目次
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まえがき
新まえがき 2019.12.20
地球の王チュクウ~神統記の巨人ギガース、巨人アグリオス、巨人クリュテイオス、巨人グラティオーン、巨人エウリュトス、巨人ブリアレオース、半人半獣の怪物テュポン、鍛冶の祖トバルカイン
全能神ゼウスの一族~英雄ペルセウス、素戔鳴尊、全能神ゼウス、周、サイス朝、孫子、ソクラテス、臨済宗、リトアニア大公国、明、李氏朝鮮、マイソール王国、ロスチャイルド家、太平天国、サムスン・グループ
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族①~出羽、十和田、イスラエル王国、ダヴィデ朝、テーベ神官都市、太陽神ラー、太陽神アメン、ユダ王国、晋、趙、朴氏、ペグー王朝、能、伊賀忍者、ソ連国家保安委員会
宇宙人トバルカイン(チュクウ)の一族②~拓跋部、北魏、吐蕃、回鶻汗国、ヴァイキング、ノルマンディー公、キエフ公国、甲賀忍者、ヴィジャヤナガル王国、スフォルツァ家ミラノ公、ソビエト社会主義共和国連邦
宇宙人トバルカイン(ルハンガ)の一族③~サハラ砂漠、ソドムとゴモラ、プント王国、インダス文明、パーンダヴァ族、英雄アルジュナ、燕、ローマ帝国、諸葛孔明、サファヴィー朝、シク教国、バアス党
宇宙人トバルカイン(オロクン)の一族④~桃源郷、仙人、ラテン王国、ヒッタイト帝国、シュメール都市国家ウルク、アーリア人、魯、孔子、東胡、天狗、匈奴、アラン人、西ゴート王国、ブルガリア帝国、大元帝国
宇宙人トバルカイン(クウォス)の一族⑤~海の民、エジプト第25王朝、プトレマイオス朝、ハザール帝国、イエス・キリスト、グルジア王国、ジャン=ジャック・ルソー、フランス革命、ノルディック、ケムトレイル
宇宙人エラドの一族~女神エリウ、ラテン王国、シュメール都市国家ウル、アーリア人、衛、老子、道教、セレウコス朝、カッパドキア王国、橘諸兄、小野妹子、ブルガリア帝国、ブニョロ帝国、ウィルタ族
宇宙人マハラエルの一族~戦闘の女神マッハ、フルリ人、ウラルトゥ王国、イリュリア王国、楼蘭、モラヴィア王国、平将門、平清盛、ムラービト朝、ムワッハド朝、フス派、雑賀衆、ヘーチマン国家、スタジオ・ジブリ
宇宙人スバルの一族~天孫氏、ゼブルン族、シュメール都市国家シッパール、プール族、シバ王国、破壊神シヴァ、楚、鮮卑、ヴァンダル王国、シュリーヴィジャヤ王国、シビル汗国、円谷プロダクション
デウカリオンの一族(マウンド派)~ニューグレンジ、モホス文明、フェニキア人、カルタゴ、天孫族、多氏、秦、呉、前漢、新羅、日本武尊、インカ帝国、ジョージ・モンク、フリーメイソン、オナシス財閥
デウカリオンの一族(ピラミッド派)~ギザのピラミッド、ラムセス3世、曹、テオティワカン宗教都市、越、熊襲武尊、後漢皇帝、魔法使いの神殿、クメール王朝、ムハンマド・アリー朝、チャーリー・チャップリン
ブルガリア皇帝イヴァン・アセン3世の一族~ソロモン1世、エチオピア帝国、クリミア・ハン国、ハルハ部、ケニア共和国、チャック・ベリー、アース・ウィンド&ファイア、ボブ・マーリー、エディ・マーフィー
ブルガリア皇帝イヴァイロの一族~ヴィスコンティ家、メディチ家、クリストファー・コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、イエズス会、フランシスコ・ザビエル、トスカーナ大候国、ローマ教皇フランシスコ
ブルガリア皇帝ゲオルギ2世の一族~オスマントルコ帝国、北元、スペイン無敵艦隊、ロシア帝国、サルディーニャ王国、リンカーン大統領、宰相ビスマルク、怪僧ラスプーチン、エルドアン大統領
オスマントルコ皇帝ムラト2世の一族~イヴァン大帝、チューダー朝イングランド王国、宗教革命、エリザベス女王、清教徒革命、第一次サウード王国、第二次サウード王国、サウジアラビア王国
オスマントルコ皇帝メフメト2世の一族~マクシミリアン1世、バイエルン王国、交響曲の父ハイドン、サド侯爵、文豪ゲーテ、楽聖モーツァルト、ヘミングウェイ、三島由紀夫、シド・バレット、トランプ大統領
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族①~宇佐美定満、蘆名盛氏、柴田勝家、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光、伊達政宗、水戸光圀、乾隆帝
オスマントルコ皇帝スレイマン1世の一族②~蘆名盛氏、高山右近、千利休、黒田官兵衛、有馬晴信、宮本武蔵、天草四郎、鄭成功、ヌルハチ、愛新覚羅家
オスマントルコ皇帝オスマン2世の一族~オリバー・クロムウェル、大英帝国、アメリカ合衆国、エドガー・アラン・ポー、オーソン・ウェルズ、ザ・ビートルズ、モンティ・パイソン、レッド・ツェッペリン
オスマントルコ皇帝アフメト3世の一族~ピヨートル大帝、ナポレオン皇帝、モルモン教、ルーズベルト大統領、ケネディ大統領、ザ・ドアーズ、プーチン大統領、ウィキリークス、Qアノン
オスマントルコ皇帝ムスタファ3世の一族~乾隆帝、マイソール王国、宝暦事件、トンブリー朝タイ王国、詩聖タゴール、マハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルー
オスマントルコ皇帝セリム3世の一族~道光帝、曽国藩、胡林翼、李鴻章、西郷隆盛、吉田松陰、西太后、大本教、中江兆民、ジャン・コクトー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ジェームズ・ディーン、つげ義春
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族①~曽国藩、東郷平八郎、乃木希典、児玉源太郎、袁世凱、黄金栄、蒋介石、小津安二郎、手塚治虫、ジャン・クロード=カリエル、ヴェルナー・ヘルツォーク
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族②~胡林翼、山口春吉、北一輝、大杉栄、鄧小平、ルイス・ブニュエル、サルトル、池田大作、キューブリック、宮崎駿、セックス・ピストルズ、マイケル・ジャクソン
オスマントルコ皇帝マフムト2世の一族③~李鴻章、勝海舟、福沢諭吉、坂本龍馬、張嘯林、杜月笙、黒澤明、田中角栄、習近平国家主席、マーティン・ルーサー・キングJr、ドゥテルテ大統領、橋本龍太郎
オスマントルコ皇帝アブデュルメジト1世の一族~犬養毅、頭山満、義和団の乱、幸徳秋水、文鮮明、大山倍達、田岡一雄、高畑勲、安孫子素雄、梶原一騎、アントニオ猪木、鳥山明、高田延彦、秋元康
オスマントルコ皇帝メフメト5世の一族~孫文、夏目漱石、張作霖、橋本忍、毛沢東、徳田球一、金日成、小沢一郎、金丸信、藤本弘、赤塚不二夫、ジャッキー・チェン、金正恩委員長
特別篇 宇宙人とぼく
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オスマントルコ皇帝メフメト5世の一族~孫文、夏目漱石、張作霖、橋本忍、毛沢東、徳田球一、金日成、小沢一郎、金丸信、藤本弘、赤塚不二夫、ジャッキー・チェン、金正恩委員長

