初代王 在位1016~1035

イジャスラフ1世(?~1073) 第7代キエフ大公 在位1054~68、69~73、76~78※画像なし

スヴャトスラフ2世(?~) 第9代キエフ大公 在位1073~1075※画像なし

プローラ1世(?~1075) カーカティヤ朝第2代王 在位1030~1075※画像なし

 

※ノルマンディー公ロベール1世は、デンマーク王子クヌート1世に変身してデンマーク、ノルウェー、イングランドの王として北海帝国に君臨した。更に、35歳(或いは40歳)で死んだことにしてインドに移り、カーカティヤ朝を治め、同時にキエフで大公を2代務めた。

 

ギヨーム2世+ウィリアム1世(?~1087) 第7代ノルマンディー公+イングランド王 在位1035~1087

ステンキル(?~1066) ステンキル朝初代スウェーデン王 在位1060~1066※画像なし

エリク7世(?~1067) ステンキル朝第2代スウェーデン王 在位1066~1067※画像なし

エリク8世(?~1067) ステンキル朝第3代スウェーデン王 在位1066~1067※画像なし

ハルステン(?~1070) ステンキル朝第4代スウェーデン王 在位1067~1070※画像なし

ホーコン(?~1079) ステンキル朝第5代スウェーデン王 在位1070~1079※画像なし

ブロット=スヴェン(?~1087) ステンキル朝第7代スウェーデン王 在位1084~1087※画像なし

 

※ノルマン朝イングランド王ウィリアム1世(ギヨーム2世)はスウェーデンで1人7役をこなし、ノルマンディー、ノルマン朝イングランドを治めながらステンキル朝の王としてスウェーデンの民を正しく導いた。

 

ウィリアム2世(1060~1100) ノルマン朝第2代イングランド王 在位1087~1100

インゲ1世(?~1084) ステンキル朝第6代スウェーデン王 在位1079~1105※画像なし

ベータ2世(?~) カーカティヤ朝第3代王 在位1075~1110※画像なし

 

ヘンリー1世(1068~1135) ノルマン朝第3代イングランド王 在位1100~1135

マグヌス1世(?~1134) エストリズセン朝初代スウェーデン王 在位1125~1130

 

ウィリアム・アデリン(1103~1120) イングランド王ヘンリー1世の子

スヴェルケル1世(?~1156) スヴェルケル朝初代スウェーデン王 在位1130~1156

プローラ2世(?~1158) カーカティヤ朝第4代王 在位1110~1158

 

※ホワイトシップで遭難の際、ウィリアム・アデリンは死亡したと伝えられるが、実際にはスウェーデンに向かい、スヴェルケル1世としてスウェーデン王に即位した。17歳で死んだとされるウィリアムはスウェーデン王として53歳まで生き、同時にカーカティヤ朝を治めた。

 

ルドラマ・デーヴィー(?~1262) カーカティヤ朝第7代王 在位1262~1296

六角泰綱(1213~1276) 六角氏始祖

 

※カカティヤ朝第7代王ルドラマ・デーヴィーは日本に進出して六角氏を生んだ。六角の由来は偉大な先祖リューリクとカーカティヤの組み合わせである。リューリク+カーカティヤ=リクカー=六角となる。また、六角氏は甲賀忍者の頭領でもある。甲賀の由来はカーカティヤである。

 

プラターパルドラ2世(?~) カーカティヤ朝第9代王 在位1296~1326

ハリハラ1世(?~1356) ヴィジャヤナガル王国初代王 在位1336~1356

 

※カーカティヤ朝最後の王はヴィジャヤナガル王国を築き、初代王となった。以後、甲賀忍者の頭領は歴代のヴィジャヤナガル王が務めた。つまり、甲賀忍者の正体はインド人だった。一方、伊賀忍者の正体はタイ人(西アフリカ人)だった。

 

甲賀忍者の首領(歴代のヴィジャヤナガル王)

 

・ブッカ1世(?~1377) ヴィジャヤナガル王国第2代王 在位1356~1377

・ハリハラ2世(?~1404) ヴィジャヤナガル王国第3代王 在位1377~1404

・ヴィルーパークシャ1世(?~1405) ヴィジャヤナガル王国第4代王 在位1404~05

・ブッカ2世(?~1406) ヴィジャヤナガル王国第5代王 在位1405~1406

・デーヴァラーヤ1世(?~1422) ヴィジャヤナガル王国第6代王 在位1406~1422

・ブッカ3世(?~1424) ヴィジャヤナガル王国第7代王 在位1422~1424

・デーヴァラーヤ2世(?~1446) ヴィジャヤナガル王国第8代王 在位1424~1446

・デーヴァラーヤ3世(?~1465) ヴィジャヤナガル王国第9代王 在位1446~1465

・ヴィルーパークシャ2世(?~1485) ヴィジャヤナガル王国第10代王 在位1465~85

・プラウダラーヤ(?~1486) ヴィジャヤナガル王国第11代王 在位1485~1486

 

・サールヴァナラシンハ・デーヴァラーヤ(?~1491) ヴィジャヤナガル王国第12代王 在位1486~91

・インマディ・ナラシンハ・ラーヤ(?~1505) ヴィジャヤナガル王国第13代王 在位1491~05

 

・ヴィーラナラシンハラーヤ(?~1509) ヴィジャヤナガル王国第14代王 在位1505~09

・クリシュナデーヴァラーヤ(?~1529) ヴィジャヤナガル王国第15代王 在位1509~29

・アチュタデーヴァラーヤ(?~1542) ヴィジャヤナガル王国第16代王 在位1529~42

・ヴェンカタ1世(?~1542) ヴィジャヤナガル王国第17代王 在位1542

・サダーシヴァラーヤ(?~1569) ヴィジャヤナガル王国第18代王 在位1542~1569

 

ティルマラデーヴァラーヤ(?~1572) ヴィジャヤナガル王国第19代王 在位1569~72

杉谷善住坊(?~1573) 甲賀忍者

 

シュリーランガ1世(?~1586) ヴィジャヤナガル王国第20代王 在位1572~1586

鵜飼孫六(1502~1582) 甲賀忍者

 

・ヴェンカタ2世(?~1614) ヴィジャヤナガル王国第21代王 在位1586~1614

・シュリーランガ2世(?~1614) ヴィジャヤナガル王国第22代王 在位1614

・ジャッガラーヤ(?~1617) ヴィジャヤナガル王国第23代王 在位1614~1617

・ラーマデーヴァラーヤ(?~1630) ヴィジャヤナガル王国第24代王 在位1617~1630

・ヴェンカタ3世(?~1642) ヴィジャヤナガル王国第25代王 在位1630~1642

・シュリーランガ3世(?~1649) ヴィジャヤナガル王国第26代王 在位1642~1649

 

※ヴィジャヤナガル王国が滅ぶと、ヴィジャヤナガルの王族は日本に移住し、同じチュクウのトバルカインに属する伊賀忍者と同様に徳川幕府の御庭番を務めることになる。その後、甲賀隠者は伊賀忍者と共に優性遺伝子ブリーダーとして働くことになる。

 

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メクレンブルク朝初代スウェーデン王アルブレクトの子

 

アルブレヒト5世(1397~1423) メクレンブルク=シュヴェリーン公※画像なし

フランチェスコ・スフォルツァ(1401~1466) スフォルツァ家初代ミラノ公 在位1450~1466

カシム1世(?~1490) アストラ・ハン国初代ハーン 在位1466~1490

 

フランチェスコ2世スフォルツァ(?~1535) スフォルツァ家第10代ミラノ公 在位1521~1535

カシム2世(?~1532) アストラ・ハン国第6代ハーン 在位?~1532

イスラーム1世ギレイ(?~1532) アストラ・ハン国第7代ハーン 在位1531~1532

アククベク(?~1533) アストラ・ハン国第8代ハーン 在位1532~1533

アブドゥル・ラフマン(?~1537) アストラ・ハン国第9代ハーン 在位1533~1537

 

デルヴィシュ(?~1556) アストラ・ハン国第10代ハーン 在位1537~39、1554~56

イスカンダル・ハン(?~1583) シャイバーニー朝ブハラ・ハン国第10代ハーン 在位1561~1583

 

※シャイバーニー朝は王安石の一族(タナトス)の王朝だったが、アストラ・ハン国のデルヴィシュが1556年に死んだことにし、イスカンダル・ハンに変身して1561年からシャイバーニー朝第10代ハーンとしてブハラに遷都することでタナトスの系譜を断ち切った。

 

アブドゥッラー2世(?~1598) シャイバーニー朝ブハラ・ハン国第11代ハーン 在位1583~1598

バーキー・ムハンマド(?~1605) ジャーン朝ブハラ・ハン国初代ハーン 在位1599~1605

 

サイイド・ムザッファルッディーン・ハーン(?~1885) マンギト朝第7代ブハラ・ハン国アミール 在位1860~85

David Leontyevich Bronstein(1847~1922) トロツキー父

 

アブドゥル・アハド・ハーン(?~1910) マンギト朝第8代ブハラ・ハン国アミール 在位1885~1910

コンスタンチン・ツィオルコフスキー(1857~1935) ロケット研究・物理学者

 

1903年に発表した彼の代表的な論文である『反作用利用装置による宇宙探検)』の中で人工衛星や宇宙船の示唆、多段式ロケット、軌道エレベータなどの考案や、宇宙旅行の可能性としてロケットで宇宙に行けることを証明した業績から「宇宙旅行の父」と呼ばれる。

また1897年には「ロケット噴射による、増速度の合計と噴射速度と質量比の関係を示す式」である「ツィオルコフスキーの公式」を発表し、今日におけるロケット工学の基礎を築いたが生涯の大半はカルーガで孤独に暮らしていたため、存命中にツィオルコフスキーの業績が評価されることはなかった。コンスタンチン・ツィオルコフスキーwikiより

 

アーリム・ハーン(1880~1944) マンギト朝第9代ブハラ・ハン国アミール 在位1910~1920

レフ・トロツキー(1879~1940) ソビエト共和国革命軍事会議議長

ヨシフ・スターリン(1878~1958) ソビエト連邦第2代最高指導者 任期1924~1953

 

※一般的にトロツキーとスターリンは考え方が似ていると言われるが、2人はアーリム・ハーンの影武者として生まれた異母兄弟なのでそれも当然だろう。

 

ヤーコフ・スターリン(1906~?) スターリン長男※画像なし

セルゲイ・コロリョフ(1907~1966) スプートニク計画主導者

レオニード・ブレジネフ(1906~1982) ソビエト連邦第5代最高指導者 任期1964~1982

ニコライ・ポドゴルヌイ(1903~1983) ソビエト連邦最高会議幹部会議長※画像なし

イーゴリ・クルチャトフ(1903~1960) ソ連核物理学者、原子爆弾開発プロジェクト責任者

ゲオルギー・マレンコフ(1902~1988) ソビエト連邦第3代最高指導者 任期1953※画像なし

 

※宇宙人(科学の種族トバルカイン)の血を継ぐコロリョフやマレンコフらのおかげで、タナトスの一族に属するハリー・トルーマン大統領(西本願寺門主寂如の一族)の原子爆弾による世界制覇を防止することが出来た。

 

コンスタンティン・クザコフ(1911~1996) スターリン非嫡出子※画像なし

ドミトリー・ウスチノフ(1908~1984) ソビエト連邦国防大臣

コンスタンティン・チェルネンコ(1911~1985) ソビエト連邦第7代最高指導者 任期1984~1985ヴィクトル・グリシン(1914~1992) モスクワ共産党第一書記※画像なし

ゲオルギー・フリョロフ(1913~1990) ソ連物理学者・原子爆弾開発提言

 

ドミトリー・ウスチノフは半世紀にわたり、ソ連軍需産業の育成と運営にあたり、冷戦時代のソ連をアメリカと並ぶ軍事大国に押し上げるのに巨大な役割を果たした。

 

ワシーリー・スターリン(1921~1962) スターリン次男

グリゴリー・ロマノフ(1923~2008) ゴルバチョフ最大のライバル

 

※2人は良く似ているので同一人物だろう。

 

Shahmurad(1922~?) アーリム・ハーンの子※画像なし

Artyom Sergeyev(1921~2008) スターリン養子

アンドレイ・サハロフ(1921~1989) ソ連水爆の父

 

次いで水爆開発に従事し、1953年8月12日に「ソ連初の水爆」の実験(RDS-6)を成功させた(実際にはこの時使われたのは原子爆弾の亜種であったとされるが、本当の意味でのソ連初の水爆となったRDS-37のプロジェクトにも携わっている)。この功績により、サハロフは32歳の若さでソ連科学アカデミーの正会員となる。 アンドレイ・サハロフwikiより

 

 

 


宇宙人トバルカイン(ルハンガ)の一族③~サハラ砂漠、ソドムとゴモラ、プント王国、インダス文明、パーンダヴァ族、英雄アルジュナ、燕、ローマ帝国、諸葛孔明、サファヴィー朝、シク教国、バアス党

 

テーバイ王国(1万3千年前)※画像はサハラ砂漠

 

ルハンガのトバルカインは超科学を継承し、現サハラ砂漠にテーバイ王国を築いた。気仙沼の河童(ケシャンボ)はルハンガのトバルカインと合体し、スバル人(サハラの語源)となった。カゾオバ+トバルカイン=ゾオバル=ソバル=スバルとなる。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

・ルーベン族(BC35世紀頃)

・レビ族(BC35世紀頃)

・ゼブルン族(BC35世紀頃)

 

※イスラエル王国時代、テーバイ王国(現サハラ砂漠)はイスラエル王国(葦原中津国と高天原)と同盟を組んだ。そのため、ルハンガのトバルカインはルーベン族・レビ族と呼ばれ、スバル人はゼブルン族と呼ばれた。ルーベン・レビの名の由来はルハンガであり、ゼブルンの由来はスバルである。

 

黄帝(BC35世紀頃)

 

※夏王朝治世下の古代中国~シベリアにかけては、冥界神エルリク(マハラエル)、蚩尤(スバル人)、神農(ゼウス+オロクンのトバルカイン)が勢力を振るっていた。ルハンガのトバルカインは黄帝(ファン)と呼ばれた。ファンの由来はルハンガである。

神農と夏王朝の力が弱くなると、預言者ナタンの一族に操られた蚩尤とミャオ族(マハラエル)は黄帝と戦火を交える。マハーバーラタ戦争のような超科学を駆使した戦争が起きたと考えられる。これが「タク鹿の戦い」である。

 

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インダス文明の礎

 

・シバ王国(BC32世紀頃)

・プント王国(BC32世紀頃)

 

※BC32世紀頃、超科学の種族ルハンガのトバルカインとスバル人が築いたテーバイ王国(現サハラ砂漠)、アルパクシャデの名に因んだソドム国(チャド・スーダン地域)、クマルビの名に因んだゴモラ国(カッパドキア)にタナトスの一族が蔓延った。ルハンガのトバルカインとスバル人は、タナトスの一族をみな殺しにするためにタナトスやタナトスの街を核分裂させた。これが「ソドムとゴモラ」である。

これにより、北アフリカは完全な砂漠と化し、カッパドキア地域も砂漠化した。しかしかつては緑深く、豊かな河川に彩られた北アフリカのソドムとゴモラ後の惨状を目にし、心が痛んだルハンガのトバルカインは超科学を放棄する決意をし、現サハラを離れてパンジャブに根を下ろした。

一方、スバル人は超科学を継承しつつシバ王国を築き、ルハンガのトバルカインはプント王国を築いた。この2つの王国は連合体だったため、パンジャブの由来となった。プント+シバ=プンシヴァ=パンジャブとなる。

 

・雷神インドラ(BC32世紀頃)

 

・破壊神シヴァ(BC32世紀頃)

 

※超科学を継承していたスバル人は雷神インドラ、破壊神シヴァとも呼ばれた。インドラの名の由来はパンドラである。パンドラはヒンドゥーの由来でもある。

テーベ神官都市のダヴィデの一族はこの時にパンジャブに赴いて、シバ王国、プント王国を築いた兄弟ルハンガのトバルカインとスバル人を援助した。この時にいわゆる「インダス文明」が始まり、同時に、テーベ神官都市のダヴィデの一族は善神デーヴァと呼ばれた。以下がインダス文明を築き、善神デーヴァと呼ばれたエジプト第11王朝、第13王朝、第18王朝のファラオたちである。

 

インダス文明の王(エジプト第11王朝、第13王朝、第18王朝の歴代ファラオ)

 

・メンチュヘテプ1世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位?~BC2134

・アンテフ1世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・アンテフ2世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・アンテフ3世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ2世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ3世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

・メンチュヘテプ4世(?~BC2134) エジプト第11王朝初代王 在位

 

・セベクヘテプ1世(?~BC1800) エジプト第13王朝初代王 在位BC1803~BC1800

・セネブエフ(?~BC1796) エジプト第13王朝第2代王 在位BC1800~BC1796

・アメンエムハト5世(?~BC1793) エジプト第13王朝第3代王 在位BC1796~BC1793

・アメンエムハト6世(?~BC1785) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1788~BC1785

・セベクヘテプ2世(?~BC1750頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1750頃

・ホル(?~BC1760頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1760頃

・アメンエムハト7世(?~BC1770頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1770頃

・ウハエフ(?~BC1757) エジプト第13王朝ファラオ 在位?~BC1757

・ケンジェル(生没年不詳) エジプト第13王朝ファラオ 在位不明

・アンテフ4世(?~BC1750頃) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1750頃

・セベクヘテプ3世(?~BC1741) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1745~BC1741

・ネフェルヘテプ1世(?~BC1730) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1741~BC1730

・セベクヘテプ4世(?~BC1720) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1730~BC1720

・アイ(?~BC1677) エジプト第13王朝ファラオ 在位BC1700~BC1677

 

・イアフメス1世(?~BC1546) エジプト第18王朝初代王 在位BC1570~BC1546

・アメンヘテプ1世(?~BC1524) エジプト第18王朝第2代王 在位BC1551~BC1524

・トトメス1世(?~BC1518) エジプト第18王朝第3代王 在位BC1524~BC1518

・トトメス2世(?~BC1504) エジプト第18王朝第4代王 在位BC1518~1504

・ハトシェプスト(?~BC1483) エジプト第18王朝第5代王 在位BC1498~BC1483

・トトメス3世(?~BC1450) エジプト第18王朝第6代王 在位BC1504年~BC1450

・アメンヘテプ2世(?~BC1419) エジプト第18王朝第7代王 在位BC1453~BC1419

・トトメス4世(?~BC1386) エジプト第18王朝第8代王 在位BC1419~1386

・アメンヘテプ3世(?~BC1349) エジプト第18王朝第9代王 在位BC1386~BC1349

・ホルエムヘブ(?~BC1293) エジプト第18王朝第14代王 在位BC1321~BC1293

 

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・パーンダヴァ王国(BC11世紀)

・アルジュナ王子(BC11世紀)

・太陽神ヴィシュヌ(BC11世紀)

 

※画像は「マハーバーラタ戦争」の図。公式には、伝説のシバ王国とプント王国は古代アフリカに存在したとされている。しかし、実際にはシバ王国とプント王国はパンジャブ地方に存在していたと考えられる。その証がパンジャブの名前である。

両者は同盟していたのか、パーンダヴァと呼ばれた。パーンダヴァの由来はパンジャブと同じで、プントとシバの組み合わせである。プント+シバ=プンシバ=パンジャブとなり、プント+シバ=プントバ=パーンダヴァとなる。

タナトスの一族(アッシュール・ダン1世の一族、ティールタンカラの一族、デウスの一族)がパーンダヴァ王国簒奪の機会を狙っていたが、テーベ神官都市に住む善神デーヴァ(エジプト第18王朝ファラオ)の一族がパーンダヴァ族の王子アルジュナに超科学で出来た武器を授け、いわゆる「マハーバーラタ戦争」が勃発した。

