目次
目次
まえがき
地球の王~獣人ビッグフット、全能神ゼウス、宇宙人、天狗、巨石建造(ピラミッド派、マウンド派)の種族、ダヴィデ王、善神デーヴァ
ギュゲスの一族~ローマ執政官、ペルシア皇帝、アレキサンダー大王、秦始皇帝、セレウコス朝、プトレマイオス朝、匈奴、ローマ皇帝
ユリウス・カエサルの一族〜初代ローマ皇帝アウグストゥス、諸葛氏、高句麗、ブルガリア帝国、リトアニア大公国、明、李氏朝鮮、マイソール王国、太平天国、サムスン・グループ
イエス・キリストの一族~クレオパトラ7世、洗礼者ヨハネ、イエス・キリスト、十二使徒、初代ローマ教皇ペトロ、ブリトン王国、ベネディクト会、カンタベリー大主教、ジャン・カルヴァン、ブルボン朝フランス王国
マホメットの一族~イスラム帝国、シーア派イマーム、アッバース朝、セルジューク・トルコ帝国、ハプスブルグ家、エステ家、オーストリア=ハンガリー帝国、バアス党
アラリックの一族~西ゴート王国、南朝宋、シャルルマーニュ大帝、イングランド王国、キエフ公国、ポーランド王国、ノルマンディー公国、モンゴル帝国、カーカティヤ朝、甲賀忍者、エチオピア帝国、チムール帝国
シャルルマーニュ大帝の一族~ビザンツ帝国、後蜀、ロタリンギア王国、ハンガリー王国、カスティーリャ王国、セルビア王国、チェコ共和国、ハンガリー共和国
オスマン1世の一族~北元、イヴァン雷帝、シク教国、スペイン無敵艦隊、ロシア帝国、サルディーニャ王国、ハプスブルグ朝オーストリア帝国、リンカーン大統領、宰相ビスマルク、怪僧ラスプーチン
ソロモン1世の一族~ズールー帝国、ケニア共和国、チャック・ベリー、アース・ウィンド&ファイア、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、エディ・マーフィー
イヴァン1世の一族~フス派、ボヘミア王国、雑賀衆、鈴木孫一、ロシア正教会モスクワ総主教、ヘーチマン国家、アフガニスタン王国、救済同盟、ナロードニキ運動、スタジオ・ジブリ、押井守
ヴィスコンティ家の一族~ヴィスコンティ家、クリストファー・コロンブス、アメリゴ・ベスブッチ、ヴァスコ・ダ・ガマ、イエズス会、フランシスコ・ザビエル、ローマ教皇フランシス
フリードリヒ1世の一族~サファヴィー朝、グリュックスブルグ朝デンマーク王国、プロイセン帝国、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ、レーニン、チェ・ゲバラ、ホメイニ師、メドベージェフ首相
イヴァン大帝の一族~チューダー朝イングランド王国、宗教革命、ブルボン朝フランス王国、西郷氏、東郷氏、清教徒革命、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、サウジアラビア王国
バーブルの一族~ムガール帝国、ムハンマド・アリー朝、エジプト共和国、チャールズ・チャップリン、サルバドール・ダリ、ハロルド・ピンター、ボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイ、プリンス
マクシミリアン1世(ハプスブルグ家)の一族~バイエルン王国、交響曲の父ハイドン、サド侯爵、文豪ゲーテ、楽聖モーツァルト、KKK、ヘミングウェイ、太宰治、三島由紀夫、ピンク・フロイド、トランプ大統領
オリバー・クロムウェルの一族~大英帝国、アメリカ合衆国、エドガー・アラン・ポー、デ・キリコ、ロベール・ブレッソン、オーソン・ウェルズ、ザ・ビートルズ、モンティ・パイソン、レッド・ツェッペリン
宇佐美定満の一族~蘆名盛氏、柴田勝家、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光、伊達政宗、水戸光圀、乾隆帝、阮朝ベトナム帝国
蘆名盛氏の一族~高山右近、千利休、黒田官兵衛、有馬晴信、宮本武蔵、天草四郎、鄭成功、ヌルハチ、愛新覚羅家
ピヨートル大帝の一族~ナポレオン皇帝、モルモン教、ザンジバル帝国、ルーズベルト大統領、ケネディ大統領、ザ・ドアーズ、プーチン大統領、ウィキリークス、ニルヴァーナ、Qアノン
乾隆帝の一族~マイソール王国、宝暦事件、トンブリー朝タイ王国、詩聖タゴール、マハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー
嘉慶帝の一族~道光帝、曽国藩、胡林翼、李鴻章、西郷隆盛、吉田松陰、西太后、大本教、中江兆民、ジャン・コクトー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジェームズ・ディーン、つげ義春
曽国藩の一族~東郷平八郎、乃木希典、児玉源太郎、袁世凱、黄金栄、蒋介石、小津安二郎、手塚治虫、ジャン・クロード=カリエル、ヴェルナー・ヘルツォーク
胡林翼の一族~山口春吉、北一輝、大杉栄、鄧小平、ルイス・ブニュエル、サルトル、マルグリット・デュラス、池田大作、キューブリック、ゲンズブール、宮崎駿、セックス・ピストルズ、マイケル・ジャクソン
李鴻章の一族~勝海舟、福沢諭吉、坂本龍馬、張嘯林、杜月笙、黒澤明、田中角栄、習近平国家主席、マーティン・ルーサー・キングJr、ドゥテルテ大統領、マルコムX、青島幸男、橋本龍太郎
同治帝の一族~西太后、犬養毅、頭山満、義和団の乱、幸徳秋水、文鮮明、大山倍達、田岡一雄、高畑勲、安孫子素雄、梶原一騎、アントニオ猪木、鳥山明、高田延彦、秋元康
光緒帝の一族~孫文、夏目漱石、張作霖、甘粕正彦、橋本忍、毛沢東、徳田球一、金日成、小沢一郎、金丸信、藤本弘、金正日、赤塚不二夫、ジャッキー・チェン、金正恩委員長
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

2 / 29ページ

まえがき

ダヴィデの一族とは?

 

 

表と裏、陰と陽、光と影、善と悪、生と死、サンダとガイラ(?)。ダヴィデの一族とタナトスの一族はかように表裏一体の存在である。チュクウはルハンガと共にクリュテイオスを生んだが、両者とも、クリュテイオスと関係がある。チュクウから生まれたクリュテイオスから、更にタナトスが生まれているのだ。つまり、タナトスにもチュクウの血が流れている。ただ、両者の間には超えることができない巨大な隔たりが横たわっている。王者とできそこないという否定し難い事実である。

 

ダヴィデの一族は地球の王チュクウの子孫であり、帝王として民を正しく導く使命を帯びて生まれてくる。一方、できそこないであり、誰にも好かれないタナトスは、高い知能を悪に用いて強い者を数で圧倒し、ウソをついて真実を覆すことを本能としている死の種族だ。しかし、両者も元を辿れば同じ先祖に行き着くということで、ダヴィデの一族もタナトスの一族も同じような習性を持っている。

彼らは敵の目をごまかすために影武者を用いる。庶子の異母兄弟を投入し、影武者部隊を編み、影武者を駒のように徴用し、いくつもの顔を持ち、いくつもの名前を変えて生きていく。また、敵が多い場合には死んだことにして潜伏するということもする。更に、彼らは、筆者が優性遺伝子ブリーダーと呼ぶ、帝王の一族と死の種族で構成された中立を旨とする秘密結社を使い、多くの庶子を作る。このとき、帝王が女を選ぶのではなく、女が帝王を選んでいる。これにより、帝王は統治という使命に専念することができる。優性遺伝子ブリーダーは、帝王が寝ている間に女を連れ込み、帝王に催眠術をかけて子供を作る。この方法により、帝王ひとりにつき、庶子は数百人は存在することになる。

 

偉大な帝王は、誰でも自分の知らない間にたくさんの子供を儲けているのだが、こうして多くの庶子を作ることが、大規模な影武者部隊を編むことを可能にしている。同時に、このような状況は多くの語られない重要なドラマを生んでいる。この3つのポイントは、ダヴィデの一族とタナトスの一族の共通のポイントである。

 

真の帝王ともいうべき人々は、ひとつの帝王ではなく、同時に複数の帝王を演じ、帝国を統治する。例として、アヤチ。このアヤチはクビライの子と言われているが、筆者の私見では彼は実際にはチンギスの孫であり、モンケの子である。クビライは、モンケが優性遺伝子ブリーダーによってアヤチを儲けたことを知っていた。そのため、アヤチを邪険に扱った。モンゴル帝国を離れたアヤチは、その後、稀代の帝王の片鱗を見せることになる。アヤチはエチオピア帝国、オスマントルコ帝国、モスクワ公国を築き、同時に統治している。

チンギスの孫アヤチは、イムラクであり、オスマン1世であり、イヴァン1世であった。4人でひとりであり、ひとりで4人である。アヤチも上記のように庶子の異母兄弟を投入し、大規模な影武者部隊を作っていた。これにより、離れた帝国を同時に統治することが可能であった。これが真の帝王の姿である。ダヴィデの一族、及び、タナトスの一族の場合、このような例は枚挙に暇がない。読者の方にはこの点を良く頭に入れて置いていただきたい。

 

帝王は、自分の遺伝子を残すことではなく、自分が築いた家、帝国が繁栄することを願う。いい女が選んだ男の子供なら間違いない。優れているのであれば血筋は関係ない。後継者は誰でもよいと考えている。ただ、そのために弊害が起きることも少なくない。例として、クビライが子のアヤチと対立したり、武田信玄が父を追放するというようなことが起きる。もちろん例外もあるが、多くの場合、帝王の親子は実の親子ではないのだ。また、母が異なるということで異母兄弟同士が争うということもままある。

 

筆者はどうして同一人物の帝王を洗い出すことが出来たか?多くの帝王の場合、生年、生没年が合致、或いは近い場合があるのだが、同一人物と考えて良い。筆者はそのようにして多くの帝王の正体を見破ってきた。帝王の正体を見破った瞬間、多くのドラマが頭を駆け巡ることになる。だが、筆者はそれらのドラマをここで描くことはしない。それらのドラマは各自が思い描くことで、古代に想いを馳せる悦びを楽しんでいただきたい。

 

 

 


地球の王~獣人ビッグフット、全能神ゼウス、宇宙人、天狗、巨石建造(ピラミッド派、マウンド派)の種族、ダヴィデ王、善神デーヴァ

 

 