 

メフメト5世(1844~1918) 第35代皇帝 在位1909~1918

愛新覚羅奕ケン(1840~1891)

岡田以蔵(1838~1865)※画像なし

中岡慎太郎(1838~1867)
高杉晋作(1839~1867)

田中光顕(1843~1939)

 

文久元年(1861年)8月、武市の結成した土佐勤王党に加盟(ただし、名簿の写しからは池内蔵太や弘田恕助と共に名前が削除されたとみられる)。文久2年(1862年)6月、参勤交代の衛士に抜擢され、瑞山らと共に参勤交代の列に加わり京へ上る。

これ以降、土佐勤王党が王政復古運動に尽力する傍ら、平井収二郎ら勤王党同志と共に土佐藩下目付の井上佐市郎の暗殺に参加。また薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。越後出身の本間精一郎、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人・村山加寿江の子・多田帯刀などがこの標的にされた(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。このため後世「人斬り以蔵」と称され、薩摩藩の田中新兵衛と共に恐れられた。岡田以蔵wikiより

 

安政元年(1854年)、間崎哲馬に従い経史を学び、翌年には武市瑞山(半平太)の道場に入門して剣術を学ぶ。安政4年(1857年)、野友村庄屋利岡彦次郎の長女・兼(かね)15歳と結婚。文久元年(1861年)には武市が結成した土佐勤皇党に加盟して、本格的に志士活動を展開し始める。 中岡慎太郎wikiより