この時にヴィシュヌが生まれた。ヴィシュヌの由来はシヴァとアルジュナの組み合わせである。シヴァ+アルジュナ=ヴァジュナ=ヴィシュヌとなる。「マハーバーラタ戦争」では、善神デーヴァがタナトスとその街を核分裂させたため、巨大な核爆発が起きた。これにより、パンジャブ地方・アフガン(パーンダヴァ王国)、メソポタミア(ラテン王国)は砂漠地帯と化した。

この後、ルハンガのトバルカインはスバル人と共に中国に移住して燕と楚を築いた。燕(エン)の由来はインドラであり、楚(シュ)の由来はスバルである。

 

 ●インダス文明の王(燕の歴代王)

 

・燕侯克(生没年不詳) 燕初代王 在位BC1100年頃

・燕侯旨(生没年不詳) 燕第2代王 在位不明

・燕侯舞(生没年不詳) 燕第3代王 在位不明

・燕侯憲(生没年不詳) 燕第4代王 在位不明

・燕侯和(生没年不詳) 燕第5代王 在位不明

 

・恵侯(?~BC827) 燕第10代王 在位BC864~BC827

・釐侯(?~BC791) 燕第11代王 在位BC826~BC791

・頃侯(?~BC767) 燕第12代王 在位BC790~BC767

・哀侯(?~BC765) 燕第13代王 在位BC766~BC765

・鄭侯(?~BC729) 燕第14代王 在位BC764~BC729

・繆侯(?~BC711) 燕第15代王 在位BC728~BC711

・宣侯(?~BC698) 燕第16代王 在位BC710~BC698

・桓侯(?~BC691) 燕第17代王 在位BC697~BC691

・荘公(?~BC658) 燕第18代王 在位BC690~BC658

・襄公(?~BC616) 燕第19代王 在位BC657~BC616

・桓公(?~BC602) 燕第20代王 在位BC617~BC602

・宣公(?~BC587) 燕第21代王 在位BC601~BC587

・昭公(?~BC574) 燕第22代王 在位BC586~BC574

・武公(?~BC555) 燕第23代王 在位BC573~BC555

・文公(?~BC549) 燕第24代王 在位BC554~BC549

・懿公(?~BC545) 燕第25代王 在位BC548~BC545

・恵公(?~BC536) 燕第26代王 在位BC544~BC536

・悼公(?~BC529) 燕第27代王 在位BC535~BC529

・共公(?~BC524) 燕第28代王 在位BC528~BC524

・平公(?~BC505) 燕第29代王 在位BC523~BC505

 

※燕初代王の燕侯克から燕第29代王の平公までがインダス文明の王を務めたと考えられる。

 

・桓公(?~BC362) 燕第35代王 在位BC372~BC362

・文公(?~BC333) 燕第36代王 在位BC361~BC333

・易王(?~BC321) 燕第37代王 在位BC332~BC321

・燕王カイ(?~BC318) 燕第38代王 在位BC320~BC318

・子之(?~BC314) 燕第39代王 在位BC317~BC314

・昭王(?~BC279) 燕第40代王 在位BC312~BC279

・恵王(?~BC272) 燕第41代王 在位BC278~BC272

・武成王(?~BC258) 燕第42代王 在位BC271~BC258

・孝王(?~BC255) 燕第43代王 在位BC257~BC255

・燕王喜(?~BC222) 燕第44代王 在位BC254~BC222

 

※燕が秦によって滅ぶと、ルハンガのトバルカインはスバル人と共にインドに拠点を移し、シュンガ朝マウリヤ朝マガダ王国を開いた。シュンガの由来はスバルとルハンガの組み合わせと考えられる。スバル+ルハンガ=スンガ=シュンガとなる。

 

・プシャミトラ(?~BC149) シュンガ朝初代マウリヤ王 在位BC185~BC149

・アグニミトラ(?~BC141) シュンガ朝第2代マウリヤ王 在位BC149~BC141

・ヴァースジェーシタ(?~BC131) シュンガ朝第3代マウリヤ王 在位BC141~BC131

・ヴァースミトラ(?~BC124) シュンガ朝第4代マウリヤ王 在位BC131~BC124

・アンドラカ (?~BC122) シュンガ朝第5代マウリヤ王 在位BC124~BC122

・プリンダカ(?~BC119) シュンガ朝第6代マウリヤ王 在位BC122~BC119

・ゴシャ(?~BC108) シュンガ朝第7代マウリヤ王 在位BC119~BC108

・ヴァジュラミトラ(?~BC94) シュンガ朝第8代マウリヤ王 在位BC108~BC94

 

バーガバードラ(?~BC83) シュンガ朝第9代マウリヤ王 在位BC94~BC83

ガイウス・ユリウス・カエサル(BC130~BC85) カエサル父


※カエサルの父はインド・サカ王朝を築いた。その後、息子カエサルもインド・サカ王朝を統治した。

 

デーヴァブーティ(?~BC68) シュンガ朝第10代マウリヤ王 在位BC83~BC68

マウエス(?~BC60) インド・サカ王朝初代王 在位BC90~BC60
ヴォノネス(?~BC65) インド・サカ王朝第2代共同王 在位BC75~BC65
スパラホレス(?~BC65) インド・サカ王朝第2代共同王 在位BC75~BC65
アゼス1世(?~BC35) インド・サカ王朝第5代共同王 在位BC57~BC35※画像なし
アズィリセス(?~BC35) インド・サカ王朝第5代共同王 在位BC57~BC35※画像なし

ユリウス・カエサル(BC100~BC44) ローマ共和国将軍
ティベリウス・クラウディウス・ネロ(BC85~BC33) ローマ皇帝ティベリウス父※画像なし


※カエサルは死んだことにして、死んだ後もインドでインド・サカ王朝を支配した。


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ユリウス・カエサル+ティベリウス・クラウディウス・ネロの子

 

アウグストゥス(BC63〜AD14) ローマ帝国初代皇帝 在位BC27〜AD14
アゼス2世(?〜BC12) インド・サカ王朝 在位BC35〜BC12※画像なし
諸葛豊(?〜?)


※アウグストゥスはカエサルの養子と言われているが、実子である。力のある男の場合、よその女に産ませた実子を養子として家に迎えることは多かった。

 


ティベリウス(BC42〜AD37) ローマ帝国第2代皇帝 在位14~37
大ドルスス(BC38〜AD9) ローマ帝国軍人※画像なし


なお、イエス・キリストが世に出、刑死したときのローマ皇帝である。イエスの言葉である「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」(新約マタ 22:17-21、マコ12:14-17、ルカ 20:22-25)の「カエサル」とは、ティベリウスないし彼を含めた(皇帝の称号としての) カエサル(=ローマ皇帝)一般のことである。 wikiより

 

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ローマ皇帝ティベリウス+大ドルススの子

 

小ドルスス(BC14~AD23)

 


クラウディウス(BC10〜AD41) ローマ帝国第4代皇帝 在位41~54


母方の祖父が第2回三頭政治主催者の一人であるアントニウスであり、父方の祖母が初代皇帝アウグストゥスの後妻リウィアである。また、アウグストゥス帝その人も母方の祖母の弟、つまり大叔父にあたる。さらに、父である大ドルススの兄が第2代皇帝ティベリウスで、実弟が第3代皇帝カリグラの父ゲルマニクス、加えて最後の妻にして第5代皇帝ネロの母である小アグリッピナは姪に当たる。このように4親等以内に元首政初期のローマ国政の重要人物が集中するユリウス・クラウディウス家の一員に生まれている。しかし後述のように、身体的ハンデから一族中では疎まれ、長らく公務に関与することは出来なかった。wikiより


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小ドルススの子

 


ティベリウス・ゲメッルス(AD19〜AD38)※画像なし
カリグラ(AD12〜AD37) ローマ帝国第3代皇帝 在位37~41


短い在位期間に、カリグラは壮大な建設事業と領土の拡大に力を注いだ。また最高権力者としての威信を高めることに努め、彼を打ち倒そうと繰り返される陰謀から自身の地位を懸命に守りつづけたが、元老院も関与した陰謀により、41年にプラエトリアニ(親衛隊)の一部将校らによって暗殺された。その治世を通じてローマ市民からは人気が高かったが、現存する後代の史料ではいずれも、カリグラは狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖や性的倒錯の持ち主であったとしている。しかし現存する一次史料の数は少なく、カリグラの治世の実態には不明な点が多い。w
ikiより


※「カリグラは狂気じみた独裁者」「残忍」「浪費癖がひどい」「性的倒錯の持ち主」などの言葉はドルイド司祭による汚名着せである。


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第4代ローマ皇帝クラウディウスの子

 

クラウディウス・ドルスス(AD16〜AD20)※画像なし
ウェスパシアヌス(9〜79) フラウィウス朝初代ローマ皇帝 在位69〜79


ローマ帝国の皇帝。ユリウス・クラウディウス朝断絶後の四皇帝内乱の時代(68年6月 - 69年12月)に終止符を打ち、自らの血統に基づくフラウィウス朝を創始した。 wikiより


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ローマ皇帝ウェスパシアヌスの子

 


ティトゥス(39〜81) フラウィウス朝第2代ローマ皇帝 在位79〜81※画像なし

プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス・アフェル(?~85)※画像なし
ネルウァ(35〜98) ネルウァ=アントニヌス朝初代ローマ皇帝 在位96〜98※トラヤヌス父


フラウィウス朝断絶後の混乱の中で皇帝に即位したが、老齢で跡継ぎが望めなかった為に腹心であるトラヤヌスを王朝の後継者とした。以降、トラヤヌスの親族達により帝位は継承されていった為、新王朝成立の重要な契機を与えた存在でありながら歴代君主と血縁関係にないという特異な立場を持つ事になった。 ネルウァwikiより

 

ドミティアヌス(51〜96) フラウィウス朝第3代ローマ皇帝 在位81〜96
トラヤヌス(53〜117) ネルウァ=アントニヌス朝第2第ローマ皇帝 在位98〜117


ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝である。文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。 トラヤヌスwikiより

 

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プブリウス・アエリウス・ハドリアヌス・アフェル(ローマ皇帝ティトゥス)の子

 

ハドリアヌス(76~138) ネルウァ=アントニヌス朝第3第ローマ皇帝 在位117~138

マルクス・アンニウス・ウェルス(?~124) マルクス・アウレリウス父

ナハパナ(?~124) 西クシャトラパ初代王 在位119~124

 

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マルクス・アンニウス・ウェルスローマ皇帝ハドリアヌスの子

 


マルクス・アウレリウス(121〜180) ネルウァ=アントニヌス朝第4第ローマ皇帝 在位161〜180

諸葛珪(?〜187)※画像なし
ルドラシムハ1世(?〜188) 西クシャトラパ第7代王 在位175〜188※画像なし


※マルクス・アウレリウスは諸葛氏の祖である。諸葛の名の由来はチュクウである。チュクウ=ジューグー=ジューガー(諸葛)となる。


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ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの子

 

コンモドゥス(161~192) ネルウァ=アントニヌス朝第7代ローマ皇帝 在位180~192

ジヴァダーマン(~199) 西クシャトラパ第6代王 在位197~199

諸葛玄(?〜197)※画像なし


徐州琅邪郡陽都県(現在の山東省臨沂市沂南県)の諸葛氏の一族。兄は諸葛珪。甥は諸葛瑾・諸葛亮、族子は諸葛誕。諸葛一族の頭領的存在でもあった。 wikiより

 

マルクス・アンニウス・ウェルス(162~169)※画像なし

ダーマジャダスリ2世(?~239) 西クシャトラパ第12代王 在位232~239※画像なし
諸葛瑾(174〜241)


201年、諸葛瑾は歩騭、厳畯と倶に呉中に游び、共に声名を著わし、当時の英俊とされた。wikiより

 

ヴィジャヤセーナ(?~250) 西クシャトラパ第15代王 在位239~250

諸葛亮/諸葛孔明(181〜252)
諸葛均(182〜264)※画像なし

諸葛誕(?~258)※画像なし
孫権(182〜252) 呉初代皇帝

 

後漢末の群雄の1人である劉備の挙兵に当初から付き従った人物で、その人並み外れた勇猛さは下述の通り中原に轟いた。その武勇は後世にも称えられ、小説『三国志演義』を始めとした創作作品でも多くの脚色を加えて取り上げられており、現在でも中国や日本を中心にその人柄を大いに親しまれている。 諸葛亮wikiより

 

幼い時に父と生母の章氏が亡くなり、兄の諸葛亮と共に従父(叔父)の諸葛玄を頼った。やがて、その叔父も劉繇と争い、笮融が煽動した西城の住民反乱で戦死すると、諸葛亮と共に荊州の劉表を頼った。 以降は兄と南陽郡の隆中で暮らしたが、後に諸葛亮が劉備に仕えると、彼も劉備の家臣となった。長水校尉にまで昇進した。諸葛均 wikiより

 

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諸葛誕女の子

 

司馬覲(256~290)

 

西晋の琅邪王司馬伷の子。母は諸葛太妃(諸葛誕の娘)か。妻は夏侯荘の娘。子に司馬睿(東晋の元帝)、東安王・司馬渾。諡号は恭王。 太康4年(283年)に父が急死したために王位を継承する。この際に父の遺命に従って3名の弟に領土を分封してそれぞれを王とした。冗従僕射に任命されるが、太熙元年(290年)に35歳で急逝した。長男の司馬睿が後を継いだ。 wikiより

 

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司馬覲の子

 

司馬睿(276~323) 東晋初代皇帝 在位317~322

 

司馬紹(299~325) 東晋第2代皇帝 在位322~325

カアブ・イブン・ルーアヴィ(305~?) ハーシム家

 

※東晋皇帝、司馬紹はハーシム家の祖である。由来は中国語「ハオシマ(好司馬)」である。

 

司馬徳宗(382~419) 東晋第10代皇帝 在位404~418

カリブ・イブン・ムラー(372~?) ハーシム家


・司馬徳文(386~421) 東晋最後の皇帝 在位418~420

 

知的障害とされる同母兄の安帝と異なり、英明な資質があったと評される。劉裕が安帝を殺害して簒奪しようとしているのを察知し、常に安帝の傍にいたが、義熙4年(418年)、司馬徳文が不在の際に安帝は殺害された。その後、劉裕により皇帝として擁立されたが、これはもはや禅譲の布石としての傀儡に過ぎなかった。そして結局、元熙2年(420年)に劉裕に禅譲することを余儀無くされた。こうして東晋は滅亡し、新たに劉裕(高祖武帝)による宋王朝が成立したのである。この時、「晋氏(東晋)はとうに滅んでいたはずだった、何を恨むことがあろう」と言ったと『晋書』にはある。 司馬徳文は宋によって零陵王に封じられたが、翌年殺害された。 wikiより

 

司馬茂英(393~439) 司馬徳文の子

クアジ・イブン・カリブ(400~480) ハーシム家

 

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クアジ・イブン・カリブ(司馬茂英)の孫

 

・アブド・アル=ムッタリブ(497~578) マホメット祖父

・アブダラー・イブン・アブディル=ムッタリブ(546~579) マホメット父

 

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(570~632) イスラム教の祖

 

※ハーシム家からはマホメットが生まれた。成長したマホメットは、日頃から生贄の儀式に嫌悪を示していた。マホメットは商人として成功して財を蓄え、それから生贄の神アラーを簒奪し、正義の神アラーをイスラム教の唯一神として甦らせた。

アラビアには朝鮮半島から来たタナトスが君臨していたため、アラーは朝鮮語に由来していた。「処女の娘を生贄として捧げろ。さもないと皆殺しだ。アラ(わかったか)?」「アラー(わかりました)」ということである。「アラ」とは朝鮮語で「了解」を意味する。怒り心頭のマホメットは、アラビア半島に巣食っていたタナトスと信者たちを駆逐し、皆殺しにした。アラビア半島の生贄集団に関しては「悪い顔」を参照してください。

 

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・アリー・イブン・アビー・ターリブ(600~661) イスラーム教第4代正統カリフ、シーア派初代イマーム

・フサイン・イブン・アリー(625~680) イスラーム・シーア派第3代イマーム 

・ジャアファル・サーディク(702~765) シーア派・イマーム派第6代イマーム

 

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ジャアファル・サーディクの子

 

イスマイール・イブン・ジャアファル(719~762) シーア派・イマーム派第7代イマーム

サッファーフ(722~754) アッバース朝初代カリフ 在位750~754

 

ムティー(914~974) アッバース朝第23代カリフ 在位946~974

グントラム金満公(920頃~973) ハプスブルグ家祖

 

※ハプスブルグの由来はアッバースとブルグ(城?)の組み合わせである。ラテン地方ではハプスブルグをアプスブルゴと呼ぶ。

 

カーイム(1001~1075) アッバース朝第26代カリフ 在位1031~1075※画像なし
トゥグリル・ベク(990~1063) セルジューク・トルコ帝国初代皇帝 在位1038~1063

アルベルト・アッツォ2世デステ(996~1097) エステ家祖

 

※後ウマイヤ朝末期の王アブド・アッラフマーン4世は、イベリア半島を脱出し、オリエント地方に根付いてトゥグリル・ベクを名乗った。ベクはセルジューク・トルコ帝国の初代王に即位した。

 

アフマド・サンジャル(1086~1157) セルジューク・トルコ帝国第8代皇帝 在位1118~1157

ムスタルシド(?~1135) アッバース朝第29代カリフ 在位1118~1135

ラーシド(?~1136) アッバース朝第30代カリフ 在位1135~1136

ムクタフィー(?~1160) アッバース朝第31代カリフ 在位1136~1160

 

ムスタンジド(1124~1170) アッバース朝第32代カリフ 在位1160~1170※画像なし

ヴェルナー2世(?~1167) ハプスブルグ伯

 

ザーヒル(1175~1226) アッバース朝第35代カリフ 在位1225~1226※画像なし

ルドルフ2世(?~1232) ハプスブルグ伯

 

ムスタンスィル(1192~1242) アッバース朝第36代カリフ 在位1226~1242※画像なし

アルベルト4世(1188~1239) ハプスブルグ伯

 

ルドルフ1世(1218~1291) ハプスブルグ朝初代神聖ローマ皇帝 在位1273~1291

オビッツォ2世(?~1293) 初代フェラーラ・モデナ・レッジョ侯爵 在位1264~1293

 

ハーキム1世(?~1302) カイロ・アッバース朝初代カリフ 在位1262~1302※画像なし

アルブレヒト1世(1255~1308) 跳躍選挙時代第2代ハプスブルグ神聖ローマ皇帝 在位1298~1308

サフィー・アッディーン(1252~1334) サファヴィー教団教主

 

ムウタディド2世(?~1441) カイロ・アッバース朝第12代カリフ 在位1414~1441※画像なし

アルブレヒト2世 (1397~1439) ハプスブルグ朝初代神聖ローマ皇帝 在位1438~1439

 

ムタワッキル2世(?~1497) カイロ・アッバース朝第16代カリフ 在位1479~1497

フリードリヒ3世(1415~1493) ハプスブルグ朝第2代神聖ローマ皇帝 在位1440~1493

 

ムタワッキル3世(?~1517) カイロ・アッバース朝第18代カリフ 在位1508~1517

マクシミリアン1世(1459~1519) ハプスブルグ朝第3代神聖ローマ皇帝 在位1493~1519

シャイフ・ハイダル(1459~1488) イスマーイール1世父

 

アルフォンソ1世(1476~1534) 第3代フェラーラ・モデナ・レッジョ公爵 在位1505~1534

グル・ナーナク(1468~1539) シク教初代グル 在位1468~1539

 

イスマーイール1世(1487~1524) サファヴィー朝初代シャー 在位1501~1524

 

エルコレ2世(?~1559) 第4代フェラーラ・モデナ・レッジョ公爵 在位1534~1559

カール5世(1500~1556) ハプスブルグ朝第4代神聖ローマ皇帝 在位1519~1556

グル・アンガド(?~1552) 第2代シク教グル 在位1539~1552

 

グル・アマル・ダース(?~1574) 第3代シク教グル 在位1552~1574※画像なし

タフマースブ1世(1514~1576) サファヴィー朝第2代シャー 在位1524~1576

 