チュクウの一族(写真はビッグフット)


※200万年前「ビクトリア湖の大移動時代」に参加した地球の王ルハンガは、ナイジェリアに入植して「チュクウ」を生んだ。オリジナル人類ルハンガは、インドシナ半島に棲むといわれている獣人オラン・ダラムの姿をしていた。一方、ナイジェリアに住んだチュクウは、身長が4.5mにまで巨大化し、身長が4mを誇るルハンガの巨躯を凌駕した。その姿はヒマラヤに目撃されるイエティと同じだと考えられる。

その巨体と怪力により、チュクウは地球の王としてニジェール流域に君臨した。彼らは主にクロコダイルを素手で狩って食べていたが、時にライオンやゾウ、カバの天敵となった。彼らの身体能力は凄まじく、跳躍は高さ3mを超え、時速60kmで走り、岩を投げた。何よりも、彼らは素手で猛獣を殴り殺した。地球の王たる所以である。古代アメリカ大陸でサーベルタイガーと素手で戦った彼らは、サーベルタイガーを滅ぼしてしまったほどだ。

彼らの豊かな体毛は、猛獣の牙や爪を無力化する機能があり、防弾チョッキのようなものだった。その後、ルハンガ、チュクウなどの所謂獣人は他のオリジナル人類と混合することで、稀代の英雄をたくさん生んだ。そして、英雄たちは代々、タナトスを天敵として狩ってきた。

 

ギューゲース(50万年前)

アグリオス(45万年前)

クリュテイオス(45万年前)

グラティオーン(45万年前)

 

※地球の王チュクウはオリジナル人類クウォスと合体してギューゲースを生んだ。また、チュクウは同じ地球の王ルハンガと合体してアグリオス、クリュテイオス、グラティオーンを生んだ。ギューゲース、アグリオス、クリュテイオス、グラティオーンは「神統記」に於いて巨人として描かれている。彼らは、実際に獣人と呼ばれる最大4.5mのイェティ、最大3mのビッグフットと同じ姿をしていただろう。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ゼウスの一族


※チュクウから分かれ、古代アメリカ時代に生まれた「ソーク族」は、その後、台湾に移住して「ツオウ族」を生んだ。ツオウ族はパッラース、ミマースと合体して最初の英雄「ペルセウス」を生んだ。ペルセウスは「アルゴス号の大航海時代」に、ゴルゴン、メドゥーサなど、多くのタナトスを皆殺しにしている。更に、ツオウ族はムシシ、ヴィディエと合体して、台湾に「サイシャット族」を生んだ。ツオウ+ムシシ+ヴィディエ=ツオウシシディエ=シオウシッシデ=サイシャットとなる。
サイシャット族は単なる台湾の先住民族ではなく、塩椎神、素戔鳴尊、全能神ゼウス、冥界神セト、女神イシス、アダムの子セツなどの神々を生んだ部族である。サイシャット=サイシャツ=塩椎神(しおつち)。サイシャット+ウラニアー=サイシャニアー=素戔鳴尊(すさのおう)。サイシャット=サイシ=ゼウス。サイシャット=シャット=セト。サイシャット=イシャツ=イシス。サイシャット=シャツ=セツとなる。特に、全能神ゼウスは、テセウス、オデュッセウスと名前を変えながらことあるごとにタナトスを狩り、皆殺しにした。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

テュポンの一族(写真は宇宙人の絵とジョージ・アダムスキー)


※テュポンは地球の王であるルハンガとチュクウの合体部族である。チュクウ+ルハンガ=チュハン=テュポンとなる。「神統記」に於いては史上最強の怪物と呼ばれた。このテュポンからは宇宙人(科学の種族トバルカイン)が生まれている。トバルカインは、テュポンがアルキュオネウスと連合することで生まれた。テュポン+アルキュオネウス=テュポルキュオネ=トバルカインとなる。

2万年前にUFOを発明し、火星にまで行っていた種族だ。地球の番人であるトバルカインは、核兵器を発明し、タナトスとタナトスの邪教信者を、古代都市ごと焼き払ってきた。その名残りが荒涼たるサハラ、カラコルム、ゴビなどの砂漠である。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

天狗の一族(絵は鞍馬山僧正坊)

 

※チュクウの一族にはステュクスがいる。このステュクスはオリジナル人類のカゾオバ、チュクウ、クウォスの合体部族である。カゾオバ+チュクウ+クウォス=ゾチュクォス=ソチュクォス=ステュクスとなる。ステュクスは、30万年前に高天原(台湾)にセデック族を残している。そして7万年前、セデック族は、ミャンマーから来たトゥングル族と共にツングースに移住している。このときにセデック族からチュクチ族が、トゥングル族から犬戒(キロン)、天空神テングリ、丁零(ディングリング)などが生まれた。

チュクチ族は黒龍江流域に暮らしていたため、当時の黒龍江は冥府の川ステュクスと呼ばれた。そして、犬戒(キロン)はカロンと呼ばれた。冥府の川ステュクスと、渡し守カロン の神話は黒龍江、ツングース付近で生まれたものなのだ。

宇宙人はシベリアに移住するまでの間、BC1027年からAD8世紀頃までトバルカインはロシアに住んでいた。宇宙人はチュクチ族に接触し、度々交流を行っていた。チュクチ族は科学の種族トバルカイン(宇宙人)とは祖を同じくする一族であるため、生活圏を共有するうちに、トバルカインの卓越した科学に触れ、共有する機会があった。

トバルカインの科学力を得たチュクチ族は日本に移住し、修験道を体系化した。修験道の由来はチュクチとテングリの組み合わせである。チュクチ+テングリ+道=チュクン道=修験道となる。チュクチ族は、奥深い日本の山岳部で厳しい修行に明け暮れた。彼らは一般的に山伏と呼ばれたが、修行中の彼らを目撃した農民は、彼らを天狗と呼んだ。天狗の由来はテングリである。

彼らが厳しい修行に励むのは、自分たちが科学力の悪用をしないためである。宇宙人は生物の思考を読み、宇宙の果てまで飛び出し、瞬間移動を行い、生物だろうと無生物だろうと、地球上のすべての物質を操ることが出来る。ともすれば、たまにドラえもんの道具を悪用するのび太のように、宇宙人も、好きな女を操ったり、イヤなやつを操ったりしたいと思う。しかし、そのような発想は相手だけでなく、自身にも破滅を招くことを、彼らはよく知っている。その弱い心を正し、精神を律するために彼らは日本の山岳地帯で日夜厳しい修行に取り組んでいるのだ。

まず、彼らは山を女人禁制にした。復讐心の強い下界の人間が自分たちの血を継いだとき、冴えた頭で何をやらかすか分からない。復讐心と優れた頭脳の組み合わせは、確実に破滅を招くからだ。天狗は、ともすれば地球を破壊してしまいかねない凄まじい科学の力と、その科学の悪用を防止する、科学の番人である。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

デウカリオンの一族(絵は炎に囲まれる日本武尊と熊襲武尊を襲う日本武尊)


※デウカリオンの一族はテュポンとアグリオスが合体することで生まれた。テュポン+アグリオス=テユグリオ=デウカリオンとなる。1万3千年前の大地殻変動の後、古代オーストラリアからメソポタミアに移ったデウカリオンは、巨石建造の一族ティカル人として活動する。デウカリオン=デウカリ=ティカルとなる。
その後、ティカル人は2種類に分離した。テュポンのティカル人はピラミッド派としてピラミッドを建造し、アグリオスのティカル人はマウンド派としてマウンドを建造した。古墳時代には、ピラミッド派は熊襲武尊(クマソのティカル)として、マウンド派は日本武尊(ヤマトのティカル)として対立していた。そして日本武尊が勝利したことにより、前方後円墳と呼ばれた巨大なマウンドの建造を開始した。古墳時代の始まりである。

 

すべての始まりは黒又山だ。これは、マウンドとピラミッドの中間系ピラミッドである。この後、BC32世紀頃に「モーゼスの大移動時代」が起こり、ティカル人はピラミッド派とマウンド派に分離した。

 

分離したマウンド派は古代アイルランドにニューグレンジを建造(BC33世紀)

 

 

分離したピラミッド派はペルーのカラル遺跡にピラミッドの試作品を残した(BC29世紀)

 

ピラミッド派は古代エジプトに階段ピラミッドの建造を皮切りに次々とピラミッドを築いていく(BC27世紀)

 

マウンド派はイングランド・ソールズベリーにシルベリーヒル遺跡を残した(BC26世紀)

 

マウンド派はペルーにマウンドの建造を含むワカ・プリエタ文化を残した(BC26世紀)

 

マウンド派はオルメカに巨大なマウンドを築いた。これらはオルメカ文明に含まれている(BC13世紀)

 

ピラミッド派はメキシコにテオティワカン宗教都市を築いた(BC6世紀)

 

マウンド派は秦が統治する中国に始皇帝陵を建造した(BC221年頃)

 

熊襲武尊と呼ばれていたピラミッド派は、岡山県赤磐に熊山遺跡と呼ばれている小型ピラミッドを残した(AD1世紀頃)

 

熊襲武尊に勝利した日本武尊は日本中にマウンド(前方後円墳)を建造した。古墳時代の始まりである(AD1世紀~4世紀頃)

 

日本武尊に敗北した熊襲武尊は日本を離れてタヒチに渡り、マラエと呼ばれる小型ピラミッドを築いた(AD1世紀~2世紀頃)

 

ピラミッド派はタヒチからマヤに移り、そこから更に大西洋を横断してカナリア諸島にグイマーのピラミッド群を築いた(AD3世紀頃)

 

カナリア諸島からマヤに戻ったピラミッド派はパレンケに伯爵の神殿を築いた(AD4世紀頃)

 

日本を離れて太平洋を横断し、マヤに渡った日本武尊はイサパにマウンドを築いた(AD4世紀頃)

 

マウンド派に勝利したピラミッド派はマヤでピラミッド時代を謳歌し、ティカルにピラミッド群を築く(AD8世紀)

 

ピラミッド派はウシュマルに魔法使いの神殿を築く(AD8世紀)

 

イサパのマウンド派は、再度、ピラミッド派と対立した。だがピラミッド派に敗北した彼らは、ミシシッピ流域に移り、カホキア遺跡を残した。マウンド派は、これを最後にマウンドの建造を中止した(AD8世紀頃)

 

ピラミッド派はチチェン・イツァーにククルカンの神殿を築いた。ピラミッド派は、これを最後にピラミッドの建造をしていない(AD10世紀)