 

長州藩では、晋作の渡航中に守旧派の長井雅楽らが失脚、尊王攘夷(尊攘)派が台頭し、晋作も桂小五郎(木戸孝允)や久坂義助(久坂玄瑞)らと共に尊攘運動に加わり、江戸・京都において勤皇・破約攘夷の宣伝活動を展開し、各藩の志士たちと交流した。高杉晋作wikiより

 

土佐藩士武市半平太の尊王攘夷運動に傾倒してその道場に通い、土佐勤王党に参加した。叔父の那須信吾は吉田東洋暗殺の実行犯だが、光顕も関与した疑いもある。しかし文久3年(1863年)、同党が八月十八日の政変を契機として弾圧されるや謹慎処分となり、翌元治元年(1864年)には同志を集めて脱藩。のち高杉晋作の弟子となって長州藩を頼る。

第一次長州征伐後に大坂城占領を企図したが、新撰組に摘発されたぜんざい屋事件を起こして大和十津川へ逃れる。薩長同盟の成立に貢献して、薩摩藩の黒田清隆が長州を訪ねた際に同行した。第二次長州征伐時では長州藩の軍艦丙寅丸に乗船して幕府軍と戦った。後に帰藩し中岡慎太郎の陸援隊に幹部として参加。田中光顕wikiより

 

※岡田は、愛新覚羅奕ケンの影武者として生まれた。岡田以蔵は父と同様に、同時進行で中岡慎太郎や高杉新作を演じ、工作活動に従事した。岡田はまず最初に自分を死んだことにして、その後は中岡や高杉晋作として生きたが、本願寺に狙われていた彼は結局その後、2年しか生きられなかった。

 

Mevhibe Sultan(1840~1841)※画像なし

ワンチェン(1841~1896) 西太后の妹

出口なお(1837~1918) 大本教教祖

 

出口なお(以下、『なお』と表記)は、江戸時代末期から明治時代中期の極貧の生活の中で日本神話の高級神「国常立尊」の神憑り現象を起こした。当時、天理教の中山みきなど神憑りが相次いでおり、なおの身に起ったことも日本の伝統的な巫女/シャーマニズムに属する。当初は京都丹波地方の小さな民間宗教教祖にすぎなかったが、カリスマ的指導者・霊能力者である出口王仁三郎を娘婿としたことで、彼女の教団「大本」は全国及び海外に拡大した。出口なおwikiより

 

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愛新覚羅奕ケンと婉貞の子

 

戴瀚(1865~1866)※画像なし
孫文(1866~1925) 辛亥革命指揮者

夏目漱石(1867~1916) 文豪

中村是公(1867~1927)※画像なし

塚本善五郎(1869~1904) 芥川龍之介養父※画像なし

 

中国の政治家・革命家。初代中華民国臨時大総統。中国国民党総理。「中国革命の父」、中華民国では国父(国家の父)と呼ばれる。また、中華人民共和国でも「近代革命先行者(近代革命の先人)」として、近年「国父」と呼ばれる。孫文wikiより

 

大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。

その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。夏目漱石wikiより

 

日本の官僚・実業家・政治家である。南満州鉄道株式会社(満鉄)総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任した。 作家・夏目漱石の親友としても知られ、官僚出身らしからぬ豪放磊落な性格で、「べらんめい総裁」「フロックコートを着た猪」「独眼龍」などの異名をとった。 中村是公wikiより

 

※婉貞の子として生まれたものの、一年で早世したとされている戴瀚だが、実際には敵が多いため両親が彼を死んだことにして潜伏させていた。実際には彼は生き延び、孫文として辛亥革命を成功させている。しかし、弟光緒帝の子である毛沢東の中国共産党と対立することとなる。

また、夏目漱石と中村是公は愛新覚羅奕ケンの庶子であり、2人とも日本に於ける孫文の影武者として投入されていた。しかし、漱石も是公も影武者でありながら、その類まれな才能によって自らを影武者の地位から解放し、漱石は文豪として歴史に名を残した。また、是公は漱石の親友としても知られているが興味深いことだ。

ただ、漱石は大谷によって愛新覚羅奕ケンの庶子であることを知られていた。そのため、本願寺は漱石のイギリス留学時もイギリスの西本願寺門主法如と文如の一族と連絡を取り合い、現地の邪教信者に命じて漱石に嫌がらせをしていた。「漱石日記」では、漱石が本願寺の邪教信者たちに嫌がらせをされ、精神的に打ちひしがれていく様子が記録されている。妻の鏡子さん(真宗王国広島出身)も浄土真宗信者であったため、本願寺に指示されれば漱石にイヤガラセをした。漱石曰く「周りの者が狂っているので自分も狂ったフリをしている」笑 いや、笑い事ではないが。