アルフォンソ2世(1533~1597) 第5代フェラーラ・モデナ・レッジョ公爵 在位1559~1597

イスマーイール2世(1537~1578) サファヴィー朝第3代シャー 在位1576~1577

 

グル・ラーム・ダース(?~1581) 第4代シク教グル 在位1574~1581

ムハンマド・ホダーバンデ(?~1588) サファヴィー朝第4代シャー 在位1578~1588

 

マティアス(1557~1619) ハプスブルグ朝第8代神聖ローマ皇帝 在位1612~1619

チェーザレ・デステ(1561~1628) 初代モデナ・レッジョ公爵 在位1597~1628

 

フランチェスコ1世(1610~1658) 第3代モデナ・レッジョ公爵 在位1629~1658

グル・ハルゴービンド(1595~1644) 第6代シク教グル 在位1606~1644

サフィー1世(1610~1642) サファヴィー朝第6代シャー 在位1629~1642

 

アルフォンソ4世(1634~1662) 第4代モデナ・レッジョ公爵 在位1658~1662

グル・ハル・ラーイ(?~1661) 第7代シク教グル 在位1644~1661

アッバース2世(1632~1666) サファヴィー朝第7代シャー 在位1642~1666

 

フランチェスコ2世(1660~1694) 第5代モデナ・レッジョ公爵 在位1662~1694※画像なし

グル・ゴービンド・シング(1666~1708) 第10代シク教グル 在位1675~1708

スルターン・フサイン(1668~1726) サファヴィー朝第9代シャー 在位1694~1722

 

タフマースブ2世(1704~1732) サファヴィー朝第10代シャー 在位1722~1732※画像なし

カリーム・ハーン(1705~1779) ザンド朝初代シャー 在位1750~1779

 

・アッバース3世(1732~1736) サファヴィー朝第11代シャー 在位1732~1736

・スライマーン2世(1714~1750) サファヴィー朝第12代シャー 在位1749~1750

 

イスマーイール3世(1733~1773) サファヴィー朝第13代シャー 在位1750~1773

シャー・ルフ(1734~1796) アフシャール朝第4、6代シャー 在位1748~1796

 

ルトフ・アリー・ハーン(1769~1794) ザンド朝第8代シャー 在位1789~1794※画像なし

フランチェスコ4世(1779~1846) 第9代モデナ・レッジョ公爵 在位1814~1846

ランジート・シング(1780~1839) シク教国初代王 在位1801~1839

 

ルドルフ(1822) フランチェスコ4世の子

フランチェスコ5世(1819~1875) 第10代モデナ・レッジョ公爵 在位1846~1859

ナウ・ニハール・シング(1821~1840) シク教国第3代王 在位1839~1840

 

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シク教国第6代王ドゥリープ・シングの子

 

アルバート・ドゥリープ・シング(1879~1893)※画像なし

アリ・スレイマン・アル=アサド(1875~1963) アサド家祖

 

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アウグステ・フォン・バイエルンの子(オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の孫)

 

ヨーゼフ・フランツ(1895~1957)※画像なし

ラシッド・アリ・アッ=ガイラニ(1892~1965)

 

マティアス(1904~1905)※画像なし

ザキー・アル=アルスーズィー(1900~1968) 秘密結社アラブ・バアス首領

 

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エリーザベト・フランツィスカの子(フランツ・ヨーゼフ1世の曾孫)

 

マリー・ヴァレリー(1913~2011)画像なし

ミシェル・アフラク(1910~1989) バアス主義思想

サラーフッディーン・アル=ビータール(1912~1980) シリア首相

アクラム・アル=ホーラーニー(1912~1996) アラブ連合共和国共同副大統領

 

クレメンティーネ(1914~1941)※画像なし

アブドルカリーム・カーシム(1914~1963) イラク共和国初代首相

アブドッラフマーン・アーリフ(1916~2007) イラク共和国第3代首相

 

エリーザベト(1917~1979)画像なし

アブドッサラーム・アーリフ(1921~1966) イラク共和国第2代首相

 

※アブドッサラーム・アーリフは、ハーシム王政打倒クーデター(7月14日革命)の際にイラク軍将校として主導的な役割を果たした。東本願寺門主実如の一族ハーシム家を皆殺しにした。

 

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フーベルト・ザルヴァトールの子(オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世曾孫)

 

フリードリヒ(1927~1999)※画像なし

ハフェズ・アル=アサド(1930~2000) 第12代シリア共和国大統領 任期1971~2000

 

1967年の第3次中東戦争でゴラン高原を失うと、バアス党内ではジャディード党地域指導部書記長率いる急進派と穏健・現実主義派が対立し、アサド(当時国防相)がリーダーとなった穏健派が1969年2月28日の政変で実権を握った。ハフェズ・アル=アサドwikiより

 

アンドレアス(1936)※画像なし

ムハンマド・フセイン・ファドラッラー(1935~2010) レバノンのシーア派イスラーム最高位権威法学者

サッダーム・フセイン(1937~2006) イラク共和国第三共和政第2代大統領 任期1979~2005

 

ヨーゼファ(1937)※画像なし

アリー・ハーメネイー(1939) 第3代イラン大統領 任期1981~87 第2代最高指導者 在位1989~現在

 

イラン・イスラム共和国の第2代最高指導者。第3代イラン・イスラム共和国大統領。日本ではハメネイ師と表記されることが多い。 1979年のイラン・イスラム革命後、革命会議議員、国防次官、イスラム革命防衛隊司令官、大統領、最高国防会議議長を歴任した。1989年6月3日、イランの最高指導者に選出された。 wikiより

 

マルクス(1946)※画像なし

モハンマド・ハータミー(1943) 第5代イラン大統領 任期1997~2005

 

経済政策的には統制経済派に属した。当時のイランではバーザール商人や高位ウラマーを支持基盤とし、イスラーム体制を厳格に維持しようとする自由経済派と、台頭する中間層や中低位ウラマーを支持基盤とし、文化開放を主張する統制経済派があった。前者はアリーアクバル・ナーテグヌーリーに代表される「テヘランの闘うウラマー協会」、後者はキャッルービーに代表される「テヘランの闘うウラマー集団」を組織し、ハータミーは「闘うウラマー集団」の創立者の一人である。 wikiより

 

ミヒャエル(1949)※画像なし

ハサン・ロウハーニー(1948) 第7代イラン大統領 任期2013~現在

 

現イラン大統領(第7代)。現公益判別会議戦略研究センター長(1992年 -)、現公益判別会議議員(1991年 -)、現専門家会議議員(1999年 -)。元国会副議長(4期、5期)、元国家安全保障最高評議会書記(1989年 - 2005年)、元核問題交渉責任者(2003年 - 2005年)。イラン政界にあって穏健派とされるハーシェミー・ラフサンジャーニー(第4代イラン大統領)の側近として知られる。 wikiより

 

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ハフェズ・アル=アサドの子

 

バースィル・アル=アサド(1962~1994)

ハサン・ナスルッラーフ(1960) レバノン・イスラムの抵抗議長※画像なし

 

バッシャール・アル=アサド(1965) 第13代シリア共和国大統領 任期2000~現在

 

2000年6月10日に父ハーフィズが死去すると翌日陸軍大将に昇進、軍最高司令官に任命され、6月18日にはバアス党書記長に就任。7月10日に信任を問う国民投票を実施し、7月17日に後継大統領に就任した。 バッシャール・アル=アサドwikiより

 

※東西本願寺は、アサド家の人々がダヴィデの一族の血筋ということを知っているため、一族の一部を暗殺し、メディアを利用してアサド政権を弾圧している。

 

 

 


宇宙人トバルカイン(オロクン)の一族④~桃源郷、仙人、ラテン王国、ヒッタイト帝国、シュメール都市国家ウルク、アーリア人、魯、孔子、東胡、天狗、匈奴、アラン人、西ゴート王国、ブルガリア帝国、大元帝国

 

タップ・オ・ノス(1万3千年前)

 

オロクンのトバルカインは超科学を継承し、大地殻変動後は凍結した南極(五岳神の国)を離れて古代スコットランドに移った。彼らはタップ・オ・ノスに住んだ。タップ・オ・ノス(Tap O' Noth)の意は「北のテーベ」である。

 

※画像は竜飛岬。彼らは、超科学を追及していたが、BC5千年頃のトロイア戦争+マートゥーレスの戦いの折、ダーナ神族の一族がタップ・オ・ノスに侵入したため、科学の悪用を阻止するために施設を核分裂で爆破した。その後、オロクンのトバルカインは出羽国を訪れ、竜飛岬(由来はタップ)周辺に国を作る。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

・神農(BC35世紀頃)

 

※オロクンのトバルカイン(仙人)は古代中国に夏王朝(キア)を築いたが、スイスに拠点を持っていたゼウスと連合した。彼らの連合は中国の神の名として現在に伝えられている。神農(シェンノン)である。神農の由来はシュシャン(スーサ)とカナン(アルキュオネウス)の組み合わせである。つまり、夏王朝は中国からスイスにまで続く巨大な王国だった。

 

※画像は仙人が棲む桃源郷。オロクンのトバルカインは超科学の力で中国の山奥深くに住んでいた彼らは「仙人」と呼ばれた。

黙示録アルマゲドンでは、預言者ナタンの一族や彼らが支配する街を核分裂で焼き尽くすが、巨大な罪悪感に襲われてしまい、超科学の放棄を決意し、チュクウのトバルカインに全てを託してアーリア人となる。アーリアの由来はアルキュオネウスである。

 

黙示録アルマゲドン※画像はタクラマカン砂漠の中にある火焔山

 

※オロクンのトバルカインは、預言者ナタンの一族が築いたソロモン朝やサウル朝の街を核分裂で消滅させ、全てを灰塵に帰した。しかし、それにより、タクラマカン砂漠やゴビ砂漠が生まれた。その後、巨大な罪悪感を覚えたオロクンのトバルカインは超科学の放棄を決意し、全てをチュクウのトバルカインに譲り渡した。

 

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・ラティヌス(BC32世紀頃)

・ラテン王国(BC32世紀頃)

・都市国家ウル(BC32世紀頃)

 

※画像はヴォルガ河である。伝説のラテン王国が存在したのはイタリアではない。ラテン王国の範図は広大であり、北はヴォルガ流域・ウラル山脈、西はバルカン半島、東はアルタイ山脈・オルドス(中国)、南はメソポタミア・インドにまで広がっていた。つまり、メソポタミア文明や黄河文明をも内包していた巨大王国だった。

ラティヌスの由来はエラドとアルキュオネウスの組み合わせである。エラド+アルキュオネウス=ラドネウス=ラティヌス=ラテンとなる。オロクンのトバルカインは預言者ナタンの一族とその街を核分裂させて消滅させた当人だが、その「黙示録アルマゲドン」を機に、オロクンのトバルカインは巨大な罪悪感によって超科学を放棄し、ウラル山脈に移り住んでエラドと共にラティヌス(ラテン王国)を生んだ。

この時にオロクンのトバルカインがウラルを訪れた際、初めてヴォルガ河はヴォルガと呼ばれ、バルカン半島もバルカンと呼ばれた。ヴォルガ、バルカンの由来はトバルカインである。トバルカイン=トヴァルガイン=ヴォルガとなり、トバルカイン=バルカイン=バルカンとなる。

 

●アーリア人(ティールタンカラの一族)

 

・バーラタ族(BC32世紀)

・トリツ族(BC32世紀)

・マツヤ族(BC32世紀)

・パルシュ族(BC32世紀)

 

・クル族(BC32世紀)

 

●アーリア人(デウスの一族)

 

・ダーサ族(BC32世紀)

 

●アーリア人(オロクンのトバルカインの一族)

 

・アヌ族(BC32世紀)

・ドルヒユ族(BC32世紀)

・パニ族(BC32世紀)

・バラーナ族(BC32世紀)

・ブリグ族(BC32世紀)

・プール族(BC32世紀)

・アリナ族(BC32世紀)

 

※アーリア人とはラテン王国の住人のことである。アーリアの由来はエリウである。エリウ=エーリウ=アーリアとなる。ブリグの由来はトバルカインであるが、他の部族は地名を冠している。アヌ、パニの由来はヴァナラシであり、ドルヒユの由来はトロイアであり、バラーナの由来はヴァラナシである。

ラテン王国は、タナトスの一族の国々に隣接していた。古代ヨーロッパにはカピラバストゥ・バルト(ティールタンカラの一族)、アイギュプトス・ハルシュタット(預言者ナタンの一族)、ダナイス(タナトスの一族)の王国があり、中央アジアには預言者ナタンの一族の国ミディアン(ミタンニ王国+大宛)、黒海にはカンボージャ・ガンダーラ(デウスの一族)、インドにはデカン(ティールタンカラの一族)、中国には殷(サトゥルヌスの一族)などの王国があった。

 

太陽の女神アリンナの神官(ヒッタイト帝国の歴代王)

 

・パンバ(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC22世紀初頭

・ピトハナ(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC18世紀

・ピユシュティ(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC17世紀

・アニッタ(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC17世紀

・トゥドハリヤ(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC17世紀

・シャルマ(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC1600

 

・ラバルナ1世(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC1600頃

・ハットゥシリ1世(?~BC1566) ヒッタイト王 在位BC1586~BC1556

・ムルシリ1世(?~BC1526) ヒッタイト王 在位BC1556~BC1526

・ハンティリ1世(?~BC1496) ヒッタイト王 在位BC1526~BC1496

・ツィダンタ1世(?~BC1486) ヒッタイト王 在位BC1496~BC1486

・アンムナ(?~BC1466) ヒッタイト王 在位BC1486~BC1466

・フッツィヤ1世(?~BC1461) ヒッタイト王 在位BC1466~BC1461

・テリピヌ(生没年不詳) ヒッタイト王 在位BC1460頃

 

※オロクンのトバルカインは、アリナ族(アーリア人)でもあったが、ヒッタイト帝国に太陽の女神アリンナの崇拝を確立した。上記のヒッタイト王が太陽の女神アリンナの神官を務めた。

 

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海の民

 

・アカイワシャ人(BC13世紀) チュクウ+ウェシュシュ
・ウェシュシュ人(BC13世紀) クウォス+シュシャン
・シェクレシュ人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ+クウォス
・チェケル人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ
・トゥルシア人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ+シュシャン
・ルカ人(BC13世紀) アルキュオネウス

 

※画像は海の民のレリーフ。タナトスの一族に属する海の民(デニエン人、シェルデン人)以外の6種の海の民はトバルカインとゼウスの一族で構成されていた。海の民は、「クウォスのトバルカイン」に掲載されているルカイ族の男のような顔をしていたと考えられる。オロクンのトバルカインはルカ人と呼ばれた。

 

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仙人(魯歴代王)

 

※「黙示録アルマゲドン」の際、巨大な罪悪感のために超科学を自ら放棄したオロクンのトバルカインだったが、エラドと共にラテン王国を築くと、その時に再度、超科学の継承を決めた。中国に移住した彼らは再び超科学の力で仙人として生きた。仙人の長は、魯国の歴代王が務めた。

 

・伯禽(?~BC997) 魯初代王 在位BC1042~BC997

・考公(?~BC993) 魯第2代王 在位BC996~BC993

・煬公(?~BC987) 魯第3代王 在位BC992~BC987

・幽公(?~BC974) 魯第4代王 在位BC987~BC974

・魏公(?~BC924) 魯第5代王 在位BC973~BC924

・厲公(?~BC887) 魯第6代王 在位BC923~BC887

・献公(?~BC855) 魯第7代王 在位BC886~BC855

・真公(?~BC826) 魯第8代王 在位BC854~BC826

・武公(?~BC816) 魯第9代王 在位BC825~BC816

・懿公(?~BC807) 魯第10代王 在位BC815~BC807

 

閔公(?~BC660) 魯第17代王 在位BC661~BC660

氏名不明(生没年不詳) 東胡初代王 在位不明

 

※画像は鞍馬山僧正坊。閔公の時代、魯の王は内モンゴル東部~満州にかけて東胡(トングー)を築いた。以下の第18代王から第23代王までの魯王は東胡の王を兼任した。また、オロクンのトバルカインはスバル人と共に修験道を体系化した。修験道の由来は楚(シュ)と熊(キャン)の組み合わせである。

楚はスバル人とオロクンのトバルカインが築いた共同国家であり、スバル人の名から楚(シュ)と命名し、楚の歴代王はアルキュオネウス(オロクンのトバルカイン)を由来に熊(キャン)を名乗った。シュ+キャン=シュキャン=修験となる。

第18代王から第23代王までの魯王は東胡の王だけでなく、修験道の指導者をも兼ねた。東胡(トングー)の王でもあった魯の王は、天狗(てんぐ)と呼ばれた。

彼らが厳しい修行に励むのは、自分たちが科学力の悪用をしないためである。宇宙人は生物の思考を読み、宇宙の果てまで飛び出し、瞬間移動を行い、生物だろうと無生物だろうと、地球上のすべての物質を操ることが出来る。ともすれば、たまにドラえもんの道具を悪用するのび太のように、宇宙人も、好きな女を操ったり、イヤなやつを操ったりしたいと思う。しかし、そのような発想は相手だけでなく、自身にも破滅を招くことを、彼らはよく知っている。その弱い心を正し、精神を律するために彼らは日本の山岳地帯で日夜厳しい修行に取り組んでいるのだ。

まず、彼らは山を女人禁制にした。復讐心の強い下界の人間が自分たちの血を継いだとき、冴えた頭で何をやらかすか分からない。復讐心と優れた頭脳の組み合わせは、確実に破滅を招くからだ。天狗は、ともすれば地球を破壊してしまいかねない凄まじい科学の力と、その科学の悪用を防止する、超科学の番人である。

 

・僖公(?~BC627) 魯第18代王 在位BC659~BC627

・文公(?~BC609) 魯第19代王 在位BC626~BC609

・宣公(?~BC591) 魯第20代王 在位BC608~BC591

・成公(?~BC573) 魯第21代王 在位BC590~BC573

・襄公(?~BC542) 魯第22代王 在位BC572~BC542

・昭公(?~BC510) 魯第23代王 在位BC541~BC510

 

定公(BC556~BC495) 魯第24代王 在位BC509~BC495※画像なし

孔子(BC552~BC479) 儒教教祖

 

※魯の第24代王定公が孔子に変身し、儒教を説いた。以下の第25代王から第34代王までの魯王は、儒教の指導者を兼任することとなる。

 

・哀公(?~BC468) 魯第25代王 在位BC494~BC468

・悼公(?~BC437) 魯第26代王 在位BC467~BC437

・元公(?~BC416) 魯第27代王 在位BC436~BC416

・穆公(?~BC383) 魯第28代王 在位BC415~BC383

・共公(?~BC353) 魯第29代王 在位BC382~BC353

・康公(?~BC344) 魯第30代王 在位BC352~BC344

・景公(?~BC323) 魯第31代王 在位BC343~BC323

・平公(?~BC303) 魯第32代王 在位BC322~BC303

・文公(?~BC280) 魯第33代王 在位BC302~BC280

・頃公(?~BC256) 魯第34代王 在位BC279~BC256

 

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・頭曼単于(?~BC209) 匈奴初代単于 在位?~BC209

・冒頓単于(?~BC174) 匈奴第2代単于 在位BC209~BC174

・老上単于(?~BC160) 匈奴第3代単于 在位BC174~BC160

・軍臣単于(?~BC126) 匈奴第4代単于 在位BC160~BC126

・伊稚斜単于(?~BC114) 匈奴第5代単于 在位BC126~BC114

・烏維単于烏維(?~BC105) 匈奴第6代単于 在位BC114~BC105

・児単于(?~BC102) 匈奴第7代単于 在位BC105~BC102

・コウ犁湖単于(?~BC102) 匈奴第8代単于 在位BC102

・且テイ侯(?~BC96) 匈奴第9代単于 在位BC102~BC96

・狐鹿姑単于(?~BC85) 匈奴第10代単于 在位BC96~BC85

・壺衍テイ単于(?~BC68) 匈奴第11代単于 在位BC85~BC68

・虚閭権渠単于(?~BC60) 匈奴第12代単于 在位BC68~BC60

・握衍クテイ単于(?~BC58) 匈奴第13代単于 在位BC60~BC58

 