 

ピラミッド派はイースター島に逃れてモアイを築いた。ピラミッド派は、長いこと残虐なアステカの神官(今川氏)の「ピラミッドの頂上に生贄を殺すための神殿を築くこと」という要請に応えてきたが、とうとう嫌気が差し、AD10世紀頃にこれを拒否した。

メキシコを離れた彼らは、タナトスの影響力が及ばない絶海の孤島であるイースター島に移った。彼らはイースター島に、謎のモアイ像を多く築いた。その目的は、先祖代々培ってきた巨石建造技術の継承である。石の切り出しから彫刻、巨石の運搬、巨石を直立させるまで、モアイを作るプロセスには大ピラミッド建造時にも用いた巨石建造のノウハウが凝縮されている。彼らは、先祖代々培ってきた巨石建造技術とそのプロセスを継承し続けるためにモアイを作り続けたのだ

また、筆者は美大(油絵専攻)を出たのでわかるが、油絵の場合、いろんな形の集合体である人物を描破出来るのであれば何でも描ける。そういうわけで、人物デッサンを多くこなすことを求められる。彫刻も同様である。人物を彫るということは、どんな形にも対応できるのだ。そのため、ピラミッド派は人物の頭像を作り続けた。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ダヴィデの一族

 


ダヴィデ(?~?) イスラエル王国第2代王 在位BC35世紀頃

 

羊飼いから身をおこして初代イスラエル王サウルに仕え、サウルがペリシテ人と戦って戦死したのちにユダで王位に着くと、ペリシテ人を撃破し要害の地エルサレムに都を置いて全イスラエルの王となり、40年間、王として君臨した。旧約聖書の『サムエル記』および『列王記』に登場し、伝統的に『詩篇』の作者の一人とされている。イスラム教においても預言者の一人に位置づけられている。英語の男性名デイヴィッド(David)などは彼の名に由来する。カトリック教会・正教会で聖人とされる。 ダヴィデwikiより

 

※古代日本は、同時期にイスラエル王国、エジプト王国と呼ばれていた。ロア族(ブリアレオース)が統治していた高天原(台湾)は、エスが統治していた葦原中津国と連合した。これにより、台湾~九州地域はイスラエルと呼ばれ、葦原中津国と十和田が連合することで九州~本州はエジプトと呼ばれた。エス(葦原)+ブリアレオース(ロア族)=エスリアレ=イスラエルとなり、エス(葦原)+トバルカイン+ティカル(十和田)=エスバテ=エジプトとなる。
当時の出羽国は、トバルカイン(出羽)とデウカリオン(津軽)が共存し、両者は共同で巨大なピラミッドの試作品を十和田湖、青森(黒又山)に建造していた。また、トバルカインはティカル人と合体して「十和田」を築いた。トバルカイン+ティカル=トバティ=トハテ=十和田となる。その後、「モーゼス(武蔵)の大移動時代」を機にモンゴルに渡った十和田の縄文人たちは、更に、モンゴルからチベットに移り、「ダヴィデ朝」を築いた。ダヴィデやトボット(チベット)の由来は十和田である。ダヴィデ王とは、十和田からチベットに入植した縄文人の首領のことである。モンゴル人やチベット人が、隣人である中国人よりも、遠く離れた日本人に似ているのはこのためである。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

デーヴァの一族

 


善神デーヴァ(?~?)

 

ヒンドゥー教、仏教などインド系の諸宗教で現われる。 漢訳仏典では、天部、天、天人、天神、天部神などと訳される。 デーヴァが住む世界をデーヴァローカ (devaloka, deva loka) と呼び、天、天界、天道、天上界などと漢訳される。デーヴァwikiより

 

※トバルカインは4つの種族の合体部族であるため、後に4つの派閥にトバルカインは分離した。チュクウのトバルカイン、ルハンガのトバルカイン、オロクンのトバルカイン、クウォスのトバルカインである。ここに、気仙沼に住んでいたケシャンボ(河童)がクウォスのトバルカインと合体し、トバルカインに仲間入りした。彼らは自身をスバル人と呼んだ。トバルカインの種族は5つであるが、卓越した科学の力を継承しているのは、チュクウのトバルカインと一部スバル人のみである。
チュクウは善神デーヴァとなって比類なき科学力を継承し、テーバイ王国(インダス文明)を築いた。一方、科学を放棄し、地上人に帰順したルハンガはプント王国(インダス文明)を築き、オロクンはエジプトに移住して神官都市テーベを築き、クウォスはプール族(アーリア人)とゼブルン族(イスラエルの失われた10支族)となり、スバル人はシバ王国(インダス文明)を築いた。オロクンのトバルカイン以外は、みなインドに根付いてインダス文明に貢献し、マハーバーラタ戦争や十王戦争に関わったことが分かる。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

デーヴァの子孫

 

ナルメル(?~?) エジプト第一王朝初代ファラオ 在位BC3125~BC3062

 

ナルメル(Narmer)は、前31世紀の古代エジプトのファラオである。セルケト(「さそり王」)の後継者で、エジプト第1王朝の創始者であると考えられている。ナルメルwikiより

 

※タナトスの卑劣さに怒り心頭の宇宙人は核兵器でソロモン朝、ダヴィデ朝を攻撃し、焼き尽くした。これが黙示録アルマゲドンである。これにより、放射能で汚染されたモンゴル、チベットが居住に適さなくなると、「ヨシュアの大移動時代」に参加して南下したダヴィデの一族はインダス流域に移り、宇宙人と共にインダス文明を育んだ。更に、ダヴィデの一族はインダスを基地に、そこから波状的にエジプトに移り、黙示録後、初の王朝を築いた。

 

 

 


ギュゲスの一族~ローマ執政官、ペルシア皇帝、アレキサンダー大王、秦始皇帝、セレウコス朝、プトレマイオス朝、匈奴、ローマ皇帝


ギュゲス(?~?) リディア王国初代王 在位BC687~BC652

 

アリュアッテス(?~BC561) リディア王国第4代王 在位BC605~BC561

ソロン(BC639~BC559)

 

古代アテナイの政治家、立法者、詩人、本名は不明。当時のアテナイにおいて、政治・経済・道徳の衰退を防ごうとして法の制定に努めたことで有名である。この一連の法制定はソロンの改革と呼ばれ、短期間のうちに失敗したが、アテナイの民主主義の基礎を築いたとして、しばしば高い評価を受けている。ソロンwikiより

 

クロイソス(?~?) リディア王国第5代王 在位BC560~BC547※画像なし

ヒュスタスペス(?~BC550) ダリウス父※画像なし

 

アテュス(?~?) クロイソスの子

ピタゴラス(BC582~BC496)

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ヒュスタスペス(リディア王クロイソス)の子

 

ダリウス1世(BC550~BC486) 初代ペルシア皇帝

 

一般にキュロス2世から数えて第3代とされるが、ダレイオス1世自身の言によれば第9代の王である。僭称者とされるスメルディス(ガウマータ)を排除して王位に就き、王国の全域で発生した反乱をことごとく鎮圧して、西はエジプト、トラキア地方から東はインダス川流域に至る広大な領土を統治した。ダリウス1世wikiより

 

※ドルイド教(ローマ共和国)の脅威を感じていたリディア王は、強い民族を指揮してドルイド教(ローマ執政官)に立ち向かうことを考えた。そういうことで、ダリウス1世を儲けるとカンビュセス2世(同じダヴィデの一族に属するが)を倒し、ペルシア帝国を建設した。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ダリウス1世の子13人のうちのひとり

 

孫武(BC535~BC?)

 

ソクラテス(BC469~BC399)

 

※ソクラテスはソフィストと論戦を交わした。ソフィストの正体はドルイド祭司であるが、正攻法ではソクラテスの太刀打ちできず、論戦の最中に、急に長い思い出話をしてごまかした。呆れたソクラテスが帰るとソフィストは「ソクラテスに勝った!」と喜んだ。ソクラテスはソフィストらが指揮したニセ裁判により死刑の宣告を受けるが、自殺したことにして逃亡・潜伏した。

ソクラテスはドルイド教信者の妻と結婚していたが、これがソクラテスを弱体化するためにドルイド司祭が送り込んだものである。ドルイド司祭が信者である妻にソクラテスに嫌がらせをすることを指示していたため、ソクラテスの妻は悪妻として知られている。

 


ヒポクラテス(BC460~BC370)

 

これらヒポクラテスの功績は古代ローマの医学者ガレノスを経て後の西洋医学に大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」、「疫学の祖」などと呼ばれる。 wikiより

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ダリウス2世の子

 

アルタクセルクセス2世(BC430頃~BC359) 第7代ペルシア皇帝※画像なし

マルクス・フリウス・カミッルス(BC446~BC365) ローマ将軍

プラトン(BC427~BC347)

 

プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。wikiより

 

共和政ローマの軍人・政治家。独裁官に5回推薦された。ロムルスに次ぐローマ第二の創建者と謳われる。マルクス・フリウス・カミッルス wikiより

 

※ダリウス大帝は、ギリシアを挟み撃ちにするべく、ローマに拠点を構え、大きな同盟勢力の育成を試みた。そのためにローマに多くの庶子を作ったが、その中で大成したのがカミツルスであった。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

アルタクセルクセス2世の子

 

アルタクセルクセス3世(BC390頃~BC338) 第8代ペルシア皇帝※画像なし

ルキウス・フリウス・カミッルス(?~?) 独裁官 任期BC350~?