 

Şehzade Mehmed Ziyaeddin(1873~1938) メフメト5世の子※画像なし

光緒帝(1871~18) 清第11代皇帝 在位1875~1908
毛胎昌(1870~1920) 毛沢東の父

 

道光帝の第7子醇親王奕譞の第2子として生まれる。母は西太后の妹である。従兄の同治帝が早世した後に権力保持を狙う伯母の西太后によって擁立された。即位したのは3歳の時であり、実権は西太后が握り垂簾聴政が行われた。当初は東太后や伯父の恭親王奕訢も政権を担ったが、光緒7年(1881年)に東太后が急死、光緒10年(1884年)に恭親王が西太后に失脚させられると西太后が事実上政権の首班になった。光緒帝wikiより

 

※西太后は光緒帝を毒殺したことにして光緒帝と共に湖南省に逃亡した。光緒帝はそこで毛胎昌を称した。毛沢東の父である。毛沢東は、伯父である孫文と争うことになる。

 

名前が無い子(1875)※画像なし
張作霖(1875~1928)

 

1916年に袁が死去。これを好機と見た張は策略を用いて段を失脚させ、奉天省の支配権を獲得した。さらに勢力を広げ、1919年には黒竜江省・吉林省も含めた東三省全域を勢力圏に置き、「満洲の覇者」として君臨した。彼の率いる勢力は本拠地とした都市の名を採って奉天派と呼ばれ、張は「満洲王」と呼ばれるほどの威勢を誇った。wikiより

 

※愛新覚羅奕ケンと婉貞の子には、名も無く早世した子がいるが、彼は実際には生き延び、長じて張作霖となった。張作霖は、先祖の故地を奪還すべく、満州の王となった。残念ながら、志半ばで本願寺の陰謀により、討たれた。

 

 

戴洸(1880~1884)※画像なし
井上日召(1886~1967) 血盟団

 

日本の宗教家、政治運動家、テロリスト。 日蓮宗僧侶としていわゆる近代日蓮主義運動の思想的系譜に連なり、戦前の右翼テロリスト集団「血盟団」、戦後の右翼団体「護国団」の指導者を務めた。本名は井上昭。昭の字を分けて日召とす。井上日召wikiより

 

※愛新覚羅奕ケンと婉貞の子として生まれながら、4歳で早世したとされている戴洸だが、敵が多いために両親が彼を死んだことにして潜伏させていたのだ。彼は日本に送り出されて無事に成長し、井上日召として、日本を統べる邪教本願寺を壊滅せんと血盟団を組織している。

 

Şehzade Ömer Hilmi(1888~1935) メフメト5世の子※画像なし

徳田球一(1894~1953) 日本共産党

 

日本の政治運動家、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代より戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。沖縄県国頭郡名護村(現:沖縄県名護市)出身。wikiより

 

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養父塚本善五郎(夏目漱石)の子

 

芥川龍之介(1892~1927) 作家

 

※芥川は、母フクが優性遺伝子ブリーダーによって塚本善五郎(夏目漱石)の子を儲けたと考えられる。

 

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毛胎昌(光緒帝)の子

 

毛沢東(1893~1976) 中華人民共和国初代国家主席

金亨稷(1894~1926) 金日成父※画像なし

 

中国共産党の創立党員の1人で、長征、日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、1945年より中国共産党中央委員会主席と中央軍事委員会主席を務めた。 日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあった。wikiより

 

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Şehzade Mehmed Ziyaeddinの子(オスマントルコ皇帝メフメト5世の孫)

 

Behiye Sultan(1900~1950)※画像なし

三浦義一(1898~1971) フィクサー

小沢佐重喜(1898~1968) 小沢一郎父※画像なし

 

日本の右翼。フィクサー。日本銀行総裁・一万田尚登の親戚筋の立場を利用して、戦時中に日本金銀運営会に入り込み、その組織と利権を掌握した。 父の三浦数平(大分県士族)は大分市長、衆議院議員を務めた。三浦義一wikiより

 

Şehzade Omer Fevzi(1912~1986)※画像なし
金日成(1912~1994) 北朝鮮民主人民共和国初代国家主席

 