※魯が滅ぶと、オロクンのトバルカインはモンゴルに築いた基盤、東胡に移り、新規に「匈奴」を生んだ。匈奴(きょんぬ)の名の由来はアルキュオネウスである。アルキュオネウス=キュオネ=きょんぬ(匈奴)となる。

匈奴は分裂時代(西匈奴、東匈奴)を経て北匈奴、南匈奴に分かれるが、南匈奴はアラン人と呼ばれることになる。以下の南匈奴の歴代単于はアラン人の王をも兼ねていた。アラン人はやがてローマ皇帝の座に就く。

セウェルス朝(193~211)、軍人皇帝時代(238~284)、テトラルキア時代(311~337)、コンスタンティヌス朝(337~364)、ウォレンティアヌス朝(364~392)、テオドシウス朝(379~457)の約300年間に渡ってガリアのドルイド司祭の一族とローマ皇帝の座を争ってきた。そこから進展して西ゴート王国をイベリア半島に築くことになる。

 

アラン人の王(歴代南匈奴単于)

 

・醢落尸逐テイ単于(?~56) 南匈奴初代単于 在位48~56

・丘浮尤テイ単于(?~57) 南匈奴第2代単于 在位56~57

・伊伐於慮テイ単于(?~59) 南匈奴第3代単于 在位57~59

・醢僮尸逐侯テイ単于(?~63) 南匈奴第4代単于 在位59~63

・丘除車林テイ単于(?~63) 南匈奴第5代単于 在位63

 

・呼蘭若尸逐就単于(?~147) 南匈奴第14代単于 在位143~147

・伊陵尸逐就単于(?~172) 南匈奴第15代単于 在位147~172

・屠特若尸逐就単于(?~178) 南匈奴第16代単于 在位172~178

・呼徴単于(?~179) 南匈奴第17代単于 在位178~179

・羌渠単于(?~188) 南匈奴第18代単于 在位179~188

 

持至尸逐侯単于(?~195) 南匈奴第19代単于 在位188~195※画像なし

セプティミウス・セウェルス(146~211) セウェルス朝初代ローマ皇帝 在位193~211

 

呼廚泉単于(?~216) 南匈奴第20代単于 在位195~216※画像なし

カラカラ(186~217) セウェルス朝第2代ローマ皇帝 在位198~217

 

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アルカディウス(377~408) テオドシウス朝第2代ローマ皇帝 在位383~408※画像なし

アラリック(375~410) 西ゴート王国初代王 在位395~410

アタウルフ(375~414) 西ゴート王国第2代王 在位410~415※画像なし

 

ホノリウス(384~423) テオドシウス朝第3代ローマ皇帝 在位393~423

シゲリック(?~415) 西ゴート王国第3代王 在位415

ワリア(?~418) 西ゴート王国第4代王 在位415~418※画像なし

 

ウォレンティアヌス3世(419~455) テオドシウス朝第7代ローマ皇帝 在位424~455※画像なし

テオドリック1世(?~451) 西ゴート王国第5代王 在位418~451

 

リウィウス・セウェルス(?~465) 第4代西ローマ皇帝 在位461~465※画像なし

テオドリック2世(?~466) 西ゴート王国第7代王 在位453~466

 

ユリウス・ネポス(430~480) 第8代西ローマ皇帝 在位474~475

エウリック(440~484) 西ゴート王国第8代王 在位466~484

エール(?~491) サセックス王国初代王 在位477~491

 

アマラリック(502~531) 西ゴート王国第11代王 在位511~531※画像なし

チェルディッチ(?~534) ウェセックス王国初代王 在位519~534

 

レオヴィギルド(?~586) 西ゴート王国第17代王 在位568~586

エシュウェネ(?~587) エセックス王国初代王 在位527~587

 

※サクソンの由来は諸葛(ジューガー)の孫(スン)だと考えられる。ジューガー+スン=シュカスン=サクソンとなる。サクソン人はサセックス王国(南のサクソン)、エセックス王国(東のサクソン)、ウェセックス王国(西のサクソン)を築いた。

 

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伝説のブニョロ帝国の帝王(ブルガリア帝国の歴代皇帝)

 

小野妹子(6世紀後半)

ゴストゥン(?~605) エルミ朝初代ブルガリア王 在位603~605※画像なし

氏名不明(生没年不詳) ブニョロ帝国初代王 在位不明※画像なし

 

※小野妹子が初代王ゴスティンに変身し、ブルガリア帝国を築いたと考えられる。ブルガリアの名の由来はトバルカインとアーリアの組み合わせである。トバルカイン+アーリア=バルカリア=ブルガリアとなる。

小野妹子はブルガリアを統治しながら同時に東アフリカに進出し、伝説のブニョロ帝国を築いた。ブニョロ帝国の王の系譜は不明だが、ブルガリア帝国の王がブニョロ帝国の王を兼任していたので、ブルガリア皇帝の系譜を見れば明らかである。ブニョロの由来はヴァナラシである。

 

クブラト(?~665) ドゥロ朝初代ブルガリア王 在位605~665

エゼルウェルホ(?~665) サセックス王国最後の王 在位660~665

 

バトバヤン(?~668) ドゥロ朝第2代ブルガリア王 在位665~668

レケスウィント(610~672) 西ゴート王国第29代王 在位649~672

 

アスパルフ(?~700) ドゥロ朝第3代ブルガリア王 在位668~700

エギカ(?~702) 西ゴート王国第32代王 在位687~702

 

テルヴェル(?~721) ドゥロ朝第4代ブルガリア王 在位700~721

アギラ2世(695~714) 西ゴート王国第35代王 在位711~714

アルド(?~718) 西ゴート王国第36代王 在位714~718

 

コルメシイ(?~738) ドゥロ朝第5代ブルガリア王 在位721~738※画像なし

カール・マルテル(686~741) フランク王国宰相※ピピン3世父

 

橘諸兄(684~757) 初代橘氏長者

セヴァル(?~753) ドゥロ朝第6代ブルガリア王 在位738~753

Áed Allán(?~743) ハイ・キング 在位730~738

 

吉備真備(695~775)

Domnall Midi(700~763) ハイ・キング 在位739~758

 

橘奈良麻呂(721~757) 橘諸兄の子

コルミソシュ(?~756) ヴォキル朝初代ブルガリア王 在位753~756

Niall Frossach(718~778) ハイ・キング 在位759~765

 

※橘氏、小野氏は月氏の王族であり、吉備氏、上道氏、下道氏、香夜氏はカッパドキアの王族である。橘の名の由来はタタール(モンゴル)のパニ(アーリア人)、小野の名の由来はアヌ(アーリア人)、吉備、道、香夜の名の由来はカッパドキアである。タタール+パニ=タタパニ=橘となり、アヌ=小野となり、カッパドキア=吉備+道+香夜となる。「奈良」の名は橘氏、小野氏が初めて日本に伝えた。奈良の由来はヴァナラシである。

 

・ヴィネフ(?~760) ヴォキル朝第2代ブルガリア王 在位756~760

・テレツ(?~763) ヴォキル朝第3代ブルガリア王 在位760~763

・サビン(?~766) ヴォキル朝第4代ブルガリア王 在位763~766

・ウモル(?~766) ヴォキル朝第5代ブルガリア王 在位766

・トクトゥ(?~767) ヴォキル朝第6代ブルガリア王 在位766~767

 

パガン(?~768) ヴォキル朝第7代ブルガリア王 在位767~768※画像なし

ピピン3世(714~768) カロリング朝初代フランク王 在位751~768

 

・テレリグ(?~777) ヴォキル朝第8代ブルガリア王 在位768~777

 

ドクム(?~815) ドゥロ朝第3代ブルガリア王 在位814~815※画像なし

シャルルマーニュ大帝(742~814) 神聖ローマ帝国初代皇帝 在位768~814

 

アデライド(生没年不詳) ピピン3世の子

シゲレッド(?~825) エセックス王国最後の王 在位798~825

 

オムルタグ(?~831) ドゥロ朝第5代ブルガリア王 在位814~831

エクバード(769~839) イングランド王国初代王 在位802~839

 

マラミル(?~852) ドゥロ朝第6代ブルガリア王 在位831~852※画像なし

ピャスト(740~861) ポーランド王国初代王 在位不明

 

プレシアン(?~852) ドゥロ朝第7代ブルガリア王 在位836~852※画像なし

エゼルウルフ(?~858) イングランド王国第2代王 在位839~858

 

ヴラディーミル(?~893) ドゥロ朝第9代ブルガリア王 在位889~893※画像なし

アルフレッド大王(849~899) イングランド王国第6代王 在位871~899
ボンドチャル・ムンカグ(850~900) ボルジギン家の祖

 

シメオン1世(?~927) ドゥロ朝第10代ブルガリア王 在位893~927※画像なし

エドワード長兄王(877~924) イングランド王国第7代王 在位899~924

 

ロマン(?~997) ドゥロ朝第13代ブルガリア王 在位972~997

ゲーザ(940~997) イシュトヴァーン1世父

 

チンチャ王国の王(サムイル朝ブルガリアの歴代王)

 

エセルレッド2世(968~1016) イングランド王国第14代王 在位978~1013

サムイル(?~1014) サムイル朝初代ブルガリア王 在位976~1014※画像なし

ガヴリル・ラドミール(?~1015) サムイル朝第2代ブルガリア王 在位1014~1015※画像なし

イヴァン・ヴラディスラフ(?~1018) サムイル朝第3代ブルガリア王 在位1015~1018※画像なし

 

ペタル・デリャン(?~1041) サムイル朝第4代ブルガリア王 在位1040~1041

イシュトヴァーン1世(969~1038) アールパード朝初代ハンガリー王 在位1000~1038

 

コンスタンティン・ボディン(?~1072) 在位1072

シャラモン(?~1074) アールパード朝第6代ハンガリー王 在位1063~1074

 

※サムイル朝ブルガリア王は現ペルーに進出し、チンチャ王国を築いた。チンチャの由来は朝鮮語「本当に?」である。1018年~1040年までの間はブルガリア人のペルーへの大移住も起きたようだ。約100年ほどのブルガリア王位途絶は原因不明であるが、実際には拠点がハンガリーに移ったため、キングメーカーはブルガリア王からハンガリー王にスイッチしていた。

 

ボルジギン家当主(アールパード朝歴代ハンガリー王)

 

ゲーザ1世(1040~1077) アールパード朝第7代ハンガリー王 在位1074~1077

ラースロー1世(1040~1095) アールパード朝第8代ハンガリー王 在位1077~1095

カイドゥ(1040~1100) ボンドチャルの子※画像なし

ヴワディスワフ1世(1043~1102) ピャスト朝第8代ポーランド公 在位1079~1102


・バイ・シンコル・ドクシン(?~?) カイドゥの子

 

カールマーン1世(1070~1116) アールパード朝第9代ハンガリー王 在位1095~1116※画像なし
トンビナイ・セチェン(1080~1130) ドクシンの子※画像なし

ボレスワフ3世(1085~1138) ピャスト朝第10代ポーランド公 在位1102~1138

 

イシュトヴァーン2世(1101~1131) アールパード朝第10代ハンガリー王 在位1105~1131
カブル・カーン(1100~1147) セチェンの子

ヴワディスワフ2世(1105~1159) ピャスト朝第11代ポーランド公 在位1138~1146


・バルタン・バートル(?~?) カブルの子

 

ペーラ2世(1108~1141) アールパード朝第9代ハンガリー王 在位1131~1141※画像なし
ステファン・ネマニャ(1113~1200) セルビア王国初代王 1113~1200

 

ゲーザ2世(1130~1162) アールパード朝第12代ハンガリー王 在位1141~1162
イェスゲイ(1134~1171) バートルの子

ウラジーミル3世(1132~1173) リューリク朝第24代キエフ大公 在位1171※画像なし

 

※アールパード朝ハンガリー王が新規にブルガリア王位を設け、第二次ブルガリア帝国を築いた。

 

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第12代ハンガリー王ゲーザ2世(イェスゲイ)の子

 

マルギト(1162~1208)※画像なし

チンギス・ハーン(1162~1227) モンゴル帝国初代皇帝 在位1206~1227

ムスチスラフ3世(?~1223) リューリク朝第39代キエフ大公 在位1214~1223※画像なし

 

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スミレツ(?~1298) テルテル朝第2代ブルガリア王 在位1292~1298

心地覚心(1207~1298) 臨済宗建仁寺派妙光寺開創

 

チャカ(?~1300) テルテル朝第4代ブルガリア王 在位1299~1300※画像なし

クビライ(1215~1294) モンゴル帝国第6代皇帝、大元帝国初代皇帝 在位1260~1294

 

アリクブケ(1219~1264) モンゴル帝国第5代皇帝 在位1259~1263

日蓮(1222~1282) 日蓮宗教祖

 

※日蓮の正体はモンゴル帝国皇帝アリクブケだったようだ。そのため、日蓮宗は時の幕府の弾圧を受けた。北条氏はクリュニー大主教アイマールの一族(タナトス)だった。現在も日蓮宗の弱体化計画が浄土真宗によって進められている。

タナトスは日蓮宗がダヴィデの一族の仏教であることを知っている。その日蓮宗簒奪の役を任されているのが西本願寺門主湛如の一族である。大石寺日蓮正宗、創価学会、だけでなく立正佼成会、霊友会などが日蓮宗なのは、タナトスが日蓮宗を完全支配下に置くことが目的である。

 

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モンゴル皇帝アリクブケ(日蓮)の子

 

ヨブクル(?~1324)

日昭(1236~1323) 日蓮六老僧

 

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大元皇帝フビライの子

 

Zhenjin(1243~1286)

日朗(1245~1320) 日蓮六老僧

日興(1246~1333) 日蓮六老僧

 

12人いるフビライの子のひとり

日持(1250~?) 日蓮六老僧

日頂(1252~1317) 日蓮六老僧

日向(1253~1314) 日蓮六老僧

 

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テオドル・スヴェトスラフ(?~1322) テルテル朝第5代ブルガリア王 在位1300~1322

テムル(?~1307) 大元帝国第2代皇帝 在位1294~1307

カイシャン(?~1311) 大元帝国第3代皇帝 在位1307~1311

アユルバルワダ(?~1320) 大元帝国第4代皇帝 在位1311~1320

 

ゲオルギ2世テルテル(?~1323) テルテル朝第6代ブルガリア王 在位1322~1323※画像なし

フリードリヒ1世(1257~1323) マイセン辺境伯 在位1292~1323

シデバラ(?~1323) 大元帝国第5代皇帝 在位1320~1323※画像なし
オスマン1世(1258~1326) オスマントルコ帝国初代皇帝 在位1299~1326

 

ミハイル3世シシュマン(1280~1330) シシュマン=アセン朝初代ブルガリア王 在位1323~30※画像なし

イェスン・テムル(?~1328) 大元帝国第6代皇帝 在位1323~1328※画像なし

コシラ(?~1329) 大元帝国第9代皇帝 在位1329※画像なし
イヴァン1世(1288~1340) モスクワ大公 在位1325~1340

 

イヴァン・ステファン(?~1331) シシュマン=アセン朝第2代ブルガリア王 在位1330~1331

トク・テムル(?~1332) 大元帝国第8、10代皇帝 在位1328~29、1329~32

 

イヴァン・アレクサンダル(?~1371) シシュマン=アセン朝第3代ブルガリア王 在位1331~71※画像なし

トゴン・テムル(1320~1370) 大元帝国第12代+北元初代皇帝 在位1333~68、1368~70

 

イヴァン・シシュマン(?~1393) シシュマン=アセン朝第4代ブルガリア王 在位1371~1393

イェスデル(?~1391) 北元第4代皇帝 在位1388~1391

 

イヴァン・スラツィミル(?~1396) シシュマン=アセン朝第5代ブルガリア王 在位1356~1396

エンケ・ハーン(?~1394) 北元第5代皇帝 在位1391~1394

 

・フリードリヒ2世(1310~1349) マイセン辺境伯 在位1323~1349

・フリードリヒ3世(1332~1381) マイセン辺境伯 在位1349~1381

 

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●宇宙人エラ人+ウィルタ族・オロッコ族の首長(歴代ザクセン=コーブルク=ゴータ公)

 

・ウィルタ族(15世紀頃)

・オロッコ族(15世紀頃)

 

※画像はウィルタ族(オロッコ)の人々である。宇宙人(オロクンのトバルカインとエラド)が共同で築いたブルガリア帝国が滅ぶと、両者はシベリアに移り、ウィルタ族、オロッコ族となり、シベリアで超科学の研究に勤しんだ。

ウィルタとオロッコの代々の首長は、ザクセン=ゴータ=コーブルク公も兼ねた。ウィルタの由来はエラドであり、オロッコの由来はオロクンである。画像の人々を見ていると、時折報告されるモンゴロイド型宇宙人の正体とはウィルタ族(オロッコ)なのではないかと思える。

 

コンスタンティン2世(?~1422) シシュマン=アセン朝第6代ブルガリア王在位1396~1422※画像なし

フリードリヒ1世(1370~1428) ザクセン選帝侯 在位1407~1428

 

・フリードリヒ2世(1412~1464) ザクセン選帝侯 在位1428~1464

・エルンスト(1411~1486) ザクセン選帝侯 在位1464~1486

・ヨハン(1468~1532) ザクセン選帝侯 在位1525~1532

・ヨハン・フリードリヒ(1503~1554) ザクセン選帝侯 在位1532~1547

・ヨハン・ヴィルヘルム(1530~1573) ザクセン=ヴァイマル公

・Johann II(1570~1605) Duke of Saxe-Weimar

・エルンスト1世(1601~1675) ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公

・John Ernest IV(1658~1729) Duke of Saxe-Coburg-Saalfeld

・フランツ・ヨシアス(1697~1764) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・エルンスト・フリードリヒ(1724~1800) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・フランツ(1750~1806) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・フェルディナント(1785~1851)

・アウグスト・ルートヴィヒ・ヴクトル(1818~1881) 

 

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ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公エルンスト1世の子

 

クリスティアン(1642)※画像なし

アフォンソ6世(1643~) ブラガンサ朝第2代ポルトガル王 在位1656~1683

 

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ザクセン=ゴータ=ザールフェルト公John Ernest IVの孫

 

John Frederick(1721~1767) Sophia Wilhelmの子※画像なし

ジョゼ1世(1714~1777) ブラガンサ朝第5代ポルトガル王 在位1750~1777

 

マリア1世(1734~1816) ブラガンサ朝第6代ポルトガル王 在位1777~1816

 

ジョアン6世(1767~1826) ブラガンサ朝第7代ポルトガル王 在位1816~1826

 

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フェルディナント・ゲオルク・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリの子

 

アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータ(1818~1881)

 

レオポルト・フランツ・ユリウス(1824~1884)※画像なし

ドラガン・ツァンコフ(1828~1911) 大ブルガリア公国閣僚評議会第3代議長 任期1880

 

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フェルディナント・ゲオルク・フォン・ザクセン=コーブルク=ザールフェルト=コハーリの孫

 

ガスタン・デ・オルレアンス(1842~1922) ヴィクトワールの子

ペドロ5世(1837~1861) ブラガンサ朝第10代ポルトガル王 在位1853~1861

ルイス1世(1838~1889) ブラガンサ朝第11代ポルトガル王 在位1861~1889

トドール・ブルモフ(1834~1906) 大ブルガリア公国閣僚評議会初代議長 任期1879

クリメント・ツルノフスキー(1841~1901) 大ブルガリア公国閣僚評議会第2代議長 任期1879~80

 

フェルディナンド1世(1861~1948) ブルガリア王国初代王 在位1887~1908※アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータの子