アンティパトロス(BC397~BC319) カッサンドロス父、アレクサンドロス大王に仕えた

 

アルセス(?~BC336) 第9代ペルシア皇帝※画像なし

ルキウス・フリウス・カミッルス(?~?) ローマ執政官 任期BC338

ガイウス・マエニウス(?~?) ローマ執政官 任期BC338

 

ダレイオス3世(BC380~BC330) 第10代ペルシア皇帝

アリストテレス(BC384~BC322)

アンチゴノス1世(BC382~BC301)

 

古代マケドニアのアレクサンドロス3世(大王)に仕えた将軍。その死後は後継者(ディアドコイ)の一人となり、アンティゴノス朝を開き初代の王となった(在位:紀元前306年 - 同301年)。また隻眼であった(戦傷によるものといわれている)ため、モノフタルモス(Μονόφθαλμος、Monophthalmos、隻眼の意)とあだ名された。コインの肖像が右向きのことなどから、左目を失っていたと推測されている。アンチゴノス1世 wikiより

 

※アリストテレスは、ソクラテスが潜伏していた時に生まれた。ソクラテスは86歳であった。アリストテレスとカウティリヤは同一人物である。アリストテレスはアレクサンドル大王を育て上げ、カウティリヤはチャンドラグプタ王をマウリア王に導いた。

 

カッサンドロス(BC350~BC297)

カウティリヤ(BC350~BC283)

アンティオコス(?~?) セレウコス1世父※画像なし

アガトクレス(?~?) リュシマコス父※画像なし

 

カッサンドロスは東征時のアレクサンドロスの許にやってきた時、当地の人々が跪拝礼をやっているのを見て、自らはギリシア風に育っていたために腹を抱えてそれを笑った。しかし、これに怒ったアレクサンドロスはカッサンドロスの髪をつかんでその頭を壁に打ち付けた。アレクサンドロスへの強い恐怖が染み付いたカッサンドロスは、アレクサンドロスの像の前を通る時はいつも体が震え、目眩を覚えたという。カサンドロス wikiより

 

ーーーーーーーーーーーー

 

アンティオコス(アガトクレス)の子

 


セレウコス(BC358~BC281)

リュシマコス(BC360~BC281)

プトレマイオス(BC367~BC282)

アレクサンドル3世(BC356~BC323) 

チャンドラグプタ(?~?) 在位BC317~BC298

 

セレウコスはシリア北部とアナトリアの中部を獲得した。新しい王国の首都とすべく、翌年の5月22日にシリアのオロンテス河畔で新たな都市の建設がはじまった。これがアンティオキアであり、セレウコスの父アンティオコスの名にちなむものである。彼はその他にも母の名を冠したラオディケイア、妻の名を取ったアパメイアなど多くの都市を建設した。とくにティグリス河畔に築かれたセレウキアは王国の第二の都としてかつてのバビロンにかわって繁栄を極めることになる。 セレウコスwikiより

 

アレクサンドロス3世に仕えたマケドニア王国の将軍であり、彼の死後のトラキア、小アジア、マケドニアの王である。リュシマコスはディアドコイの一人としてトラキアに拠ってディアドコイ戦争を戦った。 リュシマコスwikiより

 

エジプトのヘレニズム国家プトレマイオス朝の初代ファラオである。アレクサンドロス3世(大王)に仕え、アレクサンドロスの死後はディアドコイの一人としてエジプトに拠った。プトレマイオスwikiより

 

アルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス(在位:紀元前336年 - 紀元前323年)である。また、コリントス同盟(ヘラス同盟)の盟主、エジプトのファラオも兼ねた。ヘーラクレースとアキレウスを祖に持つとされ、ギリシアにおける最高の家系的栄誉と共に生まれた。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。その他にはイスカンダルなどと呼ばれている。 アレクサンドロス3世wikiより

 

チャンドラグプタの出自については明らかではない。バラモン教系の文献ではシュードラ(インドのカーストの中で最下位)の出身であるとされ、仏教系の文献ではクシャトリア(バラモンに次ぐカースト)の出身であるとされている。

これはマウリヤ朝が仏教という、当時のインド世界においては非正統派に属した宗教を保護したために、バラモン教の高位者たちがその王を軽視したことによるといわれるが、正確な所は分からない。当時マガダ国では、ナンダ朝の急進的な政策のために身分秩序が乱れており、チャンドラグプタが台頭したのはそういった状況下においてであった。なお、古代ギリシアのプルタルコスは、チャンドラグプタが挙兵以前の青年時代に、インド北西部へ侵入したアレクサンドロス大王のもとに出向き、インド東部への道案内を申し出たという逸話を伝えているが、確証はない。 チャンドラグプタwikiより

 

※33歳で死んだはずのアレクサンドル大王は、じつはチャンドラグプタに変身して46歳まで生きたのだ。チャンドラの由来はアレクサンドロスである。アレクサンドロス=アレクチャンドロス=チャンドロ=チャンドラとなる。

アレクサンドロス大王の子は4世のみとされているが、大王の子を欲しがらない女がいるはずがない。つまり、アレクサンドル大王の子は数百人、或いはそれ以上はいたと考えられる(単純計算で毎日女を妊娠させていたら子は一年で356人である)。

一方、アレクサンドロス大王はセレウコスたちの影武者に過ぎなかった可能性がある。そこで、影武者を嫌ったアレクサンドロス大王は、父アンチゴノス1世(アリストテレス)やカッサンドロス(カウティリヤ)と共にインドに進撃した。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

リュシマコスの子

 

プトレマイオス1世エピゴノイ(BC299~BC240) プトレマイオス朝エジプト王

ガイウス・フリウス・パキルス(?~?) ローマ執政官 任期BC251

ルキウス・カエキリウス・メテッルス(BC290~BC221) ローマ執政官 任期BC251

 

プブリウス・フリウス・ピルス(?~BC213) ローマ執政官 任期BC223

 

マルクス・フリウス・クラッシペス(?~?) ローマ執政官 任期BC187

クインタス・マリウス(?~?) 財務 任期BC189~BC180

 

ガイウス・マリウス(BC157~BC86)

 

共和政ローマ末期の軍人、政治家。同名の祖父・父と区別してガイウス・マリウス・ガイウスフィリウス・ガイウスネポス(Gaius Marius C. f. C. n.、ガイウスの孫にしてガイウスの子たるガイウス・マリウス)、あるいは息子である小マリウス(Marius Minor)に対して大マリウス(Marius Major)とも呼ばれる。ガイウス・マリウスwikiより

 

ーーーーーーーーーーーー

 

マリウスの子

 

ガイウス・マリウス(BC110~BC82) ローマ軍人※画像なし

マルクス・リキニウス(BC115~BC53) 三頭政治

グナエウス・ポンペイウス・ストラボ(?~BC87) ローマ将軍※画像なし

マルクス・アントニウス・クレティクス(BC115~BC72) ローマ執政官BC99※画像なし

 

共和政ローマ時代の政治家、軍人である。第三次奴隷戦争でスパルタクスを討ち取り、グナエウス・ポンペイウス及びガイウス・ユリウス・カエサルと共に第一回三頭政治を行った。 マルクス・リキニウスwikiより

 


グナエウス・ポンペイウス(BC106~BC48) 三頭政治

ユリウス・カエサル(BC100~BC44) 三頭政治

 

共和政ローマ期の軍人であり政治家。ルキウス・コルネリウス・スッラからマグヌス(「偉大な」の意)と称され、ガイウス・ユリウス・カエサル及びマルクス・リキニウス・クラッススと第一回三頭政治を行ったが、ローマ内戦でカエサルに敗北、最終的に暗殺された。 グナエウス・ポンペイウスwikiより

 

古代ローマで最大の野心家と言われマルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトル)となった。 ユリウス・カエサルwikiより

 

※カエサルはポンペイウスの影武者だったのか、或いはその反対だったのか、不明だが、2人は異母兄弟と考えられる。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

リキニウス(ガイウス・マリウス)の子

マルクス・アントニウス・クレティクス(ガイウス・マリウス)の子

 

マルクス・アエミリウス・レピドゥス(BC90~BC13) 三頭政治

マルクス・アントニウス(BC83~BC30) 三頭政治

 

古代ローマの政治家・軍人。共和政末期ローマで、第二回三頭政治の一頭として政治の実権を握った。父は同名の政治家マルクス・アエミリウス・レピドゥス、母はルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスの娘。子にマルクス・アエミリウス・レピドゥス・ミノル(小レピドゥス)。 マルクス・アエミリウス・レピドゥスwikiより

 

共和政ローマの政治家・軍人。第二回三頭政治の一頭として権力を握ったが、その後はガイウス・ユリウス・カエサルの姪の息子オクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)に敗北した。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『アントニーとクレオパトラ』でも知られている。 マルクス・アントニウスwikiより

 

ーーーーーーーーーーーー

 

カエサル(ポンペイウス)の子

 

オクタヴィアヌス(BC63~AD14) 三頭政治

 

ローマ帝国の初代皇帝(在位:紀元前27年 - 紀元14年)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、地中海世界を統一して帝政(元首政)を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。ちなみにアウグストゥスは、ラテン語で「尊厳ある者」を意味しており、現在のギリシア語では「8月」の意になっている。オクタヴィアヌス wikiより

 

※後の初代ローマ皇帝アウグストゥスである。アウグストゥスはカエサルの養子とされているが実子である。力のある男の場合、よその女に産ませた実子を養子として家に迎えることは多かった。カエサルほどの男が、数人の子供しか残していないわけがない。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

プトレマイオス1世の曾孫

 

プトレマイオス4世(?~BC205) プトレマイオス朝ファラオ
秦始皇帝(BC259~BC210) 秦初代皇帝

 

古代エジプト、プトレマイオス朝のファラオ(在位:紀元前221年 - 紀元前205年)。プトレマイオス3世とベレニケ2世の子。フィロパトル(愛父王)と称される。同母姉のアルシノエ3世と結婚、共同統治した。プトレマイオス4世wikiより

 

中国統一を成し遂げた後に「始皇帝」と名乗った。統一後、始皇帝は、重臣の李斯とともに主要経済活動や政治改革を実行した。従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から、中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制への全国的な転換(中央集権)を行い、国家単位での貨幣や計量単位の統一、交通規則の制定などを行った。万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設などの大事業を行った。また、法による統治を敷き、自身の政治を批判する学者や本を始末した焚書坑儒を実行したことでも知られる。秦始皇帝wikiより

 

※プトレマイオス4世は、庶子の異母兄弟を投入して影武者部隊を作り、エジプト、カルタゴ、中国に配置した。そうすることで、世界各地で同時多発的に活躍することができた。プトレマイオスとセレウコスの子孫は、時を超え、東西の両極で領土を争っていたことを示している。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

セレウコス1世の曾孫

 

アンティオコス3世(BC240~BC187) セレウコス朝王
冒頓単干(?~BC174) 匈奴初代首領※画像なし
スキピオ・アフリカヌス(BC236~BC183) ローマ将軍

 

セレウコス朝のセレウコス2世の息子。兄弟であったセレウコス3世が暗殺されたのを機に即位した。前代まで縮小傾向にあったセレウコス朝の領土を拡大し、東方はインドにまで遠征して大王の称号を得た。紀元前189年ローマとの戦争に敗れる。アンティオコス3世wikiより

 

冒頓は頭曼単于の子として生まれた。頭曼は見込みがあると考え、私兵を与えたが、冒頓はいずれ殺されると思い、クーデターを起こそうと考えた。そして冒頓は紀元前209年に反乱を起こし、父、継母、異母弟及びその側近を抹殺した上で、単于に即位した。 冒頓単干wikiより