朝鮮の革命家・独立運動家で、北朝鮮の政治家、軍人。満州において抗日パルチザン活動に部隊指揮官として参加し、第二次世界大戦後は朝鮮半島北部に朝鮮民主主義人民共和国を建国した。 以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあり、1948年から1972年までは首相を、1972年から死去するまで国家主席を務めた。また、同国の支配政党である朝鮮労働党の党首(1949年から1966年までは中央委員会委員長、1966年以降は中央委員会総書記)の地位に、結党以来一貫して就いていた。

称号は朝鮮民主主義人民共和国大元帥・朝鮮民主主義人民共和国英雄(3回受章しており「三重英雄」と称される)。 北朝鮮においては「偉大なる首領様」などの尊称の下に神格化され、崇拝されている。彼の死後1998年に改定された憲法では「永遠の主席」とされ、主席制度は事実上廃止された。wikiより

 

※中国、北朝鮮、そして日本の共産党の党首が、みな光緒帝の子だったというのは興味深いことだ。

 

Mihrimah Sultan(1920~2000)※画像なし

アンワル・アッ=サーダート(1918~1981) エジプト大統領

 

1970年9月28日、ナセル大統領が死去すると副大統領として大統領代行を務めることになったサダトは、国民へ大統領の死去を伝えるスピーチを行った。同年10月15日、サダトは正式に大統領に就任する。大統領就任後はナセルの社会主義的経済政策を改めて経済自由化を進めるとともに、イスラーム主義の運動を解禁してエジプトの路線を大きく右旋回させた。

これらの政策に対する反対派は一掃し、国有メディアはそれを革命の矯正と名付けた。さらに1961年にシリアが離脱して以来、連合国家の体をなしていなかったアラブ連合共和国の正式な解体を決断し1971年9月2日、国号をエジプト・アラブ共和国に改めた。 wikiより

 

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オットマン家王位継承者

 

Dündar Aliosman(1930) アブデュルハミト2世の子※画像なし

石田幸四郎(1930~2008) 公明党

 

北海道札幌市生まれ。明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。石田幸四郎wikiより

 

Harun Osmanoğlu(1932)※画像なし

赤塚不二夫(1935~2008) 漫画家

 

※毛沢東の血筋に生まれたためか、赤塚のギャグには政治的なアプローチも散見される。彼が愛新覚羅の一族誕生の地、満州で生まれたのも偶然とはいえない。鳥山明、高橋留美子、吉田戦車、野中英次ら、先駆的ギャグのパイオニアである。

 

Osman Selaheddin Osmanoğlu(1940) Şehzade Ömer Hilmiの子※画像なし
小渕恵三(1937~2000) 内閣総理大臣

 

衆議院議員(12期)、総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第126代)、内閣総理大臣(第84代)、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁、自由民主党総裁(第18代)などを歴任した。小渕恵三wikiより

 

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小沢佐重喜の子(オスマントルコ皇帝メフメト5世の曾孫)

 


小沢一郎(1942) 自由党党首

 

日本の政治家。自由党所属の衆議院議員(17期)、自由党共同代表。閣僚として、自治大臣(第34代)、国家公安委員会委員長(第44代)を歴任。党務においては、自由民主党幹事長(第26代)、新生党代表幹事(初代)、新進党党首(第2代)、自由党党首(初代)、民主党代表代行、民主党代表(第6代)、民主党幹事長(第9代)、国民の生活が第一代表(初代)、生活の党と山本太郎となかまたち共同代表(初代)などを歴任した。wikiより

 

※本願寺の悪意により、小渕首相は暗殺され、一方、本願寺のメディアにより小沢氏は汚名を着せられた。

 

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金亨稷(毛沢東)の子

 

金哲柱(1916~1938) 北朝鮮民主人民共和国

金丸信(1914~1996)

 

1916年、平安南道大同郡で金亨稷と康盤石の次男として誕生。1926年に、小学校に通う際、革命組織であるセナル少年同盟(朝鮮少年団の前身)のメンバーとなり、新聞『セナル』の発行に参加。1930年代初頭に、抗日遊撃隊に入隊。1935年、延吉の石人溝付近において、日本軍との戦闘により死亡。金哲柱wikiより

 

衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第35代)、副総理(民間活力導入担当)、建設大臣(第34代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁(第9代)などを歴任。金丸信wikiより

 

※金日成の弟である金哲柱は、日本軍との交戦中19歳で死んだことにし、極秘に日本に渡ったと考えられる。日本に腰を落ち着けた彼は、金丸信として生きた。金丸信は、1990年に金日成と会談しているが、興味深いことだ。ただ、本願寺に正体を見破られていたため、金丸は病気にさせられて暗殺された。