アレクサンドル・マリノフ(1867~1938) ブルガリア王国初代首相 任期1908~1911

 

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アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータの孫

 

レオポルト・クレメンス(1878~1916) フィリップの子※画像なし

ヴァシル・ペトロフ・コラロフ(1877~1950) ブルガリア人民共和国臨時評議会議長 任期1946~47

キモン・ゲオルギエフ(1882~1969) ブルガリア人民共和国初代首相 任期1946※画像なし

 

ボリス3世(1894~1943) 第2代ブルガリア王 在位1918~1943

ゲオルギ・ダミャノフ(1892~1958) ブルガリア人民共和国議会幹部会議長 任期1950~58※画像なし

 

キリル(1895~1945) フェルディナンド1世の子

ミンチョ・コレフ・ネイチェフ(1897~1956) ブルガリア人民共和国議会幹部会議長 任期1947~1950

ディミトゥル・ブルバノフ(1898~1964) ブルガリア人民共和国議会幹部会議長 任期1958~64※画像なし

ゲオルギ・ギロフスキ(1898~1975) ブルガリア人民共和国議会幹部会議長 任期1964~1971

 

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初代ブルガリア王フェルディナンド1世の孫・曾孫

 

オイゲン・エーバーハル(1930) ナデジダ・ブルガルスカの子※画像なし

ボリス・エリツィン(1931~2007) ロシア連邦初代大統領 任期1991~1999

イオン・イリエスク(1930) ルーマニア第2、4代大統領 任期1990~96、2000~04

リュベン・ペロフ(1925~2006) ブルガリア共和国第55代首相 任期1992~94※画像なし

 

アレクサンダー・オイゲン(1933) ナデジダ・ブルガルスカの子※画像なし

ペトゥル・ムラデノフ(1936) ブルガリア共和国初代大統領 任期1990

ジェリュ・ジェレフ(1935) ブルガリア共和国第2代大統領 任期1990~1997

 

シメオン2世(1943) 第3代ブルガリア王 在位1943~1946

シュミット・パール(1942) ハンガリー共和国第4第大統領 任期2010~2012

ミロシュ・ゼマン(1944) チェコ第3代大統領 任期2013~現在

 

カール・ボリス(1960) マリヤ・ルイザ・ブルガルスカの子※画像なし

ゲオルギ・パルヴァノフ(1957) ブルガリア共和国第4代大統領 任期2002~2012

ジャン・ヴィデノフ(1959) ブルガリア共和国第56代首相 任期1995~1997※画像なし

プラメン・オレシャルスキ(1960) ブルガリア共和国第61代首相 任期2013~2014※画像なし

ボイコ・ボリソフ(1959) ブルガリア共和国第60、62、63代首相 任期2009~13、2017~現在

 

カルダム・サクスコブルクゴツキ(1962~2015) ブルガリア王シメオン2世の子

ケヴェール・ラースロー(1959) ハンガリー共和国大統領代行 任期2012

アーデル・ヤーノシュ(1959) ハンガリー共和国第5第大統領 任期2012~現在

ルメン・ラデフ(1963) ブルガリア共和国第6代大統領 任期2017~現在

セルゲイ・スタニシェフ(1966) ブルガリア共和国第59代首相 任期2005~2009

 

※ハンガリー政府はハンガリー国内の遺伝子組み換えとうもろこしの畑を焼き尽くし、まともなとうもろこしを栽培し、冷凍食品として輸出していた。日本では業務スーパーで売られていた(現在では撤去されている)。しかし、これを不服としたイギリス政府(西本願寺門主文如と法如の一族)が「有毒な細菌に汚染されたハンガリーの冷凍食品を食べたせいでイギリス国民が死んだ」とウソをつき、世界的にハンガリー冷凍食品を輸出禁止にした。本願寺は、どうしても安全なものを人類に食べさせたくないのだ。

 

ヘルマン(1963) マリヤ・ルイザ・ブルガルスカの子※画像なし

ロセン・プレヴネリエフ(1964) ブルガリア共和国第5代大統領 任期2012~2017

 

 

 


宇宙人トバルカイン(クウォス)の一族⑤~海の民、エジプト第25王朝、プトレマイオス朝、ハザール帝国、イエス・キリスト、グルジア王国、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、ノルディック、ケムトレイル

 

・テワ族(1万3千年前)※画像はテワ族の少女

・ティワ族(1万3千年前)

・トワ族(1万3千年前)

 

クウォスのトバルカインは超科学を放棄し、原始的な生活を望んでコロラド流域に移住した。テワ、ティワ、トワの名はトバルカインに由来している。彼らは自分たちをマヤ人の子孫、宇宙人の子孫だと信じている。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

ルカイ族(台湾原住民)

 

※テワ族らはコロラド流域を離れて台湾に入植し、ルカイ族を生んだ。ルカイの名の由来はトバルカインである。

 

ラカイン族(ミャンマー少数民族)

 

※テワ族らはコロラド流域を離れてミャンマーに入植し、ラカイン族を生んだ。ラカインの名の由来はトバルカインである。画像のラカイン族の親子だが、子供の方が碧眼である。宇宙人トバルカインの子孫の証だろう。

 

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・ラティヌス(BC32世紀頃)

・ラテン王国(BC32世紀頃)

・都市国家ウル(BC32世紀頃)

 

※画像はヴォルガ河である。伝説のラテン王国が存在したのはイタリアではない。ラテン王国の範図は広大であり、北はヴォルガ流域・ウラル山脈、西はバルカン半島、東はアルタイ山脈・オルドス(中国)、南はメソポタミア・インドにまで広がっていた。つまり、メソポタミア文明や黄河文明をも内包していた巨大王国だった。

ラティヌスの由来はエラドとアルキュオネウスの組み合わせである。エラド+アルキュオネウス=ラドネウス=ラティヌス=ラテンとなる。オロクンのトバルカインは預言者ナタンの一族とその街を核分裂させて消滅させた当人だが、その「黙示録アルマゲドン」を機に、オロクンのトバルカインは巨大な罪悪感によって超科学を放棄し、ウラル山脈に移り住んでエラドと共にラティヌス(ラテン王国)を生んだ。

この時にオロクンのトバルカインがウラルを訪れた際、初めてヴォルガ河はヴォルガと呼ばれ、バルカン半島もバルカンと呼ばれた。ヴォルガ、バルカンの由来はトバルカインである。トバルカイン=トヴァルガイン=ヴォルガとなり、トバルカイン=バルカイン=バルカンとなる。

 

・都市国家ラガシュ(BC32世紀頃)

・グジャラート(BC32世紀頃)

 

※クウォスのトバルカインもラテン王国に参加し、ラガシュ(メソポタミア)とグジャラート(インド)をラテン王国の領域に築いた。ラガシュの由来はコルキスであり、グジャラートの由来はラガシュとエラドの組み合わせである。コルキス=ルギス=ラガシュとなり、ラガシュ+エラド=ガシュラド=グジャラートとなる。

 

海の民

 

・アカイワシャ人(BC13世紀) チュクウ+ウェシュシュ
・ウェシュシュ人(BC13世紀) クウォス+シュシャン
・シェクレシュ人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ+クウォス
・チェケル人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ
・トゥルシア人(BC13世紀) チュクウ+ルハンガ+シュシャン
・ルカ人(BC13世紀) アルキュオネウス

 

※画像は海の民のレリーフ。タナトスの一族に属する海の民(デニエン人、シェルデン人)以外の6種の海の民はトバルカインとゼウスの一族で構成されていた。海の民は、上の画像のルカイ族の男のような顔をしていたと考えられる。

 

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・コーサラ王国(BC12世紀)

・クリシュナ(BC12世紀)

 

※「マハーバーラタ戦争」でヴォルガ流域とメソポタミアが核分裂によって荒廃し、ラテン王国が滅ぶと、クウォスのトバルカインはメソポタミア+グジャラートを離れてナイル上流域に進出し、クシュ王国(コーサラ王国)を築いた。クシュとコーサラの由来はグジャラートである。グジャラート=グージャラ=コーサラとなる。クリシュナの名の由来はシェクレシュである。

 

コーサラ王国の王(ヌビア王国の歴代王+エジプト第25王朝の歴代ファラオ)

 

・アララ(?~BC752) ヌビア王 在位BC795~BC752

・カシュタ(?~BC752) ヌビア王 在位BC765~BC752

 

・ピイ(?~BC721) エジプト第25王朝初代ファラオ 在位BC752~BC721

・シャバカ(?~BC706) エジプト第25王朝第2代ファラオ 在位BC721~BC706

・シャバタカ(?~BC690) エジプト第25王朝第3代ファラオ 在位BC706~BC690

・タハルカ(?~BC664) エジプト第25王朝第4代ファラオ 在位BC690~BC664

・タヌトアメン(?~BC656) エジプト第25王朝第5代ファラオ 在位BC664~BC656

 

・アトラネルサ(?~BC640) ヌビア王 在位BC656~BC640

・セヌカマヌイスケン(?~BC620) ヌビア王 在位BC640~BC620

・アヌラマニ(?~BC600) ヌビア王 在位BC620~BC600

・アスペルタ(?~BC580) ヌビア王 在位BC600~BC580

・アラマトレ=クォ(?~BC555) ヌビア王 在位BC568~BC555

・マロナクエン(?~BC542) ヌビア王 在位BC555~BC542

 

※画像はクシュ人の碑。クシュ人はエジプト第25王朝を開いているが、この王朝は別名コーサラ王国だった。クシュ王国(コーサラ王国)が滅ぶと、クシュ人はコルキスに移住してコルキス王となり、同時にプトレマイオス朝のファラオを兼任した。

 

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Kuji(?~BC280) コルキス初代王 在位BC325~BC280※画像なし

プトレマイオス1世(BC367~BC282) プトレマイオス朝初代ファラオ 在位BC305~BC282

 

・Akes(生没年不詳) コルキス王 在位BC3世紀

・Saulaces(生没年不詳) コルキス王 在位BC2世紀

 

Mithridates(生没年不詳) コルキス王 在位BC80

プトレマイオス11世(BC115~BC80) プトレマイオス朝第12代ファラオ 在位BC80

 

プトレマイオス12世(BC117~BC51) プトレマイオス朝第13代ファラオ 在位BC80~58、BC55~51

Machares(生没年不詳) コルキス王 在位BC65

 

プトレマイオス14世(BC60~BC44) プトレマイオス朝第17代ファラオ 在位BC47~BC44

Aristarchus(?~BC47) コルキス王 在位BC63~47

 

※コルキスの名の由来はクリュテイオスとクウォスの組み合わせだと考えられる。クリュテイオス+クウォス=クリュクウォス=コルキスとなる。コルキス王は、同時にプトレマイオス朝のファラオを代々務めた。だが、プトレマイオス朝はガリアのドルイド司祭の一族の干渉を受け続けた。

特に、ガリアのドルイド司祭の一族は女王ベレニケ3世、女王ベレニケ4世、プトレマイオス13世などの偽者を擁立した。プトレマイオス11世などは、偽者の女王ベレニケ3世を殺害すると、怒った群衆により虐殺されたが、これはタナトスが得意とする、数で優れた人物を圧倒するという一向一揆と同じ手口である。

 

クレオパトラ7世(BC69~BC30)

 

現在、世間一般に美女「クレオパトラ」として浸透しているのは、クレオパトラ7世のことである。クレオパトラの父はプトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世であり、兄弟姉妹はクレオパトラ6世(姉)、ベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世(共に弟)が知られる。「クレオパトラ」の名はギリシア語で「父親の栄光」を意味する。 wikiより

 

プトレマイオス15世カエサリオン(BC47~BC30) クレオパトラ7世の子

ユバ2世(BC50~AD23) ヌミディア王※画像なし

 

共和政ローマの将軍ユリウス・カエサルとクレオパトラ7世の子(異説あり)。カエサリオンは「小カエサル」を意味する。異父弟妹にアレクサンドロス・ヘリオス、クレオパトラ・セレネ、プトレマイオス・フィラデルフォスがいる。 母クレオパトラ7世とエジプトを共同統治していたプトレマイオス14世が紀元前44年に死去すると、プトレマイオス15世となった。 wikiより

 

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クレオパトラ・セレネ(BC39~AD6) マルクス・アントニウスの娘

 

※ガリアのドルイド司祭の一族が偉大なカエサルやクレオパトラの血筋の根絶を実行していたため、男子はみな早いうちに殺されていた。それを避けるため、カエサリオンは自分を17歳で死んだことにし、ユバ2世としてヌミディア王国に潜伏した。ユバ2世は異父妹であるクレオパトラ・セレネと結婚し、洗礼者ヨハネ(プトレマイオス・トロメウス)とイエス・キリスト(ドルシラ)を生んだ。

 

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ユバ2世とクレオパトラ・セレネの子

 

プトレマイオス・トロメウス(BC9~AD40)※画像なし

洗礼者ヨハネ(BC6~AD36)

クノベリヌス(?~AD41) ブリトン王 在位AD9~AD41※画像なし

 

※イエスが磔の刑で死去したあとも、洗礼者ヨセフはしばらくの間イエスを演じた。これがイエスの復活の真実である。しかし、ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため捕らえられ、ヘロデの娘サロメ(ガリアのドルイド司祭の一族)が、祝宴での舞踏の褒美として彼の首を求めたため、処刑された。

しかし、実際にはヨハネは処刑を逃れてブリテン島に落ち延び、ブリトン王に即位したと考えられる。このときに、ジョーンズの名が生まれた。ジョーンズの名の由来はヨハネスである。

 

ドルッシラ(?~?)※画像なし

イエス・キリスト(BC6~AD30)

 

※ドルイド司祭がカエサルの血筋(男系)の根絶を実行していたため、男子はみな早く死んでいた。当然、クレオパトラ・セレネも目を付けられていたが、彼女は男子として生まれたイエスを女子ドルッシラとして育てた。そのおかげでイエスは無事に成長することが出来た。洗礼者ヨハネの正体はプトレマイオス・トロメウスであり、イエスの兄であった。

イエスには2人のイエスがいた。ひとりはクレオパトラ7世の孫ドルッシラであり、もうひとりはイエスを騙ったドルイド司祭である。神殿で商売をする資本主義者を罵倒し、暴れるのがホンモノのイエスであり、不治の病に苦しむ病人を治すのは偽イエス(ドルイド司祭)である。

 

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ブリトン王クノベリヌスの子

 

アルウィラグス(?~1世紀半ば) ブリトン王※画像なし

シモン・ペトロ(AD1~AD64) 初代ローマ教皇 在位33~67

 

※ペトロはユバ2世の庶子と考えられる。そのため、ペトロはドルイド教にロックオンされずにノーマークで育つことができた。ペトロは十二使徒として異母兄弟であるイエスに従い、偽イエスを演じていたドルイド司祭がパウロとしてイスラエルに戻った時には、キリスト教を守るためにパウロと対決した。

 

※画像は十二使徒とイエス・キリストである。十二使徒たちは、初代ブリトン王クノベリヌスの子(wikiに記述は無いが)ではないかと考えられる。一方、ユダはイエスを裏切ったとされているが、彼は影武者のイエスに接吻した、つまり、ホンモノのイエスを助けるための芝居だった。

 

・ゼベタイのヤコブ(1世紀頃)

・使徒ヨハネ(1世紀頃)

・アンデレ(1世紀頃)

・フィリポ(1世紀頃)

・トマス(1世紀頃)

・バルトロマイ(1世紀頃)

・マタイ(1世紀頃)

・アルファイのヤコブ(1世紀頃)

・タダイ(1世紀頃)

・熱心者のシモン(1世紀頃)

・イスカリオテのユダ(1世紀頃)

 

古代マヤ+ティカルの王(歴代ブリトン王)

 

・Marius ブリトン王 在位不明

・Colius ブリトン王 在位不明

・Lucius ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Allectus ブリトン王 在位不明

・Coel ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Octavius ブリトン王 在位不明

・Trahern ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Gracianus Municeps ブリトン王 在位不明

(ローマ帝国支配)

・Vortigern ブリトン王 在位不明

・Vortimer ブリトン王 在位不明

・Aurelius Ambrosius ブリトン王 在位不明

・Uther Pendragon ブリトン王 在位不明

・Arthur ブリトン王 在位不明

・Constantine III ブリトン王 在位520~523

・Aurelius Conanus ブリトン王 在位不明

・Vortiporius ブリトン王 在位6世紀頃

・Malgo ブリトン王 在位?~547

・Keredic ブリトン王 在位不明

・Cadvan ブリトン王 在位616~625

(アングロサクソン人移住)

・Cadwallo ブリトン王 在位625~634

・Cadwallader ブリトン王 在位655~689

 

※カエサルの子孫であるブリトン王は古代メキシコ~マヤに進出し、羽毛ある蛇と呼ばれる神、ケツァルコアトルを生んだ。ケツァルコアトルの名の由来はカエサル4世(クアトロ)である。 カエサルクアトロ=カエツァルクアトル=ケツァルコアトルとなる。ケツァルコアトルは白い顔の男とされているが、さもありなん。

 

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・Za Haqala(生没年不詳) アクスム王国初代王 在位100頃

・Gadarat(生没年不詳) アクスム王国第2代王 在位200頃

・Nzaba(?~240) アクスム王国第3代王 在位230~240

・Sembrouthes(生没年不詳) アクスム王国第4代王 在位250頃

・Batsana(生没年不詳) アクスム王国第5代王 在位260頃

 

※十二使徒はアクスム王国を建てたと考えられる。それを証明するように、アクスム王国はキリスト教国家だった。アクスムの由来はカシミールだと考えられる。

 

Ebana(生没年不詳) アクスム王国第14代王 在位5世紀頃※画像なし

シクストゥス3世(390~440) 第44代ローマ教皇 在位432~440

Kozar(生没年不詳) ハザール初代王 在位不明※画像なし

 

Nezool(生没年不詳) アクスム王国第15代王 在位5世紀頃

ヘンゲスト(455~488) 初代ケント王※オクタ父

Karadach(生没年不詳) ハザール第2代王 在位450頃

 

※イエスの一族はローマ教皇とブリトン王を兼務していたが、シクストゥス3世以降、タナトスの一族であるレオ1世がローマ教皇となったため、オリジナル教皇の一族はブリテン島に拠点を移した。

 

Alla Amidas(生没年不詳) アクスム王国第18代王 在位6世紀頃

オクタ(500~543) 第4代ケント王

ヨハネス2世(470頃~535) ローマ教皇 在位533~535

 

・Israel(生没年不詳) アクスム王国第24代王 在位590頃

・Gersem(生没年不詳) アクスム王国第25代王 在位600頃

 

Armah(生没年不詳) アクスム王国第26王 在位614頃※画像なし

エゼルベルト(560~616) 第6代ケント王※画像なし

グレゴリー1世(549~604) 第64代ローマ教皇 在位590~604

アウグスティヌス(?~604) 初代カンタベリー大主教

 

※ケント王オクタがベネディクト会とカンタベリー大主教座を設けて以降、イエスの一族はローマ教皇、ベネディクト会修道院長、ケント王、ブリトン王、カンタベリー大主教を兼任した。一方、ベネディクト会が、アイルランド・カトリック教会を指導しているため、アイルランド・カトリックはしばしばクリュニー会やシトー会、ドミニコ会に攻撃されている。

 

Cadwallo(生没年不詳) ブリトン王 在位625~634

Sahama(生没年不詳) アクスム王国第27代王 在位630頃

Ziebel(生没年不詳) ハザール帝国初代王 在位618~630

 

※アクスム王国が滅ぶと、アクスムの王族は伝説のラテン王国の首都が存在したヴォルガ流域に移り、ハザール帝国を築いた。ハザールの由来はカエサルである。カエサル=カエザール=カザール(ハザール)となる(中央アジアにはカ行がハ行を兼ねることがある)。

一方、ハザール帝国を治めながら、ハザール王は家族が築いた修験道で精神を鍛えるべく日本に赴いた。また、ハザール王は修験道に励む一方で唐の皇帝の計らいで朝鮮で安東都護を任され、同時に古代メキシコに進出してトルテカ帝国を築いた。

 

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トルテカ帝国の王(歴代ハザール皇帝)

 

・Bori Shad ハザール帝国第2代王 在位630~650

・Irbis ハザール帝国第3代王 在位650

・Khalga ハザール帝国第4代王 在位660?