 

共和政ローマ期の軍人、政治家。元老院議員。スキピオ・アフリカヌスと称され、妻の甥で義理の孫に当たるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)と区別して大スキピオとも呼ばれる。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバルをザマの戦いで破り戦争を終結させた。スキピオ・アフリカヌスwikiより

 

※アンティオコス3世は、庶子の異母兄弟を投入して影武者部隊を作り、シリア、ローマ、モンゴルに配置した。そうすることで、世界各地で同時多発的に活躍することができた。プトレマイオスとセレウコスの子孫は、時を超え、東西の両極で領土を争っていたことを示している。西ではスキピオが勝ち、東ではハンニバルが勝った。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

アショーカの子

 

サンガミッタ(BC304~BC232)※画像なし

ディオドトス1世(?~?) バクトリア王国初代王 在位239~BC234

 

初代グレコ・バクトリア王国の国王。初めはセレウコス朝の総督(サトラップ)であったが、のちに叛いてグレコ・バクトリア王国の創始者となった。ディオドトス1世wikiより

 

マヒンダ(BC285~BC205)※画像なし
アルサケス1世(?~?) パルティア王国初代王 在位BC247~BC211

 

アルサケス1世の出自は明らかではない。一説に彼はバクトリア人で、バクトリア総督(サトラップ)ディオドトスの支配に不満を抱き、パルティアに侵入して巧みに住民を扇動し、反乱を起こさせたというものもある。また、フリアピテスの息子アルサケスの子孫ともいわれている。アルサケス1世wikiより

 

クナラ(BC263~?)※画像なし
ペルガモン(BC269~BC197) ペルガモン王国初代王

 

※アレクサンドル大王の孫であるアショーカは、庶子をオリエントに送り込んでバクトリア王国、パルティア王国、ペルガモン王国を同時期に築き、偉大な先祖、アレクサンドル大王の再来を夢見た。

 

  

 


ユリウス・カエサルの一族〜初代ローマ皇帝アウグストゥス、諸葛氏、高句麗、ブルガリア帝国、リトアニア大公国、明、李氏朝鮮、マイソール王国、太平天国、サムスン・グループ

 

ガイウス・ユリウス・カエサル(BC130〜BC85)
マウエス(?〜?) インド・サカ王朝初代王 在位BC90〜BC60
ヴォノネス(?〜BC65) インド・サカ王朝第2代共同王 在位BC75〜BC65
スパラホレス(?〜BC65) インド・サカ王朝第2代共同王 在位BC75〜BC65


※カエサルの父はインド・サカ王朝を築いた。その後、息子カエサルもインド・サカ王朝を統治した。

 


ユリウス・カエサル(BC100〜BC44) ローマ将軍
アゼス1世(?〜BC35) インド・サカ王朝第5代共同王 在位BC57〜BC35※画像なし
アズィリセス(?〜BC35) インド・サカ王朝第5代共同王 在位BC57〜BC35※画像なし
ティベリウス・クラウディウス・ネロ(BC85〜BC33) ティベリウス父※画像なし


古代ローマで最大の野心家と言われマルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトル)となった。 ユリウス・カエサルwikiより


※カエサルは死んだことにして、死んだ後もインドでインド・サカ王朝を支配した。


ーーーーーーーーーーーー


ティベリウス・クラウディウス・ネロ(ユリウス・カエサル)の子

 


ティベリウス(BC42〜AD14) ローマ皇帝
大ドルスス(BC38〜AD9)※画像なし


なお、イエス・キリストが世に出、刑死したときのローマ皇帝である。イエスの言葉である「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」(新約マタ 22:17-21、マコ12:14-17、ルカ 20:22-25)の「カエサル」とは、ティベリウスないし彼を含めた(皇帝の称号としての) カエサル(=ローマ皇帝)一般のことである。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


ティベリウスの孫(小ドルススの子)

 


ティベリウス・ゲメッルス(AD19〜AD38)
カリグラ(AD12〜AD37) ローマ皇帝


短い在位期間に、カリグラは壮大な建設事業と領土の拡大に力を注いだ。また最高権力者としての威信を高めることに努め、彼を打ち倒そうと繰り返される陰謀から自身の地位を懸命に守りつづけたが、元老院も関与した陰謀により、41年にプラエトリアニ(親衛隊)の一部将校らによって暗殺された。その治世を通じてローマ市民からは人気が高かったが、現存する後代の史料ではいずれも、カリグラは狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖や性的倒錯の持ち主であったとしている。しかし現存する一次史料の数は少なく、カリグラの治世の実態には不明な点が多い。w
ikiより


※「カリグラは狂気じみた独裁者」「残忍」「浪費癖がひどい」「性的倒錯の持ち主」などの言葉はドルイド司祭による汚名着せである。


ーーーーーーーーーーーー


大ドルスス(ティベリウス)の子

 


クラウディウス(BC10〜AD41) ローマ皇帝


母方の祖父が第2回三頭政治主催者の一人であるアントニウスであり、父方の祖母が初代皇帝アウグストゥスの後妻リウィアである。また、アウグストゥス帝その人も母方の祖母の弟、つまり大叔父にあたる。さらに、父である大ドルススの兄が第2代皇帝ティベリウスで、実弟が第3代皇帝カリグラの父ゲルマニクス、加えて最後の妻にして第5代皇帝ネロの母である小アグリッピナは姪に当たる。このように4親等以内に元首政初期のローマ国政の重要人物が集中するユリウス・クラウディウス家の一員に生まれている。しかし後述のように、身体的ハンデから一族中では疎まれ、長らく公務に関与することは出来なかった。wikiより


ーーーーーーーーーーーー


カエサルの子

 

アウグストゥス(BC63〜AD14) ローマ帝国初代皇帝 在位BC27〜AD14
アゼス2世(?〜?) インド・サカ王朝 在位BC35〜BC12※画像なし
諸葛豊(?〜?)


前漢の政治家。字は少季。琅邪郡の人。三国時代に活躍した諸葛亮、諸葛瑾らの先祖とされている。 諸葛豊wikiより


黄帝の孫の高陽氏、黄帝の曾孫の高辛氏の子孫であると称していた。扶余の7人の王子と対立し、卒本(ジョルボン、現在の遼寧省本渓市桓仁満族自治県)に亡命して高句麗を建国した。 朱蒙w
ikiより


※アウグストゥスは朱蒙として高句麗を統治し、諸葛豊として中国に拠点を築き、BC27年からローマ皇帝に即位した。全部一人でこなしたわけではなく、高句麗、中国、インド、ローマ帝国ではそれぞれ影武者を立てていた。影武者の人材は、父カエサルの庶子や自分の庶子で賄われた。アウグストゥスはアゼス2世としてカエサルが築いたインドサカ王朝も継いでいる。
アウグストゥスはカエサルの養子と言われているが、実子である。力のある男の場合、よその女に産ませた実子を養子として家に迎えることは多かった。異母兄弟であるため、アウグストゥスはカエサリオンとは仲が悪かった。だが、殺すほどではなかった。しかしアウグストゥスはその風評を利用し、カエサリオンを殺したことにして影武者として登用した。


ーーーーーーーーーーーー

 

ドルスス(AD16〜AD20)※画像なし
ウェスパシアヌス(9〜79) ネルウァ=アントニウス朝ローマ皇帝 在位69〜79


ローマ帝国の皇帝。ユリウス・クラウディウス朝断絶後の四皇帝内乱の時代(68年6月 - 69年12月)に終止符を打ち、自らの血統に基づくフラウィウス朝を創始した。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


ウェスパシアヌスの子

 


ティトゥス(39〜81) ローマ皇帝 在位79〜81※画像なし
ネルウァ(35〜98) ローマ皇帝 在位96〜98※トラヤヌス父


フラウィウス朝断絶後の混乱の中で皇帝に即位したが、老齢で跡継ぎが望めなかった為に腹心であるトラヤヌスを王朝の後継者とした。以降、トラヤヌスの親族達により帝位は継承されていった為、新王朝成立の重要な契機を与えた存在でありながら歴代君主と血縁関係にないという特異な立場を持つ事になった。 wikiより

 

 

ドミティアヌス(51〜96) ローマ皇帝 在位81〜96※画像なし
トラヤヌス(53〜117) ローマ皇帝 在位98〜117


ネルウァ=アントニヌス朝の第2代皇帝である。文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功した。特に対外面ではダキア・パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図を現出した。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


ハドリアヌスの子

 


マルクス・アウレリウス(121〜180) ローマ皇帝 在位161〜180

諸葛珪(?〜187)※画像なし
ルドラシムハ1世(?〜?) インド・サカ王朝王 在位175〜188※画像なし
新大王(89〜179) 高句麗第8代王 在位165〜179※画像なし


ネルウァ=アントニヌス朝では第五代皇帝。第15代皇帝アントニヌス・ピウスの后妃ファウスティナ・マイヨル(大ファウスティナ)の甥で先帝の外戚にあたり、また大ファウスティナはハドリアヌスとトラヤヌスの傍系血族でもある。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー

 

ドミティア・ファウスティナ(147〜151)※画像なし
セプティミウス・セウェルス(146〜211) ローマ皇帝 在位193〜211


セウェルスはアウレリウス帝とコンモドゥス帝の親子二代に仕え、ローマの貴族階級における典型的な経歴を歩んだ。ネルウァ=アントニヌス朝断絶後の騒乱(五皇帝の年)で頭角を現して有力な皇帝候補となり、ペルティナクス帝の死後に実権を掌握した。彼は存命中の皇帝であったディディウス・ユリアヌスを失脚させて自らが皇帝に即位した。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


諸葛珪の弟

 


諸葛玄(?〜197)※画像なし
劉備玄徳(161〜223) 蜀初代皇帝


徐州琅邪郡陽都県(現在の山東省臨沂市沂南県)の諸葛氏の一族。兄は諸葛珪。甥は諸葛瑾・諸葛亮、族子は諸葛誕。諸葛一族の頭領的存在でもあった。 wikiより


黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦した。諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。その後の、魏・呉・蜀漢による三国鼎立の時代を生じさせた。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


諸葛珪の子

 