 


金英柱(1920) 北朝鮮民主人民共和国

 

金英柱が生まれた1920年、一家は南満州に移住したため、金英柱は満州で育った。 成長した金英柱は、関東軍の通訳として働いた。1937年6月4日に朝鮮の咸鏡南道甲山郡が匪賊に襲撃される事件(普天堡の戦い)が発生した。満州国の朝鮮人治安関係者が調査をした結果、「襲撃事件の首謀者金日成は、諱を金成柱といい、関東軍の通訳として働いている金英柱の実兄である」との証言を得た。金英柱は協力を求められ、祖母の李寶益と共に、日本・満州国側に投降するよう金日成に呼びかけている。wikiより

 


金正日(1941~2011) 北朝鮮民主人民共和国第2代国家主席

 

北朝鮮を建国した金日成の長男であり、同国の最高指導者の地位を父より継承した。権力継承後、死去するまで朝鮮労働党中央委員会総書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官、朝鮮労働党中央軍事委員会委員長、朝鮮労働党政治局常務委員を務めた。

称号は朝鮮民主主義人民共和国元帥、朝鮮民主主義人民共和国英雄(三回受章しており「三重英雄」と称される)。死後、朝鮮民主主義人民共和国大元帥の称号を追贈された。wikiより

 

※金正日は存命中に映画「男はつらいよ」が好きだと述べていた。それは、映画自体がおもしろいということもあるが、渥美清が同じ道光帝の一族でもあったため、余計親しみが沸くということだろう。小泉首相の金正日との対談は、道光帝の一族と本願寺の一族の対決であった。

 

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孫文の曾孫(孫穂華か孫穂英の子?)

 

ジャッキー・チェン(1954) 俳優・映画監督

 

恵まれた身体能力を活かして、暗い復讐劇が多かったカンフー・アクション映画の世界に、ハロルド・ロイドやバスター・キートンなどのコメディ映画の要素を取り入れた、コミカルで明るい作風のカンフー映画を送り込み、一躍アジア圏で有名になる。その後ハリウッドにも進出し数多くの映画に主役として出演。60歳を越えた2017年現在でも自らアクションスタントをこなすことで知られる。代表作は『プロジェクトA』など多数。wikiより

 

※ジャッキー・チェンは若い頃の孫文に似ている。ところで、筆者が高校生の頃、ジャッキーは女子に大人気だったが、それに反発していたのか、男子は大体「おれはブルース・リーの方が好きだ」と言っていたものだ。しかし、ジャッキーの監督作は非常に練られており、本場ハリウッドが失ったもの、往年のハリウッドの「質」を継承していた。

ジャッキーのアクション演技も、実際には単なるアクションではなく、往年のチャップリン、キートン、ハロルド・ロイドのスラップスティック精神を正しく継承している。チャップリン、キートン、ロイドのやっていたことはジャッキーが80年代に追求していたアクション、そのものである。チャップリンたちはギャグの追及のあまり、一方ではスタントやアクションの分野に足を踏み入れていた。それを継承できたのはアメリカ人ではなく、当然、香港のジャッキー、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーなどカンフーを極めた人たちだった。

 

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井上日召の子(優性遺伝子ブリーダーによる)

 

麻原彰晃(1955~2018) オウム真理教

 

熊本県出身の日本の宗教家、テロリスト。宗教団体オウム真理教の元代表・教祖。日本で唯一の「最終解脱者」を自称していた。宗教的な概念を自らに対して都合良く曲解して殺人を肯定し、自らの信者を利用して国家転覆を最終目標とする一連のオウム事件を起こし、1995年(平成7年)5月16日に地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕された。

逮捕されてからは、死刑を免れるために心神喪失状態を装っていた。1996年(平成8年)3月27日に警視庁本庁舎から東京拘置所に移送され、2006年(平成18年)に死刑確定、2018年(平成30年)7月6日に死刑が執行された。死刑執行の直前に通される教誨室では誰に対しても終始無反応であったが、遺体の引取先を聞かれた際、「四女」とだけ言い遺した。wikiより

 

※上のwikiの情報はすべてフェイクではないか?とにかく、麻原は本願寺に最初からロックオンされていた。これは、優性遺伝子ブリーダーが守秘義務を意図的に怠り、本願寺に道光帝の一族の情報をすべて横流ししていたことに起因する。

麻原が実力を発揮し、オウム真理教を設立すると、本願寺はすぐさま上祐と村井をスパイとして派遣、潜入させた。荒木村重や明智光秀を信長の周囲に配置したのと同様に、上祐と村井は麻原のすぐそばに配置された。麻原は処刑されたその日が来るまで、上祐と村井が本願寺の一族だと知りえたことが、一瞬でもあっただろうか?