 

鹿島神宮神職+トルテカ帝国の王(歴代ハザール皇帝+安東都護)

 

Kaban(生没年不詳) ハザール帝国第5代王 在位660?

魏哲(?~669) 初代安東都護 任期668~669

 

Tang Xiujing(?~705) 第7代安東都護 任期704~705※画像なし

役小角(634~701) 修験道開祖

 

Busir(生没年不詳) ハザール帝国第6代王 在位690~715

許欽澹(生没年不詳) 第10代安東都護 任期714?

 

Barjik(生没年不詳) ハザール帝国第7代王 在位720~731

Xue Tai(?~725) 第11代安東都護 任期720~725

Li Jiao(生没年不詳) 第12代安東都護 任期727?

 

Pei Min(生没年不詳) 第14代安東都護 任期733~741

Bihar(生没年不詳) ハザール帝国第8代王 在位732

Prisbit(生没年不詳) ハザール帝国第9代王 在位730後期

 

・高震(?~773) 第20代安東都護 任期?~773

 

※ハザール王は唐の計らいで朝鮮での安東都護を任された。同時に、ハザール王は日本の山中で修験道に励んだ。修験道はスバル人とオロクンのトバルカインが築いたもので、スバル人は妖怪山姥として、オロクンのトバルカインは天狗として日本の山中に暮らしていた。宇宙人の超科学の力は地球を破壊しかねないほど強力だ。これを正しく使うため、煩悩に負けない強い精神力を養う必要である。そのために修験道が生まれた。

スバル人とオロクンのトバルカインは超科学を継承していたが、クウォスのトバルカインは1万3千年前に超科学を放棄し、もともとコロラド流域に住んでいた人々である。だが、スバル人や天狗に出会ったことで、彼らは再び超科学の継承を決めた。

安東都護が山伏の格好をして修験道の修行に励んでいる際、ハザール皇帝たちは鹿島神宮を建てたようだ。鹿島の由来はアクスムである。鹿島神宮だが、サトゥルヌスの一族が建てた人身御供の儀式を催していた神社とは全く違うことが分かるだろう。サトゥルヌスの一族の神社の場合、鳥居は社の前には建てない。

 

■修験者(ハザール王の一族)と人身御供の神官(サトゥルヌスの一族)の戦い

 

※画像は桃太郎の図。修験者を模した歴代ハザール皇帝は、日本の山々で修験道に励んでいた。だが、鬼が日本各地で好き放題しているのを小耳に挟んだ彼らは鬼を皆殺しにすべく、鬼退治を決定した。時代は7世紀後半と考えられる。

鬼の正体は契丹の王であるが、ハザール皇帝がこの時に成敗したのは契丹王李失活(在位697~718)とその郎党のことだと考えられる。第10代安東都護許欽澹(ハザール皇帝Busir)は百地を名乗っていたため、彼らの契丹討伐の話は桃太郎の伝説として語り継がれることになった。犬と猿とは天狗と忍びの者のことであり、キジは食糧だったと考えられる。鬼ヶ島とは契丹の本拠地モンゴルだったかもしれない。因みに737年、第14代都護Pei Minの時にハザール帝国がユダヤ人1731の一族に簒奪され、ユダヤ教に改宗している。

また、最後の安東都護、第20代安東都護高震は修験者万巻として芦ノ湖に出現し、若い娘を生贄として所望していた九頭龍の神官たち(坂上苅田麻呂の子)を皆殺しにした。話としては戦いは一瞬で終わったように感じるが、実際には高震が九頭龍崇拝の神官らを皆殺しにするために安東都護をやめ、773年から完全に足場を日本に移し、芦ノ湖付近で戦闘の準備に入ったと考えられる。

修験者と人身御供の神官の戦闘は坂上苅田麻呂が死去した786年まで続いたと考えられる。の後、安東都護(ハザール皇帝)は日本を離れたが、ハザール帝国がユダヤ教神官(ユダヤ人1731の一族)に簒奪されていたこともあり、故地コルキスに戻って代わりにイベリア王国を築いている。

 

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・Adarnase IV(?~923) イベリア王国初代王 在位888~923

・David II(?~937) イベリア王国第2代王 在位923~937

・Sumbat I(?~958) イベリア王国第3代王 在位937~958

・Bagrat II(?~994) イベリア王国第4代王 在位958~994

・Adarnase V(?~966) イベリア王国第5代王 在位961~966

・David III(?~975) イベリア王国第6代王 在位966~975

・Gurgen II(?~1008) イベリア王国第7代王 在位994~1008

 

Bagrat III(960~1014) グルジア王国初代王 在位1008~1014

 

※イベリア王国第8代王Bagrat IIIがグルジア王国の初代王に即位した。グルジアの名の由来はシェクレシュである。シェクレシュ=シェクレシア=クレシア=グルジアとなる。

 

David VI(1225~1293) グルジア王国第14代王 在位1245~1259

 

※ダヴィデ6世の時代、ビザンツ王族(ユダヤ人1731の一族)の攻撃を受けた際、タイガは森林ごと根こそぎ吹っ飛び、砕けた大地が何百平方キロにも渡って飛び散った。ただ、科学の種族は余裕だった。彼らは、スバールバル諸島から発射されたビザンツ帝国の核兵器に攻撃されても安全な小型かつ堅牢な要塞を地下深くに建設していた。更に、タナトスが開発できた核兵器は少量だった。そのため、科学の種族はタナトスの混血を相手にしていなかったようだ。
科学の種族が築いた小型要塞は、ロシアで「大釜」と呼ばれている。現在でも、タイガの奥地に迷い込んだ現地人に偶然発見されることがある。鋼鉄のノミで削っても、ハンマーで叩いても、欠けることもなく、傷ひとつ付けることができないという。

 

George VIII(?~1465) グルジア王国第39代王 在位1446~1465

John Whethamstede(?~1465) ベネディクト会修道院長

ジャン8世(1425~1477) ヴァンドーム伯

 

※ゲオルグ8世の後、グルジア王国はカートリ朝、カケーティ朝、イメルティ朝の3つに分離した。

 

Alexander II(?~1510) イメレティ朝初代グルジア王 在位1478~1510※画像なし

Constantine II(1447~1505) カートリ朝初代グルジア王 在位1478~1505

Alexander I(1445~1511) カーケティ朝初代グルジア王 在位1476~1511※画像なし

フランソワ(1470~1495) ヴァンドーム伯

 

George IX(?~1539) カートリ朝第3代グルジア王 在位1525~1527※画像なし

ジョン・ベック(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

リチャード・ホワイティング(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

ヒュー・クック・ファリンドン(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

ジョン・カイト(?~1537) アイルランド・カトリック教会アーマー大主教※画像なし

シャルル・ド・ブルボン(1489~1537) ヴァンドーム公

 

Bagrat III(1495~1565) イメレティ朝第2代グルジア王 在位1510~1565

メノ・シモンズ(1496~1561) メノナイト教祖

 

Levan(1504~1578) カーケティ朝第3代グルジア王 在位1520~1574※画像なし

ジャン・カルヴァン(1509~1564) 改革派教祖
ジョン・ゲイツ(1504~1553)※画像なし

 

※グルジア王レヴァンは、ジャン・カルヴァンとしてツヴィングリが築いた改革派を継承した。更に、カルヴァンはジョン・ゲイツとしてイングランドで暗躍したが、処刑されたことにして潜伏を決め込み、並行して演じていたカルヴァンとしてその後の11年を生きた。

 

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ニュルンベルクに未知の飛行物体が出現」(1561)

 

ニュルンベルクの明け方。垂直に滞空する2つの円筒形の物体が出現し、そこから赤、青、黒といった様々な色の円盤が飛び出した。未知の飛行物体は空中を飛び交い、激しく衝突したり、一時間の間、空中戦を演じていたという。「世界のUFO現象」より

 

※これは、宇宙人(グルジア王)と錬金術師・神秘思想家(バイエルン公)の現代科学を超えた超科学による戦いだった。


バーゼルに未知の飛行物体が出現」(1566)

 

スイスのバーゼル上空、空を覆う、黒い球体が発光したり分裂しながら空中戦を戦っていたという。「世界のUFO現象」より

 

※これは、宇宙人(グルジア王)と錬金術師・神秘思想家(バイエルン公)の現代科学を超えた超科学による戦いだった。

 

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Alexander II(1527~1605) カーケティ朝第4代グルジア王 在位1574~1601※画像なし

ルイ1世(1530~1569) コンデ公、ユグノー派首領・将軍

 

George X(1561~1606) カートリ朝第8代グルジア王 在位1599~1606※画像なし

アンリ4世(1553~1610) ブルボン朝初代フランス王 在位

 

ユグノー戦争で叔父コンデ公ルイが戦死したため、年少にしてユグノーの盟主となる。1572年、自身の婚礼に際して企てられたサン・バルテルミの虐殺に遭遇したが、カトリックに改宗して難を避け、1576年に脱走して再びプロテスタントに復帰し、1589年のアンリ3世の暗殺により王位を継承する。その後再度カトリックに改宗して国内を平定し、1598年にナントの勅令を発布してカトリックとユグノーとの国内融和に努め、40年近くにわたる戦争を終結させた。戦後は戦争によって疲弊した国家の再建を行ったが、1610年に狂信的なカトリック信者によって暗殺された。アンリ4世wikiより

 

※ブルボン朝の初代王アンリ4世はグルジア王の一族であるため、ユグノーを支持した。ユグノー戦争は、邪教の手先であるカトリック信者の根絶を目指していた。 しかし、残念ながら、ブルボン朝のフランス王位は、第4代ブルボン朝フランス王ルイ15世の時に東本願寺宣如の一族に簒奪されてしまう。

 

・George III(?~1639) イメレティ朝第8代グルジア王 在位1605~1639

・Simon II(?~1630) カートリ朝第11代グルジア王 在位1619~1630

・Teimuraz I(?~1648) カーケティ朝第8代グルジア王 在位1605~1648

 

※見付神社の人身御供の神官一月長得(今川氏真)とその郎党を皆殺しにしたのは犬の早太郎だが、早太郎の正体は上記の3人のグルジア王だと考えられる。丁度、3人は修験道に励むために来日していたのかもしれない。そこに見付神社で人身御供が催されているのを小耳に挟み、3人のグルジア王が乗り込んで今川氏真の一味を皆殺しにした。

グルジア王たちは修行中で山伏の姿をしていたものの、堀りが深く、鼻が高いため、天狗と認識された。それで犬(天狗)と呼ばれたわけだ。見付神社で人身御供が中止になったのは一月長得(今川氏真)が死んだ1625年と考えられる。

 

Alexander III(?~1660) イメルティ朝第9代グルジア王 在位1639~1660※画像なし

ルイ13世(1601~1643) ブルボン朝第2代フランス王 在位1610~1643

 

Heraclius I(1642~1709) カーケティ朝第10代グルジア王 在位1675~1676

ルイ14世(1638~1715) ブルボン朝第3第フランス王 在位1643~1715

 

Archil(1647~1699) イメルティ朝第11代グルジア王 在位1661~63、1698~99

ヤコブ・アマン(1644~1712) アーミッシュ教祖

 

※画像はアーミッシュの人々。グルジア王Archilは1699年に52歳で死んだことにしてグルジアを発ち、スイスに潜伏した。その後、ヤコブ・アマンとしてアーミッシュの始祖となった。カラシュのようにアーミッシュもUFOを持っているかどうかは不明だが、反自然的なものを嫌悪する発想は宇宙人と共通している。

 

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シュトラールズントに未知の飛行物体が出現」(1665)

 

ドイツ、バルト海沿岸に飛行艇とドーム構造を備えた道の飛行物体が出現した。空の船団は、空中戦を演じ、それが数時間続いた後、すべてが消えてしまったという。「世界のUFO現象」より

 

※これは、宇宙人(グルジア王)と錬金術師・神秘思想家(バイエルン公)の現代科学を超えた超科学による戦いだった。

 

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David II(1679~1722) カーケティ朝第11代グルジア王 在位1703~1720

ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン(1678~1737) トゥルーズ伯

 

1696年1月に陸軍元帥、及びフランス軍司令官となった。1704年、ルイ・アレクサンドルはスペイン継承戦争において、敵方の英蘭連合軍をマラガの海戦で損害を与えたことで有名になった(戦略上は連合軍の勝利)。1713年、"トゥールーズ伯邸(現在はパリ1区・フランス銀行本店が入居)"を購入し居住。1714年夏には兄のメーヌ公らと共にルイ14世の正式なフランス王位継承者とされた。ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボンwikiより

 

・Alexander V(1703~1752) イメルティ朝第22代グルジア王 在位1720~1741

・Jesse(?~1727) カートリ朝第22代グルジア王 在位1724~1727

・Constantine II(?~1732) カーケティ朝第22代グルジア王 在位1722~1732

 


「人体自然発火事件」(1731)※写真はメアリー・リーサー(1951年)の事件現場

 

※Alexander V、Jesse、Constantine IIの治世にユダヤ人1731の一族が人体自然発火装置を完成させた。ユダヤ人1731の一族がこの兵器を使用して人間を焼いたことを知ると、グルジア王(超科学の種族)は激怒した。ついに本気になり、ユダヤ人1731の一族が築いたスバールバル諸島の基地を一瞬で破壊した。

この戦いでJesse、Constantine IIは死亡したようだが、グルジア王は更にユダヤ人1731の一族から科学技術を取り上げた上で、シベリアからユダヤ人1731の一族を永久追放した。この時に、シベリアに住んでいたタナトスの混血の残党はロシア、イギリス、スウェーデン、シチリア、日本に四散した。

 

George IX(1718~1778) イメルティ朝第23代グルジア王 在位1741~1742※画像なし

ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778) 著述家・哲学者

 

私生活においては、マゾヒズムや露出癖、晩年においては重度の被害妄想があった。こうした精神の変調の萌芽は若い頃からあり、少年時代に街の娘たちに対する公然わいせつ罪(陰部を露出)で逮捕されかかった。更に、自身の5人の子供を経済的事情と相手側の家族との折り合いの悪さから孤児院に送った。自身の著書『告白』などでそれらの行状について具体的に記されている。ジャン=ジャック・ルソーwikiより

 

※ルソーはアルメニア服を良く着ていたが、そこから彼がグルジア王だったと考えて良い。奇遇なことにグルジア王ゲオルグ9世とルソーの没年が符合している。

上記のwikiの解説を見ると、死して尚、ルソーが東本願寺門主宣如の一族に侮辱され続けていることに驚愕する。東本願寺門主宣如の一族(オラトワール協会)はルソーがグルジア王であることを知り、終生付き纏った。東本願寺門主宣如の一族(オラトワール協会)はカトリック教徒をラジコンのように操り、常にルソーの人生を人工的に下方修正し続けた。大量の信者がいるから可能なことである。

ルソーは、時のフランス政府(東本願寺門主宣如の一族)に著書「エミール」を批判・弾圧された。更に、ルソーはフランスを追放され、ヨーロッパ中をさすらい、流浪の生活を余儀なくされた。その間、本願寺門主の一族が操るヨーロッパ中のカトリック信者によって、ルソーはどこに逃げても顔を知られ、石を投げられ、程度の低い民衆に追われた。そして、仲間であるはずの貴族たちにはイヤミな陰謀を仕掛けられた。現代で言うところの集団ストーカーである

ルソー曰く「あのようなおびただしい突発事件の堆積、残忍極まりないすべての仇敵の、いってみれば ふとしたはずみの興奮、国家を統治している全ての人々、地位あるすべての者たち共通の陰謀に協力するため、ぼくに何か人知れぬ怨恨を抱いている者達の中から特に選抜された折り紙つきのすべての人間、これらがこのように全面一致したことは、それを純粋に偶然だとするにはあまりにも異常すぎる
この陰謀に加担するのを阻む者が一人でもあればそれとは反対の事件がひとつでも起こればそれを阻害する事情がひとつでも突発すれば、ただそれだけでこの陰謀を挫折させるに十分であったはずだ。それだのに、あらゆる意志、あらゆる避けがたい事情、運命、そしてあらゆる革命が彼ら人間の仕業を強固にして しまったのだ。それにしても驚異ともいうべき、このように見事な協力一致はその完全な成功が天の法令に明記してあるのではないかと怪しまずにはいられないくらいだ

このときにルソーが経験したものは、村八分ならぬ、ヨーロッパ八分(カトリック八分)であった。ヨーロッパ随一の知性でありながら、本願寺によってあらぬ罪を着せられ、弾劾され、その、人としての高いレベルに見合わない待遇、生活、運命を演じることを強要された。

 

Heraclius II(1720~1798) カートリ+カケーティ朝初代グルジア王 在位1762~1798

 

ソロモン1世(1735~1784) イメルティ朝初代グルジア王 在位1752~66、68~84

 

George XII(1746~1800) カートリ+カケーティ朝初代グルジア王 在位1798~1800

ジャン=ポール・マラー(1743~1793) 

 

1789年のフランス革命勃発後は、新聞『人民の友』を発行し過激な政府攻撃をして下層民から支持された。そのことがもとで1790年1月にイギリスに亡命。4月に戻ってからコルドリエ・クラブ(Club des Cordeliers)に入り、8月10日のテュイルリー王宮襲撃事件や反革命派への九月虐殺を引き起こしたといわれている。1792年、国民公会の議員に選出されて山岳派(ジャコバン派)に所属した。議会を主導するジロンド派を攻撃し、一時、逮捕されたがすぐに釈放されパリ民衆を蜂起させて最終的に国民公会から追放した。マラーwikiより

  

David II(1756~1795) イメルティ朝第3代グルジア王 在位1784~89、90~92※画像なし
ジョルジョ・オーギュスト・クートン(1755~1794) ジャコバン派

マクシミリアン・ロベスピエール(1758~1794) ジャコバン派

 

※ブルボン朝フランスの王族が悪(東本願寺門主宣如の一族)で汚染されていることを知ったグルジア王は直接潜入し、フランス革命を起こした。だが、エベール派は東本願寺門主乗如の一族である。エベール派は王室だけを目の仇にしていたが、ジャコバン派は諸悪の根源カトリックをしっかり弾圧し、邪教クリュニー会をフランスから追放した。そして、邪教カトリックに代わるものとして「最高存在の祭典」を催した。

ただ、敵が誰かわからない疑念に恐怖を成したロベスピエールは、ダントンら異母兄弟でさえ信用できずに暴走し、挙句に粛清してしまった。彼は、自ら仲間を減らしたため、「敵を減らしてくれてありがとう」と笑う本願寺によって、最後は自分までもが処刑された。 

 

ソロモン2世(1772~1810) イメルティ朝第4代グルジア王 在位1789~90、1792~1810
ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト(1767~1794) ジャコバン派

 

ロベスピエールの同僚として辣腕をふるい、同派の政策に深く関与した。公安委員会の委員となって治安局を創設し、公会では左派と共に憲法草案作成や行政改革などを行ったが、フランス革命戦争が始まってからは前線視察に多くの時間を費やしてパリを離れていた。ヴァントーズ法は特にサン=ジュストが実現を望んだ法令であったが、これがプレーヌ派との決裂を招き、失脚の要因になった。

1794年7月27日にテルミドールのクーデターで逮捕され、翌日の最後の演説を反対派に妨害されて果たせぬまま、ロベスピエールらと共に処刑された。 遺体は同志とともにエランシ墓地に埋葬されたが、後の道路拡張で墓地が閉鎖されたことに伴って、遺骨はカタコンブ・ド・パリに移送されている。サン=ジュストwikiより

 

※グルジア王国が滅んだ後、グルジアの王族はヌーリスタン州に移住し、カラシュ人となる。

 