諸葛瑾(174〜241)
関羽(?〜220)※画像なし
マクシミヌス・トラクス(173〜238) 軍人皇帝時代ローマ皇帝 在位235〜238


201年、諸葛瑾は歩騭、厳畯と倶に呉中に游び、共に声名を著わし、当時の英俊とされた。wikiより


蜀漢の創始者である劉備に仕え、その人並み外れた武勇や義理を重んじた彼は敵の曹操や多くの同時代人から称賛された。後漢から贈られた封号は漢寿亭侯。諡が壮繆侯(または壮穆侯)だが、諡号は歴代王朝から多数贈られた。wikiより


235年、マインツでアレクサンデル・セウェルスが殺害されると、近衛隊(プラエトリアニ)による皇帝宣言を受け、皇帝の不在に動揺した元老院はこれを追認する。また、236年には息子ガイウス・ユリウス・ウェルス・マクシムスを共同皇帝に即位させた。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


諸葛珪の子

 

諸葛亮/諸葛孔明(181〜252)
張飛(?〜221)※画像なし
エトルスクス・デキウス(201〜251) 軍人皇帝時代ローマ皇帝 在位249〜251


泰山郡丞諸葛珪の子。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。wikiより


後漢末の群雄の1人である劉備の挙兵に当初から付き従った人物で、その人並み外れた勇猛さは下述の通り中原に轟いた。その武勇は後世にも称えられ、小説『三国志演義』を始めとした創作作品でも多くの脚色を加えて取り上げられており、現在でも中国や日本を中心にその人柄を大いに親しまれている。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


諸葛珪の子

 


諸葛均(182〜264) ※画像なし
孫権(182〜252) 呉初代皇帝
ウォルシアヌス(206〜253) 軍人皇帝時代ローマ皇帝 在位251〜253※画像なし

 

幼い時に父と生母の章氏が亡くなり、兄の諸葛亮と共に従父(叔父)の諸葛玄を頼った。やがて、その叔父も劉繇と争い、笮融が煽動した西城の住民反乱で戦死すると、諸葛亮と共に荊州の劉表を頼った。 以降は兄と南陽郡の隆中で暮らしたが、後に諸葛亮が劉備に仕えると、彼も劉備の家臣となった。長水校尉にまで昇進した。 wikiより


先祖は春秋時代の兵法家・孫武に遡るとされ、さらに浙江省杭州の富陽区南部に龍門古鎮という村があり、現在は観光地になっている。この村では9割の人の姓が「孫」で、孫権の末裔と自称している。wikiより


251年6月頃にローマ皇帝デキウスおよび共同皇帝ヘレンニウス・エトルスクスがゴート族とのアブリットゥスの戦で戦死すると、トレボニアヌス・ガッルスは後継のローマ皇帝に就くことを宣言し、息子ウォルシアヌスを共同皇帝とした。ウォルシアヌスは同時にプリンケプス・ユウェントゥティス(Princeps Juventutis)の称号を得た。なお、デキウスの息子ホスティリアヌスがローマで皇帝として就いていたものの、251年中に病によりこの世を去り、トレボニアヌス・ガッルスは単独でのローマ皇帝の座を手に入れた。 wikiより


※三国志の主要人物たちは、諸葛氏の家族がそれぞれ演じていた。関羽と張飛が劉備に仕えたのは、劉備が叔父だったからだ。玄徳の「玄」は諸葛玄に由来している。その後、三国時代が始まると諸葛亮の兄弟は、更なる覇権を求めてローマ帝国に進出し、軍人皇帝時代を築いた。


ーーーーーーーーーーーー


セウェルスの子

 


カラカラ(186〜217) ローマ皇帝 在位209〜217


セウェルス朝の初代君主セプティミウス・セウェルスの長男であり、ローマ史上に残る暴君の一人として記憶される。一方で全属州民にローマ帝国の国民としての権利と義務(市民権)を与えるアントニヌス勅令を決定し、結果的にローマ領内における民族・人種による出自差別を撤廃したことで知られる。他に銀貨の改鋳(銀の含有量を減らした)、大浴場(カラカラ浴場)の建設などを肯定的に評価する歴史家も存在する。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


「大和人の大航海時代」


※呉と魏が滅ぶと、ダヴィデの一族の血を引く王族は「大和人の大航海時代」を実施した。中国人、朝鮮人、日本人が一斉に太平洋を横断し、ユカタン半島を横切り、大西洋を北上してブリテン島に上陸した。中国人の子孫は、王氏、建氏を例にすると「キング」「カーペンター」を称した。朝鮮人の子孫は、朴氏(パク)を例にすると、PARK、BERGから始まり、BERKIN、PERKINS、PARKSや、ユダヤ人の名として知られるBERGが付く名をたくさん生んだ。日本人の子孫はブリテン人のファーストネームを付け、さん付けで呼び合った。例としてジョンさん、ウィリアムさん、ロバートさんなどだが、これがジョンソン、ウィリアムソン、ロバートソンなどになった。また、この時代に中国語、朝鮮語、日本語などが英語に取り入れられた。


■日本語由来の英語


BOY(少年)=坊や
HOWL(吠える)=吠える
KILL(殺す)=斬る
KINKY(ヤバイ)=禁忌
LUCK(幸運)=楽
OI=おい
DAMN(畜生、呪う)=ダメ
BIMBO(売女)=貧乏
BOLLOCKS(クズ野郎)=ボロクソ
TITS(乳)=乳
DUMB(間抜け)=ダメ
DOOR(扉、戸)=戸
BUGGER(男色、獣姦、寄生虫、野郎)=バカ
NOVEL(小説)=述べる
OK(了解)=了解
YES(了承など)=よし
(CHALLEN)GERなどのGER=者(しゃ)

 

※OKの由来は本国でもいろいろ推測されているが、実際には日本語の「了解」が由来と考えられる。了解(りょうかい)=りおうかい=OK(オーカイ)となる。アメリカ英語のOKの発音はオーケイだが、イギリス英語のOKはオーカイと発音する。イギリス人スミス(島津氏)さんが九州に上陸すると、OKが「よか」に再度変化する。OK(オーカイ)=オカ=よかとなる。


■朝鮮語由来の英語


HURRY(急ぐ、急げ)=パリイ(急いで、早く)
UN(否定)=アン、アニ(否定の意)
WHY(なぜ?)=ウエ(なせ?)
WHAT(何?)=ボ(何?)
GO(行く、行け)=カー(行こう、行け)
YEAH(はい)=イエ(はい)
SURE(了解)=チョア(良い、好き、了解などの意)
TOO(〜も)=ド(〜も)
BITCH(売女)=ビッチ(狂ってる)
SICK(頭がおかしい)=セッキ(キチガイ)


※アメリカは「ワッ(ト)」と発音するが、イギリスでは「ウォッ(ト)」と発音する。ウォットは「ボ」の発音に似ている。朝鮮語の「パリカー(早く行け)」は「HURRY GO」と同じである。朝鮮語には明るくないのでこれくらいしか分からない。


■中国語由来の英語


KIN(親戚)=親(キナ)
WAIT(待て)=ウェイ(もしもし)
YES(了承など)=ヨッシ


※中国語には明るくないのでこれくらいしか分からない。


ーーーーーーーーーーーー


孫権の子


孫資(?〜251) 孫権の子
孫盛(302〜373) 孫資の子

 

孫潜(3??〜4??) 孫盛の子
孫放(3??〜4??) 孫盛の子
エラ(477〜491) エセックス王国初代王 孫放(孫潜)の子


※孫放と孫潜の兄弟は、中国を離れてヨーロッパに根付き、サクソン族を形成した。サクソンの名の由来は諸葛(ジューガー)と孫(スン)の組み合わせである。ジューガー+スン=シュカスン=サクソンとなる。孫放、或いは孫潜の子であるエラは、エセックス王国の初代王に即位した。


ーーーーーーーーーーーー

 


ウォレンティアヌス1世(321〜375) ローマ皇帝 在位364〜375


皇帝コンスタンティウス2世の時代に軍へ入隊し、続けてユリアヌス、ヨウィアヌスに仕えた。ヨウィアヌスがコンスタンティノープルへの帰還途中にガス中毒(暗殺説もあるが)で事故死したため、軍はニカイアで後継の皇帝を選ぶことになった。ヨウィアヌスには息子のウァロニアヌスがいて364年は同僚のコンスルにしていたが、北方の蛮族及び講和条約を結んだものの情勢の不安なサーサーン朝ペルシア帝国などの東方の不安も抱えていたため、軍は実務経験のある優秀な軍人を後継者にすることを望んだ。こうして白羽の矢が立ったのが当時43歳の将軍ウァレンティニアヌスであった。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


ウォレンティアヌス1世の子

 

ウォレンティアヌス2世(419〜455) ローマ皇帝 在位375〜392


ヨハンネス(394〜394) ウォレンティアヌス1世孫
マルキアヌス(396〜457) テオドシウス朝ビザンツ帝国皇帝 在位450〜457


※ローマ帝国に軍人皇帝時代を築いた諸葛孔明の子孫は、更にテトラルキア朝、コンスタンティヌス朝、テオドシウス朝を開き、ビザンツ帝国の前身を形成した。


アエリア・マルキア・エウフェミア(?〜472) マルキアヌス娘、アンテミウス妻
アンテミウス(420〜472) 西ローマ皇帝 在位467〜472
キルデリク1世(440〜481) クロヴィス1世父


ーーーーーーーーーーーー


劉備玄徳の子孫

 

劉裕(363〜422) 南宋初代皇帝
劉準(469〜479) 南宋皇帝

 


チェルディッチ(519〜534) ウェセックス王国初代王 劉準の孫
エシュウェネ(527〜587) サセックス王国初代王 劉準の孫


※劉準は、中国を離れてヨーロッパに根付き、サクソン族を形成した。サクソンの名の由来は諸葛(ジューガー)と宋(ソン)の組み合わせである。ジューガー+ソン=シュカソン=サクソンとなる。劉準の孫であるチェルディッチとエシュウェネは、それぞれがウェセックス王国、サセックス王国の初代王に即位した。


ーーーーーーーーーーーー


マルキアヌスの子

 


クロヴィス1世(466〜511) メロヴィング朝フランク王国初代王 在位481〜511


クロヴィスは一夫多妻制の生活を送っていたが、妻の1人であった王妃クロティルドの影響で、キリスト教アタナシウス派(カトリック教会)に改宗して、これを保護したのでガリアでの布教活動に大きな貢献があった。 wikiより


※ビザンツ皇帝マルキアヌスの血を継ぐクロヴィス1世は、メロヴィング朝フランク王国の初代王に即位した。

 

クロタール1世(497〜561) メロヴィング朝フランク王 在位558〜561

 