 

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金正日の子

 

金正恩(1984) 北朝鮮民主人民共和国第3代国家主席

 

北朝鮮の政治家、軍人。同国の第2代最高指導者金正日総書記の三男で後継者。父の死により最高指導者の地位を継承した。現在、朝鮮労働党委員長、朝鮮民主主義人民共和国国務委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員、朝鮮労働党中央軍事委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官を務める。党内序列は第1位。軍事称号(階級)は朝鮮民主主義人民共和国元帥。wikiより

 

※上の写真は若い頃の毛沢東である。金委員長は、若い頃の毛沢東にそっくりであるが、これは、彼が毛沢東の孫だからだろう。髪型のテイストも同じである。

 

 

 


特別篇 宇宙人とぼく

 

 

筆者が見た身長4メートルの霊(1990年代の大阪にて)

 

 

筆者は1990年代を東京と大阪で半分ずつ過ごした。筆者は別の電子書籍で多摩ニュータウンでカッパを見たことを報告しているが、河童だけでなく、東京では霊も十数回見た。大阪でも霊は何度か見たのだが、印象深い霊との出会いがある。筆者は大阪で、同じ霊を2度見た。しかもやけに白く、そしてやたらでかい霊である。身長は4mだろうか?

 

話はこうだ。筆者は1995年あたりから大阪に住み始めたが、東京で集団ストーカーされていたため、大阪に逃げたのだ。大阪にいる時分、一軒家の借家に住んでいたのだが、思惑とは異なり大阪でも集団ストーカーから逃れることはなかった。筆者は、外出時はすれ違う仏教信者に嫌がらせを受け、自宅では隣人の仏教信者に嫌がらせを受けていた。基本的には監視と、監視で得た情報をもとにしたイヤミを聞かせる。または騒音攻撃をしたり、進行を邪魔するといったオーソドックスな攻撃である。

当時はいろいろイヤなことがあったが、ある夏の夜。隣人が早朝の3時頃に外でガタガタやっていた。「うるせえな、また騒音か」とそっと窓を開け、息を殺して隣人をしばらく観察していた(もちろんレーザー監視機器と骨伝道音声送信技術で、隣人は筆者が見ていることを知っている)。騒音攻撃の際、彼らは必ず言い訳ができるように口実を準備する。この時は「幼い子供たちとキャンプに行くから」ということらしかった。その通り、彼はキャンプ用具などを車に積んでいた。その瞬間、ふと気づくと、やけに白い、なんだかすごく背の高い人が、観察している筆者の前を左から右へと通過した。

 

ここで状況を説明する。間口の狭い一軒家が十数軒並ぶその横並びに筆者の自宅と隣人の宅が隣接していた。で、車が一台通れる狭い道を挟んだ向こう側の並びには数十メートルある長屋がずらっと並んでいる。

 

筆者は二階から見ていたが、白い背の高い人の顔は二階と同じ高さにあった。しかも夜中なのに歩く音がしない。ただ、道に背を向けて作業をしていた隣人が後ろを振り返ってその白い背の高い人をジッと見ていたのを覚えている。隣人は、筆者に対する嫌がらせも忘れてしばらく固まっていた。そう。例え日本第二の都市大阪とはいえ、普通、背が4mもある人を見ることは通常ないのだ。その間、わずか数秒か。呆然としている2人を後に不気味な余韻を残し、白い人はさっさと歩き去って行った。

 

そして、その年の冬。筆者は再び彼に出会った。白くて背の高い、身長4mの人である。筆者はレンタルビデオ屋からの帰りで自宅に向かっていた。午前一時頃のことだったと思う。夏に白いでかい人を見た、筆者の自宅前まで伸びるなが~い、長屋を抜ける一本道に続く角を曲がった瞬間、彼はそこにいた。

自転車に乗っていた筆者はギョッとしたが、霊だと思っていたので何も見ていない風を装い、そそくさと通り過ぎた。もちろん背後を振り返って彼を確認することはなかった。

「あれ絶対霊だよな」「いや、あの人は毎晩この道を散歩してるんだろ、きっと」「でもちょっと待てよ。歩く音がぜんぜん聞こえない」「いや、淳二でさえあんなでかい霊を見たという話は聞かないぞ」。ということで、今でもあれが何だったのか答えは出ていない。

 