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※画像はカラシュと呼ばれる謎が多い少数民族である。彼らは、浅黒い肌のインド人、アフガン人が住むパンジャブに住んでいるが金髪・碧眼の白人であるため、なぜ彼らがここに住んでいるのか、謎を呼んでいる。彼らはこの地に1890年以降に訪れたという。こうして見ると彼らは不思議なまなざしを持っていることがわかる。迫力がある眼力を持つお婆さんなどはホンモノの魔女のようだ。彼らのことはだいぶ前から知っていたが、近頃は彼らが宇宙人の正体なのではないかと考えている。

宇宙人が日本人、インド人、北欧人の顔をしていることは歴史(十和田時代、パンジャブ時代、ロシア時代)から見ても明白だが、カラシュの村にも金髪・碧眼の白人だけでなく、アジア系、インド系の人々の顔がある。

カラシュの村はUFOに乗る人たちの国、いわゆる「宇宙人」の国なのかもしれない。宇宙人はタナトスの一族など、反自然的な事象を嫌悪する人々である。つまり、筆者は以前から宇宙人の人口はアマゾンの少数部族のように全員併せても数百人程度だろうと考えていた。カラシュの村にピッタリである。この考えが正しいかどうかは分からないが、例え、もしそうであっても、タナトスの一族は彼らに近づけない。

タナトスの一族は、古代から宇宙人の超科学を奪おうと苦心し、侵入を試みるたびに失敗し、成敗されてきた。だが、今現在、宇宙人には思考を読む装置があるため、昔と違って、タナトスの一族が接近すればタナトスは一瞬で塵と化すだろう。

或いは、ハザール帝国(ユダヤ人1731)、ヒヴァ・ハン国(ユダヤ人1908)、ボハラ・ハン国(チュクウのトバルカイン)などの国が隣り合わせるというカラシュの村の立地条件上、ユダヤ人1731+1908の一族などはカラシュが宇宙人だということを知っていたかもしれない。

カラシュの名の由来はシェクレシュ(チュクウ+ルハンガ+クウォス)である。シェクレシュ=クレシュ=カラシュとなる。

 

●ツングース大爆発(カラシュ人とヒヴァ・ハン国の知られざる戦い)

 

※画像はツングース大爆発である。ヒヴァ・ハン国第10代君主ムハンマドの統治時代、そしてグルジア王族がカラシュ人になって数年後の1908年に「ツングース大爆発」が発生した。ユダヤ人1908の一族は、宇宙人がシベリアに基地、実験施設を持っていることを知っていた。そのため、彼らはシベリアに出撃した。

自分たちを追放した宇宙人に復讐し、その後に世界を征服するべく、ユダヤ人1908の一族は空中要塞でシベリアに向かったものの、あえなく撃破されたわけである。それが「ツングース大爆発」である。

宇宙人は武器を作らない。核兵器さえ作らなかった。彼らは物質を分子の次元で操作する技術を持つが、その要領で、彼らはあらゆる物質の原子を分裂させることが出来るようだ。つまり、ムハンマドたちが作った空中要塞は巨大な核爆弾でしかなかった。ただ、ウランを核分裂させたわけではないため、放射能は発生しなかった。

このツングース大爆発を機に、ムハンマドの一族はドイツへと逃亡し、一部は更にアメリカ合衆国に渡った。ドイツに渡った人々はロケット技術、ミサイルを開発し、アメリカに渡った人々からは、マンハッタン計画に従事する科学者たちが生まれた。オッペンハイマーやエドワード・テラーである。

 

Mawlawi Afzal(1925~2012) アフガニスタン・イスラム革命国首長※画像なし

セルゲイ・パラジャーノフ(1924~1990) 映画作家

 

ノルディック宇宙人の目撃例(彼らの正体はカラシュ人か?)

 

※画像はノルディックと呼ばれる宇宙人の想像画である。同じ白人でも、普通にいる俗っぽいアメリカ・ヨーロッパの一般人(失礼)よりは、カラシュと同じで崇高な印象を漂わせている。以下はノルディックとのコンタクトの歴史である。宇宙人の装いはUFOに乗るときの為のものだろうか?

 

1946年 場所はニュージャージー。ハワード・メンジャーは金髪の宇宙人3人と接触した。

1952年 オーソンと名乗る金星人がジョージ・アダムスキーに接触してきた。オーソンはブロンドだった。

1954年 場所は南アフリカ。エリザベス・クララはUFOを目撃。搭乗員のブロンドの髪をした絶世の美青年に出会った。

1973年 アルゼンチンの国道を走行中のトラック運転手が3人の男女ノルディックに呼び止められた。3人とも長いブロンドだった。

1976年 場所はイギリス・ウィンチェスター。農道を塞ぐ形で小型UFOが着陸し、1人のノルディックがUFOから降りてきた。男は身長180cmほどで長いブロンドだった。

1975年 場所はスイス・チューリヒ。ビリー・マイヤーは女性宇宙人セムジャーゼに出会う。この宇宙人はエラ人、プリヤール人を称した。

 

超科学を究めた宇宙人の日常生活(遊牧と農作業と修験道)

 

※画像はコンタクティーのビリー・マイヤーと宇宙人セムジャーゼ。かっこいい絵なのでいただいた。金星からきたと称したこのセムジャーゼはじつはカラシュ族であり、今でもアフガニスタンの僻地に住んでいるのかもしれない。

宇宙人は、じつは最先端都市などは築かず、カラシュ族、ウィルタ族(オロッコ族)などのように遊牧民として静かに暮らしている。それが超科学を極め、古代にポールシフトを起こし、大地殻変動で沿岸部を9日間沈め、核分裂で世界各地を砂漠化した人々が、何周もまわって得た答えなのだ。

科学の過信と乱用は人間を精神的に貶める。そう考えているのだ。そのため、自分たちの先祖が残した超科学を悪用することがないよう、宇宙人の一族は数千年前から日本に来て修験道で心体共に鍛えている。ただ、現在の修験道の聖地は資本主義で汚染されているので、彼らは日本人が立ち入ることができない人跡未踏の山奥に踏み入り、修験道の聖地を新規に開拓している。

修験道に励む際、カラシュ族はUFOで日本に来ている。そして、古(いにしえ)から伝えられている通りの山伏のかっこうをして修行をしているようだ。アーミッシュを生んだ人々でもあることからわかるとおり、彼らは禁欲的な生活を送ってる。ただ、動物的な本能を抑圧することはない。この場合の禁欲というのは知能が生んだ文明の利器、それに伴う利便性に惑わされないという強い意志のことである。

彼らは宇宙に住むこともできるが、あえて住もうとはしない。なぜなら彼らは、宇宙は非常に殺風景な場所だということを知っているからだ。彼らが時折宇宙飛行士に姿を見せるのは重力の重要性を説いている。人工的に重力も作れないのに宇宙で生活するのは危険なことだ。生理的な機能は重力があるから正常に機能する。無重力空間で長期間生活することは目に見える生理現象だけでなく、目に見えない細胞分裂などの生理現象にも影響を与えるのだ。

UFOに乗って銀河系の果てまで行き、テレポートし、あらゆる生物の思考を読み、あらゆる物質(生物、無生物、水、火、大気)を思い通りに操作し、あらゆる物質の原子核を分裂させて核爆発を起こす人々は、今日も山奥で家畜を追い、農作業に汗をかいているのだろう。

 

2013年チェリャビンスク州の隕石落下(宇宙人の威嚇)

 

※画像はチェリャビンスク州の隕石落下である。宇宙人は隕石を操り、それを破壊することが出来ることをデモンストレーションしてみせた。タナトスに対する威嚇である。

 

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ケムトレイル(農薬毒の害を軽減させる地球に対する宇宙人の心遣い)

 

※画像は2016年に筆者が近所で撮影したケムトレイルだ。自慢ではないが、これほどはっきりしたケムトレイルの画像を他で見かけたことが無い。しかし、ネットもメディアも取り上げてくれない(それは筆者が本願寺の敵だからだ)。これは空に描かれた巨大なアスタリスクである。

アスタリスクは星を意味する記号だ。つまり、筆者はこれを隕石と解釈した。超科学の種族が隕石を落とそうとしていることを表している。彼らは、地上に蔓延り、環境を破壊し、正しい人々を虐げるタナトスに怒り心頭なのだ。他の画像も見たい方は拙著「神の啓示~ケムトレイル写真集」をご覧ください。

 

空飛ぶステッキ(農薬の害を教えてくれる無人型UFO)

 

※画像は空飛ぶステッキである。右上に小さく写っている。「世界のUFO現象」の記事によると、この写真は2003年のカナダで偶然撮影されたという。写っている人物がミステリーサークルを見学していた時の写真ということだが、この空飛ぶステッキは農薬の危険を教えようとしている。なぜなら筆者もこの空飛ぶステッキを見ているのだ。

筆者は●笠山に向かって散歩中だったが、某大学の裏山を通行中、その上空にこれを見つけた。全く同じもので、黒いステッキ状なのだが、二ヶ所でいやな印象の赤い光がヌメッと点滅していた。更に、その日は強風だったにもかかわらず、その物体は空に突き刺さったようにビクとも動かない。揺れもしない。

あとで考えたことだが、●笠山には競技場があり、農薬もふんだんに撒かれている。「宇宙人はそのことを注意するためにこれを飛ばした」という考えに行き着いた。宇宙人が放つ赤い光は常に注意・警告を意味する。筆者の体験と、上記の麦畑でのことをつき合わせて鑑みれば、空飛ぶステッキが農薬の害を警告しているのは間違いない。

  

意思を持つ業火(悪い人間だけに狙いを定める捕食者の如き火炎。宇宙人曰く「愚かなこと、弱いことは悪である」)

 

※画像は2018年のカリフォルニア山火事のひとこまであるが、これは最早山火事とは呼べない。偽者の神を崇める愚かな人類(邪教信者)に対する真の神による鉄槌である。 愚か者が、王のように自由を満喫するのは間違いであることを教えてくれている。

 

意思を持つ水(ヨーロッパを襲う竜巻、日本東北部を襲った台風も遺伝子組み換え畑の壊滅が目的である)

 

※上画像は2019年アメリカ中西部洪水のひとこま、下画像は2019年台風19号の被災地のひとこまである。宇宙人は超科学により水を分子の次元で操り、遺伝子組み換え農作物を栽培しているアメリカ農業地帯や関東東北地域を水の底に沈めている。

遺伝子組み換え農業をやめれば洪水は二度と起こらないだろう。逆に、遺伝子組み換え農業を続ける限り洪水が発生し続けること、それをここに断言する。宇宙人が起こす洪水は、どこまでも標的を追う「ジェイソンみたいな水」といってよかろう。

 

意思を持つ低温(温暖化という大規模なウソをつく愚か者を凍りつかせる神の鉄槌)

 

※画像は2018年~2019年冬のシカゴである。宇宙人がアメリカ中西部を南極に変えたひとこまだ。温暖化十字軍は、この極端な冷凍現象も温暖化の一環だと述べているが、「ウソをついたらつき通せ」という嘘つきの戯れに過ぎない。そんな風に言うことが出来るなら、逆に「温暖化は地球の氷河期化の一環だ」と述べることも可能だろう。反論してみろ。ただ言えることは、もし本当に温暖化を止めたいなら温暖化を口にする権威を皆殺しにすれば済むことだ。

2019年冬(執筆時点)、宇宙人は既にアメリカやヨーロッパを冷凍しているが、まだまだ序の口だ。これからもっと冷凍は過激さを増すだろう。日本は全然寒くない。2019年12月11日にテレビでトランプ大統領を批判するハリソン・フォード(東西本願寺に操られている)のひとことの方が寒かったくらいだ。あれを聞いて背筋が冷えた。

 

 

 


宇宙人エラドの一族~女神エリウ、ラテン王国、シュメール都市国家ウル、アーリア人、衛、老子、道教、セレウコス朝、カッパドキア王国、橘諸兄、小野妹子、ブルガリア帝国、ブニョロ帝国、ウィルタ族

 

女神エリウ(1万2千年前)※画像はエリウ

 

エラドは大地殻変動が起きると、超科学の継承を決意し、凍りついた南極(五岳神の国)からマハラエルと共に古代アイルランドに移住した。エリウの名の由来はエラドである。

 

・ウラルトゥ王国(BC5千年)

 

※画像はウラル山脈である。マハラエルは「トロイア戦争」「マー・トゥーレスの戦い」を機に、エラドと共に古代アイルランドからウラル地方に移住し、ウラルトゥ王国(公式には認められていないが第一次ウラルトゥ王国)を築いた。ウラルトゥの由来はマハラエルとエラドの組み合わせである。マハラエル+エラド=エルラドウラルトゥとなる。ウラルの名はウラルトゥ王国が当地に存在した証である。

ロシア人は、彼ら宇宙人の子孫である。ロシア(ルス)の由来はブリアレオース(マハラエルはマベエとブリアレオースの合体部族)だと考えられる。ブリアレオース=レオス=ルスとなる。

 

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真のイスラエル王国の時代(宇宙人の古代台湾統治時代)

 

・ルカイ族(クウォスのトバルカイン)

・ツォウ族(ゼウスの一族)

・サイシャット族(ゼウスの一族)

・タオ族(エラド)

・セデック族(マハラエル)

・クーロン族(チュクウのトバルカイン+ルハンガのトバルカイン)

・タオカス族(エラド+クウォスのトバルカイン)

・パゼッヘ族(ルハンガ+スバル人)

・アリクン族(オロクンのトバルカイン)

・ロア族(マハラエル)

・シラヤ族(スバル人+ルハンガのトバルカイン)

 

※画像は台湾の絶景。真のイスラエル王国とは、葦原中津国(天草諸島~八代湾)と高天原(台湾)による連邦国家だった。古代台湾はもともとオリジナル人類ニャメ(アミ族)の領土であり、日本神話で見られる天津神の故郷でもある。

BC35世紀頃、上記の宇宙人(超科学の種族)たちが集合し、最初の人類エスが築いた葦原中津国と連合してイスラエル(台湾、沖縄諸島、九州)を統治していた。

 

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・ラティヌス(BC32世紀頃)

・ラテン王国(BC32世紀頃)

・都市国家ウル(BC32世紀頃)

 

※画像はヴォルガ河である。伝説のラテン王国が存在したのはイタリアではない。ラテン王国の範図は広大であり、北はヴォルガ流域・ウラル山脈、西はバルカン半島、東はアルタイ山脈・オルドス(中国)、南はメソポタミア・インドにまで広がっていた。つまり、メソポタミア文明や黄河文明をも内包していた巨大王国だった。

ラティヌスの由来はエラドとアルキュオネウスの組み合わせである。エラド+アルキュオネウス=ラドネウス=ラティヌス=ラテンとなる。オロクンのトバルカインは預言者ナタンの一族とその街を核分裂させて消滅させた当人だが、その「黙示録アルマゲドン」を機に、オロクンのトバルカインは巨大な罪悪感によって超科学を放棄し、ウラル山脈に移り住んでエラドと共にラティヌス(ラテン王国)を生んだ。

この時にオロクンのトバルカインがウラルを訪れた際、初めてヴォルガ河はヴォルガと呼ばれ、バルカン半島もバルカンと呼ばれた。ヴォルガ、バルカンの由来はトバルカインである。トバルカイン=トヴァルガイン=ヴォルガとなり、トバルカイン=バルカイン=バルカンとなる。

 

●アーリア人(ティールタンカラの一族)

 

・バーラタ族(BC32世紀)

・トリツ族(BC32世紀)

・マツヤ族(BC32世紀)

・パルシュ族(BC32世紀)

 

・クル族(BC32世紀)

 

●アーリア人(デウスの一族)

 

・ダーサ族(BC32世紀)

 

●アーリア人(オロクンのトバルカインの一族)

 

・アヌ族(BC32世紀)

・ドルヒユ族(BC32世紀)

・パニ族(BC32世紀)

・バラーナ族(BC32世紀)

・ブリグ族(BC32世紀)

・プール族(BC32世紀)

・アリナ族(BC32世紀)

 

※アーリア人とはラテン王国の住人のことである。アーリアの由来はエリウである。エリウ=エーリウ=アーリアとなる。ブリグの由来はトバルカインであるが、他の部族は地名を冠している。アヌ、パニの由来はヴァナラシであり、ドルヒユの由来はトロイアであり、バラーナの由来はヴァラナシである。

ラテン王国は、タナトスの一族の国々に隣接していた。古代ヨーロッパにはカピラバストゥ・バルト(ティールタンカラの一族)、アイギュプトス・ハルシュタット(預言者ナタンの一族)、ダナイス(タナトスの一族)の王国があり、中央アジアには預言者ナタンの一族の国ミディアン(ミタンニ王国+大宛)、黒海にはカンボージャ・ガンダーラ(デウスの一族)、インドにはデカン(ティールタンカラの一族)、中国には殷(サトゥルヌスの一族)などの王国があった。

 

・Sláine mac Dela(?~BC1513) ハイ・キング 在位BC1514~BC1513

・Rudraige mac Dela(?~BC1511) ハイ・キング 在位BC1513~BC1511

・Sengann mac Dela(?~BC1502) ハイ・キング 在位BC1507~BC1502

・Fiacha Cennfinnán mac Starn(?~BC1497) ハイ・キング 在位BC1502~1497

・Rinnal mac Genann(?~BC1491) ハイ・キング 在位BC1497~1491

・Fodbgen mac Sengann(?~BC1487) ハイ・キング 在位BC1491~1487

・Eochaid mac Eirc(?~BC1477) ハイ・キング 在位BC1487~1477

 

※アイルランドのハイ・キングはBC16世紀頃から始まったが、この歴代ハイ・キングは同時に都市国家ウルの王、アーリア人の王と考えることも出来る。

 

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・衛(BC11世紀頃)

・老子(BC11世紀頃)

・道教(BC11世紀頃)

 

※画像は老子。BC11世紀の「十王戦争」を機に、アーリア人は春秋戦国時代の中国に移住した。アーリア人の「十王戦争」とはラテン王国とタナトスの王国(ティールタンカラの一族とデウスの一族)との戦争だったと考えることが出来る。

この時に衛を築き、老子(道教)を生んだ。衛(ウェイ)、老子(ラオ)、道教(タオ)の由来はエラドである。エラド=ウェイラオタオ=衛(ウェイ)+老子(ラオ)+道教(タオ)となる。衛の王が代々の道教の神官を務めた。

 

道教の指導者(衛の歴代王)

 

・康叔(生没年不詳) 衛初代王 在位11世紀頃

・康伯(生没年不詳) 衛第2代王

・孝伯(生没年不詳) 衛第3代王

・嗣伯(生没年不詳) 衛第4代王

・嗣伯の子(生没年不詳) 衛第5代王

・靖伯(生没年不詳) 衛第6代王 在位?~BC867

・貞伯(?~BC867) 衛第7代王 在位BC866~BC855

・頃候(?~BC855) 衛第8代王

 

・出公(?~BC480) 衛第30代王 在位BC492~BC480

・荘公(?~BC478) 衛第31代王 在位BC479~BC478

・衛君起(?~BC477) 衛第32代王 在位477

・出公(?~BC470) 衛第33代王 在位BC476~BC470

・悼公(?~BC465) 衛第34代王 在位BC469~BC465

・敬公(?~BC432) 衛第35代王 在位BC464~BC432

・昭公(?~BC426) 衛第36代王 在位BC431~BC426

・懐公(?~BC415) 衛第37代王 在位BC425~BC415

・慎公(?~BC383) 衛第38代王 在位BC414~BC383

・声公(?~BC372) 衛第39代王 在位BC382~BC372

・成侯(?~BC343) 衛第40代王 在位BC371~BC343

 

平侯(?~BC335) 衛第41代王 在位BC342~BC335

アンティオコス(生没年不詳) セレウコス1世父

アリアラテス1世(?~BC322) カッパドキア王国初代王 在位BC350~BC322

 

・嗣君(?~BC293) 衛第42代王 在位BC334~BC293

・懐君(?~BC254) 衛第43代王 在位BC292~BC254

 