メロヴィング朝フランク王国の創始者クロヴィス1世の最年少の息子。ソワソン王(在位:511年 -561年)、のち全フランク王(在位:558年 - 561年)。4人の息子の中で最も長命であり、クロヴィスの死後に息子たちへ分割相続された王国は、再び彼のもとで統一された。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


クロタール1世の子

 


ユスティヌス1世(450〜527) ユスティアヌス朝ビザンツ帝国初代皇帝 在位518〜527


貧農からプラエトリアニ(親衛隊)に入隊して、その将軍となったが、晩年皇帝となった。甥のユスティニアヌス1世を養子としてコンスタンティノポリスに招き寄せ、後継者として養育した。wikiより


※フランク王クロタール1世の子、ユスティヌス1世はビザンツ帝国皇帝に即位し、ユスティアヌス朝を築いた。


ーーーーーーーーーーーー


嬰陽王(?〜618) 高句麗第26代王 在位590〜618
クブラト(606〜665) 大ブルガリア初代王 在位632〜650

 

宝蔵王(?〜682) 高句麗第28代王 在位642〜682
アスパルフ(644〜700) 第一次ブルガリア帝国3代皇帝


※高句麗王がブルガリア人の祖となった。ブルガリアの由来はホラサンと高句麗(ゴグリョ)の組み合わせである。ホラサン+ゴグリョ=ホラグリョ=ブルガリアとなる。高句麗の嬰陽王は大ブルガリア初代王クブラトとなり、高句麗の宝蔵王は第一次ブルガリア帝国の第3代皇帝アスパルフとなった。


ーーーーーーーーーーーー


第二次ブルガリア皇帝イヴァン・アセン2世の子

 


カリマン1世(1234〜1246)※画像なし
シュヴァルナス(1236〜1270) リトアニア大公国大公


※ブルガリア皇帝の子、カリマン1世はリトアニア公国に潜入して、シュヴァルナスとして大公に就任し、リトアニアとブルガリアを同時に統治した。


ーーーーーーーーーーーー


シュヴァルナスの孫

 

アルギルダス(1296〜1377) リトアニア大公国大公


中世リトアニアの君主。アルギルダスは1345年から1377年にかけてリトアニア人とルーシ人の君主とリトアニア大公国を統治した。西方の国境を守る弟のケーストゥティスの支持の許でアルギルダスはバルト海から黒海、モスクワまで50マイルにも及ぶ広大な領域を築いた。 wikiより


ーーーーーーーーーーーー


アルギルダスの子

 


アンドリュス・アルギルダティス(1325〜1399)
朱元璋(1328〜1398) 明初代皇帝


明の始祖であり、初代皇帝である。廟号は太祖(たいそ)。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。また、生まれた頃の名は、朱重八(しゅ じゅうはち)といい、後に朱興宗(しゅ こうそう)と改名し、紅巾(こうきん)軍に参加する頃にさらに朱元璋と改名し、字を国瑞(こくずい)とした。 wikiより


※ヨーロッパに生まれた朱元璋の正体はリトアニア大公アルグルダスの子アンドリュス・アルギルダティスである。朱蒙の子孫であるため、アンドリュス・アルギルダティスは朱元璋を称し、明を建国した。


ーーーーーーーーーーーー

 

アルギルダスの子

 


コンスタンティナス・アルギルダティス(1335〜1388)
李成桂(1335〜1408) 李氏朝鮮初代王


元(モンゴル)の武官、1357年から高麗の武官、李氏朝鮮の創始者にして初代国王。咸鏡南道の永興(金野郡)の出身。『李朝太祖実録』によれば本貫は全州李氏という。大韓帝国期に太祖高皇帝の称号を送られた。 wikiより


※ヨーロッパに生まれた李成桂の正体はリトアニア大公アルグルダスの子コンスタンティナス・アルギルダティスである。李成桂は李氏朝鮮を建国した。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

朱元璋の子


朱椿(1371〜1423)
太宗李芳遠(1367〜1422) 李氏朝鮮第3代国王
ヤドゥ・ラーヤ(1371〜1423) マイソール王国初代王 在位1399〜1423


※太宗李芳遠は朝鮮半島からインドに赴き、マイソール王国を築いている。オデヤ(ウォディヤール)家の名の由来は朝鮮語「オディヤ?(どこだ?)」であり、マイソールの由来は「ムイ、ソウル(ソウルじゃない)」である。

 

イ・ジョン(1407~1453) 太宗の子

足利義量(1407~1425) 室町幕府第5代征夷大将軍

 

※ダヴィデの一族の王朝である明の皇帝は、朝鮮や日本にも進出することを狙っていた。朱元璋の子朱椿は李氏朝鮮では太宗に変身し、朝鮮半島を治めた。その後、太宗の子イ・ジョンが日本に進出し、足利義量として征夷大将軍に即位した。しかし、異分子の侵入を察知した善如の一族は義量を亡き者にしようと画策し、これに気付いた義量は18歳で死んだことにしていち早く日本を脱出し、李氏朝鮮に帰還した。彼は46歳まで生きた。

 

足利義輝(1536~1565) 室町幕府第13代征夷大将軍

隆慶帝(1537~1572) 明第13代皇帝

 

※明第12代皇帝嘉靖帝は工作員として日本に潜入し、足利義晴の子として義輝を生んだ。しかし、義輝は弟である義栄に正体を知られたため、執拗なまでに狙われ続けた。1565年、義輝は三好三人衆に殺害されたことにして父の故地中国に渡り、1567年に隆慶帝に即位した。彼はなぜそんなにすぐに明の皇帝になれたのか?それは、義輝(隆慶帝)が嘉靖帝(ダヴィデの一族)の子だったからだ。

 

足利義昭(1537~1597) 室町幕府第15代征夷大将軍

 

ーーーーーーーーーーーー

 

足利義輝(隆慶帝)の子

 

足利輝若丸(1562)※画像なし

万暦帝(1563~1620) 明第14代皇帝

徐光啓(1562~1633)

高攀龍(1562~1626) 東林七賢

繆昌期(1562~1626) 東林七賢※画像なし

 

※足利義輝の子輝若丸は早世したことにし、潜伏して育ち、中国に潜入して万暦帝(ダヴィデの一族)として明皇帝に即位した。また、足利義輝の一族は、足利義栄(本願寺門主善如の一族)が作った「東林党」を簒奪した。しかし、そのために足利義栄が化けた魏忠賢によって東林党は手ひどく弾圧された。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

足利義昭の子

 

足利義尋(1572~1605)※画像なし

楊漣(1572~1625) 東林六君子

袁化中(1572~1625) 東林六君子※画像なし

周起元(1571~1626) 東林七賢※画像なし

 

永山義在(1575~1635) 義尋弟※画像なし

左光斗(1575~1625) 東林六君子

魏大中(1575~1625) 東林六君子

 

平島義次(1596~1680) 義助の子

李慶昇(1593~1626) 東林七賢

仁祖李倧(1595~1649) 李氏朝鮮第16代国王

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

泰昌帝(1582~1620) 明第15代皇帝

定遠君1580~1620 仁祖父※画像なし

周朝瑞(1580~1625) 東林六君子※画像なし

周宗建(1582~1625) 東林七賢

周順昌(1584~1626) 東林七賢※画像なし

黄尊素(1584~1626) 東林七賢

 

崇禎帝(1611~1644) 明第17代皇帝

昭顕世子(1612~1645) 仁祖の子※画像なし

ナラサー・ラージャ1世(1615~1659) マイソール王国第12代王※画像なし

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

クリシュナ・ラージャ2世(1728~1766) マイソール王国第18代王

洪大容(1731~1783) 新羅学者

 

チャーマ・ラージャ9世(1774~1796) マイソール王国第21代王

洪景来(1780~1812) 洪景来の乱指揮者※画像なし

 

洪秀全(1814~1864) 太平天国指導者

李景夏(1811~1891) 李氏朝鮮武臣※画像なし

 

金允植(1835~1922) 独立活動家

 

李完用(1856~1926 )独立協会

ソン・ビョンジュン(1857~1925) 一進会

原敬(1856~1921) 内閣総理大臣

 

羅喆(1864~1916) 檀君教教祖

李範允(1863~1940) 独立活動家※画像なし

徐載弼(1864~1951) 独立協会

尹致昊(1865~1945) 独立協会、万民共同会

 

洪震(1877~1946) 独立運動家

 

洪思翊(1888~1946)※画像なし

池青天(1888~1957) 独立活動家※画像なし

金佐鎮(1888~1930)

呂運亨(1886~1947) 建国準備委員会

キム・ヒョンチュン(1888~1942)独立活動家

 

洪龍浩(1906~?)カトリック平壌代牧区司教

イ・ビョンチョル(1910~1987) サムスン・グループ創業者

 

ニコラス・チョン・ジンスク(1931) ローマ・カトリック教会枢機卿、第13代ソウル教区大司教※画像なし

李会昌(1935) 韓国大統領候補

 

 

李健熙(1942) 2代・4代目サムスン電子会長

 

 

 


イエス・キリストの一族~クレオパトラ7世、洗礼者ヨハネ、イエス・キリスト、十二使徒、初代ローマ教皇ペトロ、ブリトン王国、ベネディクト会、カンタベリー大主教、ジャン・カルヴァン、ブルボン朝フランス王国

 

 

クレオパトラ7世(BC69~BC30)

 

現在、世間一般に美女「クレオパトラ」として浸透しているのは、クレオパトラ7世のことである。クレオパトラの父はプトレマイオス12世(アウレテス)、母はクレオパトラ5世であり、兄弟姉妹はクレオパトラ6世(姉)、ベレニケ4世(姉)、アルシノエ4世(妹)、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世(共に弟)が知られる。「クレオパトラ」の名はギリシア語で「父親の栄光」を意味する。 wikiより

 

※クレオパトラの「パトラ」はプトレマイオスにかかっていると考えられる。つまり、クレオパトラの由来はプトレマイオスのクレオとなる。クレオ+プトレマイオス=クレオプトレ=クレオパトラとなる。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

クレオパトラ7世の子

 

プトレマイオス15世カエサリオン(BC47~BC30)

ユバ2世(BC50~AD23) ヌミディア王※画像なし

 

共和政ローマの将軍ユリウス・カエサルとクレオパトラ7世の子(異説あり)。カエサリオンは「小カエサル」を意味する。異父弟妹にアレクサンドロス・ヘリオス、クレオパトラ・セレネ、プトレマイオス・フィラデルフォスがいる。 母クレオパトラ7世とエジプトを共同統治していたプトレマイオス14世が紀元前44年に死去すると、プトレマイオス15世となった。 wikiより