ただ、宇宙人にまつわる話でたまに身長が高い3mくらいの宇宙人の話を聞くことがある。ということは、あれは宇宙人だったのだろうか?確かにあの頃は集団ストーカーに疲れて隣人を「いつかヤッてやる」などと物騒なことを考えていた頃ではある。宇宙人はそれを知り「そんなことはやめとけ」ということを言いたくて出現したのかもしれない。

 

今でも東西本願寺による集団ストーカーは継続しているが、2013年頃に「あんなもんは無視すればいないようなやつらだ」という声が聞こえたりしていた。本願寺が味方を装っているのか、或いは善意の探偵が味方しているのか。いろいろ考えたが、今思えば、あれは宇宙人の声だったようだ。

そして2015年暮れ。筆者はフェイクプレーンが飛んでいることに気づき、その時から宇宙人との付き合いは現在に至っている(2020年1月8日付)。「神の啓示~ケムトレイル写真集」でも述べているが、宇宙人は筆者に農薬の害を警告するために夏は主に昆虫(蝶、トンボ、セミ、アシナガバチ、スズメバチ)を使い、一年中を通して自らフェイクプレーンで現れ、飛ぶ方向で注意を促したり、時にはケムトレイル、鳥、風などを使い、外出のたびに筆者に注意を促している。

ここ数年は強い風(夏秋は台風、冬は爆弾低気圧)に悩まされていたが、これは宇宙人が筆者に「米を食べるな」と伝えようとしていたことが今年になってわかった。何が悪いのか不明だが、あんな恐ろしい風を吹かせるのだからよほど有害なのだろう。もちろん、安倍政権が「種子法」を廃止したことと無関係ではない

 

最近の話だが、どうしても穀物が食べたくて大麦500gを買った。「米じゃないならいいだろ」と思って買ったのだが、昨日(2020年1月7日)、爆弾低気圧が発生して日本が大荒れになると報道されていた。静岡の場合、風速35mの予想が報じられていた(台風じゃねえか)。が、これもまた宇宙人が何か警告を発しているのだと考えた。筆者には心当たりがあった。「たぶん、大麦のことだろうな」と踏んだ筆者は、強い風が怖いので大麦をゴミ袋に捨てた。

しかし「それだけじゃまた拾って食べることできるだろ」と聞こえた気がして、筆者は大麦に尿をかけた。すると、不思議なことに、夜中から大荒れになるとTVが言っていたにも拘らず、夜はそよ風さえ吹かず、おかげでよく眠れた。不思議なことだが、偶然だったのだろうか?

 

じつは、去年の2019年の秋にも強い台風が静岡を襲うかもしれないということがあった。その時は、能登の米10kg2袋を1万円も出して買ったばかりだった。筆者は「米食うなと言いたいのか?1万円も出したんだぜ?何で買う前に言わねえんだよ」と半ギレ状態だったが、風が怖いのでせっかく買った米1袋をゴミに出し、「ただ捨てるのはもったいないな」と考え、もう1袋は近所の川に捨てた。不思議なことに台風は静岡上陸、或いはカスると予想されていたが変わりに千葉県に向かった。そういうことがあった。

 

さすがに超科学の種族だけに、彼らと付き合っていると不思議なことがたくさん起きる。ただ彼らに実際に会ったことはない。いや、一度だけ夢の中でUFOに乗せてもらった記憶がある。UFOの壁に窓は備え付けられていないが、外が見える。筆者はUFOに搭乗したばかりのはずなのに、秒で大気圏を抜けたようで、ふと見ると眼科に地球があった。そんな記憶がある。これが夢か現実なのか不明だが、それだけでなく、筆者は夢の中で宇宙人に激怒していたのを覚えている。

「あんたら俺を助けるって言ったけどそういう助け方(昆虫やかぜを使って農薬の害を教える)は助けるって言わないんじゃないの?」「俺を助けるってことは本願寺のやつらを皆殺しにすることじゃないのか?」などとw 宇宙人は困った顔をしていたが夢か現実か不明だ(その宇宙人はやはりブロンドだった)。

 

※上の画像は、まさに筆者が4mの霊を目撃した大阪時代の自宅前である。この写真は二階から写したものであるから、4mの霊を見たのと同じ景色である。4mの霊は軽く長屋の屋根を越えていた。現在、この長屋は存在しない。長屋が存在した立地には、現在、中くらいの高層マンションが建っている。

 

 

 


奥付


ダヴィデの一族 良い顔 写真集


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著者 : 大本正 (C)masahiro taguchi 2018
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