元君(?~BC230) 衛第44代王 在位BC254~BC230

アリアラムネス(?~BC230) カッパドキア王国第4代王 在位BC280~BC230

 

・衛君角(?~BC209) 衛第45代王 在位BC229~BC209

 

※衛が秦によって滅亡する寸前、衛の王平候はオリエント地方に進出し、セレウコス朝初代王セレウコス1世を儲け、カッパドキア王国を築き、初代王に即位している。平候の一族はシリアとカッパドキアを支配しながら月氏としてモンゴルの一部も支配下に置いていた。月(ユエ)の由来は衛(ウェイ)である。

 

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月氏の王(カッパドキア王国の歴代王)

 

アリアラテス3世(?~BC220) カッパドキア王国第5代王 在位BC230~BC220

セレウコス3世ケラウノス(?~BC223) セレウコス朝第5代王 在位BC226~BC223

 

アリアラテス4世(?~BC163) カッパドキア王国第6代王 在位BC220~BC163

アンティオコス4世エピファネス(?~BC164) セレウコス朝第8代王 在位BC175~BC164

アンティオコス5世エウパトル(?~BC162) セレウコス朝第9代王 在位BC164~BC162

 

アリアラテス5世(?~BC130) カッパドキア王国第7代王 在位BC163~BC130

アンティオコス7世シデテス(?~BC129) セレウコス朝第13代王 在位BC138~BC129

 

・アリアラテス6世(?~BC112) カッパドキア王国第8代王 在位BC130~BC112

・アリアラテス7世(?~BC100) カッパドキア王国第9代王 在位BC112~BC100

 

アリアラテス8世(?~BC98) カッパドキア王国第10代王 在位BC100~BC98

アンティオコス8世グリュポス(?~BC96) セレウコス朝第17代王 在位BC125~BC96 

 

アリオバルザネス1世(?~BC63) カッパドキア王国第11代王 在位BC95~BC63

アンティオコス13世アジアティクス(?~BC63) セレウコス朝第20代王 在位BC69~BC63

 

※アンティオコス13世はセレウコス朝最後の王である。

 

・アリオバルザネス2世(?~BC53) カッパドキア王国第12代王 在位BC63~BC53

・アリオバルザネス3世(?~BC42) カッパドキア王国第13代王 在位BC53~BC42

・アリアラテス10世(?~BC36) カッパドキア王国第14代王 在位BC42~BC36

・アルケラオス1世(?~17) カッパドキア王国第15代王 在位BC36~17

 

アルケラオス2世(?~37) カッパドキア王国第16代王 在位17~37

Feradach Finnfechtnach(?~36) ハイ・キング 在位14~36

Fíatach Finn(?~39) ハイ・キング 在位36~39

 

※カッパドキア王アルケラオス2世の頃から再びアイルランドのハイ・キングを兼ねるようになった。

 

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Art mac Cuinn(?~195) ハイ・キング 在位165~195※画像なし

張角(?~184) 太平道首領

 

※ハイ・キングは中国に帰還し、張角に変身して太平道を指揮し、「黄巾の乱」を指揮した。

 

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伽耶の王(グプタ朝の歴代王)

 

Colla Uais(?~326) ハイ・キング 在位322~326

チャンドラグプタ1世(?~330) グプタ朝初代王 在位320~330

 

※ハイ・キングはインドにグプタ朝を築いた。グプタの名の由来はカッパドキアである。グプタの王は伽耶の王も兼ねた。

 

吉備下道前津屋(?~463)

スカンダグプタ(?~467) グプタ朝第6代王 在位455~467

Lóegaire mac Néill(?~458) ハイ・キング 在位428~458

 

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伝説のブニョロ帝国の帝王(ブルガリア帝国の歴代皇帝)

 

小野妹子(6世紀後半)

ゴストゥン(?~605) エルミ朝初代ブルガリア王 在位603~605※画像なし

氏名不明(生没年不詳) ブニョロ帝国初代王 在位不明※画像なし

 

※小野妹子が初代王ゴスティンに変身し、ブルガリア帝国を築いたと考えられる。ブルガリアの名の由来はトバルカインとアーリアの組み合わせである。トバルカイン+アーリア=バルカリア=ブルガリアとなる。

小野妹子はブルガリアを統治しながら同時に東アフリカに進出し、伝説のブニョロ帝国を築いた。ブニョロ帝国の王の系譜は不明だが、ブルガリア帝国の王がブニョロ帝国の王を兼任していたので、ブルガリア皇帝の系譜を見れば明らかである。ブニョロの由来はヴァナラシである。

 

クブラト(?~665) ドゥロ朝初代ブルガリア王 在位605~665

エゼルウェルホ(?~665) サセックス王国最後の王 在位660~665

 

バトバヤン(?~668) ドゥロ朝第2代ブルガリア王 在位665~668

レケスウィント(610~672) 西ゴート王国第29代王 在位649~672

 

アスパルフ(?~700) ドゥロ朝第3代ブルガリア王 在位668~700

エギカ(?~702) 西ゴート王国第32代王 在位687~702

 

テルヴェル(?~721) ドゥロ朝第4代ブルガリア王 在位700~721

アギラ2世(695~714) 西ゴート王国第35代王 在位711~714

アルド(?~718) 西ゴート王国第36代王 在位714~718

 

コルメシイ(?~738) ドゥロ朝第5代ブルガリア王 在位721~738※画像なし

カール・マルテル(686~741) フランク王国宰相※ピピン3世父

 

橘諸兄(684~757) 初代橘氏長者

セヴァル(?~753) ドゥロ朝第6代ブルガリア王 在位738~753

Áed Allán(?~743) ハイ・キング 在位730~738

 

吉備真備(695~775)

Domnall Midi(700~763) ハイ・キング 在位739~758

 

橘奈良麻呂(721~757) 橘諸兄の子

コルミソシュ(?~756) ヴォキル朝初代ブルガリア王 在位753~756

Niall Frossach(718~778) ハイ・キング 在位759~765

 

※橘氏、小野氏は月氏の王族であり、吉備氏、上道氏、下道氏、香夜氏はカッパドキアの王族である。橘の名の由来はタタール(モンゴル)のパニ(アーリア人)、小野の名の由来はアヌ(アーリア人)、吉備、道、香夜の名の由来はカッパドキアである。タタール+パニ=タタパニ=橘となり、アヌ=小野となり、カッパドキア=吉備+道+香夜となる。「奈良」の名は橘氏、小野氏が初めて日本に伝えた。奈良の由来はヴァナラシである。

 

・ヴィネフ(?~760) ヴォキル朝第2代ブルガリア王 在位756~760

・テレツ(?~763) ヴォキル朝第3代ブルガリア王 在位760~763

・サビン(?~766) ヴォキル朝第4代ブルガリア王 在位763~766

・ウモル(?~766) ヴォキル朝第5代ブルガリア王 在位766

・トクトゥ(?~767) ヴォキル朝第6代ブルガリア王 在位766~767

 

パガン(?~768) ヴォキル朝第7代ブルガリア王 在位767~768※画像なし

ピピン3世(714~768) カロリング朝初代フランク王 在位751~768

 

・テレリグ(?~777) ヴォキル朝第8代ブルガリア王 在位768~777

 

ドクム(?~815) ドゥロ朝第3代ブルガリア王 在位814~815※画像なし

シャルルマーニュ大帝(742~814) 神聖ローマ帝国初代皇帝 在位768~814

 

アデライド(生没年不詳) ピピン3世の子

シゲレッド(?~825) エセックス王国最後の王 在位798~825

 

オムルタグ(?~831) ドゥロ朝第5代ブルガリア王 在位814~831

エクバード(769~839) イングランド王国初代王 在位802~839

 

マラミル(?~852) ドゥロ朝第6代ブルガリア王 在位831~852※画像なし

ピャスト(740~861) ポーランド王国初代王 在位不明

 

プレシアン(?~852) ドゥロ朝第7代ブルガリア王 在位836~852※画像なし

エゼルウルフ(?~858) イングランド王国第2代王 在位839~858

 

ヴラディーミル(?~893) ドゥロ朝第9代ブルガリア王 在位889~893※画像なし

アルフレッド大王(849~899) イングランド王国第6代王 在位871~899
ボンドチャル・ムンカグ(850~900) ボルジギン家の祖

 

※ヴラディミールはアルフレッド大王に変身し、デーン人を蹴散らしてデーンローを壊滅させた。また、アルフレッド大王はボンドチャル・ムンカグに変身して覇王チンギス・ハーンを生むボルジギン家の始祖となった。アルフレッドとボンドチャルの生没年が1年しか違わない点も興味深い。明らかに同一人物だろう。

 

シメオン1世(?~927) ドゥロ朝第10代ブルガリア王 在位893~927※画像なし

エドワード長兄王(877~924) イングランド王国第7代王 在位899~924

 

ロマン(?~997) ドゥロ朝第13代ブルガリア王 在位972~997

ゲーザ(940~997) イシュトヴァーン1世父

 

チンチャ王国の王(サムイル朝ブルガリアの歴代王)

 

エセルレッド2世(968~1016) イングランド王国第14代王 在位978~1013

サムイル(?~1014) サムイル朝初代ブルガリア王 在位976~1014※画像なし

ガヴリル・ラドミール(?~1015) サムイル朝第2代ブルガリア王 在位1014~1015※画像なし

イヴァン・ヴラディスラフ(?~1018) サムイル朝第3代ブルガリア王 在位1015~1018※画像なし

 

ペタル・デリャン(?~1041) サムイル朝第4代ブルガリア王 在位1040~1041

イシュトヴァーン1世(969~1038) アールパード朝初代ハンガリー王 在位1000~1038

 

コンスタンティン・ボディン(?~1072) 在位1072

シャラモン(?~1074) アールパード朝第6代ハンガリー王 在位1063~1074

 

※サムイル朝ブルガリア王は現ペルーに進出し、チンチャ王国を築いた。チンチャの由来は朝鮮語「本当に?」である。1018年~1040年までの間はブルガリア人のペルーへの大移住も起きたようだ。約100年ほどのブルガリア王位途絶は原因不明であるが、実際には拠点がハンガリーに移ったため、キングメーカーはブルガリア王からハンガリー王にスイッチしていた。

 

ボルジギン家当主(アールパード朝歴代ハンガリー王)

 

ゲーザ1世(1040~1077) アールパード朝第7代ハンガリー王 在位1074~1077

ラースロー1世(1040~1095) アールパード朝第8代ハンガリー王 在位1077~1095

カイドゥ(1040~1100) ボンドチャルの子※画像なし

ヴワディスワフ1世(1043~1102) ピャスト朝第8代ポーランド公 在位1079~1102


・バイ・シンコル・ドクシン(?~?) カイドゥの子

 

カールマーン1世(1070~1116) アールパード朝第9代ハンガリー王 在位1095~1116※画像なし
トンビナイ・セチェン(1080~1130) ドクシンの子※画像なし

ボレスワフ3世(1085~1138) ピャスト朝第10代ポーランド公 在位1102~1138

 

イシュトヴァーン2世(1101~1131) アールパード朝第10代ハンガリー王 在位1105~1131
カブル・カーン(1100~1147) セチェンの子

ヴワディスワフ2世(1105~1159) ピャスト朝第11代ポーランド公 在位1138~1146


・バルタン・バートル(?~?) カブルの子

 

ペーラ2世(1108~1141) アールパード朝第9代ハンガリー王 在位1131~1141※画像なし
ステファン・ネマニャ(1113~1200) セルビア王国初代王 1113~1200

 

ゲーザ2世(1130~1162) アールパード朝第12代ハンガリー王 在位1141~1162
イェスゲイ(1134~1171) バートルの子

ウラジーミル3世(1132~1173) リューリク朝第24代キエフ大公 在位1171※画像なし

 

※アールパード朝ハンガリー王が新規にブルガリア王位を設け、第二次ブルガリア帝国を築いた。

 

カロヤン(?~1207) アセン朝第4代ブルガリア王 在位1197~1207※画像なし

イムレ1世(1174~1204) アールパード朝第15代ハンガリー王 在位1196~1204※画像なし

サワ(1174~1236) セルビア大主教※画像なし
テオドロス1世(1175~1222) ラスカリス朝ビザンツ帝国初代皇帝 在位1205~1222

 

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第12代ハンガリー王ゲーザ2世(イェスゲイ)の子

 

マルギト(1162~1208)※画像なし

チンギス・ハーン(1162~1227) モンゴル帝国初代皇帝 在位1206~1227

ムスチスラフ3世(?~1223) リューリク朝第39代キエフ大公 在位1214~1223※画像なし

 

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スミレツ(?~1298) テルテル朝第2代ブルガリア王 在位1292~1298

心地覚心(1207~1298) 臨済宗建仁寺派妙光寺開創

 

チャカ(?~1300) テルテル朝第4代ブルガリア王 在位1299~1300※画像なし

クビライ(1215~1294) 大元帝国初代皇帝 在位1260~1294

 

※ここまで見てくると、ブルガリア帝国は稀代のキングメーカーだったことがわかる。

 

テオドル・スヴェトスラフ(?~1322) テルテル朝第5代ブルガリア王 在位1300~1322

テムル(?~1307) 大元帝国第2代皇帝 在位1294~1307

カイシャン(?~1311) 大元帝国第3代皇帝 在位1307~1311

アユルバルワダ(?~1320) 大元帝国第4代皇帝 在位1311~1320

 

ゲオルギ2世テルテル(?~1323) テルテル朝第6代ブルガリア王 在位1322~1323※画像なし

フリードリヒ1世(1257~1323) マイセン辺境伯 在位1292~1323

シデバラ(?~1323) 大元帝国第5代皇帝 在位1320~1323※画像なし
オスマン1世(1258~1326) オスマントルコ帝国初代皇帝 在位1299~1326

 

※以前、フビライの子アヤチとオスマン1世を同じにしていたが、訂正している。ブルガリアのゲオルギ2世は大元帝国の皇帝シデバラとオスマントルコ帝国初代皇帝オスマン1世に変身した。

 

ミハイル3世シシュマン(1280~1330) シシュマン=アセン朝初代ブルガリア王 在位1323~30※画像なし

イェスン・テムル(?~1328) 大元帝国第6代皇帝 在位1323~1328※画像なし

コシラ(?~1329) 大元帝国第9代皇帝 在位1329※画像なし
イヴァン1世(1288~1340) モスクワ大公 在位1325~1340

 

イヴァン・ステファン(?~1331) シシュマン=アセン朝第2代ブルガリア王 在位1330~1331

トク・テムル(?~1332) 大元帝国第8、10代皇帝 在位1328~29、1329~32

 

イヴァン・アレクサンダル(?~1371) シシュマン=アセン朝第3代ブルガリア王 在位1331~71※画像なし

トゴン・テムル(1320~1370) 大元帝国第12代+北元初代皇帝 在位1333~68、1368~70

 

イヴァン・シシュマン(?~1393) シシュマン=アセン朝第4代ブルガリア王 在位1371~1393

イェスデル(?~1391) 北元第4代皇帝 在位1388~1391

 

イヴァン・スラツィミル(?~1396) シシュマン=アセン朝第5代ブルガリア王 在位1356~1396

エンケ・ハーン(?~1394) 北元第5代皇帝 在位1391~1394

 

・フリードリヒ2世(1310~1349) マイセン辺境伯 在位1323~1349

・フリードリヒ3世(1332~1381) マイセン辺境伯 在位1349~1381

 

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●宇宙人エラ人+ウィルタ族・オロッコ族の首長(歴代ザクセン=コーブルク=ゴータ公)

 

・ウィルタ族(15世紀頃)

・オロッコ族(15世紀頃)

 

※画像はウィルタ族(オロッコ)の人々である。宇宙人(オロクンのトバルカインとエラド)が共同で築いたブルガリア帝国が滅ぶと、両者はシベリアに移り、ウィルタ族、オロッコ族となり、シベリアで超科学の研究に勤しんだ。

ウィルタとオロッコの代々の首長は、ザクセン=ゴータ=コーブルク公も兼ねた。ウィルタの由来はエラドであり、オロッコの由来はオロクンである。画像の人々を見ていると、時折報告されるモンゴロイド型宇宙人の正体とはウィルタ族(オロッコ)なのではないかと思える。

 

コンスタンティン2世(?~1422) シシュマン=アセン朝第6代ブルガリア王在位1396~1422※画像なし

フリードリヒ1世(1370~1428) ザクセン選帝侯 在位1407~1428

 

・フリードリヒ2世(1412~1464) ザクセン選帝侯 在位1428~1464

・エルンスト(1411~1486) ザクセン選帝侯 在位1464~1486

・ヨハン(1468~1532) ザクセン選帝侯 在位1525~1532

・ヨハン・フリードリヒ(1503~1554) ザクセン選帝侯 在位1532~1547

・ヨハン・ヴィルヘルム(1530~1573) ザクセン=ヴァイマル公

・Johann II(1570~1605) Duke of Saxe-Weimar

・エルンスト1世(1601~1675) ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公

・John Ernest IV(1658~1729) Duke of Saxe-Coburg-Saalfeld

・フランツ・ヨシアス(1697~1764) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・エルンスト・フリードリヒ(1724~1800) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・フランツ(1750~1806) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公

・フェルディナント(1785~1851)

・アウグスト・ルートヴィヒ・ヴクトル(1818~1881)

 

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アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータの子

 

フェルディナンド1世(1861~1948) ブルガリア王国初代王 在位1887~1908

ダグラス・ハイド(1860~1949) アイルランド初代大統領 任期1938~1945

 

※宇宙人エラドの一族は、女神エリウの頃の故地であるアイルランドに帰ってきた。

 

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アウグスト・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータの孫

 

レオポルト・クレメンス(1878~1916) フィリップの子

ショーン・オケリー(1882~1966) アイルランド第2代大統領 任期1945~1959

エイモン・デ・ヴァレラ(1882~1975) アイルランド第3代大統領 任期1959~1973

ウィリアム・コスグレイヴ(1880~1965) アイルランド初代首相 任期1922~1932

 

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初代ブルガリア王フェルディナンド1世の孫

 

フェルディナント・オイゲン(1925) ナデジダ・ブルガルスカの子※画像なし

チャールズ・ホーヒー(1925~2006)アイルランド第6代首相 任期1979~81、1982、1987~1992

 

オイゲン・エーバーハル(1930) ナデジダ・ブルガルスカの子※画像なし

ボリス・エリツィン(1931~2007) ロシア連邦初代大統領 任期1991~1999

イオン・イリエスク(1930) ルーマニア第2、4代大統領 任期1990~96、2000~04

アルバート・レイノルズ(1932~2014) アイルランド第15代首相 任期1992~1994

 

シメオン2世(1943) 第3代ブルガリア王 在位1943~1946

シュミット・パール(1942) ハンガリー共和国第4第大統領 任期2010~2012

ミロシュ・ゼマン(1944) チェコ第3代大統領 任期2013~現在

マイケル・D・ヒギンス(1941) アイルランド第9代大統領 任期2011~現在

 

カルダム・サクスコブルクゴツキ(1962~2015) ブルガリア王シメオン2世の子

ケヴェール・ラースロー(1959) ハンガリー共和国大統領代行 任期2012

アーデル・ヤーノシュ(1959) ハンガリー共和国第5第大統領 任期2012~現在

ブライアン・カウエン(1960) アイルランド第18代首相 任期2008~2011

 

※ハンガリー政府はハンガリー国内の遺伝子組み換えとうもろこしの畑を焼き尽くし、まともなとうもろこしを栽培し、冷凍食品として輸出していた。日本では業務スーパーで売られていた(現在では撤去されている)。しかし、これを不服としたイギリス政府(西本願寺門主文如と法如の一族)が「有毒な細菌に汚染されたハンガリーの冷凍食品を食べたせいでイギリス国民が死んだ」とウソをつき、世界的にハンガリー冷凍食品を輸出禁止にした。本願寺は、どうしても安全なものを人類に食べさせたくないのだ。

 

 

 



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