 

ーーーーーーーーーーーー

 

クレオパトラ・セレネ(BC39~AD6) マルクス・アントニウスの娘

 

※ドルイド教が偉大なカエサルやクレオパトラの血筋の根絶を実行していたため、男子はみな早いうちに殺されていた。それを避けるため、カエサリオンは自分を17歳で死んだことにし、ユバ2世としてヌミディア王国に潜伏した。ユバ2世は異父妹であるクレオパトラ・セレネと結婚し、洗礼者ヨハネ(プトレマイオス・トロメウス)とイエス・キリスト(ドルシラ)を生んだ。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ユバ2世とクレオパトラ・セレネの子

 

プトレマイオス・トロメウス(BC9~AD40) ※画像なし

洗礼者ヨハネ(BC6~AD36)

クノベリン(?~AD41) 初代ブリトン王 在位AD9~AD41※画像なし

 

※イエスがユダの裏切りによって磔の刑で死去したあとも、洗礼者ヨセフはしばらくの間イエスを演じた。これがイエスの復活である。しかし、ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため捕らえられ、ヘロデの娘サロメ(ガリアのドルイド司祭の一族)が、祝宴での舞踏の褒美として彼の首を求めたため、処刑された。

しかし、実際にはヨハネは処刑を逃れてブリテン島に落ち延び、初代ブリトン王に即位したと考えられる。このときに、ジョーンズの名が生まれた。ジョーンズの名の由来はヨハネスである。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ユバ2世とクレオパトラ・セレネの子

 

ドルッシラ(?~?)※画像なし

イエス・キリスト(BC6~AD30)

 

※ドルイド司祭がカエサルの血筋(男系)の根絶を実行していたため、男子はみな早く死んでいた。当然、クレオパトラ・セレネも目を付けられていたが、彼女は男子として生まれたイエスを女子ドルッシラとして育てた。そのおかげでイエスは無事に成長することが出来た。洗礼者ヨハネの正体はプトレマイオス・トロメウスであり、イエスの兄であった。

イエスには2人のイエスがいた。ひとりはクレオパトラ7世の孫ドルッシラであり、もうひとりはイエスを騙ったドルイド司祭である。神殿で商売をする資本主義者を罵倒し、暴れるのがホンモノのイエスであり、不治の病に苦しむ病人を治すのは偽イエス(ドルイド司祭)である。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

初代ブリトン王クノベリンの子

 

ティベリウス・クラウディウス・コギドゥブノス(?~1世紀半ば) 第2代ブリトン王※画像なし

シモン・ペトロ(AD1~AD64) 初代ローマ教皇 在位33~67

 

※ペトロはユバ2世の庶子と考えられる。そのため、ペトロはドルイド教にロックオンされずにノーマークで育つことができた。ペトロは十二使徒として異母兄弟であるイエスに従い、偽イエスを演じていたドルイド司祭がパウロとしてイスラエルに戻った時には、キリスト教を守るためにパウロと対決した。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

イエスの子(十二使徒)

 

ゼベタイのヤコブ(?~?)

使徒ヨハネ(?~?)

アンデレ(?~?)

フィリポ(?~?)

トマス(?~?)

バルトロマイ(?~?)

マタイ(?~?)

アルファイのヤコブ(?~?)

タダイ(?~?)

熱心者のシモン(?~?)

イスカリオテのユダ(?~?)

 

※イエスは自力で、或いは優性遺伝子ブリーダーによって多くの子を儲けたと考えられる。その中でも、特にイエスを崇敬する子どもたちが集まり、十二使徒となった。ユダはイエスを裏切ったが、彼の母親はドルイド司祭の娘だと考えられる。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ヴォーティガン(?~449) ブリトン王※画像なし

シクストゥス3世(390~440) 第44代ローマ教皇 在位432~440

 

アンブローシウス・アウレリアヌス(430~480) ブリトン王

ヘンゲスト(455~488) 初代ケント王※オクタ父

 

※イエスの一族はローマ教皇とブリトン王を兼務していたが、シクストゥス3世以降、タナトスの一族であるレオ1世がローマ教皇となったため、オリジナル教皇の一族はブリテン島に拠点を移した。

 

ーーーーーーーーーーーー

初代ケント王ヘンゲストの子

 

オクタ(500~543) 第4代ケント王※画像なし

ヨハネス2世(470頃~535) ローマ教皇 在位533~535※画像なし

ヌルシアのベネディクトゥス(480~547) ベネディクト会教祖

Maelgwn Gwynedd(480~547) ブリトン王※画像なし

 

Selyf Sarffgadau(586~613) ブリトン王※画像なし

エゼルベルト(560~616) 第6代ケント王※画像なし

グレゴリー1世(549~604) 第64代ローマ教皇 在位590~604

アウグスティヌス(?~604) 初代カンタベリー大主教

 

※ケント王オクタがベネディクト会とカンタベリー大主教座を設けて以降、イエスの一族はローマ教皇、ベネディクト会修道院長、ケント王、ブリトン王、カンタベリー大主教を兼任した。一方、ベネディクト会が、アイルランド・カトリック教会を指導しているため、アイルランド・カトリックはしばしばクリュニー会やシトー会、ドミニコ会に攻撃されている。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

John Whethamstede(?~1465) ベネディクト会修道院長

ジャン8世(1425~1477) ヴァンドーム伯

 

ジョン・ベック(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

リチャード・ホワイティング(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

ヒュー・クック・ファリンドン(?~1539) ベネディクト派司教※画像なし

ジョン・カイト(?~1537) アイルランド・カトリック教会アーマー大主教※画像なし

フランソワ(1470~1495) ヴァンドーム伯

 

※修道院長John Whethamstedeの時代、彼らはフランスにヴァンドーム伯を設けた。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

ヴァンドーム伯フランソワの子

 

シャルル・ド・ブルボン(1489~1537) ヴァンドーム公

 

ルイーズ(1495~1575) フォントヴロー女子修道院長※画像なし

ジャン・カルヴァン(1509~1564) 改革派教祖
ジョン・ゲイツ(1504~1553)※画像なし

 

フランス出身の神学者。マルティン・ルターやフルドリッヒ・ツヴィングリと並び評される、キリスト教宗教改革初期の指導者である。また、神学校として1559年に創設されたジュネーヴ大学の創立者である。 カルヴァンの神学は、ルター派など一部を除き教派の違いを超えてプロテスタント諸派に大きな影響を与えた。プロテスタント教会のひとつ改革派教会は彼の思想的流れを汲む教会である。 ジャン・カルヴァンwikiより

 

※当初、ルイーズはヴァンドーム伯フランソワの息子として生まれたが、敵に狙われないように娘として育てられた。その後、庶子の娘をルイーズ役に据えると、ルイーズはジャン・カルヴァンとしてツヴィングリが築いた改革派を継承した。カルヴァンはジョン・ゲイツとしてイングランドで暗躍したが、処刑されたことにして潜伏を決め込み、並行して演じていたカルヴァンとしてその後の11年を生きた。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

シャルル・ド・ブルボンの子

 

ルイ1世(1530~1569) コンデ公、ユグノー派首領・将軍

 

アンリ4世(1553~1610) ブルボン朝初代王※ルイ1世の子

 

ユグノー戦争で叔父コンデ公ルイが戦死したため、年少にしてユグノーの盟主となる。1572年、自身の婚礼に際して企てられたサン・バルテルミの虐殺に遭遇したが、カトリックに改宗して難を避け、1576年に脱走して再びプロテスタントに復帰し、1589年のアンリ3世の暗殺により王位を継承する。その後再度カトリックに改宗して国内を平定し、1598年にナントの勅令を発布してカトリックとユグノーとの国内融和に努め、40年近くにわたる戦争を終結させた。戦後は戦争によって疲弊した国家の再建を行ったが、1610年に狂信的なカトリック信者によって暗殺された。wikiより

 

※ブルボン朝の初代王アンリ4世はカルヴァンの子であるため、ユグノーを支持した。ユグノー戦争は、邪教の手先であるカトリック信者の根絶を目指していた。 しかし、残念ながら、ブルボン朝のフランス王位は、第4代ブルボン朝フランス王ルイ15世の時に東本願寺宣如の一族に簒奪されてしまう。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

洗礼者ヨハネ(初代ブリトン王)の子孫

 

テリー・ジョーンズ(1942) モンティ・パイソン、映画監督

 

※右から2人目がジョーンズだ。ジョーンズはモンティ・パイソンの映画シリーズ「ホーリー・グレイル」「ライフ・オブ・ブライアン」をギリアムと共同で監督したが、映画「人生狂騒曲」では単独で監督した。86年には「ラビリンス/魔王の迷宮」の原作・脚本を手がけ、87年には「Hなえっちな変態SMクラブ」、89年には「エリック・ザ・バイキング」を監督している。

 

ミック・ジョーンズ(1944) フォリナー

 

※フォリナーには詳しくないが、ミックジョーンズはプロデューサーとしてヴァン・ヘイレンのアルバム「5150」やビリー・ジョエルのアルバム「スローム・フロント」を手がけた。

 

ミック・ジョーンズ(1955) ザ・クラッシュ、ビッグ・オーディオ・ダイナマイト

 

※ジョー・ストラマーと共にザ・クラッシュを牽引した。アルバム「コンバットロック」ではファンクに挑戦したり実験的な試みをしていたが、西本願寺門主法如と文如の一族による陰謀により、ザ・クラッシュを首になった。「ロンドンズバーニング」と歌う彼らは危険だったのだ。そのため、盟友ジョー・ストラマーも若くして亡くなった。

 

スティーヴ・ジョーンズ(1955) セックス・ピストルズ

 

※セックス・ピストルズのリードギターで、実験志向のジョン・ライドンとは異なり、シンプルなロックを好んでいた。セックスピストルズ以降は、パンクロックのゴッドファーザー、イギー・ポップと共作したり、hideのアルバム「ZILCH」にも参加した。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」「アナーキー・イン・ザ・UK」を歌った彼らは、西本願寺門主法如徒文如の一族による制裁としてシド・ヴィシャスを失った。

 

ハワード・ジョーンズ(1955) ミュージシャン

 

※生楽器を一切使用せず、シンセサイザーとシンセドラムを駆使したシンセロックの草分け的存在であり、アルバム「かくれんぼ」でデビューした。

 

 

 



読者登録

大本正さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について